無意識日記
宇多田光 word:i_
 



これまた予想の斜め上を行くニュースが来たな。残念ながらアスキャップリークで予定より早めに告知をする羽目になってしまった為に音源解禁とはいかなかった、と読めるがしかし新曲をCDシングルで売ってくるとは読めなかった。本来、「『誓い』はキングダムハーツ3のテーマソングとは言ったけどオープニングともエンディングとも言ってなかったもんねー。」と得意気に『Face My Fears』の告知をしたかったのだろうがそれは叶わなかったしかし十二分にサプライズですよ新曲をCDシングルで発売するっていうのは。策は練っておくものである。

発売日は1月18日金曜日。何故もう1日待たなかったのかと皆思う所だが、恐らく『Face My Fears』が世界同時発売なのではないか。今は世界的に新譜の発売曜日は金曜で統一されている。流石に他国ではCDでの発売は厳しいかもしれないが配信では遠慮無く猛威を振るうだろう。リミックスですら全米2位を獲るタイトルなんですよキングダムハーツの主題歌というポジションは。

で。CDでのリリースなんだから日本ではフライングゲット日の1月17日の木曜日に世界最速で手に入りそうなもんだが、レコード会社は店頭陳列日指定というものが出来る。多分、フラゲ日には店頭に並ばないだろう。早とちリミックスしないようにね。

今回いちばん注目すべきなのは、このCDシングルが「オープニングテーマ『Face My Fears』とエンディングテーマ『誓い』それぞれの楽曲の日本語版、英語版を収録」している点だ。つまり、『『Don't Think Twice』と『誓い』と『Face My Fears』とあともう1曲の計4曲が入っていると。何これヒカルにとって10年ぶりなだけでなくCDシングルとしては過去最高に密度の濃い内容なんじゃないの。こんなところにまたピークをもってくるとはね。多分、普通でいうフルアルバム並みの満足感が得られるリリースとなるだろう。ツアーが終わった後にこの勢い。2019年の宇多田ヒカルも止まりそうにないなこりゃ。

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日本時間深夜に折り紙のツイート。普段は一言何かあればそこから掘り下げまくる私もこればっかりは広がらない。なんともどうにも反応のしようがない。日本の折り紙文化は世界的にみても云々なんていう話はググれば幾らでも出てくるからねぇ。

納得のいきそうな動機は「息子に頼まれた」というので、なるほどそれなら日中(推測ロンドン時間=世界標準時)紙を折って悪戦苦闘しているのも然もありなん。しかしロンドンでそんな日本的な所業が繰り広げられているのだろうか。日本だとすると深夜1時のハァトステイション、親子揃って夜更かしして何しとんねんというタイミングだし。

もうライブまであと1ヶ月余りで、そろそろリハーサルも本格的になってくる頃だと思うのだが場所はどこでやるのやら。メンバーの都合、集まりやすさなどから日本在住の人員なら日本でリハーサルするだろう。或いはイギリス人主体のバンドならロンドンとか郊外とかでみっちりリハーサルしてから日本に乗り込んでくる、という流れも有り得る。結局、メンバー次第だ。多忙なミュージシャンをツアー時期だけ拘束する、となると顔合わせはズレ込むかもしれないし、そこはまだまだわからない。

基本的にヒカルはバンドメンバーにそこまで頓着しない。というか、拘れるようなスケジュールで来ていない、かな。固定メンツを抱えられるほど頻繁にツアーをするわけではないのでその都度都合のついた人達で挑む。故に今回のメンツも過去のメンバーから推測するのは無理がある。ただ、ロンドン近郊の誰かに声を掛けるという選択肢が増えたのは間違いない、が。

本当に相性とはわからないもので、ウタユナのように纏まるのに2ヶ月かかることもあればらワイルドライフのように2日で纏まることもある。メンバー同士の折り合いをどうつけていくか。バンドのリーダー・興行の座長を務めるヒカルも頭の痛い問題に違いない。折り紙を折りながら悪戦苦闘して、ミュージシャン同士の折り合いと同じように難しいなと感じていたのかもしれないな。

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という訳で庄司紗矢香の新譜を聴いてみたのだがいや凄いわこれ。ベートーベンのピアノ協奏曲は第1楽章の構成がカデンツァ(ソロタイム)頼みな感が無きにしも非ずなのだがいやもう庄司姐さん「俺に任せとけ」と言わんばかりの頼もしさで。曲をぐいぐい引っ張ってゆく。思わず引き込まれてしまいましたよ。

聴いていてその高過ぎる技術力に裏打ちされた表現力とそれを的確に捉えた録音のよさに吃驚。1年前の音源らしいが、今のクラシックの録音技術ってこんなんなのね。ストリーミングで聴いていてもハイレゾ音源よりもクリアでダイナミックだった。そう、そのダイナミックレンジが驚異的に広いのな…。

それだけのサウンドプロダクションを要求するに足る、というかそれだけの録音だからこそ本領を発揮できる庄司紗矢香の繊細な技術。凄いね。こんな精度で2時間打っ続けで生演奏してたらヘトヘトになるんじゃないの。細かいところまで行き届く集中力と勢いを失わない大胆さの同居。如何にも女性らしくたおやかに弦を響かせる場面と、とても女性とは思えないオーケストラを引っ張ってゆく英雄的な統率力。なんだか女らしいとか男らしいとかいうカテゴライズが無意味に思えてくる。そう、ここまで高いレベルになると性別なんて関係ないのである。場面々々で必要な技術を的確に披露できる。こりゃきっと毎回コンサートチケットは売り切れなんだろうな…。

しかし。繊細な表現力に於いては宇多田ヒカルだって負けてはいないぞ。そう思って『初恋』アルバムを聴き直してみたのだが、嗚呼まず録音で負けてるんだな…。ホールで一発録音するクラシックのレコードと、スタジオで録音したものをミックスしまくるポップスのレコードを比較すること自体がナンセンスなんだが、いやしかし更にもっといい録音でヒカルの声が聴きたくなったわこれ。

無謀だとはわかっているが、ヒカルが表現者として“張り合う”べきなのはこういった同世代のハイレベルな弦楽器奏者たちなのではないだろうか。なんというか、歌手で参考になるのは伝説クラスばかりで死人多数。生きていても友だちじゃない大御所ばかり。しかし、例えばこの庄司紗矢香なら誕生日はリアル数日違いで歳もすぐそこ、同じ日本語を話す者同士だ。「ライバル意識」を育むにはこういった相手がいい。ヴァイオリンでこう弾いているところを参考にして歌ってみよう、とかそういう問題意識でアプローチすればかなり独創的な成果があげられそうでな。どう弾いているのか直接すぐ聴けるだろうし。嗚呼、前回は棄却したが、やっぱり2人の2人きりでの演奏&歌唱を観たく&聴きたくなってきたぞ。今回のリツイートが結実する日を心待ちにしていきたいと思うのだぜよ。

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ほうほう、朝からリツイートがあったのか。昨日リリースになったばかりの庄司紗矢香のニューアルバムのご案内。ふむふむ、リンク先はApple Musicで…と言ってたらもう今既にそのアルバムを聴いているというね。iTunes Music Storeが上陸してもう13年だが、未だにこのスピード感には戦いてしまう。根っからのCD世代だからね。

ヒカルと庄司さんが知り合ったのは2000年の春だからもう18年になるのか。ヒカルにとって初めてのクラシックのコンサートということで、当時のメッセでは初心者らしい事を書いている。楽章が終わった時と楽曲が終わった時で聴衆の反応が異なるだなんて慣れてないとわかんないもんねぇ。「次行った時はちゃんと楽章間で咳払いできたのだろうか」と感想を思っていたのが懐かしい。

その後も2人の交流は続いていて、2013年の『KUMA POWER HOUR』ではもうすっかり仲良しさんになってる風の口ぶりで彼女の曲を紹介していた。女性の「声」に焦点を当てた回(Coccoの「遺書。」を口遊んだ回ね)に唯一器楽奏者の演奏が取り上げられた。余程気に入ってるんだねぇ。なので今回のリツイート自体は自然なのだが、寧ろ「今までしてなかったのに?」という方が気になってしまう。

この時期のリツイートは慎重にしないと、すぐ「おやまぁライブのゲストでいらっしゃるのかな」とすぐに勘繰られてしまうのですよ。日程を調べてみると庄司さん、裸婦抱くと同じ時期に全国ツアー中なのでそのセンはなさそうだ…けどツアー中だからこそ合間に駆け付けるなんてことも出来るのか!? 難波弘之なんぞ山下達郎の公演と公演の間にZABADAK弾きに来てたもんなぁ…いやあんな異常な人と較べるのは滑稽か。いやいや庄司さんが異常な人なら有り得るだろう…?

