無意識日記
宇多田光 word:i_
 



あ、明日明後日の横浜アリーナ延期になったのね。よかった。

ならまぁその問題は遠目にしとこ。正確な情報がわからないと何も言えやしねーぜ。メタラーとしては、こんなことが問題になってしまう日々を乗り越えていつの日かモッシュピットをまた観れる事を楽しみにしています、ということくらいかな。


さて、現在連載中/刊行中の「不滅のあなたへ」第2部(アニメ第2期じゃないよ)が地上波アニメに向いてない的な事を書いたのだけど、その要点は「テーマが踏み込みすぎ」という所に行き着く。

優れた娯楽作品は大衆との距離感に対して細心の注意を払う。その時々の多数派の認識や常識がどこらへんにあるかを見極めながらメッセージを投げ掛けて来る。決して、進歩的になり過ぎない。

LGBTQ云々や人種問題なども、一流娯楽作品は「拙速」を大変嫌う。伝わらない・響かないメッセージを投げ掛けるのは自己満足に過ぎない、という徹底したプロフェッショナリズムを感じさせる。例えばディズニー・ピクサーの作品などは、こどもたちと親御さんたちに対してその時代々々でタイムリーなテーマを放り込んでくる。

先週うちのタイムラインで話題になった映画「グリーンブック」などもそうだった。人種差別をはじめとした様々な社会問題を、歴史の流れを踏まえつつ、ひとつひとつ慎重に、焦らずじっくり、しかしスマートに簡潔にテンポよく、2019年の米国或いは地球の映画視聴層の多数に響くようにテーマを厳選して言及していた感が強かった。あの内容が10年早かったら机上の空論とか夢想的だとか言われてたかもしれない。1962年頃の実話をベースにしていながら、紛れもなく21世紀の作品だった。

「不滅のあなたへ」第2部は、読者層を考えると、そこで描こうとしているテーマが行き過ぎだと思える。特に10代の少年少女に対して恐らくこれから投げかけてくる問題提起は切実過ぎる。勿論、この大今良時の大胆な賭けが成功する可能性もあるけれど、一大エンタメ絵巻として完結した第1部に対してこの第2部はやたら実験的且つ挑戦的で、ぶっちゃけいつ打ち切りにされてもおかしくない、とあたしゃ思うんだな。


……だなんて、ネタバレを避けようとする余り意味不明な書き方になってしまった。


で。ヒカルって、そういう距離のとり方するんだろうか? ハリウッドみたいな。まだこの考え方は新し過ぎるからもうちょっと何年かあとの作品に搭載しよう、とかそういう調整を。例えば児童向け作品で同性愛をどう描くかとか、そういうヤツね。なんか、あんまりそういう風には考えていないように思える。

かといって、置いてきぼりになることって、無い。そもそも言ってる意味がわからない事が少ないのだ。謎めいた言い回しとかならあるよ。『あなたの部屋に歩きながら』って、具体的にはどういうシチュエーションを想定しているのだろう?とかね。半同棲や通い婚なのか、或いは離婚した後だったり? それとも、病室とか? そういう「謎」ならあるけれど、考え方が急進的過ぎてついていけない、みたいなことはあんまり記憶に無い。ヒカルほどインテリジェンスに溢れていたら、難しい言葉だらけの先進的な思想に塗れた歌詞を生み出してもいい気もするのだけど、無ぇなぁ。

勿論、反対の考え方が古過ぎるとか保守的過ぎるとかも全然無い訳で、その上で、なんて言ったらいいんだろうか、一流ハリウッド映画みたいに「言いたいことまだとってあるよね?今回は我慢したよね?」っていう雰囲気がまるでないのよなぁ。これって冷静に考えると凄まじく難しいように思う。あれだけ頭のいいヒカルが全開で全部投げつけてくるのに、何言ってんのかわからないってことがないんだから。当たり前すぎる結論だけど、「想像を絶するほど性格が優しい」のが理由としか思えない。「わかりやすく伝える」事が、「リスナーに“取り残された感”を一切感じさせない」という目的に全フリされているというか。誰もやらないアプローチで「最終的にはPop Song」に落とし込んでいる気がする。いやはや、うん、なんだお前?(笑)

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




TVアニメシリーズ「不滅のあなたへ」第1シーズン20話が無事放送終了、すかさず2022年秋の第2シーズン放送決定が発表された。具体的な放送時期はともかく「知ってた」と言いたくなる人も多かろう。この20話までは準備段階で、次の30話くらい、ウラリス王国編?レンリル編?こそがクライマックスなのだから。ここを描かずして「不滅のあなたへ」の評価は確立しない。

そこまでが第1部で、現在単行本でこちらが読んでいるのは第2部だ。なんだか前倒しで?第16巻が発売されたばかりだが、第2部の内容は、視覚的にもテーマ的にもTVアニメシリーズにするにはちぃとグロテスクに過ぎてなぁ。恐らく来年秋の第2シリーズでTVアニメは完結になるかと思われる。来年といえば我々にはドラマ「First Love」もあるし、まだ今年も4ヶ月あるのに来年の予定が決まっていくのをみるのはなんとなくむず痒い気分。そう、勿論「不滅のあなたへ」の第2シリーズの主題歌も、宇多田ヒカルにやってもらわないとってことですね。

時期的には、ヒカルがニューアルバムをリリースした後のタイアップになるのだろうか? ちょっとこれが読みづらい。流石に今から今年中に新譜を出すというのは難しいかなと思ったが、『Fantôme』なんかは発表から3ヶ月足らずでのリリースだったし、10月になるまではまだわかんないかな。兎も角、今年中にニューアルバムを発表するとなると、来年秋の「不滅のあなたへ」の楽曲提供は、そこから更なる新曲ってことに、なるのか??? ちょっと過酷過ぎるような。ただ、今年発売の新譜からのシングルカットとなるとそれはそれで遅い。「来年秋」って、そういう微妙な時期かもしれないね。

いやまぁ勿論『PINK BLOOD』の続投でもいいんだけど、無意識的に作品に合う歌詞を別個で書いていたヒカルが、今度は意識的に大今良時に合う作詞作曲をしてきたらどうなるのかというのも見てみたい。ただ、それをするなら現在刊行中の第2部の扱いが難しい。私の見立てでは第2部のTVアニメ化は、前述の通り、特にNHKのゴールデンタイムでは難しいと思うのだけど、ヒカルの能力からすると、“そこを見据えた上で”レンリル編に合う歌詞を書きたがるような気がするのでな。何しろ、2007年に書いた『Beautiful World』が14年後の4作目のエンディングで流されて歌詞がバッチリ嵌る人なのだ。十年スパンで物事をみないと真価の正当な評価は出来ない。なので、NHKが第2部を制作放送する気があるか否かが鍵になりそうだ。


と、そんな先のことより、『Find Love』塩漬け状態からの早急な脱却が求められるのよねぇ今は。『PINK BLOOD EXHIBITION』全国行脚も宙ぶらりんのままだし、果てさて今後はどうなるのかな。8月もう終わっちゃうよ?

