無意識日記
宇多田光 word:i_
 



前回「次のアルバム発売に合わせたツアーの開催を願う」と書いたが、寧ろこれは不可避な組み合わせと言った方がいいのかもしれない。

サブスクも随分浸透してきた昨今だけれど、宇多田ヒカルの場合少なくとも次のアルバムはまだまだCDで発売するだろう。ニーズは大きい。

といっても、かなりの人がサブスクで済ませる事が予想される。CDの売上が落ちるのは止むを得まい。これは他のアーティストも同様なので仕方がないが、見渡してみると各陣様々な趣向を凝らしてフィジカルを買う動機を喚起している。

そんな中でヒカルは前のアルバム『初恋』には『Laughter In The Dark Tour 2018』と連動して『ツアーチケット先行応募抽選券封入』という特典をつけてきた。ツアーの動員数は10万人を超えている筈なので、これだけで6桁のCD売上が確保出来る。レコード会社としてはハズせない特典だった。

ヒカルがツアーをする気がないのなら仕方がない。アルバムだけを売ればいいだろう。『Fantome』はそうだった。しかし、タイミングはわからずともツアーをやる気があるのであれば、やはり『初恋』&『Laughter In The Dark Tour 2018』同様アルバムとツアーを連動企画として立ち上げていきたい所なのだ。ここらへん、現況を鑑みた時大変難しい判断を迫られる。ヒカルは「ロンドンからの来日アーティスト」としてツアーをするのだから尚更だ。

そこに更に「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の延期ときた。新曲のリリース時期がずれて今年のプロモーション日程は大幅に変更を余儀なくされた筈である。ぶっちゃけもうしっちゃかめっちゃかの何が何だか状態なのではなかろうか。

こうなってくると、今回のツアーは諦めて兎に角アルバムだけを何とか制作してリリースしようと考えるのもひとつの手ではある。そもそもロンドン在住でアルバム制作に取り掛かる事自体が現況至難の業なのだし、出来る期間に出来るだけ作業をしていくみたいなローテーションでやってるんじゃあないだろうか。ヒカルの手元にはひたすら未完成のデモが溜まりに溜まりまくっているのでは…。

或いは勿論、開き直って創作活動から離れているというケースも考えられる。まだまだ一人息子も幼いのだし、じっくり向き合う時間をとっているのかもしれない。それはそれでいいなぁ。ロックダウン生活は何かとストレスフルだろうし。いつロンドン市民にワクチンが隈無く回ってくるかねぇ。ワクチンて自分が打つだけじゃダメで、全域的な流行を抑えれるだけ普及して初めて本来の意味がある訳でね…って、いや余計なこと書いたかな。

もうどうせなら、「ツアー優先予約権」みたいなものでもいいかもしれないね。具体的な日程は何も決まってないけど近い将来宇多田ヒカルが日本国内でツアーする時に優先的にチケット抽選に参加できる権利みたいなのをCDにつけておいてくれれば…流石に無理があるかな…。うーん、どうなるやらだねぇ。


余談になるけど、CDにつけて欲しい特典といえば「ハイレゾ版割引券」なんかどうだろう。今音質に拘る人はCDより寧ろハイレゾ版をダウンロード購入している筈で、そういう人はCD売上に寄与しない。そこを突いて、例えばCD添付のダウンロードコードを利用するとハイレゾ版が七割引きで買えるとかにしておけば、CD購入した上でハイレゾ版も買ってくれるのではと。七割引きは大袈裟だけど、そういうアプローチがあってくれたら嬉しいかなとも思ったり。どうせこちらは毎回両方買ってるんでね、そういうの無くても買うんだけども、そういう酔狂でない冷静な層にもっとハイレゾ版を普及させる為にも、CDの売上を確保する為にも、悪くないアイデアなんじゃないだろうか。余談でした。


アルバム、早く聴きたいなぁ…一日でも早い方が、人生のうちでヒカルの歌声を聴いていられる時間とその割合が増えていくのだから…。

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少しづつではあるけれど日本国内でのライブコンサートの開催規制が緩んでいく模様なので、それは期待しておきたい。だが一方、こちらの関心は寧ろ「イギリスと日本の間で行き来が出来るようになるか」という点の方で。

東京五輪開催是非に関する議論も日本国内の話ばかり目立ちそれが200を超える国と地域から人を集めて催されるイベントだという点を失念しているんじゃないかと日々疑問に思っているのだが、よく考えたら日本国内ですら首都圏が揺れるか揺れないかだけで地震のニュースのサイズが(実際の被害の程度を幾らか無視して)変わる現状なので、メディアが徹底して内向き&中央向きなのは元々というか、根っからなんだろうなぁと痛感諦観せざるを得ないわね。海外なんてあることすら頭に無いのかもしれない。…なんで海外旅行やら海外出張やらと一切無縁な私がこんな事言ってんだ。滑稽だなぁ。いやTRANSATLANTICやLIQUID TENSION EXPERIMENTがツアーするなら喜び勇んで出掛けますけれども。

勿論、現場主義というよい面もある。取材者が伝聞に頼らす自分自身で見聞きした事を伝えるという姿勢は大変重要だ。でもそれは全国ネットやましてや国際放送でやることじゃない。というか、インターネットのある今一般人の発信すら常に全世界規模なんだし。


