無意識日記
宇多田光 word:i_
 



トラベの話に行く前に、前回の話は「つまるところ、どういうことなのか?」について、ちとまとめておきたい。それがいちばん大事じゃんね。


アルバム『SCIENCE FICTION』の冒頭を飾る『Addicted To You (Re-Recording)』がその代表格だが、今のヒカルは、昔のヒカルの歌について、その歌詞に表されているような感情は持ってないし、またその上、その時とは歌い方を意識的に変えてしまっている為その頃と同じようには歌えない、というのもある。その2点、2つがあるのだ。

2016年の糸井重里氏との対談で「昔の私はとても苦しそうに歌っていた」旨ヒカルは述懐していたが、これは裏を返せば2016年以降のヒカルの歌い方は「苦しくない」声の出し方になったのだとも言える。

ここもまた妙味で、『Fantôme』での復帰にあたり発声法を変えた事で、たおやかで優しい声が出るようになり、それと2015年に出産をしていた事と併せて「母性を感じさせる歌声になった」という評価がかなり定着していった。具体的には2017年の『あなた』以降ということになるけれども。

つまり、歌唱法/発声法という肉体的・技術的観点からの変化と、母親になった事による心境の変化が、特に企まずしてシンクロする結果になったのだ。偶然なのか必然なのかは置いておくが。

その心身両面の(そして恐らくは別個の)変化を携えながら、今回のSFツアーはヒカルが「自分からやりたがった」企画となった。となれば自分自身がまず目一杯楽しむぞってアティテュードが前面に出てくるのはある種自然。一方で、一応オールタイムベストな体裁のアルバムをリリースしてのツアーということで初期の曲も歌う事になるけれど、心の面でも身体の面でも今の自分と当時の自分は違い過ぎてどうアプローチしたものかと相当悩んだに違いなく。

ここでヒカルは「開き直った」と思うのだ。

どうせわからないし違っちゃうのなら、まるで他人の曲であるかのように、普段ライブでカバーソングを歌う時のように、純粋に歌う事を楽しもうと。もう当時の心境になって歌う事は出来ないし、当時と同じ歌い方も出来ないのだから(14歳と41歳では声質もかなり異なるのだし)、ここは開き直って楽しく歌ってコンサートを盛り上げようと、そういうコンセプトで挑んだのではないかなと。それがライブ序盤の初期曲の畳み掛け、特に『traveling (Re-Recording)』までの流れだったように思われた。

少し言い方は物騒だが「災い転じて服と茄子」、なんだその誤字(笑)、「災い転じて福と成す」という心意気だったのかもしれない。これまた「人生何が好転するかわからない」好例のひとつだわね。


…と、いうのが、バンドの演奏のアプローチ─つまり雇い主であるヒカルの意向に沿った演奏─も含めた、私が推測するヒカルのライブに臨んだ時の心理状態ではあるのだが、だからといってオーディエンスがそれに追随する必要は全く無かったわけで。幾つかのライブレポートにあったように、昔の曲が歌われるさまを目撃した事であの頃の自分にタイムスリップするもよし、念願のあの歌を生で聴けて積年の思いが成就した事に感動するもよし、聴いたことなかったけど結構いい曲あるんだね昔の宇多田もと思うもよし、それぞれがそれぞれの受け止め方で自身の『SCIENCE FICTION TOUR 2024』を位置付ければいいわけで。なんつったって、ヒカルの言う通りこのツアーは観客席側の25年をまず祝うツアーだったんだからね。自分ファーストで何の問題もないというか、それこそが求められたのだからね。

そんな中で私は「位置付けとか感慨とかよくわかんないけど、ノリノリでひたすら楽しいぞ今夜は!」というフィーリングで8/31のステージを堪能した。これはまぁ自分がもともとそういうモードだったというのもあるし、普段からの癖で「今ヒカルは何を感じてどう考えて動くのか」を注視するあまりその心境とシンクロしてしまったのかもわからない。ともあれ私は私のSFツアー公演を経験できたので、多分だけど配信や映画館や円盤で味わう『SCIENCE FICTION TOUR 2024』の映像や音源は、大分異なる感想を持つ事になるのではないかなと思う。なのでそこの区別が出来るように筆を進めていきたいとこなのでした。皆さんも、生の体験の記憶とその後に観るBlu-rayの印象が混ざらないように気をつけた方が、いいのかもしれないわね???

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




さてさて先週からの続きを。


『DISTANCE (m-flo remix)』をヒカルがライブで歌ったのは「SCIENCE FICTION PROJECT 」にとってかなり象徴的な出来事だった、という話。

バージョン違いをライブで歌うといっても、例えば『FINAL DISTANCE』や『Flavor Of Life -Ballad Version-』を歌うのとは意味が違ってくる。これらはあクマで作曲者本人であるヒカルがリアレンジしたものであって、オリジナルからの変化は謂わば“連続的”なものだったといえる。テンポを落としてリズムを少しずつ抜いていって出来上がった、そんな感触。

一方、m-flo remixは、その名の通りm-floの(TAKUさんの)楽曲だ。宇多田ヒカルの作り上げたトラックを一旦要素に分解して再構築している。つまり、連続的というよりは離散的、断絶的な変化で作られたトラックだ。わかりやすいのは冒頭で、オリジナルの『DISTANCE』の軽快なテーマ・メロディから素直に始まったと見せかけながら(フェイントをかけて)、TAKUさんがヒカルのヴォーカルをサンプリングして切り貼りして(最近はVocal Chopって言うんですってねぇ)全く新しく作り上げたテーマ・フレーズにバトンタッチする。ここを起点に、オリジナルのヴォーカル・ラインをそのまま残しながら、異なるサウンドと異なるリズムを使って極めてテイストの違うトラックに仕立て上げている。如何にもリミックスらしいリミックスといえる。

なので、最早このトラックはTAKUさんの楽曲なので、ライブでヒカルが歌うと立ち位置としてはカバーソングに近くなってくる。違う角度から言葉を当て嵌めるなら、「昔自分で書いた曲が元になってるはいるけれど、殆ど他人の曲として歌っている」事になる。故にライブでヒカルが歌う際に、作詞作曲当時の思い入れや歌い分けみたいなものには拘っておらず、そのサウンドとリズムに乗ってグルーヴとフィーリングに則りながらヒカルは歌っていた。最早『FINAL DISTANCE』とは対極のアプローチ。『UTADA UNITED 2006』ではあんなに大切そうに、一語々々、一音々々集中して歌ってたのにな。

