無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『誰にも言わない』を聴いていると頭が真っ白になる。いいとか悪いとか感動するとか泣けるとか興奮とか退屈とか快とか不快とかあれやこれやを感じて気づき考える前に「ヒカルがいる」「この曲が在る」“That's all. (Q.E.D.)”となって終わる。だから前回敢えてディテールから入った。全体像についての言葉がまだ無いからだ。一生無いままなのかもしれないけれど。


なので、今回もそのままディテールの話。

時間がたてばわかる、だけど、時間の流れから外れてでも大切にしたい今があるからわからなくなっても構わない。それが『誰にも言わない』だと書いたが、デビューアルバムに既に同じコンセプトの歌がある。『Give Me A Reason』だ。

何度も『Give me a reason to.../理由を教えて』と迫り続ける歌だが、最後の最後に『ほんとはワケなんていらない』と本音が飛び出す。わかりたかったわけじゃなかったの、と。大体同じだよね。

この曲は、なんだかんだ言って若い。

『Only 16 今夜矛盾だらけの自由に
 追われながら走り出す』
『子供みたいに声を上げて走ろう』

それぞれ最初と最後の一節だ。そう、こどもは元気に走るのだ。余談だが同じくデビューアルバム収録の『Nevet Let Go』でも『不安の中走ってく』『はだしでかけていこう』という感じ。こどもは元気に走るのだagain。


これが『誰にも言わない』になると

『One way street 照らす月と歩いた』

である。おとなは落ち着いて歩くのだ。随分変わった。

変わらないこともある。沢山ある。

『明日を見つめようとしないで』
『明日から逃げるより今に囚われたい』
『いつか君に追いつきたい』
『過去から学ぶより君に近づきたい』
『振り返りながら来た道』
『いくつもの出会いと別れ 振り返って思う』
『一人だけの誓い ぎゅっと囁いて眠る』
『今夜のことは誰にも言わない』

2つの歌の歌詞を交互に並べても違和感がない。一貫している。


そしていちばん変わったところ。

『もう少しだけ素直でもいい』
『回り道には色気がないじゃん』

言い方が婉曲から直接に変わった。これは自己言及だ。歌詞自体の傾向そのままである。


ここから先は話が長くなるので、続きは週末のインスタライブ最終回(!!!)を挟んでまた次回から。

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…………。


…このまま何も言わないままでもいいくらい、息を飲んだまま固まっている気分。『誰にも言わない』。新曲が発売に、なりました。


予めCMで流れていたパートがそのまま最初と最後だった為、楽曲の構成について『Time』のような「そんなことになるの!?」という驚きは無かったが、代わりに「そんなことになってたの!?」という別の驚きに苛まれた。全体として美しい。まるで宇宙だ。

英題は『I Won't Tell』。そのまま「私は言わないだろう。」と訳すのがまず第一段階だが、英語の語感としては「わかんない。」だよねこれって。

つまり、デビュー曲(の片割れ)の『time will tell』(“時間がたてばわかる”)を挟んで『Time』と対になっているタイトルなのだ。

『Time』(時間)
『time will tell』(時間がたてばわかる)
『I Won't Tell』(わかんない)

という風に。

『Time』では『If I turn back time』と時を戻す呪文について歌っていたが、『I Won't Tell』では『One way street』と歌っている。勿論字義通り月夜の散歩道が一方通行である事を表している一方で、もうひとつ、「時間は戻れない」と言っているとも取れる。自分の進む道は戻れない、と。

しかし、だからこそ

『過去から学ぶより 君に近づきたい』
『明日に逃げるより 今に囚われたい』

と歌うのだ。二度と戻れない掛け替えのない『今』を大切にする為に。

『完璧なフリは腕時計と一緒に外して
 ベットの横に置いて』

全歌詞名言の『誰にも言わない』においても鮮烈さで一際異彩を放つこの一節。ここまでアダルトに官能的だとぐうの音も出ないが、ここの『腕時計と一緒に外して』も、「過去から未来へ流れる時間に縛られずに今を」という想いを“時計を外す”という行為で暗喩しているとも取れる。兎に角、歌詞が一貫している。この曲の中においても、『Time』と並べて聴いても、『time will tell』まで遡っても。このスケール感は一朝一夕では思いつかない。21年余りの歴史を過去とせず今に凝縮出来るからこその美の結晶である。

戻れない時間の流れから外れて今を感じたいなら、時間がたたないので“わからなく”なる。それでもいい。そう言い切るのがこの『誰にも言わない/I Won't Tell』なのだ。


……新曲リリースとともにいきなりディテールから入ってしまって山本シュウさんに怒られそうだが(当時の名義です)、そういう所から始めないととてもこのスケール感を捉えきれない。一生捉えきれないかもわからない。だが、タイトルからして『わかんない。』だから、それでいいのです。turn back timeできないとしてもきっとtime will tellなんだろうし。自分が今を生きてるうちには来ないのかもしれないけれども。

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『詩も朗読すると歌になるので』とはヒカルがCMのメイキングで語っている蓋し名言。これは「文字の集積としての詩」と「声になった詩」がヒカルの中で明確に区別されているから出てきた言葉なのだろう。

