無意識日記
宇多田光 word:i_
 



あんまりにも情報が過多過ぎて混乱極まっているのだが、恐ろしい事に宇多田ヒカル初のベストアルバム『SCIENCE FICTION』には『何色でもない花』に加えて更にもう1曲の新曲が収録される予定だという。もうどうすりゃいいんだこれ!? 本当に今年って宇多田ヒカルの長い音楽家人生の中で最大出力になるんじゃないの。出来ればその音楽家人生は半世紀くらい続いて欲しいんだけど、まぁどうなりますやら。

少し長いスパンで考えたとき、アルバム『BADモード』は微分不可能というか、変節点みたいな作品になっている気がする。人間活動期を終え…いや、終わったわけじゃないか…人としての由無し事を身につけて戻ってきて以降、『Fantôme』から『初恋』にかけて、生楽器を重用し、日本語の発音を見直し、少しずつ全体的なテンポが落ち着いていく中で、『Laughter In The Dark Tour 2018』でもシックなドレスが似合う大人の女性としてのアピール度も増してベテランらしさみたいなものを身につけていく過程にあるのかなと思っていたのに、気がついたら"Bangers You Can Cry To"、腰の強いダンサブルなサウンドがかなり復活…どころか、過去最高にストロングなスタイルを纏って『BADモード』がリリースされたように思う。だがただ闇雲に四つ打ちし続けるのではなく、リズム構成も曲展開も全く一筋縄で行く気配のない楽曲をこれでもかと並び立ててきていて、そこらへんがデビューしたての青二才とは全く異なる熟練を伝えてくれてもいた。パワフルでフレッシュなのに奥行きが凄い、いいとこどりにも程があるスタイルに劇的に進化していたのだ。

そこからの流れで『Gold 〜また逢う日まで〜』は、更に強靭なイケイケソングになるところを、周りが忖度してバラードに仕向けたかのようで、結局元々は『(Taku's Twice Upon A Time Remix)』に近いサウンドだった事が推し量られ、やはり『BADモード』から更に加速している事が見て取れていたのだが、ここにきて『何色でもない花』は基本的にはピアノ主体のバラード寄りで、そうでありながらやはりこちらの予想を裏切るどころかそろそろ「宇多田ヒカルの新曲の構成を予測するなんて烏滸がましい」と言われ始めるレベルにまでまるで予想をさせてくれない驚愕と混沌の曲展開と編曲術でこちらを大きく惑わしてくれてきている。控え目に言って最高なのだが、え、じゃあ次の新曲って一体何? 何になるの?(汗) どうなるんだこれ??

単純に考えると、次はいよいよアルバム『SCIENCE FICTION』の直接のリーダー・トラックとなるのだろう。つまりそれは、『ULTRA BLUE』にとっての『This Is Love』であり、『HEART STATION』にとっての『Fight The Blues』であり、『Single Collection Vol.2』にとっての『Goodbye Happiness』であり、『Fantôme』にとっての『道』であり、『初恋』にとっての『Play A Love Song』であり、『BADモード』にとっての『BADモード』になるのだろう。つまり、大体アルバムの1曲目っぽい曲が次に来るのではないかと、そんな事を予想するのだ。具体的な曲調はそれこそ予想なんてまるで出来ないけれど、この流れだとつまり、曲名が『Science Fiction '24』とかである可能性が30 %くらい出てきたのかな? そんな事をついつい期待してしまうのでしありました。

どうやら、ヒカルの口調からしても、ベストアルバムと言いつつも単なるコンピレーション(編集盤)という意識はさらさら無く、もう殆ど新作制作の意識で来ていそうなので、いやこれは、最後の最後に控えた新曲の方向性は大変気になるところなのでしたよ。オリジナル・アルバムと同じように音楽性の変化と進化に敏感になって然るべきなのではないかなと。はてさて、ベテランとしての落ち着きが復活するのか、それとも『BADモード』〜『Gold〜』のイケイケ路線が更に加速されるのか、これは結構余談と予断を許さない展開になっていくのかも、しれませんな!

