無意識日記
宇多田光 word:i_
 



メロディーは嘘を吐かない。ただ在るのみ。

メロディーで人を騙すのは本当に難しい。無理だ。勿論、着信音を間違って鳴らす、とか緊急地震速報の音だけを流す、とかで人を騙す事は幾らでも出来る。しかし、それは嘘を吐くのに利用されただけで、メロディー自体が嘘なのではない。ドレミ自体が歪むのはドップラー効果のみだ。それはただひたすらに、宇宙の真理なだけである。

#i_uta タグはそうやって生まれた。twitterをみると嘘か本当かわからない事ばかりが書いてあるので、私は真実を書こうと。誰にとっても真実たりえるのは、ただ今目の前に鳴るメロディー自体位なものだろう。ただそれだけの事だ。まぁもっとも、5年以上前は他の人が使ってたし、自分が初めて使ったのも2年前だったりするけど、Twitterに疲れている自分が居たので復活させた。いい歌はいいものだ。ただひたすらにいい。

「この歌がいい」と呟けば「こんな歌のどこがいいの」とネガティヴな事を言う人思う人が必ずと言っていい程出てくる。ので、一言「ここがいい」と付け加える事にした。そこを聴いても何とも思わないのであれば残念でしたまたいつか、という事だ。なお最後の「なお」はドラム王国のドルトンさんの「そうだな、あとは」のパクリです。追加情報ですね。

ただ、「いい歌」タグという割には、歌詞のないインスト曲もあったりする。でもいいでしょう、それも歌の一部。だから、メロディーのない詞だけのもの即ち詩も取り上げたいのだが今んとこまだひとつもツイートしていない。言葉に嘘がないと言い切るのは大変難しい。言葉の本質が嘘なのだから当然なのだが、果たして詩としてただそこに真実を描けるものがあるのやら。多少嘘を含んでいても#i_uta タグでは取り上げるけれども。


唐突にこんな話をしているのは他でもない、ヒカルがVOGUEのインタビューで音楽を「安心で安全な場所」と言っていたからだ。私の言い方で言えば、インストってパラダイスなんですよ。そこに嘘が混じる心配がないから。ドレミは誰が聴いても聴覚が正確にフーリエ変換してくれる限りドレミだから。鳴らして聞こえたまんまが本当の姿。これを楽園と言わずして何という。

しかし、そこに言葉という嘘を載せる事で風景はいきなり変わる。私がいつも言う「歌は塗(まみ)れている」とはこの事だ。本当なのか嘘なのか、騙すつもりなのか伝えるつもりなのか、永遠にその疑いはなくならない。旋律の楽園に政治や宗教や暴力や破戒が次々と押し寄せる。楽園追放ってまさに言葉の事なんだなと知恵の実を齧りながら思いたい。齧ってないんだな。

だからいい。そう言い切る為にも#i_uta タグはある。なるほど人は不幸になる筈だ。そう納得する。人を騙して得た幸福もまた嘘なのだから。そうやって人は死んでゆく。しかし言葉の無い場所に人は生きる事が出来ない。自分の存在に気づけない。メロディーは真実なので同化できる。言葉はいつまでもバラバラなままだし、「これが一生か、一生がこれか」のように、ほんの少しの違いが大きな違いを生む。断絶的に。現実は2を通らないと1から3には行けないが、言葉はいつでもどこにでも行ける。だって嘘なんだもの。

時々、ヒカルのインタビューを思い出そうとして、どこまでがヒカルの言った言葉でどこまでが自分の思った言葉なのかわからなくなる。違和感のある事を言って欲しい。それが他者だから。でないと飲み込まれそうだ。そしてメロディーは心に生まれる。歌詞は心に傷をつける。破壊と再生を繰り返しながら歌は世を生きる。総ての仮初の生命は渡り合い励まし合い傷つけ合って生きていくのだ。

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嗚呼、そうこうしてるうちに2017年の上半期が終わるのか。もうこの歳になったら「早いねぇ」すら生温い。ただ時の経過が順番に記録されているだけという感覚。時間が流れなくなってしまった。老いを感じるとは感じなくなる事なんだなとつくづく思い知らされる。

上半期って何があったっけ。『Ray Of Hope EP』がiTSUSAで2位になり(「何時さ?」などとくれぐれも訊かないように)、『忘却』のビデオが公開、THE BACK HORNとコラボレーション、人魚を採用したエルミタージュ美術館展が始まり、SONYに移籍して第一弾シングルと第二弾シングルのリリースが発表になった、という感じか。キングダムハーツ3のトレイラーは発表になったがまだUtadaの5文字は見られない、しかし既定路線だろうというのが大方の(?)予想。ふむ。表立ってはなかったが、毎月話題を提供してくれていた感。

で最後にオフィシャルホームページがリニューアルされテレビCMや雑誌にも登場、いよいよリアルタイムでご尊顔を拝めるターンに入ったという訳か。リニューアル時のアートワークはそこまで評判は呼ばなかったが「VOGUE」でのアピアランスは大好評、うちのタイムラインでも続々ロック画面の変更が報告された。かたや「サントリー天然水」のCMメイキングでは『#頭上注意』タグでファンを萌え殺しにかかる。残虐至極極悪非道な所行といえるだろう。34歳一児の母、ルックス爆裂中である。

