無意識日記
宇多田光 word:i_
 



なんとなく今年が納まり始めてるな。この日記定期更新は今回で終わり。とはいえ毎年年末年始は1回くらいイレギュラーで何か書いてたりするんだけどね。

ヒカルさんの今年は、歌以外のアウトプットがかなり両極端だった。何週間も呟きがない時期もあれば2ヶ月連続でインスタライブしたりとあっちゃこっちゃでな。

昔のメッセを思い出せば、きっと昨今の国際情勢や日本国内の状況なんかには言いたいことが山ほどあったろうと思うが、恐らくそこはグッと堪えて大抵は「拾いモノシリーズ」の投稿で消息を教えてくれていた。例えばニューヨークでベーグル拾ったってことは、ニューヨークに来ていますって伝えてくれてるわけで、他の投稿にもきっと読み取り切れないメッセージが色々と込められていたんじゃなかろうか。それを総て知る必要はきっと無いのだろうけれど、知りたいのは知りたいよね。

そうね、昨今の情勢…昨年のBlack Lives Matterなどもそうだろうし、LGBTに関するイシューなどもそうだろう。そんな中での6月26日のノンバイナリ発言。古くからのファンにとってはヒカルの性格の一部に名称がついただけで納得と合点しかない宣言だったが、ポイントはもうひとつあって、とうとうヒカルがそのLGBTイシューの当事者となった、という事だ。今までは傍観者的というとパッシブ過ぎるけど、まだ少し距離があったのだが、この発言によってヒカルは昨今の情勢の渦中に飛び込んだのだった。


そんな今年のヒカルを一言で表すと、本人が今年の6月18日に書いた通り

『Mys. Utada ("Mystery" Utada)』

に尽きると思う。何を今感じ考えているのかは、読み取らないとわからない、そんなミステリアスな2021年のヒカルさんだった。そして、ミスでもミスターでもある事を指し示す為の新しい敬称を自ら生み出してその渦中に飛び込んだという意味も、この『Mys. Utada』の表記は併せ持つ。余計なことを付け加えるなら、今年最大の話題作の一つとなったドラマ「最愛」の“ミステリー”な雰囲気を『君に夢中』で最大限に盛り上げた功労者でもあったわね。…まぁ、余計だな(笑)。

来年2022年のヒカルは、この『Mys. Utada』という呼称を出発点として、かなり積極的に動いてくるのではなかろうか。その活動を阻まれるとしたらやっぱりウィルスだろうな…早く感染症禍が地球規模で収束していくことを、相変わらず願わずにはいられません。そんな2021年の暮れでしたとさ。

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2021年の宇多田ヒカル最大のハイライトのひとつが『One Last Kiss』のミュージック・ビデオだった事はなかなか異論をまたないだろう。23年目にしてここまで「今までで最高傑作!」と多くの人に言わしめた作品も珍しい。というか、無い。

普通ベテランミュージシャンというのは初期の仕事が評価されていくものだ。それをリアルタイムで浴びて衝撃を受けた世代のみならず、後から入ってきた世代も目の前の新曲より先輩ファン達が神格化している初期の名曲の方を評価しがちである。YouTubeやサブスクのお陰でそれもかなり緩和されてくるだろうとはいえ、まだまだその傾向は健在だ。

そんな中でこの『One Last Kiss』という楽曲とそのMVは途端に人々の心を鷲摑みにした。今までのMVだってヒカルが出ずっぱりなものは結構あったのだが、庵野秀明&辻田恵美による強気の編集が見事に実を結んだのだった。あたしなんか未だにMVの途中でキャパオーバーになって最後まで観れないことあるもん。38歳女子可愛すぎだよ。


ここまで威力のある映像作品を作っても、でも、次からは全く違うスタッフを使ってくるのが宇多田ヒカルだ。それ以外の面では、例えばプロモーションについてはデビュー前から梶望部長のお世話になったまま(UTADA時代を除いて)一度も体制を変えていない。挙げ句にチーム全体をEMIからSONYに移籍させてしまった。ここまで「変えない」のも珍しい。

音楽面でも沖田ディレクターがずっとついているし、『Fantôme』以降のバンドメンバーやサウンドプロダクションチームも基本的には同じ人選がずっと続いている。プロモも音も「勝ってるチームは変えない」という基本を徹底している。

ところがヴィジュアル面では全く固定という概念が無い。いや無くはないんだけどね。スタイリストさんが一定期間ずっと一緒だったり、数作品同じ監督でMVを撮り続けた事もあった(当時の旦那だね)。しかし、やはり基本的にはヴィジュアル・イメージを曲毎に変えていくのが宇多田ヒカルだ。

庵野秀明が多忙で連続では頼めなかった、或いはエヴァを離れてしまっては御縁を結ぶ所以が薄い、といった事もあるだろうが、あそこまで成功した作品を撮っておいてあれっきりだとしたら本当にまぁ潔いというか思い切ってるというか。1999年11月の『Addicted To You』以降、ヴィジュアル・イメージを変え続ける姿勢は一貫している。「変えることを変えない」というメタ視点からの言い方も出来なくはない。

なので、ヒカルがどんなに素晴らしい映像作品を作ってもそれは常に刹那のことなのだ。それを楽しんだらそれはそれでそれっきり。次からはどうなるか全く予想がつかない。束の間の高揚感を、これからも楽しんでいく事と致しましょう。なのできっと次の映像作品『BADモード』のミュージック・ビデオも、今までとは全く違った魅力を届けてくれることでしょうて。

