無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ヒカルが歌う“Let It Snow”を聴くことで、「今年も冬が来たんだなぁ」と実感するのが毎年の恒例になっているのだけど、そうなりゃ当然というべきか「今年のまとめ」の期間に突入するのだわな。早速AmazonやらSpotifyやらが2023年を総括し始めてくれている。


Amazonでは「2023年間ベストランキング2023年 Best of J-POP」というやつに『Gold ~また逢う日まで~』が選出されている。のだけれど、え、YOASOBIの「アイドル」を差し置いて1曲目?まじ?あたしがアクセスしてるからじゃなくて?(笑) 今年はおろか2020年代10年間を代表するだろう楽曲を2曲目に押しやってトップバッターとは、なんという破格の好待遇だろうか。あの謎の案内をかましたAmazonとは思えない。一気に好印象になっちゃうじゃんねw
https://twitter.com/hikki_staff/status/1727261936776306845


そしてSpotifyの方はというと、1年前にNetflixで公開になった「First Love 初恋」の余波を受けてヒカルの『First Love』が

「世界で最も再生されたリリース年代別の国内楽曲」

の「1990年代部門」で第1位になったそうな。にわかには何のことかよくわからなかったが、実際のトップ5をみてみると

1位 宇多田ヒカル『First Love』
2位 スピッツ「チェリー」
3位 椎名林檎 「丸ノ内サディスティック」
4位 スピッツ 「ロビンソン」
5位 スピッツ 「空も飛べるはず」
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000177.000022249.html

ということらしい。早い話が90年代リリース楽曲でいちばん聴かれたってことね。スピッツの強さにドン引きだが、それをも上回る回数稼いだって凄いな『First Love』は。他のドリカムやミスチルや小室ファミリーやらジュデイマリやらラルクやら安室ちゃんやら…あれ?この人達今Spotifyに居たっけ?まぁそれはいいや、兎に角CDが最も売れた時代の楽曲の中でいちばんストリーミングされた曲になったのね『First Love』は。とんでもねーな。

つまり、まもなくデビュー25周年を迎える宇多田ヒカルは、25年目にリリースした最新曲をAmazonで絶賛され、デビューした1年目にリリースした大昔の楽曲をSpotifyで表彰されたのだ。昔も今も凄いアーティストなのだなと、あんまりにも当たり前すぎて普段口に出して言わないことを言わさせてくれるから、こういう年末のまとめ企画は面白いのよね。明日以降更にこういう記事が押し寄せてくるのかな。嗚呼、とうとうデビュー25周年を祝う2023年の12月がやってくるのね! さてどんな事態になるのでしょーな。ワクワク☆

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ライブでの『traveling』の立ち位置が危うい、という話をしたが、それは最近曲である『Gold ~また逢う日まで~』についても言える事だ。ヒカルがインタビューで語っていた通り、この曲は本来ストレートなダンスチューンであった所を映画のエンディングに合わせるために前半をバラードにしたものなので、これをライブでやるとなったら全編アップテンポにしたくなるのが人情というもの。恐らく、結果的に『Taku's ~ Remix』に近いものとなるだろうね。

しかし、そんな事をしたらますますライブがアッパーなダンスチューンばかりになってしまう。ただでさえ宇多田ヒカルのコンサートといえば昔から「立って騒ぐか座って観るか、それが問題だ」と言われてきているのに加え、昔からのファンは当然のことながら高齢化しているのだ。とても体力がついていかないよという人も多いのであるまいか。

ではその『Gold~』は逆に全編バラードにライブアレンジすることにして…そう、『WILD LIFE』での『Hymne à l'amour 〜愛のアンセム〜』のように、スタジオ・バージョンではアップテンポだったものをライブでスロウダウンさせるケースも結構あるもんな。『COLORS』や『Letters』なんかもそうだったよね。

でもな~それをやって異たら、いつまで経っても『FINAL DISTANCE』や『Flavor Of Life - Ballad Version -』ばかりを歌うことになって、いつまで経っても『DISTANCE』や『Flavor Of Life』(オリジナル・バージョン)を披露するターンが回ってこないのよね。キラーダンスチューンが増えすぎたのよな…いやだって、本来ならライブの定番曲になって然るべき『One Night Magic』や『Celebrate』がまだ一度もナマで歌われてないからね…なんちゅう贅沢なアーティストなんや…。

これらの問題をあっさり解決するのは、前回も触れた通りライブの頻度をあげればいい。「今回は聴けなかったけど、次の機会に歌ってくれればいいや」と思って貰えるならいろんな曲をその都度歌える。しかし、現実の宇多田ヒカルのコンサートはといえば、「次当選するかどうかわからないし、そもそも次がいつになるのか見当もつかない! これが最初で最後のコンサートかもしれない!」と意気込まれるのが定番化しているのだ。MCで口を開く度に「ここに来るのは12年振り」とか言われたらそりゃそうなる。仰る通り「赤子が小学6年生になる」だけの時間ずっと待つのはなかなかに難しい。しかも、待っていたからといって本当に次があるかどうかわからないのだ。実際、ヒカル自身もう人前に出る仕事は無理だと思っていた時期もあったのだし、それはリアルな、現実的な可能性なのである。だからお互いに「一期一会を逃してなるものか!」と気合いが入る。至って自然な事だろう。

だがそれがセットリストの苦難を招いているのだから話は難しいのよね。ステージに立つのが無理な状態から奇跡の復帰を見せた人にもっと頑張れとか言うのは流石の私でも厳しいと思うしな。

そうねぇ、例えば、会場を選ぶかとは思うが、2daysの1日目を「スタンディング・ナイト」、2日目を「リラックス・ナイト」とでも銘打って、同じ曲でも1日目はアップテンポで、2日目はスロウダウンして聴かせるとか、そんな企画もアリかな? …これ、バックのメンバーの負担がどれくらい増すのか見当もつかないけど、年齢幅が広がったファン層を考えると割と悪くないかもしれない。

勿論、アリーナタイプの会場ならスタンディング・エリアと座席エリアで分けてチケットを売ればいいのだけれど、それだとどちらも堪能度合いはそれなりになりそうで。いやその緩急硬軟のバランスこそ宇多田ヒカルの真骨頂、とも思うんだけども、ともあれ、「増え過ぎたキラーチューン問題」と「ライブの頻度が少ない問題」と「長年のファンの高齢化&若いファンの増加問題」などなど、幾つもある問題を解きながらコンサートのセットリストは決まっていくのだ。「ヒカルが出てきて元気に歌ってくれるんなら曲は何でも!」というのは基本にあるものの、多様なニーズにどう応えていくのか、その手腕の程が楽しみなのもまた間違いのないところなのでした。まる。

