無意識日記
宇多田光 word:i_
 



つやちゃんさんインタビュー完全版での勘所のひとつが、ヒカルが『PINK BLOOD』が「不滅のあなたへ」に合うか確信が持てなかった旨を話した場面だ。こちらからすればそれは最早「笑い話」なのではと言いたくなるくらいに、完成品には全く何の違和感も無い。宇多田ヒカルらしくひとつのPop Songとしての完成度とタイアップ先への配慮が融合したいつも通りのハイクオリティな仕事ぶりだった、という感想しか出てこなかった。これのどこが「不滅のあなたへ」に合わないというのか?と。

でも、そんなものなのかもしれないな。完成品の完成度しか知らない人は、その舞台裏を想像するのは難しい。そもそも、「完成度が高い」という感想は、総てがあるべき場所に収まっていてそれ以上直しようがない状態に触れた時に述べるものだ。そこから迷いや戸惑いが読み取られるのはそもそも「完成度が低い」と言われるだけである。

だが、高い所まで行く為には、大抵が低い所から始めて段々に登っていくものだ。たまにヘリコプター使うヤツとか雲に乗れるヤツとかワープするヤツとかはいるものの、大体は麓から始めて一歩一歩あーでもないこーでもないと道に迷いながら進んでいく。

『PINK BLOOD』の場合は、「そもそも登る山を間違えてはいないか?」という不安もあったようにとれるけど、結局の所こうやって我々の目と耳に届くからには選択が正しかったのだろう。

ここから更に勘繰るなら、実はもっと失敗が事前にあったのだがそれは話すことではないと最初から話題にも上らなかったアイデアも、もしかしたらあったのかもしれない、というね。


創作のプロセスは本当に難儀で厄介なものだ。『PINK BLOOD』の場合は、曲が生まれてから、MVのコンセプトに触れる中で「これでよかった」と感じられた訳で、これはいわば登ってみたはいいものの、ここが頂上でいいのかわからなくなっていたというかなり厄介な状態だったのではないか。そこでやっと入り組んで暗い森を抜けたら視界が開けて総てが見渡せた、みたいな流れが感じられる。何をもってして完成か、からしてわからない。本当に難儀で厄介だな。

出来上がったものの完成度に「やっぱりコイツは天才だ」と言うのは容易いが、ひとたびそのプロセスを知れば他の形容を考えたくなってくる。執念の人、とか拘りマニア、とか、なんでもいいけれど、変人なまでに創作の酸いも甘いも総て味わう気にならないと、こんな仕事は出来ないのかもしれない。その一端を想像させてくれるこのインタビューは改めてよい仕事だなと思わざるを得ないですよ。

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昨夜は、五輪卓球競技33年の歴史の中で初めて日本女子代表が個人戦でのメダルを獲得した。紛れもない大偉業の達成であった。大変めでたい。

ところが当の伊藤美誠は喜ぶどころか一切悔しさを隠さなかった。世界ランキング2位で三冠を公言していたのだからそれはそれで自然なのかもしれないが、こう、周囲は喜ぶのが当然と思っている事でも肝心の本人がそんなに喜んでいない場合、どう接すればいいか戸惑うもんだろね。


ヒカルさんの場合は、その戸惑いすらなかったな……いやね、デビュー当時の話さ。げいのう人になるんなら当然目立ちたがり屋で、周囲からちやほやされるのが無上の喜びだろうと最早無意識下で勝手に思い込んでるギョーカイの皆様にとっては、裏方志向のヒカルの性格は想定外どころか、そう公言しても聞く耳持たなかったというかそもそも日本語の識字能力がなかったというか。兎も角それがストレスだという事に思い至っている人間がそれはそれは少なかったように思う。22年前のちょうど今頃な。

東京五輪卓球競技の混合ダブルス決勝戦の関東地区での視聴率は24%強だったらしい。タイムラインを見返してみても、あたしがフォローしている全クラスタの人間が視聴していてその注目度は凄まじいものだったんだなと目を丸くしたのだが、1999年のヒカルの夏休み(6月からね)のテレビ出演時の視聴率はこれより更に上だったのだ。当時Twitterのタイムラインみたいなものがあったとすれば、混合ダブルス決勝戦より更に多くの投稿が全クラスタからあったんだろうかと想像するともう胃が痛い。異常過ぎる。

これでヒカルが他者からの注目を快感に思える人間だったならウィンウィンだったのだがさにあらず。10代の頃はハイテンションで誤魔化している所もあったが次第に物事はシリアスさを増していった。2004年に『エキソドス』をリリースした頃の英語圏インタビューでは人から注目される事の苦痛をこれでもかと吐露していた。つまり、新しい土地でまず積極的にアピールしたかったのは、「私は注目を浴びたい訳ではない」という点だったのだ。私はアジアのブリトニー・スピアーズなんかじゃないですよ、と何度も繰り返した。あたしもブリトニーの性格なんか知らないからそこは誤解してるかもだが。

そういう意味では、『エキソドス』がそこそこしか売れなかったのは実はラッキーだったのかもしれない。2009年の『ディス・イズ・ザ・ワン』の時にはプロモーションのし過ぎで(かどうかは結局の所わからんが)倒れちゃったからね。発売日に。やっぱり注目を浴び続けるのはストレスだったんだろうな。

ファンがヒカルのそういう性格を把握するのは大変重要である。福原愛が銅メダルで嘆く伊藤美誠に関して「軽々しくおめでとうとは言えない」と気遣いをみせていたらしいが、うちらはヒカルがそういう元来内気な性格であってもファンサービス満点で何万人という人間の前にたってコンサートを開催してきてくれた事は留意しておく必要があるだろう。ヒカルはヒカルで、苦痛が前面に出たらこちらとしては楽しむどころではないので、出来るだけステージに立つことを楽しめるような工夫が必要だろう。『Laughter In The Dark Tour 2018』ではある程度それが達成されていたように思うので、次のツアーでは更に突き詰めていって欲しいものだにゃ。

