無意識日記
宇多田光 word:i_
 



庵野宇多田対談を通じて、私はどこか庵野監督にずっと共感していた。いちいち彼の言うことがもっともだなと思いながら聴いていた。一方でヒカルについては、特に何も言わずに庵野監督の話を聴いている時に何をどう考えているのかがわからなくて…それで不安になるというよりかは、そのミステリアスさを魅力に感じて楽しんでいた、かもな。こんな日記を7000回以上書いておきながら、ヒカルについて思うのはいつも「やっぱりわからない」の一言に尽きるのだった。それはさておき。


庵野監督の言う内容、喋り方と間のとり方をみていて、60歳くらいになると脳はこういう状態になるのだろうなというのを何か何処か実感として感じていた(誕生日過ぎたからもう満61歳か彼は)。何がどうというのはわからない。しかし、物事の捉え方が経験と理解の集積の結果として、何ていうのかな、そうならざるを得ないというか、もうそれはそうなるだろうからそう言いますよという感じだった。

そのあやふやまでに抽象性の高い感覚が、彼の「新世紀エヴァンゲリオン」での肩書き、「総監督」ってのに相応しい感覚だなとひとりで合点がいっていた。何人かの監督たちすら監督するという意味では「超監督」とでもいうかな。現場に居合わせなくても、庵野総監督が思い描いた…違うな、未来に逢えるであろう結果としての「作品」を実現させるためのプロセスを生んでいく事ができるような、そんな言動の繰り返し。それが彼の仕事、いやさ生きていく上での営みだった。彼が碇ゲンドウをゲンドウと名付けたのが妥当だったんだとよくよく痛感したよ。

彼の「総監督ぶり(超監督ぶり)」は、どうやら『One Last Kiss』MV制作でも発揮されていたようで。彼は対談中頻りに「あれは編集の辻田(恵美氏)がやった」と繰り返していた。自分は何もしていない。メールのやり取りをしただけだったと。それは謙遜でも何でもなく事実なのだろう。だから彼は躊躇いなく、いやそれどころかこれだけは言っておかねばという勢いで何度もその点を強調した。あれは彼女の手柄なんだと。

しかし、当たり前だが、庵野秀明が居なければ『One Last Kiss』MVは完成していない。それはスタジオでの編集作業のみならず、もっと大きな視野に立った時に─彼が居たからMV制作の依頼が舞い込んできた、という超絶基本的な所から、やはり彼が居なければいけなかったのだなと痛感する。メールひとつ、言葉ひとつで、彼はあるべき姿を…コントロールするというのでもないな、自然な流れをそこに感じ取って無駄に抗う事はしないと素直に決めて動いていたような気がする。そんな明鏡止水な境地に立って、彼は総監督の仕事を全うした。「余計なことは何もしない」というね。物事全体の流れを感じて、その中で自分がどこかで「そっと手を添えて」おけば、もうそれで作品が仕上がっていくのだ。人に指揮するでも命令するでもないし、かといって好き勝手に自由にさせるでもない、“あるがまま”の状態のうちのありうべきひとつの中に作品が完成する未来を見出してそこに近づいていくというか。いやはや、巨匠だな。こういう人は天候に恵まれていくのよなぁ。降って欲しい時に雨が降り、晴れて欲しい時にカラッと晴れる。別に天候を操れる訳ではないのだが、肝心要な時には自然と「そうなる」のだ。それは「不思議なことに」ではなく「不思議なことに全く不思議でなく」そうなっていく。天才が還暦を迎える頃ってあんな感じなんだなと。嬉しい。


ヒカルは、今そういう段階にはない。もっと更に別次元の何かにならんとしている。ただ在るだけというか。

さてこのあと日付が変わればもっと世俗的な話題に移っていくのかな。女子としての美の追求か。どんな展開になるんだろう。そんな事を素直に期待する為に、今夜は庵野監督のキュートさに迫っておきました。すごい才能だねやっぱ。人類史上最高の映像作品を作る/作らせる/生み出させただけあるわぃな。

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2021年も今日で上半期完遂っすか。今年も半分が過ぎていく…。

上半期の宇多田ヒカルは対外的には『One Last Kiss』の特大ヒット、これに尽きるのかな。YouTubeではそろそろ4000万回再生はいつになるかという時期に来ているし、ストリーミング全般を足し合わせれば再生回数1億回くらいになってきてるんじゃないかな。如何に昔チャートを賑わせてきた宇多田ヒカルでも億って単位はそうそう出てきてなかったのでなかなかに新鮮。いや金額ベースでいえば3000円のCDアルバムを765万枚売って総売上230億円っていうそれこそ桁違いの記録もありますけども、それでもね。

熱心なリスナーとしてはそれに加えて『Beautiful World (Da Capo Version)』のリメイクなんかも話題になったし、空かさず更なる新曲『PINK BLOOD』がリリースされて面食らったりもした。中にはこれがご縁で「不滅のあなたへ」にハマった人もいるかもしれない。自分もあっという間に単行本既刊15巻全巻読了したわ。この漫画のスケール感よな。

そして5月6月は2ヶ月連続インスタライブで、何だろう、結構この半年って息もつかせぬというテンポだったんじゃないか。シンエヴァの映画を複数回観た人も沢山居たようだし、『PINK BLOOD』のエキシビションはローカルとはいえイベント事に足を運ぶという感染症禍下では久しぶりに新鮮な体験を齎してくれた。ううむ、住んでる場所次第では結構忙しかったりもしたかも。

では下半期はどうなるのかと関心を向け始めるもうその前に資生堂のグローバルアンバサダー就任が実質発表されているというね。資生堂公式ではシルエットのみの紹介で一応名前を伏せてはいるがバレバレになるのが既定路線な間合いなのでそこはもう普通に触れても構わないだろう。それに纏わる新曲については明日以降になりますが。

そう、このテンポ感よな。シンエヴァとのタイアップも非常に威力があったが、資生堂となるとちょっとスケールが違ってくる。街中の至る所、ドラッグストアなんかにヒカルのポスターが貼られるのであろうか。等身大パネルとか設置されちゃっだりするのだろうか。TVCMがバンバン流れたりするのだろうか。資生堂だと一社提供の番組とかもあるのかな? 若い子たちはTVを観ていないかもしれないが、どうやら売り出すシリーズはそれなりにアダルトな層を狙った商品になりそうなので、きっとまだまだTVを観ている層…というか、TVを支えてる層に響いていく展望がみえる。

