無意識日記
宇多田光 word:i_
 

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セットリストを考える時に、きっとUtadaの曲は最初から除外されるんだろうなと思うと厳しい。『Utada United 2006』ん時の反応の薄さを思い出すとリクエストすることすら憚られる。そこまで浸透していなかったのかと吃驚した。ファンの方がアーティストに対して申し訳ないと言いたくなるのだから相当だった。

『エキソドス』はここ日本でもかなり売れた。実売で100万枚を超えて年間チャートで第6位だった。なお第1位は『Utada Hikaru Single Collection Vol.1』だ。年間6位収録の曲を披露してあの反応の無さって他のアーティストじゃ有り得ないんじゃなかろうか。

『Laughter in the Dark 2018』は今のところチケットが運で行き渡っているので聴衆層はライトファンが多いだろう。ネームバリューからすると、アルバムを聴いてなくてもやってこようとする人もかなり居る。ならばメディアに露出していない曲への反応はウタユナのUtadaパートみたいな事態になる可能性を考慮しておくべきだ。特に昔のアルバム曲は知られていない。『初恋』や『Fantome』からファンになった人がどれだけ過去作を聴いてくれているかというと、流石に5枚以上のフルアルバムというのはボリュームがあり過ぎる。

過去作に関しては昨秋からストリーミングが始まったことによりそれによる効果も期待したいところだが、まだ時間的に足りていないだろう。それに、日々新曲が無尽蔵に供給される中過去のアルバム曲までチェックしようと思う人がどれだけ居るか。

それを考えると、今後はストリーミングによる「予習期間」みたいなものを考慮に入れてツアーチケットの販売時期を早めに設定するのもアリかもしれない。そんな弱い理由で動く話ではないけれど、人の音楽消費ペースの動向に気を配る事自体は大切だ。


そもそも反応の薄い曲をやっても構わないじゃない、というのは根底にあるんだけど、それを言ってたらなきっとセットリストは永遠に決まらないだろうな。全曲リハーサル済みのバンドを従えて毎日アドリブで選曲するツアーでもやるんなら別ですが。嗚呼、そんなものは夢のまた夢…。

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ツアーで気になることといえばセットリストた。一体どういう選曲になるのやら。

難しいのは『Fantome』からの楽曲の扱いだろう。まだ同アルバムをリリースしてから一度もライブを、やっていない。しかしながら最新作というわけでもない微妙な立ち位置。ファンの気持ちもどこらへんにあるのかよくわからない。

20周年というお題目があるのにツアーでの積み重ねが希薄だからその厚みは聴衆の思い出頼りになる。要は、例えばもっとツアーの多いアーティストなら『Automatic』は“お馴染みの”楽曲になっているだろう、ライブで聴き慣れた曲という意味で。しかし実際は今回のライブ、『Automatic』を生で観るのは生まれて初めて、という層が大半を占めるのではないか。一方で、ただ接するだけならそれはもう何百何千回と耳にしている楽曲でもある。つまり、ライブの盛り上がり方は、ライブでの慣れより個々の思い入れと思い出に依るところが大きくなるだろう。

考え方によっては、20周年を迎えようとしても未だにリアクションがフレッシュでヒカルとしては毎回新鮮な気持ちで舞台に上がれるかもしれず、それは同じベテラン勢と比較しても幸せなことなのかもしれない、ともいえる。そこはわからない。

そんな感じなので他のアーティストに較べて昔の曲と今の曲の間の垣根が低いというか。最早『Fantome』からの楽曲も『初恋』からの楽曲も、『Distance』からの楽曲や『DEEP RIVER』からの楽曲と同様にフラットに選曲していいのかもしれない。

つまり、『Laughter In The Dark 2018』は、『初恋』のリリースに伴うツアーというよりは、相変わらず『Utada United 2006』と同じように「今までの集大成」というコンセプトのツアーと見做されて選曲してくるのではないか。通常の“常識”である「新譜発売直後のツアーは新譜からの選曲を中心に」というのは、常に新譜を出す度にコンスタントにツアー出来ているミュージシャンとそのファンに当て嵌まることなのであって、宇多田ヒカルはそれにはあたらないのだ。ただひたすらベスト選曲をするだけのライブを披露してくるのではないか。そう読んでいる。

