無意識日記
宇多田光 word:i_
 



あ、今日で2020年上半期も終わりなのか。今まで生きてきて色んな半年があったけど、「半年後の思いも寄らなさ」では過去一番だったんじゃないの。上半期が始まった時点では五輪が延期になるとか夢にも思っていなかったもんね。恐るべしSARS-cov-2の影響。


てな訳で宇多田ヒカルの上半期を振り返ってみると致しましょうか。


まず我々としては年初にテレビ出演したのがサプライズ&プレイズだった。1月3日の「マツコの知らない世界 新春スペシャル」にゲストとして登場、数十分間に渡って『落し物の世界』について熱弁をふるったのだ。歌の絡まないバラエティ出演となると2008年の「笑っていいとも」以来だったっけな? よく覚えていないけれど、なんでこんな珍しいことを?もしかしてTBSのドラマの主題歌でも歌うの?というこちらの邪推も何処吹く風、そのあとスコーンとニュースが途絶える。便器を拾ってた位しか動きがなかった。

1月末に『Laughter In The Dark Tour 2018』映像商品が第12回「日本ブルーレイ大賞」を受賞した位しかオフィシャルなニュースのないまま2月3月が過ぎる。年度の初めとなる4月頭には慣れないリモートワークの影響かSONYのウェブサイトがハッキングされ暫く閲覧出来ず。これが新情報の罠かとまた訝ったが全くそんなことも無くここでも何事も無く数日が過ぎる。

しかし4月6日。いきなり新曲『Time』が5月8日にリリースされる事が発表される。日本テレビ系列の連続ドラマ「美食探偵 明智五郎」の主題歌として。なんやねんTBSと違ったんかいなと突っ込む間もなく、今度はその舌の根も乾かぬうちに4月17日に更なる新曲『誰にも言わない』が5月29日に発売されると発表される。音沙汰の無い二ヶ月から突然新曲二連発。ここらへんでもうヒカルファンは狂喜乱舞。何が何だかわからなくなる。なお『誰にも言わない』は「サントリー天然水」のCMソングとして日本全国でテレビ放映された。当初は同商品のイメージキャラクターが宇多田ヒカルから他の人にSwitch!されそうだという情報もあった為引き続いての続投に皆一様に胸を撫で下ろしたものだ。

そしてそうこうしてるうちにこの2020年上半期最大の爆弾企画『インスタライブ:自宅隔離中のヒカルパイセンに聞け!』が催される事が4月26日に発表される。なんと5月1日から1ヶ月間、毎週日曜日に5週連続で自宅からヒカルさんが生配信をしてくれるという目も眩むような非常に心臓によろしくない企画がスタート。いやぁ、4月に@hikki_staffがインスタアカウントを取得したのがこの企画への伏線だったとはね。やられたぜ。更に当初の予定にはなかった「ゲストコーナー」まで増設されてインスタライブの限界ギリギリ1時間近い長尺の配信番組となる。第2回中村倫也、第3回ONE OK ROCKのtaka、第4回KOHH、第5回ルーベン・ジェームズと年下男子4連発。何れもそれぞれに好評を博する。

極めつけだったのは、インスタライブでヒカルが次々と積極的に歌った事だろう。毎度お馴染み“Part Of Your World”だけでも大歓喜なのに、未発表の『Time』の英語バージョン、KOHHと書いたこれまた未発表曲、更に絵本の歌に自らメロディーをつけて歌うなど生歌の大盤振舞い。そして5月のラストのラスト、最終回の最後では『誰にも言わない』のフルコーラスをピアノ弾き語りで披露して全世界のHikkiファンを悶絶の坩堝に叩き落として須らく昇天させた。こんな贅沢な時間があっていいのだろうか! えぇ、大いに宜しい!!

そうやってあっという間に4月5月は過ぎるも未だにロンドンの隔離生活は終わらず、6月に入ると感染症禍に伴って米国での黒人差別問題(“Black Lives Matter”)に火がつきヒカルがそれについて発言したツイートは(恐らく過去最高の)21万いいねを記録した。ここらへんでは“有名人”としても存在感を発揮した訳だ。なんだかんだで影響力は大きいままなのね。


まだまだ昨今の世相は予断を許さないが、我々からすれば、長い枠でのバラエティ番組出演に、新曲2曲がCMソングとドラマ主題歌として発売され、挙句の果てにインスタライブ5連発という、、、非常にエポックメイキングな半年間だったと言えるのではないか。いやはや、今書いてるだけでも疲れたもん(笑)。大丈夫なのか俺たち!?(何を言っているんだ意味がわからないぞ)


関係者の努力が実って『Time』をフィーチャしたドラマ「美食探偵 明智五郎」もこの度無事最終回を迎え、これでヒカルの曲のメディア出演も一息ついたところ。やっとニュートラルな気持ちで次の半年を迎えられる気分、かな。ヒカルの隔離生活は続くかもしれないが、その分作詞作曲には気合いを入れてくれるだろうから我々は心して震えて待つのみであろう! 下半期もまた『Time』と『誰にも言わない』を愛聴しつつ次なる新曲の登場に期待すると致しましょうぞ!!