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そうか、もう「今年を振り返る」時季なんだわね。今週で今年も終わりなんだもんな。

「宇多田ヒカルの2021年を振り返る」となると、まぁ大充実していたとしか言いようがない。出す曲どれもウルトラハイクォリティでデビュー23年目にして既に上がり切っていた評価を更に上げるという超人的な1年だった。唯一、『Find Love』が未だにUnfoundなままなのが気懸かりだが、フルコーラス聴かなくてもこれが「間違いなくライブで盛り上がれる曲」だというのは見えているので不安というより「なんでこの曲をとっとと発表しないの?」という純粋な疑問が残った、といったところか。

スタッフツイートの方は淡々とこの資生堂とのタイアップについて触れてきているが、ヒカルの方は顔出しインタビューまで応じてCMにも出演しているのに資生堂の資の字もツイートしていない。迅速な告知をモットーとしていないにしても、ちょいと異常事態ではある。

という蟠りはありつつも、極めて順調に来年早々のニューアルバムに突入出来そうで、非常に順調な1年だったといえる。

ただ、本人の身柄がね。相次ぐ変異株の襲来で今イギリスは日々の新感染者数が更新を続け…現在1日あたり12万人!?と大変なことになっているらしい。10人に1人は感染者という計算になるの? そんなに??

ということらしいので、引き続き年明け以降もヒカルはそう簡単には日本にやってこれないだろう。今年のヒカルは様々な間隙を縫って日本に来たりニューヨークに飛んだりとかしてどうにかこうにか仕事をこなしてきたようだ。が、やはりプロモーションとなるとずっと何らかの寂しさみたいなものがつきまとっていた。テレビやラジオや雑誌にそうそう出られなかったもんね。それでもなんとかやってこれたのは、やっぱり5月6月のインスタライブが大きかったんじゃないかなと。あそこで元気に動いて喋る姿をみせてくれたお陰である程度の安心感と安堵感を得ることが出来た。ヒカルはヒカルだよね、ってね。来年も、このままロンドンがロックダウンされたりしていくなら積極的にインスタライブをして欲しいものですわ。

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週末はヒカルからInstagramの更新がありしっかり『Merry Christmas』の挨拶も。なんだかんだでクリスマスは毎年ほどアウトプットがあってありがたい。

そして名前の横に「she/they」
の文字がうっすらと。みんなよく見てるねぇ。


昨今のLGBT意識の高まりと共に英語圏では性別の代名詞「he/she」の使用に違和感を持つようになり性別のない「they」を代替として使うようになっている。代名詞の代替だな。

それを受けてのこの表記なのだろう。「she/they」という併記の表記を選んだのはヒカルの今の意識や立場を反映していそうである。

『ヒカル』という日本語圏では中性的な名前に対し、今まで女性として活動してきた経緯を反映しての『she』と、ノンバイナリ発言を反映しての『they』と、どちらも否定せずに宇多田ヒカルとしてやってくってとこでしょうか。

この宣言(大袈裟かな)に即した活動が今後展開される。前に『君に夢中』のMVを指してヒカルの男性的ともいえる側の表情も捉えられている旨の話をしたかと思うが、今後更に表現の幅が広がっていく事が見込まれる。

例えば男性では、古くは美輪明宏の両性具有的自己演出や、最近では(若い人たちにとってはベテラン歌手だろうが)氷川きよしが華やかな路線にモデルチェンジするなど、日本であっても歌手の人が性別を超越した表現に踏み込む例がそれなりにあった。

ところが女性ではなかなかそういう文化がメジャーまで浮上してこない。極論すれば宝塚の男役以外に市民権を得ている活動はなく、せいぜい「男勝り」くらいに形容されて済まされてきた。

今後ヒカルがここにある壁をぶち抜いたり乗り越えたりひらりとすり抜けたりそもそもなかったことにしたり、そういう流れも作られるのではないかなぁと。例えばミュージック・ビデオで男装したりといった事がすぐに思い浮かぶが、そういうのも含めて、もっと活動と表現の幅が広がっていく可能性もある。

男装自体は既に『FINAL DISTANCE』のPVで見せていて大好評だったが、今や『ヒカルパイセン』なのだから、それこそ女性陣から黄色い歓声が上がるような仕上がりもありえる…ってこういう形容自体が古びるかもしれないが、今までの感覚からいえばそういうことだ。

と想像を膨らませると、もしかしたら『BADモード』って『Buddyモード』ともかけているのかも、なんて思えてきたりもして。buddyといえばブラザーに近い意味で、「おい、兄弟!」みたいなノリで使うんだけど、単に男という意味にもとれる。いや、ヒカルが「男性性=BADモード」という直接的な対応を想定してるということもありえるが…それは過激過ぎるか。ついつい“Bad”の単語に目が行きがちになるが、さまざまな「モード」が沢山あって、そのうちのひとつが『BADモード』に過ぎない、という世界観もあるな。そんな中でフェミニンなGoodモードとバディなBadモードがあって…などと妄想が膨らむ。

いずれにせよ、今まで「女性らしくないから」として却下されてきたMVの演出や、もしかしたら歌詞の面にまで、この『she/they』は影響を及ぼしていくかもしれないって話だ。もっとも、今までの歌詞だって性別転換はお手の物で、『One Lasy Kiss』がゲンドウ視点で『君に夢中』が加瀬さん視点で書かれている、という歌詞の最終解釈もどちらも結局男性としての歌詞になってる訳だから、何かドラスティックか変化があって我々が戸惑う、ということには、ならないだろうね。代名詞がなんであっても、ヒカルはヒカルのままですよ。