でもだからって諦めきれない楽曲が『Fantome』と『初恋』には多過ぎる。これから何十年もかけて「ライブで歌ったことのない歌はない」と言い切れるほどにツアーが積み上げられていけばよいのだが、それこそ夢物語なのだろうかな。でもそんな先のことよりまずは今年のツアーが成功しないとですね。

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昨日はサントリー枠の当選発表日であったか。折悪しくTwitterで皆さんの反応をチェックすることが出来ていないのでどんな空気になっているかはわからない。肌感覚の当選確率はどれくらいなんだろう。

サイトの説明文の平明さを見る限りサントリー枠でのトラブルは少なそうだ…と言えればいいのだが、同じ会場の同じ席を売買するのだから他の枠との調整は必須な訳でね。確りと管理されていることを願う。

思い出されるのは『Utada In The Flesh 2010』のロンドン公演で、詳細はわからないがダブルブッキング騒ぎがあった。要は会場のキャパ以上にチケットを売ってしまったわけだが、単純な紙チケットの場合でもアクシデントは起こるのだから複雑怪奇且つ前例の乏しい今回のシステムでは何が起こるやらわかったもんじゃない。いや、本来ならデジタル管理なら手売りよりずっと確実だろうと言いたいところなんだが、ヒューマンエラーに対する工学的なアプローチが十分であるようには見えない。

ともあれこれで心おきなく一般抽選販売の会場を吟味出来るようになる訳で、こうやってひとつひとつ片付いていってくれれば否が応でもツアーへの期待が高ま…ってるかなぁ?

月曜日のヒカルのテレビ出演で「この歌が生で聴けるのか…っ!?」とテンションが上がった人は多そうだ。こういうのの積み重ねでライブへの心構えが出来ていくのだが、そうおいそれとテレビ出演があるわけでもなく。あったとしても『Utada United 2006』の『This Is Love』のようにバンドのリハーサル不足が露呈して期待より不安を煽る結果になったりもする。これは杞憂ではなく、実際に自分が観たウタユナ3公演目は演奏が酷くて聴けたものではなかった。不安は的中したのだ。

もう初日公演へ向けては50日を切っている。くれぐれもトラブルが起きぬよう、祈る気持ちで一杯でございますよ。

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そしてキングダムハーツの方では最新のロングトレーラーが公開された。英語字幕版ではBGMが『Don't Think Twice』になっているが、今回新しく2コーラスめまでが聴けるようになっている。あクマでバックグラウンドなので鮮明に聴ける訳ではないが、前より長く聴ける為パートによっては初めて聴く事になった訳だ。

歌の前でキャラクターたちが喋っているのを聴いていて声優陣の超豪華さに戦く。知ってる人が次から次へと喋りやがる。どれだけキングダムハーツというコンテンツのステータスが高いかを思い知らされる。その中でもヒカルはスペシャルゲスト扱いなのだ。更に別格。ふむ恐ろしい。

そしてその扱いを是とするだけの楽曲と歌唱。『Don't Think Twice』を改めて耳にしてそのサウンドの気品みたいなものを今噛み締めている。『誓い』では、親しみやすい言葉を使ってストレートに言いたいことを言ってきたのに対して、『Don't Think Twice』では、言葉が平易なのは同様だが『誓い』のような迷いのない語調ではない。決め台詞が『I don't wanna know』なのだから当然ではあるが。

『誓い』では『ない』という歌詞を重ねる事でメロディーの強弱を印象づけた。よくいえば親切な、言い換えればくどい繰り返しだった。『Don't Think Twice』の方は、2番まで聴いてますますより繊細な表現力を要求するメロディーの解釈が際立っていると感じられた。要は『誓い』の方が(比較として)声が太く感じられ、『Don't Think Twice』の方は声が細く感じられたのだ。歌詞の選び方と歌い方の乗算である。もっとも、まだバックグラウンドでしか聴いていないので実際に音源を聴いたら異なる感想を持つかもしれないが。

この楽曲のリフレインのフックはやはり過去最高レベル。これだよこれと言わずにいられない。ただ、『誓い』を聴き馴染んでいることもあってか、前ほど英語歌詞の方があからさまにしっくり来ているとは感じなくなったな。なんだか別の曲に近い感触で接するようになってきたからかもしれない。まだまだリリースまでに捉え方は変わっていきそうだ。

