無意識日記
宇多田光 word:i_
 



Twitterでこんなリプライを頂いた。ありがとうです。

「ウクライナ国民だけでなく世界多くの人たちが反対しているのに、ロシアの国民の多くが望んでない戦争を何で止められないんでしようね。」

どちらかというと質問というより詠嘆だと思うが、ここは敢えてマジレスしてみるか。

戦争が起こるのは、軍の指揮権を持つ人が暴走するからだ。故にその人(大抵はその国の実務のトップ)をどう選ぶかのプロセスが大事なのだが、非民主国家であれば国民からの支持が多少少なくても軍を握っているのだから武力で威圧すればいいだけの話なのである。他の理由で一旦トップに立ってしまえば後は恐怖で威圧するだけ。独裁者というのはそうやって出来上がる。極論すれば非民主国家がどうなるかは運でしかなく、こういう事態はロシアに限らず起こり得る。

民主国家でも少し前のアメリカのように危なっかしい事態に陥る事もあるしな。まぁあそこはそもそも好戦的な国家なのでトップがどうのというのもあんまり関係なかったりするんだが。

ん?こんな話はつまらないか。そうね。ここでついつい考えてしまうのは、ヒカルさんが英国に住んでいること。

英国は日本に近く(というか日本の手本の1つか)、王を戴きながら民主制を敷いている国だが、世界史の教科書によるとその二枚舌で世界の歴史を混乱させまくってきた悪逆非道な国家のひとつでもある。南欧諸国も大概だけど、19世紀20世紀までの大国って大なり小なりそんなもんなんだが、産業革命の根本なだけあってそれはもう以下略。

ヒカルさん、この国のあり方について思うところはないのかな?というのが気に掛かる。欧州とはいえ島国でBrexitなので今回の戦争については報道が少ないが、NATOのメインの国の1つなので主導的な役割の一端を担っているはず。ヒカルさんの場合、生まれた土地だからそこに住んでいるというのとは違い、自ら住む国を選んでそこに居る訳だから、そうね、その国の気に入っている所とそうでないことって、どこかで発言しておいた方がいいのかもしれないな、とちょっと思ったのでした。でないと変な言い掛かりをつけられるかもしれない。藪蛇にならぬよう、タイミングを見計らってこっそり主張しておくくらいがいいのかもしれません。

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「ロシアのウクライナ侵攻」のニュースは、どれくらいの波及度なのかな。ふっとフォロワーさんのツイートをみると、メンタルが弱る方向に棚引いてるように思うので一回情報を遮断する事も考えてみて欲しいとこだけど、テレビもウェブもスイッチを切るっつったって難しいわね。これ読んでくれてる時点でブラウザ開いてるんだしな。

「ロシア側が核抑止部隊に命令」とかいうニュースと『Kremlin Dusk』がダブって見えてしまい。クレムリン・ダスク─2004年発表の『EXODUS』アルバムに収録されていた一曲だがついぞヒカルの口からタイトルの由来に関する話は聞けずじまいで。インスピレーションだって言ってたっけかなぁ? よく覚えてないのだが、ヒカル自身も明確な意味を理解していなかった風だった。

クレムリンというのはロシア語で「城塞」のことらしいが、伝統的な使い方としては、旧ソ連の共産党や現ロシア政府のことを比喩的に指す用語だ。日本で行政や立法機関のことを「霞ヶ関」と呼ぶのに近い感覚かな。或いは、プログレファンがキング・クリムゾンのデビュー・アルバムのことを「宮殿」と呼ぶようなものか。一般名詞が固有名詞として扱われるというのもなんか凄いわね。

そしてダスクというのは夕暮れのこと。なのでクレムリンダスクとは「政権中枢の夕暮れ」のことを指す事になる。一義的には。

この度の侵攻に於いて核の話題が出てきたとなれば、いよいよ政権の末期状態を示唆すると取れてしまう為、この「宮殿の夕暮れ」のメタファーが自分の中で重なった。どんな建物なのかもよく知らないモスクワの宮殿が夕暮れの陽射しを浴びて真っ赤に映える姿を。斜陽というやつですね。ついでにその前に拡がるのは赤の広場らしい。もう画面全体が真っ赤っかで上坂すみれのテンションが爆上がりになるのが妄想される。

この赤が血塗られた赤に染まらないよう極東の地から祈るかことしか出来ないけれど、どうか少しでも平和裏に事が進みますように。

あけすけに言ってしまえば、ロシアへの経済制裁で全世界的にエネルギー価格が上昇し、うちらの買う日用品もまた値上がりするんだろうなぁやれやれ、というのが実際の繋がり方だったりもする。どれだけ現地で軍人やら一般市民やらが殺し殺されされていても、実際の影響は手許の財布がほんの僅かに軽くなる事だけ。人の命は一円玉以下なのか。これで切実さを持てというのはきっと厳しい。もっと親密に全世界が文化的に結び付いていけば、誰もが世界のどこかの紛争を自分事として捉えるようになるのなるのだろうか。「ウィグルのときなんで騒がなかったの?」「なぜシリアを傍観した?」というメッセージが目に入る。きっと名も知らぬ地で大なり小なり似たような事があるのだろうな。シークレット・プロパガンダには、くれぐれも、惑わされないよう自戒しておきたい。


なんか月曜の朝から湿っぽいけど、週末お腹壊して寝込んでた余波でしかないので気にしないで欲しいっす。苦笑いっ。

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あれま。

【お詫び】2月23日(水・祝)発売 宇多田ヒカル 『BADモード』 通常盤 ブックレット歌詞誤表記のお知らせ
https://www.utadahikaru.jp/news/detail.html?id=538353

