無意識日記
宇多田光 word:i_
 



SACRéの最終局で唐突に挿入される『真夜中に』について。とっとと触れとこ。

それまでずっと英語で歌われていたのにここだけ日本語。英語歌詞でいうと『It's hard to let it go』にあたる。これを歌うのではまずかったのか? うん、多分支障は無い。なので、わざわざ日本語にした理由は、今のところわからない。

ただし、『光(Re-Recording)』のそれとは挿入されるタイミングが異なる点はまず指摘されておくべきだわね。『光(Re-Recording)』とSACRéはどちらも再生時間が4分36秒で曲構成も(と言うか、コード進行もと言う方がより適切か。アレンジは違うからね。)同じなのだが、『真夜中に』が唐突に挿入されるタイミングは、『光(Re-Recording)』では4:27、SACRéでは4:05と、後サビ1パート分だけズレた場所であって、また歌唱内容もそれぞれ別テイクとなっている。日本語歌唱からコピペしてきたんじゃなくてSACRéの一部分としてしっかりあらためて歌われてるってことね。

さっきから「唐突に挿入」と言ってみてはいるものの、実際には後サビのコード進行とバックコーラスが、歌詞のあるメインヴォーカル群を抜いてもう一度展開された挙句のタイミングで歌われているので「然るべき位置」にあることは間違いない。では何故『光(Re-Recording)』とSACRéでその位置を1パート分ずらしたのか。

恐らくだが、楽曲の始まり方がひとつ、影響しているように思われる。『光(Re-Recording)』は『どんな時だって』から始まる。最初っから音程が跳ね上がるこの歌い出しはインパクト抜群なのだが、SACRéの方は『When you walk away ...』と低音から少しずつせり上がるように歌われる。つまり、『光(Re-Recording)』はパンッと始まるからパンッと終わらせたくて『真夜中に』を最後の最後に持ってきている。一方、SACRéは少しじんわり始まるから終わり方も少しずつカームダウンしていくような、そんなまとめ方をしたかったのかもしれない。事実、そうやって作られたラストの27秒は、様々な点で互いに異なり合う『光(Re-Recording)』とSACRéの間でも、特に違いの際立つパートとなっているように思われる。場合によっては、この曲のクライマックスはこのヒカルによる「歌詞のない歌のパート」だと見做すことすら出来そうだ。ここの余韻を生むための『真夜中に』の移動なら、説得力がある。それに、前も書いた通り、現時点では『光(Re-Recording)』とSACRéのどちらを先に制作していたかわかんないしな。


まだまだ意図としては謎の多い『真夜中に』なのでもっとよく見極めてから語りたかったが、こういうのが「腑に落ちる」のは20年後とかになるのがザラなの、この25年でよくよくわかってきたので、わからないならわからないなりにその時点で触れておくのも大事だなと思い直してこうやって日記に記してみた。これについては、まだまだこれからも考えていきますかね。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


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コメント
 
 
 
Unknown (Unknown)
2024-05-24 14:50:05
わたしも、この「真夜中に」がなんともいえず感動的ですごく好きなんだけど理由は当然のように言葉にできず、わたしもこれから長らく考え続けることになるんだろうなとと思います。正しい(?)宇多田ヒカルの楽しみ方ですね(^^
 
 
 
英語圏の人はどう思ってるんだろね? (i_@ the black masquerade)
2024-06-15 08:15:07
えぇえぇ、長いスパンで楽しめるのが宇多田ヒカルのいいとこですね。
25周年迎えてもまだ40代に入ったばかりですからねぇ。
50周年迎えても、きっとその時代の定年より下。
じっくり考えていく時間は、あると思います(^_^)
 
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