となってくると、下半期は、立て続けにアニメ関連のタイアップで成功を収めた上半期とは対称的なファン層が顕在化してくるかもしれない。そこらへんも見据えた上でノンバイナリ発言をしたとしたらこれはかな〜り計算高いでござるぞ…TVに出るセレブはホットなトピックに対してセンシティビティがクリティカルでないとだからな(何言ってるのか本気でわからない)。

虚構の世界を扱うアニメとは違って、現実の世界ではある程度政治的な立場を明確にしておいた方がいい、という話になるのかもしれない。そういうのと無縁な庶民としては煩わしい話なのだが、それがヒカルを護る盾になっていくことを踏まえれば合点もいかせようぞ。更にグローバルアンバサダーっつーのは国際展開の場にも駆り出されるっつーことなのかね? よく知らないけど、地球規模となってくると更に「宇多田ヒカルとはどんな人物なのか」というところに焦点が集まっていくだろう。資生堂という国内最大手の女性向け(のみじゃないが)化粧品ブランドとのコラボレーション目前のノンバイナリ発言から宇多田ヒカルの2021年下半期が始まっていくのだとすれば、なんだかこれから上半期を更に大きく上回る波瀾万丈が待ち受けていそうな予感です。

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前回も触れた通り、今までと違って一昨昨日のインスタライブは、ヒカルが構成を考えていた点が特筆に値する。

庵野対談では「喪失」をキーワードに自らの作詞とシン・エヴァのストーリーに共通点がある事を指摘した。それに応じて庵野監督も、「詰まる所この物語は喪失をどう受け容れるかの話」といった趣旨の発言をした。これはきっと、作中で主人公の碇シンジが身近な人を喪っていく過程と、我々が四半世紀に亘って続いてきたエヴァンゲリオンの物語と離別し関係を終息させることの両方を重ね合わせたものなのだろう。エヴァQでシンジを観客目線にして「訳が分からないよ」と言わせた庵野監督ならではのアニメとリアルのメタな重ね合わせだったといえる。

ヒカルはその喪失の物語を、更にインスタライブの視聴者までをも巻き込んで語ってみせた。対談が終わった後の二枠目で、母を亡くした質問者の気持ちに誠実に寄り添った言葉を紡いでいったのだ。どうにも、庵野さんとのやりとりの間合いからして、「喪失」というキーワードは対談のどこかで触れておこうと予め決めていた節がある。恐らく、今回のインスタライブの最後(から一つ前。そのあとに目玉焼きにがあるから!)に、件の質問者さんからのツイートを取り上げようと決めていたのだろう。大胆な事を言えば、その人へのパイセンとしての回答の為に、庵野秀明という紛れも無い巨匠を“利用”したのだ。

また、ヒカルの答え方には、その場で考えて出た言葉と、既に自分の中で出来上がっていた言葉の両方が垣間見えていたように思われる。その中でも「喪失を断ち切ってもまた新たな喪失が生まれるだけ」という趣旨の一言には唸らされた。これも恐らくだが、予め考えていた言葉とその場で生まれた言葉のハイブリッドだったような気がするんだ。

つまり、ヒカルは、今回のインスタライブに対してかなり入念な準備をしていたし、その上で生配信中も、その準備の上に胡座をかかず実直にその瞬間々々に心を込めて言葉を紡いでいたのだろう。うむ、気合いが入ってたな。終わった後私も思わず「映画一本観た気分」と呟いたが、それは、こうやってヒカルが全体の構成を企図して生配信を行ったからだった。いやはや、宇多田ヒカルが手間暇かければ生配信もこれだけ分厚い内容になるのだった。見事な手際だったよ。(なんか今夜の俺妙に偉そうだな??なんでだろ??)


まぁ余談になるけれど、そんな人が迂闊や軽率でノンバイナリ云々の発言をする筈が無い。様々な反発や反応も考慮に入っているだろう。引き続き読者の皆様方におきましては、お気に召さぬ言葉の数々も、そよ風に舞う埃のようなつもりで軽やかに避けておいてうただければ幸いに存じます。

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一頻り結構濃密な問答が一枠目の庵野対談、二枠目のパイセン問答と続いた最後に取り上げられた質問が「目玉焼きに何をかけるか」問題。和んだ。

この押し引きですわな。こうでないといけないというか、センス・オブ・ユーモアの持つ救いの力ってさり気ないから見落としがちだけど、ここでふっと緩ませて貰えるから配信終われるのよね。物語がハッピーエンドを推奨されるのも、バッドエンドだと緊張感が持続しちゃってその世界から戻れないからだし。肩の力抜いてこーぜ。

であたしの場合はそもそも目玉焼きに何をかけるかに関してはどの派閥にも属していない(誰もきいてません)。というのも(続けるんかい)、自分にとって目玉焼きは白いご飯のポジションに近いからだ。白飯にはふりかけをかけるとか漬物を添えるとかから始まってカツ丼や天丼みたいな丼物とか或いはホワイトシチューをかけるかかけないかまでそりゃあ沢山の味付け、トッピングがある。そのバリエーションを楽しめるのが白飯の魅力なのでな。

なので、目玉焼きに関しても、その時々でかけるものが異なる。隣にあるのがご飯に味噌汁納豆だったら醤油をかけるし、パンにサラダにコーヒーならマヨネーズだったりもする。ベーコンエッグかハムエッグかでも、サニーサイドアップかターンオーバーかでも違う。カップでチンするかフライパンで焼くか、いやいや、茹でるか揚げるかでも味は変わるし…ということで、ひとつの調味料にこだわる理由がない。こだわることは損ですらある。ひとえに他のものとの関係性で決まる。

…なんていうことを考えてたのだが、そこでハタと気がついた。ヒカル、さてはインスタライブの最初と最後だけは構成決めてたなこりゃ、と。最初にクマチャンが男の子でゲイ、自分がノンバイナリだとサラッと告げて最後に目玉焼きに何をかけるかの話。つまり、“どっちの問題もそういうふうに考えよう”というメッセージだったのだろうかなと。目玉焼きに何をかけるかについて語る程度の緩さでこういう話をしましょう、ってことだったのかなと。

思い返してみると、ヒカルが『I'm non-binary.』と言った時は軽やかな笑顔だった。多分だが、そんな風に言おうと決めてたんじゃないかなぁ。良い悪いは別にして、インスタライブをやる以上、動画が一部だけ切り取られて拡散されるのは承知の上。ではどんなトーンで告げればいいかとなったら、目玉焼きの話題並みのゆるさとほんわかさとキュートさ(まぁこれは自然に出ちゃった気もしますが)でいこう、と。

