無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『Face My Fears』の歌詞の中で、純粋に文の意味自体がわからない箇所があって。

『A mile, could you walk in my shoes ? All your, all your life』

ここ。

直訳すると「長い道のりを、あなたは私の靴で歩くのですか? あなたの人生ずっと。」となる。これ、「ひとの褌で相撲を取る」みたいな捉え方でいいんだろうか? “in your shoes”じゃなくて“in my shoes”なのよね。

『フェイス・マイ・フィアーズ』も『Face My Fears』もひたすら「私」の歌であって、『あなた』が強調された『初恋』の楽曲群とは一線を画する。が、この部分にだけ『you』が出てくるのだ。それが不自然というか、聴いていて唐突な感じがして。ドラマの登場人物がいきなり視聴者に語り掛け始めるみたいなさ。(古畑任三郎やね。例が古いね。)

或いは、自問自答なのだろうか? 「お前は自分の足でこの長い道のりを歩くつもりがあるのか?」みたいな。couldはそのまま「できるのか?」という問い掛けなのかな。ちょっとここがわからないので、ちゃんと調べてから『Face My Fears』の歌詞を読み解いてみたいと思っている。勿論、教えてくれる方がいらしたら大歓迎ですよ。私の知らない定型句なのだろうかな。 

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キングダムハーツ3さんの初週売上は61万本。正史においては2には及ばないものの1の1.5倍の売上になる、か。ゲームについてはさっぱりわからないから分析のしようもないけれどこれだけの人々がオープニングで『フェイス・マイ・フィアーズ』を聴いてくれてると思えるだけでワクワクする。是非1人でも多くの人に気に入って欲しい。

いつも通りオーケストラ・バージョンも存在するらしいんだが私ゃまだ聴いてない。サントラ盤の発売タイミングもあるだろうが、時機をみてテレビサイズならぬゲームサイズででも配信してくれないかね。ダウンロード販売開始以降、皆が欲しいと思う瞬間の瞬発力を思い知らされているので(『Flavor Of Life - Ballad Version -』とかね)、なんか勿体ないなぁと思ってしまうのだった。

で我らが主題歌の方は1週早い登場だったので今2週目の数字が出始めているところだが、金曜発売も相俟ってか各ポイントが上昇しているようだ。どのチャートで何位とか最早よくわからないが、フィジカルはいつも通りの下降曲線で累計二万枚弱だがデジタルの方が加速しているらしい。分析は「24ヶ国No.1のニュース性」が原因だろうとしている。そんなとこだろうね。

だから公式で「ビルボードHot100に初登場!」というのを騒ぎ立てるのは正解なのだ。それがどれ位凄い事なのかの共有知識は無い。凄い事なんだと言ってれば「そういうもんなのか」と納得して貰える。要は聴いて貰った時に気に入ってくれればよいのだからキッカケは1つでも多い方がいい。ダメな出来なら難しいけど、いい曲だからね~2曲/2曲とも。

『This Is The One』だって「LOUDNESS以来23年ぶりの高い順位」という快挙だったのだが、日本のチャートの感覚で69位といっても泡沫なので歯牙にも掛からない。そこはもっと騒ぎ立てれば変わっていたのだろうがもう何年前の話だい。10年前ですね。

兎も角、今回は発売日以降のプロモーションが大切だ。ヒカルも企画にのってリツイートなんかしているし(こんなスピードでパロディーアニメ作れるって凄いよね)、そこらへんの意識は共有出来ているようだ。まだまだCDの感覚から抜けられない我々以上の世代のリスナーも、暫しの間このEPに注目しておいていいと思うよ。

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あれ、明日で1月終わりなの? 儂30回も日記書いたっけな。書いたんだろうなきっと。書いてあるもの。(なんだこのオープニング禅問答)


『Face My Fears』のCDのブックレットを開いた時に最初に感じたのは「字ぃ小っさ!」だったが、次に感じたのは「『フェイス・マイ・フィアーズ』歌詞少なっ!『誓い』歌詞多っ!」だった。この2曲のわかりやすい差異である。

単純に考えていいのか不安になりつつも単純に考えてみると掛けた手間の違いがそのまま量に出たのかもしれない。『フェイス・マイ・フィアーズ』はアレンジは複雑だがメロディーの数は少ないし、そのメロディー自体にも捻りが少ない。あっちゃこっちゃに飛び火していく『誓い』のメロディーとは対照的だ。

