無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『Da Capo』でのヒカルの歌唱をみていく前に、『Beautiful World』という楽曲自体の偉業ぶりについて振り返っておこう。今回の『One Last Kiss』EPを聴いていてやっぱりオリジナルの『Beautiful World』は凄い曲だったんだなと認識を新たにした。


この曲がリリースされたのは2007年8月のことだが、そこまでの宇多田ヒカル8年半余のキャリアの中で最も「タイアップに寄り添った楽曲」だったのは特筆すべき点だった。キングダムハーツに提供した『光』や『Passion』もゲームファンから絶賛を浴びせられたが(しかも国内外でな)、『Beautiful World』は、この間述べた通り平成No.1のアニメソングだった「残酷な天使のテーゼ」と並ぶエヴァを代表する楽曲となったのだ。

そうなる為にヒカルは『Beautiful World』を「普段ならそうしない程に」タイアップ側に寄せている。「残酷な天使のテーゼ」にしろ「魂のルフラン」にしろ、90年代中盤らしい16ビートの楽曲だが、ヒカルがこの2曲に続くエヴァの主題歌として、こういう所謂「小室サウンド」的なアップビートナンバーを作ってきたのは…いや昔からのTM NETWORKファンからすれば素直に嬉しかったけども(笑)やっぱり驚きだったのだ、ここまで崩してくるのかと。なお所謂「小室進行」と呼ばれるコード進行とは使ってるコードは同じだが並びが違うそうな。3番目と4番目が入れ替わってるとか。そこらへんは詳しい人に任せるわ。


で。例えば『Beautiful World』のサビの歌い出し『もしも願い一つだけ叶うなら』のところのメロディが「残酷な天使のテーゼ」のサビの歌い出し「残酷な天使のように…」と“ほんの少し似ている”のも偶然ではない。ここの寄せ方・似せ方具合がまた絶妙で。例えばコード進行をまるきり同じにしたりメロディをもっと寄せたりしたら「残テをパクっただけやないか!」と猛非難を浴びた事であろう。そんなことは勿論なかった。この“ほんの少し似ている”加減というのは、言われてみれば似ているけれど普通に聴いてるとそれとは気づかない、しかし、その「匂わせぶり」が無意識下で「なんとなくエヴァの主題歌っぽい」と思わせるに足る程度なのだ! この匙加減の絶妙さよ。故にリスナーは『Beautiful World』を聴いていると具体的に「残酷な天使のテーゼ」の事までは思い出さないのに何となくエヴァの主題歌を聴いている気分になれ得た。勿論その要素だけではなく歌詞にしろメロディにしろサウンドにしろあらゆる面から「エヴァとの親和性」を仄めかしつつヒカルは新しい時代のエヴァの主題歌を構築していったのだ。その職人ぶりには頭が下がる思いだった。

孤高の音楽職人で、他のケースならタイアップとなっても歌詞の一節が関連付けられるかな?という程度の距離感でしか歩み寄らなかったヒカルが、ギリギリまでエヴァとエヴァのかつての主題歌たちに寄せていった成果が『Beautiful World』であり、その猛烈なリスペクトぶりがあったからこそ庵野総監督はシリーズ全体の終劇曲として、シンエヴァのエンディング・テーマである『One Last Kiss』の更に後に『Beautiful World』のRebuildを所望してきたのだろう。やはりこの曲が聴けてこそ新劇版エヴァなのだと。


『Beautiful World (Da Capo Version)』で新しく聴けるヒカルによる歌唱は、そういった背景を踏まえた上で聴くとより素晴らしく感じられるパフォーマンスに仕上がっている。ホント、ここまでの実績のある人がリスペクトを前面に押し出してくるとここまでのものが出来るのかと。何度も味わいながら見て行きたいと思うのですよ。まぁ、ホントに次回それ書くかわかんないけどね(笑)。

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さて駆け足で『Beautiful World ( Da Capo Version) 』の構成をみてみてきた。5回使っといて駆け足もないもんだがこれでも結構端折ってるのだよこれでも。

でそれを更にざっと振り返ってみますと。要するにこれは

「『Beautiful World』という楽曲をパーツに分解して再構築(Rebuild)したバージョン」

なのだ。ダ・カーポとは英語でいえば「from head」、「頭から」「冒頭から」「はじめから」ということで、美世界をはじめから再構築してみたという意味に解釈できる、と。

その再構築作業にあたって小袋成彬が自分の個性との邂逅から出発したところがひとつの見所である。これがなかなか一筋縄ではいかないことは、最初のサビの前半をオリジナルにはない二回繰り返しにしていることからもわかる。ここでは、「こっちから攻めてみたけど…うーん、走り出さないな。じゃあこんな風なアプローチはどうだ?」という試行錯誤のプロセスが表現されているようにみえる。二回目で手応えを得てそこから漸くベースが入りドラムが入りピアノが入り…と一つ一つの要素を順番に導入していくことで『Beautiful World』のオリジナルのサウンドに帰着させていった。

で。前回ここで踏み込み過ぎなかった事を指して「音楽的なセンスがいい」と述べたのは、つまりそこから更にアクセルを踏んで完全にオリジナルの雰囲気になってしまうと、冒頭で持ち出した小袋成彬的サウンドの導入に意味が無くなってしまうからである。そこにあった張り詰めた緊張感と気怠い虚無感の同居こそが彼の個性であるのに、それが雲散霧消してしもうてはこのプロセスの甲斐がない。故に最後、もうちょっとのところでサウンドは退潮してバラード・モードになる。このアレンジによってDa CapoのDa Capoたる存在感は確保されたのだ。

そうやってアーティストとしての、プロデューサーとしての個性を優先させた態度に出た為に映画館で初めて聴いた筆者に難色を示さしめたのたが、故に映画から離れて聴いた場合はオリジナルに対するオルタナティブとして非常にセンスよく機能してくれてて楽しめている。オリジナルのベースラインの格好良さを多くの人に知らしめたのも功績だろう。そして、(恐らく)2020年のヒカルによる『Beautiful World』の新録歌唱が聴けたのが、何よりのデッカいデッカい収穫なのだ。次回からは『Beautiful World (Da Capo)』のそのヒカルの歌唱についてみていくことに致しますかね。…いや、今はラスキスもピンブラも次々と新情報がやってくる段階なので、どうなるかはわかりませんねんけどね。