》この度、『BADモード』通常盤(ESCL-5629)におきまして、ブックレット内23ページ目「キレイな人 (Find Love)」の歌詞に誤りがあることが判明いたしました。

やっちまったなぁ。

でも、リスナーで気にする人の割合は昔に較べればかなり小さいだろう。歌詞なんて無料ですぐネットで検索出来るからね。サブスクやダウンロードを利用せずCDで音楽を聴く人もスマートフォンはかなりの確率で持ってるんだし。

私なんかはこの一報を読んでまず「次のプレス盤を買って見比べようっと」しか考えなかったもんな。外から見分けつかないだろうからガチャ気分になるけども…。まぁそれは『BADモード』を何枚買っても構わない人間の戯言ではあるんだけど、これ交換対応すると詳述されてる割に殆ど応募ないんじゃない? 数十件とかそんなレベルかもしれない。

交換対応になるのは「不良品の回収」も兼ねてるからだわね。法人としてはこう対応しなきゃいけないのが辛いところ。

これ、恐らくなんだけど、まるっきり歌詞を掲載してなかったら何とかなってたかもしれない。「アーティストの意向によりこのトラックの歌詞は掲載されておりません」で通せた可能性もある。が、今回の誤記は一部の欠落(昔は乱丁・落丁なんて言い方もしましたね)なので、言い訳のしようもない、か。歌詞の文字表記は著作権料の発生する著作物なので、その使用料が価格に含まれている以上、誤表記は不良品扱いになる(という解釈でよかったはず)。

言い訳といえば思い出されるのが、今作にも収録されている『Face My Fears(Japanese Version)』のあの部分だわね。そう、今回アルバム・バージョンではしれっと修正されているあの部分。当時イベントで公式があの部分のことを「楽器同士の干渉でそう聞こえるんですね!」と頑なにミスを認めようとしなかったのも、認めたが最後商品の回収騒ぎになるからだった(とあたしは解釈してる)。いや勿論、リスナーの殆どは気にしない・気にしてなかったのだが、そこは商売なので仕方がない。あの部分、パフォーマンスが正しいとすると歌詞カードが誤表記になってしまうし、歌詞が正しいとすると収録トラックが不良品扱いになってしまうという結構詰んだ状態だったのだ。あれを認めてしまうと、今回のような交換対応が必須になっていただろう。歌詞カードが交換されたのかCDが交換されたのかはわからんが。法人としては不祥事で始末書を書く事態だから結構重いのよね。今回気にする人が少ないからピンと来ないかもしれないが、食品でいったら異物混入或いは逆に必要な食材が足りなかった(サッポロ一番塩ラーメンにゴマの袋入れ忘れたとかそういうヤツ…値上げするんだってね…)みたいな事態なのよね。そりゃ重い。料金を不正に徴収してた理屈になるからね。

ということなので、慰めにはならないかもしれないけど、公式を責めるようなことはくれぐれもしないで欲しい。担当者の人凹みまくってるだろうから。枚数も何万枚も出荷してる訳だからその数だけ修正ブックレットを用意しなきゃいけない(と言ってもそれは原則論で、返送のプロセス日程を見れば(以下は略でいいよね))。まぁ宇多田ファンにそんな責めるような人は滅多にいないか。でも、そのほんの僅かの罵倒が応えるのよ。「徳島のファンをバカにするな」みたいなやつな。

今回は突貫工事だったのもあるから(12月28日にまだ曲が出来てなかったんだから)、ヒカルも責任を感じてるかもしれない。校正に取れた時間が極端に少なかったろうし。勿論こっちから言う台詞は「気にしないで欲しい」一択なんだけど、まぁ尾は引くよね。

なのでコレクターのみなさん、「レアな盤が手に入った! 2枚目を買う理由が出来た!」と喜んでおきましょうね。いや、建前上は回収できないと困るんだけど、本人達が凹んでる以上、とにかく周りは優しい言葉を投げ掛けておくのがいいんじゃないかな…ってスタッフツイートのリプ欄と引用リツイートみてみたら既に皆さんそうしてくれてるわね。言うまでもなかったか。いいファンに恵まれててほっこりするわ~。

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インスタライブやった翌日にロシアのウクライナ侵攻の報。『あなた』の歌詞を地で行ったような感覚ですかね。私は国際情勢に疎いので何も言いませんが、ヒカルは言いたいこと山ほどあるだろうな。ウクライナにも宇多田ヒカルのリスナーはいるだろうし、彼女たちが平穏に歌を楽しめる日々が一刻も早く訪れ直す事を願って止みません。代り映えしない明日をください。

その『あなた』の

『この部屋にいたい もう少し』

を表したのが歌詞カード/ブックレットのあの写真だったんだろうかなと。何度見ても麗しい。


さて。今回のインスタライブはアクシデントにより自宅以外のお家を借りて行われた。ロンドンのどこかしらと言っていたのでご近所さんなのかな。それもあってこの第8回はいつもと異なる雰囲気になったように思う。

最初に告げられた通り、ゲストも来ず、何の設備もないだろうから弾き語りなどの企画もなくひたすらTwitterの質問に答え続けるというスタイルで貫かれた。合計で105分もワンコーナーで一人喋りを続けたのって結構凄いことだ。ラジオマスターの伊集院光でも厳しいだろう。同じ光だけど。いやそれあんまり関係ないぞ。

ゲスト無しの状態で同時接続数3万人前後というのもなかなか。大抵のリスナーは喋りよりも歌を聴きたいだろうにね。こういう数字は今後の企画の立て方にも影響を及ぼすものなので、数字の大小に一喜一憂するのもいいけれど、こういうイベントだとこういう体質のファンがこれくらい食いついてくれる、という所から逆算してまた次の企画を立ててくれるのが嬉しいわけでね。コラボカフェとか、そういうのを全国展開出来るかな?っていう参考に、またなるだろう。暫くそういうのは無理だろうけど。

にしても質問を読まれた人にフォロワー/フォロイーさんが多かったのはどういうことだったのか? 重複などあるにせよ3000を越す質問の中からねぇ。1人の人が多数質問していて人数自体はそこまで多くなかった、というのはあるかもしれへんね。まぁでも、ヒカルにカメラ目線で名前を読んで貰えると一生残るので、あれだ、投稿時のIDは音読されても恥ずかしくないやつにしてときましょうね…!


