HSのとき はアルバムを聴き終えるなり約1万字書いたのに
今回のTiTOではひとことふたこと ですませた。なぜか。
アタマに流れた文章が、書いたものばかりだったからだ。
なので、書く気を無くしてしまった。
ちょっと時間が経ったので、何か書く気が出てきた。
とはいえ、全部を書き下ろすまではいかない。そこで、
折衷案として、それらの“書いたもの”たちをつぎはぎしながら、
TiTOのレビューとしたい。
まず、決定版は、コレだろう。
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幾度もくどく書いた事又諄々と 天然啓語 / 2007-09-28 19:32:57
書きますが。UtaDA2ndに向けて参考になる曲はFlavorOfLifeだ。出来る所迄自分でやりきり光らしさ溢れさせた1stEXODUSはそのままFoLOVに対応する。いわば音にベッタリ光の指紋が付いたサウンドだ。翻って2ndは素材を人の手に渡して自らの個性がどう輝くか試してみたBVに対応すると予想出来る。そこでの収穫といえば、一旦ひとの手に渡った曲との新しい距離であった。ひとの手垢にも塗れる事でまるでカバー曲の様に対峙でき素直な感情移入促し歌唱面に進境見せる事となった。1stでは多彩なソングライティングが耳を引いたが、2ndではシンガーUtaDAの成長にも注目である。
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TiTOの発売17ヶ月前のエントリ。
時制を合わせれば、そのままTiTOのレビューになるような、
非常に簡潔な内容だ。EXODUSとTiTOの違いをFoLOVとFoLBVの差になぞらえてある。
また、FoLBVの成果から、EXODUSがソングライターUtaDAとしての側面が
強かったのに対し、TiTOではシンガーとしての成長が注目点であることも
述べてある。この限られた字数を考えると、非常によく要約してあるといえる。
自画自賛。、、、、、、、、、書いてて呆れるわ。(汗)
でも、当時までに集めた情報を元に考えれば、これは自然なことだった。
2008年3月4月の雑誌インタビュー等を総合すると、
UtaDA2ndで新しいトラックメイカー・プロデューサとコラボレーションするのは
ほぼ確実なことだったし、そうする動機の源流がFoLであったことも、
光の発言の中で示唆され続けてきた。
なのでタイトルが「幾度もくどく書いた事又諄々と」 なのだ。
よって、実はi_の自画自賛なんてものではなく、
ただ光が有言実行を成し遂げた だけなのである。
そう考えてくれれば、わかりやすいだろう。
また、TiTOについて「Distanceアルバムを思い出す」という意見も
2ちゃんやmixi等で見掛けたが、それについても同じ時期にこう書いている。
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同じ1人の人間が2 度2ndを作る妙。 天然啓語 / 2007-09-26 19:46:36
UtaDA2nd ときいてまず手にとった作品は1stのEXODUSでもなければ光の最近作UBでもない、Distanceだった。恐らく作風妄想するのに鍵となるのは英語な事や時代性よりも「2枚目の作品である事」だと思う。距離は"雑多な"作品だった。EXODUSやUBも多彩ではあったが、光が作品全体を強くコントロールしているという意味でアルバム全体にストーリーがあった(「額縁を選ぶのは他人」/"ThisIsMyStory")。距離は初恋成功後の模索の中で色々やってみた末の多様性でありジャケも確信や決意に満ちたDREXUBとは一線画する。UtaDA2ndで光は今度は"故意に模索状態に入る"のではとみる。
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こんな感じ。TiTOが「故意に模索状態に入った作品」であるかどうかについては、
追々このblogでも触れていくことになるかも、しれない。まだわかんない。
「UtaDA2ndときいて」とあるのは、ちょうどこのエントリの直前に、
光が英文メッセ(携帯 /PC )でIDJのひとたちとミーティングしたと書いていたからである。
(日本語訳はこちら )(そのときの私の反応はこちら )
それが、2007年9月25日のこと。
で。この時期から半年経過した時点でi_はこう書いていたのだった。
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今年度はUtaDA2nd 祈願体勢でGO 天然啓語 / 2008-04-02 19:33:54
どんな作風になるか。予てから複数プロデュース・Ne-Yoクン的コラボ・歌重視と書いてきた。コレにHステALの存在が考慮に加わる。反動か延長か。童謡まで飛び出た作風の反動なら、アダルト&コンテンポラリィなR&B色が濃くなるか。目に映るのはフレディよりプリンスやMJ、ブラックだがPopsのスタンスを見失わないアジアンによる音楽。延長ならキーとなるのはPoLになる。日本語向け素材を英語でやろうとして結局日本語で名曲誕生、光の作曲と歌唱の"18番"とは何かを顕にした。このプロセスは今1度光に両言語の音楽的特性について考えさせる契機となった筈。その考察の成果が音に出てくる事に期待である。
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まさか、これを書いた時点で“今年度”中(2008.4~2009.3)に
UtaDA2ndが発売されるとは、実際思ってもみなかった。ごめん光。
Ne-Yoクン的コラボは結局日本盤アルバムでは為されなかった。
これは予想としてはハズれている。また、複数プロデュースは単に
光のインタビュー発言の引用であり予想ではない。歌重視に関しても、
半分は引用みたいなもんだ。しかし取り敢えず、
複数プロデュース&歌重視の作風はTiTOの大きな特徴となった。
勿論、その下に書いてある“アダルト&コンテンポラリィなR&B色が濃くなる”点も
当たっているといえなくもないが、i_はTiTOを聴いて、
「このアルバムにR&Bって単語使うのは控えめにしようっと」と
思っているので、自分の中では「予想をハズしたな」という心持ちだ。
PoLに関しては、この間一本エントリ (米欄も読んでくださいな)を
書いたところなので、まぁ確認のようなものだ。
前半5曲のマイナーキー哀愁の歌メロ重視路線のルーツを日本語曲PoLに求める。
このセンは、裏切られなかった。確かに、PoLそのものではないが、
その差異はいわば、光が日本語と英語をメロディに載せる際の必然的な差異だと
考えておけばいいだろう。
上記の2エントリをまとめて書いたのが、次の1文だ。
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自身の実力見定めつつあるのなら 天然啓語 / 2008-05-28 08:11:30
今後の光の成長は内面を研ぎ澄ますよりも外界や他者との相互作用を通じて為される事になる(以前指摘した様に)。具体的には新しい録音場所や共作者を探す事を指すのだが、一方で今迄築いてきた光の方法論…「自分の色で押す」を崩すのも得策でない。双方の両立は難しそうだが、FoLBV・PoLを思い出そう、演奏者を加える事で光当初の青写真を超えるものが達成された2曲を。光の外界・他者との相互作用とは、両者が融合して新たな展開を見せるというよりは、他者を己(の作品)の化学変化の助けとする=触媒として扱う様なものなのだ。コレなら両立は可能である。
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即ち、他者との相互作用を下支えするのは「自信の実力を見定めること」にある、
とそう説いているのであった。つまり、自信のようなものだな、と
まとめるのはちと我田引水が過ぎるかな。てへ。
こほん。それはさておき。
また、Ne-Yoクンとやったようなコラボレーションは結局叶わなかったが、
i_は、コラボについては次のようなエントリを書いている。
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無粋な仮定から未来を妄想する愚 天然啓語 / 2008-05-29 19:18:53
光がUtaDAでコラボ相手を択ぶ規準が「アルバム全体を聴けば光の音楽性の振り幅と中心が何処にあるか解る様なバランスを達成する為にその時点での光に技術的に足りない部分を補える人材」だと仮定しよう。Exodusではエレクトロ風味が前面に出たのとバランスを取るかの様に光元来の嗜好であるリアルなロックとブラックなR&B風味を加味せんとセオドアの生ドラムとティンバのリズムを採用した。2ndでも同様の傾向を見せるとすると、制作終盤に UtaDAは日本人アーティストと共演するのではと予想したい。その頃には光のUSA人としての面が出過ぎてんじゃないかな。宇多田やる余裕もないだろうしね。
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これは予想を大きくハズしてしまった。
しかし、“日本人アーティストの共演”は、
全く考えてもいなかった違う形でアルバムに収録されることとなった。
そう、“Merry Chirstmas Mr.Lawrence - FYI”である。
これは、坂本龍一とUtaDAとの共作曲といっていい。
(ブックレットのクレジットでは、作曲者としてUtaDAの名ではなく
Ryuichi Sakamotoの名が、PublisherとしてBatonGirlではなく
YanoMusic の名が書かれている為、