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昨日発売22周年を迎えた『traveling』、泣く子も笑顔になるとびっきりのダンスチューンだけど、ヒカルのライブでの歌い方から察するに、そこまでアグレッシブな聴かせ方をする気がないのよねぇ。

まぁ私の好みの問題なのはつくづくわかってる。自分はアップテンポな曲は少しフロントライン(リード・ヴォーカル/リード・ギター/ソロをとるキーボード)が前のめり気味くらいになってくれた方が好きなのだ。ところが、ヒカルがライブで歌う『traveling』は結構溜め気味というか、リズムからやや遅れたねっとりとした歌い方になっている。特に5年前の『Laughter in the Dark Tour 2018』では、(黒いドレスで楚々と歌う姿に印象を引っ張られている可能性は大いにあるのだが)かなりゆったりとした歌い方で、更に聴衆に要求する手拍子までレイドバックしてるようにみえた。この曲、16ビートではあるのだが基本的なBPMはそこまでではないので、ゆっくりに聴かせようと思えばかなりゆっくりに聴かせられる。でもまぁそこまでではなかったか。ベン・パーカーのギターのカッティングが「この曲は16ビートだからね!」と控えめに主張してくれてたりして、それなりに疾走感の演出に関しては踏みとどまってはいた、かな。

まーね、ヒカルさんもデビュー20周年(当時)、口調も随分落ち着いてきたし、昔はイケイケ気味だった曲もまったりしていくのかね、などとそん時は思いかけていたのだが、これがそこから4年後の、つまり約2年前の(そろそろもうそうなるのだよなー)アルバム『BADモード』のリリースで、あたしゃ「んんん!?」となったのだ。『BADモード』『One Last kiss』『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』といった、『traveling』より更にタフでマッチョなダンスチューンが目白押しだったからね。うわー、これはライブでどうなるのかなと思ってたら感染症禍下でご覧の通りツアーは開催されずじまいなのだが、上記3曲に関してはスタジオライブ『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』と昨年の表参道のシークレット・ライブでパフォーマンスをしてくれた映像を通してその歌いっぷりをみることが叶った訳だ。そこでは、あれまぁ、ツッコミ気味とまではいかないが、ほぼジャストのリズム感で歌ってくれていた。そうなると、ふーむ、ならば次のツアーでは、これくらいのノリで『traveling』も歌ってくれる希望が出てきたぞ、私の(かなり細かいこだわりの)好みに近づいていってくれそうだ、とかなんとか思い始めてたのだけど、うむ、ちょっと待った。こんなにタフなダンスチューンが幾つも増えたのに、果たして次のライブで『traveling』の出番はあるのか? セットリストに入りきらないんじゃない?

いやね、ヒカルの曲の中でもかなりの人気曲ですよ『traveling』は。この曲の発売以降、総ての宇多田ヒカル名義のフルサイズコンサートで歌われているのだから(2004/2006/2010/2018)。つまりは、いうなれば『First Love』と『Automatic』の次にほぼ必ずやらないといけない曲なのだ。が、上記3曲とかがある今、色々と芸風が被るのではないかという危惧が出てきた。なんだかんだで2時間余りしかないのだからねコンサートの演奏時間なんて。似た効果のある曲、芸風の被る曲は削っていかないといけないのだ…

でもなぁ、今までのこの約2年間弱、何度も

「ライブのオープニング曲が『BADモード』で、そこから切れ目無く『traveling』に突入していって…」

という妄想を繰り広げてきた身(私です)からすると、『traveling』をハズされるのは屈辱的なまでに耐え難いのですよ。だからなんとかして捻じ込んで欲しいんだけど、上記3曲全部やったらそれだけで20分かかるからな…って、せやんか、『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』ぃぃっ! おぬしが長過ぎるから周囲を時間的に圧迫するのではないかっ! だからもっと短くなってくれ…ってあたしとしては寧ろライブでこの曲をストレッチ(伸展)しなくてどうすんの!という思いも一方であり、もうあれが聴きたいこれが観たいで雁字搦めになってしまっているのでありましたとさ。

うーむ、確かにこれは悩ましい。“Bangers you can cry to”、「泣いて踊れるキラーチューン続々!」とまで形容されたアルバム『BADモード』からのダンス曲が何れも強力過ぎるのよねぇ。

ならば斯くなる上は、次のツアーは日本と世界を2周ずつ回って、前半と後半でセットリストを変えてくるとかしてくれたらどうだろう? いや、それはそれでヒカルの喉のスタミナが心配になるなぁ。何をどう考えても痛し痒しで難しい! 嗚呼、もう少しでいいから頻繁にツアーをやってくれたらね。せめて、2年とは言わないから3~4年に一度くらいで…ダヌくん、ここは是非「お母さんのコンサートがもっと観たいよ!」ってアピールしてくんないかなっ!? それとさぁ…(…今宵はここらへんで強引にしめとこ。このペースで書いてるも、幾らでも続けられるわこれ…)■■

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近年の幾らかの実演について、昔の曲でキーを下げてるものがあるという話。前も書いたように私は全然キーの違いに気づけない人間なのでそれ自体に余り関心はないのだが、「キーを下げる」ということにネガティブな印象を持つ人も在るかもしれないということでちと付言。

多分だけど、高い声が出なくなった訳ではないんだと思う。声を出すだけなら出るんだろう(将来はわからないが、今のところは)。ただ、2016年以降はかなり発声を変え、低音側の倍音が増している印象なのだ(解析出来る人はしてみて報告して欲しい(毎度思うが、自分でやればいいじゃん(ごもっとも)))。なので昔の曲を歌うときに、地声音域から裏声音域に接続する際、昔と同じキーではメロディと情感の流れがうまく表現出来ないのではないだろうか? 有り体に言えば、低い声と高い声を行き来するメロディを歌った時にちぐはぐな印象を与えてしまうのではないかということだ。

昔は中音域でも今のような声の太さはなく、どちらかといえばか細めな歌い方だった。だからちりめんビブラートと呼ばれる振動数の高い振幅も似合っていたし、儚げな高音部との接続も違和感がなかった。しかし、今の嫋やかでありながらダイナミックな歌唱法で昔の曲を歌うと昔のままの高音部は浮く。そして今は昔の曲を実演する時昔の発声ではなく今の発声で歌っている。とすれば、その違和感を減らすために大胆にキーを下げているという可能性もなくはない。