2人の共演が、例えば2人っきりで実現したら素敵だろうねぇ。かつてヒカルは『Be My Last』でチェロ奏者と対決したことがあったが、ヴァイオリン相手だとどうなるかな。朝から彼女の芳潤な音色に耳を傾けながらそんなことを思ったのでした。

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取り上げるべきか迷ったが、よう考えたらここの読者よりツイッターのフォロワーの方が多かったわ。土曜日に自分で呟いたネタを自粛する意味などなかった。

しかしここに用が無いのに私をフォローして何が面白いのやら。それはさておき。

そう、日本以上に海外で(それも英語圏に留まらないのだから凄いもんだわ)取り上げられている「キングダムハーツ3のオープニングテーマ曲」の話さね。最近はドメインや商標を登録することで情報がバレてしまう事も多いが、今回はASCAPへの登録でバレてしまった。全く油断も隙も無いものだな。

ASCAP。アスキャップとは「米国作曲家作詞家出版者協会(American Society of Composers, Authors, and Publishers)」の事で、詳しくは英語版のウィキペディアでも読んで貰うとして、凄く大雑把に言えば著作権管理団体、日本でいうJASRACみたいなもんだ。早い話が音源やその情報を公開する前に楽曲の著作権登録をしたのを赤の他人に検索されてしまったと。まぁ仕方ないっちゃ仕方ない。皆閲覧できるようになってるしな。

「Face My Fears」。“キングダムハーツ3のオープニングテーマ”として著作権登録されている楽曲のタイトルである。参加音楽家はHikaru Utada, Skrillex, Poo Bearの3人。Skrillexといえば昔からヒカルのファンだと公言して憚らないミュージシャン、Poo Bearといえば、よく知らなかったが、ジャスティン・ビーバーと“What Do You Mean ?“などの大ヒット曲を手掛けた音楽家らしい。超弩メジャーやないかおっさん。結構、いやかなり豪華なメンバーだ。海外のキングダムハーツファンが色めき立つのも無理は無い。

さてこれをどう解釈したものか。アスキャップが情報源となると間違った情報である可能性は限りなく低い。皆すぐ真偽を確認できるからね。かといってこんな大きなコンテンツがそんな情報漏洩ミスを犯すだろうかという疑問もある。まさかわざとリークしてアドバルーンをはかったか。真実はわからないが、話題になって成功したのは間違いない。

ただ、このエピソードがヒカルの望む形だったのかは気にかかる。性質上リークに関してコメントすることはないだろうが、マスターテープの流出よりは痛手は低いか。願わくばヒカルの仕掛けた罠であって欲しいのだが。

そして、英語版のオープニングテーマがあるなら日本語版のオープニングテーマもあるはずで、それは新曲なのか既存曲なのか。つまりまだ『Face My Fears』が既に発表されている楽曲の日本語バージョンである可能性も論理的には残されている訳だ。でもやっぱり新曲であってくれた方が嬉しいわな。そこはまだまだ予断は許されないが、引き続きこの話題には注意していくこととしよう。

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「Instagramで自画撮り」からの「ツアーロゴ&キービジュアル発表」の流れって計算してたのかな?と二つの画像を見較べながら思う。自画撮りはTシャツを見せたいんだか前髪を見せたいんだか微妙なアングルで、妙な写真を撮ったもんだなぁと感じていたがキービジュアルがシルエットということで敢えて近影を先に投稿して対比を味わって貰おうって腹か。いや考え過ぎか。前回の自撮りも同じ9月24日ということらしく、これも偶然とは…いやこっちは偶然かな(笑)。

『Laughter in the Dark』のキービジュアルであるとはいえ、アンヴェイルしないのなら別に元の写真が笑顔である必要はない。我々が闇の中に笑顔を見出せばよい。どうせきっとナボコフの同名小説なんて関係ないのだから(と言いつつ本は買ってしまったのだけれど)目に見えているものだけで判断してしまって構わない。