食べ物の嗜好は時として神学論争にまで発展する。さっき触れたホワイトシチューを白飯にかけるかかけないかもそうだし、きのこたけのこに至っては戦争とまで形容される始末。でも、それもこれも結局は「どっちでもOK」という大前提あってこその冗句。ノンバイナリ発言の背景には、まだそこの話題が「どっちでもOK」になっていない現実に対する認識があったのかなと。まずは、話題にするところから。話をしていくうちに知識も認識も深まっていくでしょう、と。叩く人がいるのかどうかちゃんと検索してないので知らないけど(まぁ居るんでしょうな)、それも含めて認められていく過程なんだと思えば、目玉焼きにかけるのは醤油かソースか訊かれてるのに塩コショウと答えたのは、貴方の知らない選択肢がこの世にはあるんだよと色んな人に色んな分野で語りかけてる気がしてなぁ…

…って、こういう深読みをし過ぎると次からヒカルがインスタライブがやりづらくなるので(苦笑)、ほどほどにしておきましょーね。醤油やソースもかけすぎると体によくないからね~。

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嗚呼、飲ん場稲荷発言(なんだそりゃ)がプチバズってんのね。本来なら「知ってた」だけで済ますとこだけど…やっぱそれで済ましとくか。

あと新曲の音がもうどこかで流れてるようだけどレーベルから発表あるまでは聴かないのであしからず。これもいつも通り。毎度言ってる事だがヒカルの嫌がる事は出来るだけやらない。何故ってこの日記がもう既に最大級の嫌がらせかもしれんからなぁ。そんなつもりはないのだが、結果的にそうなってるかもしれんからなぁ。耳の痛い事が言えてるなら、でも、それはそれで有用だろうからいいか。


という訳でオーソドックスに庵野宇多田対談の話でも。

「ほへー」と思ったのは、珍しく(?)長広舌をふるう庵野監督を見つめるそのヒカルの顔だ。昨年のインスタライブでもある程度は聞き手で役を担っていたが、一昨日ほど相手がずっと喋っている事はなかった。そのヒカルの「聞き手としての顔」がとても新鮮で、何よりそれが美しくて見蕩れてしまった。(余談だが「みとれる」には「見惚れる」という漢字もある。こちらはそのまま「みほれる」と読んでもいいんだと。あれまややこし。)

元々ヒカルの顔面の楽しみといえば私の場合は特にそのころころ変わる表情が大好きでそれをいつも眺めていたのだが、こうやって眉根ひとつ動かさずにじーっと同じ顔をしているのを眺めるのもなかなかにいいもんだ。そしてこの美しさが、なんというのだろう、包容力を感じさせるというか、普段息子が長々と何かを話す時もこうやって聞き耳を立てているのかなと思わせる、そんな穏やかな優美さと落ち着いた誠実さを湛えていたのだ。ヒカルはパイセン問答でダビンチの名画「洗礼者ヨハネ」に感動した(なんてことなくはなかった)と語っていたが、あんたの顔面も同じように美しいでしたぞ。

そしてそれが、新しい一面にも繋がっている気がしていたり。聞き手としての顔に不安が無かった。相手が何を言ってくるのかドギマギしているという風ではない、恐らく、どう来られても大丈夫な感じ。『PINK BLOOD』の『他人の表情も』『もう充分読んだわ』というのはこれのことかなと思わされた。一昔前ならもっとまんまるお目目をクリクリさせて相手の出方を窺っていたような気がする。

なので、資生堂のような企業のCMに“出演”すると知った時、「いよいよだなっ!」という「やっと宇多田ヒカルの美貌に気づいたか」という感慨と共に「今という時機にドンピシャかも!」という感想も生まれた。つまり、今のヒカルは、そんなに表情を造らなくてもそのまま彫刻になって美しいような見た目をしている、ということだ。それは、ある意味、自信に満ち溢れているというか、少々の事では動じない雰囲気を身につけつつあるのではないかなと。こういう時に(ピンナップやコマーシャルメッセージの)モデルとして大事なのは、日頃の鍛錬やメインテナンスも勿論だが何より自信/コンフィデンスなのではないかな、とMTVのレポーターを務めた時のことを思い出しながら思ったのでしたとさ。


とはいえ、本当のところはどうなっているのか、いちばん確かめなくてはならないのがライブコンサート会場でのMCになるだろうな。そこでまた昔からのようにちゃんとオドオドしてくれるような予感もまたあったりして、果てさてヒカルはここから二年くらいどんな変化をしてきていて、ここからどんな変化をしていくのか。新しいフェイズに入っていきながらその途上でニューアルバムが出そうでそのダイナミズムが楽しみだったりしますわぃ。

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あー、うん。


あー、、、うん???



何なに、どうなってんの一体??
資生堂のグローバルアンバサダーに就任して7月からヒカルがCM“出演”ですって?? もう銀座資生堂にポスター貼ってあって新曲入りの国際プロモ映像がアップロードされとると? あんたらフライングやないの?あと二日待てなかったんん?? 

ただでさえ週末のインスタライブに庵野秀明出演でサプライズだったのに翌日にすかさずそんなの放り込んでくるの?? いいの?ねぇいいの? この週末家族旅行とかでネットに繋げてなかった人は金曜日から月曜日にジャンプして物凄い落差にビビってるんやなかろうか。大丈夫かほんまに。


そうなんですよ。終わってみれば大好評だったけれど、金曜日までは庵野秀明総監督がヒカルのインスタライブに生出演サシ対談するだなんて夢にも思ってなかったの。なのに当日昼(現地未明)にそんなメルマガぶちこんできやがってまぁ。エヴァファンの人達、後から知ったって人も多いんでないのか。甚だしく大胆な事するもんだ。

危惧ありまくりでしたよ? ゲスト来るのにヒカルは安定の遅刻だろうしインスタライブのやり方ちゃんと思い出してんのかとか質問のピックアップは万全なのかダヌパの世話はいいのかとか。こっちとしてもそんなビッグゲスト来るなんて想定してなかったんで(昨年はなんだかんだ後輩ばっかだったしな)、違う方向性でインスタライブに期待してたし気持ちのスイッチが難しくもあったんだが、対談が本当にしっかりしていたので思いっ切り結果オーライだった。

