無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ヒカルはかなりの部分自分に言い聞かせて、Popであろうとしているように見える。これは、確かに判断が難しい。強いられているんだ、という所にまではいかないまでも、どこか恣意的な感じが漂うのだ。

人によっては、もしかしたら曲をただ作るだけでPopになっていくようなこともあるかもしれない。何も意識しなくても、好きなように作ればPopになる、という。そういう人が実際に居るかどうかは知らない。

考え方次第。もしかしたら、そうやって「"Popであること"を自らに強いること」自体がPopさの原因なのかもしれない。何だか再帰的な定義だが、そう出鱈目な話でもない。もう何度も引用しているか、3年前の鼎談で渋谷陽一がPop Musicを"他者の音楽"と呼称したのが未だに印象に残っている。他者の目を(耳をか)意識して初めて音楽にPopness(そんな英単語あるんだろうか)を付与する事が出来るとするならば、Pop Musicとは定義によって自らを強いる事が必須となってくる。

ヒカルは、どうか。これも何度も言ってきたように、ヒカルは"Automatic"という名の曲でデビューしている。意味するところは、自発的な、自然の、いつのまにか、本当の、恣意的な、どうしようもない、そんな感情である。何かを自らに意図的に強いるというよりは、抗い難い何かに突き動かされるような。これも何度も引用しているが、Passionの時のインタビューでヒカルは、(辛い事や苦しい事もあるだろうに、目一杯稼いで結婚してそれでも尚)何故音楽を作り続けるのかという問いに、『止まらないんだよ』と答えていた。鮭の産卵を例えに出していたあの時のインタビューだ。これ以上に"Passion"を表現した言葉を他に知らない(…こともないか)。まさにAutomatic、自分が止まりたい止まりたくない以前に止まらないのである。この情熱、この勢い。こういうのを普通は、Popnessの対局として、芸術家肌、作家性、Artisticityと呼ぶ。ヒカルはまさにそちらの人間であろう。

そんな彼女が、傍若無人に芸術性をとことん追求する道を選ばず、Popである事を自らに強いている。そのバイアスが最もかかったのがThis Is The Oneだったように思う。その時のメインストリームポップを出来るだけ踏襲したサウンドで、波風立てず穏やかにアメリカ市場にSay Helloする方法論。前回触れた通り、それはほぼ目論見通り達成される。派手なヒットにはならなかったが、着実に少しずつ人々の耳に馴染んでいった歌。それなのに体調不良で頓挫した。ぐむむ。

ありていに書こう。私は、それは光の内面のArtisticityの警告だったのではと考えてみているのだ。余りにPopに自分を強いすぎて、心身のバランスが崩れたのではないか、と。ただこの仮説は、他のミュージシャンには通用しても光に通用するかどうかがわからない。何故光が自らに好んでPopnessを強いているのか。直接的ではないにせよ、その方向性の決定自体は、光自身の嗜好によって為された筈なのである。好きで強いていた。そうとも考えられるのだ。

まだこの話は続きそうだ。どういう話に発展するかはまだ見えないが、また次回のお楽しみという事で。

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Perfumeがユニバーサルに移籍するそうな。海外展開するには徳間は確かに相対的にみて不向きだから妥当な選択だとは思うが、UtaDAが同じくユニバーサルと契約してどうなったかを見てきた身からすれば、まずは静観かなという雰囲気だ。

Perfumeと宇多田ヒカルのファン層はかなり重なる…というか、あらゆるアーティストのファン層と重なっているのがPerfumeの特徴だ。いやアーティストのみならずアイドルカテゴリーとしても扱われてきた。その裾野の広さが圧倒的な強みである。

何故彼女達がここまで支持を得たのか。もう散々語り尽くされてきたので新しく言い添える事はないのだが、私なりの言葉で表現するならば彼女達は「夢のない時代に夢を見させ続けてきてくれた」から老若男女から愛されてきたのではないかと思うのだ。小学生の頃から長年頑張って…というサクセスストーリー。アメリカンドリームならぬジャパニーズドリームといった所か。夢じゃなくて愛を見せてと歌うヒカルとはかなり立ち位置が異なる。真逆といってもいい。といっても普通の人間には愛も夢も程々に必要だから両方のファンになるのは寧ろ補完的で自然なことだろう。

ここまで夢を見させ続けてきたのだから次は海外展開に移るのは必定だ。あとはそれをどこまで繰り広げるかだが、我々が見てきたように、レコード会社の選択、もっといえば、Perfumeに熱心になってくれる人を見つけられるかどうかが鍵になる。どこに所属するかというより誰と仕事をするか。あまり"ユニバーサル"という看板を気にし過ぎない方がいい。

UtaDAの世界展開、或いは米国での活動についてはWeb上では非冷静な声ばかり聞こえてきて評価が難しい。とりあえず纏めると、2004年のEXODUSではアルバムは制作したものの殆どプロモーションが為されず、評価される前に存在を知られる事がなかった。これはレコード会社のトップが2002年の契約時と入れ替わった為プライオリティが変化した為だと考えられている。兎に角、EXODUSの結果で「日本人は、或いは宇多田ヒカルは海外では通用しない」と結論するのは暴論というか無意味であろう。