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




8月29日に愛知県常滑市で開催された音楽フェス「波物語2021」が感染対策皆無だったと炎上してる。そして9月1日2日横浜アリーナで行われるフェスに出演するアーティストが常滑出演者と11組程被っているそうな。嗚呼、こんなん、今まで感染対策頑張ってきた音楽興行関係者の皆さんの立つ瀬が無いよね。

詳しいことは知らないので是非云々について論評する気は無いのだけれど、で、さてこのあとどうなるんだろ?


① 各自治体が音楽フェス全般を中止・自粛し始める
② 若者が集うタイプのフェスが中止・自粛に追い込まれる
③ ヒップホップ・スタイルのフェスが爪弾きに合う
④ 炎上が鎮火したら皆忘れる


どこらへんに着地するのかな。あたし自身が④になって後日振り返らないという可能性がいちばん高いな、と書いてて思ってしまった……。

どれも残念だけど、ヒカル的には特に③がキツいんじゃないだろうかな。これからもっと国内のヒップホップ・アーティストたちとコラボレーションしていくつもりだったのかもしれないのでね。KOHHくんみたいな見た目がいかつくてインスタライブもあんな感じな、誤解されやすいタイプをうりゃっと表舞台に出してチャンスをプレゼントするようなことを今後もやっていく気がしていたからな。特に次のアルバムではラップ的な手法が増えるという予測が成立しつつあったので、仮に彼らとコラボした作品が発表された際にヒップホップ系アーティストの世間からの風当たりが強かったりしたら遣る瀬が無い。いや、そんな時こそ支援してあげるのがトップ・アーティストの役割なのかな……あんまりそういう意識ないかヒカルは。

こちらの心境としても、偏見込みで言えば、どんなにやんちゃな子を使ってもいいんだけど、刑事事件を起こすような子とのコラボレーションはやめといて欲しい。その子が捕まったら宇多田ヒカルの音源のストリーミングが止められちゃう訳だからね。確かにヒカルはレコード会社でも発言力の大きい方だろうけど、ソニー・ミュージック全体の方針を変える程ではないだろう。それに、サブスクだと、プラットフォーム側の見解もあるからね。

あたし個人としてはすかさずCDで購入して後は野となれ山となれスタンスに自分を持ち込む所存だけど、今の時代、音源がストリーミングから外されるのは市場的には致命傷だからね。私の本音は「音楽に罪はない」なんだが、現状は、やっぱり刑事事件関係者の音源は立場が危うくなりがちだ。特に薬物中毒患者なんてこっちからしたら「病気に罹った」のと変わらんから「お大事に」の気持ちも込めて音源再生したいヤツですらある。だけど現状はそうじゃないからなぁ。こちらも、違った意味で、遣る瀬が無い。


ミュージシャンなんて職業、常に品行方正である必要は全く無いとは思うし、時には反抗心を貫くこともまた必要なんだけど、反社会的な行為に音楽を巻き込むのは止めといて欲しいとこですわ。社会の方が狂ってる場合は別として、ですが。ヒカルの歌は、そんな危険に晒されないで欲しいのでした。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今夜の最終第20話で「不滅のあなたへ」の放送は一旦終了。とはいえ、NHKのアニメ作品なので余程の事が無い限り第2期の放送はあるだろう。ただ、今までのNHKアニメで第1期最終話を最終話って言ってたかなぁ?というのはちょっと気になったりも。それはそれとして、一視聴者としては当然第2期放送を期待したい。

その第2期の際には主題歌を再び宇多田ヒカルに、という話は再三再四繰り返してきた。本来なら第48話くらいでその意味を顕す『PINK BLOOD』の再登板もありだとは書いたが、これ、具体的な一場面を指した歌詞なのだから、直接そこで『PINK BLOOD』を流せばいいだけではないか、とやっと個人的に気がついた。今まで散々、「アニメ第2期のクライマックスシーンで第1期主題歌が流れ出す演出は燃える」と言い続けてきたんだからそれをこのいちばんお誂え向きな『PINK BLOOD』でやんなくてどうすんだという感じだわね。そして、その演出の為にはますます第2期のOPも宇多田ヒカルでいかなくてはならなくなる訳で。ある意味、ヒカルが『PINK BLOOD』に『不滅のあなたへ』の為の歌詞を付け加えた時点でこの一連の流れは決まっていたといえる。これはそうそう逃れられませんよ。

しかし、ここまでフシの生涯のテーマに相応しい歌を作っておきながらヒカルがその事実に気づいていなかったというのが、つやちゃんさんインタビューで判明した事の大きく驚くひとつのポイントであったように思う。


『なかなか新しい曲ができないしどうしようと悩んでいる時に、その一年前くらいにできていた『PINK BLOOD』をスタッフに提案されたのかな。その時は、原作を読んで「『不滅のあなたへ』に合う自信がない」というのが自分の中ではすごく心配で。でも、もし作者の方が良いというのであれば喜んで、ということで最後のパート「自分で選んだ椅子じゃなきゃだめ」だけ後から書き直したんです。』


どうだこの自信と自覚の無さ。今となってはどこがやねんという気がするが、でも、合わせようとせずに合っていたという事実が、ヒカルの気づきを遅らせた面もあったのではないか。つまり、元々はヒカル個人の、或いは、アーティスト宇多田ヒカルとしての思いを込めた歌詞を書いただけであって、『不滅のあなたへ』と符合させようという意図が無かった分、既に無意識的に大今良時と共通のテーマを追っているという事が見えていなかったのかもしれない。自分のうちのタンスの匂いは自分じゃ気づかないってヤツよな。或いはギョウザパーティ開いた同士だと(以下同文)。