そして来月末には「ロッキング・オン・ジャパン」に登場。新曲『Forevermore』のリリースと同時期、ここから一気に加速するのだろうか。今からヒヤヒヤものであるが、一児の母はそう簡単には倒れやしないだろう。希望的観測も込めて。

さて足元をみようか。すぐに誕生日ラッシュである。親友、母、父、プロデューサーさん、…ってさんづけだとアニメファンが読んだら違う風にとらえるな…。今はLINEでひとスタンプ送れば十分かな。制作の真っ最中であるなら忘れていても文句は言われないだろう。でも、今はある程度余裕がある方がいい作品を作れる気がする。それが『抜』であり『楽』であろう。力を入れる場所は、結局楽譜とマイクでしかないのだから、それ以外に力が入っていてもいなくても直接的には関係がないのである。

ふむ。説教臭くなった。そんなつもりはなかったのだが。ここらへんで翻っとくか。とまれ、下半期は加速する。それを確認した上半期であったとさ。

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そうですよ、音楽なのです。

最初聴きながら「軽やかで心が浮き立つようでいて軽薄にならず、どこか品のあるフレーズだな。こういうのはベテランブリティッシュ・ポップ&ロックに違いない」なんて軽く考えていたのだ。VOGUE公式チャンネルにアップされている動画だからオサレな洋楽に違いない」という先入観があったのかもしれない。「お、今のコードの使い方なんて『Easy Breezy』みたいだな、もしかしたらMIKAの曲かな」とかなんとか。そう、ここに至ってもまだ気付いていなかったのであれ。「ほほーっ、ここで悲壮感を纏うストリングスを入れてくるか。リズムは快活なままなのに何とも知的な構成だな。」とか呑気に考えていた。動画が1分過ぎたあとに漸く、「…って、ぉおい! これ『大空で抱きしめて』のインストやんけ!」と自分にツッコミを入れる事が出来た。60秒以上にわたるノリツッコミである。M1グランプリの決勝でかまして当てたら伝説と呼ばれる位の尺だ。

ほんと、人の思い込みとは激しいものだ。先入観があると何が何でもそれを軸に解釈してしまう。物語とは語られるものではない。人の心の中に既に在る何かを暴くものなのだ。

冷静になってもう一度聴き直してみると、「冒頭からしてあの『HEART STATION』と同じキーボードの音色…っ!』とすぐなるんだからもう。思い込み怖いアゲイン。ヒカルの動画なんだからヒカルの曲が流れるという余りにも単純な真理を最初から視界にも入れていない。やれやれである。老いて頭が固くなってきたかな。

しかし、お陰でわかった事がある。今のヒカルの作るトラックが伝統的なブリティッシュポップ&ロック風味である事と、知らずに聴いてもやっぱりクォリティーが高いと断じざるを得ない、という事だ。ベテランブリティッシュポップ&ロック、といった時に思い浮かべてたのは相変わらずトニー・マンスフィールドだったのだが、それくらいのおじいちゃんが作りそうな、洗練されていて、無駄がなく、焦点が定まっていつつ、奥行きと知性があり、更にシンプルなサウンド。いやはや、もう年齢とかいいな。ポップでありながらノーブルな風格を感じる。Popsの皮を被ったアートとでも言うべきだろうか。

しかし、こうやって聴くと『大空で抱きしめて』って私が思ってたのよりずっと軽快でPopな曲調なんだな。『Easy Breezy』を思い出すとか。そして英国風。ヒカルは最近、VOGUEのインタビューで語っている通り日本語にご執心な訳だが、サウンドはどんどん英国化している。作詞が東洋になってる分作曲が西洋化しているのかもしれない。そうやってバランスをとっている可能性がある。


あぁ、そうそう。前にVOGUEのインタビューアの方を「最もこのテーマ(「言葉」「日本語」)に相応しい人物」と書いた理由を注釈していなかった。同誌で聞き手を務めたのは新谷洋子さん。そう、『EXODUS』の日本語対訳をした方なのです。Utada Hikaruの日本語と英語を知り尽くした、は些か誇張かな、誰よりもよく知る人物、と言った方が的確か。カメラマンだけでなく、インタビューアとの相性もグレイトだった。正直購入前は同誌に全然期待していなかった私です。どうもすいませんでした。次回の御登場を心よりお待ち申し上げておりますデス、はいm(_ _)m

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昨日はVOGUEの写真を見ていいな、と思ったがあとでそのVOGUEでの撮影を収めたメイキング動画を観て更に「おぉ」となった。なんだこれ。めっちゃいい。

冒頭で黒スカートが透けて御御足が垣間見える時点で惹き付けられるが、その後もまぁバリエーション豊かにヒカルさんの様々な表情を捉えてくださる。凛々しい表情、リラックスした表情、物憂げな表情。笑顔もアングルがいい。写真の撮影をしたカメラマンもかなりのものだが、動画の撮影をしたカメラマンと編集の中の人もぐっちょぶと言わざるを得ない。1分余りの短い動画だが、1秒あたり2枚ずつキャプチャして写真集作っちゃったらいいんじゃないのというレベル。すぐさま買うのは言うまでもなく、何冊買うかが議題に登るだろう。

宇多田ヒカルさんほど写真ごとに印象の変わる人も珍しい。それだけヒカルに抱く印象が撮影者の人それぞれなのだろうが、ファンからしたら「こう見えている」のが日常になってしまっている為ついつい「なんでわからないの?」と撮影者に苛立ちを持ってしまっている。「そーじゃないでしょーが彼女の魅力は」と。何か根本的な立ち位置からして異なっている。