そんな感じなので、ヒカルがロンドンに住んでるのは良し悪しだ。内向きのメディアがそんな所に目を向けることも少なく。いやイタリアまで行った人居るみたいだけど、普段は予算も時間もないだろう。これで大分ゴシップの目から逃れられる。今回の感染症禍下ともなれば完全に忘れ去られてるといっていい。中央メディアの英語力は壊滅的で、おまぃらの学歴は飾りなのかと思うのだけれど(単位や学位毎に“能力”な筈なんだけどな)、英文ニュースの内容がこちらに伝わってくる事はかなり少ない。勿論関心も払われず世論も盛り上がらない。うだうだ言ったが、要するに海外アーティストの“来日公演”への対処は後手後手になるだろうと。

そういう意味でも、夏の東京五輪の可否は気にかかる。周囲のゴタゴタで随分と印象も悪くなった。中止も止むを得ないのだろう。ただ、万が一開催されたとしてそのオペレーションが上手く行けば(嗚呼夢物語)、海外アーティストの来日公演の基準作りにも多いに寄与していくかもしれない、とも考える。国外から人を呼べるようにならなければヒカルのコンサート開催は向こう2年や3年は無理になる。次のアルバム発売に合わせたツアーの開催を願う者としてはなんとかならないものかと気を揉むばかりなのでありました。とはいえ、ダヌくんが、日本で言えば小学校に通う年齢になるのでその事情が最優先だわね。彼が未成年のうちはお母さんとしての責任があるんだわいな。

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思い切り今更なんだが、何故昨年5月のインスタライブって公式にアーカイブしておかなかったんだろ。それがインスタライブの仕様だからと言ってしまえばそれまでなんだが、一応公式にはあの5週間はそれぞれ「一週間限定」扱いになっている。

YouTubeで検索すれば容易に5週分見つかるようなので観返したい人は気軽にどうぞ。実地上はアーカイブを楽しむのに問題は無い。勿論ヒカルがYouTubeのこの“無断転載”の数々を嫌がるのなら削除されて然るべきだが、ヒカルさん、過去に『ダウンロード違法化がなんぼのもんじゃい カーチャンのレア映像を保存しかったんじゃ(≧(エ)≦。) 』とTwitterで豪語したことがあるので、流石に自分のことを棚に上げるような真似は致しますまい…。大手を振るこたぁないけれど、こっそり楽しんでいる分にはそんなに後ろめたくならずに居ていいかと思われる。

多分だけど、こうやって5週分YouTubeにアップロードされる事は予め目論まれていたのではないかなぁと。一応、インスタライブという体裁上、“生配信であること”が前提となっていて、一週間限定のアーカイブはリアルタイムで観れなかった人への補完的なものであって、コンテンツとしては何度も観直す事は想定されていないものだった、と。しかし当然、熱心なファンは何度も観返したい訳ですからね。まぁ、こういう事態になりますわな。


ここらへん、オフィシャルは今後どのような舵取りをしていくかはちょっと気になる。utadahikaru.jpは比較的過去のデータをしっかり保存してくれている方ではあるんだけれど、ギャラリーの中味がところどころリンク切れになっていたりもする。レコード会社何度か移ったりしてきたからね。ある程度は仕方ないんだけれども。

いちばん残念だったのは、キプトラブログがまるごとなくなってしまった事だ。利用したブログサービス自体が終了してしまった事が原因なのだが、ここらへん、事前に予測しろと言っても結構無理があるわね。実際、ビマラブログの方は現在でもしっかり閲覧出来る。goo blogの安定感にはいつもお世話になっていますわ。

勿論いちばん心配なのはTwitterで、ヒカルの過去の発言の数々にアクセスできなくなる事態は是が非でも避けてうただかなくてはならず。Twilogもいつまで健在なのか戦々恐々だし。

ということで、オフィシャルさんにつきましては、インスタライブやキプトラブログのように彼方に消えてしまっていくコンテンツに関しても、公開はしなくていいから、裏でこっそり全保存しといて欲しいかな、と。我々も保存できるものは片っ端から保存しておいた方がいい。その時々の法律なんてすぐに変遷していってしまう儚いものである一方、ヒカルの歌や言葉の魅力は永遠の輝きを放つのだから、どちらを重視すべきなのかは一目瞭然なのだった。ヒカルが『ダウンロード違法化がなんぼのもんじゃい カーチャンのレア映像を保存しかったんじゃ(≧(エ)≦。) 』と力説していたのは、如何に母・藤圭子の歌に普遍的な魅力が宿っているかをよくよく知っていたからだわな。優先順位を、間違えてはいけないのだった。まぁ、うちらはうちらでこっそりやっときましょ。

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そうか、Wikipediaには[宇多田ヒカルの受賞歴一覧]なんて項目があるんだね。まぁ兎に角沢山あること。

授受賞というのはそれ自体が宣伝なのでそれをキッカケにして更に売上を伸ばそうというのが趣旨だ。アメリカのグラミー賞なんてまさにそれで、毎年ノミニーズと受賞者の音源の売上が急激に浮かび上がる。

ただ、日本ではそこまでの効果はない。どちらかというと年末の紅白歌合戦出場の方が数字への跳ね返りは大きい。大昔に較べたら下がったとはいえ視聴率40%だからね。5000万人とか観てる計算でしょ。そのうちの0.01%に響くだけでも5000人だもんねぇ。十分過ぎるよ。直接歌を聴いてだから文句の付けようもないし。まぁそういった日米の違いなんかはあったりするけれど、新しく触れるキッカケとして機能させているのは間違いないのないところ。

ヒカルの場合受賞したからといってそういった効果があったかどうかはわからない。どちらかというともうずっと定番化しているので今更賞を貰ってもねみたいなとこがある。新古書店の年間チャートで発売から10年以上が経った『Single Collection Vol.1』が1位になってたこともあったっけ。今更アピールするまでもなくずっと関心を持たれ続けている。