故に書籍『宇多田ヒカルの言葉』は歌ではない。歌詞を文字にした文学作品、書物、である。これを更に朗読すればまた「うた」になるのだろうが、元の歌に戻る訳ではない。

サントリー天然水のCMで「詩の朗読」と「歌」を重ねたヒカルだが、最初は上手くいくか怪訝だったようだ。これが馴染むのは確かに不思議。人は、喋り言葉が幾ら重なってもさほど不快にならない(カクテルパーティー効果とかあるもんね)一方、異なった音楽は2つ重ねただけで途端に不快指数が急増する。詩の朗読がうたになり、音楽に近づくならば、『誰にも言わない』という歌とかち合うのが予測されたことだった。それがどうだ。素晴らしい。

CMの映像、処理である。今夜この後配信される音源に国木田独歩の詩の朗読は入っていない(よね?)。だから今悩む事ではないのかもしれないが、恐らく、私たちはこの歌に「話しかけたくなる」のかもしれない。聞いてくれるのだ、こちらの心の声を。詩の朗読が入り込める余白が、音楽に、歌にあった。今その余白は我々に預けられる事になる。とても懐の深くて広い歌なのだろう。

歌でありながら伴奏のような歌詞の響き。伴奏でありながら歌のような存在感。その2つを織り合わせた曲になっている予感。言葉が背景を産み、背景が瞳に映り、歌手と目が合い、心が届く。つい3週間前に(『Time』という)「新曲との邂逅」を果たしたばかりなのに、今感じるのはそれとは全く異なる感慨だ。立会、とでもいうのかな。生まれてくるのを、会えるのを見届けるような。なぜだか、親友の闘病を淡々と語るヒカルの姿が重なる。デビューして21年半が経つが、今がいちばん新鮮かもしれない。心して、迎えよう。

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いよいよ今夜、『誰にも言わない』が全面解禁になる。60秒CM用音源と30秒CM音源から立ち上るオーラの大きさはこの曲が次のアルバムのタイトル・トラック並の要な位置に居る事を強く示唆する。極論、この一曲でアルバム一枚と対峙する位の覚悟が要るかもしれない。

国木田独歩のものとはいえ、詩の朗読と歌の組み合わせは嘗ての『Deep River +』を想起させる。PV集『UH3+』収録の前奏前自作詩朗読版をこちらが勝手にそう呼んでいる訳だが、恐らく正式配信音源には独歩の詩は収録されていない(あと焚き火の音も?)とはいえ、『誰にも言わない』の持っているユニークネスはそのような特別さを伴っていると窺わせる。居住まいを正して待ち受けたい。

そもそも、楽曲の存在自体が驚きだった。我々が久々の新曲として『Time』を喜び浮かれている中で空かさず告知されたのだから。あの畳み掛けは本当に、思い出すだでも、心臓に悪いぜ。

この登場の仕方が『Time』と『誰にも言わない』の2つの楽曲に強い相関の印象を与えた。果たしてどこまでこの2曲に繋がりがあるのか。オフィシャルは当然、『Time』に引き続いて『誰にも言わない』の歌詞サイトも用意しているのですよね? 当初からURLが何となく怪しいし。

他方、60秒と30秒という2種類のCMから、『誰にも言わない』が彩り豊かな楽曲であることもまた強く示唆されている。『Time』の曲構成も驚愕だったが、『誰にも言わない』もまた、独特の構築美を堪能出来る作品に仕上がってるとみて間違いないだろう。


……これらが、発売直前までの『誰にも言わない』に関する概観である。これまた久々に、シングル曲のジャケット・アイコンがヒカルのどアップで好評を博しているが、そのままこの写真が2020年代の宇多田ヒカルを象徴するアイコンになる予感まで思いを馳せたくなる。どうなるかは神のみぞ知るところだが、兎も角ひとまず、人生最後の「『誰にも言わない』を知らない十数時間」を噛み締めながら夜までは生き長らえたいと思います。生きたい。

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ヒカルの親友さんの使用している(していた)抗癌剤の名前は多分“Temozolomide”、テモゾロミドってヤツになるのかな。英語発音だったからちゃんと聞き取れてないんだけれども。商品名だと「テモダール」だとWikipediaには書いてある。

全くこんな名前は知らなかったのだけれど、耳にして最初に抱いた感想は『Time』と語感が似ているな、ということだった。似てるってか最初の子音2つがTとMで共通してるよねと。

つまり、仮タイトルで“Temozolomide”とつけて、この曲の名前を呼んでるうちに、長くて言いづらいとか慣れ親しんできたから愛称で呼ぼうとか、兎も角そのまま言わなくなっていった挙げ句最後に“Time”になっちゃったんじゃないのという疑惑が、ヒカルがこの錠剤の名前を言った瞬間に私の中で浮かんだのだ。例えば、“Temo”って呼んでたのが“Time”になったんじゃないかなぁとかね。

荒唐無稽な推理だが、実際の真偽はさておき、創作の過程とはなかなか一筋縄ではいかないというのが一般論なんだという事は踏まえておきたい。創作の動機と結果は必ずしも一致しない。特にヒカルは、今回も千葉くんとの会話で匂わせていたように、リズムトラックから曲作りを始める事が多い。この時点で曲の歌詞のテーマが決まっていなくても構わないのだ。