単純に、ヒカルの事が好きかどうか、だろう。梶さんによるとVOGUEの撮影カメラマンはミュージシャンでもあるらしく、なるほど、そこでのリスペクトが影響しているというのは大いにあるだろう。ヒカルさんが誰なのか、何者なのかというところまで踏み込まないといい写真は撮れない。ルックスで売れた人間ではないので、そこのところが肝心だ。

あらためて雑誌上の写真を振り返ってみると。買って真っ先にヒカルさんの6ページを読んだので、そこだけの印象では「女性向けファッション雑誌というのは随分エレガントなんだな」という風だったのだが、冷静に他のページを捲ってみると如何にも普通の「雑誌」という印象だった。ヒカルさんとこだけ異質に上品であった。

動画をみても、黒・赤・白の三色を基準に非常に洗練された感性で時間が切り取られている事がわかる。私は服飾の事は全くわからないが、コンセプトを自覚し、美意識を節度をもって披瀝するバランス感覚には唸らざるを得ない。要は何が撮りたいか自分でよくわかっていて、それを撮れるだけの技術が備わっているという話。

勿論被写体としてのヒカルの集中力も大したものだ。いつもは思わないが、今回ばかりは「本職のモデルさんか」と驚いた。本職の方々には大変失礼かもしれないが。

本音を言えば、オフィシャルの新しいアー写の数々を今回のVOGUEのセッションのものに差し替えて欲しい位に気に入った。壁紙ダウンロードも桁が変わるんでないか。いやまぁ私が気に入ったからといって皆さんがそう思うとは限らないが、元々のヒカル好きならそう感じてるんじゃないか。悪いなと思いつつも今回のVOGUEのYouTube動画は瞬速で保存させてうただきました。どうもごちそうさまでした。

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VOGUEの写真がよくて、やっぱり被写体に責任なかったよねと納得中。素材は抜群(そりゃ私の中では宇宙一ですし)なんだから余計なエゴなんか捨ててそのまま撮りゃあ何とかなるのだ。VOGUEが「何もしていない」訳ではないのだが、そう言いたくなる「スマートさとストレートさ」は大事なのですよ。たまには写真に駄目出ししてもいいんじゃないかなぁ。なんか、勿体無い。

と、外見は毎度千変万化だが、内面の方はというと驚くほど変わっていない、というか幼い頃若い頃に受けた影響が大変大きく、そこからは変わりようがないのだな、とあらためて思わされるVOGUEのインタビューである。新曲の事も訊きたいがこういう話はもっと聞きたい。

本好きにとって装丁の手触りや新刊を初めて開いた時の薫りなど「書籍フェチあるある」には事欠かない訳だが、時々思う。本は読まないけど、本の手触りや匂いが好きって人は居るのだろうか居るとしたらどのくらいなのだろうか。というのも、当たり前なのだが、本に触れないと書籍フェチは発動しないのだからそもそも判定できる機会がないよね。これを疑問にしたいのは、ヒカルの「好き嫌い」が相変わらずエピソード記憶由来だらけの中でこの書籍フェティシズムはルーツにあたるものなのではないかとな。目の前の本屋さんで得られる圧倒的な本との触れ合い。それを通じて想像力が爆裂してしまい総ての好き嫌いがエピソード記憶と…と私の妄想も過ぎる。

自分はあっさり電子書籍な人間なのでそういった匂いや手触り、帯やカバーの管理に栞の選定や籠絡(なんだそれは)に拘る事はなくなってしまった。しかし、純粋な情報だからこそ「本」という物質体を持つ事が「本」の本質だ。「本」質、本の質(ほんのたち)なのである。のほほん。

勿論半導体上のオンオフだって情報の物質化だが、再生メディアではない為、今のところ「本」にかなわない。てぶらでふらっと駅の売店で文庫本を読んでもその場で楽しめるのが強み。もっとも最近は、手の中にスマートフォンがない方が稀(私は稀)なのでその強みも優位性にはならないのだが、原理的には変わらない。本は単独で残ればまた読まれる。即ち独力で"生き続けれる"のだ。半導体メモリだって再生機器とセットならいいんだけどね。なんかそれはまた別の話になりそうだ。

なんだか話がまた逸れた。なんだろう、新曲のインタビューを聞くよりこういう話の方が色々と余計に語りたくなる。まだVOGUEで話してた事の二、三行程にしか触れていないのに。来月のロキノンのインタビューはここまで私を饒舌にしてくれるや否や。わからないけれど、これで逆に新曲が益々楽しみになったわ。

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電子書籍版売ってるんだね。知らなかったよ。という訳で買って読んでみた。以下読んでない方はご注意。

字ぃちっちゃ!
普通にフィジカルの雑誌買った方がよかったかな。

さて疑問だったのは、SONY移籍第1弾インタビューがなぜ女性ファッション誌なのかという話だったのだが、なるほど、インタビュー内容が移籍とか復帰とかに無関係だったのね。これならいつ掲載しても構わない。ミュージシャンとしての、というか今というタイミングを捉えた内容のインタビューは来月の「ロッキング・オン・ジャパン」を待ってね、という感じか。

