無意識日記
宇多田光 word:i_
 



MVのお陰で『Time』が話題の俎上に上っているが、一方で「やっぱり『誰にも言わない』は凄い曲だなー」という感慨もまた深まっている。

『Time』はこの曲に助けられている。どうにもファンの年齢層が上がりファン歴も長くなってくると保守的というか「宇多田ヒカルの音楽性斯く在るべし」な見解が増えてきてしまう。まぁそれが世の常人の常と言ってしまえばそれまでなんだが、ヒカル本人はそれをある程度避けたがる人なのだ。

「斯く在るべし」な音楽性が嫌いになってる訳でも飽きた訳でもない。得意は得意なままなので、ずっと再生産を続けるのもそれはそれでひとつの道である。だが、シンプルに、現実として、ヒカルはそれを選ばなかった。しかし、それが期待されているのもわかるしその期待に応えられるだけのものが自分の中にしっかりある(どころか依然成長中である)のもわかるだけに、やれる時にはやっておきたいという思いもまたある。でも、ただそういう保守的な楽曲をリリースするだけでは私のようなファンに嫌味を言われるし、何より自分の中の整合性がわからなくなる。そこで、それとは別の、もっと前進的な楽曲も(ほぼ)同時に提供してバランスを取る。過去にもそういったリリースはあったが、今回の『Time』&『誰にも言わない』の組み合わせは過去最高に振り幅が大きい。

そもそも、『Time』のような曲を聴いてガッツポーズをとる人にとって『誰にも言わない』は退屈そのものだろう。何を淡々と歌っているのか。歌詞には光るものがあるけれど、サウンドは妙に落ち着いていて掴み所がない。よくわからない、と。

前から述べている通り、ここに奇妙な逆転があって、宇多田ヒカルを好む人間のうち、メッセを読んでとかトークを聴いてとか、人間性に惹かれてついてきている人の方が、多様な音楽性を柔軟に受け容れられる。他方、音楽的な面からファンになった人はそうそう受け容れられない場面・楽曲が常に/しばしば出てくる。結局、「この人が好き」というどちらかといえばライトでミーハーな感覚の方が音楽そのもののファン、リスナーよりも宇多田ヒカルの音楽を楽しめているのだ。


となると、考えたくなるのは、『誰にも言わない』のミュージック・ビデオだよ。作んないの? 『Time』のMVが終わった後に続けて『誰にも言わない』が自動再生されたら聴く人も多くなるだろう。この曲をフルコーラスで聴いてる人ってそう多くない。ヒットしてないからね。CMは沢山観られてるだろうけど、独歩の詩の方が印象深い位ではないだろうか。

ならば、『Deep River +』ではないけれど、詩の朗読を前奏前に持ってきてMVを作るというのもひとつの手かもしれない。CMで聞き慣れた詩の朗読から楽曲に入っていけば聴き入る人も出てくるかもしれない。ちょっと尺が長い気はするけどね。そういったひと工夫で、千人に一人位の割合でもいいから、新しく『誰にも言わない』の魅力に気づいてくれる人が出てきてくれないかなー、なんて思っている。そして、内容は、ヒカルの人となりが伝わるものがいい。サイケデリックなエフェクトが特徴的な『Time』MVとはこれまた対照的な、落ち着いた映像がいいような……って妄想が前掛り過ぎますですかね。

2020年7月は、歴史的に降雨日が多く(月30日ですって!?)、なかなか月夜の散歩とはいかなかったかもわからないが、これから夏から秋に向けて月の綺麗な季節がやってくる。『誰にも言わない』を口遊みながら夜の逍遥に出掛けるのも、いいかもしれないね。出来れば、そんな時に頭に思い浮かべるに相応しいミュージック・ビデオが生まれていたらいいなぁ。

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『Time』MVのYouTube再生回数が50万回突破したかー。まぁ他のビッグコンテンツから比べりゃ地味なもんだけど、純粋な新曲じゃないしこれは極めて順調&好評とみるべきかな。

これをプロモーション媒体としてどう捉えているか。収益といっても広告収入など微々たるものだろう。チャンネル登録者数はなかなかのもんだけど。YouTubeはそもそも他のサブスクとは違い海賊動画サイトとして生まれたのだから色々強かだ。2005年からだからもう15年だが、規模の大きさを背景にして凄まじい発展を遂げてきた。

特に笑ったのが、いつからだつまけかな、著作権の包括契約を取り扱うようになったこと。途中から「他人のアップロードした音源であっても著作権使用料の支払いを受け取れる」というシステムに変わった。誰かが勝手に音源を無断転載してもその再生回数に応じて広告収入(雑な言い方)が貰える。勿論著作権侵害を申し立てて削除することもできる。事務手続きのコストがどれくらいかはわからないが、どうせ無断転載を止められないならそれに乗じて儲けてしまえという逞しい精神。強かである。

規模の大きさで押し切った、という感じだよね。サブスクサービスはそもそも規模が大きくないと月額10ドルを維持出来ない為ローンチまで時間が掛かったが、YouTubeは違法脱法を利用して既成事実を積み上げてルールの方を「YouTubeありき」に変えさせてきた。そういう経緯の中でサブスクサービスにも名乗りを上げてきたという流れなのだ。

もともとのサービスが無料の中で有料もありますよと勧めてくるのがYouTube、広範な無料サービスでまず間口を広げて待っているのがSpotify、ダウンロード購入からサブスクへと変化するも徹底した有料サービスを貫くApple、と三者三様なのが現在の音楽サービスの様態だ。(いや勿論他のサブスクも幾つかあるのだけど、取り敢えず象徴的に手法の違いが際立っているので)