…前回エビの絵文字2つの人が読まれたりもしたから、そこはアイデア次第だったりもするんだけどなっ!

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このたびやっとフィジカルがリリースされたんでLSAS2022の話をぼちぼち差し挟んでいきますよっと。配信スタジオライブのやつね。正式名称は『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios』…長いなぁ…辞書登録しとこ。読みは、頭文字をとると"HULSAS`になるから「フルサス」で…いややっぱULSASで「ウルサス」の方がいいかな…(ほんとどうでもいい)。

で。もうどこからでも話したい事が出てくるので事務的なとこからいきましょーか。

結局、CD/DVD/Blu-rayの3枚組の内訳は、『Laughter in the Dark Tour 2018』(こちらの辞書登録名は“らふだく”)の映像商品と同様「DVDとBlu-rayは同内容」でしたね。

…いやね、そりゃ当たり前だろうって言われそうだけど、再生時間によっては入りきらないんじゃないかと心配してたのさ。蓋を開けてみるとメイキングが13分とかなり予想より短かったので収録時間・内容量に何の問題もなかったというわけ。

『Forevermore』のMVなんて1曲でメイキング30分近くなかったっけ? そのノリで1時間のスタジオライブのメイキングを撮影したら1時間くらいになるんじゃないかと思ってたのさ。杞憂だったぜ。

しかもその13分も事前に半分既出だった(はず。まだちゃんと見比べれてないわ)ので、2800円のチケットを買ってネットサーフィンも欠かさなかった熱心なファンにとって、6800円払って得た新規分は10分足らずのメイキング未公開分と、『Face My Fears (Japanese Version)』のパフォーマンスくらいになったというね。

「それじゃちょっと少なくない?」と言い掛けた人を薙ぎ倒すくらいに、封入されてた歌詞カードorブックレットの写真がよかったのよさ! なんだアレは。カメラ目線の1枚も凄ければ、ダヌくんと抱き合って眠っている1枚に至ってはもうルーブル美術館に飾るべきでしょ…! 神々しい。純粋な新規コンテンツが少ないとかの不満を事前に抹消するこの1枚の威力よ。そして(初回盤では)いちばん底から出てくる『Hxx』の3文字な…つまり「HikkiによるニューHickeyマーク」、なんですよね? xxxがキスマークで、そこにHがかかってる。英語でHickeyもキスマークのことで…って、嗚呼、こういうの口に出して説明しちゃうと野暮になっちゃうわねぇ。そんなとこでごちゃごちゃ語ってるとヒカルパイセンに「うるさいっ!」って言われながら口で口を塞がれて…(妄想乙)。

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燃え尽きて真っ白なハイになっちまったぜ…

ほんに昨日はね。新しく出迎えた『BADモード』のフィジカルを堪能してからのインスタライブ約100分+サイレント芸4分半の連続万来でいやほんと今日からどんな生き方をすればいいのか途方に暮れ…

…てる場合でもないんだな。まだまだアナログ盤のリリースとか続いていくんだし暫くはこれ尾を引いていきますわね。気を確り持たないと。でもまずはやっぱり昨夜のインスタライブの振り返りから。


100分もあると見落とし聞き落とし沢山あるもんだから、アーカイブ保存成功しててほんとよかった。

いやね、書き起こしをしたことがある人ならわかって貰えると思うんすけど、意外に聞き落とししてるもんなんすよ。「あれ?こんなこと言ってたっけ?」ってなる事多数。まぁその頻度は人によりけりで私は断然多い方だとは思うんだけど。

その上、英語も日本語も聴き取り自体が全然できてなくてねっ。昨夜は英語は勿論日本語も「今なんつった?」状態が頻発してていやこりゃあ日記で取り上げる時もひとつひとつ確認しながらでないといかんな誤解に誤解を重ねる事になってしまうなと。なのでゆっくりひとつひとつ行きましょう。

しっかし、なんだろうねあの「かわいい」の波状攻撃は。母親譲りの美形が母親にはなかった童顔維持期間の長さでより強化されてるというのもひとつあるとはいえ、なんだろう、最早一挙手一投足が悉く「かわいい」の射出器官になっているというか。

寧ろ画面に映ってる時間帯ずっとかわいいならまだわかるんよ。私の美的感覚のせいにできる。これが動いて喋って液晶とスピーカーを揺らすことでその都度波のようにかわいいが生成・投擲されてくるのほんとなんとかしてほしい。

