無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ライブコンサートというものが、未体験な皆さんの間で神格化され過ぎてやしないかという危惧が、ほんのちょっとだけ、ある。

「ライブビデオ/DVD/Blurayで見れるのと一緒だよ、なんだったら現地で観るより家の涼しい部屋で冷たい飲み物なんか飲みながら観た方がずっと快適だよ。」と、言いたい。ホントだよ
。まぁ今回は冬のツアーだから、「暖かい部屋で快適に」かな。

大抵ライブ会場には巨大スクリーンがあるからヒカルの表情もリアルタイムでしっかり確認出来るだろうけれど、当然、広い会場の殆どの場所からは豆粒でしか見えない。これは想像できるだろうけれど、視覚面だけでなく音の方も別によくない。よっぽど幸運でない限りサウンドには期待出来ない。ちっちゃな会場なら驚く程素晴らしいサウンドで聴けたりもするけれど今回ヒカルがまわるような一万人以上入る会場でお家のリスニングルームで聞けるよりいい音で聴けると思わない方がいい。ハイレゾヘッドホンとかに慣れてたらそりゃもう落差が激しいよ。

じゃあ、ライブの何がそんなに魅力的だというのか。私なんか今回「チケット代が10万円だったらいいのに。」みたいなことを平気で書いてきた。当選確率が上がる、というか抽選しなくてよくなるからね。で、それだけの金額を躊躇なく払える程の魅力って一体何?って、なるわな。

それこそ答えは実際に行ってみて確かめて欲しいのだけれど、ライブ体験が素晴らしいものになるかならないかは、ヒカルのパフォーマンスと同じくらいに”あなた自身の心掛け”も大きいよとだけ今は言っとくか。まずは、チケットを手に入れなければ始まらないからね。まだまだこれからチャンスは何度もやってくる。諦めずに頑張ってくださいな。

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あれ、サントリーの懸賞枠って結局HPのエントリーから申し込むだけで終わり? タダなの? それって倍率どれくらいになるの? TVCMの本数によってはえらい事になりそうなんだけど、その受付を1ヶ月間やるという。

多分ツアーのメインスポンサーだろうから、その1ヶ月間は一般抽選以外の新しい告知はない、んだろうな。となると、今すぐにこのフォームから情報を入力してしまえば8月の1ヶ月間、ツアーに関するあれやこれやは一旦小休止になるんだろうか。

でもそろそろヤバいよねぇ。何がってツアータイトルが決まってない状態で作れるツアーグッズが限られてるって事。間に合わなくても「後日通販で」と申込受付だけをという手もあるにはあるが、当日会場ですぐ使いたい、例えばあるかどうかわからないけどサイリウムとかタオルとか、そういうのは当日に行き渡らないと意味がない訳で、そういうのに限ってツアータイトルロゴがなかったらサマにならなくって、いやもうホントどうすんだって感じ。

幸いなことに(?)ヒカルさんのコンサートはサイリウムを振り回すタイプではないのでサイリウムを10万本発注する必要はないのだけれど、裏を返せば定番以外で何を作ってくるかわからない。冬のツアーだから団扇や扇子はないかな、パーカーやトレーナーならあるかな、またスウェットだと言って売る気だろうか。3D効果の出る紙製のメガネが売ってたら笑うに笑えないぞ…とか、うむ、チケット当選して浮かれてますかね私も。

でも、どちらかといえば、当日会場に駆け付けるファンに対するアイテムが優先としても、寧ろ、「来れなかった人の為の通販」を充実させた方がよい気はするね。チケット代が悲しくも浮いちゃってる訳だし、何か記念になる購入物があった方が悔しさも紛れ…いや余計悔しくなるだけか。そうだな。

それでも楽しみなのがツアーグッズ、という空気になるのならいつも以上にグッズの企画は練らなくてはいけないし、その為には流石にそろそろ時間がなくなって来ていると思うんだけど、そこらへんの進捗は呟いたりしないのかな、@hikki_staffや@u3musicの皆さん?

場合によっては、いや、大概においてはコンサート本編より物販待機列に並んでいる時間の方が長い。その時の思い出が物販に支配されるとまでいうと言い過ぎだけど(笑)、かける費用やかける時間を考えるととても侮れるものではなく。物販に並ぶ為に近郊に住んでいるにも関わらず近場に宿をとり待機列にいち早く並ぶなんてのもあるのだから、いやはや、気合い入ってるね。

コンサート本編がピークなのは何度も強調するが、それまでの準備や後日の余韻を味わうのもまたコンサートの醍醐味のひとつ。ツアーグッズはそれを彩る重要なアイテムだ。当日無事売られる事を祈ります。