そういう中で、宇多田ヒカルは徹底してYouTubeを利用してきた。10年前に既存シングル曲のほぼ全てのプロモーション・ビデオをフル尺でアップロードしてきた時は唖然としたものだ。それがブランディングに有効だろうという判断だったのだろうが、それが見事に奏功し、熱心でないファンの間でのレピュテーションを高め続けてきた。

こういう手法は、誰にでも適用できる訳では無い。マスメディア中心のプロモーションを展開してきて、抜群の知名度がありながらファンクラブを持たないという異質な構造を前提としてこの大胆なYouTube利用は成り立っている。今回も『Time』に関しては早々にショート・ヴァージョンをアップロードして楽曲のプロモーションを担わせてきた。まぁもう最近はずっと、オフィシャルサイトでWindowsMediaファイルやRealPlayerファイルの試聴音源(懐かしいな!)をアップロードすることなくYouTubeへのリンクを貼り張り続けているのだから今更なことなんですけどね。

今回はダウンロードやストリーミングが始まった後でのMV公開ということでこれは初めてではないもののなかなかに新しい感触。しかもプレミア公開も実施した。今回のやり方はどちらかというと試験的な色合いが強い風合いが漂ってきているので、次に仕掛けてくる時はもっと大々的にプレミア公開の宣伝をしてくるとみたい。今回でリスナーの方もプレミア公開がどういうものか幾らかは知れたと思う。私も知った。もし次は参加したいというのであれば、早々にYouTubeのアカウントをとっておいた方がいいかもしれないね。Googleアカウントさえあればすぐだしね。ここらへんも、上手いことやってるなぁと思うよ。

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『Time』のMVはご存知の通りノスタルジー満載で、どこをとっても見た事があるようなカットが連続する。そもそも『Coming Soon』の段階で「横顔が16歳だ」と言われていたのだから意図的だ。

ただ、同じくノスタルジックだった『Goodbye Happiness』MVと違うのは、あからさまにそれを指ささない所だ。GBHMVでは「あ、これは『traveling』、こっちは『Automatic』だね」とわかりやすく指摘出来たが、今回の『Time』は複数の思い出が交錯する不可思議な感触が特徴なのだ。

例えば黄色いのを着て現れた場面では「これは『Movin' on without you』……と思わせておいて『Automatic』、かな??」みたいな感想になる。他の場面も『First Love』…のような、だったり『Addicted To You』……っぽいかなぁ?だったり、はっきりしない。

これが今回の狙いなのだろう。サイケデリックなエフェクトも満載で、どこか「夢」をコンセプトにしている感じがする。そもそも、『Time』自体が“if...”をテーマにしており、もしこうだったら、とかもしこうなってなかったら、とかの仮定の過去と未来について語る歌だ。その「世界線の重ね合わせ」のフィーリングを、“混ぜ合わせたノスタルジー”で表現しているように感じた。夢の中で、昼間見た関係ない事柄同士を結びつけちゃうことあるでしょ? ウルトラマンが洗濯物畳んでるような。(なぜ思いついた喩えがそれなんだ俺) そういうのを映像化したものがこの作品なのだと。であるからして、このMVは観過ぎると記憶の勘違いが多発しそうな気がする。そもそもこの時のヒカルが何歳なのか、後から振り返った時に誤解してる可能性がかなりあるだろうしね。


これは、もしかしたら今年の世情も反映されているのかもしれない。よもや一年前はオリンピックが延期だ中止だという騒ぎになっているとは思いも寄らなかった。パンデミックで都市封鎖とかSFの、作り話の世界でしょと思っていたことがこうやって現実に起こっている。まるで御伽噺の中に迷い込んだような、そんなフィーリング。世界全体で共有できるかもしれないこのフィーリングを『Tiime』のMVは捉えてるのかもしれないなと、私はそう感じているのでありました。例えば、明日朝起きたら、今日の夜観た筈のMVがまるで違ったものになっていたりするかもしれないね……。

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っとと、前回「なぜ『Time』のMVはエディットされてるのか」について書いたが、肝心の「自分はこうじゃないかと思ってる」第4点について書くのを忘れていた。まぁ書いてる時半分寝てるからな……。


で。どう思ってるかというと、「差別化」である。御時世的に差別という言葉が危ういのであれば「多様化」とでも言い変えようか。わかりにくくなるけど。要は「ここでしか聴けない音源にしといた」ってことなんでないの。

もし無料のYouTubeで高画質高音質フルコーラスで放流してしまうと、ダウンロード購入や有料サブスクリプションで観賞する“甲斐”がなくなってしまう。折角262円とか550円とかのお金を払ったのに無料で聴ける方が高音質だったり便利だったりしたら損をした気分になるだろう。今回のMV解禁で改めて或いは初めて『Time』の音源購入を検討・実行してくれた人に対して少しでも買った甲斐があったと思ってもらうには、YouTubeの方をエディット・バージョンにするのがよかったのではないか。既に買っている人には、ただの音源としてみても78秒短いバージョンはある程度新鮮だろう。両方の視点からみて“悪くない”アイデアだったのではないだろうか。


