無意識日記
宇多田光 word:i_
 



感染症対策で、というか休校政策の所為で、かな? ディズニーリゾートも休みになるのねぇ。結構な影響力だな。

「キングダムハーツ」シリーズはSQUAREエニックスの作品だが使われているキャラクターはディズニーだ。両者のコラボレーションだからこその知名度。そう、いつの間にかヒカルもディズニーとの関わりが出来ていたのよね。あんまり前面に出てきていないけれど。まぁ、ヒカルさんってば自由な方なのでNintendo DSのCMに出てるのにXBOXの……って昔の事を蒸し返すのは辞めておこうか。

東芝EMIやSONYのCMは勿論だが、視聴率全回30%越えのバケモノテレビドラマの主題歌であったり、四半世紀続く伝説的なアニメーション映画の主題歌であったり、最近ではCMソングを担当したサントリーが高収益を記録したりと、日本のトップ・アーティストなんだから当然なんだけど、タイアップ相手は様々な分野の一流だらけだ。それだけしがらみも多い筈なのだが、ヒカルさんってば自由な方なので生ストリーミンクでスポンサー様の商品をDisっ……っとと、蒸し返すのは止めておこうね再び。

この“資産”、何かに使えないのかねぇ? それだけのコネクションがあるのなら、こちらからプロジェクトを仕掛ければ相当な事が出来るはず。特にエンタメでディズニーとSQUAREと任天堂とSONYの全部とコネクションがあるって相当な事態ですよ。なんでも出来ちゃうんじゃないの。

VRはプレステでないと鑑賞出来なかったが、ここからそれ以上にゲームなりアプリなりで深入りを始めてくれたらどんな世界が広がるのやら。最近のゲームは実写と変わらないからヒカルが出演してしまうこともあったりするんかねぇ。ってか、“ゲーム”って括り自体がもう違うのかもね。おじさんはついていけていませんよ……。

だがそういうことをすればヒカルの息子様が悦びそうではあるので、お母ちゃん案外乗り気になっちゃうかもしれないな。ヒカルさんってばきっと自分のアピアランスが注目されるのより声の仕事の方が好きだろうから、ここは声優のスキルを発揮しt……やっぱり、蒸し返すのは止めておこうかなっ!

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東京事変がライブ催行を決断したそうな。ゆみちん英断だねぇ。なかなか出来ることじゃない。昨日も触れた通り数百万数千万規模の身体接触である満員電車の前では国際フォーラムの椅子席5000人程度では誤差にもならない。お前に疫学の何がわかると言われそうだが、中止にした場合の経済的損失の規模と比較すればね。イベントというのはそれを仕事にして収入源にして生活している人が居る訳だからねぇ。この決断を叩いている人達はちゃんと家に引き篭って他者との接触を絶っているのだろうか。仕事に行かなくちゃいけないのはイベント催行者の皆さんも同じなのですよ。それを中止しろという方々は勤め先や営業先の稼働も止めてるんでしょうか。嫌味っぽくてゴメンねぇ。まぁネットに沢山書き込みしてる人は引き籠もりさんが多いからね。今は言わなくなったけど、昔は引き籠もりさんといえば「ヒッキー」というなかなかに魅力的な呼称で呼ばれていたからねぇ。なかなか誇らしかったよ。(?)

とか言ってる脇で、なんだ、総理大臣要請として「全国一律臨時休」なんて話が出てるやないの。独裁国家じゃないんだからと思うけど、児童に重症患者が稀な中でこういう報道が出るというのは、つまり政策の中身は関係なく、全国規模での対策実績が必要だったということ、かな? つまり、恐らくこの3月中には感染流行が収まるだろうという憶測に基づいて、4月以降に「あの時の政策が功を奏した」と主張するつもりなのだろう。感染収束の原因究明なんてそう容易なことでは無いから言いたい放題なんだろうな。政治というのはそういう風に出来ている。専門家の皆さんの現時点での見解は「感染対策としてはほぼ意味が無い。一方で、社会は壊滅的なダメージを被る」という感じのようだ。そりゃそうだ、全員自宅待機が徹底されるならまだしも、こどもと大人の接触時間を増やすんだもんねぇ。みんな家でじっとしてるとは思えないし、こどもだけで学校に隔離されてた方が安全そう。教員の皆さんはどちらに転んでも大変なのですが。

しかしあれだね、この、毎度のことになってますが、感染症そのものよりもその対策の過剰で被害が拡大するっていうのは、アレルギーそのものだよねぇ。アレルギーというのも、自己免疫系の過剰反応で、例えばスギ花粉なんて本来人体にそう悪さをするもんじゃないのに免疫系が過剰反応して宿主を苦しめるっていうね。最初から放置しといた方がまだマシだったっていう。原発事故も、被曝者は対処従事者のみで一般には皆無なのに過剰避難で生命を落とした人は数千人にも……ってだからその話はしない方がいいんだってば。