勿論、だからといってクォリティーに差がある訳でもないのが面白い所。いつだったか『Apple And Cinnamon』は2時間程で作ったと言っていたが、同曲は『This Is The One』屈指の名曲である。時間を掛けていないだけあって例えばBメロの歌詞が単調な繰り返しのみになっていたりもするのだが、それが印象の好悪に影響する事は殆ど無かったのではないか。私が英語ネイティブでないからそう感じるだけかもわからないが。

もっと積極的に、情報量が少ないから聴きやすい、という側面もある。『誓い』は様々な感情が歌われていて勘繰り始めるとキリがないのだけれど『フェイス・マイ・フィアーズ』の歌詞は誤読するのが難しい位だ。あぁ、この人は勇気を出して恐怖と向き合い道なき道を、未知の道を歩むことを選んでるんだなという解釈以外にしようがない。

ここが、なんだろう、最近少なかった「聴いてホッとする」感覚を生んでいるように思う。最近の曲はといえば『真夏の通り雨』のように2つの異なる物語をひとつの詞で表現したり、『大空で抱きしめて』のように凝りに凝りまくった編曲で出だしと終局がまるで違う曲調になっていたりと確かに大いに感動するのだが本気で聞き込もうとすると体力を持って行かれる曲が多かった。

『フェイス・マイ・フィアーズ』はさらりと聴ける。そこがとてもいい。歌詞に重なる意味を繙かなくてもいいしアレンジも独創的だが案外濃厚に展開する訳でもなくあっさり終わる感じ。この、昂揚感だけ煽り立てておいて受け止めない流儀はゲームのオープニングにピッタリかもしれないと思わせる。ゲームやってないからわかんないけど、ただこの歌を聴くだけの人は盛り上がった感情の行き所を見つけにくいかもしれない。まぁその時は濃厚そのものの『誓い』を続けて聴けばいいので、この2曲はセットだと思っておいた方が精神衛生上正しいのかもわからない。

聴きやすいからといって情感が軽い訳でもなく、込められている感情は相変わらずとても強い。Skrillexのサウンドの賜物のような解釈も可能だが、私の耳には、例えば『BLUE』のような生まれたまんまのサウンドでも結構シリアスさをキープ出来る気がしている。その意味で、『残り香』のように、ヒカル単独の編曲による『フェイス・マイ・フィアーズ』も聴いてみたいのだが、現実にそれが聴けるとすれば2回後のツアーとかになるかなー。まだまだ先ですね。辛抱強く、待ちましょう。

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あらまぁ、『Face My Fears』がビルボードHOT100の98位に。ダンスチャートとか細かいのは入った事があったけど、“本陣”は初めてだね。

ま、「Skrillexのコラボシングル」と思えば特に不思議もなく。こういうときの記事でまた『This Is The One』がスルーされるのをみると海外のチャートの話ですら「国内で話題として取り上げたかどうか」が価値基準なんだなと感じる。98位を取り立てて騒げば印象に残って快挙になるし、何も触れなければなかったことになる。そういうことだろう。1位をとってすら、誰も騒がなければ何も起こらない。まぁそれは有り得ないのかもしれないけれど、その意味で日本ではビルボードの順位の価値は然程共有されていないのだろうな。

寧ろそろそろキングダムハーツ3さんのエンディングがYouTubeにアップされる時間帯じゃあないのかな。その再生回数がどうなるかの方が今後の活動に影響を与える気がする。YouTube黎明期にキングダムハーツ2のオープニングとエンディングが何百万回も再生され、特にちゃんと調べた訳ではなかったけれど当時の印象として「宇多田ヒカルの動画でいちばん再生されているのはキングダムハーツ」というのが定説だったような。ヒカルのオフィシャルYouTubeチャンネルが出来る遙か以前の話で、まだまだYouTubeは無法地帯だった頃だ。

今はHOT100も動画再生回数をポイントに加えている筈だけど、流石にキングダムハーツ動画の分は加算されていないだろう。しかし、『Face My Fears』&『Don't Think Twice』にとってはそちらが“本陣”なのだ。ディズニーが動画を放置してくれるかどうかわからないので確信は持てないんだけどね。その影響力の強さは『In The Flesh 2010』で『Passion / Sanctuary』と『Simple And Clean』が演奏されたときの反応を見ればわかるかと思う。日本以上に英米でのファンはキングダムハーツ曲に思い入れがある。そこを構成的に把握出来れば、今後の世界展開の一助になるわね。もし次に日本以外でツアーをするなら、『Passion / Sanctuary』は外せない、ってことだわな。…また新しいセットリストで新しいツアータイトルになるのだろうか。いつになるかわかんないけど。

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『COLORS』のリリースから16年か。20歳の時の曲で今36歳なんだからそらそうだわな。『Laughter in the Dark Tour 2018』でもバッチリ披露されていた。ライブならではの劇的なアレンジも先日のスカパー!の放送で多くの人達に体験して貰えた事だろう。

ライブレポの時もしつこく触れたが、昔の曲が“生き残って”『Fantome』や『初恋』収録曲と居並ぶのは大変だ。『COLORS』の場合は曲本来のよさに加え、その圧倒的な知名度も味方している。

踏み込んで言えば、昔の曲は知名度による聴衆からの歓待をプラスすることでこの場に居続けられているともいえる。やはり愛されているというのは大きい。幾ら伊藤美誠や長崎美優の方が実力的に優れていようと福原愛が出てきた時の歓声には敵わないのだ。偏った例だけど。

そういう意味でも、今後のライブの為には楽曲の出来の良さやパフォーマンスの良さのみならず、沢山の人に曲が愛されていかなければならない。それが充実したライブを形作る。


それを踏まえた上で尚、圧倒的なパフォーマンス・パワーで「ライブの評判」自体を強化していけないか、とも思ってしまう。

『初恋』には圧倒的なヒット曲が欠けていた。いちばんのヒットシングルは『あなた』だったが、そこまで映画が特大ヒットした訳でもなければCMが流れまくった訳でもないので、知名度といっても然程でないような気がする。

他方、撮影O.K.ということで『Laughter in the Dark Tour 2018』の動画は出回りまくっている。マスに訴えた訳ではないのだけれど、これからその“バラ撒かれたライブ動画群”が評判を呼んでいけば面白い。


もっと言ってしまえば、時期が来たらYouTubeで『Laughter in the Dark Tour 2018』一公演まるまるアップしてしまってもいい。どこで稼ぐのか。その目処さえ立てばそれくらいの事をしても採算はとれるのではないか。ぶっちゃけ嵐やらミスチルやらと較べるとヒカルのライブDVD/Blurayの売上なんて大した事ないのである(較べる相手が悪いんだけどねw)。それより、楽曲の知名度を上げること、ライブ・パフォーマンスの強度の一端を知って貰う事を考えれば、それくらい大胆に打って出てもいいように思うのだ。一番極端な方法のひとつだとは思うが、“柔軟に考える”事の大事さを強調する為にここにこうやって書き記しておくことにしよう。

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『フェイス・マイ・フィアーズ』(日本語版とか書くの面倒だから便宜上こう書くことにした。美学には反するが)と『Face My Fears』はタイトルが同じなだけあって歌詞のテーマが非常に近い。『光』と『Simple And Clean』のような逆視点や、『Passion』と『Sanctuary』のファンタジー観の対比などに較べればずっとわかりやすいように思う。

他方、『フェイス・マイ・フィアーズ』と『Face My Fears』は特に『Don't Think Twice』の方と歌詞の対比を為している。『私の地図に載っていない海は遠くない』『Won't be long, won't be long』に対して『It'd take this long' it'd take this long』、『私の知らない私に早く会いたい』に対して『Baby I don't wanna know』という風に。

僕らは『誓い』と『Don't Think Twice』を先に聴いて、次に『フェイス・マイ・フィアーズ』と『Face My Fears』を聴いたが、このたびゲームをし始めた人達にとってはこの順序が逆になっている、筈だ。『フェイス・マイ・フィアーズ』&『Face My Fears』の方がオープニングなんだよね? とすると、宇多田ヒカルの物語を追い掛けてる人とキングダムハーツの物語を追い掛けてる人とで話の順序が逆になる訳で…っていう話をしたいんだけど、そもそも歌詞表記は正確なのか、っていう疑念がある中で歌詞の話をするのは…まぁ、いいか(笑)。てなわけでこの話の続きもそのうち書かなきゃだわね。

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今年もコンスタントだなー。1月中旬にEPが出て下旬にはライブのテレビ放映、3月上旬にもEP(今度はアナログ盤)とライブテレビ放映(今度は舞台裏あり??)がある。それらに合わせたトークイベントなども1月2月に開催されている。このペースなら5月6月あたりにはライブの円盤がリリースされて、もう秋には次のアクションへと入っていくだろう。6年半何してたか思い出せない位充実しているな。

この上アジアツアーとかどこかで挟まれてきたらもう毎年がお祭りじゃんね。こどもってのは成長すればするほど手が掛からなくなっていくものだから(スポーツや音楽の“親子鷹”でもない限りね)、ヒカルもより自由に仕事が出来るようになっていくだろう。

