無意識日記
宇多田光 word:i_
 



今回『雨』の歌詞を列挙するのに思い出せずに結局検索してみつけたのが幾つかあって。その1つが『Wait & See ~リスク』の

『待って
 もう少し分かってくれたらきっと
 もっといい雨が降るから』

なのでした。そーだよそーだ、ここ雨だわ!

なんで思い当たらなかったかというと、『いい雨』ってのが他の『雨』たちとは全然イメージが違ってたからなんだな。ヒカルの描く雨って『雨に打たれて靴の中までびしょぬれ』【虹色バス】とか『世界中が雨の日も』【花束を君に】みたいに、艱難辛苦を現す比喩な事が多いからね。雨が『いい』ってのが連想に引っ掛からなかったんだわ。

で。今回自分が今まで23年間この『いい雨』についてちゃんと考えてきてなかった事に気がついて! ぼーっとしてましたわ。面白いよね『もっといい雨が降るから』って。今更だけど。


ここは、前段が

『だって「つまずきながら」って
 口で言う程 楽じゃないはずでしょ』

であり、Aメロの繰り返しで対応する部分が

『曇り空を追い抜くから』

であることからつまり、

「確かに物事は失敗しながら挑戦していくものだけど、それにしたって自分にとって意味のある“いい試練”に立ち向かった方がいい。その為にリスクをとらなきゃ。」

って意味なのだろう。ただ闇雲に頑張っても仕方ない、やるべきことをやる。クリアしたら得られるものがあるチャレンジをしよう、そういう意味のある試練を『いい雨』って言ってんだろうなと。そして曇り空を追い抜いたらその『いい雨』も乗り越えられるよね、っていうね。

その為の、『待って』("Wait")なのよね。そして『(もう少し)分かって』("See")なんですよ。サビに行く前に既に確りとタイトルを回収している。だから

『いい雨』=『リスク』

なんだよね。ホントよく出来たタイトル&歌詞だね! たまには聴き慣れ過ぎた歌の歌詞を思い返してみるのも悪くねーな。楽しかったわ。

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「雨」をモチーフにしたヒカルの歌の中で両極端に位置するのが『time will tell』と『真夏の通り雨』だろう。

まず『time will tell』では

『雨だって雲の上へ飛び出せば Always blue sky』

と歌われている。ここでの『雨』は、辛いことや苦しいこと、悲しいことの比喩だろう。生きてくなかでなにか辛いことがあったとしても、それを大きく飛び越えれば青空─この場合は「晴れやかな気分」の比喩といったところか─に辿り着けると。或いは「発想の飛躍」の大切さを訴えているのかもしれない。雨が降ってる只中に居ると雨しか見えないけど、そうじゃない場所に飛び出せれば変われるよと。

他方、『真夏の通り雨』では

『降り止まぬ真夏の通り雨』

と歌われている。通り雨が降り止まないとはどういうことだ、すぐに晴れ渡ることが約束されているのが通り雨じゃないのかというのが初手の反応なのだが、ヒカルはこれを「通り雨の只中で死んだなら」という意図だったと語った。すぐ去る筈の苦難も、その只中で死んだならその人には永遠に青空は訪れない、と。あらゆる事の中で最もネガティブなifかもしれない。…生きて永遠に雨が止まないのとどっちがネガティブなのかは難しいところだが…。


以上2曲はポジティブとネガティブの対極である。人生に困難はあってもそれを上回れれば晴れ渡ると歌う『time will tell』に漲る自信。ある意味脳天気であるとすら言える(お天気の話だけに)。一方で、そうはならんやろとつい思ってしまう『真夏の通り雨』の度を越したネガティブさ。しかし有り得ない事ではないわよね。ある意味こちらも「発想の飛躍」ではあるかもしれない。最悪の事態に対しての、だが。

そしてこの2曲はそれぞれ、『time will tell』は『Automatic』と共に宇多田ヒカルのデビュー曲であり、『真夏の通り雨』は『花束を君に』と共に人間活動からの復帰曲であった。第2期宇多田ヒカル始動曲という立ち位置だった。

『Automatic』には

『君に会えない my rainy days』
『ひとりじゃ泣けない rainy days』

というこちらも雨を喩えた歌詞が出てくるし、『花束を君に』にも

『世界中が雨の日も君の笑顔が僕の太陽だったよ』
 
と雨に関する歌詞が出てくる。デビュー曲2曲と復帰曲2曲、いずれにも雨をモチーフとした歌詞が出てくるのは特筆に値する。そして、特に『真夏の通り雨』はこの曲だけだと余りにも救いがなさ過ぎるので『花束を君に』が力強く支えてくれている。とても心強い。


そんな『花束を君に』だがこの度ストリーミング再生でゴールド認定された。5000万回再生である。非常にめでたい。

https://www.riaj.or.jp/f/data/cert/st.html

2017年12月8日からということで5年半てとこか。宇多田ヒカルを代表する名曲のひとつとして時代とは関係なく聴き続けられているということなら喜ばしい。…まぁ隣にたった1ヶ月でゴールド認定されたYOASOBIの「アイドル」とかあるんだけどね。時代のパワーも凄いわね。

そんななので、確かに梅雨の季節の雨降りは鬱陶しいかもしれないが、こうやってヒカルの雨モチーフの楽曲を聴くにはちょうどいい季節なのだとも言える。1曲だけだと偏ることもあるから、このように2曲くらいセットで味わうのが興趣としては小粋となるだろう。この日記がその一助となれるなら幸いである。

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そろそろ全国的に梅雨ですねぇ。ということでヒカルの歌で「雨」が出てくるものを並べてみますよ。



『君に会えない my rainy days』【Automatic】

『雨だって雲の上へ飛び出せば Always blue sky』【time will tell】

『悲しみは優しい雨に任せて』【Never Let Go】

『もっといい雨が降るから』【Wait & See ~リスク】

『カラカラになった太陽は 毎日雨を望んでいるのかも』【はやとちり】

『今日こそは雨上がり』【サングラス】

『降り出した夏の雨が涙の横を通った すーっと』【SAKURAドロップス】

『Rather be out in the rain』【Wonder 'Bout】

『The thunder and the rain called you and you came』【You Make Me Want To Be A Man】

『激しい雨も ふいに芽生える愛も』【This Is Love】

『肌寒い雨の日 ワケありげな二人』【HEART STATION】

『雨に打たれて靴の中までびしょぬれ』【虹色バス】

『The rain falls on my windows』【Come Back To Me】

『世界中が雨の日も君の笑顔が僕の太陽だったよ』【花束を君に】

『降り止まぬ真夏の通り雨』【真夏の通り雨】

『優しく肩を打つ雨が今』【初恋】

『When I'm the one that's in the rain』【Too Proud】

『どんより雨の日だって必要と教わったの』【パクチーの唄】

『降り止まない雨に打たれて泣く私を』【Time】

『雨、雨、 どっかいけ また今度にして』【気分じゃないの(Not In The Mood)】



…こんなもんかな? まだある?

って、列挙しただけでタイムアップだよもう!(笑) でも、並べると壮観だよねぇ。そして、そうか、『桜流し』には「雨」って言葉出てこないのね。『COLORS』も傘は出てくるけど雨は降らないわ。兎も角、宇多田ヒカルにとって「雨」はとても大切な歌詞のテーマ、モチーフであることは間違いないだろうね。余裕があれば色々と考察を加えてみたいわ☆

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『初恋』から5年か。昨日は『誰にも言わない』から3年。いやもうね、この歳になってくるとただただ数字のカウンターが回るだけだわ。速いとか遅いとか、無いわ。


『初恋』は昨年、2022Mixとドルビーアトモスで鮮烈な印象を残したので少し距離感が狂ってるとこはあるかもしれない。でも兎に角『Laughter in the Dark Tour 2018』でのパフォーマンスが圧巻でね。ツアー名『初恋 2018』でもよかったんじゃないかという位に主役だった。

でも昨年末からのこのリバイバルヒットの主役は『First Love』だったのよねぇ。知名度からしても仕方のない事だけど、やっぱり意識の差というのは感じたな。

ライブでのあのパフォーマンスをもっと多くの人が体験していたら変わっていたかも…というのもアタマを過るけれど、「そのときのパフォーマンスの出来で反応や評価を変える」というのは現場では多数派ではない。最大多数は「期待した曲を聴きたい」人達だ。なので、『First Love』を聴きに来たという人の人数には敵わない。

とはいえ地道に伝えていくのが大事で。最大多数ではなくとも、その時々の出来を観てくれる人は確実に一定数存在するし、リピーターになってくれるのもそちらだ。「『First Love』を聴きに来た人」は、一度聴けたら満足だろう。聴いたという経験を持てればいいのだから。なので次もまた足を運ぶのは、生で聴く事のプラスアルファを実感した人になる。

そしてコンサートというのは総合体験であるから、準備をして家を出てまた帰ってくる所までの総ての記憶が大事であって、家でネトフリで観たのとはまた感覚が異なる。家で観てよかったものはまた家で観ればよかったりもするのだ。ここはもう、兎に角足を運んで貰うしかない。

その為には、この、5年以上のインターバルというのは難しい。体験の記憶も薄れるし、関心も他に向かう。交友関係も入れ替わる。学校や職場も変わっているかもしれない。なのでまた一から、ヒット曲を出して注目を集める所からスタートしなければいけないのかもしれない。

これだけコンスタントに話題曲を出してきてるのだからと思われそうだが、流石にこれだけ年齢層が上がってくると若い方から「宇多田ヒカルを知らない」と言える世代が順々に出てくるし、上の世代はコンサートに出掛けなくなっていく。焦る必要は微塵もないけれど、そうなった時には素直に「そうなんだ」と言えるようにはしておきたい。


でも、これがヒカルのペースなんだよねぇぇ。シンガーソングライターとしての、音楽家としての、1児の母としてのバランスなんだ。お陰で未だにドームツアーではなくアリーナツアーに収まってくれていて有難い、という見方も出来なくはない。もっと人気が下がってホールやライブハウスで観れるようになったら…とも思うけど、現実問題として無いよねぇ。暫くはライブ・パフォーマーとして衰えそうにないし。体調を崩す事はあるかもしれないが、その場合はライブ活動まるごと取り止めだろうしな。

ファンが宇多田ヒカル落ちぶれたなぁと落胆することもなく、でもドームやスタジアムで遠過ぎると嘆くこともない、アリーナツアーならいつでも出来る今くらいのスケール感が、結局いちばんいいのかもわからないわね。望むと望まざるとに拘わらず望み通りになるのが宇多田ヒカルっことかな。それならまぁ納得するしかないかー。

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ヒカルパイセンが小2の頃に読書家だった(そしてそれを逐一記録するヲタクだった)話はなかなかに興味深かったが、となると貴女の英語力ってのは「本を読むこと」でかなりの割合培われた事になるの??