これは、今後の方針も示唆するかもしれない。無料視聴者層に対しては昨今の風潮を鑑みて3分程度のMVを供給する一方、音源購入組に対しては5分程度のフル音源を提供する。リスナーの関心度に合わせたトラックを細かく用意しておく作戦だ。実際、ほんのちょっとの空き時間にさらっと聴けるのとか結構重宝する。着うた世代ならわからなくはないんじゃあないか。

となると、更に踏み込んで、今後オリジナル・アルバムでは先行シングル配信した楽曲の「アルバム・バージョン」を提供していく枠組みもまた考えられる。特にダウンロード購入組は先行シングルとアルバムで音源が重複するのは損した気分になる。ライブラリ管理の点からも煩わしい。その点、宇多田ヒカル陣営に関して言えば、アルバム発売決定後のシングル先行配信に関しては、特にiTunes Storeではアルバム内先行配信にしてくれているのでお財布的にも非常に有り難いのだが、アルバム発売決定以前の楽曲に関しては重複が起きざるを得なかった。リマスタリング程度でもいいので(とエンジニアの人の仕事を何だと思ってるんだな事を言ってますが)シングルとアルバムで差異を出していってくれるのが望ましい。

特にYouTubeは音楽アクセスとしては現在世界最強なんだろうから(よく知らないけど)、そこでのハイ・レピュテーションを獲得するのはコアファン層が脆弱な宇多田ヒカルのようなアーティストにとってはクリティカルであり、また、そこで如何に購買活動に繋げていくかも課題だろう。そういった事の実験も兼ねて今回『Time』のミュージック・ビデオが78秒短くなっていたのでは、とそう考えている私でありましたとさ。

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でまぁ最初に吃驚したのが『Time』MVのランニングタイム。3:39。オリジナルが4:57だから78秒短い。聴いてみると2番がまるまる飛ばされてるんだね。

これは一体どういうことなのか。3つ程理由が考えられる。

1.映像素材が足りなかった。これ以上の長さをもたせられない。
2.シングルエディット。
3.歌詞の内容と映像が(ディレクターの頭の中で)リンクしていて、2番の歌詞が余計だった。

1はあんまり考えられないかなー。別にヒカルの歌ってる姿ずっと映しとけばいいじゃんね。とそう考えるのは映像作品に対して私が基本無頓着だからかな。撮影期間も場所も何もかも制約だらけの御時世だから有り得なくはない、といったところ。

2はもうちょっと説得的かな。サブスクやダウンロードと違ってYouTubeは無料で誰でも観れるから「5分は長い」という事なのかもしれない。サブスク世代のヒット曲のランニングタイムは全体的に短くなっていて3分台が珍しくない。なんだか1960年代みたいだけど、そういう今の風潮に合わせたのかもわからない。

3は、まぁ文字通りわからない。確かに、こうやって短いのを聴いてみると存外歌詞の流れも不自然じゃないので、映像に合わせてカットしたというのはあってもいいかな。だけど、取り敢えず昨日今日観た感触では歌詞と映像がそこまでリンクしてるようにはみえないのですよね。エフェクトとサウンド、歌詞と表情がシンクロしてる場面はあるけれど。ここらへんは制作当事者に訊いてみないとわからんわな。映像に意味を持たされても、読み取れた事なんて私滅多にないですので……。


しかし。公開後23時間で30万回再生とは、新曲でもないのになかなかのロケットスタート。『Time (Short Version)』の方は3ヶ月半で371万回再生でこちらもまずまずだが、やっぱ映像が入ると注目度が上がるもんですかねぇ。フル尺ではないとはいえ、ちゃんと最後まで聴けるしね。このまま順調に数字を伸ばして皆にこの名曲の素晴らしさをもっともっと知ってうただきましょうぞ。

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いやぁ、いいMVですね!(テノヒラクルー)


新しく公開になった『Time』のMV、ヒカルが出ずっぱりで大変よろしい。ファンのニーズをよくわかっていらっしゃる。サイケなエフェクトの数々は趣味が別れる所だろうが、そういうのを全部押し切ってヒカルパイセンが美しカッコ可愛いのでオールOKだ。ずるい。


っとと、中身の話はもう昨夜の時点で皆がしてくれてるな。それは後からゆっくり振り返るとして。さっきヒカルからこんなツイートがあった。


『@utadahikaru : ロックダウン中のロンドンで自宅のリビングと作業部屋だけで撮った「Time」のMVやっと公開です!みんな(と言ってもスタッフは2.5人)で直前にテスト受けて。初日は男性スタッフも一人いたんだけど二日目は彼が来れなくなって、私を含む女性3人だけで撤収までがんばった』05:39:25

『@utadahikaru : Finally, the vid for “Time”! We shot it in my home, cleared out the furniture in my living room and used my work room as it is. A team of 4 on Day 1 and just 3 ladies including me on set on Day 2 (yes we had a drink after we wrapped and cleaned up)』05:57:47


日本時間だと早朝だがロンドンでは夜遅く、こどもを寝かしつけた後だろうかね。安堵の表情が窺える。動画のコメント欄なども目を通した後だろうか。英語ツイートの方は

「やっと『Time』のMV公開! 自分ちで撮ったんだけど、リビングの家具を片付けて、作業部屋も同じようにして。1日目は4人のチームで、2日目は私含めて女性陣3人で(撮影しました)。(はい、完パケして片付けた後は皆で飲みました!)」

という感じかな。この、最後の「皆で飲んだ」を英語でしか呟いてないところで読み手としては一息ついたですよ。折しも昨日大阪府から「5人以上の飲み会は控えるように」という要請が出たと報道があった所だ。時期も場所も違うし3人だし全く咎を受ける謂れはないのだけれど、日本ではタイミング的にはあんまり印象がよろしくないのかもしれない。英語でだけ呟いたのは得策だったと言えるだろう。ほっとした。