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今日で一旦、宇多田ヒカル/UTADA5回目のコンサート・ツアー『SCIENCE FICTION』レギュラーチケットの申し込みが締め切られる。ヒカルからの呟きもあったので、今日は立て込むだろうな。特に日付が変わるギリギリにはアクセスが集中してトラブルに巻き込まれやすい。最後まで最善を目指して検討するにしても、少し時間に余裕をもって事にあたった方がよさそうだ。

しかし、そうか、ツアーとしては5回目になるのね。25周年で5回目なら…まぁ大体6年おき平均だわな。で、そのツアーを今回「全国ツアー」と呼ぶべきかが微妙になってきた。ご存知のように香港台北公演が発表になったからね。『In The Flesh 2010』も、基本的にアメリカ合衆国国内のツアーだったが、最後にロンドン2days公演があった為「英米ツアー」或いは「欧米ツアー」という扱いとなった。このあと香港台北以外に、例えばサマソニバンコクなどが加わればこの『SCIENCE FICTION』は「アジア・ツアー」と呼ばれる事になるのかもしれない。

でもなぁ。国内でまだ長らく来てない場所幾つもあるじゃんねぇ? 特に今回北海道と中国四国の公演がないしな。アジア回るくらいだったらこっちにも来てよ! こっちの方が近いよ?と言いたくなってるファン/リスナーも少なからずいらっしゃるだろう。

CDTV LIVE LIVEのトークコーナーで、ヒカルが「日本で行きたい所に行けたか」という質問に対して少し考えた後に蕎麦の話題にやや“話を逸らした”ところが気になっている。単に行けてないなら「行けてないんですよ〜!」とか返すはずなのに、はて? 私が勝手に推測するに、あれは、「行きたい所には行けたけど、あ、これ今言っちゃまずいやつだ」と思い直したのがあの妙な間であったのではないかなと。そう踏んでいる。

それに加えて現在の所ツアーに関して話せる事は何もないという返答と併せてを考えると、これから発表される公演地付近に、下見も兼ねて訪れたんではなかろうか? そうなると、下見もできるとはいえわざわざヒカルが足を運ぶのであれば、肉親に所縁の地、例えば照實さんの出身地である山口県とか圭子さんやその母君のルーツである岩手県や北海道などが考えられる。そう、いずれも今回ツアー地から外れている場所ばかりだ。これは匂う?

逆の解釈もできる。ここで山口や岩手や北海道に足を運んだと言ってしまうと、ツアーに来てくれるんじゃないかと誤解を与えてしまうから言わなかった、という風な理由も有り得るわ。

とはいえ、前も書いたけど、ヒカルのスケジュールが空いている8月16,17日には北海道の石狩でライジングサンロックフェスティバルがあるので、そこへの出演だとしたらそれはまだレギュラーチケット販売期間には発表しないわな。少なくとも今日、日付が変わった後以降だろう。5月くらいまで発表がずれ込んでも不思議じゃないしな。

ここらへん、飛行機に乗り慣れてないからわからないのだけど、日本国内から香港台北と行き来する直行便って、どこの空港からが便利なのかしら? ついつい安直に、福岡がいちばん近くて早いよねと思ってしまうんだけど、今回初日が福岡だからねぇ。その地の利を活かすとなると、7月初旬にアジア公演となるので、少々不自然かな? ここらへんが、わからない。案外、北海道からの方が行きやすいとかない??(…自分で調べなさいな(笑))


ともあれ、まだまだ何もわからない事だらけだけれど、レギュラーチケット応募期間が終わればフェス出演のアナウンスの可能性が高まっていくのは間違いないので、とりあえず引き続き公式からの情報提供を逃さぬようお気をつけくださいな…って、この日記を読んだお陰で最終的にぬか喜びになってたりしたら、ごめんねぇ。先に謝って、おきますねm(_ _)m

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ドラマタイトルの「君が心をくれたから」と主題歌の歌い出し『君がくれたのは何色でもない花』を合わせると