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こんな早い時間に投稿したら「あぁ、あの人3位決定戦観たいが為に早よ帰ったはんねんな」と思われてしまうな。えぇ、その通りですが何か。


今年は『UTADA UNITED 2006』から15年。たまたまヒカルの人間活動の期間中だったということで『First Love』の豪華盤が“15周年”というやや中途半端な括りで発売されたせいで、逆になんだか15周年って特別なのかもという感覚が私の中で生まれたのであの頃を振り返るのにいいタイミングだなと最近思ってたり思ってなかったり。

『UTADA UNITED 2006』に関しては、『ULTRA BLUE UNITED BLOG』という公式旅日記が今でも閲覧可能な状態で存在するので、2021年現在でも当時の様子を事細かに振り返る事が出来ている。これが21年前の『Bohemian Summer 2000』となると、公式で読める振り返りが基本的になんもない。ホント、そう考えるとヒカル自身の手による『Message from Hikki』は資料としても娯楽としても非常に価値が高いわね。たまに(当時では非常に珍しかった)写真なんかも投稿してくれたりしてね。あれがツアー日記の代わりをしてくれている。

公式サイトでの記録が少ないのであればファンサイトはどうなのかというと、これまた老舗が壊滅状態でして。利用してたウェブサービスが終わったりドメインとられたりしていやはやアクセスできませんな。ファンからのライブレポ投稿とかもあったんだけどねぇ。それも見れないや。

『Laughter In The Dark Tour 2018』に関しては、今でもTwitter検索すれば様々な感想の数々が読めるのでこれはこれで結構楽しい。だが、これまた公式でなんらかの記録が沢山あるのかというとそうでもない。ニュース欄を追うくらいしかなく、あとはやっぱりTwitterというね。

それらをみていると、ますます『ULTRA BLUE UNITED BLOG』の有難味が身に染みてくるんですわ。15周年といわずもっと頻繁に振り返っていってもいいかもな。


で。ここで当然提案になるんだが、来年だか再来年だか(変異株があと何段あるかわからんからな……)に行われるであろう全国ツアーでは、何でもいいから公式でウェブに記録を残しておいて欲しい。『Laughter In The Dark Tour 2018』では映像商品にライブフォトブックをつけられたのだ、あれに加えてツアー日記もあればファンとしては非常に有難い。なんだったらそれこそ次の映像商品ではライブフォトブックと共にツアー日記を活字で読めるようにしておいてうただければプレミア度が上がるだろう。例えばWebでは掲載できなかった裏話なんかも交えたりしてくれたらサービス満点だな。

ウェブ上での媒体候補としてはInstagramか? 写真のみならず動画まで置いとけるとなると便利だな。Pat Woodwardさんみたいな、いやもう彼自身でいいと思うが、彼のようにマメに更新してくれるスタッフがひとり居ればいいんだ。それが後々の映像商品の付加価値に転ずるというのであれば仕事としてもGOサインが出るだろう。検討してみて欲しい。


でも、ヒカルのツアーって裏話ばっかりであんまり表立って書けることがない、とかになりそうでな……セトリ決めた人がツアー始まる直前に国外に移住したりした時にどう説明すればいいのかとか、喉があわや手術寸前までいったのでお医者さん行ってきましたとか、なんか書けそうもない話ばかりに……ってそりゃツアーにトラブルはつきものですが、そゆとこでなんとか和気藹々とやって欲しいものですわ。みんなの精神状態がヒカルのコンディションにも影響しちゃうだろうし……そうか、そういうのの防波堤になる為にも表向きのツアー日記はあった方がいいな。それに書けるような明るいネタを作ろうとポジティブにみんなで動けるようになるかもしれないから。


って、ツアーの発表はおろかアルバム発売のアナウンスすらない時点であたしゃ何書いてんだろねー(笑)。言うだけなら自由ですわ。実現したら嬉しいね。

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ヒカルがラッパーの皆さんの方にシンパシーを感じているというのは予想外だった。そもそもそういう捉え方があるという風に考えてなかったというか。ヒカルにはなかなか「同じフィールドで活躍する同業者」というイメージに該当する人がいないのだが、ラッパーの皆さんならそれに相当するかもしれないということか。今から考えると千葉くん(KOHHちゃんね)を起用したのもそういうシンパシーから来ているのかな。Jevonもそういうことかな。

その割にFoxy Brownとのコラボレーションについては余り芳しく思っていないらしく、『Blow My Whistle』についてコメントすることは殆どない。「ラッパー」だなんて括りはデカすぎるとはいうものの、やはり個人個人の相性が大事ってことなんだろうかな。『Blow My Whistle』自体はとてもクールな楽曲だけれども。


で、これだけ話題にしておいてヒカルによるラップが『Laughter In The Dark Tour 2018』での『Too Proud』くらいしかない、というのは確かに認知の齟齬を生んでいて。幾らシンパシーを感じるといってもやっぱり出てくるサウンドもファッションもアティテュードもかなり違うので、クリエイター同士のシンパシーはあっても、リスナーの方がそれを共有出来ているかというと怪しい。少なくとも私はそういう風に考えていなかったからね。「ラッパーにも共感する」のだろうとは思っていたが、「ラッパーの方が共感する」とまでは感じていなかったので。

