無意識日記
宇多田光 word:i_
 



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こんな年の瀬にシンエヴァの新情報が来るとはね。昨日エヴァの話をしたところだったので心構えは出来ていたが、それでも意表を突かれたわ。そろそろ来るだろうと思って話をしたのではなく『桜流し』DVDシングルの発売記念日だったからってだけなんだもの。

で。シンエヴァの公開日が発表になった。2020年6月27日。そう、きっちり今日から半年後の公開。そういうことである。

この日付を目にした瞬間頭に思い浮かんだのは「『Beautiful World PLANiTb Acoustica Mix』の発売日の日付」という点だった。それ即ちエヴァ破の公開日なのだが、自分にとってはヒカルの曲の発売日だったのだ。

そんな自分にちょっとガッカリした。

というのも、それは、自分の中で「新世紀エヴァンゲリオン」という作品に対する熱量が昔程ではないという事を意味しているからだ。

旧劇版、と言っていいかはわからないが最初のエヴァがテレビで放送されたのが1995年のこと。自分は深夜の再放送で初めて通して観たので1997年だ。それから22年経った。まだその頃はヒカルはデビューしていない。漫画「ワンピース」の連載が始まった年である。あの頃と変わらず、いやあの頃以上に明日発売になるその「ワンピース」の最新95巻を読むのが待ち遠しいので趣味が子供っぽいまま成長していないのは明らかだ。が、エヴァに対する期待度みたいなのは昔程でもない、という。趣味は変わっていないのに。

確かに、自分は【今日は何の日宇多田ヒカル】中毒なので何の日付をみてもヒカルと関連付ける癖がついてはいるが、それでもやっぱり、6月27日と聞いて先にエヴァ破の公開日を思い浮かべなかったということは、つまり、シンエヴァに対しても、映画本編より「ヒカルの新曲が聴ける」ことに重点が置かれていて、作品自体への興味が薄いんだなぁと自覚することになってしまった。

先述したように、エヴァにはヒカルのデビュー前から触れているし、この世代のヲタクは好き嫌いに関わらず何らかの接触はあったので、思い出深い作品という事はあるが、現在進行形で興味があるのではないのだろうなと。確かに来年期待するアニメといえばまず「ヴァイオレットエヴァーガーデン」劇場版に「小林さんちのメイドラゴン」2期&恐らく劇場版、そして「とある科学の超電磁砲」3期、みたいな感じでなかなかシンエヴァが出てこなかったんだよな。

序も破もQも随分楽しませて貰ったのになんてこった。ヒカルの曲のミュージック・ビデオみたいに捉えていたとは。ちょっと自覚が足りませんでした。うーん、これが半年後全く違うテンションになっているのかな。楽しみなような、やっぱり期待してないような? ヒカルがどんな評価を下すのかも気になるし。自分の微妙な感情に戸惑った一日でしたとさ。

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1月3日の「マツコの知らない世界」出演に関して、

@utadahikaru : 放送が楽しみ恥ずかし恐ろしでドキドキです


なんだそうな。恥ずかしいのにわざわざ自分の出た番組のツイートをするのは、やっぱり告知絡みなのと勘繰りたくなる。楽しみなのは本編より寧ろそっちという訳だ。恐ろしいのはきっと「これはカットされるだろう」と思ってぶっちゃけた話がオンエアに乗ってやしないだろうなぁという危惧か。まぁ昔からそういうのあんまり気にしていないけどな。HEY!×3のことMステって言ったりメインスポンサーの商品を好きじゃないと言ったりやりたい放題だからね。生放送でなくてよかったねぇ。

9年前のツイートを読むとTwitterが当初「期間限定」を謳っていた事を思い出す。つまりそこから9年が経過した訳だ。ダラダラ引き伸ばすのは好みではないけれどこれに関してはもうぐっちょぶと言わざるを得まい。最早辞める辞めないじゃないよね。

で、忘れられがちだが今夜NHKの井上陽水を特集した番組にインタビューコメント出演するそうな。74分の番組だっけ? それくらいの長さのNHK特番でコメント出演するとなると、構成上「Hikkiのインタビューのコーナー」が独立に設けられるか、或いは何度かに分けてところどころ使われるか、判断が難しい。コメント出演は5人だというし微妙な人数なのだ。

今言いたいのは、一度画面にヒカルが出たからといって「あーHikki終わった」と思ってチャンネルを変えてしまわないことだ。あたしが番組構成担当なら5人全員を74分間に鏤めてそれぞれのファンがチャンネルを変えないようにするもんね。はてさて、どうなっているやら。

