無意識日記
宇多田光 word:i_
 



書くが、ファンとして光の活動は太く短くと細く長くの何れが好ましいか。生活に光の存在が根付いてる自分は"激細でも死ぬ迄"と答える。累積作品数が十数作品位(10年1枚程度か)で終わろうと"今後への希望"に敵うものはない。こういう考えがある一方、"キャリアトータル作品数が最大になるペースで"という考え方も支持を得そうだ(寧ろコチラが多数派か)。鳥山明がドラゴンボールを長く描かされ続けたお陰で彼の新作が期待できなくなった、その様な事態は是非とも避けたい。なるべくモチベーションが尽きず且つコンスタントに光の歌が聴けるペース。クォリティに光が満足し続けれるかが鍵だな。

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超越的な視点と日常的な視点が交錯するのが特徴だ。よく触れるのはPassionSgVrだが、初期でもGiveMeAReasonはどうだ。サビに"法則"や運命"がサラリと出てくるし、"やっとみつけた答えは~からかわれてるみたい"のパートも大きな力に翻弄される姿を描いている。"(ヲー!)"と威勢よく僕ら目線で決意を語っておきながら賢者を訪ねてコチラでも答えを得られない。物語を眺める視点を歌詞に複数持ち込むのは、自身を外から眺めるプロデューサ気質の反映そのものだろう。つまり光の詞のスタイルはプロデューサとしての視点抜きには語れないのである。テーマの眺め方からして違うのだ。

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