どうにもそこには、日本の歌謡界(それはいつの時代のどこの話だ?)自体への違和感みたいなものがある気がして。英語圏の歌手だったらまた違うのかな。

こんな事をつらつら考えていると、ヒカルが、歌とかラップとか歌詞とかあれやこれやを超越してとにかく「どれも声帯から出る音でしかない」を体現したコクトー・ツインズに辿り着いたのは必然だったのかなと。あれは本当に、言葉以前の何かであって、歌の原始性を集約したようなサウンドだったから。特に初期はね。洋楽のモスト・フェイバリットに彼女らの「ヘヴン・オア・ラスヴェガス」を選ぶのも納得かなと。あたしはインディー時代の「トレジャーズ」が好きなんだが。それはいいか。


っとと、ラップに詳しくないからって知ってるアーティストの話に逃げてしまった。歌詞が聞き取れないからどうしてもねぇ。次のアルバムでヒカル自身が世間でラップと呼ばれている手法を実践しているかどうか、楽しみですわね。

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インタビュー完全版から抜粋。

『メロディと歌詞の関係についても、元々メロディをつくったあとに文字数も考えながら歌詞を書くんですけど、母音をメインに考えていくんですね。』

この、メロディと母音をセットで考えているというのがポイントで。母音というのはつまり音の伸ばし方だが、これは楽器で言えばその弾き方や鳴らし方の違いに相当する。いやさ、あ・い・う・え・お、それぞれが別の楽器に対応する、とすら考えてもいいかもしれない。例えば「あ」の音で高らかに歌い上げるのはトランペットのような喇叭の華やかさを連想させるし、「い」の音を伸ばすのはヴァイオリンのように弓で弦を撫でて高音を伸ばすようなイメージだし、「う」の音を伸ばすとフルートのような木管楽器の“管(くだ)”を鳴らしている感じがする。「え」の音はサステインの効いたエレクトリック・ギターの中音域だろうか。「お」はホルンのような、金管楽器の中でもふくよかで低音側に倍音がある音のように聞こえる。まぁこれらは一例に過ぎないけれど、メロディに楽器の奏で方が結びついている……スタッカートだとかレガートだとかスラーだとか、そういう音楽の作り方をする中で、歌詞の母音に制約がある……というか母音が先に決められていってしまうのは必然ともいえる。どうしても母音を変えたい場合はメロディの方まで変えることに……なったのが例えば『光』と『Simple And Clean』の関係だわね。


インタビューでヒカルはこう続ける。

『メロディを思いついて歌詞がまだない状態で歌っている時に、だいたい母音がかたまっていって、そこからその母音に沿って言葉の選び方・置き方を考えていくので、どうしても語呂が大事なんです。イメージした子音や母音が違うと良いメロディに思えなくなってしまうんですよね。』

このヒカルの言い方は目から鱗かもしれない。普通、「歌詞が韻を踏む」というのは、作詞者が一所懸命に同じ子音や同じ母音の音を探してきて次々と当てはめるようなイメージがありはしないだろうか。最初に「やっぱり」がきたら「がっかり」「すっかり」「すっぱり」「きっぱり」「さっぱり」みたいな感じでどんどん増やしていくような。

ヒカルの作詞はそうではない訳だ。先に母音が固定されてしまっているから、必然的に「韻を踏まざるを得ない」のである。極端な事を言えば、韻を踏みたくて踏んでいる訳ではなく、作詞の方の都合はまだ全く出てきていない、即ち、どんなテーマを歌うのかも決まっていない段階で既に“音楽の方から”母音の要請があって、歌詞の方が後からそれに対応せざるを得なくなるのだ。

故に、ヒカルの歌詞の音韻はわざとらしさが極端に少ない。ラップの中には余りにもうまく音韻を踏み続けられた場合いつしかドヤ顔が出てきてしまうものだが(そういうものだしそれが魅力だ)、ヒカルの場合は、音楽的必然性が先に来ているからまず耳馴染みの中に「してやったり感」が現れて来ない。極めて自然に音韻が運ばれている。

そう、「韻を踏む」というと作詞面での話だと思いがちだが、ヒカルの場合それは元々は作曲面での話なのだ。その作曲上の制約が、作詞側にまではみ出して来ているのである。これで作曲家と作詞家が別人だったら行程は決裂していたかもしれないが、残念無念、作曲が宇多田ヒカルなら作詞も宇多田ヒカルなのである。そうして作詞家のヒカルは作曲家のヒカルにぶつくさ言いながら懸命に条件に合う言葉を日夜探し追い求め続けるのでありましたとさ……。(講釈師見てきたように嘘をつき)

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今季は大谷翔平選手が絶好調で、現在本塁打35本で本塁打王、盗塁14、防御率3.02で100奪三振という驚異的な数字を出している。まぁもう褒めても時節の挨拶にすらならないくらい各方面で絶賛されてるので野球自体の話はいいとして。

そのうちまた触れるかもわからないが、彼は野球のみならず記者会見までいちばん上手い。言葉のチョイスやニュアンスの選び方などまぁよく考えて練られている。試合後の疲れたアタマでよくあれだけ立ち振る舞えるなと。やっぱりもうホモ・サピエンスじゃないのでは?