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既述の通り、ベースサウンドが入ってきてからの『Da Capo』は『Beautiful World』の本格的な“Rebuild”に取り掛かる。オリジナルでは総て揃って鳴らされていた様々なサウンドを順々に一つずつ組み込んでいくのだ。

ベースが入ってきたあとバスドラのキックが四つ打ちで入ってくる。もうここらへんでかなりオリジナルの雰囲気に近い。そこからピアノのコードが入ってきて更にあの雰囲気が強まり、Bメロに差し掛かる所ではあのキラキラしたピアノフレーズも飛び出してくる。もうこれでほぼオリジナルと同じくらいの音圧になった。なお、オリジナルにない合成音は恐らく『One Last Kiss』で使われているのと同じものだろう。メドレーというか組曲というか、シームレスに繋がっている『One Last Kiss』と『Da Capo』だが、音色まで共有しているとなるといよいよニコイチ感が強まるね。それはさておき。

そして、ここなんですよ、この、殆どオリジナルと同じだけの音圧になったBメロ(『言いたいことなんかない〜それでいいけど』)を経た次のサビで、またベースとドラムスのみのサウンドに戻るのよね。オリジナルだとここでトリプルキーボード編成で賑々しくお送りするのだが、ここで「一旦退く」のが、音楽的にはいいセンスしてるなぁ、とは思う。

ここもまた評価が別れるのかもしれない。そこはもう盛り上がれよ、遠慮無くノせてくれよ、となるか、それともこの緩急に洒脱さを見出すか。このあと、『どんな場所でも結構』からはピアノも戻ってきてそれなりの音圧になるのだが、結局ワンコーラス歌ったあとはリズムが引いてバラード・モードになる。ここでの聴き所はヒカルによる『It's Only Love』の歌い分けなのだがそこの所はまた別の機会に語るとして、『Da Capo』はこうやって、ダンスナンバーとしては盛り上がり切らずに終わるのだ。オリジナルと較べてワンコーラス少ないまま。

そういう構成にした理由は複合的なものだと思うのだが、いちばん強かった理由は恐らく「尺」だろう。「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のエンディングで流すということは、銀幕ではスタッフロールを流すタイミングなので、ある程度の時間指定があったのだとみる。つまりそもそも『Da Capo』は「6分で」というオファーが最初にあったんじゃないだろうか。その中でコンセプトを纏めようとするとこのような、煮え切らない構成にせざるを得なかったというか。真偽は分からないが、そこのところの可能性は考慮に入れて評価せねばならぬだろう。

しかし、勿論もっと工夫して最後に『Beautiful World』らしいイケイケの疾走感で締め括る事も出来た筈なのだが、そこで自らのセンス、ミュージシャンシップを優先したのだろうかな、と思うと、やっぱりやれやれと思っちゃうわね。映画関係なく聴けばセンスのあるサウンドだとは思うんだが、そこらへんのモヤモヤした気持ちについては、また稿を改めて書くと致しますか。

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2分39分を過ぎてベースが入ってきて漸く楽曲は熱を帯び始める。「始まったな」「ああ、全てはここからだ。」てなもんだ。

TwitterでDa Capo検索をしてみたところ、ここで入ってくるベースラインの評判が頗る良い。突出して取り上げられてると言っていい。この楽曲で一番人気な節すらある。

その事実にあたしはかなり戸惑った。というのも、ここのベースってほぼオリジナルのまんまなのよね。何故今更そんなに取り上げられてるのだ、と。

そう、うっかりしていたのだホント。あたしが生来のベース好きだからいつもいつも意識して傾聴してた為にこのラインにまるっきり親しんでいた訳で、そうね、大多数のリスナーの皆さんはベースラインなんて頭に入っていない…というかハナから意識してないのよな。そりゃそうだわ。特にオリジナルではほぼ同じ動きで他の楽器も賑々しく鳴らされているから全編くっきり音の輪郭が把握出来る感じでもないしな。

ただ、それはそれで、『Da Capo』の編曲者の意図が伝わっていないという事も意味するかもしれない。というのも、私が今書いてるこのシリーズのタイトルが「"Da Capo ≒ Rebuild"」であることからもわかる通り、『Beautiful World (Da Capo Version)』というのはオリジナルの『Beautiful World』を、一旦解体して異物と接触させその上で再構築するというコンセプトで作られている(と私は見ている)からだ。

で、そのコンセプトに沿って眺めた時に、この2分39秒の場面というのは、それまでリズムが全く無い無調風のサウンドの中で切り貼りされたようなコーラスワーク(虚空に響く『Beautiful World』と『Beautiful Boy』のフレーズ)が現れては消え現れては消えしていたのが漸くオリジナルの空気と雰囲気を纏い始めるシーン即ち異世界から実世界に帰ってくる場面であると解釈され得るのだ。つまり、リスナーに「あぁ、慣れ親しんだサウンドに戻ってきたな」と思わせるのが意図の筈。

ところが、検索した印象だとベースライン自体がカッコイイという風な感想が目立った。勿論ひとりひとり少しずつ感慨は違うのだろうが、既に『Beautiful World』を知っている人に感じ取って貰いたかったのはそこのところの、「戻ってきた安心感」を感じるのがポイントなのであって、実際、ここから次々にオリジナルで慣れ親しんだフレーズが現れてどんどん分厚くなっていくのが聴き所なのですよ。