一転、2009年のThis Is The Oneではそこそこ積極的なプロモーション活動を展開、ラジオオンエアもそれなりに獲得した。結果iTunesStoreで18位、ピルボードで69位という数字を残す。リリースデイトが分散してしまった為やや最終順位は低めなものの、ツアーを一度もやったことがなければ何のファンベースもコネクションもないミュージシャンとしては上々の滑り出しだった。新人である以上ここからが勝負だったのだが残念ながら今度はここで本人がリタイアしてしまい、数字の動きはここで止まった。

要はUtaDAに関してはプロモーションの量に比例した成功を収めただけであり、それ以上でもそれ以下でもない。実力的にはいつ1位をとっても不思議ではないのだから適切な宣伝をすれば結果はついてくるのである。

Perfumeに関してはこの点が未知数な為、果たしてヤスタカ氏にどれくらいの引き出しがあるかが気になる所だが、私はよく知らないのでコメントできない。ただ言えるのは、日本人だからといって云々というのはUtaDAを見る限り関係ないという事だ。成功を祈りたい。尤も、英語力だけは流石に必要な気がするし、光はその点何の心配もなかったんだけれどね。

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もう数日前のニュースになるが、LIVE NATIONがクリエイティブマンと共同出資で新会社LIVE NATION JAPANを設立。遂に世界最大規模のコンサート・プロデュース企業が日本に進出してきた訳だ。

日本でのコンサート事業はCD市場以上に特殊で、如何にLIVE NATIONとはいえそう易々とは進出してこないだろう、と高を括っていたのだが、なるほど既に興業市場にある程度シェアのある国内企業を取り込んできたか、やるなぁ、、、なんて話は本欄とは関係ない。

我々に意味があるのはただひとつ、日本語が通じる"LIVE NATION"の看板を掲げた企業が誕生した事である。想起しよう、UTADA IN THE FLESH 2010のコンサートプロモーターがLIVE NATIONであった事を。そして、その映像を撮影したのも彼らであった事を。どこまでUniversal Musicが絡んでいるかはわからないが、兎に角ITFの映像をリリースする為にはLIVE NATIONを動かさねば始まらないのである。

まだ私は英文のプレスリリースを斜め読みしただけなので詳細は把握していないし、検索もまともにしていないのでそのLIVE NATION JAPANのWebサイトがあるのかないのかもわからない。が、そのうち窓口みたいなのが出来る筈である。ご意見ご要望はこちらに、とかね。まぁ普通は「どのアーティストに来日して欲しいですか?」みたいなアンケートを受け付けるのだろうが我々は違う。「UTADA IN THE FLESH 2010はいつリリースするんですか」。これである。

ぶっちゃけ、LIVE NATION JAPANはITFと何の関係もない。縁も縁もない。だってコンサートプロモーターであってDVDを売るセクションじゃないからね、そんな事言われても知らんがなというのが本音だろう。しかし一般人である我々(え?)はそんな区別なんかできない。LIVE NATIONという看板を掲げている以上、LIVE NATION関連の問い合わせは受けざるを得ない。

とはいえ、そんなウザいメールorメッセージを何十通も受け取ってくれば、「ひょっとしたら商売になるのかも」と誰かが思って該当セクションに連絡をとってみてくれるかもしれない。我々の狙うのはこれである。LIVE NATION JAPANのWebサイトが出来た暁にはメール・フォームから要望メッセージを送りつけてやろうではないか。

ここでもう一押ししておきたいポイントがある。宇多田ヒカルがEMIと世界契約をした事だ。復帰後は、日本を中心にしたワールド・ツアーを敢行する可能性がある。海外ではまたLIVE NATIONと、というセンも十分に考えられる(多分ここらへんの選択にレコード会社あんま関係ない)が、興業規模としては圧倒的にヒカルの場合日本国内がデカい。誰しも、宇多田ヒカルの国内興業権を手に入れたい筈である。それを考えたとき、ITFをリリースして先手を打ってヒカル側とコネクションを作っておく事は興業主として大きなアドバンテージになるだろう。映像作品の収益なぞ度外視してもいいではないか。外タレ主体の興業主が、日本屈指の有名アーティストのコンサートを仕切るチャンスが生まれるのである。これを逃すテはないだろう、どうでしょうLIVE NATION JAPANさん、UTADA IN THE FLESH 2010をなんとかリリースしてみませんか…出来ればBluray/DVDでも☆

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This Is The Oneの制作期間が短かった事は、端的に曲の短さに現れている。そんな単純なものかと言われそうだが、たぶんそうなんじゃないかなあ。

アレンジメントやサウンド・プロデュースまで外注するとなると、こちらから提供するのは骨格だけだから、特にミックスダウンの段階で…カタカナ多いな。

なかには、サビだけでなくBメロでも歌詞が繰り返しになっている歌がある。人によっては、それを手抜きとみる面もあるのではないか。過去にあまり例をみない手法なだけに。

それについて反論するよりも、そういったアイデアの密度の濃さが、EXODUS~ULTRA BLUE~HEART STATIONの時期に較べてあっさり気味である事をまずは認めてみる事にしよう。で、だ。前回の続き或いは焼き直しになるが、そういう力の抜き加減でアルバムを量産してもらった方がいいのか、或いは制作期間を長くかけてもいいから凝縮した密度の濃いアルバムを長いスパンでポツンポツンと発表してくれた方がいいか、どちらかという話だ。