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本日はシングル盤『For You / タイム・リミット』発売から20周年記念日ということで。メデたいぜ。

最新シングルが『Time』&『誰にも言わない』なのがまた感慨深いのよね。『Time』は「昔の宇多田ヒカルサウンドだ!」とファンを狂喜させたが、具体的にどこらへんのサウンドに通じているのかといえば『In My Room』やこの『For You』だろう。ヒカルの最近の趣味でいえばJ Husのような「しっとり・サラサラ・シリアス・ダーク」なタッチ。マイナーコードとエレピ系の静かな音色と捻りを加えた四つ打ちリズム。並べて聴くと間違いなく同じ人の曲である。もっとも、当時の編曲は河野圭で今の編曲はヒカル自身、そこになりくんのインプットが加わっている感じで体制の違いはあるけどね。

『タイム・リミット』に関してはもうあからさまにタイトルが共通している。『タイム』と『Time』。カタカナとアルファベットという違いはあれど、ヒカルの曲の曲名で同じ単語を二度以上使うとなると、“the”や"of"のようなものを除けば“you”や"love"など数える程しかない。そんな中での“被り”はある程度意図的だったとみるべきだろう。とはいえ、次の創作に入ったら前のことはキッパリ忘れるのもまたクリエイターなので、しばらく気づいていなかった可能性も捨て切れないのだが。

『誰にも言わない』に関しては、20年前の、そこから更に半年余り後にリリースされた『Can You Keep A Secret?』へのアンサーソングということになる訳だが、故に我々は今この『Addicted To You』から『FINAL DISTANCE』までの『Distance』時代に思いを馳せる事が多くなっている。折しも、もう二年前のリリースになるのだけれど、前作アルバム『初恋』がそのタイトルからして1stアルバム『First Love』のタイトルを踏まえてのものだった為、どうしても流れとして「20年ひとサイクル」みたいな感覚を覚えるようになっている。

何れもヒカルの発言を辿ると結局はそこまで意図していなかったというか、「まいっか」で済ませているだけのようにも思えるが、ヒカルと違って(笑)、過去の曲を日々聴き返す身からすれば、時間の流れが螺旋を描いている感覚を楽しめているというのは、別にそれが目的でやってきた訳じゃないのだけど「長くついてきてよかったなぁ」と素直に思う。過去と現在を螺旋の上下で接続してここからの未来を夢見ていられるだなんてこれまた贅沢極まりない。ヒカル本人にはその気は無かったかもしれないが、あれだけ多彩な才能と生活に困らない資産を持っている人が長く同じこと(音楽)をやり続けてくれているのは、感謝の極みしかないのでございますよ、えぇ。

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さてヒカルの歌詞におけるジェンダー論に戻ろうと思ったら、以下の記事が視界に入ってきた。

「ビョークの「女ことば」への翻訳の違和感と、男尊女卑の歴史を持つ日本語を巧みに使い分ける宇多田ヒカル」
https://wezz-y.com/archives/34462

要は、翻訳の時に「〜だわ」「〜なのよ」みたいな語尾をつけて女性性を出すにあたっての留意点みたいな話なのだが、そういう視点から見た時もヒカルの言葉に対する感覚は注目に値するらしい。


ヒカルも「女性性」を意識して歌詞に盛り込む事がある。例えば『Stay Gold』は

『大好きだから ずっと
 なんにも心配いらないわ』

という歌詞で始まる。冒頭で語り部の女性性を強調してくる為、以降の中性的な言い回しの多くが女性的なニュアンスとして回収されていく。

他方、『Beautiful World』では

『僕の世界消えるまで会えぬなら』

という風に、語り手が恐らく少年であろうことを強く示唆する歌詞も出てきたりする。(勿論個人的には僕っ娘を推したいがそれはまた別の機会でいいですね)

これらのように、ヒカルは歌詞の中でも自在に性別……というか「男性性」や「女性性」を使い分けていく。そんな中でもいちばん外せないのが当時自ら「最高傑作かも」と大いなる自信を吐露したあの歌だ。そう、『ぼくはくま』である。


『ぼく』と言うからには歌い手は男の子なのだろう(再び僕っ娘は却下)。ヒカルの現実での寄り添い相手である『Kuma Chang』が男の子なのだから自然なことなのだが(彼と戯れている時に生まれた歌だしね)、彼、皆さんもご存知の通りゲイなのである。ここがフラットなんだよね。感性が。

Kuma Changの性的志向は後付けなのでは?という疑問も当然あるだろうが、ヒカルの場合、それが過去の発言と整合する事はお見通し済みなのだと思われる。つまり、いつそれを言っていたとしても、後から過去の発言を振り返った時彼はやっぱりゲイなのだ。そして、『ぼくはくま』の歌詞もまた同性愛者の物語なのである、と言い切っていいのである。

勿論ここでは所謂「オネエことば」のような表現は無い。だが、ゲイの男の子が

『けんかはやだよ』

とか

『ライバルは海老フライだよ』

とか歌っていると思うと、何故だろう、これが偏見というやつなのだろうね、とてもいじらしさや愛おしさが増すように思う。それもあってヒカルはKuma Changのカムアウトを助けたのだとしたら、これほど「男性性」や「性的志向」を玄妙に活用した歌もないかもわからない。今訊いたら違うかもしれないが、やはり当時最高傑作と胸を張っただけのことはある。それくらい未来を掴み取ってこれないとヒカルの歌は務まらないのだ。そこを踏まえた上でジェンダー論を展開出来たらいいな、なんて思っていますよっと。かなり難しいのは承知の上だけども。

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3ヶ月に渡った地上波テレビドラマ「美食探偵 明智五郎」の放送が終了した。まずは感染症禍の中、最後までちゃんと制作して放送し完結させた関係者の皆様に労い申し上げたい。お疲れ様でした。

結果、全9回で最終回は30分拡大版というフォーマットと相成った。当初予定していたシリーズ構成を一から組み直してそこまでの流れと繋ぎ合わせるのは大変だったろうな。体裁を整えるだけでも精一杯だったかと。

