無意識日記
宇多田光 word:i_
 



昨年12月の7インチEP2枚組『First Love / 初恋』リリース以降、日常の中で『BADモード』も『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』も聴かない日が増えている。代わりにその『First Love / 初恋』や『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』を聴いてるってだけなんだけども。

(余談になるが皆さん、普段は2枚のスタジオライブ盤のこと何て呼んでらっしゃるの? あたしの辞書登録は『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』の方が「ウルサス」(頭文字H.U.L.S.A.S.をそのまま読んだもの。何故だか最初のHは発音しない)、『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』の方が『メトロポリス(・ライブ)』なんだけども。)

なので日を置いて『BADモード』を聴いたりすると、あれなんですよ、「実家に帰ってきたような安心感」があるのよね私。あんたよっぽど『First Love』の方が長年に渡って愛聴してきたんじゃないのと自分でも思うのだけど、あれだわ、私もう『BADモード』に脳みそ作り替えられてんだわ。まさにBAD BRAINSなんだわ。(※そんな名前のロックバンドが在るというだけ)

「これこれ、これなんだよなぁ」と何度言ったことか。だからといって『First Love』が色褪せてるとかそんなことは全く無く、『First Love - Live 2023』が綺麗に過去と現在を繋いでくれている。このトラックのお陰でリバイバルヒットが今のヒカルの活動と繋がった感じが強い。一緒に歌われた『Rule (君に夢中)』とは生まれた歳として20歳以上の差が開いているというのにお互いの馴染み具合たるや尋常ではない。『Automatic / time will tell』に始まる名だたる両A面シングル盤たちと遜色ないどころか、過去と現在を包摂するスケール感がより大きく著しい。

ん~スケール感というより、「懐が広くて暖かい」とでも言った方がいいかな。『BADモード』を「実家」だと認識するこの脳が特殊なのかもしれないが、たった今の宇多田ヒカルを過去の宇多田ヒカルとダイレクトに接続してくれたことで、今のヒカルの包容力が明確に露わになった気がしているのだ。大人になったヒカルがこどもの頃のヒカルを暖かく迎え入れているような。嵐の女神じゃないけれど。

そういう意味では、宇多田ヒカルはどの時代から聴き始めてもいいんだろうな、きっと。自分は曲がりなりにもデビュー直後くらいから知っているので音楽的変遷がほぼ時系列通りに頭に入っているのだけど、今感じてるこの感覚は寧ろYouTubeとサブスク以降の、総ての過去音源が並列に取捨選択可能な現代の気分の方がより近いのかもしれない。過去のどの時点の宇多田ヒカルもこの3年間の、『BADモード』~『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』~『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』のサウンドの流れの中に内包されていっているような。

もっと言ってしまえば、ヒカルは自分の過去に作った音楽について心底誇りに思っていて否定的な感情が見当たらないから、それらの成果をそのまま並列に並べて土台にして次の展開に進む事が出来ているんじゃないかな。『これから一生「宇多田ヒカルと言えば、AutomaticとFirst Love」って言われても、これからの音楽作りになんの悪影響も無いと思う。』とデビュー1年足らずで言ってるのを有言実行し続けて24年来たような。だから『BADモード』から安心感を得られるのも、聴き慣れてきてそういった土台の部分も確り感じられるようになってきたからなのかもしれない。過去22年があってこその『BADモード』だったのだから。

だから今後もヒカルが新しい音楽を届けてくれることを恐れる必要はどこにもない。いや、ホントはいつだってちょっと怖いけど、まぁそれは『悪い予感がするとワクワクしちゃうな』の逆みたいなもので、「ワクワクって悪い予感と似ててドキドキしちゃうよね!」ってことなんだと、思っとくのよさ~。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




一昨日LMYKさんのデビューアルバムが発売になった。おめでとさん。ヒカルのレーベルメイトとして順調に活動してくれて嬉しい限り。絡んだことの無い人をブロックしたり問題発言したりとかしない人なので安心してみていられる。

さてそんな彼女の初めてのアルバム、曲順をみてニヤリとしてしまった。どちらもシングルリリースされていた2曲、「0(zero)」と「UNITY」が1曲目と2曲目なのだ。0からのスタート、というのはわかりやすいとして、unityという単語も語幹はunit、「単位」なのだ。単位というのは「1」のことなので、キャリアを「0と1」からスタートしたという宣言なのだろう。インタビューとか聞いてないけど。

でなんでニヤリとしたかというと、レーベルメイトで大先輩である宇多田ヒカルもまた「0と1」からスタートしていたから。いやだってさ、『First Love』のFirstって「1番目」って意味だし、Loveはテニスでスコア「0」のことなんだもん。「1と0」からのスタートだったんですよヒカルさんも。

ヒカルの場合、そのあとも徹底してるのがいい。セカンドアルバム『Distance』は「距離」。距離の定義は「0と1の間の長さ」を単位(unit)とすることだ。ここで点だったものが線になる。そしてサードアルバム『Deep River』は「深い河」。深さ、depthは次元を1つ増やすことだし、riverの河というのは「流れ」、線上を時間が流れるという意味だ。時間も空間と同じく次元の1つなので、宇多田ヒカルはアルバムをリリースする毎に0次元1次元2次元3次元と次元を増やしていったのだった。LMYKさんは今後如何するだろうね?

ヒカルはこのあと4枚目のアルバム『ULTRA BLUE』をリリースする。紫外線の「Ultra Violet」になぞらえたタイトルは、初めて「光」に関連して選ばれた言葉でもあった。曰く、言葉の流れを綴った『DEEP RIVER』が「詩集」なら世界の拡がりを示した『ULTRA BLUE』は「画集」なのだと。目で色と光を捉えるイメージだな。0、1、距離、深さ、時間ときて世界の広さを歌った挙げ句に次の5枚目『HEART STATION』で原点、「Heart(物事の中心、核心、本質)」に還っていった。タイトルを並べるだけでもなんともドラマティックな第1期12年だったのだ。

その第1期の5枚のうちの最初の3枚のシングル曲と次の4枚目のスタート曲『COLORS』を収めたのが、19年前の今日発売になった『Utada Hikaru Single Collection Vol.1』だ。『Another Chance』も『DISTANCE』も『Deep River』も入ってないアルバムをベストと言うのは抵抗がある…と思ってきたけど今後ベストが出てもそれらの曲が入り込めるかどうか不安になるくらいその後に名曲をわんさか送り込んでくれたのでまぁもうベスト盤て呼んでもいいかシンコレ1も。…って、投げ遣りだな。(笑)