1999年当時などは寧ろ、ヒカルが受賞で宣伝効果を得るより、授賞側が宇多田ヒカルの登場(VTR出演とかコメントとか)を利用して賞自体をアピールしていた感すらあった。当時はヒカルのテレビ出演などはレアだったので、ヒカルの名前があるだけで多くの関心を引けたのだ。勿論ゴールドディスク大賞のように数字でガッツリ決まる賞も沢山あるので恣意的な授賞が無理なケースもあったろうが、「宇多田ヒカルにあげときゃ文句ないだろ」という空気も相俟って兎に角色々と沢山貰ってたんだわな。それをこうやってWikipediaの一覧で眺められる、と。

最近は落ち着いてきていてそういう授受賞の類は少なくなっているけれど、だからどうということも無く。この日記でアウォード関連について触れる機会もそんなに多くはない。既に関心を持っている人間にとってはそこまで気にする必要のない話ではあるわな。しかし、こうやって記録しておいてもらうことで、当時の雰囲気を少しばかり甦らせてくれるというのは、ほんのちょっぴり乙なものだ。これからも授賞時にはコメントを取りに行ってヒカルの姿や声を新しくまた見せて下さいませませ。

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『Flavor Of Life』がドラマ「花より男子2」のイメージ・ソング/挿入歌だった、という話をしたが、今度(いつなんだ)リリースされる『One Last Kiss』EPの謎のトラックNo.2もまた十中八九「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の挿入歌or挿入曲だろう。元々EPの配信日が映画の公開日より一日遅かったのだ。そして未だにタイトルが明かされない曲がある。これが映画の中で使われるだろうことは、ほぼ間違いがない。

他の収録曲に関しては、つまり

『Beautiful World』
『Beautiful World -PLANiTb Acoustica Mix-』
『桜流し』
『Fly Me To The Moon (In Other Words) -2007 MIX-』

の4曲に関しては、ただEPに収録されているだけ、という可能性が結構ありそうだ。当然ながら『One Last Kiss』はエンディング・テーマとして映画のラストにスタッフ・ロールと共に流されるだろう、というのが妥当な読み。

なのだが、株式会社カラーがそんな素直な事をしてくるだろうか?と一度位は疑っておいてみてもいいかもしれない。こうやって映画公開前に『One Last Kiss』に関してはYouTubeで一部分だけとはいえ聴かせてくれているのだから、映画館に足を運ぶ人たちのうちのかなりの割合が『One Last Kiss』が映画の最後に流れるだろうつもりで鑑賞するだろう。視聴回数は……今夜の時点で720万回か。かなり行ってるな。で、そこを逆手にとって、これで終わりと思わせておいて実は……という流れで「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が終わった後に「序破Q:||」全体のエピローグが用意されていて、そこで謎のトラックNo.2が流れる手筈……なんてことも、あるかもしれない。となると、そのトラックは例えば『Beautiful World』と『桜流し』と『One Last Kiss』をメドレーにしたものなんかが当て嵌りそうな気がする。

ただ、それをすると今度は『One Last Kiss』EPの、アーティスト宇多田ヒカルのニューミニアルバムとしての完成度に疑問符がつく。メドレータイプのトラックを収録するならEPの後半に置くだろう。新曲の次ってことはないんじゃあないだろうか。それだとEP8曲を続けて聴いた時の構成がイマイチなような……なので、『One Last Kiss』のリミックスだとかの方がまだわかるんだけど、それを挿入歌とかエピローグのテーマソングとかにするのも何か違う気がする。完全新曲だとすれば、前に触れた通り宇多田ヒカルサイド即ちレコード会社がEPをダブルAサイド・シングルCDとして売りに来ないのは機会損失だ。となると……さぁ、どうなっているやらね。やっぱりここは結局のところ映画の内容に左右されるポイントになっているんだろうね。まだ今出揃ってる情報だけでは、どの説も決定打に欠けている感じが強いわ。


前にこの日記で書いたのは、劇中で『桜流し』から『Beautiful World』が流れた後に最後に『One Last Kiss』とかいう感じだったかな。インターミッションに『Fly Me To The Moon』というアイデアも出したっけ。── 別に自分は予想を当てたい訳では無いのだ。予め色々考えていった方が当日楽しめるというだけの話。漫然とただ映画を眺めているよりも、何処でヒカルの歌声が流れてくるかに期待しながら観る方がきっと楽しいのでね。それすら忘れさせる位に夢中になれる面白さが映画を終始満たしてくれていたら、それがいちばんいいんだけどね。はてさて、どうなっていますことやらですわ。緊急事態宣言、早く全国津々浦々でクマなく解除されませんでしょーか。

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そうそう、『Flavor Of Life - Original Version - 』ってテレビで歌った事あるんだよねぇ。TBSの「COUNTDOWN TV」か。流れからするとこのあと「花より男子2」の第8話か9話でバラードバージョンではないこちらのオリジナルバージョンが劇中で流れた気がするんだが今検索しても記述が見当たらない。何の為に日記書いてるんだ貴様……っ!