しかしながら、仮タイトルが親友の服用する抗癌剤の名前だったという事実は、かなり早い段階から歌詞のテーマを親友にまつわるものにしようとしていた事を示唆する。一方で、それが『時を戻す呪文』と結びついたのは、もしかしたら“Temozolomide”という「音」が切っ掛けだったのかもしれない、という話なのだ。こうやって『Time』の完成形の素晴らしさを実感している我々からしたら、この推理は“ありそうもないこと”だと感じるのが当然なのだが、創作中の「作りかけの状態」というのは、完成形がそこからは全く想像がつかないものだったりもする。それが歌詞となると尚更だ。言葉というのは、本来バラバラなものを繋がっていると勝手に看做して使うものなのだから。

だが、だからこそ楽曲の完成形というのは創作者の“本音”たりえる。或いはそれは、作り始める前には自身が気づいていなかった感情だったりするのかもしれない。寧ろ、それを知るために創作という過程は存在するとすら言える。

『Time』を作ってヒカルはまた変化した。恐らく今までのどの楽曲を完成させた時もそうであったように。今我々がインスタライブで接しているヒカルは、それに加えて『誰にも言わない』を完成させてまた変化したヒカルなのだ。明後日『誰にも言わない』を聴いて漸く、私たちは「今の宇多田ヒカル」に近づける。知ることが出来る。故に4日後のインスタライブ第5回は、本当に最新の楽曲(『誰にも言わない』)を知った上で今のヒカルに会える本当に貴重な時間となるだろう。イメージと現実が近接する。是非是非、LIVEで観たいものだな。「きせきのさつき」の締め括りに相応しい一時間と、なるだろう。

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さてインスタライブ第5回はヒカルさんが歌う気満々で、後は技術的な課題を解決すればというところのようで。リモートで同期演奏は難しいやねぇ。うまくいくように計らうのは勿論のこと、うまくいかなかった時のオプションを用意しとくのが大事なんじゃないでしょーか。

何歌うんだろうねぇ。いきなり『Time』や『誰にも言わない』を歌ったら凄いけど、ちとプロモーション色が出ちゃうかな。ゲストのルーベン・ジェームズも知ってるかどうかわかんないし。少なくとも『Time』にはクレジットされてないよね。

無難に英語カバー曲をさらっと歌ってくれるくらいの方が落ち着いて観られるかもわからない。ネームバリューがありすぎてヒカルが歌うとなるとどうにも一大事感が出てしまうけど、本来歌なんて鼻歌の延長線上、気分が乗ってきたら歌えばそれでいいものだ。歌を“商品”にするプロだから出し惜しみするのは当然とはいえ、プロである前に人なのだから、歌うのだ。

インスタライブを観ていて、とにかくヒカルが積極的に歌うのが嬉しくて仕方がない。"Love You Forever", "Time (English Version)", "Part Of Your World", " (Untitled) featuring KOHH"などなど……。始まる前はパイセン企画ということで、歌うだなんて想像もしていなかった。ところが蓋を開けてみれば、ひとりで居る時も歌うし、ゲストを呼んでからも歌う。なんだお前歌うの好きなのかよと笑顔でツッコミを入れ続ける1ヶ月だ。

一方、10代の頃はアラジンの主題歌"A Whole New World"を『歌わされた』「デュエットさせられた」事もあったと述懐していた。takaくんがアラジンの名を出した時の潮の引き方からするに単にアラジンが響かないだけなのかもしれないが、同じ歌でも気が進まない時は進まないのだ。それが自然であり本来なのだ。気分が乗ってきたらその気分に合った歌を歌う。深く考えると、歌えない。

なので、ルーベンには気の毒だが、彼に予め候補曲を幾つか伝えておいて、その中からその時の気分で何を歌うかを決めればいいかもね、なんて事を思ったりも。時間だから予定だから約束だからとその瞬間の気持ちに寄り添わない歌を歌うよりは、いきあたりばったりで、いきいきとした歌を歌う方向で考えてくれた方がよいかもね、なんて、今までのインスタライブを振り返りながら思うのでしたとさ。あーあ、泣いても笑ってもあと一回かよ。いきあたりばったりで、その時の気分で、またやり始めてくれても、いいのよ? こっちは心の準備だけで心が靠れそうなんだけどねぇ。

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インスタライブが次回で最終回で、ドラマ「美食探偵〜」は続きが止まってて、明明後日には『誰にも言わない』がリリースされる。勿論我々は6月にいきなり「空っぽ」に放り出されるのを恐れている。安堵もあるけどね。

日本は緊急事態宣言とやらが解除されたばかりで、このレベルまで新規感染者数が下がればまたクラスタ対策が効くようになるというのが2ヶ月前の説明だったなぁ、なんて事を思い出す。凄く遠い過去に思えるな……。一方、イギリスの方は厳しい都市封鎖も何処吹く風、アメリカやブラジルと死者数を争うという哀しみ塗れの状況は変わらない。そんな国に今、ヒカルは住んでいる。

今回の疫病禍下で目立ったのが、欧米に住む日本語民の人達と日本在住の日本語民のテンションの差だった。違う星の話なのかというくらいに前提となるノリが違う。この人こんな人だっけ?というツイートが海外から幾つも日本語で流れてくる。ほんと別人なのかと感じること多々。

そんなだったので、欧米でも一二を争う厳しさの渦中に居るヒカルも少しはテンションが違うのかなと最初は危惧していたのだが、全くそんなことは無かったぜ。杞憂も杞憂、こちらの感覚とのズレは全く無い。今日本に居るんじゃね?という位に。

