無意識日記
宇多田光 word:i_
 



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前回気づいていなかったのだが、そうか、ラジオで放送されるということは皆録音がしやすいのか。昨今のテレビは完全デジタル化されてしまっていて、キーワードや番組表でワンタッチで録画できてしまうかわりに録画したあとの応用が利かない。ラジオなら録音した音を如何様にも自由にできる。確かに、違う。

本当に不便になったものだ。昔のアナログテレビは録画がもっと気楽だった。便利とか不便とかは実は気の持ちようでしかない。実際にかかる手間や作業時間の差異なんて問題ではない。人に「あぁ便利だ」と思わせた時点で便利なのだ。

逆もまた然りで。例えば「ダビング10」なんかもそうだ。現実には10回もダビングが必要になる番組なんてそうそうない。でもユーザーに「あぁ、ダビング回数に上限があるのか、煩わしいな、気をつけないと」と思われた時点でもうその機能は不便なのである。心理が、真理だ。

そんな感じなので、たとえテレビを録画出来る人でも念の為ラジオを録音しておく事をお薦めする。何かと、便利だ。

勿論この便利の感覚はただ心理が生み出すものだ。「何かと」なんて言ってても、具体的なケースを想定している訳ではない。ただ、「ラジオの録音」というスキームの持つ自由さが、人に便利を感じさせるのである。

いや、パソコンでラジオを録音できる人は実際に便利なんだけどね。MP3ファイルを切り出して携帯プレイヤーに『花束を君に/紅白バージョン』を入れて聴く事もできるし....

あ、放送がNHK第一だからモノラル音声じゃないかもしかして。その点だけは、十分ご注意くださいましね。

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前も書いたが、NHKの紅白歌合戦はテレビのみならずラジオでも受信することができる。元々ラジオ番組なので不思議はないのだが知らない人も多いようなので今一度告知・周知しておこう。

大晦日といっても、休みをとる人が多いというだけで逆にここが書き入れ時とばかりに働く人も一定数居る訳で。そんな人にはラジオが重宝するだろう。オフィスや店内のBGMに、移動中のお供にと。

幸い、というべきかどうかはわかんないけど、今は多くの人がスマートフォンを持っているので、ラジオ受信機を持っていなくてもNHKラジオ専用アプリである「らじる★らじる」で紅白歌合戦を放送するNHK第一を聴くことができる。しっかりと準備をして23時台にヒカルが歌う『花束を君に』を迎える事に致しましょうぞ。

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あらら、レコード大賞まで出演するのね。歌う訳じゃないけども。あの番組最近見てないんだけど、コメント出演だけで大賞とった事ある人居るのかな。大昔にはMr.Childrenがやってたような気がするけど20年前以上前のさして興味のあるわけではない話題についてなので記憶は心許ない。

今のレコード大賞は12月30日の放送だが昔は12月31日の19時頃から21時迄で、80年代までの売れっ子は一旦レコード大賞で歌って、そのあと21時から始まる紅白歌合戦に駆けつける、というのがステイタスだった。風物詩だった。生放送歌番組のハシゴ。今思えば無茶な事やってたもんだ。

それも今は昔。紅白は懐メロ番組になりレコード大賞は茶番とすら思われていない。両番組とも、昔の威光の残滓で生きている。ゾンビみたいなものなのだが、実質的な影響力は勿論あって、なんだかんだで出演後はCDもダウンロードも売上が伸びるのだ。有り難いのよ、業界にとっては。今でもね。


僕らはそんなことは気にせず、ただまた新しくヒカルの元気な"今の姿"が見れる事を喜んでおけばいい。もう僕らは何年も、ヒカルの近影を拝めていなかったのだから。それを考えると今年は夢のようなのですのよさ。