ということで、前回想定した「昔の曲の方が好き」な人達も含めて多くの人が愛して止まない楽曲達がCDの再生時間ギリギリ(でもないか?)まで収められているこのシングル・コレクション。これを聴いて気に入った人は是非オリジナル・アルバムを順番に聴いて、宇多田ヒカルが次元を超えるどころか自ら次元を生み出していった過程を堪能してうただきたい思うところなのでありましたとさ。LMYKさんもシングル・コレクションが出せるくらいまで頑張って欲しいものですわねぇ。

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )




ヒカルのことを今年は24周年だ24周年だと私ゃ盛んに書いているけど、やっぱりデビュー四半世紀経って過去最高潮を迎えてるアーティスト・パワーは尋常じゃない。普通はこれだけ年月を経れば才能が枯渇してても不思議ではないのだろうから…

…というのは定型文だ。長年商業音楽を聴いてきた私が痛感するのは、アーティストの歳月による才能の枯渇ではなく、寧ろリスナー側の拘泥がアーティストに及ぼす影響の方である。

自分が幼い頃は「ミュージシャンってなベテランになると新曲を作らず過去の名曲ばかり演奏するようになっていくんだな」と漠然と思っていたのだけど、なるほど、ミュージシャンの方が新曲を作れなくなっていくという衰えよりも、リスナーの方が新曲を求めなくなっていくスピードの方が遙かに早いのだということに年々気づいていったのたった。商業音楽に携わる以上顧客のニーズには応え続けねばなるまい。そこに敏感であればあるほど、新曲より過去の名曲の再演に比重がいくようになるのだ。リスナー思いなミュージシャンであればあるほど、創造性の発露から遠い所に追い遣られていくという何とも皮肉な現実が横たわる。

その事の是非は置くとしても、その事態の原因を送り手側の才能の枯渇に求めるのは違っていた。原因というより寧ろ結果だったのだ。


ヒカルは、もうそのことに関しては最初っから腹を括っている。

『楽曲に代表されるのは別にいいな。例えばこれから一生「宇多田ヒカルと言えば、AutomaticとFirst Love」って言われても、これからの音楽作りになんの悪影響も無いと思う。』
https://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_107.html

どうよこれ。1999年11月の『Message from Hikki』。あたしが何十年も掛けて経験的事実から導き出した答(リスナーが新曲を求めなくなっていくこと)を既に十全に理解しているだけでなく、その上に立って『これからの音楽作りになんの悪影響も無い』とキッパリ言い切っている。理解力と胆力と覚悟が違い過ぎる。この時点でデビュー1年足らずの16歳なんですよ。ヒカルの才能って、音楽的な早熟のみならず、こういった理解能力の汎用性の高さによるところが凄く大きいのよな。

なので、今年のように初期の代表曲がリバイバル・ヒットしたからって「じゃあ新曲作っても仕方がないじゃん」とは全くならない訳だ。死ぬほど心強い。有難い。我々は宇多田ヒカルをデビュー直後の10代の頃と同じかそれ以上に「次はどんな新しいモノをみせてくれるのか!?」という期待に満ちた視線で眺めていて全然構わない…どころか、向こうからすると「望むところだ!」ってなもんかもしれんなそれって。

その上で「別に新曲を求められなくても私何とも思わないから気にしないで」とも言ってくれてる訳だ。なので、「最近の曲は馴染めないな。やっぱ昔の曲の方が好きだ。」と思うオールドファンは、気にせずヒカルにそう言っていけばいいのだ。上記の通りヒカルにとっては『なんの悪影響も無い』のだから。なんと懐の深いことよ!

てことで、『First Love』のリバイバル・ヒットで再び宇多田ヒカルを聴き始めた皆様も遠慮なく昔の曲を絶賛してくれればOK。こちらも遠慮なく新しい動き、新しいサウンドをチェックしていくので。スタンスは違っても、どちらもヒカルにとって「自分の書いた歌を聴いてくれる人」である点は変わらないんだろうな。つくづく、いい人に惚れたなと思ったぜよ。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




しかしソニーストアイベント、予約枠新しく解放したのならそう公式からアナウンスすればいいのにしないって、なんかあんのかな。やっぱひと枠ひとりっていうの単なる設定ミスだったのかな。だとしてもそこは「大好評につき新しく機材席を解放しました!」とかなんとか言いようがあるだろうにねぇ。あぁいや、最近はコンサートチケットで「SS席詐欺」って言われるような事態があるんだっけ。現地に行ってみたら見切れ席でスクリーンすら見えなくてA席の方がよかったとか、当初の説明と違えてスタンド席までSS席扱いになってたとか。

コンサートの席種って悲喜交々ですからねぇ。あたしなんかは観客の反応が観たいからって後ろの席の方が良かったり、或いはいい音響で聴きたいからと最前列より中通路付近を好んだりと、SS席に拘らなくていい趣味なので経済的なのですけど、一方でSS席から上、ゴールドだのVIPだのという更に待遇のいいチケットも最近は増えている。バックステージでメンバーと会えたりね。

ヒカルさんもVIPチケットを売り出したりしないの?という期待を持つ人も居るかと思うが、過去の経緯を思い出すと難しいかなぁ。


***** *****


『 ... in the past they've experienced situations where I was very nearly attacked by armed stalkers and by really rather insane people, most of those happening during or after concerts (...don't know why! maybe it's the excitement!) ...』
https://www.utadahikaru.jp/en/from-hikki/index_5.html


***** *****


こんなことがあったらそりゃ無理だよねぇ。広めたくないので翻訳はしないけども。

ファンと触れ合うなら逆に多人数にして衆人環視を強めた方が安全かもしれんね。セフォラのストアイベントの時みたいに。

https://www.oricon.co.jp/news/64607/photo/1/

こんときゃかなり屈強なボディガードも取り揃えてたみたいだけど。

何にせよ、私なんかはあれですよ、自分がヒカルさんに触れ合いたい欲よりヒカルさんに安心安全で過ごして欲しい欲の方が遙かに強いので、無闇なファンイベントやミート&グリートの類いはやんなくていいのではと…そう言えちゃうのは、ライブハウスで至近距離で観たり、公開収録で目の前まで来てたりというのを過去に経験してるからですかね。ヤな感じだけど(笑)。そういうの経験無い人からすると何勝手な事言ってるんですか案件になるわよねぇ。