外出の不便などを語る時も、なんだろう、悲愴や切実がないわね。個性が国やら時勢やらの差を軽く大きく上回っているということか。まぁそれがいちばん如実に表れたのが、前回も触れた通り親友の闘病について話す時のトーンだわね。なんだろう、淡々と話してるのに全く冷たいと思わない。思えない。もっと騒いでも不思議ではない事だろうにね。そりゃ都市封鎖では揺るがんわ。親友の一大事なんて、普通ならもっと狼狽するところ。いい意味で、普通じゃない。

必要以上に重く見ていないし、当然侮ってもいない。「心の傷を身体の傷と同じようにみる」ように、常に落ち着いた視線を喪わないのだろう。目を背けるでもなく、目が離せないのでもなく。

いや勿論、こちらが与り知らぬ“プロセス”はあったかもしれない。親友さんから告白された時は狼狽したのかもしれない。わからない。しかし、極めて直ぐに、今の状態になったのだろうな。達観してるのに冷酷でも冷徹にもならないこの感じ。なんだろう、初めて言うかもしれない、「私が想う理想の宇多田ヒカル」だわ。この姿。

まだ色々と言葉が足りていない今の私にこのヒカルについて語るのは時期尚早なのかもしれない。だが確実に、ヒカルはヒカルになりつつある。少しずつ少しずつ、あぁそうか、「本領発揮の前兆」だこりの感じは。深呼吸してついてくぞ。

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インスタライブ第4回、ヒカルが「トラウマの克服」について語った箇所は見所聞き所だった。特に、「(心の傷は)身体の傷と同じ。治るものもあれば治らないものもあるし、治りが遅いからといって自分を責めるものでもない。」という旨を語ったのは白眉というか。目から鱗な人も多かったろう。

他方、千葉くんが左側頭部に喪った飼い犬の刺青を彫っている話もしんみりほっこりした。これは言わば、喪った時の悲しみや楽しかった思い出などを“身体の傷”として刻み付けているのだわね。

この二つ箇所の描く対比。ヒカルは心の傷を身体の傷のように捉えようと言い、千葉くんは心の傷を身体の傷に代えて刻み込んでいる。彼は、ヒカルの言う事を“実践”したのだ。心の傷(といってもよい思い出も含めてだろうけど)を身体の傷にかえることで、それこそ自分を責めたり苛んだり途方や悲嘆に暮れたりする事から離れたのではないだろうか。

また、彼は刺青を掘り直す事はせず、薄れていくままに任せるという。また、それに趣をも見出している。心の傷も、消えゆく刺青のように、時間と共に薄らいでいける。それを可視化し続けるのだとしたら、消えゆく刺青は確かに非常に趣深い。

ヒカルも応答の最後に時間の効果を強調していた。やはり癒すも残るも時間が教えてくれるのだと。これはデビュー曲の『time will tell』(『時間がたてばわかる』)から一貫して歌われている事であり、未だにその哲学や思想にかわりがない事を我々に教えてくれる。もっとも、それすらも“time will tell”、時間が教えてくれる事なのだと、最初から歌われてるんだけどね。


そして『Time』。『time will tell』から不変で普遍な思想を前にして、このタイトル。インスタライブ中に、この曲の仮タイトルが「親友が投与されている抗癌剤の名称」だというのが明らかにされた。先週に引き続きサラッと言うものだからこちらの戸惑いも倍増なのだが、特技も相変わらず『惑わすこと』のまんまだねぇ。

そのさり気なさに、途方も無い強さをみる。前段でまた触れた「後悔/regrets」に関する問答と共に、「戻らぬ時間」の非情を、ヒカルはどう受け止めたのか。癌は進行する病気である。若いなら尚更だ。40代前後だもんね。ならば、時が戻るなら、いやさ戻らずとも少しでも進みが遅くなってくれればと祈った事もあったのかもしれない。時に抗うのは魔法のようなものでなければ、という絶望は『呪文』の一言に集約されている。まじないでもありのろいでもあり。誰よりも時の本質を知るからこそ、時間観が揺るぎないからこそ感じる切なさが込められた『Time』の歌詞を吟味してからもう一度インスタライブ第4回を観直してみるのもいいかもわからない。IGTV動画公開終わっちゃったけどね。ストーリーズじゃないんだから、なぜわざわざ手動で消すのか意図がよくわからないけれども…昨夜も消し忘れてて指摘されて慌てて削除してたっぽいし。あとから纏めて商品化する予定ならOKだけどね☆ 何度観返しても、いいものですよこれは……。

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千葉くんの立ち居振る舞いは見事なもので、煙草を燻らせ珈琲を口にし立ったり座ったり落ち着かない。後ろを覗かせても誰一人紹介せず仕舞いにはインスタのエフェクトで遊び出す……まぁ自由な事でしたね。

いたよねぇ教室に。一人はこういう生徒が。まるで授業を聞いてるようにはみえず、集中力が散漫なのかこっちを見てくれない子が。千葉くんの振る舞いって、人前で話す経験の多い人からしたら苛立ちマックスなヤツだったんじゃなかろうか。

いやー私もそういうこどもだったので、すいませんと平謝りしたい気分でね今。授業に集中せず落書きばっかしてたんですよ。かと思ったら居眠りしてたり。刺青は入れてなかったけどね(笑)。

千葉くんはインスタのエフェクトのうちでは鏡像反転がお気に入りだったようで時に笑顔を見せながら戯れていた。サイクロプスとか三つ目がとおるとかスパイダーとか基本技を……いやそりゃあたしだって一通りのパターンは三面鏡の合わせ鏡で試し済みですよ幼稚園児の頃既に。やるやんそりゃあ、ねぇ?

で。そういう彼の姿を眺めながらヒカルさんはのっかったりのっからなかったりして会話を進めて行ったのでした。なんか、やっぱ千葉くんのこと気に入ってるのね。『KOHHちゃん』という呼び方が総てを物語ってるわ。

兎に角文脈に配慮しない感じがね。目の前にある面白い事に興味を惹かれるという。クリエイター向きだわ。「あ、これ面白そう」が行動の動機になっていて、嗚呼こりゃ友達になれたら楽しいヤツなのかもなと思ったり思わなかったり。多分なれないけどね知り合ったとしても。あたしは。

そんなインスタライブ第4回は、「番組」としては最低の出来だったけど(後半はね)、こうやって「ヒカルさんがお気に入りを見守る目線」をたっぷり堪能できた点は評価できる、と、思う。未発表曲を一節だけ歌うという超サプライズは、ひとりで配信してたらあったかどうか…? いや、『20代はイケイケ!』ではヴァネッサ・ウィリアムズの“Save The Best For Last”を誰に頼まれてもないのに一節歌ってくれてたな…先週の“Part Of Your World”なんて2回目だもんな……ま、まぁ、でも、彼との共作だからこそだったんだし、千葉くんぐっちょぶでしたということで。

…なぁんて書いてるけど、あたしそんなに千葉くんに興味無いのよね。彼の作品もチェックしてないし。『忘却』は大好きな曲だけど、じゃあ彼のパートを気に入ってるかというとそこまででもないというか。演奏とヒカルの歌だけの『忘却』でも十二分に素晴らしかったと思うし…。

でも、「曲作り」ってそういうんじゃないんだよね。この人が居たからこういうアイデアまで辿り着けた、ってのがあるのよ。ただ結果だけをみて、担当したパートがそうでもないからその人でなくてもよかったと結論づけるのは早急で。それがあったから全体が決まった可能性も考慮に入れないといけない。

そう考えると、実際はどうか知らんけど、あたしから見たら千葉くんはヒカルに対する「触媒」としての機能があるようにみえている。『忘却』もそうだし、今回のヒカルの優しい眼差しも、彼が居たから観ることができた。彼自身に惹かれなくても、彼が居たお陰で生まれたもの生まれるものがある。そういう風に捉えれば、なんだろう、まぁいいや、そのまま遊んでてね、って思っちゃうのよね。


まーでも、「触媒」役っつったら、ダヌパに勝る者無しでしょ。彼がどんな人か知らないけれど(まだ4歳〜5歳だしね)、彼が居なかったらヒカルは復帰してなかった(かもしれない)訳で、その効果の大きさたるや拝み倒しても倒せない程だわね。彼の顔は一生知らない/知れないかもしれないけれど、多大なる羨望と感謝を持っているのは間違いなく。それと較べるのは酷ですか。そうですね。


さて。3週連続歳下男子が続いた訳ですが、ヒカルさんの、質疑応答とはまた違った『パイセン』としての表情を知れて、とてもよかったですのよ。あらためて。


…ん。ちと長くなったかな。こんくらいにしとくか。『誰にも言わない』のリリースが間近だし『Time』の歌詞も再確認しときたいし、日記回数が足りないなこりゃ。ま、気にせず行きますよ。

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インスタライブ第4回無事終了。観る方も、なんとか慣れてきたかな? 勿論、慣れてくるところを見計らって次回で最終回なんだが。喪失感を味わわせたい高度な戦略。何を言ってる生きてりゃ得るもんばっかりだと言い返してやりたくもなるわ。


さて、第2回第3回に比べて遥かに視聴者数が少なかった第4回。中村倫也takaご両人の人気の高さは凄かったんだなーと思うと共に千葉くんの知名度はまぁそんなもんだよねと再確認。ほぼ第1回の視聴者数と変わらないということは、彼のファンの絶対数が少ないのか、元々宇多田ファンと層が被っているのか。どちらでもいいのだけどいずれにせよプレッシャーみたいなのは少なかったのではないかな。

少なかったといえばその千葉くんの口数ね。自分から話し出す事はほぼ無く、ヒカルからの投げ掛けに生返事で返す程度。はてさてインスタライブとしての評価は如何程のものであったのやら。

彼みたいなのを「誤解され易いタイプ」と言ってしまうのもまた違う気がしてね。好意的にみる人は「シャイで率直でかわいい」という風に捉えたのだろうし、うんざりした人は「態度がふてぶてしくてダラダラしていてみていられない」と捉えただろう。まぁ、どっちもそうだよね。

インスタライブってものをどう捉えるかでも、ある程度は決まると思うのだ。ヒカルが言っていたように「テレビ電話」の公開版と捉えるか、テレビでやってる事をインターネット配信に切り替えただけの「番組/program」と捉えるか。