日本語の方は、本人も言っている通り漫画やアニメで鍛えられた部分も大きいから喋り方が若干ヲタク寄りになった…というのはわかるが、英語の方の「性格」については考えたことがなかったな。

例のHikki体の…じゃなかった、筆記体の(この間は不覚にもこのくだりを入れなかった!)読書リストを解読してみると、なるほど所謂「児童向け書籍」がメインで、飛び級だからといって殊更難しい本ばかり読んでいた訳ではなかったようだ。そして当然その頃は話し言葉は英語主体だったろうから、非常に単純に、「極々普通のその年頃のこどもの喋り方/書き方」をしていたのだろうと思われる。

そして日本ではやがてインターナショナルスクールに通い、日本語で話す場面と英語で話す場面の両方があったろう。そのあとは全く短い期間だがコロムビア大学に居たから恐らく四六時中英語で話し聴き考えていただろう…。

となると、日本語のに較べて英語の作詞に固有名詞が多いとかの特徴があるのって、ヒカルにとって「生活感のある言語」がもしかしたら日本語より英語の方だからか?? 英語の児童向け書籍というのは喋り言葉に近い文体で書かれる事が多い一方、日本の漫画やアニメというのは独特のフキダシや声優文化によって「日常会話には用いない表現」が多用される。その上ヒカルさん、“少し昔の”日本文学なんかが大好きだわね。宮沢賢治とか。遠藤周作もそこに入れていいかなもう。なので、日本語を扱う時はそういう「もってまわった表現」と口語体の板挟みになってああいう喋り方になってたのかもしれない。

一方英語はどちらかというと生活に根差した状況で使ってきた為、テレビで見掛けた有名人とか友達と話すゴシップの話、普段聴いてる音楽などと地続きになりやすいのかもしれないな…。


…ということをつらつらうだうだ考えているのは、「キングダムハーツ」シリーズの歌詞って、日本語曲の方はどれも「ゲームに合ってて鳥肌もの!」という評価を聞くのだけど、英語曲の方はどうなんだろうなぁって気になってるからなのよ。『Simple And Clean』とか、ディズニーキャラクターが活躍するゲームの内容にマッチしてるんだろうか?というね。で、その予備考察を今してる最中であるのでした。これは、もうちょい時間が要るテーマだわ…。なんとなく、日本語は「架空の世界」に合っていて、英語は「現実世界」に寄り添ってる、という予感はしているのだけどねぇ。

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週末に流れてきたヒカルさんの近影は相変わらずお綺麗でした。

https://www.instagram.com/p/CsrIMgJo4k0/

お写真が何だか隠し撮りっぽいので「あれ?これ拡散して大丈夫?」と一瞬思ったんだけどこの@GeistTalksってアカウント、@kuma_power がフォローしてる数少ないうちのひとつでしたわ。なら大丈夫よね。

https://www.instagram.com/p/Cpiu7YGowVU/

で、話を総合すると。前にパリコレでヒカルさんとのツーショット写真で話題になった(↑)サラ(・シェールンド)さんが主宰するトーク・イベントに招かれたということらしい。そういう活動に際して使う名前がガイスト・トークス(@GeistTalks)ってアカウントのようだ。ガイストはポルターガイストのガイストだから魂とか精神といった意味か。スピリットで語り合いましょう的なことなのかなぁ?(あやふや)

場所はよくわからないけどロンドンのザ・ハウス・オブ・ココでいいのかしら?

https://www.thehouseofkoko.com/

そこで、ウィリアム・ミドルトンというジャーナリストの新しい著作の出版記念トークイベントが開催されて、そこにヒカルさんがお呼ばれしたっていうことか。

なおその著作はカール・ラガーフェルドという伝説的なファッション・デザイナーの伝記ということで。ウィキペディアによると「80年代に、低迷していたシャネル・ブランドを復活させた人」だそうな。ふむふむ。ようわからんけど。


パリコレでのサラさんとのツーショット、そしてファッション・デザイナーの伝記本の出版記念パーティーへのお呼ばれという事でヒカルさんの服飾関連の交友関係が広がるのかなぁとぼんやり思ってみたんだが、あれ?よく見るとヒカルさんのお隣に移ってるおじさん、スティーブ・フィッツモーリスじゃん?

https://www.instagram.com/stevefitz67/
https://youtu.be/RueX_ym9SIU

彼はもう『Fantôme』からずっとお世話になってるサウンド・エンジニアさんなのでヒカルさんにとってはもう「長年の友人」と言って差し支えないと思うが、デザイナーの伝記の出版イベントに一緒に来るって彼もこの業界に興味があるのか、それともミュージシャンも何か興味を抱く人なり要素なりがここにあったのか(ハウス・オブ・ココだけに、ってうるさいわ!w)。或いは、ペアで参加する条件のパーティーだったのでヒカルさんが取り敢えず身近に一緒に行ってくれる人として誘っただけなのか…? もし仮に最後の理由だったとすると、エンジニアである彼がすぐ傍にいるのだとしたら、何らかのトラックが完成間近ということに!? 意外な所からヒカルさんの作業進捗が推察されてしまう…いや、真相はわからんけどね。

このトークショー・イベントが開催されたのはどうやら4月下旬、25日~28日辺りのようなので、もしこのザルのような推察が当たっているとすれば間もなく何らかの発表があるはずで。なのでほんのちょびっとだけ期待して待つことに致しましょうぞ。

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ヒカルパイセン、メッセ最初期の頃は時事ネタだろうが国際問題だろうが結構取り上げてくれてたなぁ…怖いもの知らずというわけではなかったけど「しっかりと自分の意見を言う人」というイメージは定着していた。16~17歳頃の話。

交流のメインがTwitterに移ってもっと気軽に色々とコメントするようになるのかと思いきやさにあらず(2012年頃は少しそちらに傾きかけてたけどね)。でもそれで正解なんだよねぇ。今の御時世にメッセ最初期のノリで発言したら大炎上したりしそうで…いや、そうでもないか。読み直してみても、どれもかなり慎重に書かれてるな。未来を見据えてたわ。

ただ、今の炎上はかなり強引だからねぇ。書いてない事について叱責する人だなんて昔は「あの人はおかしいからそっとしておこう」だったのだけど、今の時代だとアルファツイッタラーだったりするからな。もう昔とは力学自体が異なってると痛感するわ。


なので、現代に合ったカタチでヒカルの様々な意見を伺いたい…と考えた場合、

「『ヒカルパイセンに聞け!』の常設」

がいいのではないかと私は思った。

https://sp.universal-music.co.jp/utadahikaru/paisen/
https://www.utadahikaru.jp/paisen2/

このサイトを動的にして、ヒカルがいつでも質問を閲覧して即座に(たぶんiPhoneで)返答できるフォームを用意。イメージとしては、一瞬で消えたけど、UTADAの活動を始めた時に現れた掲示板型の『Mail To Hikki』&『Message from Hikki』のあの感じで…古過ぎるか…。

いやまぁ、イメージはなんでもいいや。他のSNSとは隔絶された所で、ツイート程度の質問にヒカルパイセンがランダムに気まぐれに答えてくれるシステムね。「隔絶」ってのが大事で、誰でもアクセスできるけど能動的にならないと辿り着けないくらいの距離感で。

そして、質問に答えるだけではなく、ヒカルパイセンから発信して何かを言いたいときは「くまちゃんからの質問」という体裁を取れればヒカルパイセンが発言しやすくなるんじゃない?というのが私のアイデアの肝。

『ヒカルちゃん のんばいなりってなに』
『それはね、くまちゃん、、、』

みたいな感じで。


……うむ、妄想が逞しくなり過ぎたな。いや、色々書いたが、何よりヒカルパイセンが快適に楽しくやれるのがいちばんなので、今後もその快適性最優先で企画を宜しくお願い致します。常設とかプレッシャーになるから煩わしい、とかだったら一瞬で却下な!(笑)

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おやまぁ、『40代はいろいろ♫』の「360 Reality Audio Live
アプリ アーカイブ配信」が今月一杯で終了なのか。
https://www.sony.co.jp/united/360ra_sounddive/hikaru-utada/

これはあクマで専用アプリでの配信が終わるだけで、YouTubeに置いてある全編分のは影響ないのよね? 360R音源映像が観れなくなる、と。無料だったし、有期限なのもいいけれど、放置しとけばいいものをわざわざ消すってのは何なのかしらね。

ちょうど大阪での視聴会も明後日で終了ということだし、360R関連はこれにて一区切りか。来月から新局面に移行する、ってことでいいのかなぁ。

寧ろここからどうするかが大きいような気もするけどね、360Rに関しては。『40代はいろいろ♫』を切っ掛けにして立体音響向けのガジェットを取り揃えた人も多かろうに。次からのフェイズで、それに報いるじゃあないけれど買い揃えた甲斐があったと思って貰える展開を用意してあるといいのだけど。

ただ、音源の配信が今のところAmazon Music Unlimitedのみというのが、少しネックというか引っ掛かるというか。それを言ったらドルビーアトモスだってApple Musicのみなんだけど、こちらはiPhoneとAirpods込みでの展開なので強みが違うんだな。

なので、今回…というかこの半年は、『First Love/初恋』がドルビーアトモスで、『40代はいろいろ♫』が360Rでとそれぞれリリース毎に別々の立体音響規格を採用していたのだけれど、今後の宇多田ヒカル立体音響音源はその両方からリリースされていく可能性がある…というか、そうしてみて欲しいところ。聴き較べが出来るという意味でも。

ただ、例えばハイレゾ音源も、各社毎に配信されていたとはいえマスタリング自体は同じであったように思う。配信会社毎にファイル形式が違ったりするのでそれに伴って音質も違う気がするんだけどこれは「気の所為」で片付けられる程度だから今は気にしない。