こちらは多少「SONY移籍第1弾」という事で身構えていたのに、なんだかぬるっと始まってしまった。新番組なのに「あれ?この番組って前からやってるの?」と聞きたくなるああいう感じ。自然体が魅力とは言われ続けてきたけどまさに「ほどがあるだろ」だよ。

インタビューは茶飲み話、というか「サロンでの会話」と言えば通じるか。ややアカデミックな雑談というか。インタビュー相手がそういう話題に最も相応しい人だというのもあるだろうが、リラックスして思う所を語ってくれた感じ。テーマは「言葉」。

ざっくばらん、というには少々知的だが、新情報の波に押されて疲弊している我々にとって、時間の流れとは別のところでこうやって語ってくれたインタビューは一時のオアシスとなる。そこまで計算して掲載時期を選んでいたとしたら凄いんだけど、まぁ単なる偶然なのだろうな。ありがとう。

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うーん、このままだとドラマ「ごめん、愛してる」をドラマとしては観ないテンションになってしまいそうだ。いや、特に理由はないんだけど。

それでも観続けなければならない、と使命感に駆られてしまうのは、いつなんどき番組中で『Forevermore』のインスト・バージョンが流れ出すかわからないからだ。これは聴きたい。「花より男子2」で一度だけ『Flavor Of Life Original Version』が流れたと後から聞き「観ときゃよかった」と後悔したので以来「ラスト・フレンズ」だろうが「イノセント・ラブ」だろうが一通り観るようにしてる。まぁどれもそれなりに楽しめたのでよかったけど。

今回は面白いのだろうか。全く期待していない。勘ですらない。1時間ドラマを観るのが億劫なだけだ。最近30分のアニメ1話を観るのも躊躇う位なもので。「とと姉ちゃん」は一回15分だったからよかった。主題歌が全体の6%をしめるのだ。あとの14分をついでに楽しむのは吝かではない。これが54分となるとかなり辛い。日曜劇場の場合主題歌ってオープニングテーマなのエンディングテーマなの。それすら知らない。

観てみたら掘り出し物だった、という展開に一縷の望みを繋ぎたいところだが、そう都合よくいきますやら。つまんないドラマを観て日記を愚痴だらけにするのはごめんだ。ごめん、ごめん愛してる。そんな気分。うちで表立ってディスるのは3DVR企画だけで十分である。間に合ってます。

ネガティブな事ばかり言っていても始まらない。兎に角、観てみます。もし月曜日の日記でドラマについて何も触れてなかったら、是非お察しうただきたく。


勿論、主題歌への期待とは別である。今のところ聴いた人の評判は上々のようだ。宇多田らしい王道のラヴバラード、といった曲調らしい。『First Love』『SAKURAドロップス』『Flavor Of Life』『Prisoner Of Your Love』『花束を君に』の系譜に連なる楽曲となるだろうか。だとしたら目安は配信ミリオン超えですよね。…大きく出たな俺。

個人的には、ヒカルの日本語曲のラヴバラードの最高峰は『Prisoner Of Love Quiet Version』で揺るぎないのだが、だとしたら人前で聴けねーな。それとは真反対の、ポップソングとしてのラヴバラードには『Can't Wait 'Til Christmas』が大好きで、一年中聴いている。そういや昔この曲で岡崎体育の「Natural Lips」みたいな事やったな。今度うちのルカに歌わせてみるのもいーなー。

いかん、脱線してるな。なお英語バラードのいちばんのお気に入りは『About Me』である。バラードってよりフォークソングかもしれないがいつ聴いてもキュンとする。なんか人生やり直したくなるほどに。

『Forevermore』がこういった過去の私の大変お気に入りな楽曲群にすんなりと溶け込んで仲間になる事を私は信じて疑っていない。ドラマは触媒に過ぎない。ドラマのテーマを飛び越えて普遍性を歌っていてくれる事だろう。一刻も早く聴きたいのが本音だが折角なのでもう1日我慢してみる事にした。無駄に頑張る私です。

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『Forevermore』を聴くのを1日我慢してみた。それに意味があるかはわからないが、ちょい登場が唐突なので戸惑っているのだ。『大空で抱きしめて』の方はきっちり3日前に「予告編」がリリースされたので気持ちも前向きになったが、朝4時にニュースが出て「新曲です。今日から番宣スポット流れます」と言われても、こちらは心の準備が出来ていない。

最初の「移籍第一弾シングル」の報の時点で、7月にリリースされる新曲は1曲だけではない事がほのめかされていた。なので発表自体には驚きはないけれど、このタイミングでかよ、というのはある。

梶さんは計算の立つ男。感覚で生きるミュージシャンたちの中にあって、きっちり理知的に事を進められる。計算機にも強い。彼が今回こういう流れを作った理由を考えてみるか。

きくと、担当するTBSドラマは昔のドラマのリメイクらしい。基本的に、調べればストーリーはすぐにバレるって事なのか。今でもそうかどうかはわからないが、テレビの一番の改編期は4月、次に10月、7月、1月といった具合に重要度が下がっていく。春の番組改編にいちばん気合いが入るという訳だ。勿論どれが高視聴率を記録するかはわかったもんじゃないが、力の入れ具合にムラがあるのは確かだろう。となると、TBS、今回のドラマにそんなに力入れてないんじゃないの? テレビドラマフリークの皆さんなら、キャスティングを一瞥するだけでどれくらいの期待度の作品かはわかるんじゃないか。