勿論、リスナーの受け取り方は千差万別であるからこそ面白い。カマシ・ワシントンが言うようにこういう時こそ「違いを寿ごう」と唱えたい。オリジナルを知らずに聴く人だって沢山いる訳で、その人達が同じ感想を持つ訳がないのだし、今言ったように13年半前の曲のベースラインをいちいち覚えていろというのも無理な話だ。自分はそこが異常だというのをすっかり忘れてしまっていたけれども。なので、これはこれでひとつの見方聴き方に過ぎないのです。

ただ、これはひとつ作り手側にとって参考になる事象でもあるだろう。つまり、仮にカッコイイベースラインをフィーチャーしていたとしても、それが他のサウンドに埋まっていたら耳に入らないケースが大半だということだ。今回の『Da Capo』では2分39秒からほぼベースの独奏として奏でられるのでイヤでも耳に入ってきたからこれだけの好評を得られた。いやまぁ、気付かれないところでクールなリックを潜ませるのがベースの美学という考え方もあるのだけれど、せっかく生み出したのだから明示的に気に入って貰えるならそう言って貰えた方がいいんでないかな。今回こうやって骨組みだけになったサウンドを提示した事でオリジナルの『Beautiful World』のベースラインのカッコ良さが日の目を見ることになった訳で、そこは心に留めおいておいた方がいい。とはいえ、なんだかんだでこのベースラインの好評は、美談〜Beautiful Storyになったと言えるんではないでしょうか。

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最初に『Beautiful World/Beautiful Boy』のコーラスを二回繰り返した後にやっとヒカルのメイン・ヴォーカルが動き出す。ここまでで既に1分31秒。『ぼくはくま』だったら感想間奏が終わって三番に入っている長さだ。歌詞はオリジナル同様最初のサビの部分になる。

『もしも願い一つだけ叶うなら
 君の側で眠らせて
 どんな場所でもいいよ』

そしてもう一度『Beautiful World』のコーラスが入ってくるのだが、ここでオリジナル・バージョンなら『迷わず君だけを見つめている』と歌う所を、歌わない、のだ。そのままもう一度『Beautiful Boy』のバックコーラスが入ってきて“仕切り直し”になる。どうなるかというと、そこまでになかったギターコードをひとつ挟んでヒカルもハミングで繋いでもう一回、

『もしも願い一つだけ叶うなら
 君の側で眠らせて
 どんな場所でもいいよ』

の部分を歌うのだ。兎に角ここで引っ張るというか溜めるというか勿体ぶるのがこの『Da Capo』の大きな特徴といえるだろう。

とはいえ、二回目のこのパートはただ繰り返すだけではない。『君の側で眠らせて』には分厚いバックコーラスが加えられている。

そして、やっとこの繰り返しを経て漸く『Beautiful World』の後に『迷わず君だけを見つめている』、『Beautiful Boy』の後に『自分の美しさ まだ知らないの』が歌われる。『Beautiful World』のコーラスに合わせて力強いバスドラのキックとベースのルート音がユニゾンで奏でられる。『忘却』や『誰にも言わない』を彷彿とさせるねぇ。そこからパーカッションも入ってきて俄に音像が賑々しくなってくる。そこでやっと、ようやっとベースラインが走り出す。2分39秒のことである。なお『ぼくはくま』ならもう曲全体が終わっている。『HEART STATION』アルバムで言えば『虹色バス』のイントロが始まっている頃合いである。

オリジナル・バージョンと較べても同じベースラインが出てくる迄には50秒だから約2分近く引っ張っている事になるんだなこの『Da Capo』は。この序盤の焦れったさこそ真骨彫というべきか。これだけ引き伸ばしても間延びせずに音像の緊張感を保ったままリスナーを惹き付け続けるアレンジのセンスは流石だなと思わされる…のだけど、このバージョンが苦手な人はきっとここを「かったるい」と言うのだろうな。それは残念だが仕方ない。実際長いもんね。ぼくはくまがすっぽり入って余る長さの「イントロ」なんだから。その大胆さが魅力なのですが、まぁここは実際好き嫌いが別れるでしょーな。次回はそのベースラインが入ってきて以降の話になりますかね。

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月曜の朝から楽曲詳細分析だと書いてる方のテンションが追いつかないのでワンクッション置くわいね。


ヒカルがツイートした通り、『One Last Kiss』MVのYouTubeでの再生回数が20日間弱で2000万回を突破した。勿論2010年に開設されたオフィシャル宇多田ヒカルチャンネル史上最速であり、その前身みたいなものであったUtadaHikaruVevoを含めても最速だ。それもぶっちぎりの桁外れで。タイトルトラックとしてアルバムを日本市場最高売上に押し上げた『First Love』や、一時的にではあるものの世界最高ダウンロード数を記録した『Flavor Of Life』といったビッグタイトルに肉薄する宇多田ヒカルの代表曲として皆の認知も進んでいるかと思われる。

@utadahikaru : パジャマ姿でベッドの上で息子にiPhoneで撮ってもらった私やカメラマンの友達と近所の公園てくてくしたり小旅行に行ってきゃっきゃしながら撮ってもらった私の映像が2週間で2000万回も再生されて場所によっては街中でも流れていると知って戦慄している posted at 09:01:07

昨日のヒカルのツイートだが、ヒカルはちょっぴりガッカリしながら文章を考えていたのかもわからない。というのも、ベッドの上のシーンについてのツッコミが事前に殆ど無かったからだ。恐らく当初の目的ではあのカットが話題になって「何あれ!? ヒカルちゃん、恋人に撮らせたの? なんてハレンチな! 実質ハ✕撮りじゃん!」(※ 不適切な用語がみられた為自主的に一部バツ印で隠しました。バツ印です。)──というツッコミが殺到するのを期待していたに違いない。だが、私の知る限りヒカルにそんな風に凸撃した人は皆無で、寧ろFFさんの中には「もしや息子さんが撮影したカットも含まれているのでは?」と鋭く指摘していた人がみられた程だ。ヒカルとしては拍子抜けだっだろう、散々煽っておいて「残念! 実は息子撮影でした〜ちゃんちゃん☆」とやりたかったであろうに、その流れが作れなくて今回痺れを切らしたカタチで自分から言う羽目になったのだから。少し哀しく寂しい気持ちになっていたとしてもそれはそれで致し方なかろうな。

ヒカルには昔からそういうとこがあってな。ビッグコミックスピリッツで写真撮影とインタビューを受ける時も、「スピリッツといえば水着グラビアだろう」と自ら自主的に服の下に水着を着込んでいったらしい。「水着になってください」と言われたら「よしきた」と言ってその場ですぐさま上着を脱ぐ算段だったようだが、当然の事ながら(?)取材者側からそんな声がかかる事もなく。残念だったね。…って何やってんだホントに。そういうとこがあるから、なんだかんだでイタズラ好きだったりもする。好き。


それにしても凄いよね、20日間で2000万回。前から述べている通りエヴァというコンテンツは鬼滅や呪術みたいなリーチを拒む濃ゆいヲタクの為の作品なので、ここからそうそうロングヒットになる展望はないといえばないのだが、この曲が方々でかかる事で映画の認知度もまた上がるのではないかと思わせるくらいに各チャートで上位に居る。ここまで来たら何か大ヒット御礼企画でも開催した方がいいのかもわからんねぇ。『PINK BLOOD』のプロモーションに差し支えないタイミングで、だけど。あたしも、まさかここまで大ヒットするとは、夢にも思っていませんでしたとさ。あとヒカルのツイートも24時間足らずで3万弱RT、20万弱いいねですか…ツイッタラーとしても優秀っすなぁ。

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『Beautiful World (Da Capo Version)』の冒頭で、ヒカルによる『Beautiful World』と『Beautiful Boy』(boysじゃないのよね)の分厚いコーラス・ハーモニーが何度か繰り返される。ここに於いてはリズムの意識が全く無く、ヒカルの声がまるで静物画として飾られているような、美術館みたいな静けさの中にぶわっと浮き上がってくるみたいなそんなパースペクティブだ。

そうやって醸成された神秘的な雰囲気の中でやっとヒカルが一番のサビを歌い始める(前回Aメロって書いちゃったけど単なる間違いです)。1:32あたりだな。ここでの歌唱にちょっと違和感を感じた人も少なくないはずだ。というのも、ヒカルがほんの僅かに音程を変えて歌っているから。

特に際立つのは『もしも願いぃ一つだけ叶うなら』の『いぃ』の部分とか『君の傍でぇ眠らせて』の『でぇ』の部分などかな。全体的にほんの僅かずつフラットさせている。半音とか4分の1音とかよりもっと微妙かもしれない。

ここらへんの微妙な音程の違いは、そうね、もしかしたらオリジナル・バージョンよりアコースティカ・ミックスと較べた方がもっとわかるかもしれない。オリジナルより更にジャストの音程で歌っているからね。リズムがハキハキしているのでそれに合わせた感じだからね。

なぜDa Capoでこう歌っているかといえば、そこまでギターと弦楽で作り上げてきた厳粛で神秘的な雰囲気にマッチさせる為だ。もし仮にアコースティカ・ミックスの歌い方で一番サビを歌ってしまうと「突き抜け過ぎる」のである。雰囲気を破ってしまう。『Beautiful World』のサビメロがオリジナルのリズムをバックにした時に放つ魅力とは爽快感とか熱気とか勢いとかだ。早い話がイケイケである。当然、このDa Capoの序盤にはそぐわない。故にヒカルはオリジナルのメロディー自体を、フェイクはせずにほんの僅かに音程を揺らすことでコード感との融和を図った。お陰で不協和音の齎す破綻からは距離がある。

こういう歌い方をした場合、メロディー自体はオリジナルと同じなのに何となく蔭のある気分にしてくれる。ここらへんは意図的なものでな。なぜならその音程に合わせたバックコーラスが重ねられてるからね。咄嗟とかではなく、寧ろ手慣れたアプローチなのだろう。特にヒカルがコブシを回す曲ではこの「音程の些細な揺れ」が威力を発揮する。例えば『Letters』なんかはコード感がメジャーとマイナーを行ったり来たりして非常に雰囲気の掴みづらい曲なのだが、ヒカルの繊細なコブシ遣いが楽曲の方向性を定めてくれる。ある意味十八番なのかもしれない。勿論、母娘共々「明るい曲を歌ってもどこか歌声に蔭がある」と言われて久しいのだが、ある程度までは意図的な手法を噛んでいたりもするのでした。

というヒカルの技術が光るのがこの『Da Capo Version』の序盤なのだが…あれ、このペースでサウンドをみていくと何回かかるんだ? まぁいいか、次回もまたこの続きから。(もう開き直った)

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大体、シンエヴァのタイトル表記って「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」で、最後に「:||」がつくのよね。だから多分新劇版4部作は「序破Q:||」と書くのが適切なんだろうけどそれはさておき、この記号は何かというと楽譜でいう繰り返し記号とかいう奴で。この表記が来たら「||:」のところまで戻るというね。

そんな背景があるから『Beautiful World (Da Capo Version)』というタイトルを見た時聞いた時、どうしたってシンエヴァのタイトルと呼応しているものだと連想した人が多かった訳でな。そりゃエヴァに寄ったバージョンだろうという推測になるわいな。

しかし、だ。ふと立ち止まって考えてみると、繰り返し記号が既にあるんだからダ・カーポって必要ないんだよね。ダ・カーポは英語で言うと「from head」即ち「頭から」「冒頭から」という意味だそうで、「:||」とダ・カーポが両方書いてあったらこれ4回繰り返す事になってしまう。新劇版は4部作だからそれでいいのでは…ってそういうことじゃないんだぜよ。

