無意識日記
宇多田光 word:i_
 



使ってきた事、ソレがBWの特性をよく表している。常に光は"美"の意識を頭の片隅に置いてはいそうだが、そんなにこの言葉を濫用しない。口にした中で最も印象的なのは、FINALDISTANCEを『私が今まで作ったもの中で、(中略)一番美しいものなような気ぃする!』(メッセ010621)と形容した時か。理想すら飛び越えて顕れる大きな何かに触れる感覚をよく知ったればこそ、美という言葉とワールド/世界という広がりがシックリハマる。而して、BWでは美の誘う広がりが目前の少年に集約する奇妙な幾何学が成立する。多分、光も自らの美しさをまだ知り尽くしてはいないんだろうな。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




に起きるよ』の"君"を、鏡に写った自分だとする解釈はどうだろう。苦しいのは否定しないが、"君のくれた歌"を直後の"自分の為だけに歌える歌"と捉えれば歌の孤独の度合いが増す気がする。留守電というアイテムがInterludeで登場するが、アレも自分で聴いている場面だと思うと解釈が違ってくる。光は昔"周囲との境界がない感覚"について語っていたが、他者との関わりを唄っていても自己との対話と同じ形式になる可能性があり、その逆もまた然りという訳だ。微妙な境界の周囲を巡りながら孤独の感情を掘り下げてゆく手腕は、10代の頃から今迄一貫して秀逸だ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )