無意識日記
宇多田光 word:i_
 



単曲で聴いても勿論素晴らしい『少年時代(2019)』だが、アルバムの中の5曲目として聴くのもまた格別だ。

その前の4曲目、椎名林檎による「ワインレッドの心」がまた素晴らしく、もし仮に『少年時代(2019)』が無ければ明らかにこれがアルバム随一のハイライト、顔曲になっていただろう。しかし、そこからヒカルが歌い出した時の空気の変わりようは凄まじい。歌い方が優しく慈しみに溢れているからそれを凄いとか凄まじいとかいう言葉で形容するのは感覚的にそぐわないのだが、アルバム全体で聴いた時の存在感を表現するにはそういったやや過剰な言い方をせざるを得ないのだ。別次元なのである。

恐らく、この状況をいちばん喜んでいるのは椎名林檎なのだろう。ヒカルちんが居なかったらここでも彼女は看板として担ぎ上げられていた。それも生業のうちだからと意気に感じて率先して担おうとするのが林檎嬢だが、そうしなくていいのならしないのもまた林檎嬢の筈なのだ。ヒカルのお陰で、しなくていい。そしてヒカル自身は、普段担っている自分自身という看板の方が遥かに重いので、このような企画作品で顔役を担うことになっても涼しい顔だ。自然にそうなる。ただそれだけのこと。総てが収まるべきところに収まっている、そう感じさせる為に何かをしたのではなく、ヒカルはただ歌っただけだ。それがまぁなんとも恐ろしい。そして果てしなく限りなく優しい。

15曲聴いて、他のアーティスト達は勿論、捧げられた井上陽水本人すら包み込むような感覚を覚えた。だが、例えば歌唱自体がアレサ・フランクリンみたいスケール感に溢れている訳ではない。少年の面影も十二分に感じられる、ヒカルらしい身近さは然程失われてはいない。なんとも不思議な、時間の流れの感覚の異なる世界から歌が流れてきたような、でもずぅっとそこにあったような、神話的な感覚と親和的な感覚が同じ所で重なり合っているような、ちょっと他にない体験となっている。ある意味、他の14曲の存在がその稀有さを際立たせている。

他の14曲もそれぞれに楽しませてうただいたが、ヒカルのそれは、そう、一種の「体験」なのだ。鑑賞というより世界。井上陽水も、まさか自分の歌にここまでの力があったのかと驚いているかもしれない。しかし、だからこそ彼もまた天才なのだった。幸甚の至り、と言っていいのかはわからないが、今回いちばん感動したのは彼、井上陽水だろうな。正真正銘の、彼に捧げられた秀逸なトリビュート・アルバムである。

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@utadahikaru : 坂東さん、FOVEの皆さん、「少年時代」のレコーディングからもう二ヶ月ですね!お元気ですか?クリックなしのフリーテンポで、みんなで呼吸を合わせていく感覚とても熱かったです。ありがとうございました。

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昨夜のツイート。9月の録音でしたか。歌詞に「八月は夢花火」とあるけどちょうど過ぎ去った真夏を思い返して歌っているんだなー。テイクとしては最適なシチュエーション。

そしてクリック無しの同時録音とはね! 弦楽隊ということでジャズやクラシックの演奏家の皆さんはライブで録音するのには慣れていらっしゃるだろうが、別個に録音してからのミックス作業が勝負な作り込みPops職人としてはなかなかに新鮮だったんじゃないだろうか。初めてということはないけどね。『Parody』とか。にきても何しろ普段は最高48トラックのコーラスワークを録音して重ね合わせてる人なので。まぁこれは三宅さんが悪いんだけども。

なので、この『少年時代(2019)』は「音を重ねた音源」というよりは「音が重なった音源」になっている訳で。フリーテンポというのも大胆な話で、すぐに「リズムがバラバラ」とか難癖をつけてくる人が居るのよ。音程が合ってない勢よりは遥かに少ないけどね。それをわかった上でライブ感に拘った、という。誰の提案だったんだろうね。ユニバーサルのディレクターさんなのかな。誰だか知らんが勇気ある決断に拍手を送りたい。

『とても熱かった』という言い方からは、如何にヒカルがFOVEの皆さんから憧憬と尊敬を浴びせ倒されていようが、いざ録音となったら対等なプロのミュージシャン同士としての緊張感をもって臨みましたよという主張を感じさせるが、いや、なんだろ、やっぱりFOVEの皆さんはしゃいでるよ(笑)。それはそれでいいんじゃないかな。そういうのを受け止めるのもデビュー20年を迎えた“ベテラン”には必要な事かもよ。