ただ、流れからいうとこのキービジュアルに基づくテーマソングは『夕凪』になる訳で、同曲の歌詞とイマジネーションを共有するのは有意義かもしれない。とするとシルエットに幾らか掛かっているホワイトの部分は『鏡のような海に小舟が残』した『傷』のように思えてくる。ならば『The Dark』は『海』、『小さくなったあなたの体』を最終的に飲み込んだ『海』を指すのだろうか。このキービジュアル全体が『鏡』に写ったものなのかもしれないし。ならばその『海』の中での『Laughter』とは一体…?


…という風に勝手なイマジネーションが走っていってしまう。画像ひとつでこれなのだ。コンセプトの明示はコンサートを待ち望む身にとって本当に大きい。ある意味、本番当日に向かって我々の中でコンサートはもう始まり始めているのである。

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早くもInstagramが本人認証されたようで、めでたしめでたし。あっさり過ぎて呆気ないけど。引っ張って誰かが得するネタでもなかったしこれでいいか。


一方、やっと(ほんまな)ツアーロゴ&キービジュアルが発表された。CD封入先行受付から2ヶ月が経過している。本来ならその時点でどどーんと発表しておきたかったヤツである。とまれ、過ぎたことをグダグダ言っても仕方ない。いや仕方なくたって言いたくなったらグダグダ言うけどね。

キービジュアルとツアーロゴはこれでセットのアートワークなのだろうか。このままフラッグやタオルになりそうだね。単色だからコスト面も安心。

『Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018』。なるほど、こう来たか。「暗闇から響いてくる笑い声」や「暗闇に浮かび上がる笑い顔」ばかり想像していたので、そうか、「笑顔が暗闇に隠れてまるで見えない」方は想定してなかったな。完全に裏をかかれた。ヒカルこういうの好きねぇ。

今後、この闇に隠された笑顔の正体にお目にかかれる日が来るのか来ないのか。このまま永遠に闇の謎のままなのか。なんだかぱっと見既存の写真を黒く塗り潰してあるだけにも思えてくるんだがそれでは余りにもつまらないので新着写真が闇のベールに包まれていることにしよう。そうしよう。

「黒く塗り潰して」というのであれば『甘いワナ ~ Paint it, Black』の出番だろうか。ローリング・ストーンズのその名も邦題「黒く塗れ」のワンフレーズをフィーチャーした1stアルバムの名曲である。長らくツアーでは披露されていなかったが、今回は『Fantome』と『初恋』からの楽曲が相当数演奏されると予想できるので、かなり大所帯なホーンセクション・ブラスセクションを連れてくるだろう、となればそのまま勢いで昔のヒカルには余りないバリバリラッパが鳴り響くスタイルの『甘いワナ ~ Paint it, Black』が演奏される可能性は高い。大いに期待していいだろう。ついでに『First Love』は『featuring David Sanborn』のバージョンでやってくれれば万々歳。サックスソロが聴けるヤツね。勿論、『初恋』と続けて聴かせてくれると信じている。…あ、ちょっと想像しただけで何か正気を保てない予感がしてくるな…危ない危ない。注意しないと。

かなり脱線した。まだロゴが発表されただけなのに。フォントも含めて最初に一瞥した時に頭に浮かんだのは「エミリー・ザ・ストレンジ」だった。そんなに似たフォントでもないのにね。ヒカルの直筆だろうかな。どうだろう。黒を基調としているなら確かにエミリーっぽいが、まだまだ色々と気が早い。ツアーグッズはこのイメージに沿ったものが繰り広げられるのだろうか。楽しみが増していく。いやはや、ロゴとキービジュアルがあるだけでこうも気分が違ってくるかね。やっぱりメインコンセプトは重要なのだ。漸くこのツアーの話を始められる気がする。

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今度はInstagramの承認の話で呟き。kuma_powerだなんてIDじゃそりゃ手ぇ出してこないだろという感じだが、2012年の時点でUtadaだのなんだのというアカウント名は軒並み押さえられていたので仕方ないっちゃ仕方ない。