そこらへんの「歌唱法と発声の変化」の影響をもろに受けているのがミラクルひかるだ。ヒカルのトーク部分に関しては、ここ1~2年のネタまでしっかり押さえながら、目を瞑ったら時々本人と錯覚する程の解像度(…この言葉の使い方、最近雑な用法が増えてきてるので、かなり普及してるんだろうな、ええこっちゃ)を誇っているのだが、最近の歌の方に関してはなかなか似なくて苦戦してるようだ。発声は変わってるし単純に難易度も上がっているからね。我々は何気なく『Laughter in the Dark Tour 2018』や『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』の音源を普段楽しんでいるが、あんなレベルの精度の歌唱を無修正で世に出せるというのは本来顎が外れる程驚くべきことなのだ。近年J-popの女性シンガーの歌唱力に目立った進展がみられない為余計にその異質感、怪物感が際立っている。そもそも、そんな人の歌のモノマネをしようというのが本来ならば無謀なのだが、ミラクルさんはまぁよくぞやり続けてくれている。

つまり、二人の状況は対照的になっているのかもしれないという話。ミラクルさんは、トーク部分のモノマネの驚異的な解像度からすると近年の宇多田ヒカル研究を怠っている訳ではないのだけれど、歌に関しては最近の歌唱の変化に追い付ききれていない。一方ヒカルはヒカルで、最近の曲の歌い方のまま過去曲を歌うときに些かの工夫を施す必要が時折出てきている。それぞれに、昔と今を繋げていくにあたって、25周年という長い歴史の重みを感じながら葛藤と研鑽にまみれているのかもしれない。

そう考えると、ヒカルのMCがいつまでたっても熟(こな)れないのは、とてもいいことだと考える。時期によって歌い方が変わり、歌の質感が変化していく中、合間に挟まれるお喋りが昔と変わらないおどおどっぷりなのをみると、とても安心できるのではないか。5年前を振り返って #LaughterintheDark2018 のツイート動画をチェックしながら、そんな事を考えたりしていたのでありましたとさ。てことで久々におどおどっぷりと慌てっぷりをみたいから、インスタライブやってくんない?(っ´ω`c)

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アンケートの時に頭を悩ませるのが、質問の仕方と選択肢の設置だ。#Hikki_Survey のQ3&Q4は、非常に素朴な疑問、「ヒカルが海外公演するとしたら、どれくらいの人が行くのだろう?」というところからスタートしているけれど、それに沿って具体的に、140字以内の質問と25文字以下の選択肢に落とし込むのは結構難しい。実際、今回用意した「行く」「行くことを検討すると思う」「行けたらと思うが難しそう」「行かない」という4択を提示されて「どれも当て嵌まらないなぁ」と困惑した人も結構在るのではないかなと思う。

この、「わかりやすさ」と「拾い上げ切ること」のトレードオフは、いつだって悩ましい。最もポピュラーなのが人間を「男」「女」の二択に分ける事で、これによる利便性の大きさはかなりのものである一方、そこに当て嵌まらない人からすれば排斥同然だったりもする。要するに雑なのだ。しかし、だからといって、ではLGBTQetc.に性嗜好と性自認の区別を掛け合わせて…となると、雑さは解消されていくが今度は「わかりやすさ」が犠牲になる。「用語が増えすぎて何が何だかわからない」と思ってる人結構多いんじゃないかな。そうなると結局よい事態にはなりづらい。

なので、「少しゆるめる」のがいいのかなぁと、ぼんやり思う。アンケートの選択肢の話に戻すと、「行く」「行かない」はキッパリわかりやすくて明解な一方、当然沢山居る「行くかどうか思い悩むひと」には当て嵌まらない。勿論それらを「その他」として総ての受け皿にするのもひとつの方法なのだろうが、「どちらかといえば行くかな」「どちらかといえば行かないかな」のいう積極性のグラデーション/濃淡を拾い上げられたらなと思って「行くことを検討すると思う」と「行けたらと思うが難しそう」の二択を真ん中に置いた。本音は「行けるんなら行きたいけど現実には様々な問題があるし」なのだから、こんなアンケートをとった場合には「うーん、答えられないなぁ今は」と回答自体を回避してしまう人が結構在るんじゃないかと思うのだ。そんな人たちが少しでも「あ、この言い方なら当て嵌まるかも」と捉えて回答してくれてたら、嬉しい。

例えば二択目の「行くことを検討すると思う」の「と思う」って、別に要らないもんね。「行くことを検討する」で十分。論理的にはね。でも、感情的には「と思う」がついてる方がより実際の気持ちに近くなるケースが増えるかなと。三択目も、これが「どちらかというと行かない」だと、論理的にはほぼ同値でも、感情的にはそういうことじゃない、ってなるからさ。本当は行きたいのに、っていう気持ちが大事なんだから。


…ってなんだこれ(苦笑)。こんなこと書く予定無かったんだけどな。まぁいいか書いちゃったから。呟きの裏側みたいな話、あんまりしないもんね。そして、そんな風にあれやこれやと考えて140字に収めてる人たちに共感して貰えたら、これまた嬉しいのでありましたとさ。

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13年前に較べてヒカルの海外公演に赴く人が増えそうだぞ?と思わせる時代と状況の変化。どんなものがあるかというと…


まず、UTADA名義が実質的に無くなった事が大きい。英語歌詞の歌を歌うのも海外の公演で歌うのも総て宇多田ヒカル名義。アルファベットで書く&呼ぶ場合『Utada Hikaru』なのか『Hikaru Utada』なのかは些か統一し切れてない印象はあるものの、同じ人が日本語曲と英語曲を歌い分けるという体制が漸く整った。最初にユニバーサルとワールドワイド契約したのが2001年だったからかなり長い間「別扱い」だったのよね日本語曲と英語曲。そういう所も、EMIでの世界契約とEPICへの移籍を経て漸く整理されてきたという訳だ。『BADモード』をバイリンガル・アルバムと呼べるのも、そういった背景がちゃんと整ったからだった、とも言える。『Find Love』も『Face My Fears』も日本語バージョン英語バージョン両方入れちゃえ!というノリで押し切った。だったら『Don't Think Twice』も入れて欲しかったな…とか今更言ってはいけない。(なおCD1枚では演奏時間がそろそろ危うかった) まぁそこらへんはさておき、兎に角「宇多田ヒカル」という人は、英語でも歌っちゃうぞ、コーチェラでも歌っちゃうぞというのが共通認識になってるのが今なのだ。なので海外公演なんて別名義別アーティストの別活動だから、みたいなUTADAの頃にあった捉え方は大分薄れているだろうて。