「心」=『何色でもない花』

になるのは、既にヒカルがボイスコメントで言及している通り。つまりこの歌は心の歌だ。

その歌詞の中で『心』が出てくるのはただ一度。

『私たちの心の中身は誰にも奪えない』

ここだ。これは恐らく、ドラマの中で斎藤工演じる日下が放った台詞と対を成しているのだろう。文字起こししてくれてる記事があったから引用すると。

「受け入れるのなら、彼(太陽)の命は助けます。奪わせてください。あなたの心です」「奪わせてもらうのは五感です。人は五感を通じて心を育んでゆく生き物です。いわば五感は心の入り口。これから3カ月かけて、あなたの五感を奪わせてもらいます。見ること、聞くこと、におい、味、そして誰かに触れたその感触、それを一つずつ。この奇跡を受け入れるのなら、朝野太陽くんを助けましょう」
https://www.cyzowoman.com/2024/01/post_463173_1.html/amp

はぅ、よりによってサイゾーウーマンの記事だったとは。まぁいいか。

彼は(要約すると)

「あなたの心を奪う為に五感を一つずつ奪う」

という意味のことを語っている。記事にもあるように、これには違和感を持った人が多かろう。確かに、心がそこにあることを感じたり伝えたりといった事にはお互いに五感が無いとならないが、五感を奪われたからといって心が無くなってしまうわけではない、というのが人の素朴な信念だろうから。ただ、この斎藤工の台詞はもしかしたら何らかの伏線かもしれないので、ここは判断を保留したいところだ。

一方、『何色でもない花』の歌詞では、『心の中身は誰にも奪えない』と言い切っている。ここにドラマの物語内の事情を加味するなら「たとえ五感を奪われたとしても」という条件節が加わる事だろう。何度も強調してきた事だが、今回の歌詞は本当によくドラマの物語に寄り添っている。

しかし、『だけど』とこの歌は続く。

『自分を信じられなきゃ
 何も信じらんない』

ここのフレーズは、歌全体の頂上のようなもので、これに辿り着く為にこの歌が構成されていると言っても過言ではないのだが、なら何故そんなにまでここを強調したいのかといえば、リスナーの間に「自分を信じ切れない症候群」が蔓延しているとみているからだろう。大事な事だけど蔑ろにされがちだから伝えたい、というわけだ。

「自分自身の存在を見失う」というのは本当によく起こる。かく言う私も、毎日この日記を書きながら「ここの1人目の読者は私。まず私が読んだ時に楽しめる日記を書いて。」と言い聞かせ続けている。言い聞かせていないと、途端にその本来の目的を見失ない、誰の為に書いているのかわからない文章が出来上がっていったりするので。(大抵、そういうセンテンスはボツになっている)

特に何のストレスも外圧も掛っていない状態であってもそうなのだから、人からの期待やら中傷やらが沢山あったらどちらにも反応し過ぎてすぐに自分自身を見失うだろう。19歳の頃のヒカルはこんな風に綴っている。

『子供も大人も、鏡に映る自分を見るのが好きだ。
 映されようと夢中になり自分もまた鏡であることを忘れれば、
 人は静かな空間をもてあまし嘘しさを覚える。』

『Deep River』PVの散文詩から、だ。
(いつもアクセスしてすいません: https://ameblo.jp/smile-smile-smile-world/entry-11610578954.html )

そうなのよね、すーぐ忘れちゃうのよね。目に映るものにばかり心を奪われて(つまり、五感から入ってくるものにばかり心を奪われて!)、それを受け止める自分自身の存在が無くなってしまう。

これは、ポジティブな感情にもネガティブな感情にも起こり得る事だ。人から讃えられてその評価にばかり心を奪われているとそちらのことに気を取られ過ぎて自分の目で物事を判断する事を怠ってしまう。嬉しいことがあって喜び過ぎてはしゃぎ過ぎちゃう時もそうなる。ちゃんとその都度自分の感性で噛み締め直してどういうことなのかよくよくみてみないといけない。

ネガティブな感情による自己喪失は切実だ。人はあまりに強いストレスや苦痛を感じ過ぎると、そこから逃げ切る為に遂には心の中に(これは“外に”と言った方がいいのかもしれないが)、自分以外の別人格を作り出す。多重人格とか精神分裂とか呼ばれていた、今では解離性障害と呼ばれる症状が生起するのだ。自分自身の感覚を感じ続けていては苦痛とストレスで狂ってしまうような、そんな強烈な境遇。キツイだろうな。


