無意識日記
宇多田光 word:i_
 



文字起こしされてると取り上げやすくて良いね。


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■宇多田さんが嫉妬する人は?
いない。

TJO:ありがとうございます。嫉妬する人は、いないんですね。

宇多田:いないというか、「嫉妬する」感覚がわからないんです。だって、他の人がどんなつらい思いをしているかなんて、自分にはわからないから。誰かになりたいなんて思えない。みんな、つらい部分は見せないじゃないですか。あと、人と比べてもしょうがないし。何に嫉妬するのか、意味自体がよくわからないです。

https://block.fm/news/utada_taku_talk


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嫉妬について、だね。宇多田リスナーなら少し意地悪くこうツッコみたくなったのではないかな、

「じゃあ『嫉妬されるべき人生』って歌はどんな気分で書いたの!?」

と。これはヒカルの言い方が悪いわね。インタビューだから尺短く簡潔に答えたいのはわかるけど『「嫉妬する」感覚がわからない』は端折り過ぎだ。雑い。

これは、「普段の生活で嫉妬を感じることがない」という意味だわね。ってそんなのわかりきってるよって私が読者に言われそうだけど、当たり前のことを文字にすると論理が使えるのよ。ここの続きが上述の通り『他の人がどんなつらい思いをしているかなんて、自分にはわからない』な訳で。これを組み合わせると

「他の人のことがわかると思い込んでる傲慢な人が嫉妬をする」

というメッセージになってるんですよ。勿論、ヒカルはそんなあからさまな言い方をしてないけれど。

これと、この間の渾身のツイートを組み合わせましょう。

『人が何を感じてどんな思いでいたか、行動の動機やその正当さなんて、本人以外にはわからない。わかりたいと思うのも、わからなくて苦しむのも他者のエゴ。「理解できないと受け入れられない」は勘違い(-略-)で、「受け入れる」は理解しきれない事象に対してすること。理解できないと理解すること。』
https://twitter.com/utadahikaru/status/1693764006010671423


ヒカルは後悔や罪悪感で、どうにかお母さんの心情を理解しようとしてたけど、いやこれは私のエゴなのだなという結論に達した。そう、一時期か一瞬かはわからないが、ことお母さんについてならヒカルは「他の人のことがわかると思い込んでる傲慢な人」になった、或いはなりかけたのだ。

これらを合わせると、

「宇多田ヒカルが唯一嫉妬するかもしれない人物は母・藤圭子」

という結論に達するが、この間の『まつもtoなかい』でもみられたように(まだ見逃し配信やってるからね!)、ヒカルは自分の歌を差し置いて藤圭子が絶賛された時にメチャメチャ素直に喜ぶ。これはシンプルに、本人の実感として、まだ藤圭子に嫉妬できる歌手になれていないのだろう。彼女の神髄を理解できる所にまで達していないから嫉妬ができない。例えしたいと思ったとしても、ね。もし嫉妬できるようになったなら、それは藤圭子のことを理解できると思えてきた段階からだろう。それが勘違いであれ本物の理解であれ何であれ、ね。

ここで『嫉妬されるべき人生』というタイトルに立ち返る。何故このタイトルが面白かったか。嫉妬とは「いつの間にかしている」或いは「したくなくてもしてしまう」事だというのが通常の認識だからだ。規範や常識、価値判断として、嫉妬してない人間を捕まえて「あれに対しては嫉妬するべきだ!」と主張するのは、余りにも滑稽だからなのよ。そこを敢えての「べき」だからこのタイトルは面白い。嫉妬は本来望ましいことではないのに、「べき」と強調して望むのだから!

普段嫉妬をしないヒカルだからこそ、そして、まだ藤圭子に嫉妬できない段階だからこそ、自ら『嫉妬されるべき』という形容を選んで使うことに意味がある。もっと言えば、上記のような「傲慢な段階(エゴ)」を通過したから、この歌が歌えたのだ。それを振り返って、お母さんの写真を飾れる所まで来たから、嫉妬しないヒカルが「嫉妬するべき」人生について語り、それを更に一般化した『嫉妬されるべき』という形容に辿り着けた。なるほど、ならば、寧ろこんなに「嫉妬」に対して理解と造詣が深い人が他に居るのかと私は言いたい。だからヒカルの「わからない」は、80歳くらいの人間国宝と呼ばれる達人が「芸能や芸術の道は果てしなく、まだまだわからないことだらけ」とか言っているのに近い。嫉妬について深く理解してるからこその「わからない」なのだ。そこは勘違いしないで欲しい…と、わかった風な口を叩く私は勿論勘違いをしている傲慢なヤツなのでした、ちゃんちゃん。

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しかしあのままだとまるで羽田の駐車場で着替えたみたいになって「宇多田さん、外で服脱いでたんですか?」って訊かれかねないよね。それはさておき。


この、「ふとした瞬間に出会す」歌、何かあったかなと思った時に浮かんだのがUTADAの『Crossover Interlude』だ。クロスオーバーとは2つの線が交わる点を指す。「でくわす」は「出交わす」とも書くのでお誂え向きだね。

『I don't wanna crossover
 between this genre, that genre
 Between you and I is where
 I wanna crossover, cross the line』

「私が越えたいのは
 ジャンルとジャンルの間じゃなくて
 あなたと私の間なの
 一線を越えよう』

今回の一連のインタビューの中でも

『宇多田:私、ジャンルがわからなくて。ジャンルから聴くとか意識するということがないので。好きな曲があっても、ジャンルが何かはわからずに聴いています。』
https://block.fm/news/utada_taku_talk

なんていう発言が目立つ。一方でなりくんについて「ディグって教えてくれる友達最高」みたいなことも言っていた。

そもそもジャンルって何の為にあるかというと「こちらから探していきたい」際に応える為だ。ある曲が気に入った、じゃあ似たようなものは他にあるのかという時にその曲はこういうジャンルだよというのがあればそこから掘り起こしていくことができる。今回Taku's Remixを聴いて「ジャージー・クラブ」というキーワードで検索した人も多いだろう。明日のTCY Radioではジャージー特集するんだっけか。

だがヒカルはそうしないのだ。ある曲が気に入ったら「この曲が気に入った」で終わり。そこから「似たもの」を探そうとはしないので、ジャンルというものが必要な場面が訪れないのである。それで特に何が困るということもない。昔ならラジオを点けておけば新しい曲に出会えてただろうし、今ならポッドキャストや定期更新プレイリストなどで幾らでも新しい曲が向こうからやってくる。その都度聴いて判断すればいいだけで、ジャンルの出る幕は無い。問題はどの局にチューニングするか、どのプレイリストをライブラリするかだがそこの話は今は置く。

