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無意識日記
宇多田光 word:i_
 



毎日日本列島各所で猛暑日(最高気温35℃以上2007年から)を記録するこの暑さ、昔のこの季節の思い出とのズレが甚だしい。同じ季節の発売だった気がしないぞ『DEEP RIVER』とか『ULTRA BLUE』とか。暑熱馴化なんて言葉、昔は知らなかったわ。

そんな猛暑日設定のないような昔から真夏を忌避していたヒカルさんが昨年は真夏丸ごとツアーするんだから、長生きはするものだわね。


そんなエアコンラブな(?)ヒカルさんなので、季節感が楽曲に直接出ることは少ないのだが、いつのまにかちょくちょく顔を出してたりはする。代表的なのは『気分じゃないの(Not In The Mood)』で、あの歌の『Rain rain go away』『雨、雨、どっか行け』という歌詞は、イギリスロンドンの曇天模様と寒々しい冬の雨降りの感触無くしては生まれなかった気がする。「雨の憂鬱さ」が日本のそれとは異質な気がするのよね。『HEART STATION』の『肌寒い雨の日』とは違うというか。と言いつつ同曲がどの国を想定してるのかインタビューとかで聞けたことはないとは思うけど。

『Mine or Yours』も、正調宇多田ヒカルというか、どの季節にも流せる曲調ではあるのだが、しかし一節、

『冷めたら温め直せばいい』

だけは、「秋冬向けの曲だなぁ」と思わずにはいられない。まぁそもそも、コーヒーと緑茶をお湯から淹れてそうではあるのだけど、一応アイスコーヒーとかはあるからね。それをこの一節が持っていっちゃうとこある。ただ次の、

『不安材料も味付け次第』

という小粋な一節が「あクマでこれはキッチンレシピの話だよ」と後方から印象修正をかけてくれるところは流石というかなんというか。

比喩が重なり合ってるな。『冷めたら』というのは元々は「人間関係が冷え切ったら」という意味だろう。それで諦めちゃわずに関係修復に取り組もうよというのが『温め直せばいい』。「旧交を温める」という表現があるように、人間関係が修復されることもまた温度が上がる事で表現される。うまくまとめたものだな。

なので、この歌のコーヒーと緑茶はどうしたってホットコーヒーと熱い緑茶ということにはなるので、もうどこのお店に行っても出されるお茶が冷えてるこの季節ではアウト・オブ・シーズンになりつつあるのだけど、サウンドの醸し出すほんのりとした暖かさが上品な為、歌詞に気を取られず音だけ流してる分には結構この暑さの中で涼しげに響いてくれる。歌詞を二行でバランスを取り、更にサウンドのまとめ方も工夫してアウト・オブ・シーズンになりかけるところをオール・シーズンズOKな楽曲として仕上げてるところ、やっぱりヒカルの曲は季節を問わないという認識のままで何の問題もなかったなと再確認できましたわよ。ですからこれからの季節も愛聴させてうただきますわね。…今回は、それを言いたいが為の長々とした言い訳でございましたとさ⭐︎


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てことでいつものやつも書いとくか。各アルバム収録曲の中で時期的にいちばん早いリリース曲一覧。

1st『First Love』:『Automatic/time will tell』
2nd『Distance』:『Addicted To You』
3rd『DEEP RIVER』:『FINAL DISTANCE』
4th『ULTRA BLUE』:『COLORS』
5th『HEART STATION』:『ぼくはくま』
6th『Fantôme』:『桜流し』
7th『初恋』:『大空で抱きしめて』
8th『BADモード』:『Face My Fears』
9th?????:『Mine or Yours』

こうやってまとめると、つくづく「何の傾向もない。ひたすらバラバラ。」であることに気付かされる。前作のタイトルトラックのバラード・バージョンから始まるとかそんなの事前に予想つかんよ。R&Bというジャンルの名前を日本に広めた人が突如童謡歌ってこどもたちと触れ合うとかわかるわけないだろ。エヴァが特別だからってリリースしてから4年近く待たせるとかさぁ。タイアップもMDに車に水にゲームにってもう何が何だか! ある意味今回綾鷹だったのは「初めて被った」とすら言えるかも。

その被った相手は『大空で抱きしめて』。サントリー繋がりで、リズムパターンも『Mine or Yours』と近く、色々と参考になるかもしれない。この曲のリリースが2017年の7月10日で、収録アルバム『初恋』のリリース日が2018年6月27日。一年経たないうちに『Forevermore』『あなた』『Play A Love Song』『初恋』と立て続けにリリースしてアルバム出してんのね。同じベースでここから行くとすると『Mine or Yours』の配信日が2025年5月2日だから2026年4月19日か。この日は日曜日だから違うけど、うぅむ、ペースだけなら2026年3月末(3月18日や3月25日)にオリジナル・アルバムが出ても何も不思議ではない感じになっちゃう? え、次のアルバムってそんなに近いの? うそーん。この計算、もっと若い頃じゃなくてほんの8年前のだから参考にできる距離感よねぇ。


確かに、油断してたけどもうそろそろ『SCIENCE FICTION TOUR 2024』のスタートからも1年経つんだもんなぁ。

ほいじゃついでに参考までに、過去の全国ツアー終結から次のオリジナル・アルバム発売日までの日数を記しておくか。

・211日:『Bohemian Summer 2000』から『Distance』まで
・556日:『UTADA UNITED 2006』から『HEART STATION』まで
・1137日:『Laughter In The Dark Tour 2018』から『BADモード』まで
・???日:『SCIENCE FICTION TOUR 2024』から9th アルバムまで??

となっている。それぞれの日数分をSF最終日2024年9月1日に足してみると、

・2025年4月10日木曜日
・2026年3月21日土曜日
・2027年10月23日土曜日

ってなるな。うわ、ボヘサマから『Distance』は早いな! 今だともう先月出てた計算かよっ! ウタユナからハトステまでの感覚だと、上述したのと似たようなペースになりますね。そしてラフダクからBADモードって結構空いてんだね! コロナ禍を挟んだのもあったけれど、『Face My Fears』から次の『Time』まで16ヶ月近く空いたのが大きかったか。

てことで、『Mine or Yours』から始まる9thアルバムへの旅、もう始まっちゃってる感じなので今後もいろいろと期待して参りましょうね♪



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本日は、毎年お馴染み『First Love』地上波初披露記念日。26年前。この時出演した「ミュージック・ステーション」は歴代最高視聴率である26%を記録したので3000万人くらいの人たちが観ていた換算。故にアルバム発売の1999年3月10日やシングル発売の4月28日よりも遥かに多くの人々にとっての『First Love』記念日は今日だったりします。もちろん、それまでにラジオでは掛かりまくってはいたけれどね。そこは、今も昔もラジオ・リスナーって限定的だから。

2014年はそのアルバムの15周年記念盤が発売されたり、2022年はNetflixドラマ「First Love 初恋」が配信されたり、2023年は『40代はいろいろ♫」でそれまでになかった大胆なアレンジで歌われたりと、ことあるごとに話題になってきていたこの『First Love』だが、今年は「THE F1RST TAKE」でのパフォーマンスが話題の中この記念日を迎えた。現在961万回再生なので、滞り無く1000万回再生を迎えそうだ。全くこの曲の神通力は衰える事を知らない。