正確には“Merry Chirstmas Mr.Lawrence - FYI”はカヴァー曲扱いである。
曲名が当初の“FYI”のみから変更になった点も付記しておく。)
経緯も「日本人としてのバランス感覚から」でもなんでもなく、
「会った初日にStargateからの提案で」というものだった。
なにしろ、「宇多田をやる余裕があった」のである。ココもハズしたよ。
実際に作業に入る、というより話がきていた、という段階だったろうが。
然し、他に「日本人とのコラボレーション」についての予想や願望を
書いたコメントを見かけたことがなかったし、
“着眼点は悪くなかった”と自分を慰めておくことにする。なんか情けないけど。
ちな!みに、このエントリを書いた時点で、
坂本龍一氏とのコラボレーションの可能性はアタマから否定していた。
というのも、この時 にも書いたが、以前光はこのように発言しているからである。
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FMFUJI「山本シュウのサタデー・ストーム」その5 文字起こし / 2005-12-17 19:40:00
(前略)
ま趣味が合うかどうかわかりませんけどあの~、まぁ、僕がね、 ぅん、 あの~…ワガママ自由ないちリスナーとしては、 はい、 坂本龍一のピアノでこんな音数の少ない、ね、 はぁ、 ピアノで、Hikkiが歌ってんのは、「見たいなぁ」て思いましたねなんかw はぁ~ えぇ。 そんな畏れ多いって感じですけど。
交流は? 交流はっ・・・・・・ないっすねぇ(笑) あははははは(笑) あはは(笑) 「交流はっ・・・」って考えたあとに「ないっすねぇ」w ゃ、いちおうなんか娘さんとはぁ、まぁ、知り合いぃ~、、、ぅん、ですがぁ、、、 なんか俺の中では巨頭ですからね、アナタはね。 でも、ぃゃ、合わないんじゃないかな?ぇだってぇ、デュエット的な意識があれば出来るかもしれないけどぉ、 ぅん、 彼のピアノは伴奏にはならないんじゃないかな。 ぃやもちろんデュエットですよ?もちろん。 それもどうやるんだろう、っていうのがこう…なんか、なんかもうひとりの歌手とふたりで歌うって感じですねぇそうなるとねぇ、、、。 あぁ~。 そうなると伴奏が要るじゃん!みたいな。(笑) だはっどうなんだろう?w 誰かの伴奏が加わらなくてはいけないような気もするような・・・。 まぁでもアナタはねぇ、 ぅん、 結婚・・・・・・出来てますからねぇ。 ・・・? 大丈夫ですよ、 ・・・「結婚」?? 大丈夫ですよ。 ぇ、すいません、なんの? ・・・話の、飛びが、まったく見えないんですが。(笑) 大丈夫です。…次行きましょう。 あっはい。(笑) 行きましょうか。(笑)
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この発言がアタマにあったから「坂本龍一とのコラボはないな」と
決めつけていたのである。なので、FYIのことを聴いた時は心底ビックリした。
勿論、演奏上のコラボレーションではないが、この楽曲は結局、
歌も強けりゃピアノも強い、“まるでデュエット”のような格好になっている。
よくぞまとめきったもんだ、という思いが強い。光ならこの程度は
やってくれるだろうとは思っていたけどね。
FYIについては、アルバム発売直前にこんなことも書いている。
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Japan,USdomestic,International 天然啓語 / 2009-03-05 23:02:08
Exodus では"日本から米へ"というベクトルがハッキリしていた。TiTOは、CBtMにマンハッタンが出てくる事からも"米国内から"という雰囲気が強そうだ。そんな中FYIの存在は面白い。プロデューサの提案とはいえ国際的知名度のある日本人の音を引用するのだからコレは1stの"日本から"というベクトルに近いのではないか―そういう解釈も成り立ちそうだけど僕は寧ろこの曲が次作以降の日本も米も超えたInternationalな、イヤGlobalな UtaDAへの布石になるとみる。基本コンセプトは1stも2ndもコレからも"BetweenYou&Me"のままあり続けそうだけど。2nd もまだ出てないのに気の早い話だな私。
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この着眼点は(我ながら)面白い。というのは、
このときi_は、純粋にサウンド上の要請からFYIという楽曲を
「次作以降の日本も米も超えたInternationalな、イヤGlobalな UtaDAへの布石になる」
と書いた。然し、実際に聴いてみると、サウンドというより寧ろ、
歌詞の中に“スケールの大きなグローバル感覚”が見てとれるからだ。