『Flavor Of Life』のタイアップは奇妙な設定が幾つかあった。まず、その『Flavor Of Life - Ballad Version - 』という、CDシングルでいえば2曲目にあたる“カップリンク曲”が真っ先に注目を集めた点。これはタイアップ先のドラマ「花より男子2」の第1回放送の劇中でまずそのバラード・バージョンの方が流されたからだが、これ、未だに勘違いしている人多発らしいんだけど、こちらの『Flavor Of Life - Ballad Version - 』はドラマ「花より男子2」の“主題歌”ではない。イメージ・ソング/劇中挿入歌扱いなのだ。主題歌は嵐の「Love so sweet」の方。この関係性もまた奇妙だった。チャート上では発売日が1週間違いでそれぞれの楽曲が初登場1位を記録している。

その「チャート上では」という点も、14年前の2007年当時は奇妙だった。『Flavor Of Life』のCDシングルは同年2月28日にリリースされたのだが、その頃にはこの曲の熱狂は随分落ち着いていたのだ。というのも、最もこの曲が爆発的に注目を集めたのはドラマの第1回放送日である同年1月5日だったからである。

ただオンエアされただけではなく、同時に携帯電話の着信用に「着うた」としてリリースされたのだ。これがもうとんでもない数ダウンロードされて一時的にではあるがダウンロード数世界一の楽曲として認知される事になった。時期をずらして着うたの別バージョンもリリースされるなどして『Flavor Of Life - Ballad Version -』は1月2月の話題をかっさらった。それが落ち着いた頃に漸くCDシングルが発売されたのだ。「ダメ押し」という感じでしたね。

長い目で見直すと、ここらへんから、新曲のプロモーション・リズムが変わったのだ。それまでは、オフィシャルサイトでサンプル音源数十秒先行公開とかラジオで最速オンエアとか、そういった手段で新曲のプロモーションが開始されてCDシングルの発売日に繋げていた。この『Flavor Of Life』から、ドラマでいきなり流れて同じ日にもう(一部分だけであるとはいえ)音源が購入できるような早いテンポのプロモーションが展開されるようになったのだ。

例えば昨年の『Time』はドラマのエンディング・テーマとして徐々に歌の内容が詳らかになっていくプロセスを経てフルコーラスの音源をリリースする、という流れになっていた。このように、様々なバリエーションで音源公開していく手段を確保出来ているのが現行の方法論だろう。

確かに最近は、例えばラジオで曲が流れてきた時にサブスクで検索してすぐに曲が出てこなかったりしたらもうその時点でその曲については忘れてしまうような事が増えた。どこかの媒体で音に触れれた時に既に音源がリリースされていないと人々の気を引くチャンスを失ってしまう。良し悪しは別としてそんなのが日常になっていたりするのだが、そういうリズムの先鞭をつけたのが例えばこの14年前の『Flavor Of Life』だったりした気がする。多方面に対して大きな影響力を及ぼした宇多田ヒカル最大級の大ヒット曲のひとつと言えるだろうね。

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で、ヒカルの場合、発言より歌詞がプチ炎上……まではいかなかったかな、物議を醸した事が何度かある。そのうちのひとつが今日発売15周年を迎えた『Keep Tryin'』の一節、

『将来、国家公務員だなんて言うな
 夢がないなぁ』

の部分だ。

これ、イラッと来た人は結構色んなものに毒されてると気づいてないんだろうな、と当時は思ったものだ。2010年11月23日にヒカルにしてはかなり詳細にいろいろとツイートしてくれている。

https://twilog.org/utadahikaru/date-101123/asc

なかでもここらへんかな。

『なんか「国家公務員になれば安定した収入があっていい、だから国家公務員になりたい」みたいな考え方に違和感感じてたのかな、私。仕事に誇りを持ってる公務員さんに失礼じゃない?と思って。』


……なんかこの言い方でもトゲがあるな(笑)。

あたしなりに解釈するならば、こうだ。「公務員」てのは身分の話で、仕事の内容に言及していない。これを夢だと語るのは、意地悪な言い方をすれば「いいご身分」になりたいだけで、何らかの仕事を成し遂げたいという気持ちが伝わってこない、と。もっと言えば、例え全く内容が同じ仕事でも、公務が民営化されたらもう辞めるのかということだ。日本でも例えば鉄道や郵便事業が国営から民営に移ったが、それで「将来、国家公務員」と夢を語る貴方は鉄道会社勤務や郵便事業従事を目指すのを辞めるのか?というね。

でも、現実としてそれ(安定した身分)が目的で国家公務員を目指すこどもって沢山居るというか、最大多数派なんだということを多分15年前のヒカルはあんまりわかってなかった気がする。仕事には厳しい人だからねぇ、身分に安穏として真面目に働かない人には厳しい。英文インタビューでもそこらへんは力説していたなぁ。どこでだっけね(……探すの諦めました)。

そこのギャップを埋めないとここの歌詞の誤解は解けない。とはいえヒカルは

『Keep Tryin'出した後、公務員の妻って人から「CD全部捨てた、もう二度と歌は聞きません」とのメールが来て「うわ、めっちゃ勘違いされてる」と思って、誤解を解きたくてラジオで色々話したの、懐かしいなぁ。でも歌詞って説明しても意味がないんだよね。歌詞は歌詞なんだな。』

とある意味諦観していたりもする。そうなのよね、毎度言ってる事だけど、音源をひとつの作品として不特定多数相手にリリースする以上、そのパッケージにアクセスするだけでちゃんと伝わらないのならそれはもうどうしようもないのよ。それでも誤解を解きたいならイントロの前に「この歌の歌詞は……」って解説を音声で付け足しておくしかないわね。それはみんな嫌だろうぜ。キプトラ聴く度に言い訳聞かされるのって……いや、毎回ヒカルの声で喋りが聞けるのか、それはそれで……(←重度の中毒者なので相手にしないように)。

15年経ってこの国の労働環境/状況も随分変わった、のかもしれない。この歌のこの一節も、時代と共に受け取られ方が変わっていきそうだ。極端な事を言えば、この国が民主主義国家から共産主義国家にでも鞍替えしたりすれば「国家公務員」の意味も全然違ってくるんだもんね。

