無意識日記
宇多田光 word:i_
 



声優の演技は大したことない的な事書いた気がするけど、流石にサーバルちゃん役のおざぴゅあの奮闘は賞賛せねばなるまい…今年分の声優アワード助演女優賞は決まりなんでないかな…主演女優賞は幼女戦記という強力な…(ぶつぶつ)…。

おっとっと、今日で2016年度が終わりなんだよね。簡単に総括しとこっか。

今年度は見事なまでに『Fantome』年度だった。4月の頭から新曲が2つタイアップ、うちひとつは9月末までの半年間、日曜以外の毎朝毎朝毎昼毎夜156回、もうひとつは今日まで!平日夜に52週間、ずっとテレビから流れ続けた。こんなにずっとメディアからヒカルの歌声が届き続けた年度は初めてなんじゃないか。

本体『Fantome』は出荷とデジタルという変則集計ながらミリオンヒットを記録、各種チャートやクリティックでも好評価を叩き出し極めつけは瞬間風速ながらiTunes Store USAで総合チャート3位(か6位)をマークした"事件"な。年明けに『光 Ray Of Hope Mix』EPも同チャート2位を記録してフロックでない事を見せつけた。

テレビ出演も豪華だった。ミュージック・ステーションでの『桜流し』を皮切りにNEWS ZEROではインタビューと『真夏の通り雨』の弾き語り、NHKでは『SONGS』でまるまる50分トークと歌、更にはクリスマスに小田和正と共演し年末には遂に紅白歌合戦に出演とまぁ至れり尽くせりだった。

他のメディアも充実してたぞ。ネットでは14年ぶりの生放送ストリーミングで生パフォーマンスを2曲披露、ラジオでは101局を乗っ取って55分間(地域によっては1時間)『Fantome Hour』を一週間、文字通り日本中で流し続けて"ラジコ・タイム・フリー"の口火を切った。今や皆シェアラジオにお世話になりまくりだ。

ラジオといえば最後の3月にぶっこんできた「MUSIC HUB」が凄まじかった。椎名林檎嬢直々の提供による「丸の内サディスティック」の超公式カラオケ・デュエット。まさかこんなところでヒカルの新たな"カバー"が聴けるとは夢にも思っていなかった。

その3月には長年慣れ親しんだEMI/VirginからSONY/Epicへの移籍。沖田さんのFacebookのニュアンスだとEMI/Virginとの不和などが原因な訳ではなく、純粋に新しい挑戦の為の環境づくりのようだ。クリス"ダディ"デイヴとの共演が発覚したのも移籍と無関係ではない…かどうかは、追々明らかになるだろう。

これだけ全方位から充実した活動を見せつけてくれた宇多田ヒカルの2016年度・平成28年度。何の文句があろうかと。ないよね、と言いかけて「いやいやいやいや」と皆で立ち止まる。「復帰後のライヴ・コンサートがまだぢゃないか?」と。明らかに2017年度の宿題はこれに尽きるのだが果たして会場は確保出来ているのやら。照實さんの呟きが希望の光。

という事で来年度の展望は、あれだけ種々満載だった2016年度すら"踏み台"にして新曲・新作、そして新しいライヴコンサートを期待する年度になりそうだ。一体2015年度までの3年間/5年間/8年間は何だったのか、考えるだけ無駄である。いい未来が待ち受けているのなら、せめていい顔をして迎えたい。今降る雨が新しい春を連れてくることを信じよう。

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やっと「けものフレンズ」最終回を観たですよ。まだ観てない人は急いでこのページを閉じるんだ(笑)。

期待通りの最終回でした。大団円。粗筋を説明すると「ワンピース」に酷似する、という特徴がいちばん出たのがこの回ではなかったか。強大な敵を前にして今まで助けてきたフレンズたちが応援にかけつける。皆の見せ場をはらみつつ、最終的に撃退してめでたしめでたし。そして宴。海を前にして出会いと別れ。ついてくついてかない。もう完全に「ワンピース」。王道って素晴らしい。

勿論たつき監督が「ワンピース」を真似した訳ではなく、物語の王道を突き詰めるとこうなる、という収斂結果だ。「けものフレンズ」は「ワンピース」でいえばひとつの島編をワンクールでダイジェストで纏めてみました、という作品だった。

にしても、最後の最後までブレなかったね。この作品の最大の武器である"ファイン・チューニング"が実によく効いていた。直前のたつき監督のインタビューで、「もしかしたらボスか誰かとはお別れになるかな?」とふと頭をよぎったが、いやはや見事な落としどころ。「ワンピース」ではメリー号をそのまま沈めてしまった(船首は残ってるけども)が、「けものフレンズ」はああやって人格(?)を残した。この、2017年仕様の微調整のセンスが、この作品の陳腐化を大きく防いでいる。

中には、まだ解決されていない伏線が残っている、と不満を漏らす声もあるかもしれないが、続編を期待できると思ってくれれば。OVAでも2期でも劇場版でも。実写化だけは、明らかに変な雰囲気になるのでたとえハリウッドから声がかかっても断るしかない。

まぁそもそも、おまぃら真剣に観すぎ(笑)。残った伏線といっても、ぼーっと観てる分には気にならない要素ばかりだ。先代のサーバルちゃんが何なのか、くらいかねぇ、あからさまに残ってるのは。本来、ゆったりまったり観て癒やされる作品なのだから、伏線回収云々は副次的な楽しみ方だった筈が、人気が爆発し過ぎて謎解き班が頑張り過ぎたな。それも楽しみ方のひとつとはいえ、前回述べたように「この作品に過度な期待は禁物」なのですよ。

だから、順当過ぎる最終回に肩透かしを食らったと感じる向きもあるかもしれない。仕方がない。それくらいバズった。全世界のツイート・トレンドで第2位だったんだって? まさに若干ゃ草生えるですよ。