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紅白歌合戦は、もし中継でなかったら何番目だったろうかな。NHKホールに居れば、トリだったかもしれない。流石に、英国からの中継をトリに持ってくるのは演出上難しかったろう。それでも最後から三番目というのは、最大限の意思表示と言いますか。SMAPが居ない今いちばんの目玉扱いという感じだろうな。今、でっかい目玉と思って"大目玉"って書こうとしたがこれじゃ怒られるヤツになるんだな。NHKでヨーグリーナという商品名を出した挙げ句苦手宣言してくれれば伝説に残るんだが流石にそれはちょっと、か。大目玉食らっちゃいますかね。商品自体は馬鹿売れする気がしますが。

昔、山口百恵は「プレイバックPart2」でどうしたんだっけ。結局「緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ」を「緑の中を走り抜けてく真っ赤なクルマ」にしたんだっけ。aikoのテトラポットはどうだったかな。公共放送は色々と大変ですね。

もしヒカルが2007年に『Kiss & Cry』で出演してたらどうしたのかなぁ。『今日は日清カップヌードル カップヌードルカップヌードル…♪』

…そういう妄想が冗談になるのも、紅白出演が決まってるおかげですね。悪くないぜ☆

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あ、そうそう。急に思い出したんだけど『Fantome』のプレイパスの期限っていつまでだっけ。年内とか今日とか明日までとかじゃあないっけ。利用し忘れてる方は要チェックでござる。


ほいで。そろそろ今年を振り返る日記を書く時期かなとは思うが毎度言ってるようにこの日記は毎日振り返っているようなものなので改めて、と言ってもそこまで力が入らない。

第一、今年なんて「おかえりなさい、ヒカルさん。」でファイナル・アンサーでしょう。新曲を出し、タイアップで毎日テレビで歌が流れ、CMに出演し、テレビで歌い、ラジオ番組で全国101局を乗っ取ってシェアラジオ&タイムフリーのスタートを飾り、ストリーミング・ライブを決行し、更に小田和正と共演して最後は紅白歌合戦のトリ前即ち今年の最後の一時間まで働いてくれるのだ。至れり尽くせりである。あとやってないのはラジオの公開収録とコンサート・ツアーだけではないか? テレビ生出演もこれから果たす訳だし。うーん、何という年だったのだろう。

もうあとは『Fantome』を気に入ったかどうか、この一点に尽きるんじゃあないだろうか。確かに、クセのあるアルバムである。これが万人とは言わないまでも何十万人に気に入られたというのは驚嘆に値する。あっさり50万枚を超えてくるなんて、正直『花束を君に』を最初に聴いた時点では全く予想していなかった。いやはや、やるもんだと。

弾けるような、とか煌びやかな、とかいったポップ・ミュージックに必須ともいえる形容が似合わないサウンドだ。シックで、落ち着いていて、本来華やかである筈のホーン・セクションの響きも、サウンドがスカスカ過ぎて間抜けに聞こえてすらいる。完全に、若さや元気さ、何よりカラフルさを伴っていた過去の作品とは一線を画している。本当にこれ皆に気に入られたのか。未だに疑問な私は疑心暗鬼が過ぎるのかな。

思うに、そういった個々人の好み云々を超えて、作品の質が高かったのだ。有り体に言ってしまえば力技で他を圧倒した、と。本物の音楽の力に、本格派の歌に飢えていた大衆のその渇望を癒やすだけの力が、方向性や作風といった細かい話を抜きにして『Fantome』には漲っていた、と。

『真夏の通り雨』に描かれていた程の切実な渇きではないけれど、我々もいつの間にか飢えていたのかな、ただ歌を聴いてそれだけで心を揺さぶられる事に。だとしたら、宇多田ヒカルの復帰は、我々にとってこの上無い極上の慈雨だったと言い切っていいだろうか。本当に潤いましたよ、私達の今年の人生は。

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特に興味が無かったからスルーしてたんだが、NHKがニュースで民放番組の最終回について事細かに述べるだなんて尋常ではない。それほどの国民的関心事だったんだな、SMAPの解散って。