いつも私ゃ時代の遷移による「恋愛に関する人々の意識の変化」については語っているけれど、この歌のこの一節の場合、「仕事に対する人々の意識の変化」が歌詞の解釈に影響していくんだな。結構なレアケースかもしれない。

この歌『Keep Tryin'』は2006年当時auの音楽サービス「LISMO」のスタートに合わせて発表された。何しろ初っ端にLISMOユーザー相手200万回無料ダウンロードサービスされたからね。インパクトは抜群だった。それも今は昔だね。この間はPHSサービスがほぼ終了して『Movin' on without you』の歌詞が過去に彩られる事になったのだけど、このキプトラも色んな時代の色に彩られて輝きを変えてきているのかもしれないな。いやはや、歌は世につれ世は歌につれ、ですわね。

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先週は、某界隈ではとても有名な女性声優さんがある神社にお散歩に出かけた模様をウェブラジオ番組で公開して大炎上するという痛ましい出来事があったようで。いやほんと怖い。

その神社というのは名前を出すのも憚られる程の泥沼炎上必須案件で、昔からウェブに接してる人ならアンタッチャブルであるとわかりきっている案件だったのだが、ベテランの域に入ってきたウェブフレンドリーなアニメクラスタの有名人周りでもこういう事態が起き得るとなるとこれはホント気をつけないとなと襟を正し直した次第。


ヒカルさんも時々政治的思想的発言をするけれど、いつもギリギリを攻めれているというか、加減を知っているから大炎上とまではいかない。なんというか、自衛力と言ってもいいんだけど、どんな界隈にもしっかり目を光らせているというか、昔と同じようにしっかりウェブと接してるのだなぁと毎回感心する。あんまりズレた事は言わないのだ。

うちら読者もそこらへんのリテラシーというか、炎上しそうな案件にはなるべく近付かないように自衛しとかんとなんですよ。いつ無知が理由で巻き込まれてしまうかわからない。特に政治的話題に関しては無知であるほど虚偽の情報に翻弄されるようになる。去年は特に多く目にしたわ。


ここらへん難しいバランスでねぇ。自衛を強めようとしっかり知識を得てるうちにそのままハマってしまったりね。それは勿論個人の自由なんだけど、それとともにヒカルへの関心が少なくなっていくのは、なんか負けた気がして悔しい。世の人達と私は言うことが違うかもしれないが、現状では、政治的話題に首を突っ込んでもそんなに楽しい事態にはならない。勿論、今楽しくない事態になってるのを政治力で是正しようというのなら少しはわかるのだけれどもね。

兎に角虚偽の情報に踊らされない事と、ややこしい話題には触れない事、そこらへんが自衛の要かなぁ。あと自分の政治的立場がよくわからないという人はヒカルに合わせておけば間違いない。そこは迷わなくていい。ヒカルがどれだけ普段熟考を重ねてそういった発言をしていることか。あの腹から搾り出したような炎上上等フレーズ『Thank fucking goodness.』の一言の重みを噛み締めておいて欲しい。勿論、どんな信条を持とうと自由だ。ただ、迷うくらいならという話ね。

歌詞からも、少なくともアクテイヴィストを警戒している事くらいは伝わっているだろう。冒頭で触れた女優さん案件はそういった人たちの目に止まってしまった。今日本のコンテンツは国際市場を相手にしているので国際問題の多くもアンタッチャブルではある。無知は罪では全然ないけれど、知ってる方がいい事は多い。ワクチンを接種する感覚で、適度にややこしめな情報にも接して免疫をつけておこう。副反応やアナフィラキシーのリスクは、いつだってあるのだろうけれどね……。

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インターネットのお陰で「読める」コンテンツはほぼ無尽蔵になった。幼い頃大きな書店や図書館に初めて出掛けた時なんかには「一生掛かってもこれ全部読めないだろうな」とか溜息を吐いたものだが、今やもうその比ですらない。無料だろうが有料だろうがアクセス対象は果てしない。

こと「読む」となると速読術などもあり、時間を惜しんで消化していく事になる。どうしたって焦りみたいなものが出てくるが、これが音楽となるとそうはいかない。音楽は時間の芸術でありご楽だからだ。7分の曲をしっかり味わうには必ず7分かかる。なので、音楽の探究って焦らない。焦っても無駄なんだもの。一日に聴ける曲数は、原理的には皆一緒だ。

最近の動画配信には1.5倍速や2倍速再生などがあり、忙しい人はそれでアニメやドラマを楽しんだりする。確かに、話の筋を追うのならそれでもいい。アニメ1話24分が12分で観れるなら倍の作品が楽しめる。貪欲な人には格好の機能だろう。

ところが、音楽でそれをやってしまうと、バラードを楽しむはずがアップテンポの曲になってしまい、それはもうただの別物になる。最早「違う作品」になるのだ。テンポというのは殊の外重要で、音楽ではそれが命だとすら言える。


特に歳をとってくると、なのかどうかはわからないが、ベテランのアーティストは若い頃に比べて徐々にテンポが落ちていく傾向にあったりして、それは宇多田ヒカルも例外ではないのかな、とこの5年くらいで感じている人も多いような気がしている。『traveling』みたいなイケイケな感じは減ったなぁ、と。昔も別にそれ一辺倒だった訳じゃないんだけどね。