そんな中、宇多田ヒカルが主題歌として提供したニューシングル曲『Time』はエンディング・テーマとして毎週存在感を増していき、昨夜の最終回ではスタッフロールに合わせてイントロから2番終わりまでシームレスで流された。いやはや、着うた全盛時ならここで一挙にダウンロード数が大変なことになっていたんじゃなかろうか。それくらい印象に残る使われ方でしたよ。

しかも昨夜は、インストゥルメンタル・バージョンである「Time [Yuta Bandoh Rework]」が90分枠の劇中のうち3度も流されるという大盤振舞。都合『Time』が4度流れるという結果となりました。関係者の皆さん、どうもありがとうありがとう。

ただ、こちらが事前に予想した「今まで1度も流されなかった『Time』の後半、『逃したチャンスが私に〜』の部分が流れてきてハッピーエンド」というパターンは実現しなかった。予想を外してしまいました。実際のドラマは悲恋と不穏の余韻を残して幕を引くというコンセプトで演出されていたので、その終局であれば確かに歌詞や曲調としてはそぐわなかったわな。こちらとしては明智と苺の平穏な日常が訪れて出会いの頃からの回想VTRが流れながら『出会った頃の二人に教えてあげたくなるくらいあの頃の私たち魅力的魅力的』と流れてきたらバッチリハマるだろうなぁと妄想していただけに少々残念。コメディ・タッチも強い作風だったから無難なハッピーエンドでもよかったと思うんだけど制作陣としてはホラーというかサスペンス・ドラマとしての方向性を選んだってことね。

そもそも、原作がそこまで重いタッチでもないのである。殺人を扱っている時点でそれはどうなのという気もしなくもないのだが、少女漫画の中でも軽妙な類に入る筆致なので、実写に起こした時はどうしても戯画的・喜劇的になる。そこらへんは結構ドラマ制作陣が野心的だったのかもわからない。


ともあれ、こうやって無事にドラマがワンクールで完結し(ラストカットは続編作りたい気満々だったけどね✩)、『Time』も存分にフィーチャしてくれたお陰で順調にアクセスが伸び、もう少しで10万ダウンロードに届く雰囲気だ。視聴率からしたらなかなか健闘しているのかなと思うんだけどまぁそこはよくわからない。こちらとしては3ヶ月間楽しませて貰ってどうもありがとうという気持ちに尽きる。もし続編が決定したらその時はまた宜しくお願い致しますm(_ _)m

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『COLORS』を3年半越しで『ULTRA BLUE』に、『桜流し』を約4年越しで『Fantome』に収録したヒカルだから『Face My Fears』はほぼ確実に次のアルバムに収録されるだろう。『Face My Fears』、『Time』、そして『誰にも言わない』か……既に物凄く分厚い布陣だな。

で、その『Face My Fears』だが、果たしてあのミックスのままでアルバム収録されるのだろうか?という疑問が私にはある。例の“干渉”の話もそうなんだけど、Skrillexのサウンドがアルバム全体で浮きやしないかという懸念を感じたのだ。単体で聴く分には何ら問題ないのだけどね。

今までのアルバムに関してはそこまで極端な「アルバム・バージョン」が収録された事は結構少ない。『First Love』で『Automatic』が“Album Edit”に、『B&C』が“Album Version”になっている他は、クレジットのない『Wait & See ~リスク~』で笑い声が消えてるとかそういう気づかない程度の改変に留めている。単純に、過去に完成させた楽曲に手を入れれる程スケジュールに余裕があった事がない為だと思われる。(と私が勝手に思っている)

いちばん大きく変化させてアルバム収録した曲といえば『はやとちり』か。『HAYATOCHI-REMIX』としてかなり違う曲に生まれ変わった。これを『DISTANCE』と『FINAL DISTANCE』のような関係と捉えるか、『Flavor Of Life』のオリジナルとバラードのような関係と捉えるか、人によって見解が多様になる所だと思うが、執筆者個人は、『Face My Fears』については『HAYATOCHI-REMIX』から『はやとちり』を生むような変化をもってアルバムに収録する可能性があるんじゃないかと踏んでいる。つまり、平たく言えば、賑々しく人工的なサウンドから落ち着いたオーガニックなサウンドにしてアルバムに馴染ませるのではないかなと。

とはいうものの、『Time』と『誰にも言わない』の振り幅を考えると、アルバム全体が『Face My Fears』がそのままで馴染めてしまう作風に落ち着く可能性もあるんだよな……。まぁ、まだ3曲では何もわからないわね。ヒカルもまだまだ見えていないだろう。取り敢えずそういう視点も持ちつつ楽しみにしているということでひとつ。

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20年前の今日はボヘサマシークレットライブだったのね〜。あたしはその頃全く関係なかったが、当時のわちゃわちゃを思い出して朝からしみじみしてしまった。この日のライブの模様はそのまま『For You』のミュージック・ビデオに使われている。一方、『タイム・リミット』の方もシークレット・ライブ・バージョンのミュージック・ビデオが存在していて、しかしあれはCS限定、音楽専門チャンネルでのみ放送されたんだったな。あれ持ってる人は貴重よねぇ。どっかでソフト化してくんないかな。20周年てことで。サックリiTunes Storeで売っちゃってくれればいいのに…。

という感じでこの夏は宇多田家初の全国ライブコンサートツアー『Bohemian Summer 2000』20周年にあたる訳だけど、まさか全世界的にライブコンサートに関してこんな状況が起こるとは20年前には思ってもみなくて。度々感染症の話題は出ていたが、「無症候時に感染力最大になるウィルス」なんて、SFでも滅多に取り上げられてなかったんでないか?? お陰で密着度最高ともいえるライブハウスでのギグは現在全世界的に取り止め中で。とほほ。