勿論事前の期待度と実際の内容、更に評価に人気、視聴率は関係がない。アニメだけど「けものフレンズ」みたいな稀有な例もある。侮ってはいけない。

しかし現時点で。現時点では「局の総力を結集して」という雰囲気ではなさそうだ。日曜劇場という時点でかなりの箔だとは思うけど。

勿論、ドラマへの期待度と主題歌の出来なんて乖離もいいところ。無関係、と言って差し支えない。そちらはそちらで評価すべきだろう。だが、結論として、そこまでの注目作でもないんじゃないかという気がする。

ヒカルのドラマ主題歌といえばやはり「HERO」の『Can You Keep A Secret?』だ。2001年々間第1位のこの曲の売上は、ドラマによるところがかなり大きかった。なにしろ全12話(だっけ?)総てが視聴率30%超えなのだ。今なら有り得ないよね。毎週4000万人位の人がこのドラマと、ヒカルによるエンディングテーマ曲に接していた事になる。そりゃ売れる。勿論曲のクォリティーが高い事が前提だが。

ならば、今回ドラマが期待されてない枠ならば、もし『Forevermore』が売れれば「楽曲の力だ」と堂々と胸を張っていい。いや表立って言わなくてもそうだよね、と。そういう意味では、ドラマとのタイアップは、番組の視聴率が上がっても下がっても主題歌に影響をあんまり及ぼさない、とも言える。素直に、タイアップで世に紹介してくれてありがとう、となる。あとは楽曲の力次第だ。既に『Forevermore』を聴いた皆さんの感触は如何様なものでしょうか。好印象を祈ります。

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『Forevermore』、か。最初に連想したのは「Nevermore」だった。ヒカルと同じ誕生日のエドガー・アラン・ポーによる「The Raven」に出てくる一節…というよりは、『Kremlin Dusk』の歌詞と言った方が直接的か。

「Forevermore」は普通の「Forever」や「Eternally」とどう違うのか。先にコメント欄で赤い手さんが書いてた通り、『Eternally』と同じく「ずっと永遠に」という意味の副詞な訳だが、こうやって「more」がつくと、個人的な印象に過ぎないかもしれないが、「ここから永遠に」というイメージになる気がしている。通常の「Eternally」が過去にも未来にも伸びる直線ならば、「Forevermore」は半直線といったところか。

多分、「Forever」も元々そういう意味(「For Ever」だからね、「あらゆる時を目指して」だ)だったのだろうが、「Eternal」や「Permanent」と変わらなくなってしまった為「evermore」や「Forevermore」になってあらためて強調されたのでは、と妄想している。いずれにせよ古語同士の話だから検証は難しいかも、しれないが。

兎に角、正否や正誤は兎も角、自分の中に湧いたイメージはそれである。つまり、本当に永久性や永遠性を求めるというよりは、もう今後これ以上変わらりようがないんじゃないの、という最終地点、或いは揺るぎない強さみたいなものがそこに描かれているんじゃないかと、まぁそう夢想する訳だ。まだ聴いてないからね私。

果たして、どうなるか。何しろヒカルのラブソングといえば最近は「あとのことはいいから"今"が欲しい」みたいな刹那主義が主流だった…って昔からか。『Eternally』ですら、『いつまでもそばにはいられない この瞬間だけをずっと永遠に』だからね、まぁ想いの強さを表す"強調の形容"として「永遠」が使われてる感が強い。

TBSのドラマの主題歌という事で、もう勝手に曲調をラブ・バラードと決めつけているのだが、さて聴いた皆さんはどうでしたか。先程触れたように私はまだだし、はてもうちょっとちゃんとした体裁の音源が出るまで待ってもいいとも思ってみたり、悩ましいところ。まぁ、少し考えてみますね。暫しの間は、歪な妄想にまみれてみたいなぁ。

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梶さん月曜朝4時からお疲れさまですっ。身分的に「ホワイトカラーエクゼンプション枠」って事で時間外労働って概念がないのよね。四六時中お仕事に打ち込めますよぐふふ、と。くれぐれも過労で倒れませんように。いや担当アーティストが倒れないかの方が心配ですってか。ごもっとも。もっとも、レコード会社の中の人が倒れてもニュースにしてくんないだろうからこちらは知る由もありませんのやけどね。


『大空で抱きしめて』に引き続き立て続けに新曲発表! タイトル『Forevermore』は7月28日から配信開始! 今日から銀座ソニーストアで聴けるらしいけど19時にしまっちゃうんで私的には間に合いませんな。テレビのドラマCMで流れる事を期待しますか。

そう、今回はドラマの主題歌なのだ『Forevermore』。TBS日曜21時の日曜劇場枠で。「ごめん、愛してる」。宇多田ヒカルの楽曲がドラマの主題歌として起用されたのは2016年の「とと姉ちゃん」の『花束を君に』以来15ヶ月ぶり、民放ドラマとしては2008年の「イノセント・ラブ」の『Eternally Drama Mix』以来約9年ぶり、TBSドラマとしては2002年の「First Love」の『Sakuraドロップス』以来約15年ぶりとなる。

ん?と一瞬思ったが、そうなのだ、2007年のTBSドラマ「花より男子2」の"主題歌"は嵐の「Love so sweet」で、ヒカルの『Flavor Of Life Ballad Version』は挿入歌扱いだった。売上が極端だった為目立っただけだ(同年の世界ダウンロード第2位)。なので、TBSドラマでの楽曲起用となると約10年ぶりとなる。