先月からの『Liner Voice+』と例のApple Music Radio 1で喋りだけでも既にかわいいの攻撃が緩むことはなかったけど、iPhoneの接写でカメラ目線を駆使してとなるともう目も当てられない…! 昔は「宇多田ヒカルも生き物だから50年もすりゃ老けるんだろうな」とか思っていてそれも別に悪いことじゃない、どころか長生きしてくれるんだからそれ以上のことがあるか!と思っていたくらいなんだけどそれ以上のことがあったわ。このあと肉体が老いていこうがこの「かわいい」は当分変わらないんだなと再び確信を深めているところ。顔の造形やお肌の張りや何やらかんやらに一切依存しない「かわいい」のあり方をまざまざと見せつけられた39歳最初の生配信登場でありましたとさ。それにしてもかわいい…(まだ言うとるw)。

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ふぅ、無事店頭購入。通販でも買ってるけどやっぱり店頭で買うのもいいやね。雰囲気がわかる。

「この店でこれくらいの入荷枚数だったら全国での出荷枚数はこれくらい」というのも計算できなくはない気がするが、自分が買いに行った時点で既に結構売れてたから実際の数値を弾き出すのは無理かなぁ。でも、多分だけど、初週の売上総額はこの5週間のアルバムのサブスクリプション・ストリーミングによる収益を上回るんじゃないかなぁ。なんとなくそれくらいは売れるのではと。とはいっても、それはCDが物凄い枚数売れるとかではなくて、サブスクによる収益が驚くほど小さいという意味。せめて1再生1円或いは1セント以上あればねぇ…出来れば3円は欲しいと思うんだけど一体どうなってるんだろうなぁ…。

って、そんなこと今日考える話じゃないか。


で。公式からはCD開封動画もアップされてるみたいだけどこのあと自分で開封するので後回し。そりゃあね。

なのでフィジカルの話は明後日からするとして、もうあと24時間を切ったインスタライブの話をちびっとだけ。

まず、皆さん部屋を片付けておこう! そして、ちゃんとお化粧もしておこう! 外で観る人も居るかもしれんが、御時世的にも季節的にも自宅鑑賞組がいちばん多いだろう。そう、前みたいにヒカルが視聴者と繋げようとなったときに慌てふためいたりどうしようかと逡巡したりして後悔のないようにしときましょ。ヒカルと話せる一世一代のチャンスが巡ってくるかもしれないのだから。いや、勿論、明日その企画を行うかどうかなんてわかりませんけど、可能性はゼロじゃないんだからそりゃあね。…え? あ、あたしは手ぇ上げる気はないですけどね。意気地無しなのです、はい。

あと、晩酌の用意も勿論どうぞ。ヒカルもスコッチをストレートで飲んだりしそうだからな真っ昼間から。…ん? あ、あたしはお酒開ける気は無いですアルコールはもういいので……甲斐性無し…。

夜9時だからないだろうけど、宅配物や郵便物、回覧板などは先回りして受け取って。家族と同居してる人はしっかり人払いをして或いは一緒にスマホを覗き込んで。色々と邪魔の入らないように。トイレも先に行っとかないと…って昔だったら言ったんだけどスマホなら別にトイレに持ち込んでもいいんだな…そうなのか…(未だにそういうのに慣れてない人)。

ゲスト来るのかなぁ? ライブやるのかなぁ? 仕切り直しでルーベンと繋いでセッション? うーん、なんでもいいや。ヒカルが元気は顔を見せてくれてれば。遅刻上等。最後ぶちっと切れても仕方ないし。ちょっとあれ面白いし。

そして忘れてはいけないのが(?)、インスタライブは画面は左右が反転してること。結構どうでもいいんだけど、意識してないと違和感がずっと続くのよねぇあれ。なんだかんだでヒカルの顔って見慣れてるんだわな。


兎にも角にも楽しみ。ちゃんとCDの宣伝できるかなぁ? 手許になかったりしない? 大丈夫? それと…(あと色々とくどいのでフェイドアウトしとこ(笑))。

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サブスクで『BADモード』が配信されて5週間、スタッフツイートにもあるように各種チャートでタイトルトラックが軒並み上位にランクインしている。そんな空気の中でのフィジカルの発売。この流れの作り方は宇多田ヒカル陣営としては新鮮だ。チャレンジってやつですね。

これがどれくらい売れるかは確かに見もの。当然ながらアルバム本編はサブスクで聴いている人多数なので、これを買うのは普段サブスクをメリットと思わない「あまり音楽を積極的に聴かない層」と「宇多田ヒカルのコアなファン層」の二極に偏るのではないかと推測される。間のone of themとして宇多田を消費する層にとっては、なんというか、もう既知の作品とでも言うべきか。

なので、Webでのリアクションが様変わりする事もまた期待される。この5週間は市場での影響力とか国際的な評価とか、そういったロキノン読者みたいなレビューが多かった気がするが、ここからはファンによるマニアックな接し方というか、シーンと無関係に作品を楽しむフェイズに移行するのではないか。サブスクは使ってないけど宇多田の新譜なら3300円払うとか、新規映像入ってるんだから6800円も何のその、という人たちが購入するのだから。

メイキングに食いつくのも、「Hikkiかわいい!」と色めき立つ人たちがメインだろう。実をいうと私は自分をここのカテゴリーのファンだと思ってるのだけど(ファンだとすればですが)、あんまり説得力ないんすよね? まぁいいんですが。

これらのことを総合すると、この今日明日のフィジカルの発売は、雰囲気を「落ち着ける」方に作用するのではないかと考えられる。名盤としての評価をこの5週間で定着させてきたその総仕上げとでもいいますか。そこらへんが、今までのアルバム発売日とは違ったところになるのではないだろうか。ここからは、今までの旬の熱気とは違う空気の中で『BADモード』を楽しめるに違いない。


ただ、もし新しいタイアップが発表になるとすれば話は別だ。もう一段階の盛り上がりが形成される。例えば、今年はネトフリドラマ『First Love』の配信が決定しているよね。今のところ時期は未定だけど、楽曲としては『First Love』と『初恋』が使われる事はほぼ決まりで、あとはそこに新曲が投入されるかどうかってとこなのだが、いやここは是非タイトルトラック『BADモード』を使って欲しいところよ。そりゃそうさね、だって

『メール無視して
 ネトフリでも観て』

って歌詞があるんだから! ネトフリドラマでこれを流さずに何とする!? でもドラマの雰囲気に合わないかもしれないから、使いどころは難しいかもねぇ。挿入歌かな?