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昨夜触れたEnsemble FOVEの面々のツイートが続々入ってきている。彼らのうちの幾人もが(ひょっとすると全員が?)ヒカルより歳下で、幼少を「宇多田ヒカルを聴いて」育ってきた世代であるようだ。つまり、今回の『少年時代(2019)』は憧れのアーティストとの共演なのだと。今の世代は音大行ってるから商業音楽なんぞわからんわとかないんだろうな。兎に角一言々々が嬉しそうだよ。感慨無量感無量といったところか。

例えばSkrillexなんかも「キングダムハーツ」で『Simple And Clean』や『Sanctuary』に触れていたということで同じく「幼少にヒカルの歌を聴いて育った」アーティストだった。彼らが次々とヒカルとの共演を叶えていくのを眺めていると何とも言えない気分になる。デビュー20周年なんだからなんの不自然もないのだが何しろ15歳と若かったいやさ幼かったのでね。同い歳でも憧れのアーティストとかになっちゃうんだわこれ。

今後も益々ヒカルを聴いて育った人達とヒカルの共演が増えていくだろう。『Fantome』や『初恋』ではイカしたジジイどもが主体だったが、そのうちアルバムで演奏するミュージシャンが皆歳下で且つヒカルを聴いて育った世代で埋め尽くされるのかもわからない。15歳でデビューした当初はスタジオに居ても周りは歳上の大人たちばっかりで、というのが当たり前だった事を思えばえらい変化ですわな。

なぁんてことを考えてしまうのも、この歌が『少年時代(2019)』だからなのか。Ensemble FOVEのアンサンブルは非常に闊達で輝きに満ちていて、なんでこんなにはしゃいでるのだろうというのが第一印象だったのだが、こうやって背景を知るとより合点がいく。そのつもりで聴けば、弦楽六重奏が少年少女たちで、歌うヒカルがまるで母親のような慈しみ深い目線で彼らを暖かく見守っているようにすら感じられてくる。何もかもがうってつけなのだ。

ツイートの文面からは、この『少年時代(2019)』が別録りではなかった事が窺える。彼らの興奮を見据えた上でヒカルがこういう歌唱を聴かせたのだと仮にすれば、今後、ヒカルのバックを務めるミュージシャンの皆さんが若年化していけばいくほど、よりヒカルの歌の慈愛が増していく可能性も出てくる。今の時代なかなか膝を突き合わせてレコーディングをする事は減っているようだが、仮にそういった効果が歌に影響を与えているのであれば、たとえ別録りであろうともヒカルが彼らと会って面と向かって話し、自分の与えた影響の大きさを噛み締めながら歌っていく事が作品の円熟を助けていくかもしれない。それはそれで結構ロマンティックね。

勿論ヒカルはプロデューサーなのだからそういった情緒のみで物事を決定していく事はないだろう。彼らの演奏が気に入らなければ正直に言う。今回に関しては編曲からお任せということでかなりのゲスト感があったのかもわからない。彼らの“気合い”が自分に向けられているのに面映ゆい気分もあったろうか。何れにせよこうやって聴けている音と歌が答えである。間奏の瑞々しさなどは溌剌が小節線からはみ出してきそうな勢いだ。確かに、微笑ましい気持ちになるわなーこれは。

ヒカルが今回のコラボレーションを気に入ったとすれば、次はオリジナル曲で起用される事になる。その時が本当の勝負というか、うーん、めちゃ緊張しそうだよね(笑)。まぁそんなifの話は置いておいて、今はこのトラックを十二分に堪能させておいて貰いますよっと。

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普段は宇多田ヒカルをプロデューサー/アレンジャー/コンポーザー/リリシストとして評価する事の方が多い当日記だが、いやはや今回の歌手としての際立ちと来たらもう。最近はいつ日本語の歌が滅ぶのかと気が気でないのだがヒカルが歌っているうちは大丈夫。何百世代か経って日本語が絶滅した後にこの歌を歌い継いでくれる人が居なくなるとしたら寂しいけれど、これ読んでる人全員死んでるから関係ないやね。それに、こうやって録音さえしておけばいつか誰かが見つけてくれるかもしれない。今と文明が地続きなら音声から翻訳する事くらい朝飯前だろうし。まぁ1億居る日本語民が死に絶えるのに何百世代では足りな……戦争があったら一瞬か……。

朝から物騒な話はさておき、カバーアルバム作って貰いたくなるねぇ。歌手宇多田ヒカルの。前言ったようにカバー用の別名義を作ってカラオケ感覚で歌うだけでもその歌の作者は泣いて喜ぶと思うんだがだからこそ気楽に気軽にやれないんだろうか? ヒカルの活動の9割は創作で、そこの負担がないアウトプットはいい気分転換になると思うのだが。

世のプロにとって敵は締切と納期だけ。漫画家が休憩時間に何をして過ごすかというと落書きだというから恐れ入る。それにサイン入れて売ったらええ小遣い稼ぎになりまっせ、と関西弁にもなろうというものだが、それくらいのノリで歌ってくれたらいいんだけどねぇ。

なんというか、ヒカルが作った以外にも日本語の歌には素晴らしいものが沢山あるわけで。しかしそれでもなかなか歌唱がついてこれないというケースは散見される。「青いイナズマ」を歌われた時は吃驚したもんねぇ。歌い手次第でここまで変わるかと。でもま、そんなのヒカル自身がいちばんよくわかっている訳で、こっちからとやかく……いや、言い続けてたら何か変わるかもしれないか。言っとこ。

『少年時代(2019)』の歌唱を聴いていると、なんだかこう、そもそもの「歌の価値」というものを思い出させてくれていて。普段英語の歌なら胸を打つ歌唱というのはそれなりにやってくるものなのだが何だかんだで母国語ではないものだから歌詞に対して距離がある。訳詞を読んで「へぇ、そんなことを」みたいなテンションではやはり物足りないというか。

日本語の歌ならダイレクトに情景が浮かんではくるのだけど今度は歌唱力が覚束無い。いや勿論日本人で歌の上手い人は沢山いらっしゃるのだがラテン語で歌われても何にもわからないのよ。日本語で、となると極端に減る。

日本語で歌って尚且つこれだけの歌唱となると本当に滅多にお目にかかれず。結局宇多田ヒカルの次は宇多田ヒカルという流れになっている。その間、ついつい普段から「今どき歌を歌うなんてまどろっこしいことやってて意味あるのかな〜。言いたいことあったらTwitterで呟いたらいいじゃない。歌うよりずっとリーチがあるよ。」とか思いながら邦楽を聴いてたりするんだけどヒカルが歌う度にその感覚がリセットされていく。孤軍奮闘過ぎる。

今回王道で本当によかった。ヒカルが普段のキャラ通りに謙遜しまくってこう歌うのを躊躇わないのは何よりの僥倖だ。当たり前だが、プロフェッショナルとして自身の歌唱力に絶対的とも言いたくなる自信があるのだろう。でなくば16年前と同じアプローチで歌ったりはしない。本人は自分の姿をそっ閉じしたと言っているが、歌唱に不満があったのなら『少年時代(2019)』はこんなバージョンにはならなかった筈だ。そういう意味では普段の態度は紛らわしいことこの上ないのだが、かわいいからよしとしよう。それがいちばん卑怯だよね全くっ。

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嗚呼、歌唱が絶品哉『少年時代(2019)』。同時に『少年時代(2003)』も公開になったので聴き比べができるかと思うが、大枠での話であればほぼ同じアプローチの歌唱だ。寧ろ違いが大きいのはバックの演奏で、ピアノ主体だった『少年時代(2003)』に対して『少年時代(2019)』は弦楽六重奏だそうな。

その弦楽六重奏は「Ensemble FOVE(アンサンブル・フォーヴ)」というグループによるもので、メンバーは尾池亜美(バイオリン)、町田匡(バイオリン)、安達真理(ビオラ)、戸原直(ビオラ)、小畠幸法(チェロ)、飯島哲蔵(チェロ)の6人。編曲は坂東祐大。自己検索用メモに記しておく。

で。これだけの弦尽くしをバックにしてもヒカルの歌唱自体はいい意味で揺るぎがないというか。「歌い方は16年前と同じだが声の出し方が変わった。」というのが定型的な評になるだろうか。今のヒカルの声は『私を慈しむように遠い過去の夏の日のピアノがまだ鳴ってる』のを感じながら響かせているような。それだと冬の日かな。いや歌詞に沿うなら夏の日でいいのか。いずれにせよその歌声はますます精度を高めており、揺らぎの最中に立ち現れてくる美しさには、夢うつつというか、少し幽玄さすら漂っている。

弦楽のピチカートの効果も大きいのか、総じて「子守唄み」が増しているように思われる。昨夜この歌を聴きながら幸せな眠りに就いた人も多かろう。声の響きが柔らかい手触りで、この声に撫でられながら夢の中へと誘われたい。そんな気分。