後から今の時期の日記を読み返したら「過剰反応だなぁ」とか思うのだろうかね。今のメディアはそういう空気を出しているのですよ。日本語のツイートでしっかり検査しましたとアピールするのはメディア対策だろうし。

でも、この面倒な時期が生まれたからこそ「リアル自宅でくまちゃんにダイブし踊り狂う宇多田ヒカル」をフィーチャーしたミュージック・ビデオが爆誕し得たのだ。それを考えると僥倖としかいえない。いやヒカルはどんな状況下に置かれてもベストな仕事をしてくれてたと思うけど、自宅を晒すなんてことまでしたかというとそれは違ったかもねというね。


で。今まで何枚も「宇多田ヒカルがくまちゃんに抱きつく写真」を見てきたが、こうやって動画で映像で実際にダイブしてる姿を公開したのはもしかして初めて?? なんか記憶にないんだぞ。14年目にして(くまちゃんの年齢設定はどうなってるんだろね)こうやって“初出し”に巡り会えたのだとしたら、いやはや、なんとも感慨深くあることか。あの表情は一生の宝物だぜ。

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でまぁまもなくミュージック・ビデオが公開されるのだけど、明日朝以降その話をしてなかったら察して下さい(笑)。

いやね、毎度言ってるんでうんざりなんですが、こちらとしては「宇多田ヒカルの歌を素材のひとつとして扱う映像作家の作品」は期待してないんですよ。ヒカルさんをそのまま映せば美しい。ミュージック・ビデオなんてそれで何の問題も無い。余計な事はせんでいい。

……というのが私の基本スタンスではあるものの、宇多田ヒカルのミュージック・ビデオというのは過去21年要所要所で話題になっていましてな。特に『Automatic』は「中腰で歌う赤いヤツ」という認識を日本国民に深く刻み込んだ。何の事はない、デビュー当時はまだ地上波テレビ出演がなかったので「動く宇多田ヒカルの映像」がそれ位しかなかっただけの話。ワイドショー等でヒカルの話題を取上げたら『Automatic』を繰り返し流すしかなかったのだ。ちょい極論だけどね。その為オンエア回数が凄まじい事になり皆の脳裏に刷り込まれたのだ。

他にも、『Can You Keep A Secret?』はストーリー仕立てで名作だったし、『traveling』はビデオが話題になり過ぎてDVDシングルが異例の売上を記録した。ミュージック・ビデオではないかもしれないけど、「FREEDOM」や「エヴァンゲリオン」の映像を伴ったものもあったよねぇ。宇多田ヒカルと映像作品、プロモーション・ビデオ/ミュージック・ビデオは切っても切れない関係にあるのだった。

なので、客観的に見ればミュージック・ビデオの初公開というのは注目度が高いのだけれど、自分個人は『光』や『Goodbye Happiness』のような「ヒカルがずっとひたすら映ってる作品」がお気に入りなので、出来ればそういうのが見たいなぁと公開直前の今になって無謀な願望を囁いているのでした。無駄な足掻きだけれどね。

プレミア公開ページはコメント欄も公開されていて太っ腹だ。ネガティブなコメントが投稿されたらどうすんだろうかと心配になるが、自信の表れと捉えておこう。あと英語圏からのアクセスも随分あるので、日本語と入り乱れるのも楽しみだ。勿論、他の言語も大歓迎。何言ってんのかサッパリわかんないけど、わからないのがいいんじゃないかね。各国の「宇多田ヒカル」の表記が知れたり……しないか。


どうやら私はプレミア公開に間に合いそうで安堵中。間に合わない、間に合わなかった皆さんもどうかアーカイブでしっかり観れますように。チャットもあとからチェックできると思うので、誰が来て喋ってくれるかも注目ですわね。ダヌパ来たら面白いんだけどまだスマホは持たされてないよねぇ……。

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さて改めて。今夜21時から『Time』MVがYouTubeでプレミア公開されるそうな。あれプレミアって言うんだね。名称知らなかったよ。


インスタライブ企画を始めるにあたってヒカルはこんなツイートをしていた。


『ひー 告知遅くなってしまったけど5月から毎週日曜日、インスタグラムから生配信(ライブではないです)をすることになりました!(以下略)』

『(ライブではないです)というのは家からのコンサートではなくて、家の仕事部屋から質問にこたえたりするだけです!の意味です…』

『英語と日本語バイリンガルの感覚からすると「生配信」=“live broadcast” (生放送)で「ライブ」=“gig/concert”(音楽の何かしらの公演)なんだけど、紛らわしかったかな』


まぁ結局最後の最後でgigの方のライブもやってくれて我々超大歓喜の前言撤回と相成った訳だけれど、この時の「ライブ」が紛らわしかったのは配信文化において「生配信」は必ずしも「生中継」を意味しないからであった。「既存の映像を皆で同時に観賞しながらコメントやチャットで交流する」というのも生配信企画の常道であり、「生配信かつライブではない」という言い方をするとこの手の企画を指す可能性が出てきてしまう。その為にヒカルの発言は紛らわしくなってしまったのだった。

今回の『Time』MV YouTubeプレミア公開企画は、その「既存映像を皆で同時に観ながらコメントやチャットで交流する」企画そのままとなる訳だ。この時の誤解が発端となってこの企画が立ち上がったのだとすると怪我の功名だね。