なので、昔からヒカルは「ジャンルに拘らずに何でも聴く」とか「聴く範囲が広い」とか言われてるけど、本人の感覚としては真逆なのだ。今目の前で鳴ってる曲にしか興味が無い。恐ろしいのは、自分で作った曲ですら同じ扱いなことだ。作り終わって作業をする為に鳴らす必要の無くなった曲が視野に入る事は無い。コンサートで歌うためにリハーサルでやっと久し振りに聴くとか、それもまた「そうする必要があったから」でしかなく。

なので、ヒカルの新曲が常に新しいサウンドを伴っていても、あんまり気にする必要は無い。「今鳴ってない他の曲と比較をする」からジャンルだの音楽用語だのが必要になってくるのであって、そうしないなら「この歌いいね」と一言添えておけば十分である。それで伝わるし、作り手としても相手にそう言って貰う事がゴールだから、語彙が足りないとかなんとかは全く、全く思わない。『Gold~』はオリジナルもリミックスも多彩なサウンドなので語るハードルが高くなる雰囲気になるかもしれないが、遠慮なくいつも通り「ヒカルちゃんが可愛い」「いい声~」で済む。済ましていいのよね。

じゃあこの日記は何を書いているの?ってなりそうだけど(笑)。まぁいいんじゃない?Kiss & cry? lol

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前回は言葉の危うさの話に終始したので中身の話もする。ヒカルのInstagramのコメントを再掲しよう。


『『@kuma_power :
早朝の駐車場で、幼い頃憧れてた風景に遭遇した。アンデス山脈に住む少数民族の少女の物語の色鮮やかな表紙と、その本を見えるところにずっと飾ってた8歳の自分が突然現れて、足元にワームホールが開いたみたいだった。
オイルの跡も、その写真を撮る私も、存在するってこういうことなのかなとか考えながら、今日着る服を選んだ。』


もうこれだけで掌編小説が一編完成している。人は突然存在と出会す。脈絡も身も蓋もない。「徐々にそうなる」のではなく、ある一瞬に捉えたと思ったら次の一瞬には消えている。それを一瞬にしなかったら作品だ。

こんな一枚もあった。
https://www.instagram.com/p/sv4BLzLqsP/
何度か触れてるからリンク踏まなくてもわかる人も居るかも? 「窓際のケチャップ」よね。ヒカル自身が『この状態で発見。やだ、素敵…』と言っているように、自分で置いたとかじゃない。見たらこうだったというだけである。

もっと言えば、徐々にそうなって辿り着いてもいいし、自分で置いてもいいんだよ。そんな人間がやったやらない意図した意図してないなんか関係無い。「私」の心が感覚がそれに触れたらそれが存在なのだ。関係無いと言っても人は欲するので頑張るし、間違いなくそうすることで会えがちになるけども。


そりゃまぁ「春と修羅」を好きになるはずだわねヒカルさん。(唐突)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html
いつか歌うか朗読するかしそう。


唐突から話を戻して。インスタ最後の

『存在するってこういうことなのかなとか考えながら、今日着る服を選んだ。』

の部分はこの日本語のままでもぐっとくるけれど英語だと意味がわかりやすくたる。その分、野暮になるとも言えるけども。

『as I picked my outfit for the day.』

"outfit"ですよ。着る服のことをこう称してる。outは「外」、fitは「合う」とか「沿う/添う」とか。つまり、「外の世界に合わせる」という意味での「身支度」なのよねここで服を選ぶっていうのは。また、fitの名詞形fitnessはフィットネス、健康だとか体調が良いとかいう意味もある。転じて「生物が外の環境に適応する」という意味まで含まれる。「生きて存在する」ことそのものなんですよ、えぇ。outfitは。生き方を選んでいると言っていい。

勿論そのoutfitを「pick」するのもいい。いや別に至って普通の言い回しなんだけどね「選ぶ」っていう時の。でも「落ちてるモノを拾う」時にも「pick」を使うから(ピックアップとかね)、落とし物を拾い続けて十余年(もっとなのかな?)のヒカルさんらしいやね。


人は生きる中で数の中に囚われがちだ。10kmより20kmの方が2倍遠いし、歩いて行くなら必ずその間に11km地点や12km地点、19.9999...km地点を通らねばならない。だが、「存在に触れる」ときはそうじゃない。いきなり訪れ、瞬いたらもう無い。数の外に合えればそうなれる。でも、なかなかに難しい。ヒカルは今回その貴重な瞬間をシェアしてくれた。感謝してもし切れない。日常の中で私はついつい自分の存在を忘れてしまうけど、こういう出会いに出会せたら思い出せる。普段の気づかない私たちは、ただ忘れているだけなのかもしれないわよね?

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日本時間早朝のInstagram。

『@kuma_power :
早朝の駐車場で、幼い頃憧れてた風景に遭遇した。アンデス山脈に住む少数民族の少女の物語の色鮮やかな表紙と、その本を見えるところにずっと飾ってた8歳の自分が突然現れて、足元にワームホールが開いたみたいだった。
オイルの跡も、その写真を撮る私も、存在するってこういうことなのかなとか考えながら、今日着る服を選んだ。

#アンデス山脈 #羽田空港第二ターミナル駐車場 #ワームホール

I came across something in a parking lot that took me right back to when I was 8. I was in love with a novel about a little girl that lives in the Andes Mountains. The landscape on the cover and little girl who kept the book on display on her bookshelf suddenly came back to me, like a wormhole opened up at my feet.
The oil stains and marks, and me, I wondered if that’s all that existing is as I picked my outfit for the day.

