無意識日記
宇多田光 word:i_
 



遂に発表になったWildLifeDVD詳細、横アリ/映画館/UST/NHK/オンデマンド/スカパー/SSTVと徒然に観てきた本編140分に特典映像60分が加わるとなればファン必携間違いナシ…、ってココの読者に云うの結構恥ずかしい。買わない人が居てくれる方が肩の力が抜けて嬉しいのだが、まぁソレはイイや。気になるのはコレだけ沢山の人が目撃した本編映像に対して特典目当て以外でどれ位需要があるか、UST生中継は購買意欲を上げたのか下げたのか、先着ポスターの枚数が5万という事はEMIの初動見積もり上限はコレ位なのだろうが、あと5週間で既発作のBlu-ray発売が発表になるか、ソコが鍵だな。

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適当に言ってる様な口調はいつも通りだが、自分で作った歌のみならず他人(ジャン=ジャック・アノー)の撮った映画(子熊物語…小熊じゃないのね)にまで"最高傑作"と宣うのは流石に盲信的(猛進的?)と言われても反論できない。尤も、"いつでも本気"な人が特技"人を惑わす事"を発動した場合、対処する方法は皆無な訳で、「やれやれ」と呟き乍も「そうなんだろうなぁ」と何となく納得してしまうのがファンの性。今迄観たアノー作品といえば薔薇の名前位しかない私だが、熊のもつ普遍的な愛らしさをどう捉えたのかはちょっと見当がつかないのでいつか観れたらなと思う。

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"パターンに陥った手法"を駆使するのはPopsの鉄則だ。幾ら質が高くとも聴衆は聴いて理解できない、安心できないものは公に評価しないからだ。手法が手垢に塗れて初めて、友達が読み古した漫画本や着慣れたパジャマの様に親しめる。何か革新的なサウンドを編み出して同業者の尊敬を得ようとするなら、Popsの場合ソレを楽曲の目立たない部分に隠し込む(斯く仕込む)事になる。苦労の結晶は、而して"地味な発明"と控えめに形容されるのだが然し恐らく"識者"からの好評価は聴衆に安心して聴いて貰える一助になるだろうから、Popsの構造としてとてもよく出来ている。

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シンジにカヲルが話し掛ける最初の「歌はいい」の一言と、墓所の主が最後にナウシカに語る「人間に大切なのは音楽と詩となろう」の一節は私にとってほぼ同じ風に響く、というのも庵野宮崎両氏ともアニメに人生を捧げながらキャラにこう呟かせる何かが、歌(コレは音楽と詩の間にある)にはあると感じさせるからだ。ン千年の時を経ても人間には歌がある―だとすれば日本で最も歌作りに長けた光の歌は、最も後世迄"日本語"を伝承し得る「文化」なのではないか、ならば今僕らが聴いてるこの歌達は日本語や日本人や日本が滅びても生き続けるのかな、そんな事をふと考えた。

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ツイートを参考にすると、WildLifeはDVD/Br確定としてもITF10は配信のみになる気配なのだが、ソレならいっその事会社もEMI一社になったのだしWLDVDの初回限定特典にITF10DVDをつけてはどうだろうか。勿論私は採算など考えずに云っているのだが、今の日本でUtaDAのパフォーマンスを買って迄観たい層がどれ位あるか、日本語曲が重複したLIVE作品を短期間に競合させても殆どのファンがWLのみ購入で落ち着くのではないかと思うのだ。理想論だが、今後単一のアーティストとして活動していくにあたりEx&TiTOの曲を(ベスト盤以外で)ヒカルのファンに紹介するイイ機会になるのではないか。

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初のUS/UKツアーとなったITF10がDVD化/配信された暁に売れ行きに注目したいのがアジア諸国だ。いつも(12年間ずっと!)初恋の総売上数の値について混乱が止まらないのは、ソレが日本国内のみか全世界合算かが曖昧な為で、日本以外の国で200万枚以上売っている為誤差が凄まじいのだ。ループするこの話題に新局面が来るとすれば、光がその200万のうち多くを占めるアジア諸国―タイやインドネシアといった国々をツアーして彼女達に"僕らのアーティスト"と思って貰った時だろうから、ITF10映像によって"ウチの国にも来てくれるかな"という期待感を煽れるのはとても大きい気がするよ。

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話題性等皆無な中で光がLIVEした事がない訳ではない。嘗て、丁度6年前の今日行われたNYショーケースは(当時の映像でも確認できる(らしい)が)聴衆が立ち話している様な雰囲気だった。つまり光は日本では過去最大級の注目の中、USでは普通の新人として各々LIVEデビューした訳だが、昨年はその注目度の差が着実に縮まっている事を両国で示しつつも神様&ピッコロ再融合の様に一人のUtadaHikaruとしてEMIと契約した。てコトは今度は1ッの名前の下で分裂した評価を行き来してツアーする事になるのだが、コレが"均された"頃が漸く光のLIVEパフォーマとしての出発点になるとみる。