そのアプローチの仕方が、その『DISTANCE (m-flo remix)』の直前に歌われた『For You』にも適用されていたように思われたのだ。過去の自分をまるで他人のような距離感で捉えつつ─つまり、「今から見た昔までのDISTANCE(距離)」で歌っていたのだと。だからサウンドも歌唱のアプローチもオリジナルからそこまで離れてはいなくとも、演奏者と歌唱者のニュアンスは、もっとライブ・ソングとして、ただただメロディが綺麗でリズムのノリがいいR&Bソングとして解釈されていた。やはりここでも、その前の『time will tell』や『In My Room』同様、「ライブだとここまで踊れる曲になるのか!」という驚きがあった。私と同じように感じた人も在ったかな。

そしてそのまま次の曲は、TAKUさん繋がりで『traveling (Re-Recording)』だったの、抜群の選曲、曲順だったよねぇ。あの当時のシングルのリリースの順番でありながら(m-flo remixは2001/7/25発売の8thシングル『FINAL DISTANCE』に初収録、そしてその次の9thシングルが2001/11/28発売のオリジナルの『traveling』!)、且つ、23年の間隔を飛び越えていきなり2024/4リリースのトラックに突入する。この連続的且つ離散的(飛散的?)な時空間飛行の重ね合わせはまさにワームホールをくぐったような衝撃だったよね。そこらへんの話からまた次回かな。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




『in Cinema』企画のおかげさまで、ライブ映像商品鑑賞のスケジュールが複雑になりそうで困る。映画館が全国一斉でないのが気にかかるな〜各会場のレイアウトを把握してないのだけど、もしやプチ衣装展示コーナーが全国行脚するとかあんのかな? そんなでもないとこんなに時期ずらさないよね。いやその音響機材が一セットしかないのかもしれないけど、一部時期が重なってるとこもあるのよね。謎だわ。

これがSF Blu-ray(と旧8作)の発売前か発売後のどちらかの期間に集中してたんならまたわかるんだけど、前後だもんなぁ。しかも年末年始を跨いで、その上ヒカルの42歳の誕生日まで跨いで!? 結果デビュー記念日と誕生日両方を包み込む段取りになっていて、いやなんて壮大なプロジェクトなんだろうかなと。

いやしかし、これで地域毎に「体験」の質がぐっと変わってくるよな!? 更にU-NEXTで先行して旧作のHD配信をしているし、何とも整理がつかないというか。これ、「もう一度秋冬にツアーしてる」ようなもんなんですの、この「体験」の地域格差・時間差が生じるっていうのは。SF Blu-rayを観る前に過去ライブを観るか、SF Blu-rayを観た後に過去ライブを観るかで、個々の体験の質が変わってくるよね。ああ勿論U-NEXTや映画館で先にSFツアーを観るパターンもあるわけだし。特にSFツアー自体のコンセプトのひとつが「過去の曲を今のヒカルが歌う」だったから、聴く順番で感想と感慨が変わってくるよのさ。

更にこれに、サブスクでの音源配信が絡んでくると違いが大きくなる。今更円盤を購入するのもなぁ、という人と、U-NEXT高いなぁ、という人を併せた層が恒常的な宇多田リスナーの中でも大半を占めると思うので、この期間に触れる新しいコンテンツはSFツアー音源のライブアルバム配信になる。ツアーに行った人も行かなかった人も行けなかった人もね。

ここで、過去のライブコンサートのライブ音源がライブアルバムとして配信される可能性に私は期待したくなるのだけど、単純に時間的に無理がある気がする。やっぱり映像用のミックスと音源のみのミックスは別モノだからね。それを更に8作品というのはちょっと狂気の沙汰な気がしてなぁ。どうなんだろうね現代のミックス事情って。 Blu-ray用のミックスが出来上がってれば案外早く仕上がるとかあるのかな? 期待したいけど、それは保留にしておくかな。

第一、それをするなら今回、例えば2回目のBlu-ray化になる『WILD LIFE』と『Laughter In The Dark』にもライブCDをつければ新しいセールスポイントになった筈で、そうしてない以上配信も無いだろうと推測するのが順当でな。でも望みは捨てずに待ってるよ。


今回の一挙Blu-ray化、先週も書いた通り内実としてはSONYの円盤事業の終焉を見据えてのものだというのが第一の理由だとは思うものの、「ヒカルが結構前向きだった」というのもあるかもしれないなぁ。今までのツアーは、楽しんでなかったわけじゃないとはいえまず第一にファンへのサービスというのが大きかったのだろうけど、ヒカル本人が言う通り今回のSFツアーは「初めて自分からやりたいと言い出したツアー」だったわけで、それが、さまざまな艱難辛苦紆余曲折を経て大団円まで持って来れたのだから(それを最初にこっそり彩ったのがファンからのお花だったというのは実に誇らしいし有り難い)、ヒカルにとって今年のツアーが「人生のいい思い出」となったに違いなく、そうであれば、過去のどんな辛いツアーも「今年の完成度に至る為に必要だったこと」だと思えてきて、そうすると途端に過去のツアー達にも愛着が湧きそうで、ならば再リリースにもゴーサインを出すよ何なら協力するよってなってたかもしれない。ヒカルのあのMCは、そういう自分のツアー遍歴に対する捉え方の変化をも示していたのかもしれないわね。

※ あのMC、例えばこのツイートなんかを参照のこと。うわ10万いいねついてるね。
https://x.com/graduate_rpg48/status/1830260154346188861?s=46

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




なんちゅう新情報出してきとんねん宇多田公式は!?

◇9つのライブ映像を映画館で一挙に楽しめる上映イベント
「HIKARU UTADA LIVE CHRONICLES in cinema」を11月より開催決定
https://www.sonymusic.co.jp/artist/utadahikaru/info/567102?id=aep240920

なんなの!? バカなの!?