#andesmountains #hanedaairportparking #wormhole』

https://www.instagram.com/p/CwidXxJMNhs/


一昨日の折り鶴と、この今朝の『羽田』で「日本に居ました。でももう帰ります。」というメッセージ、かな。新学期ギリギリまで日本に居てくれてたんだねぇ。実際とは1日くらいずらして投稿してるかもしれないけど。(感づいた人が羽田で探し始めたりしたら大変だし) ダヌくんは来月から新学年になるんだもんね。9月スタートだからねぇ、うっかりすっかり忘れてたけど。


さて内容だが、ほんのちょっとした切っ掛けで全く忘れていた過去の記憶を掘り起こされるあの感覚を今朝覚えたという話ですかね。Hikkiの今回のケースではそのトリガーが昔部屋に飾ってた本の表紙のデザインだったと。いやはや、生々しくてドキドキするわね。

ワームホールというのはご覧の通り"worm hole"と書くヤツで、つまりは「虫の穴」なんだけど、これはサイエンス・フィクションでは「タイムトラベルを可能にする時空の歪み」としてよく登場する。現実に存在するかどうかは「数学的可能性」でしかないのでお察しなのだが、この喩えがパッと出てくるヒカルさんは最近そういう本を読んでいるのだろうかな。


余談になるが“worm hole"をカタカナで書く場合に「ワームホール」になるのは甚だ紛らわしい。そもそも、ダブリューwで始まる英単語のカタカナ表記自体が混乱しているのよね。

基本的には、worは「ワー」、warは「ウォー」と書くことになっている。これが他のカタカナ表記とは逆なのがまず紛らわしい。workは「ワーク」だし、wordは「ワード」だ。そしてwar(戦争ね)は「ウォー」だしwarm-upは「ウォーム・アップ」となるのだが、他の子音の場合はorなら「ォー」だしarなら「ァー」なのよねぇ。New Yorkは「ニューヨォーク」だし、cardは「カァード」なのよ。

やれやれ、wの時だけ特別なのかと諦めて「wでは逆」と覚えたら、worryは「ウォーリー」でforwardは「フォワード」だと!? なんでそこでまた逆になるねん! 元に戻っとるやないか! …と、後から日本語を覚える人にとってはキレ散らかすこと請け合いのバラバラさだったりするのでしたとさ。


まぁ何が言いたかったかっていうと、ワームホールって「warm hall」じゃないよ、「暖かい講堂」じゃないよ、ってことなのでした(え、そうなの!?)。ワームホールは虫の穴、虫が果物に穴を開けるように、次元をくりぬいて未来や過去に飛べる穴なのよってね。

まーたまには日記が英語と日本語の愚痴だけでもいいじゃないか…(汗)。

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昨日はInstagramの更新もあり。

『@kuma_power : 人生3度目、4年振りに折鶴ひろた 
My third encounter (the last one being 4 summers ago) with a paper crane in the streets.』
https://www.instagram.com/p/Cwd7DcxvaUa/

『4 summers ago』ってのがいいやね。前回も夏だったのか。

折り鶴を拾う写真を投稿してくれると「日本に居るのかな?」と思ってしまうというか、ヒカルがそう思わせたいのだろうからそう思っておくわね。えーと、なんだ、「まだ何かある」のかつまり? このあとてっぺん跨いだらAmazonアンリミテッドでプレイリスト公開されて一旦は打ち止めだと思うんだけど、はてさて?


んで。上記Instagramにある通り英語で「折り鶴」は"Paper Crane"、そう、ペーパー・クレーンなのですよ。クレーンといえば起重機。ウィキペディアを引くと

「クレーン(crane)とは本来「鶴」のことであり、首の長い鳥が首を伸ばした形に似ることからその名がついた。人の力では持ち上げられない物を吊り上げる装置として発展した。」

と書いてある。あのクレーンですね。そうですよ、『Gold~』のMVでヒカルさん、初めてクレーンに吊り下げられてましたよねぇ。まじ吃驚した。

『@utadahikaru : 「Gold 〜また逢う日まで〜」のMV出来上がりました〜!監督は山田智和さん。新宿の夜道を彷徨ったり、クレーンから中々の高さまで吊し上げられたり、コンビニで働いたり、いろいろアドベンチャーな撮影だった😳』
https://twitter.com/utadahikaru/status/1690323541756182528

どんだけ高額な保険が掛けられようと、ヒカルさんが無事か否か自体が大事なので、なんだ、まぁ、危なっかしいことしたけど無事に済んだのなら、賭けに勝ててよかったね。

MVを観ると吊り上げられてる時心底楽しそうな表情してるし、ジェットコースターやバンジージャンプみたいなものなのかな? クレーンに吊られたことないからわかんないけど。

てか、まさかMVの中で「クレーンが画面に映った上で吊られる」という撮られ方だとは思ってなくてさー。単純に「宙に浮く演出」だと、観る前は思ってたですよ。クレーンは何らかの方法で隠されて。でも、違ったねぇ。こういう撮り方をした意図が気になるわ。

なお、それとは別に遠景にクレーンも映ってるけどあれは実際に現地で見られるヤツなのだ。撮影の為に設置した訳じゃない。まーそうか。


…って呑気にクレーン談義しとる場合か?(笑) あんまりにもヒカルさんがこの夏働いてくれたお陰でMVについて何も語れてないのよ無意識日記で! やっと触れたと思ったらクレーンの話というね。折角珍しくストーリー性というかメッセージ性のある映像が撮られたのだから、少なくとも『PINK BLOOD』MVみたいな抽象的なのよりは語りやすいでしょーに。ですよねー。なのでぼちぼち追々触れていきましょーかね。

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TCY Radioで耳を引いた発言のひとつがこちら。


「☆Taku:リミックスって結構、依頼から納品まで特にやり取りなく完成することが多いんだけど、今回は途中で聴いてもらって、どう感じたかとか、「もうちょっと、こういうアイデアはどうですか?」っていうキャッチボールができたのが僕はすごく楽しくて。最後の最後まで、いろいろと試せたのがめちゃくちゃ楽しかったですね。」

https://block.fm/news/utada_taku_talk


こりゃ珍しい。リミックスといえば本来原曲アーティストによって既に録音された素材(とリミキサー自身で用意した素材)を元にしてミックスを行うことを指すのだが、今回のTaku's Remixは冒頭の電話メッセージをはじめとして原曲アーティストであるヒカルからの新たな素材提供があり、制作過程でも本人からのアドバイスが入るという、初めてではないかもしれないがかなり異例な対応が取られた訳だねぇ。


リミックスがシングル曲のリードトラックなのって宇多田ヒカル名義だと

『Eternally - Drama Mix -』
『Beautiful World -PLANiTb Acoustica Mix-』
『光 -Ray Of Hope MIX-』
『Too Proud (L1 Remix)』
『Gold ~また逢う日まで~ (Taku’s Twice Upon a Time Remix)』

