最も適した状況は突き詰めると客ナシになる。然し「誰かの為じゃなく自分の為にだけ歌える歌があるなら私はそんなの覚えたくない だからForYou」と嘗て歌った光にとって聴き手のいない歌など無意味だ。誰かは必ず居ないといけない。でも、私が子供の頃を振り返ってみると歌を口ずさむ時それは誰かに聴かせる為でも何でもなくただ歌いたいから歌ってただけだった。その意味では光の歌より私の歌の方が強かったとすらいえる。歌う責任と自由がまず私にあったからだ。歌う為の歌は私1人居れば生まれてくるが聴かせる歌は他者が居ないと生まれてこない。ならば聴き手を失った時光は歌わなくなるだろう。僕らが光に感じる不安の根源は常にそこにあった。が、2年前漸く光が1人キリの時に誰に聴かせるでもない歌が生まれた。それが「ぼくはくま」だ。ただ何となく口ずさんだだけのこの歌は、たった1人の人しか居なくても最初から「誰かに聴かせる歌」として生まれてきた。子供の頃の無邪気、歌が唄われる理由、孤独とは何かという問い、総てを優しく包み込んでくまちゃんは光の部屋で今日も笑顔だ。今の光の強さは、歌を唄う自由がやっと光の手の中に来始めた証拠。光の唄う歌は光の自由だ。まだ過渡期ではあるけれど。
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