…なのだが、昔と違うのは、最近どうしてるか事細かにメッセで触れなくなったことなんだよね。ツイートでも日々のエピソードを披露してくれるしリプライに至ってはメッセ時代にはほぼ無かった新しいファンサービスだ。今の方がいいとこは一杯ある。

…うん、距離感が変わった気がする。大人になったのもあるのだろうが、、、ちょっとこの感覚は不思議だ。昨日のテレビ放映でもMCが昔と変わっていないと評判だった。どれだけ歌がうまくなろうとも1人の人間としては変わらない。それを確認できるMCだと。そりゃまぁそですわね。でも、そこじゃなくてね…

…違和感とも不満とも違うこの不思議な感覚。ここを探りながら「歌詞の受け手としてどうあればよいか」が見えてくればいいなと思ってる。アプローチ、仕切り直しです。

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昨日はスカパー!で裸婦抱くまるごと放送ということで、観に行けなかった人もこれで初めて観ることが出来てたりして少しはギャップが埋まったかな。あたしゃライブに関してはまた書き始めると他の事が全く書けなくなってしまうので自重しとくけれども。

一方でその放送の直前というタイミングで嵐が来年一杯で活動休止するとの報。花より男子2で大ヒットを分け合った盟友なだけに無縁な相手でもないのだが、私個人はSMAPの時と同様遠い国の話でね。

ファンが狼狽えるのは勿論わかる。ファンクラブ会員230万人と聞いて「単独で産業じゃねーか」と驚いたがツアー規模からすりゃ確かに妥当。ファイナルツアーは更にプラチナ化するのかな。という状況でそれ以外の人も悲嘆にくれるというのはそれだけテレビに出てたってこったろうな。

こちらはデビュー20周年を迎えて更に意気軒昂前途洋々なだけに感情をシェアするのは難しい。だがこちらは8月に言われて12月に終わったんだからそれに較べれば13ヶ月というのは気持ちの整理をつけるのに十分じゃないかと思われる。今狼狽してる人も徐々に落ち着いていくだろう。

でまぁ一大産業国民的アイドルともなると言いづらい人も居るかもしれないので勝手に代わりに言わせてうただくと。彼らが活動休止しようがこちらの生活に何の支障もないのでどうぞご自由にというところか。彼らは独自レーベルだったのかな。一大産業分の需要のうち何割かでも宙に浮くというのであれば他のレーベル、特にジャニーズの後輩達が所属するレコード会社にとっては千載一遇の好機だろう。今から虎視眈々だわな。

ここでうかうかしていたら需要そのものが消滅するかもしれず、そこはもう手腕次第としか言えない。

で問題なのは、宇多田ヒカルのようなかなり路線の異なるアーティストにとってどちらの影響があるか、だ。正直さっぱり読めない。市場縮小の煽りを受けるか浮遊需要の受け皿になりえるか。これがお互いフェスのヘッドラインをとるようなキャラクターならわかりやすいがどちらもそれぞれ別の意味で「お茶の間の人気者」なので全く読めない。出来れば嵐が開拓した映像ソフト需要の受け皿になれればいいなと思うんだけれどもやっぱり毛色が違い過ぎますかね。ともあれ20年間お疲れさまでした。今後も心身の健康に気をつけて頑張ってくださいな。(…心無ぇ…(笑))

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少し『Face My Fears』の第一印象まで立ち戻ってみる。12月10日のことだ。ライブコンサートの余韻が強すぎて触れられていなかった。

90秒のサンプルを鳴らして歌い始めた時私は思わず呟いた。「そうか、まだここやってなかったか!」と。

ある作曲家の数多の楽曲を長年聴き続けていると“地図”が出来てくる。曲調毎にひとつひとつの楽曲がある種視覚的に配置されていくのだ。この曲は渋くて知的だからシブチの7:5かな、とか馬鹿っぽくてインパクトが強いからバカパクの8:10だな、とか…なかなかインパク知が出ないんだよね…。…ってネタが古すぎましたねすいません。

兎に角、そういう「楽曲分布図」みたいなものが頭に出来上がる。あの曲はここらへん、この曲はその曲に似てるから近いところに…という具合。その中で『Face My Fears』は、「そうだ! ここがポッカリ空いていたな! どうして気付かなかったんだろう!?」と私に思わせる曲だったのだ。