でもそれも、時間の芸術ならではの味わいなのかもしれない。積み重ねてきたものが多いほどテンポが落ちていくというのは、私なんかは少しロマンティックにすら感じる。確かに、背負うものや考える事が増えたせいで速いテンポで走り抜けるような“軽率さ”から離れていくということはあるのかもしれないが、テンポが落ちた代わりに視野の広さや懐の深さなどを得ていると感じ取れれば、ある意味、ひとつの時間の流れの中で、過去の時間をも(擬似的にではあるが)同時に体験している事になるのかもしれない。7分の曲を楽しむには7分が必要だが、その7分は過去の沢山の時間の経過と伴走しているというイメージが生まれてくるのだ。

時間には限りがある。出来れば、そういった実り多い豊かな時間を少しでも沢山過ごしたいと思うのが人情というものだろう。ヒカルの歌が流れている時間の中にどれだけの過去や未来の時間を感じ取れるか、また、ヒカルがそれを感じさせてくれるか。落ち着いたテンポの中にも、もしかしたら激流のような奔流のような時間の流れが隠されているのかもしれない。『Time』なんてダイレクトなタイトルの歌を書くに到った宇多田ヒカルという人が2021年の今感じている時間がどのようなものか、もっともっと知っていきたいと思うものである。新しいアウトプットまだなのかなっ!

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『Message from Hikki』開設22周年記念日。人によってはデビュー記念日より重要だったりする位なのだが、よくよく考えてみたらヒカルがTwitter始めてから11年なので、メッセがメインだった時代はもうキャリアの前半の半分でしかなく。最近のファンは「なんかオフィシャルに置いてある昔の長文の数々」位の認識かも…いやそもそもあることすら知られていないのかも…? 一応、2011年以降も節目にはメッセ更新があったのだが、なんだかんだでツイートの量にはかなわんわな。

『Message from Hikki』もその11年間ずっと安泰だった訳ではなく、開設から5年余り経ったあとUTADA名義でのデビューに合わせて東芝EMIのサイトから事務所(U3MUSIC)のサイトにお引越ししたりと紆余曲折を経ていた。それも含めてヒカルの活動の記録となっていた。

今思えば、2009年の『点』と『線』の刊行は見事に区切りになっていたのだなと。『点』は過去10年(TEN years)のインタビュー集、『線』は千(SEN)にも及ぶ投稿数に達した『Message from Hikki』の歴史を収めた書籍だ。『宇多田ヒカルの言葉』と並んで必携だが、売ってなけりゃ手に入れる事も出来んわな。これが電子書籍化されていれば店頭に無いとか在庫が無いとか言われずに済むんだけれども。特に『点』『線』は通常とは異なる流通を使ったので在庫管理も別物だった可能性がある。今となっては、やね。

そして今後は、そのメッセ・イヤーズが「キャリア前半の11年」から「キャリア最初期の11年」に徐々にシフトしていく訳だ。寂しいと言っていいのかはわからないが、色んな人の発言が混ざり合うTwitterやInstagramとは異なり、純粋にヒカルの言葉(と写真)だけで構成される『Message from Hikki』は親密さか違っていた。まるでメールが届いたみたいなね。それは言い過ぎかもだけど、過去に浸る事を余り居心地よく思わない自分がこの事に関してだけは長年「昔はよかった」と言い続けてるって事実だけは覚えて置いて欲しい、かな。それくらいに特別だったのですよ。

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そうか、そろそろもうあのTHE BACKHORNとの『あなたが待ってる』がリリースされて4年になるんか。この歌を聴くと冬だなぁと感じ入る。

共同プロデュースというクレジットだったが、要は友達と意気投合して曲をあれやこれやと作り上げたという事だろう。後から振り返って、プロデューサー役もしたよねとクレジットが決まったのだろうな。

その後ヒカルは小袋成彬のデビューを手掛けもした。ここらへんも、プロデューサーの肩書きが先にあったというよりは、自分の力が必要とされたから手伝った、その役割が所謂プロデューサーと呼ばれるものだった、という感じだったのではなかろうか。

つまり、これらの例は「だからといってプロデュース業に興味が有る訳でも無い」という結論を導く。ご縁があったらまたやるかもしれないけれど、例えば自分をプロデューサーとして売り込む様なマネはしませんよ、と。

ある意味、結構アマチュアリズムといいますか、、、学生ノリとでも言った方がいいか? 音楽に限らず、映画とかアニメとか演劇とか同人誌とか、学生の頃に文化的な活動を何人かの仲間たちと共同で始めてそれが世に受け入れられるようになっていくにつれそれぞれの役割、クレジットが固定されていって大御所と呼ばれるようになっていく…みたいな成長物語とは全然無縁なままなんだろうなぁと。学生のような、混沌とした、役割分けのハッキリしない、兎に角みんなで作り上げるんだという熱気みたいなものを、ヒカルはそのままにしてよしとしている、ような。

「学生」という呼び方は少々卑怯かな。自分の中のイメージでは大学生だが、高専生だろうが中高生だろうが何でもいいんだ。「自分が何者なのかまだわからない中で遮二無二に頑張っている」と言いたくなる状態。ヒカルは大学もあまり通わなかったし、若いどころか幼い頃から音楽家としてずっと一端の何者かであり続けてきているので、上記のTHE BACK HORNとのコラボレーションは遅れてきたそういう青臭い青春の1ページみたいな思い出になっているのではないかなぁと勝手に夢想している。

例えば『In The Flesh 2010』だって、アリーナなスタジアムを相手にするツアーを経てきた人間が、本来なら先に味わう下積みとか言われる状況を遅れて体験するライブハウス・ツアーだった。これもまたヒカルが青春した1ヶ月だったといえる。こちらは11年前の冬の事でしたね。