はよこんな話しなくていい日々に戻りたいっすわ。どうしてもニュース読んじゃう自分が悪いんだけどねー。弱いわねぇ。

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そうなんよねぇ。あたしまともに歌詞が聴き取れた試しがなくて。英語に限らず日本語もなのよ。それそこ『A.S.A.P.』でいえば、『110じゃなくて君だけのダイアル教えて』の部分なんて歌詞カード見るまで何言ってんのかわかんないどころか意味のある文章がそこにあったんだと認識してなかったくらいだよ。なんだよいきなり『ワン・ワン・ズィロゥ』って。ワンワンが次郎ならニャンニャンは太郎かよ。犬猫兄弟かよ。なんだよそりゃ。わかるわけないだろくるぁっ。(謎の逆ギレ18年ぶり2回目)

まぁね、『な・なかいめのべ・るでじゅわ』でデビューしてきた人の歌詞なんだからひとひねりあるのは毎度のことでね。この『A.S.A.P』でいえば冒頭の『交差点を過ぎた辺りで急に……』なんかですら聴き取りづらかったなー。「こうさて・ん・をすぎたあーたりで」っていう切り方ね。ベルデジュワより随分難易度低いけどね、この程度ですら引っ掛かってたのよ。

こういうテキトーな耳なので、普段から洋楽はおろか邦楽でもまともに歌詞を聴いていないのが私。大昔から「英語の歌なんて何言ってるのかわからないからつまらない」と言われ続けてきたけれど私に言わせれば「日本語の歌も何言ってんのか全然わかんないから似たようなもの」って感じなんで。お陰様で洋楽邦楽分け隔て無く接してこれたので今に到る訳ですがね。

その昔黒柳徹子と久米宏の「ザ・ベストテン」てカウントダウン番組で初登場曲だけ画面に歌詞字幕が出ててね、何故2週目以降も流してくれないのかと憤っていたものだったのですよ。で、その初登場時の画面に歌詞が流れてる状態で歌詞を間違えて歌ったのがTM NETWORKで……ってその話はもういいやね(笑)。2週目以降なら誤魔化せただろうになぁ。不運でしたねー。

……話が逸れた。まぁホントそんな感じなので、普段偉そうに歌詞の分析なんかしてるこの日記だけど、読む方は「お前まともに聞き取れてないんやんけ」と半信半疑で読んで貰えると有り難いのでした。書いてある事をそのまま鵜呑みにされる程信用されてしまうのも考えものなのですよ、ハイ。いや、嘘や誤魔化しを意識して書いてるとかでは、ないんだけどね。人間、どこでどういう勘違いをしてるかわからないからさ……。宜しくお願いしますねー。(誰にともなく)

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ほんと、全国ツアーが1年早くてよかったねぇ我々は。今各地でコンサートが中止の憂き目に遭っているのが本当に気の毒で。こんな言い方するの嫌味ったらしいってわかってるけどさ。

リスクの比較は素人には確かに難しいのだけれど、果たしてイベントごとを自粛して効果があるのかは甚だ疑問でね。首都圏に住んでいる人間はご存知のように、朝晩の通勤ラッシュというものがありまして。満員電車というものがありまして。いちばん多い新宿駅の一日の乗降客数は300万人以上とか。そんなマンモス駅が渋谷池袋云々と複数ございまして、首都圏では結局毎日数百万数千万単位で満員電車による身体接触があるのですよ。

こんな中で数百数千の規模のイベントを自粛したところでたかが知れている。というか危険度が全く計測できないと言っていい。これがスタジアムクラスのものになれば少しは違ってきそうだがそれでも微々たるものだ。もっとも、彼らが電車で帰る時の満員電車は回避できるよという見方もあるかもだけれど。

結局、本気を出すなら首都圏の鉄道を全線数週間終日運休するしかないわけでな。それができないなら個々のイベントを、ましてや路頭に迷うリスクのあるケースでは自粛すべきではないだろうよ。でも、今の情勢では鉄道運休もイベント強行も現実的には無理な話で。本当に遣る瀬無い。なんだか311の時と……いやその話はしない方がいいやつだったな。

誤差とか精度とかリスク比較とかそういう話自体が通じないのは重々承知の上で溜息ついてみましたですよ。

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『A.S.A.P.』の冒頭って、『as soon as possible』って歌ってたのか……そのまんまじゃん……。さっき気付いたよ……(汗)。


そうそう、この曲ってアウトロも歌詞カードにない英語を歌っていて、未だに全然聞き取れてないんだよね私。また今度挑戦しよっと。


で。珍しい事にこの『A.S.A.P.』は、フェイドアウトの中で歌われている歌詞カードに載っていない歌詞が英語ではなく日本語だったりするのですよ。

これに関しては過去にメッセでヒカル本人が触れてくれているから昔からのファンは御存知だろうが、もしかしたら新しいファンの皆さんは知らなかったりするかな? 折角なのでその時のメッセをコピペしておこう。


***** *****


2002.09.15

(前略)

ファンの人が運営してくだすってる私のファンサイトで、アルバムに収録されてるASAPという歌のフェイドアウト寸前のとこの歌詞を巡る議論が繰り広げられてるのを見ました!
歌詞カードに記載してない部分の歌詞をここで私が話すことって今までなかったと思うけど、これだけはちょっと言わして!