即ち、今までのどの曲とも存在感が重複していない/被っていない曲調でありながら、今まで私の中で描かれてきた地図の中にキッチリ収まってくれる、今まで築き上げてきた宇多田ヒカルらしさから全く逸脱していないと感じさせてくれた楽曲なのだ『Face My Fears』は。本当に絶妙な所を見つけてきたものだ。偉いよSkrillex。

実際、Aメロを歌い始めた時は「『大空で抱きしめて』のBメロと同じ音の運びだな」とは思ったが、それは形式的に“楽譜の見た目が似ている”だけであって、楽曲の表現する感情はかなり別の、『Face My Fears』ならではのものだった。デビュー20周年、実働期間12年以上に及ぶキャリアの中で、らしさから逸脱せずに新しい領域を開拓するとは天晴れとしか言いようがない。どこに出しても恥ずかしくない、堂々と宇多田ヒカルの新曲として世に問えるクォリティーの曲がまた新たに誕生したのだ。

…だからもちっとヒットしてくれないかなーというのが珍しく本音だったりする。主戦場がストリーミングに移行しつつあるのなら、もう少し様子を見なければなりませんが、スタートダッシュとはならなかった訳で来週以降どうなるか楽しみにしておきたく存じます。

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祝四大大会連続決勝進出の大坂なおみの日清アニメCMホワイトウォッシュ騒動。ここで注目すべきなのは大坂本人が「次に私を描くときは私と話をして欲しい」と話してるらしいこと。あたしゃ実際に聴いたわけではないのだけど。

でも、そんなもんだと思う。いちいち自分に関連するビジネスにひとつひとつアプルーブを出していたら本業に支障が出る。その為に信頼できる人を選んでマネージメントやエージェンシーを頼むのだから、今回はその「信頼の連鎖」の中で綻びが出来たということだろう。

ヒカルだって何でも出来るからといって何でもやる訳ではない。既にプロデュース、作詞作曲編曲、歌唱に楽器演奏と八面六臂なんだからそれ以上の仕事を受け持つのは大変な苦労を要する。端々のプロモーションや企画のクオリティー・コントロールまで気が回らない・手が届かない事があっても不思議ではない。受験生ならいきなり試験科目が3つ4つ増えるようなものだし、社会人なら例えば現状でさえ残業や休日出勤をして制作の仕事をこなしてるのに明日から営業の監督もしてくれと言われたらどうするか、みたいな話なのだ。即座に「無理です!」となるだろう。

『Face My Fears』の歌詞が歌詞カードにある『歩きたい』ではなく『ある人に』に聞こえる問題も、本人がチェックしていれば気付いていた案件だったかもわからない。しかし今回はプロデュース筆頭がSkrillex、次にPooh Bear、最後に宇多田ヒカルという順序でしかもミックスはSkrillexだ。基本的に彼が全体の陣頭指揮を執るプロジェクトだったろうことは想像に難くない。その中で日本語のわからない彼がミックス時に本来混ぜてはいけないボーカルパーツを継ぎ接ぎしてしまった可能性は十分に有り得るし、彼がリーダーだったのなら完パケを最終チェックに回すかどうかも彼の判断になる。締切ギリギリだったのならそこを素っ飛ばすこともあったかもしれない。何よりこれはキングダムハーツというビッグプロジェクトの一環なので、締切厳守は間違いないだろうしな。


…というのが目下の私の妄想だ。真実はわからない。いつかヒカルが語ってくれたらいいんだが、こういう話は墓場まで持ってっちゃうかもしれないね。

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ほほぉ、「ハイレゾアナログトークセッション」とな。要は各音源の試聴会か。質問受け付けてくれるのだろうか。歌詞カードと歌詞の齟齬について訊いてみたいわぃ。まぁそれはいいとして。

実際、いい音にアナログもデジタルも関係ない。それぞれに得意な事苦手な事があるだけだ。従って、試聴会をするならそれぞれの特性を活かせているトラックを選んで聴かせて欲しいものである。倍率何倍くらいなんだろう…。

「またSONYストアか」「また東名阪か」と思わなくもない。普段恩恵を受けまくっている関東平野在住の人間が言ってもどうしようもないのだが、ほんに何とかならんのかぃ。ヒカルの出るイベントじゃないからいいようなものの。

クローズドにはクローズドのよさがある、とはいえ、どうせならトークセッションの半分だけでも生中継できないのかしらん。普段ニコ生ではイベントの途中までは誰でも見れるけどみたいなことをよく見掛ける。そのあとは有料チケットを購入すれば観れるケースやら現地組のみで裏話に花を咲かせたりやら様々だ。まぁそんな細かい話はどうでもよくて、せっかくイベントやるんだったらもっと全国全世界に興味を持って貰える方法を考えた方がいいんじゃないかというだけです。