他方、ヒカル自身はといえば、この日記でも何度となく触れてきたように、アルバム『SCIENCE FICTION』では2曲目という「いちばんの売りというわけでもない曲順」に配置し、ツアーでは「ノリノリの曲の間の箸休め」扱いだったりしたので、特に『First Love』にだけ注力してるわけではない。他の曲達と同様にケアして愛情を注いでいる。

ただ、理由や動機やキッカケはどうであれ、こうやってパフォーマンスやリアレンジを通して過去の曲に向き合う機会が訪れてくると、今度は次の創作への影響というものも表れてきたりはするだろう。歌い直してみてあらためて良さに気づいたり、今の技量なら全く違ったアプローチで編曲できてただろうなとか、今のサウンド・クォリティなら違うミックスでリリースもできたかなといった過去曲への気づきがそのまま次の新曲に影響を及ぼす事は有り得る。

実際、これまた事の経緯はどうであれ、『初恋』という和訳そのままのタイトルの全く新しい新曲をリリースしたり、『Flavor Of Life』や『Find Love』といった、タイトルが韻を踏んでいる曲をリリースしたりしている(なお前者はアップテンポの軽快なポップ・ロック・ナンバーである)。過去との比較や連想をしたい人はしてくれて一向に構わない、というその度の新曲への自信の顕れですわね。実際『初恋』は、『Laughter In The Dark Tour 2018』において「『First Love』の次順の曲」という大役を見事に果たしてみせた。あのライブ最大の見せ場が『初恋』の静寂だった、と思い返す人も多かろうて。

なので、ヒカルのこれからのアウトプットにまたもや『First Love』の面影が現れる可能性は結構ある(敢えて封印したりはしない)とは思われるが、結局のところはその都度都度の新曲たちがその時の主役を張るのであって、やっぱりヒカルの中では、特にクリエイターとしては『First Love』の存在は過去の一曲として相対化されている事になるだろう。一方、「THE F1RST TAKE」のようなスタジオ・パフォーマンスも含めて、自分で歌って誰かしらのリアクションを貰える機会に恵まれたとすれば、それはそれで特別な感慨を抱くことにもなるだろう。過去最高の出来とも言える出色の『First Love from THE FIRST TAKE』をApple MusicやSpotifyで聴きながら、そんなことを思うのでありましたとさ。


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いやほんと、しょこたんのことは当然心配なんだけど、それ以上に叩いてる人たちの精神状況が心配、というか不穏に感じるわ。彼らからのあれやこれやに対処する為に事務所が発表(週刊誌媒体に寄稿、なのかな?)した内容が「ゲーム機の入手手段」としょこたんの謝罪コメントって事態のおかしさ。たとえ盗品だったとしても何の関係もない我々にしょこたんが謝る理由ひとつもないからね本来は? 盗られた人と関係者の皆様に謝るだけで。道歩いてたら「お前ひとのモノ盗ったんだって? 俺に謝れよ!」っていきなり全く無関係な人に話しかけられるようなもんだからね今の事態は? もちろん現実には盗品なんてことはなく、人からプレゼントされただけのしょこたんが謝罪のコメント出すとこまで追い込まれるとか、完全におかしいからね? その自覚のない人が世の中にたくさんいるとしたらなんとも怖い、、、。


…なんて話が延々続くと流石にうんざりなので話をガラリと変えますね。


『Mine or Yours』が『SCIENCE FICTION TOUR 2024』完遂後初のオリジナル曲リリースとなったので、過去のヒカルの各ツアー後の最初のシングル曲を列挙してみる。


・『Can You Keep A Secret?』
こちらは2000年の『Bohemian Summer 2000』終了後初のシングル。ツアーが終わったのが2000年8月下旬で、このシングルの発売日が2001年2月中旬。半年待たされたってことだね。1月から既にドラマで流れてたし翌3月にはアルバム『Distance』がリリースで一挙に“新曲群”を得たのだけれど。

・『ぼくはくま』
こちらは2006年の『UTADA UNITED 2006』完遂直後、同年11月のリリース。ツアーが終わったのが9月10日なので2ヶ月半で発売されたんだな。前回のツアーよりもずっと早かったね。

・『Hymne à l'amour 〜愛のアンセム』
こちらは2010年2月に『In The Flesh 2010』が終わってから初のリリース。同年9月配信開始だから7ヶ月ほど後ってとこか。

・『Face My Fears』
こちらは2018年12月に『Laughter In The Dark Tour 2018』が終わって、翌2019年1月のリリース。5週間後だから『ぼくはくま』より更に早いな。

・『Mine or Yours』
SFツアーが終わったのが2024年9月、こちらのリリースが2025年5月だから8ヶ月後ですね。とはいえ、間に『Electricity Remixes』シリーズ3連発を挟んでいるのだけど。


てことで概観してみたんだけど、「ツアー中にもう次のアルバムへの曲作りに取り掛かってた」感のある『Bohemian Summer 2010』と『In The Flesh 2010』はリリースまでのスパンが半年前後と長く、アルバム完成直後にツアーに出た『UTADA UNITED 2006』と『Laughter In The Dark Tour 2018』は、ツアーが終わって即新曲を出した感じだね。

…ん?普通と逆じゃねーかこれ?

アルバム制作途中にツアーしたんなら次から次へと新曲を出しそうだし、アルバム完成直後にツアーしたんならそうそう新曲にすぐ取り掛かれないだろうに、ヒカルさんは逆なんすかね? 『Hymne à l'amour 〜愛のアンセム』収録の『Single Collection Vol. 2』にいつ取り掛かったのかはよくわかってないにせよ、それにしたってねぇ? アルバム作ってツアーも終わらせて、もう空っぽ!暫く休む!ってなるかと思いきやもう新曲作っちゃいましたっていう。そんな人ですか。ですね。本人も友人にいろいろと指摘されて苦笑いしてるようですし。

で、今年の『Mine or Yours』はそのどちらとも言えないというか。SFツアーはアルバムリリース直後の全国ツアーではあるけれど、『SCIENCE FICTION』がベスト・アルバムとしての側面も強かったから通常の制作とは違ってたはず。更にツアー後はコンサートBlu-rayの発売まではいつも通りにせよ(過去最速だけどね!)、映画館上映に写真集発売に、上述のリミックス連発もあって、つまり「新曲のリリースではなかった」だけで、間断なく活動が続いてるのは間違いないわけでね。