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さていよいよ明日は『BADモード』のCD/DVD/Blu-rayのフラゲ日だ。ショップ側から言うと店頭陳列日だな。なんで発売日より一日早く店頭に並ぶねん紛らわしいなぁと思うけど書籍や雑誌みたいに2週間とか1ヶ月とか早いわけじゃないから勘弁したってぇな。(…書籍や雑誌は許さへんいうこと!!??)

まぁそれは置いといて。もう一度明日手に入るものが何かをお浚いしておこう。

『初回生産限定盤は1月19日に公開された配信スタジオライブ「Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios」およびメイキングドキュメンタリー映像が収録されたDVDとBlu-rayディスクがバンドルされた3枚組。更には「Time」「One Last Kiss」「PINK BLOOD」「君に夢中」「BADモード」のミュージックビデオも完全収録。ファン必携のコレクターアイテムとして発売される。」
https://www.utadahikaru.jp/music/album/title_21.html

つまり、

・アルバム『BADモード』のCD
・HULSAS2022の映像全編
・HULSAS2022のメイキング
・ミュージックビデオ5曲

この4点が明日から自宅で鑑賞できる訳だ。うむ。

最近のYouTubeのMVは画質がHDだったりするのでMVがBlu-rayで手に入ってもそんなに変わらないのでは…と思われがちだが、私は「音質が全く異なる」と踏んでいる。Blu-rayの方が遥かに良いのだ。詳しい数値は忘れたが、『Laughter in the Dark Tour 2018』映像商品ではDVDとBlu-rayの2つの間で、画質の差よりも音質の差に驚いたものである。明らかに情報量が違った。もしかしたらCDの1.4Mbpsより上だったんじゃねーかな? なので、MV5曲がBlu-rayに収録されているならCDより音質がいいおそれがあるので一度でいいから聴き較べておいて欲しい。流石にハイレゾには及ばないかもしれないが。アルバム『BADモード』をハイレゾで聴いてない人も多いと思うので、そこはBlu-rayの音質に震えて欲しいところだ。

ましてや、言うまでもないかもしれないが、HULSAS2022の音質は配信のそれより遥かに良いだろう。お家のステレオが充実してる人は是非大音量で聴いてやってくれ。

そして、最大の見ものは全くの新規映像も含まれる筈のHULSAS2022のメイキング映像だ。これはもうヒカルが何カット観れるかに尽きる。申し訳ないが他のメンバーは映さなくても構わない(また極論だな)。主役のフィーチャー度が如何程なのか、もうそれだけが評価の基準となるだろう。

私がこれらの映像を観れるのは明日の夜の更新の後になるので感想等々は木曜日以降になるかな…ってその前に明後日はインスタライブがあるからね! いやほんと、明日明後日は顔が笑みっ放しになりそうですわ。ちゃんと足許と青空と前後左右を見て歩こうね私たち…。

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お、Apple Music Radio1の和訳がYouTubeにアップされてるのね。有難く参考にさせて貰おう。前から書いてる通り、私の和訳は自分で引用して論評を加えるためのものなので、他の人が和訳してくれてるからと辞める訳ではないのでありました。寧ろ聴き取り間違いや誤訳を防ぐためには率先して誰かがやって欲しいのよさ。

今回引用するのは47分を過ぎたあたり、日本語詞についての対話の部分。例によって聴き取れてない箇所が多数あるのだがそれを言ってたらいつまで経ってもアップできないので毎度の事ながら草稿時点という事は了承しておいてほしい。


***** *****


Z: I love the way that you are swift so effortlessly between singing in Japanese and singing in English obviously. Like it goes without saying for you. But it's not easy to do those things for another reason except, at least, my limited knowledge. An emotional sentimental words mean different things and can translate in different ways combining as two things as one song. So without feeing like you duel things with yourself in a different part of the word is a real skill. And can you just talk us to a little bit of what the experience is like. Because it's that I've heard people do it in a ways that you feel naturally either language within a sentimental one particular thing ?

H: I think that concern. If you , well, The reason I haven't really mixed it this much before, or and the sense of having like one block section of the song in different language from the rest or having a few different blocks that are like fully English for, you know, like one section and for the Japanese as another, is. Well I was conscious of the fact that if I introduce a new idea on one language then people who don't understand that language full mess out on the whole message of the song, maybe not get across as well. But then on the other hand I thought of benefit of being able to introduce something new like just one, 'cause feel we listen to the music, we don't, without words, we listen to the music in different languages we don't understand right ?