何しろ普段あまりテレビを見ないし、当然SMAPxSMAPも見ないもんだから、そこらへんの感覚が疎い。しかし今年一年は、生放送での存続謝罪会見(略すとそうなる)からの一転解散決定という事で随分と一般ニュースにも入り込んできた。詳しくは知らないが何度か記事も読んだ。まぁそれでも残念という感情は違う意味でしか湧いて来なかったが。「うちの残念な兄が」の方だな。外野からみてると茶番ですらなかったのに、ファンの皆さんには本当にお気の毒としか。

普段番組を見ていなかった身としては「もうテレビで見られなくなるのは残念」とかは口が裂け…るくらいだったら口先だけなら言うけれど、勿論そんな気持ちはほぼない。ニュースになっていなければ、昨年も今年も来年も大して何も変わらなかっただろうから。寧ろ解散することで今後は彼らに関するネガティブな記事を見掛けなくて済むようになる、という程度で。

こんなものは人によりけりで、例えば吉良さんが亡くなってこちらは毎日の生活リズムが変わってしまう程の影響を受けたが大多数の人々にとっては「それは……まぁお気の毒に」という話でしかない。私にとってはSMAPもそんな感じなのだから本来なら何も言わずにいたところだ。何か聞かれても「残念だったねぇ、大変だったねぇ」と返して終わりですよ。

まぁしかしここまでニュースとして取り上げられてると意味合いが違ってくるというか。まだそこまでいってないが「この話は悲しんで当然」みたいな風に思われるのはかなわんな、って。数の圧力を感じると言いますか。なのできっぱり言っておこうと思って。「興味ないです」と。


これは、他の例にもあてはまる。年末に入って今年を総括するにあたって『Fantome』は商業的にも成功したし、内容も傑作だというのが"定評"になりつつある。勿論それ自体は喜ばしい事なのだがそれが一般ニュースとして取り上げられていくとどうしたってそれ以外の意見が黙殺されていってしまう。結構居るはずなんだよ、「今までの作品は好きだったけど今回は受け付けない」って人が。

どうしても定評というヤツは、空気というヤツは暴力的になってしまう。ある程度意識して風穴を開けておかないとそういった少数(になってしまった)意見が聞こえなくなっていく。これはお互いにとってよくない。如何に自分が悲しみに暮れていようと世の中の他の人にとっては何でもない事なのだという事実をちゃんと認識しておかないとバランスが崩れる。

勿論、頼まれてもいないのにわざわざ出向いていって「俺、興味ないから」と言う必要はない。そっとしておけばいい。本来は。しかし、今回のSMAP騒動のように過剰に思われるところまで"侵食"してくるというのなら、一言言っておいても罰は当たらないんじゃないかな。なかなか言い出せない人の代弁も兼ねて、ここにそう記しておこうかと思います。

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年をとってくると馴染みの曲ばかり聴くようになってくる、というのは良し悪しは抜きにして事実だ。人生と同様に、と言っていいのかどうかわからないが、もうこれから人生に失敗や不安が少ないと感じるようになる、或いは、あまり不安を感じないようになってくると、それに伴って、聴く音楽も「安心して聴けるもの」に片寄っていくのかもしれない。

昨日かな、紅白歌合戦の曲順が発表になった。『花束を君に』はピコ太郎を入れると45番目だ。ヒカルのあとには石川さゆりと嵐のみで、その紅組白組各々のトリが「天城越え」と「メドレー」だから、実質「2016年を締めくくる」感じがする最後の曲は『花束を君に』になるだろう。

他の歌手たちの選曲をみても、2016年の歌を歌う歌手・グループは少ない。それだけヒット曲が少ない、というのもあるが、同時に、紅白歌合戦を視聴する層の年齢が上がってきていて、彼らが昔の歌の方を好んでいる、という側面も強いように思われる。つまり、ヒット曲の多寡を論じる前に、そもそものニーズとして今年の歌、最近の歌が求められていないのだ。