もっと言えば、きっと千葉くんは身の回りの、身近な人達の評判は頗る良いんじゃないかなと。ヒカルが彼の尊敬するところをまず「友達思いなとこ」と言ったのが象徴的だろう。口数は少ないが身内を裏切るような事はしない、みたいなね。

一方で、遠く離れた所に居る人の評判は最悪に近い。あれだけルックスがどぎついとまずそれだけで引かれる。若い人は知らないかもしれないが、刺青というのは例えば昔の銭湯では「入店お断り」扱いだった。単純に、反社会的勢力に属する人が施す処置だと認識されていた為だ。そのシグナリングの歴史を無視して「刺青をしてるからって悪い人とは限らない」と言っても通らない。服飾や容姿は記号化されて認識されている。例えば、警官のコスプレやパトカー染色した自家用車を公道で披露するのは公序良俗に反するだろう。細部を指さして「ここが本物と違うのよ」とか言っても、一目で識別できなければ緊急時には間に合わない。李下に冠を正さずではないけれど、紛らわしい服飾容姿は避けられるべきなのだ。

恐らく、彼が日本語を喋るが為にそういう誤解が生まれるのよ。未開の奥地から出てきて現地の言葉を喋っていてくれてれば「ああいう服飾文化の民族なんだな」と認識され距離を置かれて嫌悪の対象にはなりづらくなるだろう。なまじっか通じる言葉を喋り合うために、同じ文化圏と誤解され、手前側で記号化された局所的な服飾認識で判断される。損な役回りだな。

とはいえ、地上波の番組に出ず、こうやってファンだけ集まるインスタライブに顔を出している分には、なかには眉を顰めるファンも多いだろうが、そこまで問題にはならないだろう。「宇多田の第4回インスタライブは退屈だった」という評判だけなら、彼の支持層からしたら痛くも痒くもなさそうだし。次回はヒカルが歌うかもしれないし、観た人もまだ観てない人も箸休めのつもりでアーカイブをチェックしてもらいたいものだわさ。

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で気がついたらもうインスタライブ第4回が目の前。KOHHこと千葉くんがゲストなんだけど、3回連続歳下男子か。まーそれはいーか。

梶さんへのインタビューによるとインスタライブにゲストを呼ぶのはヒカルからの提案だったんだとか。尚更違うタイトルにすればよかったよねと言っても後の祭りですわね。もう現実に毎週楽しめているのでそれはもういいんだけど、名前をつけるって大事だからねぇ。

で、改めて。なんで『Time』は『Time』って名前になったんだろね。いや勿論、『時を戻す呪文』と『If I turn back time』の歌詞があるのだから何の不思議も無いのだけれど、この歌詞全体のメイン・テーマが時やtimeかと言われると、なんかしっくり来なくてね。寧ろ『戻す』や『back』の方が個性的というか、この曲独特の言葉だと思うんだけども。

例えば『Goodbye Happiness』というタイトル。「悲しみよこんにちは」と対になる「幸せよさようなら」。幸福を打ち捨てる曲なのかと一瞬思わせておいてからの「今の満足感を打ち捨ててでも欲しいものがある」という強い想いの込められた歌だった。ある意味ミスリードなタイトルな訳だが、一方で、『あの頃へは戻れないね』という真正面からみれば別れの挨拶もむべなるかなの切ない歌詞を歌っていたりもしてそこはミスリードと言うべきでもない。そのどちらとも取れるからこそこのタイトルになっているのだ。

となると、『Time』。このたったひとつの単語にも、同じく重層的な意味が付与されているのだろうか……?


……ここから先の話は長くなるかもしれないのでまた来月、かな。現在インスタライブの反芻にいっぱいいっぱいなので、もうちょっと落ち着いたら、ね。明後日の夜はちゃんと正気を保たないとなんだわさ…。

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ヒカルとtakaくんが「日本とアメリカの制作現場の違い」について触れていたが、恐らくそれは問いの立て方からして違うのだろう。「日本とアメリカ」の差より、「アメリカ国内でのジャンル間の差」の方が遥かに大きいからだ。

アメリカではジャンルの差は人種の差であり階級の差でありクラスタの差だ。冗談でも何でもなく、聴いてる音楽のジャンルと感染症による死亡率の間には統計的に有意な差が出るだろう。(だからこそそこそういう数字の出し方をする事には殊更注意しなくてはいけないのだが)

もっと言えば聴く音楽がアイデンティティと直結している。国として新しいからか、ある意味宗教の代替物に近いのかもしれない。


ここで思い出すのはUtadaの『Opening』&『Crossover Interlude』だ。

『I don't wanna crossover
 Between this genre, that genre
 Between you and I is where
 I wanna crossover, the line』

「私が超えたいのは“ジャンルとジャンルの間”じゃなく、あなたと私の間なの」と歌い出すこの歌詞に、Utadaが日本以外の国、特にアメリカに進出した事の意義を改めて思い返す。ここで「国と国の間」とか「言葉の壁」とか言わずに「genre/ジャンル」という言い方をした事に意図が集約されている。よく「音楽は言葉の壁を超える」と言うけれど、米国国内では同じ言語を喋る者同士がジャンルという壁によって分断されているのが現状だった……のだ。