世間一般(と言って何を指すのか我ながら書いていて不明だが)にとって宇多田ヒカルという存在は、嘗ても指摘したように、日常のサイクルの一部ではない。彼女のアルバムリリースやコンサートは毎度お馴染みというよりも、4年に1度のオリンピックみたいな、どちらかといえばたまのお祭り騒ぎだ。あクマでもそれは印象に過ぎず、ツアーはともかくアルバムに関しては12年間でオリジナル7枚のシングル集2枚、計9枚発表しているのだから十分過ぎる程なんだがしかしイメージはイメージだ。宇多田ヒカルは特別である。

復帰後も、今までのようなイメージを引きずるのだろうか。ひとついえるのは、契約が一本化された事で並行作業の懸念が払拭された事だ。『日本語のアルバムと英語のアルバム同時に作っているようなもん』なんて正気の沙汰ではない。そういった状況が解消されるのだから少しはリリースペースが上がる事が期待される。

後は、光の音楽活動に対する意識の変化だ。果たして、人間活動を通して得た経験なりスキルなりは、復帰後も継続するのだろうか。今までは日本語盤と英語盤の"二足の草鞋"だったが、これからは"音楽と何か"の二足の草鞋になるかもしれない。そうなるとますますリリースペースは遅くなるだろう、当たり前だが。

2年か5年かはわからないが、それ位の期間何かに熱心に従事しておきながらあっさりそれを辞めてしまえるかというと、なかなかそれは難しいんじゃないか。アーティスト活動無期限休止だからといって今現在の活動がさしあたって無期限かどうかは決まらないが、その気になれば本腰を入れる事も可能だろう。そして、それが人生全体に敷延するならば、音楽活動自体が"あっさり"になっていく可能性も出てくる。

尤もそれは"可能性として存在し得る"という程度の話だ。実際には、彼女がそうそう音楽から離れていられはしないだろうから。彼女が音楽を愛している以上に、音楽が彼女を愛しているからには、向こうから運命の方が歩み寄ってくる事だろう。そこは無理なんてしない方がいい。

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This Is The Oneの最大の特徴はその前作からのスパンの短さだ。

宇多田ヒカルの5thアルバムHEART STATIONがリリースされたのが2008年3月19日。そこから1年足らずの2009年の3月12日にTiTOはリリースされている。この嘗てない異常なスピードを達成する為に光は外部プロデューサーを複数起用するテに出た。

光本人は主に歌詞とメロディーを書き、アレンジメントとサウンド・プロダクションはプロデューサー・チームに任せる。それまでの過剰ともいえるセルフ・プロデュース体制とは打って変わった分業体制によって僅か一年で全10曲を揃えたのだ。HEART STATION制作時(2007年)にはある程度同時並行で取りかかっていたとはいえ、そね気になれば一年に一枚出せる事を証明した。

こんな既知の事をなんで蒸し返しているかというと、果たして我々は、光の復帰後にどういうペースで作品を発表していって貰いたいのか、というヴィジョンを考えてみて欲しいからである。

光が外部プロデューサーを積極的に起用すれば、TiTO並の質&量のアルバムを、2年に1枚位のペースでコンスタントにリリースでき、その間に半年位かけてツアーを敢行できる(リハーサル期間含め)。2年でこれだけ仕事しても尚光は数ヶ月の休みを次のサイクルの前に取れるだろう。2年間でアルバム1枚、ツアー1回である。

仮にHEART STATIONの質&量のアルバムをリリースするとなると、もっとツアーの前に休みをとるべきだ、となる。実際は光は2005年から4thアルバムを作り始め2006年3月には作り終え(リリースは6月)、4月からツアーのリハーサルとプリプロダクションに取りかかり(並行してプロモーション活動も行い)、9月にツアーを終えたと思ったらその後そんなに休んだ形跡もなくぼくはくまからどんどんと5thアルバムの制作にとりかかりきり、僅かそこから16ヶ月でフルアルバムをリリースしている。

が、こんなペースでやってたら間違いなく潰れる。コンスタント、というのはアルバム制作とツアー生活のサイクルが少なくとも5回位は続けられる事を想定している。その為には、TiTOのような"あっさりとした"(時間でいえば40分足らずの)内容のアルバムである事が必要だ。

でなくば、EXODUSやUBやHステのような濃密な作品を2年に一度作って、その代わりツアーは4年に1回位の感じになるのではないか。

光の体力を考えると、どちらかのサイクルになるだろう。果たして、ファンとしてはどちらが望ましいと思うだろう。今のうちにイメージをしておいてみては如何でしょうか。

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大体の光の行動には合点が行くか、理由はよくわからなくてもそれはそれでいいかと納得できてしまう事が多いんだが、少数ではあるものの"不可解"なセットも存在する。そのひとつが"Automatic Part2"だ。

こういう曲調で自己紹介を展開する歌をあのタイミングで収録したのはいいアイデアだと思うし、5年ぶりのセカンド・アルバムという事で仕切り直しの意味も込めてAutomaticの続編をという発想もいいと思ったが、何故それを併せてしまったのかがわからない。

当時も指摘したのだが、音楽的な内容としてAutomatic Part2と呼びたくなるのはFYI-Merry Christmas Mr.Lawrence-の方であって、リズムにテンポ、インストゥルメンタルとボーカルのバランス、抑揚と起伏のある歌メロなど、似てはいないが同系統の曲調であった。