これらから連想されるのは、やはりヒカルのお母さんのこと。ヒカルは彼女が亡くなった当時、彼女の生前の病状について

『症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で』
https://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/utadahikaru/from-hikki/

という風に綴っている。この『人間に対する不信感』は、最終的には(或いは最初から)圭子さん自身に向けられていたのではないか。自分自身に対する不信感が行き着く先がどんな事になるのかをヒカルは知り尽くしている─ならば、だからこそ

『自分を信じられなきゃ
 何も信じらんない』

の一節はここまで切実に響くのではないだろうか。自分自身への不信は世界総てへの不信と同義なのだ。何をするにもまず自分を信じること、自分自身の存在を常に感じる事から始めないと、仕舞いには大変な事になっていく。そう自分自身で自戒を続ける為に、その事について歌った歌がこうしてこの世の中に生まれ出でた事は率直に喜びたい。僕らは『何色でもない花』を聴く度に、自分自身の存在を思い出せるようになったのだ。これは、とても大きな宝物だと思うよ。それはきっと、誰にも奪えないだろうね。

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前回折角暴走したので、減速しつつももうちょっとだけヒカルさん宛の内容を書きますか。普段からヒカルさん宛ではあるんだけどね。

量子力学という物理学の話が出たので、よく言われる「目に見えないものを信じる」話とかなり真逆の「目に見えないものなのに、まるであるかのようにみんな信じ切ってるもの」の話をしてみるか。これの例はそう多くはないけれど、あれなんですよ、「エネルギー」っていう一例が完璧過ぎていつもこれを例に挙げてザッツオールになるのよね。

「エネルギー」とは、本来全く目に見えない純粋に抽象的な計量なのだが、人はそれが「そこにある」ことを信じて全く疑わない。これは、考えてみれば不可思議極まりない。我々が普段「目に見えないものを信じることの大切さ」をわざわざ口に出して言う機会が多いのは、な目に見えないものを信じるのがなかなかに難しいからなのだけど、ことエネルギーに関しては、その実在性を疑う人はそうそういまい。

しかし、エネルギーは目に見えない。それどころか耳でも聞こえないし鼻でも嗅げない。味わえないし触れれもしない。

我々は、ものすごいスピードで走り抜けていく乗り物を見て「凄いエネルギーだな」と素朴に思う。強い光を発してるものを見た時や大きな音を耳で聞いたりしてもそこに大きなエネルギーを感じるし、暖かいものには熱エネルギーを、肌を圧す強風には運動エネルギーを感じている。だが、五感が直接感じているのは、強い光であったり大きな音であったり速い速度だったり高い温度だったり強い力だったりであって、どれもが「そこにエネルギーがあるのだろう」と十二分に推察される材料ではあってもエネルギーそのものではない。エネルギーの単位って「質量×長さ×長さ÷時間÷時間」だからね、ぶっちゃけ一体何の事だかさっぱりわからないのが普通なのだが、なぜだか我々はそれが在る事を信じて滅多に疑わない。

その絶大な信頼の例が、(ちと偏った例になるが)漫画「ドラゴンボール」に出てくる「かめはめ波」だ。俗にエネルギー波と呼ばれるのだけれど、なぜだか掌をかざしたらぶぉんと音がして明るく輝いて凄い熱量を伴って凄い速度で飛び去っていく「何か」が出現することになっていて、如何にも「こんなことが出来たらいいな」と読者に思わせることに成功している。ああいう描写はまさに「エネルギーがそこにある」と素朴に信じていることの証左なのだと思う。平たく言ってしまえば錯覚に過ぎないのだが、ああいう描写が受け入れられてこどもたちがこぞって真似事をするくらいに、「エネルギー」という抽象概念は「そこにある」と信じて疑われない。

それは、もう単純に、この言葉が日常のニュースや何やかんやで取り上げられていて、実際に何となく役に立っているからだ。かつては学者の使う抽象概念だったものだが、日常でエネルギー問題が身近になったことでいつのまにか「そこにあるもの」として認識されるようになったのだと、そう推測され得る。

私が思うに、量子力学はまだそうなる途中なのだろう。量子力学的世界観はまだその成立から1世紀経ってない(来年で100周年になるけどね)。なので、まだ量子状態というのは日常的な風景では全然なくって、浸透に時間が掛かっているのだろうな。だからヒカルもうっかり『観測されるまで存在しない』と呟くのだろう。慣れれば、エネルギー同様「そこにある」と錯覚できるようになるんじゃないかな。まだまだ先の話になるとは思うけどね。

さすれば。存在を確信して疑わない「エネルギー」などとは対照的に、我々は「心」という、目には見えない、音も聞こえない、味も匂いもしない、手で触れられない存在について、なぜいつもこうも不安になるのだろう…?という観点からまた『何色でもない花』の話に戻ろうかなと思う。減速終了また次回っ。

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(↑の訳:“調子に乗って書き過ぎちゃいました”)

※ 断言します。読まなくていいです。時間の無駄!(笑)
※ あ、ヒカルさん、万が一来てたら、貴女はちゃんと読んでね⭐︎


「CDTV LIVE LIVE」に出演したヒカルさん、テレビでも「量子力学とシミュレーション仮説」の話をしちゃいましたわねぇ…。何だか私、誘い出されてる気がしてきたので乗っかってはみるけれど、想定できる読者が宇多田ヒカル独りきりになるのでそれは重々御了承の程を…。


さて。前も述べた通り、リスナーの方はそういう何とか仮説とか何とか力学みたいな意味のわからない単語に惑わされる必要は無い。そういったキーワードに遭遇した時の感情の揺れはしっかりと歌の中で表現されている。例えば『ああ名高い学者によると僕らは幻らしいけど』なんかはその最たる例だろう。この部分を聴いた時に何らかの感情や感覚や感触が生まれていたのならもうそれ以上は特に必要がない。ヒカルの表現したかったのは詰まる所そこなのだから。

なのでここから先のこの日記は、「このフィーリングがどこから来たかを知りたい」という、ある意味余計な興味を抱いてしまった人々に贈ろう。ほぼ全員が途中で閉じると思うけれども。


さてさて。


今回も「量子力学とシミュレーション仮説」という風に、2つをセットでヒカルが言及したのは、この2つが「ヒカルが言いたいこと」においてひとつの対になっているからだ。量子力学の方は、「モノは、僕らがそのモノをみるまで存在するとはいえない」という客体(モノ/object)の実在性に関する話で、シミュレーション仮説の方は「僕らのココロは何らかの計算結果に過ぎないのではないか?」という主体(ココロ/subject)の実在性に対する話となっている。少し昔の言い方をするなら、前者は唯心論的、後者は唯物論的ともいえるか。

で、先ほど挙げた『僕らは幻らしいけど』の歌詞で歌われている…逆か。この歌詞を宇多田ヒカルに“歌わせた”のが、と言わなきゃいけないかな、それがシミュレーション仮説の方だろう。我々という存在は、我々よりもっと高次の生命体が愉悦に浸って写しているスクリーン上のカゲロウのようなものでしかないのかもしれない…という不安を煽る方ね。

では量子力学の方がヒカルに“歌わせた”一節はどれか。これは判断が難しい所だが恐らくそれはその直前の歌詞、

『朝日が昇るのは
 誰かと約束したから』

なのではないかなと思われる。この歌詞について前に触れた時「一見、主観的判断が世界の趨勢を決めるセカイ系的世界観を思わせる」という意味の事を書いたが、量子論の観測問題について語られる時によく言われるのがこれだろう。「誰かとの約束」という人と人の心の中の出来事に基づいて、太陽という巨視的な天体の運動の行方が決まる。普通で考えれば有り得ないが、量子力学で問題になる微視的な局面では実際に起こり得る事柄だ。人間が勝手に決めた観測方法とタイミングとセッティングで観測する事で初めて粒子が局在する。その局在の仕方が人間の思惑に左右されまくる。これは二重スリット実験というヤツが鮮やかだからググって欲しいけどそれはまぁいいや。