「夢」。この歌のみならず井上陽水の歌詞ではキーになりがちなワードだが、2019年のヒカルはそこの所に重点を置いたような気もする。それもこれも愛息に毎夜子守唄を歌って聞かせた成果なんじゃないかと勘繰るのだが果たして。今宵もこの歌声に包まれながら眠りに就くと致しますかな。

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『いつの間にか』『だそうです』『できるそうな』と相変わらず他人事モードでおはようさまです。朝7時台=イギリス時間で22時台のツイートおつかれございますヒカルさん。

ヒカル自身はプロデューサーであって自分はA&Rではないのだから後は任せてるって事なんだろうね。普通の歌手ならここからプロモーションに気合いを入れる所だがウチには信頼出来るA&Rが揃ってるから大丈夫でしょう、と。任される方は結構なプレッシャーだろうけど。

という訳でアルバム「井上陽水トリビュート」収録の『少年時代(2019)』が配信開始された。のだがまたもや配信方法がややこしい。アルバム「井上陽水トリビュート」の5曲目としては単品購入できず「アルバムのみ」表示となっている。聴きたければバラじゃなくアルバムまるごと買ってくださいね、ってヤツだ。あらまぁと思いきや、一方でシングルとして『少年時代(2019)』が発売されてこれは単品購入可能……というか、つまり、「1曲入りアルバム」として「井上陽水トリビュート」とはまた別に配信されているのである。あれだ、『宇多田ヒカルのうた』アルバムの時の浜崎あゆみの『Movin' on without you』と同じ状況だ。あの時も1曲入りアルバムとして別個に配信されていた。いやはや、ややこしい!

「配信」と一括りにしたが、この状況はダウンロード販売でもサブスク・ストリーミングでも同じだ。サブスクではトリビュート・アルバムでは聴けず(曲名表記が薄くて選択できない)、シングル盤アルバムの1曲として別に探さないといけない。まぁ今なら「宇多田ヒカル」で検索すれば真っ先にヒットするようだけど。

更にややこしいことに、この度初めて宇多田ヒカルオフィシャルYouTubeチャンネルにおいて16年前のヒカル20歳のお誕生日を祝うライブストリーミング番組「20代はイケイケ!」よりその時に生放送で歌った『少年時代(2003)』の配信も同時に開始された。嗚呼、ややこしい! 一応『少年時代(2019)』の方もショート・バージョンながら音源がYouTubeにアップロードされたのでますますややこしいのだ。そのうち「まぁヒカルちゃん若いわねぇ、36歳には見えないわ。」と言い出す人が出るに違いない。そりゃ若いよ20歳だもんね。とはいえ、今も確かに若々しいから間違う人の気持ちもわからなくもなくってだか、だからそれで余計にややこしくなるんだってば!


歌は素晴らしい。言うことなし。今日は『少年時代(2019)』と『少年時代(2003)』を聴き比べて過ごしましょうかね。

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毎度フラゲ日の夜(大抵火曜日)の更新は難しいんだよね。あたしまだ聴いてないんだけど早い人はもうヘビロテ中なんだもの。なのでいつも違う話題にはぐらかす。

とはいえ、もう15秒で勝負は決まっているのでそこまで避けなくてもいいか。どうですフラゲ組の皆さん? いいでしょう?

ヒカルの次という大役を担うウルフルズによる「女神」、ブラタモリのオープニング・テーマなんだな。ますますいいポジショニング。ここで切り替わる感が凄い出てそう。

直前は椎名林檎の「ワインレッドの心」。ワインレッドは赤紫だよね。紫の信号が点灯って……藤色は紫といえど青寄りだから関係ないんだけど、ヒカルの前にゆみちんが紫色の歌を歌うというだけで何かテンションが上がりそう。玉置浩二のような歌い込みをしていないだろうことは彼女のコメントからも読み取れる。きっとひかるちんが少年時代を真っ正面から歌い切ってくれるだろうからとぐいっと手前に舵を切ったのだろう。我田引水一歩手前というか。


ゆみちんといえば此度のインタビューでヒカルの事を「人生、歌一本みたいな感じとかがないんですよ。」と評してくれた事が印象に残っている。一方又吉直樹は此度の対談でこんな風に言っているそうな。

「あれもこれもできたけどこれじゃなくて、これしかできひんと思ってのこれやから、芸人をやめるとか、何も作ったらあかんって言われるのは、僕にとっては死ぬことなんですよ」

ゆみちんからみたら歌一本ではないヒカルちんは又吉直樹のこの言葉をどう受け止めてどう返したのか。興味を惹かれるねぇ。

私見を述べておけば、創作者というのは二つ以上の世界を股に掛けた方が宜しい。発想とは努力より世界だからだ。「見渡せやせぬ」からあっちを見たりこっちを見たりしているうちに気づく。創作には何より肝心だ。

ヒカルは常々この「二つ」を強調してきた。学業と音楽の両立に「人間一度に二つの事なら出来る。何故なら手が二つあるから。」とかなんとか言ってたし、宇多田ヒカルとUtadaの“二足の草鞋”に関しては今更だろう。今なら仕事と母親業だろうか。いやそれは好きにしたらいいのだけれど、ヒカルは歌自体にしても一本より二本の方が落ち着くのではないかな。

今もきっと二つ以上のプロジェクトを同時並行しているに違いない。デビュー21周年記念日に何を言い出し始めるかが楽しみ楽しみ。でもまずは今週のリリース、浪漫算盤東京産版と令和少年時代の二つを我々は楽しんでおきましょうかね。

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あらまぁ今度はヒカルと又吉直樹の対談企画か。文芸誌「文學界」2020年1月号で23頁25000字のボリュームでねぇ。いやまぁこれは注目ですぞ。

ヒカルの対談企画は何れもがマイルストーンというか、ひとつの楽曲を上梓するに匹敵するだけの重要性を孕んできた。古くは文藝春秋2000年1月号でのダニエル・キイスとの対談に始まり、WHAT's IN2004年2月号での櫻井和寿と、そしてINVITATION2006年5月号での浦沢直樹対談など。どれもファンにとっては思い出深い対談ばかりだ。特にキイスとの会話で飛び出した「私自殺はしません」や浦沢相手ならではのモンスターとの邂逅への言及など人生を左右する重大発言が飛び出すこともあるのだから、いやはや、才能との会話というのは恐ろしいものなのである。初恋座談会企画? なんのことかな?

今回は一度テレビでも対談をしツアーではコントも繰り広げた仲だから探り合いは抜きにしていきなり核心に迫れた内容になっているのではと期待される。ツアーに行った身、映像商品を購入した身、聖地巡礼した身としては対談場所は青山ロイヤルガーデンカフェであって欲しいがまぁそれはいいとして、同誌は宇多田ヒカルデビュー21周年記念日目前の来月12月7日土曜日に発売されるそうだ。これは本当に見逃せないぜ。

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浪漫と算盤といえばもうひとつの新曲であった公然の秘密の評判はどうだったんかな。ベストアルバムの中で過去の有名曲たちと並んでもなんら遜色ない強度を持っていたように思えたのだがああいうリーダートラックがありながら初動十万行かなかったのは残念なことなのかはたまたサブスク層が厚くなったからなのか……まぁとにかく椎名林檎が元気なのはよいことだ。

そして明日には井上陽水トリビュートがフライングゲットできる。ふむ、贅沢な時間の流れじゃな。井上陽水からも椎名林檎からも非常に尊敬されているというか崇拝されているというかいや本音は溺愛なんじゃないんだろうかと思うのだがそういう周囲の顔色に対してパイセンはどんな反応をしているんですかね。明日も明後日も「つ」だけなのですかね。

毎度触れている通り、2016年以降ヒカルのパブリック・イメージは少しずつ遷移している。それは単純に勤続年数のせいもあるし歌い方や曲調が変わったのもあるしミュージシャンたちの世代交代もあるだろう。と言っても、なんだか最近のミュージシャンたちはとても元気で、この20年で本格的に引退した人ってそんなに多くないんだよね。小室哲哉みたいなケースにでもならない限り。

そういう、確かに若い子たちは増えてるけど上の世代が減ってはいない中で、最初から年上たちにリスペクトされているヒカルの立ち位置が今みたいな感じになってきているのは、ある意味で漸く「しっくりくるところ」まで来つつあるといえるのかも。もっと言えば、デビューした15歳の時点で潜在的にはこういうリスペクトは集めていたのだが、みんなどうしたらいいかよくわからなかったのかもしれない。そんなこと特異だったからね。やっと関係性が落ち着いてきたのかもしれない。

ならば今後は更にもっとcomfortableになっていくだろうかな。下の世代の子達は当然自然にリスペクトしてくれるしな。20年前はそれこそ「15歳にしてこの才能!」と言われてたのが、キャリアを積んだ事で漸く正味の才能が評価されるようになってきたというか。まだまだだけどね。明日明後日のトリビュートアルバムでまた立ち位置を再確認出来るのが楽しみになってきたよ。