この歌が歌われたのは16年前、2004年の頃だったが、それから状況は変化しただろうか? よくわからない。全米チャートを聴けば上位は相変わらず偏っているなぁと思わざるを得ないが、売上や知名度を度外視すれば驚く程多彩なコラボレーションが散見される。「YouTubeでみつけた」と言って僻地の才能を引っ張り出す事も多くなった。挙句にサブスクリプション・ストリーミングの普及で、大多数の音楽がインターネットの波及と同義になりつつある。色々と変わってはいるのだ。

そういう時勢を省みた上でヒカルの「英語アルバムを作る予定は無い」発言と「日本語と英語とイタリア語とフランス語が喋れる」姿を思い出すと、今世界中のファンに対してどういうスタンスでいるのかなと妄想が膨らんでしまう。英語ツイートで質問を募集したのに日本語での質問にしか答えなかったインスタライブ第1回。翻って、第2回第3回と確実に英語は増えイタリア語まで飛び出した。明後日の第4回のゲストは千葉くんに決まったが、最終第5回は英語圏やイタリア語圏のゲストを呼んでも面白いかもね。我々も何が何だかサッパリわからない会話を耳にしながら「海外のファンはいつもこんな感じで観てるのかなー」と棒読みするのも貴重な体験になりそうだ。

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インスタライブ第3回で待ちに待った「最近気に入った(英語の)アルバム」の話が出た。誠に嬉しい。いやホント、インスタライブは偉大だわ…。

でそれはなんという作品かというとJ Husの“Big Conspiracy”ってアルバムなんだそうな。早速聴いてみた。ふむふむ。


まずは、私ゃ彼のことをよく知らないのでWikipediaから引き写しておこう。

─ J Husは1996年生まれのラッパー/シンガーソングライターでガンビアとガーナをルーツに持つアフリカ系英国人。アフロビートと英国的陰翳をミックスしたアフロスウィングというサブジャンルの先駆者のひとり。2017年リリースのデビューアルバムは全英6位、今年2020年1月にリリースされたセカンドアルバムであるこの"Big Conspiracy"は全英1位を記録、主に英国で人気を博すアーティスト。

……てな具合。

同アルバムについても、私はこのジャンルの作風を語れる語彙がないのでWikipediaからレビューを引き写しておこう。

─ 英国ラップ/ヒップホップ・シーンにおいて多大な影響を齎すであろう一作。グライムやアフロビート、ジャングル等々のサウンドを網羅し、そしてそのどれにも留まらない独自のサウンドを確立した後続への刺激に満ち溢れたアルバム。

……ということ、らしい、よ? …つまり今英国で最も旬な一作なんだねw


で、聴いてみた感想なのだが。なるほどね。ヒカルが「曲っていうよりアルバムとして好き」みたいなニュアンスで言っていたのがよくわかる。単純に、こういう雰囲気のサウンドがずっと続くと心地よいのだろうな。

ヒカルの曲で喩えるなら、『In My Room』とか『Never Let Go』のような雰囲気だ。シリアスだが情熱は前面に押し出さず、シックで落ち着いていて、ある程度の哀感は湛えるものの湿り気が粘り気にならないサウンド。しかし、本質的には根暗だよねキミ、っていうあの音作りな。いわば「しっとり・サラサラ・シリアス・ダーク」なR&B/ヒップホップ・サウンドだよね。

弦楽器や管楽器、鍵盤楽器まで駆使して様々な音を時にシンプルに、時にゴージャスに奏でる一枚だが、その“しっとりサラサラシリアスダーク”なサウンドで終始一貫しているのでヒカルは折に触れてBGMとして重宝しているのではないかなと。

そんな中で1曲選ぶとするならば、どちらかといえばアルバムを代表するというよりはゲストのお陰で異彩を放つ事になった"One And Only"だろうかな。歌うはこれまた英国人歌手のエラ・メイ。1994年生まれで2019年のグラミー賞“Best R&B Song”部門を受賞しているオーソドックスなR&Bシンガーだ。この"One And Only"は実に90年代的な曲調で、言うなれば「こういう曲が『Hikki's Sweet & Sour』では幾つも掛かっていたなぁ」という印象。もっと言ってしまえば、ラッパーとメロディアスなコーラスの共演ということでどこか"Blow My Whistle"的でもある。曲として似ているわけではないけどバランス的にね。故にヒカルのファンがとっかかりに聴くならこれだろうかな、と思いました。イントロは『虹色バス』みたいだしね。


それにしても、あらためて、嬉しいねぇこういう話がリアルタイムで聴けるというのは。こういうサウンドが今ヒカルの好みという話と、我々が聴いている最新シングル『Time』がそれこそアルバム『First Love』や『DISTANCE』の頃を彷彿とさせている事実とがシンクロしていく。更に、前作『初恋』の『Too Proud』から補助線を引いて、メロディアスなラップ/ヒップホップ・サウンドを今後も更に取り入れていくのかなとかの妄想も掻き立てられる。毎日が楽しくなるんだよ、ヒカルの“今”をほんの少し知れるだけで。こういう風に。

更にもっと踏み込んで言うなら、もしかしたらヒカルさん、既にJ Husとお知り合いなのかもわからない。お互いロンドンに住んでるんだし一流ミュージシャン同士だし。前回溜息を吐いた通り、ミュージシャンなんてどこで誰と繋がってるかわかったもんじゃないからね。次のアルバムで「Utada Hikaru featuring J Hus」なクレジットが来ても喜べるよう、今から彼のサウンドに馴染んでおくと、何かといいかもね。