だなんて思っていたので、ヒカルさんも大谷くんの話術から参考になるところがあれば……と進言したい雰囲気になっていたのだが、今回つやちゃんさんインタビュー完全版を読んでそんな必要などなかったと改めて気づかされた。いやほんと凄いね。ヒカルも大谷君に負けず劣らず、微妙な話題でもわかりやすく説明する能力が非常に高い。

なので前回触れた通り、あまりツッコミどころがない。少し前まではこんな発言して心を病んではいまいかと読者を不安にさせるのがヒカルのお家芸だったのだが、今回そんなことを感じさせるターンは全くと言っていいほどなく。つやちゃんさんが音楽に特化した音楽ライターさんでそれについての質問だらけだったせいとも言えるが、それにしても堂々とした受け答えでまぁ感心するばかり。「ほんとそれな」って柄にも無く何度も呟いたわ。

そして、ここからなのだが、ツッコミどころがないと今度は、いち読者として「そのテーマについてあたしゃこう考える」という“自分語りの領域の話”を始めたくなったのが新しい効果かなと。いつもは不安や心配、ヒカルへの期待なんかで構成されていた「インタビューを読んでの感想」が、自分語り方面にシフトしたというのが、なんだかプログレスとして際立っているかなと。今までは不安に駆り立てられていたのに、今は表現欲求に駆り立てられているというか。ベクトルがヒカルとの1対1というよりは、もっと広い方を向いてる感じがしてきてるよ。

それが、インタビューの感想をなかなか書き進められない理由にもなっていて。あたしの自分語りだらけになったら、まずあたし自身が後からあんまり読み返したくならないかもしれず。読者としてはそれはつまらないので躊躇っているというのが今のタイミングなのですよっと。

つまり、ヒカルのインタビューを読んだ後の読後感が「ヒカルと私」から「私と私」へと遷移したというのが、過去のインタビューからの変化なのだ。なるほど、これもまた『My Relationship with Myself』の一環かと思えば、もう既に私は、そしてひょっとしたら我々は、ヒカルのニューアルバムのコンセプトに巻き込まれつつあるのかもしれないのね。これは巻き込まれておかない手はないだろう。きっと物凄く興味深い体験となるだろうから。なんとか自分でも読み返したくなるような自分語りの方法をみつけてインタビュー感想記事の続きを綴ってみたいものですわ。

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つやちゃんさんインタビューでのヒカルはいつにも増して振り幅が大きい。

『(略)私はメインストリームなもの、あまり知られていないようなオルタナなもの、昔のラップミュージック、クラシック音楽、分け隔てなく聴いてきました。全てジャンルは違えど「音楽」という認識しかなく、音楽をつくる要素は同じだし大した意味のある違いはないと考えます。(略)』

と言い切り、ラップと歌の差について

『結局メロディとリズムが関係していれば、それらは変わらないんじゃないですかね』

と断ずる。皆結局は変わらない、同じなんだ、と。一方で、

『メロディと歌詞の関係についても、元々メロディをつくったあとに文字数も考えながら歌詞を書くんですけど、母音をメインに考えていくんですね。メロディを思いついて歌詞がまだない状態で歌っている時に、だいたい母音がかたまっていって、そこからその母音に沿って言葉の選び方・置き方を考えていくので、どうしても語呂が大事なんです。イメージした子音や母音が違うと良いメロディに思えなくなってしまうんですよね。そう思うと、ラップと同じように韻を踏んだり、語呂とかがきっちり構成のあるものにしようとしてるんでしょうね。』

と語るように、自分の作る歌とラップ・ミュージックの相違点と同調点を事細かに分析済みだったりもする。大胆に同じだと思うところと、精密に差異を見分けるフェイズが同居している。


また、前も取り上げたように、音楽自体についても、

『言語の定義って何?と考えてみれば、やはり音楽も言語なんだと思います。楽譜に書き起こせるし、記号で表現できるし、言葉以上に人類に共通して伝わるもの。』

という風にその言語性について語ったかと思ったら

『実は音楽は凄く物理的なもので。波形にできるし、周波数で考えたり質感で考えたり物量感で考えたりもできる。』

とその実在的な側面についてもすぐに語れる。一見相矛盾するようにみえることもあるかもしれないが、非常にものごとの性質を多角的にみている為に起こることなのだろう。


つまり、今のヒカルは「ただひたすらによくみえている」のだ。総てに対して明晰であり迷いが極めて小さいというか。『PINK BLOOD』の『もう充分読んだわ』のラインナップに、他人の表情や場の空気や上等な小説に加えて「この世の理(ことわり)」みたいなものも入れるべきなのかもわからない。正直、完全版を読みながら「そこまでちゃんと理解しててそれを的確簡潔に表現出来るとなるとツッコミどころがないわ」と苦笑いすることが多かった。では、だとすると感想を書きづらくなるかというとさにあらず。言いたい事触れたい事が溜まりまくっていて今困ってんのよね私ね。何故そうなるかの話については次回それを書く元気があったらなっ。

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伊藤美誠水谷隼両君五輪卓球混合複初代金メダル獲得おめでとうございます☆ これから更に沢山記事が出る事でしょう。引き続き単・団体も期待しています。

この無意識日記goo blog版が始まった頃は2006年、福原愛が日本の中心選手になりつつあった頃だったな。懐かしい。その頃の彼女の活躍ですら、その前の暗黒時代を知る者としては夢見心地だったので、昨日の事は夢すら超えた何かですわ。

それだけふわふわしてたのにちゃんとYouTubeの『One Last Kiss』MVの再生回数をチェックして共和国ツイート差し替えた私えらい(自画自賛)。夜22時前後だと回数更新微妙なところだと思っていたので。無事(?)、4000万回再生を突破しました。

折しも、先日「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」がAmazonプライム・ビデオで配信される事が発表され、YouTubeでエヴァ関連広告動画が軒並みアマプラ仕様にアップデートされていたから、関連動画として『One Last Kiss』MVが目に入るケースが増えていたかもしれないね。いやはや、おめでとう。でも梶さん、それに反応するのが午前5時前って貴方いつ寝てるのさ?(笑)