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「ビートルズで嫌いな曲ある?」という質問を耳にしてまずすぐに思いついたのは「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」だった。アルバムまるごとですね。

音楽的に嫌いなのではない。単に世間の評価が高すぎるのが気に食わないのだ。いろんな「20世紀のロックアルバム人気投票」で散々1位に輝き続けている同作。だが「ビートルズには他にも沢山いいアルバムあるやん?」とついつい思ってしまうのだった。まぁそれは曲やアルバムが嫌いというよりそれにまつわる世間の風潮に嫌気が差してるという感じかな。

そんな私だが、ここで困るのが世間の宇多田ヒカルへの評価に対する態度だ。同業者からはまさに100パーセントリスペクトされ、リスナーもその大半が威光に平伏している。ぶっちゃけ、「ロンリーハーツクラブバンド」ほどではないにせよ、宇多田ヒカルのどこがいいの?とか言ったら周りみんなから「わかってないなぁ」と白い目で見られる重圧がもう存在してる気がするのよ。

2021年は更にその重圧が強化された年だったように思う。去年では「クォリティは確かに高いけど昔ほどは売れてないよね」と負け惜しみも言えなくはなかった。だが今年『One Last Kiss』が大ヒットしたことでその負け惜しみすら言えなくなった。ダメ押しが『君に夢中』で、多分今年を代表する名作ドラマとなった「最愛」の主題歌として更なる高い認知度と評価を上積みした。アニメファンとドラマファン、映画鑑賞者とテレビ視聴者それぞれを魅了してしまったのだからもうホントに隙がなくなってしまったのではなかろうか。

ここまでくるとザ・ビートルズの「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」並みに「高く評価しないとわかってないやつと思われる重圧」が過剰になってしまうのか?? 自分はそうなった時にどう反応したものやら。やっぱりヒカルの曲がいいと言われたら嬉しいし、歌が上手いと言われると「わかってるねぇ」とニヤニヤしてしまう。しかしそれは、私が嫌っている「ロンリーハーツクラブバンドを評価して悦に入ってる人たち」とほぼ同じなんじゃないかと。どこがどう違うのかと。

所変わればと開き直ってしまってもいいけれど、やっぱりこれからもヒカルの評価は曲毎にしていってほしい。私にヒカルの気持ちを代弁する資格はないけれど、本人もそう思ってるんじゃないだろうかとやっぱり考えるのだった。少なくとも、こうやって育てた威光が誰かを苦しめる事が無いよう願うばかりでありますわ。

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毎年「今日『Can't Wait 'Til Christmas』を聴くのはアリなのかナシなのか?」って考えてる気がしますねおはようございくまぼんじゅーる(`(エ)´)ノ彡☆

もちろん、そもそもクリスマスソングとアンチクリスマスソングを1曲にまとめることで出来上がってる歌詞だからイブと当日に聴いても何の問題もないはないのですが、こういう益体の無い事を考える事自体が楽しみだったりします。

そういえば11年前の12月8、9日に『WILD LIFE』で歌ったときのMCは『もうすぐクリスマスですね』だった。このMCが成立するタイミングでまたこの歌が歌われる事って将来あるのか?と考えると非常に貴重な場面に立ち会った気がする。その上あの時は円形ステージで曲毎に顔を向ける方向が違っていたのだがそんときはちょうど自分の席の方を向いて歌ってくれてねぇ。しかも席の高さがちょうどステージと同じ高さだったので目線も同じ高さになり…特等席中の特等席だった気がする。死ぬほど堪能しました。

斯様にコンサートでの選曲ってのは時期が大事になる。今度配信される『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios』は、収録映像とはいえ配信時期が1月19日からの4日間のみと非常に限定されているので、この時季を狙った選曲が1曲あってもおかしくはない。そう、流石に『Can't Wait 'Til Christmas』は無理なわけでね。歌ってくれてたら大歓喜ですけど。

誕生日付近の思い出となると、長いファンは『20代はイケイケ!』を思い出して『COLORS』や『Simple And Clean』が結び付いてくるが、ここで19年振りに井上陽水の『少年時代』を歌ってくれてたら感慨深くて撃沈してしまうだろう。2年前にはトリビュートに新録を提供したし、息子も徐々に少年に近づいているのは『BADモード』のジャケットからも明らかだし…って、あれ全然関係ないスタッフのお子さんとかだったらどうしよう…。

本来なら8月の歌なので季節外れもいいとこだけど、ヒカルなら歌ってもいいわけだ。ただ、基本的にこの配信ライブは新曲を演奏して新譜をアピールする場なので、1時間の枠でそれ以外の歌をどう歌っているかというのは未知数でしてね。期待と告知と需要と供給がどう折り合うか、蓋を開けてみるまでわかりませんわ。

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ニューアルバム『BADモード』にはタイトルトラック『BADモード』が存在し、そのミュージック・ビデオまでが制作されているという。そりゃもうこの曲がアルバムの顔になると期待されるわな。


ということでちょいと今までのヒカルのタイトルトラックの歴史を振り返っておこう。1999年の1stアルバム『First Love』のタイトルトラックは勿論『First Love』で、宇多田ヒカルといえばこの曲と誰しもが思う代表曲中の代表曲だが、意外にもシングル盤はミリオンセラーになっていない。前後のシングル曲4曲は全部ミリオンなのに。これは、この曲のシングルがアルバムからのシングルカットだった為だ。アルバムの発売が1999年3月10日でシングル盤の発売が4月28日だった。もうみんなアルバムを買って持っていた為シングルを買う必要が無かったのだ。しかしデイビッド・サンボーンのサックスは一聴の価値があるから持っておいて損はなかったぞ?