つまり、20年経った今また20年前のようなライブハウスでのシークレット・コンサートが開催される望みはほぼ絶たれてしまっているという訳だ。それを考えると、10年前にライブハウス・ツアーしといてよかったよねぇ(『In The Fresh 2010』のことね)。あれを「もっと人気の落ち着いた老後の楽しみ」として後にとっておいたら実現していなかったかもしれない。やりたいと思った時にやっとくの、大事。

とはいえ、現実問題として、10年20年経った今も宇多田ヒカルの名前でツアーをすればアリーナ・クラスが必要になってるので、今後も「人気が落ち着いて」なんて局面は一切やってこないかもしれん。ファンとしては嬉しいやら寂しいやら。

先日、ヒカルがCubic U時代にカバーした『Close To You』の作曲者であるバート・バカラックが92歳にして新曲を発表していたが、自分で作れる人は何歳になってもまだまだ続いていける。78歳になったポール・マッカートニーもますます元気だしな。……あの人は流石に異常か。20世紀の偉人だし。

ヒカルさんも創作活動はまだまだ長く続いていくのだろうが、コンサートとなるとそれよりは期間が短くて、で現況では機会も限られてくる。次からのツアーは、まぁ今までもそうだったんだが、これまで以上に一回々々を大切にしていかないといけないわ。なので出来ればライブ全音源を配信販売して欲しいのだけど、いやこればっかりはなかなか実現しませんわね。シークレット・ライブの映像もそうだけど、出し惜しみしてる場合じゃないんよね……嗚呼、商売ってな本当に難しいもんですな。

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今朝の地震では大怪我を負った方がいらしたそうな。被害は皆無か軽微かなどと軽々に書いてしまい申し訳ない。心よりお見舞い申し上げます。

余談だけど、現在地震の震度は弱い順に「0,1,2,3,4,5弱,5強, 6弱,6強,7」と定められていて、震度5や震度6は存在しない。昔はあったけど1996年の改定で消滅したのでした。豆知識。


で、話を戻そうか。


そうなのだ、もうひとつの世界線では明後日「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が公開になる予定で、何だったらきっと新宿バルト9で明後日午前零時から最速上映が始まっていて、それと同時にインターネットでは宇多田ヒカルによる同作の主題歌が公開されていた筈なのだ。少なくとも、その予定で進んでいた。(かどうかはわからないがその可能性もあった、と言うべきか)

一体、本来はどういうスケジュールだったのだろうか。5月8日に『Time』を発表し、5月29日に『誰にも言わない』をリリースした上で更に明後日に新曲を出していたのだろうか。そんな事になっていたら身がもたなかったな。もっとも、そちらの世界線ではきっとインスタライブは無かっただろうから、そこの所は割り引いて考えないといけないのだけどそれにしても、だよ。2ヶ月足らずの間に超強力な新曲3連発とか明らかにこの日記を殺しに来てるよね。ホント、本当の所はどうだったのだろう。いつかインタビューで訊いてみたい。或いはまたインスタライブがあったらそこでパイセンに質問したいわね。

前も少し触れたかと思うが、ライブ感を重視する庵野総監督の事だから、感染症禍という、酷い言い方をすれば“美味しい”出来事があってそれを作品に反映させない筈がない。或いは逆に、以前から既に作品にパンデミック的なアイデアが盛り込まれていて、それは余りにあんまりなんでそこを取り除かなくてはならなくなっているかもしれない。そんな推測をさせる彼の作風からしたら、ヒカルが主題歌を書き直したり歌い直したりした可能性もあるかもねという話だった。

万が一そんな事になっているとするならば、その「幻の主題歌」と「実際の主題歌」の両A面シングルなんていう空前絶後なリリースまで妄想してしまいそうになるのですが、でもきっと、ヒカルの事だから、状況が動けば動くほどより作品に相応しくなるようなマジカルな曲を書いている気がするので、私は今のところ「書き直しなどはせず、出来上がった主題歌がそのまま使われるだろう」という予想を立てている。一応オフィシャルにはエヴァンゲリオンシリーズ最終作品になるのだし、ヒカルの気合いの入れ方も、半端ではなかっただろう。寧ろ、聴いた庵野総監督に発破をかけるような強烈な楽曲が出来上がっているのではないか。何しろ、アナタ、『Beautiful World』と『桜流し』の次にくる曲なのですよ? とんでもないものに決まってるじゃないですか……。

緒方恵美のTwitterによれば収録はあらかた終わっているようだし、もうそんなに変えてくる事はないのかもしれないけれど、いやはやまだまだわからない。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」のように公開日が決定するまで、油断せずあらゆる可能性を警戒しながら心待ちにしていたいと思います。

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早朝から地震で目が覚めてもうた。被害は皆無或いは軽微なのかな? 阪神大震災が同じく早朝だったので、早い時間帯の揺れはそれだけで緊張しますわ。


そしてやっと「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」劇場版の日取りが確定したとの報が。9月18日からか〜。いやはや、当初の予定より半年延期で公開なら御時世を考えれば御の字かな。傑作は保証されているので後は無事に観るだけ。まずその日まで生きねばなのだわさ。

先日、6月19日に発売になったPS4用ゲーム「The Last Of Us Part 2」の動画をYouTubeで観たのだが、PS3時代の前作から更にグラフィックがパワーアップしていて、最早昨今のゲームCGは実写を加工処理したものと変わりがなく、このままだとヴァーチャル・キャラクターが手塚治虫的スターシステムで役者として彼方此方のゲームに出演して活躍するのが普通になりそうな。多分、今Vtuberと呼ばれてる人達(?)も同じく役者デビューしていくんじゃないですかねぇ。最早お芝居は実在も非実在も無関係になるのか。舞台上でもAR的なアバターが実在する役者と共演したりね。演出家にとっては新たなアイデアの源泉になりそうで、それは結構楽しみかもね。