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今回のMステは収録ということで一度NGを出した話をしていた。曲の終盤で紙吹雪が舞う演出があったのでやり直しの為にスタッフが一度回収する必要があった訳だがその時ヒカルは小芝居で「面倒臭そうに片付ける人」を演じた。しかし周囲の「そんなことないよ」の空気で軌道修正する事になった。

何気ないどころか全く以てどうでもいい場面だが、これを見てあたしゃ「嗚呼、時代が変わったんだなぁ」と思ったのだ。一昔前、20~30年前のテレビなら最初の対応でよかったのだ。現場の仕事の空気に合っていた。今はきっと違うんだな。「クォリティの高いテイクを取る為にリテイクは必要なこと」という意識が行き渡っていて、その為に紙吹雪を回収するなんて行程は当たり前に普段からやっているのだろう。そのプロ意識を蔑ろにされかけたから「そんなことないよ」の空気が予想以上にシリアスだった。でヒカルは「あら」と咄嗟に対応した。普段余りテレビの現場で仕事をしていないしスタッフによっても違うから思わず昔ながらの対応をしてしまったんだろうな。

プロ意識とかプロフェッショナリズムとかいう言葉はこの20年で浸透した言葉である。だからNHKも「仕事の流儀」なんて番組を近年になってから手掛けてそれにヒカルも出た。80年代のテレビ業界なんて…いや実際に見た訳じゃないから真相はわからないが、もっとテキトーだった気がする。

お陰で今の若い子達の方が熱心で仕事が出来るのだが今の方が明らかに不景気でお給料もお安い。それがなんだと言われたら特に何もないのだけれど、ヒカルもきっと似たようなことをあの一瞬で感じ取ったのではないかなと勝手に空想している次第です。

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恐らくテレビで披露した『誓い』はファン以外にも大評判だろうから、昔ならCDシングルをリリースする好機となるところ。だけど今はシングルは配信のみなのでシングルカットといっても配信で単品にして売り直すくらいしかやることがない。今回iTunes Storeでは『初恋』アルバムをリリース時に先に単品販売していた曲をアルバムに組み込み直してくれてそれはアルバムが安く買えてよかったんだけど、そのせいでこちらのライブラリが崩壊してしまって使い物にならなくなるという本末転倒な事態が発生した。「こんなことになるんなら普通にアルバムの値段払ったよ…。」と言いたくなったのだった。あたしゃ面倒だったのですかさず一旦ライブラリを消してCDの方から取り込んで崩壊を回避したんだけどね。まぁそれは昔話。何が言いたかったかというと配信の単品販売のやり直しはリスキーだから避けた方がいいのでは、と。

で。今現在“シングルカット”の代替となりそうなのは「ミュージックビデオのリリース」だと思われる。前作でいえば『忘却』だわな。これもなぜそのタイミングなら『人魚』を作らなかったのかという疑問は残ったが。『忘却』自体には文句はないぞ。あらまた脱線したわ。

というわけで『誓い』のミュージックビデオをリリースしたらいいと思うんですが如何でしょう。『光』だって『Passion』だってゲームと直接関係ないミュージックビデオを作ったじゃないですか。今回も作りましょうよ。

が。相変わらずiTunes Store ユーザーの私は400円出して低画質のミュージックビデオを購入するのが腑に落ちない。5分弱のビデオが60MBしかない、ってもしかして音だけのCDのビットレートと大してかわらないんじゃないの。1.5Mbpsとかでしょ。音と動画合わせて。DVD画質以下だわな。

他のアーティストのミュージックビデオを買ってもこんな感じだからAppleの方針なんだろうね。諦めるしかないか。

…いやまだ早い。ちょっと“ズル”をすることは出来ないか。iTunes、確かにミュージックビデオは低画質なのだが、ムービー扱いのライブビデオはHD画質が選択できる。更に、ムービーストアでは「短編映画」というカテゴリーがある。こちらでもHD画質が選択出来てお値段もセルで数百円に設定できる(レンタルもあるからね)。ミュージックビデオを短編映画として申請して審査が通ればHD画質で購入できる気がするのだが無理なのだろうかな~。…梶サン、一度挑戦してみませんか?(笑)