って警戒してて、15秒だけ出てそれっきり、なんてことになったら肩透かしなんすけどね。こればっかりは文句を言っても仕方がないわね。

そもそもヒカルは井上陽水にそんなに思い入れがあるのやら? お母さんと同期のミュージシャンが今でも現役で活動しているのは勇気づけられもしようが、ヒカルは陽水から慕われる立場でもある。どういう立ち位置で話せばいいのやら。

5人のコメント出演、他は玉置浩二に松任谷由実、奥田民生にリリーフランキーだそうな。玉置浩二や松任谷由実は同じ時代を生きてきた同輩だから話すことはいくらでもあるだろう。奥田民生はPUFFYの曲を共作したり「ありがとう」を一緒に歌ったりと後輩ながら昔から非常に仲が良い。リリーフランキーも同郷の後輩として長年可愛がられている。ヒカルがいちばん陽水との関係が薄い。やりづれぇ(笑)。

そこらへんも注目しながら特番を観るといいですよっと。少し夜更かししなくっちゃね。

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あらー『桜流し』のDVDシングルから7年も経つのね。

二つポイントがある。
・フィジカルで出たこと。
・エヴァ。

当初はこれが最後のフィジカルシングルになるかなーとか言ってたんだけど今年『Face My Fears』のCDシングルが出た。あれま。

これは、ゲームの流通の方でも取り扱って貰えるというか、ゲームグッズの一環として発売されたというのが見立てだったか。ジャケットも野村哲也の描き下ろしでね。

『桜流し』のジャケットも、貞本義行の描き下ろしだった。こちらも、エヴァンゲリオンというアニメ映画作品関連のグッズという意識があったのだろう。

DVDシングルとCDシングル、アニメ映画作品とゲーム作品という違いはあれど、それぞれどちらも、ヒカルを描いたイラストレーションのジャケットを通して似たコンセプトで制作された商品だったということができる。

来年遂にシンエヴァが公開になる。仮に主題歌があるならば、それは100%宇多田ヒカルが歌っているだろう事に疑いを挟むのは難しい。となれば、今回もグッズの一環としてその曲のフィジカルが発売されるだろう。

では今回はどんな仕様になるだろうか。『Face My Fears』がCDシングルとアナログシングルの二形態で発売された。この路線が継続される可能性は結構ありそうだ。またもや貞本義行によるヒカルのイラストレーションのジャケットが、今度はアナログのでかいサイズで手に入る。なかなかにいいのではないか。

更に、ミュージック・ビデオのタイミングである。7年前の『桜流し』のDVDシングルに収録された映像は河瀬直美の作品で、エヴァとは直接関係が無かった。エヴァの映像と絡めた『桜流し』の動画はそれから随分経ってからの登場だった。

今回のシンエヴァはエヴァQと異なり、初めからヒカルの曲にエヴァの映像を合わせたミュージック・ビデオが登場するかもしれない。ここでヒカルのスタンスが問題になる。

宇多田ヒカルが新曲を発表するからには、タイアップがあってもなくても、自立し独立した世界を描けるものでなければならないだろう。それがミュージシャンとしての、アーティストとしての表現に対する責任である。

だが、ご存知のように、12年前のエヴァ序の『Beautiful World』以来、ヒカルは他のタイアップとは一線を画し、エヴァに対してだけはかなり作品に寄せた曲作りをしてきている。タイアップとの“存在の融合を厭わない”のだエヴァに限っては。そこが他のケースとは異なる。

故に最初からアニメ映像を駆使したミュージック・ビデオが発表・発売になる可能性も幾らかは考えておいていいかもしれない。勿論、映像がとても間に合わないという可能性の方が存分に高いのだけれど。

果たして、楽曲と映画と映像とが、どのような順序で、どのような絡み合い方で発表されていくか。これが来年の目玉のひとつになるのではないだろうか。もし最初っからアニメ映像を駆使したミュージック・ビデオがリリースされるとしたら、かなりの話題になるだろう。リリースのタイミングによっては、本編アニメ作品のBlue-rayより早い時期になるかもしれず、そうなるとエヴァファンの食いつき方が違うだろうがそれだけに実現は難しいだろう。レコード会社の持つ音源に関する権利と、アニメスタジオが持つ映像の権利と……なんて考え始めたら特にね。

いずれにせよ、来年、エヴァ序から始まって13年、宇多田ヒカルとエヴァンゲリオンのコラボレーションは遂に終結を迎える。生きてこれに立ち会えるのは僥倖だ。ひとまず皆さん、年末年始も健康第一安全第一で過ごしましょうね。

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へー昨夜のメリクリツイート、14万いいねか。これだけバズったのは2月の『歌姫ってなんなん』以来だな。クリスマスツイートなんて当日限りのものだろうから瞬発力では今年一番だったってことね。─つくづく、変なの!(笑)