確かに、近い音楽性の曲同士に似通ったタイトルをつけてしまうとどうしても比較対照した評価を受けてしまいそれぞれの楽曲にとってあまりよい結果を齎さないかもしれない。それを回避した、というのならわかる。現実には、「そんなことは考えもしなかった」のかもしれないけれど。

であるなら、確かにこのタイトルをどこかで使うというのなら、歌詞が異色である所の自己紹介ソングに、という顛末になるのもわかる。この曲はイレギュラーですよというシグナルだ。

そういう消去法でいくならこういう結論になるのも仕方ないが、どうにも消極的な印象は拭えない。

何より、そういう理屈は抜きにしてこの曲には、当時のレーベル名(Island Defjam)なんかがフィーチャされている為、今後ライブで歌われる可能性がほぼない、という"運のなさ"が気にかかる。歌詞を書いてる時はその後の契約終了なんて頭の片隅にもなかったのか、或いは念頭にあったから今のうちにとこういう曲を書いたのか、いずれにせよ陽の眼をみなさは変わらない。なんとも惜しい事である。

尤も、該当箇所をその時々の所属レーベル名に変えて替え歌を披露し続けていけばそれはそれで"使える"歌に変身していく事は可能どある。ライブテイクも、歌詞違いという事で価値が上がるだろう。要は今後の活動次第なのだ。今の時点で不可解であっても、これからの行動次第で幾らでも合点のいくものに変えていく事が出る。いつだって、結論を出してしまうには早いのである。

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梶さんが先日、チャートの上位が(担当してはる)AI以外はアニメや2chやアイドルやヴィジュアル系である事を憂いていた。伝統あるEMIのA&Rトップ(だっけ)としての率直な気持ちだろうし、気持ちはよくわかるのだが流石に今更過ぎる。

というか、そもそも既に7、8年位前から所謂邦楽勢はアニソンやゲーム・ミュージックといった"いろもの"たちに楽曲のクオリティで負けているのだ。理由は事情をよく知らない僕でもわかる。単純に、曲を書ける才能たちがそちらに流れていっただけなのだ。所謂邦楽勢、Jpopと言ってもいいが、そのシーンでやっていく事よりもアニメやゲームの方が魅力的だった…というと流石に単純化し過ぎているが、極端な話本人たちもそういう仕事はしたくないかもしれないが、実際に"ある仕事"がそっち系ばかりになっていったという事もあるかもしれない。

実際、現在チャートに載っている上位のアニソンとポップスを並べて聞き比べてみたらいい。純粋に楽曲で勝負になるのは意外にもあんまり練習した感じもしない歌を唄ってくれているアイドル勢くらいだ。これは、アイドルに曲を書けば印税が桁違いだからである。気が進まなかろうがなんだろうが稼げるなら才能はそちらに行く。その傾向が深化してもう何年も経つ。今は名実ともに"いろもの"の時代なのだ。

宇多田ヒカルはといえば、勿論作曲能力は日本一であるからして凡百のアニソンやアイドルやゲームミュージックやヴィジュアル系を連れてこようが勝負にならない訳だが(わざわざそんな事を言う必要はないんだが、私はアニソンやアイドルやゲームミュージックやヴィジュアル系に好きな曲が沢山あるのでかえって遠慮がない)、こと"やってくる仕事"に関してはやはり時代の流れに合わせるしかない。当たり前だ、ない仕事は受けれない。

という訳で、タイアップの変遷を辿れば時代の流れが見えてくる…という話をしようと思っていたのだが、どうにも興が乗らない。昔はCMタイアップが多かったのに段々なくなっていったのは、そもそもTVCMという枠組みにパワーがなくなってきたからだよね、だってTVCMって明らかに90年代の方が面白かったでしょ、とか初期は実写のタイアップが続いてたのにいつのまにかEVAとかFREEDOMみたいなアニメやらKINGDOM HEARTSみたいなゲームやらも入ってきたよね、とかMDなんかのCMやってたのがLISMOやレコ直になったよね、とかなんかどれも一度は書いた事のある話ばかりだからかな。今また書いちゃったけどね。

光が復帰してきた時に一体何が"稼げる"分野なのかを予想するのは難しい。いちばん恐ろしいのは、"歌"の居場所がなくなる事だ。歌という文化・現象自体は消えないかもしれないが、"新しい歌"はもう段々要らなくなっていくかもしれない。というのも、この国はこれから超々高齢化社会を迎えるからだ。パイの少ない若者向けの文化に才能が集まるだろうか? 音楽に関しては、老人に愛される懐メロばかりが持て囃されるかもしれない。リスナーもアーティストも、みんなそのまま同じく歳を重ねていく―シーンの新陳代謝なんて、若者が大量に出てきてそれを更に大量の若者が支持してこそ生まれるものだ。一億総介護の世界に、そんな活気なんてあるだろうか。ないんじゃないかな。

なので、光は英語でも歌えるのだから今後はこの国はほどほどにして(見切りをつけた方が余程潔いが)、活気溢れる新興国にでも居を構えそこで新しい音楽を創造して勝負した方がいいかもしれない。契約もちょうどグローバル企業と結んだものだ。アニソンもアイドルもゲームミュージックもヴィジュアル系も、今までもそうだったがこれからも海外に飛び出していくだろう(秋元康はちゃんと考えてるよね)。そして、今後はそこから帰ってこないかもしれない。そこが今までとは異なるだろう。