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今日から、1ヶ月間だっけ? サントリーのキャンペーンが始まる。まさかスポンサーの冠が前面に出てくる時期になってもなおツアータイトルが決まってないなんて事態までは想定してなかったから少々驚きだが、懸賞応募層にはまぁあんまり関係ないかな。

問題はキャンペーンの中身だ。この枠で2000人もとるのは殺生なというツイートも見掛けたが、そこは中身次第だろう。応募に必要な費用がチケット料金を超えるならば寧ろ一般枠よりハードルが高く熱心なファンほどチャンス、という事になるのだから。慌てない慌てない。

もっとも、チケット料金より高いとなるとキャンペーン商品100点購入必須とかになるのでちょっと現実的ではないわな。慌ててたって慌ててなくたって倍率の高い懸賞である事は、恐らく、間違いないだろうて。

肝心なのは、でも、やっぱり慌てない事だ。CD封入先行で落選して落胆するのは当然としても、その時点で「もうダメだ」と諦める感情が視野に入るのは経験不足・知識不足によるものか。事の是非は兎も角、コンサート事務局の目標は徹頭徹尾「全公演ソールドアウト」だ。これを達成するまでは必ずチケットを売り出し続ける。それは顔認証システムになっても変わらない。

『初恋』一週目の売上枚数が約20万で全公演合計チケット枚数が約20万。極端にいえば、その気になればCD封入先行応募者全員が当選する道もあった(ペアを考慮すると話はややこしくなるがな)。そうならなかったのは、まずCD封入先行分への割り当て枚数がそもそも少なかった事、そして、応募が人気公演に偏った事にあると思われる。

煩雑になる為今回アンケートをとらなかったが、公演毎の当選確率は天と地ほどの開きがあった事だろう。中には、全員当選に近い公演もあったかもしれない。そこは運営側の予測力次第だが、「どの公演だろうが当たれば行く」という方は、11月までに総ての応募で落選するのはそれはそれで難易度の高い話になる可能性が高い。

一方、人気の公演に決め打ちして一ヶ所に応募し続けている人は落選の確率が高くなる。それは覚悟の上だろうから、もうこれは頑張って下さいとしか。

いずれにせよ10月中旬〜下旬あたりまで何度も応募のチャンスは巡ってくる。そして、ひとつひとつに必ずキャンセル分が発生する。それをどう狙っていくか。コンサートに行けるのは結局、最後の最後まで怯まず諦めなかった人なんですよ。

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ほう、まずはサントリーから2000枚か。3000枚じゃないんだ。じゃあきっと3通りの応募方法が(ry

こうやって直前まで懸賞の類でコンサートチケットが配られていくのだろう。最後まで望みを捨てちゃあいけない。

既に一つ当てている身としてはこういった募集にどこまで反応したものか難しいところ。最初っから「既にどの公演であれ当選されている方は確率が下がります」と言っておいてくれれば対処し易いんだけど、無理かなー。

で、そういった公式アナウンスのない段階で当選者に圧力をかけるのはマズいと思う。よく言う弱者の恫喝である。幾らそのつもりはないと言い張ろうが、当選確率を上げる為に本来エントリー可能な人たちを脅すのは戦略的な行為だと見做されるだろう。

それも駆け引きのひとつだと言ってしまえばそれまでだが、宇多田ヒカルのチケット販売を通して他者を出し抜こうなどとは、ふむ、当事者でない私が言う言葉ではないが、"失礼にも程がある"。ルールに則って応募している以上皆同じ扱いを受けるべきだ。そんな心理戦の場に選ばれるというのは、本来人を呼んで歌を聴かせて楽しんで帰ってもらう催しを行おうとしている中で、異質を通り越して害ですらある。駆け引きが好きならそれに相応しいゲームは世にやまほどあろう。

運営に嘆願するのであればまだわかる。既に当選した人は確率を下げろと。それもまた見解だし、応募者と運営の間では駆け引きは許容されよう。元々金銭のやりとりを介した関係なのだし。しかし、チケット購入者同士は金銭的な関係を持たない。駆け引きの相手ではない。当選確率の高い公演を推測したりといった行為はそれも娯楽の一環といえるが、虚言流言を弄して確率を操ろうとするところまでいけば「アウト」だ。

従って、ツイッターなどで「もうチケット持ってる人は応募するな」といった発言は、それに該当する人間が現実に存在してそれを読む可能性がある限り、控えめに言ってマナー違反である。あんまり真面目な顔して言わないようにした方がいいんじゃないかな。

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最近はもうトレボヘスペシャルがやばい。何が、ってアルバム『初恋』を通して全曲を聴こう、ってなった時に「時間があるから、代わりにトレボヘで」が出来るのだ。一曲目から全曲流してくれているお陰で! 厳密に言えば途中からヒカルの声が乗ってくるケースもあり全編フルコーラスで、とはなっていないんだが取り敢えず全曲を聴けた充実感は残る。何より、そうやって乗ってくる喋り声もヒカルのなんだから私が不機嫌になりようがない。

それに、これだけパワーのある全12曲、全編通しでノンストップで聴き切るのは結構体力が要る。その点トレボヘなら途中たくさん休みながら聴けるのでかなり気はラクだ。うぅむ、どうせならこういうCD欲しくなってきたぞ。

CDは無理だろうが、配信なら可能なんじゃないか、音楽のDJCD。つまり、トークのトラックと曲のトラックを交互に配したプレイリストをPodcastとして配信するのだ。通常のPodcastだと音源の取り扱いが難しいが公式なら何の問題もない。ヒカルが一曲々々解説してくれて、そこから曲が聴ける。或いは全く関係のない話を差し挟んでくれてもいい。要はトレボヘスペシャルを細かくトラック毎に刻んでパッケージにするというだけだな。

『初恋』にはあてはまらないが、12曲1時間ともなると聴き手の集中力も大変だ。それをうまくコントロールするDJの手腕。別にやってる事は新しくないが、今時なかなか「アルバムをまるごと楽しむ」余裕なんてない。毎日SNSのポップアップに晒され、ほんの5分の空き時間にゲームに興じる現代人にとって"1時間をやり過ごす"のは技術の要る所行である。それをヒカルはトレボヘスペシャルで、知ってか知らずか成し遂げたのだ。ラジオの方が倍近い時間を要するのに、いやだからこそ全曲スルリと聞ける。まぁ流石に同じ喋りを何度も聴きたい人は多くないだろうけど(すいませんね少数派でっ)、一度そうやって"紹介"とともに楽曲に触れておけば、曲を聴く度に何となくその時喋ったエピソードが思い出せて味わいが深かろう。公式配信を実現せよとは言わないが、毎度ニューアルバムを全曲紹介するスペシャルプログラムをオンエアするのは悪くないんじゃないかな。

とはいえ、トレボヘが毎度全曲紹介で中身が固定されとしまうのも面白くないといえば面白くない。なので、今後はもっと頻繁に放送してゆくゆくは再レギュラーまで漕ぎ着けてくれれば万事解決であるよ?

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しかしここまで当落に気を遣うとなるとまるで受験だな…CD封入当選組はさしずめ推薦入試で一足早く進路が決まったクチだろうか。9月まで落ちるとか滑るとかも禁句になるのかな。言うけど。言うけど。(2回言った)

運営がその気ならCD封入当選者を今後一切当選させない事にし、出来るだけ多くの人に当選して貰おうとする事も出来る。顔認証やる以上、全公演データを一括で保持しているのだから。

人気公演はそれでもいいだろう。初日や最終日なら。それ以外で仮に一般抽選で倍率一倍以下となる公演が出てきた場合どうすればいいのか。

一般抽選が一次、二次と続く事もあるのか。一次ではどこだろうと既にチケットを持っている人は排除し、二次ではその排除を解く。そうすればなんとか全公演ソールドアウトになるかなぁ。或いは、「一般抽選が一次・二次と続く」ではなく、「一般抽選の次は一般購入」、つまり通常のチケットのように「早い者勝ち」を導入してくるとか。

いや、顔認証である以上それは難しい。厳密に顔認証登録OK者のみ購入可能、というシステムが作れたとしても、かなりの混乱を齎すだろう。混乱くらいなら別に、というのであれば強行突破もあるのかもわからないが、問い合わせの激増は業務に支障が出るぞー。

薄い可能性としては、顔認証入場口と紙チケット入場口の2つを作るセン。これなら一般発売も気軽になるが、運営に対する心証はかなり芳しくないものになるだろう事は想像に難くない。混乱上等、憤懣無視とかいう剛毅な胆力をお持ちなら或いは…。

兎に角、そういった情報は一刻も早く通知すべきだ。CD封入先行抽選では、顔写真登録とチケット購入が同時にアナウンスされたので2つを混乱している様子が見受けられた。一度顔写真を登録してOKが出れば、同システムを利用した公演なら宇多田以外も総て応募できる(原理的な理屈としてはね)という認識が行き届いていなかったように思う。例えば先行当選者も一般抽選に応募する際に既に登録した顔写真を使えるだろう(ほぼ確定事項だと思うがあクマで私の推測です)。チケット購入と顔写真登録が1対1ではないのである。たぶん。

こんなの、最初から一週間早く顔写真登録だけアナウンスしておけばよかったのだ。そうすれば混乱はずっと少なかっただろう。今回の運営は、必要な情報を出し渋り不要な記述をHPに掲載させるなど情報管理の点で明らかに問題が多い。勿論、日々改善されていくとは思うが、運営側の情報管理が日々悪化していくような事態になったら既に当選しているチケットまで無効になる事態なども最悪想定しておいた方がいい。

そんな事ありえるのか?と思われそうだが、例えばシステム上でダブルブッキングが行われてしまったりしたら? 同じ席に2人が当選したりね。それがあるだけで事態は酷い事になるだろうよ。初めてづくしで大変なのは百も承知だ。だからこそ、やれる事はやる。出来ない事は出来ないと言う、といった基本的な点を日々積み重ねていくしかないだろうな。

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9月にライブコンサートチケットの一般抽選販売が決まったんだったねぇ。時期が来たらまたピリピリすると思うので今のうちに。

宇多田共和国の方でCD封入優先抽選の結果をアンケートしてみた。どうやってフォロワー以上の投票数を集めたのかは本当に謎なのだが、1000票以上ともなるとかなり何らかの信憑性を持ったアンケートだと解釈した方がいい。

まず、あれをみて『落選者より当選者の方が多かったのか』と結論づけるのは早計である。そもそも、心境からして、落選者がああいったアンケートに答えてくれるかという所からして。また、あれが当落の二択だったらわかりやすかったが、四択を二つ用意して落選者の選択肢は二つと一つという結構非対称な状況。8分の3である。わかっててそうしたのだが、自然、落選者の選択肢が見落とされる確率が高くなるのだった。

だから、「4人に3人は当選した」というのは行き過ぎである恐れが強い。せいぜい「落選者より当選者の方が多かった」という程度までしか言えないのではないか。

一方、当選者は第1希望ばかりで、第2希望当選者はお1人いらっしゃったかというスケールだった。1000票も集まると、パーセント表示では10人集まらないと1%にならない。2〜3人だと0%と表示されてしまう。なのでゼロだとはいえないのだが、とても少なかったのは確かだろう。

第2希望以降に"用がある"ケースは、第1希望だけでは定員割れのあった会場が現れた場合に限る。つまり、ほぼ総ての会場・公演において定員以上の応募があったという事になろう。定員割れがあった場合、第2希望としてその公演を選択していた人たちに割れて余った分のチケットを当選させる、という事だろうから。

となると、一般では「第12希望」までとるのが合理的になる。「どの会場でも行く」という人は12公演全部申し込めばいちばん不人気な公演までに当たるだろう。確かにデータ量は4倍になり計算量は更にその数倍になるが別に多項式倍や指数倍になる訳じゃない。やりゃいいでしょ。勿論キャンセル無しでやらんといかんだろうが。

『初恋』は初週で20万枚売ったが、ツアーの動員予定数は12公演で18万〜22万といったところだ(さいたまがスタジアムモードだったりした場合も考慮すると幅が出てくる)。つまり、普通に考えたら先行抽選の倍率は1倍以下である。が、これだけ落選者が出たのだから、人気公演に偏りがあるとはいえ、相当数が一般抽選に回されているに違いない。諦めるのはまだ早いので9月まで気を確りもって。

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ただ道路が汚れているだけの写真にただ一言添えるだけでこんなに人を楽しませますか…「写真で一言」のキャプションとしても秀逸だわな。本人も「かわいくて面白い事が言えた」とご満悦…いやこれはただその時頭に思い浮かんだ事をそのまま書いただけか。だから瑞々しい。いやはや、インスタグラム芸もすっかり板について…

…などと言い始めたら途端に辞めてしまいそうで怖いな。実際には期間限定といっていたツイッターを8年も続けてくれているとても優しい人なのでまぁ甘えられるだけ甘えたっていいような気もするが、他人に「予想がつく」とか思われるのもあまり好きじゃない方なので、「安定のインスタグラム芸」と言われてもきっと嬉しくないだろう。髪型だって変えちゃうぞ・黒髪だって染めちゃうぞ・太眉だって剃っちゃうぞ。

だが一方で音楽に関しては「安定の」に対して並々ならぬ意欲をみせる。今年のツアーでも全公演で『First Love』を歌うだろう。「安定の大名曲」と言われて喜ぶだろう。勿論、トレボヘで「20年間ずっと、同じ事をしてても意味がない」と言っていた位だからずっと変化は続けているのだが、それの受け取り方が「いつも同じ」でもそんなに気にしないだろうし、「いつでも常にハイクォリティー」だったらちゃんと誉め言葉として喜んでくれるだろう。懐が深い。

私たちが道路を見ているだけでなく、道路もまた私たちを見ているのだ―と深淵に引っ掛けた一言を言いたくなる今日のインスタグラムだが、ライブでも同様である。我々がヒカルを観ているように、ヒカルもまた我々を見ている。後ろの方までよく見えるよと。こういう時どんな反応が返ってくるか、こっちはどうだろうと今不安と期待半々でリハーサルやプリプロダクションに取りかかろうとしているかもしれない。そんな中で、ツアー中の客席からの反応もまた刺激になり、新しい変化を促す。ウタユナでは、ツアー日程が進むにつれてインターバルの映像に詩がついていったりした。ライブは生き物。またそういった事があるかもわからない。お互いがお互いの事をただ見合っていると気づくだけでそこに新しい何かが生まれていく。いい関係性だな。

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言い訳。

ヒカルが「『パクチーの歌』が仮タイトルだとは一回も言った事がない」と言っていたのは恐らく事実で、2010年にU3のちえちゃんがその歌の存在を示唆して以降そういう発言はない。一度、つまりヒカルは嘘は言っていないのだが(嗚呼、なんか得意気などや顔が浮かぶわ)、ではなぜ我々は『パクチーの歌』を仮タイトルと思い込んでしまっていたのか。

理由は、過去の数々の仮タイトルの"傾向"にある。『Day Of Nattow』『安くておいしいみかん』『SHOPPAI MISOSHIRU』など、「なぜ今そこでそのチョイスなの!?」と言いたくなる"食品名シリーズ"が歴代の仮タイトルには存在した事と、「資本主義者の歌」「サラリーマンソング」という「〜のうた」という絞め方が如何にも仮タイトルっぽかったからだ。決して思いこみから『パクチーの歌』を仮タイトルと判断した訳ではないのである。昔から曲の仮タイトルを細かくチェックしていたような(少々ストーカー気質な(笑))ファンであればあるほど騙され易かった、ともいえる。

それをヒカルが認識していたとしたら「そんなん、そこでパクチーの歌でよろしければ、って言われたら仮タイトルと思うやんか」となるのは目に見えていた訳で、ある意味叙述トリックを仕掛けられていたのに近い。つまり、嘘はついてはいないんだけど、真実とは違った解釈の方に誘導しようとはしてたんじゃないかという疑いは免れ得ないのではないか。まぁ、問い詰めたってしらばっくれられたらどうしようもありませんが。

しかしこれで無事世に出た『パクチーの唄』が本当に2020年東映東宝配給で公開が決まったというシン・エヴァで採用されたりしていたら、どんだけ長いスパンで冗談と本気を織り交ぜながら発言してきたんだ、ってなるよな。劇中のラジオから流れてくるとかでもよいよ。クライマックスに児童唱歌を流した映画なんだから何でもありだろう。まだまだ物語は終わらな、い?

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LGBTについて私が言うのであれば、前に書いた通り「描かれている対立構図は《性愛クラスタvs非性愛クラスタ》であり、そこでは異性愛か同性愛かという論点は二次的に過ぎない」という点だ。そこは変わらない。

同性愛者が攻撃される理由は種々あると記述されるが、この肝心の「非性愛クラスタからの攻撃」を見落としているケースが多いように感じられる。性愛クラスタの人間は、そもそも非性愛クラスタの人間を視界に入れていないからだ。

ここに弊害が生じている。世間的には性愛クラスタの方が強い。単純に主流派とされているからだ。恋愛やセックスはするものであり、そこからいちいち訊かないで欲しい、と。そんな態度で居るから非性愛クラスタをいつの間にかネガティブに試験刺激する事になる。

が、如何せん非性愛クラスタは(この呼び名のアイデンティティの無さからわかるとおり)非主流派とされているので表立って性愛クラスタを攻撃する事が出来ずルサンチマンを溜め込んでいる。その標的になるのが同性愛者だ。

同性愛者は性愛クラスタという主流派にありながら異性愛者に較べて少数派だ。故に非性愛クラスタはここを攻撃する。理屈は何でもいい。兎に角性や愛を謳歌している人間が憎くて仕方がないのだから。

また性愛クラスタの異性愛者は主流派中の主流派だから自覚の薄さは天下一品で、ただ生きているだけなのに同性愛者や非性愛クラスタを刺激する。中にはその優位性をもって侮蔑や嘲笑を与える。まぁそりゃ恨まれる。

と言っても、当人たちは気づかぬままだが。

その無神経さをよく現しているのが、そう、『初恋』の6曲目に収録されている『Too Proud』のテーマ「セックスレス」という言葉である。

本来の定義にまで立ち戻れば、ものの本にはちゃんと「パートナーの双方が生活上何の支障も感じていないのであれば、長年性交渉がなくともセックスレスとして問題視される事はない」と書いてあると思うんだが、世間を独り歩きしたキャッチフレーズはそうはいかない。特にここ日本は国際比較上も性交渉のない夫婦の多い国らしいが、そういった国でも「え、1ヶ月以上何もないの?セックスレスだよ!」と前提条件をすっ飛ばして他人に価値観を押し付けてくる。別に寝室が別々のまま何年も仲良くやってる夫婦なんて幾らでもいるのにそういう人間を捕まえて「深刻ですねぇ」と言ってくる人がいる。別に性愛の話に限定しなくても、こっちが何も困っていないのに「それは問題です」とズケズケ入ってくる人間が居る。

性愛クラスタの異性愛者たちが時折もつ無神経さはこの種のものである。こういう、優越感か何か知らないが、勝手に人を見下したり問題視したりする人間が火のないところに煙を立てて「いわれのない差別」とやらを生み出すのだ。この構造を把握していないと、いつまで経ってもルサンチマンは形を変えて人々の間で生き続けるだろう。

なお、「いわれのない差別」という表現もまた間違いだ。いわれがあったら差別するのかしていいのかというと違うからだ。毎度言っているように差別とは常に強者による「弱いものいじめ」でしかなく、弱者が何の属性を持っていようと一切関係がないのである。性別も国籍も人種も無関係。ただ"その場で弱い"ってだけなのだ。

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最近夜の日記を書いた後に『初恋』を聴きながら帰るのが楽しくてねぇ。本来のこの日記の性質上聴いた後に感想を書く、って流れの方がいいんじゃないのという気がいつもしてるんだが止められない。B面の曲(私の感覚でいえば2枚組の1枚目後半から2枚目にかけて)を聴いてるととーっても癒やされる。単純に疲れているというのがいちばん大きいんだろうけれど、なんだろう、なんていうか全体的に「子守唄み」が強まってる気がするんだよね。これからリラックスして寝るぞってタイミングで聴くとちょうどいいやつ。

筆頭は勿論『Good Night』でタイトル通りのおやすみソング。『パクチーの唄』はもう芭蕉扇で煽られてるよね。いや吹っ飛んでいきゃしませんが。曲の出来がぶっ飛んでいるとはいえ。『夕凪』なんかは子守唄と絵本の朗読の中間くらいかな。前身曲たる『海路』のコンセプトが「日本昔ばなし」的だったから、その影響も強くって…

そういえば常田富士男さんが亡くなられたのだったな。合掌。公共の電波に乗せてあれほどヒカルを号泣させた(しかも大体嬉し泣き)色男は彼をおいて他になくピカチュウ男子の(って俺だけか?)羨望と尊敬を一心に集めた人物。ぶっちゃけ『BLUE』の歌詞を朗読しただけなんだけど、考えてもみなさい、もしあなたの書いた曲をヒカルが歌ってくれたとしたら?泣くに決まっているでしょう私なら思い出し泣き含めと週7回泣きますよつまりヒカルにとってはそういう人物だったという事ですよ。

週末に「置鮎龍太郎と同じ声が出る人を1日100万で雇いたい」というツイートがバズっていたが、本人でもないソックリさんにすらその額を出せると言いたくなるほど小さい頃(でなくともいいが)に浴びた"声の洗礼"の影響は大きい。ヒカルにとっては「それで日本語を覚えていた」&「孤独と向き合っていた」2大幼少期自己形成の源泉であった「日本昔ばなし」におけるビゲスト・アイデンティティの片割れに自らの詞を朗読されるなど魂を丸裸にされるようなものだったろう。あれ以来、やっぱりヒカルを公の場であそこまで泣かせた男は存在しない。究極の色男でした。慎んでお悔やみ申し上げたく存じます。

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なんかもうアルバム『初恋』を聴いている回数が凄い。総再生時間が凄い。ヒカルのバックカタログが出揃ったという事でApple Musicを使い出して以降、ipodには常に「次に聴く予定のアルバム」がわんさと控えているのに、結局再生するのは『初恋』。『Fantome』を上回るペースなんでないのこれ。

っとと、前回の続きだったっけ。ヒカルが今回触れたイシューに関しては、読者諸氏は必ず複数の記事を当たって話の道筋を確認した方がいいよ。特にまとめブログの1スレを読んだだけ、という人はこのページを閉じて今すぐにでも。

ヒカルも最初に読んだ記事がイマイチだったのだろうな。完全に論点をズラされていた。人の判断を操作するのは簡単で、必要な情報材料を提供しない事だ。同意を得ても反感を買われても、いずれにしても操作された結果であるのだからタチが悪い。今回のトランスジェンダー役の役不足事件はまさに役不足という言葉が誤用例か正当例かという…って俺が話をわかりにくくしてどうすんだっての。

でまぁそこはヒカルの勘だろうな。「何か話がおかしいぞ」と思って、自分で検索するよりフォロワーを頼った。賢い。私はまともに読んでいないが、適切なリプライを幾つか見つけて軌道修正をし、自分の論点がズレていた事に気がついた。美しい結果である。

…というような書き方をしても、「そもそもどんな話だったかも知らないのでそんな風に書かれてもさっぱりわからない」と思われるだろうな。前回書いた事を言い換えれば、我々日本語圏人はヒカルの相談相手に選ばれなかったんだよね。それをどう受け取るのがいいのか、私もややあぐねている所。

今週は日記が書きづらいだろうなー、と週末思っていた。コンサートの事を書けば「当選したからそんな事が言えるんだ」と思われるだろうし、英語ツイートの話をすれば「英語がわかるからそんな事が言えるんだ」となるだろう。気持ちがよくわかるだけに無碍にできない。勿論、「どっちも全然そんな風に思わないですよ」と優しい言葉をかけてくれる読者が居る事も知っているのでその人の為に全訳と話題の背景の解説をしようかなとも思ったのだが逡巡した挙げ句今に至る。やれやれだ。

で、未だに答は出ていない。総スルーも選択肢のひとつ、と私が思うのは、今回の話題の内容について私自身が何かコメントをしようという気がないからだ。何か言いたい事があるならば自責にて和訳し、各ブログの論点を整理しつつ自説を展開すべきなのだろうが、ヒカルの一連のツイートを読んだ上で何が言いたいか考えた所、「野球でいう"ストレート"は直球で速球だが、base ballでいう"straight"は棒球で基本失投扱い。」とか「卓球のラリー中ではバックスピンの方が希少なので野球でいうストレートは変化球」とかそういった話になった。全和訳どころかヒカルのツイートに一切触れずとも書ける話だった。なので、逡巡しているという訳。つまり、今回は私の出番が無いのではないかと。

なのでまぁ、何か一方的に書きたい事を書き綴るスタイルで行くか。つまり、いつも通り。自分勝手に書けば守るものがないから非常に気楽なのだ。HN万歳。

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週末のヒカルの英語ツイートはどれくらい読まれたのだろうか。スカーレットヨハンソンがトランスジェンダー役をするしないで議論が起こったという話を起点にしていたのだろうと推測するが、日本語でツイートしなかったあたり日本語圏の人間よりも英語圏の人間の方がこの話題についてより詳しいと判断したのだらうな。

しかし、今回高く評価されるべきは内容よりその態度だろう。自分の中で調べてまとまった結果をツイートするのではなく、思った疑問をそのままぶつけてきた。ヒカルのようなスーパースターは得てしてスーパーパーソン扱いされやすく、どんな話題でも的確な意見を述べる事が出来ると思われがちで、そのせいでますます別格扱いされるようになるのだが、こうやって、疑問に思った事や知らない事、知らなかった事、理解の及ばなかった事を素直にツイートしてくれると途端に距離感がわかりやすくなる。この話題に詳しい人なら、「Utada Hikaruも知らない事があるんだな」とちょっと"安心"するだろう。

何より、悩みや無知などをツイートするのは「今」を知る事でもある。出来上がっている意見や見識はその呟き主にとっては過去の話であって、読み手にとっては呟き主が今どの地点に居るかを知るのにさほど助けにはならない。あぁ、この部分はもう通過しているのね、という程度。そこの差は親近感や信頼の面でとても大きい。既に確立されたとされている事実や真実を呟くより無知や苦悩をさらけ出した方が呟き主の信頼や「味方感」が強まるという事実(笑)は、知っておいて損は無いな、と私もこの度気がついたのだと、この日記に記しておく事にしよう。

で内容については難しいので又次回。

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トレボヘを聴いて再確認したのは、ヒカルの「音楽に関しての常識がズレている事」だ。昔からだが、どうやら本気で「世の中には音楽と普段全く関わりなく生きている人がわんさと居る」という事実が信じられない、というかピンときていないらしい。人間活動中何してたんだか。いや、悪い事じゃないんだけどね。誰しもその人生をその人の常識において全うするものだから。

それとは話が少しズレるが、トレボヘでヒカルが「こどもには音楽をやらせる気はない」以降の発言にも笑わせてもらった。勿論ヒカル本人が言ったように本人がやりたいと言ったらやらせるんだろうが、とてもそこに"中立さ"は見られない。最終的には「コンサートをみせてあげたいんだけど」ときた。おいおいおいおい。

まず普通、親がこどもに自分の職場や仕事ぶりを見せたいかというと、半々だと思うのだ。仕事に誇りをもち我が子にもそれを知って欲しいと思うのも親なら、普段こどもと接してる時とは違う社会人としての顔をしている自分の姿を見られるのは少々恥ずかしい、という人もいる。ヒカルは完全に前者で、これは自分が母のステージを見て育ってきたから自分もそうしようと思っているのだろう。どこまで意識しているかはわからないが、それってつまりその先に「プロミュージシャンになった自分」の姿が浮かんでくる訳で、明らかに「息子に音楽家になってほしい」人の言動なのだ。が、常識のズレているヒカルはそこを気づき切れていない。

だってねぇ、3歳だか4歳だかのこどもをコンサートに連れて行く、なんて話を音楽家以外の家庭でしたら、そうね、例えば私ならまず「あんな大音量に小さいこどもを曝していいのか!?」という点が気にかかる。本人が行きたいとも言っていないのにあんな非日常空間に連れて行って具合でも悪くなったら…とそう考える。ヒカルにとってスタジオやライブ会場は日常そのもの、と言うのは流石に言い過ぎだが「そこで人が生きている」と自然に思える場所なのだろう。たぶん、自営業のお家で「母ちゃんがどうやるかそこでみとき」とこどもを軒先に座らせているような感覚なんじゃあないかな。やっぱり大分常識にギャップがあるわ。

極端な言い方をすれば、「音楽家になっても苦労ばかり。こどもにそんな苦労はさせたくない。音楽家なんかなって欲しくない」と本気で思っているのなら、家で仕事の話一切しないよねぇ。ダヌパが「ギター」とか「マイクー」とか言ってるって事は、ヒカル母さんダダ漏れなのである。つまり、やや常識を手前側にズラして言い直すと、ヒカルの本音は「こどもが音楽家になってくれたらめっちゃ嬉しいんだけど、親の期待を押し付けて本人が本気でやりたい事をやろうとするのを邪魔するのはよくないから、できるだけ"音楽家になんかならなくたっていいよ"という態度をとっておこうかな」くらいなんだと思われる。

まぁ、幼子をコンサート会場に連れて行こうという時点で我慢できてない訳ですが(笑)。明らかに帝王教育、英才教育を施されてまた家業を継ぐ事になるんでないの。きっとこの家、この国がほんの40年前までは「こどもがロックコンサートに行ったら停学になる≒社会的に価値のない人間として扱われる」のが常識な国だったなんて過去、全くないものとして営まれていくんだろうな。誠に麗しい。私もそっちの常識の方が好きだし。自然に音楽家になって下さいな。

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フライング決済なんてやって大丈夫なんか。前日の時間外ならいいのかもしれないが、運営の演出力には疑問符がつく。それ自体は大した事なくてもプロジェクト全体に対する信頼や期待感は薄れるだろう。

本来コンサートツアーというものは何十年もかけてノウハウと人脈を積み重ねるものだ。どういうバンドなりミュージシャンなりの哲学・思想…というとお堅いが要はノリである。どんなノリで活動しているのかを末端のスタッフまで理解させれる関係性の構築が云々…という所を宇多田ヒカルはすっ飛ばしてしまっている。寧ろ、大したうしろだてもないだろうによくも二回も全国ツアー成功させたな、と。

今うだうだ言っててもステージでのパフォーマンスがよければ総て洗い流される。逆に、事前の設えが完璧でも生歌がグダグダだったらどうしようもない。今はまだ旅の途中、いや、始まる前の準備段階だもんね。多少のミスは仕方がないが、あまり悪く言われるような対応は避けてね。


SONYに移籍してからどうも技術畑の、或いは出身の連中から余計な横やりを入れられているような気がしてならないのだが勿論憶測に基づく妄想なのでその話はしない事にして。ただ、今回プレイパスがついてないのはなんでなのかというのは気にはなっている。直近のなりくんなデビューアルバムにはついていたのに。あれは便利だと思ったのだがな。あれがないからってCDを買ったくせに配信をポチる人もそう多くないだろうし。私のようにCD、圧縮音源配信、ハイレゾ配信をいずれも購入してる、なんて人は…何人くらいだろ、500人とか? 25万人ならもっと居るかなー? 割合はわからないけれども、プレイパスを取り除く理由になるほどは居ないだろうし。へんなの。

若いファンや海外のファンから「宇多田は売り方がレトロだ」と言われてそうだが、ヒカルが日本で人気なのは年上を魅了したからで、その層にアピールし続ける為には寧ろアナクロでレトロで居続けた方がいいのだ。なので、今後は最先端の技術、とオールドファンの「新しいものに手を出さなくなっていく」という意味での"老化"の間のバランスを如何にとっていくかが課題となる。若いファンが増えていく中で、ジェネレーションギャップはテクノロジーギャップだと自覚した上で長期的な展望を描いておいて欲しいのだが…無理なんだろうかな。ひとまず今回のチケット売買が滞り無く進むよう願っておきますか。

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