そして他方、「日本のアーティストたちの海外公演が特別ではなくなっている」というのも大きい。UTADAがツアーを行った2010年といえばBABYMETAL結成年である。以降、様々なアーティストやバンドが日本国外でツアーをしているが、特にアジア圏での公演が増加したのが敷居を低くしている要因の一つだろうね。欧米にコンサートを観に行くよりずっと近い。沖縄の人なんか本州の公演に行くくらいなら台湾台北公演に行く方が近いんでない? 知らんけど。という、周りの環境の変化もある。他の人たちも気軽に国境越えてるんだからロンドン在住のヒカルならなんでもないでしょ?てなもんだ。


というように、自身も周囲も海外公演へのハードルを下げている昨今なので、特にそもそもマルチリンガルの音楽家として認知されてるヒカルが海外公演といっても特に驚きはないというか、寧ろなぜ2018~2019年にせめてアジアツアーくらいはやらなかったのかと疑問に思われてるくらいでな。そちらの国々では次こそは来てくれるだろうと皆手薬煉引いて待っているだろうな。


…と、いう感じなのかなとアンケート結果を分析してみました。その一方で、昨今の円安やら物価高やらで渡航費用が昔より跳ね上がってるのもまた事実なので、これ、ヒカルさんが来年以降どのタイミングでどの国をツアーするかって、かなりシビアな問題になっていきそう。後になればなるほど円がどんどん弱くなっていきそうでねぇ。そういう意味では海外公演に行くつもりのある向きとしては「やるんなら早く!」という気持ちも出てくるかもしれませんし、今回のアンケートと同じ問いを一年後二年後三年後に訊いた時にどうなっているかもまた興味深い所なのでありましたとさ。ま、日本国内も回ってくれればかなりの人が助かると思ってるってのもわかったので、そこらへんを是非宇多田公式の皆さんは参考にして欲しいな~なんて、思ってます!(みてくれてるかなぁ??)

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共和国でとったアンケートの結果が自分の予想とかなり違っていたのでなんか書くか。

https://twitter.com/hikkicom/status/1728783267598417941

質問は単純で、宇多田ヒカルの海外公演に行く気はあるか?というもの。それを、ワールドツアーに日本公演が含まれるか否かで2問に分けたのだが、どちらも半数が行く方に傾いていた。

前回のワールドツアー…は大袈裟だな、全米ツアー+ロンドン公演はUTADAのセカンド・アルバム『This Is The One』がデジタルリリースされた10ヶ月後というタイミングだった。ただ日本では同アルバムは然程話題にならずチャート1位もとれなかった。そういった背景も手伝ってか日本語圏では『In The Flesh 2010』への参加の機運もあまり盛り上がっていなかったような気がする。何より、日本国内からは基本的にライブチケットを購入する手段がない/あっても非常に難しいという状態だったので、行ける人は運も味方につけなければならなかったりしたんだよね。

その前作の『EXODUS』は日本でミリオンセラーを獲得したが、それは『Easy Breezy』が任天堂のCMで流れまくったということと、ジャケットからしても「宇多田ヒカルの新作」と思われている節がまだまだあったからだ。実際の所の同作への日本のリスナーの思い入れの無さは、『UTADA UNITED 2006』での『Devil Inside』『Kremlin Dusk』『You Make Me Want To Be A Man』3曲への反応の薄さから痛感させられている。『Easy Breezy』をやらなかったあたり気概も感じたけれど。

そんなだったので2009~2010年時点では、「UTADAでの活動は宇多田ヒカルとは別もの」という認識がリスナーの間では広がっていた印象だった。故に余程のコアなファン以外は『In The Flesh 2010』の為に渡航しようとまでは考えないだろうな、と。

もっとも、ツアーが終わってから「行けばよかった」「どうして行かなかったのだろう?」という声が幾つも聞かれたというのはあった。事前に「日本語曲も歌うよ」と一切知らされていなかったのも大きかったかもしれない。何しろ初めての海外公演だったからね、セットリストの予想がつかなかったのよ。

そんな記憶が13年前にあるから、今回のアンケートの結果には目を剥いたのだった。だってこれに答えてくれてる人たちって、日本語圏の宇多田ヒカルファンのうちの極々一部の筈だし、なのに既に100人以上が「海外公演に行く」方に傾いているのだから。13年前って日本からの渡航者100人も居たのかな?そこんとこはよくわかんないけど、流石にこんな割合ではなかっただろう。時代と状況が変わったんだなと痛感せずにはいられなかったのでした。

…話が長くなったので次回もこの続き、かな。

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『俺の彼女』の歌詞の構成について基本的なポイントを復習しておく。何れも当日記では既出事項のはず…だとは思うものの自信がないのでまた書いとこうというね。


まず、この歌は『俺』と『私』の2人の視点から歌われている。そして、『俺』の歌うメロディの方が音程が低く、『私』の歌うメロディの方が音程が高い。ここらへんは『Simple And Clean』と同様だ。

『俺』は『俺』のことを『俺』と呼び、『私』のことを『俺の彼女』と呼ぶ。他の呼び方はしない(美人とか気の利く子とかは言うけど)。更に、ら行の発音が巻き舌である。(例えば『つまらない俺に』を『つまるぁない おるぇに』と歌っている)

『私』は『私』のことを『私』と呼び、『俺』のことを『あなた』と呼ぶ。『女はつらいよ』『強い女』と歌うことから、女性であることがわかる。歌声は高く柔らかい。


以上を纏めると

『俺』
旋律の音程:低い
相手の呼称:『俺の彼女』
性別:不明
歌い方:巻き舌

『私』
旋律の音程:高い
相手の呼称:『あなた』
性別:女性
歌い方:優しい

という感じだろうか。


途中フランス語パートが2回出てくる。私はフランス語をわからないので、解説してくれてるブログを紹介しておく。詳しい人が居るって嬉しいね。
https://payapayapon.hatenablog.com/entry/2018/10/28/010516

で、昔書いたように、ヒカルがこのパートをフランス語で歌っているのは、聴き手に「何を歌っているかわからない」と思わせる効果を狙ってのことだと思うので、わからないならわからないままでいいと思っている。「相手の考えてる事がわからない」というのがこの歌のテーマなので、それを実際にリスナーに体験させるために導入されているパートなのだろう、とね。

