無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ついてピーターバラカンと光はやや悲観的、渋谷陽一はやや楽観的な見方をしていたが、実際に土曜朝と金曜夜に彼らの番組を聴いてみるとバラカンの方が(比較的)言葉が瑞々しく、渋谷の方はシニカルに褪めきっていて時々「そんなんでロック聴いてて楽しいか?」と思ってしまう。まず先に高い期待をしているから現状に悲観的になり、もう期待する気力も褪せたから開き直っておくしかない、という組合せだったとすれば光の感性は未々瑞々しいと解釈できる(当然か)。例の鼎談から16ヶ月、今光が興味を示せる"他者の音楽"は具体的に何か、誰か在るのかチョット気になる7月末だ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ある『私はその子を親友に選んだ』の一節は尊大不遜と謗られかねないのだが、私は不快に感じなかった。故に何が心に響くのか探りたい所だが、ソレはソレで何処かピンとこない。ニュアンスとしては、このバスケエピソードの折に"選んだ"と解釈するのが自然なのだろう。ココより過去なら"選んでいた"だし未来なら"後に"を冠する。どうもポイントをハズしている気がするな("点"だけに)。もしや、そもそも"選ぶ"のに選択肢は複数必要なのかという原初の疑問に還るべきなのか。我流で解釈すれば、選択肢がたった1ッでも人は「選ばない」事があり、今は『選んだ』というだけの事か。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




作曲法は短期間で瞬く間にボトムアップスタイルからトップダウンスタイルへと遷移した。つまり、リズムとビートを組み合わせながらメロディをアタマから順に展開させていく書き方から、全体のコンセプトを一望に把握しその視点からフレーズを配していくやり方に変わったのである(あクマで私的推測だが)。例えば、W&S~リスクはAメロ~Bメロの展開は流れる様だが、ソレ故サビが手堅い曲となっている。比較としてThisIsLoveを挙げると、この曲はイントロとサビのインパクトは絶大だが展開の必然性にやや乏しい感があり、自在性が強過ぎる弊害が出ているともいえる。とりあえず何れがよいとは一概にいえないかな。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




この日本という国単位に存在する訳で、ソレに向かって日本語の歌で発信する光からすれば否応なく全体の趨勢や傾向が耳目に入る筈である。希望のない国と云われて久しいが、マスメディアの煽りと個々人の実感にどれ位の乖離があるかは兎も角Hステが"We"から始まり"誰も居ない世界"で終わる"みんなのうた"であった事から素直に敷延すれば今迄以上に"皆を励まし鼓舞する"歌が来るとみるか、或いはもっと個の不安に寄り添うか、開き直って騒いでみるか、若しくは(今迄と変わりなく)ソレら総てを1ッ1ッの歌に独立して込めてゆくのか、興味あるけど今日は全国的に雨。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




こんな極致な音楽世界を心に思い描いているのだろうか、とすればYMMPVは気に入ってるんだろうな、でも彼らの作品を『大大大好き』と云ってたのは03年の話だから、なんてコトをツラツラと考える。"影響"という言葉は案外使い方が難しく、ただマネしてるのかソレとも元々自分の中に在った感性を表現してくれる未知だった手法に出会う事を指すのか中々ハッキリしない。似せる事と似る事の違いを新たな手法の登場が覆い隠すからにはコロ卵だろうが1番手でなくばオリジナリティは宣えないのだが、地味な発明の連続で独自性を自然に主張し続けれる光はやっぱ希有なんだろうな。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「普通の女子としての生活を大切にして欲しい」と云ってた気がするし実際光も同じ考え方だった様に思うが、大学に行かなくなった時点で音楽家1本になった。つまりソコからは"普通の"の冠が機能しなくなっていった為、例えば10代の頃と違い"20代女子の共感を得る"事を特徴とする歌詞だという評価は聞かれなくなった。といっても、元々光の詞は世代を越えて響く普遍のテーマを扱っていた訳で、実は(本人も周囲も自覚していたかは兎も角)光はそんなに"普通の"女子としての生き方を必要としてなかったんじゃないかな、なんていうのはやっぱ少し違うのかな。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




光はDR~UBの期間に命懸けというレベルで創作に取り組んでいたせいで(他の時期も全力には違いないが各々意味合いが異なるだろう)自分の性格すら"音楽の質を極限迄高めれる方向に"改変してしまったのではないか。イヤ勿論基本的な魅力は普遍だが昔に較べ人生哲学的にブットんだ事を云う機会が増したと思う。多分、ソレに対しても(事後的にかもだが)ある程度自覚的だと思うし、覚悟して進んだ道なんだろうがもし仮にその"改変の方向"が徹頭徹尾『自分らしく振る舞う事』であったとするならば初めてソコで「音楽家は光にとって天職だった」と言える気がする。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




つかないが04年のSingleCollectionの存在はヒカルのバックカタログの動きに大きく影響してきた筈である。もし発売されていなかったら1stは更に地味に売上を積み上げていたかもしれない。ネガティブな事ばかりでは勿論なく、宇多田ヒカルというネームバリューを前にして初めて手に取る選択肢を迷わないという面もある。寧ろビートルズが毎年ゴールドディスクを獲るUSと違いバックカタログ市場が小さい日本ではこの手法で正しかったのかもしれない。つまりそろそろVol2を出すのかなという想像も出来るのだが、ならばまずは新曲を出してステイタスを市場に再認識させる必要があるだろうね。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




けど、ヒカルのツアーといえば(まだ2回とはいえ)必ず夏なのに今年は無い訳で、そういえば光のアルバムの中で1番夏向きなのはHステなんじゃと思うのに、冬にステゴを聴いたきりだ。月夜の下の野外ライブでキスクラ、青空に響きわたるはFightTheBlues、常夏の世界を描いてる(筈?の)BeautifulWorld、初夏にカットしたからアツイイメージが(私の中で勝手に)あるPoL、地中海性気候のセレブなんかはバッチリだろう。まぁ冬の星座のテイク5に白い雪のFoLなんかは冬歌なんだけども、UU06で歌わなかったUBのTiLやBLUE,ワンナイや海路もあるし来夏ツアーになったら皆"ウタダって結構夏に合う"とか云うかもよ。

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )




望外にも"青春"という言葉が出てきたが、04年にシンコレを出した時はソコ迄の約5年間を"思春期"と総括してた訳で、案外光はこの11年間"吾が世の春を謳歌した"感覚が強いのかもしれない。苦悩の連続も若さ故の特権だったと捉えているのか。乱暴に言ってしまえば、どれだけ無責任な行動を取っていようとコチラに知られなければ大丈夫な訳で"知られない"事を徹底してくれればソレでイイ。反面、普通なら云わない事も平気で発言してきたから、寧ろ責任を自覚した言動もあるのだが、実は裏で色々起こっていてその都度対応してきたのがザネッチなのかな、と思ったりもした。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




でのリポーター出演の折、光はQueenOfSoul,アレサフランクリンを目の当たりにして歌手にとって大事なのは"自信(Confidence)"である旨力説していた。多分、以後自身が舞台に立つ際もこのことをある程度指針として胸に秘めていたとは思うが何分その時の精神状態を歌に反映させてしまう能力と衝動を持ち合わせていた為中々安定した歌唱を披露できない日々が続いてきた。でも今や過酷なクラブツアーを敢行しても大丈夫な位迄来た訳で、幼き日に眺めた舞台の上の母の背中の大きさを思い出しながら『きれいでしょ(´▽`)』と今自慢してるとするなら切なくも嬉しい事だ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




あら、母はママ、父はお父さんなのね。親に対する思いは人ソレゾレだろうが、今回光は母の誕生日に蓮とゴキブリの話、父の誕生日に同窓会と自身の10年の話を披露した。続編を成している構成の中、前半の主題が長命な植物と短命な虫、後半がこの10年の内面の歴史だ。ラストの"全く関係の無い"のヒトコトが両親への想いの揺るぎ無さを示唆する一方、コチラから憧れをもって眺める母への視線と、常に(主に音楽的な面で)自分の意図を汲み取ろうとコチラに視線を向け続けてくれている父の存在の対比が、この奇妙な3角関係のベースになっている。望むなら"けんかはやだよ"の1語かな。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




気になるのは、まず"自分を大事にしないで"の1節だろうか。恋愛沙汰を連想するべきかワーカホリックが過ぎたのかハタマタパジャマで渋谷の街を歩くのはチャレンジングだと漸く気がついたのか、どうとでも解釈できるが確かな事は光が今"昔は自分を大事にしていなかった"と認めれている事である。今更保身もないだろうし、何をしても周りの為になってしまえる(だって光が動けばソレだけで僕らが喜ぶからね)状況では、何をしたら本当に"自分を大事に"してるといえるのか判り難かった筈だ。何かソレを判別できる方法論を見いだしたのか、或いはその必要もなくなったのかもね。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




かくなる上はメッセ1ッでネタを半月引っ張っ…てくのは流石にムリだろうが、細かく解析すればソレも可能なんじゃないかと思える位今回も又内容が濃い。概して、手探り/迷走/大事にしない/無責任と無軌道を強調した言葉を並べているのに段落を締めるのは"破滅街道まっしぐら"という直線的フレーズ。ややもすると何1ッ成せぬ堂々巡りに陥りがちな無軌道ではなく、実際は確り1本道なのだ。行き着く先が、でも、破滅なだけだよという世界観は"雪ダルマ一緒に作ろう溶けるけど"の頃から一貫している。てことは"InAwe"にある"home"は破滅なのか。喩えとしては随分強烈だね。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




どうにも、昼のチャットで"今日「父の誕生日」ってメッセ更新されなかったらザネッチプギャーm9"なんて酷い事書いたもんだからこそばゆくってかなわない。今回も"全く関係の無い内容"(毎回ナイは漢字か)と書いてるからにはパズリングな構成なのかと身構えるも、書いてある事があんまりにもグッと来まくりで少々自己嫌悪に陥ってる今の私。まぢ半月に1回このクオリティの日本語が読めてるのに何日々愚痴々々いってんのと。でも、お陰で自己嫌悪も悪くない、人には自分をキライになる自由もあるんだなと今思ってる。もし好きにしかなれないのなら、ソコに自由なんて無いんだから。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