となるとなー。いやね、これまとめようと思ったのはそもそも

「『Mine or Yours』は次のアルバムの中でどんな位置付けになり得るか?」

について気が早過ぎるながらも論じてみたかったからなんだけど、結局、

「過去に前例のない展開になってるからさっぱりわかんない!」

という結論になっちゃったですよ、ハイ。やれやれ、これはアプローチを考え直さなきゃいけませんな。今はこうやって単曲で楽しませてもらってるけど、ゆくゆくはいつか「アルバム曲」になるからね。今からワクワクしてしゃーないのでな。ほんにいい曲からスタートしたなと思うよ宇多田ヒカルの9枚目のオリジナル・アルバムは! いやでも『NINE STORIES』なんてタイトルで写真集出したし『SCIENCE FICTION』を9枚目と数えるセンもある?? なら次は10枚目? そこらへんの話もまたいつか触れますかねー。



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Hikkiとしょこたんの比較というと、どうしても2人の学校生活の頃の妄想を繰り広げてしまうのよね。

ヒカルさんは過去の各発言から総合するに、特定のグループやカーストには所属せず、どこの人たちとも円滑に人間関係を営めていて、結構な遅刻癖があったりしても、学業成績の良さと愛嬌の良さで教師陣からも悪からず思われていて…みたいな“生徒像”を思い浮かべる。社交的というほど積極的に人と関わることはしないが、如才なく学校生活をやり過ごせたタイプだろうと。

一方しょこたんは、いじめや不登校の話題となると行政からも駆り出されるほどの知名度がある元不登校児で、人間関係に悩まされていたことは周知の事実。如才無いヒカルとは対照的だ。

この構図が、社会人になってからも展開されているようにみえちゃうのよね。決して人付き合いがいいとは言えない宇多田ヒカルだけれどもたまにメディアに顔を出すと方々から歓迎され尊敬され人当たりの良さも相俟って好感度は常に高く来た。あのタモリがデレデレになる人なんて吉永小百合以来じゃないかというくらいに。

しょこたんは、ネットでいじめに合ってる。ご覧の通りに。

でもこの構図、結局は「運」でしかないように思えるんだの。確かに、ヒカルさんはいじめられる要素が少ないように振る舞えてはいるけれど、いじめのターゲットになるかならないかなんて時の運でしかなくて。結局少数派とみなして追い詰めて生贄にできるなら誰でもいいので。なので、現状ヒカルさんがある程度いじめられずに来てたとしても、しょこたんをみると「もしかしたらヒカルもあそこに居たかもしれないなぁ」ってついつい思っちゃうんですよ。他人事とは思えない。

現実には、「無差別に人を襲った。誰でもよかった。」と供述する通り魔も、屈強な男たちが並んで歩いてるところに突撃はしないわけで、しっかり自分より弱そうなヤツを狙ってるというのが実際のところのようで。意識してるかしてないかに関わらずね。そんな現場に居合わせたことないけれども。なので、いじめのターゲット選びも空気を読んでるんだろうなと思われるので、結局のところ「いじめはよくない」という全称命題の空気が醸成されない事にはどうしようもないんだけれど、行政体のトップからそういう構造だったりすると歯止めがどこも利かないよね。司法体のトップなんぞいうまでもなく。なのでヒカルさんが物理的に日本列島から居なくなってるのは、至極正解だったなぁと痛感し直してますわ。それでもこうやって何度も来日してくれて嬉しい限りではあるのですが。

これで今後「宇多田ヒカルまでいじめられる構図」がみられるようになってきたら、いよいよ正気がどこにも見当たらなくなっていくだろうけど、どうなるやら。


暑いと怠いね。コーヒーと緑茶もアイスコーヒーと麦茶になる季節? 「冷えた緑茶」もペットボトルでポピュラーになったねぇ。あらかじめの水分補給を、皆様どうか忘れずに。コーヒーと緑茶は水分補給には向いてないけどなっ! ああいや、向いてないだけで飲まないよりはずっといいのだけども。


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しょこたんが叩かれてて何が悲しいってねぇ、、、ってことで昔語りするわ。


20年くらい前までは、ヲタクが地上波テレビの番組でレギュラー獲るなんてあり得なかったんですよ。今ならゴールデンで深夜アニメについて熱く語っても趣味の一つとして一応尊重してくれるとこまで来てるけれども。そんな当時、グラビアを張れるルックスなのにヲタク全開の芸風で地上波に出始めた中川翔子は衝撃的でね。「あんたなんでそんなに絵ぇ上手いの!?」って度肝抜かれたフジテレビの「考えるヒトコマ」が2005年春か。ちょうど20年前だね。そこからですよ、ブログの女王としてどんどんテレビに出てヲタクの市民権獲得に大きく貢献してってくれたのがしょこたん、中川翔子様なんですよ。

そんな彼女が歌うあの傑作テレビアニメ「天元突破グレンラガン」の主題歌「空色デイズ」をリリースしたのが2007年6月で、他方、宇多田ヒカルが歌う劇場アニメ「新世紀エヴァンゲリオン新劇場版・序」の主題歌『Beautiful World』をリリースしたのが2007年8月ですわ。大体同時期なんだよね。この頃からぐんっと「ヲタクアニメの主題歌を一流アーティストやアイドルが歌うのは何も特殊なことではない」という風潮が浸透していって。今トップアーティストたちがこぞって深夜アニメの主題歌歌ってる令和の時代からみたら考えられないかもしれないけどねー。そんな経緯だったんですよ。

んで。中川翔子と宇多田ヒカル。この2人個々人に関しては特にお互い接点はないんだけれどさ、見てるこちらとしてはそれぞれに時代を動かしてくれた恩人みたいな存在という認識なんですよ。ヒカルさんだってしょこたんがブログ女王と呼ばれる5年も前から「未成年の女性歌手が自らのウェブサイトで自分の言葉でメッセージを発信している」ことでも注目を浴びてたしな。色々と親近感があったんだわ。

なお2007年当時のヒカルさんはしょこたんと違って「私はオタクではありません!」と力強く力説していたことを記しておく。信じるかどうかは君次第だ。


そんな2人だったんだけれど、どうなんだろうね? Xを見る限り、今の世ではもうヲタクたちの救世主だったみたいなことは忘れられてたりするのかねぇ? 我々一般大衆は3歩も歩いたら大恩を忘れる鶏程度の頭しかないからなぁ。20年経って世代が移り変わった? いやぁ、10年以上前のことを蒸し返す人とかいるからそうでもなさそうだね。

ヒカルさんも昔は「ババア、結婚してくれ!」って次々と書き込まれるくらいに愛されてたなぁ、なんてその20年くらい前の事を思い出したりして。ああこれは、2ちゃんねる(現在の5ちゃんねる)で「もう20代だし既婚者(後にバツイチ)なんだけど、10代みたいな可愛らしさがあるし何より才能抜群だし超大金持ちだし俺も逆玉の輿に乗りたい!」みたいな複雑な感情を表す歪んだ物言いだったんだけどやっぱり昔の空気感を今出すの難しいね…っ!