人と時系列の順番が入れ替わっていようが、やっぱりそういう体験は、得難い。今の感染症禍が収束したら、またこういうコラボレーションが自然発生的に生まれる瞬間をみてみたいものだ。そういうのは、事前に予測できないから楽しい。是非不意打ちを食らわしてうただきたいものである。

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13年前の今日のメッセが切ない。

『私はママの前座なんて恐ろしくてできない・・・
(((( ;゚Д゚))) ガクガクブルブル

前座なんだからパフォーマンスが劣っていて当然だけど、あまりにも自分がダメな歌手な気がして毎晩へこみそう(笑)』

『親子で世界ツアーまわるのなんて楽しそうだね(●^口^●)』

http://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_24.html


一応スティング親子の事を言ってはいるんだろうけれど、もし仮に藤圭子と宇多田ヒカルのコンサートツアーが実現していたら一体どうなっていたことやら。掛け値なしの老若男女が集うカオス極まりない空間が出来上がっていたに違いない。ヒカルによると会う年配の方々における藤圭子の知名度は100%だったらしいし。いやそりゃ37週連続1位なんて記録してりゃ別格だわな…。

↑↑↑これは25歳の時の発言だけど、母親になり『Laughter In The Dark Tour 2018』ツアーを完遂し38歳になった今なら自信をもって前座を務められるのだろうか。でも確かに、ヒカルが前座するなら藤圭子くらいしか居ないわな…宇多田ヒカルの後に出てきて歌うだなんて普通の一流歌手なら尻込み間違いなしだもの。…普通の一流歌手というのも凄い表現だけども…。

今やヒカルにとって母・藤圭子は永遠の憧れ、永久の目標になっていて、もうそれは揺るぎないとすら言える。もう何も情報が更新されないからね。ある意味でそれは圭子さんが遺した最大の置き土産のひとつであるかもしれなくて。いつまでも歌への情熱を怠ること無く精進し続けられるというか。消えない輝きを常に胸の中に感じることが出来ていて。そうやって出来た歌が『道』であったり『大空で抱きしめて』であったりするんだわぃね。


余談になるけど、ヒカルは呑気に『あまりにも自分がダメな歌手な気がして毎晩へこみそう(笑)』とかって言ってるけど、自分がデビューした時に多くの歌手にそう思われていたのわかってるんだろうか。何しろ15歳。そんな子にあんな歌を歌われて自信喪失した歌手は数知れず(多いという意味ではないけども)。毎度言う事だが、やってる当人たちはリスナーよりも「格の違い」とか「レベルの違い」に敏感なもので。こちらからしたら「あなたはあなたの歌を歌ってくれていたらそれがいちばんいいんですよ」と思うのだが、どうしたって「到れない境地」みたいな事について考えてしまうようで。それでやる気を無くす位なら考えて欲しくないのだけれど。そういうのとは比較的無縁だっだろうヒカル本人ですら母・藤圭子の歌はやる気を失わせる程の威力だったということか。確かに、演歌なら畑違いとか言っておけばいいかもだけど、洋楽のカバーである「マイ・ウェイ」みたいなパフォーマンスを聞かされちゃあねぇ。何の言い訳もできやしねーわな。あの曲をラストに流したあの2016年10月の『ファントーム・アワー』の放送が、ヒカルの新時代へのスタートの掛け声だったような気がしてならない。掲げる目標は高く尊く遥けき遠く。この歌のヒカルによる歌唱を、いつか聴いてみたいような、永遠に聴けない方がいいような、そんな入り混じった気分であります。

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感染症禍下だからか何なのか、最近更にTwitterユーザーが増えてる気がする。ちょっと前まではいいねが5桁だと「随分バズったなぁ」という感覚だった。一日に一個か二個あるかなぁという印象。最近は6桁ツイートが一日に4つも5つもタイムラインに流れてくる。としかして日本の人口増えたの!? いやもうずっと減り続けてるよね…。

宇多田ヒカルさんもTwitterを始めて10年余り。初期の頃のインプレッションなんて比較対象にすら……ってそもそも昔はインプレッションなんて無かったさ。なので、どういった発言が注目を浴びているのかは、その同時期の他のツイートなりなんなりの数値との比較をせねばならずなんともやりづらいのであった。


バズりのオーダー(桁数のことね)というのは、認知の階層を形作る。例えば私みたいな人間はヒカルの発言なりアウトプットなりの殆ど総てを追っているので様々な変化に対する認識の精度が高い。感じ方や考え方、口調や関心など、時期別に結構細かく把握している。まぁそこらへんはこの日記にずっと書いてあるわね。

これが、ヒカルへの関心が薄い人ほど大雑把に、疎らになっていく。宇多田ヒカルのアウトプットに触れるペースが一年に一回くらいだったりする。いやいやもっとインターバルが空く人も多い。特にヒカルはデビュー最初の一年が物凄い注目度だったので、その時の記事の多さや視聴率の高さゆえに宇多田ヒカルのアウトプットに触れた遠くの人たちは、そこから20年以上ヒカルの情報がアップデートされていない。未だに認識が「R&Bを歌うタメ口の女の子」のままだったりするのだ。令和になってからもそういう発言を見掛けた事がある。宇多田ヒカル情報に生涯で数回しか触れないような人が世の中には沢山いるのだ。もしかしたら「全く触れない人」より多いかもしれない。視聴率が25パーセントを超えるとそうなってくるのかもね。紅白にも出たしな。