正解は、、、
会いたい時に君はいない
泣きたい時は遠慮しない

っす!

けっこう気に入ってる部分だったからどうしても言いたくなっちゃった!

(後略)

http://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_85.html


***** *****


とこんな感じだ。実際、フェイドアウトギリギリにぶつぶつ歌ってるだけなので、あたしの場合は最初聴いた時日本語だとすら気付かなかった(笑)。あたしの耳はホント適当なのです。日本語の歌詞があるのに歌詞カードに載ってない例ってその後も他にあったかな? すぐには思い出せないのだけど、あったとしても滅多に無いよね。で、前述の通りこの最後の日本語フェイドアウトの前には英語でも歌ってる。アウトロでフェイク混じりに英語で歌うのってこの頃はトレードマークみたいなもんで(『DISTANCE』とか『Letters』とかね)、この『A.S.A.P.』もその流れの中にあったのだが、こういう風にイントロでも歌詞カードにない英語を歌った上にアウトロのフェイドアウトに日本語が乗ってくるという組み合わせは非常に特異だったのでありましたとさ。

アウトロで英語……最近だと『誓い』なんかが近いかな(駄洒落ではありませんよ?よ?)。でもあれもフェイドアウトじゃなくて最後きっちり日本語で締めてるから雰囲気違うかー。また久々にヒカルの「アウトロでアドリブ交えて英語を歌う」のを聴きたくなっちゃったな。今だとどんな風に料理してくれるのか、興味津々じゃありませんこと?

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COVID19について経過報告(未来に日記を読んでる自分に向けてね)。最初に「国内の肺炎患者が僅かに増えるだけ。2月3月は騒ぐが来年の今頃は忘れてるだろう」という風に書いた。毎日報道量は増すばかりだが、どうやらマスメディアは(案の定)不安を煽るばかりで公共的な機能を果たしてはいない。民放にそれを求めるのも筋違いなのだけど。

昨日国公立の2次試験前期ということでニュースがあったが、登校時の映像を見たところ殆どの受験生がマスクを着用しているのにまぁマフラー着用率の低い事。この季節に首を暖める事の重要さは認知されていないのか。んなわけなかろう。どうやらマスク着用は流行のファッションを上回る「同調圧力」として機能しているようだ。今時受験生でマスクをしていないと周囲から叱責されるのだろうな。可哀想に。嫌々マスクを着けている子も多そうだ。感染症対策というのならマフラーをつけないわけがないのでね。

前も書いたように感染症対策、肺炎防止には体を冷やさないのが鉄則中の鉄則。免疫やウィルスがどうのという理屈はわからなくても、父母祖父母周り大人たちから「風邪をひかないように」という助言は貰っているだろう。雨に濡れるな、喉を渇かすな、体を冷やすな、よく寝ろ、滋養のあるもん食え、などなど……。それを実践していない人は今や同調圧力の犠牲者という状況。笑えんなぁ。

違った局面も出てきている。客船内の動画が国際的にシェアされたから……かどうかは知らないが、海外で「日本政府の対応が迷走している」という評判があらわれはじめているらしい。今時、真実は関係なく、噂が政策を左右する。ほんまにインターネット時代なんかと思うけど現状はそうだ。日本からの渡航禁止、日本人締め出しとなると国際経済権から孤立する可能性も出てくる。自立している中国は鎖国しても大丈夫だろうけど、日本はどうなんだろうな。

って、暗い話題ばかりになるところだけど朗報も。インフルエンザ・ウィルス感染者が激減しているらしい。同時期前年比5分の1だか6分の1だか。暖冬に加え、SARS-CoV-2(COVID19のウィルス名がこう決まったらしい)感染対策の喧伝がインフルエンザ予防に一役買っているんだとか。そんな劇的な効果があるのか。ならばもう毎年インフルエンザでこれくらい騒げばいいんじゃないですかね。ならば来年忘れててもまた喚起・換気されて肺炎死亡者が激減するのでは。期待したいわ。