いやぁ、もう一周回ってついつい「今年はチケット運営会社がヘボくてよかったなぁ」って呟いちゃったよ。だって、今年は公式から出てくる企画がどれも素晴らしいものばかりだからさ。出したアルバムは出色の出来、コンサートも過去最高品質で、どれもこれもウルトラハイクォリティなもんで、これ仮にこのまま何の欠点もなく終わってたら「ツアー連動企画でやれることは総てやり尽くした」とかいってツアーから引退する雰囲気まで出てただろうからね。チケット販売会社があんなだったおかげさまで「次はもっとここをうまくやらなければ!」という捲土重来な雰囲気を醸してみせた。ここでライブ引退したら、「宇多田のチケットの売り方は酷かった」という事実に反する評判のままライブ・キャリアが終わっちゃうからね。それは我慢ならなかろう。

…話が逸れた。ふむ、全国それぞれ各地の映画館一館で、Blu-rayで出すライブ9本を総てフル上映するですと!? 正気か?? 流石に1日で9本は無理だしアンプラとLUV LIVEが短めなので日によって変動はあるけれど、朝9時に始まって6本観たら23時終わりの日があるな? 14時間? バカなの??(2回目) 

いやね、あたしも昔は毎年ラウド・パークで朝10時から夜21時まで11時間フェスで首を振る生活をしてきたけど、流石に14時間連続でライブを観たことはないわ…まぁラウパは大概土日二日間だったので合計なら22時間なんだけど…まさかこの歳になって未経験な領域を宇多田公式から突きつけられるとはねぇ。オールナイトで小津映画を観たことあるけど、あれも3本とかだった気がするなぁ。夜は案外短いのだよ。

だがどうやら今回は応援上映なようで! こちらの要望が遂に通ったね! 出来れば『WILD LIFE』の時みたいにナマがよかったけれど、次善の策としてもこれはかなり凄い。ライブ音響機材を持ち込むって、つまり普段の映画館の7.1chドルビーサラウンドより音が良くなる未来が来るのかね!? とんでもないことしやがるな。間違いなく全部観たい…だが1日14時間映画館に入り浸っても3本取り零すのかよ…。例えば新宿なら土日にそれぞれ朝9時から入り浸って、土曜日に18時まで4本観て、日曜日に20時過ぎまで5本観る…あれ?これラウパでツーデイズ慣れしてる俺なら何とかなるんじゃね? え?新宿ピカデリー10スクリーンで2235人収容なの? 全スクリーン宇多田でも危ういのでは?? もちろんそんなことはなく普通に1スクリーンだろうから、いや、色々と無理だなこれは!バカなの!?(3回目)

夢のような企画だけど、一日券の抽選応募と価格設定なんかを含めて、実装と実践のハードルが高いねぇ。おうちで休みの日にライブビデオ5本連続で観た経験…ないな…映画館二本ハシゴするだけでも5時間とか費やすもんなぁ。もし映画館行けなかったらお家でBlu-ray買ってやってみるか…でも私首振ってないと寝ちゃうのよねぇ。いやそれもバカなの!?(矛先違うけど4回目)


ともあれ、未だ皆さん情報の整理中だろうし、私もそうだし、ゆっくり色々と細かいとこ見ていきましょうかね。ほう、「お一人様4枚まで」なのか。これ3枚で購入して観に行けば両隣空席に出来て快適だな…いやそんなことしないけどね! 両隣居なかったらかなり派手に燥げるなとか思ったりしてないからね!?(発想がやはりメタラーのそれである)

こほん。気を取り直して。大音量で聴く宇多田は、映画館で観るヒカルは、いいぞ。14年前に体験したから間違いない。翌日直接観たのより音も良かったし映像も綺麗だったからね! ただ、応援上映ではなかったからそこが心残りだったんだけど、やっとこれで昇華できるわ! あー素晴らしい企画だ宇多田公式の皆さん! 間違いなく貴方達は真性の宇多田バカです!(5回目にて終了〜! …ヒカルの5だけに!?) どうもありがとうございますっ!!!

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




『DISTANCE (m-flo remix)』は、驚きの連続だったSFツアーのセットリストの中でも最大のサプライズ選曲だったと言う人も多かろう。誰かひとりでも予想してた人居る? 私は知らないが、これが案外いらしてたりするから毎度宇多田ファンは恐ろしい。それはさておき。

そして、サプライズであるとともに、おおいにクエスチョナブルでアンリーズナブルでもあったともいえる。「!」かつ「?」だったってことだね。

大体において、23年前にリリースされた、当時の宇多田ヒカルにしては珍しくオリコン初登場第1位を逃したシングル盤の、しかもリーダートラックはテレビでのプロモーションを拒否した楽曲な上、そのカップリングとなったオリジナル・バージョンの、さらにそのリミックス・トラックって、後追いファンの君が事前にチェックしていたらそれだけでもう偉いよ。サブスク時代になって過去音源に辿り着き易くなってるとはいえねぇ。公式が掘り起こした事は殆ど無いし、よほど自発的にディグらなければ出て来なかろう。

一方古参は大歓喜だった人も多い。『ヒカルの5』で『DISTANCE』を聴いた、『UTADA UNITED 2006』で『FINAL DISTANCE』も聴けた、そしてSFツアーでリミックスも! これだけ毎回多岐に渡るバージョン違いを聴かせ続けてきた曲も他にない。ああいや、『COLORS』なんかは毎度ライブアレンジが違っていて凝ってるけど、ここでは「そもそもスタジオ・バージョンのバリエーションが多い」って話ね。

しかも、楽曲としての存在感が宇多田史の中でも飛び抜けてるよね。オリジナルの『DISTANCE』がセカンド・アルバム『Distance』のタイトル・トラック扱いだし、『FINAL DISTANCE』は続くサード・アルバム『DEEP RIVER』の要の位置(インスト前)に収録されている。二つのアルバムに跨って楽曲が収録されるなんて前代未聞…って書こうとしたけどすぐ前にヒカル自身が『Interlude』と『言葉にならない気持ち』でやってたな。まぁでも、かなり珍しいってことで。

そんな重要な楽曲のリミックス・バージョンを敢えて取り上げた理由の一つに、このあとに演奏された『traveling (Re-Recording)」の共作者がそのm-floのTAKUさんだったというのはあるだろう。ちなみにだが、福岡初日に事前にセトリを知らずに臨んだDJ YANATAKEさんがこの『DISTANCE (m-flo Remix)』と『traveling (Re-Recording)』がライブで歌われた事をすかさずTAKUさんにLINEで報告したらTAKUさん大歓喜だった…という先日のStationheadで披露されたエピソードって、こないだここに書いたよね?(もう忘れてる私)

発想としてどういう順序だったかはわからないけれど、『traveling (Re-Recording)』の持つ“Celebratory(祝祭性)"という性質が、この「みんなの25年を祝う」という『SCIENCE FICTION TOUR 2024』のコンセプトにダイレクトに合致した為、同じくTAKUさんが従来から持つサウンド・テイストがそのまま連続的に接続された、ということなんだろうな。

そして、そのトラックが前回まで触れてた『For You』と連続的に、メドレー形式で繋がって演奏された点にメッセージ性を感じるのよね…という話からまた次回、というかそれこそが前回からの続きだよね!? まぁ毎度のことだけど、その時の気分次第だわね貴方はね。(溜息)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