2001年の2ndアルバム『Distance』のタイトルトラック『DISTANCE』も当時1stの『First Love』同様アルバム発売後にシングルカットされるだろうと予想されていた。それだけ曲が素晴らしかったからだが、現実には『FINAL DISTANCE』というバラード・バージョンに生まれ変わってのシングルカットとなったのだった。『FINAL DISTANCE』がそのまま3rdアルバムに収録されたのも大胆だったな。

こんな凄い曲があったらアルバムの印象これで決まっちゃうじゃないのと思われたのだが続く3rdアルバムのタイトルトラック『Deep River』がこれまた名曲でな…! アルバムの雰囲気は堂々とこちらが中心となっていた。その威風からやはりこれもまたシングルカットされるだろうと思われたのだが今度はヒカルが体調不良に見舞われて活動を停止してしまう。だが、シングルカットの予定があったからなのかこの『Deep River』にはちゃんとプロモーション・ビデオが制作されて『UH3+』に収録されているのだった。

2006年の『ULTRA BLUE』には“準タイトルトラック”ともいうべき『BLUE』が収録されていたが、この時はシングルカットもPV制作も無かった。理由は単純で、アルバム発売後すぐさま全国ツアーに突入する日程だったからだ。『DISTANCE』が『FINAL DISTANCE』に生まれ変わったみたいに『BLUE』という曲もシングルカットされて『ULTRA BLUE』に生まれ変わるんじゃないかと仄かに期待していたんだがそれもなく。…いや、これからまだあるかもしれないけどな!

2008年の『HEART STATION』ではここで初めてタイトルトラックがアルバム発売前にリリースされる展開をみせる。そして2016年の『Fantôme』にはタイトルトラックが存在せず、2018年の『初恋』では『HEART STATION』同様アルバム発売直前に楽曲がリリースされていた。


斯様にタイトルトラックの扱いはアルバム毎に異なるが、基本的にはアルバム発売前後にアルバムを象徴する楽曲として丁重に扱われている印象だ。「看板に偽りなし」ということですね。

果たして『BADモード』はどのパターンになるのだろうか? 『First Love』や『Deep River』のように、アルバム発売後にタイアップで取り上げられたりミュージック・ビデオが公開されたり(つまり、配信スタートからCD発売までの間に、だわな)するのか、それとも『HEART STATION』や『初恋』のようにアルバム発売前に(今回なら1月19日より早く)リリースされるのか。音源とMVの公開は同時なのか前後するのか。今までのケースを思い出しながらシミュレーションしてみるのも面白いんでないかな。私の予想は…また次回以降に!(※ 逃げました。)

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へぇ、今年のアナログチャートが出たのか。
https://style.nikkei.com/article/DGXZQOUC168XS0W1A211C2000000?channel=ASH04006

『One Last Kiss』が4万枚を売り上げて断トツ。2位の山下達郎が1万枚余りなので本当に他の追随を許さないって数字だね。おめでとうございます。

これは当然ながら、中身の大人気が大前提とはいえ、ジャケットの力が大きい。エヴァファンとしてはシンジ/レイ/アスカの3人揃えて飾りたいもんね。見栄えが違うもん。アナログ盤はジャケットのアートワークとしての価値が高いから購入に拍車がかかる。

その『One Last Kiss』のジャケットは登場人物3人の顔面どアップだったが、顔面どアップなら宇多田ヒカルこそご本尊。昨今のアナログ盤発売でもその大迫力は皆を魅了してきた。

ところが、この流れの中で大注目の『BADモード』はそのジャケットが全身(+半身)という意表を突く展開。面食らった人も多かろう。

顔面どアップの元祖1999年の『First Love』発売の頃はCD売上絶頂期だったが、2006年くらいからデジタルダウンロードが台頭してきてアルバムのアートワークはその頃から「画面のアイコン」として扱われる事が増えた。その為、凝ったアートワークは潰れてしまってよく見えず、顔面どアップが基本路線の宇多田ヒカルの作品は携帯電話の小さな画面でもよく映えていた。全く意図していなかった事だろうが、結果的に顔面どアップジャケットは時代の流れを先取りしていた。

今回は遂にCD発売に1ヶ月先駆けて配信がスタートする。即ち、ジャケットのアートワークはCDサイズより先に画面のアイコンとして触れる事になる。こういう時こそ顔面どアップが有利に働くだろうにと思うが、宇多田ヒカルは逆張りで来た。

「(スマホでの検索時の見栄えとか)そんなことまで考えていなかった」という答えも想定しつつ、しかし、こうしてきたというのは何か違うことがあるのではないかと思わされる。まぁつまり、昨今の流れからして『BADモード』も後々アナログ盤がリリースされるのではないかということだ。

アナログ盤のジャケットで全身像を使ってくるとすると、想定されるのは「見開きの仕掛け」である。前にチラッと言った気がするが、あのジャケットを開くと背表紙側と繋がっていて半身の彼の全身が見えちゃうとかそんな仕掛けが施されているかもわからない。勿論それはCDのブックレットも同様だろうが、アナログ盤サイズで見開きとなるとかなりの迫力である。そこまで考えてのアートワークだとすれば、スマホで見るとなんだか茶色っぽいだけのよくわからない全身像も意味のあることだなと思わされる。