これからかばんちゃんとサーバルちゃんが次々と他の島を訪れる展開にすれば、第2期以降も制作可能だが、ちょっと売れすぎたので監督の作家性が担保し続けられるかが心配、というのがこれからWebでまとまる総論になるだろう。しかし、この全12話でブレなかったから大丈夫なんじゃないかな。ばけもの仲間の「ワンピース」はご覧の通りネタ切れなどどこ吹く風、加速し続ける一方だからね。私は素直に続編を期待したいと思います。何よりやっぱり癒やされますからなぁ。

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そんな感じだったので、実は「宇多田ヒカル、クリス"ダディ"デイヴと共演!」というニュースも、驚きはしたけれど、テンションが上がる所までは行かなかった、というのが正直な気持ちでな。いやまぁ勿論レコーディングに突入しているというの自体が嬉しい情報なのでその分のテンションはきっちり上がってるのではあるのですが。

しかし、冷静に捉えてみるとヒカルがクリス・デイヴを選ぶのも自然な流れなのだ。ちょうど先週自分もロバート・グラスパー'ズ・エクスペリメントの「ブラック・レイディオ」をTSUTAYAに行って借りてきたとこでな。ここらへん、カマシ・ワシントンは(彼のソロ名義での)初来日公演にまで赴いたくせに、グラスパーの方は5年も前の作品をレンタルで済ますあたり、i_さんの関心の違いが如実にわかるのだが、兎も角、数年前に世間を騒がせた名作と誉れ高い「ブラック・レイディオ」を聴いてみようと思ったのですよ、この度。

で、聴いてみると、なんともポップでキャッチーなヴォーカル・アルバムでな。こりゃ名盤だ。エクスペリメントだなんていうプロジェクトだからてっきり実験的なサウンドでもやってるのかと思ったが、完全に楽曲勝負・歌重視のアルバムだった。いやはや、いい意味で面食らったよ。

そうなのだ、こういう歌重視のサウンドでのプレイを心得ているから、ヒカルはクリス・デイヴを選んだのだ。クリスは「ブラック・レイディオ」の全12曲でクレジットされているが、歌を食ってしまうようなプレイは(恐らくひとつも)なかった。こんなに心地よくスウィングするビートに乗って歌えば、さぞ心地よかろう。

ロナルド・ブルーナーJr.がそういうプレイを出来ない訳ではない(彼は万能なのだから)だろうが、こういうプレイを所望ならわざわざ彼に頼む事もない、かな。なんか色々先走ってるな俺。まぁいいか。

先走りついでにもっと踏み込んでいこう。「ブラック・レイディオ」は2012年のアルバムだそうだが、そのサウンドは、それこそ例えば『This Is The One』のようなアルバムから、上手く補助線を引ければ到達できた作風に思えるのだ。

『This Is The One』は2009年。「メインストリーム・ポップ」を標榜し、ほんのりソウル/R&B風味を漂わせるポップ・ソングを主体としたアルバムだった。「あの作品がソウル/R&B?」と思われるかもしれないが、当時Utadaをオンエアしたラジオ局は多くがリズミック系だったのだから"リスナーの受け取り方がそうだった"と言うしかない。

その時の"ポップとソウルの匙加減"を手助けしたのが北欧出身のSTARGATEであった。少しアーバン寄りというか、アメリカらしさを出したい曲ではトリッキー・スチュアートを迎えていた。この時点では控えめだったが、もしUtadaが2010年以降も続けてアメリカで活動していたとしたら、2012年頃はどんな活動をしていたのか、どんな音楽形態を標榜していたのか、非常に無駄な妄想が膨らむ。

流石に「ブラック・レイディオ」ほどの大胆なジャズ・テイストにまでは踏み込んでいなかっただろうな、と高を括りかけたのだが、冷静に思い出してみるとヒカルは2010年の時点でシャンソンとジャズをマッシュアップするというもっと過激な事をやっていたのだ。『愛のアンセム』である。

確かに、あの曲は愛の賛歌とスペインという特定の楽曲同士の特殊な組み合わせであって、そこから新しいジャンルが生まれるような類のものではなかった、とはいえる。しかし、そこらへんで"味をしめて"Hikaruが『This Is The One』に続くUtadaの3rdアルバムを、仮に人間活動に入らずに作り始めていたとしたら、組み立ての発想は異なるものの、「ブラック・レイディオ」に近い、ジャズとソウル/R&Bから等距離にあるような独特のサウンドに辿り着いていたのではないか、そんな風に妄想が発展するのだった。

無論、今更そんな事を言っても仕方がない。だが、ヒカルが今そういうサウンドに少しばかり興味があるというのなら、これは追い風順風満帆、そのまま突き進めレッツらゴー、と思ってしまう。こういう高いレベルのミュージシャンたちに刺激を貰えるのは、なんだかんだ言ってやっぱり魅力的な事なのですよ。嗚呼、新曲を聴くのが益々楽しみになってきたぜ。

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で。自分が"マークしていた"ドラマーは、クリス"ダディ"デイヴではなくロナルド・ブルーナーJr.だ。

クリスの経歴も凄いがロナルドはもっと凄まじい。ドラムを始めたのが2歳の時だというから驚きだ。Jr.というからにはシニアも居て、彼もまたプロフェッショナルなドラマーで、ダイアナ・ロスやテンプテーションズ、ランディ・クロフォードにグラディス・ナイトといったビッグ・アーティストたちと共演していたらしい。Jr.は彼から英才教育を受けた筋金入りのドラム・エリートである。

彼は15歳の時にプロデビューしたそうだが、もうその時にはウェイン・ショーターやダイアン・リーブス、ロン・カーターといった20世紀の伝説との共演を果たしたというのだから早熟の天才すら飛び越えた何かだ。