この5曲でいいのかな? その中で最もヒカルが深く関わったのがこの今回のTaku's Remixということになりそうだ。

なるほど、それならこのトラックが妙に自信に満ち溢れているというか、結構遠慮なく展開させてる理由もよくわかる。そのくせ歌詞の肝心な所は外さずにアレンジされていて巧いもんだなと思ってたけどヒカルの助言があったのね。

例えば英語歌詞の対訳なんかもそうだけど、間を取り持つ役割の人は原作者をリスペクトする余り大胆な改変などには慎重になるものだ。他方、原作者本人の場合自分の作品なだけに遠慮が無い。対訳でもヒカル自身が「これは移植は難しいな」と思ったファクターなどは遠慮なくバッサリ切り捨てたりしている。

同じ事がリミックスでも言える。少々大胆な試みでも「原作者のお墨付き」があれば遠慮なく実行できる。このトラックがやたら勢いがあるのは、「リスペクトの枷から解放されているから」なのだろう。寧ろ、ヒカルの方が、


「☆Taku:「ちょっと遊びで作ってみたから、好きなのを使ってください」って、何パターンも作ってくれていて、リミキサーに対して超リスペクトしてくれているのを感じた。アートの表現をすごく大事にしてくれている中で、「もしよかったら…」って送られてきたのが留守電の声で。「めっちゃ面白いじゃん。電話が来ているみたいで最高!」って。それでそのまま、あのイントロになったんです。」

https://block.fm/news/utada_taku_talk


とTakuさんが仰ってるように、リミキサーへのリスペクトを前面に押し出すまでになっている。ここまでされれば、如何にTakuさんがこの道の大御所であっても、いつもより大きな自信をもって事に当たれたのは想像に難くない。ヒカルからのリスペクトは何よりの力になったことだろう。今後もこんなリミックスが増えると楽しいだろうね。

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で週末、特に金曜日はアルバム発売日並みに情報量の多い日だった。リミックスの発売にラジオ出演にインスタDJライブに、人によっては銀幕MV上映だもんね。

そんな中でインスタライブを聴いてる時にあたしがメモ代わりに呟いたのがこちら。読まなくていいです。飛ばして構いません。

「テンポを一定にした方が宇多田ヒカルのポップソングメイカーとしてのカラーが明確になる現象、あれか、同じくらいキャッチーなのにサウンドが多彩なせいで散漫な印象を与えがちな後期ザ・ビートルズも初期のシンプルなR&Rサウンドの方がキャッチーに聞こえるのと同じだわ。」

「なので1999年から2016年にとんで2023年に着地しても全部おんなじくらいキャッチーな曲に聞こえるのよねぇ。とんでもなくハイレベルでクォリティが安定してるのを再々…々確認。」

「これだけ全曲いいとAutomaticやFirst LoveがOne Of Themに聞こえてくるなぁ…まぁどの曲もなんだけど…… 逆説的過ぎるよ …」


メモなので意味がよくわからないけど、要するに宇多田ヒカルの楽曲にはいろんなアレンジ、いろんなテンポがあるけれど、アレンジとテンポを揃えるとメロディが剥き出しになってそのクォリティが全部高い事実がより鮮明になると、そういう話。

折しもヒカルが…ってちょうどその金曜日のラジオ出演が文字起こしされてたんだった。引用しよう。


『宇多田:全部、“音楽は音楽”としか思えない。リズムの要素とメロディーの要素。音の周波数の要素と、無音と無音じゃないところのメリハリ。2つの要素があるだけで。たとえば曲のアレンジでは、ベースの音色ひとつ変えるだけでジャンル感も変わるし。ジャンルってすごく曖昧というか、すごく表面的なことだなと。私はたぶん、作曲とアレンジを同時にやっちゃうから、そう感じると思うんですよね。例えると、人が曲だとしたら、アレンジはいかようにも着せ替えられる洋服。だからリミックスとかもできるという意味で、「シャツを替える」ぐらいの感じでアレンジやジャンルがあるのかなと思っています。』
https://block.fm/news/utada_taku_talk


ヒカルがいつも言ってることではあるけれど、特に今回の『Gold~』のプロモではこの点をよく強調している気がする。「曲が人ならアレンジは服」─とてもわかりやすい。今回のインスタライブは、それに擬えれば「違う人に同じ服を着せて並べてみました」みたいになってた訳だ。或いは、

「いろんなメイクで美人に見えてた人たちをすっぴんメイクで統一してみてもやっぱり美人揃いでした」

みたいな話かな? ルッキズムウザいとか言われちゃいそうだけど今回は許して。次はもっといい喩えを思い付かないとだね。


勿論関わった誰もそんな意図でリミックスしてた訳ではなかったけど、はからずもそのような印象を私に与えるに至った。1999年の『First Love』も2010年の『Goodbye Happiness』も2016年の『道』もそして2023年の『Gold ~また逢う日まで~』も、テンポとアレンジを揃えるとどれも同じくらいキャッチーでエモーショナルなメロディの強さを感じさせてくれて大満足なのでありました。

これ、裏を返せば、ヒカルさん毎回アレンジを凝り過ぎてそっちに注意が惹き付けられてしまい、肝心のメロディの良さに寄せられるべき喝采の数々がほんの僅かに減ってるんじゃないのという指摘もしたくなる訳ですよ。となると。そうよ、そろそろ「Utada Hikaru Unplugged 2」をやるべきかもしれないですわね。アレンジを削ぎ落としてシンプルなバッキングでヒカルの歌声とヒカルの生み出したメロディと歌詞に今まで以上に焦点を当てたスタジオライブですわね。あたしゃ元祖『Utada Hikaru Unplugged』ですら音入れ過ぎだと思ってるクチなので、今度はもっと大胆に音を削ってやってみてほしいかな。スリーピースバンド縛りとかでもいいかもしれない。ま、そんなことも考えたのでありましたとさ。次は抽選当たりたいねぇ。スナックヒカルにようこそされたい!