前回からの続き。一応、受け取り手側の問題かもしれないとも考えた。私の方の『For You』の聴き方が変化したのかもしれないなって。でも後日うちのiPhoneからシャッフルで流れてきた『For You』のMIDIバージョン、つまり機械的な楽譜再生音を聴いて、「そうそう、この寂しくて切ないながらも暗闇の中から一筋の光が差してくるこの感じ、このフィーリングこそが『For You』だよね。」と納得したんですよ。だから「嗚呼やっぱり、SFバージョンの『For You』は歌詞とメロディの情緒より腰の強いリズミックなR&Bナンバーとしての側面が強調されていたんだな」と確認し直せたのです。私はまだオリジナルの『For You』のメロディに共感できるんだから、ってね。そうそう、サブスクにはMIDIバージョンはないけれど、カラオケならシングル盤のを聴けるから聴いてみるといいですよ。ヒカルの歌声も歌詞もどちらもなくてもやっぱりこの曲はこの曲なのよね。


ヒカルは英語インタビューで、アルバム『SCIENCE FICTION』の冒頭を飾る『Addicted To You (Re-Recording)』について、そもそももうこの頃(16歳当時)の感情は持ってないし、新しく歌うのも苦労したし、この選曲でよかったかどうかすらよくわからないと述べていた。日本語インタビューのどこでもそんな回答をしていない事から、恐らくわざわざ翻訳にかけて読む熱心なファンにまで伝わればいいかなという判断で語った話な気がする(英語圏で宇多田ヒカルのインタビューを読もうとする層は元々熱心だしな)。

その新中毒への共感の出来なさと、洗濯中に『Automatic (2024 Mix)』に涙した事実とは裏表なんじゃないかな。今一度ヒカルのコメントを引用すると、

『ずっと私は15歳の時から自分に正直に向き合って作品を作ってきてたんだ、だから変わんないと思える人間性が出てるんだって自分で思って。それに(対して)パイセンから後輩に「頑張ったね」みたいな。「ホントに頑張ってたんだね〜(泣)」ってちょっと思っちゃって。お母さん目線で。その自分を。』
https://spinear.com/branded-podcasts/itochu-dear-life-dear-future/

こうやって、過去の楽曲に対して距離のある見方ができたおかげさまで、過去の自分がどれだけ頑張って作品を作ってたかをやっとわかって感動して流した涙。それに加えて、「もうこの頃の心には戻れないんだ」という喪失感もきっと含まれてたと思うんだわ私は。なんか初めて『Prisoner Of Love - Quiet Version -』を聴いた時そんな感じになったなぁ自分も…と大昔のことを思い出してみたり。

その『Addicted To You (Re-Recording))』や『Automatic (2024 Mix)』に対するのと同相の感情が、『For You』にもあったと思うのね。だから、今の気持ちで過去の歌を歌った時の「リアリティのなさ」を逆に利用して、ライブ映えする楽曲として再解釈、リビルドしたのがSFツアーのバージョンだったのではないかなと、そう思うのですよ。だからこそそれに続いたのが『DISTANCE (m-flo remix)』だったわけで…という話からまた次回、ですかね?

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




公演で聴く中で「歌詞の情緒がいちばん変わってたな」と思うのは、その大胆なライブアレンジでサウンド自体が生まれ変わっていた『Keep Tryin'』や『誰かの願いが叶うころ』よりも、かなりスタジオ・バージョンに近いサウンドでまとめていた『For You』の方だった、というのが多分この『SCIENCE FICTION TOUR 2024』の本質に関わるイシューになりそうで。

人の孤独を歌いがちと見做される宇多田ヒカルの歌の中でもフックラインに直接『孤独』のフレーズを持ってくる『For You』は特に象徴的な楽曲で。『タイム・リミット』と共に目前の『Bohemian Summer 2000』に合わせてのリリースだった為かなり慌ただしい印象のある曲で、シングル盤のジャケットもヒカルの(ありあわせの)絵だったしPVはシクレライブを収録して編集して構成したものだったしで、宇多田ヒカル17歳のあの頃の状況と心情を生々しく伝えるこの曲は、10代ならではの焦燥感とまさに孤独感に溢れていて、その切実な問題意識はこの感情に苛まれてみた事のある人にとっては何と本質をついた表現だろうと共感に共感を重ね合わせて心を切なくさせること幾度もという名曲なんだけど…

…SFツアーでのパフォーマンスには、そんな雰囲気微塵もなかった! ただただ重厚なグルーヴに身を任せて体を揺らせる美旋律のR&Bナンバーを聞けてひたすら楽しいって趣で! 

確かにメドレー形式で短く切り上げられるあっさり感がそのフィーリングに拍車をかけていたのは間違いないのだけれど、サウンド作りは基本スタジオ・バージョンに則ったものだし、何より、ヒカルの歌い方が、今の発声を用いているとはいえかなりスタジオ・バージョンに準拠したものだったからね。だから余計不思議でな。

例えば私の大のお気に入りである『a brighter sky oh』と『a darker sky oh』、2つの『oh』の歌い分け。前者の『oh』は低く影を差すようなトーンで歌われている一方、後者は高く光が差すようなトーンで歌われている。つまり、「より明るい空には影を差し」「より暗い空には光を差す」っていう二重の対比を『oh』を歌い分ける事で表現してるパートなんだけど、ここがしっかりと今回のライブでも再現されてまして私はやたら嬉しくなってしまったのだけど、肝心のこの二重に対比で齎される筈の「青春の頃の葛藤」みたいな感情がそれを耳にした瞬間には微塵も感じられなくて。リアルタイムでライブで観ていた私は、ただ嬉しくて、ただノッていて。観ながら聴きながら摩訶不思議な感覚に囚われていたんですよ。

それはおそらく、何より今のヒカル自身にとって、17歳の頃のこの感情が「リアリティのないもの」と捉えざるを得なくなっていて。それがちゃんと歌に乗り移ってるから聴き手であるこちらにもそれが伝染してきてたのかなと──そう一旦は解釈しながらこの話は次回以降にも続いていきますよっと。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