そんななので、Twitterにおいても、ヒカルの発言はいちばんバズった二つ三つくらいについて知ってる程度という人が大多数になりつつあるのではないか。初期の頃は「取り敢えず気軽にフォローできる超有名人」の10〜20人のうちの1人だったような気がするが、今はそんな認識も無いだろう。フォロワー数が大して増えていないのに対して、恐らく母数(Twitterにアクセスする人の総数)はこの10年で10倍とか20倍とかになってるんでないのかな。詳しいデータは知らないけれど。

なので、今下手にデカくバズると変なイメージがついてしまう恐れがある。5年前の年初のキンタマツイートがあの程度(3万いいね)で済んだのはよかったとみるべきか。例えばこれが5年後の今20万いいねとかついちゃうと今後二〜三年「キンタマ母ちゃん」みたいなアダ名で呼ばれ続けるかもしれないのだ。それは極端だけれど、今ってもう2021年、1世紀生まれが成人してんのよ。若い人たちに対して「宇多田ヒカル」なんて看板がいつまで僕らと同じ意味を持つのかはわからない。一方で年配になればなるほど情報更新が鈍化していつまで経っても「R&Bを歌うタメ口の女の子」扱いをされ。なんというか、今は結構な過渡期な気がする。どんなプラットフォームやアプリが情報発信や交流に適しているのか、再度検討すべきフェイズに入ってくるのかなと。まぁ、あたしに言わせればやはりここは『Message from Hikki』を復活させて欲しい、といういつもの主張になる訳だけど(耳タコだなこれ)、なんだかんだで自前サーバからの発信がいちばん無難なのは結構そうなんじゃあないのかなぁ?と思ったりもするのでした。

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で今日は『Movin' on without you』発売記念日。2ndシングル22周年。毎年キャンシーと連日で祝う事になりますね。

この曲、ミリオンヒットシングルなのにそこまで代表曲感がない。……普通そこまで売れててそんな事態に陥るだなんて事はまず有り得ない訳で言っててちょっと意味がわからないのだが、実際『UTADA UNITED 2006』以来15年間ライブでプレイされていない。どのライブでも演奏される1stシングルの片割れ『Automatic』や泣く子も黙る3rdシングル『First Love』とは扱いが違うのだ。

思うに、この曲っていちばん「若気の至り」感が強いのかもしれない。青臭くて恥ずかしくて歌えないというよりは、若いからこそ至れた境地というか、この切れ味は瞬発力がないと生まれない気がする。今のヒカルが若々しくないということではないのだけれど、現在進行形の新曲たちと較べてちょっと浮いてしまうのかもしれないなと。

それでもやっぱりこちらとしてはナマで歌って欲しいので、ライブ用のリアレンジを考えてみる。この曲のシングルのカップリングには『(Tribal Mix)』としてリズム隊だけをバックに歌うバージョンが収録されているが、うーん、コンサートホールで演奏するには実験的過ぎるだろうな。

では『COLORS』や『Letters』のようにストリングス・バラード・バージョンにするというアイデアもあろうが、そうなると『とまどいながらでもいいから愛してほしい……』のパートがイマイチ決まらない。あそこのブレイクがハイライトなだけにここでダレるとなるともうひとひねり考えないといけなくなる。結構骨が折れそうだ。

やっぱりオリジナル通りに演奏するのがいちばんいいかな。とはいえ、それはどの曲でも最初はそう思うの事。『BLUE』のようにライブ・バージョンで生まれ変わる曲もあるので、やってみないとわかんないわね。逆に考えれば、この曲をライブで歌い切れてしまえば「宇多田ヒカルはまだまだハジけられる」と内外にアピール出来るので、敢えて挑戦してくれるのもいいかもね。そういう日が早く来てくれればいいんだけどなっ。

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映倫のサイトで「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の上映時間が2時間34分即ち154分と判明したそうな。長っ。つまり『One Last Kiss』まで150分待てと。「あっという間だった」と言わせる位に濃い密度の内容を期待したい。

しかし、これだけ長いならインターミッション入れて欲しいなぁ。「サウンド・オブ・ミュージック」なんかは175分あったので途中で休めたんだよね。……ってまた例が古いなお前っ。「戦争と平和」なんかは7時間くらいあるんだっけね。こちらは観たことないけれど。

もしインターミッションがあるんなら、真ん中で『Fly Me To The Moon』が掛かったりしたら嬉しいかも。テレビシリーズではエンディングテーマだったのだし、曲調も軽やかで休憩タイムにリラックスするには丁度いい。『One Last Kiss』EPにもちゃんと収録されているしなヒカルの歌うヴァージョンが。やってくれんかねぇ。そこなら今から直してくれてもOKですよ?

で。これでますますテレビで流れる時はエンディングテーマが切られる公算が高くなったけれども、寧ろノーカットでいくなら3時間半枠にしなくちゃいけなくて逆に主題歌入れとかないと長さが中途半端になるかもね。いや、どうせなら年末年始に「忠臣蔵」みたいにエヴァ序破Q一挙9時間ぶっ続けで放送してくれても……いいのよと言おうとしたけど俺多分観ないな。配信文化に入り浸り切ってるせいで自分の都合で一時停止できない映像作品に触れるのが億劫でねぇ。スポーツの生中継とかライブコンサートとかならまだいいんだけど。なので今「映画館で二時間半は長いなぁ……」と弱気になっているのでした。あそこ乾燥してるからすぐトイレ行きたくなるのよねぇ。トイレが近くなるからと水分補給を控えたら逆効果になる罠みたいな空間だ。って何の話してるんだ自分。そろそろ医療関係者の皆さんにワクチン接種ターンが回ってくるそうなので、状況の改善を願いつつ映画に備えると致しましょう。

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