そんな2人が今年はそれぞれの理由でXとかで叩かれてて、まぁ遣る瀬無い。ヒカルさんは多分色々と覚悟の上で時流も読みつつ仕掛けてきたのだろうから叩かれるのも計算のうちなんだろうけど、しょこたんはそこらへん朴訥だからね。不意打ち喰らって心理的ダメージ多大に受けてるんじゃないかな。何とも理不尽だわ。

確かに色々と不器用なとこあるんだけど、だからって叩いていいとかましてや燃やしていいとかあるはずもなく。『Mine or Yours』関連で随分とXの検索をしたけど、そこにいる人たち、まぁ荒んでるというか、常識がズレてるのをもう全く感知できてないというか(アメリカがあれじゃ仕方ないんだけども)、末期というにはまだ早いけど随分と偏ったなぁという印象。今に始まったことではないとはいえ、しょこたんみたいな子(もう40歳で人妻ですけどね)がのびのび生きられない社会は問題ありまくりですよ。「いや彼女にも悪いところが…」とか反論したくなってるとしたら、かなり毒されてるので気をつけた方が、私はいいと思いました。やれやれだぜ全くもう!


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FFさんがレダラッハというスイスの有名チョコレートブランドについてのつぶやきをRPしていて、なるほど何が話題になってるかと思えば創業者の設立した学校での児童虐待疑惑か。同ブランドは今年の2月から5年ぶりに日本で再展開をしてて、疑惑は2年以上前から取り沙汰されていると。もうその創業者は経営から離れているがはてさて道義的にこのブランドの商品を購入すべきかと議論になっている、のね。

「商品に罪はない」と述べる人と「購買活動は資金供与にあたるのではないか」と言う人と双方いらっしゃる。ふむ、これは確かに難しいわね。

疑惑も確定してるようではないみたいだけれど(ここらへんのことは情報のタイムラグがあるかもしれない)、一方でこの学校の教義はキリスト教福音派らしく「同性婚・中絶反対」で、こちらは疑惑とかでなく中の人がインタビューでしっかり主張してることなので間違いなさそう。ふむ、これに基づいて不買してる人は、それこそ前回の日本撤退以前からいらっしゃるのねぇ。


なんでこんな話をしてるかというと、『Mine or Yours』もこういう世論に晒されかけたのかなぁって。「曲に罪はない」と思った人がどれくらい居たのか。「そんな主義主張の歌手にお金を払いたくない」という不買気味の投稿も見かけた気がする。

だけど、そこまで大きな話にはならなかったかな。結局、全体のアクセス数をみても『THE F1RST TAKE』での2曲のパフォーマンスの評価が圧倒的だったからね。

とはいえ人数の多寡の話でもない気はする。そもそもこのスタイルの歌の歌詞で、作詞家や歌手の主義主張がそのまま表れていると断ずるのも勇み足なのだとは思うけれど、結局の所政治は熱狂のうちに暴走するか否かが問題なので、ややもするとそのうち理屈も道理も通らなくなっていく。それこそ日本語圏内の風向きによっては、ヒカルが犯罪者呼ばわりされるかもしれない。毎度のように中川翔子様が炎上なさってるが、彼女は言い方が幼いだけで特に何か大きな瑕疵があったことはない。一度目をつけられると何をしても悪意をぶつけられるというだけだ。いわば運でしかない。

確かにヒカルは発言に恐ろしく気をつけているからしょこたんのような炎上被害に遭う確率は相対的には低いものの、ゼロではない。今回もそこまで派手に延焼することなく鎮火したのは圧倒的な実績と信頼によるものが大きいけれど、日本語圏における情報伝達能力劣化速度をみてると、それすらも効かなくなる日々が来るのかなとちと恐ろしくはなる。現在の有難き日々の幸せと好運を噛み締めて今までの成果をじっくり堪能しつつ次のアウトプットを待ちたい。


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ふむ、キンハ関連の新情報は無さそうね。まそりゃそうか。


さて話変わって。
最近のリリースの今日時点でのYouTubeの再生回数を見てみると。

50万回『First Love SF Tour 2024』
933万回『First Love THE F1RST TAKE』
424万回『Mine or Yours THE F1RST TAKE』
93万回『Mine or Yours』MV
33万回『Electricity MAJ2025』
27万回『Electricity (Arca Remix)』
239万回『Electricity』

こんな感じか。うぅむ、『First Love』が圧倒的に強い。その中で、『Mine or Yours』のFIRST TAKE バージョンもなかなかに健闘しているのではあるまいか。

そして『Electricity』関連、普通であれば十二分な再生回数なんだけど、楽曲の風格に見合うにはあと3桁足りないなっ…!

如何にタイアップが大事かわかるわよね。いやそれを言ったら『First Love』を提供した「魔女の条件」もそこまで視聴率が高かったわけじゃないけども。あ、でも各回平均視聴率21%は結構なものか。それでもやっぱり、どこまでも別格なのかなこの曲の世間での評価は。

『Mine or Yours』も、綾鷹スペシャル・ムービーの方はコカコーラのチャンネルで185万回、宇多田公式で36万回と、合計で200万回を上回っているのでなかなかのもの。このイメージの良さが、THE F1RST TAKEのバージョンやMVの再生回数に結びついているらのかな? いや、MVに関してはスペシャル・ムービーと役割を勘違いされてるかもしれないけどなっ!?

斯様にそれぞれ事情はあるけれど、『Electricity』に関しては、結局は伊藤忠商事の出稿が少なかったってことよなぁ。

でもね、どこかでノンタイアップで大ヒットして欲しいなというのは、なんだかんだであるのよね。(なおGoogle先生に「宇多田ヒカルのノンタイアップ・シングル曲はありますか?」と訊いたらAIさんが大量に大嘘ぶっこいてくれるので気をつけてね⭐︎ 2025年上半期時点で無料で使えるAIさんってこんなものかね?)

(それは置いておいても、)歌が歌だけで売れるって、どこかで出来ないのかな? つまり、テレビでもYouTubeでも、ただひたすら歌の宣伝をするだけというプロモーション・スタイルで売り出してみる、っていうね。営利企業がそんなことをしてくる意味はあまりない。そもそも引くて数多だろうからね宇多田ヒカルが新曲を作って出すとなるとね。向こうがお金出して曲の宣伝してくれるんだから乗っからない手はない。その上こちらが選び放題。は言い過ぎにしても大抵の場合選ぶ側なのは間違いなかろう。

ただ、相手を見極めないと、中途半端なイメージがついてそれっきりになってしまう、というリスクは有り得るわね。それも総合的にみると結局は「常にどの曲もタイアップをつける」のが最適解にはなるのだろうな。

『Electricity 』に関してはアナログ盤『Electricity Remixes』のリリースまであと4週間を切っているので、ここでもう一押ししてくれる期待は、ある! もう地獄の底から天国の頂上まで、どこまでもどこまでもついていきますよこの曲に関してはっ。是非是非、曲もレコード会社の中の人たちも、頑張って欲しいところなのです。


あまりに最近プロモーションが多元的で多角的で、今までとは違った感覚で追いつけてない気がするので、今回のような箸休め的まとめって結構のちのち効いて来ると、思うよ⭐︎


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ふぅ。前回は暴走してしまったから今日は大人しく。

今日6月13日は2月10日と共に「なぜかキングダムハーツの日」なのでもしかしたら公式発表が何かあるかもしれないんだけど今のところ何もなさそう、かな?