実際、お互いに、決めゼリフ、ここぞというときの一言が、重点を置くポイントが似通っている。第11巻第103話でのフシの決めゼリフを読んだ時に『誰にも言わない』の最後のパートが頭に流れ出した人は私一人ではないと思うのよ。ヒカルは、『不滅のあなたへ』と、普段から訴えているテーマが近過ぎて逆にその親和性に気付けなかった。恐らくヒカルに『PINK BLOOD』を『不滅のあなたへ』の主題歌として勧めたスタッフの人は、「これほとんどそのまんまいけるじゃん。なんでいかないの?」と不思議に思うくらいだったんではないかなと。感染症禍下でどうしてもひとりきりの作業になりがちなので起こった出来事だったのかも、わからんわねぇ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




8年前の夏のちょうど今頃、『Kuma Power Hour with Utada Hikaru』のエピソード4でヒカルはTHEESATISFACTIONを紹介しながらこんな風に語っていた。

『「自由の国アメリカ」とはいえ、女性で、黒人で、レズビアンでっていったら、もうすごいよね。「どんだけマイノリティやねん!」みたいな。でも、逆にそこまで行くと強いのかなと。無敵という気さえします。とてもかっこいいデュオだと思います。』
https://tower.jp/article/feature_item/2014/03/17/0704


これを思い出して「自由の国アメリカ」か、とちょっと溜息をついた。というのは、ウィル・スミスの子でバンドをやってるウィロー・スミスがインタビューでこんな風に語っていたのを読んだからだ。

「メタルの観客で黒人の女性というのは音楽業界の与えるプレッシャーに加えて、まったく違うものなのよ」
「今回、メタル・カルチャーやメタル界、ロック全般のプレッシャーが加わることになった。学校でもパラモアやマイ・ケミカル・ロマンスを聴いていたことでいじめられたわ」
https://nme-jp.com/news/103506/


つまり、黒人女子であるウィローは白人が聴くものだとされているロック・ミュージックに親しんでいた事でイジメを受けていたんだそうな。やれやれ。これが「自由の国」なんだってね。

彼女は今は大人になって、ミュージシャンとして「黒人で女性でもロックを聴いていていいんだ」と主張してくれている。

日本語民からすれば、あーそれわざわざ主張しなきゃいけない事なんだ、となるのよね。聴く音楽で他者から迫害を受けるとか一体どんなディストピアなのか。でもそれが現実なのよね。



ふと、ヒカルがUTADA名義でやってたとき、人種差別はどれくらいあったのかなと気になった。現在はBTSが全米1位をとるとか随分アジア人も目立っているけれど、2004年とか2009年とかの時点で、恐らくかつて「ブラック・ミュージック」と呼ばれたジャンルのサウンドを携えて切り込んでいったヒカルは、今思うとどれだけ度胸があったのやら。

2009年当時『Come Back To Me』のローカル・ヒットは主に「リズミック」と呼ばれるジャンル─R&B専門局でのオンエアだった。ピーク時は全米で一週間に千回ほど流れていたようだが、皆それがアジア人の歌声だと知っていたのだろうか? 或いは、もしかしたら、英語の発音にアジア人特有の訛りなどが皆無であった為、ラジオから流れてくるUTADAの歌声が日本からやってきていると気がつかれなかったのかもしれないよね。UTADAもリズミック・チャートではTHEESATISFACTIONやWILLOWに負けず劣らずどマイナーな存在だっただろうに、よくあれだけオンエアを勝ち取ったものだ。

当時もしヒカルがメディアなどから差別的な対応を受けていたとしても、ヒカルは永遠にそのエピソードを話さない気がしなくもない。自分から敢えて分断を煽るような発言はしない、ということと、生来の強烈な負け嫌いの性格があわさると、そういう愚痴々々した物言いをする気をヒカルはまるで起こさないんじゃないかなと。

時代が移った今、例えばヒカルのお子さんが差別を受けずに育つことも、可能になっているかもしれない。でも、ウィロー・スミスの話しぶりからすると、自由の国の方はまだまだ不自由なようだから、ニューヨークでの仕事も再開した(と言っていいのかな)ヒカルにとって、いい環境がそこにあって欲しいと願わずにはいられない。ヒカル自身は、私のことよりもさ、って感じかもしれないけどね。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




えええええ、『Poppin'』の、『There's a full moon out tonight, the wolves cry, wolves cry』(今夜は満月、狼たちが吠える、吠える)のあとに『ワォーーーーン!!』って入ってたのぉぉっ!? 全然知らなかった……。(1:29んとこね)

こんなのずっと聴き落としてたとかあるんだろうか……お前この曲何百回聴いてきたんだよ……マジかよ……。

い、いや、もしかしたら、もっと酷いというか、「昔気づいてたんだけど、気づいた事を今綺麗さっぱり忘れ去っていた」というケースも考えられるな……それはそれで記憶力大丈夫なのかという話になるが。

12年前の曲か……それくらいのスパンなら忘れることもありえる? うぅむ、わからない。

しかし、こんな時私はこの無意識日記を検索すればいいのだ。書いててよかった無意識日記。過去にこの話を話題にしたことは……(検索中)……どうやら、ないようだね。狼の話となると大体『荒野の狼』だわ。あとは『A.S.A.P.』の『狼少女』とか? 兎に角、『Poppin'』の『wolves』を話題に出してたことはなかったみたい。

必ずしも気がついたからといって毎回文章に起こしている訳ではないけれど、何しろこの回数だから、大抵のネタは話に出しているハズで、ならばやっぱり今回初めて気がついたのかな……12年間何百回と聴いてきた曲で!

でも、例えばApple Musicでもハイレゾロスレス配信がメインになってきているし、音質が向上していく中で今まで気づいてなかった音の仕掛けとかに改めて気づいていく機会が増えるかもしれないわね。『Passion - after the battle -』でずっとバックに「時計のネジをまく音」みたいなSEが鳴り続けてる、とか、言われて注意して聴いてみないと一生気づかないかもしれないし。

そういう遊び心というか、音の中に潜ませてあるメッセージみたいなものを読み取れた時は嬉しいもので。『Poppin'』のヤツは単に狼が啼くだけだからホントに安直なやつなんだけど!(笑) それでもやっぱりクスリとさせられるよね。

という感じなので、ハイレゾやロスレスで昔の曲を聴き直してみるときには、イヤフォンやヘッドフォンで聴いてみると、また新しい発見があるかもよというベッタベタなエピソードでありました。あと、気づいた事は些細な事でも書き留めておくのがいいやね。それにしても……お前ホントそういうとこ、時々、凄く鈍いよな……っ!(笑)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