21年前を振り返れば、当時はそもそもWebで自分の言葉で発信するアーティスト自体が珍しく。TwitterやFacebookはおろか、blogもまだなかったからね。Instagramなんて以ての外。あんなん表示させるだけで何十分もかかるよ。ダイヤルアップだったんだもの。勿論携帯電話でも画像表示できる機種は限られていて、基本テキストのみでありました。今は昔。

そんなだったから当時の宇多田ヒカルさんは注目度ナンバーワンも相俟って、日々スポーツ紙では『Message from Hikki』が記事になってた。「書いてあるの引き写すだけとか随分安直な記事だな」とか思ってたんだけど、今やそれが主流というか普通というか。そろそろ有名人のSNS注目発信を纏めたニュースサイトが出来てもいいんじゃないのとすら思う程。

相対的にはヒカルへの注目度は下がっているし自分の言葉で発信する人は有名無名に限らず山程いらっしゃってくれるので今は日々消費される中でそれとなく過ごして居ればいい程度なんだけど、それでも大したことないメリクリツイートがバズるというのは潜在的な注目度というか知名度に相当なものが残っていると推察され。今でもなんかやったら20年前の喧騒をまた呼び起こせるポテンシャルはあるのかもしんないね。

既にファンになってしまった人間としては騒ぐのはほどほどにしといて貰って新しい曲なり何なりをじっくり味わわせて貰えればそれでいいのだしヒカルを煩わせたりするのは極力避けて欲しいなーなんてワガママも言いたくなるのですが、それのお陰で新しくファンになってくれる若い人たちが現れてもくれるので痛し痒しといったところ。どうしたって種々の醜聞と隣合わせに取り上げられてしまうのでげいのうじんの一味と思われてしまいそうなんですが、そこは常に歌う事で挽回していくしかないでしょーね。

出来るなら年明け早々に新曲を発表してうただいてそれに関するツイートがバズってくれるのがいちばん有難いんですが、仕事関連のツイートってどーしても反応が薄くなっちゃうのよね。ほんと遣る瀬無いぜっ!

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@utadahikaru : 友だちからの「イブはどうお過ごし?」というテキストに「飲みながら作業してたらコップ倒してマックとHDにお酒ぶちまけて今大慌てで拭いてた」と返信したら「そっかいつも通りだね」と返される私から皆さんにメリークリスマーース


***** *****


新曲の作業なのかなーだとしたら嬉しいなーという訳でメリークリスマス。

あたしゃヒカルなどとは較べ物にならない位にドジだが、いやだからこそ昔からPCと同じテーブルに飲食物を置かないのは徹底している。なのでぶちまけたことはない。ヒカルは自分がドジだとは思っていないのではないか。

これは古典的な問題だ。天然の人は自らを天然だとは認めない、ってヤツね。認めた瞬間に天然ではなくなる。

ヒカルさんのドジは天然なのだろうか人工なのだろうか。9年前のクリスマスイブもカニを見てイカと叫んでいるし筋金入りなのだろうか。考えない方が幸せかな?


自己プロデュースって難しい。ヒカルがどれだけ自分を客観的に見れているかの試金石といえば9年前の『Goodbye Happiness』のPVだった。監督として宇多田ヒカルという素材をどう見せればよいか、過去のどの映像監督より熟知していた。

兆候はあったのだ。2006年以降『Message from Hikki』に画像が投稿できるようになった。やがてアップされ始めた自画撮りがやたらかわいかったのだ。デビュー以来ヒカルの魅力をよくわかっていないフォトセッションが繰り返される度に歯痒い思いをしてきていたのだが、これぞ灯台下暗し、本人がいちばんの適任だったというね。

コンスタントにミュージック・ビデオの監督やフォトセッションのディレクションなどを務めるのは労力的に無理がある。八面六臂どころか千手観音と言いたくならぁ。勿論ヒカルに全部やって貰えれば総てが素晴らしいものになるだろうがその分の労力を作曲に当ててくれた方が幸せの総量は大きいだろう。『This Is The One』メソッドである。トラック・メイキングはヒカルがやった方がいいかもしれないが、それなりの出来でもOKにすればヒカルが作詞作曲に注力できる総量が増す。そこのバランスなのである。


今日のツイートは「友だちからワーカホリック&アタフタワーカーだと常々思われている事」を表してはいるが、同時に、そんな自分を伝えると喜ばれるという自己プロデュース視点がしっかりとそこにはある。作業段階がミキシングとかマスタリングとか、プロデューサー・プロセスに入ってるのかもしれない。だとしたら次の曲は2月下旬リリースだよね。先走り過ぎですが、やっぱりそこは期待しておきたい。

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『WILD LIFE』での棒読みの『もうすぐクリスマスですね』が懐かしい。本人に拘りがなくとも、冬の季節に『Can't Wait 'til Christmas』を生歌で聴かせて貰えたのは、自分のようなとぼけた人間でも感動した。