それについては去年書いてる。
https://uh19830119.hatenadiary.jp/entry/2024/06/13/081704

(そうそう、この「ブログ内記事リンク」が、そろそろダメになるんだよねはてなでも。goo Blogが終わるもんだから。最初っからミラーリングも併記すべきだったんだな…後悔先に立たず。流石に今までの記事全部掘り起こすのは無理なので「今後は暫定的にはてなブログのミラーリングの方にリンクします」とだけ今は申し添えておきますね。)


この間、偶発的に?「キングダムハーツ4」の制作が進んでいる事が発表された。制作決定からはもう3年経ってるけど、順調ならば有難い事だ。宇多田ヒカルもずっと恩恵を受けていて、当然ながら最長期間のタイアップ相手となっている。

『光』&『Simple And Clean』
『Passion』&『Sanctuary』
『誓い』&『Don’t Think Twice』
『Face My Fears』

とまぁ錚々たるラインナップに、いつの日かまた名曲群が加わるかと思うと堪らない。ヒカルの方も、海外での公演ではこれらの楽曲を重宝するとあって、向こうに宇多田ヒカルの知名度に乗っかられるみたいなアンバランスさもないから、こうやって長続きしているのかもしれないわ。


ただ、私もそうなんだがヒカルもゲームしてないっぽいよね? プロなんだから契約外の事をする必要は全く無いとはいえ、

「宇多田ヒカルがキンハをプレイしてみた」

という実況動画があったらかなりの再生回数は稼ぎそうな気がする。実際にはやらないただろうけど、万が一そんなことされたらゲームで遊ぶのを意図的に封印してる私がハードを何か買ってしまうかもしれないから心境としては自重して欲しい(笑)。いやヒカルがゲームで遊んでるとこ見てみたいけどね。YouTubeやらインスタライブやらで実況されたら食い入るように見つめたい。本人カメラとプレイ画面の二画面でな…そういやインスタライブでゲスト呼んだ時も上下二分割画面でしたね。関係ないけど。

まぁ更にそれが「親子2人プレイ」だったりしたらもうね、、、万が一どころか決してないだろうけど、色んな意味で参らされるのは確実だろうな。

うん、やっぱり主題歌を歌ってゲームファンを引き入れてくるくらいでちょうどいいや。


てことで、今年はなさそうですが、念の為今日一日はキンハ側から新情報がないか確認しながら過ごしますわね。


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MVシャッフル鑑賞したおかげさまで、『Mine or Yours』が「過去の宇多田ヒカルのビデオをよく研究して作られたもの」だということが凄く明確に伝わってくる。

昨日指摘したように、キッチンのシーンなどは『光』や『One Last Kiss』が念頭にあるのだろうし、スタジオで大掛かりな仕掛けを施してくるのは『BADモード』を連想させるし、寝そべってる場面などは『花束を君に』を彷彿とさせてて「よくわかっていらっしゃる」と唸らせてくる。そもそも、髪型をはじめとしたスタイリング全体が1999年頃を思わせるもので、それによって、最初と最後に洗濯機を出してきて例の

「洗濯物を畳みながら『Automatic (2024 Mix)』を聴いてたら涙が出てきた」

というヒカルのエピソードに着地させるなんて本当に如才ない。宇多田ヒカルの古今東西を組み合わせて最新曲を彩るこの手法自体、『Goodbye Happiness』でヒカルが実践していたことで、そこまで研究し尽くしてこのMVを作ったのなら山田智和監督には最早今後一切頭が上がらないです。


にしても、「ヒカルを寝そべらせると画面が映える」というの、よくわかってくれてるよねぇ。その為の理由づけが幾つも仕掛けられてて感心したわ。特に、卵を床に立てようとして寝そべった『何か要るかい?買っていくよ』(2:54)のカットはこのMVのベストショットのひとつだろう。そうやって寝そべらせといて、更に匍匐前進させる為に「そうだ、天井を下げればいいんだ!」と発想して実現させるなどもう完全に狂気の沙汰だ。おかげさまでこのMV、これでもかと「寝そべる宇多田ヒカル」のカットが鑑賞できる。それこそ右から左から前から後ろから上から下から! 素晴らしいったらありゃしない。

その監督の全開の性癖に応えたくなったのかなんなのか、一番サビ終わりの間奏部(1:51)でヒカルがバランスを崩して手をついている。いくらなんでもわざとには見えないので、アクシデントを見事にファインダーに収めた監督がホクホク顔で編集時に採用したのだと思う。何故ってそのあとどんどん床に接近接写していくヒカルの姿勢に説得力が増すからね。ほらさっき床に手をついてたでしょ?だったらそのまま寝そべってもいいじゃない?って雰囲気ができるからねっ。(※実際は2番が始まったら普通に椅子に座り直してます)


寝そべるヒカルを下から撮って何が凄いって、服を着た胸のラインが直線になる事なのですよっ! 嗚呼、そうね、普通は「胸のラインが柔らかな曲線を描いてくれる時」が興奮するポイント、ですよね? 普段はね。重力が垂直方向にはたらいている場合はね。でもね、あのね、

「床に押し付けた時にラインが直線や平面を描く物体」

ってね、

「やわらかい」んですよっ!!!
ここ大事っ! 試験に出ます。

「かたいもの」は床に置いた時、設置面積が小さいままなのよ。椅子の脚とかね。そのまま一点で全重量を支える。しかし、やわらかいものって床に置いたり押し付けたりしたら形が変化して設置面積が大きくなるのよっ! スライムとか想像したらわかると思う。想像上の生物を想像して物理をわかれとかあたしも無茶言ってるけれども。普通に水風船とかでいいかな。

なので、服のラインが胸元に描く直線をみて私はその「やわらかさ」が手に取るようにわかっ(たと幸せに錯覚することができ)て、非常に幸せなのでしたっ! いやほんといいMVだわ。何度も見返しちゃいますね!



、、、、ん? こんな話をしてたら読者が減る? ありそうね(笑)。特に女性読者が激減しそうで困ったなぁ。(もっと真剣に困れや)

ま、きっと歳取るとこういうテンションで文章書けなくなっていくから今のうちに書いとこうと思ってさ⭐︎ いや俺ならジジイでもこのままな気もするな…それはそれで絶句しますねぇ、やれやれ!