しかし360Rとドルビーアトモスでは録音やミックスの段階から異なる為、2つのフォーマットを用意するとなると制作面での負担が増す。そこまでして応えるべきニーズの分厚さがあるかというとわからない。

映像の規格だった3DVRの時と異なり、宇多田ヒカルの音源のリリースはこれからも続いていくと期待されるのでドルビーアトモスと360R達は今後のコンスタントな登場も可能なのである。映像作品は都度それがバーチャルを必要とするかどうかは異なるが、一方で新曲のサウンドを立体音響にするのは、なんというか、自由だからね。

あとはヒカルがプロデューサーとしてどこまでコミットするか。実際の立体音響音源を聴いてどう思ったのか。そして、360R Liveの収録に居合わせてその手間暇の大変さをどう捉えたか。また次もやりたいと思ったのかどうなのか。

タイミングとしては、今後リリースする新曲はどれも次のアルバムに収録されることになり、アルバム1枚丸ごと立体音響でリリースする事も可能になっては、くる。あとはリスナーのリアクション次第。そこまでテンションが上がりきってる雰囲気でもないので、SONYの積極性の多寡の方が鍵を握ってくる事になりそうだわ。

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昨夜のインスタで改めて気づいたのだが、小学生時代の大半をNYで過ごしたということは、なるほどその間に触れた書籍も英語のものが主体になるわね、当たり前かもしれないけど。

アニメ「CITY HUNTER」のエンディング・テーマ曲“Get Wild”に触れていた5歳の頃は即ち日本に居たわけで。当時はNetflixとかないからね、日本に居ないと日本のアニメは観られなかった。そう、ヒカルの各成長期毎に、メインの言語は移り変わっていたのだ。

@utadahikaru : 小5の頃、毎晩METALLICAのブラックアルバムをヘッドホンで聞きながら寝たものですおはようございくまぼんじゅーる“(`(エ)´)ノ彡☆ !! ひさしぶりに聴きたいー!
https://twitter.com/utadahikaru/status/1083490686738432

こんな呟きもあった。ブラックアルバムがリリースされたのが1991年だからそれ以降の話ではあるのだが、ヒカルが小5って何歳なんだろ? 飛び級をカウントすると1992年辺りだとしても問題ない訳か。つまり、アメリカ時代、周りが英語話者だらけの中でのメタリカだったのかもしれない。

となると、気になったのはメアリーJ.ブライジの「マイ・ライフ」。昨年のコーチェラでのインタビューでも相変わらず触れていたヒカルに最も影響を与えたアルバムのひとつだが、これが発売されたのが1994年。ヒカルが11歳となると、もうこの頃は日本に居たのかどうなのか?  クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウルという称号を抱いた90年代R&Bのアイコンと出会ったのがNYだったのか東京だったのかで随分話が変わりそうでさ。日本に「リズムアンドブルース」ではない「アールアンドビー」という言葉を定着させた最大の貢献者である「和製R&Bの歌姫」として持て囃された宇多田ヒカルが、初めてR&Bにのめり込んだのが「どこで」だったのか。そういえば言及されたことないのかな? うーむ、今まで盲点だったわ。意識してインタビュー読んでなかったから読み落としてきてるのかも。うわー、不覚だ。

まぁコンサートを観に行った訳でもないのならどこで音源を聴いていたとしても大して変わらないのだけど、でも例えば最近でも『君に夢中』『Rule』に関して殊更にNYの空気感を強調するなど、創作/制作面に関しては「いつどこで」というのは非常に大きなファクターだ。冬のロンドンの曇天模様無しに『気分じゃないの(Not In The Mood)』の空気感は醸せない。なので、アウトプットの前のインプットの段階でそれが「いつどこで」の話だったのかもまた非常に気になるのでありました。今度また『ヒカルパイセンに聞け!』が開催されたら訊いてみようかな。

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昨夜のインスタポストすげーな。

@kuma_power:『「8ヶ月半で167冊読破した!」 NYの実家の荷物整理したら小学校2年生の時のリーディングジャーナルが出てきた。子供向けの小説毎日一冊読んでる時期とかもあってビビる、記憶してたよりさらにナードだった😅』
https://www.instagram.com/p/CsoC-SNs041/

8ヶ月半で167冊というのも凄いし、それについて手書き文字で克明に一冊々々書き記し残しているのも凄い。自虐的にnerd(ヲタク)だと言っているが、それは読書量の多さと速さよりも寧ろこのノートを作っていたこと、このノート自体から来る威圧感みたいなものを指して言ってる気がする。

しかしなるほどこの読書量、『40代はいろいろ♫』の人生相談(?)で「まずインプットを」と主張していたのもよくわかる。自分自身が圧倒的なインプットの恩恵を受けて(というか自分で身につけて)きたという実感と経験が強かったのね。このノートの存在は忘れていたとしても、それが身になっている実感は日々感じているという事か。

40代にもなると、それまで折り重ねてきた知識と経験によって形成された思考回路による自動思考の割合が多くなってくる。もっと言えば「手に負えない」領域が増える。それをアウトプットの中で如何に制御するかが腕の見せ所なのだが、このようにヒカルは小さい頃からインプットひとつひとつに対して数行ずつではあるもののしっかりアウトプットを返し続けていたという事実を知れて大変参考になった。