ま、そんな妄想を言ってられるのも、きっと近々コンサートツアーをしてくれるんだろうという希望的観測があるからですかね。いつ告知があってもいいように、呑気に構えていましょうか。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




あら?ソニーストア360RAイベント予約枠復活してるの? 1枠当たりの人数を増やしたのかもわからんね。

これで予約取れて当日行ったら店員さんが親切で、ついつい体験レビューを甘めに書いてしまうまでがワンセットですかねぇ。どうしてもそういうとこで人情出ちゃうもんだからね。…私でなければ、ね(笑)。勿論あたしゃ何の手心も加えませんのでどうぞ宜しくw

って、イベントの話ばっかしてるうちに他のニュースも上がってんのよね。『君に夢中』のMVがYouTubeで3000万回再生突破とかね。それにアルバム『HEART STATION』の15周年記念日もスルーしたし『This Is The One』が2009年当時iTunesUSAの総合チャートでTop20に入った話とか『Distance』アルバム22周年とか、色んな記念日もスルーしてる。いやそれを言うなら今日は『20代はイケイケ!』のDVD発売20周年なのよねぇ。だったら『40代はいろいろ♫』のDVDも今日出てたらよかったのに…時代は変わった。20年だからね。

幸せなことですわ。24周年を迎えたアーティストについて、たった今リリースされた音と来月の予定について話すことで手一杯だなんて。しかも新しいサウンドにチャレンジしてこうやってリスナーから無茶な文句言われてるなんざ、本当に今を生きてるアーティストって感じで。その上、時代に翻弄されてる感じがない。ベテランが若手にすり寄って名前を売るとか全く無い。なんだったら若手の方が宇多田ヒカルの御威光に頼ってたりするまである。リナ・サワヤマが『First Love』をカバーしてたりね。イギリスじゃアンタの方が遙かに売れてるんよ?

こういう雰囲気が、ヒカルの40代を指し示してるんじゃないかな。周りに惑わされることなく、かといって忘れ去られるでも侮られるでもない、現役なのに流行と無縁という独特の立ち位置で、その上シーンのど真ん中で影響力を発揮していくっていう、ね。

…なんか年度末ってことでマトメみたいなこと書いちゃったけど(笑)新学期新年度からイベントの予定が埋まっていくだなんてさ、ホント恵まれてるっていうか…っていうシヤワセムードな書き方は暗雲フラグだから気をつけねば!(笑) 春先にフル回転で頑張ってた2009年は、CDアルバム発売週に倒れたんだったものね。だが今は息子が居るから大丈夫なはず! マイペースで、次のアクションを起こして欲しいものですな。あんまり雰囲気に飲まれることなく、のんびり行きましょう。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




前回尺の割に話を詰めすぎたので補足しとくと、スイッチング前提の映像とステレオ音声の組み合わせもまた、「音と絵が合ってない」のは同じな訳でね。映画とかだと映像に合わせて音の出所を変えたりというのは特に映画館で5.1chが普及して以降は珍しくないんだけど。足音が右端から左端まで移動していく、みたいな演出はね。

なので、我々は音楽ビデオ~DVDで「引きと寄せが激しく入れ替わる映像と定位が全く動かないステレオ音声」の組み合わせでお家でライブコンサートを観賞するのに既に慣れているから違和感はそんなに感じていない。そういうものだと学習しているから。よって、360 Reality Audioの音声と普段の映像の組み合わせも、意識しなかったら違和感を感じない人が大半だと思われる。

しかし、まず最初に目を閉じて360RAのサウンドに触れた場合、頭の中で「まるで部屋の中にバンドメンバーが揃って音を出しているみたいだ!」と“解釈”をした後に、今度は目を開けてその“普通の”映像をみたときに、普段のステレオ映像を観ている時に慣れて違和感を感じなくなっている感覚に引っ張られて360RAの効果が減じられる可能性も“人によっては”考えられる、ということだ。普段ステレオ映像でライブコンサートを観賞する習慣が無い人は、そうならない可能性の方が高いわね。360RAの効果はそのまま維持されるだろう。

これ、だから本来なら、360RAの効果をアピールする為には、定点カメラを固定した映像をずっとワンカットで流すのが一番いいのよね。『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』のジャケ写のあのアングルでね。そうすれば、「目の前に宇多田さんが居て歌ってる!」という感覚がより強くなると思われるんだが、どうだろうかね。

で、そうすると、ソニーストアのシアタールームでの体験ってどうなるのか? まぁ既存の映像を流すだろうけどさ。いや実は前回(とその前から度々)と今回言ってる事って、『Laughter in the Dark Tour 2018』映像をソニーストアで観たときにも言ってたことなのよ。

https://www.sony.jp/store/retail/event/utada-sonystoredays/

↑こんときのね。まぁだからここを5年以上読んでる人にとっては今更な話題だったりするんだけど(また言ってる、と思われてそう)、そんときも、私個人は「音と映像が合わんなぁ」と愚痴っていたんですわ。なので、目を閉じて堪能したり、またそこから顔を上げて映像を観たりと様々なやり方で観賞してみましたよ。結論はこれもわかりきってることで「3DVRと組み合わせないと」でしたわ。

で。今回のソニーストアでのシアタールーム360RA体験イベント、話によると1枠1名の予約の可能性があるんだと!? お部屋を独り占めってことですかい。確かに、『Laughter in the Dark Tour 2018』観賞の時はお部屋に10人くらい入れての観賞だったので、部屋の中央から外れた位置に座った人は13.1chの有難味を減じる結果となっていたかもしれないので、1枠1名は太っ腹な話だわね。周りの目も気にしなくていいというのも相俟って没入感は相当のものになるかもしれないわ。果たして4年前と較べて何が同じで何が違ってるのか、この目と耳で確かめ…たかったんだけど予約枠埋まるの早過ぎだよっ! 取れてないっすよ私。ということで今回は皆さんのレポを待ちたいと思いまーす。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




今回、360RA-Liveのアプリを開いて「?」と思ったことがある。配信されたのが動画だった点だ。

いや勿論、アプリで観る分なんだからそりゃそうなんだけど、『40代はいろいろ♫』って普通のカット割りなのよね。複数のカメラで全体と各演奏者及び宇多田ヒカルのアップ画像を切り替えていくという。極々普通の。