勿論これは何の根拠も、いや可能性すらほぼない与太話だ。グッズをMade In Japanで固めたヒカルがこの国を見捨てる訳がない。が、そういう時代の流れの中で、グローバルに活躍できる人がこの陽の落ち始めた国にこだわってくれるのは幸運であるという事を忘れてはならない。なんか電車が止まってたせいでいつもより長々と益体なく綴ってしまったが、よく考えたらここ読みに来てる人にはあんまり関係のない話だったかな。ヒカルがどんな活動をしようが、とりあえずは注目する人でないと、本人がアーティスト活動停止中なのにそのいちファンのBlogなんかこのタイミングで読みに来ないもんねぇ。

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UtaDAの事で未だに心に残っているのは、This Is The Oneの発売週に光が倒れた事である。体調不良と一言で片付けてよかったのかどうか。そこまで気が付かなかったのはどうなのか。疾患の性質による話だから何とも言えないのだけれど、どうにも妙な違和感を私に残したままなのである。

DEEP RIVERの時は、比較論でしかないものの、まだわかる展開だった。レコーディング中の手術、掛かる体への負担、なんとか完成までは漕ぎ着けたがそこで力尽き、、、という感じだろうか。勿論薬の副作用もあっただろうが、ここは発売延期になりそうな所を光が驚異的な精神力で乗り切った、でなければ普通は制作中止・延期だったろうという事だ。

TiTOの時は違う。確かに、事前から予想されていたように、光にとってはスタジオでの制作よりも各地を文字通り飛び回るプロモーション活動の方がよりストレスにはなっただろう。更に、その時には3月発売の点と線の編集長まで務めていた。上に次の日本語曲の準備まで進めていたのだから、いつ倒れてもおかしくなかったのだ。

ひとつ考えられる解釈は、光の精神力がDEEP RIVERの時より図抜けて成長してしまった、という事だ。こういう話を精神論で語るのはよくないけれど、あの時プロモーション活動を途中で断念したのが余程悔しかったのだろう、実は本来なら制作終わりで何週間、何ヶ月という休養が必要な身体だったのにそこから更に4ヶ月フル稼働してしまった、出来てしまったという。DEEP RIVERの時はそれが2週間だったと。手術や投薬の有無の違いは大きいが、それでもこの差は大きい。

ただ、その力尽きるタイミングが、全米でのリリースタイミングのまさにその時だったというのが。身体は待ってくれない、とはいっても、寧ろ既に体力的には限界を超えていていつ倒れてもおかしくない状態だった、と仮に想像するならば、光に「もうダメだ」と(うわぁ、言わなそうなセリフ)思わせた要因は何かあったのか、あったとしてそれは何だったのか。病名が何であれ、診察を受けるからには先に体調不良を感じて医者に詣でなければいけない訳で、それは周りが気が付いたのか本人が自覚したのか、当時の発言を浚えば何かわかるかもしれないが兎に角その"妙なタイミング"に、どうにも(未だに)合点がいなかいのである。

「いずれにせよUtaDAは全米で大成功する運命にはなかったのだ」と運命論で片付けるのは容易い。容って漢字は"た"と読むのだろうか。しかし、運命で語るなら何も語る事はない。釈然としない気持ちを抱えたまま、契約は終了してしまった。いつか、光が2009年の頃を振り返る機会があるのだろうか。いちどじっくりきいてみたいものである。

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今日はUtaDA初のショウケースギグからちょうど7年である。7年か。マット・ローディとはその頃からの付き合いだ。なんか他にもLIVE記念日ってたくさんあるのに私は何故か毎年2月23日には触れる割合が多い。何故なんだかなぁ。観たかった度がいちばん高かったからかな。

あれから状況は二転三転し、ライブハウスツアーはやったが契約は終了した。そして映像作品は音沙汰なし。まぁここまできたらいつでもいいからリリースしてくれ。NYCショウケースギグの特異な点は、唯一のきりやんプロデュースのUtaDALIVEだったという事。その一端はUU06でも味わうことが出来たが、他の曲はどんなだったのだろう。今となっては、知る由もない。今後もその時の映像を見れる可能性は低い。

でも、まぁいいや、LIVEだからね。これがパッケージされた商品だったらリリースしろよとなるけれど、NYCショウケースギグの映像はプロショットでない以上商品化は出来ないだろう。あれ、そこらへんについて英語メッセがあって俺それ訳したんだけど記憶がとんでるわ…なんて書いてたっけ光は。

それもまぁいいや、そんな訳なのできっちり商品化するつもりで収録したITFはちゃんと出しなさいよ、と。私はホノルルで観ているからまだいいんだが。よし、毎度のように自慢したぞ。

ただ、将来的には「宇多田光全活動記録集」みたいなもんも商品化してくれないかな、とは思う。せっかくここまで電脳が進化したのだから全部アーカイヴしてしまえばよい。

という発想は、コアなファンなら一度はもった事があるだろう。それとともに、光がそういう作品を気に入りそうにないという事も。過去の言動を書き留める事の大切さは昔説いていたが、それは決して"全部"ということはないはずだ。ひとりの女性として、そっとしておいて欲しい事もあるだろう。

でも、いちばん望ましいのはいつまで経っても光が活動を続けていて、ゆっくり過去を振り返る機会が与えられない事である。光がナマで歌ってんのに昔を懐かしんでいる場合じゃなかろうて。