棒読み加減がヒカルのこの季節に対するスタンスを強調している。やれクリスマスツリーは出しっぱなしだケーキは大嫌いだと言っているが、大体母親の影響だわな。歌の芸風上クリスマスと関係ない仕事をしてることが多かったんじゃなかろうか藤圭子。更に年末は紅白歌合戦とレコード大賞があった訳で。権威の失墜した令和の時代には忘れ去られているかもしれないが、紅白歌合戦はピーク時には視聴率が80%を超える番組だったという。誤植ではない。はちじゅっぱーせんと、だ。

そういうお化け番組に出れるか出れないかでやきもきする現役時代を過ごした藤圭子が、ヒカルが生まれた後も毎年紅白歌合戦に対して複雑な思いを抱いていたとしても何ら不思議ではなく。家では一切観ない、という施策をとっていたのかもしれない。そうなるとヒカルも紅白に対して思い入れがなく、いや、どちらかといえば母を惑わせ続けた番組に怨みに近い感情を持っていたかもわからない。だとすればつくづく、3年前に『花束を君に』で出場した回はレアであったといえる。

これも、もしかしたら、母親が亡くなった事で状況を相対化できたからだったのかもしれないね。1回出てみてもいいかな、と。朝ドラ主題歌を担当したからといって必ず紅白に出なくてはいけない訳では無いのは今年のスピッツをみれば明らかで。ヒカルが出てもいいと思ったから出たのだろう。まぁ、それっきりなんだけどね。

今でも紅白は40%前後の視聴率をとるので、新しいパブリック・イメージを植え付けるには最適の番組なのだが、その為だけに延々リハーサルに付き合わされてうんざりするくらいなら年末年始リフレッシュしてくれた方がありがたいやね。あとは変なもん食ってお腹を壊さないように、てとこだなっ!

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あぁそうそう、来年の展望の話もし始めるんだったか。

結局今年のヒカルは、コンスタントなアウトプットはあったものの、そう活発に動いていた訳ではない。となると来年期待されるのはニューアルバムということになるが、そんなに早く出せるのだろうか。


1stアルバム『First Love』はシングル『Automatic /time will tell』がリリースされてから3ヶ月後の発売だった。まぁこれはアルバムありきで先行シングルが2枚という構図。2ndアルバム『Distance』は『Addicted To You』から16ヶ月後、『DEEP RIVER』は『FINAL DISTANCE』から11ヶ月後、『ULTRA BLUE』は『COLORS』からなら41ヶ月後、『誰かの願いが叶うころ』からなら26ヶ月後、『Be My Last』からなら9ヶ月後である。『HEART STATION』は『ぼくはくま』から16ヶ月後だ。

復帰後、『Fantome』は『桜流し』からなら46ヶ月後、『花束を君に』『真夏の通り雨』からなら5ヶ月後である。『初恋』は『大空で抱きしめて』から約12ヶ月後のリリースとなった。


これらを概観してわかる事は、最初のシングルから何ヶ月でフルアルバムが出るかは結局「わからない」ということだ。あんまりにもバラバラ過ぎるぜ。

目下の最新シングル『Face My Fears』のリリースからはや11ヶ月が経っている。『少年時代』や「浪漫と算盤 TYO Ver.」などが収録される可能性はゼロではないが他社だし期待しない方がいい。果たしていつアルバムが完成するのか、やっぱりさっぱりわからない。来年内に出たりしたら凄いのだが。今年ヒカルがどれくらい曲作りをしていたか。もともと基本的にストックしない、「やり始めたら意地でもその曲を必ず完成させる」と公言している人なので、リリースが(11ヶ月間)なかったのだから作ってなかったと解釈すべきだろうが、果たしてどうなのだろうね。年明け一発目に何か発表があったりしたら幸先良くて嬉しいねぇ。

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あぁ、これ9年も前のツイートなのか。

@utadahikaru : 見たことないような立派なカニを前にして、「わ〜!!すごいイカ!!!」と叫んでしまいました クリスマスイヴぼんじゅーる(*´(エ)`)ノ posted at 2010/12/24/12:58:51


どうして貴女はこうまで優しいのか。特に意図はないのだろうけど、これを読んで妙に元気が出てきたのを思い出し、今も読み返して元気が少しだけ出ている。これがクリスマスイブの挨拶だなんてね。

ヒカルはカッコイイところからドジだったり天然だったりなところまで自在にキャラを出し入れ出来るから強い。作ってなくともその都度どの部分を発信するかくらいなら自然に調節出来る。イカとタコなら間違えてもカニとは間違えないだろうよ……と思いそうだけど、言葉を音で覚えてると「カ」の一文字に引っ張られる事は十二分に有り得る。