つまり、「:||」にとって「Da Capo」って必要無いのよ。もっと言えば蛇足。普通に『Beautiful World』だけでよかった。

となると、なぜこのバージョンに「Da Capo」の名前が冠されているのか。ここからは妄想をより逞しくさせて書かせてもらうが、結論からいうと

「『Beautiful World』を俺が初めから再構築(Rebuild)したらどうなるか」

を実験したのがこのバージョンなのではないだろうか。それが筆者の見立てである。


凄くザックリみてみよう。

まず冒頭、アコースティック・ギターの変なコードと変なリズムから始まる。エフェクトとエコーをかけた単音をSEに従えて不穏で虚無的でややダークなムードを演出していて、ここだけだと全く『Beautiful World』は連想されない。あとから「分離派の夏」や「Piercing」を聴いて気づいたのだが、これ全くなりくんのお得意の展開だわな。映画館では全く気づいていなかったぜ。

で。そこから無調的な雰囲気を保ったままリズムも入らずにヒカルによる『Beautiful World』の美麗なコーラス・リフレインが鳴り響いてくる。まるでそこで初めて生まれてきたみたいに。で、件のアコースティック・ギターをバックにAメロを歌い始めるのだがここのコードがホント味噌でねぇ(味噌がついたと思う人と二分されると思うけど)。テンションというか、一種ある種の緊張感を伴ったまま楽曲が進行するのな。勿論協和はしていないのだが、でもあからさまに不協和かというとそうとも言い切れない…よくこんなコード持ってきたよなと。思い返せばヒカルによる8年間待望の(シンエヴァ並に待たされた訳だ)楽曲だった『パクチーの唄』が日の目をみることができたのも、なりくんがこの曲に新味のある適切なコードを見つけてきてくれたからだった訳で、やはり彼のコード感覚には独特の個性と才能がある。ここは素直に感服したいところ。なお『Beautiful World (Da Capo Version)』の具体的なコード展開については検索したら解析してくれてる人がいるっぽいのでそちらにお任せします。

つまり、この冒頭は宇多田ヒカルの裸のメロディー・センス&コーラス&ビューティフル・ボイスの提示と、小袋成彬の十八番サウンドがそのままダイレクトにあいまみえた「最初の邂逅」だったということだ。まずはそれぞれの素材、それぞれの個性を突き合わせてみようというパートなのだろう。なお適宜入ってくるストリングス・パートは例によって『少年時代』で共演した坂東祐大(ばんどうゆうた)&Ensemble FOVEの皆さんだ。今回もよい仕事をしてくれている。


……ええい、長くなった。こりゃ週跨いで続いちゃうかもな。週末に新情報来たらどうしよ。そんときゃそんときか。いきあたりばったりで参りますよ。

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つくづく『Beaitiful World』は凄い曲だったんだなぁ、と思わされている。旧世紀のエヴァンゲリオンは確かにアニメファンの間で非常に話題になったが、その劇場版(旧劇版と言われてるヤツね)の興行収入が、例えば今で言えば「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」なんかと同程度の20億円前後だったときけば、なんだ社会現象と呼べるほどには話題になってないじゃん、となる。実は新劇版の方がよっぽど社会現象なのだ。シンエヴァは早くも50億を突破したというしね。

しかし、そのアニメ本編よりもっと神格化されていたのが主題歌の「残酷な天使のテーゼ」で、CDの売上やチャートアクションは大したこと無かったクセにカラオケをはじめとして余りにも日本中の至る所で歌われ過ぎてしまってしまいにはJASRAC賞金賞を獲得したことすらあるのだこの曲。つまり、ある年に日本全国で全てのジャンルを通じて最も荒稼ぎした楽曲になったことがあるくらいなのだ。アニメ云々を飛び越えた国民的名曲といっていい。アニメ自体より凄いのだこの主題歌の存在感は。

なので、エヴァがリビルドされるとなった時にヒカルが主題歌を担当するときいてそりゃあ難題だと思ったよ。神格化された主題歌のイメージに抗えるだけの楽曲。いかなヒカルでも…と思ってたのにいざ蓋を開けてみたら『Beautiful World』の支持率の高いこと高いこと。「新劇版の主題歌は宇多田でないと」という定評まで確立させた。

その威力を思い知ったのは「破」の時だ。ご存知のように同映画のエンディング・テーマは『Beautiful World -PLANiTb Acoustica Mix-』で、あたしなんかは「なんだ、新曲じゃなかったのか」みたいな事を言っていたのだがネット上の評判は非常に良く、それはつまり『Beautiful World』自体の認知度と受容度が高く、この歌が鳴ってれば間違いなかったからなのだった。その空気の前ではリミックスのアレンジがどうのなどとは些細な事でな。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」でも、つまり同じ事態だったのだろう。殆どの人にとっては、『One Last Kiss』に続く最後の最後の終劇の場に『Beautiful World』が鳴っていればそれでよく、それが新録だとかプロデュースが二人だとかは心底どっちでもよかったのだ。この大きな大きな外枠が守られていたから映画のオーラスとして格好がついた。『Beautiful World』の新録を依頼した庵野総監督のセンスが光ったよね。



……でまぁ、こういう話を、日記内容の重複を恐れずわざわざ振り返ったのは、当然の事ながらそろそろ『Beautiful World (Da Capo Version) 』のサウンドについて触れていきたいなと私が思い始めてるからなのだが、うむ、予想通り、どうにも険のある書き方しか出来そうになくてねぇ…いや、音としては結構気に入ってるんだけど、“Da Capo”という名前がそれをすべて押し流してしまうのよな…という話からまた次回に…続くかどうかは、わかりませーん。やれやれ(笑)。

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昨日『One Last Kiss』二週目のチャート・アクションが続々発表となりまして。正直、記事が煩雑で何が何だかわからない。絶好調なんだろうなというのは伝わって参りました。


そんな中で取り上げるのならこれか。

【ビルボード】宇多田ヒカル「One Last Kiss」約10年4か月ぶりに総合首位に
http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/98331/2

なんとまぁ『Goodbye Happiness』以来なんだってさ。『花束を君に』以降も結構ヒット曲たくさんあったと思うけど、つまり復帰後最高のリアクションを貰っていると。

若い子たちが居並ぶ中でこんな大御所がひとまず一週だけとはいえいちばん上に名前を書いてもらえるのはなんというかこそばゆいですね。場違い感というにはビッグネーム過ぎてまぁこれはこれでいいのかと思ったり思わなかったり。

