無意識日記
宇多田光 word:i_
 



エントリの初出日時:2007-03-17 23:21:18

***** *****


懐かしい記事をひとつ、と思って「TIME」誌の記事を訳してみました。
当時何パターンか翻訳がウェブにも踊っていたので、自分で訳してても今更感が強かったですが(笑)、まぁ、翻訳の練習の一環ということで。こうしてみると、2004年以降に引用されるUtaDA紹介文の言い回しの基本パターンは、この2001年の記事の時点でほぼ取り揃えられてるんですね。それだけ影響力のある記事だったのかな。それとも、同じアーティストの紹介記事にそんなにパターンがあるわけでもないのかな。ちょっとよくわからなかったですが、翻訳BBSへの掲載は暫く様子を見てから考えますね。なんだか、この記事について、もうちょっといろいろ調べないといけないようですので。今回は無意識日記の読者に「あぁ懐かしい」と思ってもらう為(&そういや今日付けの更新がまだだった為(笑))掲載することにしました~。

http://www.time.com/time/musicgoesglobal/asia/mhikaro.html

*****


2001-12-17 - "キャンパスの歌姫" - TIME Magazine

新入生Utada Hikaruはまだ専攻も決めてないにも拘らず既にキャリアをスタートさせている。彼女は、日本で一番のポップスターなのだ。
By: クリストファー・ジョン・ファーリィ
TIME Magazine - 特別な音楽は地球サイズになる。2001年12月17日月曜日


Utada Hikaruには隠された生活がある。彼女は一見普通のアメリカの大学生だ。昨秋から昼間は授業に出席し、夜は友達と戯れている。多くの仲間のコロンビア学生同様彼女もまだ専攻を固定していない。しかしオリエンテーション週間の時、生徒達の間には彼女に関する噂があった。信じがたい話が。「大体の友達が本当の事を知ってるよ。」とHikaruはいう。「学校初日の前にもう-私とおんなじにコロンビアに行くっていうその友達と話してたことなんだけど-、彼が言うには『みんなキミがやってくることを知ってるよ』って。『どういうこと?』っていったら『いやね、アジアのキッズはそりゃもう知ってる訳なんだけど、アジア以外の学生達も自分の学校に日本のブリトニー・スピアーズがやってくるって噂を何かしら耳にしてるっことさ』だってよ(笑)。」

彼女は米国では無名と言っていい。しかし宇多田ヒカル18歳は日本最大のポップスターなのだ。日本のメディアは彼女への賛辞に喧すしい : 二ヶ国語を話すオールAの学生にして平成の世の歌姫! 日本の大衆は彼女の音楽を貪る : デビューCD「First Love」(1999)は950万枚以上を売り、日本の歴史上最高売上アルバムとなった。彼女の新しいCD「Distance」も瞬く間に売り切れていった。他の日本の歌姫達が甘えた声で使い捨てな歌を唄うのに満足している中、メタリカで眠りに就きパール・ジャムで目覚めて育ってきたと語るHikaruはロックのみならずR&Bやラップからの影響も覗く歌を唄っている。最近行なわれたMTVアンプラグドコンサートの最中、彼女はアイリッシュ・ロック・バンドU2の曲「With or Without You」をパフォームしてファンを驚かせた。 そういったカバーソングを時々やるのを除きHikaruはその軽快なメロディと強靱なグルーヴを結合したマテリアルの殆ど総てを自分で書いている。彼女の詞はその多くがよくある“青年期の不安について”なのだが、一方で一筋縄ではいかない表現力にも目を奪われる。 「First Love」で"最後のキスはタバコのフレイバーがした"と歌っているように。

マスコミはHikaruを(ブリトニー・)スピアーズと比較するが、両者は激しく違っている。まず、ファッションに対する意識の差。ブリトニーと違いHikaruは自分の服を着る。「私はそんなハデハデ爆烈衣裳とは無縁だな~(笑)」と彼女は控えめに語る。「私の目に入るのはいつもただ音楽だけ。」 日本では群衆に囲まれてしまう彼女だが、アメリカでは無名の気楽さを味わっている。 「有名になったことを楽しめた試しは一度もなかった」と彼女は言う。 「だから、NYでただぶらっと出掛けて雑貨屋に買物しに行けてるだけでもすんごい肩の荷が下りた気分。最高だわ。(笑) あぁ、やっと人間に戻れた、って感じたもの。大袈裟じゃなく。」