一方その「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の方はといえば、確かに抜群に作画は精緻なのだが、例えば新海誠が実写ベースの美意識で大ブレイクしているのに較べると、もっとアニメーションの伝統といいますか、アニメならではの表現手法を突き詰める方向で進化しているように見える。実写っぽさより、アニメーションの言葉で叙情表現を織り成して物語を紡ぐ独特の方法論。その現段階での究極がこの京アニの最新作という訳だ。アニメーションの可能性を探訪し続ける宮崎駿ともアニメーションの限界に挑戦し続ける庵野秀明ともまた違う、そういったメジャー資本とは別の文脈の文化の結晶。やっと映画館で観れるとなると感慨深いですよ。


で今名を出した庵野秀明が目下取り組んでいる最新作「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の主題歌を担当しているのが宇多田ヒカルで……という話は来週以降のつもりだったんだが「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」劇場版のニュースが嬉しくてついつい今日書いてしまった。次回どの話をするかさっぱり自分でも見えていないぜ。ありゃりゃのりゃ。

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宇多田ヒカルの歌詞のジェンダー論を語るにあたって外せない曲は幾つかあるが、いちばん有名なのはやはり『Prisoner Of Love』だろう。性同一性障害を扱ったテレビドラマ「ラストフレンズ」の主題歌として広く知られている。歌もドラマも大ヒットだった。

とはいえ、ここで先に扱うべきなのはまず『ともだち』の方か。『Time』の歌詞は『カレシにも』から始まり『友よ』の呼び掛けと共に終わるのだ。『ともだち』という語に込められた思いを少しばかり振り返ってみたい。

『ともだち』の歌詞は非常にわかりやすい。友達の関係から恋人の関係に発展したいのだけれどそれが躊躇われる、という話だ。なんだったら『恥ずかしい妄想や見果てぬ夢は持って行けばいい 墓場に』と歌っているのだからそれを諦めた歌なのだとも言える。『ともだち』でいることは、恋人になるのを諦めるという意味だ。

これを『Time』に適用すると、『友よ』の呼び掛けがあるのだからここでの主人公もまた『ともだち』と同じように恋人であることを諦めたのだと解釈できる。実際、それで歌詞の意味は通る。

だが、ヒカルには、上記のように『Prisoner Of Love』がある。ここでは非常に堅い2人の絆がこれでもかと歌われていてそれはもう特別な関係である事を窺わせている。最後には『My baby, say you love me.』だもの。愛していると言ってくれ。これはもう恋人関係確定だよね──と思いきや、中盤にしっかり『あなただけを友と呼ぶ』の一節が歌われている。ここで混乱するのですよ。

ここらへんは、普段のヒカルの言動を追っていないと整合性を取りにくい。例えば『WINGS』は夫婦喧嘩を発端とした歌詞だという話だがここでは何度も『あなただけが私の親友』と歌われている。ヒカルさんにとっては、恋人はおろか結婚した旦那でさえも親友としての役割を持っていると認識しているのだ。ここを踏まえないとよくわからなくなるんだな。

従って、『Time』の『友よ』もまた、そのような言葉の使い方を考慮に入れなければならない。『カレシ』が一方に居てもう一方に『友よ』と呼びかける“恋人”が居ても、少なくとも宇多田ヒカル・ワールドの中では、不自然ではないのである。確かに『ともだち』ではそこのところを明確に分ける話をしていたが、歌詞ワールド全体としてみればそこには留まらない。柔軟な受け取り方が必要だ。カタチだけの関係としての『カレシ』と、友であり恋人でもある『あなた』と、その両方と関わりがあるという風に捉えられると知る所がまず出発点になるだろうね。

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『カレシ』という単語について。まず『Time』という楽曲の冒頭から現れるという“超高待遇”なんだよね。歌詞を聞き取り始めた人間なら必ず記憶に残るポジション。

そして、カタカナによる表記。これについては、取り扱いが難しい。ヒカルにとって“作品”なのは音声トラックの方であって画面などに表示される視覚的な文字の羅列の方ではない。ではない、のだが、一方でその歌詞の表記にもこだわりをもってきていたのも事実。『光』のシングル盤などは(その時点で)初めての漢字表記のシングル表題曲ということもありブックレットが縦書きだったり(その所為でブックレットが逆開きになってプラケースにしまう時に失敗しがちでしたねぇ)、『ULTRA BLUE』ではフォントを散りばめて余韻を演出したり……って、こういうの、ダウンロード世代やストリーミング世代は全然知らないおそれがあるんだな……お金に余裕のある人は昔のCDを(中古盤でもいいから……とか言うのは印税入らないからよくないのだけども)買ってみるのもいいかもね。閑話休題。兎に角、音源をメインの作品としているヒカルさんにも歌詞表記のこだわりがあるのだ。

彼氏の事をカタカナで『カレシ』としているのは、大方の推測通り「社会的に決められた役割に過ぎない」ポジションに対する感情を込めた書き方なのだろう。キツく言えば揶揄とか皮肉とかになるわな。『日曜の朝』でも冒頭から『彼氏だとか彼女だとか呼び合わない方が僕は好きだ』と告げるヒカルさんだから、その、世間の圧力でクリスマスまでに相手を見つけないといけないからみたいな理由で出来上がる関係に対して余り興味が無いのだろう。そのものずばり『クリスマスまで待たせないで』と『Can't Wait Til Christmas』でも歌っているしね。

