無意識日記
宇多田光 word:i_
 



映画って、公開されてから人によって見るタイミングが違うから、
やっぱりネタバレに配慮したくなる。

でも!早く観てすぐのうちに!
映画を見た感動について語り合いたい!!という読者(というか私自身(笑))の為に
このエントリを1ヵ月間このブログのトップに置いて、
コメント欄を解放して思う存分書いてもらおうと思います。(主に私自身に(笑々))
コメント欄なら、クリックしないと読めないしね。

勿論、無意識日記は通常通り↓↓↓毎日更新してるので!よろしくおねがいしますm(_ _)m


コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )




そういやウチもユニヴァーサルとの契約名は「UtaDA」って小文字挟みの表記に
しているな、ってことで、この表記を選んでる理由についてダラダラと。

ひとことでいえば、これは単なる執筆者の好みなんです。

確かにジャケットの表記に準じてはいるんだけど、
Hikki自身別に「Utada」でも「UTADA」でも構わない風。
そこにこだわりはない模様。なので、僕は自分の好きな書き方をしているだけ。

で、どうしてこう書くことを選んでいるのかというと。

まず、1文字め大文字あと小文字の「Utada」の表記は、穏当ではあるものの、
個人名だか何だかわからない。要は「Utada Hikaru」や「Hikaru Utada」の中の
Utadaなのか、アーティスト名としてのワンワードのUtadaなのか、
ぱっと見で区別がつかない。これは翻訳をやっている所為もある。
訳出文には関係ないんだけど、記事の中には「宇多田ヒカル」についての内容も
当然含まれていて(アジアで1000万枚売ったアーティストはUtadaじゃなくて
宇多田ヒカルだからね)、それの元は勿論英字で「Hikaru Utada」って書いてあって、
それとワンワードのアイランド所属のアーティスト「Utada」との区別が
(私の中で)つきにくいから「UtaDA」というやや特殊な表記を好んでいる、
という面もある。

2001~2002年当時のことを覚えてるひとならわかるかもしれないけど、
最初は東芝EMIと契約している方が「Utada Hikaru」で、
ユニヴァーサル/IDJ/アイランドと契約してる方が「Hikaru Utada」で行こう、
みたいなことも言ってた。最終的にリリース時には名字のみの
「Utada」の5文字で行こう、ということになっていた。

それとやや関連して、細かいことになるけれど、
Foxy Brownと歌った“Blow My Whiste”はHikaru Utada名義だ。
1曲とはいえHikaru Utada名義の作品がある以上、それと区別するためにも
「Utada」という書き方より「UtaDA」の方がいいな~と漠然と思った。

ではそれなら全部大文字の「UTADA」でもいいわけなんだけど、
どうにもこの全部大文字表記と言うのは、ソロ・アーティストに対しては
(僕自身が)あんまり使い慣れていない、という側面が強いのです。

わかりやすい例がBON JOVIで。
このバンドはリーダーのジョン・ボン・ジョヴィ(Jon Bon Jovi)の
ファミリー・ネームをバンド名にしてるんだけど、れっきとしたバンド名なのね。
彼は彼でソロ・アーティストとしてJon Bon Jovi名義でも活動してるし。
その際、彼の名前を呼ぶ場合とバンド名を指す場合とでの一番わかりやすい使い分けが、
バンド名の場合は大文字で、個人名の場合は最初大文字後小文字の表記で、
っていうやり方なのね。別にそれで全メディアが統一してるわけではなく、
ただ僕個人がその分け方に馴染んできてるだけ、ということであって。

そうなると、どうしても「UTADA」というふうに書くと、
なんとなくグループ名とか、まぁいってもプロジェクトとかユニットの名前っぽくて、
ほぼ完全に一個人として活動してる彼女の表記としては、やや大仰かな、という
ニュアンスがあって。まぁ昔の話だけど「T.M. Revolution」がデビューしたときに
「え?西川クンひとり??朝倉さん込みとかじゃなくてひとりなのにTMR?」
みたいな怪訝がわいたのとよく似た感情なわけです。

彼女自身は「UTADA」のことを「SONYとかHONDAみたいなブランド名っぽい」と
言ってるから、実はその意図を汲むと「UTADA」っていう全大文字表記が
一番イイんだけど、どうにも上記の理由から踏み込めない。
やっぱりソロ・アーティストとして、彼女個人が前面に出ているからね~
これでジャケットが抽象画とかだったらまだしも、いつものように
正面を見据えてる写真だからな~「人」が前に来る。