となれば。TBSドラマでの起用曲を並べてみると。


1999年『First Love』於「魔女の条件」
2002年『SAKURAドロップス』於「First Love」
2007年『Flavor Of Life Ballad Version」於「花より男子2」
2016年『Forevermore』於「ごめん、愛してる」


という並びが完成する事になる。前3曲は宇多田ヒカルを代表する国民的バラードの大ヒット曲となった。ならば『Forevermore』も同様にラブ・バラードである確率が高い。頭文字が大文字の『F』であるのも狙ってやっているだろう。他の曲とは異なり、この曲に関しては大ヒットが期待されている。なかなかに外せない。どれほどヒカルに自信があるのか、まもなくリリースされる新しいインタビューで触れてくれていると嬉しいのだが。楽しみに待つ事にしましょうか。

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昨年、一連の『Fantome』からの楽曲が発表される度にオフィシャルでそれぞれの歌詞にアクセス出来るようになっていたのは画期的だった。英断だったな。自前とはいえ著作物を利用した以上、使用料を払ってくれている可能性がある。我々がタダでアクセスできる代わりにプロモーションの一環として自腹を切ってくれていたのかもしれない。

でもどうせなら、前も書いた事だけど、配信シングルにデジタルブックレットをつける訳にはいかないの?という疑問とお願いが立つ。少々割高になってもいい、というかデジタルブックレットありとなしの二種類リリースしてくれりゃいいだけな気がするんだが、消費者のニーズよりチャートアクションの方が重要なのだろうか。そんな訳ないな。何らかの理由があるのだろう。

iTunes Storeで買い物をしていると、一口にデジタルブックレットと言ってもピンからキリまである事に気づかされる。中には、実際にCDを買ってフィジカルのブックレットを眺めるよりずっと美麗なものもある。12cmサイズよりパソコンの画面の方がデカいのだからやる気になればそりゃあそうなるわな。一方で、そのフィジカルブックレットを見開きにしてスキャンした画像をpdfファイルにまとめただけでデジタルブックレットを名乗る不届きものもいる。そりゃあないよりマシだけどさ、あんたらブックレットの元データ持ってるんじゃないの!?と言いたくなってくる。

いずれにせよ、作詞作曲編曲演奏のクレジットやレコーディングデイト&プレイスがわかるのは有り難い。シングル配信でもそうやってデジタルブックレットをつけてくれりゃあ何かと便利だ。コストがかかるなら値上げすればいい…と気軽に言えないのがAppleにプラットフォームを独占されている弱みでもあるが。きっと勝手に値段決められないんだよね。

価格の硬直性といえばそりゃあ音楽ソフトは書籍を上回る厳格さだ。書籍は再販制度に守られて値引き等は出来ない仕組みになっているとはいえ、薄い本(いや同人誌の事じゃないですからね(笑))はお安く、分厚い本はお高くなっている。曲の配信も3分の曲は150円、7分の曲なら250円、という風にすればいいのに、しない。せいぜい、ミニアルバム、フルアルバム、2枚組、という程度の区別があるだけだ。これは配信プラットフォーム云々を言うずっと以前からそうだ。

話が逸れた。あたしゃシングル配信でもデジタルブックレットが欲しいと思っただけだ。昨年のようにしてくれてもよいが、変な話、金払った方が手に入れた歌詞の価値をより感じられるような気がするのだ。

とはいえ、作詞家からすれば、歌われてなんぼの歌詞という作品を字に書いて表示したものって一体何なのという気分も出てくるかもしれない。映画の脚本だけを書籍として販売したら似たような感覚になるかもね。何か違う、と。

しかし、リスナーからすれば、当たり前の話だが、目で見る事で見えてくるものもあるのだ。字の間隔を揃えれば美しい音韻が手にとるようにわかる。全部を一度に見渡す事で、ああこの歌の歌詞には一度もカタカナ外来語が出てこないんだな、とかもすぐわかる。歌詞を視覚化するのは有用なのだ。

こんな話アナログレコード世代やCD世代にとっては当たり前の事でしかない。しかし、「CDを買わなくなった」という人が少なからず居る以上、こういった"昔の常識"も忘れ去られている可能性がある。そういや最近、歌なんかYouTubeで聴く位で、歌詞をじっくり読むとかしてなかったな、と。もっとも、歌詞検索サイトは充実しているので昔に較べて遥かに歌詞をチェックする機会が増えた人もまた多いだろうかな。

いずれにせよ、パソコンやタブレット、スマートフォンで配信音源にアクセスする人にとってデジタルブックレットは便利でしかない。SONYの中の人の皆々様に於かれましては、是非導入を御一考うただきたい所存です。

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朝からMUSIC STATION出演時の『For You』を見て時間の感覚を失っているところ。当時17歳。着飾っていて大人びているようで、円らな瞳はまるで幼子。年齢不詳全開だな。歌詞も感性は十代でも技巧は老獪というこれまた判断に困る代物。この時の出演はよく覚えている。

髪型としてファンの人気が高いのはこの頃だろうか。頭の形のよさ(ご両親の努力の結晶)が強調されるショートヘアの方が黒髪ロングよりやや支持が多い印象。長い短いだけじゃないけど、今回の『大空で抱きしめて』のジャケットでの髪型は好評なのだろうか。どうだろう。