もし光のナマの歌唱力が落ちれば、或いは「昔はよかった」にも意味を持たせられるかもしれない。が、衰えるのもまた味である。人と共に老いるのもまた人生だ。その時になって初めて、「生きてりゃ得るもんばっかりだ」がどういう哲学に基づいた発言だったのかを知るのである。

何かとっちらかった文章になってしまった。UtaDAの追憶というのは、今となってはほろ苦いものだが、アルバムを聴くとやっぱりエキサイトするんだよねぇ。今後もちゃんと誰でも手に入れられるような態勢を維持し続けて欲しい、とそう願わずには居られない。

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宇多田家のお父さんお母さんのクレジットに奇妙なミドルネームがいつも付け加えられている事はご存知だろうか。照實さんの場合は"sking"、あれ"skingg"だっけ、いずれにせよ読みは"スキング"で、スキーと何か関係があるのかと思ったらこれは"酢キング"、"酢王"のことで、彼が無類のお酢好きであることから来ているらしい。見事に娘にも遺伝(?)
しましたな、お酢好き。そしてお母さんの方のミドルネームは"Rah"、エジプトの太陽神"ラー"の綴りだが、これも"ラー油"とかけていて、二人併せて餃子のタレらしい。なんのこっちゃ。それなら光はその2つを混ぜ合わせる、結び付ける餃子なんか。

で、エジプトといえばEXODUSというアルバムタイトル、周知の通りこれは旧約聖書の「出エジプト記」から来ていて、モーセがユダヤの民を引き連れてエジプトを出国する物語だ。映画「十戒」で海が割れて道が開ける場面は余りにも有名である。昔全編見ようとして私途中で寝ちゃったんだけどまぁそれはさておき、Exodus'04に出てくる『The waves have parted』の一節は恐らくそれを意識したものかと思われる。いや船の舳先も波を分けるからそっちのことかもしれないが、最初歌詞を確認した時私はそう解釈したのだった。

で、これは太陽王ラムセス二世の統治の頃の話なんだそうな。今から3000年以上前の話。で、この"ラムセス"という言葉の語源は、「ラーから生まれてきたもの」なんだとか。ラーが藤圭子(或いは宇多田純子さん)の事だと解釈すれば、ラーから生まれてきた者は宇多田光しか居ない。モーセの出国を阻もうとするラムセスが光自身の隠喩だというのだろうか。或いは、ラーの加護の許を離れるという意味なのかもしれない。Exodus'04は、父や母にお別れを告げる歌でもある訳だし。いずれにせよ気になる符合である。当時は普通に日本から米国へと国を移ることを指してEXODUSという名前にした、という程度の解釈だったのだが、更に豊かな含意を匂わせる発見であった。飼い猫のエジプトの事を思い出す。

ちな!みに、そのモーセの奥さんの名前は"セフォラ"というんだそうな。UtaDAのイベントを開催したところである。尤も、5年後の2ndアルバム発売時の話だが。あともっとどうでもいいが、ラムセス2世の奥さんの名前は"ネフェルタリ"というそうな。漫画ワンピースに出てくるアラバスタ国王ネフェルタリ・コブラのネーミングの由来ですねぇ。

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もしかしたらちょっと勘違いしていたかな。

宇多田ヒカルといえば"グルーヴィな歌唱"という面に於いて、日本市場の商業音楽勢では明らかにNo.1だと思われる。ネイティヴな英語発音力に抜群のリズム感、楽曲に対する理解度とそれに即した声のコントロールの精度、その総てが備わっている歌手は他に思い当たらない。未だに、本格的なR&Bのグルーヴを歌で表現させれば日本ではヒカルに敵う者は居ないだろう。まぁあんまり有名でもない人の中に居たりもするので、あクマで"商業音楽勢の中で"、ではあるのですが。

しかし。ふと考えてみると、ヒカルの書いた楽曲の中にそんなにグルーヴィなものって見当たらないのだ。R&Bらしい低音域の効いた作風といえば1stだが、あれはヒカルはあんまりサウンドメイキングに携わっていない。あと、UtaDAに関しても、2ndはR&Bテイストはあるといってもあれは"メインストリーム風Pops"を北欧のメロディアス系のプロデューサーコンビと追求した二次的な結果であるので、コテコテのR&Bではない。

ヒカルの、いや光の書いた曲の中でもいちばんグルーヴィだと私が思う曲のひとつにEXODUSのWonder'Boutがあって、アレはホント日本人じゃ真似できないグルーヴを歌で出してるなぁと初めて聴いた時から思っているのだが、あのコテコテっぷりは結局ティンバーランドのリミックスがあったから、という事でしかなかったんじゃないか、とさっきから考えるようになった。

さっきから、というのはちょっと言い過ぎかもしれないが、元々光の作るリズムトラックには特徴があり、それは再三書いてきたようにEXODUSのOpeningになくてCrossover Interludeにはあるあのリズムトラックが一例な訳だが、あれは4つ打ち(ドン・ドン・ドン・ドン)のダンスビートが基礎基本になっていて、Wonder'Boutのような抑揚のある歌唱は要求しない。最近作であるGoodbye Happinessもこのダンスビートが基本になっていて、人間活動に入る前にいちばん得意なパターンで勝負してきたんだなと感じさせる。