で、結局上記のうちどれでもない、
最も“事前に意味付けする文脈が少ない”「UtaDA」という表記を選んでいるわけです。
まぁもっと個人的な(勝手なw)理由もあるんだけど、そんな感じです。



ここ2日間ぐっと冷え込んでまいりました。
どなたさまもお風邪など召されませぬよう、あたたかくしてお過ごし下さい。
明日はもう、衣替えですね。


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




今携帯でシャッフル演奏してたらBLUENILEのSaturdayNightの次に光のWINGSのイントロがっっ! こここの並びは素敵すぐる!(ToT) 泣くかと思った。


今から浦沢さんの「21世紀少年下巻」読みます。
(んなヒマあるならレスしろよな…)


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





マーティ・フリードマンのJ-POPメタル斬り/延長戦
・・『才能もテクもある!だから宇多田ヒカルよ、 己を貫けば米国でも成功できるはずだ

2週間前の記事。以前からブックマークしてたページなので、
逆に突っ込むタイミング逃してたよ。(どゆ意味だ我ながら)

執筆者のマーティさんは私にはココ十数年ずっとお馴染みのギタリスト。
彼がどんな人かはウィキペディアでも読んで貰うとして…って長過ぎて読む気しねーな(笑)。

プロフを要約すると。
80年代にプロデビューしたヘヴィ・メタル・ギタリストで、
1990年にMEGADETHに加入、92年には「COUNTDOWN TO EXTINCTION」で全米2位を
記録するなど大成功を収める。当然日本でも大人気。
彼の一番の特徴は、物凄い日本通なこと。最初にラジオ等に出演したときは
カタコトしか話せなかったんだけど、今やもうすごい流暢。
シュミの面だけでなく、音楽的にも日本大好き人間で、
その昔FMラジオのロック専門番組でゲスト出演した折何と演歌の曲
(確か美空ひばりと都はるみ)をリクエストしたものの、
曲の方針とかで演歌の歌をオンエアすることができずイントロだけ流して貰った、
という逸話を持つ。(というか私はその生放送を聴いていた(笑))
実際“インテレクチュアル・スラッシュ”(知性的な激重激速音楽)と言われた
MEGADETHの音楽に東洋的音階のメロディアスなギターソロを導入し
全世界的な成功の切っ掛けのひとつとなったところは90年代当時非常に画期的だった。

・・・あ、私の要約も長い(大汗)。
まぁ言いたいことはつまり、私は彼の履歴もよく知っているし、
どういう人柄でどういう音楽的志向や実力や実績を持っているかも
よく知っているということ。(CACOPHONYのCDも持ってるしね(笑々))
そういう人間(私)が、彼の宇多田ヒカル評を読んでどう思ったかを
これから書くわけなのです。
(ちな!みにこの日本語原稿、彼の直筆です。漢字もちゃんと読み書きできるのよ。
 今更のことなんだけど、これってスゲーと思う。)


> 人が「気持ちいいな」と感じるメロディーの音の動きって、
> ある程度限られてる。そこから全然外れているのに、
> 「いいメロディーだな」って感じさせてしまうじゃん。

うんうん、まったくその通り。ちゃんと核心をついてくるあたりはさすが。
でも、これって別に“Beautiful World”に限ったことじゃなく、昔っからそう。
“COLORS”なんか代表格で、ベッタベタのメロディかと思いきや、
実は誰も考え付けないような動きをするんだよね~。

>  もっと冒険してるなと思ったのは、ハモリのパートです。(中略)
> この曲は、わざと狭くしたり、わざと広くした距離感でハモってる。
> だけど違和感が全然ないんです。

そうそう、これもその通り。ハーモニーの鬼の三宅さんもいることだしね。(笑)
でもこれも“Beautiful World”に限ったことじゃなく、以前からそうなんだよな~。
“Making Love”のハーモニーも、結構面白いトコついてるっぽいんだけど、
カラオケバージョンがないからどうにも解析できなくてこのblogで
取り上げるところにまで到ってなかったり。“BLUE”もそうだよね。