既存映像とは言っても初出しなのでそりゃ何万人も殺到するだろう。インスタライブと違って平日の夜なのでそこまでの人手はないかもしれないが注目度は抜群だ。ただ、プレミア公開となると「チャットに誰が来るか」が気になる所。これ初っ端でヒカルが来ると告知していない以上本人は来れないのだろう。さっきスタッフツイートをリツイートしてたけれど、もしかしたら息子の昼ご飯を作って食べている時間なのかもしれない。学校行ってんのかな? わかんないけど、当然ながら昼ご飯最優先であるからヒカルは来ない可能性が高そうだ。

となると、直前に久々のツイートをした照實さんが来てくれるのが穏当な期待となるだろう。で梶さんが業務連絡を受け持つ、と。もうチャットは開いているようなので、どこかで隈部君がテスト発言すっかもしれないね。公式のコメントは一目見てわかるように出来ている筈なので(やった事ないからわからないのでした)、時間がある方はチェックしてみては如何だろうか。

それにしても、このタイミングとはねぇ。Tシャツプレゼント当選者発表からのいきなりの配信企画。新情報が来るかどうかも気になりますわね。なお、確信がないので断言はしないが十中八九アーカイブされると思われるので今夜残念ながらリアルタイムで観れない人も後からゆっくり観れるだろうと思います。新情報対策としてそれまで通知を切っておくべきかは、悩ましいけどな……。

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明日28日21時から『Time』MVがYouTubeでプレミア公開されるそうな。プレミア公開ってなんじゃらほい?と思ったが、舞台挨拶の動画配信版てことね。子育て中のヒカル本人は難しいかもだが、照實さんや梶さんはチャットに来てくれるのかも。リアルタイムなので21時より随分前から張り付いてないといけないなこりゃ。


まーまだ明日21時までに1回か2回は日記を更新できると思うので、前回の続きを先に書いておくわ。


宇多田ヒカルは新進思想の(非意図的な)啓蒙者たり得る為発言炎上と疎遠だという話だった。そこでの懸念とは何か。世の中が反対側に振り切るかもしれない事だ。

「アダム&イヴ」を蹴って「ボニー&クライド」(『B&C』)を選んだエピソードからもわかる通りヒカルは男女同権思想だ。と言ってはみたものの、こっちからするとそんなの思想でも何でもない。男権とか女権とかいう言葉は存在せず人権一点張りなのだから権利なんて同じに決まっているのだが、そんなものは残念ながら理想に過ぎず、現実には男尊女卑的思想が罷り通っている。当たり前の事を言うだけで思想と言わねばならない。これが現実だ。

それが極端になる事を恐れている。野田洋次郎クラスの著名人がああいう発言をするというのは彼の無知に期するだけでは終わらない。彼は無知かもしれないが、空気は読んでいる。読み間違えだと言われそうだが、そうとは言い切れないと私は推測する。彼の周囲の言論空間(Webであれリアルであれ)ではあの発言は許容範囲だったのだ。それより広範に諮った時に少数派だっただけで、彼の周りには確実にああいった思想が息衝いている。そうみる。

今回は、少なくとも私の観測範囲に於いて彼は少数派だったが、今後はわからない。私のこどもの頃とは違い、今のご時世、優生思想をタブーとせずに宣う人間が増えている。ネットで可視化されただけだろうと言われそうだしそれについては反論も反駁も議論もしない。印象の話だもんね。同感するか否かは自由だ。

ヒカルの思想が、今後、少数派になる恐れがある。思想は日進月歩で世の中は男女同権に近付くし性の多様性もより認められていくようになるし人種差別も解消されていくだろう、という楽観論は少なくとも日本語圏では危ういとみる。どう転ぶかまだまだわからない。そんな状況下でもヒカルは言説を曲げる事はしないだろう。そうなった時に“逆炎上”する可能性が浮上する。そうなったらこの国ももう終わりだと言われそうだが、ネットで見てるこの20年間だけでも、思想空間はかなり駄目になっている。人が増えるとはこういうことなのか。

ヒカルが活動規模を縮小するなら大丈夫だろうが、残念ながら&嬉しいことに、今の認知度では相変わらず商業邦楽のトップアイコンのうちのひとつとして活動が続いていくだろう。このあと5年や10年経過する頃に、野田洋次郎が多数派になって宇多田ヒカルが少数派になっているかもわからない。ヒカルは変わらない。我々大衆の方が変質するのだ。そして相対的に、宇多田ヒカルの立場が変化する。そうならない為にも、日々の言動の中で出来るだけ当たり前のことを言っていきたい。さっきの「男権も女権もない。人権があるだけだ。」みたいな。殆どトートロジーなのだが、現実は当たり前の事を言う事すら許してくれない。まだまだ予断は許されないのである。きっと永遠に。

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週末にRADWIMPSの野田洋次郎のバズりツイートが流れてきてて。日付をみると7月16日なんだとか。なんで10日も経ってからやねんと思ったがなるほどこれは延焼し続けるなと納得の見事な内容。たった二つのツイートで人種差別と優生思想(ナチスとホロコーストを即座に連想させる)、婚姻強制、異性婚観蹂躙、性的嗜好、各種ハラスメント(セクシャル、モラル、セカンドレイプなど)、国家介入、基本的人権、いじめの構造、Twitterでの言葉遣い、などなど、昨今話題になっている要素を尽く詰め込んだなんとも密度の濃い逸品。しかもこの週末は嘱託殺人事件で尊厳死や安楽死も話題になり更に障害者施設大量殺人事件から4年というタイミングで、まぁなんだろう、ダブル役満どころかトリプル役満という凄まじさ。自らのキャリアを犠牲にしてまで昨今話題の諸問題への意識を喚起し皆で議論させた功績たるや涙無しでは語れない。