ただ、テレビでヒカルが『何かが観測されるまで存在しない』と言っていたのは、少々紛らわしい。いや、ちゃんと博士号取ってる連中でもこんな言い方をしたりするので仕方がない事なのかもしれないけれど(ほんまお前らちゃんとせぇよ)、「何か」は常に必ず存在する。観測されようがされまいが。専門用語では規格化と呼ぶのだが、極端な言い方をすれば「何か(大抵の場合粒子と呼ばれる)が必ず存在すると仮定する事で量子力学は始まる」と言っても過言ではない。観測されるまで決まらないのはその粒子の位置や運動量、或いはエネルギーといった古典力学的物理量(量子力学では可観測量と呼ばれる)の具体的な値であって、その存在の有無や可否では決してない。その値の決まり方が「人間の観測の仕方の決め方」によって変化するのが量子力学であり、そして、そうでしかない。観測されるまでは確率振幅を与える波動関数として(ヒルベルト空間内の状態ベクトルとして或いはマトリックスとして)、間違いなく存在する(ここで「そこに存在する」という言い方はあんまり出来ない。観測するまではそこに在るかあそこに在るかどこに在るのかは決まっていないのだから)。粒子がこの世に存在する確率は100パーセントであり(先述の規格化)、間違っても「観測されるまで存在しない」ということではない。どちらにせよ理論の要請する仮定の話だよねといえばそれまでなのだけど、その仮定に基づいて自然と対話して話が成り立っているのでそれは真実だと少なくともこの21世紀までは言われてきてはいる。それが本当に宇宙の終わりを超えて未来永劫「事実」で有り続けるかは確かめようがない訳で、なるほど確かに

『確かめようのない事実しか真実とは呼ばない』

のだろうな。もっと言えば、人が宇宙のどこかに必ず粒子を見出せると“信じる”事で、量子力学は機能し始めるのだ。たとえその位置が確率的にしか予測できないとしても。


…ふう、もう読者はヒカル以外居ないだろうから(こらこら)、遠慮なくこのまま暴走を続けよう。行先不明の暴走トレイン2号車、脇目も振らず驀進中です。

で。

『何色でもない花』に於けるいちばん“強い”センテンスは

『自分を信じられなきゃ
 何も信じらんない』

なのだと私は思う。これは論理的には

「あなたが何かを信じているなら
 あなたは自分を信じている」

と同値だ。(対偶をとっただけなので) この世の、いやあの世も含めて森羅万象遍く総ての中で何かを信じているのなら、あなたは何よりも先にまず自分自身を信じているのだ、とね。

これ、日本語では意味を明確にする為に

「あなたが何かの存在を信じているのなら
 あなたは自分自身の存在を先ず信じている」

と書き換えた方がいいのかもしれないね。英語だと"believe"と“believe in"の違いだわ。

この書き換え、この歌に関しては必要な事だと思うのだ。というのも、歌詞の中で

『僕らはもうここにいない』
『僕らは幻らしい』
『存在しないに同義』

という風に、次々と「存在が不在か」を問うセンテンスが現れてくるからね。この歌は「存在を問う」歌なのです。

なので、この『自分を信じられなきゃ何も信じらんない』という一節は、

「自分の存在を信じられて初めてそこから
(自分の外に在る)世界の様々を信じられる」

という意味に捉え直す事が出来ると思われる。これはもう、かの有名なルネ・デカルトの

「我思う、故に我在り」

という一節の派生になるよね。この言葉の意味は…Wikipedia丸写ししとくか。

「自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識している我だけはその存在を疑い得ない。「自分は本当は存在しないのではないか?」と疑っている自分自身の存在は否定できない。―“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である(我思う、ゆえに我あり)、とする命題である。」

短く言えば「疑う自分は疑えない」だね。「最も信じられるのは自分自身の存在」。やっぱり、

『自分を信じられなきゃ
 何も信じられない』

に戻ってくる。


という感じで、この「我思う…」について書かれた、「近代哲学の出発点」とも呼ばれるそのデカルトの「方法序説」が発行されたのは1637年らしいからつまり17世紀の本で、更に伝統的な唯心論と唯物論とを対比しつつ、20世紀に顕在化した量子力学の観測問題と、21世紀に提唱されたシミュレーション仮説の話題をも包含する『何色でもない花』という歌は、ここ5世紀に渡る哲学の重要な命題に関する大きな流れを睥睨しつつ、それでいて令和のお茶の間に流れる月9ドラマの重苦しくも甘酸っぱい恋物語を淑やかに彩る役割をも果たしてくれている、非常にスケールが大きくかつ振り幅のデカい一曲であるという事が出来るのだった。ヒカルさん、えぇ、貴女は大変な歌を歌っていますのよ。いやはや全くもう。腹減った…。