そういえば昔は「記録の宇多田」と思われていたりして、チャートマニアの皆さんにも随分と娯楽を提供していたんだもんねぇ。その頃の空気をちょっと思い出した。その後順位付けを楽しむ層は秋元康が根こそぎもっていっちゃったんだけど、束の間とはいえその昔の頃に似た空気感に触れて、、、そうね、もしかして隈部くんがいちばん戸惑ってるかもね? 彼が仕事を始めてからこんなに当たったことが無かったから。今後もたまにこういう事があるだろうから慣れておいて貰った方がいいかな。

10年前といえばBillboard Japan Top100自体が黎明期で知名度もそんなに無かったし、一方で『Goodbye Happiness』のリリース頃話題になったのは「宇多田ヒカルがYouTubeにほとんど全部のミュージック・ビデオをフル尺でアップしてるぞ!」という点だった。そんなビッグ・アーティスト他に居なかったのよ。そもそもYouTubeの再生回数が一桁いや二桁少ない感じだったので、新しく様々な要素を考慮に入れたBillboardのチャートが稼働し始めた“まだ評価の安定しない”時期の首位獲得だったんだ。今回は、様々な指標が安定して評価できる時代での首位獲得ということで、少し意味合いが変わってくるだろう。

10年前は「デビュー後12経ってもまだまだチャレンジング」だったのに対して今は「デビュー22周年で大御所が潜在的な期待に見事応えて大ヒット」とでも言おうか。

ここから、更に若い人が『One Last Kiss』を聞いて「この歌いいね。誰の曲?宇多田ヒカル?誰それ?」って訊いてくれるようになってきたら更に新しいフェイズに突入する気がするが、エヴァってコンテンツは対象年齢がアラサーアラフォー以上だろうし、なかなかそこまでは行かないかな。どうだろう。

兎に角これでレーベルの士気が上がってくれるのが有り難い。『One Last Kiss』を収録したフルアルバムはかなりの注目を浴びるだろう。それに伴うプロモーション企画も気合いが入るに違いない。例えばコラボカフェを都心だけでなく全国で展開するとか? 宇多田書店が倍増するとか? またもやラジオ100局を巻き込む企画が立ち上がるとか?? 色々妄想が膨らむけど、大ヒットというのはそういう直接的な恩恵をもファンに齎す。素直に喜んでおきたいところなのです。

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※今回も映画の内容に…ってそろそろもういいかなぁ? この注記書かなくても。



前も触れた通り、シンエヴァが今までのエヴァと異なる点は「ちゃんと言う」事を徹底した所だ。シンジが「どうしてみんなそんなに優しいんだ」と叫んだ瞬間「それ、言うんだ」と思ったし、この映画はきっとこの後も「ちゃんと言う」映画になるんだと思った。

特にそれが炸裂するのがシンジと対峙した碇ゲンドウの独白で、言ってる内容は前世紀のエヴァンゲリオンの終局とそんなに変わらないのだが、言い方が実直で率直でわかりやすく、「そうだったのか」と腑に落ち易かった。謎が謎を呼ぶ作風で話題を攫ったエヴァがわかりやすい答えを口に出して、言葉にして、そのまま言う。お陰で四半世紀続いたこのシリーズが「嗚呼、終わるんだな」と飲み込めたのだった。

昨年、「兎に角全部言葉にして説明してくれる」親切心の塊な長男・竈門炭治郎を主役とする「鬼滅の刃」が超絶特大ヒットしたのは記憶に新しい。今そういう潮流が来ているのかね。


実は最近のヒカルにもそういう傾向が見て取れる。『誰にも言わない』で「まわり道には色気が無いじゃん」と言い切っていたのは印象的だった。そして実際にすぐにそれを実践していた。昔のヒカルなら歌詞は『Boy you know what I need』までだったかもしれない。「私に要るのは何なのか…わかるでしょ?」と。「言うまでもないよね」「言うのはもう野暮だよね」と。ところが『誰にも言わない』ではそのすぐ後に『I just want your body』と言う。言ってしまう。歌ってしまう。「ただ貴方の身体が欲しいの」と。直接的、ストレートな物言いにも程があるというか。英語で歌ったのが譲歩だったのかもしれないけれど。

とても昔……、ヒカル本人が言っていたんだっけか? 「『First Love』では絶対に“First Love〜♪”とかって歌わないから!」という話があった。たとえアドリブを入れたとしてもこの歌ではタイトルを歌う事は無いと。その美学はよくわかるが、今の時代だと、或いは、今のヒカルだとそういう作法で作詞するかどうか。

実際、『First Love』って余りにも有名過ぎる為なかなかそう捉えられないけれど、もし仮にこの曲のタイトルを知らずに聴いたとしたら、歌の歌詞だけでタイトルを当てるのは不可能なように思われる。何しろ歌い出しが『最後のキスはタバコのFlavorがした』だ。初恋の甘酸っぱさの欠けらも無いからな。だからこそ歌詞に『First Love』は入っていない。

そして現代。『初めてのルーブルはなんてことはなかったわ』から始まる『One Last Kiss』は、言いたい事を全部そのまま言えるだけ言う歌である。『Can you give me one last kiss?』と欲しいものをそのまま要求する。『燃えるようなキスをしよう』だもんね。あらここのキスはカタカナだったか。英語っぽい発音なのに。余談。

勿論、今後またヒカルが「…皆まで言わなくてもわかるよね?」風味な作詞をしないとは言わない。しかし、今のエンターテインメントのトレンドと今のヒカルの作詞の傾向が良い具合にシンクロしている感触はある。感じたことや欲しいものを、そのまま言葉にする。そういえば最近、「言語化」って言葉を頻繁に聞くような気がするし。元々言語化の権化としてこの日記を書き続けてきた身としては、いい傾向だな歓迎したいなという気持ちです。「そういうことなのね? ならそう言おうぜ。」という私の口癖が報われる時期なのだとしたら、今のうちに存分に満喫しておきたいな。時々その口癖忘れちゃうんだけどね。