でも国内ではそれでいいとして、海外でもこれっていうのはどうなんだろう? もしかしたら海外では配信時からジャケットを違うものに? うーん、それはイメージ戦略として煩雑になるからやらんだろうなぁ。日本語だと遊び心を感じさせる欧文カタカナ併用のタイトル『BADモード』も『BAD MODE』っていう平凡な、どちらかというとダサい文字の並びになるし、日本語圏以外でのプロモーションはどうするつもりなのだろう?と現時点では不安になっているのでありました。いやま、日本語圏内でぬくぬくと楽しませて貰ってる身のこちらなので明らかに余計なお世話なんですがね。

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※ 映画「リトル・マーメイド」のネタバレに触れます。




その名を見た瞬間から物議を醸し始めるアルバムタイトル『BADモード』。これが宇多田ヒカルという名と結び付くとは容易に想像できない。

そもそもヒカルさんは10代の頃から自他共に認める「いい子」であり、“bad”なんて形容とは無縁過ぎる人生を送ってきた。法律に引っ掛かるかもしれないのは『浮気したことあります』発言くらいか。これだって別に既婚者が絡んでたとは限らないしな。

そんな感じなので、曲を知るまではこの『BADモード』という響きとどう付き合っていくかは戸惑う所。どう読めばしっくりくるか引き続き探っていこう。


前にこの“BAD”はいわゆる悪役を指しているのではと指摘した。英語で悪役といえば“Villain”/ヴィランなんていう言い方をする。『君に夢中』でメロディが引用されて再び脚光を浴びたディズニー映画「リトル・マーメイド」。そこでのヴィランといえば主人公の声を奪う海の魔女Ursula(アースラ/ウルスラetc.)だ。

どうやら彼女は「ディズニー・ヴィランズ」のひとりとしてかなりの人気を博しているようだが、「リトル・マーメイド」での役割は徹底的に主人公の敵役だ。最も印象的な場面はそのアリエルから声を奪う場面で、ちょうど『君に夢中』で引用されたのと最もよく似た歌唱をその場面で聞くことができる。

即ち、我々は『君に夢中』のアウトロで聞かれる歌唱は自然と主人公アリエルのそれだと解釈してきているが、実はヒカルはUrsulaのつもりで歌っている、なんてことがあるかもしれないのだ。何しろアリエルの声をそのまま奪ったのだから歌声だけなら区別のつけようがない。つまり実は、『君に夢中』という歌は最初っから「悪役の歌」としての伏線が引かれていた可能性がある訳である。加瀬さん目線にフィットする筈だよと。いや加瀬さんを悪役と言ってしまうのは相変わらず抵抗あるけども。

ただ、『君に夢中』だけでそう解釈するのなら若干の飛躍を感じる訳だが、ことここに至って同曲が収録されるアルバムのタイトルが『BADモード』という「悪役側を想像させる」ネーミングであると知った以上、この解釈は検討に値するものとなってきた。ちょっとゾクゾクしている。

こうなってくると『Time』は“マグダラのマリア”(小池栄子ね)側からの歌詞だったのでは?とか考えてみたくなってくるし、『PINK BLOOD』もハヤセ目線だったのでは?と勘繰りたくなってくる。まぁそういうのは各自に任せるとして、今後は本気で『BADモード』=「悪役視点」という仮説について考えないといけないかもしれないね。

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本日は『UTADA HIKARU SINGLE CLIP COLLECTION Vol.1』、通称『UH1』の発売22周年記念日である。『Automatic』、『Movin' on without you』、『First Love』、『Addicted To You』というデビューからの怒濤の大ヒットシングル4連発のプロモーション・ビデオ(最近はミュージック・ビデオというようになりましたねぇ)とそのメイキングを搭載した泣く子も(歌がよくて)また泣く逸品だ。この4曲のシングルCD売上合計が600万枚とかそんなレベルの話。1枚1200円とかでですよ、えぇ。

(余談だが【今日は何の日】ではジャケットと同じカットをPV映像から探してきてスクショするという誰も気づかない手間をかけております。自己満足にも程があるぞ。)

で、以後も『UH2』『UH3+』『UH4』と順調にリリースが重ねられたがついぞ『UH5』以降は発売されずじまいで。そうこう言ってるうちにYouTube公式チャンネルが開設されて全PVが観れるようになってね。こういうビデオクリップ集はもう発売が難しいかなと思っていた。

しかしですよ! もう4週間後に先行配信され9週間後には発売となる『BADモード』の限定盤では最近のミュージック・ビデオが円盤収録されるというじゃないですか!歓喜!

『初回生産限定盤は 1月19日に公開される配信スタジオライブ「Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios」およびメイキングドキュメンタリー映像が収録されたDVDとBlu-rayディスクがバンドルされた3枚組。更には「Time」「One Last Kiss」「PINK BLOOD」「君に夢中」「BADモード」のミュージックビデオも完全収録。』
https://www.utadahikaru.jp/news/detail.html?id=535920

と、ニュース欄及びメルマガにはこういう風に記述されているね。相変わらず『誰にも言わない』のミュージック・ビデオは存在しないし『Face My Fears』に関してはスクリレックスんとこに置いてあるキンハ映像のヤツしか公式動画が無いからディズニー的に収録が見送られる事に関しては致し方ない面もあるが、こうやって手許に円盤としてミュージック・ビデオという作品が残るというのはホント久々というか。いやはや、画期的ね。

惜しむらくはこの文面ではミュージック・ビデオたちのメイキングの存在がハッキリしないこと。あれはファンにとって相当のアピールポイントになるものなので現時点で明確な言及が無いということは余り期待は持てないかな。ライブセッションの方のメイキングはあるのだからそちらを存分に楽しめばいいか。

いやでも、『Time』のメイキングとか絶対面白いよね。自宅で悪戦苦闘する女子会3人組とかでしょ。『One Last Kiss』のメイキングとか完全にデートムービーじゃん…『PINK BLOOD』はあの黒ラバー絡みの別アングルが拝めるだけでも平伏だし、いやもうメイキングだけ後でYouTube公式にあげてくれないかしら。パスワードを限定盤に封入するカタチにすればますます売れるのでは…!