……などと私まで半分冗談みたいな口調で話さなくてもいいか。いや余りに常識外れなので俄には信じ難くてな。二つ目のツイートでダメ押しすることで「きっとタチの悪い冗談なんだろう」というこちらの微かな期待を見事に打ち砕いてくれた。ここまでの有名人がこんな並外れた失言(私がレーベルの社長なら違約金を払ってでも手を切るよ)をするだなんて戦後教育の失敗の象徴みたいなものだろう。由々しき事態なんてものではない。商業邦楽勢の危機だと思った方がいい。「売れてる歌を歌ってるヤツはあんなんだ」と思われたら市場自体の存在価値がヤバくなる。あの超特大ヒット映画「君の名は」のサウンドトラック担当グループだぜ。もう4年も前だけど。

いちばん懸念されるのは、妄信的なファンが件の2つのツイート(引用する気は全く無いので知りたい人は自分で検索してください)の内容を支持する事だ。若いどころか幼い子達までいるだろうから悪影響は計り知れない。別にファンでもない私は何もしないが、所属レーベルは責任をもって対処するべきだと思う。ここは日本だからそうはならないが、ドイツならあわや逮捕だぞ。


これを他山の石とするにも、宇多田ヒカルはこういった発言から最も遠い人物だ。寧ろリスナーやファンに新進的な考え方を啓蒙する立場といえる。

今思い返してみても、危なっかしい発言といえば害獣駆除に関するツイートとシスジェンダーのことを“straight"と表現した事くらいだろう。前者は本人が気づいて即刻削除したし、後者は指摘から始まる議論自体が実りあるものだったと結論づけていて対話自体は前向きな雰囲気で纏まった。しかも終始英語だったから日本語圏では全く炎上しなかった。どちらも、何も問題ないどころか問題提起&喚起として非常に有意義だった。

そんな感じなのでヒカルに関して失言や炎上は全く心配していない。私が心配しているのは寧ろ……という話からまた次回。

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昨日は照實さんのお誕生日で、71歳72歳になられたとのこと。おめでとうございます。

71歳72歳というと昭和生まれな私からみると完全に隠居生活の年齢という認識なのだがこの令和の世の中ではもうそんな感じでもない。特にミュージシャンは元気に活動してる人が多いよねぇ。打首獄門同好会のベースの人とか(例が偏るッ)。「いや何、みんなまだまだポール・マッカートニーより若いじゃないか」とか言っとこうか。いやあれは20世紀の奇跡そのものの人だから現生人類で最も参考にならない人だけどw


照實さんはヒカルのマネージャー兼プロデューサー兼事務所の社長だが、よくそれだけの仕事を兼任できるなと。その中で最も余人に代え難いのがプロデューサー役で、宇多田ヒカルの全アルバムはおろかUtadaのアルバムでもクレジットされているまさにヒカルの片腕的存在だ。親が腕って変な感じだけど、役割としてはそうなのだ。

これが何を意味してるのかというと、我々は照實さんの耳を通していないヒカルのアルバムを聴いたことがないという事なのだ。今までヒカルが送り出してきたサウンドは常に“光with照實”であって、どこまでがヒカルの音でどこからが照實さんの音かを我々は知らない。

で。ここに来て『Time』で「プロデュース:宇多田ヒカルと小袋成彬」というクレジットが出てきたんですよね皆さんご存知のように。共同名義。ヒカルはTHE BACK HORNとも共同プロデュースを行っていけれど、自身の新曲でこのクレジットは初である。(『Face My Fears』をどうカウントするかは保留にしておきます)

もしこのままなりくんがアルバム全体でも共同プロデュースを執り行うとすると、今度こそ照實さんがプロデューサー業から解放される事になるかもしれない。

実際、年下の共同プロデューサーが現れたのは喜ばしい事なのだ。今後何十年でもタッグが組める。年齢の心配が要らないからね。やはり、気心の知れたプロデューサーというのは必要なのだから。

だが、若いが故の不安も付き纏う。「小袋成彬」と(二年以上)一言も呟いていないアカウント(私ね)をエゴサしてブロックするとか、えぇっと、「小心者だなー」という感想しか出てこない。宇多田ヒカルのプロデュースなんて凄まじいプレッシャーだと思うのだがそんなメンタルで大丈夫なのだろうか。

音楽的な資質や相性は心配していない。彼のセカンド・アルバム「Piercing」でも二人で作った『Down The Line」は出色の出来だった。『パクチーの唄』や『Time』や『誰にも言わない』は最早言うに及ばず。二人はどちらが主導権を執ってもいい音楽が作れる。なので、あとは彼の精神的成長を待つのみだわね。メンタルタフネスが加わればこのタッグは最強となるだろう。ブロックされてる私も(笑)、もう少し様子を見ていたいと思います。

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ヒカルのアルバムのアートワークはデビュー作の『First Love』から最近作の『初恋』まで一貫して顔のドアップで、21年前から後に来たる“ジャケットアイコン化時代”に早々に適応していて偶然とはいえ先見の明だったなと言いたいところ。