そしてこのフランス語パートは、基本のハーモニーがオクターブ、つまり、同じ音程の高いのと低いのの2声で構成されている。他にもバックコーラスがハモる場面は多々ある(『敢えて訊かない』とか『狐と狸の』とか)のだが、低い声と高い声が対等のオクターブ・ユニゾンに聞こえるミックスになっているのはフランス語パートのみである。それは即ち、『俺』と『私』の思いが同じく重なり合っている事の表現なのだろう。つまり、フランス語パートは2人が別々に同じと歌詞を歌っているのだ。まぁ、この解釈には異論があるかもしれないけど。

『俺』の性別が「不明」なのにも異論はあるかもしれないな。『私』の方は『女』という歌詞を二度も出してきているのに、『俺』の方は一度も「男」と歌っていない。低い声、巻き舌、一人称が俺、尊大な態度…確かに「どう考えても男」かもしれないが、「俺っ娘」である可能性はどうしても残るし(というか私が捨て切れないだけかもしれないが)、そしてそうであってもこの歌の歌詞は成り立つ。なので一応『俺』の性別は「不明」にしておく。勿論、個々のリスナーの解釈は自由でいい。『私』も性自認が女性なだけで社会的性や肉体的性が女性ではないかもしれないし、様々な組み合わせを妄想する事が可能だろう。

以上のことを踏まえた上で次回は『Devil Inside』との歌詞の構造の相似と差異についての話をしたいのだけど………次の更新は週明けになる予定なので気が変わってたらすいません。(よくあるねぇこのパターン)

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『Utada Hikaru Single Cillection Vol.2』(以下UHSC2)リリースから13年か。最近当日記では25周年記念日目前と連呼しているけど、13年前の2010年一杯、ちょうどこのUHSC2がリリースされ『WILD LIFE』が催された時点で「第一期・宇多田ヒカル 完」という認識があるリスナーが多いんじゃないだろうか。(完全に蛇足な余談だけどKANの訃報に際して「KANがガンで完か」とかなんとか呟こうかと思ったけど余りにも不謹慎で取り止めたという事が…ホント蛇足だな。素敵なエンターテイナーでした彼は…。)

で、そんな認識がある人にとっては、つまり、第一期は1998年12月~2010年12月の12年間なので(Cubic UやWarning! やSweet&Sourからの人はもうちょい長いけども)、そこから13年が経過したというのは、勿論6年半の活動休止期間があったとはいえ、最初の12年以上の時間が経過しているということになるので、その第一期の活動を相対化してみれる時期になってきたのかなとも思えてくる。

実際、そのUHSC2以降、『Fantôme』『初恋』『BADモード』とオリジナル・アルバムを3枚発表しているので、『Single Collection Vol.1』が『First Love』『Distance』『DEEP RIVER』のオリジナル・アルバム3枚をメインにしていたこと、UHSC2が『ULTRA BLUE』と『HEART STATION』のオリジナル・アルバム2枚と5曲の新録曲で構成されていた事を思い出すと、今はいつ『Single Collection Vol.3』が発表になってもおかしくない時期にまでは来ているといえる。

だが、それぞれの事情を鑑みると、今すぐにUHSC3が実際にリリースされるかというと可能性はそう高くない。UHSC1の時はUTADAの全米デビューで宇多田ヒカル名義の作品が暫くリリースされないという理由があったし、今日発売記念日を迎えているUHSC2はその後無期限休止期間に突入するということで是非もなかった。或いは、新録曲を用意するのが5曲が限界だった為にシングル集という体裁を借りた、という見方も出
来た。

そういった過去の個々の事情を踏まえると、今SC3をリリースする意義は薄い。今夏のプロモ攻勢からしてもまだまだ長期の活動休止に入る兆候はみられない。こどもの養育時期から考えても、そうそう大きな動きがある訳でもないだろう。ヒカルならその気になれば「国境を跨いで転校」とかも可能だろうけれどね。

そうなると、前々からチラチラ触れているように、まだ「初のベスト盤」をリリースする方が可能性はある。25周年だしね。とはいえ、サブスクを聴いてる人にとっては、既存音源のベスト盤なんてプレイリスト配ってくれればいい話なので、フィジカルの充実が目玉にはなるか。安室奈美恵の騒動で、「やっぱりフィジカルで揃えておきたい」と思う人にとってもタイムリーな話になる。

でもなー。『Gold ~また逢う日まで~』までを聴く限り、ここでヒカルの創造性にストップをかける意味ある?というのが本音なところでな。もっと過激派なことを言えば、ツアーを後回しにしてでも新曲制作に没頭して欲しいまで思っちゃう(ここはファンやリスナーの間でも意見の分かれるところだろう)。アルバム『BADモード』も『Gold~』も、「まだまだ走っている途中」という印象をもっている。13年前の今日にCDリリースされた『Goodbye Happiness』や『Can't Wait 'Til Christmas』のように(もうすぐクリスマスですねー)、ある種の到達点に達したと感じさせる完成度からはまだまだ程遠い。創造性が現在進行形に過ぎるので、UHSC3やベスト盤などは、せめてデビュー30周年まで待って貰えないだろうかというのが、日々新曲を楽しみ次の新曲を待ち望む身から出る本音だったりするのです。果たして次の一手は、一体全体何になるんでしょうね?

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自分が『俺の彼女』を『Devil Inside』と関連付けて語りたくなっているのは、偏に『Laughter in the Dark Tour 2018』でのアンコール1曲目で『俺の彼女』が始まる直前の昏く紅いライティングを見た瞬間に『Devil Inside』を想起したからだ。

『Devil Inside』の『Devil』とは、ヒカルの中に(或いは一般化するなら一見天使のように見える女性に)潜む「魔性」の事を指すのだろう、という話だった。魔性─「悪魔のような人を惑わす性質」とは、ヒカルが昔から自らの特技として自覚している事だった。UTADAとしての全米デビューを告げるこの曲でヒカルは自らの本性をストレートにぶつけてきていたのだ。