「ヒカル本人じゃなくてスタッフが喋ってるだけだからな」というのはその通り。ヒカルの知名度が好きな人は見向きもしないだろう。だが熱心なファンは別だ。すぐ傍で見る宇多田ヒカルがどんな人なのか語ってくれるだけで興味津々である。スタジオの自販機で何を買って飲んだか、とかそういった幾ら何でもどうでもよすぎるだろとツッコみたくなるような事でも熱心に聴きたいぞ。…自販機でヨーグリーナ買ってたら笑えるしな…今更好きになったんかい、ってな…(笑)。

どうにも、渋谷だ銀座だと偏った場所でのプロモーションが続くと「予算が無いのかな?」と余計な勘繰りをしてしまう。『HEART STATION』の時など全国のラジオ局でそれぞれ独自デザインのコラボステッカーを企画するなど全国規模のプロモーションだった。つい最近でも『Fantome』で全国101局ネットとかやってたのに…。別に作品のクォリティーに影響無いからいいっちゃいいんだけど、ツアーで耕した全国での好評をもう少しうまく繋ぐ手段が見出せれば違った展開が見えてくる気がする。取り敢えず目先のイベントの成功を見届けていく所からですけどね。

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周辺のプロモーション体制に疑問符が残ろうと、肝心の内容(歌)は相変わらず絶好調だ。

…と、自分の耳で聴いていれば断言できるものの、オリコンチャートではふるわないので客観的にみた場合どうなのか。CDの売上でも総合(フィジカル、ダウンロード、ストリーミング、動画再生等々)でも5位だか6位だか。もともとランキングを死守したがるプロモーションはやっていないのでそういう意味では痛くも痒くもないのだけれど、ヒットしたという印象は残せないだろう。

そもそもジャケットからしてゲーム仕様で、邦楽市場向けの商品に見えない事に加え日本語版やら英語版やらややこしい。各国で売れているというニュースをみて勝手に英語の歌のみだと勘違いしてチェックすらしていない人も多いのではないか。タイトル英語だしね。なんだか「宇多田ヒカルの新曲が発売!」という空気が邦楽ファンの間から立ち上ってきていない。

それに、これがいちばん大きいと思うが、プロモーション体制が過渡期にあるというのがポイントだろう。ストリーミングはCD主体の頃とは違い、買って貰うのではなく聴いて貰わないと話にならない。従って、リリースまでに頑張る今までのプロモーションとは違いリリースされてからどうアピールしていくかが問われる。今ストリーミングのトップがあいみょんの「マリーゴールド」だときいて「…1年前のチャート?」と思ってしまったが(いや紅白効果なんだけどね)、そういうタイミングで“稼げる”のがストリーミングなのだ。発想の転換が必要である。

なので、フィジカルも多少はあるだろうが、1月25日に「キングダムハーツ3」さんがリリースされたときにストリーミングがどう動くかとか、そういうのも今後見ていかないと楽曲の浸透度を見誤る。10年前『Prisoner Of Love』のCDが余り売れなくてこの曲の評価はどうなってるんだろうと思っていたらダウンロード配信でダブルミリオンだトリプルミリオンだという話になりまたも宇多田ヒカルの国民的名曲が誕生という位置を確立した(できたのかなぁ?)のと同様な事態が今後起こるかもしれない。判断を下してしまうのは、もうちょっと待ってみてからでもよさそうだ。

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本日『Distance』アルバムのハイレゾ・リマスター盤がリリースされ、これで晴れて宇多田ヒカル名義の楽曲はほぼ総てハイレゾ音源で手に入る事となった。先日ストリーミングでも『初恋』アルバムがリリースされそちらでもヒカルの全カタログが聴けるようになった訳で、手堅く聴きたい人はハイレゾで、手軽に聴きたい人はサブスクで、という構図が出来上がって2019年スタートといったところか。

自分もゆくゆくはハイレゾ音源を揃えようと思ってはいるものの、ダウンロードが面倒くさいというわかりやすい理由で昨年12月9日リリース分からは後回しにしている。『Face My Fears』EPのリリースもあったし、自分の場合ライブレポ擬きに1ヶ月を費やしてたからね。