前から「次のアルバムは『One Last Kiss』が看板曲になるので一曲目に持ってきたいんだけど、映画のお陰でエンディングのイメージが強過ぎる」てな悩みを書いてきたが、いやホント、次のアルバムってシングル・バージョンのまま収録されるかどうかわからない曲多いんでない? 感染症禍下という事情はあるにせよ、『PINK BLOOD』はかなり時期の違うテイクを貼り合わせたものだし、『Face My Fears』は「あるきたに」問題を抱えているからそこらへんはミックスし直したいところだし、件の『One Last Kiss』は曲の繋ぎがどうなるかわからないし……でもヒカルの性格として、一度世に出したテイクは直したがらないよね。そこまでの完成度にもってく為に毎度死ぬ思いをしてるんだろうからそれで当然なんだけど、アルバムの完成度と楽曲の完成度は必ずしも同じ方向性で完結する訳じゃない、とするならアルバムバージョン、アルバムミックス、アルバムマスタリングもひとつの方法ではあるだろう。

一方で、そのままシングルバージョンで収録した方が、ドキュメントとしては生々しい、という判断も有り得る。アルバムを新譜として聴いた時点で既にリスナーの思い出とリンクして作用していくかもしれない。あの頃はこうだったな、と思い出させるには同じテイクである方が効果的だろう。更に将来アルバム自体を旧作として振り返るなら尚更だ。

結局は、「アルバム」というものをどう捉えるかにかかっている。そこまでリリースしてきた曲を集めたものなのか、それともそれ全体で何か一個の作品なのか。ヒカルは前者寄り、三宅プロデューサーなんかは後者寄りだな。そこらへんがどうなるかも今後のみもののひとつになりそうですよ。

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今回つやちゃんさんインタビューを読んで「迂闊だったな」と思ったのは、ヒカルがラップ・ミュージックを聴き始めたキッカケに関してだ。こんな風に語っている。


『(当時)母親がヒップホップにはまって。私が11歳~12歳の頃、近所のヒップホップのダンス教室に通い始めたんですね。見に行ったら超真剣で(踊っていて)。すごく時代を先取りする人だったんですよ。「この曲のキックドラムが凄い」とか「ノリが、グルーヴがどうだ」とか語ってて。で、家でそれまで目立ってたSadeとかThe BeatlesとかT-REXとかのCDより、もうCDプレーヤーの近くにDr.Dreの『The Chronic』とSnoop Doggy Doggの『Doggystyle』が並んで、それがめちゃくちゃ流れてて私も好きで聴いてました。その二人がラップでいうと始まりで、その後JAY-Z、Biggie(The Notorious B.I.G.)と。(以下略)』


そう、お母さんの影響だったのだヒカルがヒップホップ/ラップ(最近この並び使うんだっけ?)を知ったのは。

それまでのヒカルは……小学生の頃のヒカルはロック好きだったりしたのだが、それはそういう音楽がとりわけ好みというよりは、まず照實さんの持っていたコレクションが60年代70年代メインで、それこそザ・ビートルズから取り揃えていたのをかなり小さい頃から耳にしていたという点と、ヒカルが小学生だった80年代末期から90年代初頭というのは、普通にロックミュージックがアメリカの商業音楽でいちばん売れていた、という点が大きかったように思う。ビルボードTOP10の半分以上がハード・ロックだった事すらあるのだ。今の「少し昔のオルタナの更に前の音楽」みたいなイメージじゃなく、フツーにホットな音楽だったのよ。なので流行りの音楽を聴いていれば自然にロックに触れるようになっていったのだろう。

そこから中学(って言っていいんかな)に上がる頃にはラップ/ヒップホップやR&B/ソウルがフェイバリットになっていくヒカルだったが、こちらとしてはただ漠然と「90年代半ばのアメリカでローティーンとして過ごしてりゃそうなるか」くらいに捉えていた。それが実は、もっと具体的で明快なキッカケがあった訳だ。圭子さん、お母さんというね。日本で演歌の女王と呼ばれていた人がヒップホップダンス教室通うのは……まぁ特に変わってもないか。美空ひばりや八代亜紀なんて演歌のみならずジャズも一流だもんね、藤圭子がソウル・ミュージックの変遷に敏感でもそんなに違和感無いかもしれん。


あたしが「迂闊だったな」と思ったのは「そういやヒカルっていつも周りの人からキッカケ貰って新しい音楽聴き始めてたわ」って事実を思い出したから──つまり、それまでそれを忘れていたからだ。2002年に『嘘みたいなI Love You』を聴いた時「えらい唐突にヘヴィ・ロック出してきたな」と思ったものだが(こないだのファンピク2021でも異彩を放ってましたねー)、後から聞いてみると最近(当時)ナイン・インチ・ネイルズにハマっているという。ほぉ〜、そんなところからと思ったがそれも旦那(当時)の紀里谷和明氏から教えられたものだった。ついでにディス・モータル・コイルなどの4ADサウンドも教えて貰って後年コクトー・ツインズに辿り着くのは皆さんご存知でしょうかな。

最近ではダイレクトに小袋成彬氏からJ.Husを教えて貰ったりしてて、なるほど、そういうのは身近な人からのインプットが多いのね〜とは思ってたけど、ドクター・ドレーやスヌープ・ドッグが圭子さんからのってのは、ほんと想定外だった。消去法でいってたら辿り着いたかな……。……ん? 照實さんからの可能性もあった? いや彼だとギャングスタ・ラップになっちゃわないですかね若い頃の見た目的に……(怒られてきなさい)。


まぁそんな切り口からつやちゃんさんインタビューが進んでいくわけですが……ってこんなペースで読み込んでたらオリンピック終わってもまだPart 1読んでんじゃねーか? なんとか巻いていきますよぅ。

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前も少し触れたように五輪開催期間に新しい動きをするかどうかというのは見解が分かれるところ。こういうのはミュージシャンとその支持者やリスナーの体質によるもんだが、毎度朝の情報番組を間借りしてプロモーションをしているような身としては、五輪期間は取り上げて貰える時間枠も少なく、いや、そもそも殆どなく、やはり得策ではないかなとはいえる。