その点、ヒカルの出演はRADWIMPSやピコ太郎らと共に"異色"ですらある。例えば、ヒカルに2015年までの実績がなかったとしても、言い換えれば、もし『花束を君に』がデビュー曲だったとしても、この歌の愛されぶりからして、2016年の最後の3曲のうちの1曲に選ばれても皆違和感も異論も持たないだろう、と言えるだけのヒットを記録した訳だ。そこが誇らしい。

宇多田ヒカルの知名度と実績と実力があれば、これから毎年紅白歌合戦に出演する事は可能だろう。そして、一年ごとに『Automatic』と『First Love』を歌っておけば、それはそれで皆納得する。今の石川さゆり状態である。彼女も来年は「津軽海峡冬景色」を歌ってくれるだろう。私も大好きな歌なので(メロディー自体は殆どロニー・ディオだもんね)それはそれで嬉しい。

だが、贅沢を言えば、ヒカルにそれはして欲しくないかな、と思う。その年にヒットした曲があれば出て貰えればいいが、何もないのに昔の歌を歌いに来るのは、それ自体は「津軽海峡冬景色」同様嬉しい事だし、世間はそれを求めているだろうし、何よりこれから年々どんどん更に紅白歌合戦は皆のニーズに応えて懐メロ番組になっていくだろうから、実はそれで何の問題もないのだ。でもそこで踏みとどまって我が儘を言う方が矜持を示したと言えるのではないか。これからの紅白の本道を外れていく形で、その年のヒット曲を歌うという"古き良き紅白歌合戦の伝統"を異質さを毎年強めながら受け継いでいければ、何て言うんだろうな、紅白歌合戦の出演に強くこだわっていた藤圭子に対する何よりの弔いになる気がする。一言で言えば、皮肉色の復讐劇だ。

ヒカルがそこの所をどう思っているかはわからない。今回出てみて快適でなかった(ベストなパフォーマンスを出せる環境を得られなかった)のなら、勿論二度と出演してくれなくて構わない。ただ、母の思いをどうするかに関しては、全く口を挟むつもりが私にはない。気の済むまで、憎しみも悲しみも喜びも懐かしさも怒りも何もかも抱えて放ってまた飲み込んでくれたら、と思う。好きにしろ。まぁそれだけだよね。こちらからしたら、これ以上は言える贅沢なんてない。また歌番組出演は、新しいテイクを得られるというだけで、無上の喜びなのですから。

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週末の「クリスマスの約束2016」は希少なテイクが次々と聴けてホクホクだった。『Automatic』に『花束を君に』、そして小田和正の「たしかなこと」。更にエンディングではディランの「時代は変わる/The times they are a changin'」を横並びで歌うという前例のないパフォーマンスまであった。やれやれ、幾ら何でも録画は保存版だな。ダビング10なら早めにやっとこう。

ただ番組にゲストとして呼ばれるのとは違い、3日間のリハーサルを経て小田和正とがっぷり四つに渡り合うという独特のコンセプト。出来は出色だった。「テレビで不安定な歌唱を聴かされる位ならCDでしっかりプロデュースされた歌を聴きたい」という音源原理主義者も、流石に今回のテイクたちに対しては同様の理由付けを出来ないだろう。それ位に"他では聴けない"バージョンだった。

勿論、小田和正の声が嫌いという人にとっては余計なテイクでしかない。「宇多田ヒカルに余計なものを混ぜるな」といったところだろうか。実際、両者の歌声はあまりにスタイルが違い過ぎ、調和を重んずる向きからすれば異種格闘技的なエクストラ感は否めなかった。

しかしそこはチャレンジである。特に『花束を君に』での小田和正のハーモニーの付け方は、如何に他者の音楽を自らの土俵に引き込むかというテーマと格闘してるが如き強引さすら感じさせる音符運びを見せたのだが、勿論ヒカルも一歩も引かず、しかし各々が各々の立ち位置で歌っているのに出てきたのは新しいハーモニーを伴った新しい『花束を君に』だった。いやはや、やってみるものだ。