Z : 日本語で歌うのと英語で歌うのを明快かつ軽やかに行き来してらっしゃるところがとても好きです。あなたにとっては言うまでもないことかもしれませんが、おそらく、私の限られた知識ではわからないような理由もあって、それが簡単なことであるとは思えません。感情的で感傷的な言葉というのは(それぞれの言語で独自のニュアンスをもつために)お互いに訳し合ったとしても同じ意味を持てないかもしれない。しかし、それらがひとつの歌の中で組み合わされている。ですから、あなたが異なる言葉同士の衝突を感じさせないのは相当な技術なのだと思います。そこで伺いたいのですが、それはどのような経験的技能なのでしょう? それを訊きたいのは、あなたが(その言語独自のニュアンスをもつ)感傷的な単語をどちらの言語でも自然に感じさせていると聞いたからなのですが。

H : その心配はあると思います。今まで私は(日本語と英語、2つの言語を)完全に混ぜ合わせてはきませんでした。どういうことかというと、ひとつの歌の中で、ひとつのブロック、ひとつの段落では片方の言語を使い、それ以外のブロックではもう片方の言語を使うといったやり方をしてきたからです。ひとつのブロックを日本語にして、それ以外は英語にする、というような。もし私が片方の言語で新しいアイデアを盛り込んだ場合、そっちの言語がわからない人は混乱してしまい、その歌全体で伝えたいメッセージを見失ってしまうかもしれません。そういった事実については意識してきました。しかし、一方で、そういった新しいアイデアを盛り込むことで得られることもまたあると考えています。というのも、私達って、歌詞のない音楽も聴くし、理解できない歌詞のある音楽を聴くこともありますからね。


***** *****


特にここの問答は和訳しただけでは訳がわからないままなのではないかという気がする。というのも、そもそも質問者のゼインさんからして「自分ではよくわからないけど」というニュアンスで訊いてるからだ。単純に、歌詞の中の日本語がわからないから。「私にはわからないが、日本語と英語のニュアンスの違いに戸惑わされずにスムーズに意味が取れるみたいだね。確かに、僕にも日本語と英語の間を自由自在に行き来出来てるように思えるしそこが大好きだ。ただ、そんなことが出来ているとしたら相当な経験と技術が必要になるだろうことは僕にも推測できる。一体それをどんな風にやっているんだい?」と彼は訊いているのだ。「わかんないことがわかんないからそこんとこ教えて」と訊いているので、多分これ日本語インタビューだとしても結構難しいんじゃないかな。

それに対するヒカルの返答は「混ぜているといっても完全に混ぜ合わせてる訳じゃない。段落毎にここは日本語、ここは英語と分けている。完全に混ぜちゃったら片方の言語しかわからない人にまともにメッセージが伝わらない。でも、そのリスクを承知で言語をミックスさせることもある。だって私たちは歌詞のない音楽も聴くし、外国語の音楽も聴くのだから。」という意味の返答をしている。一文が長いから普通に文字で出題されても翻訳に手間がかかるやつだこれ。

更に要約すれば、「日本語と英語を自然に混ぜ合わせてるといってもそこにはちゃんと工夫があるし、リスクも承知しているよ」という話。まぁそんな大したことは言ってない気がするが、インタビューアからすれば興味深い話だったのだろう。それでこのあと彼のテンションが上がるのだがそのパートの和訳はまたいずれ。

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そもそも私、英語はおろか日本語の聴き取りだって覚束無い。ヒカルの歌で歌詞を見ずに聴き取れる英語が3割くらいだとすれば、同じように聴き取れてる日本語って5割行くか行かないかくらいじゃないかな? 大抵、最初は何歌ってんのかわかってない。

例えば『気分じゃないの(Not In The Mood)』のこのパート。

『「私のポエム 買ってくれませんか
  今夜シェルターに泊まるためのお金が
  必要なんです。
 ロエベの財布から出したお札で
 買った詩を読んだ』

ここ、聴き取り難易度としては最低ランクなくらい聴き取りやすいパートだと思うんだけど、私が最初正確に聴き取れたのはこれくらいだったのです↓

「「私のポエム買ってくれませんか
  今夜■■■■■に泊まるためのお金が
  必要なんです。」
 ■■■■財布から出したお札で
 ■■■■■■■■。」

うぅむ、やっぱり5割、半分くらいだな。「シェルター」の部分は、文章からしてきっと泊まるところ、家とかホテルとか民宿なんだろうなとは思ったが、そうか、緊急避難的に泊まる場所はシェルターって言うの全然アタマにのぼってこなかったよ…。

『ロエベの財布から』は、「一体どんな財布?」というとこでフリーズ。2回目聴いてもわからず、結局歌詞をApple Musicで見て確認した。救えないのは、ロエベってブランドを予め知っていたこと。知らないブランドなら聴き取れなくても不思議じゃないんだけどねぇ。暫く自己嫌悪でした。あはは。

そして…そうよね、『買った詩を読んだ』は幾ら何でも聴き取れるだろう?と思われるよね。でも、そうじゃなかったんだな。初聴時は私、ここを

「片足及んだ」

って聴いたのよ。いや嘘みたいな本当の話。でも流石にこれは意味わからなすぎるからそのあと「そういやさっきポエムって言ってた! 「買った詩を」か!」ってなんとか自力で気づけはしましたが、耳に聞こえてきたのは紛う方無く及んだ片足だったのでありました。ってか、及ぶ片足ってホント何なのよ…。


という感じで、今回は、日本語の聴き取りすら悪戦苦闘な私が英語の聴き取りをしてるのですから時間がかかっても仕方がないじゃありませんこと?っていう言い訳をただ言いたかっただけなのでした。ったく、なんだこの週末の締め方は(笑)。

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14年前のメッセより。

『親子で世界ツアーまわるのなんて楽しそうだね(●^口^●)』

https://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_24.html

これが書かれた当時は2008年。

「宇多田ヒカルと藤圭子の世界ツアーとか実現したらとんでもないな!」

とか無駄に心を躍らせていた。

が、2013年8月以降はこのメッセを読み返す度に「嗚呼、もうこれは叶わぬ夢になってしまったのか…」と落胆することになった。何事も命あっての物種なのだ。…物種って単語この言い回し以外で使ったことないな? それはさておき。