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論語といえば『浪漫と算盤』も思い出される。こちらは直接的ではなくて、まず朝の連続テレビ小説「あさが来た」で有名になった(のかなぁ? 三宅裕司だからな……)新札の肖像画でもお馴染みの(でもないか、まだ先だもんね)渋沢栄一の著書に「論語と算盤」というのがあって、それに準えて『浪漫と算盤』というタイトルが生まれた訳ですね。論語は間接的な役割。

これにはヒカルの影響がどれくらいあったのか。同曲発売時の椎名林檎嬢のコメントを引用しよう。

─── 或る日ヒカル氏が「それはゆみちん(椎名のこと)ならうまいこと書きそう」などと共通の知人らと話していたらしいテーマが「ロマンとソロバン」でした。半年ほどまえ小耳に挟んで以来「受けて立とうぞ」と力み続けた結果、仕上がったのがこの作品です。唄うのにやや照れました。

ふむ、そもそもヒカルがコンセプトを持ち込んだことになっているのだな。発売時から半年前というと2019年5月とか6月とかか。「共通の知人らと話していたらしい」という言い方がポイントで、当初は林檎嬢は蚊帳の外だったのか。つまり、『パクチーの唄』同様、ここ暫くヒカルが孔子に(或いは論語に)傾倒していて、その流れで『浪漫と算盤』も生まれたと見てもよさそうだなと。共通の知人らというのがどなたらなのかも気になりますが。またヒカル関連の楽曲で何かいわくありげな歌詞やタイトルが出てきたら孔子について検索してみるのもいいかもしれませんね。

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前回の『パクチーの唄』の『嘘が下手』についてTwitterで幾つかコメントをうただいた。なるほど、その存在が誤魔化せないっていう意味かーそりゃしっくりくるな。なんだか「ドラえもん」でのび太のママがなんとか苦心惨憺してのび太にピーマンと人参を食べさせようと好物のハンバーグに潜ませたはいいけれどのび太は即座に見破った話を思い出したな……やっぱり目立つのかと。嫌いなものだと嗅覚鋭くなるよねっていう。

そして『優しさ』はパクチーの栄養成分のことだと。「バファリンの半分は優しさで出来ている」ってのが本当に成分の話だった、なんていう小噺を思い出しましたよ。


兎に角、この歌の優しさは特筆に値してて。『優しいの』と歌ってる人がいちばん優しい。やわらかく受け入れてくれる感じというかね。苦いことも噛み締めて今日まで生きてきましたよ感が凄くあって。

『今日はうちにおいでよ
 泣いたら とても
 お腹が空いたと 気づくよ』

なんだろうね、この、人間悲しいことがあってもお腹は減るという、よく言う奴をここまで実感をもって言葉に出来るかねと。この前段の『学びて時に之を習う』がよく響く。

この漢文は孔子による「論語」からの引用で、これには続きがあるのですよ。

「朋有り(ともあり)、遠方より来る。亦楽しからずや。」

これは「友達が遠くから訪ねてきてくれた。まぁ楽しい。」という意味で。だからヒカルはこのあとで『今日はうちにおいでよ』って歌うんだよね。友達が訪ねてきたからお家に招こう、と。で、それは嬉しいんだけどどうやらその人には悲しいことがあったみたいで。ならばまずは美味しいものを食べて貰おう、っていうね。で、きっとこの友達はパクチーが嫌いでこのあと一悶着あるという(笑)。無難にカレーにしとくべきだったね。

ホント、優しい歌だ。ヒカルの優しさがここまで素直に出る歌もなかなか無いですよっと。

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『パクチーの唄』を聴いてるとパクチーよりカレーの方が食べたくなってくるんだよね。いやまぁ、パクチーカレーを食べればいいのかな。薬膳カレーにパクチー入ってたっけか……。


なにぶんパクチーという食材は味の癖が強く好き嫌いが別れる。コラボカフェを楽しみたかったけどパクチーは嫌いでさ……!と臍を噛んだ方々も多かろう。パクチーノでぼんじゅーる、醍醐味だもんね。

(……あれ、ちょっと待て俺パクチー大福食いそびれてねーか? いや別にいいんだけども。)

そんななので『パクチーの唄』の歌詞もこんな感じだ。

『君のこと 嫌いになんてなれないよ
 悪口を言われたって 知らん顔』

そう、悪く言う人もいるのかもしれないけど、知ったことか、あたしゃあんたのことが好きなんだと。パクチーのことを歌ってるんだと思ってた。

二番の同じ箇所もこんな感じ。

『緑色 嘘が下手で 優しいの
 どんより雨の日だって 必要と……』

そうそう、パクチーは香草だから緑色で優しい味がするもんね。それに、嘘が下手だし、、、


、、、え?嘘が下手? 何それ? パクチー関係ある??