Hikaruはニューヨーク市生まれだが、一時期は東京でも過ごした。 「誰かに、実際の所それぞれどの位ずつ居たの?って訊かれたときも、いっつも"うぅん、わかんない"って答えるしかないんだよね」と彼女はいう。「だって私は両親に、赤ちゃんの頃から今に至るまで両方を行き来させられてきたんだから。」 父のTeruzane Utadaはプロデューサ/ミュージシャンだが、今では彼女のマネージメント会社も営んでいる。母の Keiko Fujiは1970年代人気を博したエンカ(日本のバラード)歌手で、「ささやかな平穏を見つける為」と芸能生活を終え米国へと移住、ファンを落胆させた。(今では彼女は微笑みを湛えながら「もう私は歌わない」と言うだけだ) Hikaruは、両親を追い掛けてスタジオに入り込みレコーディングをし始めた7歳の頃が彼女のスタートだったと語る。(「いや、もっと若かったな!」 彼女の父が傍らから声を上げた) 母のようにHikaruも若くして引退する事を考えていて―28歳位の若さで―、その後多分神経科学の分野を追求するんだとか。「自分が白衣を着て研究室に居るのを想像するんだ。夜遅くまで試験管を前にして働く姿をね」と彼女は言う。(ブリトニー・)スピアーズが自らの将来について同じようなヴィジョンを描くのを想像するのは難しい。

しかし今、Hikaruは大学から退く道を選び(すぐに戻る心積もりではいるようだが)、自らの音楽に焦点を絞りアメリカでのキャリアを築こうとしている。最近では映画「Rush Hour 2」のサウンドトラックに収録されている"Blow My Whistle/ブロウ・マイ・ウィッスル"という曲で歌を披露している。目下米国で最もホットなヒップホップ・プロダクション・ユニット(2人組)ザ・ネプチューンズがプロデュースしたこの曲にはギャングスタ・ラッパー・フォクシー・ブラウンによる見せ場がある。Hikaruによれば、このプロデューサ2人は最初彼女とブラウンが気性やバックグラウンドの違いで衝突してしまうのではと危惧していたんだとか。結局はうまくいったのだが、この、歌にブラウンを起用しようというアイディア自体はファレル(・ウィリアムズ、ネプチューンズの片翼である)からきたとHikaruは語る。「彼が言うにはフォクシーと私は超強力なコンビになれるだろう、と。君達2人は対照的なキャラ なんだから、ってね。クレイジーで露悪的に目の前に迫ってくるようなイル・ナ・ナ(フォクシーのニックネーム)と、もっと落ち着いててちょっと神秘的なアジアン・ガールの取り合わせがいいんだってさ。」

今の音楽業界はステレオタイプに支配されている : 白人はロック、黒人はラップとロートーンのソウルと決まっていて、敢えて人種間の境界線を跨ごうとする者は少ない。米国には目立ったアジアンポップスターが殆ど居ない。(その為、誰かがHikaruをミステリアスだと受けとめても不思議はない) Hikaruはその現状を覆そうと挑んでいる。"Blow My Whistle/ブロウ・マイ・ウィッスル"での彼女の歌声は日本語での歌よりよく響いていて、演奏も更に力強いビートを誇示している。彼女に不安など見当たらない。 : Mary J. Bligeの125thストリート(NYハーレムのメインストリートのこと)-タイプ・ソウルも持っている。最後にちょっとしたエピソードを。クレジットをみると彼女の名は"Hikaru Utada"と記されている-名字を後に書くという西洋の習慣に従って。Hikaruはこの事について次のように語る。「いや、ただ英語のペルソナと日本語のペルソナを分けた方がいいかな、って思っただけ。」 インタビュー後、彼女は追加のeメールを送ってくれた。それは次のような文章で始まっていた。「Hikaru Utadaです (あれ、Utada Hikaruかな、、、まぁ、どっちでもいいじゃん!(笑))」 彼女は今でも昔と変わらず新入生のようにフレッシュなまま。だからこそきっと遣り遂げてくれるだろうと思えた。

WITH REPORTING BY TOKO SEKIGUCHI/TOKYO


*****

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )