よし、文体を変えてみよう
*****
今回のライブを観ていて感じたことの中で一番印象的だったのは、
「今夜は何も特別な夜じゃない」という、奇妙な感情だった。
なにしろ、Utadaの実質ライブデビューとなる記念すべき(一生に一度の!)
コンサートであり、僕個人としても、海外で初めてコンサートをみるという
一生の思い出になるような機会であったのだ。
なのに、観ていて「まるで、いつもこうしているような気がする」と
感じてしまっていた。
今回のライブを前にして、コンサートの方向性、コンセプトについて
色々と妄想や予測、期待を述べてきたつもりだが、
とてもそれは難しいものだった。宇多田ヒカルとUtadaというふたつの
異なったレコード会社に所属する、異なった言語を話すアーティスト。
それが、Utadaのセカンドアルバムの(ちょっと時間の遅れた)プロモーションの
為にライブツアーを行うということで、当然のように、
「EMIの曲・日本語曲を歌うのは難しいだろう」
と予想していた。なのに、蓋を開けてみたら半分近くが日本語曲であった。
それにともない、今回あれほど心配していたMC面でも、
楽曲が日英半々ということで、双方を訳しあうようなかたちで
日本語英語両方を駆使して、そのとき感じたことを短くそのまま伝える、という
わかりやすいスタイルを光は貫いていた。
また、今回は離婚後初ライブということで、
UU06でアート・ディレクションを担当した紀里谷さんの
クォリティと比べて、ビジュアル面での充実はどうか、というのも
焦点の、というか心配のひとつとなっていた。
あれだけの個性のある人の後任は、誰にとっても困難なはず、
それも、歌手の元夫の人なのだ。どうなることやら、と
思っていたら、これもまた、今回のライブでは
映像面は実にシンプル。ライティングは非常にしっかりした
ものであったものの、映像といえば、各曲ごとに左右の
ディスプレイに写る、収録アルバム・シングルの
ジャケット静止画像のみ、であった。
また、衣装も、前のUtadaパートでは闇姫様と呼ばれる(私が勝手に呼んでいる)
ボンテージファッションであったことから、
今回はどんな衣装なんだろう、UU06のときのように
パートごとに衣装替えしたりするんだろうか、なんてことも
考えていたが、これもあっさりするほど拍子抜け、
サラサラヘアに最低限のステージメイク、Tシャツにパンツ(よく見えなかった)という
危うく普段着かパジャマかというようなカジュアルな出で立ちになっていた。
ことごとく、こちらの心配が杞憂になるような、
自然体のライブであったのだ。
そう、自然体。思えば、宇多田ヒカルがデビューしてきたころから、
彼女の一般的な魅力といえばこのひとことに集約されてきたのではなかったか。
元々、彼女のライブの方向性としていちばん要求ヶ多かったのは、
明らかに「シンプルに歌で勝負」というものだった。
Tシャツとジーンズででてきて、派手な照明もなく、
カジュアルに親しみやすいMCと、誰にもマネできないような圧倒的な歌唱力で
前代未聞なクォリティの楽曲をひとつひとつ歌ってくれれば、
聴衆は満足するはずだった。
それを、日米で別々のレコード会社に所属、
ビジュアル面でも豪奢なイメージが先行した。
勿論それは非常に素晴らしいクォリティであり
商業的にも大きな成功を収めたものだったが、
我々はそういった面でくちぐちに不平を言う場面が増えていった。
それは、クォリティが非常に高かったからこそのジレンマであったともいえる。
そして今回、光は普段着に近い格好で出てきて、
気心の知れた仲間達と楽しそうに自分の書いた曲を
分け隔て無く歌唱・演奏し、様々な人種や年齢の雑多な客層に
対して、普段自分がしているように英語と日本語の両方を駆使して
ナチュラルに、そしてとんでもなくかわいく、摂してくれた。
そう、彼女は今回、とても普通にライブをやったのである。
ややこしいことは何も考えず、
ただ自分の書いた曲を自分で出ていって歌い、
自分の感じたことを、自分のことばで話し、
僕らとコミュニケーションをとった。
そして、その結果は非常に素晴らしいものだった。
僕が、今回のライブを観ている最中に
「いつもこうしているような気が」したのは、
他でもない、いつも「光のライブがこうであったらな」と
心の内で理想としていた形態で光がコンサートをしてくれたからなのだ。
夢が叶ったんだな。よかった。(つづく)
| Trackback ( 0 )
|