さて前からの続き。『称賛を信じるなら、酷評もまた信じなきゃいけない。』─又吉対談を読んでいてハッと気付かされた一文だ。ヒカルは徹底して正負に偏見がないな。それは今まで見てきた通りだけどそれ故に選択は殻に閉じ籠るか思い切って晒すかの二択になる。

『夢も現実も目を閉じれば同じ』
『ウソもホントウも口を閉じれば同じ』

『ウソもホントウも君がいるなら同じ』
『ウソもホントウも君がいないなら同じ』

それを踏まえると、これら『In My Room』の歌詞のヒカルの言いたい意味も又見えてくる。対談の時は称賛と酷評という対極だったが、夢と現実、ウソとホントウという対極もまたヒカルからすれば同じなのだ。自分から目を閉じ口を閉じて殻に閉じ籠ってしまえばどちらもなかったことになるので同じだし、そもそも自分以外の他の誰かが居るからそれら対極は分かち難くそこに在る、という。自然体であり過ぎるというか。確かに、フェイクネイルやカラーコンタクトやエクステンションやフェイクファーは似合わないわな。

ヒカルは目を閉じて総てを無かったことにするか、見開いて「君を見る」かのどちらかだ。時々こちらを見てくれた時には、上に引用したように、身を切ってでも(笑)こちらに笑顔と元気を生ませてくれる。だから、時おり黙りこくるのもまた必要なのだ。晩御飯のおかずにイカとカニで悩む二択もあるだろうが、晩御飯を食べるか食べずに寝てやり過ごすかの二択もまたあるのですよ。こちらの朝はよく晴れてます。

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今年のM-1グランプリの覇者はミルクボーイ。アンタッチャブルの記録を抜き歴代最高得点での優勝だった。彼らの特徴は古典落語風の台本を現代漫才のフォーマットに落とし込んだ点にあり、故に彼らよりかなり上の世代からも評価が高い。可笑しみの出汁の部分が耳馴染みのある古典だからだ。一方でそれを流し込んだ型は豊富な語彙と視点でツッコミを繰り出すモダンな漫才なので若いリスナーも笑いやすかった。なるほど、年齢層の幅広い審査員勢から満遍なく評価される訳ですよ。


若い人はご存知ないだろうが宇多田ヒカルのデビュー時の大爆発もそれに近い現象だったのだ。フォーマットはR&Bという当時邦楽には馴染みが薄かったがMISIAのデビュー(これが1998年2月)と共に俄に注目を集め始めたジャンルのそれだった。一方、特に『Automatic』がなのだが(こちらが1998年12月)、メロディ運びは日本人に非常に馴染み深い和音階に近く(そのものではない)曲として単純に受け入れやすかった。

すると何が起きたかというと、若いリスナーは今流行りのR&Bに恐ろしく若い(当時ヒカルは15歳)新人が登場したと色めき立ち、一方で壮年のリスナーは日本人らしいメロディ運びに酔いしれた。売れてくるとそこに「藤圭子の娘」というストーリーも付加されて更に加速されたがそれは売上上はメインの影響でもなかった。際立っていたのは、ひとつの要素が老若男女に受け容れられ易かったというよりは、ひとつひとつの要素がそれぞれの世代に響いたという点だ。

その複合性の性質は重要である。若いリスナーというのは、前の世代や上の世代に対して常に「自分たちの世代の音楽」を主張したがる。なので、どの時代でもあった事だが前の世代の音楽を否定しにかかって自らの世代の最先端ぶりをアピールする、一方で上の世代はもうそんな面倒な事は避け、ただただ自分の耳に馴染んだものと戯れるようになる。その為、CD全盛の90年代という時代にあっても世代間の隔たりは大きかった。日本という国は人種や文化によって音楽ジャンル&コミュニティが分断されることは無かったが、逆に世代間の断絶は諸外国よりも激しいかもしれなかった。

そこに21年前の宇多田ヒカルは食い込んでまさに全世代を魅了した。以後記録が抜かれなかったのは、満遍なく全世代に好かれやすい薄味のヒットはあっても、各世代に同時に濃味で響くヒットがなかったからである。

そして今。すっかりキャラクターというか立ち位置が浸透し、非常にシンプルに音楽家としての信頼を広い世代から得ている。なので、勿論今やR&Bという括りで語られる事は殆ど無くなり、また、当世の流行と絡められて語られる事も少なくなった。演奏陣の達者さやトラックメイカーのフレッシュさなどは極々一部の音楽ファンがはしゃいだりしているがそれだけだ。