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昨日歴代MVをシャッフル再生してみたことで『Mine or Yours』MVの全体の中での立ち位置みたいなものがみえてきた。

まず、近年より目立ってきている「宇多田ヒカル自身のショットをフィーチャーしたスタイル」を踏襲している。これが第一の特徴だろう。『One Last Kiss』MVの大成功(一億回再生突破したのだから誇張ではないだろう)を受けてのもの、という指摘自体は正しいが、源流を辿ればなるほど、『Goodbye Happiness』PVの自撮りっぷりがひとつのマイルストーンにはなっていたのだな。勿論それ以前に『光』PVはあるのだけどあれはこちらに目線をくれないからね。

そして、登場人物はヒカルひとり。これ自体は珍しい事ではないが踏まえておきたい要素の一つだ。例えば『HEART STATION』PVなんかは公共交通機関を利用する映像でありながら生きて映る人間はヒカルひとりだったりと様々なバリエーションがあるが、MorYMVでは普通にヒカルのみ。

撮影場所として想定されてるのは、撮影スタジオでの大掛かりな仕掛けはあるとはいえ、映像として残るのは「終始室内」だ。中国の草原を駆け抜けたり宇宙に旅立ったりとこれまた様々なシチュエーションがあったが、台所のシーンがあることからも、『光』PVやOLKMVの影響もあるかもしれない。

世界観設定としては、幽霊?のくせに車に跳ねられたり宇宙人になってみたりといった現実離れしたところまではいかないものの、日常生活がいきなり天井が降りてくるというありえない展開と地続きになっている「少し不思議な」世界観。まぁ藤子不二雄流SFってやつですね。勉強机の引き出しがタイムトンネルと繋がるみたいな。当然、最後の洗濯機へのダイブもそのオマージュでしょう。くれぐれも、良い子も悪い子も普通の子もみんなみんな、真似しちゃダメだぞ!

そして、ストーリー。ヒカルの曲のランニング・タイムは概ね4分台ということで、まとまったストーリーを展開するにはなかなかに尺が厳しい。『Be My Last』なんかはそれこそイメージカットの連続でなんとか話の概要を伝えようとしてくれてたが未だによくわからん。幽霊じゃなくて生身だったのアレ? だがこのMorYMVは、非常にシンプルな話の筋をゆったりと見せてくれる為そこで何が起こってるかがよくわかって大変よろしい。思い出すのは『Can You Keep A Secret?』MVとかかな。あそこまでインパクトのあるストーリーではないものの、「4分間の間に何がどうなったかを、セリフや字幕なしでも概ね理解できる」路線で映像を構築してストーリーを伝えてくれたという点で非常にわかりやすいMVとなった。


斯様にみていくと、『Mine or Yours』MVに関しては

・宇多田ヒカル本人出演
・宇多田ヒカル単独出演
・舞台は室内でスタジオ撮影
・少し不思議な世界観
・単純明快なストーリー

といった所が、今までのPV/MVとの比較の中で浮かび上がってくる固有の特徴だといえるだろう。



追記:
なお、書き忘れてたけど、PV(プロモーション・ビデオ)とMV(ミュージック・ビデオ)の表記の書き分けね。これは

「発表当時の宇多田公式側の表記」

に合わせたものにしてある。昔は地上波テレビや音楽専門放送チャンネルなどで流してもらう為の「プロモーションの一環としての映像宣材」という役割が強かったのだけど、次第にDVDやBlurayに収録して販売する商品そのものとしての性質が強くなっていった為このような表記の推移があったのだと推測している。実際の所は訊いた事ないからわからんのだけど、どっちの表記であっても「曲を流す映像」のことで中身は変わりないから気にせず読み流しておいて欲しい。


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前回の日記のタイトルは【 シャッフルでMV 】だった。これは「シャッフル・ビートのシングル・ナンバーでミュージック・ビデオを制作した」という意味だったのだがここでふと気がついた。

そういえばMVをシャッフル再生した事ないな?とな。

(…あらまぁ、シャッフル違いですね?)

確かに、普段は宇多田ヒカル関連楽曲を全部放り込んだプレイリストを作ってショートカットボタンでワンタップでシャッフル再生を楽しんでいるが、それは音源トラックのみの話で、そういえばミュージック・ビデオではやったことがなかったなと。

てことで早速Apple MusicでMVのプレイリストを作ってシャッフル再生してみた。UTADA名義の2曲も忘れずに。何故か『You Make Me Want To Be A Man』は宇多田ヒカル名義で並んでた。ほんと何故だ? 合計45曲3時間31分。これくらいの曲数にならないとシャッフルしても面白くないので、ここにきて初めてチャレンジしてよかったのかもしれないな。

そして最初に再生されたのが次の6曲。

『First Love』1999
『Goodbye Happiness』2010
『Forevermore』2017
『SAKURAドロップス』2002
『真夏の通り雨』2016
『Flavor of Life - ballad version -』2007

第一印象は「振り幅が凄い!」でした。ひとつひとつ見ていこう。


・『First Love』1999
王道バラードの王道ビデオ。如何にもカラオケ全盛期の1990年代らしい映像演出だ。ファンとしてはPV前2作がいまいちヒカルさんの美貌を捉えきれていなかった為、こうやって美麗な顔面をドアップで眺め続けることが出来るビデオは至福であった。そしてやはり、曲が抜群にいい。

・『Goodbye Happiness』2010
時代を下って今度は第一期ラストのビデオ。定点カメラでヒカルをワンカットで撮り続けるだけのシンプルな内容だが、ノスタルジーと現在進行形を重ね合わせた小粋な演出の数々は楽曲のコンセプトとばっちりマッチしている。それもその筈、監督が宇多田光氏本人なのだ。いや、本人が本人をこれだけ可愛く撮れるってどれだけ自分を客観視できてるんだか。兎に角ヒカルが可愛い逸品。そしてやはり、曲が抜群にいい。

・『Forevermore』2017
またまた時代が下って7枚目のオリジナル・アルバムからの楽曲のビデオなのだが、全編がヒカルさんによるコンテンポラリー・ダンス! これまたインパクトあったね。こちとら、宇多田ヒカルは歌う専門、踊るのは安室ちゃんに任せておけばいいという時代に育ったからねぇ。とはいえ、キレッキレの運動能力披露路線ではなく、歌詞の意味をジェスチャーで表現した、いわば“身体言語”でのアートということで、アーティストらしいアプローチが大変に良かった。そしてやはり、曲が抜群にいい。

・『SAKURAドロップス』2002
今度は紀里谷和明ワールド全開のビデオ。ヒカルさんが紅白歌合戦の小林幸子状態なのだが顔面の強さがとことんフィーチャーされているので不思議と「豪華な衣装を無理矢理着せられている」感覚は薄い。仏教ベースに近未来的かつディストピアな生物観を表現した作品だが、唯一無二の個性だわな紀里谷和明監督作品は。そしてやはり、曲が抜群にいい。

・『真夏の通り雨』2016
さっきの『Goodbye Happiness』が「宇多田ヒカルがでずっぱり」だったのと対極にこちらはワンカットもヒカルの姿が出てこないいわば“イメージ・ビデオ”タイプの作品。グラドルのIVじゃないぞ? 歌詞とも直接関連は薄いカットが次々と現れては流れていく構成なのだがこれが曲調と凄くマッチしていて名作なのだった。そしてやはり、曲が抜群にいい。

・『Flavor of Life - ballad version -』2007
ここにきてスタジオ・ライブ! ヒカルさんが歌う姿と、オーケストラの皆さんが演奏する様子を渋谷文化村スタジオでそのまま収録しただけの、言ってみればかなり安直な手法で制作されたビデオなのだがたぶんスケジュールの都合上こうするしかなかったんだよね。そしてやはり、曲が抜群にいいので、そんな安直さも曲の魅力を素直に伝える適切なアプローチとなっている。