前回触れた「不滅のあなたへ」との関係性もそうなのだが、最近、少しずつではあるけれど、「宇多田ヒカル的な何か」が次第に且つ勝手にヒカルの許に集まりつつあるような気がする。

最も大きいのはエヴァと小袋くんだろう。エヴァの方は14年もの付き合いになり、互いの作品に影響をし合った存在で、完結を迎えて今や不可分な間柄となった。小袋成彬くんの方は、先にこちらからプロデュースをはたらきかけたら色々と成長しちゃって今やプロデュースをされる側になってしまった。ある意味育てた子に育てられてる最中というか。それは言い過ぎか。

レーベルメイトで言えば、エルエムワイケイさんも同様だ。前に紹介したインタビュー(再掲しとこ: https://okmusic.jp/news/433825?page=1 )を読めばわかる通り、様々な問題意識がヒカルと共通している。ニューヨークに住んでた事があるとかそこで大学に通ってたとか、若い頃は陸上やバスケットボールに親しんでたとかピアノ習ってたとか表面的なプロフィールを並べてみても世間的に「宇多田ヒカルの妹分」と呼ばれるだけのものがある。その上ジャム&ルイスにプロデュースしてもらってるとかもうね。しかもこれ、彼らの方から直々に申し出があったとか。決して沖田ディレクターが昔一緒に仕事したから引き合わせたとかじゃないんだよな。ほんと、RIAからデビューするに相応しすぎる人物である。

……なんて風に、少しずつではあるけれど、人が“靡いてきて”いるように思う。これ、ヒカルが社交的な性格に変貌して色んな人に声を掛けるようになったから、とかではない。周りの人がただ何となく集まってきているというか。エヴァに引き合わせたのは作品を紹介した紀里谷和明氏だろうし、小袋成彬くんは確か沖田さんのツテだった。エルエムワイケイさんに至っては多分未だにヒカルと面識が無い。いちどもヒカルは話題に出したことないよな。「不滅のあなたへ」も、降って湧いたような主題歌の報せだった。誰か予想していた人居たら手を挙げて教えて欲しいよ。

そう、なんとなく、集まってきているだけなのだ。それが逆に凄いというか。ヒカルが自分自身に集中すればするほど、周りに意識が滲み出し広がって何らかの“圏”が形成されているような。人類補完計画のようなこれからのフシのような。そんな感覚が生まれつつある。


とはいえ、そういう抽象的な捉え方もいいけれど、あたしはもっと具体的な展望を展き望みたい。


あのさ、近い将来、「宇多田ヒカル・フェス」が出来るんじゃね?


今でも、オープニング・アクトにエルエムワイケイ&小袋成彬ご両人にお出でうただくのは現実的なプランだろう。こういった「いつの間にか集まった人達」にこれから更にもう二、三組出会えたなら丸一日ミュージック・フェスティバルを開催できるようになるんでないの。音楽に拘らず、アニメ作品とのコラボレーション企画とかそういうのがあってもいいし。コラボカフェとか、この前やった(そして全国行脚が待たれる)『PINK BLOOD EXHIBITION』みたいなのを併設するのも楽しかろう。千葉マリンスタジアムとかで出来へんかねぇ? 10年後くらいに実現出来たらいいんだけどなー。もっと早くても、もちろん、いいけどなっ。そんな夢を見るコビドの話題だらけの2021年夏でございました……。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「不滅のあなたへ」第2期の主題歌もヒカルが担当するとして(いや『PINK BLOOD』続投希望がまず第一ではあるのですがね)、それはどういうテーマで切り込んでいけばいいのか。

『PINK BLOOD』の歌詞は「自我の確立」がテーマだが、それは「大人の」という枕詞がつくものだったかと思う。こどもの自我の確立はこれから社会に出て人と関わる時にひとりの個人としてお互いに相互作用し合えるために必要なものだったが、「大人の自我の確立」とは、それが出来るようになってからその上でさて私って何だろう?社会や他人からの影響を隔絶してそれでも残るものとは一体何?と考える段階にある。『他人の表情も場の空気も上等な小説ももう充分』読めるオトナになってからの話なのだ。

その段階における「私」というのは、どんな有り様なのか。それは、その「私の在り方」が「世界の在り方」にそのまま影響を与えるということでもある。短絡して言えば「思えばそれが始まる」状態だ。

テレビアニメ20話までのフシは、人間とは何かを学び、自分がそれとどう違ってどう同じなのかを知る過程を描かれた。第2期の第21話(予定)以降のフシは、自分が何をすべきかを見定め、周囲にどう影響を与えていくかが描かれる。その方法論、描写の方向性がぶっ飛んでるから大今良時は奇才なのだが、そこでは、世界の一部と意識を共有するフシが描かれていく。

宇多田ヒカルという存在も、そういう、「宇多田ヒカルがそう思えば、それに倣う動きが世界のどこかで始まる」存在だ。ヒカルがアルバムを出したい、ツアーに出たいと言えばそれに沿って何千という人々が働き、何十万何百万という人々が巻き込まれていく。それは16歳の頃からずっとそうだったのだが、今まではヒカル自身ですらそれに「巻き込まれる」側としての側面が強かった。「何もかももう充分読んだ」宇多田ヒカルは、恐らくもう、そうではない。まさに、インタビューにあるように、物事の“中心”として駆動していくだろう。その時、ヒカルの意識は外側でなく内側に向いている。内側に向いて、内側と対話する事がそのまま外側への影響として顕現していく存在になっているのだ。

かつてロングインタビューで10代のヒカルは「目の前の机と自分自身の区別はない」と言い切っていた。「意識の届く範囲」が、そもそも自分の肉体に縛られていない人なのだ。世界の一部をまるごと切り取って自分自身の意識と同化出来る人……「不滅のあなたへ」の原作を既読している人には、それがフシの(アニメにおける)今後と符合していくのを知っているかと思う。なので、ヒカルは今のヒカルをそのまま描けばそれがそのまま「不滅のあなたへ」の次の主題歌になる。それは、そのつもりがなかったのに『PINK BLOOD』の歌詞が「不滅のあなたへ」にそぐうものになった事のただ延長線上にあることだ。

今後のことはわからない。アニメの最終話で第2期とか、或いは分割2クールとかの告知がある場合もあれば、10年経ってから続編が突然告知される作品もある。ただ、どうせならヒカルがナチュラルに歌を作ればそれがそのまま採用される今、続編を作ってくれた方がベターであるとは、ちょっとは思うところでありますのよ。まずはその前に来週月曜日の第20話を堪能しておきましょうかね。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