なお余談になるが、1999年当時は余りに宇多田ヒカルの名前がメディアに出過ぎた為「宇多田ヒカルはR&Bをやっている」ではなく、「R&Bとは宇多田ヒカルがやっている音楽のことを言うらしい」という認識が大半だった。R&Bという音楽ジャンル名より宇多田ヒカルという個人名の方が知名度が遥かに上だったのだ。故にそのあと数年間、例えヒカルがどんなサウンドに手を染めようとそれをR&Bと呼ぶ人が後を絶たなかった。R&Bの定義が「宇多田ヒカルのやっている音楽」になっていたからである。余談終わり。


で。そんな立ち位置を確立したミュージシャンの場合、普通は50歳を過ぎていたりするもんだ。だがヒカルはまだ37歳になろうとしている時点。体力的にまだまだここから攻め入れるというのがジョーシキ的な見解だろう。それこそ、M-1グランプリの決勝に出ていた連中と年齢的にはそう変わらないのだ。ここからギアを上げた活動をしてきても何ら不思議ではない。そこら辺を来年は期待したいというと贅沢が過ぎるしせわしいのもどうなのと思うので言わないけれど、21周年を迎えてもまだまだこれからどうなるかわからんよというのが心構えにはなっていくかもしんないね。

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あぁ、昨日はM-1グランプリやったんやね。年の瀬ですねぇ。

毎年々々羨ましい。自分はお笑いを追いかけてる訳でもなんでもない、演芸番組なんて年末年始にしか観ないような人間なのにM1の3時間だかを観ただけで参考になるポイントが山ほど出てくる。その3時間13本だけで日記1ヶ月は書けるよ。これを若い子たちがやってくれてるのが恐ろしい。才能集まってるよねぇ。

漫画もうそうだ。毎年この時期になると年間総括記事が増えてきて今年のトップ10とか紹介されてるけどそれらは本当に文句無く面白い。創作のコツとか今という時代性とか、ほんの少し立ち読みしただけで流れるように入ってくる。

これが邦楽勢に出来るかというと無理。M1にならって結成15年までの新人を何千組と集めて上位10バンドに13曲歌ってもらってもM1ほど充実した内容にはならないだろう。かつてNHKには「オンエアバトル」って番組があって、お笑い芸人版と音楽版の二枠が用意されていた。お笑いの方はタカアンドトシやアンタッチャブルなどを有名にしたが、音楽の方はすぐに番組自体がなくなった。コンテスト方式に耐え得るバンドなんて居なかったのだ。その前まで遡ってもせいぜいバンドブーム全盛期の3年間でTBSのイカ天から幾つか短命なバンドがメジャーデビューして精一杯、みたいなとこだったしな。もう30年前の話だが。

まぁ、いつもの愚痴なのです。漫画や漫才には次から次へと新しく若い才能がやってくるのに、邦楽勢には、ね。極端な話、作詞作曲の参考になるのは今流行ってる漫画や漫才を見た方がいいくらいなのだ。彼らは本当にクリエイティブでオリジナリティーがあって、商売でやってるだけに時代性にも敏感だ。寧ろ、邦楽勢の方が「それでなんでプロでやっていけるんだ」という感じ。ある意味、恵まれ過ぎている。

そうなのだ。音楽ファンは減っていない。寧ろ常に渇望状態だと言っていい。なので、ちょっとマシな人材が現れるとファンが狂信的になってしまう。ニューヨークの聴衆みたいにスレてしまえとまでは思わないが、もうちっと育てていかないと、40代以上向けの懐メロミュージシャンしか生き残れなくはならないか。危機感を持つのすらもう遅いんだけどね。



……やっぱりヒカルの歌を聴き過ぎてて日本語の歌に対する評価が辛くなってるのかなぁ私。よくわかんないので感じたままに書いていますよっと。

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「マツコの知らない世界」の見逃し配信を観たぞ。テレビ番組ってこんなに長かったっけ。なんだか懐かしい気分になってしまったよ。それはさておき。

えぇっと、つまりマニアさんがいらしてマニアなプレゼンをするのをマツコがゴールデンタイムに耐え得る味付けに変える番組、でいいのかな? だとしたらヒカルは何しにくるんだろね。プレゼンする方なのかされる方なのか。される方だとアメトークみたいになるんかな。ま、楽しみにしておきますですよっと。


その前に27日には井上陽水の特集番組にちらっとコメント出演するのだよね。来日してこなした仕事は2件だけなのかっていうのは気になる所ではありますが。なんか受賞するとかないのかなー。んでも今年大して活動してないよね。


今まで、『Fantome』や『初恋』や『Face My Fears』がiTunesUSAや米ビルボードにチャートインしたニュースって結構取り上げられてきたけど、冷静にその影響力というか実際のリスナー数を考えた時に、そういった作品群が出した数字の価値って『Come Back To Me』のオンエア回数や『This Is The One』のチャートアクション(2009年3月と5月)を上回ってるとは思えない。なのにきっと世間ではちょっとばかし「復活した後の宇多田って海外でも売れてるんでしょ。流石だねぇ。」みたいな事を言われている気がする。