もともとツイッターは画像や動画の投稿に弱く、それもあってかヒカルは画像投稿にtwitpicを使っていたのだが同サービスが閉鎖になるとかでInstagramを使い始めた。つまり、結局今も同じスタイルなんだが、Instagramに投稿した画像を使ってツイッターで画像ツイートを呟くという寸法だった。

それがいつのまにかInstagramの方がSNS化して今日に至る。ヒカルはInstagramに投稿した画像は総てすかさずツイッターでも投稿する(連携あるの?)ので、本人認証はツイッターの方にあればそれでよかったのだ。今でもそう。

なので、今Instagramの本人認証が為されれば今後は「ツイートしないInstagram投稿」も可能になる。今でも出来ない訳じゃないけどやりやすくなる。すると俄に「メインのSNSをツイッターからInstagramに移行する気か?」と訝りたくなるところだが、文字好き・言葉好きのヒカルがテキストがメインでない空間をメインにするとは考えづらい。せいぜいこれからライブツアーが始まるにあたって写真や動画を気軽に投稿出来るようにするため、という程度の“探り”だろう。てことは、着々と準備は進んでいる、んだろうな。『Laughter in the Dark』スタートまであと6週間。

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自撮りの衝撃余波がまだ続いてる? おまぃら35歳バツイチ子持ちを捕まえて「かわいい」しか言うとらへんやないか。もうちょっとこう、言われる方の身になってやな、言い方ってもんがやな、妙齢の女性に相応しい言葉の選び方をやな…(写真を見直す)…かわいい。(失語症)

で、ヒカルは『おニューのTシャツ自慢♡ 』と言っているだけなのでこのInstagramの写真全体がTシャツの柄である可能性がまだ残っている。「アリーヤのTシャツを着る宇多田ヒカルがプリントされた柄のTシャツ」という『Laughter in the Dark』のツアーグッズの紹介というオチがだな…

…『パクチーのうた』が仮タイトルでなかったことで疑心暗鬼になっているのだろうか…。それに、そんなTシャツあっても着る勇気無いわ。買うけど。

なんかもう、チケット販売の公式ページの記述が不徹底だとかそんな話を改めてしようかななんて考えてたのにどうでもよくなってしまった。ライブに参加すればこの顔面が拝めるのだ。何の文句があるのだろうか…

…いやいやいやいや。大事なのはこれからチケットを取ろうとしている人達の方の話だ。呆けていてはいけない。

土曜日にツイートしたが、FAQでは「申込者と同伴者別々に御入場いただけます」と書いてあるのに、マッチングのページでは「申込者と同伴者はご一緒に御入場していただきます」と書いてある。かなり矛盾しているように読める。これでは申込者が混乱するだろう。

何がマズいって、マッチングで隣の席に来る人と一緒に入場“しなければならない”とすると、お互いの個人情報を交換する必要が出て来る。寧ろ、仮にマッチングしていない普通のペアチケットに同時入場を強制していたとしてもマッチングしたペアの方は無理にでも別々に入場できるようにしておかなければならない位なのではないだろうか。マッチングをしたペアチケット同士でシャッフルするとか、何らかの対処が必要だ。

何より、最初の応募の時点でマッチングに於ける個人情報の遣り取りの有無或いは詳細を明らかにしていなかったせいで(今もされてないようにみえるが、記述が細かいので見落としているだけかもしれん)ペアチケットを諦めた人があるかもしれない。託児所の詳細もそうだが、抽選でしか買えないようなチケットを買わせるつもりなら極力事前に様々な“条件”の数々を審らかにしておくべきだったろう。

今から言ってても仕方がない、のだが、こういうのは愚痴の受け皿ってヤツが必要なものである。もうどうしようもないかもしれないが、不手際と不用意の指摘はこうやってしておきたい。言葉にしておくだけで随分と気分が違うものだから。なので、また何か気が付いたらグダグダと愚痴らせてうただきます。