当たり前の事だが、例えば如何にサッカーワールドカップの代表戦の視聴率が高くとも大抵の場合半分以上、或いは半分近くの数千万人はその中継を観ていない訳で、ガッツリそちらにアピールしようと腹をくくればそんな他所でやってるイベントを気にする必要はないんだけど、例えばうちのタイムラインを観る限り、五輪の視聴率は……あら、そんなでもないかな? こりゃ判断に困るな。まぁ連休中と平日ではまた違うだろうから今日以降も引き続き見ようか。

五輪のオフィシャルスポンサー等々を一瞥しても、すぐに関連するような企業は見当たらない、かな? ソニー系列の保険会社が在るんだったか。日清なんかは昔お世話になりましただし、トヨタもそうだけどCM出稿取り下げたんだっけ。

この期間にCMソングとして流れる曲があれば随分なプロモーションにはなったろうが、サントリーはライバル会社が五輪に関わっているので無関係だし、資生堂はもっと無関係だな。日焼け止めアピールとかしようにも都内は無観客だしねぇ。

うむ、こう考えてみると梶さん以下RIAのプロモーションチームは夏休み気味なのだろうか。いやちょうどエルエムワイケイのタイアップ日程が順調に消化されてるとこなので「宇多田サイドに関しては」なんだけど。

マスメディアに頼るミュージシャンはこういう時に難しいわねぇ。

こちらとしては開催自体の意義是非云々はともかく、アスリートのパフォーマンス自体には大いに感動させられるのでそれに対する賞賛は惜しみなく。普段熱心なファンやリスナーさんたちもオリンピックを楽しんでる期間に新曲情報とかこられても戸惑うかもね。「さぁいよいよマッチポイント! ってこのタイミングで宇多田ヒカル最新情報メルマガ着弾する!?」─これはまずい(笑)。混乱するよね。そういうとこの空気も読まないといけないかもってめんどいなぁ──って、観てない人には全然関係ない話題でした。


そういやそろそろ『One Last Kiss』MVの再生回数が4000万回に到達するので物好きな人はスクショ準備を。ここまでのペースでいくと5000万回は相当先になるので、このタイミングで祝っておくのが宜しいかと。いやしかし、凄い人気曲になったねぇラスキス。加地さんも梶さんも喜んでるわねきっと。

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そして先程無事インタビュー完全版後編が公開されました……

https://www.billboard-japan.com/special/detail/3242#

…………が、盛り沢山過ぎる! ちょっと待って!(ちょっち待っち!中学生〜♪)

これ、どこから触れたらいいの? このインタビューだけであたし一年間無意識日記書けるよ?(本気でやれそうで怖い) よく喋ったねぇヒカルさん。聞き出したつやちゃんさんあらためてぐっちょぶよ。

なんだろうね、案外こういう、フリートーク気味なインタビューって珍しい? そうでもない? ついついインタビューっつーとそんときにリリースされた新曲か新作の話に終始しがちなんだけど、これはもっとアーティストの茶飲み話というか……もっと踏み込んだ重い話とかなら『Musica』創刊号とかあったけどねぇ。こう、「制作生活の中で普段感じてることを取り留めなく話す」スタイルってあんまりなかった気がするのだぜ。いや勿論、『One Last Kiss』や『PINK BLOOD』といった最近の曲が話の発端にはなっているのだけれど。

ほんと、どこから始めよう?(…『Making Love』?) それこそ、曲の始まりと曲作りの始まりみたいに、いつどこから手をつけていいのやら。読書感想文の最初の2マスに「私は」「僕は」って入れたっきり何も思いつかなくて頭抱えてる気分だわ……。

よし、じゃあインタビューに書いてないことから始めよう(なんじゃそら)。ヒカルがラナ・デル・レイの新作を聴いていないのが意外だった。どれくらいシンパシーを感じているのかに興味があったのでな。ラナの新作。

ラナ・デル・レイは2013年に放送されたラジオ番組『Kuma Power Hour with Utada Hikaru』の第一回放送でも取り上げられていたので知ってる人は知ってるかもしれない。あたしがこないだ出た彼女の新作を聴いて思ったのは、「自家中毒になるギリギリで踏みとどまって良質さをキープしていること」だった。

なんというか最近の若い子の歌唱のスタイルをみていると、それこそラナ・デル・レイ的には追い風というか。ごく大雑把に有名人の名を挙げるならビリー・アイリッシュとか、今年だとオリビア・ロドリーゴとか、そういう歌声が溢れる中で、キャリアの長さから期待される周囲からの「ラナ・デル・レイらしさ」にちゃんと応えながら自身がそれに疲れたり飽きたりしていないというバランス感覚な。いや本人がそう言ってるんじゃなくて、あたしが歌を聴きながらそうなんじゃないなと思っただけなんだけど、そういう、歌が嫌にならないラインの引き方みたいな所をヒカルはどう思ってるのか知りたいなと前にちょっと思っていたので、そこらへんラナ・デル・レイの最近作を聴いてたらコメント貰えたかもしれないなー惜しかったなーというのが取り敢えず今インタビュー完全版前後編を読んで最初に書けたあたしの感想でございました。いやそんなこと別に聞きたくなかったって? 消化と整理が大変なのよこのインタビュー! 万が一まだ読んでない人はきっと読んで!面白いから!言われんでも読むよね!そうだよね! ……そりゃそうだわ……。……やっと冷静になったところでまた次回!あぢぃ〜じゃなくてあでゅ〜(もうどっちでもいいくらいに夏の夜の夢)。

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そんな『Top Fan Picks 2021』開始直前にスタッフからインタビュー記事の紹介が。あれ?つやちゃんさんとのインタビュー記事はもう読んだけど?と一瞬思ったがそこには「完全版」の文字が! カットされてた部分をフィーチャーして改めて公開ってことねぇ。もうホクホクですわ。