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LMYKのInstagramは…2月1日で止まってるのかな。レコーディング中ってことか。今はヒカルへの注目がいつにも増して高まってるからレーベルメイトにとってもチャンスだからね〜4月はヒカルの新曲が控えてるから(リリース日まだ発表されてないけどね)LMYKが動けるのは5月からかな〜よくわかんないけども。

ヒカルへの注目度が上がってる余波というべきなのか、YouTubeでの『Time』の再生回数が300万回を突破した。200万回から250万回に至るまで80日掛かっているのに対して250万回から300万回は72日。通常再生回数の伸びは時間経過と共に鈍化するものだから、こうやってスピードアップするのは異例だ。これはもう単純に、『One Last Kiss』の大ヒットで宇多田ヒカル自体に注目が集まっている事の証左だろう。連続再生設定してる人はそのままレコメンドで『Time』が再生されたりもしてるだろうし。他の楽曲も、数字はチェックしていないが同様の現象が起きているのではないか。

となると『誰にも言わない』のミュージック・ビデオが存在しないのは何とも残念というべきか機会損失というべきか。YouTubeでの再生回数というのがどれだけレーベルに利得を齎すのかはわからないが、アーティスト自身のプロモーションの為にも、リリックビデオでもいいからミュージック・ビデオはリリースしておきたいところ。

『PINK BLOOD』のミュージック・ビデオの制作状況がまず気にかかるわね。『One Last Kiss』の大成功をみて、大急ぎで企画が立てられていることも考えられる。アニメ映像を駆使した映像作品がいいかなとは思うが、NHKがそれをさせるかどうかは知らない。勿論、ファンとしては『One Last Kiss』MVに引き続きヒカル出ずっぱりの映像を期待したい…もう今後のMV全部それでいいんだけどねぇ。イギリスの状況は日々改善されているようだし来月には更なるロックダウンの緩和も予定されているのだから…どうにかなりませんかね?

いずれにせよ今の注目度はレーベルにとってもレーベルメイトにとってもチャンスだ。それをどう活かしていってくれるか、つぶさに見守っていくことにしますかね。

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※ 映画のストーリー概要の話なのでくれぐれもご注意下さい。




『One Last Kiss』の曲構成は「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」と同型だという話を物凄くざっくりみてみよう。


まず出だし、『初めてのルーブルは…』の部分はオープニングのパリ市街戦に呼応する。そのまんまですね。

映画は次に第3村に舞台を移し人々との交流の中からシンジが立ち直っていくまでが描かれるがここらへんが

『寂しくないふりしてた
 まあ、そんなのお互い様か
 誰かを求めることは
 すなわち傷つくことだった』

あたりに簡潔に纏められている。

そして後半から映画ではシンジが再びヴンダー(あのでかい艦な)に乗り込んでエヴァンゲリオンが入り乱れて活躍するヤマト作戦からマイナス宇宙の場面に推移していく。

『One Last Kiss』の方はどうなっているかといえば、以前この曲はブレイクを挟んで前半がオリジナル&後半がリミックス風味に構成されていると書いたが、そのリミックス・パートが映画でいうエヴァンゲリオンたちが活躍するパートにあたる事になる。

オーガニックな人との触れ合いを描いた静かな映画の前半と較べて後半は人型兵器が画面を占拠しているわけだが、『One Last Kiss』でも、人の声の暖かさを感じさせる楽曲前半とは打って変わって後半ではヴォーカル・パートはどんどん脱構築され切り貼りされて畳み掛けられていく。つまり、前半での意味を持ったセンテンスから後半ではそれらがただの音に変わっていくような感覚だ。ただの音になってひたすらリフレインされる『忘れられない人』や『I love you more than you'll ever know』や『Oh oh oh oh oh』のフレーズが入り乱れる様は、人の思いを乗せて縦横無尽に画面を飛び回るエヴァンゲリオンたちを象徴してるかのようでな。

特に、バックの独特の合成音、あの、濡れて凍ったグラスを磨いたような小気味よい音をバックにして、それらをサンプリングして重ねたような、人のような機械なような声色で奏でられる『I love you more than you'll ever know』のリフレインは、劇場で初めて聴いた時「これはエヴァンゲリオンという概念をサウンド化したものではないか」とえらく感激したヤツだ。

この映画にはエヴァンゲリオンとかアダムとかリリスとか、兎に角人の形をしていながら人ではない何かがどんどん登場する。それらは人にはない能力を持っていたり逆に人にはあるものが欠けていたといった人に似ていて人にあらざる者たちだ。そういった存在をこのエフェクトをかけた『I love you more than you'll ever know』で表現しているとしたら、いやこれホント上手くできてるなぁと。AGクックはん素晴らしいでんな。EVAのこと知ってはるんやろか?(なぜか関西弁)


で楽曲は最後、

『吹いていった風の後を
 追いかけた眩しい午後』

でしっとりと締め括られるが、ここらへんはもう映画のラストシーンの持つ清々しさと切なさを完璧以上に表現しきっていますわね。言うことなしだわ。


斯様にして『One Last Kiss』は「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」映画本編と同型の構成をしている。極々大雑把にでしかないけどね。いや二時間半の映画を4分間のカタルシスに纏めるんだからそりゃ大枠にもなるわいな。本当に、真(シン)の意味で『One Last Kiss』は映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の“テーマ”・ソングとして相応しい。テーマの体現そのものなんだから。ヒカル史上過去最高に映画とシンクロした名曲だと言えるんじゃないかな。

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さてさて一方「不滅のあなたへ」のオンエアまであと3週間を切った。事前番組などで『PINK BLOOD』がナレーション被りナシで聞けたりと少しずつ楽曲の特色が顕になってきている。