アウトプットは記憶に影響を及ぼす。思い出は思い出す度に書き換えられる。しかしこうやって書き記す事で局限はされてしまうが固定化をする事が出来る。

https://web.archive.org/web/20071016085031/http://blog.goo.ne.jp/bemylast/e/7e72b28b08413c4c6a71e6c00b044df8

言った言わないの水掛け論に終始する親の喧嘩を嘆き記録に残すことの大切さを痛感したと『Be My Last』blogで語っていたけれど、この「記録魔」ぶりをみれば然もありなんだわ。小さい頃からインプットとアウトプットの相互作用を実感しながら成長してきたのだろうな。

しかし。ヒカルの手書き文字という垂涎モノの資料を折角提供してくれたというのに筆記体って読めないもんだね…! 解読を断念してるとこだわ…幾つか本のタイトルは読めたので検索してみたがうむうむ、確かにこども向けの書籍が主体のようだ。年間235冊ペースというのは凄まじいが、それとは別にちゃんと「こども時代ならではの読書の楽しさ」も通過してきたんだなと知れて、そこもとてもよかったです。

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『Rule』と『Me Porto Bonito』によって宇多田ヒカルが日本語と英語以外の言語で今後も歌う可能性が高まってきた事が示唆されている。

フランス語では既に歌っているしイタリア語も結構分かるだろうし、、、というところにスペイン語まで食い込んできて。となるといやもう英語もわからないのにますます歌詞が分からない事態が増えるなぁ、というのが日本語圏民の偽らざる心境なのではあるまいか。

私自身も英語なら何とか、とは思えても他の言語はからっきしなので五十歩百歩。同じ心境になるといえばなるのだが、わからないならわからないなりにちょっと楽しみなこともあったりする。それは、「歌詞がメロディに及ぼす影響」だ。。

『光』と『Simple And Clean』の関係性で既に周知だろう、作詞家宇多田ヒカル(Utada Hikaru)は言葉の意味や語幹や音韻などを鑑みて、同じ楽曲であってもメロディをところどころ変えてきたりするのだ。基本曲作りはメロディ先行ではあるのだが、だからといって必ずそのメロディに固執する訳ではなく歌詞に応じて臨機応変に対処する。詞と旋律の主従関係は必ずしも固定されていないという訳だ。というか、そもそも主従じゃないんだろうね。

そして、ヒカルはそれぞれの言語に於いて「一定の性格」が出る。最近はその傾向がやや薄れているが、若い頃は「おちゃらけ気味でハイテンションな明るい日本語のヒカル」と「相変わらず早口ではあるもののやや落ち着いた口調で話す英語のHikaru」という違いがあった。

その違いは『光』&『Simple And Clean』のメロディの違いそのものでもあって。弾けるように煌めく前者のメロディと、低音を活かして少しシックに迫ってくる後者のメロディと。日本語話者ヒカルと英語話者Hikaruの違いそのままであったのだ。

そういった特徴が、もし今後フランス語やイタリア語やスペイン語での作詞作曲に絡んできたらどうなるか。歌詞の意味自体はチンプンカンプンであっても、メロディの違いは何となくわかる。なので、「スペイン語で歌うときのメロディの運び方」や「フランス語で歌うときのメロディの運び方」を知ることで、「スペイン語で話すときのイカルパイセン」や「フランス語で話すイカルパイセン」の性格が夫々少しずつ垣間見れたりしそうで、それが楽しみなのですよ。(ってそんな風に今書いてて思ったけど、スペイン語圏やフランス語圏でのHの発音ってどう扱われてるの? ちゃんと「ヒカル」って言って貰えてるのかな? 知らないや。)


そしてそれ以上に楽しみなのが、そうやって多言語での作詞に挑んでいく中で、作曲家宇多田ヒカルが今までにはなかったタイプのメロディを歌詞に引っ張られるカタチで生み出し始めるのではないか?という点だ。これ、なかなかないよ? デビューして四半世紀経とうとしているシンガーソングライターが新しい言語を習得することでメロディに新境地を拓いていくとか。ちょっとかなりワクワクが止まらないわ。うーん、マンネリと無縁過ぎて怖いくらいだ。


もちろんそれらの予想は単なる願望いやさ妄想に過ぎないんだけど、未来にそんな期待を抱かせてくれるってだけでもう既に大変嬉しいですよ。「これだけでご飯3杯食える」ってヤツ。そうなるにしろそうならないにしろ、既にヒカルさんには毎日こうやって楽しませて貰ってて感謝感激雨霰なのでした。

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そろそろ「宇多田光監督」の再起用を…と期待して早十余年。それは2010年の『Goodbye Happiness』のプロモーション・ビデオ以来なんだけど、そういえば最近のミュージック・ビデオはクレジットこそないもののヒカルパイセンもがっつり絡んだものが幾つかあるわよね。

2020年の『Time』のMVは、感染症禍下ということもあり自宅を撮影場所にしての制作だった。監督を務めた訳ではないけれど、自分ちで取り仕切るんだもの、かなりのインプットはあったろうかと思われる。本人としてもかなり思い出深い1本になっているのではないか。