結局、梶さんのメディア戦略があるかないかに尽きるんだろな。Utada時代のA&RとEMI〜ユニバーサル〜EPIC SONY期の梶望ではウデが違い過ぎたという事だろう。どうやって誇大にならずに最大限数字の価値を喧伝するか、彼の場合嫌味にならないギリギリを狙っているように思う。「CD出荷と配信合わせてミリオン突破」とかね。ギリギリセーフかアウトかは結構人によって別れるとは思うが、今のところ宇多田ヒカルのブランドイメージを傷つけるような誇大広告宣伝を打ったことはないと思う。

でもいちばん強烈だったのは『Fabtome』の「通常盤仕様1形態」で、それは宣伝の為というよりは、クォリティーに対する自信と気概と矜恃の表現だったように思われる。結果的に、かもしれないが、ブランドイメージ戦略としては最上級のものだったのではないだろうか。「肉を切らして骨を断つ」ではないけれど、目先の収益を犠牲にしてまで宇多田ヒカルが「アーティストとして音楽のみで勝負できる存在であること」を市場に知らしめたのは、犠牲にした収益を上回る成果を上げた&これから上げるのではないだろうか。それを考えると、このキャッチフレーズを敢行した現行のA&R陣─いまでも梶さんがトップだが─の有能さに改めて感服する次第なのですよ。

……ならなぜそのノウハウの千分の一でもなりくんに活かせないのか……という話は愚痴になるのでしない。来週にも持ち越さないぜ。もう今愚痴ったようなもんだしね。

ということなので、この年末年始のヒカルの露出もそのうちどんな効果を狙ったものだったかが次第に明らかになってくるだろう。番組自体を楽しむのは勿論、番組出演の影響について見ていくのも楽しめる事なのですぞ。

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「音楽向きの性格・人間性」というのはもっと根本的・普遍的な所から始まっている。「そもそも人は何をするのか」という所からね。

音楽好きのいちばんの大前提は「好き」が原動力な事だ。音楽は基本、それが何かの役に立つという事は非常に少ない。「絶対音楽」という概念もあるくらいでね。余談だが「絶対音楽」のWikipediaをみると池辺晋一郎の「音楽の音楽による音楽の為の音楽」というキャッチフレーズが載っている。至言だねぇ。

「嗜好」である。人は必ずしもこれでは動かない。ひとつ例えば「優越」或いは「勝利」を最優先に動く人も居て、同じく役に立たないカテゴリーでもスポーツ競技なんかはこれにあたる。人より優れていること、打ち負かす事、栄光や賞賛といったものに惹かれる人間は勝ち負けのつく営みに携わる。彼らはその為には苦しみや痛み、自分の嫌な事にも率先して取り組む。

音楽と競技、どちらも程度問題ではある。音楽にもコンクールやコンテストがあって他者と競い合うこともあるし、競技にもフィギュアスケートや新体操のように勝負度外視で観賞対象になるものもある。人の営みに白黒をつけようとしても詮無い。しかし、大きな傾向というのはある。

音楽は、どれだけ有名だろうと技術に秀でていようと稼ぎまくっていようと、目の前の人を楽しませられなくてはそこで終わりだ。モーツァルトやビートルズを聴いても退屈だ、という人は世にごまんと居らっしゃる。いやそれが最大多数だろう。どれだけ大派閥でも全体からみれば結構少数派なのだ。

しかし、他にどんな人がいようが、自分が好きかどうかがまず選択の基準である。人と競うよりもっと内面的な物事が最大事なのだ。それが行動の選択を決めていく。

その嗜好の志向が創作に向かうとどうなるか。音楽の中でも歌の歌詞の題材には恋愛が圧倒的に多い。これは、もうただただシンプルに、携わる人間が「好き」という感情に衝き動かされるタイプだからだ。歌という行動自体が恐らく淘汰上求愛行動として機能してきた歴史ってのもあるかもしれないが、ひとまず、目の前にある音楽は「それが好きだから」という理由で創られ、「誰かが好きです」という感情が表現されている。音楽の主題のことを「モチーフ/動機」っていうくらいだからね。もっとも、日本の商業音楽は歌詞のテーマが恋愛に偏り過ぎなんじゃないかとは私も思うんですけども。これも余談。


宇多田ヒカルはその王道を行く。『First Love』というタイトルでデビューして最近作は『初恋』である。恋愛感情に対して真正面から取り組んでいる。ヒカルは誰かと競うことはしない。ただただ自らと向き合ってその愛の源泉を探り続けているだけだ。それに大きく気がついたのが2010年の『嵐の女神』で、母親に対する感情を漸く徐々に整理して受容して表現出来始めてきた所だった。その3年後にその源泉を喪って今、である。