つやちゃんさんが

「大変ありがたいことに、先月の宇多田ヒカルさんインタビューの(ほぼ)ノーカット完全版を公開できることになりました。たくさん語っていただいたものを泣く泣く圧縮しまくったので実際は3倍くらいあって、前編後編に分けてのリリースです
(※後編は7/21公開予定とのこと)」
https://mobile.twitter.com/shadow0918/status/1416730323409281025

とツイートしてはる通り、いやもう倍増どころの話ではないボリュームで。新しい記事として読み直した方がいいやつだった。

そんな中で私が気になったのは『PINK BLOOD』の制作時期についてだ。ヒカルはこんな風に語ってくれている。

『この曲、実は最近出したものの中で一番古いんですよ。』
https://t.co/23UAt8rEI2

そうだったのぉぉっ!? でもこれでパートによって声質が違った理由にも合点がいった。随分後から付け足したって訳ね。

となると、これまでしてきた解釈を修正する必要がある。シンエヴァにせよ「不滅のあなたへ」にせよ、感染症禍で世に出るのが半年とか遅れたとはいえ、順序が違われた訳ではなかったから素直にそのままの制作順と受け取っていたのだが。

つまり、寧ろここ最近の楽曲は『PINK BLOOD』を起点にして考え直した方が見通しがいいかもしれない訳か。次のアルバムに収録される曲のテーマが徐々に決まっていったイメージから、最初に大きな方向性が出されたイメージに変える必要が出てきたぞ。

確かに、例えば『PINK BLOOD』の歌詞は『Face My Fears』と対を成している。生きていく上での覚悟を『You』に問い掛けるのが『Face My Fears』で、『自分』に問い掛けるのが『PINK BLOOD』、という風に。『Face My Fears』完成時点で『PINK BLOOD』の大体が出来ていたとするとそこを最初から意識して制作を始めたのかも…とか、こういう読み替え作業が暫く続きそう。

ともあれ、このあと何時頃になるかはわからないがこの完全版インタビューの後編がまもなく公開される予定という事なので、それもまた読んだ上でヒカルの発言の数々を見ていってみようかな。ふむー、楽しみじゃわさ。

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という感じで駆け足気味に(?)今回のTop Fan Picks 2021を振り返ってみた訳だが、いやぁ楽しんじゃったわ。ぶっちゃけ既出映像ばっかりで何度も観たことあるやつだらけだったんだけど、そうよ、ライブ・バージョンのシャッフルっての、普段全くと言っていいほどしてないのよね。DVDにしろ配信にしろトラックにランダムアクセスは出来てもランダム再生のできるアプリには出会ったことがなくてなぁ。そうか、こんな風に誰かに選曲して貰うとこんなに驚けたり喜んだり出来るのか。ちょっと、22曲プレイリスト企画に近い楽しさがあったかも。(あれの正式名称って『Hikaru Utada Playlist Library
- Celebrate 22 Years with 22 Songs』っていうのか…長いな…いかんな、クイズで出されたら俺答えられないぞ(笑))

そうよね、みんなの投票とスタッフの方々の決めた曲順によって実現した企画だったんだもんね。そりゃあ楽しいよなぁ。今更ながらにその意義を噛み締めているのでありました。事前にこの日記でもそこらへんもっと掘り下げておくべきだったな。YouTubeのバーチャルフェスへの参加ということで、もっとシングル曲中心の選曲になるかと思ってたのに蓋を開けてみるとカバー曲2曲にアルバム曲2曲(あたしん中では『道』はシングル曲扱い)。攻めたねぇ。まぁいちばん攻めたのはラストの『Passion/Sanctuary』だろうけど。痺れたわ。


無理矢理苦言を呈すなら、その『Passion/Sanctuary』のサウンドが弱かった事かな。これはマスターそのものの話なので今回誰かに落ち度があったとかそういう訳では決して無くって。『In The Flesh 2010』という貴重なライブハウスツアーのフッテージが画質音質ともに令和水準では物足りないのだという事実を改めて確認してしまった。今回のファンピクをみて『In The Flesh 2010』を買って観てみよう聴いてみようという人がいるかもわからないが、うむ、だとしたら、なんか、勿体無いよね。

過去のライブコンサート映像をリマスタリングかアップコンバートして現代仕様で再発を、という話はもう散々してきたからここでも遠慮無く繰り返すけど(笑)、宇多田ヒカルは人類史に名を遺すスケールの音楽家なので、出来るだけ後世の人々には高品質な状態で接して欲しいなぁと思わずにはいられない訳でして。こんな素敵なキッカケを作れるんだから、きっとスタッフの皆さんも何か考えてくれているとは思います。でもなー、やっぱ最低限、商売にならないとね。そこはどうしても譲れんよな。なので引き続きこの日記でも、リスナー目線、吝嗇家目線で(笑)、どうやったらライブ映像再発が現実味を帯びるか、日々考えていくことにしたいっすな。いやぁ、楽しかったぜ日曜の夜っ!