2021年の『One Last Kiss』も感慨深い。編集責任は庵野&辻田御両人だが、撮影自体は『Time』MVの時のメンバーだったようで。気の置けない友人達に囲まれて自然な表情をみせるヒカルパイセン…とても、いい。被写体ではあったけれどこれは映像監督としての自己プロデュースに近い側面もあったに違いない。

というOLKMVでヒカルのいちばん新鮮な表情を撮影したのは何を隠そう(?)我らが(?)ダヌパイセンであった。ヒカル本人が「私こんな優しい表情するんだ」と驚いた柔和な視線は愛息に向けてこそ生まれたアリガタビーム。やはり「どんな表情を引き出せるか」は具体的な技術以上に撮影者にとって必須なアプローチであるのよな。

となると、確かに宇多田光監督再起用の機運は全く逃したくないにせよ、将来的にダヌパイセンが写真や映像の世界に進んで母親を撮影する世界線を妄想したくならないかと問われたら力強く是と返す以外無く。そうなったら全くこれまでは知らなかったヒカルパイセンの表情を後世に残すことが出来るようになりその逸品の世界遺産としての価値は計り知れようもない。そんな大層なものになる前に私らが嬉しい。色々万々歳である。

もちろん他所んちのお子さんの進路に口を出す気は毛頭ないし、もし私が影響力の高いアルファブロガー(懐かしい響きだなー)とかであればこんな発言は自重するだろうが、それにしたって魅力的な未来ではある。

そもそも私は最初に『Automatic』のPVを観たときに「歌は巧いが全然好みの女の子でも何でもない。」と全力スルーした苦い経験を持つ者なので「被写体の魅力を捉えていない映像作品」に対する恨みはかなり深いのだ逆恨みも甚だしいけれども。なので、今後ヒカルパイセンを捉える映像作品を制作するのであれば、流石に毎度OLKMVのクォリティを要求する気にはならないにせよ、きっちり「宇多田ヒカルここにあり」と認識出来る程度にはヒカルの魅力をちゃんと把握した腕利きに参画して欲しいなと心の底から思うのでありました。

そして、その「ヒカルの魅力をちゃんと把握した腕利き」の筆頭が宇多田光監督であり、更にそこから未知の領域にまで我々を連れて行ってくれる可能性を持つのがダヌパイセン、とこういう訳なのであった。今後現実にどんな未来が待ち受けているのか、相変わらずワクワクが止まりませんね。

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幾度となく触れているが、『ぼくはくま』の

『歩けないけど踊れるよ
 しゃべれないけど歌えるよ』

という歌詞は本当に含蓄が深い。

そもそもヒトをヒトたらしめているのは「二足歩行/言語/道具」といった要素だとされているが、それらのうちの「二足歩行」と「言語」、その2つより以前に「踊り」と「歌」があったと看破するのがこの一節だ。

個体発生は系統発生を繰り返すとは言わないが、実際ヒトの赤子は立って歩いて喋るより前から音楽に合わせて身体を揺らし声を出す。確かに、歩けなくても踊っているし、しゃべれなくても歌っているのだ。実際の進化でもそうだったのかもしれないな。そんなヒト以前の、生命としてのプリミティビティを、歌と踊りは宿している。


宇多田ヒカルはパフォーマーとしてはシンガーであってダンサーではないタイプではあるが、6年前には『Forevermore』のMVでコンテンポラリー・ダンスを披露した事もある。キャリアの中で、ちゃんと踊ってるんだよね。『Laughter in the Dark Tour 2018』では高瀬譜希子さんと手を取り合っていたし。なので、「踊り」の方に全く興味がない、という訳でもない。

ただ、その時のコンテンポラリー・ダンスというのは歌詞の内容をシグナリングする役割が強く、身体能力を活かしてキレのある動きをアピールする、とかの類の意図はあんまり無かった。あクマで「歌詞の補助」且つ「歌が主役」であって、言ってみれば「全身を使った手話」みたいなものだった、とそう私は解釈している。

そういう「踊り」にはあまり興味が持てない、やっぱり往年の安室ちゃんみたいなキレッキレのダンスが観たい、というのが世間(誰?)のニーズなのかもしれないが、ヒカルさんの場合はこういったコンテンポラリー・ダンスのような言語的身体表現の方がより有用であるように思われる。というのも、非日本語圏にも沢山リスナーとファンを抱えているからだ。

手話にも方言が存在し、世界共通という訳ではないことから、言葉の壁を越えて「身振り手振り」などでメッセージを送り届けるというのはかなり困難なことになるだろうことは容易に想像がつくものの、極々簡単なジェスチャー程度の仕草なら言語によらず通じるんじゃないかなぁ…

…とぼんやり思っていたのだけど、この間昔のテレビ出演の時の動画を観返していた際、『Letters』の『電話越しでも』の所で親指と小指を立てて耳元にあてる仕草をみて嗚呼なんてこの人は可愛いんだ…と思ったのもそうなんだけど、「あれ?これスマートフォンしか電話を知らない世代には“受話器を模す”ってそもそもわからないのでは? てのひらを軽く丸めて耳元に当てればいいんだから…」と気がついたらいやもうジェスチャーとか仕草とかダンスとか手話とか、そういうのも日々刻々と移り変わる世情を睨んでいかないといけないのか世知辛いなぁと溜息を吐く結果になってね。いやどうなんだこれ。