私も、“Beautiful World”ではきっと新しいボーカル・ハーモニーを
使ってくるだろうな~って思って、
実際この曲は独自のハーモニー展開を持ってたわけなんだけど、
うーん、“新しい”という表現にまでは行かないな、と思って
エントリ化するのを躊躇した、という経緯もあったりします。
(実際、そのエントリは“Beautiful Worldの新和声とEVA”というタイトルで
 書こうと思ってて、その為の前フリとして天啓で
 “Beautiful WorldとEVAの親和性”&“Beautiful Worldと、EVAの神話性
 というエントリも上梓したんだよな~。
 ま、アイディア倒れに終わったわけです(苦笑)。)
 
僕が「お、これは新しい~」と思ったボーカル・ハーモニーはやっぱり“Hotel Robby”。
この曲には三宅さんは関わってないわけだし、アイディアを出したとすると
他にはざねっちくらいしか居ないわけだけど、この大胆に高低差を利用した多声部は
当時凄く印象的だったな~。これの(ぱっと聴きは控えめな)革新性に較べれば、
“Beautiful World”のソレは“新・和声”にまではいかないかな、と。
まぁ、マーティさんは、BWを叩き台にして宇多田ヒカルの音楽性全体について
語っている、ということなのかもしれないね~。だから今更なことも
あえて取り上げてくれているの、かな?? もし“Hotel Robby”のことを
知っているなら、同曲の一部を取り入れた“Kiss & Cry”の方についても
語ってくれてもよさそうなものなのにね~・・・

・・・と思ってたら、


> 宇多田ヒカルは前に全米進出したけど、
> そのときは向こうの流行のR&Bに合わせすぎて、
> こういった彼女らしい個性が埋もれちゃったんじゃないかな。

、、、ちょっと待て。(汗)
全米進出したときに“流行のR&Bに合わせた”なんて事実はどこにもないぞっ!?
確かに、「EXODUS」アルバムにはR&B風味の曲も幾つか入ってるが
(まぁ、ど真ん中とまではいえないにしろ“Let Me Give You My Love”とかね)
まさか“Devil Inside”から始まる作品が流行モノなわけもあるまい。
“Kremlin Dusk”を聴いて、「おぉ、これはR&Bだね」なんていったら
マーティさん明日から仕事なくなるよ。(苦笑)
“Blow My Whistle”を知ってる、というセンも考えたけど、
あれは映画を見たからといって聴ける曲でもないしなぁ。ないだろう。

、、、というわけで、なるほど、これはこう考えるとわかりやすい。

マーティさん、あんた宇多田ヒカルとUtaDAを
今までマトモに聴いたことなかったでしょ?


だから、“埋もれちゃったんじゃないかな。”って
伝聞口調で書いてるのね。
でも一方で彼は、実際に音楽を聴けばちゃんとどこに何があるかを
正確に見極めるだけの耳をもっている。
(音楽理論についても精通しているし。ジェイソンベッカーとも友達だし(?))
だから今まで彼女についてさんざ言われてきたコト、
『セオリーから外れてるのにポップさを失わないメロディやハーモニーの話』を
“Beautiful World”1曲を聴いただけで見抜いてきた。そういうことだ。

まとめると、マーティさんは耳はとってもいいけど、
宇多田ヒカルにはあんまり興味を持ってないらしい
ってトコかな(^_^;

確かに、思い返してみると、日本語が拙い頃から彼のインタビューには接してきているが
J-Popが好きだというときに、ZARDやあゆやモ娘。について語ったりすることはあっても、
宇多田ヒカルの名前が前面に出てきてたことはなかったなぁ。
演歌の話をするときでも、美空ひばり・都はるみ・八代亜紀といった名前は
出てきても、藤圭子の名前をきくことはなかった気がする。(それは関係ないだろ(笑))

多分、彼が好きなのは「アメリカでは聞けない、日本独自の(商業)音楽」であって、
宇多田ヒカルのように「ドメスティックに留まらない普遍性を持つ音楽」は
逆にあんまり興味がないのかもしれない。
世界的にも少ない、ものすごい才能だと思います。」っていう言い方も、
如何にも対象と距離をおいた感じが否めないしね~。

というわけなので、結論の

> 今のアメリカの音楽って全然ワンパターンで、
> 逆に新しい味が求められている状況だから、
> J-POPで発揮している自分の持ち味で勝負した方が通用するんじゃないかなと思います。

という部分は、あんまり気にしなくてよいと思います。
実際、今のマーティさんは全米での成功より日本での成功に重きを置いてるから、
こういう表現をしてくるということは「まぁ向こうで頑張って」くらいの感覚だろう、
って推測できるしね。


ところで、彼は“Beautiful World”についてこんなことも書いている。

> 曲全体のアレンジは抑え気味で、
> 音色もブライトとはいえない少しくすんだサウンドです。
> 料理にたとえると薄味なんだけど、これも狙いなんだと思う。
> 映画のテーマソングってCMとかで何度も耳にするじゃん。
> あんまり濃い味だと飽きちゃうから、わざと薄めの味にして、
> 何度聴いても飽きないように作ったはずです。

これについては僕は違う見解を持っている。
どっちが妥当かはHikkiにきいてみないとわからないけれどね。
僕が思うに、“少しくすんだサウンド”というのはまさにその通りなんだけど、
これで狙ったのは天啓でも触れたとおり「モダンとノスタルジィ両方の同時表現」であり、
実際プロの音楽評論家も「音作りが古めかしい」と評している(この日の天啓参照)。
決して「CMとかで何度も耳にする」から、という理由ではないと思う。
というのは、光が第一に考えたのは「EVAという作品のエンディングで流れる時に
どう聞こえるか」であるはずだ
、と思っているからだ。
本来映画というのは、マニアはともかく殆どのひとたちにとって
劇場で1回か2回見て終わりのものだ。つまり、一発勝負。
何度も耳にすることを前提にしてサウンド・メイキングするとはどうしても思えないのだ。
ドラマの主題歌とかならともかくね。もしマーティさんが“Flavor Of Life”について
同様のことをいうのなら、ぼくも肯くところ。
アレンジが薄味で抑え気味なのは、エヴァという作品が90年代の空気を
どうしようもなくまとっているところ。当時のアニメを見れば、
携帯電話もないし、コンビニの風景も昔風だし、2015年の物語とはいえ
やっぱり放映されたのは90年代真っ只中なのだ。それをヒカルはよく知っているから
ちょっと古めかしい音を入れてきたんだとアタシの方は思ってる。
でも、それについては各インタビューで触れられてなかったので、
実際のところはどういうつもりでこういうサウンドにしたかは、わからないのだけど。




本文と全く関係ないのだけど、土曜の夜に聴くBLUE NILEは最高だ!最高過ぎる!(>ε<;)
ヒカルも書いてたな~。
ちなみに、The Blue Nileはすごく渋いっつうか地味っつうか、
 玄人好みの音楽をやるバンドなので、好き嫌い別れると思う。
 みんなにおすすめ!とは言えん。が、わしは大好きだ。

って。
ワシも大好きだ。(>∇<)
いやぁ、玄人好みが好きな人間に育ってよかった。(なんだそりゃ)
このバンドについては、もっと深く突っ込んで語ってみねばなりますまい!
またそれは、稿を改めてということで・・・
(そう書いてちゃんと改めて書いた確率は20%くらいなんすがね私・・・(汗))



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




書きますが。UtaDA2ndに向けて参考になる曲はFlavorOfLifeだ。出来る所迄自分でやりきり光らしさ溢れさせた1stEXODUSはそのままFoLOVに対応する。いわば音にベッタリ光の指紋が付いたサウンドだ。翻って2ndは素材を人の手に渡して自らの個性がどう輝くか試してみたBVに対応すると予想出来る。そこでの収穫といえば、一旦ひとの手に渡った曲との新しい距離であった。ひとの手垢にも塗れる事でまるでカバー曲の様に対峙でき素直な感情移入促し歌唱面に進境見せる事となった。1stでは多彩なソングライティングが耳を引いたが、2ndではシンガーUtaDAの成長にも注目である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




同じくC/w曲にFlyMeToTheMoonを持つ両曲の共通点を挙げておく。アップテンポでビートが曲を引っ張ってく曲調でありながらとても歌メロが強い。有体に云えばメロディの尺がとても長い。その為終盤でビートをストップさせブレイクを入れ歌だけのパートになっても曲が流れ失わない。その長尺のメロディの流れを保ち支える仕掛として、サビ直前のフレーズがカンフル剤となり聴き手の注意を一層喚起してる点も共通だ。W&Sでは楽器で演奏されていたこのフレーズ、BWでは少々形を変えて「それでいいけど」「別にいいけど」とボーカルによって歌われている。7年隔てても光の個性は揺るぎないのだった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




暗中でのそれよりずっと難しい。辺りを確り見通せてるのに、何処に何を捜せばいいのか。恐らく、視界下の風景そのものを改変していく過程の中にそれを見つける事になる。今ある自分の音楽世界が何であるかを知った(1st)上で、その世界にはどんな可能性があり、どんな可能性がありえたのか、その∞のパースペクティブを得る為に他者の視点が必要となる。UBで光は自らに生まれる絵を思う通り描き切り「額縁を選ぶのは他人」と呟き眠りに就いたが額縁自身もまた作品だ。他人がどんな額縁を"選びたくなる"音か。可能世界の集合体はそのテーマの中に姿を現すだろう。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




Distanceの時は様々な人達とコラボした。ジャム&ルイス迎えたりタクローと共作したりバンドのグルーブ取り入れたり。光は今迄常に実験的であったがこの時は何れの曲も「何が何だかわからないからとにかく色々やってみよう」的な混乱状態の産物だったと思う。特に2nd曲の口火切った中毒にはその想いが強く出ていたか。時間に追われる様を自虐的に描いたタイム・リミットもあった。翻りUtaDA2ndは「〆切なんてない」というユルいスタートになるという。今度は今迄の音楽的実績という基盤に立った上で他者とのコラボに入る。同じ模索でも暗中ではなく光に満ち溢れた中でのスタートとなろう。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




UtaDA2ndときいてまず手にとった作品は1stのEXODUSでもなければ光の最近作UBでもない、Distanceだった。恐らく作風妄想するのに鍵となるのは英語な事や時代性よりも「2枚目の作品である事」だと思う。距離は"雑多な"作品だった。EXODUSやUBも多彩ではあったが、光が作品全体を強くコントロールしているという意味でアルバム全体にストーリーがあった(「額縁を選ぶのは他人」/"ThisIsMyStory")。距離は初恋成功後の模索の中で色々やってみた末の多様性でありジャケも確信や決意に満ちたDREXUBとは一線画する。UtaDA2ndで光は今度は"故意に模索状態に入る"のではとみる。


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




遂に来たか。しかし現時点では船出はおろか乗船手続すら済ませていない段階の様だ。以後メディア情報が錯綜するかもだがメッセのページがあるんだからそれを最優先する事にする。まず気になったのはIDJがダウンロードをどう考えているかという事だ。アルバム作りもまだなのにもう売り方の話かと思われそうだが、音楽史上再生環境の変化は音楽性そのものに影響を及ぼしてきた。方向性についてミーティングするならリスナーにどんな環境で聴いて欲しいかのビジョン描く事必要だろう。前作の音楽的多様性はそのままマーケティングの困難に直結した。次作でどう来るか妄想が膨らむ所だ。


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




原文:
携帯/http://www01.u3music.com/m/msg.html?m=1&p=1&d=2007092523322e.xml
PC/http://www.u3music.com/message/index.php?m=1&d=2007092523322e.xml

*****

【ボン・ジュール!(やぁやぁ!)】2007.9.25(Tue) 23:32


みなさんこんにちは!!

夏が来た!と思ってたらもう終わりだな~。みんな夏休みは楽しく過ごせたでしょうか!

私はというと、何っひとつ今年は夏らしいコトやんなかったなぁ、、、東京が暑過ぎたんだよ!(>ε<;) ほとんど毎日自分ちで過ごしてました。

実は!今私ニューヨークにいるんだよ! IDJ(※ アイランド・デフ・ジャム/UtaDAのレコード会社)のひとたちとミーティングしてるんだ。次の英語アルバムの方向性についてディスカッション中なんだけど、いつどんな風にプロダクション(アルバム制作)に入るのがいいかとか、そういう話ね。

私たちはこれから、一緒に仕事したいなって思うプロデューサなりトラック・メイキングする人なりと話をしなくっちゃいけないわけだ。

そう、だから、、、うん、次のアルバムにそろそろ取り掛かれるかもしれないってこと! ガッチガチのスケジュールとかはまだ全然組んでないし、急いで作る理由も全くないし。こういうまったりしたスタートになるかもしれないってのがなんかいい感じがしてさ! 一歩一歩着実に、だよ、うん。ちょっとしばらくは様子見てみっかな~。でも、全体の雰囲気はバッチリだよ!(≧∇≦)

みんなたぶん知りたがってたコトだよね、この話v(^_-)-☆


で、写真はクマチャン(とまくらさん)がホテルの部屋の窓から外を眺めているところだよ。

またすぐに英語でメッセージ書くからね!

オ・ルヴォワール!(⌒▽⌒) (でわでわ!)


*****

訳者註:ここしばらく引っ越しそうな感じのするメッセが続いていたので、たぶんそろそろニューヨークだろうな~なんて漠然と思ってたのですが、もう既に行っていたとは!(来月のつもりでした・・・これまた漠然と) ちょっと意表を突かれた感じですが、文中でも強調してはるように、別にいつまでにUtaDAのセカンドアルバムを作る、なんていう目標があるわけでもなさそうなので、前作も契約してから3年も待たされた(笑)のと同様、今回も年単位で楽しみに待っているのがいいと思います。気がついたらもう1枚くらい宇多田ヒカルとしてのシングルを出してたりするかもしれないしね(^^; MUSICA創刊号で触れていた通り、UtaDAの次作はほぼ完全にセルフ・プロデュースだった「EXODUS」とはガラリと趣きを変えて、外部からの血を積極的に導入する予定のようです。英語の「track maker」は、トラックダウンする人のことなのか、ミキシングエンジニアのことなのか、リミキサーのことなのか、はたまたソングライターのことなのか僕にはよくわかっていませんが、ただプロデューサを迎えるというだけではなく、他の誰かと“共作”というカタチで楽曲制作に取り組むつもりかもしれません。「EXODUS」でもティンバランドとマイアミで一週間ほど合宿をして3曲を仕上げたわけですから、そのよいイメージを持ち込んでいるのでしょうか。まぁ、おいおいこのUtaDAのセカンドについてはブログでもちょこちょこと触れていくでしょうから(というかもう既に何度か妄想を繰り広げていますが(笑))、以後はそちらに譲ることにします。いやぁ、今夜は奇襲でした(^∇^ゞ


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




好きになったのは歌声でもルックスでもなく話し声&話し方だった。機知に富みコロコロと転がる様なトークはメロディックでリズミック-即ち音楽的で、聴いてるだけで楽しかったし、何より少しハスキーな発声がツボだった。小さい頃から"女性の声優サンが出す少年役の声"が好きだった私にとって、光が少し尖らした唇で囁く言葉の連なりは正にソレだった。BWの歌声が14歳の少年達の物語の主題歌にハマるのも今からすれば当然の事と思える。では、光が元々備えてたその少年ぽさのルーツは一体何処にあるのだろうか。推測だが、5~7歳の日本に居た時期に培われたとみる。論拠はまた稿を改めて。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




光作品がTOP10に3ッ入ってたが、この13年限定とはいえ上位はほぼ歴代ランキングに等しい。90年代は最も音楽メディアが売れた時代だった。扱い難いアナログレコードから手軽なCDに移行したのが何より大きい。昨今音楽不況が叫ばれて久しいがその原因はともかく現状主流は携帯・PCによるダウンロードとメモリプレイヤーでの再生環境だ。数え方に問題あるとはいえFoLのDL総数は約700万、CD売上約70万の実に10倍である。コレを不況というべきか。早急にDLを含んだ信頼あるチャートの構築が望まれる。ファンの関心に応える以上に、CDのみによる不当評価が若い才能の芽摘む事ない様期待したい。


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




1ツ付言するが、飽く迄もクマチャンと光の関係に"1番近い"のが母子関係ではないかという話であって、この2人(1人と1熊)の関係はこの2人独自のものでしかなく既存の関係の雛型に押し込める必要はない。母子だったら「ひかるちゃんしげきてきだよぉ」なんて台詞出てくる筈もない。

逆にいえば、いや普通の人間関係に於てだって社会から要求される関係性に留まる必要はない。どの親子もある独自の人間同士の関係なんだから、各々に独自の関係性を構築すればよい。だから、光と両親の関係性についても常識に囚われず感じる必要があるだろう。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




BeMyLastとぼくはくまを対に考える見方には度々触れてきた。"かあさんどうして"で始まる曲と"ママ・くま"で終わる曲は共に輪廻転生をテーマとして抱えている、と。もう1つ注目したいのが両者とも母について唄う役が"少年"である事だ。春の雪の歌であったBMLは清顕視点が主だと光は明言しているし、"ぼくは"くまであることから象徴的であれこちらも少年の目線である。いつもアレ程母への愛情を熱く語る光が何故歌となると母娘でなく"母と少年"で唄うのか。一方BWでの母性の目覚めも映画と絡まり少年への目線だ。以後考察を要するテーマか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