『SCIENCE FICTION TOUR 2024』、その一公演を観た際の非常に私的な印象だが、ライブ・アレンジが歌詞を余り重視してない傾向にあった気がする。


いちばんわかりやすいなと思ったのが『Keep Tryin'』で。最後の『少年はいつまでも〜』のパートに入った所から、オリジナルにはないリズム・パターンが取り入れられていて、これが如何にもカッコよかった。奇を衒わず、音楽的に非常に正鵠を射ていて素晴らしいなと思ったのだが、冷静に歌詞に耳を傾けるとこのパート、『お父さん、お母さん、お兄さん、車掌さん、お嫁さん』といった庶民の皆さんに宇多田ヒカルが寄り添って『Keep Tryin'』を連呼するのが主眼なのよね。特に『UTADA UNITED 2006』でのライブ・バージョンを観ると(観たことない人は今度Blu-rayが出るから買ってね(←ダイレクト・マーケティング))、ヒカルが身振り手振りを交えながら観客のみんなに語りかける目線で歌っている為、スタジオ・バージョンより更にアットホームで暖かい雰囲気になっている。言葉に込めたメッセージを重視した結果だったのだと思う。しかし今回のSFツアーバージョンではくだんの新しいリズムのお陰でやたらとカッコよく仕上がっており、ぶっちゃけ庶民に手の届かないスーパーヒーローから「みんなも頑張れよ!あばよっ!(と飛び去る)」って声をかけられたみたいな気分になった。いやまぁ憧れの人から励まされてそれはそれで嬉しいんだけど、18年前とは随分とニュアンスが変わったなぁと、そんな風に感じられた。

もう一つ例を挙げようか。『誰かの願いが叶うころ』は、3回目のサビからバンドが入ってきて後ろから雰囲気を重厚に盛り立ててくれた。これはSFツアー独自のアレンジだが、単純に、しっとりしたメロディを起伏のあるサウンドの中で濃淡を変えて味わえるという意味でロッカ・バラードの王道的編曲だったので、ライブ・コンサートらしい壮大なクライマックス(実際前半最後の曲だったしな)を迎えられてそれ自体は大変宜しかった。だがこのアレンジに沿うと歌詞の上では『みんなの願いは同時には叶わない』が「いちばん強いメッセージ」になるんですね。となると悲劇的な詠嘆が強調される。しかし、この歌は結局は最後の

『小さな地球が回るほど
 優しさが身につくよ
 もう一度あなたを抱きしめたい
 できるだけそっと』

で表される切ない優しさこそが結論なんですよ。だからオリジナルでは殊更にその『みんなの願いは同時には叶わない』を演奏で強調しようとはしていない。寧ろエンディングを迎えるにあたって少し抑え気味にすらしている。ところが、SFツアーのアレンジだとこの肝心の“結論”が若干アウトロっぽい扱いになって、『同時には叶わない』の悲劇的詠嘆に比べて印象が薄くなってしまう。そうすると、オリジナルとは歌詞の流れとその意味合いが変わって響いてきて、いやまぁ同じ曲なのにこうも印象が変わるかと。


以上ひとまず二例を挙げたけど、今のところのシンプルな解釈としては、「今回ヒカルはオリジナルの歌詞に沿ったサウンドより、ライブ映えする音楽的な効果を重視してアレンジしたんだろうな」となる。それがひとまずライブを観た時の第一印象だったと、記しておくことに致しますわね。これがBlu-rayで観た時にどう感じるか、感想が変わるのか変わらないのか、今からちょっと楽しみな私なのでした。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




やっぱ最近、ヒカルの『First Love』の扱いが雑じゃない!? 一昨年リバイバルヒットしてあれだけ宇多田ヒカルの名前をメディアに登場させてくれた孝行娘だというのに。

まずは、前も触れた通りアルバム『SCIENCE FICTION』での扱いだね。あの楽曲ラインナップで2曲目にバラードって凄い。ある意味「至極贅沢な使い方」をされてた。でも、それって「アルバムコンセプトの中ではハイライトではない」「けれどリスナーからしたら重要な曲だしな」みたいな事だったのだろうなと推察される。「こっちは最後に『Electricity』が控えてんだぞ!?」と言われれば私としても納得の采配なのだが、「だからって国民的スタンダード・ナンバーをこんな露払いみたいな位置に据えます!?」とツッコみたくなったのもまた本音なのだった。

そいでその『SCIENCE FICTION』のコンサートでの扱いもぞんざいだった。『traveling』までの盛り上がりを受けて突入したまったりMC。本人も『なんでこんなことに時間を割いてるんだ!?』と自分にツッコミを入れるほどどうでもいい話をリラックスして話した後に

『アップテンポの曲が続いたから、次はしっとりめの曲に行きたいと思いますっ!』

って言われたら、ああこのまったりモードのままリラックスした曲(『Parody』とか『パクチーの唄』とかさ)から少しずつ入っていくのかなと思いきや『First Love』ですよ!? え、どういうこと?? 映画で喩えたら、序盤のアクションシーンがひと通り終わってみんなで一旦カフェにでも集まってさぁこれからどうするかをみんなで語り合おうかってかなり気を抜いてる時に隣に座ってる人を指差されて唐突に

「あ、ところでところてん、
 言い忘れてたんだけどさ、
 この人がラスボスだから。」

って言われるようなもんですよ!? 宇多田ヒカルのライブで『First Love』といえば観に来てる方からしたら最大のハイライトじゃないっすか! それをまぁ、「最上階で見た右端の席のドリンクホルダーの取り付け方が他の席と違っていた」話のテンションのまま歌いますか?? いやはや、流石にこの流れはビックリしたよ。あたし以外のお客さんも、面食らったのだろうか? イントロが流れた瞬間に大きな歓声があがりはしたものの、毎度聞こえる悲鳴じみた叫声はなかったねぇ。私同様、かなり不意を突かれたのかもしれないな。

更に、その次の曲が『Beautiful World』だったもんね。このせいでますます『First Love』の「アップテンポの曲の間の箸休め」みたいな印象が強まった。本来なら、そうなんですよ、この日記でも度々触れてきた通り、「ライブで『First Love』の次に歌う曲」って極めて重要で、その時々のヒカルの「新・伝家の宝刀」を抜く必要があったのですよ。2010年の『WILD LIFE』の時は『Flavor Of Life -Ballad Version-』、『Laughter In The Dark Tour 2018』の時は『初恋』というように、絶対的な存在である『First Love』を相対化できる、その時々の自信作を持ってきていたというのに。『Beautiful World』も確かに強力だけど、BPMの起伏的に「みんなまた盛り上がるぞ!」ってことでしかなかったもんね。ダ・カーポでもリミックスでもなんでもないしな。