しかし今、私たちはこのメッセをまた違うように読んでいる。

「ヒカルがダヌくん連れてツアーとか何それ楽しそう!」

ってね。世代はまわるんよ。

そう考えられるようになったのも、彼が前作『初恋』で渾身の『こ~りゃなんだ? コリアンダー!』を炸裂させてくれたからで…も、あるんだけど(笑)、勿論それ以上に今作『BADモード』での彼の活躍が大きい。

やっぱりバイオリンで弾くならEの音だよね…というのも踏まえた上で(笑)、『気分じゃないの(Not In The Mood)』で自ら進んでアイデアを出してきて自分で歌ってみせたというのが、いやもうそんなの事前に想像もしてなかったよね。だってついこないだ「コリアンダー!」だった子がよ!?

最初ここを聴いた時、「ヒカルの声にエフェクトをかけたのかな?」と思った。『One Last Kiss』では元の声が誰のかはわからないが低音側に変調させた『I love you more than you'll never know』が聴けたが、今度は高音側に変調させたコーラスを入れてきたのかな?とな。

夜中に聴いていたから寝惚けていたというのも勿論あるのだろうが、そもそも声質が似ているんだなと、後から何回も聴き直して納得した次第。もし彼がヒカルのツアーについてきてここのパートをステージで歌ったら…とか考えちゃうな。声質が似てるのも彼が声変わりをする前のほんの少しの時期の間だけだろうし…。でも、彼には学校があるから無理かな~。もしそのとき9月入学の学校に通っているなら7月8月は夏休みだろうからその時期を狙ってツアーをすれば或いは…? そこはわからないけど、夏場にツアーをする動機がひとつ増えた、とは言えるか。

いや、そんなことでツアー日程決める?と疑問に思うかもしれないが、そもそも今ヒカルが音楽活動をしてくれているのは、

『And I thought "I will never be able to write anything again !" I think. and then I became pregnant ! And something else kicked in like , "Wow I'm gonna be a parent ! I need to work!" ( laughing out loud )』

「「あぁ、もう前みたいに音楽を書く事なんて出来ない!」って思ってた。…んだけど、そのあと妊娠しちゃってさ! (自分の人生に)他のことが入り込んできた。で「あれ?私、人の親になるんじゃん!? じゃあ働かなきゃ!」って思って音楽活動に戻ってきたの!(爆笑)」

そう、彼が居るからだ。例えば彼の体調が思わしくないからとツアーを全キャンセルしたとしても何の不思議もない。そもそも彼がいなければツアーを計画されることもなかったろうし、『Fantôme』『初恋』『BADモード』といった超絶傑作群が生まれ出でることもなかった。話の順序を違えてはいけない。彼の成長に合わせてリリースやツアーの日程を決めるとしてもそれは非常に筋の通った話になるのだ。

なんていうか、そういうのに何万人といる世界中のファンが振り回されるとか想像しただけで楽しくなってくるな私は。来週のインスタライブで唐突に乱入してヒカルを慌てふためかせて欲しいもんだわ(笑)。

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前回タイトルを書いたときに「零す」を「“零す”」にした。その時に気づいたのよ、あれ?これ「雨にお願いする」って意味の漢字なんじゃないの?と。

ググってみたら案の定。

── 「令」はお辞儀をして神様にお願いする様子で、「雨」と組み合わせ、神様に願いが通じて「静かに雨が降り始める」様子を表す。
https://ichigoichina.jp/kanji/13/%E9%9B%B6

思わず笑んだわ。ヒカルが『気分じゃないの(Not In The Mood)』で歌ったのは

『雨、雨、どっか行け』

だったので、雨に降って欲しいと願うのと正反対だったんだなって。

私が前回タイトルで書いた“零す”は「愚痴を零す(ぐちをこぼす)」の意味だった。それこそスコッチをストレートで呷りながら「雨止まねーかな?」と益体無く独り言ちる感じですよね。クリスマス明けで体調悪いし友達は犬に噛まれてるし歌詞はできてねーしもうサイアク~…とか何とか言いながら、なんのかんので不幸とかじゃあない。「そういう日もあるさ」のあの精神。なんだか、『降り止まぬ真夏の通り雨』の時期から遷移してまた

「雨のいいところは、必ず止む、ってこと。そのうちね。」
https://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_115.html


の精神にまた戻ってきてる気がするな。(1999/6/8のメッセより)

ただ力強く未来を信じてたあの頃と違うのは、母を喪った絶望を潜り抜けてもなおそう思えているところ。またこの勢いで『生きてりゃ得るもんばっかりだ』って宣って欲しいかも。そう願うファンに対して「今はそんな気分じゃないの」と返してくれるとこまでが、なんというか、尊いなって、そう強く想像するわ。

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『気分じゃないの(Not In The Mood)』の

『雨、雨、どっか行け
 また今度にして』

の一節を聴いていると

『まだ降り止まぬ真夏の通り雨』

という『真夏の通り雨』の一節を思い出す。「通り雨でも降られてる時にその人が死んでしまったら、その人にとってその通り雨は(永遠に)降り止まない」という意味だとヒカルが語ってくれて心底凄いこと考えるなと思ったのだが、この歌が発表されたのが2016年の4月。『気分じゃないの(Not In The Mood)』記念日が2021年12月28日。5年半余りで、ヒカルの雨に対する雰囲気は随分変わった。

