桜流しを聴いていると、とても「映画館ぽい」なぁ、と思う。映画館で映画を観るというのは、映画を楽しむと同時に映画館という空間を楽しむ、という事も含意している。あの、どことなくよそよそしい、しかしゆったりとした空間に充満する期待感。あの中で流れる桜流し、というのがまた格別だった。私はこの週末に円盤でQを観てみる予定だが、映画館ではない場所でエンディングに流れる桜流しの色合いはどうなるか。ちょっとそこに期待、ワクワクしている。
それにしてもヒカルはその点についてどこまで考えていたのだろう。有名人という性質上、なかなか映画館という施設を利用するタイミングはないだろうに、この桜流しの壮大なサウンドは、映画館で最大限その効果を発揮する。イヤフォンやヘッドフォンで聴くと物足りなく感じるあのミックスも、映画館では滞りなく響いた。プロデューサーとしてのその辺りの感覚、嗅覚はどんな感じなのだろうか。
映画館で映画を観るという文脈は独特なものだ。昔私は小津映画をぶっ続けで3本オールナイトで観た事があるが、何だろう、トリップとも違う、こう言っていいかどうかわからないが、映画人の呼吸みたいなものを感じたような気がする。嘗てヒカルが春の雪の行定監督と対談した際、映画の現場と音楽の現場の体質の違いについて語り合っていた事があったが、あの時にヒカルが"映画業界の空気"に対して向けられていた視線が、今桜流しのサウンドに活かされているのではないか、とまで考えるのは流石に穿ち過ぎだろうか。Be My Last, Beautiful Worldときて今回はBlossom Falling, 或いはBlossom's Streamingかもしれない、桜流しに至るに当たって、その"業界の違い"みたいなものの匂いを感じ取ってサウンドに反映させていたとすれば大したもんだと思うんだけど如何だろうかな。
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