まずは「NYC(ニュー・ヨーク・シティ)」と「Tokyo」の対比がベースにある。
この日米両都市を軸に、セニョリータ(スペイン語)、シャルドネ(フランス語)、
“オム・マニ・ペメ・フム”(チベット仏教の真言)と
どんどん地球規模で様々な単語が出てくるし、果てはピカード艦長で
宇宙に飛び出してしまう。最後には、
“The place where the grass is lime”という表現が出てくる。
ここがどこのことであるかは以後考察を要するがとにかく、
前作の“Exodus04”同様、非常にスケール感のある歌詞になっているとは
いえそうである。
他の曲に関しても、
例えば早くから曲名が出回っていた“Apple And Cinnamon”については
このように書いている。
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"Apple and Cinnamon" 天然啓語 / 2008-06-19 08:16:41
UtaDA の新曲かと話が出ている曲名(仮題?)。このキュートな名付けの由来を考えてみた。リンゴでまず浮かんだのは旧約聖書の創世記。YMMPVのテーマでもあるし、1stのタイトルも出エジプト記だからね。ならシナモンはその2記を含むモーセ5書と関係あるのかと調べたが、同じく旧約の「エゼキエル書」に記述がある、という位しかなかった。では"アップル&シナモン"を使う菓子の代表格"アップルパイ"はどうだと辞書(ヤフー!)を調べてみたら「非常にアメリカ的な」の意味があるらしい。ノルウェイの2人組Stargateがアジアンルックスな女子と結託し「純アメリカ風」について書いた曲に茶目っ気タップリでこう名付けたのなら面白い。
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まぁ、結局この題名についての考察と関係ない曲になっていた訳だが、
ここで注目するのはそこではなく、最後の
> 。ノルウェイの2人組Stargateがアジアンルックスな女子と結託し「純アメリカ風」について書いた曲に茶目っ気タップリでこう名付けたのなら面白い。
という一文である。
光は、UtaDAのビデオコメント@Sinternet.comにおいて、
次のように語っている。
Utada interview at Sinternet.com
3:06~
In the studio there were two Norwegian guys and a little Japanese girl, and we were making very like a pop main-stream US song like "Come Back to Me," and that was just hilarious. LoL
スタジオには(そういうスキージャンパーみたいな背の高い)ノルウェイ人2人と、ちっちゃな日本人の女の子が居て、一緒にアメリカのメインストリーム・ポップ・ソングを作ってたんだよね、“カム・バック・トゥ・ミー”みたいな。それってすっごくおかしかった!(笑)
と。
いや、予想が当たってなかったとかそういうことよりも、
光と笑いのツボ(?)がよく似ていたのが何より嬉しかったのでした。まる。
(はいはい。やれやれ(溜息))
更に他の曲となると、“Automatic Part2”かな。
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PersonaInterludeAutomaticPart2 天然啓語 / 2009-03-10 08:22:17
TiTO のボーカル重視路線は、考えてみれば本来日本語で実践する予定なのではなかったか。日米の活動を通じ日本のPopsは洋楽と比べて結局"うた"なんだと悟った。然し少なくともHステALは歌メロを強化しつつも"虹色バス"の名に相応しいカラフルなサウンドに彩られたものだった。このままi_の見立てのママTiTOが"うた"重視作品であるならば、「宇多田ヒカルとUtaDAは1ッ」宣言であるAutomaticPapt2は作中最もサウンド重視の楽曲となる筈だ。そうやってバランスを取るだろう。それにしても、曲と曲を繋ぐのみならず自らの2ッのペルソナを繋ぎ合わせる"インタールード"だなんて凄い発想だよね。
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「AutomaticPapt2は作中最もサウンド重視の楽曲となる」という予想である。
これは流石に意見が分かれるところだろうが、i_の耳には、
同曲がアルバム中“最もサウンドに遊び心がある”という印象はもった。
まぁ、これは人それぞれだなやっぱ。
字数がきたみたいなので今日はこの辺で!
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