トラベの話に行く前に、前回の話は「つまるところ、どういうことなのか?」について、ちとまとめておきたい。それがいちばん大事じゃんね。
アルバム『SCIENCE FICTION』の冒頭を飾る『Addicted To You (Re-Recording)』がその代表格だが、今のヒカルは、昔のヒカルの歌について、その歌詞に表されているような感情は持ってないし、またその上、その時とは歌い方を意識的に変えてしまっている為その頃と同じようには歌えない、というのもある。その2点、2つがあるのだ。
2016年の糸井重里氏との対談で「昔の私はとても苦しそうに歌っていた」旨ヒカルは述懐していたが、これは裏を返せば2016年以降のヒカルの歌い方は「苦しくない」声の出し方になったのだとも言える。
ここもまた妙味で、『Fantôme』での復帰にあたり発声法を変えた事で、たおやかで優しい声が出るようになり、それと2015年に出産をしていた事と併せて「母性を感じさせる歌声になった」という評価がかなり定着していった。具体的には2017年の『あなた』以降ということになるけれども。
つまり、歌唱法/発声法という肉体的・技術的観点からの変化と、母親になった事による心境の変化が、特に企まずしてシンクロする結果になったのだ。偶然なのか必然なのかは置いておくが。
その心身両面の(そして恐らくは別個の)変化を携えながら、今回のSFツアーはヒカルが「自分からやりたがった」企画となった。となれば自分自身がまず目一杯楽しむぞってアティテュードが前面に出てくるのはある種自然。一方で、一応オールタイムベストな体裁のアルバムをリリースしてのツアーということで初期の曲も歌う事になるけれど、心の面でも身体の面でも今の自分と当時の自分は違い過ぎてどうアプローチしたものかと相当悩んだに違いなく。
ここでヒカルは「開き直った」と思うのだ。
どうせわからないし違っちゃうのなら、まるで他人の曲であるかのように、普段ライブでカバーソングを歌う時のように、純粋に歌う事を楽しもうと。もう当時の心境になって歌う事は出来ないし、当時と同じ歌い方も出来ないのだから(14歳と41歳では声質もかなり異なるのだし)、ここは開き直って楽しく歌ってコンサートを盛り上げようと、そういうコンセプトで挑んだのではないかなと。それがライブ序盤の初期曲の畳み掛け、特に『traveling (Re-Recording)』までの流れだったように思われた。
少し言い方は物騒だが「災い転じて服と茄子」、なんだその誤字(笑)、「災い転じて福と成す」という心意気だったのかもしれない。これまた「人生何が好転するかわからない」好例のひとつだわね。
…と、いうのが、バンドの演奏のアプローチ─つまり雇い主であるヒカルの意向に沿った演奏─も含めた、私が推測するヒカルのライブに臨んだ時の心理状態ではあるのだが、だからといってオーディエンスがそれに追随する必要は全く無かったわけで。幾つかのライブレポートにあったように、昔の曲が歌われるさまを目撃した事であの頃の自分にタイムスリップするもよし、念願のあの歌を生で聴けて積年の思いが成就した事に感動するもよし、聴いたことなかったけど結構いい曲あるんだね昔の宇多田もと思うもよし、それぞれがそれぞれの受け止め方で自身の『SCIENCE FICTION TOUR 2024』を位置付ければいいわけで。なんつったって、ヒカルの言う通りこのツアーは観客席側の25年をまず祝うツアーだったんだからね。自分ファーストで何の問題もないというか、それこそが求められたのだからね。
そんな中で私は「位置付けとか感慨とかよくわかんないけど、ノリノリでひたすら楽しいぞ今夜は!」というフィーリングで8/31のステージを堪能した。これはまぁ自分がもともとそういうモードだったというのもあるし、普段からの癖で「今ヒカルは何を感じてどう考えて動くのか」を注視するあまりその心境とシンクロしてしまったのかもわからない。ともあれ私は私のSFツアー公演を経験できたので、多分だけど配信や映画館や円盤で味わう『SCIENCE FICTION TOUR 2024』の映像や音源は、大分異なる感想を持つ事になるのではないかなと思う。なのでそこの区別が出来るように筆を進めていきたいとこなのでした。皆さんも、生の体験の記憶とその後に観るBlu-rayの印象が混ざらないように気をつけた方が、いいのかもしれないわね???
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