その成功の要因をヒカルの歌唱のアプローチの変化…即ち、スタジオバージョンのバンド形態とは違うサウンドの中で見いだしたより繊細でより柔らかな歌い方に求めるのも可能だが、寧ろ『花束を君に』という楽曲の懐の深さが軸にあったとみるべきではないだろうか。スタジオバージョンに於いても、バックの演奏の起伏にしろ、ヒカルの歌唱の幅にしろ、非常に幅広く自由にあてはめられていた印象が強い。多少メロディーを崩して歌っても楽曲の軸がブレず、新しい要素を楽曲の力として還元できる能力を、この曲は持っている。今回はそこに小田和正も巻き込まれたって寸法だ。

『花束を君に』は各種集計でも"2016年を代表する楽曲"といって差し支えなさそうだしだからこそこの「クリスマスの約束2016」でも選曲されたのだろうが、それにとどまらず、今後のヒカルの「セッション御用達曲」として何度か歌われるのではないか、そんな可能性も感じさせるパフォーマンスだった。未来を感じさせる音楽。魅力的ですね。

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この後眠るべきか眠らないべきか、それが問題だ。一度寝たら朝まで起きて来ない気がするしかといって「クリスマスの約束」は随分遅くまでありそうだからずっと起きていられるか不安だし。

嗚呼、贅沢な悩み。再放送とはいえ「NEWS ZERO」の日テレ系列からTBS系列への梯子だぜ。梯子酒ってのはあるが今宵僕らは"梯子歌"だ。悪くない。悪くないともさ。

あれからまた更にミュージシャンたちが死んでいったので、2016年の年末に『真夏の通り雨』がもう一度聴けるとすれば、感慨深い。去年の今頃に「来年はキース・エマーソンとグレッグ・レイクがね」と言われてたら、どう受け取っていただろうかな。過去の仮定の話なのに、想像したくもない。ショック度は吉良さんがダントツだけどね。キースやグレッグに並ぶ天才で、かつ会って話した事があるとなるとな。その話は長くなるので強引に切るが。

「クリスマスの約束」の出演が今までにない感じでちょっとワクワクしている(それ以外の普通のテレビ出演部分に関してはだいぶワクワクしている)。あの感じだと、ディランの曲をみんなと一緒に歌うの? 横並びで? それって「SMAPxSMAP」以来じゃない? 自分が主役じゃない状態でテレビで歌うのって初めてかもよ。合唱って言うんですか。似合わねー(笑)。ヒカルもテレビで観たらその滑稽さにゲラゲラ笑うヤツになっているのでは。そういうのが嫌だから紅白断り続けてたんじゃないのかよ。いやぁ、見物見物(みものけんぶつ)ですよこれは。

番組の体質上、『花束を君に』はヒカルがひとりで歌って、『Automatic』は小田和正と歌い合うって展開か? 何しろ参加歌手が多くヒカルはone of themに過ぎないのでファンとしては喰い足りないかもしれないが、その扱われ方自体を面白がるのが今宵の適当な楽しみ方のひとつだろう。新鮮だよ。いつだって特別扱いだったからね。今でも大体そうだけど。

小田和正と藤圭子って同年代くらいだろうか。あとでみとこ。親と子ほども歳の離れたデュエットといえばちょうど11年前の今日井上陽水と共演しているが、今や陽水はヒカルの崇拝者だ。同じく60代の桑田佳祐も、この間のラジオを聴けばわかるとおり(まだ明日までシェアラジオで聴けるはずっ)ヒカルに一目置いている。果たして小田和正は、ヒカルに対してどんなスタンスなのだろうか。そしてそれは、共演した事で変化したのかしていないのが。デビュー当時からのラブコールに漸く応えてくれた事に小田なら皮肉のひとつも差し挟みそうなものだが、オンエアではどうなっているのかな。興味は尽きない。