デビュー曲の『time will tell』からして

『雨だって
 雲の上へ飛び出せば
 Always blue sky』

と、雨への対処法を歌っているのだから歌詞のテーマは昔から終始一貫しているのだが、

・「雨を上回ろう」と若さ溢れる無敵感を出すデビュー当時

・降り止まない雨にただ立ち竦む復帰当時

・ちょっと無気力に雨を忌避する現在

という風に、それぞれに雨に対する対処法が随分と異なる。15歳の頃は、「うまくいかないことがあっても、それを超える力や発想があればうまくいく」という、自分が成長したりすることで乗り越えられる感覚を持っていた。若いよね。人間活動期前後は、母の死という自分にはどうにも出来なかった無力感や絶望の前に何もする気が起きなかったというか。大人になるってこういうことか。

今のヒカルはただ『どっか行け』と雨にお願いするだけで結局何もしない訳だが、『真夏の通り雨』と違って、落ち込んで無気力ではあるけれどそれはそこまで絶望ではない。この歌は、前にも触れたとおり、この一言で締め括られる。

『It's just one of then days』

「そんな日もあるさ」と。幾つかある日々の中でたまたま今日は雨の気分じゃなかったの、という、なんだろうな、穏やかな日常の中での落ち込みというか。内心はこの曲を今日中に仕上げないとという絶望的なプレッシャーだらけだった筈なのだが、心のどこかで「なんとかなる」という自信、或いは予感があったのかもしれない。確かに、歌詞は出来るときに出来る。それが、たまたま切羽詰まりきった12月28日だったというだけ。『真夏の通り雨』の頃には、ましてや『time will tell』の頃には考えもしなかった境地に今ヒカルは居る。ここまで生きてこられて、私は本当に運がいい。もっとここから好運を求めようぞっ。

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さて前回引用した『Liner Voice + Part.6』に於けるヒカルによる『気分じゃないの(Not In The Mood)』についてのセルフライナーノーツ、その前半部分を見ての感想を少しばかり。なお、ちょうど前半が1番の歌詞の解説で、未掲載の後半部分では2番の歌詞の解説が為されている。


まず印象に残ったコメントはこれだ。

『 I knew that I really really wanted to include this song in the album.』

「この曲をアルバムに入れたいと強く思っていました」といった意味になるだろうか。文脈からして、この“強い願い”は、歌詞の出来上がる前の時点で既に持っていたものだろう。言い換えれば、それだけ強く願っていたから、2021年12月28日というギリッギリのタイミングまで歌詞を書こうと粘りに粘ってアルバムに捻じ込んだということだ。

サウンドもメロディも展開も構成も素晴らしい楽曲だが、しかし、やはりこの曲でまず最初に耳にとまるのは歌詞の部分だった。私も真っ先に「今までの宇多田ヒカルの書いた歌詞でいちばん好きかもしれない」と書いた覚えがあるが、それが曲の出来る最後の最後のタイミングに生まれたというのが、なんだろうかな、ちょっと信じられない。奇蹟だよね掛け値無しの。

最初に(1月19日の未明に)聴いた時はまだこの歌詞が実話かどうかわからなかった。私にとって、この歌詞が現実に基づくかどうかは然程問題ではない。大事なのは、それをヒカルが、ヒカルの目線で実際に見たということだ。見たものであれば、例えばそれが想像や空想、妄想、夢であっても構わない。


更にヒカルはこんな風に語っている。これ、とてもお気に入りです私。

『Not really as a character but more just as a gaze, my gaze is only thing really throughout for the most of song.』

「(曲の中の登場人物になるというよりは、ただそこに私の目線があるだけ。この曲は終始私の目線で(見えたものについて)書かれている」といった意味になるか。その前段では

『being in the song』

とも言っている(はず。私の聴き取りなんてアテにならない。)。『気分じゃないの(Not In The Mood)』の歌の歌詞には宇多田ヒカルが本人として登場してはいるが、だからといって自分自身のことは歌わない。それ以外の、目に入ったものについて語って(歌って)いる。

これがなぜ私の琴線に強く強く触れたかというと、多分こんな日記を書いているからなんだろうなと自分で聴き取ったこのコメントを読みながら思った。ここは私の日記だけど私についての話は殆ど書かない。宇多田ヒカルの話ばっかりである。だけど、この日記をずっと読んでいると、私がどんな人か、長年の読者なら何となく想像がつくんじゃないか。ある意味、顔も知らないけれど、どういう人かは伝わっているというか。

この歌には、そういう、無意識日記めいたところがある。宇多田ヒカルが歌っていながら宇多田ヒカルのことについてはまるで語らない。その日見た出来事をそのまま綴っただけの日記のような歌詞。しかし、その事によって、いつになく宇多田ヒカルがどういう人なのか、どういう風に物事を感じ取っている人なのかが伝わってくる。

指相撲をする人たちについて何か感想があるわけでもない。しまい忘れたクリスマスツリーについて感傷的になっている訳でもない。ただそうだったと書き留めた、歌い留めただけ。なのに伝わる、いや、だからこそ伝わる、ということか。

『... It worked !』

「うまくいった!」──ヒカルが「目に入ったものについてそのままを歌詞にするという手法を試してみたら」いい歌になったという実感が、この2語には表れている。機能した─歯車が回り始めた、みたいなイメージかな。あるべきところにあるべきものがハマって、噛み合って物事が回り始めるような。ここに辿り着けたのも、ヒカルが、歌詞を完成させる前からこの歌の力を信じてギリッギリまで粘ってくれたからだ。そのことにいちばん感謝しているのは、きっとこの歌自身なんだと思うよ私は。

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