そこにある女性ならではのあやしさ─ここは「妖しさ」と書くべきだろうね─を引き継いでいる事、それをアンコールでの『俺の彼女』の照明効果が指し示していた。

『俺の彼女』のライブ・アレンジは、当時のライブレポでも書いたことだが、バックを固める手練れ達の平均年齢の高さを表すように20世紀のロック・クラシックスたるLED ZEPPELINの“Dazed And Confused”のイメージをベースにしたものだった。邦題表記にするなら〔レッド・ツェッペリンの「幻惑されて」〕という風に書けるだろうか…という所でふと気がついた。この“Dazed And Confused”の邦題「幻惑されて」ってつまり「幻で惑わす」…「幻」はフランス語で「Fantôme」だよね…あぁつまり、「俺の彼女」が収録されているアルバムのタイトルと、ヒカルの従来からの特技「惑わすこと」を組み合わせたものになってるのか…

…なんて風な思考、もちろん実際にはこの世のどこにもなかっただろう。私が勝手に連想を繋げただけである。しかし、この「連想が繋がる」という事実がいちばん重要なのではないか。ライティングといい、歌詞の構造といい、歌われるテーマといい…そういや2曲ともアルバムの2トラックめだしな(2曲目、とはあんまり言えないけどもね)。抽象的なレベルでの感覚が繋がり合う事で、宇多田ヒカルに内在する性質なり特徴なりを抽出して表現し、よりヒカルのことを深く知る端緒としていけるのだ。これ以上に重要なこともそうそうないだろう。

着想とは異質なもの同士を繋げること。例えば今週のここの日記を読んで、もしかしたら『Devil Inside』と『俺の彼女』を(生まれて初めて!)並べて聴いてみてくれた人も在るかもしれない。掛け値無しに有難い。それこそが新しい着想との出会いがもたらしてくれる喜びである、はずだ。たしかそんなはず。(そこは自信持てよ)

そして、もし更に余裕があるのならこの2曲のそれぞれライブ・バージョンで比較をしてみて欲しいのだ。より互いの相似点が際立はずだから。こちらは、確かに確かだよ!(笑)

ご存知のように『Devil Inside』は『UTADA UNITED 2006』DVDと『In The Flesh 2010』配信版で、『俺の彼女』は『Laughter in the Dark Tour 2018』DVD/Blu-ray/Netflixでそれぞれ聴く/観る事が出来るのだが…ディスクの入れ替えとか面倒だよねぇ…そう、こんな時に昔のライブが音源としてサブスクストリーミングされてたら2曲並べたプレイリストを作って広められるのに! みんな気軽に聴き較べが出来るのに! なんとも、もったいないなぁ。

余談になるが、改めて、昨年『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』がリリースされたのは画期的だったなと思わざるを得ないわね。今後もヒカルのライブが音源化されてサブスクでも聴けるようになっていって欲しいわねっ。そうすりゃこういう日記ももっと書き易くなるってものですわ。

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豪快に寝過ごした。
気づいたら朝。気を取り直して。


次に話題に出そうとしていた『俺の彼女』は、5年前の全国ツアー『Laughter In The Dark Tour 2018』の(…と、毎回一応全国ツアーって書いてるけど、最北埼玉最東端千葉最西端福岡って、日本列島の半分も巡ってないよね…特に東北・北海道の人達からしたら「どういうことやねん」てなるよな。九州だって福岡だけだと遠過ぎる人ばかりだろうし…)アンコールに歌われた楽曲である。この位置付けは凄まじい。2006年以来12年振りの日本ツアーで、しかもその間6年半商業音楽活動停止中で、戻ってきてからのコンサートのアンコールですよ。実際、その後に続いたアンコールはデビュー曲にして宇多田ヒカル唯一のダブルミリオンシングル曲『Automatic』と、人間活動突入前最後のビデオ制作曲にして『WILD LIFE』のオープニング曲『Goodnye Happiness』であった。完全なる節目曲2曲。この2曲に先んじての『俺の彼女』。とんでもない重責である。

確かに選曲したのはなりくんなのだろう。だが、最終的にその選曲に同意して採用したのはヒカル自身なのだ。『俺の彼女』にそれだけ自信があった事が窺える。

この曲は、もう7年前リリースの曲だが、確かにヒカルの“芯”となる部分が表現された楽曲だ。基本的な歌詞は「男女の心のすれ違い」を描いているが、これは例えば2002~2003年発表の『Simple And Clean』の歌詞と共通するテーマだ。同曲の日本語バージョンは言わずとしれた自らの名を冠した『光』だよね。

また、前回共通点があると示唆した『Devil Inside』はUTADAの全米デビュー曲。宇多田ヒカルにとっては『Automatic』にあたる、自己紹介を兼ねたポジションにある重要楽曲なのだ。

そういった「顔」としての側面をもつ楽曲たちと同じ方向性を持つ世界観。繰り返すが、しかし、『俺の彼女』は、『Fantôme』発売前後に特に役割を与えられなかった。『花束を君に』&『真夏の通り雨』のような復帰を飾る名曲でもなく、『道』のようにアルバムのリーダートラックとして大量にオンエアされるでもなく(Amazon MP3ランキング年間3位だっけか)、また『2時間だけのバカンス』のように話題性抜群のミュージック・ビデオが作られるでもなく、『人魚』のように美術館で流れるでもなし。ノーシングルカット&ノータイアップの、所謂「アルバムの中の1曲」に過ぎなかったのだ。

その、そこまでの扱いに対して、「コンサートのアンコール1曲目」のポジションは、総てを払拭するまでにはいかないものの、それなりのインパクトがあったのは間違いない。『Laughter in the Dark Tour 2018』はNetflixでも観られる為、かなりの人が視聴しているだろう。何割の人がアンコールにまで辿り着いてるかは知らないけども。

だが、かといって、では次のツアーでも歌われるまでの知名度なり期待なりを集めているかというと、そこまで行ってないかなぁというのが正直なところ。あの圧倒的な存在感をナマで体験できる事は今後あるのだろうか? もっとコンサートの頻度が高ければ有り得るのだろうけども、その後も2枚のとんでもないオリジナル・アルバムを立て続けに追加されてしまった為コンサートの選曲はより狭き門になってしまった。いつかまた観れたら、いいんだけどねぇ。

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先週からの続きで『Devil Inside』の歌詞のお話。今回はサビ。

『悪魔(あるいはそれに似た何か)が中に潜んでいるのかも
 悪魔(あるいはそれに似た何か)が私の中に潜んでいるのかも
 悪魔(あるいはそれに似た何か)が中に
 私の心のどこかずっと奥底に悪魔が潜んでいるのかも
 私の中の悪魔
 私の心の奥底に潜む嫉妬深い天使』