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ベスト盤収録のLDN Ver.はロンドン・フィル・ハーモニック・オーケストラをフィーチャーしたサウンドだったが此の度配信になったTYO Ver.は椎名林檎のバックバンドである東京事変の……となってたらいい対称だったんだけど一応そうではなくてしかししっかり椎名林檎のバックバンドを従えてのものだ。即ちロックな編成だ。

でロックバンド編成ということでどれくらいディストーションを効かせまくっているのだろうと思いきや実にまぁ落ち着いた大人なバージョンで。でも考えてみれば元々の曲調がこれくらいのもんだから意外でもないのか。寧ろLDN Ver.の方が派手に飾り立てていたのだ。

ということは、記事などをまともにチェックしていない身で勝手な事を推測させてうただくと、もともと浪漫算盤はTYO Ver.がオリジナルでLDN Ver.の方がリミックスだったのかもね。発表順は逆になったけれども。

であるならばヴォーカル・テイクが新録でなくとも特に不満は無いわな。それに、LDN Ver.とTYO Ver.でヴォーカルのミックスが大分違うから歌い方が同じでも与えられる印象はかなり違っている。これはこれでアリなのではないでしょうか。という意味で、配信購入を検討している方々には「LDN Ver.とTYO Ver.の両方持っておけばいいんじゃない?」位の提案をしておこうか。

流石にTYO Ver.のミュージック・ビデオは作られなかったようだが、曲のテンポも構成も基本的にはLDN Ver.と同じなようだし、とするとそのうち誰かがLDN Ver.のミュージック・ビデオにTYO Ver.の音を被せた動画をアップロードしてくれるだろうからそれを待つことにしますかね。紛らわしいことこの上ないけどな(笑)。

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あらま、浪漫算盤のアザー・バージョン「浪漫と算盤 TYO Ver.」が来週リリースされるのね……

……って、「アザー・バージョン」? なんか耳慣れないな。「アナザー・バージョン」か「ジ・アザー・バージョン」なら頻出だが。ググッてみたらまぁ幾らかは用例があるようだ。不自然でもないのかな。

「アナザー」なら「別の」、「ジ・アザー」なら「2つあるうちのもうひとつ」だから後者の意味で使ってるのかもしれないな。浪漫算盤は倫敦版と東京版の2つだけでこれ以外にはありませんよとそれとなく示唆したかったのかもしれない。カタカナで「ジ・」とつけるとなんとなく変なので略したのかもしれないがそれならお陰で意味不明だね。まぁこれで打ち止めと思っとくか。

ヒカルファンとしては、当然、ヴォーカルが別バージョンかどうかが気にかかる。別バージョンなら歌詞は同じだろうか。そこらへんだよね。

ロンドン・フィルをバックにした時と椎名林檎バンド(うわこの言い方ダサくていいね)の時で同じテイクを使われたら俺なら怒る。そりゃバックの演奏に合わせて歌い方は変える/変わるだろ。

でも、この一連の記事の「アザー」の表記で、なんかヒカルがあんまり関わっていないんじゃないかという不安がちらっと覗いている。つまり、同じテイクが使われているのではないかと。まぁそれも月曜日になったらわかることか。そんなのすぐなのでとっととその時に聴き比べてみるとしよう。



さて話変わって。先日『花束を君に』の有料配信がトリプルプラチナ即ち75万ユニットを達成したそうな。おめでとう、の花束を君に捧げたいよ。

こういう話もスルーせずに日記にきちんと書いておかなくてはね。最近、昔のニュースがどんどん検索しづらくなっている。何かいい手はないかということで自分で書き留めておくのがいちばん信頼出来るなと。ブログ内検索した際に昔のニュースの大凡の日付がわかるようにしておけばあとはどうとでもなるだろう。ネット黎明期検索エンジンはここまで強くはなかったが、代わりに検索対象はもっと少なかったのでかなり深くまで探索できた。だが今は検索上位はほぼノイズだ。時代の変化は仕方ないので自衛しておくことにした。まぁだから何ってことはないんですけど、なんとなく備忘の為にね。昔は「情報は熱心に記録してくれてる人が沢山居るから人任せでいいんだ。ラクな時代になったものだ。」と感嘆してた気がするんだが現実は真逆だった。昔の話を思い出す為に自分の日記を検索する機会が増えているのよね。まぁだから良い悪いという話ではなく、こうなるとは思ってなかったってこった。来週は浪漫算盤東京版と少年時代宇多田版だっ。

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今日は『ぼくはくま』の発売記念日で。他のリリースデイトはともかくこの日はヒカルにも特別なのではないか。