そうなのだ。パクチーは口を閉じているので(いやそもそも口が無い)ウソもホントウも同じな筈なのだ。なのに、『嘘が下手』って、なぁに? パクチーは嘘をつこうとしたりするの??

ここが昔から『パクチーの唄』の歌詞の謎なんだよねぇ。確かに、一番にせよ二番にせよ、パクチーを足掛かりに誰かを慰めたり励ましたりしているように見えるのだけれど、『緑色 嘘が下手で 優しいの』の並びだけはよくわからない。優しい人の話をしてるのなら緑色が唐突過ぎるし、パクチーの話をしてるなら嘘が下手が唐突過ぎる。あたしなんか最初孫悟飯がピッコロ大魔王のことを話しているのかと思ってしまった。DRAGONBALL未読の方すみません。

いやホント、ここなんでこんな歌詞の並びなんだろうね。シュールさを狙ったのだろうか? そう、あたし未だによくわからないのでした。もうこの歌が世に出て1年半が過ぎようとしているのにな。でも、だから?今更ながらに振り返ってみましたよっと。

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この日記はクリエイターの皆さんの頑張りを讃える為にあるようなもんだと思うんだけどねぇ。人を貶すような事に時間を割きたくないしな。

でもなんか日記的には、後から読み返した時用に触れておいた方がいいのかも、と思い直し。

コロナウィルスの新型、COVID19の話なんですけどね。

2月下旬ということで、そろそろ日本での流行が本格的に始まる時期に差し掛かってきたのかな、という感じ。中国は徐々にだけど収束に向かってるのかな。通常のコロナウィルスであれば暖かくなったら停滞・撤退するので日本での流行はここから1ヶ月半といったところでしょうか。まぁ現状では致死率に数十倍の差はあれどまだまだインフルエンザの方が脅威なのですけれども。この先どうなるやらね。


先週土曜日に外を歩いていたら、小雨が降って参りまして。まぁ別に傘をささずにやり過ごしても構わない程度の弱さではあったんだけど、驚いた事にマスクをしている誰も傘を差していない&合羽を着ていない。手許のスマホで降水確率を見ると40%。うむ、朝に見たのと変わらない。

マスクをしていない人はいい。リスクの見積もりがその程度なのだろう。だが、している人は違う。保菌者でもないのにマスクを着けているというのは、何万分の一の確率で凄く傍にCOVID19の感染者が居てその人からの飛沫が体内に入るのを防ぐ為ではないのか。ならば、5分の2というそれとは比べ物にならない高い確率で雨が降ると予想されているのに何もしないのはチグハグを通り越して滑稽なんじゃねーか。

そう、マスクを着けて何万分の一の危険に備えている人が「肺炎に罹りたくなければ冬の雨に濡れない」という鉄則中の鉄則を失念しているのが今の現状なのである。冷たい水に晒されて体温と体力を奪われれば免疫力が低下して肺炎の罹患率が上がる。そんな理屈は兎も角として「冬の雨に濡れちゃダメ。風邪引くよ!」というのは小学生でも知っている訓示だと思うのだが違うの? マスクつけるくらいなら降水確率40%下では雨が降らないうちから傘をさしておくなり合羽を着ておくなりするのが当然だ。なのにそうしていない。

テレビを観ていないのでわからないが、ネットではマスク不足のニュースは沢山目にした。しかし石鹸不足やうがい薬不足のニュースは取り敢えず自分は見たことがない。あっても頻度が少ないのだろう。肺炎に罹りたくなければ手洗いうがいは鉄則中の鉄則中の鉄則である。マスクなどより遥かに効果が高い。なおマスクの効果は飛沫感染防止以上に口腔内の乾燥を防ぐというのもある。というかリスクの観点からみればこちらがメインだ。なのでマスク装着自体は奨励されて然るべきだが優先順位が違う。まずは己の免疫力の為に養分と水分と睡眠を摂り手洗いうがいを励行し、というのが順序だ。雨に濡れるなんてとんでもない。

そうなっていない、というのはかなりの多数がマスメディアの煽る流行のファッションとしてマスクを着けているだけ、だということだ。真剣に感染症対策をしている訳では無い。うちの市内は既に感染者が出ているというのにその割合がかなりの数に上っている(というか自分の視界に入った数百人全員だったな……)ということは、恐らくここからCOVID19は日本で爆発的に流行る。中国政府の対策不足が理由でもなければ日本政府の認識不足が理由でもない。マスク不足もその理由ではなく、日本人の真剣さが足りない、という理由でね。あたしも罹るかもしれんなこりゃ。


偽物の安心に悪者探し。やるのは勝手だが残念ながらもう私達に関係のある事ばかり。ここから1ヶ月半、果たして休み無しで無意識日記を書き続けられるか甚だ心許ないですよ。休みが連続したら察して下さいませませ。