歌詞は未だよく聴き取れないけれど、恐らくだが「覚悟」みたいなことを歌っているように聞こえる。自身の言動や決断に怯まない事。昨夜の放送で庵野秀明も監督としての「覚悟」について語っていた。ヒカルが言うには愛とは覚悟することなんだと。相手がどういう対象なのかという具体論には一切触れずに、ただ自分が愛すると決めたから愛する事が愛だということだろうか。自己言及的な定義でなかなかにお気に入りだが、要は腹括れってことですわね。


「不滅のあなたへ」には最近のヒカルの作詞におけるキーワードが設定の根幹として出てくる。喪失と傷と記憶だ。

例えば『One Last Kiss』では、以下のようにキーワードを当て嵌めることが出来る。

喪失:『止められない喪失の予感』
傷:『誰かを求めることは即ち傷つく事だった』
記憶:『忘れたくないこと/忘れられない人』

『誰にも言わない』もそうだろう。

喪失:『いくつもの出会いと別れ』
傷:『一人で生きるより永久に傷つきたい』
記憶:『振り返って思う』

「不滅のあなたへ」の主人公フシは、傷を負い喪失し記憶に留めるその過程全体を以てアイデンティティを形成するという非常に独創的なキャラクターだ。詳しくはオンエアをお楽しみにというところだが(漫画を既読の方はわかるかと思います)、これほどまでに今のヒカルの作詞に相応しい人物(ヒトじゃねーけどな)もそうは居ないだろう。よくもまぁこんなタイアップの話が舞い込んできたものよ。

感染症禍下のスケジュール変更の連鎖は創作の順序を把握する事を困難にしているが、もしかしたら逆に、ヒカルが「不滅のあなたへ」の漫画原作を読んでそこから影響を受けた歌詞が『PINK BLOOD』以外にも波及している可能性があるのかもしれない。オンエアは始まっていないし歌もまだ30秒しか聴いていないけれど、いやぁいいタイアップだったねともう総括したくなる気分になっている。あとは、もうなんか、具体的にどうなっているか確かめるだけ、みたいなな。とっとと太鼓判を押してしまいたいと思います。どんっ!

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さっきまで庵野秀明をフィーチャーした「プロフェッショナル仕事の流儀」を観ていた。隙間時間を繋ぎ合わせた感じなので全編観れた訳ではないのだけれど、少なくとも自分の観た範囲では宇多田ヒカルの宇の字も出てこなかった。残念。せめて続けて「不滅のあなたへ」のPVでも流してくれたらよかったのにな。でもこの番組きっかり75分=4500秒なのね。そんな隙すら無かったぜ。とほほのほ。


庵野秀明という人の特異な所は、本質的には小説家的なパーソナリティを持っているのにアニメーターとして絵を描き監督の座に就いた事だ。彼の言動は至って当たり前というか普通というか、自然なものだった──もし彼が小説家とか漫画家とか作曲家とか、ひとりでモノを作る人であったならば、ね。

「頭の中にあるものはつまらない。外にあるものを見つけないと。」というのは、そういった“ひとりで書く人”であれば日常的に呟く事であって、彼ならではという程のことではない。だが、映画監督という多くの人を使役する立場の人間なのにこれを言ってしまえるというのが彼のぶっ飛んだところなのよね。普通ならひとりで味わう制作のライブ感覚を何十人何百人という人々を巻き込みながら体感していく。しまいに前世紀のテレビシリーズは視聴者にまでそのライブ感を伝えてしまった。漫画家が原稿を落としそうになって線画や文字解説で凌ぐような事を(萩原一至や冨樫義博みたいなヤツな)アニメーションでやってしまった。

「新世紀エヴァンゲリオン」は、昔からしばしば純文学、私小説になぞらえられてきた。そりゃそうだ、庵野秀明という人の本質は私小説家なのだから。ただ、字を書く代わりに絵を描きそれを動かし周りの人まで動かし始めたからそこが世紀末的に、21世紀的に新しかった。アニメ視聴者に私小説の魅力を教えた人なのだ。

今日彼の立ち姿をテレビで観ていて、「嗚呼、彼の世界の見え方ってエヴァンゲリオンそのものなのか」という気がしてきた。彼はアニメでファンタジーを描いているというよりは、自分自身の持っている現実の世界に対する見え方捉え方をそのまま絵を動かして表現しているのだなと。彼にはこういう風に世界が見えている、という表現が「新世紀エヴァンゲリオン」なのだなと。


そんな作品だからこそ宇多田ヒカルに響いたということだ。ヒカルが小説を沢山読む文学少女なのは周知の通りだが、ヒカルはエヴァの私小説的な核をすぐさま読み取り自身の歌に反映させた。故に脚本をまともに読まなかった『桜流し』も映画の完成を待たずに書き始めた(ような気がしてきました私が勝手に)『One Last Kiss』も、しっかりと物語の枠組を捉えていた。それはヒカルに文学的素養と経験が備わってた事と、それに加えて、その、私小説的な核の部分を文字による小説ではない手法によって表現する手法を元々携えていたからだ。そこに庵野秀明の特異性が絡み合って『Beautiful World』と『桜流し』と『One Last Kiss』が生まれた。要は、もともと庵野秀明と宇多田ヒカルって似たもの同士なのよね。アニメ監督とシンガーソングライタープロデューサーという手法と立場の違いはあれど。

となると、だ。ヒカルがシンガーソングライタープロデューサーであるのならば、「ライブ感覚」の最大級に直接的な表現方法である「ライブ・コンサート」でエヴァ関連の楽曲を披露する時に、どれだけ「絵コンテなし」(番組では「画コンテ」って字幕出てたな?)なスピリットで挑めるかというのも、ひとつ今後の注目点になるかもしれない。まぁ、気が早いな。次のライブが観れるのなんていつになるやらだから。それまではこの、宇多田ヒカルと庵野秀明という似たもの同士によるタッグが生んだ人類史上最高傑作映像たる『One Last Kiss』MVでも観て過ごしておくと致しましょうかね。いやほんと、番組で言われていた通り、少女みたいな少年みたいな還暦ですな総監督は。

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