つまり、ひとの作ったグルーヴィなトラック(1stでいえば甘いワナとか)にそれに相応しい歌唱を載せる事は出来ても、自分からそういう曲ってもしかしたら書いた事ないんじゃないかと気が付いたのだ私。さっき。ああいう路線で書こうとするとHAYATOCHI-REMIXみたいになっちゃうんじゃないか。良い悪いは抜きにして。

REMIXといえば、先述のWonder'Bout、EXODUSアルバムが初出の筈なのに最初っから表記が"remix:Timbaland"だった気がする。今手元にブックレットがないんで確認出来ないが。もしかしたら、リリースされていないだけで光主導による"オリジナル・ミックス"が存在するのだろうか、あるとすればそれはどんなリズムトラックで、どんな歌唱が載っているのだろう。滅茶苦茶興味があるのだが、Universalとの契約が終わった以上、そして原盤権を彼らが保持している(だからUTBが出せた)以上、恐らく永遠にお蔵入りだろうな。何しろレコード会社ってのは、原盤"権"は手放さないが、実際の原盤は紛失しているなんてこともあるんだから。嗚呼、もったいない。

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歌詞の傾向を12年単位で眺めてみると、やはり初期は"直中の人のリアリティ"が際立っているように思う。中期後期は他人事というと意味が違ってしまうし、結局は自身に対して歌っているようにも捉えられるがキプトラに代表されるように人を応援する歌も書いている。

『だって、つまずきながらって口で言うほどラクじゃないでしょ』(Wait&See~リスク~/2000)と言うのに対して『ちょっと遅刻した朝もここから頑張ろうよ』(Keep Tryin'/2006)という感じになっている。特に2001年のDistanceアルバムは、時の人となって何が何だかわからない暗中模索にあって書いた歌詞が多く、それ以降、DEEP RIVERアルバムからは少しずつ達観した内容が増えてくる。変な言い方だが、まるで自身が直中の人、時の人で居るのを拒否するかのように。

そういった歌詞の変化が、ファン離れを促進したという見方も、場合によっては出来るだろう。Flavor Of Lifeがあれだけヒットしたのも、超越的な姿ではなく等身大の歌を心掛けたからというのがあるだろうし。

しかしそれは、"心掛けなければ書けなかった"というのがあったような気がする。勿論、花より男子原作を幼少に読んでいたお陰もあってその世界の中の文脈で表現する事が大いに助けとなり、そんなに大仰に構える必要もなかったかもしれないが。

その、2007~8年頃の光自身にとってよりリアルだったのではないかという曲調は、そのFlavor Of Lifeの続編にあたるPrisoner Of Loveの方かもしれない。これもドラマ「ラスト・フレンズ」の曲ということもあって、某かの"心掛け"によって書かれた曲調であるという見方も勿論出来るだろうし、たぶんそれで合ってる。

しかし、歌詞を読んでみると、『私を応援してくれるあなただけを』と『Don't you give up oh 見捨てない 絶対に』という、応援される立場と応援する立場の両方の感情が歌われている事に気付く。いわば冒頭で引用したリスクとキプトラの両方の側面を持ち合わせた楽曲になっている。リスクだって後半他者を励ますような感じも出てくるしキプトラだって自分自身も励ます歌なのだが、このPoLは「二人ともが対等」になっている所がひとつの到達点としての風格を齎しているように思われる。UTUBEで見る限りにおいては、Goodbye Happiness, First Loveという最近作の名曲と極初期の名曲とともに3大人気曲の一角を占めるPrisoner Of Loveには、やはり何か特別なものを感じる。この曲でどれくらいの初期ファンが戻ってきたのかなあ。それもちょっと興味があります。

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銀花帳を読んでたらSMLの『紫の信号が点灯って思考停止』の部分について光が詳細に解説しているインタビューが引用されていた。何が吃驚したかって、私がその記事を読んだ記憶が全くない事である。んなアホな。

しかもしかも、これから無意識日記更新するエントリー候補の中に『紫の信号』の解説も入っていたのだ。少しボタンを掛け違えていれば、光本人が既に説明している事をまるで自分が気が付いたかのようにどや顔で解説していた訳で、いやぁそんな恥ずかしいことにならなくて助かった。読んでてよかった銀花帳。(ステマかよ)

しかし、私が紫の信号の解説をしようと思ったのは、とすると、実際にはこのインタビューを過去に読んでいてその内容だけは無意識下にしまい込み、読んだという事実の方はすっかり葬り去ってしまった為、という事になる。なにしろ書こうと思っていた内容は光の喋っている事とほぼ同じだからだ。詳しい内容は銀花帳でググって賜う。(ステm

あと付け加えるとすれば、同じヴァースの違う箇所(1番と2番)、『二兎を追う者、一兎も得ず/矛盾に疲れて 少し心が重くなる』ときっちりと内容が対応している、という点についてか。赤にも青にも定まらずどっちつかず、どちらにもなれない紫、その背反性に引き裂かれて頭と心が重くなって停止していくという案配。まぁ光もそんな感じの事喋ってるけどね。

んで、だ。もしかしたら私過去にも光が既に語っている事をさも自分の言葉であるかのように記事にした事があったのかもしれない。わからない。だが、仮にそういう記事が存在したとしても私にはそういうつもりは一切なく、インタビューを聴いた&読んだという事実を忘れ去っているだけなのだ。そこのところは、わかってもらいたい。

いやしかし、ホントちゃんとたまにインタビュー記事読み返さないといけないな。銀花帳を見習おう。(最後までステマ乙(笑))