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昨晩はMステフェスで『誓い』を歌った。よくもまぁこんな難しい歌を2テイクで仕上げたなと。素晴らしかったですよ。

歌詞で言えば括弧内まで歌ったのが驚き(『ああ 泣きたい』とかね)。『Beautiful World』なんて括弧外までバックコーラスに任せてたのにね。これはまだまだ歌唱上余裕があるということなんだろう。ぱっつんぱっつんならこうはいくまい。いやビマラん時のドレス姿の話じゃないぞ。

実際、フリーハンド(今回は右手)の動きをみると、まだまだ歌のチェックポイントを意識的逐次的に確認しながら歌っているように見受けられたので、頭の中で『誓い』のボタンを押せばほぼ自動運転で歌える、という状況には至っていない模様だ。即ち、この歌をまだ歌い込んでいない、回数を歌ってないのだ。その時点でこのパフォーマンスである。11月から始まるコンサートツアーではさらにここから上乗せが期待される。君ら聴いて驚け。

ただ、今の時点では「歌える」という基準でいえば既に百点満点に近いが、「聴かせる」という点ではそんなでもない。これは、生放送番組なのに収録という無観客試合で歌ったことも影響しているかもしれないし、だからこそ「歌える」ことに集中出来たとも言える。これが一万人を超す聴衆を前にしたときにどうなるか。いや、ファンだらけだから内に向かったパフォーマンスがウケる可能性も高いけどね。

本来なら生放送に収録で参加なんて何様のつもりだと言い出す方が出てきてもおかしくないところだが、あの歌唱力では生放送の場の雰囲気を壊しかねない。特に次に同じ舞台でパフォーマンスする人が気の毒だ。“共演者”の皆さんは、ヒカルが収録でホッとしていたことだろう。いや、もう一周回って「せっかく生で宇多田ヒカルの歌が聴けると思ったのに残念」とか言い出す人が出て来るかもしれない。ファン目線かよ。まぁそれくらい別格だよね。面白みはないけれど、今後も収録での登場になりそうだ。

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『約束』と『誓い』はどう違うのか。アルバム『初恋』で『誓い』を聴いてかなり多くの人が抱いた疑問だろう。

歌詞の中ではっきりと『約束はもうしない』『受け売りなんかじゃない 約束でもない 誓いだよ』と言っているのだ。約束と違いは別物として扱われている。故に、この疑問からは逃れる術はない。この歌を聴かなければそんな疑問からは自由になれるが私ゃこの歌に触れられない人生はイヤなので。

しかし、これはかなり難しい。例えば英和辞典を引くと“promise”の項には「約束、誓い」とある。一般的な単語として厳密な違いをこの2つに求めるのは無理な話なのだろう。あクマで、この歌の中での区別ということになる。

私なんかの印象では、約束は対等な者同士、誓いは自分より上位の何物かに対して告げる決意なり取り決めなりなのではないかと考えている。父親が息子に対して「男と男の約束だぞ」と言った日は、親と子という庇護保護の関係から一旦脱して息子と父が対等な関係を一部でも築けるようになった記念日である。「約束」は、その“対等”を強調する中心にある。

「誓い」の方は、まず「神に誓って」という言い回しがある。これが「神と約束して」だったらなんだお前は他の地の神様かそれとも悪魔王か何かかという感じになってくる。他にも誓うのは誇りとか祖国とか旗とか兎に角自分が「上に掲げるもの」に対してだ。それが「誓い」なのだろう。

結婚式で「あなたは伴侶を永遠に愛することを誓いますか?」と神父か牧師が訊く時、誓う相手は誰なのか。伴侶じゃなくて神様だよね。ここを踏まえた上でもう一度『誓い』を聴いてみると『僕たちの誓い日和』という一節が気に止まる。この歌、相手しか見ていない、出てこない、んだよね。ぶっちゃけ、神様が入る余地が無い。これでどうやって、何に対して何を誓うのか。

…といった話をこれからしていきたいんだが、果たして上手く纏まってくれますやら。今回はいつもと違ってちゃんと話を着地させると誓います…って言いたかったんだけど、きっとダメだろうな(笑)。私は嘘吐きには成りきれないのでした。