次の新曲の歌詞って結構難しいかもしれない。タイアップ次第ではあるんだけれど、恐らくここから年末まで、日本語民の気分はどんどん変わっていく。

要は、感染症禍の影響がどれくらいまで長引くのかという話。ワクチン接種が行き渡って、皆が解放感に包まれているのか。或いは、変異株が更に広まって3回目の接種が必須となっていくのか。どちらになるかでリスナーの気分は全く変わるだろう。歌詞の内容もそうだが、リリースのタイミングも非常に難しい。

タイアップ相手があって、それが実社会と無関係なタイプのものなら構わない。異世界物とか時代物とか。だけど、ニューアルバムのコマーシャルと共に流れる歌とかになると、どうしても“今”を意識せざるを得なくなる。家で自粛してテレビを観ている人に「今夜は外に出てはしゃごう」みたいな歌詞を放り込んでどれくらい共感が得られるやら……特に宇多田ヒカルというアーティストは、どうしてもマスメディアを使ったプロモーションになるから「お茶の間に馴染むかどうか」は令和の現代でも相変わらず問われる筈だ。

『Find Love』は英語の歌だから今は気にしていない。英語圏民の皆さんは違うだろうが、恐らく、日本語圏内とは異なり、UTADA HIKARUというアーティストが世相と符号するかどうかというのはない筈だ。熱心なファンは世の中がどうあろうがヒカルの歌声に耳を傾けるだけだし、多くの人々にとってUTADA HIKARUはKINGDOM HEARTS SERIESの歌を歌う人なので、ファンタジーの住民なんじゃないか。寧ろ普段の生活の鬱憤を晴らす為にもゲームの中の世界では暫し現実を忘れさせて欲しいまであるだろう。他のアニメの主題歌なんかも同様で。

日本語圏ではどうしても「不特定多数」が相手になってしまう。そこをどう掻い潜るか。或いは、大きく巻き込んでいくか。


2001年にヒカルは『traveling』で『不景気で困ります』と歌った。だがこれは例えば好景気に沸く1986年では成り立たない歌詞だった。ヒカル自身どこまで経済を読んでいたかは知らないが、後からふりかえっても、2000年暮れから2002年明けまでの十数ヶ月間、つまり2001年という年の殆どは、国際情勢の影響もあり、失業率は上がり続け実質経済成長率はマイナスを叩き出すなど、本当に本当に不景気だったのだ。その不景気の終わりかけの頃(2001年11月28日)、つまり、もうどん底で開き直るしかない空気の中にあのハイテンションな『traveling』をリリースした。時代の風を読んだかどうかはともかく、結果としてドンピシャにハマったのだ。オリコンだと年間3位、JASRACだと年間2位なのかな、兎に角特大ヒットを記録したのだった。

その時のような「圧倒的な追い風」が吹くかどうかは…………、って表現は『WINGS』に慣れ親しんだここの読者には不適切かな? 『向かい風がチャンスだよ今飛べ』だもんねぇ。なんだろ、ま、えっと、そう、もうどっちでもいいか!(笑) ヒカルの次の日本語曲が時代の気分に沿った曲だろうがそうでなかろうが、どっちに転んでもそれはそれで興味深いだろう。何より、私らはまず先に『Find Love』で楽しく踊れる筈だからね。フル解禁がいつまで経っても来ないので最近ずっとなんだか右往左往させられているというか泳がされてるというか踊らされてる気分を味わわされ続けているんですけどねっ。

という訳で、『サイコロ振って出た数進め』になるのか『サイコロ振って一回休め』になるのかは、それこそ実際にサイコロを振ってみないとわからない。「出た目に合わせて参りましょう。」──私の好きな言葉なのですが、兎に角悩むくらいならリリースしちゃいましょEPIC SONYの皆さま!

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ザ・ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツが亡くなった。享年80か。Wikipediaをみると1962年の加入以来59年間、一度もストーンズを抜ける事無くずっとその座に座り続けていたようで。ロックドラマーとしては歴代最長となる。

…と、言い切れてしまうのも、彼こそが人類史上初の「ロックバンドに正式メンバーとして在籍したドラマー」みたいなものだからだ。いや勿論、厳密な意味では人類史上初ではないだろうが、そもそもストーンズこそが「ロックン・ロール・バンド」という形態を世に広めた最初のバンドだったから。

1950年代までのロックン・ロールは、ソロアーティスト名義のものばかりだった。エルヴィス・プレスリーからしてそうだし、ビル・ヘイリー、ファッツ・ドミノ、チャック・ベリーにリトル・リチャードに……そもそも、ロックン・ロールにおいて器楽隊が「正式メンバー」として活動を始めたのが1960年頃だもんねぇ。それまでのジャズ・ドラマーなんかは、ソロアーティストとしては認知されていても、「あのグループのメンバー」みたいな風には言われていなかった。

ここらへんの「当たり前すぎる事情」を知らないと、今若い人がチャーリー・ワッツのプレイを聴いて「……この人のどこが凄いの?」とか言って我々老人と衝突するのが避けられない事態となる。あっさり言ってしまえばチャーリー・ワッツという人は「ロック・ドラマーという職業を作った人」なのだ。ザ・ビートルズのリンゴ・スターとともに。彼からのチャーリー・ワッツに対する追悼コメントは、シンプルだったな……。


ザ・ローリング・ストーンズといえば、『甘いワナ〜Paint It, Black』で引用された「黒くぬれ/Paint It, Black」で、宇多田ヒカルファンには有名だろう。原曲ではチャーリー・ワッツの激しいドラミングが聴けるけど、『甘いワナ』でそれが再現されているかというとそうでもない、かな。そもそも、この引用、タイトルを併記するほどそのまんまじゃないのよね。歌詞はそのままだけど、メロディは同じではないしバックの演奏も違う。メインテーマとして堂々と鳴っている『FYI - Merry Christmas Mr. Lawrence』にクレジットを欲しがった坂本龍一は正当な要求だと思うが、ストーンズのこれは、かなり譲歩したというか。それだったら『Nevet Let Go』の方がよっぽど『Never Let Go - Shape of My Heart』ってタイトルにすべきだったような。まぁそんな議論は22年前に散々されていたっけね。