彼の凄いのはそういったジャズの巨人たちとの共演のみならず、エリカ・バドゥやアラン・ホールズワース、スティービー・ワンダーやヴァネッサ・ウィリアムズにジェニファー・ハドソン、更にはプリンスやケンドリック・ラマーといったジャンルを超越したアーティストたちともセッションしている点だ。極めつけはスイサイダル・テンデンシーズへの正式加入で、このバンド、基本的な音楽性はスラッシュ・メタルなのだ。メタリカみたいなサウンドね。ジャズ・レジェンズたちとは全く畑違いのバンドに、ヘルプのみならずメンバーのひとりとして名を連ねるとか、感覚とすればMLBとNBAの両方で活躍する位の幅広さだ。ドラマーとしての才能が図抜けている、いや、イカれていると言った方がいいかな。


…ここまで英語版ウィキペディアの引き写し。(笑)

自分が彼、ロナルド・ブルーナーJr.のプレイを観たのは割と最近で、一昨年のカマシ・ワシントンの来日公演だった。いやはや、生の迫力はもう唖然とするしかなく、ツイン・ドラムだというのに聴衆の耳目を独り占めしていた。もう1人のドラマーも素晴らしく腕の立つ人だったが、ステージ上での華、圧力が違っていた。セッション・ミュージシャンだから堅実な職人気質かと思いきや、パフォーマンスは完全にスター・ドラマーのそれだった。

そんな彼が宇多田ヒカルと共演…考えただけで胸が踊ったよ。ヴィニー・カリウタやジョン・セオドアとやってきたのだから、この最終兵器みたいなJr.と手を組んだらどうなるか。妄想が膨らみきって爆発するところだった。

折しも、「MUSIC HUB」ではダヌパの選曲という事でサンダーキャットの曲がかかる。雷猫ってふざけた名前のベーシストだが、彼の本名はスティーブン・ブルーナー。そう、ロナルド・ブルーナーJr.の実弟なのだった。おいおい、兄弟のところまで来たぞ。いよいよロナルドとのコラボレーションが現実味を帯びてくるなぁと思うか思わないかの矢先にクリス"ダディ"デイヴからの呟き。そ、そっちかよ!? 確かに、彼もサンダーキャットとは共演歴あるんだよね。クリスのソロプロジェクトのベーシストだったから。


かくして、僕ちんの勝手な"マーク"は見事逆張りになっちゃってたのでした。ちゃんちゃん、という話。これ読んでヒカルも「…ロナルドもアリかも?」と思ってくれないもんかねぇ。

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実をいうとクリス・デイヴと聞いて「はずしたなぁ」と思った。自分のマークしていたドラマーとは違ったからだ。

『EXODUS』の『Kremlin Dusk』に客演した当時THE MARS VOLTAのジョン・セオドアはドンピシャだった。いやまさかHikaruが本人を呼び寄せるとまでは思ってもみなかったが、THE MARS VOLTAの登場はプログレ・ファンには余りにも衝撃的だった為、チェックしない訳にはいかなかったのだ。ただ、プログレを聴きつつ宇多田ヒカルもチェックしている人間というのの絶対数が少なかった(居たのか?というレベル)ので、私は「あーきたきた」と言えた、というただそれだけの事だった。

初期THE MARS VOLTAにとってジョン・セオドアは絶対的な、決定的な要素だった。バンドの中心人物が元AT THE DRIVE-INという事で、彼らの新しいバンドだからとTHE MARS VOLTAに飛びついた人たちは、彼らのプログレ全開の音楽性を語る語彙を持ち合わせていなかった。僕らからすればTHE MARS VOLTAは「LED ZEPPELIN meets KING CRIMSON sometimes PINK FLOYD」と形容すれば9割方音楽性が伝わった。正直ファン層とバンドの音楽性にミスマッチが起きていたのだが、宇多田ヒカルはAT THE DRIVE-IN時代から彼らのファンでありつつTHE MARS VOLTAにもはしゃぎまくるという珍しい人だった。何しろLED ZEPPELIN好きだったから初期THE MARS VOLTAの音楽性にハマらない訳もないのだ。しかも20歳の既婚女性で…そんな人、日本人ではヒカルとあと数十人居るかどうかの希少種だったろうな…。

その「LED ZEPPELIN meets KING CRIMSON sometimes PINK FLOYD」という音楽性を支配できたジョン・セオドアという人は、つまりジョン・ボーナムとビル・ブラッフォードの両方の役割を担えたのだ。とんでもないスーパー・ドラマーであった。自分で言ってても変な言い方だと思うが、よくもまぁHikaruの曲に参加してくれたものだよ。

ヒカルはドラマーの人選に関してはそれはそれは手厳しい。リズム感がよすぎて、多少正確なリズムを刻める程度のドラマーでは務まらない。なにしろデビュー・ライヴではヴィニー・カリウタを従えたのだから。ボヘサマのジョン・ブラックウェルも凄まじい腕だったし、この歴代のメンツの中にあってはフォレスト・ロビンソンが地味に思える程である。


そんな、ドラマーに手厳しいHikaruが次に共演するドラマーは誰だろう、と考えた時に私が候補に挙げていたのはクリス・デイヴではなかったのだ。そこがちょっと悔しいというか何というか。長くなったのでその話の続きは又次回のお楽しみという事で一つ。

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最初何の事かわからなくてさ。「宇多田ヒカルとレコーディング! なんてアメージングなんだ!」っていうツイートがまわってきて。「あれ、沖田さん、ツイッター・アカウントとったのかなぁ?」と笑う彼の写真を眺めながら思ったのだけど、その時私が寝ぼけていただけだった。もう一度見直してみると、アカウント名はクリス・デイヴ。…え?(汗)

ここ5,6年、いや10年位になるかな、ジャズが他のジャンルの音楽とのクロスオーバーする"現象"が殊更増えている。総てを捨象して極おおざっぱに言えば、世代が交代してジャンルの壁が低くなったのだ。クロスオーバー、というとなんか仰々しいが、砕けていえばミュージシャンが友達を作る時に音楽性を気にしなくなった、という話。

