※ このエントリの投稿初出日時は『2007-02-25 23:18:33』です。
引き続き過去記事発掘です。
2005-May - Utada: The making of an international pop star - Alloy.com
http://www.utadanet.com/modules/sections/index.php?op=viewarticle&artid=33
初出はどうやら2005年5月の模様。
実は私今回初めて読んだ記事だったりします(^^ゞ
例によっていつもの内容なので殆ど新鮮味はありませんが、
UtaDAの活動の記録のひとつとして捉えておいてくださいまし。
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"Utada:国際的ポップスター誕生への舞台裏"
By:チャーリー・ペン
Alloy Online - Alloy.com - May 2005
マドンナはNYシティにその足跡を残した。アッシャーはアトランタにまるきり新しい意味をもたらした。そしてその音楽の世界地図に今度はUtada Hikaruが日本を加える! 彼女のデビューアルバム"First Love"はこれまでに900万枚を売り上げ、日本のアルバム史上最高の売上を残している。しかしこれは皮肉なことだ。というのも、UtadaはNY生まれだからだ。日本語歌手と音楽プロデューサとの間の一人娘にとって、音楽は家業に過ぎなかった。彼女が曲を書いたのは10歳の時、最初のシングルをリリースしたのが11歳の時。フルアルバムをプロデュースしたのが12歳で、13歳になる頃には、Utadaは作曲家/ソングライター/歌手として確固たるものを備えていた。たった1つの事を心に秘めて--ただいい音楽を作ること! レコード会社の重役達は日本語詞アルバムを作るよう彼女にアプローチ、後は音楽チャートの歴史が示す通りだ。続けざまに日本語詞アルバムをプラチナ・セールスしUtaDAはインターナショナル・ミュージック・ビジネスを魅了し続ける. しかしその偉大なる名声を以てすらUtadaはアメリカン・ポップ・シーンのレーダーに何とか引っ掛かるかどうかという小さな点位の印象しか残せなかった。でもその時はその時の話。今はこれからの話をしよう! さぁ見てろよブリトニー(・スピアーズ)にクリスティーナ(・アギレラ)!:誰が一番なのかアメリカに見せ付けてやる準備は出来ている。そう、このUtada初の英語詞アルバム「Exodus」のリリースによって。彼女は現在22歳、写真家紀里谷和明と幸せな結婚をし、目下の所コロンビア大学を退いている。この星で一番ビッグなスターのひとりでありながら未だNYの街中を誰にも気付かれずに歩けるというのはどんな感じなのだろう。「驚いちゃうくらい平和。」とUtadaは言う。Alloyは彼女の成功の秘訣を探る為にこの隠れたスーパースターの足跡を追った。お嬢さん方、これは注目だよ!
決して振り返らない
「15歳の時に(スターダムが)いきなりいっぺんに押し寄せてきて、ちょっとした衝撃だった。私の人生と比較できるような人なんて他に居なかったから、ミュージシャンとして有名になる事がカンタンだったとはいえないし、難しかったともいえない――私の人生は私にしか味わえないの!」
どんな時でも自分の仕事を真正面から受け止めなきゃならなかった件
「何をするにもハメをハズすってことができなくて。いつも明日しなきゃいけない仕事や歌をどうしようかって考えてた。それに、何処かで私が何かバカなコトしちゃったのを誰かに見つかるんじゃないかって怖くって、たまにしか外に出掛けられなかったなぁ。」
両親からのアドバイスに耳を傾けると…
「私のママはいつも言ってたな、"あなたの声は特別よ"って。最初は何ワケワカンナイコト言ってんのって思ってたけど、後で、11歳の頃かな、お父さんが私に曲書いてみなよ、って言ってきたから書いてみたの。私と音楽が恋に落ちた瞬間だったわ。」
同志を得て
「夫と私は写真撮影のときに出会ったんだ。最初はどっちかっつ~と"年の離れたお兄ちゃん"って感じだったんだけど、すぐにそれ以上の存在になった。いつ『正式に結婚するべきだ』って思ったんだっけかなぁ、、、2人ともふとある日具体的にそうしようと思い始めたような。今の彼は私にとって一番の親友みたいな人ね。」
UtaDAの強みとは
「私って移動中の間に(歌の)詞が思い浮かぶのね。車の中とか、飛行機乗ってる時とか、あと列車に乗って窓から風景を眺めてる時とか。だからホント私は散歩するのが好き。道ある所何処でも歩き回りますよUtaDAは!」
無条件に自分を愛するということ
「私5フィート2インチ(157.5cm付近)しかなくて。ちっちゃい方に入るのかな。でも私背が低いの好きだよ。実際、可愛いと思うしね。(笑) ちょっと変わった方法で私は目立つ事ができるってわけだ。」
現実的な目標を設定する
「音楽業界に飛び込むのはほんとタフなことだと思う。歌が心からやりたいことだからって,世界一の歌手になる必要なんてないよね。ラウンジで歌ってたっていいんだし、シャワー浴びながらだっていいじゃない。シンガーのありようは色々、何になりたくったっていいはずよ。それぞれのやり方の中で楽しんでいければいいんだと思う。」
自分を満足させれるバックアッププランを持つ
「自分のやってる事に飽きたらいつだってすぐ辞めて学校に戻るわ。化学か生物学の研究でもしようかな。私いつも科学の研究室で働きたいと思ってるんだよ。スタジオと似てるところが結構ありそうなんだもん。(笑)」
信念を貫き通す
「最初ティンバランドと仕事するのにちょっとナーバスになってたんだ。他の人と一緒に作曲したことなんて殆どなかったからね。気兼ねなく一緒に居れるようになるまで2、3日は掛かったかな。ちゃんと私に自分の曲の書き方をさせてもらえるように話をしなきゃいけなかったんだもの。でも、今はもう私とティンバで作った曲をみんな気に入ってくれてるよ。」
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・・・感想などはまた無意識日記の天啓カテゴリで書くかもしれません。お楽しみにv
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