まぁ今の所いちばん興味があるのは『花束を君に』だ。月末の紅白とこの間のSONGSを合わせてなんと3通りもの別バージョンが手に入る。前のヤツではラストで随分ドス利かせてたな、とか色々と感想がある訳だけど、違うシチュエーションと違うタイミングで歌われる同じ歌の聴き比べは今のヒカルをそのまま浮き彫りにする。あーなんだろう、やっぱり仮眠なんかとれそうにない。番組終盤まで睡魔と戦う事に、致しますかな。夜遅いと逆にヒカルがTwitter実況に参加してくるんじゃないかという期待もあるしな。

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復帰してからそれなりに間断無く仕事が続いていて、忙しいなぁとは思うものの、どこかしっくり来ていないのは、相変わらず『Message from Hikki』が動いていないからだろうかな。

古いファンの中には『Message from Hikki』原理主義者みたいなのが居て自分もその1人なのだが、あそこに書かれる事が"Hikkiとファンの絆"みたいなところがあった。あそこが活発だと「Hikkiが元気に活動している」と安心できる面もあった。なかには空元気もあったかもわからないが、それはヒカルが自分の事を元気だと思って貰いたかったからな訳で、こちらなは「元気なんだな」と納得しておけばよかった。昔「がんばれ元気」っていうボクシング漫画あったなぁ。それはいいとして。

Twitterがなければどうなっていたか、わからない。もしかしたらメッセに書くような事もツイートで済ませているかもわからないし、メッセに書くまでもないような一言を悉く拾ってくれているかもわからないし。実感としては後者の割合が多いがたらればを言っても仕方がない。ただ今は、『Message from Hikki』がまるでマスコミあてのステートメント置き場みたいになっている事に時代の流れを感じている。

TwitterもTwilogもいつまであるかわからないので技術スタッフの方々は早々にTwilogのデータ確保やら過去ツイートの全データ取得の準備を進めておいて欲しい所。やがてはオフィシャルにアーカイブスとして残しておいて貰いたいが、ニュース欄ですら全データ網羅ではないのにそれが可能かどうかはちとわからんな…。

インターネットが世界中に広まってまだ20年余りなので、ここからの関連技術の発展スピードがどうなるかは全くわからない。予断は禁物、というヤツだ。普通は油断は禁物、だけれども。

目指すは『90代はここどこ?』を開催し「思えば遠くへ来たもんだ」と呟く事だが、果たしてその頃の「呟く」は、一体どういう方法で為されるのか検討もつかない。文字入力、音声認識、脳波抽出、或いは更にその先に何かあるのか。取り敢えずその時代まで生き残らなければどうにもならないので、「長生き」だけは心掛けておきたい。百歳近くになってる筈ですわ。

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という訳で前回の嘆きはどこへやら。『30代はほどほど。』の再配信期間の延長が決まった。どうもありがとうございます。これで鼻メガネを休日にゆっくりたっぷり堪能できますm(_ _)m

しかし困った。「3DVRも登録無しでご覧になれます」だと。1ヶ月に渡って3DVR生配信に対して愚痴を言ってきた身としては試してみない訳にはいかなくなってしまった。3DVRが嫌いな訳じゃない、新しいチャレンジをして失敗するのも評価する、しかし、10年に1度のトーク&パフォーマンスのパフォーマンスのライブ・ストリーミングの邪魔をするのは許さない、と言ってきた私。つまり、アーカイブス配信で3DVRが堪能できる分には何の文句も無い訳だ。新しいチャレンジに拍手を送る他はない。