前も指摘した通り、360RAが「本領発揮」するのは、3DVRと組み合わせれた時だ。自分の頭や目線が動くのに従って目の前に拡がる風景も動き、更にそこに音が付随してきてこそ真のヴァーチャル・リアリティなのだ。変な日本語(英語?)だけど。でも、今は流石にそこまでは行ってない。生配信なら尚更だ。

なので、次善の策としては、360RA-Liveアプリのテスト動画にあったように、カメラを1台にしてそれを連続的にノーカットで動かし、その動きに沿って各楽器の定位が細かく変化する手法などが考えられる。しかし、それは正直音楽的に価値があるとは言いづらい。どちらかというと技術のためのデモンストレーションだわね。

だが、だからといってこのように普通の動画に360RAのサウンドを合わせてしまうと、360RAの効果が減ぜられてしまう。多分だが、今回の作り手は聴覚心理学上の「視覚との相互作用」についての考察が足りていない。音声の認識(と認知)は容易に視覚に影響される。故に、普段通りの動画を観ながら360RAのサウンドを聴いていると、 段々普通のステレオに聞こえてくる(註:まぁ普段普通のステレオもカット割りに邪魔されてるんだけど、我々もうそれに慣れてしまってるから意識しないとわからんな)。これだと、目を瞑って音だけを聴いている方が360RAの恩恵を感じやすい。個人的感情を抜きにして言えば、360RAの良さを堪能するためには動画は邪魔でしかない。いや宇多田ヒカルの写ってる映像を私に邪魔とか言わさないでよ(というのがその個人的な感情の中身です)。


こういうミスマッチは、新技術導入黎明期にはありがちなことなので、特に批難するには値しない。だが、それと共に根本的な疑問は出てくる。これも多分前に書いたことなんだけど(どうだか忘れちった)、そもそも宇多田ヒカルの音楽にヴァーチャル・リアリティは必要なのかという話になってしまうのよ。

ヒカルの音楽は基本的にデスクトップ・ミュージックなので、その“正体”はヒカルの頭の中かラップトップのメモリの中にある。そこが起点で基本だ。ライブハウスやリハーサル・ルームで演奏されるものをパソコンで打ち直したとかではなく、そもそもマッキントッシュと共に生まれてくるものなのだ。

そうするとですよ、ライブ・コンサートで天球上に各楽器の定位が正確に配置されても、特に有難味はないのですわ。何故ならヒカル自身が作編曲時点で2ちゃんねるのステレオで音楽を構築しているから。それが“正体”なんだもん。人同士が演奏することが先にあるオーケストラや室内楽やバンドサウンドが正体である生音楽とは根本的に異なるのです。概念なのよ。

となると、今後宇多田ヒカルがまた360RAの技術を取り入れてその上「進化するためには」、ヒカル自身が作編曲時点で360RAを想定していないといけない。つまりSONYの技術陣は「360RAで作編曲出来るツール」をヒカルに提供しなければならない。そこで初めて、宇多田ヒカルの音楽的価値に真の意味で貢献する技術になるだろう。

…って、ずっとLogic Performerを使ってるヒカルが今更他のツールを導入するかな?? いやまぁまだわからないか。恐らくここで、AppleのドルビーアトモスかSONYの360RAのどちらを選ぶかの分かれ目が来る気がする。作編曲用ツールを開発してミュージシャンに提供するかどうか、だね。もう既にあるんならとっととヒカルに渡してしまってみて欲しいわ。

でも、ヒカルも興味あると思うんだよねぇ。例えば『Animato』なんて、互いに独立した旋律が同じ時間軸上で4つも5つも重なって出来てる曲なんだから、これを天球上に配置できるとなったら結構嬉しい気がするんだけど。『HEART STATION』のトリプルキーボードなんかもそうだよね。となると、既にもうツール導入して作曲してたりするかもわからんな。仮にもしそんなことになっていたとしたらリスナーとしては立体音響環境準備必須になっちゃうわね。ま、でも結局はヒカルの歌声がメインなのは変わりないだろうから、音声なんてモノラルで十分だと思います私は!(毎度ながら身も蓋もない結論ですね)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




さてさて、一方『40代はいろいろ♫』の方はいよいよ『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』収録の2曲が360 Reality Audioのアプリ版やAmazon Musicなどで配信され始めた。待望の、です!

私も早速折角コレ用に買った─のだけど当日DJタイムの時点で既に接続不良を起こしてそのリアルタイム360RAオーディオへのアクセスを断念せざるを得ず宝の持ち腐れになっていた─360RA対応且つ個人向けカスタマイズ済み(耳撮影して送るヤツね)のヘッドフォンを有線で接続して聴いてみるぞとプレイボタンを押してみたら、まずヒカルのMCからなのね…って、あれ?スピーカーから音が出ちゃってるぞ?あたしヘッドフォンジャックをちゃんと挿せてなかったのかなと思ってプラグを見てみてもちゃんと奥までキッチリ挿されてて、あれこれ一体どういうことだってばよとヘッドフォンを頭から外してみて漸く気がついた。勘のいい読者の方は既にお気付きだろう、私、ヘッドフォンから流れてきてた音をスピーカーから流れてきた音だと勘違いしていたのだ! いやホントびっくり。それくらいにこの360RAのサウンドは「空間に拡がって」聞こえてくる。それこそ、目の前に人が居るみたいな感覚でな。

お見事という他はない。音源を天球配置するのが360RAの真骨頂とのことだが全く以てその通りでした。いやはや、これだけで360RA対応のヘッドフォンを購入した甲斐があったというもの。これでフルサイズのライブを観れたらどんなことになるのやら、想像を絶しますな!


…と、いう感想は紛れもなく本当で本音なのだが、正直まだまだコンテンツ全体としては物足りない。言い換えれば、これだけ改善の余地がありながら既にこちらを驚かせるクォリティを持っているというのはこの技術の未来を相当感じさせるということなのだけれども。

まず、確かに音は見事に空間的な拡がりを見せているが、必ずしもひとつひとつの音素の音質が高いわけではない。差し当たってすぐアクセスできた配信音源の『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』のトラックを聴いてみたが、ハイレゾではないロスレス音源の時点で既に360RA版より配信音源の方が音質がいい。もっといえば解像度が高い。特にヒカルの歌唱では、ブレスやエアといった押すときより引くときの音の方がニュアンスに大きく貢献する為、かなり高周波数領域の情報量が必要になるのだが、その辺りの音質で配信音源の解像度が優っていた。つまり、部屋全体のバンドのサウンドとしては360RAは見事なものなのだが、個々のプレイヤーそれぞれの演奏と歌唱に注目した場合、そこまでのクォリティにはまだ達していないということだ。

これは、データ量が増えれば解決する問題ではある。今のところ通信環境などを考慮してこの程度の解像度にしかなっていないのだろうが、今後は環境の発展とともにすぐに改善されるだろう、と。しかし、だ。そこまで扱える情報量が増えたとして、じゃあと隣をみたらその増えた情報量を総てヴォーカルの解像度向上に振り分けた配信音源が登場しているのだ。結局、いつまで経ってもその高音質には追いつけないだろう。

ここに、技術とコンテンツのミスマッチがあるように思われる。宇多田ヒカルはシンガーソングライター、つまり、ソロ・アーティストなのだ。リスナーの大半は音源に耳を傾ける時、大体はヴォーカルに注目・注耳している。それ以外の音は添え物なのだ。だから実は、バンドサウンドが後ろに綺麗に拡がっているよりも、ヒカルの息遣いがより身近に感じられる事の方がニーズにそぐうかもしれないのよ。

勿論その推測は360RAという技術の価値を毀損するものではないのだが、送り手側が何をどこまで理解しているのかという点に関して疑問符が浮かんだというのも正直な感想だ。次回もそこらへんの話をもう少し、するかもしれないでっす。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あ、そっか。先週の『印象が二転三転する14秒』の続きにまだ手をつけてないんだったっけ。ほなその話をちらっと。


『君に夢中』の2番の歌詞でその14秒にあたるのはこちら。

『嘘じゃないことなど
 一つでもあればそれで充分』

これが、

『嘘じゃない/
 ことなどひとつでもあれば/
 それで充分』

という風に歪に区切られて歌われてるって話だった。

こちらは1番の『心の損得を…』以上に聴き手を翻弄する。まず、『嘘じゃない』で切られるから何か自分の真実を誤解されてそこを訂正したいのかなと一瞬思わされる。なのにそこから『ことなど』がつづくからさぁ大変。途端に「え?どゆことどゆこと?」と不安になる。

というのも、日本語の「など」って副助詞が曲者なのよ。本来の意味である「エトセトラ」─即ち例示や列挙の為に使うだけではなく、蔑視や軽視などの否定的なニュアンスを含ませる用例があるのよね。「…などと犯人は供述しており」とか「お前の技など効かんわ!」とかそういう場合の「など」ね。この『君に夢中』の『嘘じゃないことなど』の『など』にも、この時点で何らかの否定的なニュアンスが託されているのでは?と不穏な空気になるんです。

その不穏な空気を背負って次に繰り出されるのが『ひとつでもあればそれで充分』だ。『嘘じゃないことなどひとつでもあれば』ってパッと一続きに言われてどう思う? 「嘘な事がひとつでもあれば」なら結構次が予想しやすい。「樽一杯の泥水にスプーン一杯のワインを入れると樽一杯の泥水になる。樽一杯のワインにスプーン一杯の泥水を入れると樽一杯の泥水になる。」という私が兎に角よく引用するマーフィーの法則を持ち出すまでもなく、言うことにひとつでも嘘が混じってたらそれはもう後の言葉が全部真実だとしても信用できなくなるよね、うん、それならわかるんだけど、ここの歌詞は『嘘“じゃない”ことなどひとつでもあれば』なんだ。“じゃない”なのよ。だったら最初っから「本当のことはひとつでもあれば」って言ってよ!紛らわしいよ!と聴き手は思わされる。

そうなのよ、こういう言葉の並びにすることで聴き手は、それぞれの一節を聴く度に

「嘘じゃない!信じてよ!」
「嘘がひとつでもあるなら信じられない!」
「本当のことがひとつあればいい!」

という、全く異なった三つの主張を「予想させられる」のだ。これはもう非常に悪質である。翻弄されるなんてもんじゃない。何度も騙される。そう、嘘を吐かれるのよ。この人を喰ったようなメロディの切り方は「嘘吐きの所業」であって、まさにこのパート自身のことを歌っているようなものなのだ。

だが、歳を経たJ-popファンであれば実はそこまで動揺しない。というのも、我々オールドリスナーは1992年に槇原敬之が発表した名曲「もう恋なんてしない」において

「もう恋なんてしないなんて
 言わないよ絶対~♪」

という歌詞を経験しているから。これを初めて聴いた時誰しもが「え!?結局恋はするの?しないの?どっちなの!?」と激しくツッコんだ。紛う事無きミリオンセラーの大ヒット曲だから多くの人々がそうツッコんだ。その時の経験があるのでこのヒカルの

『嘘じゃないことなど
 一つでもあればそれで充分』

程度ならそうそう動揺は…したよやっぱり!(笑) メロディの区切り方の意地悪さが槇原敬之より遙かに絶妙だったからな! こんなとこでも作詞作曲能力の高さを発揮しおってからに…。そう、作詞と作曲両方を手掛けているからこその、詞とメロディを連動させた演出になってるのだココは。勿論、歌い方のニュアンスも細かく変化させて解釈のミスリーディングを助けている。シンガーソングライター宇多田ヒカルの面目躍如たる一節であるとは言えるだろう。でも、なわだかんだで、やっぱり意地が悪いよ!(笑)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




週末の話題をかっ攫ったのは「水卜麻美&中村倫也、結婚」の話題だった。両者の結婚報告ツイートは夫々100万いいねを突破した。いいねが10000を越したときいて「五桁は凄いな!」とか言ってた時代を知る者としては隔世の感が凄い。

それにしてもこの2人、初見で名前正確に読める人一人もいない説を唱えたくなるな。残念ながらこの2人共の名前が初見な人をみつけるのが難しいのだけど。ゴシップをチェックする層で。「みうらあさみ&なかむらともや」なんだって。難易度高いよ。

そんな2人だけど、交際の噂(無責任な記事の事だね)は一切上がってなかったらしい。故に夫々の熱心なファンの皆様も寝耳に水だったそうだ。接点といえば、ヒカルの『Time』を主題歌に起用した日テレ系列ドラマ「美食探偵 明智五郎」で、主役の中村倫也が日テレ系情報番組「スッキリ」にPRに訪れた際、同ドラマに声で出演していた水卜麻美に好感を持ったらしきことを口にし、水卜もそれに喜んだみたいなことが記事に書いてあったけど、その程度でしかなく、どうやらみんなして全くのノーマークだったのだと。この時代にそれは凄いね。

しかし、各地のコメントを読むと、確かにこの2人の組み合わせは想像もしてなかったけど、言われてみれば凄くお似合いだという称賛の声が圧倒的だった。それぞれに高かった好感度が、それぞれに「いい相手を見つけた」&「見る目あるじゃん」ということでますます上がったという、なかなかに奇跡的な結婚報告となった。


って、前フリが長くなったな。今回そのリアクションをみて、ポピュラー・アートのクリエイティブの基本をみる思いだった、というのが今回言いたい主旨なのです。誰もがその発想に気づかず、しかし一旦気づいた後はその発想の妥当性や美的な価値などを納得せざるを得ないという、この状況がね。

ただ単に今まで誰も発想したことのない事を言うだけならカンタンだ。「宇多田ヒカルの『DISTANCE』、マスカルポーネチーズを添えてサンオイルで召し上がれ」という日本語文を書いたのは今の私が人類史上初だろうけど、そこには何の価値もない。言ってる意味もわからなければ実現することでもないからだ。曲にチーズ添えてオイル掛けるって何さ!?という具合。誰も思い付かないというだけでは発想に価値がない。

一方で、「ご飯に卵をかけてうただきました。とっても美味しかったです。」という文章は、卵かけご飯が好きな層から多いに納得と賛同を得られるが、新しい発想でもなんでもない。既に広く知られているからだ。そういう意味で陳腐ですわね。

なので新しく価値のある発想、素晴らしいポピュラー・アートのクリエイティビティは、「誰も思い付かなかった」上で更に「すぐさま納得と賛同と喝采を得られる」ことが至上となる。いつも出す例だが、『COLORS』であのキーボード・リフとあの歌メロを組み合わせたセンスは本当にクリエイティブだった。メチャメチャ大ヒットしたしな。

今回の「水卜麻美&中村倫也の結婚」という“事件”も、こうやってびっくりさせられた上で“言われてみれば”しっくりきた、という点で、見事なクリエイティブの見本だったと言える。いや人の人生をクリエイティブって何なのさという気もするけれども、基本を押さえるための引用ということでどうか御容赦願いたい。お二人さん、ご結婚おめでとさん。末永くお幸せに。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日アメリカ議会公聴会にTikTokのCEOが出席したそうな。いやはや、真正面からやり合うようになって参りましたか。

国際問題は疎いので搔い摘まむと、要は中国がTikTokアプリを通じて個人情報を国家で収集してんじゃないかって話。アメリカは国ぐるみでアプリを禁止しにかかっている。やり合ってる最中なので下手なことは言わんが、うん、宇多田ヒカル公式もTikTokアカウント持ってるのでね、無関係な話題ではないのでした。

今のところ公式はYouTubeでもみられるショート動画をプロモーションで流してる程度なので恐らく何の問題もないのだけど、ユーザーとしては国際問題に発展してるアプリを使い続けてよいものかという素朴な疑問は消拭えない。とかって言うなら最早国際政治を動かす力を持つTwitterなんてどうなんだということになるのだけど、こちらはあクマで仕組みが優れているせいでその上で人々がやり合ってるだけなんで、アプリをインストールする事に問題がある訳ではない。TikTokの場合アメリカはアプリ使用禁止の法律を通しにかかっている。アプリ自体が問題にされているのだ。

TikTokでの動画が今後どれくらいヒカルのプロモーションに影響を及ぼすだろう?とかボーッと考えてるうちにこんな事態になっちゃっててさ。Hikki_Staffはbilibili.comにも公式アカウントを設置したけれど、うーむ、こういうのはどこかでそっと撤退するタイミングを窺った方がいいのかね? 悩ましいわ。

これは今後もっと一般的な問題になっていくかもしれないな。例えば既に、Google PlayではOKなアプリがApple StoreではNGになるなど、プラットフォームによってアクセスできるアプリに違いが出てきたりしている訳で、こういうことが音楽系のアプリでも多発してくるとなるとこれは、手広くいってリスクを分散させるか、慎重に確実なアプリにだけ手を出すようにするか、戦略の方向性を決める必要が出てくるかもしれないわ。

本日360RAサウンドを専用アプリで楽しんだ人も多かろう(あたしゃまだですが)。技術が進めばこういった特殊なアプリが特定の企業から提供されるケースが増えてくるかもしれない。幸い、ソニーという企業は特定の国や地域でNGになっていたりしないので差し当たっては何の心配もない。6年前に移籍しといてよかったわ。だけど、世界情勢なんて数年先はどうなるかわからないってのを我々はこの3年で嫌というほど味わった筈だ。マクドナルドのハンバーガー、この3年半で100円から170円に値上がりしとるんやからな…誰がこんなの予想してたよ?

いやまぁでも、不安を煽っても仕方がない。ただ、ある程度の情報収集はしておいていいかもしれないわね。中途半端にのめり込むと人間あっさり間違った情報に騙されちゃうもんだけど、こればっかりは運もあるからどうしようもない。シンプルに、手許のスマートフォンが世界中に一瞬にして繋がれる道具なのだという基本中の基本の事実を毎日忘れないように心掛けて過ごしましょうぜ。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




おぉお、寝耳に水だな午前4時台の告知って。久々じゃないの。いよいよ『40代はいろいろ♫』の360 Reality Audioアーカイブスのターンが始まったか。

まずはアプリによって360RA版にアクセス出来るようになったみたい。外にヘットフォン持ち出してないので私まだ未視聴だけど、選曲は『First Love- Live 2023』と『Rule (君に夢中) - Live 2023』の2曲か。残念ながらまたもバッドバニーのカバー曲『Me Porto Bonito』の披露は見送られたようだが、いや勿論まずはその2曲を聴くのが楽しみだ。一体どんなもんじゃらほい。

なお音源配信は近日予定。Amazon Unlimitedのみか? 『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』で、同じパフォーマンスであってもミックス次第で映像と音源ではまるで異なるトラックになるとよくわかったから音源化の方も注視していきたいところ。

そしてそして、この『40代はいろいろ♫』360RA化企画の目玉が各地ソニーストアでの体験イベント。相変わらず近隣住民以外は遠出を強いられ、その上どうやら名古屋飛ばしということではてさてどれくらいの人にリーチするかはわからないが、兎に角店頭の視聴ルームで13のスピーカーを使った360RAを体験できるのだと。要予約。なお店頭設置のヘッドフォン試聴は予約無しでOKとのこと。ここらへんはしっかり整理して把握しておきたい。

360RAの魅力は、新しく公開になった動画でスティーブ・フィッツモーリスも力説してるように、ヘッドフォンによって恰もスピーカーで聴いているかのようなリスニング体験が得られるとこなのだが、では実際にその「スピーカーで聴いている」状態はどのようなものかを味わえるというのはかなりよい。なかなか自宅に13のスピーカーは用意できないからね。しかも天球型に配置するとなると専用の部屋が要るしな。なのでこれは有難い。

その上、上記の通り店頭でヘッドフォン試聴も出来るので、どれほど360RAによるヘッドフォン再生がスピーカー再生に近いかをすぐさま比較出来る訳だ。技術に余程自信があるとみえる。店頭で有線で再生してる分には接続不良は起こりそうもないのでこれは安心して視聴&試聴出来るな!(もちろん、皮肉ですっ…いつまで蒸し返してんだよって話ですが、こっちは『30代はほどほど(はぁと)』ん時も喰らってんだよ!二回連続なんだよ!)

で。早速そのスピーカー体験の予約がこのあと午前11時から開始。告知から7時間しか経っとらんやないか。なんでこんなに詰め込んできてるんだろね。しかも札幌と福岡は4月の週末金土日3日間ずつしかない。東京大阪はなんとか週末二回含める日程になってるけど。名古屋に到ってはストアがあるのに日程発表自体がない! 追加発表があることを祈ります。

あれかね、今回もギリギリまでバッドバニーに交渉持ち掛けてたのかもね。だとしたらホントにお疲れ様ですm(_ _)m あのパフォーマンスは後から振り返った時に「宇多田ヒカルがラテン系言語で歌い始めた最初期」として記憶されるかもしれない重要なシーンとして扱われていきかねない訳で、公式アーカイブ化は悲願なのですわ。なんとかどこかの時点で困難な交渉が実りますよう。ひとまずはドラマ主題歌2曲のパフォーマンスを堪能するぜ!

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




前に『Rule(君に夢中)』の一節、『The second guessing I do is not doing me any good』を「くよくよしててもいいことなんてない」みたいに訳したのだが、これ、そういえば日本語版『君に夢中』の歌詞に、全く同じ意味ではないけれどここから発展して出来たと思しき一節があったわ。それが

『心の損得を考える余裕のある
 自分が嫌になります』

なのだ。「発展して」と言えそうなのは、それぞれの一節の後に来る歌詞が似ているから。『Rule』の方は一行経て『So won't you come and make it stop?』(だから来て止めてくれない?)で、『君に夢中』の方は『今どこにいる? すぐそこに行くよ』だ。「会いに来て」と「会いに行く」で視点は逆だが言ってる事は大体同じだ。


さて、この類似点をみてみる為に日本語歌詞の方を復習してみる。この

『心の損得を考える余裕のある
 自分が嫌になります』

の一節はなかなかに独特の表現だが、そのメロディ運びからヒカルがここをどう受け取って欲しいかというのがみえてくるのだ。

上記は文字で書くと二行だが、メロディに沿って区切ると

『心の損得を考える/
 余裕のある自分/
 が嫌になります』

という風になる。特に『~自分が~』を『自分』までと『が』以降に分けているのが耳を引く。これってあれだよね、宇多田ヒカルの歌詞の特徴といえば『Automatic』の冒頭で『七回目のベルで受話器を』を『な/な回目のベ/ルで受話器を』って奇天烈に切り裂いて歌ってたからあれと同じ感じよね?と思われるかもしれないがさにあらず。この時はメロディとグルーヴを優先するためにこんな区切り方をしていたが、ここでは他の動機で奇天烈に区切っているのだ。切り方が奇天烈なのは同じだけど。

ここ、初聴時にはまず『心の損得を考える』までがひとまとまりに受け取られるので聴き手は一瞬、「お、ここから損得勘定の叙述が始まるのか?」と思ってしまう。これからの歌詞の方向性の「宣言」だと読み取ってしまうのだ。「これから心の損得を考えようと思います」みたいな風に。ところが実際はここで文章が切れておらず、次の一節への修飾節に過ぎなかった事が一旦間を置いて『余裕のある自分』が歌われた時に明らかになる。なんだよ『自分』の解説かよ自己紹介だったのかよ、しかもちょっと余裕があるとか自慢入ってるヤツじゃん…とこちらが印象を変えたその瞬間に今度は『が嫌になります』が歌われるのだ。「なんなんだよ、余裕綽々な自分を自慢してるんじゃなかったのか! 寧ろ全く逆で、嫌気が差してたのね!」と、聴き手はこのたった14秒で印象を二転三転させられ翻弄されてしまうのだ。このアップダウンを狙ってヒカルはメロディと歌詞を書いている。全く以ていつも通りに巧みである。

以上は1番の歌詞だが2番でも同様だ。

『嘘じゃないことなど
 一つでもあればそれで十分』

の二行を

『嘘じゃない/
 ことなどひとつでもあれば/
 それで十分』

と区切る事で、ここでも聴き手の印象を二転三転させている。この翻弄具合によってヒカルが何を表現したかったのかの話からまた次回、になるかな?
 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




さて次はその『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』の空間オーディオ版のリリースが待たれる所だが、まだこちらは規格として黎明期、手探りな試みの一環という段階か。3DVRの時から言っているが、まだ今は技術を整えてる段階であってそれが作品性とどんな相互作用を生むかという段階までは来ていない。いや、あたしが知らないだけでもう既に世界各地で試みられてるんだろうけど、それがこっちまで届いてないということなのか…。

この間発売された「Sound & Recording」誌もチラッと読んだのだけれども、なるほど携わっている人の技術力の高さは呆れる程だけれど当日アクセスを断念した身としては少し半目にならざるを得なかった。いや彼らがそこの担当じゃないのはわかっているんだけどね。

なんだろうね、これだけの技術を擁しながら受け手に届いてない為に無意味に帰してるのって、喩えるなら高級料理フルコースを厨房で作り上げておきながらカトラリーや食器などが用意されていなかった状態か。美味そうやけどこっちのテーブルまで届いてないよ!届いてもスプーンもフォークもないよ!って感じで。どれだけ美味いもん作っても口の中に入らなければただのゴミと変わらない。いや、見た目や香りで楽しめるってそれはそうなんだけども。

結局は全体を統括する人間の手腕次第なのだが、扱う技術が高度過ぎると何が可能で何が不可能なのか、どの工程にどれ位のコストや時間や人員が必要なのかというのがわからずマネージメントしようにも途方に暮れる。音楽プロデューサーにミキシング・エンジニアが多いのは、結局の所現場の作業を知らないと全体の統括も無理なんだってことなのか。

なので、3DVRにしろ360Rにしろ、技術が陳腐化して可能不可能やコスト目処がわかるようになってから取り入れた方が、コンテンツ/ソフトに携わる人間としたらメリットが大きい。一方で、ソフトを作る人間が技術の刷新にも興味を持っているというのであれば、失敗込みでチャレンジするのもいいだろう。

そう考えると、ほどほどにしろいろいろにしろ、総括者であると見做されがちなヒカルがあんまり先端技術に興味を示していない点が根本的な原因なのではという気もしてくる。いや勿論、スジとしてはヒカルはネームバリューと歌のパフォーマンスを提供する役割であって、プロジェクト全体の統括者でもなんでもないのだが、イベントのタイトルもイベント自体も名前と顔が出ずっぱりなので、圧倒的に主役感が強い。

それこそWBCが終わったばかりだから喩えに出すのだけど、栗山監督が「ダルビッシュジャパン」とまで言うほど今回の日本チームがダルビッシュ有を中心にして纏まったのは、彼がグラウンド上で圧倒的なパフォーマンスを見せたからではなく、普段の練習から細々とした気遣いと心配りで今回の大会に携わる人たちと触れ合い続けた、という面が大きい。勿論それ以前に彼の圧倒的な実積がものを言っているのだけれど、差し当たってに必要な「全体の方向性を司る人間の実地の役割」は、フォローや雑務といった、足りないところ、隙間を埋めていくような日陰な営みであって、そういうことをする人がほどほどやいろいろでは足りてなかったのではないかなと。「これホントに帯域足りてるの?」と責任ある立場から突っ込める人が居なかったんじゃないかな。要するにエピックとU3が目下の所絶賛「人手不足中」なんではないかなと。

ヒカルは既に音楽面で手一杯なのだから、宇多田ヒカルという看板とコンセプトを担う人材が沢山欲しいとこなんだけど、単純に人数が足りてなさそう。多分だが「え、こんな少人数でこのビッグ・アーティストの稼動を回してるの!?」とビックリするような人数なんでないかな。なんだかイケイケのVTRみると、まず人が多いのよね…。

こればっかりは構造的な問題なので仕方がないと言ってしまえばそれまでなのだけど、そこらへんの意識を全体で変えていかないと規模と知名度のミスマッチが今後も起こりかねないわね。映像商品騒動とかもあったなぁ。

救われてるのは、そうやってあれこれと騒いでるのは私くらいで、実際にはヒカルの評判に何ら傷がついていないことか。ならまーいいのかな。ヒカルが快適なら配信が一部観れないくらいどうってこと…あるよ!(笑) いちリスナーとしては、それでも改善できるとこから改善して欲しいわね。人は急には生まれないもんねぇ。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




あんまりにもWBCの視聴率が高いんで少しボケーッとしてるとこもあり。凄いね、日本優勝おめでとうございます。最後1点差九回裏二死で大谷vsトラウトは流石に観たかったな。

あれなんですよ、私最近あんまり日本のプロ野球チェックしてなくてですね。せいぜいみるのも大谷翔平のニュースくらいで。なので、実を言うと日本の選手よりエンゼルスをはじめとしたMLBの選手の方が馴染みがあったりして。「え、フレッチャーに弟がいて野球やってんの?」とか「ループってあの左横手投げの?」とかそんな反応の仕方をしつつ、一方では日本の選手は殆ど観たことなく。村神様は昨年凄く取り上げられてたから知ってたけども。みたいな感じだったので、はて私どこを応援したい?となったときよくわからなくってね(笑)。まぁこうやって日本語書いてる時点で日本チーム応援すればいいんですが。

スポーツ観戦ってのは対戦モノの場合どちらかを応援した方が一喜一憂がエキサイティングなので、取り敢えずどっちかにつくと楽しい。勝ち負けに拘ればラジオの実況中継でも手に汗握るし、なんだったらライブスコアリングの数字が動くだけでも興奮できる。それが楽しむコツです。

なのでどこかのチームを熱心に応援するのはどんどんやるべしとは思うものの、今回の日本チームフィーバーの陰に、普段からMLBを熱心にチェックしてる日本語圏民の中には必ずしも日本チームを応援してる訳ではない人たちも結構居るだろうなとふと思ったりもするのです。折角こうやってMLBの選手達が大々的にフィーチャーされてる中で肩身狭くないかな?ってね。余計なお世話だけども。

どうしても、あの人もこの人も盛り上がってる!凄い一体感!っていう興奮は魅力的でそれはそうなんだけど、こうやってついつい少数派の存在を想像してしまう私はまぁなんというか熱気に水を差しかねなかったのでこうやって大会が終わってからコメントしてる始末なのでありましたとさ。


んで不思議とヒカルさん、サッカーワールドカップは観てたのにWBCは食いつかなかったのね。その昔NY YANKEESが日本で「ヤンキース」と「ス」を濁らせずに発音すること知らなかったくらいだから、そこまで熱心に観るスポーツでもないのかな野球は?
https://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_81.html

まぁ多分だけど、サッカーも「息子が観るっていうから観てた」んじゃなかろうか。で、観てたら興奮してしまったと。一方野球は、イギリスでは人気ないからね、ダヌくんも全然反応しないというか、WBCなんて存在すら知らなかったかもしれない。真相はそんなところなんじゃないかな。

でもヒカルさん、身体を動かすこととか勝負事とかは基本的に好きな人なので、次…は3年後になるのか、の時のWBCは食いついてたとしてもなんら不思議じゃござんせん。何つっても、『プレイ・ボール』って曲書いてるくらいだから野球に全く興味が無いなんてことは、無い筈なんだわさ。今回はさ、ちょっと歩幅が合わなかっただけってことでよろしくw

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