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たっぷり堪能させてうただきましたCDTV LIVE LIVE出演。なんじゃあのトーク枠の長さは。特別待遇だったわねぇ。8時跨ぎでザッピング視聴者を根刮ぎ奪っていく算段だったんだろうな。

https://x.com/tokyoclassy/status/1762072774749888527?s=46

まずそのお召し物の鮮やかさに驚いた。今くるよ師匠もかくやというほどのフリッフリのピンクのドレスでいやもうかわいいのなんのって。本人もノリノリで『ぷりっ』とか言っちゃう始末。「服は人を作る」などと申しますし本人もそんな風に受け取っているようでしたが、MVの格好がコンセプトなのかなと思っていたこちらとしては面食らうというか面食いというか(なんじゃそら)。兎に角目の保養でありましたとさ。

どこから突っ込んでいけばいいかわからないから、昨日この日記で期待した話んとこから触れるか。8分の6拍子に戻ってきた所、歌詞表示にない『In it with you, In it with you』の部分、見事に歌い上げてましたねぇ! 最初音源で聴いた時その声色からピッチシフト(低めに歌って機械で音程を上げる)してるのかなと思ってたんですけど、テレビではなんか無加工でほぼ同じ声色を出してたからピッチシフトせずにああなの? MVのアクションが合成じゃないというので皆が驚愕してたけど、あたしとしてはこっちの方がよっぽどビックリだよ。ライブでも(もし歌うなら)こんな風に歌ってくれるんだろうか。これはますます生歌唱に期待が高まりましただわさ。

にしても、余裕があるというか、もう既に曲を歌い慣れてる感覚があったような。まさかもうツアーリハーサル始まってるの? それは流石に早過ぎると思うけど、レコーディング時点ってまだ曲が出来たてホヤホヤだったりして本人も歌い慣れてない状態なので、結構手探りで歌っちゃうことが多いらしいのです。が、もう今回のパフォーマンスをみるに楽曲がしっかり俯瞰出来てるというか、今楽曲全体のうちのどこを歌っているのかを確認しながら歌えていたようなのでいやこれはもうスタジオ・バージョンより良いテイクなのではないかなと。特にイントロとアウトロ…最後の『you』に被せてきた所のアドリブはこの完成した楽曲をテレビの向こうの視聴者に改めて届ける為に素敵なリボンを掛け直してあげたみたいなトキメキをこちらに与えてくれました。うっかり惚れてしまいそう。もう惚れてるって?デスヨネー! (…何回やるんだこのくだり)。

てことで、非常に満足だったテレビ出演。この後火曜日お昼あたりから二週間限定で無料配信があるそうなので、まだ観れてない人やもう一度観たい人は是非どうぞです。

https://x.com/tbscdtv/status/1762085351068246351?s=46

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おやまぁ、このタイミングで海外公演発表っすか!

・『HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024』 自身初の単独公演である、台北公演・香港公演の開催が決定!
https://www.utadahikaru.jp/news/81qwrjer3/

日程はまだ出てないのね。8月真ん中まるごと空いてたからそこに入ってくるんだろうか。「初の単独公演」というのは、コーチェラがあったからというのもありつつ、サマソニバンコクも見据えて、かな? なかなかに忙しいお盆前後になりそうね。いや勿論、9月以降かもしれないけれど、バンドメンバーを拘束したまま3週間何もしないというのは考えづらくてね。契約次第だけど、手練ればかり集めてるんだからロンドンに居ればセッション入って稼げるじゃんみたいなこと言われちゃうかもだしな。まぁそういう細かい話はいいとして、アジアでの人気は『First Love 初恋』もあったことだし高いままだろうから盛況だろう。なかなかに楽しみだ。