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軽妙なヤリトリが続く光のツイートの中で私のお気に入りは『(作品作りの)真価が問われるのは何もない時ry』の1文で、光の作曲力の成長を期待させて嬉しいのだが、もう1面、ライヴパフォーマーとしても同様の成長を期待したい。作り手の"何もない時"に対応する状況は皆が宇多田ヒカルを「いつでも観れる」と思った時だ。提供される機会が今迄極端に少なかったのがヒカルのライヴで、故に人はそのプレミア感に食いついてきたが、その真逆に「いつでも(来年も再来年も)観れるけど、今夜観たい」と思って貰えて初めて真に魅力的なライヴパフォーマ-だと光は胸を張れると思うのだが如何。

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ルールを破るのが公的な利益に反するのに対しセオリーを破るのは大概私的な利益に反するだけな為無関係な他者からは容認され得る。段平の抑止もきかずノーガード戦法等のセオリー破りな戦いぶりで快進撃を続ける初期の丈の生き様に於いて、然し、読者として印象に焼き付いているのは"あしたのために"と題した段平による徹底的なセオリー教育で丈が成長していく姿の方だった訳で、ソレ即ちセオリーを忘れられる者はセオリーを覚え身につけた者に限られる、山を降りれるのは登った者のみだ、そんな含意もSMLNADの歌詞には込められているのかなとエンドロールを眺めながら考えていた。

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この作品の見所はやはり役者陣の並々ならぬ気迫にあると思う。割れた腹筋と露骨な肋骨で極限の減量に挑んだ力石徹の精神を身をもって表現した伊勢谷友介の本気度は凄い。クールさを原作よりやや強めた矢吹丈を堅実に演じた山下智久も主役の重責を見事果たしたといえる、が、やはり断トツで唖然とさせられたのは丹下段平役の香川照之だ。何故あんなマンガそのまんまの特殊メイクでこのシリアスな映画に溶け込めてしまうのか、香川のキャラに対する理解度は尋常ではなく多分私も事前に教わっていなければ彼が演者だとは露程も思わなかっただろう見事な怪演だった。

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ラストに流れるSMLの必然性はどうだろう、と鑑賞前はやや不安だったが確り劇中のセリフと歌詞が絡ませてあり一安心といった所。よくよく原作を知る身としては女性歌手を起用する事からして疑義を挟めたのだが今回の実写版は原作に較べ白木葉子(香里奈)の役割が重視されておりお陰で光の歌声が流れ始める事に対する違和感は格段に少なかった。経緯は兎も角サントラもピアノやギターが効果的に使われていてSMLへのよい伏線となっていた。いつも通り歌は5.1chMixでなくCD通りの2chMixだったがコシの強いサウンドには寧ろコチラの方がタイトさが強調されててイイかもしれない。

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ルカ&ミチルのイメージが(当然乍)強いPoLの"私とあなた"だが、コレも又呼称や口調に囚われなければ様々な人間達の関係に解釈可能だ。 肉親、例えば母が子を生んでからの物語と読んでもいいし(その場合"友"に引っ掛かるが)、男同士でも男女でもいい。現実に引き裂かれる2人の間に生まれる感情を"対象の組合せに依存しないレベル"で捉えられている為聴き手も感情移入し易いのだが、同時に光が元々その感情を持つに至った特定の組合せは隠匿される。多分コレこそが"虚構が現実より教訓的"たり得る一因であって、光の個人的体験を普遍的に表現する秘策なんだと思う。

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「目的は何だ」と思わず呟いてしまいそうな光の"打ち合わせ"ツイート、次の仕事の話なのかそれとも"仕事してない期間のアレコレ"についての話なのか、光のメッセージ発信方法からしてすぐには判明しないだろうが今後の展開として思い付くのは既存映像作品のBlu-ray化&配信化、或いはB-tracks集だろうか。国全体で地デジ移行してしまう以上DVDでは画質が見劣りしてしまうし、シングル盤を今から集めるのは大変だから纏めてリリースしてくれると便利だし。なるべく光に負担のないカタチで人活中も継続的に何らかのリリースがあるならソレ程寂しい思いをしな…イヤやっぱ寂しいな。

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論点を整理すると、LettersやBWで対象を母だと設定して話が通じるのは、光が母をガッチリ想定して作詞した為という訳では、ない。額面通りに受け取るのが勿論真っ当な解釈だし真実なのだが、嵐神自体が元々母以外の別の人に向けた歌になりそうだった事を想起。"思いのカタチ"が光の中に先にあって、その感情を当てはめられる対象を後から特定するという作詞過程を経るのなら、今迄挙げてきた曲の"思いのカタチ"自体に共通項が在るから"母"というキーワードで貫けるのであって、リスナーが各々に特定の誰かを思って曲を聴ける様光は予め設えていると解釈すべきだろう。

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こうしてBWと嵐神を聴くと得心のいく表現が次々と現れてゆく。詞を並べるだけでイイ―『何が欲しいか分からなくてただ欲しがって』『心の隙間を埋めるものを探して何度も遠回りしたよ』―まるで1ッの曲の1番&2番みたいなハマリ具合だ。コレに加え『言いたいことなんかない ただもう一度会いたい 言いたいこと言えない』と強がっていた自分に対して、「この想いが"誰へのものか"を口にすること」を遂に許した挙句に出てきた1節が『お母さんに会いたい』なのだと解釈すれば綺麗に繋がる。『こんなに青い空』の下には斯くも美しい世界が広がっているのだ。

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