ただ、これは、歌を聴いてるだけの人には関係ない。ラジオから流れてくるのを聴く人、ストリーミングのレコメンドで知った人などは、大体において歌詞の文字列なんて目にしない訳で、そこは伝わらなくてもよいと思っている節がある。もっと言えば、敢えて歌詞をチェックしようとするような熱心な人に伝わればいいと考えているのかもしれない。ここらへん、例えば『Easy Breezy』がリスナーからの注目度の軽重によって聞こえてくる歌詞のストーリーのレイヤーを違えてくれるように作られていた事なんかを思い出せば、ヒカルがこういった手法について手練手管だというのは納得のいくところだろう。

そういった皮肉を利かせた表記の示す含意を伴って『Time』の冒頭の『カレシ』は歌われている。そこを踏まえた上でまた次回。話が全く進んでいない(汗)。

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『今夜のことは誰にも言わない』ような関係というと、私などは真っ先に「それぞれ夫や彼氏が居るにも関わらず逢い引きしている百合」を想像してしまうのだが勿論この歌は大変残念ながら『Boy you know what I need』とハッキリ歌っているので少なくとも片方は男性なのである。無念。

(……毎度こんなことばかり言っている執筆者だが、Kindleの漫画ライブラリをみると恋愛モノについては百合より男女のが圧倒的に多い。別にヘテロは嫌いじゃないのだった。面白い作品なら性別は問わない……筈、なんだけど、薔薇やBLが皆無なのはなんでなのやら。意図的に避けてる訳では無いのだけどなぁ。)

どうしてこうもハッキリ性別を特定するような歌詞の書き方をしたのか。まぁ、そもそも、ヒカルは『俺の彼女』に代表されるように「男と女」という枠組み自体をテーマにする事もままあった。デビュー・アルバムの『B&C』だって実在の男女カップル“ボニー&クライド”の事だし、『Beautiful World』でも『Beautiful Boys』について歌っている。「男女の恋愛であること」を明確にする事を厭う事は無いのだ。


とはいえ、『ヒカルパイセンに聞け!2』ではこんな問答もあったな。

── いとさんの質問:パイセンにとっての gender って何ですか?

『俺にとっては、存在しないものかな。
自分の体が女であることにずっと違和感を感じながらここまで来たけど、この回答を考えてて、男の体だったとしても同じくらい違和感感じるんだろうなって思ったぜ。』


ここに至ってジェンダー(主に社会的な性・性別・性差を指す言葉、らしいぞ)を「無い」と言い切ったのだ。勿論、ヒカルにとっては、なのだけど。ことヒトに関して言えば私などは生物学的性も幻想(ただの概念)だと言って憚らないのだが、そこまで極端でないとしても、ヒカルも少し近い考え方をしていると考えてよさそうだ。

そんな中で敢えて、『Time』では『カレシ』、『誰にも言わない』では『boy』という、性別を確定させる単語を使ってきた事に当初は驚きと戸惑いを禁じ得なかったのだが(後者は百合解釈を封じられて落胆したのが大きいんだけどね)、発売から数週間が経過したのでここらで少し落ち着いてこれらの用法を再検討してみようかなと思った次第。と言っても、まだ何も考えてないんだけどね。(笑)今は次の予定も見当たらないし、このテーマもまたゆっくり取り組んで参りましょう。

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1日遅れで「美食探偵 明智五郎」第8話を観ましたよっと。自分が読んだコミックス第6巻までにはない要素が増えているのでテレビドラマオリジナル展開ってことでいいのかな。特に終盤の造りが雑だったけれど、感染症禍の中の制作では同情を禁じ得ないわ。時間の無い中で制約に雁字搦めにされながら収録と演出と編集をしたんだからねぇ。もっと辛口を言ってもいいとこだけど、まぁ、今まできっちり時間をかけて編集してきたんだなということが再確認出来たと言っておきましょうか。オンエアに漕ぎ着けた事自体が喝采ものなのです。


一方で『Time』に目を向けると、エンディングに向かってインスト・バージョンからオリジナル・バージョンに連続させて掛けてもらえる椀飯振る舞いぶり。美味しい所を鱈腹持っていかせてもらってました。美食なだけに。

いやはや、こんな手を使ってきてくれるとはね。連続演奏ですか。その発想はなかったわ。このアイデアには拍手です。最終回に向けて、特に効果的だったと思います。これで当初の想定通り(?)、次回の最後の最後で『返らない 返らない』の次の歌詞が流れる期待が高まりましたよっと。


今回のインスト・バージョンは「美食探偵 明智五郎」のサントラに収録されているバージョンで、ダウンロード販売もストリーミング配信もあるので一度聴いてみると宜しいかと。あたしの世代の言葉で言えば「ミニマル風アレンジ」ってヤツで(サティ〜ケージ〜ライヒ〜久石譲みたいな路線ね)、坂東さんは一通り学んでいるのだろうけど、彼自身は何を源泉にこういうアレンジを思いついたんだろうねぇ。博識そう。イントロでアナログ時計のクリック音を使ってるからややレトロを狙ったのだろうかな。

ああやってリズムを変えてくれると、元々の『Time』のメロディのニュアンスでリズムに依拠してる部分が何処なのかがわかりやすく呈示されるから面白い。当然、翻って、リズムに依拠しないメロディ独特の風味も浮き彫りになるから、他者にリアレンジして貰うのは楽しいぜ。