一方でシングル盤に関してはアートワークのコンセプトはバラバラである。『FINAL DISTANCE』や『誰かの願いが叶うころ』のようにアルバムに負けず劣らずドアップのものもあれば、『光』や『Beautiful World / Kiss & Cry』のようにヒカルの全身が遠景でちょこっとだけ写ってるものまで様々だ。また、『Addicted To You』では2人に、『Wait & See 〜リスク〜』では4人に、『Keep Tryin'』では何十人に(数えるの諦めた)もヒカルが居て増殖する事も厭わなかった。本当になんでもありなのである。『For You/タイム・リミット』なんて自作絵のゴリラだしね。誰だよあれを自画像だなんて言ったのは。怒るぞ?(すいません)

それだけ多様だと、明らかに手抜きのアートワークも出てくる。『Eternally - Drama Mix -』なんて『Distance』アルバムからの流用である。配信限定のリミックスでヒカルがプロモーションに参加してないのだから当然といえば当然なのだろうが、折角なのだから新しいアートワークを見せて欲しかったというのはあったりした。

近年目立つのが「漫画化」で、『桜流し』『光 (Ray Of Hope Mix)』『Face My Fears』と絵画化した宇多田ヒカルが登場した。私は経験は無いのだけれど(当たり前だ)、自分が漫画化されたら嬉しいだろうなぁと素直に思う。

今挙げた三作はそれぞれ「エヴァンゲリオン新劇場版: Q」「キングダムハーツHD2.8 ファイナル チャプター プロローグ」「キングダムハーツ3」のテーマソングだが、この流れでいけば「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のテーマソングのアートワークもまたヒカルの漫画化になるのではという期待が寄せられよう。封切当日まで情報秘匿がここまでの常道だが、それまでのヒカルのシングル盤のアートワークの傾向から考えると次は「増える」のではなかろうか。綾波レイのように、『Keep Tryin'』のように、今度のテーマソングのアートワークでは漫画化されたヒカルが増殖するのではと予想しておきたい。しかし、配信限定だと裏ジャケットとかブックレットの写真の楽しみがないのがねぇ。『Wait & See 〜リスク〜』なんてそれだけを見たさにCD引っ張り出してくるくらいなのですが。次も何とかマテリアルで出してくれませんかね?

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インスタライブで背後に木彫りの熊が置いてあった(のだよねあれよく見えなかったんだよね)ことからもわかるとおり、相変わらずくま愛の強いヒカルさん。Instagramではアカウント名がkuma_powerだもんね。くまには、くまちゃんにさいろんな局面で助けられている。

シンガー・ソングライターとしてマスコット・キャラクターが居るというのは大変心強い。グッズを作る時に“Hikki”に拘らなくてよいからだ。年齢とか髪型とか体調とかなんやかんや人間は兎角変化する生き物だが(生き物は変化するわな)、マスコットキャラクターは何も変化しない。させてもいいけど、ずっとそのままでもいられる。

なので、コラボカフェを実施したときもくまちゃんがモデルになってくれて、ヒカルさんをキャラ化せずに済んだ。まぁそこらへんはチューイチもそうだったんだけど、くまちゃんはもっと徹底してるのね。


そういえばインスタで言ってた『Kuma's Book Club』って、本気で始動させるつもりとかないんだろうか。アルバムとなると難しいかもしれないが、単曲を書籍として発売して流通に載せる企画とかと絡めたら面白いかもしれないな。『ぼくはくま』には絵本がついていたが、今度は絵本にヒカルの新曲のCDが付属する、というような。どちらかといえば企画モノで、それこそ名義を『Kuma's Book Club』にしてしまってもいいような。ヒカル自身が絵本を描くのはハードかもしれないので、他のクリエイターとのコラボレーションになるかな。Fluximationの書籍版みたいな? なんか時代に逆行する感じがしてこそばゆい。

インスタライブでも絵本の中の歌に節をつけて歌っていた。『宇多田ヒカルの言葉』という歌詞集も出した。宇多田ヒカルと本の相性はとてもいい。純粋な文章も勿論望ましいが、ここぞという時にくまちゃんにヘルプしてもらって絵なりARなり何なりになってもらうような、そんな活動があっても面白いんじゃないかなーとふと考えたのでありました。今日はそれなりに晴れてはいたけど、梅雨明けはまだかいねぇ…。

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昔から、NHKのニュースでプロスポーツを取り上げるのが解せない。別に嫌じゃないんだけどね。あれだけ営利企業への加担を忌避する番組作りをしている放送局がなぜ特別枠を作って会社名を連呼するのをよしとしているのか。幾つもその理由についての記述を読んできたが、どれも言い訳がましい。日本での日本語の放送なので日本代表の試合や国技として認知されている大相撲の情報を発信するのであればまだわかるのだが。

認知度とか関心度でいうなら、同じ位枠をとってライブコンサートレポートもしてくれたらいいのに。「昨日東京ドームで巨人と阪神が対戦しました」も「昨日東京ドームで嵐が全20曲を熱唱しました」も関心度という点では似たようなものだろう。

その昔山口百恵がNHKで「プレイバックPart2」を歌う際に「真紅なポルシェ」の部分を「真紅なクルマ」に改変させられて歌わされた話は有名だ。ポルシェが商品名だからだ。幾らか経った後ポルシェと歌えるようになったらしいが、毎日ヤクルトだロッテだと連呼してる放送局に言われたかないというのが人情ってもんだろう。