でもねぇ。スマホ持ってないんだよねぇ。純粋に要らないのだ。外であんまブラウズしないし。勿論あったら便利だろうがそれに対する購入動機の割合が勝つガジェットとコンテンツが間に幾らでもある。2年間スマホに払う金額を費やしたらどれだけ音のいいヘッドフォンを買えるか…とかいう価値観なので、うちには今ポケットラジオ等を含めると"音の出る機械・器具"が20も30も…まぁしゃあないわな。価値観てそんなもの。

スマホで唯一これはあったらいいなと思うのは地図機能だが、1人で出掛ける時はちゃんと家でネットで確認してから出掛けるし自分1人なら道に迷ってもそれはそれで楽しいのでなきゃないで別に。人と会う時は大抵相手がスマホ持ってるし。それはちと他人に甘えすぎですけどねー。

あったら嬉しいのはマンガの電子書籍を読める程度のタブレットだがもうそりゃipadとかKindleだわな〜。うーん、悩んでいても仕方がないのであとで色々調べてみますかね。


ただ、今後ヒカルがコンサートでスマートフォンを使った演出とかやる気なんだったら、まぁ買うわよね。やらん気がするけど。それはきっと事前に告知してくれるからそん時に契約すりゃ間に合うんじゃないかなぁと呑気に構えております。

基本的に、スマートフォンやタブレットで出来る事はPCで出来るから、と考えてしまう前世代の人間なので、どうにも食指が動いていない。寝っ転がって動画を見るのは楽ちんでいいけれど、ipod touchもandroid walkmanもあるからなぁ。外じゃ動画観ないし。試しに持ち出してみた事があるが、見事に観なかった。どうしてもその時間に観たいニコ生がある!となったら…都会はWi-Fiスポットだらけだしネットカフェもあるしで…。

という感じでモチベーションは上がりませんが3DVRは必ず体験してみてレポしますんでそん時ゃどうぞ宜しくです。読みたい人居なくてもやるよ(笑)。

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あう〜『30代はほどほど。』再配信は今日までか。慌ただしいな。せめて明日まであれば祝日という事でゆっくり観られる人も多かったろうにな。私ゃ関係ありませんが。

やっぱり動画の長さが30分〜1時間になってくると長い。さてちらっと見るかな、という感じにはならない。Twitterに貼れる動画が140秒までだったり一時期6秒動画が流行ったりと、動画コンテンツも短さが勝負になっている中、アーカイブス配信で長尺の動画を見て貰うには工夫が必要だろう。

今年最も話題になったのは底抜けAIR LINEの人のPPAPだろうか。YouTubeの再生回数が1億回を超えるという正真正銘の桁違いの特大ヒットだが、やはり要はその短さだった。1分でやりきる。観る方も気楽だ。どこが面白いのかすぐわかる。だって、そこだけしか入ってないんだもの。

これは本当に考えさせられるヒット曲だ。紅白歌合戦は相変わらずこましゃくれてピコ太郎を正式に出演させる気はないようだが、今年最大のヒット曲に対してそれは失礼というものだろう。みんなで踊ればいいじゃないのねぇ。3DVRには手厳しいがPPAPには激甘ですな私。

よくいうフルコーラスの4〜5分というのは中途半端な長さだ。毎度引用してるがビートルズの"イエスタデイ"は2分の曲だ。ヒット曲にはそれで十分事足りる。その事実は、重い。手軽に聴ける分、ね。

かといって、本気でヒットチャートが2分の曲で埋まると思ってる訳でもない。ただ、3分位からならリアリティは出てくるよね。

それはそれとして。今回の『30代はほどほど。』も、曲の部分だけ切り出して別に公開すれば再生回数もっと上がってただろうにな、と思った訳なのでした。そうじゃない…?