いやね、インスタライブのやり方に関しては、案の定というか。まぁ元々庵野監督に9時半頃ですと言っておいてあとは配信ないで調整すればいい、みたいなことだったんだろうけどきっちり遅刻してきてね。それでも予想より早かったと安堵して貰えるのはキャラというかなんというか。そして対談終えた後にまだ数分配信時間残ってるのに庵野さんとの接続を切るだけのところを間違えてインスタライブまるごと終わらせちゃうし、ヒカルが原因ではなさそうだけど動画保存はうまくいかないしでいやまぁグダグダでな。でもそこはしっかり隈部くんがスマホの画撮?をしてくれていたお陰で翌日にアーカイブ扱いとしてアップロードできてたんで、危機管理上も及第点という、なんだろう、終わってみればなんだかんだでちゃんと出来てたということになるんだろうかな。…なってないかな!?(笑)

結局このあとWebに残っていくのは数日で削除されないウェブ記事とYouTubeへの動画アップロードになるんだろうから当日のそんなゴタゴタは掻き消されて対談自体の評価だけが残るので、これはこれでよかったんだろう、うむ。

しかし、ほんと、ゲスト告知が始まる九時間前って、よかったのかなぁ? 裏事情があったのかもわからないが、週末の配信企画っつーのはそれはもう膨大なコンテンツが存在していて、その中から選ばれるんだから、急遽過ぎる発表はあんまり視聴者サービスがよかったとは言えないかもね。ハッシュタグで質問してた方も「これで回答チャンス減るなぁ」と思った人も居たかもしれない。エヴァや庵野監督、或いは『One Last Kiss』や『Beautiful World』に興味のないファンにとったらね。同じことやるにしても、もうちょい告知の順序やタイミングは変えられたんでないの。いや勿論、そういう不満の声が実際に上がってないのなら気にしないでいいと思うんだが、そういうところで反感を持った人はわざわざクレームなんか入れずに黙って去っていくからねぇ。 

先月も昨年もそうだったけど、でも、そういった小さな声を掻き消すくらいにメインコンテンツの威力がデカいというか、どれも終わってみれば大好評っつーのが最近のスタイルなんかもわからんね。きめ細かい対応というよりパワーで押し切るみたいな。そこからの資生堂とのタイアップというのは、どうなんだろ、イメージだけでいえばその流れを更に推し進める感じですかね。最近のニュースでいえば今年は資生堂が花王の時価総額を昭和ぶりに上回ったとかそんな事が報じられていたし、昔花王アジエンスのCMソングやってた宇多田ヒカルが今から資生堂のアンバサダーやるっつーのは、うむ、ヒカルパイセン強キャラだなという印象が強くなるかもな。何となくこれがちゃんと正解の予感がしてるからタチが悪いわ(苦笑)。

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前回は色々言ったけれども、やっぱり明日夜は楽しみで仕方が無い。24時間後には宇多田ヒカルが生で顔出しで喋ってくれるんだよ…僕ら気づきにくいけれど、あの人歴史上の人物だからね? 23世紀の音楽室には肖像画が飾られている人だからね?(そんな時代に絵かよとか言わない) 後世の人に羨ましがられるヤツだから。

今でも、キャリア22年半。既にリアルタイム歴がリスナーの中で層を成している訳で、あの時代のこの場所であれを体験したこれを目撃したと言うと後からファンになった人達に羨ましがられたりする訳だけど、ヒカルさんまだ38歳だからね? 松任谷由実でいえば「真夏の夜の夢」とか「春よ、来い」みたいなキャリア上最大級のヒットを飛ばしてファン層をさらに大きく拡大させる、それよりまだ前なんですよ38歳って。1月19日生まれのシンガーソングライターにとっては!(えらく限定的だなっ) 

つまり、つい最近ヒカルのファンになったという貴方、沢山後輩が出来るのですよ、まだまだこれから、ね。

何が言いたいかというと、明日のインスタライブ生配信も、もしリアルタイムで観れたら10年後や20年後の後輩たちに羨ましがられるという、そーゆーこと。多分、今はまだ先輩たちの昔話を耳にする度に「その頃に生まれてたらなぁ」とか「なんでハマってなかったんだろ?」とか悔しがる場面が多いかもしれませんが、いやいやまだまだこれからこれから。思い出を山のように作っていけるターンばはこれからたんとあるのです。

明日もし質問が読まれたら?もしヒカルに名前を呼んでもらえたら? 万が一だけどまた去年みたいに画面半分使ってこっちとリアルタイムでチャットできることもあるかも? コラボ配信でやつですかね。もしそんなことになったら末代まで自慢できやしませんか? ちゃんと部屋を片付けてメイクもバッチリしておきましょうね。更に更に、直筆サイン入りグッズなんて当たったら、ねぇ?


…と、将来の自慢をこうやって散々煽っておいて何なんですが、あたしとしては、単純にヒカルのインスタライブは内容が楽しい!というのが勿論真っ先にくるのでありまして。ヒカルの今の考え方や傾向が知れるし、日本語と英語のバランスとか、曲作りやMV制作の裏話とか、果ては未発表音源を口遊んだりも! ひとんちの絵本の一節にメロディーをつけたり!? やりたい放題かよ。そう、今後の人生で誰にも後輩に会わなくて自慢できる機会が一切無くそのまま死んでいくのだとしても、明日の配信は楽しみで仕方がないのです。いや当然ながらヒカルのキャリア最後まで見届けるつもりで生きてくけどなっ! ヒカルが『90代はココドコ?』ならこっちは「100歳代はオレダレ?」ですよ、えぇ。オブラディオブラダですよもう。(なんのこっちゃ)

という訳で週明けの私がどんなテンションなのか今から楽しみで仕方が無いです(笑)。ま、月曜朝一発目は毎週テンション低めなので(これも仕方が無いやね)、そっからどうギアが入ってくかで、明日夜の配信をどう楽しんだかが伺い知れるというものですな。明日は万難を排して生配信に挑むぜ! …はぁ、こういう発言がフラグになりませぬよう……( ̄(エ) ̄)b

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♪ワクチン ワクワク ワクチン ワクワク
♪ワクチン ワクワク ワクチン ワクワク
♪Uh〜〜〜〜〜
♪ワクワク ワクチン


…などというしょーもない替え歌思いついちゃったからには書かずには居られなかった(笑)。こんな他愛のないのでもきっとクレームとか来たりすんだろうなもし有名人の発言だったりしたら。切ないぜ。

確かにワクチンはいつ打てるのかと待望だけども具合悪くなるもんに対してワクワクまではしないかな。その前に! 明日夜のインスタライブ生配信にワクワクしてるってのが実情ですわね〜。

と言ってもいつものように色々不安だったりもしてね。前回はまさかの一時間枠を知らない生配信者というレアな生配信を観させてうただいたけど(笑)、今回も何かやらかしてくれるんかな〜。寧ろ先月配信前にあたしが検索した感じではアルファインスタグラマーだったら一時間枠無いかもとかいう話もあったのでヒカルはそれを期待…してなかったかアレは。単純に昨年の事すっかり忘れてたんだろうね。

別にそういう細かいこと(でもないんだけどw)を気にせずにインスタライブやるってのはそれはそれで需要が大きいと思うんだが、昨年から引き続き『ヒカルパイセンに聞け』の枠組を継続してるから、どこかカッチリしてないといけないという謎の重圧があるというか。企画が決まっててロゴが用意されててレーベルのスタッフが宣伝している、となると21時頃配信と言われても21時キッカリをまず想定しちゃうような。

これが何も企画がなくて告知も本人からだけならもっとゆる〜い内容になり得てたと思うんだよね。質問もその場でテキトーに流れてきたのにテキトーに答える的なヤツで。今の事前募集だとヒカルも予め質問をスクショしてとっといたりと幾つか準備をしなくちゃいけなくって。ぶっちゃけ向いてないような気がしなくもない。

こんなことになっているのもそもそもWeb上でのテキスト企画『ヒカルパイセンに聞け』の第二弾が途中で暗礁に乗り上げてたのを生配信でサルベージしたっていう経緯があったからで。それでどこか企画モノとしてのカッチリ感を何となく期待しちゃうようになったというか。そもそもがインスタライブを想定した流れではなかったからかなと。

去年5月なんかゲスト招いちゃってたからね。それも相手次第で、中村倫也はプロフェッショナルな対応で大好評だったけど、ちばくん(KOHHちゃんね)の回は拒否反応を起こす人が少なからず居て。あれも元々の枠組がもっとゆるかったらそんなに文句言われてなかった気がするわ。宇多田ヒカルとのテレビ電話を皆にも公開みたいなそういう感覚でやってたらね。

ヒカルくらいの知名度になると、歌わないと思われてても3万人とか来ちゃう訳で、そうそうゆるめな配信とか出来ないのかなとは思うけど、他のインスタグラマーの人たちの気軽な配信をみてたら、あらこっちの方がヒカルに合うんじゃね?とか思ったりもして。酔っ払って気分良くなってそのままピアノで弾き語りしてくれて得した気分とか、なれたらね。でも3万人となるとサウンドチェックしてリハーサルして、ってなるもんねぇ。痛し痒しだわ。

という感じなので、明日夜ヒカルが質問に答えようが答えまいがあたしゃ一切気にしません(笑)。遅刻大いに結構。好きな時に配信して好きな時に終わってくれれば。でも、難しいよねぇ現実には。願わくば、ヒカル自身も、インスタライブ生配信が楽しみでワクワクが止まらない状態であって欲しいかな、って。お互いが楽しみにし合ってるのがきっといちばん楽しいと思うから。

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『PINK BLOOD』の

『傷つけられても
 自分のせいにしちゃう癖
 カッコ悪いからヤメ』

の部分は初めて聴いた時『ヤメ』のインパクトが凄かったよね。これが英訳詞だとこうなっている。

『The habit of blaming myself
 whenever I get hurt
 is really uncool
 So I'm calling it quits』

だいぶ尺が違う。日本語の倍くらい英語が必要。特に意味的に嵩増ししてるわけでもないのにね。とりわけ、

『からヤメ』

のたった4文字の為に

『So I'm calling it quits』

が当てられてるのが目を引く。『から』=『So』だから、『ヤメ』のたった二文字の為に『I'm calling it quits』という二十文字を費やしている。単純に十倍だ。(英語の場合、間のスペースも数えないとアンフェアなので)

でも、聴いた時の印象と照らし合わせるとこれくらい費やしていい気がする。それ程にここの『ヤメ』のインパクトは鮮烈だった。既に楽曲中でここに来るまでに何度も繰り返されたメロディなので、リスナーは『カッコ悪いから』まで来たその瞬間あと二文字しかないことを本能的に察知している。なので、あとは語尾を整える程度だろうと少し油断するのだ。『カッコ悪いからねぇ』とか『カッコ悪いからだよ』とか、その程度で済むかもと思うか思わないかのそのほんの少しだけゆるんだタイミングで放り込まれる『ヤメ』の一言は英語にすると『I'm calling it quits』に匹敵する“分厚い内容”を伴ってリスナーに突き刺さる。ホント、ヒカルはこういうの上手いんだよねぇ。


で、だ。この手法は、デビュー直後に既に用いられている。連想していた向きも多いかもしれない。2ndシングル『Movin' on without you』だ。

『時計の金が鳴る
 おとぎ話みたいに
 ガラスのハイヒール
 見つけてもダメ』

ここの『でもダメ』の急転直下感よな。ガラスのハイヒールを見つけたらおとぎ話みたいに想いが届くのかなとか淡い期待を抱くか抱かないかのタイミングで『てもダメ』と逆接のみならず手痛い結論までをも叩き付けたここのパートは疾走感と焦燥感溢れる『Movin' on without you』の中でも最もスリリングな瞬間を与えてくれている。

でもここ、デモの段階ではこうでしたのよ?

『夜中の0時A.M.
 時計の鐘が鳴る
 ガラスのハイヒール
 見つけないでね』

そう、実はヒカルも最初は僕らのようにややゆるんで“油断”していた訳ですよ。これに較べたら『てもダメ』が如何に急カーブを描いて抉り込んでくるかがよくわかるかと思う。『ないでね』だとサラッと通り過ぎちゃってただろうね。

(なおこのデモ・バージョンは『First Love』アルバムの15周年記念盤のいちばんゴツいデラックスエディションにのみ収録されているトラックなのでその点は重々ご注意くださいなっと。)


恐らくだけど、今回も、『PINK BLOOD』でココの『からヤメ』にしたの、『Movin' on without you』と同じように、作詞行程上、後からのことだった気がするのよね。ここでもうひとフック欲しい、とヒカルが考えて捩じ込んんできたのではなかろうか、と。その思い入れの強さが英訳詞の『I'm calling it quits』っていう字数の分厚さに表れたんじゃあ、ないですかね? そんな私の推測でしたとさ。

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『PINK BLOOD』はライブでの再現が難しい、という話をしたが、それは『One Last Kiss』も同様で、特に後半のA.G.クックパートはヒカルがどれをメインに歌ったらいいかわからない程でな。もう全部シーケンサーに任せて舞台袖に引っ込んでもいいくらい。