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新宿ピカデリーにGoldMVを観に行ってきた。開催劇場が限られている上1週間のみという短期間。実験的な雰囲気なのでそのつもりで観てきましたよ。


まずはいきなり上映開始時刻に焦った。MVが流れるんだから上映開始時刻後場内暗転した後に他の映画予告映像に混じって現れるのかなと思っていたら、開始時刻4分前から始まっちゃって! 開始時刻後と思い込んでた私は取り敢えず開場時刻(上映開始時刻10分前)に「まずはトイレ行ってこようっと」と呑気にお手洗いしてから席についてたらその途端にMVが始まったんよ。まさにギリギリセーフでしたわ。あ~焦った。

で、となると、ですよ。映画館に通い慣れてる人ならわかる通り、開場時刻から5分余り後の時間帯なんてまだまだ人がどんどん入ってくるタイミングで。なんだったらもっと慣れてる人は「上映開始時刻後は暫く予告編だからそれが終わってから来よう」ってなもんでまだまだ席は埋まってなくて。そんな状況でMV上映が始まった訳ですよ。

となると会場は煌々と照明が点けられていて、更にいちばん肝心の音響は本編に較べて控えめで大音量大迫力とまではいかず、前座の前座という雰囲気でしたな。明るい会場だと映写機からの映像はぼやけるし、その小さめな音量に周囲のお客さんはまだお喋りに興じていて(そりゃそうだ上映時間前だからね)、とても落ち着いて観て聴ける雰囲気ではなかったね。

それでも上映が始まってしまえばそれなりに静かに見入ってくれているのがわかってちょっと嬉しかったり。或いは何人かは同じ目的で観に来てたのかな? わかんないけど、MV観てる人は結構居た印象。前の方の席だったからあクマで感覚的なものだけど。

ということで、取り敢えずは全国で3会場期間1週間というテスト的な試みでの扱いだとこんなものだろうけどなるほどこれならまたやってみるのもアリかもしれん、と感じられた。何より、言葉は悪いが強制的に1曲フルコーラスで聴かせてしまえるのだ。1度に訴求する人数は限られているがそれによって得られるリターンの確率は他のどのプロモーションより高くなるのではないか? 後は、これが上映開始前ではなく上映開始後、即ち暗転後の雰囲気でどれくらい通用するか、だろうね。

勝手な憶測をすると、映画観に来てる人って結構慣れてて予告編は「もう何度も観たよ」と感じる事も多いので、そのタイミングでMVが流れると「なんかいつもと違うぞ?」と一旦は興味を示して貰えるように思う。ただ、そうなるとフルコーラスの4分余りという尺は些か長くなるか…とも考えたけどストーリー性の高いMVならアリになりそう。その手の方向性なら、観客としては「本編前に楽しめるミニムービー」という感覚で受け止めてくれるかなと。なんだかんだで劇場まで足を運んで2時間楽しむのに2000円払う人たちなので、映像作品を楽しむ事には積極的だ(全体の傾向として、ね)。なので、例えばヒカルなら『Can You Keep A Secret?』や今回の『Gold~』のような、ある程度「宇多田ヒカルがお芝居をしている」ミュージックビデオであれば、かなり好意的に受け止めて貰えるんじゃないかな。で、となるとこれは、期間は1週間とかの短い期間でいいから、その短期間に出来るだけ多くの劇場で上映して貰えればサプライズとしての機能も高く話題性があるのではなかろうか。ちょっとこれは面白いことになるんじゃないかな? 採算がとれるなら、だけどね!(そこがいちばんネックだよ…)

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HikkiがTCY Radioで「最近観た映画」として挙げてた「バービー」を観てきましたよ。

色々言われてるけどひとつの映画作品としてのクォリティは異常に高い。ほんと、アメリカ映画?ハリウッド映画?呼び方はわからないけど、あの業界はノウハウをしこたま積み上げるねぇ。手法ひとつひとつを突き詰めまくっていて全くといっていいほど隙がない。参った。

その上で手を付けた方向性は、実写でファンタジー要素マシマシの、前半コメディでラストに向かうほどしっとりさせるという所謂王道の物語だった。まるで萬腹企画だなぁと思ったよ。(喩える方と喩えられる方の知名度がまるで反対だな)

が、呑気に評価できるのはこのラインまで、というのが私の正直な感想で。それ以上の何を言ってもこの作品の持つ「リトマス試験紙的な側面」に引っ掛かりそうでなんとも怖い。要するにこの映画の感想を言うことで

「現代の思想の変化にどこまでついてこれてるか」

があからさまにバレてしまうのだ。もっと言えば、不平不満を言った時刻で私の思想のアップデートぶりが全部判定されてしまう。よくこんなもの作ったな。現代の思想と書くと堅苦しいが、要は男女差別とかLGBTQ...とかそういう話よね。誰がブレインなのか知らないけど、これを作った最奥の人は自分の頭で考えられる人なんだろうな。

ぶっちゃけ、そこまでは完璧と言っていい。問題は、この映画がそこから先の未来に踏み込んで提示しようとしたテーマに、作品のシナリオが追い付かなかった点だろう。現代思想潮流を批判的に描くまではよかったが、この映画はそこから「映画という文化そのもの、作品性やその影響力の限界」にまで言及しようとした。だが、本来単なる娯楽作品或いは芸術作品として最も核となるべきテーマをそこに設定してしまった為、「普遍性」をこの作品は獲得し損ねてしまった。そこまで計算尽くなのなら文句は言わないが、「現代のハリウッドの限界を訴えたいが余り、自らがその現代のハリウッドの限界に絡め取られてしまった」ように思える。結論としては

「89点まではノウハウの蓄積で何度でも到達できるけど、そこから先は違う何かが必要なのよ」

と、この映画は言ったようにみえた。それが本来「言いたかったこと」なのかはわからない。言い切れたからこうなったのかもしれないし、言えなかったからこうなってしまったのかもしれない。それは私もわからない。でも兎に角そうなれた、或いはそうなってしまった映画だ。


ともあれ、そういう小難しいことさえ考えなければ、前半で大笑いさせてもらって後半ホロリとさせてくれる良作なのは全く間違いない。ミュージカル部分も実に結構。そうやって楽しめるレイヤーを巧みに多層に設定したことで多くのレイヤーに受け容れられて米国では大ヒットしたのだろう、かな?