、、、という感じで、

・王道
・本人常在
・ダンス
・CG満載
・本人不在
・収録風景

と、たった6曲シャッフル再生しただけでこんなにいろんな手法でMVが作られてきたことがわかって大変よかったよ。本人常在MVと本人不在MVがどちらも代表作になってるの、宇多田ヒカルの魅力が如何に多元的かを如実に物語っている。ここに更に、Apple Musicにはなかった『Beautiful World』『Kiss & Cry』『桜流し』などのアニメMV、キングダムハーツシリーズのゲームMVなどが加わるんだからホント凄いよねこの人の映像作品。そして何より、曲が抜群にいい。どの曲もどの曲もな! それが一番デカいよねミュージック・ビデオなんだから。大前提が凄過ぎる人なのでしたとさ。


これらの堂々たるラインナップの中でも今回の『Mine or Yours』MVの私的評価は大変高いのだ。次回こそ、その話に戻りたいぞっ!(寄り道し過ぎな件)


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宇多田史上で『Mine or Yours』の位置付けをみたとき、

「宇多田ヒカルが初めて、
 シャッフル・チューンでMVを作った」

というのが画期的な点かなと思われる。

シャッフルというのはリズム・パターンの名称で、

「タッタタッタ・タッタタッタ」

という区切りで刻まれるリズムを指す。細かく言うと「三連符のひとつめが強拍かつスタッカート、ふたつめが休符、みっつめが弱拍」みたいなことになるかなと思うけど要するに

「浮き立つように軽快なリズム」

のことだと認識してもらえればいい。

シャッフルのリズムで単曲リリースされた曲としては例えば『大空で抱きしめて』や『誓い』などがあるが、前者はサントリー天然水のCM映像が存在するもMVは作られず、後者はキングダムハーツの動画に使われはしたがやはりMVは作られずということで、『Mine or Yours』が初めてとなる。UTADAの“Easy Breezy』については一旦忘れよう。他にも「隠れシャッフルではないか?」という曲があった気もするがそれも一旦置く。

で。MVが作られた事の何が嬉しいって、

「シャッフル・チューンに身を委ね
 リズムに身を任せ口遊む
 宇多田ヒカルの姿がみられる」

これに尽きる。この映像が今まで極めて少なかったのだ。

例えば、

『なにか飲むかい? お湯沸かすよ』

で台所でポットか何かを持ちながらクルクル回る場面。あそこでのリズムの取り方なんかはシャッフル・チューンならではで、長年観てきた身にしたら非常に新鮮なのだ。シャッフル云々が頭になくても「あれ?なんかヒカルさん、いつものMVよりゴキゲンじゃない?」と感じた人はなかなかに鋭い。このようにちゃんと(音楽的な)理由があるのだ。今までこうやってシャッフルの跳ねるリズムにノる姿がなかなかなかったからね。

「THE F1RST TAKE」で歌う姿が笑顔で満ちていたのもそうである。前も書いたように、今SFツアー完遂を経て歌う事自体がこれまででいちばん楽しいと思しきヒカルさんが、心浮き立つシャッフルのリズムの伴奏をヘッドフォンを通して耳にしたらそりゃ自然に笑顔も溢れるというもの。いやはや、27年目にして新しい表情を見せてくれるなんてほんま『Mine or Yours』はぐっちょぶなんですよ!

特にこれくらいにスロウなテンポのシャッフル・チューンというのは、どちらかというとB面曲風情というか、エイトビートや四つ打ちで真っ直ぐ突き刺さってくるアップテンポの曲(『This Is Love』とかね)などに較べると“脇役感”が出る色合いが強いのだが、既述の通り『Mine or Yours』はその立ち位置にも関わらずこうしてCMソングとして採用され単曲リリースされるほどにキャッチーなポップ・ソングに仕上がっている。ここらへん、キャリア上で見た場合の宇多田ヒカルの成長と進化度合いを指し示す一曲となっている。その上こうしてMVも制作されてヒカルの新しい表情まで届けてくれて、こんな孝行娘を愛でない手はないですよ? (私の中では楽曲ってなぜか女性)


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今朝Xでリプライする為に3年前のこの日記を読んだのだけど、やっぱこいつは宇多田ヒカルの話をしてる時がいちばんおもろいなっ!と改めて自覚したので前回からの続きはなるべくサクッと終わらせて元の話の流れに戻したい所存。とはいえこの日記の書き方についての話なので無関係ということでもないのだけどね。


長らくここを読んでる方々なら薄々お気づきかもしれないが、当日記では(特に近年)、「(国名)+人」という表記を殆ど用いていない。日本人とかアメリカ人とかイギリス人とかね。その代わりに多用されてるのは「日本語圏民」「英語圏民」などである。

なぜ「(国名)+人」という表記を用いないかというと、殆ど意味がないからだ。例えば「日本人」という語の定義の一つとして「日本国籍を持つ人」というのがあるが、目の前の人の国籍がどこかなんて知らないし、知ったとして何の情報も得られない。こう言い切るのは、そう、肝心要の宇多田ヒカルさんの現在の国籍がどうなってるのか全くわからない事と、なのにそれが全くわからない事に悩まされた事が一度もない事、その2点があるからだ。

一人の人の話を9000回以上連載してきて、一度として何かの考察に支障が出たことがないというのは、私としては「基本的には意味がない」と言ってしまっていいかなと思う。勿論、「宇多田さんの国籍どこだろね?」みたいな話題として取り上げた事はあるが、そこから先に話が一切広がらない。ただの役所の届出だからね。知らんがな、で終わっちゃうんだよこの話題。

じゃあ例えば「宇多田さんはイギリスでの選挙権とかあるの?」という話題を取り上げたいとして国籍の話は要るかというと別に要らない。ちょっと不思議かもしれないが、細かい話をすっ飛ばしていえば国籍の有無と選挙権の有無はイコールではないからね。最初から選挙権の有無の話をするだけでいいのよ。で、ヒカルさんがその件に関して言及していなければ情報がないのでどうにもならない。合衆国大統領選挙がどうのとか、在外者投票がどうのとか言い始めたらああその国で選挙権があるのだなとわかるが、別に国籍の話を直接する必要はない。巷でも外国人参政権の話が時折話題に上ることがあることからもわかるかと思うが。

同様に、この日記では頻出であるけれども、海外の国での宇多田ヒカル人気の中でどれだけ日本語歌詞の内容などが浸透してるかの興味について語ることなどがある。その場合、日本国籍を持ってる人かどうかを問うのは意味がない。日本国籍を持ってることと日本語を喋るかということはこれまたイコールではない。持っていながら喋らない人もいるし、持ってないけど喋る人もいる。国籍の有無は直接の情報を与えない。だったら最初から日本語圏民という考え方で日本語話者を捉えればいいだけなのだ。つまり、わざわざ間に「あなたは日本人ですか?」なんて風に訊く必要は全く無く、「あなたは日本語を喋りますか?わかりますか?」とだけ訊けばそれで済む。