ちょっと煩雑なので一旦括弧書きを省略してみる。

『悪魔が中に潜んでいるのかも
 悪魔が私の中に潜んでいるのかも
 悪魔が中に
 私の心のどこかずっと奥底に悪魔が潜んでいるのかも
 私の中の悪魔
 私の心の奥底に潜む嫉妬深い天使』

これで少しばかりスッキリしたかな。

でもここでのキモは、その省略した部分にあったりする。『(あるいはそれに似た何か)』即ち「悪魔っぽい何か」。シンプルに日本語で言えば「魔性」ってヤツになる。「魔性の女」っていう言い回しに出てくる魔性ね。goo辞書を引くとこうある。

「魔性:悪魔のような、人を惑わす性質。」

長いファンはピンと来たかもしれない。そう、昔のヒカルのプロフィールには

「特技:惑わすこと」

とハッキリ書いてあったのだ。元々ヒカルの持っている魔性の性質を、ここでは『私の中の悪魔』=『Devil Inside』と称している訳である。みんなにいい子ちゃんにみられてる女の子が内に秘めるそんな危うい感情。当時21歳だった事を慮ると「小悪魔的」とでも形容していいかとも思うが同時に人妻でもあったからここは評価が別れるか?(…どうでもいい懊悩だな)

で、「っぽい何か」という捉え方についてはサビの最後ですぐさま伏線回収されている。

『私の中の悪魔
 私の心の奥底に潜む嫉妬深い天使』

そう、『私の中の悪魔』=『私の心の嫉妬深い天使』なのだ。悪魔っぽい何かは天使なのである。

ここの入れ子構造がこの歌の歌詞の主旨だ。冒頭で

『誰もが私を天使にしたがる』

と外面が天使である事を示唆しつつ

『私の中の悪魔』

と内面に魔性を持っている事を告白。しかしそこから更に心の奥底まで踏み入れると

『私の心の奥底に潜む嫉妬深い天使』

が現れてくるという

〔 天使(悪魔(天使))〕

な二重の入れ子構造。なんだか

『よいしょっと』
『よいしょっとPart2』

の連作を思い出してしまうわね。ヒカルがくまちゃんの着ぐるみを脱いだらくまちゃんがヒカルの着ぐるみを脱ぐという、二コマ漫画。

https://twilog.togetter.com/utadahikaru/date-101103/asc
https://twitpic.com/33inrz
https://twitpic.com/33j1z2

恐らく、こういった「二重の入れ子構造」がヒカルの心象風景の基本なのだろう。その代表格であるこの英語詞の『Devil Inside』と同様の構造を更に発展させた日本語曲が『俺の彼女』で…という話は長くなるからまた稿を改めて、ということでひとつ宜しく御願い致します。

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『One Last Kiss』のダウンロード販売数が日本レコード協会にプラチナ認定されたそうな。25万DL。実にめでたい。

なかなか昨今ダウンロード数というのもどこらへんに基準があるのかわからないんで評価が難しいのだが、サブスクがメイン層だろうYOASOBIの、4月に発売された「アイドル」が6月次にプラチナ認定されてその後まだダブルプラチナ認定(50万DL)はない、と言えばこれはかなりの数字なんじゃないかと推測がつくんでないかな。今年一番の曲だしね、「アイドル」って。

『One Last Kiss』はYouTubeでも『Flavor Of Life』や『Automatic』をぶっちぎって、これまたこの度この週末にSpotifyで1億回再生を達成した宇多田ヒカル最多再生楽曲『First Love』の再生回数にグングン迫っている。このペースでいくと『One Last Kiss』と『First Love』、一体どちらが先にYouTube単独での1億回再生に到達するのか、ちょっとわからない。昨年末のドラマ『First Love 初恋』によるブーストとか、新しい要因が今後も加わってきたりするかもしれないしね。

なお現在の再生回数は『First Love』が8年弱で約9515万回、『One Last Kiss』が2年と8ヶ月程で約8122万回だそうな。果たして今後それぞれどんな曲線を描くのやらですね。


いやはや、それにしても物凄い楽曲に成長したもんだね『One Last Kiss』も。勿論シン・エヴァの影響はバカでかいが、肝心の(YouTubeで)再生されてるMVにはエヴァのアニメは1枚も差し挟まれていないのだ。完全なる宇多田ヒカルのプロモーション・ビデオになっている。『Beautiful World』はアニメてんこ盛りなのにねぇ。なのでアニメ目当ての再生回数なんて殆どないだろうに、この数字。曲と宇多田ヒカルが愛されてると結論していいと思うわ。

2007年に『Flavor Of Life』が大ヒットして、短期間ではあるがダウンロード数の世界記録に到達したときも驚いたけど、この『One Last Kiss』の躍進もまた驚愕の事態だわね。もし来年ライブ・コンサートが開催されるなら、必ずや歌われる事だろう。たとえワールド・ツアーであってもね。

で、そんときに多分エヴァの曲をまとめて歌うんじゃないか?ってのは今までこの日記でも何度か語ってきた話で。そうなってくると、映像効果についてちょっと考えちゃうのよね。上述の通り『Beautiful World』はアニメMVで、『桜流し』の本MVはエヴァもヒカルも出てこない。で、『One Last Kiss』は宇多田ヒカル尽くし。バラバラなのよ。このビジュアルイメージをステージの上で統一的に演出してくる気がしてるわけです。

例えば『Beautiful Wold』についてだけど、昨年の『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』で披露されたのは『(Da Capo Version)』で、次は恐らく『Passion』のようにまた違ったメタモルフォーゼを見せてくれるだろう─というサウンド面での話は何度かしてきたけれど、この感じ、もしかしたら視覚面でもそのミュージック・ビデオをステージ上で使ってくるんじゃないかとか考えちゃう訳です。一方で『One Last Kiss』の宇多田尽くしMVのイメージとエヴァのイメージも繋がって(監督同じ人だからね)、更にそこからステージ上の現実のヒカルとコラボレーションを…っていう風に、何しろすぐそこに本人が居るんだから演出のパターンは幾つも考えつくんですよ…って、その話を今回するのは流石に話が逸れ過ぎ、かな? ということで、とまれ今回は『One Last Kiss』が音源のみのダウンロード数でプラチナ達成でございます。あらためておめでとうさんでした☆