お陰でミュージシャンの人脈図を描こうとする時にその広がりに唖然とする。その中でもとりわけ蜘蛛の巣のように多方面に人脈の糸を張り巡らせている"中心的な人物"が何人か居て、その中でもいちばん有名なのがグラミーも受賞しているロバート・グラスパーだ。

彼がエポック・メイキングなのは、ほぼジャズのサウンドをベースとしたアルバム(2012年の「ブラック・レイディオ」)がR&B部門で受賞した事だ。ジャズとヒップホップ・カルチャーの橋渡し的な役割を果たしたこの歴史的な(というにはまだ早いかもわからないが)このアルバムの全曲でドラムを叩いているのが、今回ヒカルの名前を出してツイートしたおっさんドラマー、クリス・デイヴなのである。

要は、今最も旬の、シーンを代表するドラマーのひとりという訳。


そんな話はウィキペディアに幾らでも載っているのでそちらを参照するとして。無意識日記ではヒカルとどう繋がりがあるミュージシャンなのかをピックアップしないと話にならないよねぇ。

クリス・デイヴは2010年だかに自らのソロ・プロジェクトで来日公演を行っているが、その時のベーシストがサンダーキャットなのである。そう、先日の「MUSIC HUB」ゲスト出演の時に、ダヌパのお気に入りとして名前が上がったあのサンダーキャットだ。同じくその時名前のあがったディ'アンジェロ。彼のアルバムのクレジットにもクリス・デイヴの名前がある。「MUSIC HUB」でかかった2曲に関してはクリス・デイヴの演奏ではないが、サンダーキャットやディアンジェロをチェックしていれば自然とクリスの名前は浮かび上がってくる。或いはクリスのディスコグラフィをチェックしていたらサンダーキャットやディアンジェロの名前をみつける、という流れもありえよう。

他にクリスは2009年のマクスウェルのアルバムにも参加しているが、マクスウェルといえば1999年当時ヒカルが「今いちばん好きなヴォーカルかも(※ただしフレディー・マーキュリーは除く)」と言っていたシンガーだ。こんな所でもクリスの名前をみていたかもしれない。

要するに、ヒカルが自分の興味のある音楽を漁っていたら自然と名前を覚えるくらいに最前線でコラボレーションしまくっているミュージシャン・ドラマー、それがクリス・デイヴなのである。

そんなクリス、デビュー作品は90年代初頭のR&Bグループ、ミント・コンディションのアルバムだそうだが、彼を紹介したのがジミー・ジャム&テリー・ルイスだそうな。そう、ヒカルの4th&5thシングルをプロデュースしたあの天下のジャム&ルイスのご両人。もしかしたら今回ヒカルはジャム&ルイスにクリスを紹介して貰ったのかもしれないね。妄想が膨らむぜ。

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で、肝心の「MUSIC HUB」のゲスト出演第3回最終回の放送だが。マジ雑談。よくもまぁおめおめと(笑)。

機材と文学の話なんて、リスナーにどれくらいにリーチしたんだか。音楽好きや文学好きが宇多田ファン、というケースはそれなりにあるだろうからそこへのニースはあるだろうが、両方についていけるとなったら皆無になっちゃうんじゃないの。それだけでもなりくんのヒカルとの相性のよさが浮き彫りになるという。

第3回は雑談が過ぎて完全に、とまではいかないまでも、聴取者無視であった。いいのか電波の帯域占領しといてこんなんなんて。

自分はというと、その機材の名前はきいたことあるなぁ、とかそういやそんな作品名あったかな、という程度で何を話してるんだかさっpいや、まぁ大体わかったかな…。

そうやって、2人で見つめ合う時間(※誤解を招く表現)を垂れ流した反省もあってか、ヒカルが他愛もない話をツイートしてくれていて、嬉しい。なんだか、いろんな事が少しずつ動き出している予感。昨年あれほど「宇多田ヒカル復帰祭り」を堪能したのに、今度はレコード会社移籍を発端とした「リニューアル祭り」みたいな雰囲気になりつつある。今ヒカルが新しい曲をレコーディングしているという事実が実に意外なところから判明しているが、その話はまた次回以降に触れてみようと思う。ジョン・セオドア以来の豪華ゲストの話だ。いやぁ、凄いねアレは。

あれだけの大物ミュージシャン、守秘義務くらい心得てるだろうから意図的なリークだろう。かなり近いうちにヒカルの新曲の発表があるという示唆である。一体どんな曲になっているのやら。タイアップがあるならもうプロジェクト自体が動き出している可能性もある。ヒカルの発言の端々にヒントが隠されている。何気ない呟きも聞き逃さないようにしたいものだ…なんて言うから、気軽に呟けなくなるんだよね。「なんでもないよ〜どうでもいいよ〜」と呪文のように唱えてヒカルが身構えずに済むようにしたい。まぁ、いちファンが力んでも関係ないけどなっ!

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今夜には最速地域では「けものフレンズ」が最終回の放送を迎える。直前にたつき監督のインタビューがリリースされて物議を醸すなど注目度は凄い事になっているようで。なんでこんなにウケてるんだろうね。「gdgd妖精's」からこっちずっとCGアニメを観てきた身としては「なんでけもフレだけ?」という印象は拭えない。ただ、勿論過去のCGアニメのなかでも最高傑作である事に異論はないので、大ヒットして大変喜ばしい。

ただ、「最終回の出来」という事でいえば、「直球表題ロボットアニメ」を超える事は出来ない。あれはもう反則としかいいようがないからね。作品にまつわる総てのレイヤーを伏線として回収するというとんでもない事をやってのけた。TV版とニコニコ版、恒例の余白、Webのテキスト連載、更にクレジットまで本当にあらゆるレイヤーが伏線と化した。劇中の声優のアドリブまで伏線にしてしまったのだから恐るべし。「なんだ後付けか」というのは真逆の評価である。作品の本質をつくアドリブだったから回収できたのだ。テーマそのものと言ってよい。寧ろ、だからこそアドリブとして生まれる事ができたといえる。何を予め意図していたとか偶然とか必然とかは最早些細な事になる位に普遍的なテーマを捉えた事が"数々の奇跡"を呼んだ、そう思うしかない最終回だった。

「けものフレンズ」の場合、王道の踏襲がテーマである為、最終回で逸脱する訳にはいかない。普通に"敵が居なくなって"ハッピーエンドになるだろう。この場合の"ハッピー"とは、登場人物が幸せになるというよりは、"視聴者が満足のいく"という意味に近くなりそうだ、というのがたつき監督の発言の真意だとみたが、どうか。兎に角、きっちり終わるかわりに新奇さのないエンディングを迎えるのがこの作品の必然であって、過度の期待は禁物だ。「直球表題ロボットアニメ」は「アニメの中」という枠を飛び出す反則(しかしそれは、それこそが作品のテーマだから作品自体が導く必然だった)を使えたから「驚きの最終回」となった。「けものフレンズ」が飛び出せたとしてもせいぜいジャパリパークの外までだ。しかしそれでいい。それがいい。

何度も言うようだが、お話自体は他愛ない、ありふれたエピソードの集合体だ。それをきっちり丁寧に汲み上げて提示したから、こんな貧弱な絵面でもウケたのだ。流石に今の状況はバブル人気だとは思うが、それを呼ぶだけのものがある。

ただ、この国には「王道の集合体」として「ワンピース」という正真正銘のばけものがいる。けものはばけものにかなわない。質はともかく、あの量は圧倒的だからね。「最後は腕力で吹っ飛ばすのみ」というのはまさに「ワンピース」の哲学そのものだし…


朝からなんでアニメの話してんだろ。今夜からけもフレ最終回を観るまでネットに居ないよと言うだけのつもりだったのにいちエントリ使ってしまいましたとさ。ありゃりゃ。

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到来  


こちらは嬉しいから構わないのだが、なぜそんなに『30代はほどほど。』を再配信してくれるのか、そこが謎だ。贖罪というのならDVDにして売ってくれればいいのに。『20代はイケイケ!』はそうしてくれた。1500円で。「いやいや、3曲もライブ・パフォーマンスを観れるのだからもっと高くてもいいのよ?」と随分恐縮した事を思い出す。もしかしてそんなに売れなかったのかな。収益が見込めないなら宣伝媒体として、という事なのか単にひたすら太っ腹なのか。ありがたく頂戴しておこう。

こういう対処が、レコード会社を移籍したあともスムーズに続いている事も、考えてみれば不思議だ。普通、そんな"前の会社での仕事"を引っ張り出してこれるもんなんだろうか。梶さんと沖田さんのみならず、チーム宇多田だった人々(そういや何人居るんだろね。2人きりだったりして。)もまたEPICに移籍したのだろうか。或いはGYAO!主導の企画だからレコード会社移籍は関係ないのか。まぁ再配信なんてファイル置き直すだけだから実践は出来るならすぐなんだけど、いつもの"権利処理"業務の煩雑さとかなかったのかねぇ。

まぁいいか。こうやって再三再四再配信してくれれば、生放送で観れなかったという悔しさも、皆から幾らか薄れていくかもしれない……いやいやいやいや、それじゃいかんのだ。同じ轍を踏んではいけない。二の舞もいけない。しっかり学ばないと。

ある意味、接続不調が問題の在処を曖昧にしてしまった感がある。何度も繰り返して主張してきたように、仮に接続が安定していて皆が全員生配信を享受できていたとしても、このプロジェクトの"筋の悪さ"は消えないのだ。寧ろ、それが伝わりにくくなっている今の事態は、危なっかしい。何度も言っているように、このプロジェクト自体がまずいのだ。やるべきではなかった。それを最初の時点で見極められなくてはならなかったのだ。そこには宇多田ヒカルというクリエーター/シンガーに対するリスペクトが欠けている。そんなまのをファンが喜ぶ筈がない。ファン以外なら面白がるかもしれないけれど。

くどいので今回はここで切り上げるが、この「メイキング・ダイジェスト」に漂う"腐臭"をまた嗅いだ時は、全力で叩き潰すつもりで非難する所存。轟々行くぜ。学ばなくてはならないのだ人は。経験と歴史から。

ヒカルはどう思ってるんだろうねぇ。


翻って楽しい話題に移ろう。先週金曜深夜、「MUSIC HUB」のゲスト回第3回が放送された。実に楽しい放送だった。今週から出ないなんて残念。ヒカル本人は出ないけど「なりくんが語る宇多田ヒカルラジオ収録裏話」とか今週喋ってくれないかな。そうこうしてるうちに聴取が習慣化するリスナーも中には居るかもわからない。利用できるものはどんどん利用しよう。

しかし、3週目。本当にただの雑談でしたね(笑)。でもまぁ、これでいいのである。2週目の「丸の内サディスティック(EXPO Ver.)」がビッグ・サプライズ・プレゼント過ぎたのだ。冗談抜きであれ、普通に配信シングルとしてリリースしとけばゴールド行ったんじゃない? つくづく商売が下手なチームですよ(笑)<冗談だよ

でも、本当のプレゼントはこの砕けた会話ですよ。もうね、お母さんの事があったせいでどうしてもヒカルが喋ると重い話題もついてきちゃってて、だからってそれを"煩わしいと思えない自分"が居て、あぁ、どこかそういう重々しさをヒカルに期待しちゃってるんだなぁファンとして、っていうのがどうにも引け目でね。『桜流し』や『真夏の通り雨』といった重い曲調が『Fantome』において"支配的なポジション"に居たのが大きかったのかな。

こうやってなりくんとの雑談を耳にして、なんだかやっと素直にヒカルに馬鹿な話を期待できる気分になってる。ダヌパの存在がいちばん大きいのだけれど、音楽的にも「ただ馬鹿騒ぎするだけの曲」とかを期待できそうで。有り体に言ってしまえば、モードが『Fantome』から次のアルバムに移りつつある気分を感じるのです。こういう時に言うんだよね―昨日今日と寒かったけれど明日からまた暖かくなります―「春が来ました」って。

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『30代はほどほど。』のメイキングダイジェストとやらをGYAO!が配信してくれていたので観てみた。やれやれ。「失敗するプロジェクト」の見本のような雰囲気が流れてくる。こりゃあ、そうなるわな。

幸いに、と言うべきか何なのか、WEBで観てても『30代はほどほど。』を"叩いて"いる人間はほぼ自分以外にはみられない。ならば自分が押し黙ってしまえばもう一生"誰もイヤな思いはしない"んだなぁ、と思うとすぐに筆が鈍る。人生短いんだし。しかし、得られる教訓は得ておきたい、という本音が勝った。相変わらず書く。

先週「けものフレンズ」の第11話のニコニコ生放送でアクセス過多により接続不良が多発するという"事件"が起きた。一般会員のみならずプレミアム会員まで弾かれたというから相当であるが、これを受け公式は即謝罪、翌日に再放送を設定した。まぁなんというか、よくあるとまではいかないが、突発的に人気の出た作品に対して運営システムが追いつかなかったという1例だ。

宇多田ヒカルはちゃうやん。人気あるのわかってるやん。事前登録制にしたやん。なんで接続不調が起きるねんいう話。予測がつかないなら何故試験放送をしなかったのかと、ここでも再三指摘してきた。

「メイキングダイジェスト」をみて、合点がいった。納得はしとらんが。完全に「意識高い系」の空気になっとる。皆クリエイティブに対して凄く意識が高い。本当に皆頑張ったんだろう。努力したんだろう。寝る間も惜しんで働いたのだろう。こうやって皆が皆やる気を出して高い意識が現場を埋め尽くすと、誰も言えなくなるのだ、「このプロジェクトって根本的に間違ってない?」って。

つまり、『30代はほどほど。』が失敗したのは、スタッフの誰かが怠けていたとか手を抜いたとかではなく、真逆で、皆が真剣に取り組んだからこその必然的な結果なのだ。「努力すれば結果はついてくる」。その通り。見事に結実した。ダメなものをちゃんとダメなものとして仕上げたのだから。

誰かが勇気を出して言わなくてはいけなかったのだ。大した額ではないかもしれないが、VRメガネに関しては返金まで行った。普通の商習慣に照らせば"不祥事"と言っていい"被害"が出たのだ。結果論だがそうなる。

しかし、現実に、走り出してしまったプロジェクトを途中で中止させるのは極めて難しい。特に、現場がやる気で漲っていると尚更なのだ。どこか綻びがあればそこを突いて中止に追い込む計画を練る事も出来るかもしれない。しかし、こうも誰もが高い意識でいられると、それこそ、"とてもそんなこと言い出せる雰囲気じゃない"んですよ、えぇ。

そういうプロジェクトの最大級が"太平洋戦争"だというのはよくある比喩なのだが、70年前の話なんて知ったこっちゃないのでその比喩には関わらない。だが、もしそうだったとしても納得できるなぁ、と「メイキングダイジェスト」をみて思ってしまったよ。皆が真面目で働き者であればあるほど、あっという間に全体が落とし穴に向けて突っ込んでいく。「そっち行ったらまずいんじゃないの?」と言えるのは、プロジェクトが提案されて走り出すまでのほんのちょっとの間しかない。そのほんのちょっとを突けなかったのが今回の「敗因」だったのかな、とそう思った。そこで「そうだよねぇ」と言えてれば、何事もなかったのだ。歴史は繰り返す。最初の思い付きがダメかどうかを判断するのは大変難しいが、ここから教訓を学んでおかないと「失敗」した甲斐がない。学び取れる事は学び取っておこうぜ。

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「けものフレンズ」第11話がなぜ「衝撃的な展開」と言われているのか、冷静になって考えてみたいと思う。

ストーリーのプロットとしては、別段新奇なものがあるとは思えない。大体、どの1クールアニメも第11話あたりは強大な敵が出てきて主人公たちがピンチに陥るものだ。「まさかそんな展開になるとは」という意外性によって"衝撃的"と言われている訳ではない。

敵として扱われるセルリアンの"脅威の度合い"については、視聴者の中でも予想に幅があった、という事はありえる。もっと穏やかな状況で相対するんじゃないか、という予想というか心づもりをしていた人もおられよう。そういう方々にとってはやや"脅威の度合い"がどぎつすぎたかも、わからない。

とはいえ、そういう人たちにとっても、今のセルリアンの"脅威の度合い"が、最初の登場の時の怖さからして不自然な域にまで来ているかと問われれば「言われてみたらそんな事もないな」となるのではないか。セルリアンは、少々スケールは小さめながら、最初の登場時から不気味で不穏で怖い存在だった。その延長線上に第11話はあったとみても、不自然とは言えないんじゃないかなと。

基本的に、おおざっぱな展開として、どこかでセルリアンと真正面から対峙しなければいけない場面が来るというのは序盤から"期待"されていた事だった、とそう言いたい訳である。

思うに、こういう、石鹸枠と変わらない"ベタな展開"に皆が"衝撃的"と言うのは、展開の意外さや新奇性に原因があるのではなく、「視聴者がかばんちゃんやサーバルちゃんに感情移入しているから」なのではないか。

「何を当たり前の事を」と言われそうだが、最近の深夜アニメがいちばん不得意だったのがこれなのだ。皆目が肥えてしまって、こういう"謎めいた展開"を盛り込もうものならそれはもう生き馬の目を射抜く位の気合いで頭を捻らなければ、衝撃を与えられなかったのだ。皆、内容に苦心惨憺していた。

けもフレはそっちに行っていない。当初指摘した通り、ストーリーのプロットは寓話や童話のレベルに普遍的で王道である。第11話はその中でも"英雄タン(うわ変換が出ないぜスゲー間抜けだ(笑))"と呼ばれる類いのものだ。やはり、何も捻りはない。

しかし、今までの10週を通して我々のかばんちゃんとサーバルちゃんに対する愛着はMAXにまで達していた。サーバルちゃんが「すごーい!」と言う度に「おぉ、すごいな。」と思い、「たのしーっ!」と叫ぶ度に「おぉ、楽しいな。」と思ってきた。たったそれだけの事なのだが、これが出来るアニメは数少ない。それをやってのけたからけもフレはすごーいのである。展開自体がお話として衝撃的なのではなく、我々が彼女たちの感情を共有する構造に巻き込まれているから、たとえベタで王道な話の流れであろうとそれを衝撃的に感じられるのである。

キャラクターへの愛着。それは最近深夜アニメではストーリー性と分離していた。キャラクターを前面に押し出した作品は「萌えアニメ」として扱われ、キャラはかわいいがストーリーは皆無、という見方が定着していた。一方、ストーリーのプロットで勝負するタイプの作品は、展開自体を衝撃的に仕組む為に、例えば次から次へと登場人物を殺していくなどしてキャラクターへの愛着なぞ別世界の話だった。けもフレは、視聴者にキャラクターへの愛着を持たせながら、(どれだけありふれた内容だろうと)物語をしっかりと作り込むという、分離していた深夜アニメの2つの側面を融合させた。…いや、再融合させた、と言った方がいいか。本来、アニメの王道として、その両面を備えているのが理想だったのだから。

したがって、最終回も、特に意外な展開をみせないだろう。1クールアニメらしく、王道の大団円をみせてくれる、即ち、普通に終わる筈だ。しかしそれでこそ我々は感動できる。感情移入によって、その世界に入り込んでしまっているのだから。名作の、名作たる所以である。

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けもフレ11話まで観た。本当によくできた、丁寧に作り込まれた名作だが、当初言っていた「情報量の厳選」がこの3話でやや蔑ろにされているようでそれが残念だ。いや勿論、不必要なカットは極力カットされていて重要な場面ばかりで構成されているのだが、如何せん尺が絶対的に足りていない。今の演出の余裕の無さはスケジュール管理より寧ろ1クールに話を詰め込む為の妥協案、みたいな感じだろう。視聴者層を考えると、リズムと「話のまとまり」なら後者が圧倒的に重視されるので現実的な選択としては大正解だが、もっとゆったりのんびり眺めていたい人間は前者を重視するので、そこはやや物足りない。しかしこれは、物語を生み出すものの宿命である。

この作品と比較されるべき「ワンピース」の方は、最早「情報量の厳選」とか贅沢を言っていられない状況にある。兎に角物語のプロット・アイデアが多すぎて、今や完全に尾田栄一郎の寿命との一騎打ちである。細かいコマ割りと長台詞でダイジェストのように進行させていくしかない。初期のように大ゴマを使った迫力のある場面は最低限になってしまった。それでも譲らない場面はちゃんと描写してるのは流石だけど。

尾田は宮崎駿を「描きたい絵が多すぎて物語の整合性に構っていられない状態」だから「もののけ姫」を境にして宮崎アニメから物語の魅力が失われた、と正しい原因の分析をしていたが、尾田は全く逆に「書きたい物語が多すぎて絵に構っていられない状態」に陥っている。あれだけ本編で大量のキャラクターを描いておきながら、サイドストーリーを幾つも抱えて(いて漫画に描ききれていない)のだから驚きだ。

普通のクリエイターは、日々アイデアが出てこないのが悩みになっているが、彼らのような天才たちは「アイデアがありすぎて表現しきれない」のが悩みだ。全く逆ベクトルに悩んでいる。目を瞑ったら頭の中に勝手に完成された交響曲が流れ出す(のでやる事といったらその曲を"記憶して"楽譜に記す事くらいだった)モーツァルトとよく似た状況である。

けもフレがそれにあてはまるかどうかは、12話目で明らかになるだろう。物語的には何も心配していない。今もって、ありきたりな、王道ともいえるお話が続いている。あとは尺に入りきったかどうかだけが懸念だ。それが判明するのはまた来週のお話だな。あの空気感は、きっとそのままでハッピーエンドを迎えてくれるだろう。

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やっぱりもうちょっと突っ込んだ話を聴きたかったのは、椎名林檎嬢が丸サ駅場〜をどうして番組に?送る事になったのか、だ。番組で歌うからマイナスワントラックを送ってくれって言われて、はいそうですかと送るのかなぁ。

いやもっとも今回は「宇多田ヒカルが歌います」という触れ込みがあったのだろうから、これは、林檎嬢がヒカルと懇意なのを差し引いても回答は二つ返事しかない。考えてもみたまえ、自分が作った曲を宇多田ヒカルが歌ってくれる…作者としては「聴いてみたい」という感想以外不自然だ。そりゃあマイナスワンくらいすぐ送るよね。

経緯をこだわって訊きたいのは、当然ながらこの流れに恒例化して欲しいからだ。経緯と方法によっては、「宇多田ヒカルカラオケ」の第二弾以降も期待したくなってくる訳で。

創作に時間のかかるヒカルがリリースを稼ぐにはカバーアルバムが適している、なんて話は何度もしたし、余所だってそんな話しているだろう。どうせなら周りが総てお膳立てしてヒカルはその場に行って歌うだけ、っていう風になるようなノウハウを積み重ねたい所だ。どんどん酒を飲ませろ。強そうだけど。

ただ、これがラジオ出演として続いちゃうと痛し痒しだよね。だってあんなトラック「売れよてめー」が皆の総意じゃん。ラジオで聴くだけとか有り得ない、自分のライブラリに招き入れたい、っつーのが本望。なので、やっぱりカバーアルバムを定期的に出すのがいい。

こういうのはリアクションが大事だ。今は一発録りをラジオで公開しているだけだが、いざいつかカバーアルバムを作ろうとなった時にの選曲に影響を与える事だろう。「そういえば、あの時歌ったヤツやたら評判よかったな…もっかい歌ってみるか」という風になる。無駄ではない。積極的にリアクションしよう。

今日あった番組ツイートにはカラオケの話はなかったな。わかっていた事とはいえやはりがっくし。30番組の最後3分で歌うのってここまで効果的なんだなぁと。サプライズとか要りませんから。「宇多田ヒカルが歌います」と言われて身構えていても聴いた瞬間に「何て歌手だ!」と驚く真のサプライズが待っているんですからねー。なりくんに限らず、そこらへんのところ周りのみんなはよくよく考えた方がいいと思う。ヒカルを歌わせろ!