そんな懸念はあるものの、身体表現でメッセージを送るというのは、今のヒカルさんの引き締まったバディを活かす為にも(そのバディをがっつり高画質映像で残す為にも!)、今後も継続的に取り組んでいってもらいたいなと思うのでありましたとさ。キレッキレでない方で、シンガーソングライターらしいやり方で、ね。

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ヒカルさんの「味覚」には散々惑わされてきた。「ハンバーグが嫌い」って言うけどあんた女子高生時代マクドナルド通ってたよね? 「なぜ一度バラバラにした肉をまた混ぜるの」って言うけどじゃああんたの好物の餃子はどうなんだとか、理屈で考えてしまうとツッコミどころだらけだった。何が本音なのか全く分からない。

だが、確かに、一旦冷静に考えてみると味覚って難しい。「美味しい」は大きく分けて3つあると思う。

①味蕾に載る情報が美しい
②身体が欲する物が得られる
③楽しいときに食べた味

この3つが複雑に絡み合ってるから味覚の分析は困難を極める。

①は例えば御菓子のような。菓子作りは他の料理と異なり分量を化学的反応に合わせてピッタリの比率で量る。概数だとうまく混ざらないからね。その為、味付けも非常に洗練整理されたものになりがちだ(むっちゃ単純化してる。実際はそんなに単純じゃない)。なので口に入れた瞬間に美しい、美味しいと感じられる。

②はどちらかというと経験からくるものだ。こういう身体の状態の時はこういう栄養素を摂るといい、みたいな経験が蓄積されてくると対象の食材を美味に感じるようになる。こどもの頃は好きではなかった野菜なんかを大人になったら好きになるのはこのケースが多い。(総てでは無い)

③は更に個人的なものだ。例えば仲のいい人達と楽しく食卓を囲んだときの記憶と結び付いた味。今度別の機会にその味を体験した時は非常に印象が良くなっている。いわばシグナリングとしての味覚だ。


例えばヒカルさん、昔から納豆が大好きだが、これは①も勿論あると思うが③の効果も大きいとみる。ヒカルさんが若い頃まるで料理が出来なかったのは御存知かと思うが、幼少の頃より様々な理由でお腹を空かせていた貴女が冷蔵庫を開けたときに取り出してすぐに食べられる納豆のパックはいつでも救世主だったことだろう。つまり、単なる味わいだけではなく、「お腹を空かせている時に満たしてくれた味」という記憶が、納豆の印象をポジティブなものにしているのではないだろうか。勿論、食べたら健康になるので次第に②の効果も表れてきただろうかな。


そんな前提で考える、冒頭のハンバーグ嫌いの話。マクドナルドのハンバーガーを食べていた以上①の意味で嫌いだと言っていた訳ではなさそうで。てことは、言ってる理由の方、「バラバラにした肉をまたくっつける」ということの方に力点が置かれていた可能性がある。

この発言は2004年の時点のものだが、当時だったか、この発言を受けて「両親のことかも」と言ってた人が居たな。なるほど、計6回離婚と結婚を繰り返した照實&圭子夫妻はバラバラになってはまたひっついてを繰り返していた、とも言えるわね。有り得るわ。

私はもうひとつあったのかなと。当時はまだ1回目の結婚生活の最中だったが、もしかしたら「一度バラバラになった絆はもう元のようにはくっつかないよ」というメッセージだったのかなと。もう20年近く前の話題なので今更蒸し返す話でもないのだけど、いや逆に時効ということで今取り上げても構わないんじゃないかなと思って語ってみました。雨が肌寒い朝だわね。

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大阪での視聴会もぼちぼち行ってる人を見掛けるな。ちらっとTwitterで検索しただけだけども。

立体音響のよさはやっぱり13個のスピーカーがあった方がというのは勿論なのだけど、一方でその場で─ソニーストアだからね─イヤホン/ヘッドホンによる360Rサウンドと比較する人もまたちらほら。私もすぐに聴き較べてみたけどまぁその話はもう書いたので省くとして。


それでふと思い出したのが「指向性スピーカー」の存在。特定の方向の人にのみ音が聞こえるという仕組みなんだけど、最近あんまり話題になってないような? 今ちとググってみたんだけど約1年前の「アップルが指向性ウェアラブルデバイス特許申請」のニュースくらいしかめぼしい話題がないわねぇ…いや、これ自体はかなり興味深い記事なんだけども。

常々、「スマホを取り出した時に、パッと目をやるだけで楽しめる動画コンテンツに較べて、自分の部屋とかでない限りイヤホンとかを着ける手間が必要になる音声コンテンツは不利だ」とここでも何度か書いてきたけど、指向性スピーカーが超進化して「スマホを持ってるその人にしか音が聞こえない仕組み」が開発されたらその不利が一挙に無くなるなぁ、とぼやーっと考えてしまったのでありました。実現したらシリアスなゲームチェンジャーになりそう。

今んとこそんなガジェットはなさそうだけど、もし発明されたら是非ヒカルさんにCMして貰いたいな。『Ah 不思議ね~着けていないのに聞こえる~♪』っていう『Celebrate』の替え歌でも歌いながら… … …いや勿論冗談ですよっ、もしそんときになったらちゃんとその時の新曲でCM受けて下さいな(笑)。

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