と、いうように、最早ヒカルの側から見たら「不憫」と言って差し支えない『First Love』の扱いだけど、リスナーの方の過剰なまでの神格化まで視野に入れて眺めてみると、実にバランスが取れてるんだよねぇ。そこらへんまでわかった上でのこの「ぞんざいさ」なんだろうな。全く敵いませんわこの人には。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ふと、「『Electricity』を若い頃のジョン・レノンの声で聴いてみてぇなぁ」と自分で呟いて気がついた。おぉ、ほんまや、なかなか合うやん。

ジョン・レノンといえば2010年の『WILD LIFE』のアンコールでヒカルが歌ったザ・ビートルズの「アクロス・ザ・ユニバース」を書いて歌った人である。今思えばこんなタイトル(「宇宙を跨いで」みたいな意味)なんだから『SCIENCE FICTION』でも歌えばよかったかもしれない。…いや、ちょっと音楽的に合わないか。

ヒカルは2013年の『Kuma Power Hour With Utada Hikaru』でもジョンのことを取り上げていて、こんな風に語っている。

『ライブのMCが上手だなと思う中の1人は、JOHN LENNONかなと。インタビューでしゃべるのも、全体的に上手な人なんだけど、チャーミングだし、ユーモアのセンスもあるし、そこでサクッと軽く言う一言が、もうなんかすごくかっこいい、グッと来ちゃう、「きゃー!」みたいな、「惚れちゃう!」みたいなかっこよさがありますね。』
https://tower.jp/article/feature_item/2014/03/17/0707

なるほど、ヒカルにとってジョンは「ことばの人」なんだろうかね。ここらへん、英語が母語でない私はピンときてないが、彼が(ビートルズ脱退後に)書いた「Love」は凄いなと思ってる。あんな平易な言葉でまぁ奥行きのある詩世界を作れるもんだなと。

そこでは「Love is .../愛とは…」と何度も問い掛けながら歌が進むのだけど、なるほどこの歌詞が『Electricity』の

『愛は光 愛は僕らの真髄』

という歌詞とリンクしたのかもしれないな。無意識下で。でも自分はシンプルに、

『E-e-e-e-le-e-e-ct-rici-ty』

『I just wanna celebrate with you』

のリフレインをジョンのボーカルとコーラスで聴いてみたいなと思ったのよ。するとこの曲、ビートルズの名曲群に負けず劣らずドキャッチーな歌だと再確認できてね。やっぱり、死ぬまで繰り返し言い続けると思うけど、せめて『One Last Kiss』くらいはヒットしてくれといた方が今後いろいろとやりやすかったな〜。いや、今後いつブレイクしてくれてもいいんですけどね。ライブ映えも物凄かったし、やっぱりとんでもない一曲なんですよこれは。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




これだけ公式がライブレポート記事を沢山紹介したことあったかな?というくらいに9月1日千秋楽公演のライブレポが幾つも上梓されている。長年ヒカルのオフィシャル・インタビューアを務められた松浦さんから、あれもしかして貴方ヒカルのデビュー時まだ生まれてない?という若い方々まで、様々な視点で語られるレポートを読んでいくのは面白い。

その中のどれのどの部分ということではないのだけど、時折「昔の曲を歌うとその当時にタイムスリップする」的な記述に出会って、「嗚呼これは私には書けなかったなぁ」と痛感する事がままあった。私がそれを書けない理由は単純で、ヒカルの新しい曲も昔の曲も、普段から満遍なく聴いてる為特に懐かしくも何ともないからだ。日常で聴いてりゃそりゃ何の感慨も無い。

確かに、「これがライブで聴けるとは!」という驚きなら、ある。しかしノスタルジーは全くと言っていいほど、ない。『DISTANCE (m-flo remix)』にしても、シャッフル再生で普通に現れてくれるからね。たまに「今日はリミックス特集だ!」っつってリミックスばかり聴いたりもするし、他のオリジナル曲とかと遭遇率は特に変わらない。

なので、今回のSFツアーでは、いや、SFツアーでも、だな、特に昔を懐かしむ瞬間はなかった。冷静に思い直せばあの曲聴いてた頃はこんなんだったなーとか思い出せはするんだが。そういう意味では「ベストアルバムを記念するツアー」っぽい楽しみ方はしてなかったな。

逆に、『SCIENCE FICTION』らしい楽しみ方はたっぷり出来たともいえる。それは、何度も繰り返し書いてきた通り、「過去の素材を援用して“今”を表現する」のがアルバムのコンセプトだった(と私は思っている)から。どれだけ昔の曲を歌おうと、歌ってるのは今の宇多田ヒカルなのだから、それを真正面から享受できたのがとても嬉しい。なので、これ、普段から満遍なく過去音源を聴いている自分のような人間の方が、なんていうんですかね、スルッと素直に楽しめたのではないですかね。

それと似たフェーズに居たのが、若いファン、或いは新しいファンの皆さんだったのではないかな。つまり、昔の曲をリアルタイムで聴いておらず、特に自分の思い出と結びついていないから、気持ちが過去にタイムスリップする事がない人たちね。中には聴いたことのない曲、存在も知らなかったバージョンなどに今回巡り合ったかもしれないけれど、そうやって初めての出会いとして受け取れた方が、アルバムのコンセプトに沿った楽しみ方が出来たんじゃないかな。

かといって、「久しぶりに(昔の)宇多田ヒカルの曲を聴いたな」という人たちが楽しめなかったわけでは、ないですわよね? そこんところは、少し私と違うので、代弁するのは無理があるけど、特にアルバムのコンセプトがどうのと考えなくてもエンターテインニングなステージだったとは推し量れますわよ。

そうすると、楽しみ方の分布は、ボンッキュッボンッのワームホールスタイルで表現できそうで、なんかそれも楽しいわ。

まぁ結局、なんやかわやで万能なコンサートだったのかもね。


なおこれだけ千秋楽のライブレポが集中的に執筆公開されたのは、多分映像賞品のプロモーションも兼ねているからですわね。このライブレポの数々を読んで「そんなによかったのか。ではBlu-rayを予約してみよう」と思って貰えれば御の字。私も、微力ながら(謙遜にならないヤツだー)その点は意識して、プロモの後押しが出来れば嬉しいかもしれません。もちろん、今後も円盤が出て欲しいから今回もある程度売れて実績を積んで欲しい、という我欲が動機なんですけども。いつだって私は自分ファースト、ですわ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




どんな歌手でもそうなんだけど、ライブコンサートの生歌唱を聴いた人から「高音が出てない」なんてことを言われがち。今に始まった事じゃないというか私の知る限り昔からずっとだね。