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あらいやだ朝から駄洒落ですか無意識日記さん。

いやいや。


朝からInstagramで破壊工作(主にフォロワーのハートをデストロイするミッション)を行ってくるとは一体何から目を離させたいんだかヒカルさんは。

Tシャツに書いてある「AALIAH」とは和表記で「アリーヤ」、2001年に飛行機事故で夭逝したアメリカのR&Bシンガーの名前である。ヒカルが如何にこのシンガーから影響を受けたかはCubic Uを聴けば如実にわかるだろう。真似してるわけじゃないけどね。なおその下にある「One In A Million」は彼女のセカンドアルバムのタイトル名及び同作収録曲名である。Utadaの『Come Back To Me』の歌詞の一節でもあるが、日本語でいえば「万に一つ」という意味の定型句だ。

そのアリーヤとヒカルは生前、ラジオ番組『トレビアン・ボヘミアン』で共演している。そのことも指してヒカルは「出会えて光栄だった」と書いているのだろう。なお2000年6月第1週放送分第36回のエピソードである。

http://hikkimania.com/?p=315

今このTシャツを着たことでヒカルが『Laughter in the Dark 2018』でアリーヤのカバー曲を歌うと解釈するべきか歌わないと解釈するべきかは微妙なところだが、ひとまずは彼女の名前を頭の片隅に置いてライブに向かうのが得策ではなかろうか。なんでも深読みされたら疲れてしまうが、あんなキュート(な35歳の)自撮りを見せられたら印象に残すしかないのであった。

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セットリストも重要だが、それより更に気になるのは“雰囲気”である。空気とかノリとか言い方は色々あるだろうけれど、それがいちばん重要だと言っても過言ではないのではないか。

ただ雰囲気と言っても掴み所が無いか。では例えば。『真夏の通り雨』のような母への思いがあからさまに出た歌はどう歌うのか。MCを先に入れるのか後に入れるのかそれともただ黙って歌い出して歌い終えて次の曲に行くのか。雰囲気とは演出のベースである。逆から言えば、演出の方針を決めるのが雰囲気だ。ヒカルはこれをどうしたいのか。

歌は歌なので「気にしない」というのもアリだ。一度離婚したあと果たして『光』は歌ってくれるのかとやきもきしたもんだが、『In The Flesh 2010』では『Simple And Clean』を、『WILD LIFE』では『光』を、それぞれ特に何も触れることなくしれっと歌ってくれた。歌詞は歌詞なので元々のモチーフとか心境のシンクロとかそんなに関係ないのよと言われてるみたいに。

しかし一方で『嵐の女神』を歌わなかったのは何故なのか。ただ選曲から外れたのみならず『WILD LIFE』のアウトロで流したお陰で「歌わなかった曲」として記憶に残った。その意図は何だったのか。

今『嵐の女神』と『真夏の通り雨』を連荘で歌って感極まることはないのか。ただの歌として普通に歌えるのか。そういった検証からコンサートの“雰囲気”は決まってくる。どの歌なら歌えて、歌えるとしたらどんな配置・どんな曲順なのか。演出の方針が決まるのだ。

本来なら、その雰囲気を決めるのがツアータイトルだ。ただの名前に過ぎない、と言ってしまえばそれまでだ。『ヒカルの5』にそんな深い意味があったとは思えない。だから『Lsughter in the Dark』もアテにはしていないのだが、だが仮にその名前を利用しようとすれば演出の方針が決められるのも確かなのだ。それが明示的意識的に為されるなら演出方針はコンセプトと呼ばれ始める。

ヒカルはあまりコンセプチュアルな世界観に傾倒しない。統一的であるよりは雑駁で出たとこ勝負なのがお好みだ。唯一、『くまちゃん』だけはその一貫性に基づいて世界観を構築するのをよしとする。その観点に立つと、ツアーグッズはまたもくまちゃんグッズが並ぶ結果となるだろう。コンセプトと、その表現であるアイコンやキャラクターとして何か別のものがあるとは思えない。例えば『Laughter in the Dark』に引っ掛けて黒バックのニコちゃんマークをツアーシンボルに掲げたらそれだけで“雰囲気”が決まってしまう訳だ。本当に注意が必要である。中途半端なことをする位ならくまちゃんに頼り切る方がずっといいだろう。

そのツアータイトルが決まるまで随分掛かった事を思い出せば…いや余計な事を言うのはやめとこ。要はいいコンサートになればいいのである。ちょっと開き直っていこうではないか。