真横顔のジャケットといえば今までなら『Flavor Of Life』が…って待て待て。配信シングルなのに"ジャケット"って何だ。ただの画像アイコンじゃないのか。あれか、おっさんがアナログレコードからCDに変わった時に対応し切れなくてシングルのカップリング曲の事をB面呼ばわりするヤツか。元々上着とか覆いとかいう意味だろ。明らかに着せてない…まぁ、昨年の『花束を君に』&『真夏の通り雨』のフォント攻撃よりはいいか。

現実として、小さなアイコンとして表示されるものなので、遠目にみてもそれとわかる画像がいい。一目見て「宇多田ヒカルの横顔だ」とわかって貰えれば万々歳。まぁ、大丈夫だろう。

その上(なぜかここでCDをイメージして)ジャケットが円形だったら注目を集めてたんだけどな。そうはいかなかったか。(未来にこの日の日記を読んでいる私に向けて註:最近ツイッターのアイコン画像がスクエア型から円形になったので皆色々と遊んでいるところ)

この時のヒカルは何を見ているんだろうと無駄に左を向いても何もない。せめて同じもねを見たい、と口に出すのは烏滸がましいか。

インパクトのある写真ではない。しかし、全体を通低するコンセプトの中にしっかりハマっているから、好感度は非常に高い。ビジュアル的なイメージから曲が発展したと言うだけはある。だから、できればフィジカルも欲しいんだけどそいつは無理な相談かな。『桜流し』も、イラストの方をフィジカルでリリースしてくれれば、今回のジャケットと並べて飾ったのに。まぁパソコン内でアイコン並べて楽しむとしますかね。

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昨年に引き続き「サントリー天然水」の源泉地を登山しているヒカルさん。トリビアの泉なみの豪華な「実際にやってみた」だが、なんでまたそこまでするのだろう。

人間活動を経て以前よりアクティブにアウトドア活動をしているようにみえる。熊の鼓動、ちゃう(笑)、熊野古道を闊歩して捻挫したり、何より拾ってみたシリーズはアウトドアでないと成り立たない。街角の散歩をアウトドアと呼ぶべきかは微妙だが、「外に出る」という点においては一時期よりずっと積極的だ。

別にヒカルが陰キャだった訳ではなく、単に有名になりすぎて出掛けるのが人より億劫だっただけだとは思うが理由の詮索や「実際のところ」への妄想は控えよう。

そういった活動的な側面を知らしめた上で、だから山登りもそんなに違和感はない。私のような人間は『Show Me Love (Not A Dream)』を思い出してニヤニヤするというどこまでいっても陰キャでインドアな感性しかないけれど、ヒカルファンは一般ピープルの皆さんが大多数だからね、登山が好きな人も多かろうて。

しかし、自分は、ヒカルが「ここまでする」というのにはちゃんと理由があるとみている。ヒカルが「CMのオファーを受ける基準」である。SONYのMDにしろDoCoMoのFOMAにしろ、CMの仕事を受ける場合ヒカルは「自分の生活に関係があること」にこだわった。1999年当時MDは音楽ファンにとって必携のアイテムだったし、綺麗な音声で音楽を流してくれるFOMAにはヒカルも直接お世話になった。自らの生活を通して有用だと実感できる商品なら、15秒なり30秒なり60秒なり自分の顔を出して人に勧めてもいいだろう、と積極的に割り切れる。まぁ、引く手数多の宇多田ヒカルさまだからCMのオファーを受けるかどうかを吟味できるのだが、その力は親の七光や親族の遺産や名声で得た訳ではなく、ヒカルが自力で勝ち取ったものなのだから何の問題もない。

で。サントリーの天然水のCMを受ける時に、「いや確かに水は飲むけど」となったのではないか。しかし、自分で登山して源泉に触れてしまえばこのエピソードがまるごと自分の人生の一部になり、天然水との関係が分かち難くなる。そこが魅力だったのではないか。もし事前に関わりがないなら、自ら関わりを作ってしまえばいい。CMの仕事に対してもこの17〜18年間、全くと言っていいほどその態度は変わっていない。見た目はころころ変わる癖に、心根は全然変わらない。17〜18年経った今でも、基準が同じなのである。一方、やり方はよりダイナミックになった。「関わりがないなら、やってみちゃえばいいじゃん」…いや、このノリはヒカルが16歳の時そのものではないか…。

でもまぁあクマで私の妄想に過ぎない。ヒカルが単に山登りに興味があっただけかもわからない。ただ、どちらにせよヒカルの精神的な一貫性は保たれているな、誰にも媚びを売ってないなとわかるのは、嬉しい事だ。

…いやそれを言ったらいちばん嬉しかったのは「生配信でヨーグリーナをディスった事件」になるな。…別にいいか(笑)。

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発表から1ヶ月近く配信まで空くのなら「CMサイズVer.」を先行配信してくれりゃいいのに、と勝手なファン(私)は言うのだが、宇多田のパブリックイメージからすれば「阿漕だ」「金儲けに走った」というイメージダウンのダメージの方が大きそうだから商売上はやらなくて正解である。