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『Too Proud』は途中でJevonのラップが入ってくる。あれを聴いて『Blow My Whistle』を思い出していた。こちらの曲もまたゲストのラップとヒカルのヴォーカルのコラボだからね。

『Blow My Whistle』はプロデュースを他人に任せたせいなのかヒカルは仕上がりを気に入っていないらしい。まぁそうかな。でも曲自体の切れ味は流石である。

『Too Proud』に関しては『Laughter In The Dark Tour 2018』でラップパートをヒカル自身が日本語で歌って好評を得た。どうなんだろ、スタジオ・バージョンとどっちが人気なのかな。野暮な疑問なんだけど。なんでだか、『Laughter In The Dark Tour 2018』バージョンの方が人気が高い気がしている。ビートたけしのお陰か?

ライブ・バージョンならあそこまでの改変が可能なんだ……とコンサートを見て私は思った。ならば、『Blow My Whistle』もライブで披露して思う存分ヒカル好みのサウンドに仕上げて音源化してみたらどうだろうか。既にスタジオ・バージョンで相当カッコイイと思うのだが、ヒカルの思う通りにやったらどこまでカッコよくなるのだろう。勿論、フォクシー・ブラウンのラップパートはまるごと削ってヒカルのオリジナルにしてしまってもいい。なんだか凄いことになりそうだ。

んだがしかし。問題が2つある。ひとつめは、クレジットが共同署名だという点だ。ライブで演奏して音源収録となれば共作者に一言ないとマズいだろう。果たして、快くOKを出してくれるかな? ラップパート全部削除とかしたりしたら難しいよねきっと。ふたつめの問題は、こちらは更により深刻だぞ、ライブでやってもお客さんがポカーンな点だっ。

『Blow My Whistle』の知名度はヒカルが今まで発表した楽曲の中でも最低レベルだ。EPのみ収録の『はやとちり』よりも無名だ。まだ数十万枚売れた『Precious』からの曲の方が反応がいいんじゃねーか(んなこたねぇか)。何しろ日本のファンというのはあの超強力な“EXODUS TRILOGY”をもってしてもなんとも反応しない英語苦手ピープルなのである。『Blow My Whistle』なんて地蔵一直線だろう。日本での披露は相当厳しい。

やはりここは、悔しいが、海外限定でライブで披露して貰って音源化のお零れを与るしかないだろう。日本以外の国でなら、ある程度は好反応を貰える筈だ。いや待てよ?日本でも新曲として歌ってしまえば盛り上がるかもしれないな。うーむ、来年は『Blow My Whistle』発表20周年だしタイミングとしてはいいと思うが、やっぱりこのネタはニッチ過ぎたかな。ニッチな日記が何を言っとるか、って話ですね。ハイ。

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『Don't Think Twice』の『if you want to take it to an even higher level』の『level』の歌い方がなんか好きだなぁと思ってみたり。それはさておき。


自分がその昔野球ファンでもないのに毎日イチローのバッティングをチェックしていたのは、他では見られない美しいプレイスタイルだったからだ。もっと言えば、日本の野球選手の典型的スタイルではなかったから野球自体に興味がなくとも惹かれた訳だ。そんな異端児の彼が最終的には日本出身のベースボール・プレイヤー史上最高の選手として名を残す事になったのだからわからないものである。異端が正統の代表となったのだ。

それと同じとは言わないけれど、宇多田ヒカルにも似たような所がある。御存知のように『First Love』という過去最高売り上げアルバム記録を持っているのだが、本人はどこに属するタイプでもかかった。90年代後期といえば小室ファミリーやつんくファミリー、小林武史プロデュースとかヴィジュアル系とか様々な集団的なクラスタがある中で、なんのコネもゆかりも無い歌手がいきなり出てきてNo.1になったのだ。いや藤圭子の娘じゃないかと言われそうだが、その藤圭子こそ「なんのコネもゆかりもないのにデビューしていきなり頂点に立った」歌手の元祖でな。37週連続アルバム首位とか意味がわからないよね。

ヒカルは東京と紐育を行き来する生活の中でどこにも属さない感性を持ち続けていた訳だが、そんなアウトサイダーの書く歌詞が最大多数の共感を呼んだという事実は特筆に値する。この国ではどこにも属さず疎外感を感じている人間が多数派なのだろうか。なんだか政治でいえば「最大勢力は無党派層」みたいな感じで、納得できるようなできないような……?