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セットリストを考える時に、きっとUtadaの曲は最初から除外されるんだろうなと思うと厳しい。『Utada United 2006』ん時の反応の薄さを思い出すとリクエストすることすら憚られる。そこまで浸透していなかったのかと吃驚した。ファンの方がアーティストに対して申し訳ないと言いたくなるのだから相当だった。

『エキソドス』はここ日本でもかなり売れた。実売で100万枚を超えて年間チャートで第6位だった。なお第1位は『Utada Hikaru Single Collection Vol.1』だ。年間6位収録の曲を披露してあの反応の無さって他のアーティストじゃ有り得ないんじゃなかろうか。

『Laughter in the Dark 2018』は今のところチケットが運で行き渡っているので聴衆層はライトファンが多いだろう。ネームバリューからすると、アルバムを聴いてなくてもやってこようとする人もかなり居る。ならばメディアに露出していない曲への反応はウタユナのUtadaパートみたいな事態になる可能性を考慮しておくべきだ。特に昔のアルバム曲は知られていない。『初恋』や『Fantome』からファンになった人がどれだけ過去作を聴いてくれているかというと、流石に5枚以上のフルアルバムというのはボリュームがあり過ぎる。

過去作に関しては昨秋からストリーミングが始まったことによりそれによる効果も期待したいところだが、まだ時間的に足りていないだろう。それに、日々新曲が無尽蔵に供給される中過去のアルバム曲までチェックしようと思う人がどれだけ居るか。

それを考えると、今後はストリーミングによる「予習期間」みたいなものを考慮に入れてツアーチケットの販売時期を早めに設定するのもアリかもしれない。そんな弱い理由で動く話ではないけれど、人の音楽消費ペースの動向に気を配る事自体は大切だ。


そもそも反応の薄い曲をやっても構わないじゃない、というのは根底にあるんだけど、それを言ってたらなきっとセットリストは永遠に決まらないだろうな。全曲リハーサル済みのバンドを従えて毎日アドリブで選曲するツアーでもやるんなら別ですが。嗚呼、そんなものは夢のまた夢…。

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ツアーで気になることといえばセットリストた。一体どういう選曲になるのやら。

難しいのは『Fantome』からの楽曲の扱いだろう。まだ同アルバムをリリースしてから一度もライブを、やっていない。しかしながら最新作というわけでもない微妙な立ち位置。ファンの気持ちもどこらへんにあるのかよくわからない。

20周年というお題目があるのにツアーでの積み重ねが希薄だからその厚みは聴衆の思い出頼りになる。要は、例えばもっとツアーの多いアーティストなら『Automatic』は“お馴染みの”楽曲になっているだろう、ライブで聴き慣れた曲という意味で。しかし実際は今回のライブ、『Automatic』を生で観るのは生まれて初めて、という層が大半を占めるのではないか。一方で、ただ接するだけならそれはもう何百何千回と耳にしている楽曲でもある。つまり、ライブの盛り上がり方は、ライブでの慣れより個々の思い入れと思い出に依るところが大きくなるだろう。

考え方によっては、20周年を迎えようとしても未だにリアクションがフレッシュでヒカルとしては毎回新鮮な気持ちで舞台に上がれるかもしれず、それは同じベテラン勢と比較しても幸せなことなのかもしれない、ともいえる。そこはわからない。

そんな感じなので他のアーティストに較べて昔の曲と今の曲の間の垣根が低いというか。最早『Fantome』からの楽曲も『初恋』からの楽曲も、『Distance』からの楽曲や『DEEP RIVER』からの楽曲と同様にフラットに選曲していいのかもしれない。

つまり、『Laughter In The Dark 2018』は、『初恋』のリリースに伴うツアーというよりは、相変わらず『Utada United 2006』と同じように「今までの集大成」というコンセプトのツアーと見做されて選曲してくるのではないか。通常の“常識”である「新譜発売直後のツアーは新譜からの選曲を中心に」というのは、常に新譜を出す度にコンスタントにツアー出来ているミュージシャンとそのファンに当て嵌まることなのであって、宇多田ヒカルはそれにはあたらないのだ。ただひたすらベスト選曲をするだけのライブを披露してくるのではないか。そう読んでいる。