その「プレイバックPart2」を20年前の『Bohemian Summer 2000』ツアーでカバーしたヒカルさんも昔『ぼくはくま』で「前世という歌詞は如何なものか」とNHK側から苦言を呈された事がある。そんな事いうなら「スポーツチームを軍呼ばわりするのは如何なものか」くらい言って欲しいものだが、その時は字幕をカタカナで『ゼンセ』とすることで決着がついた。

では、もし今後ヒカルがNHKに出る時に商品名を連呼する曲を歌おうとなった時にどうなるのか。何しろヒカルさんは『Kiss & Cry』で『今日は日清CUP NOODLE CUP NOODLE CUP NOODLE♪』と歌った実績がある。未来にまたそういう曲をリリースしないとも限らない。作品の芸術性を尊重するなら、政見放送がかなり何でもありなのと同じように、自由に表現できるよう取計らわないといけないと思うのですけどね。

ファンとしては、そんなイザコザでヒカルのパフォーマンスが観れなくなるのは嬉しくないだろう。自分個人としては違った歌詞で歌われたりしたらそれはそれで別バージョンが手に入ったと喜ぶかもしれないが、多分、あれなんだよね、NHKの中の人の態度が悪いんだろうなぁというのが、きっといちばんのネックであって。そこが引っ掛からなければヒカルも穏当に対処してくれるんだと思うのよ。ルールは人間が作るものだし、結局は人と人の関わり合いなのだろうよなと、相変わらずな放送局の姿勢に触れる度に思うのでありましたとさ。

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「曲毎に」となると、もしその曲が気に入らなかった場合暫しそのまま離れて次の曲まで待ちだし、気に入ったとしても一頻り聴いた後はやはり次の曲が待ち遠しくなるだろう。勿論、コアなファンは毎日バックカタログを聴いて過ごせているのでそれはそれで全く問題ないのだが、そこまでいかないリスナーはどうするかという事なのだ。

この曲毎アティテュードはヒカルのデビュー時なら素直に機能していた。宇多田ヒカルに拘らずとも他のアーティスト達が常に毎週新曲をリリースしていたからだ。よってリスナーも「Pop Musicに耳を傾ける」というライフスタイルを崩さずに生活を続けられていた。今でも同期のみんな(浜崎あゆみとかaikoとか)は比較的元気だが、だからといって20年前のような活況がある訳では無い。寧ろもうそれぞれがクラスタを作ってそこでのサイクルを完成させている。ファンクラブをはじめとした“囲い込み”クラスタの集合体が現在の市場、シーンであって、過激な言い方をすれば、宗教を信じたり政党を支持したりするノリでアーティストを応援するのがメインストリームになっているような。

そういったシーンにおいても宇多田ヒカルというネームバリューは凄まじく、新譜を出せばCDだけで何十万枚というスケールになるのだが、余りにも単発だ。暫くはこのまま行けるだろうが、閉じたクラスタの寄せ集めとなった市場ではヒカルの歌はなかなか支持されなくなっていくだろう。ヒカルのクラスタってのがあやふやだからね。ファンクラブがないから。まぁ、昔からのリスナーはそうそう離れないだろうから漸減というムードだろうけど。

昔述べたように、本来ならヒカルのアウトプットがない時期はレーベルメイトが入れ替わりで前線に立ってくれればいいのだが、こちらの方は依然なかなかうまく回ってくれていない。


そんなだから、ヒカルからのアウトプットのない時期のファンの関心は本当にバラけまくっている。音楽を聴いていればまだいい方で(聴いてないからよくない訳では無いですよ、単なる言い方ってヤツです)、ゲームやスポーツやゴシップやあれやこれやとまぁ多彩だなぁと。なので、「宇多田ヒカルと○○が好き」という人が本当に多い。その○○の幅広さがなんとも面白く、楽しい。

そんな中でいちばん目立つのが「○○=椎名林檎」で、なんだろう、若い人たちからしたらこの二人は同じ/近いポジションなのだろうか。ヒカルに比べたら林檎姐さんはアウトプットが遥かにコンスタントで、ファンクラブもかなり機能しているようだ。ヒカルが鳴りを潜めてる時は彼女の活動を追ってる人が多かろう。

その林檎姐さんがインタビューでも語っていた通り、シーンの構造としては宇多田ヒカルが真ん中にどーんと居て林檎姐さんがその脇を固める感じであって、その“真ん中にどーん”が居ない間ずっと心細さを抱えて留守を守っていたのが椎名林檎。故に心理的には林檎姐さんがヒカルを頼っている。言い方は悪いが、ヒカルからしたら椎名林檎が活動していようがいまいが創作面での影響は軽微だろう。個人的には寂しいかもしれないけれど。ヒカルが主で林檎姐さんが従なのだ。

ところが、リスナー目線でいえば、ヒカルさんは林檎姐さんに頼りっぱなしなのだよこれが。ヒカルのアウトプットが途絶えている時期をずっと繋いでくれている筆頭が椎名林檎なのだから。この心理とシーンの持ちつ持たれつ具合がこの二人の組み合わせのいちばんの魅力なのだろうから、つまり、次のヒカルのアルバムでもまた是非コラボしてくれませんかねという結論になるのです。他のコラボレーションとは違い、もっとコンスタントでいいと思うのですのよ、えぇ。それを見せつける事で「ファンクラブを持たない宇多田ヒカル」の存在がシーンの中で居場所を見つけていってくれる気がするのです。ま、そんな計算的目論見度外視でも、二人が居並ぶ姿はずっと眺めていたいのですけどね。

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