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裸婦抱く特設ページのFAQが人知れず書き直されてただって。ちょっと待って。

しれっとしているが、これはかなり問題だ。何がどうなってるかはさっきリツイートさせて貰ったからそちらを参照してうただくとして、これはつまり、CD封入先行抽選で当たってチケットを購入した人間にとっては、支払いが終わってから「約束と違う商品」が送られてくることを意味する。いいのかそれで。

勿論、裸婦抱くのチケットを“返品”するような人は極少ないだろう。しかし、障害者なんて少ししかいないんだから雇用なんて雑でいい、などと言ったら総叩きに遭うように、少数だからと切り捨てていいことにはならない。

最初の条件と異なる商品が送られてきてもなお「キャンセルは一切受け付けない」と言い張ることは出来るのだろうか。私は法律に明るくないから知らないが、心情としては納得出来ない。

しかし、何より気にかかるのは、宇多田ヒカルの名の下でそんなことをしてていいのか?という話だ。後から商品の内容を変えるのは場合によっては仕方ない、が、それを黙っているのはどうなのだ。ちゃんとこうやってFAQを書き換えたからいいじゃないかというのは無理がある。チケットを購入するまでは読むこともあるかもしれないが、購入者が一度読んだ場所を購入後にもう1度読みに行くことを運営側が“期待”するのは余りにも無理がある。

本来なら購入者全員にメールなりを送付して“返品”受付に応じるのが筋だ。それをしていない。もう今日から一般発売が始まるのだから購入者側は商品の検討をする期限に入っていくのだ。納得のいくお買い物をしたい消費者に対して幾らなんでも不誠実過ぎやしないか。

今回の変更点が周知されていなければ入場時のトラブルは増えるだろう。それも問題だが、しかし、それ以上に対応そのものに「宇多田ヒカルらしさが感じられない」のが大きな問題なのだ。ヒカル自身がコンサート運営の隅々にまで目を光らせるのは無理だろうが、己の名を冠する以上名への影響は避けられない。名声には興味ないかもしれないが、その名の下に集う人達を困惑させるのは避けたいだろう。別にコンサートは中止にしてもいいから、ヒカルの名が誤解されていく流れは押し止めて欲しいものだ。

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来週のMステフェスの為に歌った曲が発表になった。『誓い』。皆さんの予想通り。読唇なさった方もいらっしゃる。素晴らしい。

さて。気の弱いことを言えば、生放送でなくて本当によかった。『誓い』は一発でミス無く歌い切るには余りにも難しい一曲である。難関だらけ、というか難関しかない。よくもまぁこんな複雑な曲を作ったものだ。今回のテレビ収録、例えば『Prisoner Of Love』のようにキーを下げて歌っていたとしても全く非難する気にならない。といっても私、半音や一音下げられててもきっと気づかないから非難のしようもないのだけれど。それにそもそもキーを下げるくらい別にいいじゃない。『キーが高すぎるなら下げてもいいよ』と歌いかけてた本人がキーを下げるのはどうなんだと言われなくもないかもしれないけれども。兎に角それは重要じゃないわな。

特に、ラップまがいの(って言っても別に紛い物じゃないけどな)パート、『たまに堪えられなくなる涙に』以降はぶっつけ本番ではリズムに乗せるのが難しそうだ。歌唱技術的にもそうなのだが、それ以上に、英語版の作詞者としてこの箇所の歌詞の乗せ方が英語の方に引っ張られてしまうんじゃないかと。ただ歌手として歌う人にはこんな悩みはないかもしれないが、作詞した上で歌うヒカルにとってはトラップになるんじゃないかと踏んでいる。

『Don't Think Twice』での『たまに堪えられなくなる~』に当たるパートはまだ公開されていない(…よね?)。もしそこの作詞が日本語より英語が先だったとすれば、英語の方が日本語の歌詞よりもっと自然に歌詞が乗っていて、ヒカルはそれに引き摺られるかもしれない。そんな心配はあるんだわ。


だがしかし。今回のMステフェスは収録なのだ。幸いなことに。確り歌いきった姿が無事に放送されるだろう。また災害など起こって放送が飛ばされたりもするかもしれないがそん時ゃそん時だ。まぁ基本生放送なので臨機応変に対応してくれるだろうけど。収録分の運命や如何に。