どうせなら、配信シングル限定とはいえ、ヒカルの『Time』とカップリングでリリースすればよかったのにねぇ。或いは、スプリット・シングルってやつか。共同名義の。最近のシングルは昔楽しませてもらってたリミックス・バージョンやカラオケ・バージョンがないのが不満と言えば不満なのだが、公式からこのようなリリースがあるのは大歓迎。だがこうやってサントラの片隅に収録されるだけではなかなか注目を浴びれない。“レコード会社が別”という大きな難関もあるにはあるんだけど、そこらへん柔軟に対応した方がお互いの為になるんじゃないですかね。色々と「そうも言っていられない状況」になっていくんだろうし音楽業界も。いや特に意味深じゃなく、売れるものは売りましょうよってだけなんだけどね。ご検討を宜しくお願いしたい所でございます。

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前から度々触れている「『誰にも言わない』の歌詞に含まれたメッセージがどれくらい理解されているのか」問題、ほんと捉えるのが難しい。

ヒカルの発言をずっと追ってきてる身からすれば、歌詞から窺えるのはどれもお馴染みな思想・哲学ばかり。

『過去から学ぶより君に近づきたい』などはすぐに『いつか結ばれるより今夜一時間会いたい』とか『先読みのし過ぎなんて意味の無い事は止めて今日はおいしい物を食べようよ』とか似た傾向の歌詞が思い浮かぶし、『I won't blame anyone else(誰のせいにもしない)』というのも、「どんなことを言われても自分のせい/責任なのがいい」とことある事に言ってきたのを思い浮かべる。『誰かのせいにすりゃそれはまたそれで
つらいだろう?』なんて歌詞もあったしな。

『感じたくないことも感じなきゃ 何も感じられなくなるから』などは最近とみに口にしているように思う。『パイセンに聞け!2』では『他者からの賞賛を信じるなら、他者からの酷評も信じなきゃいけないし、必ずその両方がセットで来るからな。』という名言を吐いているし、同じ事を又吉対談でも言っていた。その為、ここの歌詞は特に親しげに話しかけられているように感じたものだ。

『一人で生きるより 永久に傷つきたい そう思うのはただのワガママ』あたりは少し新しいかな。歌詞で『傷』といえば『傷つきやすいまま大人になったっていいじゃないか』と『傷つけさせてよ治してみせるよ』とがあった訳だが(他にもあるけどね)、『永久に傷つきたい』はそれらのハイブリッドだと言える。自分が傷つくことを歌った『タイム・リミット』、相手を傷つけることを歌った『For You』、そして相手に傷つけてもらう事を歌ったのが『誰にも言わない』だ。こればっかりは相手にお願いしないと成り立たないので『ただのワガママ』と歌っているのがなんとも潔いというか、「誰のせいにもしない」と言うだけの事はあるなと感服する一節だわね。


……なんていう風に、過去の歌詞や発言が頭に入っている人ほど初めて聴いた時から馴染み易い、馴染み深い歌詞が並んでいる『誰にも言わない』なのだけど、そうでない、あまりヒカルの言葉に親しんでいない人にはどんな響き方をしているのだろう?というのが気になっている訳だ。しかし、この歌が大好きという人は大抵ある程度長い間ファンをやってる人が多くて、なかなかそういう声が届いてこないんだよね。出来れば、この歌を聴いて初めて宇多田ヒカルに興味を持ちましたという人が見つかればいいんだが、あー探すの面倒臭い。取り敢えず歌詞サイトだけは辿っておくかな……。もうちょっと売れて母数が確保出来れば巡り会える確率も上がったのだろうけど、例えばダウンロード数とか『Time』の3分の1くらいだもんなー。やれやれ。

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虚無の6月を皆様如何お過ごしでしょうか。5月が勢い塗れだったのて反動期間の真っ最中かな。そろそろ慣れてきた人、逆に禁断症状が酷くなった人等々色々だろうがそれでも日々は進んでいくのでした。

で今朝は数少ない地上波での露出であるドラマ「美食探偵 明智五郎」での『Time』の挿入歌っぷりについて語ろうかなと思ってたんだが昨夜の第8回を寝過して見逃したという為体でございまして。とほほのほ。来週の最終回第9回は30分拡大版でいつもより30分早い22時ちょうどのスタートということでこれは気をつけねばなりますまい。見逃した第8回もGYAO!他配信サイトでタダでチェックできるので最終回に向けてきっちり観ておかないとね。

しかし、様々な事情がごっちゃになっているとはいえ最終回で30分多く貰えるだなんて恵まれてる? ほんとは第10回も欲しかったのを30分短縮されただけ? まぁものはとりようか。コミックスで読める分のエピソードはあらかた消費してしまっているし、TVドラマオリジナルシーンの割合も増えているしで独自の展開を見せてくれるでしょう。

漫画の実写化ということで軽く見られるのは仕方がないにせよ、ドラマ自体は第1話から一貫して丁寧な作り込みになっているので、無茶な高望みをしなければ非常に楽しめる作品だとは思う。プライムタイムにれいぞう子さんは世論がどうかとは思ったけれど、まぁ気にすることでもないのかな。あたしゃわからん。原作通りだしね。ヒカルさんも読んだ上でOK出してるんだろうし。という幾許かの不安要素も無きにしも非ずだったのだが、タイアップ相手としては当たりの部類に入るんじゃないでしょうか。6月下旬で終了という尺自体は当初の予定通りなんだろうし。あーつまり、7月以降またヒカルの音源の露出が減るんだねぇ。やれやれ。