しかし、何より気になるのは『BADモード』のMVだよね。前に書いたようにライブセッションの映像を使ったものになるのかそれとも何か別のアイデアがあるのか。こんなに早い段階でミュージック・ビデオが手に入るってのもなかったからね。『traveling』や『桜流し』といったDVDシングルは時期をずらしての発売だったし、『Deep River +』はアルバム発売3ヶ月後の『UH3+』収録だったし。

兎角ニューアルバムやライブセッションに関心が行きがちだけど、このMV集も忘れずに期待しておきたいところなのでありました。ほんと『BADモード』の初回盤は盛り沢山だわ~。

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※ 今回もドラマ「最愛」についての話なので未視聴の方はここで閉じ去る事をオススメします。






「最愛」の最終回、犯人は誰だろうと固唾を呑んで画面を見つめていたがそれは主役の一人である井浦新演じる加瀬さんだった。まぁご存知のように。

これがもし視聴者を巻き込むタイプの(例えば漫画版の「金田一少年の事件簿」とかエラリー・クイーンの一連の著作のように)推理当てドラマだったとしたらそれほど劇的な幕切れとは言えなかったが、このドラマは元々サスペンスとして扱われていたのだからこの結末はかなり上質なものだったと思われる。

サスペンスというのはつまり「ハラハラドキドキ」という心理や感情を楽しむジャンルであり、推理の知的な遊戯とは別物なので、加瀬さんだったという事実を知ったときに視聴者の心がざわつくことこそが主眼だったといえる。それは見事に達成されたかなと。

個人的には、彼が序盤からほぼ嘘を吐かずに誠実に振る舞ってきた挙げ句の結論だった所に溜息が出た。つまり、いい人ぶって「家族のため」とか言い続けてたんだけど実は裏側では酷いことをする悪人だった、という犯人像ではなく、寧ろその「家族愛」を貫いた有言実行言行一致の挙げ句の犯行だったという所が甚く感動的で、「最愛」というタイトルに相応しい幕引きだったと言える。極悪サスペンダーの死亡に関しては巻き込まれただけだし、栞の死も事故だし、サスペン父に関してはああ言われちゃ仕方ない面もあった。その結果、第1話から貫かれてきた加瀬さんのキャラクターを覆すことなく貫き通した結末がああだったというのが、そう、よかったのよね作品として。


そこらへんの機微を最初っから掬い取っていたのが主題歌たる『君に夢中』だったと言える。確かにこの歌は人のパブリックとプライベートのような表と裏、外と内といった対比を描いてはいるが、それで人を裏切る描像には至っていなかった。

『嘘じゃないことなど
 一つでもあればそれで充分』

の一節にはその機微が凝縮されている。加瀬さんは自らの最愛を貫いた結果様々な危うい場面に立ち会った。それについて黙っていた事は間違いないが、自分の最愛の感情に嘘を吐くことだけは決してしなかったのだ。

どう考えてもこの一節は物語の結末を知った上でないと書けなかったろうなぁ、と「最愛」全10回を観終わった今なら思えるが…と書きたいんだけどいつも言ってる通りヒカルなら結末を知らずにこれ書いてる可能性が残るからほんと怖い…まぁそれについてはくどいな私も。

ただ、この加瀬さんが姿を消すという幕切れは、『君に夢中』の切ない曲調とこの上なく共鳴している。その点は、ヒカルの事前知識がどうだったかという話とは全く関係なく、このコラボレーションの成功を如実に告げていると断言して差し支えないだろう。ヒカルはサスペンスという枠組みのこのドラマのテイストを最初っから見事に読み切っていた。単なるハッピーエンドでは視聴者の納得を得られないと知っていたのではなかろうか。

制作側も、『君に夢中』の曲調と歌詞の世界観に、予め用意していた結末の確かさを再確認させて貰えたのではないかなと、勝手に思っている。どうしてこうも美しく纏まったのか、奇跡的にも感じられるのだけど、これまたやっぱり宇多田ヒカルならあり得ると納得させられてしまいそうになるのだから、アニソンに限らず、ドラマの主題歌を歌ってもヒカルはアンフェアでチートでずるいのだった。次のタイアップも非常に楽しみですわ。

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年末ということで今年を振り返る企画が続く季節だが今度は『One Last Kiss』が「令和3年アニソン大賞」の大賞を受賞した。まことにめでたい。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000003007.000013546.html

元々ソニーミュージックによる「平成アニソン大賞」を端に発した企画故にエピック所属のヒカルが選ばれやすかったというのは…まぁ多分ないわな。平成アニソン大賞の時点でレコード会社の垣根を越えて「アニメファン納得の選出」が多かった同賞だけに今回も納得の選出だと思われている事だろう。