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In The FleshのギタリストとWild Lifeのギタリストの2人が学生時代一緒にバンドやってたとか何なんだ。奇遇にも程がある。そしてその事実を本人が知らなかったという。

何か単純な説明を考えれば、マット・ローディが2人の共通の知り合いだった、という展開が考えられるが、そういえばWild Lifeのバンド・メンバーのキャスティング&ブッキングってどうやって決まったんだろう。あの面子はつまり「今日本で人気のセッションミュージシャン」を宇多田ヒカルの知名度と実力と魅力をタテにして(他の言い方はないなか)時間のない中かき集めた感じで、どうにもマットが介在した痕跡がない。やはり偶然か。だとしたら凄い。この世界が案外狭いという事かもしれないが。

となると、どうしたって2人のギタリストの共通項を探りたくなってくる。が、サウンドメイキングもフレージングも素人耳には随分違うようにきこえる。以前、それぞれのギタリストの個性の違いを味わうにはSAKURAドロップスが最適だという話をした。UU06のKon, ITFのRafa, WLのJunkoという具合。しかし、未だにITF10の音源及び映像がリリースされていない為この三者三様を比較堪能できないでいる。同じバンドをやっていたくらいだから何か通じるものがないとなぁ、と思う半面、育った環境によってはマットローディのように極端な雑食(BLACK SABBATHとチック・コリアを融合させるとか)になり、異種格闘技戦こそ一興、という感性が磨かれるのかもしれない。それにしても奇縁な話である。

では光は、ギタリストたちに何を求めてきたかという事になる。どこまで人選に絡んでいるかと言い直してもいい。その光のお眼鏡にかなう"何か"を2人(や今さん)が持ち合わせているというのなら、2人が知己である事も少しばかり納得がいくのだが。

音楽の魅力というのはそこらへんにもあって、自分の内面のフィーリングを追い掛けていったら外側の世界で思わぬ所で繋がりあったりするものなのだ。アイドルの曲いろいろと好きなのを集めてみて気が付いたら全部作詞者が同じだった、とかね。理屈でなくなんとなくのフィーリングでそれが決まっていく所に魅力がある。今回もそういったケースの一例かもしれない。或いは、偶然かもしれない。潤子さんがこの件に関してマットに聞いてみると言っているので、暫し推移に注目である。

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人間活動の中身に興味があるかないかと問われたらそりゃああるに決まっているのだが、光からすれば"有名人としてではない"活動をしたくてそんな事を言っている訳だからこちらがあれこれ表立って詮索するのも居心地のいいもんではないだろう、という事で基本的に復帰後どうなるんだろうねという話が当欄ではメインになってきているが、これが困った事に、人間活動の内容を注視しないイコール人間活動の効果や成果に期待しない、という事になってしまうのだ、私の精神構造・論理展開に照らし合わせれば。

考えてもみる、果たして人間活動は復帰後のアーティスト活動にどのような影響を及ぼすだろうかと考察を始めるならば、つまりその中身は何なのだろうと詮索するも同然じゃないかと。結果から原因を探ってしまうのはどうしたって避けられない。何か魔法のような超常の力が光にはたらいて新しい才能を授ける、みたいな話になってしまう。それならそれでいいじゃないかというのであれば問題ないのだが、それはこのBlogの芸風の全否定に等しい。こうなったのはこうだったからではないか、そうなっているのならこうなるのではないかと因果の糸を手繰り辿るのがここの趣旨だ。それをしない以上、極端な話人間活動は"なかったこと"に等しい扱いをせねばならない。

極端だなぁ、と自分でも思う。しかし、それが整合性というものだ。consistency, coherence, 光に言わせるならintegrityだろうか。筋は通しとくもんなのだ。

従って、光が復帰する時は、周りの状況だけが変わって、時間だけが経過したと考える。横浜アリーナで置いたマイクを次の瞬間また拾い直したかのように次章が始まる事になる。そう考えておかないと、多分私は人間活動について延々と妄想を繰り広げてしまうだろう。それが何か光にプラスになればいいのだが、ほぼならない。出来れば避けたい。

そうはならないケースを考える。光が復帰後に、人間活動中の出来事や体験を僕らに対してなんらかの方法で教えてくれる場合だ。そうなるのであれば、人間活動について私が何か予め妄想しておく事は、それが的外れであろうと意味があるだろう。当たっていたかどうかの検証が、極一部とはいえ可能になるからだ。

しかし、今の光に「そんなつもり」があるだろうか。私はないような気がする。つまり、2011年から何年間の宇多田光氏の人生のエピソードについては、基本的に墓場まで持っていくんじゃないかという事だ。勿論、のちのちメッセなんかで「マチュピチュに行ったことがあって」などと間接的な感じでこの時期の話を窺わせるような事くらいはあるかもしれないが、ただ現時点において光自身がファンに対して世間に対して「あとでこのエピソードを披露しよう」と考え始めてしまうと、それはもう"有名人の仕事の一部"になっちゃうんじゃないかと思うのだ。折角なのだから、今はそういう呪縛を総て解き放って自由に身軽に過ごしてくれないかと僕は願う。つまり、人間活動にファンとして"期待しない"ことで、光がのびのびと活動できるようになるんじゃないか、そんな風な気構えなのだった。

という訳で、昔の曲の歌詞音韻分析なんぞに取り組んでいるんですよ。あしからず。

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