その間ヒカルさんは自宅に籠って例の設備でせっせと子育てと曲育てを行ってくれているのだからじっくり待ってればいい話。ただ、つくづく、ストーリーズでないIGTV動画を24時間(とちょっと)でわざわざ消したのかというのは未だに解せない。IGTV動画のサービスが改変されたのがごく最近だというし、別に第3回以降だけでもよかったのにと思わなくもない訳だ。が、まぁ足並みを揃えるというか、元々そのつもりで配信する予定だったのなら仕方がないか。アーカイブとしてずっと残すという予定なら内容変わってただろうしな。そこはそれでいいのかも。

だが、『20代はイケイケ!』の『少年時代』のように、一部だけ切り出して残しておくのはいいんじゃないのかなーとは思う。まるまる一曲『誰にも言わない』を弾き語りしてるんだし。それもヒカルの意向次第だけどね。のこすとなったら出来不出来がどうしても気になるというのもあるし。あたしが毎度言ってるように宇多田ヒカルというアーティストにとって重要なのはレピュテーション・ポイントなのだ。公表するしないの場合に収益ではなく評判を鑑みるのが長期的な視野というものなので、そこらへんを考えた上での判断なら尊重したい。

諸々あるけど、流石に、次の情報までは暫く間が空くだろう。それまでどうやって過ごすか、のんびり考えていきましょうぞ。なおこの日記はのんびり考えて過ごすつもりです。つまり、いつも通りだね。

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二人視点解釈だと『If I turn back time, will you be mine?』がうまく解釈できない、という話だったわね。

結論から言ってしまうと、恐らく、それについては「それでいい」或いは「仕方ない」というのが正解なのかなと思う。元々一人視点解釈と二人視点解釈のどちらともとれる歌詞を書いている時点で驚異的なのだ。更に、前に触れた通りこれを「宇多田ヒカルからファンへのメッセージ」と読むこともかなり可能なのである。三つのある程度合理的な解釈を許す歌詞を意図して書いているとすれば、なんというか、眩暈がしてくるというか、果てしな過ぎるだろ宇多田ヒカル、って気分になるよね。

少なくとも、一人視点と二人視点のどちらともとれる歌詞を書いたのは意図的だと思わせる節がある。その証拠という訳では無いが、以下の一連の節回しが私は最初っから引っ掛かっていたのだ。


『いつも、近すぎて言えなかった、好きだと』
『だけど抱きしめて言いたかった、好きだと』
『ずっと聞きたくて聞けなかった、気持ちを』


この三つ。言いたいのに言えない気持ちを切なく歌い上げている。そう解釈するのが一人視点だ。だが、これを“過去形”だと捉えたら、どうなるか? 言えなかった、聞けなかったのが過去の話でしかないとしたら?

『いつも、近すぎて言えなかった、好きだと』
─── でも、今やっと言えた
『だけど抱きしめて言いたかった、好きだと』
─── だけど、今漸く言えた
『ずっと聞きたくて聞けなかった、気持ちを』
─── でも、今やっと聞けた


そういう意味で過去形を使っているのだとしたら? そう、こちらの解釈だと二人視点の話になるのだ。

この“過去形”の解釈の差異により、この曲は後半時間軸が分岐する、とも言える。つまり、どちらも“if”の話なのだ。もし告白しなかったら、と、もし告白していたら、の二分岐である。その場合、

『友よ 失ってから気づくのはやめよう
 時を戻す呪文を君にあげよう』

の一節の解釈も分裂する。一人視点の場合は、「友情を失ってから後悔しても遅い」、即ち、友情を大切にして告白しなかった友情を“実際は失ってはいない”ケースであり、『時を戻す呪文を君にあげよう』は“明け渡す”感覚に近い。心の中で捧げる感じだ。

一方、二人視点の場合は、「ただの友達関係を実際に失って恋人関係に発展した」、即ち、実際に失った後の述懐であり、『時を戻す呪文を君にあげよう』とは、実際に呪文を告げる場面となるだろう。

こうなってくるとやはり、『時を戻す呪文』とは『好きだ』の一言に他ならなくなるわね。友達関係とか恋人とかの枠組みに囚われる前の、ひたすら自分の感情にだけ忠実だった頃のあの感覚、出会った頃の気持ちを思い出させる、ただただ相手のことを『好きだ』と思えた感覚を一瞬にして思い出させる、そんな魔法のような言葉がいちばんシンプルな『好きだ』という言葉だった、と、まーこれが妥当な解釈かな。皆さんは如何だろうか。


なお、冒頭で触れた『If I turn back time, will you be mine?』の一節に関してだが、このフレーズ、右チャンネルからしか流れてこない。つまり、二人視点を強調するダブル・ヴォーカルの後に片方だけの歌声で歌っているのだから「もうひとつのif」、一人称視点で告白できなかった未来の呟きを描いていると考える事が出来ると思われる。歌詞は、文字にした時には含まれない情報も加味して解釈してもいい筈よ。もっと言えば、楽曲の終盤は二つのifが交錯しているともとれるのだ。途轍もないよねこの『Time』って楽曲は。



勿論、ここ数回語った内容はこの日記の執筆者の妄想、或いはよくて推測でしかない。歌詞の解釈に正解なんて無いし、寧ろ作詞者としては誤読されようがそれが新しい局面を切り開いているなら大歓迎なのだと思う。誤解を恐れて口をつぐまれるより、間違っていてもいいからこの曲について語って欲しい、というのが作詞者の願いではないだろうか。でないと歌詞サイト設置なんてしないよね。

他方、我々としては、ヒカルが歌詞を書いた時に「実際に意図したところ」も知りたい訳だ。だがこれについてはインタビューで実際に語ってもらって確かめるしかない。『Time』もきっと次のアルバムに収録されるだろうから、そのアルバムが発売される時のインタビューに期待したいところなのです。いつになるやら、ですけどね。

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