『甘いワナ』は記念すべき初ライブである『LUV LIVE』のオープニングを飾った華やかな楽曲で、あれくらい溌剌と弾ける新曲があったらますます次のライブコンサートに期待が募っていくのだけれど、あれはヒカルの編曲じゃないからあれだけ派手なアレンジになってた訳で、今の体制だとなかなかああいうのは出てこない、かな? まぁ、だったら『甘いワナ〜Paint It, Black』自体を演奏すりゃいいのか。後半、もうどうせなら『Paint It, Black』まるごとにメドレーで繋げてしまえばいいのに……と思ったけど、ファン層を考えると、そこまで盛り上がらないかも。寧ろ『Paint It, Black』から始めて『甘いワナ』に繋げた方が面白いかもしれない。

朝からラジオからは早速チャーリー・ワッツ・プロジェクトの曲が掛かったりしてる。今日一日くらいは、ストーンズの曲を聴いて過ごすのも悪くないかもしれない。R.I.P. Charlie Watts

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




2005年に『EXODUS』にまつわる仕事が一段落して(ショウケースギグ〜英国デビューあたりまで、かな?)日本に戻ってきてヒカルが“宇多田ヒカル”としての活動を再開した際、『Be My Last』を携えてプロモーションに励みながら「最近さだまさしを聴いてる」といきなり言ってきたのにちょっと吃驚した覚えがある。それを聞きつけたのやら何なのやらその後「HEY!HEY!HEY!ミュージックチャンプ」にヒカルがゲスト出演した折にさだまさしもやってきて共演という形になった。彼の、

「『It's Automatic!』が「いつお泊まり?」に聞こえて、15歳なのにけしからん、親の顔が見てみたい─と思ったら藤圭子だった。(笑)」

とかいうネタが飛び出したのはこの時だ。(動画参照すんのめんどいので不正確ですあしからず) まぁそれはいいんだけど。

でも確かに、ずっと英語の活動をしてきて日本語の歌に戻る時にさだまさしってチョイスはアリだな、と当時も思った。この人は歌詞にメロディをつけることもメロディに歌詞をつけることも抜群に上手い。それがあるからコンサートで歌とMCをシームレスに繋げて聴衆を楽しませられるのだ。観たことないけど。「MC2時間歌2曲」でライブが成立するって凄いよね。若干誇張ですが。まぁ彼の小咄も誇張ばかりなのでw

例えば有名な「関白宣言」なんか、はメロディがとてもしっかりした曲なのだが、兎に角歌詞が軽妙で(当時の)世相を捉えていて、まるでその場で喋ってるみたいな歌なんだよな。ああいうの、よほど日本語の性質を捉えられていないと無理だろう。

ふとそんなことを思い出したのは、今の流れでいくとヒカルが次作でいよいよ日本語ラップに挑戦しそうな雰囲気だからだ。『Laughter In The Dark Tour 2018』ではもう既に『Too Proud』で披露しているし。

で、私の昔からの持論なんだが、「日本語で歌おうとすると、どうしても最終的にはフォークに落ち着いてしまう」と思ってる。今まで、色んなミュージシャンが西洋で生まれた音楽に日本語歌詞をつけてきたが、ロックもパンクもラップ/ヒップホップも何もかも、やってるうちにどれもフォークになっていくのよ。(GLAYとかモンパチとかファンモンとか?) 反体制的なパンクもスタイリッシュなヒップホップも日本語で「父さん母さんありがとう」とか歌い始めたらもうフォークにしか聞こえなくなる。なんかもう呪いというか、結局日本語の特性をいちばん活かせる西洋音楽はフォークなのだろうなと。

宇多田ヒカルは、「そうならない」日本語ラップを生み出せるだろうか?─それが目下の関心のひとつである。今まで日本語アルバムで“正真正銘の”ラップを披露してこなかったのは、なんだかんだで、ヒップホップスタイルのラップミュージックとストレートな日本語の交わる点を見出しきれてこなかったからではないかなと。……なんか言い方が生意気な気がするが、それはあたしがラップのことをわかってないからだな。まぁそれもいい。

リズムやライムに載せるには、日本語はやや湿っぽく情緒的に過ぎる。喋りと歌の境界線を無くせる程に自然な技巧をみせたさだまさしが日本語フォークの王道を通ってきた人なのだから、あれくらいの偉業を、英語ネイティブで小さい頃からR&Bやヒップホップのリズムと作法に(も)明るいヒカルが、日本語のポップ・ミュージックに新しい切り口を与えてくれる形を実現出来れば、今度こそ初めて、ムーブメントといえる「宇多田ヒカル・フォロワー」が、沢山生まれるかもしれない。はてさて、そんな夢物語は現実になるんでしょうかね? そうなったらフェスのヘッドライナーとかも似合っていきそうなのよねぇ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




そうか、「不滅のあなたへ」は、来週の最終話でフシとピオランのエピソードやるのね。この話が好き……というのとはちと違うけど、テレビアニメでやっといて欲しい話だったのでそこは嬉しい。全20話という話数とストーリーのペースからして、随分と熟考して構成を考えていらっしゃるのかも。

次の第二期の半年(大体それくらいになるだろう)がこの作品が名作たる所以なので、いつ放映になるかが気になるわ。いや、もう思い切って劇場版四部作とかでもいいくらいだけどな。それは思い切り過ぎにしても、しっかりと制作期間をとって質の高いアニメ作品を作り上げて欲しいかなと思いますですよ。ヒカルの主題歌もよろしくね☆


で。前回引用した通り、『PINK BLOOD』の歌詞は「不滅のあなたへ」に合わせて最後の歌詞が付け加えられている。裏を返せば、そこ以外は作品と関係なく作られていたということで、これはもうシンプルに原作者と作詞者が表現活動に於ける問題意識を共有していると捉えていいのかもしれない。意図せずとも勝手に似る。共通するものが沢山見つかる。運命的なコラボレーションだったといえる。

「不滅のあなたへ」の特徴として、完全な善人や完全な悪人が出てこない、というのがある。登場人物が戯画化されておらず、ぶっとんだSF作品のくせに妙にリアリティがあるのだ。漫画を読んでないからわからないが、対照的に現代劇だった映画「聲の形」を思い出すに、これは大今良時の個性なのだろうか? リーンなんか普通なら完全無欠美少女のキャラクターでもストーリーは成立するのに妙に気弱だったり狡かったりして。それ別に要らんかったろうに。要は、ストーリーの都合ではキャラを描いていないのだろうな。