本来アウトサイダーはバラバラに存在していて(そりゃそうだ、大きく群れていたらアウトサイドじゃないわな)、特に脅威ではないのだが、こうやって宇多田ヒカルが歌うことで「可視化」されるとその存在の大きさに驚かされる、というね。確かに、普段耳にするのは「身の回りに宇多田ヒカルファンが居ない」という話だったりしてとても自分が多数派の人間とは実感できないケースが多いのよね。浜崎あゆみとかハロプロとかジャニーズとかだとそうでもなさそうだったのにな。今はどうなんだろうね。

この「可視化」の齎す帰結に関しては……書き始めたら長くなるな。まぁ節々で触れていきたいと思いますよっと。

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アルバム『初恋』、前半の異様な密度から解放された真ん中らへんあたりから曲調がリラックスするというか落ち着いた雰囲気になっていくのだが、なぜかどの曲にもドラムスが入る。いや、それ自体は嫌じゃないんだけど、静かなだけの曲をただ歌うという感じにはしなかったんだなーって。

『Fantome』でも『人魚』にドタバタしたドラムスを入れていて、これ、アルバム全体の流れからすればハープと独唱でよかったんじゃないのと最初は思ったんだけど、そこなんだよね。「1曲毎のアレンジを決める際にアルバム全体のバランスというのをヒカルは考えているのだろうか?」という疑問というか問題設定が自分の中で湧き上がったのだ。

『人魚』はヒカルが曲作りを続ける、戻ってくる切っ掛けになった曲だからアルバムのバランスとか流れとかとは関係なく独立した曲としてアレンジされている可能性が高い。だから遠慮なくドラムを入れて一曲で完成された感じを出した、と。

一方、アルバム『初恋』の真ん中あたり、『Good Night』〜『パクチーの唄』〜『残り香』の3曲はもし総てドラムレスのアコースティックサウンドで固めていたら居眠りタイムになってしまうという危惧感がはたらいてドラムスを派手に入れたのでは?なんていう解釈も出来なくはないかなとな。

あの絶妙の曲順を誇る『HEART STATION』でさえヒカルは曲順にタッチしていなかった風な言い方をしていたので、そもそも曲を書く時にアルバム全体のバランスは考えていないのかなと匂わせつつ、他方、同じく『HEART STATION』アルバムの最後の曲を作る時に取って置きのバラードを「しみったれ」と罵ってゴミ箱にぶち込んだ挙句にそのあと僅か5日間で『Celebrate』を完成させたりもしている。これなんかは、その時の気分もそうなのだが、これでアルバムにもう一曲バラードが入ったら少し重くなり過ぎやしないかという計算もはたらいたようにみえたのだ。『Celebrate』の軽快さはアルバムのちょうど真ん中で素晴らしい生命力を提供しているものね。あれがバラードだったらと思うと確かにアルバムの色合いが全く変わっていたな。

そんな感じなので、ヒカルが目下作曲中だとして(* 物凄く個人的願望が介入している想定です)、「アルバムの全体像が見えているかどうか」は遠因としてアレンジに影響を与えたりしているのではないかなと。つまり、最初のうちはアルバム云々を考えずに独立した楽曲として携わっているのだが、何曲かそうしているうちに「これらの曲が全部入るのか」と気がついたくらいのタイミングからヒカルはバランスみたいなものを感じ取り始めていそうで。まぁでもきっと、いちばんアルバムを意識するのはレコーディングのデッドラインを設定された時だろうかなっ!


アレンジの意図云々を知る為に、またいつかアコースティック・ライブをやって欲しい。『MTV Unplugged』は電気楽器がないというだけでかなりの大編成なゴージャス・サウンドだったが、今度は小編成で、それこそ『パクチーの唄』なんかを優しく、座って(!)歌ってみて欲しいかな、なんてな、思うのでしたよ。『WINGS』の弾き語りとか『夕凪』の生楽器縛りとか……いやはや、色々と妄想が膨らみますわな。

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ティンパニねぇ。

いやね、『初恋』でせっかく叩いたクリス・デイヴのドラムを破棄してティンパニを入れ直したって話。そんな楽器入ってるって全然気がつかなくってね。まぁしゃあないんだけど。

ヒカルはMac片手&キーボード片手のシンガーソングライターだからどんな楽器をレコーディングで起用するかは手許のサンプル音源次第と言いますか。昔ivoryⅡを買ったツイートもしてたけれども、その時点で選ばれていない楽器がレコーディングを通じて採用されるって珍しかったんでないの。

こうなると、では次にどんな楽器を使ってくるのかを予想したくなる。シンセサイザーという言葉も廃れるほど今や計算機で様々な音を出せる時代だが、結局生楽器の良さを主張する人も後を絶たず。絶つわけねーか。

ヒカルは、この間触れた通り、インストのためのインスト曲は書かないのでヒカルの歌唱にどれだけフィットするかは重要だ。チャーチ・オルガン/パイプ・オルガンのような荘重な響きをバックにすると大袈裟過ぎるかな、などと考える。でもそういう過去からの類推に縛られていると思わぬ所から新しい発想が出てくるのに反応しきれないか。

