「雨」をモチーフにしたヒカルの歌の中で両極端に位置するのが『time will tell』と『真夏の通り雨』だろう。
まず『time will tell』では
『雨だって雲の上へ飛び出せば Always blue sky』
と歌われている。ここでの『雨』は、辛いことや苦しいこと、悲しいことの比喩だろう。生きてくなかでなにか辛いことがあったとしても、それを大きく飛び越えれば青空─この場合は「晴れやかな気分」の比喩といったところか─に辿り着けると。或いは「発想の飛躍」の大切さを訴えているのかもしれない。雨が降ってる只中に居ると雨しか見えないけど、そうじゃない場所に飛び出せれば変われるよと。
他方、『真夏の通り雨』では
『降り止まぬ真夏の通り雨』
と歌われている。通り雨が降り止まないとはどういうことだ、すぐに晴れ渡ることが約束されているのが通り雨じゃないのかというのが初手の反応なのだが、ヒカルはこれを「通り雨の只中で死んだなら」という意図だったと語った。すぐ去る筈の苦難も、その只中で死んだならその人には永遠に青空は訪れない、と。あらゆる事の中で最もネガティブなifかもしれない。…生きて永遠に雨が止まないのとどっちがネガティブなのかは難しいところだが…。
以上2曲はポジティブとネガティブの対極である。人生に困難はあってもそれを上回れれば晴れ渡ると歌う『time will tell』に漲る自信。ある意味脳天気であるとすら言える(お天気の話だけに)。一方で、そうはならんやろとつい思ってしまう『真夏の通り雨』の度を越したネガティブさ。しかし有り得ない事ではないわよね。ある意味こちらも「発想の飛躍」ではあるかもしれない。最悪の事態に対しての、だが。
そしてこの2曲はそれぞれ、『time will tell』は『Automatic』と共に宇多田ヒカルのデビュー曲であり、『真夏の通り雨』は『花束を君に』と共に人間活動からの復帰曲であった。第2期宇多田ヒカル始動曲という立ち位置だった。
『Automatic』には
『君に会えない my rainy days』
『ひとりじゃ泣けない rainy days』
というこちらも雨を喩えた歌詞が出てくるし、『花束を君に』にも
『世界中が雨の日も君の笑顔が僕の太陽だったよ』
と雨に関する歌詞が出てくる。デビュー曲2曲と復帰曲2曲、いずれにも雨をモチーフとした歌詞が出てくるのは特筆に値する。そして、特に『真夏の通り雨』はこの曲だけだと余りにも救いがなさ過ぎるので『花束を君に』が力強く支えてくれている。とても心強い。
そんな『花束を君に』だがこの度ストリーミング再生でゴールド認定された。5000万回再生である。非常にめでたい。
https://www.riaj.or.jp/f/data/cert/st.html
2017年12月8日からということで5年半てとこか。宇多田ヒカルを代表する名曲のひとつとして時代とは関係なく聴き続けられているということなら喜ばしい。…まぁ隣にたった1ヶ月でゴールド認定されたYOASOBIの「アイドル」とかあるんだけどね。時代のパワーも凄いわね。
そんななので、確かに梅雨の季節の雨降りは鬱陶しいかもしれないが、こうやってヒカルの雨モチーフの楽曲を聴くにはちょうどいい季節なのだとも言える。1曲だけだと偏ることもあるから、このように2曲くらいセットで味わうのが興趣としては小粋となるだろう。この日記がその一助となれるなら幸いである。
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