でもふと。そういやストリーミングでもリマスター版聴けるじゃないかと気がついた。ハイレゾだからこそいいんだろう?とか言われそうだが、ハイレゾかどうか以前に今回の企画は「リマスター再発」なのだ。ハイレゾ音質でなくても、マスタリングの違いはある筈なのである。

という訳でさっき早速ストリーミングで『Distance』アルバムから幾らか試聴して従前のマスタリングと今回のリマスタリングを聴き較べてみた。

なるほど、全体的にマイルドになっているな。5年前の『First Love』アルバムのリマスタリング同様、ヴォーカル周りの音のササクレを刮げ落として歌を出しゃばらせずに引き立たせている印象だ。以前は耳障りだったような音も総じて棘がとれて聴きやすくなった(肝心の『ドラマ』はそうでもなくてやや残念)。その中でもとりわけベースサウンドの改善が嬉しい。オリジナルではかなりの存在感があったベースは元々少し低域に広がり過ぎていて音がぼやけている感じだったのだが、今回のリマスターでは力感を損なうことなく上手く中央付近に纏めてベースラインの輪郭が昔に較べて把握しやすくなっている。低音好きは一聴の価値アリかもしれないな。

とはいうものの、こういった差異達は僅かでしかなく、音量のつまみを一目盛り上げ下げするだけで消え去る程度の効果しかない。今自分は聴き較べるつもりで聴いていたから些細な違いにも注意が向いていたけれど、言われなければ恐らく全くリマスタリングには気がつかなかっただろうな。自信があるぞ。(?)

ただ、これらの特徴はハイレゾ版になれば一層際立つ性質のものだと推察されるので、ハイレゾ版の購入にはそれなりの利得があるのではないかと察せられた。自分もそのうち購入するつもりだが、4200円という価格のコストパフォーマンスはどうなのかという疑問は残るものの、無駄にはならないだろうとは思える。シングル盤を消化し切れたタイミングにでもまたレポートすることを約束しておこう。…できれば、誰かを喜ばす為のものになることを期待して。(笑)



それにしても。『DISTANCE』っていい曲だね。こうやって18年後に振り返ってみると、以後『traveling』『COLORS』『Easy Breezy』『BLUE』『Flavor Of Life』『Goodbye Happiness』『道』『Play A Love Song』等々へと受け継がれていく“宇多田ヒカルの王道ポップ・ソング”の雛形は、この曲において完成していたんだなと感慨深くなった。万が一まだ聴いていない読者がいらっしゃるなら、こんな日記はほっぽっておいて今すぐサブスクに聴きに行ってみてくださいな。とっても、いいよ。

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歌詞カードのみにくさにせよグローバルサイトの使い勝手の悪さにせよ、個々のデザイナーを責めても何も変わらないだろう。寧ろ、周辺制作とプロモーション全体のコーディネートが上手く機能していない事にこそ問題がある。

初恋座談会の時も同様だったが、素材が上がってきた時にリジェクト、拒否できる体制が整っていないのではないか。なりくんの発言がTPO的にマズいこともグローバルサイトが使いづらい事も、目にした瞬間にわかることだ。「よくよく考えてみたら」が必要な案件ではない。ただでさえWEBという良くも悪くも0.5秒の差で別れ目が出来てしまう即時性の高いメディアを相手にしていてこの感覚は有り得ない。

これらにヒカルが関わり切れていないのが問題なのだろう。スタッフから「オーケストラを呼んで録音までしたのに実際に聴いてみたらダメだったのでボツにされた」と恨み節を言われる人である。まぁお互いプロなんだから契約上問題がなければ文句は言わないだろうがそこはやはり人間、自分の働きが無駄になったと知ればいい気はしない。そこらへんのフォローを任されるスタッフの身にもなってあげては欲しいけれど決断は全くもって正しい。気に入らないものを自分の名で世に出してはいけない。プロなんだからどれだけ労力がかけられていようがダメだと判断されたものはリジェクトすべきなのだ。

そんな人のオフィシャルサイトがこんな感じとは俄に信じ難い…と言って早2年か3年が過ぎようとしている。宇多田ヒカルというアーティストは、目先の収益を犠牲にしてまで世の評判を高めてきた人だ(通常盤のみ発売とかね)。それ(評判)が目的ではなかったとはいえ結果的にそうなっている。まだまだ今のところヒカルの世評は大丈夫ではあるのだが、このまま続くと危うさも出てくるんじゃないか。引き続き心配である。

で、またこのタイミングで「宇多田ヒカルの音源は全曲ストリーミングで聴けます!」とかいう好評間違い無しの施策を発表するのだから問題がまた後回しになるんだろうな…いいのやら悪いのやら。