やはり童謡ということで息子にも歌って聞かせて育てているのかね。こちら日本では「あの歌を宇多田ヒカルが歌っていたとは知らなかった」という世代がすくすく育ち立派な変態になりつつあるが(?)、小さい頃から聞かされていた歌がお母さんのオリジナルだと知ったらダヌパどんな顔するだろう。

小さい頃に聴いた音楽の影響は大小様々だろう。そもそもよく覚えていないという人が大半の中で今宇多田ヒカルの歌を知らず知らずのうちに耳にしている状況がどれだけあるのやら。昨今の小学生がなりたい職業にYouTuberというのが珍しくなくなっているからには彼らは何らかの手段でYouTubeにアクセスしている訳でならばオフィシャルYouTubeに殆ど全部のシングル曲をアップしているヒカルの曲も一通り聴けるっちゃあ聴けるんだろうな。検索する機会があるかないかだ。

ポスト・マローンがオジー・オズボーンとコラボした際「誰だこのジジイは擦り寄りやがって」みたいなリアクションを若い子たちが起こしたとかなんとかいうニュースがあったようななかったような。オジーは極端な例だが(来年デビュー50周年だしな)、ヒカルもそろそろそんな事を言われるくらいのキャリアに……来てる筈なんだが写真や動画を見た時の現役感が違い過ぎるな……若い子に擦り寄られる事はあってもなぁ……。

いやま、でも現実に、下の世代に超ビッグアーティストが出てきてコラボした時に「誰だこのバ……かわいいじゃねーかっ!」となる可能性はかなりある。そういう時に出来れば最初っから童謡で無意識裏に洗脳しておければ長期的施策としては吉だろう。ただいちばんの窓口である「みんなのうた」をヒカルがこころよく思っているかというとねぇ。『前世』を『ゼンセ』に変えさせられたのだからもう二度とやんないと思っていても不思議ではない。でももう13年も前の話だし向こうのスタッフだって世代交代をしているかもしれないからそろそろ応じてあげてもいいんでは。あたしだったらとっくに『パクチーの歌』にオファーを出してるよ。どうにか動きませんかねNHKの中の皆さん?

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梶さんが音楽のプロモーションについて「CD時代は発売日にピークをもっていってそれっきりだったがサブスクの時代はそ発売後にどれだけ長く広く聴いてもらうかが重要だ」みたいな事を繰り返し言っていて私も「もっともだ」と思ったので試しに毎日新しい曲のリンクを共和国で呟いてみている。まだ試運転で予約投稿を放置しているだけなんだけれど、あれを見掛けて「そうだね、聴いてみよう」と思う人が1日1人でも居てくれれば御の字だわぃさ。

で。肝心のレコード会社にはそういう施策があるのだろうか現行で。Twitterの活用とか考えないのかな。アーティスト本人ほどではなくとも万単位のフォロワーが居るのだからサブスクのリンクを毎日呟くだけでも大分違うだろうに。

もちろんセンスは必要だ。Twitterを使う場合呟き過ぎはよくない。適正な頻度や時間帯、紹介の内容やタイミングなど様々な検討が必要になるだろう。それは間違いないが、だからって慎重になり過ぎてなぁんにもしないってのはそれはそれでもったいない。そのうち何かを始めるかもしれない。

しかし大きな課題がなぁ。キャッシュレス決済みたいに何ペイあるねん状態まではいかないが、サブスクも主なものだけでも3つ4つ5つあるねん。それを全部呟くのは煩わしい。なので現行はオフィシャルサイトの「ひと通りサブスクへのリンクの揃ったページ」に一旦誘導している。ワンクッションあるのだ。だが今の時代、これだけで命取りである。ワンタッチですぐ再生出来る方が絶対に強い。

出来れば、Twitter本体が動いて、個々が自分のサブスクを登録できるようにし、アーティスト名と曲名(+何らかのサブスクマーク)がタイムラインに流れてくるだけで自分のサブスクへのハイパーリンクが自動的に張られるようなシステムが出来ればよいのだが、うむ、難しいだろうね。そして、そのときの携帯電話のモードを感知して、機内モードやマナーモードでイヤホン接続がない時は音声再生ではなく歌詞がダイレクトに表示されるようになればなおよし。そこまでいけばなかなかに皆様アクセスしてくれるようになるのではないか。というか、そこまでしないと暇潰しに音楽を選んで貰えないのではなかろうか。ニュースやゲームに割って入らないといけないのだから。そういや歌詞閲覧だけだと配当はないのかな。あれも立派な著作物だろうに。知らないや。まぁそれはいいとして。

今後本当にサブスクリプション・ストリーミング・サービスから収益を上げる気なら、もっともっと工夫が必要になってくるだろう。とはいえ、ヒカルみたいなアーティストは「媚びない」こともセールス・ポイントかもしれないから難しい。意地を張り過ぎて「武士は食わねど高楊枝」にならなきゃいいんだけど。ま、未だにアルバムならCD買って貰えるんだから別にいいのか。いいのか、な?