ただ、日本でやるにはバービーというテーマ自体も、其処彼処に鏤められた小ネタも、パロディ元の知名度が低くて受け容れられづらいというのはあるだろう。私もきっと半分以上のパロディはわかってないもん。それでも楽しめたけどね。そういう「楽しめる力量」に対してもリトマス試験紙なのがまた意地が悪いというかなんというか…。なので日本でやるならバービーから総取っ換えのリメイクにするしかないかもな。超訳吹き替えで…それも無理かなー。

まぁでも、ヒカルさんがこの映画の名前を出したくなった気持ちは何となくわかったつもりになれたので、こうやって私は日記に素直な感想を書くのでありましたとさ。もしみんなに観て貰いたいと思わなかったらあの場面では「もちろんキングダム3です!」って言ってお茶を濁していただろうから。ノンバイナリとしては「ここまで言った作品をここまでヒットさせたのね」ということじゃあないでしょうか。わかんないけど。


なお、ビリー・アイリッシュによるエンディング・テーマは、突出した名曲ではないものの、きっちり普遍的な気がしましたよ。だけど、映画自体と歌の寿命どちらが長いかっていうと本気で判らない。そこをちょっと見てみたいとは思ったな。文化的遺伝子の価値?をどう捉えるかもまた広範に捉え直さなければならないか時期なのかもね。私は宇多田ヒカルの歌を毎日「いい」と言うことで結構満足しちゃってますけども!

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Taku's Remixよいねぇ。もう私Goldをとっかえひっかえだよ。既にTV Versionが3つもあったのにそこに加えてこのリミックスの登場だからね。見事に鮮烈を運んできてくれました。

いやこういうリミックス・シングルのリリースって、『Gold~』だけの試みに留めておくの勿体ないよね。毎回やればいいのに(そしてアナログで20分に拡張したエクステンディッド・ミックスを収録するところまでなっ)。オリジナルのリリースから4週間というインターバルの長い短いはさておいて、これ集中的にプロモーションする時にはかなり強力な援護になると思うわ。

さっき私は「既にTV版が3つある」とは書いたんだけど、ぶっちゃけこの3つ、音声上はそこまでの違いはない。バックトラックは(気づいた範囲では)どこも変わってないし、そもそも目まぐるしい展開を4分余りに封じ込めた為皆さん大好きなフェイクパートも差し挟めない。ほんの僅かのヴォーカルのニュアンスの違いを楽しんでいるのが現状なのだが、この楽しみ方が出来るのは極々少数のコアなリスナーのみだというのは重々自覚しておくべきだろう。だって例えば私氏っていう人物、その昔「PassionとSancyuary、イントロ何秒で区別がつけられるか選手権」を一人で開催してた人間ですからね…ひたすらその2曲をランダム再生させてどっちなのかを当てるっていう。いや2曲じゃなかったか、opening versionも混ぜてたか…(遠い目)。まぁそれはさておき。

なので、今後テレビ出演が2回3回と多くなる新曲に関しては、どこかの時点で1度リミックス・バージョンを歌ってみたり出来たら視聴者の興味を惹くかもしれないなと妄想する。例えば、CDTVとまつもtoなかいならあんまり視聴者が被らないかもしれないから同じバージョンを歌い分ければいいけれど、CDTVとライブエールだったらかなり視聴層が重なるのでは? そんな時に「前聴いてよかったからまた聴けて嬉しい」となるか「前聴いたから今回はいいや」となるか。どっちかはわかんないけど、サブスクやYouTubeですぐ聴ける曲の場合だと聴きたいときに聴けるので後者の感想が多くなりそうな気がする。そんな時に「今夜は特別にリミックス・バージョンで歌ってうただきます!」って言われたら少しは耳目を引くかもしれないわ。

勿論、リミックスによってはメインのヴォーカル・ラインを崩しすぎていて「どこ歌たらええねん」になるケースも出てくるかもしれないが、Taku's Remixくらいメイン・ヴォーカルがしっかりあるトラックならOKだろう。というか、いやもう今後と言わずまずこのトラックをテレビで歌って欲しいわね。それくらい出来がいいわ。Takuさんだから当然なのかもしれないけど。

まぁそれを言うならテレビで歌ってみて欲しい別バージョン、他の曲でも沢山あるなぁ。『Beautiful World』なんかはPLANiTb Acoustica MixやDa Capo Versionを歌ったらバカウケすると思うんだけど。

だなんて今月兎に角露出が多いから(肌もなっw)、めちゃめちゃ贅沢言うようになってますね私。苦笑いですわ。

ほいで今後新曲を誰にリミックスして貰いたいかって、やっぱ私はDJ YANATAKEさんだなー。自分は門外漢なんで同業者さん同士の評価の仕方とかはサッパリわかんないんだけど、彼の宇多田サウンドへの理解深度はなんの遠慮もなく「造詣」と呼ばれるべき領域に達しているわ。YouTubeにある「40代はいろいろ♫」んときのMixも毎日順調に再生回数伸びてるからこれ定期的に聴きに来てる人がかなり居るな? ぼちぼち40万回が見えてきてるわ。

勿論、出来上がったトラックを弄るのと、今回のTakuさんのように新しい素材を録音してそこから再構築していくのは大きく異なるのだろうけど、そのうちチャンスがあったら挑んでみて欲しいなぁと密かに思っているのでありましたとさ。今夜のインスタライブでどんな話が出るのかも楽しみにしておりますですよ。

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遂に、というには告知からすぐだったけどもそれでも間違いなく待望のオフィシャル・リミックス『Gold ~また逢う日まで~ (Taku’s Twice Upon a Time Remix)』がリリースされた。略称どうしよ。まぁTaku's Remixか。GoldTTUaTRとかでもいいな…。

かつて『DISTANCE [m-flo remix] produced by TAKU』が大人気を博したm-floのTakuさんによる新奇リミックス、という煽り文句に堂々と応えた─そうね、昭和の人間らしい言い方をすると「ゴキゲンなダンストラック」に仕上がっている。ご本人によるとジャージー・クラブ・サウンド寄りとのことで、なるほど鉛のゴムまりみたいなモダンな弾力性のあるリズムパターンが特徴的だが、こういうジャンル分けに疎い人間としては「クラブ・ミュージック」とか「ハウス・ミュージック」くらいの大雑把な括りで認識しとくわね。

今回のリミックスの最大の特徴は、「オリジナルよりオリジナルらしい」サウンドだということだ。ヒカルが複数のインタビューで述べてるように、もともと『Gold ~また逢う日まで~』は後半のアップビートなサウンドの方が先に出来ていて、それをタイアップ相手の「キングダム 運命の炎」のエンドロールに合わせるために前半のバラード・パートを編み出したという曲作りの順序になっている。裏を返せば、もしタイアップがなかったら終始ゴキゲンなダンストラックとして完成していたかもしれない。(そこらへんについてもヒカルは語ってたなー)