その、「物語に配慮しない姿勢」が、今のヒカルにも共通するしているように思われる。

『他人の表情も場の空気も上等な小説も
 もう充分読んだわ』

「場の空気を読む」必要があるのは、「場の求める振る舞いをする」事を強いられるからで、つまり周囲の期待する戯画化された個性としての行動を押し付けられるということだ。あの人は優しいから、とか君は女性なんだからねとか、なんでもいいけれど、規格化された振る舞い、いい言い方をすれば「周囲の期待に沿った」行動をずっとしてきたということでもある。

だから、ここの歌詞で「他人の表情を読む」と「場の空気を読む」に加えて「上等な小説を読む」という新しい表現を加えられた所に『PINK BLOOD』の個性を感じる。つまりそれは、綺麗に整った"物語"のことであり、キャラクターがストーリーの要請に従って振る舞い澱みなく話を推し進めていくような、そんな小説のことを言っているのではないか。そういうのは、恐らくではあるが、大今良時が拒否している(というか或いは最初から頭に無い?)やり方であるように思える。ヒカルもそれを「もう充分」(I've had enough.)と追いやった訳だ。

ここらへんが『PINK BLOOD』と「不滅のあなたへ」がよくシンクロする一員であるようにも思われる。来週最終話でフィーチャーされるピオランというキャラクターも、そういうカリカチュアライズされていない、生き生きとリアルな振る舞いをし続けてきた登場人物だ。彼女とフシの成り行きで一旦幕を閉じるのは、なかなかにいい区切りなんではなかろうか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「不滅のあなたへ」は全20話ということで、第19話の今日と来週の第20話の放送で一旦終わりですかね。ジャナンダ島編まで、か。


うむ、これは宇多田リスナーとしては納得がいきませんな。そりゃそうでしょ。だってこのままだと『PINK BLOOD』の

『王座になんて座ってらんねえ
 自分で選んだ椅子じゃなきゃだめ』

の一節が訳分からないままになっちゃうじゃないですかっ。ヒカルは(お馴染みつやちゃんさんインタビューで)こんな風に語ってましたがな。

(『PINK BLOOD』について)『原作を読んで「『不滅のあなたへ』に合う自信がない」というのが自分の中ではすごく心配で。でも、もし作者の方が良いというのであれば喜んで、ということで最後のパート「自分で選んだ椅子じゃなきゃだめ」だけ後から書き直したんです。なので、そこ(のパートについて)は『不滅のあなたへ』の影響もあるんですね。』

っていう風に。「椅子と王座」の歌詞はいわばアニメの為に書き下ろされたんですよ。なのに、それに実際に関係する登場人物が出てくる前の段階でアニメが一旦終わるってなぁ。多分「不滅のあなたへ」は第二期もやるんだろうけど、そんときもまだ主題歌が『PINK BLOOD』のままである保証なんてないぞ? 寧ろ変わるのが普通だぞ? ここの歌詞宙ぶらりんで回収されないまま卒業だぞ? いいのか?

「不滅のあなたへ」が全20話(途中一回総集編挟んだが)というのはいつ頃から決まってたんだろかなとちらっとだけググッてみたが、放映時期が半年延期される前からもう全20話ってアナウンスされとるな。つまり、約一年前にはとっくに決まっていたことなのか。ヒカルはどのタイミングで作詞したんだろうかな。アニメ1期が原作のどこまで放映するかあらかじめ聞いてたのかなぁ?

話が見えづらくて原作未読の読者様方には申し訳ない。ジャナンダ島編が終わったそのあと、漸く真正面から「王座」にまつわるキャラクターが出てくるのですよ。ぶっちゃけ、確かに漫画「不滅のあなたへ」の主人公はフシなんですけど、この作品が名作になったのはこのキャラが出てきてくれたお陰なんすよ(断言しちゃう私)。というか、ここから20話位はそいつがもう一人の主人公みたいなもんでな。(アニメでいうと第21話〜第40話、いや、コマ割りが小さくなるから第50話くらいまでいく??それくらいの間の話ね)

ヒカルもそいつを気に入ったからこうやって歌詞に織り交ぜてきたはずだとかねがね思ってきたので、出来れば、アニメ第2期も、主題歌を『PINK BLOOD』のまんまで進めてくれたらな、っていう風に、宇多田リスナーとしては思うのですよ。オープニング・アニメーションは刷新してね。でもまぁ、現実、大抵のアニメでは間を空けると主題歌は新しくなるもんですからねぇ。どうなりますやら。

でもねでもね、前も書いた通り、現実問題として、「宇多田ヒカルの後釜」って、誰が請けるの? あたしだったら断るよ?(笑) だって無理でしょ、『PINK BLOOD』よりいい曲書いてあれよりいい声で歌うって。誰が出来んの? 坂本龍一にインスト書いてもらうくらいしかやれることないよ? あぁ、海外アーティストならアリか。いっちょPINK FLOYDに主題歌を書いて貰えれば……(※とっくに解散してます)。

なので、唯一許せるのが、「宇多田ヒカルの新曲」のみという状況状況なんだと思いますよ。『PINK BLOOD』でないのなら。TVアニメシリーズの主題歌自体初めてだったのに、2期も続投となればますます「不滅のあなたへ」は特別な作品になりますなぁ……。

まぁそんな妄想はさておいて、アニメ本編、残り2話、癖の強い登場人物ばかりになってて激しく好き嫌いが別れている事かと存じますが、いろんな点で二期への布石だらけなのでしっかりと観ておく事をオススメしますよっと☆

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




Twitterの方で「『MTV UNPLUGGED』は実際のセトリと放送時/DVD収録時の曲順が異なるのではないか」というご指摘をうただきまして。なんともありがたいことです(*´・人・*)

先週コンサートのセットリストを参考にする際にDVDの曲順を基準にしたんだけど、そんときに書いとくべき注釈を入れ忘れてましたな。ダメだこりゃ。

そうなんですよ、DVDの曲順と実際のコンサートのセットリストは必ずしも同じではなくて、それがいちばん極端なのが『MTV UNPLUGGED』なのよね。他にも、『Bohemian Summer 2000』はツアー開始時とDVD収録の千葉マリンの時では曲が増えてるとか、ウタユナ福岡公演は博多祝い歌が、インフレ初期公演ではぼくはくまがそれぞれ足されてたとか、色々とある中で話を明確にする為に取り敢えずDVDの曲順を基準にしとくか、と思ってたんだが、調べて貰った所によると『MTV UNPLUGGED』って肝心の『First Love』の位置が変わってたんだね! これはちゃんと取り上げとかなきゃいけなかった。うっかりしてたなぁもぉ。ダメだこりゃ(パート2)

となると先週書いたことを修正しなくちゃなと思ったんだけど、そうか、そもそも『MTV UNPLUGGED』なんていう特殊な公演を加味したのがマズかったのかもなと。なんていってもこれ、結局は、生放送ではない「テレビ番組の収録」なのよね。寛いでるオーディエンスの皆さんも「テレビ番組観覧」扱いだったような。そう考えると、テレビ放映時やDVD収録時の曲順の方が「制作者の意図」をより汲んでいると捉えるべきなのかもしれず。そもそもが「曲順に込められたヒカルのメッセージ性」の話だからね。

ただ、「制作者」ってのが誰なのかというのもポイントで。ヒカルの意向は現地での曲順に反映されていて、一方でテレビ放映時は「MTVの番組制作ディレクター/プロデューサー」の意向が反映されていたのかもしれず。となると難しいのは宇多田ヒカル名義で東芝EMI(当時)からリリースされたDVDの立場なのだけど、出来上がった番組ソフトをそのまま収録するのがメインの企図だったりするとつまりこの曲順は……って、あぁ、ややこしい!(笑)


要するに(←話をまとめられない人の口癖)、『MTV UNPLUGGED』は、ライブコンサートとテレビ番組のハイブリッドみたいな企画だったので、その曲順から何かを読み取るのはもっと慎重になるべきだったかなという話なのでした。もともと総曲数も少ないから、他のフル尺のライブと較べるのも無理があって……ってだったら『LUV LIVE』もそうか……嗚呼、グダグダだな。ダメだこりゃ。(パート3)


何れにせよこういった指摘は大歓迎。何より、嗚呼隅々まで読んでもらえてるんだなと嬉しかったです。なかなかコンスタントに返信できていないけど、どんどんウェルカムかもんかもん!

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




前回見た通り、ライブで『First Love』の次に歌われるのは「仕切り直して勢いをつけられる大ヒットシングル曲」か「よりスケールアップした宇多田ヒカルを魅せられるバラードの新曲」の二種類に大別された。では、次はどちらになるのだろう?

今のところバラード曲の新曲は無いといって差し支えないかな。となると現時点では「勢いをつける大ヒットシングル曲」が選ぶしかない訳で、となれば勿論それは『One Last Kiss』になるだろう。コンサート終盤で『First Love』のアウトロに引き続いてあの『One Last Kiss』のイントロが流れてきたら発狂する人も出てくるんでないの。

特にヒカルは『One Last Kiss』のイントロには並々ならぬ思い入れがあるようで。


***** *****


ーー『One Last Kiss』とかは、始まり方が戦慄を覚えるんですよね。あぁ、始まってしまった、という。

宇多田ヒカル:あれは思い出深いのが、イントロのシンセのプログラミングは(あらかじめ)できていて。でも(はじめは)「ジャンジャーン」っていきなり始まりすぎてたから、じゃあモジュレーションとかかけようって思ったんです。でも私やったことなくて、Logic (Pro)と私の新しいキーボードのツマミにどうやってそのコントロールをアサインするか、YouTubeとか見て調べてみたんだけどなんかうまくいかなくて「うーん早くやりたいのに!」てなって結局ラップトップの中でマウスを使ってちょっとずつちょっとずつ(調整して)プログラミングしました。「あ、初めてやった割にはまぁまぁちゃんとできたかな」くらいの感じで(笑)。ミックスまであまり時間もなくそれで何とか頑張ったっていう、凄く思い出深いイントロです。凄い時間かけて、めちゃくちゃこだわったんですね。映画の終わりに来るって分かっていたし、最後のシーンも、何かをそこから拾って繋いで寄り添って広げてっていうそういう感覚が欲しいっていうのははっきり思っていたので。あんまりイントロにそこまで強いイメージを持って作っていくっていうのはなかったんですけど、この歌はイントロから意識的に作りましたね。

ーーこれまでの宇多田さんの曲の始まり方と何か違うものを感じました。分かりやすく意表をつくというわけではないんですけどね。

宇多田ヒカル:凄く強い想いがあったからだと思いますね。込めた思いが強いから、それが伝わってるんだとすると嬉しいですね。


***** *****


おなじみつやちゃんさんインタビューからの抜粋だが、これめっちゃ早口で語ったんだろうな……ヲタクムーブ……。モジュレーションとかアサインとか知らん人にはわからんだろ。要は音程を揺らしたかったけど機械でAutomaticに出来なかったから手作業でちまちまやりましたという話、でいいのかな? 具体的には、イントロで向こうの方から音のオーロラカーテンが怨霊みたいにゆらゆら迫ってくる所、即ち次第に音量が大きくなってくる所だと思われる。(おんりょうなだけにっ!(やかましい))
そこを手作業で調整するとか気の遠くなるような作業量だが、こうしたいというヴィジョンがしっかりあったんだろうかな。

斯様に思い入れのあるイントロなのだから、コンサートでも最も劇的な場面で使いたい筈なのだ。となると『First Love』の次というのが鉄板だろう。「感動の追い打ち」そのものだわな。もうひとつあるとすれば『桜流し』の次、という「Q→シン」への流れか。何れにしても凄い効果をもたらしそうだ。


こういう妄想を繰り広げながらコンサートを待ち望むのも、楽しいわねぇ。


追伸:全然関係ないけど、LMYKさんのインタビューの受け答えがヒカルのとよく似ていてやっぱりレーベルメイトだなぁとニヤニヤしてしまったので紹介しとくわ。

https://okmusic.jp/news/433825

例えばこんな発言をしているので暇があったら目を通してみんせ。

LMYK said : 「私が自分で作った造語があるんですけど、英語で“生まれる”という意味の“BIRTH”と、“死ぬ”という意味の“DEATH”を合体させて“BIRTHDEATH”。生まれる瞬間と死ぬ瞬間って同じ要素を持っていると思うんです。どちらの瞬間も生き延びようという意図がないところにある。生まれた時から死ぬまでの間、人間の生命にしてもウイルスにしても、生存が一番の優先順位だと私は思うんですよ。全てのものが生き延びることをモチベーションとして、死へと向かっている感覚なんですけど…でも、生まれた瞬間と死ぬ瞬間はそれに左右されてないんです。だから、この歌も“始まった途端に終わりが見える”という歌詞で始まるんですね。それは“0”のように円のような頭と爪先がないものだと思っています。」

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