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っとと、深夜零時半にヒカルから今頃(笑)告知があったか。放送が終わってからのアピールが如何にも…とはいえ、今回ばかりは別によかった気がする。こういう既存のマテリアルを使った企画ってのは「本人が休める」からいいわけで。ベスト盤の発売とかね。休みをとるなり制作に没頭するなりなんでもいいけれど、スタッフに繋ぎを任せて本人は表に出なくていい時間を作れるって側面は大事よ。なので今回は迅速な告知ふんがーっ!でなくてもそれはそれで構わなかったかな。寧ろよく認知してたなっ。


てなわけで9曲目は『Letters』。曲自体は予想が当たったけど、あたしは『WILD LIFE』を推してた。実際は『UTADA UNITED 2006』でした。この曲は『COLORS』と共に「毎回大胆にアレンジが変わる曲」としてライブでは常連だけど、よりによってあの奇妙奇天烈なバックの映像をフィーチャーしたウタユナ版を使うかね!?(笑) ほんと、何故あれがあんなことになったのか未だに謎なのでな。当時会場で観た時は「殿がご乱心召された!」てなもんでしたのよ。きりやん監修だった筈だし。でもま、音自体は勿論素晴らしいのでこれはこれで。

10曲目は『MTV Unplugged 2001』から『FINAL DISTANCE』! この曲もこのテイクも予想が当たった訳だけど、こればっかりは自信がありましたのよ。というのも、今度の7月25日でこの曲は「発売20周年」を迎えるからね。あたしたちとしてもこの季節の雰囲気と分かち難く結びついたイメージが強いんですよ。あの頃を知るファンとスタッフが居れば、選ばない訳にはいかなかったでしょう。今のヒカルにはこんな風には歌えない気がするので、一期一会唯一無二のライブテイクと言えるのではないでしょうか。

11曲目は『Fly Me To The Moon (In Other Words)』! ここでもカバーきたよ。最初から2曲目に『Beautiful World』で、最後から2曲目がこの曲ってエヴァへのリスペクトが露わになっていていやまホント粋な曲順だったね! ライブテイクは『Bohemian Summer 2000』から。この時しか歌ってないからこれで決まり! そういやそうか、『MTV Unplugged 2001』では歌ってないのか。うってつけだったろうに。いやまU2のカバーが圧倒的だったからいいんだけども。

そしてラスト12曲目は! 『Passion/Sanctuary』!!!!! ああああああああぁぁぁっ…!ってなったね。まさか『In The Flesh 2010』から選ばれるとは……しかもこの神をも超越した融合版を……その手があったか!と快哉を送りたくなりましたよ。絶妙の選曲だね。そうよな、日本語曲も幾つか歌われた中で、流れの中で英語曲もってなるとな。前曲が英語曲の『Fly Me To The Moon』ってのも効いてたぜ。いやはや、恐れ入った。甚だ甚く感服仕りました。


全体的に、曲順が素晴らしかった! 興行収入100億円突破のエヴァへのリスペクトとお祝いも兼ねた感じで、何より、シングル曲以外をしっかりフィーチャーしてコアなファンにアピールした所がよかったね。昨年の反応をしっかりみて、それを踏まえたんだろうな。ちゃんと準備されていた印象です。そんなだから「始まるまではインタビュー読んどいてね」みたいな気が利いたツイートが出来るのよねぇ。有能なスタッフと、きっちり要所なテイクをリクエストしていたコアファンたちの見事なコラボレーションでしたとさ!

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5曲目は『花束を君に』。これは予想が当たったわねぇ。近年の代表曲のひとつだから本命っちゃ本命だけどね。スタジオバージョンより更にエモーショナルで、紅白歌合戦の時より遥かに出来がいい(笑)テイク、皆さん存分に堪能したようで何より。コンサート行ってない人にはステージ配置がどうなってるか謎だったみたい。そりゃそうだろうな。

6曲目は『First Love』! そらどっかでやんないとねこの曲は。でも、ほぼ総てのライブで歌っている曲なのでどのテイクを選ぶかが焦点だったのだけど『LUV LIVE』から来たか! 正直オフィシャルでリリースされてるテイクの中ではいちばん出来がイマイチな気がするけど(笑)(多分本人もそう思ってるはず)、『LUV LIVE』からの映像っていうレア感と楽曲リリース直後(シングルカット前!)でのリアルな歌唱ということでの選曲かな。イマイチといっても他の歳のヒカルと較べてというだけで、16歳の初ステージでこれだけ堂々と歌えてる時点で全く只者じゃないんだけどね。一部歌詞変えて歌ったのは、昔理由言ってたかなぁ? 忘れちゃった。デモバージョンのを引用してきたとか、誰かともだちが会場に来てたから特別に、とかそんなんだろうか?(私の推測です)

7曲目は、なんとなんとなんと『BLUE』!! こんな、「YouTube Music Weekend」みたいな開かれた企画で、配信ですらシングルカットされていない楽曲のライブを選曲するかね!? あらためて投票した皆さんぐっちょぶです。まさかこんな歌うのがキッツイ曲を生で聴けるとは思ってなかった当時、映画館と横浜アリーナでドキドキしてたのを思い出します。喉潰さんといてぇや〜という祈るような気持ちで。本人案外平気そうで安心しました。本当に素晴らしいです。今でもこの曲で跳んだり跳ねたりして欲しいなぁ。

8曲目は、なんとなんとなんとなんとなんとなんと!!! 『嘘みたいなI Love Yoy』??? マジで嘘みたいな選曲! 全く脳裏にも浮かんでなかったので、いちばん吃驚しますた。他のテイクは予想を当てたのも外したのもいずれも候補に挙げてたものばかりだった中、皆さんの投票で本当の大穴を的中させられた気分…21歳のヒカルが当時の長髪を振り回してヘッドバンギングする姿はキュートの一言。あとクール!(一言ちゃうんかぃ) メタリカがカラオケの十八番のひとつというだけあって、アタマも振り回し慣れてますねぇ。これ、武道館ではスタジオバージョンとは比べ物にならないくらいラウドで楽しかったので、またやってくれたら地獄の果てまでヘドバン付き合ったるからなっ!


ってここらへんまでホント息付く暇もなく来てもう3分の2が終わってたというね。一時間なんてあっという間なんだな…と思ってたところからのここからの終盤の畳み掛けが神憑ってた! ……もちろん続きはまた次回♪ もう読者の皆様はアーカイブ含め視聴済みかもだけどもうちょっとだけお付き合いくださいましーな。

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