最近のヒカルの曲はこの「コンサートでどう演奏するか」についてあまり頓着していないのが特徴な気がする。それが際立って見えるのは、前作アルバム『初恋』が今迄に無い程にバンドサウンドの色が濃かったからだ。

例えば『Forevermore』などは最初に聴いた時からライブでの演奏の熱気が伝わってくるかのようだったし、『夕凪』などは、皆さんがテレビで御覧になった通り、バンド・メンバーの協力があってこそ成し遂げられたサウンドだった。ヒカル自身、徹頭徹尾自分で仕上げた曲は『残り香』のみだと語る程周囲からのインプットが大きかったのだ。

ところが、『Face My Fears』以降は様相が異なる。同曲はSkrillexならではのサウンドで、どこか彼とPooh Bearの遊び場という感じのアレンジメントだった。余りライブの生演奏ででどうのという方向性ではない。彼にとっては既発音源をそのままかける場所なのかなライブ会場は。

そして『Time』。こちらはそこまで極端ではないが、このリズムをバンドサウンドで再構築するとなると別楽曲のようなアプローチが必要となるかもしれない。つやちゃんさんとのインタビューでもヒカルは『例えば、『Time』なんかは違和感が目立つ曲ですよね。従来四拍目に入るはずのスネアがちょっと遅れて入る。』なんていう風に語っていて、こういうのを人力再現するのは骨が折れるんじゃないかなぁと。

『誰にも言わない』ではパーカッションやギターが非常にオーガニックで、これはバンドでやる甲斐が有るなと思わせたが、次の『One Last Kiss』と『PINK BLOOD』は既述の通り難渋だ。総じて、家で聴くか、会場で流すにも生演奏より録音音源、というサウンドに傾いてるような感じだ。

シンプルに推理すればこれは、パンデミックによって皆でスタジオに集まる機会が奪われた為、ということになる。畢竟、ヒカルが家で単独で作業する事も増えたのだろう。それにしては小袋成彬のインプットが多い気がするがまぁそこは今日は突っ込まない事にして、裏を返せば、まだ今もヒカルがLogic Pro等と格闘しているのであれば、曲作りの真っ最中であり、この後レコーディングという手筈になる筈だ。となれば、ワクチン接種の進むロンドンにおいてなら、バンドメンバーが一箇所に集まってセッションを通じて録音や作編曲が進んでいく可能性が出てくる。件の『夕凪』のようにね。もしかしたら『誰にも言わない』の録音はちょうど端境期に奇跡的に出来たのかも分からない。2020年4月上旬あたりに。


…なんていう風に思っていたのだけど、この二週間イギリスではデルタ株の勢力が拡大していてロックダウン緩和が延期になったというニュースが。あれま。これはまたもやヒカルの制作日程に影響を及ぼしているかもわからんね。今後でてきた音源がデスクトップ・ミュージックに片寄るかバンドサウンドに傾くか、目下の所予断を許さない感じ。出来れば、昨年実現しなかった「インスタライブで他のミュージシャンと繋がってセッション」をそろそろやってみて欲しかったところなのだけど。というのも、それによって、バンドメンバーたちとのコミュニケーションの深度がわかる気がしていたから。それも、どうなるやらだなぁ。感染症禍、下半期もまだまだ世界規模で続いていきそうですね。

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『PINK BLOOD』の今迄に無い点は、タイトルを歌う際のメロディが不定形なことだ。

リフレインというのは言葉とメロディが分かち難く結びついている。例えば、史上最強のワンワード・リフレインである『traaaaavelin'♪』なんかはこの言葉と音程でないと成り立たない。楽曲中ずっとこれだ。カップリングのリミックスでも他のパートは大胆に変えてもここは変えない。

ところが『PINK BLOOD』での『PINK BLOOOOOOD♪』は千変万化なのである。何種類メロディがあるか数え切れなかったよ。この3分17秒の間に繰り返す回数は多分30〜36回くらいだとは思うんだけども。

そして、音の出処を左右に揺らしてくるんだこれがまた。なんと言えばいいのか、そこらじゅうを舞っているような、身体にまとわりついてくるような。音程も上へ下へと落ち着かない。

ひとつ単純に連想するのは、歌詞のまんま『BLOOD』、血液のイメージがあるのかなと。血液は身体中を上下左右クマなく回り続ける。全身を巡って心臓に還って来て肺で再生されてまた全身を巡るという周期の繰り返し。『PINK BLOOD』MVのメイン・コンセプトが「球と円環」であり、時間方向の円環は「周期」であった事を想起しよう。その「周期性」を表現する為に『PINK BLOOD』ではリフレインを左右に振っているのかもしれない。

「周期性」の表現としてMVでは「人間万華鏡」と「合わせ鏡」が用いられていた。いずれにせよそれらは鏡であって、コーラスを左右に振るのは「鏡像対象」の比喩があったのかもしれない。ただ左右に同時に鳴らしても真ん中から聞こえてくるだけだから、こうやって左右に定位を細かく動かせば明滅の中に左右を感じるようになるというね。

勿論、ヒカルが曲だけを書いた時点での構想がどこまでMVに反映されているのかはわからない。しかし、アニメのオープニングですらヒカルの書いた歌詞の含意をよくよく咀嚼して作られていたのだから、MVは更に突っ込んだ解釈をヒカルから聞いている可能性がある。故にMVの映像から元々の楽曲の歌詞の含意を推理するのはそこまで突拍子も無い事では無いと考えたい。

歌の背後でも執拗に『PINK BLOOOOOOD♪』と歌い続けるのも、「人が生きている間血液は絶え間なく巡っている」事の表現だと考えれば合点がいくようにも思える。ふむ、なくはないかなと。

勿論、中心の比喩に『PINK BLOOD』=「涙」というのが鎮座しているのは変わらない。あクマで、不定形のリフレインという珍しいサウンドに対する解釈としての話だ。そしてそれが、メロディが不定形である事への答にもなる気がしている。『PINK BLOOD』という二語の並びに、ヒカルは、固定化されたイメージをつけられたくなかったのではないだろうか。聴いた人がそれぞれ多義的に解釈してくれるように、よりミステリアスに、より捉えどころなく歌った為にこんなアドリブ満載なテイクになったんじゃないかなと。それぞれが自分の耳と心で聴いて、それぞれが持つに至った自分自身のイメージを大切にして欲しい─つまり、歌詞で歌われている通り『誰にも聞かなくてもキレイなものはキレイ』、貴方が感じた事をそのまま信じて欲しいということだったのではなかろうか。



そしてやや余談になるが、これ、『PINK BLOOD』全体をライブでパフォーマンスする時に、生身のヒカルはどこのパートを歌うつもりなのかがサッパリわからない。それくらいに声が重ねられている。新境地なのは間違いないが、コンサートのリハーサルは困難を極めるだろうなと思うよ。さぁ、GBH!(がんばれヒカル!)