今回のSFツアーのヒカルも言われてるかもしれない。まだそんな意見は耳に目にしてないので一般論を語っておく。まーつまり特定の誰かの言葉に対して反応してるわけではないってこと。

少なくとも41歳の今のヒカルは、昔と同じ高さの声が出せるか出せないかでいえば出せる。ただ、その音域を使って特定の曲を「歌える」かとなると、確かに「昔のようには歌えない」曲が出てきてますね。今回のツアーでオープニングを飾った『time will tell』なんかは特にそれ。だって、オリジナル録音した時もしかしたら14歳? 最早「若い」どころか「幼い」もんね。そんな頃の声質で歌う『cry』を、41歳の今あのままで歌えるかっていうと歌えないですわよ。

なので、場面によっては昔とは音程を変えたり歌い方を変えたりといったケースは出てくる。今回は歌われなかったけど『SAKURAドロップス』なんかはいい例で、最高音を出す場面と出さない場面の両方があるわよねライブだと。そうする理由は、歌詞だったり曲構成だったりその時の楽器陣との相性だったり、その公演中のスタミナ配分だったりツアー全体でのペース配分だったり、まぁ本当にいろいろあるのだけど。あらゆる関わる要素を考え抜いた上で「ここの高音は出す」「ここは低い音に変える」等と判断して歌い分けてる。なので、「高い音が出ない」という場面もないとは言えないし、「敢えて高い音では歌わない」ことも勿論あるしで、一概に判断はできないのですよ。一方で、そんな判断はしなくても宇多田ヒカルの歌を味わうのに特に支障はないのです。「今夜はこう歌ったのか」と認識したら、あとは好みの問題よ。

めっちゃはっちゃけてぶっちゃけて言ってしまうと、「高音出てなかった」って不平を言う人の8割くらいは、「声が出てるか出てないか」しか聴いてなくて、「歌えてるか歌えてないか」なんか考慮に入れてない。なので、この人たちを納得させる為にヒカルはただ高い声を出せば事足りるんです。実は結構カンタンなことなのよ。将来はわからないけど、今のヒカルはまだ音域が狭くなったわけじゃないから、わけないのですよ高い声を出すだけなら。出すだけならね。

でも、それをすると今度は私みたいなリスナーから「声を出してるだけじゃん? オリジナルにあった情感は? 歌詞の構成に合わせた抑揚は? ちゃんと表現できてるん?」みたいなイヤミをネチネチ言われちゃうんですよ。

で。どっちが怖いかってことになるのよこうなると。ヒカルが本気で気にするのはどっちなのか。私の方だと思うんです。(言い切った)

「高い声が出てない」とのたまう人は、別に宇多田ヒカルでなくても構わない。もっと派手で高い音を連発する若くて勢いのある歌手が出てきたらそっちを絶賛しにいくんだもの。「じゃあまたね、幸運を!」てなもんですよ。でも、「宇多田ヒカルでしか聴けない歌」を聴きに来る聴衆は恐ろしい。スタジオ盤に封じ込めたヒカル自身のこだわりやら何やらをことごとく頭に入れて聴きに来てやがるから。そうなると何が起こるかって、「過去の自分の目と耳」が襲い掛かってくる事になるんですよ。何が怖いってこんなに怖い事ないわよね。スタジオでいつも怒ってる(笑)プロデューサー宇多田ヒカルの目線が、私みたいな鬱陶しいリスナーを通じて過去から投げかけられてこられたら。こんな厳しいコーチは居ないんですよ。まぁそれは、私みたいなリスナーがスタジオ盤でのヒカルの歌唱の意図をそれなりに正確に把握してた場合に限るのですけど。『狙い通り』や『どんな孤独にも』の意図を見抜けなかった私は実際の自信はそんなには、無い!

てことなので、高い声が出てないって指摘されてもヒカルはそんなに堪えてないと思うので(だって出せるからね実際は)、そんなにムキになって反論するような指摘でもないんですよこれは。きっと。だから、「そんな風に思ったんだねぇ」と生暖かい目で見守ってあげるくらいでちょうどいいんじゃないでしょうか。あクマで一般論ですけどもね!

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




そうなんだよ、今日って『Gold 〜また逢う日まで〜』EPの発売記念日なんだよね。一年経ったんだな。

とはいえ、これって単なる「まとめ」のEPなのよね。実際のリリースデーツは、

2023/7/28 『Gold 〜また逢う日まで〜』単曲配信開始
2023/8/11『Gold 〜また逢う日まで〜』MV配信開始
2023/8/25『Gold 〜また逢う日まで〜 (Taku's Twice Upon a Time Remix)』単曲配信開始
2023/9/13 『Gold 〜また逢う日まで〜』5曲入りEP配信開始

っていう具合だったんだわ。なので、特に9/13が思い出深い日という程のこともなかったりするんだけど、なんだかんだで結局この一年でずっと私が聴いてたのはこのEP版(都度5曲を2回繰り返して続けて聴くのが定番)なので、思い入れがいちばんあるのはコレなのよね。そういう意味では後からこの発売日に感慨がついてくるっていう結構レアな記念日になってきてるかもしれない。


…いや待て今私が言いたいのはそこじゃないよね。そう、たくさんの人が思ってること!

『Goldライブでやらんのかい!』

これですよね!

いやぁ、あたしもまさかでしたよ。ライブ当日、終演直後は公演自体の満足度が頗る高くて「やらなかった曲」についてあまり思いを巡らせてなかったんですが、ややあってからふと気がついた時の衝撃ったらなかったね。

「Gold歌ってないじゃん…!? このタイミングでそんなことありえる?? “また逢う日まで”ってコンサートの最後に歌わない選択肢、あったんだ…!」

こうなりましたわよね。でも実際、なんでだったんだろ? 『Electricity』に負けず劣らずライブ映えという点では天下一品だと思ったんだけどな? リハーサルでやってみてピンと来なかったのかしら? これ以上Taku's Remixを増やすのもバランスが悪いとか? うーむ、こればっかりは本気でわからん。歌詞がエモすぎる?? 会場全体に響き渡ったであろう『おとといきやがれ!』がちょっと物騒過ぎる?(笑) もしこの曲がライブで歌われて、12/11発売の映像商品に収録されてたらこれまたうってつけだったんだけどね? デビュー記念日の12/9から二日過ぎてリリースするんだもん、本気で“おとといきやがれ案件”だったんだわこれ! あーもったいない。過ぎたことは仕方がないけどさっ。

でもま、こういう「忘れ物」があると次のコンサートをすぐ無性にやりたくなるものだから、前向きに捉えておこう! ヒカルが「やっぱりGoldを歌いたかった!」と言って即座に次のツアーの準備に取り掛かってくれるのなら、今回のGoldの不在も良かったと思えるようになるのではないでしょうか。そう考えると最終日のみ披露された『Stay Gold』って、「Gold はステイ(待て)しててね?」なメッセージだったのかなとか深読みしちゃえるわねぇ。さぁどうなりますやら!?