『Fantome』を聴いてここからはブラス・セクションが大幅増量されていくのかしらんと思ったけれども、実際に『初恋』を聴いてみたらそうでもなかったり。寧ろ『初恋』や『Forevermore』で聴ける弦楽隊の響きの方が印象に残った。『あなた』に至ってはあれだけスタジオ・バージョンで目立っていたラッパたちが『Laughter In The Dark Tour 2018』バージョンではかなり弦楽隊に食われてしまっている。まぁそりゃ生演奏してくれる方が嬉しいもんね。ブラス・セクションを連れてツアーしなかった時点でみえていたヤツだな。

意外性となると、何になるだろうな。フルートとかアコーディオンとかかな。ここで琴や三味線といった和楽器を使ってくるのもアリかもしれない。スネアの切なさに拘ったヒカルが和太鼓を叩いたらどんな感情が出てくるのやら。民族楽器とかもいいよね。シタールとかガムランとか……シタールってどっかて使ってなかったっけ。記憶がやっぱりあやふやよ。

何れにせよヒカル自身もその時々で作っている楽曲にフィットするかで楽器を選んでいるのだろうから、本人ですら事前に使う楽器を予想するのは困難だろう。しかしながら、こうやって予めある程度羅列しておけばいざそうなった時にスムーズにアイデアが出るだろう。こちらもいきなり音源が公開された時に「様々な楽器の可能性がある」ことを考慮した上でサウンドに触れれれば、例えば『初恋』のティンパニも言われる前から気づけていたかもしれない……いややっぱあれは無理かな。今でもどこでどう鳴ってるか把握しきれてないし……。

なおヒカルが新しい楽器演奏を自前で修得しているかもしれない事も付け加えておくか。ライブでの弾き語りのバリエーションが増えるぜ。もしドラムを叩きながら歌ったら衝撃的だが、流石にそれはしてこないかな。いや、どうだろうな……。

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この日記では5回とか6回とか書いてる事だけど、あたしのiTunes年間再生回数2012年2013年の第1位は『桜流し』、第2位は『桜流し(instrumental)』だった。インストも歌入りとほぼ同じだけ再生している事からもわかる通りこの楽曲の編曲は途轍も無く素晴らしい訳だが、勿論歌唱自体もとんでもなく素晴らしい。スタジオバージョンとして収められたものの中では、特に昔の発声のものの中では最高クラスに感動的なパフォーマンスなのではないか。発売当時「アーティスト活動休止中で声が出なくなってたらどうしよう…」と不安に駆られていたのが嘘みたいである。

本当に隙がないというか密度が濃いというか。歌い方ひとつひとつに意味があり細部まで考え抜かれて練り込まれまくった感がある。1年くらいかけてじっくり取り組んだ成果なのではないだろうか。

例えば『残念そうに見ていたあなたはとてもきれいだった』の『残念そうに』はその念の残り具合を強調する為に他の節の同じ音程の部分に較べて低音を多めに歌い歌詞のイメージをしっかりと伝えていると見て取れる。また、ここでの『あなたは』での『あ』の歌い方の儚げなこと! このすぐあとの『あなた無しでは』の『あなた』の歌い方との対比も鮮やかだ。『見ていたあなた』の姿は思い出の中の蜃気楼のように霞んで、或いは涙で霞んでいるような、そんな情景をこの儚げな『あ』の歌い方で伝えている。

このあとの『Everybody finds love, everybody finds love, in the end... in the end.』も凄い。2つ目のfindsのエモーショナルな節回しの鮮烈さよ。更に一回目の『in the end』の『the』の歌い方が絶妙でな。ほんの僅かに弱めに歌うことで次の『end』の繊細さを引き立てている。勿論、溜めに溜めて最後に囁かれる『d』はほぼ“t”の音でここの余韻がまた堪らない。これを侘び寂びと呼ばずして何と呼ぼうか。最後の最後にほんの僅かな光を、愛を見出すその瞬間を、この溜めに溜めた『d』が表現している。そして2回目の『in the end』の『in』の歌い方の絶品さは子々孫々末代末裔まで語り継ぎたい。ここでの儚さと絶望と哀しみと希望の織り成す繊細な美は、宇多田ヒカルの歌唱力の何たるかを如実に、しかし奥ゆかしくも厳かに表している。ここでの『the』の発音が一回目のそれと微妙に異なる所にも注目だ。

嗚呼、1番の歌唱だけでも歴史に残る凄まじさ。2番以降についてもまたどこかで書くとしよう。宇多田ヒカルにここまでの歌を歌わせた「新世紀エヴァンゲリオン」の新作があと4ヶ月あまりで公開になるかと思うと身の毛もよだつ思いである。ここまでの大名曲に比肩する傑作が来るのだろうか。武者震いが止まらないぜ。

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