さてこの歌唱でまたアルバム『初恋』が売れてくれればいいんだが、やっぱり花束や通り雨のように毎日テレビから流れてくれたのは大きかったな~。『誓い』にもそんなタイアップが、つけばいいのに。…えぇえぇ、大きなお世話ですよ。(笑)

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『ウィスキー飲んで読書して寝る』、か。ちゃんと寝られたかな。寝れずに起きてまだタイムラインを眺めてるとかじゃなければいいんだが。この様子だとこどもはもう寝かしつけてるか。

『明日に備え出来ることもあるけど早めに寝るよ、今日は』―『WINGS』の一節だが、これと似ているところもあり、異なるところもあり。似ているのは、シンプルに、あの頃とヒカルの考え方や性格が変わっていないこと。やるべきことを気にし過ぎて悩み込んでしまう癖が未だにあるのだろうか、自分にはこう言い聞かせないと必ず無理をする、それがわかっているからこその呟き。

異なるところは、これはこちらが勝手に感じたことだが、寂しさの質が違うというか、『WINGS』では喧嘩してひとりぼっちの寂しさがあった。音楽を伴い、そこに至るまでの歌詞があり、でイメージが左右されているのは重々承知しているのだけれど、今朝の(ヒカルにとっては今夜の)ツイートは、心細い寂しさよりも、なんだろうね、座長としての孤独感というか、自分で決めなきゃいけない重圧とかを感じてのことだろうかなと思わされた。

ツイート自体の語調よりもどちらかといえば今のヒカルの状況を想像して、のことなんだが、あまり悲壮感は漂ってきていない。悩む事は悩んで、しかしちゃんと時間の区切りはつける。人間活動の成果なのかもともとこうだったのかはよくわからないけれど、今上手く対処出来ているならそれでいい。あわよくばヒカルが今の状況を楽しめていること、望んでその場に立っていること(今は寝てること)を、こちらとしては望みたい。ただ、寝る前の深酒には気をつけろよ。今日の昼過ぎに二日酔いツイートがあったら怒るからな(笑)。まぁでも、そんなことが出来るのも今のうちか。ツアーが始まったら二日酔いで声が出ませんでしたじゃ洒落にならないからな。

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でまぁ無理矢理なりくんのエッセイのリツイートに意味を見出そうとするのなら『ともにいきることを誓おうよ』と歌う『誓い』が何か関係しているかなと。テーマが結婚式だったもんね。

で今のタイミングでなんらかの曲名を仄めかすということはMステフェスで歌う歌が『誓い』なんじゃないかと、そう推理できる訳です。

…無理矢理ですね(笑)。結婚式向けな『初恋』の歌といえば『Play A Love Song』でもいいし『嫉妬されるべき人生』でもいいし…『夕凪』や『Too Proud』はダメだけどな。式でこの2曲を使ったという方がいらっしゃるのなら是非御報告を。なお2次会一番人気は『パクチーの唄』だ。夏の庭でリサイタルをだな……あ、『今日はうちにおいでよ』はマズいかな?(笑) いやそれでこそ2次会ソングの面目躍如かっ。


脱線した。今日言いたかったのはそれじゃない。「『誓い』はダブルタイアップとかトリプルタイアップで売り出すべきなんじゃないか」という話。

既に『初恋』からは『あなた』がダブルタイアップで成功を収めている。映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」のエンディング・テーマを務めつつ、SONYのワイヤレスイヤホン「WF-1000X」のCMソングでもあった。だからといって困惑するとか混乱するとかいう感想は聞かれなかった。使う場面が違えば、人は案外すんなり受け容れる。同音異義語みたいなものである。(…そうか?)