となると、だ。もしかしたらその「もうひとつ別の世界線でのGold」の完成形は、このTaku's Remixのサウンドに近かったのではないかという妄想が逞しくなるんじゃないでしょうかね! トラックはオープニングから終始イケイケで、ところどころやっぱりm-floっぽいな~と外様の人間(私)に思わせつつ、歌詞の内容にも配慮しながら押し引き緩急自由自在に展開していくカラフルなサウンドは、練りに練ったというよりは経験値の豊かさを利用して一気に仕上げた風な勢いの良さを感じさせる。そういう意味に於いて、老獪且つ若々しいという矛盾を孕んだトラックが見事爆誕した。ジャージーらしい急かすようなBPMに絡ませていくということで、オリジナルとは大幅に異なるコーラスワークが次々と現れていく場面が幾つも用意されていて、オリジナルにはない爽快感のようなものすら生まれているが、そこはヒカルの歌声が確り引き締めてくれるという信頼感がある為本来の持ち味を損なうことはない。「老若男女が安心して燥いで踊れる」その安心感の上に乗った焦燥とでも言える音に仕上がっている。

ほいでこの方向性に沿って今夜22時からUtada Hikaru Only Mixがインスタライブされる予定。いやもう楽しみしかないでしょ! block.fmから連続して長丁場になるけど存分に堪能させてうただキマShowぞ!

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触れ損ねてたけど(最近そんなのばっかよ!)、日本時間22日夜のInstagramもよかったねぇ。長文投稿だったTwitterとは対照的に、何の言葉も付け足さず写真一枚のみで。ガーベラと薔薇の花言葉を調べて書き込んでくれた方々、どうもありがとう。
https://www.instagram.com/p/CwP4YBcpySF/

花瓶(というのかあれは)といいテーブルといい壁紙の色合いといいどれも選ばれてるなぁと思うけど何より光の当て方がいいわよね。影の出来具合が。日本時間夜に投稿することでこの日一日がどうだったかを表すようにも感じられて、様々にホッコリしましたわ。

今年は新曲でも『思い出話の花になるまで』だなんて歌っていて、花を添えたこの写真にも宇多田ヒカルならではの詩情が漂う。この一節については「思い出話に花を咲かせる時の花」とは書いてきたけど、「墓前で故人の思い出話をしながら手向ける花」の意味もあるわよね、寧ろ『Gold~』全体を通して聴いた後だとそっちの意味の方が強いんじゃないの?とも思うので、この写真はそういった思いも込められているのだと受け取りましたよ。

そんな一枚でひとつ気になったのは、右下に覗く雑誌の?表紙? 何なんだろこれ。ページの右角上部分だけで「ねじまき鳥クロニクル」と指摘された方をはじめとしてヒカルファンにはかなりコアな人もいらっしゃるからあそこだけで何の書籍雑誌か当てられる人は居ないだろうかなぁ?
https://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_40.html

まーそれがわからない私は「画面に藤色を差したかったのかな?」と思っておくことにします。照實さんは「純子さん」に思い入れがあると思うんだけど、Hikkiは「歌手・藤圭子」に対する憧れも持っているから、藤色もまたお気に入りでしょう。成人式フォトも藤色をお召しでしたしね。

さてこのあと日付が変わるとリミックスの配信、更に映画館でMV放映、夜にはWebラジオ番組ゲスト出演、そのあとインスタライブで DJタイムと、“立て続けの金曜日”を迎えることになる。映画館に明日行く人は大忙しだよねぇ。アルバムが出てラジオがありスタジオライブ配信まであった2022年1月19日に次ぐ慌ただしさじゃなかろうか。嗚呼、『Too Proud (L1 Remix)』を聴きながら横浜アリーナに向かった2018年11月6日7日とかもあったな…。

ともあれ、『Gold ~また逢う日まで~』がここまで多角的にプロモーションされる楽曲になるとは、最初に予告編で歌を聴いた時には思いもよらなかったですわ。今後は『プレイ・ボール』以上に「暑い夏」や「8月」に巡り会ったとき口遊んでいく歌になりそうですよ。

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ウクライナ侵攻開始から一年半か。それまでの戦争に較べて西側への脅威度が段違いという事で連日戦況が報道されているけれど、これが日常の普通になってきているのは比較的平和な島に住んでる身としても「ヤだなぁ」と思わずにはいられない。身勝手だけどもね。

戦地の人たちにも『涙はお預け また逢う日まで』という歌詞は届いているんだろうか。迫り来る悲劇に『おととい来やがれ』と啖呵を切る気力は残っているんだろうか。想像のしようもないけれど、タイアップ相手の「キングダム 運命の炎」が娯楽大作とはいえ戦争映画なだけに、歌詞も少し意識しているところはあるかもしれないので、それが誰かの癒しや慰めになっていてくれればと祈りつつ。

こちらはいつも通り「もし彼らが平和になったらしたいこと」をきっちりひとつひとつ繋げていってアピールする姿勢に変わりはありませんですよ。『楽しい予定をいっぱい入れるの』。ホントいい歌詞だねこれもまた。


7/28金 Gold配信開始
7/31月 CDTVLIVE 出演
8/02水 Spotifyインタビュー配信
8/11金 Appleインタビュー配信
8/11金 GoldMVプレミア解禁
8/12土 NHKライブエール出演
8/17木 Amazon公開収録配信
8/20日 CXまつもtoなかい出演
8/23水 Amazon1週間配信開始
8/25金 Gold Remix配信開始
8/25金 劇場幕間MV放映開始
8/25金 block.fmゲスト出演
8/25金 Only Mixインスタ生配信
8/30水 Amazonコメント配信


え、なんでこんなに増えてんの? 前回これ掲載してから10日も経ってないんだけどやたら増殖してるな!?相沢さん並みだな??(また誰も知らない漫画のネタを…)

ここまで多彩に楽しい予定を入れた夏って17年前のウタユナ以来なんじゃないか…いやそれ以上か。この夏の暑さも異常だけどHikki周りの熱さも異常だ。社会人も多いHikkiファンからは「もう全然ついていけてない」とかって声が聞こえてきそうですが大丈夫です、無意識日記すら全然ネタ回収出来てないんだからみんなこんな感じですきっと。それを考えるとうたひかマガジンのコンスタンスは凄まじいな…。それだけヒカルさんとスタッフの皆さんとファンが頑張って働いてくれているということです。くれぐれも、皆様、全員、体調にはお気をつけくださいな。