いやまぁ、こちらとしては「15秒CMバージョン」「30秒CMバージョン」「60秒CMバージョン」の3種類を各250円で売ってもらって一向に構わない。流石に15秒や30秒は短すぎる(試聴時間より短い)ので無理だろうが、90秒バージョンなら「テレビサイズ」としてアニメの主題歌なんかで実際に売られている。こんなの誰が買うんだと思われそうだが結構売れるんですよこれが。「進撃の巨人第1期」の主題歌なんかテレビサイズが大評判で、いざフルコーラスが発表されたら評価が格下げされるという逆転現象まで起こった。もってまわった凝り性展開より即効性の強いフックラインをコンパクトに、というのが現実のニーズだったりするのである。


『大空で抱きしめて』は、そんな微妙な展開にはならないだろう…という希望的観測はどこまで当てはめられるのやら。爆発的なヒットを生むような曲ではないだけに、様々な実験を施すにはいい機会だが、60秒を聴いた限りだとサウンド面ではそこまで冒険していないように思える。歌詞の面はこの限りではないが。

実際、前に述べたように不安はある。フルコーラスを聴くまでに聴き慣れてしまった感覚と、まだ聴いていないパートとのズレ。そういう心理学的なアプローチは為されているのだろうか。実際、私は見てないのでわからないがサントリーはかなりTVCMの本数を打つ筈であり、視聴者は15秒の『大空で抱きしめて』こそ『大空で抱きしめて』だとかなり強く認識した上でフルコーラスの配信を待つ、即ちラジオでかかり始めるのを待つということになる。「あれれ?」とかにならないだろうな…。

岡崎体育の「感情ピクセル」を友達に聞かせたらBメロまではノリノリだったのにサビを聴いた途端にドン引きしてた、みたいなツイートが先日まわってきていたが(あのサビがいいのにねぇ(笑))、あそこまで極端ではなくても楽曲の一部と全部はまるで別の存在である。7月10日までのこの"間隔"すら計画のうちだった、とあとで頭を垂れる展開になるように今から願わずにいられない。なぁに、梶さんならきっとうまくやってくれてる筈だよ。

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60秒の切れ端で何を言っても仕方がないかもしれないが、歌詞で一ヶ所だけ気になっている点がある。自分には「君はまだ怒ってるかな」に聞こえる箇所である。

『Fantome』からの、いや『桜流し』からの、かもしれない、からのクセで、ついついヒカルの歌の相手は死んでいる事にしてしまう。我ながら酷いクセだな。

なので、相手が元気に怒ってるストーリーだと、「へぇ、そうなんだ」とやや頭を切り替える羽目になる。いや嫌な事では全然無いんですが。その次の『意地を張らずにいられなくて』というのも、いじらしい。

多分『WINGS』のように2人が喧嘩していて、仲直りのタイミングをはかっているところなのだろう。本来なら気もそぞろで、2人の関係性は今後どうなるだろうと不安に駆られる場面なのだが、前述のような酷いクセを持つ私は「幸せそうだねぇ」と思ってしまう。喧嘩する相手が居る、相手が居て喧嘩ができる。お互い生きてるからこそできる。片方がいなくなったら、まったく叶わない事だ。

ただ、『大空で抱きしめて』の場合、「相手は本当に生きているのか?」と疑問に思ってしまう。『いつの日か会えたとしたら』という仮定は一体何なのか、もう二度と会えないのか、それともまだ会う望みがあるのか。どちらとも解釈できるが、ここで『君はまだ怒ってるかな』と言われると何が何だかわからなくなってしまう。

一応、一応である、今の時点では最初の60秒が既に編集されている可能性も考慮に入れておかねばなるまい。つまり、フルコーラスで聴いた時に歌詞がこの順序ではない可能性だ。切り貼り済み、と。流石にヒカルがそんな事は許さないと思うが、テレビの世界、テレビコマーシャルの世界の常識は世間一般の常識からは程遠い。相手へのディスリスペクトに関しては60年の歴史を積み重ねてきているのだ。『ゼンセ』程度で済んだヒカルの力はやはり凄いのである。嗚呼、余計な話をした。ヒカルが編集を手掛けている可能性もあるのにね。そちらのケースではフルコーラスで聴いた時にきっちりアハ体験が出来るように仕込んでおいてくれるだろう。嫌だわテレビに対する態度とヒカルに対する期待の露骨な違い。自分で嫌になる。

両方言える、というのはただ私がまだしっくり来ていない、というだけの事でしかない。ただ、仲直りする為に『WINGS』即ち大空を飛んでいける翼があったなら、という歌詞を書いたヒカルが今回も空を飛ぶ事を勇気とか思い切りの比喩として使っている可能性はあるな、とは思えた。『WINGS』が大好物であるが故についついその続編・改編的な作品を期待してしまっている。いけない、いけない。今日の私はいろんな意味で老害まっしぐらだな。たまには黙っておくべきなのかもしれない。「ここからの解釈は若いモンに任せて…」てなもんでな。


あとはそう、あんまりにも直接的過ぎて憚られるのだが、『大空』が「天国」の比喩だったらどうだろう?という読み方も『大空で抱きしめて』ではアリだろう。それにはもう少し歌詞が必要だが。

そして『雲の中』を勝手に「竜の巣」と解釈して「ラピュタはあの中に」とかやり始めるのはどうか。あれは息子と父親(出てこないけど)の物語だが『大空で抱きしめて』は再び娘と母親のストーリーになっているのか。気になる事だらけだが妄想や過解釈をやりすぎると後戻りできなくなるので今夜はこれ位にしときますわ。

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