これは確かに、音楽を続けるかどうかの瀬戸際になった筈だ。やっと見つけた音楽の源泉が無くなり、果たしてモチベーション/モチーフはどこにあるのかと。その挙句が今の活発な活動なのだから人生本当にわからないね。息子の存在が大きいのは明らかだが、今のヒカルの「好き」はどんな感じなのか、例えば年明けの「マツコの知らない世界」なんかで少しでも伺い知れれば嬉しいなっと。

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対談を読んでいても思ったけど、つくづくヒカルの性格というのは、音楽創造に最適化されていることよな。

あたしが度々引用する『喜び5gも悲しみ5gも同じ5g』という感性はそのまま「長調と短調はオタマジャクシひとつぶんズラしただけで基本的には同じもの」ってのと対応している。人間の感情を音楽で捉えていると言ってもいい。自分も少しずつこの感性が身についてきたよ。

少し突っ込んだ言い方をすれば、悲しかろうが楽しかろうが、Good Musicが生まれればそれは「いい経験」だったということだ。それだけである。相対化というと少し違うのだが、人生がそう見えてくるというのはとても興味深い。

逆から描写しよう。愛した人を喪うような強烈な悲しみはもう二度と味わいたくないと思う人が殆どだろう。一方で、「そのことを題材にして生まれた悲しげな名曲」を何度も聴きたいと思う人もたくさん居る訳だ。『真夏の通り雨』『花束を君に』『道』といった母を喪う体験に基づいた楽曲を、皆さん何十回何百回と聴いて“楽しんだ”筈である。悲しい曲を聴くことは悲しい出来事ではなく、娯楽ですらある。

ヒカルのような極端な音楽家は、人生が音楽に聞こえているのかもしれない。人生で何か悲しい出来事が起こった時も、それは悲しい歌を耳にした時と変わらないのだ。勿論、楽しい出来事が起こった時は、楽しい歌を聴くのと同じである。

だが、だからといって「悲しい出来事が起こる事」或いは違う言い方をすれば「理不尽や悪辣」に対しての怒りの感情や、それを是正するアクションを取ろうとする態度が無くなる訳では無い。熊の問題等々、ヒカルが人間活動期間中に取り組んだイシューは我々が知らないだけで多々あるのだろう。それはそれとして、一方で、感情の対処の仕方、感情や人生の受け止め方が音楽への触れ方と変わらないのだ。これも裏から言えば、ヒカルにとって音楽的体験の数々は、我々が人生の中で直に体験する喜怒哀楽と同等以上に強烈な体験なのであろう。だからあそこまで強烈な音楽を創造できる。卓抜している。

ファンでない人がこれを読んだら誤解するかもしれない。ヒカルは誰よりも優しい。それを損なう話では全然無いよと断言しておきたい。それとこれとは話が別なのよと説得的に語れるところまで私は行きたい。

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blogの編集画面を開いたら「unconsciousnessdiaryさんブログの開設から5,000日」という言葉がお出迎え。2006年4月からだから確かにそうなるな。おめでとうございます?

途中からは記事数が日数を超えた。毎日欠かさず更新ではないものの1日あたり1記事以上のペースではある。まぁだからどうってこともない。途中何度も休載しているし、皆さんが学校や職場に通ってる回数分の日記が書かれてると思ってくれればそう大層なもんでもない。

実際、ツイートとなったら万単位、十万単位もザラだもんね。それと較べるなという気もするが、こうやって勝手に数えておいてくれる分には有難い。

それに、前のfc2時代から数えたらもっと長いしな。移り変わりの激しいWebサービスの中でこうやって十何年も“勝手に数えておいて”貰えてるのは、goo.ne.jpが安定してるからだわ。元親方日の丸組は強いやね。

『Message from Hikki』もそんな風になる事を期待したんだけどねー。折角自前の強力サーバまで用意したのにな。ってそれはU3 MUSIC時代の話か。来月には「マツコの知らない世界」に出演する訳だけど、ゴールデンタイムのバラエティー番組を通して初めて聴く近況とか、なんか寂しい感じが出ちゃうかもしんないねー。こっちは毎日追い掛けてるのに、普通の人達と変わらないタイミングで知るなんて。まぁ些細な事だけどさ。


元々この日記もそうだけど、内容云々より前に「今日も元気でやってますよ」っていうメッセージがまず何より大きいんだよね。少し音沙汰が無いとすぐ心配される向きは、中身なんていいからまず何かアウトプットをしておくことがオススメですわ。気にかけてくれる人がいらしてくれるのは、本当に、何とも有難い事なのです。

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