試金石は引き続き「Message from Hikkiの待遇が改善されるか否か」だ。ここを放置している以上古参ファンからの疑いの目は消えないだろう。スタッフの皆さんに色んなファンがかけてきた迷惑の数々を想像するとこちらも頼めた義理ではないのは重々承知しているのだが、ここは商売と割り切ってでも誠意のみえる対応をして欲しい。ヒカルとファンの間を取り持つのもヒカルとファンの間に割って入るのもどちらもあなた方の自由だ。だからこそこちらはどう来るかをいつでも待っているのですよ。

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では次は“グローバルサイト”の話だ。『Face My Fears』EPの世界的な盛り上がりを視覚化しようと地球儀を転がして各地のデータにアクセスできるサイトを作った。チャレンジ精神は大いに評価したい。こういった新奇な試みにはどんどんと手を染めるべきだろう。

しかし、ファンの間での評判はどうなのか。個人で統計をとるのも限界があるので私の個人的な推測を書いておこう。


地球儀を転がすのは楽しい。スケルトン・ガイアが掌の上でころころと転がる。現実の地球儀では転がらない方向にも廻ってくれるのは非常に嬉しいものである。

また、世界地図上で各地のデータにアクセスできるのも嬉しい。世界の色んな国でヒカルの歌が聞かれてるんだなぁと思うと感慨深くなるものだ。中には位置をよく知らない国なんかも在って、「キプロスってこんなとこにあるんだ…」とか「イスラエルってこんなカタチしてたんだね…」とかそんなことまで気がついてしまう。こういう時間も楽しい。

が、この2つを結びつけてしまうのは成功しているとは言い難い。ただデータを見たい人にとってはいちいち地球儀が廻るのを眺めるのは面倒くさいし、そもそも字が読み辛い。データ表示もいちいちアルファベット・カウンターが廻るのでやたら遅い。デザイン重視が邪魔をしている格好だ。

一方、地球儀を回して楽しむ方は3分で飽きる。スケルトン・ガイアを回す以外は、何か細い棒が刺さっているだけだからだ。なんか棒の高さがデータの数値を表しているようだけれど、なんかよくわからない。

何が言いたいかというと、「地球儀が回せる」のと「各地のデータが見れる」のに相乗効果が無いのんだなこれ。それぞれ独立した楽しみなのにアクセスするとお互いが邪魔し合うだけになってしまう。

データというのは単独の数値だけを眺めていても味気ない。様々な数値同士にどういった関係があるかなどの比較検討・考察があって初めてデータを見るのが面白くなる。グローバルサイトにはその工夫が少ない。確かに棒グラフの高さと数値を対応させるのはオーソドックスなのだが、地球儀上でそれをやるとインパクトに欠ける。何故なら、見た目が疎らになっていて迫力に欠けているからだ。

地球上で人間の住んでる場所というのは案外偏っている。何しろまず地面は3割しかない。7割は海だ。その3割の中で、山や砂漠には住めない。結果、海岸線沿いの平地に都市が集中する。その都市を点で表して棒グラフを立てても、ボールの端の方にカラースプレーが刺さってるようにしか見えない。

無理矢理数値の大きさを可視化するというかインパクトに繋げたいというのであれば、自分なら数値の大きさに従ってその国の国土全体を底上げする。海岸線が断崖絶壁になってしまい仕上がりは何ともグロテスクだが、わかりやすさやインパクトは遙かに上だ。当然、全くスタイリッシュではなくこの感じの空気では採用されないだろうけどな。

結局、地球儀というツールがデータの比較検討・考察に向いていないんだから、どうせなら地球儀上の方にツイートの吹き出しをつけるべきだったのではないだろうか。地球儀を回すと各国から呟きの吹き出しが次々とポップアップしていて、それをタップすると吹き出しが大きくなって字が読めるような。イメージ伝わるかな? そっちの方が「世界中でヒカルの歌が聴かれている事を視覚化する」という目的の為には理にかなっていた気がする。技術的には更に難しいのだろうけど。更に地球儀を時間軸方向にも回せたら…地軸を掴んでぐるっと回すと過去のツイートが読める、とかね。そうなれば「地球儀であることの意義」はぐっと上がるだろう。


そういったアイデアはすぐには実現できないだろうから、差し当たってデータ一覧を読みやすい大きさと色の字でサクサクアクセスできるようにテキストページを併設してくれたら嬉しいな、っと今日はそれだけ付け加えておきますかね。

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