そんな風に突き詰めていくと、「あなたは(国名)+人ですか?」或いは「あなたは⚪︎⚪︎国の国籍を持っていますか?」という質問が必要不可欠な場面はほぼ皆無だということがわかってくる。なので、私が日本人とかアメリカ人とか書かないのは、どちらかというと禁忌や禁則事項などではなく「不要だから」「文字数の無駄だから」という色合いが強い。

自分も自身の国籍が普段の生活で問題になる事は殆ど無い。敢えて挙げるならパスポートを更新する時くらいだけど、あれも別に「必要な書類を役所から貰ってくれ」と言われて取得してるだけでその国籍がどこなのかというのは別に何もないしなぁ。勿論「日本国籍がなかった」となればパスポートが取得・更新できないという事態になり、この時初めて「私の国籍はどこにあるのだ?」と問題の俎上に載るだろう。逆に言えば、本人であってもこのように極めて限定的な局面でないと国籍は問題にならないのだ。だったら他人の国籍が問題になる場面なんてほぼない。「それで何をする」「何かができる・知れる」というのがないからね。選挙権の話なら選挙権の話を、使う言語の話なら言語の話をすればいい。国籍自体は驚くほど何もしない。それこそ、海外でトラブルに巻き込まれた時に大使館に駆け込んでやっと「ああ、日本国籍持っててよかった」なんてことにはなるだろうが、普段海外を飛び回らない私やその周りの人には流石に無関係なのでござる。てかその場合も大事なのはパスポート、旅券の有無でしかなかったりするからな。まぁそこまで言っちゃうと気の毒だけど。

ヒカルさんは世界中旅してるだろう。もちろんそれに興味を持って語る私にヒカルの国籍の知識は要らない。その知識があった時となかった時で話に出る差が思い浮かばないもん。


てことで、基本無意識日記では「日本人」「アメリカ人」「イギリス人」などの表記は出てきません。ごくたまに、なくはないかなという程度には使ってはきているけどね。試しに、読者の皆さんも自分の言動を振り返ってみて「ここで“日本人”と書いたけど、どういう意味なんだろう?」と立ち止まって考えてみたらいいかなと思いますよっと。


ああ、スポーツで日本代表を応援する時とか? 帰化選手がどうのってやつとか? それについては、また機会があったらね。卓球の歴代日本代表は、常にこの問題と対峙してきたからねぇ、、、取り上げる時は長くなりそうなので、いずれまた、ね。


でも、そうか、ひとつ最近の例を思い出したわ。ここまで国籍に触れることについて「ほぼ無意味」という話をしてきたが、今度は「国籍について触れると話がわかりにくくなるケース」、つまり「国籍について触れるとデメリットが生じた話」を付け加えておこう。


大相撲令和七年五月場所の結果を受けて大関大の里の横綱昇進が決まったニュースを先月ご覧になった方も多いかと思う。その時の記事の見出しは

「稀勢の里以来8年ぶりの日本出身横綱誕生」

であった。記事によるとこれを

「稀勢の里以来8年ぶりの日本人横綱誕生」

と書くと誤りなのだという。どこが違うねん?と一瞬思ってしまうが、なんでも、2023年にモンゴル出身の照ノ富士が横綱に昇進していて、彼は既に日本国籍を取得しているので日本人だから、日本人横綱誕生は2年ぶりなのだ。ややこしいな!

こんなややこしい話になるのも、「日本人」=「日本国籍を持ってる人」という語を使ったからだ。最初っから視聴者や読者が知りたいのは「その人は日本出身なの?モンゴル出身なの?」という、国籍ではなく出身地についての疑問への答えだったのだから、徹頭徹尾「日本出身」という言葉だけを使えばよかった。それだけなのだ。

これは、私が「日本人」ではなく「日本語圏民」みたいな言い回しの方を選ぶのと同じような理由だ。国籍なんていう情報は、大抵の場合無駄で、時には(本当に知りたいことを隠蔽してしまうので)邪魔ですらある。勿論、帰化の話は本人にとっては人生の一大決心・決断なのでそれについては尊重したい所だが、他人からしたら特に何の影響もないイシューだ。宇多田ヒカルさんが今どこの国籍を保持していても何ら影響ないですもん。ヒカルさんから「私、⚪︎⚪︎の国籍を取得しました!」とか話題にしてくれない限りね。話題にしてくれたら乗っかりはするけど、直接話は広がらないだろうなぁ。そこを無理やり広げるのちょっとやってみたいのでそんなことになる日がもし来たらそこで目一杯楽しんでみたいと思います♪ 以上、この件はこんなところかな?


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昨日は林原めぐみのブログが炎上していて…と触れると「飽きるほど見た」から「なんのこと?」までかなり振れ幅のある反応がありそうな令和の世の中でありますが皆さん如何お過ごしでしょうか。(溜息)


林原めぐみといえば「新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイ役でも有名な声優さん。「名探偵コナン」の灰原哀も彼女だね(数ある役の中でなぜかこれを付け足さないといけない気がした)。ヒカルさんちのダヌくんも綾波レイがお気に入りだったし、ヒカルさん自身も『Beautiful World』をリリースした時の髪型は恐らく綾波レイを意識したものだったろうし、なんなら歌う時の発声で緒方恵美やこの林原めぐみを参考にしたかもしれないし、直接の繋がりはないにせよそれなりに関係のある人物ではある。

なお彼女のラジオ番組名は「林原めぐみのHeartful Station」だったりしたのだが勿論こちらの方が先なので、ヒカルさん、自分の曲に『HEART STATION』とつけたときは知らなかったのかもしれないし、知ってても構わずつけたのかもしれない。

林原めぐみの炎上内容はきっとデジタルタトゥーとして残っちゃうので省略しとく。今朝は一点だけ。

人の国籍に触れる時は慎重に。

そんだけだね。もう少し踏み込んで言えば、国籍を理由に何かの判断を下すのはほぼ総て間違いなので辞めた方がいいということ。

詳細については省略するが、ヒカルさんは出生時期&出生地的に日本とアメリカの二重国籍でも構わない人なので、昔から「どっち?両方?」というのは一部で関心を持たれていた。結局未だに正確なところはわからないのだけれど、長年みてきてわかったことは、「国籍がわからなくてもなんの影響もなかった」ことよね。宇多田ヒカルがどこ国民であろうが何も関係ないのよさ。大事なのはロンドン在住であることとか、息子と何語で喋っているかとか、そんなことで。まぁそりゃそうよね国籍なんて役所の書類上の話でしかない。

ただ、世界をコンサートツアーでまわるアーティストとしては、VISAの問題はついてまわる。それもどちらかというと当該国での知名度や実績の方がものを言うので、ヒカルの国籍がどこかとかはほぼ関係がない。国籍のある国ならビザの問題は浮上しない、という点は影響が…ああ、ないのよな、問題が浮上しないんだから。


いい機会なので?次回は無意識日記上での国籍表記について注意書きを書いてみるかな? 今まで僅かしか言及してなかったからね。今夜くらいになってたら炎上も忘れ去られていることでしょう。サイクル早いねインターネットの噂話は。


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