まーそれはなかったとしても、今後の宇多田ヒカルのサウンドを占う上でとても興味深いピックアップだった事は、間違いないでしょーね。

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ヒカルとtakaくんの会話を聞いていると、世界って広いんだか狭いんだかわからなくなるね。

そもそもヒカルが藤圭子の娘だという時点で奇跡的なんだが、takaくんの御両親が森昌子&森進一というのも凄い。サラブレッドvsサラブレッドだねぇ。馬関係ないけど。

ちょっとWikipediaを覗いただけでも、そのtakaくんは元ジャニーズでNEWS結成当時のメンバーだったというし、ONE OK ROCKのベーシストのRYOTAくんはアヴリル・ラヴィーンの妹のミシェルと結婚したというし、そのアヴリルはSUM41やニッケルバックのメンバーと結婚していたりで…うむ、なんだろうねホント。どこで誰が繋がっているのやら。

その気になればヒカルさん、大抵の人は引っ張ってこれんじゃないのと思わされてしまう。んなわきゃないのだけど。


ヒカルとtakaくんは日本とアメリカの音楽制作現場の違いについても語り合っていたけれど、どこでどういう人と関わり合うかは直接作風に影響を及ぼすので興味のあるところ。

それで思い出されるのは『This Is The One』の時の制作体制だ。この時ヒカルは主にSTARGATEとクリストファー“トリッキー”スチュワート&ザ・ドリームという全く毛色の違う2つのプロデューサー・チームと仕事をした訳だが、アルバムの大半を手掛けたSTARGATEとは殆ど会ったことがなくて作業は基本オンラインでのデータのやり取りであったらしい。他方、トリッキー&ドリームの方とはシカゴだったかな?自宅まで招かれてバーベキューだかを一緒に囲みアットホームでリア充な雰囲気の中で打ち解けていったのだと。

ホントに対照的な二組だった訳だが、つまりヒカルは昔から、そういうデジタルヲタクな制作体制とチアメリカの商業音楽勢によくあるチームで取り組む制作体制の両方を経験してきているのだ。そういう俯瞰を知っている人間が「日本よりアメリカの方がひとりで全部こなす人が多いのでは」的な事を指摘したのはどこか真実味があって誠に興味深い。最近は、皆も『夕凪』の風景で御存知の通り、スタジオセッションでの制作も増えてきているが、今後もヒカルはどの体制に拘ることも無く、局面毎にやり方を臨機応変に変えてくるんじゃないかなと。ヒカルのプロデューサーとしての顔を、やっぱり我々はまだまだ知らないのですよ。

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インスタライブ第3回の最大のハイライトといえば、ヒカルがノッリノリで"Part Of Your World"を歌った直後にtakaくんが「俺はアラジン超好きだったから」と言った途端に「アラジンか。そっか。」と呟いたヒカルのテンションが潮を引くかのようにストンと下がった瞬間ですかね。ほんと、見てて「スンッ」っていう音が聞こえてきたかと思った位。いや名作でしょうよアラジンは。何だったらリトル・マーメイドより有名かもよ!?

アラジンの主題歌といえば泣く子も黙るあの"A Whole New World"なのだが、多分ヒカルの中でこれを歌うピーボ・ブライソンの評価がそんなに高くないのではないかと勝手にコチラの感想を押し付けたくなる。ピーボは『宇多田ヒカルのうた』アルバムで『Sanctuary』をカバーしていたのだが、まぁボーナス・トラック扱いだよねという出来だった。それで印象があんまり無いというのもあるかもしれない。ヒカルは『宇多田ヒカルのうた』聴いて泣いたと言っていたよな。ディズニーの主題歌を歌うようなビッグな歌手が自分の曲をカバーしてくれたら大興奮しそうなものなのだが、果たして真相はどうだったのでしょうかね。


で、だ。インスタライブでは更にそこからtakaくんが「日本語のもあるよね」とディズニー・ソングの日本語バージョンについて語り出したからさぁ大変。ナマで観ていて私は背筋が凍る気分だった。だってヒカルさん、『Message from Hikki』で"Part Of Your World"の日本語バージョンに真正面から苦言を呈していたのだもの……っ! 21年を超えるキャリアの中で、ほぼ名指しで誰か他の人の歌う日本語曲に文句をつけたのは殆どこれっきりではなかったか。他にあったかなぁ。すぐには思い出せないが、その極めてレアなケースについてのトークにすわ雪崩込みはしないかと気が気ではなかった。ヒカルは日本語バージョンの存在すら知らない素振りを見せていたが、勿論そんな筈はない訳で、生配信中に他人の歌をディスらないよう予防線を張ったのだと推測する。そこから先に踏み込んでしまうのは不味い、と。それを見てこちらは何とか一安心した訳だが、何も知らないtakaくんが気まずい感じにならなくて本当によかった。


かくもインスタライブ生配信というのはスリリングなものなのか。まだ夏も遠いというのに二度も肝が冷えてしまった。あと二回、なんとか無事に終えて欲しいものである。いや、ダチョウ倶楽部的な「押すなよ!?絶対だぞ!」ではないので勘違いせぬよう。……ってこれ言えば言う程泥沼にハマるヤツだよね……。

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