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うひー、もう明日の夜には「MUSIC HUB」も最終回か(違います)―嗚呼、来週からヒカルが来なくなるってだけですねスイマセン。もっと来てくれてもいいのよ?(お前が言う事じゃない)

先週の「丸の内サディスティック(EXPO Ver.)」、歌詞の構成を纏めてみたいと思ってたのにまだやってなかったな。あれはちと時間がかかるか。EXPO Ver.は元々英語詞を多用しているのだが、ヒカルは日本語詞の方―つまり、オリジナルである「丸の内サディスティック」(from「無罪モラトリアム」)の方から歌詞を取ってきていて、そこが少々捻れているという訳で。椎名林檎嬢から貰ったマイナスワン・トラックはEXPO Ver.で、ヒカルはそこにオリジナルの方の歌詞を載せている、とおおざっぱに言う事ができる。「三文ゴシップ」以外に別の「丸の内サディスティック(EXPO Ver.)」があってそっちでは林檎嬢も日本語詞主体で、なんてことはないのかな。もう少し調べてみるか。

先週あんなの聞かされたら今週もやれよ寧ろ30分それ(2人がひたすらカラオケ)でもいいじゃん、と言いたくなってくるが流石にもう収録が終わってる訳で。というか元々2週出演の予定が録れ高がありすぎて3週に拡大した、という事だからそもそもは2週目のラストにこうやって丸サドを披露して終了、終わりよければ総てよし!みたいな構成だったのかもしれない。とすると明日夜の放送は後日談というか、正規の2週分に入りきらなかったアウトテイクトークを集めたものになっている、とか。既に脱線しまくりのトークに正規も何もない訳ですが。嗚呼、もしかしたら30分フルじゃないのかもしれないね。いい加減なりくんも「MUSIC HUB」っていう番組も宣伝しないとねー。このまんまじゃ「宇多田ヒカルをゲストに迎えて3週放送した番組」以上の印象が残んないもん。普通なら、これをキッカケにして番組を毎週聴く人を1人でも2人でも増やしましょう、となる所だけど、なりくんはどうかなぁ…? 別にパーソナリティが本業でもなさそうだしいざとなった
ら自分の会社がスポンサーすりゃいい立場なんだから自由にするか。そーだね。

出来れば、先週の放送を同業者のミュージシャンの皆様が聴いていてくれていて、「なぬ。この番組にマイナスワントラックを送りつけると宇多田ヒカル(となりくん)が歌ってくれるのか。…早速送りつけたろ。」となって次から次へとなりくんの元にカラオケが送られてくる、なんて展開になってくれたら素敵(←我々にとってはな)なんだけど、誰かやんないですか?(笑)

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オフィシャルの英語ニュースが更新だとぉ!? それだけでちょっとしたニュースじゃないか。

ふむふむ、それによると。

「宇多田ヒカル・スペシャル・セレクション・オンエア情報」

「"ワクワク・ジャパン"はあなたのお住まいの地域の言語であらゆるジャンルの日本にまつわる番組を一日中観れるエンタメ・チャンネルです。」

「今日本でホットなアーティストを紹介する"ピックアップ・アーティスト"。4月の特集は唯一無二の宇多田ヒカル! Part1では過去のMVや貴重なコンサート映像を、Part2では最新のMVも流すので見逃すな!」

「ワクワク・ジャパンは、台湾・シンガポール・インドネシア・ミャンマー・スリランカ・モンゴルにて放送。」

「現在、スリランカとモンゴルはご当地向けのWebページをご用意できておりませんので他4ヶ国のWebページをご参照下さい。ワクワク・ジャパンの視聴方法は、その各ご当地向けWebページにアクセスして下さい(スリランカとモンゴルは除きます)。」



…みたいな事が書いてある。つまり、アジア諸国で国際的にジャパン・カルチャーを紹介するチャンネルでヒカルが2週に渡って30分番組×2回特集されると。グローバルだねぇ。

多分、こうやって特集される事自体は珍しくないんじゃないかと私は勝手に思っている。シンガポールなどは既にヒカルの"国内盤CD"を販売してきた実績がある訳だから。珍しいのは、それをこうして事細かにオフィシャルが伝えた事だ。そんな事って今までありましたっけね?

これはつまり、いよいよ宇多田ヒカルが"EPIC/SONY"を拠点として一元的に地球規模で活動を展開すると考えていいんですかね梶さん? いや、どなたが担当されるかは存じ上げませんが、恐らく、各国のUtada情報を吸い上げるネットワークを構築しようという心づもりでは。今回の告知はその手始め、といったところでしょうか。さてさて、どうなりますやら。


…これだけ煽っておいて英語ニュースがこれっきりだと私がこっ恥ずかしいので、是非今後も英語ニュースのアップデートを宜しくお願い致します(笑)。


にしても、モンゴルとかにもヒカルのファンが居るとしたら、なんだか嬉しいね。白鵬より有名なんだろうか、とか考えてしまうなぁ。そのうちヒカルの各国版オフィシャル・サイトとか出来ないかな〜…妄想が暴走するネタをぶっこまれて困惑中でございますよ、私は。冷静になれw

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