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まずはひとつめ、「#Hikki_Survey」。Twitterの宇多田共和国アカウント @hikkicom にてアンケート実施中です。まだ見てな方は↓こちらから。

https://twitter.com/hikkicom/status/1725853853491544403

https://twitter.com/hikkicom/status/1726220363577839698

X氏が順調にTwitterの内部破壊を推し進めているのでTwitterももう長くないかな~というのと、いつアンケート機能が有料になるかわかったもんじゃないので今のうちにということで、個人的に興味のあるアンケートを実施してみようかなと。自分のアカウントがあるのに共和国アカウントを使うのはフォロワーさんの数が多いからで。えぇ、公私混同ってやつですね。

とはいえ、実務上の都合もあったりするんです。昨日は試みに10年前の『Kuma Power Hour』のオンエアリストをサブスクで作ってみたのだが、それに際して「はて?どのサブスクでリンクを貼るのがいいのやら?」と悩んでしまい。結局SpotifyとAppleの2種類をツイートしたのだが、「こんなん面倒だなぁ」という本音は拭えず。だったら今度からはユーザーの多い方の1種類に絞ろうかなという事で皆さんのサブスクをアンケートさせて貰ってたりします。それが決まれば次からはちゃんとプレイリストを公開したいわ。流石に10曲直リンは我ながら使いづらい。

https://twitter.com/hikkicom/status/1726357178724892920

ほいでですね、普段のいいねの付き方から推察してそれぞれのアンケートは3日間、72時間の期間を設けてみた訳だけど、そのサブスクアンケ、目下の所SpotifyとAppleがめっちゃ競ってて「あわわわわわ」と慌ててるとこです今。今後もプレイリストを2種類作らないといけないのかな~…。

と、いう感じで既にかなり楽しまさせてうただいてます♪ アンケートに協力してくれてる皆様どうもありがとうm(_ _)m


そしてもうひとつの方。「 #宇多田共和国に聞け 」というハッシュタグを提案してみました。

https://twitter.com/hikkicom/status/1726043688584032668

界隈きってのアイデアパーソン様からのこのご提案、めっちゃ渡りに船でしたわ。というのも最近、Google検索がかなりポンコツなんですよ。昔の記事が全然ヒットしない。なので最近は「Twitterでそのトピックに詳しい人を検索してその人の昔のブログ等を覗きに行く」ことで20年前とかの話を検索する事が増えまして。非常に難儀しておりますのです。

んじゃあこれ、逆からみたら、最近ヒカルのファンになった人が「この曲がリリースされた頃の状況はどうだったのだろう?」と疑問に思ってGoogle検索しても、なぁんにもヒットしないという結果になりかねないのでは?という危惧が生まれてましてですね。だったらその頃を知る私やら誰やらにTwitterで直接訊いてくれた方が早いんじゃね?というアイデアに、結び付いたのですよ。

これまた、Twitterがいつ無くなるかもわからないので、稼働してるうちに、人が居るうちにということで。もう最近ビュー稼ぎだかのイナゴツイートが増えちゃって荒れ地みたいになってるからねTwitter。人が居なくなるのも時間の問題みたいになってる。まぁ未来はわかんないけどね。

ということで、新しくできた

「Hikkiアンケート#Hikki_Survey 」



「 #宇多田共和国に聞け 」

の二つのハッシュタグをどうぞよろしくお願い致します~m(_ _)m

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前回の話の続きをしたかったんだが、事態が動き出す前に触れておきたい話題が転がってきたので敢えて取り上げる。安室奈美恵の楽曲が各サブスクとYouTubeから予告なく削除されたそうな。


一部報道では「契約の見直しと重複の削除」が理由と報じられているが現況と整合しない為それが総てではないだろう。週明けとか月末とか年末とかでまた事態は急変するかもしれない。引き続き注視する必要がある。このまま消え去ったらそれはそれで凄いことだが。


んで。そこでふと気になったのは、歌手の名義だけで楽曲ってまとめて引き上げられるのだろうか?という点。作詞作編曲ははおろかプロデュースまで手掛けてしまうヒカルパイセンに慣れ切っているから感覚を整理し直さないといけないが、安室ちゃんて「歌ってるだけ」の曲も随分あるよね? ライブなら踊りもするだろうけど、音源上ではさ。

そういったものまで、作詞作曲の人やプロデューサーの意向を飛び越えて歌手の人(の側の誰か)の意向でサブスクから(一時的なものかもしれないとはいえ)音源が消えるということは…宇多田ヒカル関連でも色々気をつけておいた方がよさそうってこと?

…すっとすぐ私が思いついちゃったのが、なりくんなのだよなぁ。彼の性格からすると、いつサブスクから音源引き上げるかわかったもんじゃないもの。いや勿論、正気の時の彼ならサブスク万歳だろうけどねぇ。なので、ヒカルパイセンが参加してる彼の作品はCDで買い揃えておいた方がいいかもしれないな、と私などは思ったのでありました。

サブスク引き上げ自体は今も昔も珍しいことではない。それがあってもなくてもどちらにせよヒカルパイセンのCDは総て…いや、オートマのジャケ違いとか持ってないか…、訂正、概ね買ってるから宇多田ヒカル名義&UTADA名義については困らない。寧ろ、どこかにゲストで行った時とかの音源についての方がより心配しなきゃいけないかな?

例えばくずの「風が吹いてる」にはヒカルがバックコーラスで参加しているが、例の反社騒動のときとかヒヤヒヤしたもんね。今でも何事もなくサブスクで聴けるけど、ここらへんの音源はCDや著作権フリー(DRMフリー)の音源で持っておいた方がよさそう、ってことかな。

勿論私は、歌手の経歴で音源が取り下げられるのを嫌がる人だ。槇原敬之の『traveling』が今でも無事にストリーミングされていてホッとしている。なのでそんな事態が起こらない事を常々願っているが、それと対策をとるかどうかとは別問題。火災保険に入っている人は火事が起こらない事を願っているのだ。(何を当たり前のことをどや顔で言っているのやら)

昨今はクレジットカード会社リスクなんかもある。なんでおのれが検閲するんやと不機嫌になってる私。Apple Musicだってラジオでは『BADモード』の歌詞を消して流してた。どこから何が起こって昨日まで聴けていた歌が今日聴けなくなるかわかったもんじゃない。特に、ヒカルのゲスト出演ものは盲点になりがちな上宇多田ヒカル名義のものより種々のリスクが高かったりするかもしれないので、気がついたときにCDやダウンロードを購入するなりレンタルしてリッピングするなり(個人で楽しむ分には構わない)して「自衛措置」を講じた方がいいなぁと、今回の安室ちゃん騒動を横目に見ながら再確認したのでありましたとさ。くわばらくわばら、である。

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