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恐らく昨日から『PINK BLOOD』MVの配信販売がスタートした、ようだ。ところが公式からの宣伝が無い。お昼にメルマガは届いていたがインスタライブの告知だけ。どういうことやねん。

自分はdミュージックストアからの宣伝メールで知った。まぁ買ったのはいつも通りiTunesStoreなんだけど、これもいつも通りの低画質で。今更だけど無料で観られるYouTubeのより400円余り払ってこれってどうなの。

確かに、こんなニッチなソフトを買うのは自分のような物好き位でわざわざメルマガに書くような事ではないかもしれない。ニーズの少ない情報を載せて混乱を増幅するより、告知すれば3万人やってくるインスタライブのお知らせのみに絞っておくのは一理ある。でもねぇ、公式リリースなんだからもうちょいなんかなかったの。勿体無い。

それはそれとして。

先日からApple Musicがロスレス音源をストリーミングし始めていると話題になっている。ヒカルの最新曲などはCD音質を飛び越してハイレゾ相当なんだとか。私はまだチェック出来ていないが、それならハイレゾ音源購入する前に言って欲しかったという人もいるんじゃないかな。

まぁ多分私はそれに当たらない。というか、他の懸念があるんですよそのロスレス/ハイレゾ・ストリーミングって。というのも、自分はiTunes Storeで毎回ダウンロード音源を購入しているのだが、これがあるとストリーミング音源とライブラリが被って毎回管理がややこしいんだわ。やっと最近慣れてきたところだったんだが、そこでここにロスレスストリーミングが絡んでくるとなるとまた厄介なことになりそうでな……!

で。大事なのは、iTunesStoreでロスレス音源のダウンロード販売が始まるかどうかということ。DRMフリーでね。

ストリーミングというのはオンラインでないと聴けない印象も持たれてるかもしれないが、家でWiFiに繋いだ時にiPhoneなどの端末に音源をダウンロードしておけば外でWiFiがない時やオフラインの時も聴くことが出来る。ある意味、1曲150円時代の(250円DRMフリーを売り始める前の)iTunesStoreとiPodの関係性に逆戻りした感じなのだが、確かに普段は便利なんだけど、これがロスレス音源となると端末の記憶容量が足りなくなってくるという問題が生じる。新しい音源を手に入れる度にその都度またあの巨大なファイルをダウンロードし直していくのはうんざりするなぁ。贅沢な話ですが。

本当は、普段ハイレゾを(仕方なく)e-onkyoだのmoraだのから買って不便を強いられてる身としては(だってダウンロード回数制限とかあるんだもん)、とっととAppleもハイレゾ音源のダウンロード販売を始めて欲しくはあったのだが、このままロスレスストリーミングばかり話題になっていると忘れ去られてしまうんじゃ?という懸念が拭えないのでありましたとさ。


そして出来れば、多少値は張ってもいいから、HD画質とハイレゾ音質を組み合わせたミュージック・ビデオの配信販売を始めて欲しい……ってこれこの日記に書くの何度目だ。8度目くらい?わからんけど、まぁずっと言ってるよね。

『Time』『One Last Kiss』『PINK BLOOD』と力作MVが続いているだけに、それをローカルでは低画質でしか観れないというのは如何にも勿体無い。確かに、iPodのちっちゃい画面だとこの程度で文句は無いんだが、PCのディスプレイ以上のサイズではどうしようもない。英語字幕もないっぽいしね。ほんと、これ、売ってる意味がわからない…から告知しないのはやっぱり正解かもわからんね。YouTubeでのフルコーラスHD画質配信によって、居場所が殆ど無くなりましたな。それでも買ってる私のようなリスナーってほんとタダのレーベル肥やしなんですかねっ!(笑) 宇多田ヒカルの肥やしになれるんならまぁ望む所なのか……な……?

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つやちゃんさんとのインタビューでヒカルが言ってた中で面白かったのが『Kiss & Cry』の没歌詞の話だ。

『そこで、突然思いついてぶっこんじゃおうかって思ったけどさすがにできなかったのが「宇多田ヒカルが19で結婚」とか、そういう…ラッパーだったらなんかアリなのかもなって思ったんだけど(笑)、びっくりした出来事の流れで例としてそういうことを挙げるのを考えたこともありましたけどね。』

こんなことを言っていた。そもそも『Kiss & Cry』自体最初っからスキャンダラスな歌で、タイアップだからって真正面から『今日は日清カップヌードル♪』とか宇多田ヒカルが歌ってくるだなんて事前には全く予想だにしていなかった訳でな。

更に『Kiss & Cry』の没歌詞には『娘さんのリストカット』というのもあった。流石に食品とのタイアップで血は不味いとなったらしくボツになったのだが『Laughter In The Dark Tour 2018』ではそちらの歌詞で歌われている。ヒカルはこっちを気に入っていたんだろうな。

これらの没歌詞がそのまま採用されてたとしたら、商品名歌ってリストカットして自分のニュースまで織り込んでっていう。『Kiss & Cry』、とんでもない歌になってたんだな。いやはや。

ともあれ、「ラップ寄りの歌詞なら固有名詞が盛り込める」というのがヒカルの感覚のようで、確かにその『Laughter In The Dark Tour 2018』での『Too Proud』ではいきなりビートたけしの名前が出てきて吃驚したもんね。具象を連想する時メロディが情緒を連れてきたら対象のイメージと不協和を起こすからかな。ラップでただの言葉になってくれてたら、ただの連想機能だけで済む、と。一般名詞が情緒を伴っても大丈夫なのは、ある程度抽象化されてて外部の具象を連想する機能よりそれと自分の感情との結びつきの方が強いからかもわからない。まぁそんな話はさておいて。

とはいえ、UTADAの曲ではキャプテン・ピカードとかウィノナ・ライダーとか、メロディのある歌でも歌詞の中に固有名詞が入ってきてたりもした。GODIVAもあったね。英語と日本語でまた感覚が違うのかもしれない。

『One Last Kiss』の作詞がラップ的アプローチだというのは最初に指摘したけれど、だから『ルーブル』や『モナリザ』なんかの固有名詞を入れる事が出来た、という風には気づいていなかった。そんな所に感覚の線引きがあるだなんてね。勉強になったわ。

4日後にはインスタライブがあるわけだが、そこでヒカルが即興でラップバトルとかしたら盛り上がるかもしれへんなぁ。上下分割画面で誰か呼んでね。いや、それ請けてくれる日本人居るかなぁ? ちょっと勇気要るぞ。まぁそれは4日後でなくてもいいか。もっと先のインスタライブでなら、現実的に有り得るかも分かりません。エルエムワイケイさん呼んだりしてね。隈部くん考えてないかな?

