無意識日記
宇多田光 word:i_
 



朝結構シリアスめな日記で1週間始めたのに即座にコレかよっていう戸惑いを込めまして! 


…↓コレかよ!?(笑)


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Trick or Treat… or Evolution!

トリック・オア・トリート…オア・進化?
ここ数年ハロウインコス選びは息子に丸投げ

#eevee
#イーブイ

https://twitter.com/utadahikaru/status/1586881417601986560


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テキストだけだとなんのこっちゃだけど、今回のツイートはInstagramの写真投稿告知。イーブイってのは「No.133のポケットモンスター」のお名前だそうで。絶妙にポケモンまるっとスルーしてる私にはこれでもまだなんのこっちゃなのだが、これだけはわかる。ヒカルさん、エロいな!!!!!

いやもうこんな客引きの居るぼったくりバーがあったら破産間違い無しだわ。何がヤバいって破産しても「我が生涯に一片の悔いなし!」って天高らかに右拳を突き上げて腹の底から叫んでしまいそうでな。それくらい何の後悔もしないエロさを感じる。傾城傾国の美女などとは申しますが、この人太陽系はおろか銀河系の公転軸傾けちゃってるんじゃないですかね!? ゼウス様がミニスカートの中を何とか覗きたいって言って銀河系中心のブラックホールの地軸をぐいっとひん曲げちまってませんかね!!?? それくらいエロい。エロいったらエロい。あーエロい。(くどい)


だがだが今回何が驚いたって、↑に書いてある通りこれが「ダヌくんプロデュース」であること。 犯 人 は お 前 だ っ た
の か ! ! ! 
(罪状:超新星地軸歪曲罪)


いやしかしほんとビックリだね。まさかヒカルさんのいちばん身近に居る人が「俺ら」だったとはな。いやそうじゃないですか、完全に自分の母親の魅力を把握しきってるじゃないですか!!! 見事なプロデュース力ですよこれは!

こいつぁ今後に向けての凄まじい朗報ですよ。彼は2015年の6月下旬付近生まれだから現在7歳の筈だがその齢(よわい)にしてこの慧眼。今後この匠の目線はますます厳しくなっていくに違いない(凡そエロパワー強化路線でな!)。「ママそんな程度じゃファンの期待に応え切れてないよ!」と苦言を呈し始めるのも時間の問題である。今どきの子ならもう自前のSNSアカウントを持ち始めてても何ら不思議ではないしな。Twitterなんかは年齢制限があったりして難しいかもしれないが、いやはや、どこでかは知らないけれど母の隠し撮りをこっそりアップロードするような真似は絶対に止めてうただきたい。そう、アップロード・ボタンなんて、絶対に押すなよ!! (…ダチョウ倶楽部?なんのことれす?(゚Д゚)… )

今後@kuma_powerアカウントでも自撮りならぬ子撮り?が増えるかもしれぬな。こどもが撮ったという言い訳はなかなかに強力で、少々扇情的な写真でも「健康的なお色気」「親子の微笑ましい情景」で済まされて炎上しづらい。…しづらいのだ!!(力強く) 全くとんでもない援軍がいちばん身近に居たものである。今後の彼の大活躍と大躍進を願って止まないでござるよ、ニンニン。


…ってこれだけで終わったら無意識日記史上最も下世話なエントリになってしまうので(笑)ちょっと違う話も付け加えておくか。


このハロウインコス写真2022、Instagramでは現時点で12万弱のいいねを獲得している。インスタで6桁いいねを叩き出したエントリといえば、コーチェラ出演告知やVOGUE JAPAN表紙、あとは南青山での『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』ライブパフォーマンスフル動画など、アーティストとしてショッキングとすら言えるレベルのニュースにまつわるものばかり。それらに匹敵するインパクトをこのイーブイコスは与えてくれたと認めなくてはならないのだが、このインスタ投稿の告知ツイートの方はというと5000いいねにも満たない。先述のコーチェラやVOGUEやシクレライブの告知ツイートは万単位のいいねがついているのにね。

これは、今回の投稿を取り上げたウェブ記事の数々が何れもInstagram直リンクだったせいもあるけれど、少しずつユーザーの軸足がTwitterからInstagramに移りつつあったりする事を示しているのかもしれないなぁ、などと思ったり思わなかったり。折しもイーロンマスクがTwitterの買収を完了しトップの首も挿げ替えるようなニュースがあったばかりだが、流れによってはヒカル自身もInstagramに軸足を移すのかもしれない。

んでもですよ。実はヒカルがTwitterを使っている期間の長さって『Message from Hikki』が本格稼働していた期間を超えつつあって。キャリアの半分を共にしてきたSNSとなっているのだTwitterって。当初は期間限定の筈だったのに恐ろしいこと。そんなだから一朝一夕でお引越ということはないと思うが、Twitterの空気が激変すれば流石にわからない。うちらはどちらにも目配せしておくのがいいかもわからんね。てな感じで。…しかしヒカルさん、エロいな!(結局下世話方面に意識が引っ張られてまーす)

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先日韓国はソウルの繁華街で将棋倒し事故(という呼称は日本将棋連盟が嫌がっているらしい)があり150人以上の方々が亡くなられているんだとか。謹んでお悔やみ申し上げる。と共にこれを他山の石としたい。

雑踏の怖さといえば日本では約20年前の明石市花火大会歩道橋事故などが有名だが、やはりうちらが心配しなきゃいけないのはコンサート会場での混雑だろう。スタンディング会場でなければと思われそうだが、70年代には椅子ありの会場でも死亡事故が起きている。注意するに越したことはない。

それに、今後は宇多田さん、日本でもフェス出演とかあるかもしれないからね? そうなると軒並み会場はスタンディングだからね? 最前列ラバーの皆さんは特に注意して欲しいところだ。

逆に言えば前方に殺到しなければそういった事故には巻き込まれ得ない筈だ。いや勿論もっとエクストリームな音楽ならモッシュピットやウォールオブデスなど危険な催し(?)が会場の中程でも行われたりするが、歌モノJ-popとなれば一部の熱狂的な、特に最前列付近の動きに気をつけるのがセオリーだ。

とはいってもその「最前列」ってのもまた曲モノで。舞台から真ん中に花道が延びていればその両脇は最前列になるし、例えば『Laughter in the Dark Tour 2018』のアイランド・ステージなんかは全く予期せぬ形で中程と思っていた自分の席が唐突に最前列になっていたりもする。また、演出によっては2階席3階席の非常口などから演者が飛び出してきたりもするのだから、なんだかんだで会場全体で自分の座ってる席が最前列…というか最前線?になる覚悟は持っておいた方がいい。

幸いというかなんというか、宇多田ヒカルリスナーというのは比較的大人しい人たちで構成されていて、なかなかそういった混雑が喧騒に変化する予想は立てられない。故に寧ろ留意すべきはヒカル自身の安全の方だったりもするのだが、上述のように、だからこそ慣れないフェスティバルでいつもと異なる客層に囲まれた時に戸惑うかもしれない。

コンサートの楽しみ方は千差万別で、ずっと腕を組んで聴き入っている人も居れば酒盛りついでに騒いでいるだけの人も居る。会場でのマナーの取り仕切りは主催者の腕の見せ所だとは思うが、万単位の人が集まる中でトラブルが起こるのは寧ろ必然。普段の(というには頻度が足りてないが)宇多田ヒカルコンサートでの統一された大人しさの方が寧ろ異様なのだともいえる。

全く勝手な予想だが、イブニングドレス風なイメージが先行した大人びて大人しい色合いだった『Laughter in the Dark Tour 2018』と較べると、アルバム『BADモード』をフィーチャーするであろう次のツアー/次のコンサートはもっとアグレッシブに、もっとダンサブルに攻め立ててくるコンセプトになるんじゃないかと思われる。え?40代ですが老け込むってなんですか?という勢いとモーメンタムで宇多田ヒカルが一気呵成に25周年に雪崩れ込む…そんなイメージを今から持っている。いきおい、会場のボルテージもついつい上がり気味になってしまうのではなかろうか。そこらへん、ファン層の構成、若くてエネルギッシュなレイヤーがどこまで主導権を握るかだが、そういう老若男女入り混じる客層だからこそ、周囲とバランスをとった楽しみ方を心掛けたいものである。まぁあれだ、「宇多田ヒカルのコンサート、座って観るか立って観るか」という昔ながらのテーマも、時期によって細かくアップデートしながら趨勢を見守りたいなという感じですわ。コンサート会場はひとつの「社会」であるので、個々人の娯楽期待に最大限応えつつ全体の幸福量の最大値も目指すという欲張りな発想で事に臨みたいところなのでした。…というわけで、そう、次のライブツアーの発表は一体いつなんだ!?(笑)

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で。ニューヨークといえば『君に夢中』だ。とこう書くと結構なんのこっちゃだが、『Liner Voice +』でのヒカルのコメントを思い出せば合点がいくだろう。


『去年の夏に久し振りにニューヨークに帰ることが出来て。『ワン・ラスト・キッス』のプロデュースとトラックメイキングを一緒にしてもらったA.Gクックもその時期だったらニューヨークで落ち合えるみたいな話になって。でそこで初めて彼と実際に会って、同じ部屋で一緒に作業できて。何日か掛けて。それが凄い楽しかったです。ニューヨークに帰れたことも凄く嬉しかったしそこで久し振りに会えた友人とか、街が回復し始めてまた色んなものが開いたり生活が少しずつ元に戻ってる状態のニューヨークに行けたことが凄く嬉しくて、なんかそういう喜びとかのエネルギーみたいなのが─曲自体妖しい曲なんですけど(笑)─曲に表れてるなぁと思います自分で聴いても。』(以上、2022年1月に放送・配信された『Utada Hikaru Liner Voice +』の『宇多田ヒカルが語る「君に夢中」』より抜粋)


ここでいう『去年の夏』というのは2021年夏のことになる。『君に夢中』は2021年晩秋のリリースだからね…って、おやもう間もなく1年経ちますか!。御覧の通り、久々にニューヨークに訪れて改めてこの街の持つ力みたいなものに感銘を受けている。より自由に行き来出来るようになった今、そのエネルギーにインスパイアされたいとまたニューヨークに足を運んでも不思議ではない。

勿論単なる休暇ということも考えられるが、仕事だった場合はどのような内容なのか。また再びA.G.Cookとコラボレートするとなると胸が高鳴るけども!

新曲だったらいちばんいいけれど、いやそれは流石に時期尚早というのであれば、以下のツイートを思い出しみるのはどうだろう?


@utadahikaru:「君に夢中」の配信始まりました🥳 “Kimini Muchuu” is finally out! (I’m trying to finish an English version of it too…)
posted at 2021/11/26 01:48:40
https://twitter.com/utadahikaru/status/1463912531358101508


そう、この

『I’m trying to finish an English version of it too…』
(英語版も完成させようとしているのですが…)

の一文が放置されてもう間もなく1年が経とうとしているのですよ! 『君に夢中』の英語バージョンね! このトラックを、遂にニューヨークで完成させてミックスダウン&マスタリングをしに行ったのでは??という期待が持てませんかねぇ? 今までこの日記でも何度となく煽ってきたネタだけど、遂に現実に、ね。

ただ、これ単独で配信とかだとタイミングとりづらくない? 海外で日本以外の役者を使って「最愛」をリメイクするとかならまだわかるけども…。同ドラマは先日もドラマアウォード2022とかいうヤツで作品賞グランプリ他計3部門で受賞していたし、放送から1年経っても未だに話題に上るくらいではあるのだけれども、英語バージョンだとドラマとやや距離が生まれるかな? ここらへんだよねぇ。

なんだったらもう全く新しいタイアップを『君に夢中(English Version)』の為に引っ張ってきてくれてもいいんだけどな。ただ、それが国際的に英語圏でも扱われるとなると(SHISEIDOみたいにね)、いよいよ曲中の「アリエルの歌唱シーンそっくりのメロディ」が槍玉に上がらないかが心配になってきますですわね。結局アルバムでもリトル・マーメイドのクレジットなかったし、あの程度の長さなら大丈夫っていう判例でもあるのかなぁ。流石にユニバーサルのコンプライアンスなら大丈夫でしょう!…ってこのあいだ手前のストアの特典グッズで椎名林檎を大炎上させた会社でしたわねそういえば! 気をつけろよまったくもう! 色々予断を許しませんな、もしそんなことになったら。

もしそんなことではなかったのなら、ヒカルさん、ニューヨークでの休暇をしこたま楽しんで下さいなっと♪

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さて今日でその『First Love/初恋』2枚組のリリースまであと6週間となった。ここらへんまでのプロモーション感触で初回生産量が最終決定されるので、予約を迷っている人は第1決断機会といったところか。こっから先は品切れ云々があるってことね。

ここらへん、フィジカル時代のリズムが名残っていてノスタルジックな気分にさせられる。特に今年は、ヒカルが少なくとも2021年12月28日までは制作をしていた事がわかっているのだから(何しろその段階で出来たのは歌詞であって、まだそこから歌唱して録音して編集をしなければならなかったので)、それが翌2022年1月19日にしれっとリリースされるスピード感は、なんだかんだで現代的だなぁと思わされた。

フィジカル時代は、例えばアルバムが3月に発売される場合そのデッドラインは1月中旬から下旬であり、やはりマスター音源は5週間前には仕上げていないとまずかった。恐らく1stアルバムの『Give Me A Reason』も、2ndアルバムの『Eternally』も、5thアルバムの『Celebrate』も、そういったデッドライン上での戦いを経て世に出ているのだ。それが今年は『気分じゃないの(Not In The Mood)』になった訳だが、我々としては後から振り返っているだけであるにも拘わらず、どうにも生っぽさというか出来たてホヤホヤ感があって、リアルタイムでリリースに触れる醍醐味をしこたま味わってしまう。

この様子だと、どうやら『First Love/初恋』リリース時にはフィジカルでの上積みサプライズはないわね。…って、そんなんあってたまるか!と言われそうだが、例えば2013年の12月9日の『In The Flesh 2010』映像配信販売などは、発表当日即配信開始だったりした。そう、フィジカルでのサプライズは難しくとも、配信では何をしてくるかわからないのだ今という時代。

その意味で今回のヒカルのニューヨーク訪問は、デビュー24周年記念日にあたる2022年12月9日に何らかのサプライズを仕込むためのアクションなのではないかと睨むのが自然な流れになるのだけど、私はいまいちピンと来ていない。思考の流れとしては、『君に夢中』のレコーディングでこのニューヨークに訪れた際に感じたホーム感を今一度手繰り寄せたいとか、或いは、自分がニューヨークに移り住んだ年齢(それまではお家でアニメ「CITY HUNTER」とか観てたからね)に息子のダヌくんがなったので、ここらへんで訪れてみるのもいいかもしれないと思ったりした、とか。そんなことも考える。が、はてさて真実はどこにあるのやらですわね。明らかになるまで暫しお待ち致しましょうか。

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で、このタイミングでヒカルがInstagramのストーリーズに投稿してくるとはねぇ。私はよくわからなかったが、ニューヨークでNBAの試合観戦してたみたいね。プロバスケットボールっすな。

全くの予想外で。つまり、ニューヨークに来たのは、息子にせがまれてスポーツ観戦に来たとかそんな理由だったの!? うーん、解せぬ!(笑)


話をちょっと戻そうか。未明の「オータム・イン・ニューヨーク」。私は2週間前、例の「紅葉2枚と絆創膏2枚」のInstagram投稿の時にこう書いている。

>> 場所はロンドンなのだろうかな。でも仮にニューヨークだとすれば、ジャズのスタンダードに「オータム・イン・ニューヨーク」という曲があるのでその示唆かもしれず。
https://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary/e/62ff2e0b0127d371c3ffe44bad251851

2週間先回りしていた…と言えば聞こえはいいが、秋になって「オータム・イン・ニューヨーク」の話題を出すのは、日本でクリスマスに山下達郎の「クリスマス・イブ」の話題を出すくらいによくあることなので、特に声高に言える事でもない。

寧ろこれ、ヒカルが無意識日記を読んでないって言ってるようなものでな。ファンが自分のInstagramを見て「オータム・イン・ニューヨーク」を連想してるのにその舌の根も乾かぬうちに曲名出してくるって思わせぶりになり過ぎるのにも程があるってもんでね。ヒカルなら避けてくるだろう。故に少なくとも最近の無意識日記は読んでないわねこれはね。

だがだが。毎回@utadahikaruをつけて投稿告知している身としては、ここは「読まれている」という前提で書くことにしているのですよ、えぇ。読まれてないならそれは当然のことなので特に何も起こらないが、万が一読んでくれてる、読んだことがあるだなんて時に私が「どーせ読まれてないんだし」とかいじけてたら余りにもかっこ悪いじゃないですか。何より、何秒か何分かわからないけれど、私の書いた文字を読んでくれた人に対してその行為を否定するなんて余りにも失礼。それはヒカルに限らないんだけどね。よって私は常に読まれている体で話を進めます。


で。前回のInstagramは『adorning our streets』って書いてたな…ん?Adoちゃんがゲフィンレコードとパートナーシップ契約を結んだ話とか?(ダジャレかよ) 確かにこのニュースはアメリカンドリームっぽくて、「スペインに城は要らぬ」に通じるね。パートナーシップってのが「名前は貸すから勝手にやって。こちらの懐を痛めるつもりはないから。」みたいな雰囲気を醸しているのだけど、ヒカルさんも昔米国市場であくせくした身。自分の半分の年齢の女の子がアメリカ市場を見据えてるのを見て言いたくなった事でもあったのかもしれない。だとしたらヒカルなりのエールなのかな? 夢を叶えてくださいなと。


…ま、いつものように考え過ぎだね。(笑) でもそうやってるのが楽しいのだ。

これで来年NBA関連でパフォーマンスとかしたら笑えるんだけど…って、あ、今その役割はゆずがやってくれてるの? んじゃ違うわね。仕事の話と結びつけてみたいけど、今わざわざニューヨークに行く理由がないのよねぇ。どっちかっつったら西海岸よねユニバーサルのレーベルは。うーん、この間のマルセイユの写真同様、今後に保留だわね今回のインスタは。

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おおぉぉ、ヒカルが朝から連続リツイートしてるな。『First Love/初恋』EP、『PINK BLOOD』Spotifyキャンヴァス動画、ドラマ「First Love 初恋」、英語リツイートも含めて4連投か。プロモ熱心で良きかな良きかなとは思うが、ちょっとまだ時間が早くありませんか? みんな通勤通学途中だったりでゆっくり落ち着いてチェックできないですよ…

…などとなるのもさもありなん、今ニューヨークなら夜19時だからねぇ。そこで仕事を始める前とかなのでしょう。…え、ニューヨークで仕事を!? ほんまかいな。


そうそう、そのリツイート4連投の前に、Instagramが更新されてたのよね。日本時間早朝いやさ未明に。

@utadahikaru :
Autumn in New York
You’ll need no castle in Spain
posted at 2022/10/27 4:43
https://twitter.com/utadahikaru/status/1585356348153266209

こちらはTwitterでのお報せ。

ニューヨークの風景と思しき写真を添えてこの一言。特に日本語圏では解説が要るヤツだなぁ…と思ったら英語圏でも理解されていない模様。いやそりゃそうか、何年前の曲からの引用なのかと。

まず、“Autumn In Newyork"、「オータム・イン・ニューヨーク」はジャズのスタンダード・ナンバーのタイトルで、歌詞の中にもそのまま出てくるフレーズ。「ニューヨークでの秋」ですね。オリジナルは1934年に作曲家のヴァーノン・デュークが著したというからもう88年も前の話。同時代人にはピカソやジャン・コクトー、ココ・シャネルやウラジミール・ホロヴィッツなんかもいらっしゃったとか。そんな世代の楽曲が有名になったのは1957年にフランク・シナトラにカバーされたから。あの『Fly Me To The Moon(...in other words)』を有名にしたのもシナトラだったよね。こうやってなんとなく固有名詞を並べていくだけでヒカルとの繋がりが薄らと浮かび上がってくるような…そうでもないような(笑)。

引き続いての2行目、

『You’ll need no castle in Spain』

はほんとこれだけだと何のことかわからないけれど、その「オータム・イン・ニューヨーク」の歌詞の一節からの引用なのです。直訳すると「スペインに城は要らぬ」となってそれニューヨークと何か関係あるの?と訝りたくなるけどこちらは慣用表現で、中世近代に軍事的に隆盛を誇っていたスペインを攻略して城を建築するだなんて夢のまた夢だよね、っていう所から“Castle In Spain”は「白昼夢」「ありえない夢」って意味になったそうで。日本語で言えば「砂上の楼閣」が近いかな。

で!(説明が長いわっw) そんな有り得ない夢を、ニューヨークでは見る必要がないんだよ=ニューヨークはあなたが夢を現実に出来る場所ですよ!っていうのを言いたいがための

“You’ll need no castle in Spain”

即ちこれは「(ニューヨークで)叶わぬ夢を見る必要はない」=「ニューヨークで夢を叶えよう」って意味になるわけ。ややこしいねぇ。

で、そうなるとこの寂しげにも見えるInstagramの写真が何なのか気になる訳だけど、はてさてこれはどこかいなと思ったら一瞬で特定されてたわ。“Jacqueline Kennedy Onassis Reservoir”、「ジャクリーン・ケネディ・オナシス貯水池」なんだそうですこの風景。thx to クラゲちゃん @kurage_power …ほんと博識ね彼女は。

ここはマンハッタンのセントラル・パークで、つまりヒカルが長年住んでた場所ってことね。何故この写真なのか、正確なところはわからないけれど、池面に映る2つのポンプハウスの鏡像が如何にも「砂上の楼閣」っぽくてこの“You'll need no castle in Spain”のフレーズがヒカルの中でしっくりきた、みたいなとこじゃないかしらん。何れにせよ、いつもと違って(?)ちゃんと背景を知らないとよくわからない投稿だわね。珍しいな。なんか意図があるのかなぁという話は次回にでも出来ましたら。

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前回「老い」の話をした。ヒトとして(ホモサピエンスとして)肉体が衰えるというのはこれからあるだろうが、では音楽家としては何が衰えるのか?という論点は、私は別の話だと思っている。

歌手や演奏家としてなら肉体の衰えの影響はあるだろう。それどころか歌手の全盛期はプロスポーツ選手並みに短かったりする。それはもう日々が衰えとの戦いになるだろう。だが今はそちらの話ではなく、創作家として、作詞家作曲家として人は老いるのかという話。

作詞作曲編曲などの作業は、究極的には楽譜が書ければよい。今やパソコンやタブレットがあるので、筆を握る握力すら究極的には不要だ。瞼と瞳孔が動けば何とかなる。肉体的な衰えが、本質的に創作活動を阻害する事は無い。

が、脳は衰える。肉体は元気なのに認知症になった人の厄介さに日々つきあっている皆さんはその理不尽さにほとほと参っているかと思われる。或いは、足腰が弱って(骨折などで)活動範囲が狭まることで認知症が進行したりね。脳と肉体は、ちぐはぐにだが結局相関しながら衰える。

ならば音楽家としての能力も衰えるのかというと、どうもそこが違う気がするのだ。音楽って、勝手に育つのよ。時に曲作りを子育てに擬える人がいるけれど、それは、自分の手を離れて色々勝手に決まっていくプロセスを知ればさもありなんと思えてくる。

何度となく話に出して恐縮だが、『気分じゃないの(Not In The Mood)』の作詞のエピソードは、作詞家の脳だとか感性だとか勘だとか、そういった事を大きく超えた領域の話だと思う。ヒカルだって、事前にそんなことになるだなんてつゆほども思っていなかったろう。一方で、何とかなる方法を自分で手繰り寄せるというか、そこに自分自身を近づけていく感覚というのが全く無かったとも思えない。ただ言えるのは、それらの様々な感覚というのは、脳の中で創作的な計算や処理が高性能コンピュータのように熱的に盛んに行われていた結果起こるようなものだとも思えないということだ。

ヒカルの「実感」を最近よく想像する。若い頃の作詞は、もっと理詰めで構築的で、ここがこうだからこうなる、という説明がしやすかったように思う…それだけ頭を捻って自分で考えていた実感があったんじゃないか。

今は、なんだかもうそういうことではなくて、そういった計算や処理も勿論あるんだけども、それらをベースに、いやさ苗床にして、何が起こるのかを眺めている時間帯が増えているんじゃないかと思う。つまり、知恵熱出してウンウン唸って答を導き出す時間帯より、「経緯を見守る」為に費やす時間帯が増えているのではないか。それが今のヒカルの、創作に於ける実感なのではなかろうか、と。

そうなってくると、作詞者本人の能力、脳力と書いた方がいいかな、それが発揮されるとか、若々しいエネルギーが満ち溢れて活動的だとかいったモードにはならずに、ただ出掛けて、向こうからアイデアがやってきて、それを書き留めるだけという、それだけなら誰でも出来る(あなたの前に詩を売る人がやってきて来たときにあなたがそのことをただそうノートに書き留めるのにそう労苦は要らないだろう!)事をするだけなら、脳は少々衰えていても大丈夫な気がする。

一方、出来た詞の威力は凄まじい。これまた何度も強調して恐縮だが、私は『気分じゃないの(Not In The Mood)』の歌詞・作詞は宇多田ヒカル史上ベストだと思うし、つまりそれは、『Keep Tryin'』のような手間暇かけまくって偏執的に音韻を構築した歌詞たちよりも、このただその日に起こった事を書き留めただけの、音韻も何もグダグダな歌詞の方が、何らかの意味でより感銘的であると言っているのに等しいのだ。手法でもなく、ましてや作詞者の脳の若さでもないところで、作詞の、作品の質の高さは生まれ得る。音楽に限ったことではないかもしれないが、作品を創作する上での、何か超人的なフェイズが、今宇多田ヒカルの前に拡がっている気がするのだ。


そんな風な解釈でいるので、ヒカルの創作活動に関して、年齢や老いや衰えは、直接的には心配していない。一方で、歌手やパフォーマーとしての旬は、そんなに長くはないかもしれない。長くあっても、結局はいつか衰えるかもしれない。なので、創作に対しては時間の感覚を麻痺させているけれど、実演、ライブ・パフォーマンスに関しては、寿命とか老いとか衰えとか、大いに考えた上でスケジュールを組んで欲しいなとは思う。作詞作曲編曲とは異なり、こちらは「今しか出来ないこと」だらけになっていくに決まってるんだからね。

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でその『First Love/初恋』で15歳の頃のヒカルの写真が出回った事で改めて今のヒカルの異様な若さがクローズアップされている(主にファンダムで、だが)。同じアングルの宇多田ヒカル古今東西を投稿してくれてる皆、仕事が早いな!(笑)

で。ここで強調しておきたいのが、「大人びる」ことと「老いる」ことの違いだ。確かに15歳のヒカルも39歳のヒカルも変わらず若々しく、いやほんと何食って生きてんのとしか思えないのだが、やっぱり今の顔の方が大人だ。それは老けたというより、物事を知り熟慮を知り視野が広くなり向こうがよく見えるようになった事が今の表情に(何故だか)表れているからだろう。それだけ15歳の頃のヒカルの表情が世間知らずで視野が狭く向こう見ずな性格だったようにも見えてる事になるのだが、当時宇多田ヒカルに触れた人は「こんなにも先を見通せる15歳が居て堪るものか!」「この人、人生何周目?」と言われるほど達観した印象を与えていたのだ。『time will tell』みたいな歌詞でデビューしたからだったが。

比較というのは恐ろしい。今のヒカルが1999年当時には考えられない所にまで到っている事に、我々は中々気付けない。23年間の経緯をリアルタイムで知っているからだが、こうやってその途中をすっ飛ばして眺めさせて貰えると改めてそのとんでもなさが浮き彫りになる。

そして、恐らくだが今後、「老い」も少しずつテーマとなっていくだろう。今までは成長に次ぐ成長で、「昨日出来なかった事が今日出来るようになる」の連続だったのが、いつの間にか「昨日出来ていた事が今日は出来ない」になっていく。今でも既に「もう徹夜で飲めない」とかそういうこともあるんかもだが、今後は仕事面でも出てくるかもねぇ。今すぐという訳ではないのですが。

ヒカルも生身だ。いつかは老ける。だが、同時に、人間はそれだけではない。足腰が弱っても、音楽家としての成長はあらゆる面で見出すことが出来ていくように思われる。まぁそもそも成長なんかしなくてもよい。歌というのは、クォリティ云々の前に、歌う人と聴く人の気持ちがどうなるかなのだ。それぞれの今にテーマソングが要るのよやっぱ。

確かに『First Love』をリリースした頃のヒカルは今と較べればものも知らずヒカル本人からしたら恥ずかしい面もあるかもしれないが、だからこそ今聴いて共感出来る人もいるし、確立した安心や思い入れの拡がりはこの曲にしかないものなんだし。同時に、『初恋』にはその頃にはなかった良さがわんさと詰め込まれている。歌は世につれ世は歌につれとは言うけれど、歌は人に添い人は歌と在るのもまた真実。その時その時の良さを味わうのが、成長や老いに対するいい生き方なんだと思います。

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アナログEP2枚組『First Love/初恋』のジャケ写が公開された。1999年のアルバム『First Love』ジャケット撮影時の未公開写真を使用ということで、枠の中のヒカルは16さ─あれ?15歳だっけか? 『First Love 15th』んときのクレジットにフォトセッションの日付書いてあったかな。後で確認してみよ。(大体忘れるヤツだコレ)

その8年前の15周年記念盤の時も未公開写真大盤振る舞いだったのに、いやはやまだまだ残してあったとはな!勿論、2029年に『First Love 30th』、2049年に『First Love 50th』をリリースする時の為にも残しておかないといけないのですけどね。松任谷由実だって今年50周年で文化功労者に選ばれたからね、ヒカルもまだまだ先があるってことよ。過ぎてみればあっという間なんだろうけれども。

てことで23年前のヒカルの表情が新しくてクソ小生意気で小気味よく可愛い訳だが、私は全く異なる理由で現在大いに不満な気分でござるのだ。このEP2枚組って(45回転なんだね)、『First Love』と『初恋』のダブル両A面シングル2枚組(…って、ややこしいなこれ!w)扱いだったんじゃないのかよ! ジャケットがまるっきり100%『First Love』なのかよ! …という不満があるのである。

2018年の『Laughter in the Dark Tour 2018』で『First Love』と『初恋』の連続歌唱を聴いた人は、昔のヒカルより今の(最近の)ヒカルの方が明らかにスケール感を増しているのだと脳裏に叩き込まれた筈である。あの迫力は人間業では最早無い。故に、幾ら『First Love』が国民的人気を誇ろうが、あそこの地点から地続きで現役のアーティストとして2022年にニューマテリアルをリリースする以上、より近い2018年の『初恋』の方をより強調して欲しかった、というのが紛う方無き私の本音である。もっとも、商売上こうした方が売れるのも明白なので、不満はあっても反対はしないけれど。

だが、どうせならダブル・ジャケットにはして欲しかったな! オモテが『First Love』セッションの時のアウトテイクで、ウラが『初恋』セッション時のアウトテイクで。それでいいじゃないのさ。……いやもしかしてこのあと時間差で裏ジャケ…というかもうひとつのオモテ面ジャケットの写真を公開してはくれたりすんのかな!? それくらいのサプライズはしてくれても、ええんやで? スタッフの皆様、お待ち申しておりますぞ!(圧)(…“圧”って漢字が今回のジャケに似てる…(笑))

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「AI絵師」なんて言葉を聞くのも珍しくなくなった。簡単なテキストを幾つか入力するだけで「今までこの世に存在していなかった絵」をAIが勝手に描いてくれる機能だ。改良されていけば絵師の仕事を奪うのではないかと危惧されてるんだとか。

新しい技術が旧い技術に基づいた職業を駆逐するのは、良し悪しは別にして昔からずっとあることだが、「絵を描く」という、「車を運転する」とか「早く正確に設計通りに成型する」とかの仕事に較べてずっと「人間ならではの」「機械には出来ない」仕事だと思われていたものが脅かされるというのがニュース性を高めているようだ。

絵画はそうだとして、音楽はどうなの?と思われた方もあるかもしれない。こちらはもっと昔から機械による作業が蔓延っているが、特に仕事を脅かされている事実は無い。例えば編曲。何十年も昔から、鼻歌一つ入力するだけでそこからロック風やボサノバ風、クラシック風など好きなように編曲を編纂してくれる機能は存在して皆使っているが編曲者が失職したとか数が減ってるとかの話はきかない。せいぜい編曲の苦手なアマチュアが助かっている程度だろう。

理由は単純で、表現方法は機械が代替できるようになった途端に陳腐化するからだ。プロに求められるのは"その都度"アマチュアを上回る煌めきを作ることなので、出来る事はとっとと機械にやってもらって、"その都度"新しいものを生み出し続けるのがアーティストに課せられた使命。それは機械が無い頃から変わらない。その時代その時代で非凡庸な仕事を常に求められるのがこの手の職業なのだった。


当然だが、宇多田ヒカルクラスになるとそんな機械など足許にも及ばない。その上本人が機械を使うのに何ら偏見をもっていない為、軽々とその上限を見極められ常に瞬時に上回られるだろう。大体、今の機械は設計図通り(プログラム通り)にしか動かない。本質的に予測不可能な人間や自然を相手にしてそれすら包み込んで作詞作曲を施す人外的アーティスト(ここらへんの話が先週の主題だった)が、たかだが玉の多めな算盤程度の道具を恐れる筈も無く。「あら便利ね♪」といってこき使われるのが関の山だろう。

アートで期待されるのは予測可能性ではなく予測不可能性だ。その上で現時点と連続であって欲しい。ただ滑らかなだけでもなく、ただぶっ飛んでるだけでもなく。繋がってはいるが見通せない、見通すことの出来なかった何かをこの世に初めて生み出す責務にとって、AIは便利な道具でしかなく、ライバルになってくれそうな未来はこのままでは一向に見えてこない。それについて安堵してもいいし落胆してもいいけれど、そういった展望を持っていない人たちの議論に目を通すほどつまらない時間もそうそうはない。そんな暇があったらYouTubeやサブスクを開いて適当に流れてきた曲に耳を傾けてる方がよっぽどいい歌に出会えるだろう。結局判断するのは最後に歌に触れるリスナーであるあなたの心でしか無い。実際にその都度聴いて見極めていけばいいだろう。

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続いてはこちらの歌詞の場面。

『自分の価値もわからないような
 こどものままじゃいられないわ』

第1期OPでも採用されていたここのフレーズがやはり第2期でも。まず『自分の価値がわからないような』で苦悩するフシの姿が描かれる。これはそのまま第1話からの展開の暗示、つまりフシが自らの存在に価値を見出して行動に移していく流れを予め暗示したワンカットだろう。こちらはわかりやすい。

だがそこに続く『こどものままじゃいられないわ』でボンシェン・ニコリ・ラ・テイスティピーチ=ウラリス王子、通称ボン王子がフィーチャーされているのは、ちと解説が要るかもしれない。いや勿論、彼のこどもっぽい部分を強調して描いているだけといえばそれまでなのだが、ここの含意は恐らく「ただの王子のままでは居られない。王にならなくてはならない。」ということなのだろう、
王"子"というこどものままじゃいられないわ、と。そこらへんも、第2期の大事なテーマとなるわね。

『心の穴を埋める何か
 失うことを恐れないわ』

の場面で誰と誰が抱き合っているのか?というのは今はまだ黙っておいた方がいいのかもしれない。取り敢えず、ここは「あなたは恐れていないかもしれないが、こっちは恐ろしくて仕方がないわ!」と返しておく。話が進む内にここらへんも共感して貰えるようになるかなと。

『自分のことを癒やせるのは
 自分だけだと気づいたから』

引き続いてはここの歌詞だが、ヒカルらしい普遍的なメッセージ(というか独り言?)でありながら、こんなに『不滅のあなたへ』第2期に相応しい一節もないよねという「決めフレーズ」となっている。まぁここさえハマってしまえば後はどうとでもなるわな。

実際、ここから後の『サイコロ振って出た数進め』以降は主題歌に囚われないオープニングアニメが続くので、ある意味ここに辿り着いたら『PINK BLOOD』はお役御免なのである。…一旦。

そう、一旦でしかない。というのも、すぐさま

『王座になんて座ってらんねぇ
 自分で選んだ椅子じゃなきゃダメ』

という宇多田ヒカルが直々に「不滅のあなたへ」の為に書いた歌詞が控えているからだ。はてさて、今回はここの部分をどう料理してくるかというのが事前の最大の関心事であった訳だが、最後フシが椅子に座る姿を真横から眺めたカットで終わっている。ここの部屋はどこなのか? 第1期第1話のあの部屋なのか? 彼は一体どういう状態? ─そこらへんのとこに注目しながらこの第2期を観ていく事になるだろう。あたしも最初読んだ時「そんな話になんの!?」と驚愕した。これを考え出した大今良時に対して。天才だアンタは。


という事でネタバレを少しずつ避けつつ第2期OP映像を観てみたが、当然ながらこの第2期の話全体を観終わらないと「なぜ『PINK BLOOD』の歌詞はこうだったか?」という疑問についての答は得られない。宇多田ヒカル心酔者は少々色々我慢してでもこの「不滅のあなたへ」第2期を観た方がいいのかもしれない。第3期以降は多分アニメ化はないからね…ってこっちが勝手に言ってるだけだけど! この半年だけなら我慢してみてもいいと思って貰えれば、ってことね。

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遂にというかあっという間にというか、「不滅のあなたへ シーズン2」の放送と配信がスタートした。当然ながら主題歌、オープニング・テーマは『PINK BLOOD』だ。

今回は第1話からオープニングで登場している。
https://plus.nhk.jp/watch/st/e1_2022102303043

オープニングだけ観たい、という方には今回もノンクレジット映像版がYouTubeにアップされている。
https://youtu.be/0jluNJlvoMw

今回も、いや今回の第2期は第1期のそれ以上に見事な映像による楽曲への"気遣い”と“優しさ”に溢れているなぁと感じた。

順を追おう。

最初は、海底の様子からだ。タイムリーというか何というか、『色とりどりの生物の舞い』だよねこれね。となるとこの間公開された『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』のSpotify限定動画なんかも連想されるが、不滅制作側はどこまで意識したのやら。
原作側の意見とすれば、第2期からいよいよ「生命の濫用」というテーマに立ち入っていくので、オープニングに“初心”である生命の多様性とそのゆりかごとしての海を描きたかったのだと推察する。

最初に映る甲殻類らしき生き物がピンク色なのは、歌い出しの『PINK BLOOD~♪』の『PINK』に合わせてくれたのかしらね? そして血管が手のひらを走る。そりゃもう『PINK BLOOD~♪』の『BLOOD~♪』の部分のことだろうな。のっけからもう「主題歌に最大限のリスペクトを払いやす!」という宣言をしてくれてるようで、もうここだけをみて安心してしまった。

勿論ここからリスペクト映像はまだまだ続く。そこで

『誰にも見せなくても
 キレイなものはキレイ
 もう知ってるから』

の部分のバスドラに合わせて画面全体が明滅する。歌詞の意味に合わせた映像を宛てた出足からいきなり一転してサウンド面でのシンクロを組み合わせてきた。なかなかに多彩で飽きさせぬ。この先の展開も読みづらい。

『…もう言ってるから
 あなたの部屋に歩きながら…』

の所で画面が上にパンするのは第1期のになぞらえてる模様。ここらへんでしっかり続編としての立ち位置を表明するなんざ抜け目ない。なるほど、主題歌にばかり気を取られてる訳ではないのだなとこちらが思うか思わないかのタイミングでその『あなたの部屋に歩きながら』の一節に合わせて画面の中の海岸線に居るフシを歩かせる…ここら辺の波状攻撃よなぁ。一旦ドラムパターンに合わせて音の方に注意を寄せておきながら、また歌詞の意味に戻ってくるというね。

でその続きに

『床に何個も落ちる涙』

という名フレーズがある訳だがここでも不滅制作側は抜かりなく第1期同様「滴が滴り落ちる」アニメーションを差し挟んでくる。勿論それだけでは終わらせず、そこから地中を一瞬だけ描いて生命の流転を思わせるのだった…


…ってこのペースで書いてたら日記1回じゃ終わらないねw 次回に続きます。

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タイトルの意味はこの日記の後半でw



前々からそんな風に書いてる気がするけど、私にとって『BADモード』は

「今まででいちばんいいアルバムだけど“最高傑作!”とは言いたくない」

という作品だ。理由もちらほら書いてるわね、

「この作品を作った人は
 これ以上の作品を作れるはずだから。」

というのがその理由。これはもう、最初っからである。


多様性も統一感も親密さも荘厳さも、身近も遠大も簡略も長大も総てを呑み込んだとんでもないアルバムだが、ここから漂ってくる「可能性」は、それ以上なのだ。


2010年に『Goodbye Happiness』を聴いたとき、これは「熟れ落ちる寸前の歌」だと思った。そこが頂点で、ここから先は枯れるか衰えるかで…というイメージを抱き掛けたのだがそこからすかさず『Show Me Love (Not A Dream)』の

『築き上げたセオリー忘れよう
 山は登ったら降りるものよ』

というフレーズが鳴り響いた。なるほど、本人が誰よりもわかっていた! 一旦自ら山を降り、また登山に再挑戦するつもりなのだと。以後、人間活動を経てからの大活躍で、ここでの6年半の空白(っていう程でもなかったんですけどね『桜流し』とか色々あったから)が間違っていなかった事が証明された。間違ってても全然構わなかったんですけどね。休みってそんなもんだし。

『BADモード』には、まだその登山の頂点、“熟れ切った”感覚が無い。来ていない。見えてすらいない。随分に荒削りで、勢い任せで、実験精神に富んだ、「とりあえずやってみた」感が満載のアルバムである。これらのアイデアを整理整頓するだけで、更にとんでもない密度と濃度の作品が出来上がりそうだ。それが想像できるうちは、私は「最高傑作!」とは言わないだろうな。「今までで最高の作品だ!」とは言うだろうが。宇多田ヒカルの次の頂点はまだまだ先だろう。

無論、紆余曲折あるだろう。あるかもしれない。あってもいいんじゃないか…? なくはないような……

………うーん、ヒカルさんの今までの四半世紀近い活躍のその殆どをリアルタイムで味わってきた身としては、ヒカルさんあんまり回り道とかなんとかしてないって見做すしかないのよね。UTADAの2作品は余計だったとか言われそうだけど、それは市場の都合の話で、どちらも大きな流れの中で宇多田ヒカルの他のアルバムと大差ない影響力を持っているので。音楽的にね。何より、全く劣らず曲がいい。世の中には「宇多田ヒカル聴きますよ!」といいつつ『Apple And Cinnamon』を知らない人が山ほど居るのだ。今うたまっぷの歌詞表示回数見たら1236回だったよ。1%くらいは私だよこれ!(笑) なんと恐ろしいことだろうかw

そういう意味では、クォリティの割に知名度が低いことを指して「余計な事してくれたな!(笑)」と文句言うことは出来るけれども。

ともあれ、なんだろう、ヒカルさんが健康でさえあれば次も間違いなく─(今まででいちばんいい作品”という意味で─最高傑作になるだろうね…という風な言い方、今年の大谷翔平で散々見た気がするな(笑)。最早ヒカルさんも邦楽界ではゆいいつむにのユニコーンということなのでしょう。私、他の最近日本で活躍してるミュージシャン全然知らないけど、多分言い切っていいはずだっ!(たまにはお前もディグろうな日本語の歌)

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「和える」という言葉が好きでねぇ。日本語だと「和え物」の時にしか使わない動詞なんだって?

以下引用。goo辞書より。

1 野菜や魚介などに酢・味噌・ごま・からしなどをまぜ合わせる。「青菜をごまで―・える」

2 まぜかえす。ごたごたする。

引用終わり。

そうね、2の意味はなかなか見掛けないからこれは本当に「和え物」っていう料理ひとつを指す言葉に近いわね。でも私は勝手に拡張していくぞ☆


「うた」が何から出来ているかといえば「し」と「ふし」で。「おと」は「ふし」と「はく」を「あえた」もの、というのが私の歌と音楽の捉え方。歌は詞と節で出来ていて、音は節と拍を和えたもの。「節」「拍」「和」は、西洋音楽でいったら「メロディ」「リズム」「ハーモニー」だね。音楽の三大要素ってやつですね。

その中の「ハーモニー」即ち「和」を動的に捉えて「和える」とすると、日本語でも捉えやすくなるなって。

そこで思い出すのが宇多田ヒカルの『One Night Magic feat. Yamada Masashi』の最後の一節。

『もっともっともっと
 もっともっと会えたら
 もっともっともっと oh
 もっともっと会えたら』

ここの歌詞を、こう解釈した人が居る。

『もっともっともっと
 もっともっと和えたら♪
 もっともっともっと
 もっともっと和えたら♪』

台所で和え物するときにこう歌ったらテンション上がるんですってよ! Hiron @kukuchang によると!(*≧∇≦*)

2006年当時は「ケッサクな替え歌だな! しかも歌う時は一文字だって変えてない!」とただ絶賛して面白がっていたのだが、今週の気分でこれを思い返すと、あれ?これってヒカルの変化そのものじゃない?と気がついたのだ。

「会う」という言葉は中立的で。「会いに行く」という風に、能動性や計画性を表す時には「行く」を添えた方がいい。というのも、「ばったり出会す(でくわす)」のように、「会う」という言葉は意図しなくても(意図していても)時間と場所が同じになってしまう事をシンプルに指すからだ。受動的、自然なことにも使える。

これが「和える」だとどうだろう? これは間違いなく、人の手で異なるモノ同士を「合わせる」「会わせる」「併せる」行為になる。とっても積極的、能動的だ。

今週みてきたように、ヒカルはその意識の領域を自分の身体から更に外に敷衍する段階に来ているように思う。予言性が能動的になってきたとでもいうか、人の手を借りても自分の世界にできるというか。何だか超常的。

『One Night Magic』は、偶然の出会いを見つけにいく物語だわね。どう会うかまではわからない。だがこれが今では自ら「和える」物語になっているのだとすれば、大きな変化になるだろうね。ほんの少しの、いや音自体はひとつも変えていない変化だけれど、大切な変化はいつだって最初は静かに深く人知れずに進行していく。宇多田さんが人心を和えるようになっていくとすると、なんだか心が躍りますわ♪

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未明のヒカルの入間くんツイート、かなりの反響だねぇ。今時点でいいね5.5万超えてるな。まだまだ伸びそうだ。

ヒカルさんのツイートはそうそうバズらない。普段の落とし物ピックアップインスタツイートは数千いいねくらいですから。5桁になると「いつもより反応が多いかも!?」となる。300万もフォロワー居る割に、なんとなく穏やかだわね。

でもこれくらいの知名度になると、炎上悪目立ちの方が響く。少し前までは「ネガティブだろうが目立ったもん勝ち」とばかりに炎上狙いの宣伝を仕掛ける向きもなくはなかったのだが、今はみんな消費活動がサブスクだったり通販だったりでオンラインばかりなので、ネガティブはダイレクトに響いてくる。いつの間にかヒカルさん、時代に即応してるというか、うまく適応してるのかもしんないねぇ。

かといって、どうだろうね、ヒカルさん個人が常に流行を追いかけて時代の最先端に居続けようとしているのかというと、そんなでもない訳で。サウンド面で「今の音」を捉えてるとのは誰かというと、共に仕事をしたプロデューサー陣になるのよさ。

Skrillex (with Pooh Bear)、小袋成彬、A.G.Cook、Floating Pointsとまさに「今をときめく」共演者たちだが、これはヒカルが最先端を求めていたというより、それぞれに友人として知り合っていたからこその起用だったというのはヒカルも度々言っていることだ。既に仲の良かった人たちがたまたま時代の先頭を走る人たちだったという、ね。

この「引きの強さ」は、なんなのだろう? それこそ、「魔入りました!入間くん」みたいに(そういや字で読むと入間くんって“人間”の鏡文字なんだねぇ。It's in the mirrors of the hotel lobby ~♪)、一見名作の匂いがしない風なものですら嗅ぎ付ける。ツイートの雰囲気からすると、「息子が観てたので自分も観てみたら思いのほか面白くてハマってしまった」という経緯だったのではないかと推測するが、こうやって周りの人に助けて貰ってよいものにあたっていくというそういう力がヒカルには特別に強くある気がする。まぁ最終的にはヒカルさんの判断とセンスが的確なのは間違いないんですが。

かくいうあたしも、この未明のツイートをチェックしていたのがパソコンで、ちょうど配信で入間くんのアニメ動画ウィンドウを開いていた所だったもんで、思わず「お前うちのデスクトップ覗いてんじゃねーだろーな!?」とよくわからないツッコミを入れてしまったのだけど(笑)、こういう謎の同期現象、もう21世紀もたけなわなんだし、シンクロニシティとかセレンディピティとかいうのの更に先の言葉が出てきてくれてもいいように思えてくるのよ私は。特にWebで電脳化された人間の認識が地球規模で拡がっているのだから、新しい概念があってもいいんじゃないかな。

その「セレンディピティ」は「セレンディップの3人の王子」(セイロン/スリランカの3人の王子)という童話のタイトルが由来らしいが、もうこんな感じでヒカルさんから名前貰っちゃえばよくない? 形容詞が「Hikaruic」だとすると…「ウタダヒカリシティ/Utadahikaruicity」、みたいな?(笑) こうやって周りの人にうまいことやってもらう事をそう呼んでしまえば、よいような。ね。

いやでも、ヒカルさん、そういう訳のわからない能力、今も拡張中っぽいからな、「ウタダヒカリシティ」という言葉をたったそれだけの(?)狭い意味に押し込めてしまうのはまずいかもしれない。今後どんどん拡張していくヒカリシティ、我々が楽しんで見守らずしてどうしましょうか!

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