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たった15秒はされど15秒で、これだけでも色々考えさせられる。それはヒカルのに限ったことでは無い。

一曲目に抜擢されたヨルシカはユニバーサルからの期待の大きさを感じさせる。彼女らをプロモーションしたいがためのトリビュート盤なのかと勘繰りたくなる位に。パッと聴きその期待に応えるだけの力量はあるようだ。

槇原敬之は選曲からして鉄板。陽水の大衆的な側面を臆面なくデフォルメする姿はやっぱり"traveling"をカバーした人だ。

King Gnuは選曲的に重責かと思ったがなんのなんの、なかなかに健闘してそうな雰囲気である。元々この曲を好きなメンバーかスタッフがいたかもしれない。いい方に予想が外れそうである。

椎名林檎は半分安全地帯の曲だけに難しかったろうがいつものやり方で自身のイメージ保持に務めた感。意図は達成されているだろう。

ウルフルズ、田島貴男、福山雅治もまた自身の持ち味をストレートに出している。特に福山はこう歌って欲しいというまさにそのままをパフォーマンスしている予感。好評を博すのではないか。

細野晴臣はセルフカバー。大胆にも慎重にもなれるヤツだが、そんなに力んでアップデートした感じはしない。元々の曲自体がよいので自由に遊んでも大丈夫ということか。

iriやSIX LOUNGEは、若いからだろうか、井上陽水との距離のとり方が独特だ。時代背景と結びついた楽曲は最早歴史の教科書の一部としてクラシック感覚で取り組んだのかな。ここらへんは続きを聴いてみないとわからない。

斉藤和義はこの声から逃れられない以上他にやりようがないだろう。ディレクターの求めに素直に応じたテイクになったか。

オルケスタ・デ・ラ・ルスは選曲の、曲名の時点で勝負ありだよね。その発想に辿り着けさえすれば大ベテラン、あとは作業するだけだったろう。

ACIDMANは、どうやらこちらの期待に応えてくれそうだ。アッパーなパートがあるかこのままダウナーで押し切るか、どちらでも成功しそうなのがこのバンドのよいところ。

KREVAはラストの担当ということでこの選曲だろう。何か貧乏クジを引かされた気がしなくもないが、それがキャラクターに合っているのだからとやかく言う必要もないかな。


こうしてみるとなかなかに楽しそうなアルバムだね。でもやっぱりヒカルが軸になっているのは間違いないかな。ファンの贔屓目抜きにしてもね。

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宇多田ヒカルが井上陽水トリビュートに参加したとして、どこか新たな層を開拓するなんてことがあるだろうか。

基本、アルバムの体裁としては井上陽水自身と参加したアーティストたちのファンの皆さんへのちょっとしたサービス程度のテンションに見えている。デビュー50周年だしなんかやるかなと。故に別にこの作品で新たなファンを獲得しようなんて色気を見せることも無い。

それでも敢えて考えてみたくなるのは、えらく若いアーティストたちも参加しているからだ。オープニングを飾るヨルシカはまだ今年の6月にメジャーデビューしたばかり。KING GNUもメジャーデビューとなると今年の話だ。iriは2016年デビュー、SIX LOUNGEは2018年デビューである。

これくらいにキャリアが若いと、ひょっとしたら彼女らのファンの皆様は、宇多田ヒカルの名前くらいは耳にした事があっても曲や歌唱力についてはまともに触れた事がないかもしれない。そういう子達がこのトリビュートで宇多田ヒカルに初めて触れてくれたら、なんて事を考える。──数百人程度になるかなぁ。うーん。

そんな彼らの実際の感想に触れてみたいのだけれど、井上陽水トリビュートのハッシュタグを発売開始後にチェックしていればいつかは辿り着けるかしらん。15分の1でしかないアーティストについてのある特定の層からの感想ツイート……いやはや、かなり見つけるのは難しそうだな。それでも、そういう実例がひとつでとどこかにあれば少しは勇気づけられるだろう。出来れば@utadahikaru にメンションを飛ばして欲しいものである。

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