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嗚呼、やっとインスタライブの日取りが決まった。2021年6月26日土曜日日本時間21時から。やっとカウントダウン出来ると思ったらもう4日しかないというね。

昨年は5週連続日曜日だったし先月も(あれ先月か!)日曜日だったからてっきり日曜日配信だと思い込んでいたんだが、土曜日夜(現地はお昼)とはねぇ。どういう状況の変化があったのだか。

えぇっと、そうね……出産報告メッセが2015年7月3日だったから、恐らくダヌパが生まれたのは6月下旬とかでですね……あぁ、じゃあ6月27日日曜日は彼の誕生日パーティーでもやるのかな? 今のロンドンなら親しい人を呼んでホームパーティくらいなら出来るのかもしれない。それで今回は土曜日にシフトさせた、と。有り得なくはないかもしれんわね。

私は直接見ていないのだが、キコのインスタストーリーズに父の日の写真が投稿されていて、幼い男の子二人らしき姿が写っていたんだとか。あら、異母弟ってことなんだろうか。直接見てないのでようわからんが。ダヌパももうすぐ6歳で、お兄さんになっているのかしらん。


さて、@hikki_staffが改めて『ヒカルパイセンに聞け』タグで質問募集を開始したが、6月開催告知から今日に至るまでの5週間分の質問ツイートってどういう扱いになるのだろう? まぁ確かに、うちらが勝手に投稿していたと言ってしまえばそれまでなんだけど、まるっとオミットするってのはどうなんだ。心証を悪くする人が在るやもしれん。居ないなら構わんけど。ほんに、ヒカルファンは優しいわねぇ。どうやら海外でもそうみたいね。昨日Annさんがそう話しかけてきたわ。まぁそれで成り立っているのなら我々の関係性のことなので、それでいいでしょう。

何しろ恐らく、当日始まるまでは「今回はどんな遅刻の言い訳をしてくるのか?(笑)」という話で盛り上がる予定だもんねw 前回空きっ腹に酒かっくらってたので今回は「お昼ご飯を食べていたら遅れちゃった」という言い訳が本命になるかな。「デザートのプリンを床にぶちまけてしまった」あたりが対抗か。こんなんで盛り上がれたら、平和ですわねぇ。


それはさておき。昨日触れた通り、日付が変わったらエルエムワイケイさんの新曲(「0(zero)」)発売の発表があったのだけど、そちらのツイートも隈部くん?? 今Hikkiと兼任してるの? それとも単にTwitter担当ってだけなんだろうか。それなら何十人分でもやりゃいいけど、プロモーション自体も掛け持ちとなると、ヒカルの次のアクションまでもう少し間が空く可能性が出てきたな。「0(zero)」のタイアップ先アニメ「ヴァニタスの手記(カルテ)」のスタートが7月2日、配信開始が8月11日、CDの発売が9月8日……ってこれから2ヶ月半ずっとプロモーションやないのっ。あらら、こんなんだとヒカルはいつ動くのやらわかったもんじゃありませんな。それにしてもCD出すのね彼女。『PINK BLOOD』はCD出てないのに……。

まぁそれは今は脇に置いておいて、土曜日のインスタライブを目一杯楽しみにして今週を歩んでいきますかね。やれやれ、やってくれる事になって、本当によかったぜ。

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『PINK BLOOD』はヒカルが言う所の『My relationship with myself』な作風への端緒となる位置付けになりそうな楽曲だけあって、ひたすらに「私」と「自分」が出てくる歌である。日本語詞では主語が曖昧だった部分も、ヒカル本人による英訳詞によってその尽くが I, my, me, myselfであることが判明している。

唯一の例外が『あなたの部屋に歩きながら』の『あなた』で、これは英訳詞でも『As I walk to your room』となっている。

そう、唯一の例外だと思っていたのだここだけが。

しかし、ひとつ見落としていた事に気がついた。

『自分の価値もわからないような
 コドモのままじゃいられないわ』

この部分。一見、相変わらず『自分』しか出て来ていないように見える。というか、そうとしか見えない。ところが、ここのところの英訳がこうなっているのだ。

『I can't forever remain a child
 Who doesn't understand her own worth』

『自分の価値も』の部分が『her own worth』になっている。“her”=「彼女」!? ここ女性限定なの?? はぁ??

昨今はLGBTQ活動の高まりで、代名詞にも変革の波が押し寄せてきているそうで。heやsheでは性別が限定的だからtheyに置き換えようとか、そんな風な動きもあるんだとか。元々なんで代名詞に性別なんかあるんだと思っていたこっち(日本語民)にとっては朗報なのだが、そんな動きをヒカルが知らない筈もなく。てことは歌詞のこの部分は何らかの理由で女性でなければならないのだ。

うん、なるほど、元々の『PINK BLOOD』の歌詞には、『もう充分読んだわ』とか『やめた方がいいわ』とか、女性語と受け取れる文節が幾つかある。この部分も、『コドモのままじゃいられないわ』という言い回しだから女性が想定されているのかもしれない。それはわかる。しかしだねぇ……? どうも釈然とし切れない。

ならば、ここでやや過剰に踏み込んでこの部分を

「自分の“女性としての”価値もわからないようなコドモのままじゃいられないわ」

という風に解釈してみるとしよう。すると、前々回(先週金曜日夜)に話した、「『PINK BLOOD』の歌詞は妊娠・出産の事をも歌っている」という説を補強する事になりはしないか? つまり、子を産むという事の重要さと大切さ、それに伴って自分の身体を大事にしていかないといけないという自覚、そんな事も含めた一文なんだとすると、

『自分の価値もわからないような
 コドモのままじゃいられないわ』

のセンテンスが思春期の女性たちへのやや手厳しいメッセージにも思えてくる。

そうなるとこの歌、「女の子が大人の女性に成長していく物語」という風にも思えてくるわね。やっぱり、『PINK BLOOD』が経血やおしるしを意味・比喩しているという説って結構真剣に検討しなきゃいけないのかもしれない。

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