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




くぅぅ、ツアー日記再開しやがったっ。

https://x.com/utadahikaru/status/1834186438394392748?s=46

「くりびつてんぎょのいたおどろ」とはまた懐かしい。あたしの使用頻度は「恐れ入谷の鬼子母神」と大体同程度だったな…嗚呼いや、それは「その手は桑名の焼き蛤」とかの系統だからちょっと違うな、くりびつは逆さ言葉だからジャズ畑の人たちが犯人なヤツだわよね。今日ついさっきある歌のタイトルを眺めながら「そういや昔回文で返信貰ったな…」と思い出していたので、逆さ言葉は、ほんのちょびっとだけタイムリー。ポテンヒット程度ですが。

https://x.com/utadahikaru/status/261637017715236864?s=46

しかしなんだな…いつものことだけど、こうやって新しい言葉を貰うと、無意識日記の流れが思いっ切りぶった斬られるのよねぇ。前回からの続きを書く気が思い切り失せちまったぜ。まぁ次の日の朝には回復してる事が多いけど、やっぱ自分は本人からしたら傍迷惑な『Message from Hikki』信者なんだなと再確認。音楽の話をするよりヒカルと会話したいんだろうな…。女神様からの御託宣みたいな扱いをされると、つまらない御託を並べられなくなるからこれまた傍迷惑なんだろうけれど、嬉しいもんはしゃあないよねぇぇぇ。残念ながら、毎回面白いし! 『もうやらないと思ったでしょ やるわよ』なんて、俺一生使い続けそうだし!だってこうやって遅れてやってくるの毎度なんだもん! そうなんだよねぇ、放置してる間も頭の片隅にずっと残ってて、タイミングさえ合えば再開したいんだよねぇわかるわかる。(ほんまにわかってんのかいな?)

香港の所感を賢しく語ってるようだけど、もっかい「くりびつ…」に触れておくと、そうなんですよ、後半の「いたおどろ」まで口に出す時は「てんぎょ」で切らないとリズムが悪いのよね。「驚吃天仰」とだけ言う場合は「てんぎょう」なんだけどねぇ。これ、やっぱり照實さん由来なんかな? あの長身痩躯がグラサンでジャズ畑の隠語を連発しながら近づいてきたら胡散臭さMAXだもんね…。じゃあ圭子さんは…嗚呼、なくはないか!? ドリフの体操コントの由来になるくらいにはバラエティ出てたしなー。あらためて、こんな変な取り合わせの親2人の間でどうやったらこんな人に育つのやらっ。


…いかん、ツアー日記更新が嬉し過ぎて今夜の自分が何書いてるんだかサッパリわからん(笑)。ツアー日記、何度も読み直したいので今回はこの辺で!(本当に何一つ中身のあること書いてないな…)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ウタダ史上最強靭なリズム隊。有体に言えばその効果の程は「曲次第」だった。

もう少し詳しく言えば、前半の曲では効果的で、後半の曲では必ずしもそうではなかった。オープニングを飾った『time will tell』をはじめとして『In My Room』や『For You』、そして『Distance (m-flo remix)』といった、初期のR&B風味といわれる路線の楽曲においては、その弾力性に富んだ腰の強い低音の起伏が殊更に心地良く、否応無しに身体が動き始めてしまうような、そんな迫力満載満点なサウンドが構築されていた。「初期曲ってこんなに踊れたっけ!? ついつい燥いじゃうわ!」と感じた人も多かったんじゃないかな。

他方、後半に演奏された最近の楽曲ではその強すぎる程の低音が裏目に出ていた。例えば後半冒頭の『BADモード』。この曲、スタジオ・バージョンでは曲展開の終盤でギターのカッティングが軽やかにリズムを引っ張っていく加速感がもう堪らなくウキウキするのが魅力的で、ヒカルもそれをわかってかBPMを楽曲前半より僅かに上げるアレンジャーとしての芸の細かさをみせていた。しかしライブ会場ではベースの音が大き過ぎてそのギターの存在感が相対的に薄れ、イマイチあの高揚感を再現し切れてなかったように思われた。

更には、本編ラスト前の『One Last Kiss』。この楽曲も曲全体の展開構成が麗しい楽曲で、テレビ番組「EIGHT JAM」でも(…誰がだっけ?忘れちゃったごめんなさい)、2番Aメロ頭から入ってくるジョディ・ミリナーのベースラインが絶賛されていたけれど、ライブ会場で聴いたそれは、曲冒頭から続いていたバスドラの音のデカさが尋常じゃなくって、その2番Aメロ頭から肝心のベースラインが入ってきても音圧に変化が出ず、あの徐々に高揚していく盛り上がり方が損なわれていた。確かに、「ライブでの『One Last Kiss』は終始イケイケのダンスチューンだったぜ!」と肯定的に捉える事も出来なくはなかったが、この曲の魅力は、静かに始まったのにいつのまにか喧騒に放り込まれていたことを二度の静寂のブレイクでハッと気付かされる心理的構成力にあると思っている向きとしては、このアプローチは少々雑に感じられて残念だった。

斯様に、強靭なリズム隊による一際強い低音は、曲によってはスタジオ・バージョンを遥かに超える迫力を生み出す一方、やはり曲によってはその繊細な構成力を損なうデメリットもありで、そこはちゃんと曲毎に調整して欲しかったわね。楽器の持ち替えなんかは映像商品で確認させて貰うけど、でもお家で聴くのはやっぱちょっと意味が違うからなぁ。

そうそう、今書いたのはあクマで「私が8/31にKアリーナ横浜の最上階の端っこの方で聴いたサウンド」の話であって、他の日別の会場異なる座席で体験できたサウンドと同じである保証は全くない。如何にPA、パブリック・アドレス(公衆伝達)といっても、同じ日同じ会場であったとしても座席が違えば聞こえてくるサウンドは違うからね。「私は全然そんなことなかった!」という事もきっとあるだろう。なので、隅の方で盛り上がってた低音好きの戯言のひとつとして受け取っておいて貰えたら私ゃ気が楽だわさ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