『誓い』は掛け値無しの名曲で、必ずやキングダムハーツ3を象徴する楽曲として認知されるだろう。従って、純粋な意見として、この曲のイメージはキングダムハーツが独占すべきだ、というのも十二分に有り得る。そういう声が説得力を持ちそうなら尊重をしたいが、できれば『誓い』はそこに留まらないで欲しい。寧ろ複数のタイアップがつくことで存在感が相対化され、楽曲の魅力への認知が抽出されていく状態が望ましい。ちと暴論だけれども。

故にMステフェスへの出演で仮に『誓い』を歌っているのならその視聴者の反応はよい試金石となる筈だ。普段ゲームをプレイしない層にも『誓い』の魅力が浸透する為には兎に角まず聞いてもらう事が大切。アルバムセールスも落ち着いてきている今、コンサートチケットの一般発売とテレビ出演での歌唱は大きなHikkiがね…じゃない、引き金になり得る。そこから次のタイアップへの機運が高まっていったら面白いんじゃないかな、とな。

でもまずはキングダムハーツ3なのは間違いない。トレーラー動画はどんどん再生回数を稼いでおくれ。

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ヒカルがリツイートしてたので「新潮」9月号とやらをチェックしてみた。が、買わずに立ち読みで済ませてしまいましたすみません。

何となくそんな予感はしていたが、なりくんの書いた4段組2頁の中には宇多田ヒカルの宇の字も出てきやしない。「宇の字」って久々に書いたがやっぱ面白いな。いやそれは別にいいのだけど。

ヒカルがリツイートしたんだからヒカルは直接関係ない。この理屈は他のアーティストのファンの皆さんからは奇異に映るだろう。普通は自分が関係あるから紹介する。リツイートする。がしかし、普段のヒカルは自分の宣伝に熱心とは言えない。恥ずかしいとか照れるとかもあるのだろうが、所在ないとか居心地がよくないとか、そう言った方が近いかな。要は何となく気が進まない、のだろうがこのように他人の仕事をアピールするときには躊躇いが無い。いいねと違ってリツイートは誤動作や誤作動ということはないだろう。なりくんの新潮寄稿を純粋に応援したかったのだろうな。

中身は実話か虚構か或いは両方か、それはわからないが彼が妹の結婚式に参列する話を私小説口調で訥々と語る随筆である。語り口が熟れていて構成も手堅く、新潮を普通に読んでいたら名も知らぬ若手小説家かなと思っただろう。よく出来ている。しかしラジオで彼の喋りを知っているものとして読むと、如何にも才能をひけらかす鼻持ちならない軽薄な文章に見えてくるのだから偏見というのは本当に厄介だ。彼の名前を隠しといて欲しかった。が、名前がわからなかったらそもそも手に取って読んでないよね。話の順序としてはこれでよかったのかもしれない。しかしヒカルは300万近いフォロワーにこれを紹介して何がしたかったのだろうか。結局よくわからなかったよ。まぁ好きに呟いてくれてればいいんだけども。

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難しい時期なんだよね。脳には慣性があるからその時に興味と関心が向いたものからなかなか抜け出せない。今週は金曜日からツアーチケットの一般販売抽選申込受付が始まるタイミング。ヒカルから何かそろそろメッセージがあるかな無いかなとか考え始めてしまうとわからなくなってしまう。

“Laughter in the Dark”というツアータイトル発表自体がある種のメッセージの発信だと受け取ることも出来るのだけれど今までの実績からするとな。『荒野の狼』は言わずもがな『Deep River』であっても遠藤周作の「深い河」を読んだからどうだったかと言われたら…あれはあれでよく出来た作品でしたね、としか。ポーの「大鴉」が『Kremlin Dusk』の理解への手助けになったかといえば、なってないし。私の理解能力が足りていないと言われてしまえばそれまでなんですが。

という感じなので、今回も単なる“新しい読書の切っ掛け”として利用させて貰おうかなという程度でいる。きっと裸婦抱くを、日本語訳だと邦題が「マルゴ」とかか、読んでも読まなくてもコンサートの楽しみ方に大して違いは出ないだろう。おっさんが少女に人生狂わされる話(と既に小説冒頭で断言してはった)がどう宇多田ヒカルのライブと繋がるとかいうのか。多分何の関連もない。

それより寧ろ、ヒカルが心底敬愛するスコットランドのコクトーツインズの頭脳であったロビン・ギャスリーが自らのソロ作品で“Laughter in the Dark”というインスト曲を書いているから、それをチェックしておく方が有意義だろう。もし万が一コンサートのオープニングSEがこの曲だとしたら…自分の知ってる曲を聴きながらコンサートの幕開けを待つだなんて結構興奮するんじゃない? 確かUTADAの公演前にもコクトーツインズかかってたハズだから、ないとは言えないと思うよ。

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