でもだからって諦めきれない楽曲が『Fantome』と『初恋』には多過ぎる。これから何十年もかけて「ライブで歌ったことのない歌はない」と言い切れるほどにツアーが積み上げられていけばよいのだが、それこそ夢物語なのだろうかな。でもそんな先のことよりまずは今年のツアーが成功しないとですね。

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昨日はサントリー枠の当選発表日であったか。折悪しくTwitterで皆さんの反応をチェックすることが出来ていないのでどんな空気になっているかはわからない。肌感覚の当選確率はどれくらいなんだろう。

サイトの説明文の平明さを見る限りサントリー枠でのトラブルは少なそうだ…と言えればいいのだが、同じ会場の同じ席を売買するのだから他の枠との調整は必須な訳でね。確りと管理されていることを願う。

思い出されるのは『Utada In The Flesh 2010』のロンドン公演で、詳細はわからないがダブルブッキング騒ぎがあった。要は会場のキャパ以上にチケットを売ってしまったわけだが、単純な紙チケットの場合でもアクシデントは起こるのだから複雑怪奇且つ前例の乏しい今回のシステムでは何が起こるやらわかったもんじゃない。いや、本来ならデジタル管理なら手売りよりずっと確実だろうと言いたいところなんだが、ヒューマンエラーに対する工学的なアプローチが十分であるようには見えない。

ともあれこれで心おきなく一般抽選販売の会場を吟味出来るようになる訳で、こうやってひとつひとつ片付いていってくれれば否が応でもツアーへの期待が高ま…ってるかなぁ?

月曜日のヒカルのテレビ出演で「この歌が生で聴けるのか…っ!?」とテンションが上がった人は多そうだ。こういうのの積み重ねでライブへの心構えが出来ていくのだが、そうおいそれとテレビ出演があるわけでもなく。あったとしても『Utada United 2006』の『This Is Love』のようにバンドのリハーサル不足が露呈して期待より不安を煽る結果になったりもする。これは杞憂ではなく、実際に自分が観たウタユナ3公演目は演奏が酷くて聴けたものではなかった。不安は的中したのだ。

もう初日公演へ向けては50日を切っている。くれぐれもトラブルが起きぬよう、祈る気持ちで一杯でございますよ。

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そしてキングダムハーツの方では最新のロングトレーラーが公開された。英語字幕版ではBGMが『Don't Think Twice』になっているが、今回新しく2コーラスめまでが聴けるようになっている。あクマでバックグラウンドなので鮮明に聴ける訳ではないが、前より長く聴ける為パートによっては初めて聴く事になった訳だ。

歌の前でキャラクターたちが喋っているのを聴いていて声優陣の超豪華さに戦く。知ってる人が次から次へと喋りやがる。どれだけキングダムハーツというコンテンツのステータスが高いかを思い知らされる。その中でもヒカルはスペシャルゲスト扱いなのだ。更に別格。ふむ恐ろしい。

そしてその扱いを是とするだけの楽曲と歌唱。『Don't Think Twice』を改めて耳にしてそのサウンドの気品みたいなものを今噛み締めている。『誓い』では、親しみやすい言葉を使ってストレートに言いたいことを言ってきたのに対して、『Don't Think Twice』では、言葉が平易なのは同様だが『誓い』のような迷いのない語調ではない。決め台詞が『I don't wanna know』なのだから当然ではあるが。

『誓い』では『ない』という歌詞を重ねる事でメロディーの強弱を印象づけた。よくいえば親切な、言い換えればくどい繰り返しだった。『Don't Think Twice』の方は、2番まで聴いてますますより繊細な表現力を要求するメロディーの解釈が際立っていると感じられた。要は『誓い』の方が(比較として)声が太く感じられ、『Don't Think Twice』の方は声が細く感じられたのだ。歌詞の選び方と歌い方の乗算である。もっとも、まだバックグラウンドでしか聴いていないので実際に音源を聴いたら異なる感想を持つかもしれないが。

この楽曲のリフレインのフックはやはり過去最高レベル。これだよこれと言わずにいられない。ただ、『誓い』を聴き馴染んでいることもあってか、前ほど英語歌詞の方があからさまにしっくり来ているとは感じなくなったな。なんだか別の曲に近い感触で接するようになってきたからかもしれない。まだまだリリースまでに捉え方は変わっていきそうだ。

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