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おおぅ、また新情報追加か。しかも2つも!? 毎日慌ただしいな。大変嬉しいぞ。


https://twitter.com/hikki_staff/status/1694330675137237200
まずは先日TwitchのAmazon Music JPチャンネルで配信された「有泉MUSICA編集長による宇多田ヒカル90分インタビュー」が1週間限定でアーカイブ配信されると。あなめでたし。これで好きな表情のヒカルの静止画を心ゆくまでのんびり眺められるぞ。勿論ディープな音楽談義も必聴だ。平日の20時からという時間帯の所為で観れなかった人にも、もう一度観たい人にも朗報だ。


そして本日のもうひとつのニュースが

「GoldのMVを映画館の幕間で上映!」
https://twitter.com/hikki_staff/status/1694330172378599559

である。一瞬何のことだかわからなかったが、つまり、映画館で、本来なら各種映画の予告編を流す時間帯に『Gold ~また逢う日まで~』のミュージック・ビデオを上映してくれるらしい。あの時間、どれくらいあるんだっけ。10~20分くらいあるんだろうか。だったら4分余りのMVを流す尺自体はあるんだな。

軽くググってみたところ、このような試みは史上初ではないものの、あまり前例は無さそうだ。実際に史上初かどうかより、映画館に来た人が不意討ちでヒカルの歌を聴かされる(そして虜になる)のが狙いだろうから、「幕間にMVが流れることがある」という事実があまり一般的に流布していない段階でトライしてみるという事実が重要だろう。恐らく多くの人が面食らうと思われる。勝手な感想を言わせて貰うと、これ提案して実現に漕ぎ着けた人は仕事が出来るなと。素晴らしい着眼点だ。

勿論、上手くいくかどうかはわからない。映画を観に来た人にとって流行歌のミュージック・ビデオを“半強制的に”観させられるのが好評に繋がるか不評に陥るか、結構予想がつかない。が、だからこそ「実際にやってみる」のがいいわよね。それが出来るだけの知名度と実積が宇多田ヒカルにはあった訳だ。大変、素晴らしい。

問題は、さっきもちらっと触れたけど、尺だよね。フルコーラスなのか、それともスポット的にワンコーラスだけ…或いはもっと短い?わかんないけど、『Gold~』という楽曲の性質上、フルコーラスでないと意味がないとも思えるし、まだ論じてないけどMVのストーリー性としてもこれもフル尺で観てみて欲しいところ。しかし、15分前後の予告編枠で4分強の時間を独占するって出来るのかな? 結構大胆だよね。いやホント、私今観たい映画あったかな。すぐさまチェックしに行ってみたいところよ。

ただ、どの映画を観に行くかだよね。今回は映画館が決まっているし、その館で上映してるものに絞られる。まだ各館のスケジュール観てないんだけど、例えばだけど「キングダム 運命の炎」を観る前に、即ち2時間後にエンドロールで『Gold ~また逢う日まで~』が流れてくるのを聴く前にあのMVを観ちゃったら、どうしてもヨドバシと金魚がアタマに浮かんじゃってエンドロールの余韻が台無しになりはしないかとちょっと危惧しちゃうよね。だとすると、「キングダム 運命の炎」上映直前の予告編コーナーは避けて貰った方がいいか? うーん、ここも判断がつかない。ここらへんも実験色強めになるね。

ともあれ、映画館の大画面でヒカルの動く姿が観れて、更に大音量でまたあの歌声が聴けるというのは心踊らせずにはいられない。私なんぞMVだけ観て映画本編始まる前に帰っちゃうかもしれないけれど(こいつならやりかねない(笑))、まぁそんな極端なことしなくても、ちょっと気になってた映画とかを観るいい切っ掛けになったなくらいに軽く考えて行ってみるのがいいかもしれない。こういう新しい試みはワクワクするねぇ。どんなリアクションが返ってくるか、自分の感想がどんな風になるのか大変楽しみですわいな。

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昨日のメッセ並みツイートの

『理解できないと理解すること。』

の一言は多くの人に感銘を与えたかと思う。が、私の方はといえばこれを読んで「日本語巧いなぁ」とその技巧に着目していたのであった。ちょっとズレてますね。

この真ん中の『と』がいいんですよ。そうか、ここは助詞一文字でいいんだと目から鱗が落ちたわ。

だって本来の意味は

「(他者を)理解できないという事実を(受け容れて)理解すること。」

なんだもんね。これをもっと読みやすく覚えやすく反芻しやすいように短く言うにはどうすればいいか。確かに、最適解は“内容を示す格助詞”「と」の一文字ですわ。それで済みますわ。ここらへんのセンス、限られた文字数に言葉を当て嵌めて意味を伝えないといけない作詞家としての力量が窺えるよ。

これを例えば

「理解できないことを理解すること」

のように書くと、間違いではないにせよ文が多義的に解釈可能になって大意を誤解されるケースが出てくる為ベストとはいえなくなってくる。

ここらへん、英語に訳してみるとわかりやすいかな。(英語苦手な人にとっては余計わかりにくいんだけども)

その「理解できないことを理解すること」を英語にすると

“To understand what you can't understand.”

になるが、元々の『理解できないと理解すること。』の方は

“To understand that you can't understand it.”

なのだ。意味が違ってくるのよね。


なんでこんなことを書いてるかというと、試しにその『理解できないと理解すること。』をグーグル翻訳にかけてみたら

“Understanding the incomprehensible”

って返ってきたから。逆翻訳にかければわかるとおり、これって

「理解できないことを理解すること」

なのよね。それだと

“To solve what you can't solve”

つまり、「解けない問題を解くこと。」の方に解釈されがち。もうこうなるとヒカルの言いたかったことの真逆になってしまう。ヒカルは

“To know THE FACT that you can't know it”

つまり「(他者の事を)知ることは出来ないという“事実”を知ること」が大事なんだと言ってるのだから。

こんななので、ヒカルの呟きを自動翻訳にかけて読んでる日本語圏外の皆さんは混乱してないかなぁ、という勝手な心配をしているのでした。…いやそれならこの日記自体を英語で書けばよかったってか!? …その通りだねぇ…(今の今まで気がついていなかった人…)。

まぁ兎も角、誤解するにせよしないにせよ、このヒカルの呟きもまた僕ら一人々々にとっては「他者の言葉」な訳なので、自分が理解できたかどうかについて油断する事はないようにしておきたいなと肝に銘じ直しましたという話でしたとさ。

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