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ヒカルがヨーグリーナを嫌がる理由は「見た目と味のギャップが大きい」が第一候補だろう。透明なら透明な飲み物らしい味がして欲しい、と。ヨーグルト味といえば見た目は必ず白濁なのだからそのラインは守って欲しい、と。

わからなくもない。元来、人の"期待"というのは認知・認識に大きな影響がある。今の場合は色覚と味覚の組み合わせだが、古くから著名なのはマガーク効果、視覚と聴覚の絡み合いである。人が「あ」の口を開けている映像を見ながら「お」の音声を流すと人は「う」の音が鳴ったと知覚する―要するに視覚によって聴覚が錯覚を起こす訳だが、つまり人は目(視覚)で見た情報に他の五感(味覚や聴覚)が引っ張られるのである。

目で見る情報は光が媒介であるからいちばん早い。聴覚や嗅覚は伝わったり漂ったりして到着するものだし。そこのところを突っ込んでいくとキリがないが、人はまず目で見て他の五感の情報に対して"期待"、即ち認知的バイアスをかけるのだ。

これが高じたらどうなるか、というのは大変興味深い。例えばヒカルがテレビやストリーミングに出て歌うのを観る場合、両方の影響があり得るのだ。実際に声に深みが出ていた場合、実は大してルックスは変わってないのに「顔が大人っぽくなった」と評されたり、逆に、歌声は同じなのに衣装やメイクのせいで「より大人びた声になった」と言われたり。有り得ない事ではない。

実際、ヒカルは『30代はほどほど。』で、トークから歌のパフォーマンスに移る時に着替えた。映像を伴う歌なのだから、見た目の与える影響が大きい事を常識的に察知したのだ。『忘却』や『人魚』をスタッフスウェットで歌う訳にはいくまい、と。そういう考え方で居たから、ヨーグリーナの"見た目と違う味"が馴染めなかったのだろう。以上、仮説に過ぎないが、如何にもありそうな事ではないでしょうかね。

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やっぱり冬もヨーグリーナだよなぁ(笑顔)。

『30代はほどほど。』の再配信映像、最大の見所はやはりそこだろう。何本も居並ぶサントリーの天然水にHikkiが目線を送ったかと思うと途端にカットが不自然に遠景に代わりHikkiの口元が動いているかどうかわからない状態で喋りが続くという…いやぁ、軽くホラーだね(^_-)

再配信だけ見てる人には何の事だかわからないだろうが、生放送時ここでHikkiは手元にあるヨーグリーナについてコメントしたのだ。正確な表現はまたの機会に譲るとして、要は「ヨーグリーナは好きじゃない」と。当然の如く、バッサリカットされますた。

にしても、Pepsi Nexの時はちゃんとしてたのにな〜。ツイートで好きなコーラ訊かれてもちゃんとペプシだと答えていた。なのに今回は…生放送って恐ろしいね(笑)。

別にスポンサーから苦情が来たとかではないと思う。寧ろ制作陣が再編集時に気を利かせて"自粛"した可能性の方が高い。先回りしたというか。まぁそれは仕方がないが、つまりだ、宇多田さんはそういうとこは何も変わってないと。思った事を素直に口に出してしまう。大変ヨロシイ。普段のツイートの慎重さとはえらい違いだが。

物議を醸すのが偉い訳ではない。しがらみから離れて自由なところが大変よいのだ。自分で生み出すもので生きてこれた者ならではの態度といいますか。清々しい。

という訳でこちらからはフォローの意味も込めて今後ヨーグリーナを積極的に推していきたいと思う。実際美味しいと思うし。ヒカルは何が気に入らないんだろう? 透明な色の液体だからと頭の中にイメージするのと違ってしっかり乳酸飲料の味がする所に「裏切られた」と感じるからか? また多分味以外の部分で避けているようにも思われる。こういうの、なかなか訊ける機会ないんだけどね。

取り敢えず、美味しいよ。飲みやすい。甘過ぎないし、その見た目とのギャップにさえ戸惑わなければこのまま定番商品になりそうな。こうやって何を選ぶか決める基準が出来上がるのは、精神衛生上大変宜しい。また他の日常品のタイアップも、望みたいところです。今度は別にdisらなくてもいいんだからね〜(笑)。

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