しかし、『One Last Kiss』の威容はそれ以上のものがあるというか。「それ持ち出してくるの反則じゃない?勝てるわけなくね?」という「圧倒感」が凄い。今年ベースボールでは大谷翔平がその歴史上類を見ない活躍振りを指してことあるごとに「あいつはアンフェアだ」と形容されていたが、ヒカルの存在もそれに通じるものがある。あれだよ、チートだとかずるいだとか、そういうヤツだよ。

そもそも『Beautiful World』の時点で「旧劇は残テ、新劇は宇多田」という棲み分けが出来ていた。日本アニソン史上最高に神格化された残テの横に割って入っただけでも既に神業だったのに今回の『One Last Kiss』で最早「エヴァといえば宇多田」という認識が世の半分くらいを占めたように思う。相変わらずカラオケで歌いやすい難易度ではないのでそこは残テに譲ったまんまなのだろうけれど。

ただ、今回のこのアニソン大賞では選ばれなかったが、今年のアニソン的に要注意だったのは寧ろ『PINK BLOOD』の方だったかもしれない。新劇エヴァは劇場版オンリーで元々エヴァ自体が別格扱いだったから「まぁそういうとこで宇多田が歌うんだったら」ということで済ませられていた面はあったのだが、ウィークリーのテレビシリーズの主題歌もやるよという事になったのであれば今後どんな所にヒカルが顔を出してくるかもわからなくなった訳でね。それでも「不滅のあなたへ」はギリギリプライムタイムにNHKで放送ということでこれは深夜アニメじゃないですよどちらかといえばテレビドラマ枠の続きですよという言い訳が出来なくも無かった。しかしそれでもやっぱりもう殆ど扉は開けられてしまった状態になったと言えるのではないか。いつヒカルが本格的に深夜アニメの主題歌を歌うかわからないところまで来たと。それが実現したらその時にはまたアンフェアだチートだずるいよと言われる気がするが、それはそれでまぁ面白いか。ベッタベタのテレビドラマ枠であった「最愛」ですら「そこで宇多田は反則だ」と何度も言われていたけれど、もはやどこにでも現れられるようになった宇多田ヒカルは邦楽市場のゲームバランスを崩す規格外の存在なのだろうな。いやま、23年前に『First Love』リリースした時点でゲームバランスを劇的に変えちゃってるけどねーあはは。

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先週金曜夜無事テレビドラマ「最愛」が最終回を迎えた。というわけでネタバレ書くので気ぃつけてぇね。





ネット上では「いい最終回だったねぇ…」としみじみ呟くテンションでは場違いなくらいの絶賛の嵐で、正直気後れしてしまった。いやはや、こんなに1つのドラマが賞賛されるってことあるの? 名作誕生の雰囲気ね。

そんな中、ヒカルの『君に夢中』はやはり劇中で大フィーチャーされていた。イントロからアウトロまで途切れることなくフルコーラスの大盤振る舞い。最終回に相応しい過去最高のVIP待遇でしたねぇ。

注目の『序盤は完全ノーマーク~』の部分もきちんと流れて。しかしあそこでいちばんクローズアップされたのは『嘘が下手そうなヤツあるある』の部分だったか。台詞との重なりの中で際立って響いていた。歌詞と台詞が重なってしまうのは第1話の「駅伝邪魔!」以来懸案だったのだがこの最終回ではかなりフィットしていたね。

思い出したのが『誰にも言わない』をフィーチャーした「サントリー天然水」のCMだった。あそこでも、ヒカルの歌声とヒカルの朗読が重なりながら不思議な協和をみせていた。言葉自体に通じるモノがあるからだろうが、「最愛」制作陣はあそこでの手法を少し意識したのではないかなと感じた。普通は主題歌を歌った歌手の他の仕事を参照するなんてことはないのだろうが、今回はプロデューサーの新井順子氏がかなり熱の入った宇多田ファンということで、そういう見方も可能なのではないかと思わされた。

全10話に渡って目立ちまくった『君に夢中』。最終回に至ってやはりヒカルは物語全体の構成と結末を教えられた上で曲と詞を書いたのだなと確信し…ようとしたのだが、しかし、宇多田ヒカルという人は千里眼が過ぎるので、それすら聞かずに勝手に自分で見通して制作できてしまった可能性もあるのよね。ここはちゃんと本人の言葉を確認したい。『BADモード』発売時のインタビューに期待しよう。

曲がルート音以外で終わることからドラマもビターエンドになるのではと予想していたが、半分は当たって半分はハズレた格好か。確かに加瀬さんについてはなんとも切ない幕引きだったが、最後大ちゃんと梨央がラブラブで手を繋ぐ姿はあれをハッピーエンドと言わずしてなんというかと云わざるを得ない御馳走様な一コマだった。苦さと甘さの両方のブレンドが、この「最愛」のテイストだったのだろう。

そして、ここに至って、『君に夢中』を加瀬さん視点で捉え直すと実によくハマるという知見が手に入り。確かに梨央によく『今どこにいる?すぐそこに行くよ』的な事を電話してた気がするし。何よりまさに彼は『人生狂わすタイプ』だったしね。『来世でもきっと出会う』というのは、今世では金輪際梨央と優に会うつもりはないという決意の裏返しかな。これもまた切なし。

この、終わってみれば確かに重要人物からみた歌詞だったわ、という結論も、あの「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」で、映画を観終えた後に『One Last Kiss』や『Beautiful World』を聴くとなるほどこれは碇ゲンドウの歌だったのだなと合点がいったあの展開によく似ている。加瀬さんにしろゲンドウにしろ、悪役とまでは言えないが、作品世界の中で負の面の鍵を握った登場人物であり、そんな彼らの視点から主に歌詞を書いたヒカルの優しさになんとも心がキュンとなる。もしかしたら『BADモード』というアルバムタイトルも、そういう、映画やドラマの中で主役と相対する悪役や敵役ポジションにある人たちの心情を綴った歌詞が収録曲に多いことからつけられているかもしれないね。だとしたら、凄く新しくてやっぱり切ない。とても宇多田ヒカルらしい名付けなのかもわからないわ。

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週末は神田沙也加の訃報がショックでね。同様の方々も多かったろう。あたしはトラストリックの曲が彼女の作詞作曲と知り驚いたクチで。当時Nack5?でやってたラジオを聞いてみたらこれが随分なアニヲタぶりで、深夜アニメの主題歌を任せるに相応しい人材だった。その上この国の芸能界最高峰付近ならではの社交性を持ち合わせていたという本当に希有な存在で。血統と全く無関係に魅力的な人だったわ。

同じ親子でも藤圭子宇多田ヒカル母娘は母親の方が飛び降り松田聖子神田沙也加の方は娘の方が飛び降りた、という一文を読んで目を剥く。確かに、どちらも心がごっそりと抜け落ちるような出来事だ。「人として味わいうる最大級の不幸」と書いていた人もいたな。確かに、そうだ。こんなに悲しい事ってね。松田聖子はこのまま表舞台から去るとしても何ら不思議ではない。というかそうでもして追及の手から逃れて欲しいというのが本音かな。

母娘の血のつながり云々は物事の一要素でしかないが、今並べた2組の歌手親子のそれぞれの歌声の継承具合をみるにやはり遺伝的要素は無視できるような小ささではない。例えばアジア系はアフリカ系の声は出ないし、アフリカ系もまたアジア系の声は出せない。骨格や肉質に由来する声の成分は確実にあるわなと。

だから、藤圭子ファンが宇多田ヒカルの歌声を聴いて母の面影に涙するのはよくわかるし(やはりその場合の選曲は「面影平野」か!?と茶々を入れたがるあたしの性格どうにかならんの)、やはり神田沙也加の歌声に若かりし日の聖子ちゃんをみることもまたあったのだろう。今度の親子は、しかし、それが逆になってしまった。松田聖子の歌声を聴いて神田沙也加の声を思い出すだなんてなんとも切なくて。2人の間柄がどんなものかだったかなど知るよしもないが、親が子を亡くすというのはどこまでも遣る瀬ない。せめて魂が安らかにあってくれたらと祈るしかないです。

いかんな月曜の朝から湿っぽくって! 昨夜M-1観て大笑いしたのほんとよかったわ。たった今元気な人は元気に参りましょう。そうでもない人は、そうでもないなりに、ぼちぼち、ね。

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ふらっとTwitterを覗いてみると次から次へと「最愛」最終話関連のリツイートが流れてきていてとても賑やか。同じツイートでも異なる人がRTしてると雰囲気が増強されてて効果的だねぇ。

「最愛ロス」というワードもこの1週間で大分見た。たとえ前身の「ロマンスドーン」から四半世紀近く読んでる「ワンピース」が連載終了したとしてもロスを感じないだろう薄情な私からしたら純粋に羨ましい。吉高由里子や井浦新や松下洸平が引退する訳でもないのにね。

まぁ、そうか、2011年にヒカルが無期限音楽活動休止期間に入って以降もこの日記の更新ペースが全く落ちなかった─どころか字数を三倍増させたあたしなんだからそりゃそういうもんなんだろうな。納得。

寧ろ今夜ドラマが終わったらいよいよ本格的に『BADモード』モードに突入だ!くらいのテンションでいます今。「最愛」は確かに面白いドラマだったけど、やっぱり宇多田ヒカルのニューアルバムをリアルタイムで聴けるという興奮の前には露払いの役割かなと!

あたしがソニーのスタッフなら今夜プチ新情報を放り込むわ。ドラマが最終回を迎えて過去10回中最高の場面で『君に夢中』が流れて感動した視聴者があれやこれやと検索してやってくるこのタイミングを逃す手はないでしょ。ちょっとしたノベルティのプレゼントでもなんでも企画して実施すればアルバムへの注目度もより増すことになるでしょうて。


……とか何とか言ってるけど、実際には「最愛」最終回がかなり気になっている私。ツンデレですねわかります。犯人?黒幕?が誰なのか、真相が一体どのようになっているのかサッパリわからない。どう足掻いても54分じゃ畳めないと思うんだけどやっぱり解決編は劇場版なのか!? その場合『君に夢中』も映画館で鳴り響くの?? それともヒカルが新曲を提供してくれるんだろうか。いや妄想が過ぎるな今夜もな。

でも、タイトルトラック『BADモード』のタイアップが何なのかは既に気になってはいますね。この「最愛」×『君に夢中』のカップリングが大好評の内に幕を閉じてエンドロールを締めてくれそうな中で、果たしてこれ以上のコラボレーションはあり得るのやら。なかなかの強敵になっておるぞ『BADモード』よ。

ほんと、マリアージュともいうべき素敵なタイアップ相手でございました「最愛」。なんとかこのあと居眠らずに最終話を鑑賞したいなと存じます。リアルタイムで観ないとネタバレ喰らっちゃうからね…。

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