さて、先週は祝日が絡んだ事もあって「君が心をくれたから」第7話の話をしていなかったわ。今回は触覚を失う話で、うむ、現実を参照するとツッコミどころしかなくなるのでここは素直に「恋人に触れられてもわからない悲しさを描きたかった」のだと意図を汲んでおくわね。

そして次に失われるのは視覚。ここまで味覚・嗅覚・触覚ときているから、最後に聴覚が残るのか。「月9は大体全11話」ということなので、流石に視覚を失う話でここから4話使う事はないと思うからやはり聴覚を失う所まで描くのかな。

ただ、主題歌のタイトルは『何色でもない花』なのだ。色は視覚。いや音色なら聴覚だけど「花」と音は結び付けづらい。太陽君の花火とも掛かっているのだし、やはりこの「何色でもない」というのは、視覚を失うかどうかというところで最も引き立つ歌なのだと思うので、展開としては聴覚だけ残った後に何らかの方法で視覚(と多分味覚も嗅覚も触覚もだろうけど)を取り戻す流れになるのではないかな。そこの過程で『何色でもない』というのが効いてくる、とそう読みたい。「心」がキーワードになるってことね。

今の所、花火大会がクライマックスという雰囲気なんだけど、残り話数と今書いた展開予想からするとそこで収まり切らないのよね。なかなか難儀な事になりそう。

こんな風な事を考えてるのも、最終的にいちばん感動的な場面で『何色でもない花』が流れて欲しいからなんですよ。それさえ叶えば、低視聴率だろうが何だろうがこちらの気持ちは落ち着く訳で。幸い、皆演技力は確かなので自然な流れの脚本さえハマれば素直に泣けると期待しているのでした。ここまで来たら最終話までしっかり視聴するですよ。それで、終わった後にドラマ全話映像を使った『何色でもない花』のMVをリリースしてくれませんかねぇ? ドラマも振り返れて、こちらは主題歌が聴けてとてもいいと思うのでした。

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ほへぇ、J-WaveのTokyo Hot 100で初登場第2位ですか『何色でもない花』が。

https://www.j-wave.co.jp/original/tokiohot100/chart/main.htm

関東ローカルの洋邦混成チャートとはいえ歴史のある枠ですからね、ヒカルパイセンも何度か出演してますし、なかなかに印象的な結果だね。

MV再生回数の方も極めて順調で、YouTubeで昨日だか今日だかにあっさり400万回を突破。Goldの再生回数が今420万回弱なので今週中にも追い抜きそう。

でふとそのYouTubeのコメント欄を見てみると、歌詞や曲についての感想が圧倒的に多いのね。やっぱりYouTubeは「サブスクもダウンロードも利用してない人が新曲を“聴きに”来る場所」っていう認識なのだろうかな。ぽつりぽつりとみられるMVの感想も好意的なものばかりで再度安堵。ま私は楽曲原理主義者だから厳しい事言いましたけど(今後も言いますけど)、宇多田ヒカル名義のコンテンツが好評を博していて嬉しくない訳がなく。曲の感想もMVの感想もニヤニヤしながら読んじゃいましたよ。

さてこれが今夜以降どう変わるか、ですわね。そう、夜19時からの「CDTV LIVE LIVE」に出演して『何色でもない花』をフルサイズで歌うということでね。それを観て聴いた人がまたYouTubeに殺到するんではないかと。そこからまた客層に変化があるかもしれません。

しかし、TVであれをフルで歌うか! そうであれば、あの後半部分の再現度が気になりますが、どの部分をヒカルが直に歌うかにまずは注目したいところ。やっぱり歌詞表示に含まれていないパートはバックコーラス扱いなのかなとか、そういう事が判明しそうで楽しみ。

ヴィジュアル的なアピアランスも気になるわよね。例えば一昨年『BADモード』でNHKに出演した時は事前にバストアップの新アー写を公表してこちらに先入観を持たせてからのシースルー爆撃!なんてことがありました。今回は特段事前に番組の為の新アー写が公表されるということもなかったので前フリはありませんが、昨年夏の『Gold 〜また逢う日まで〜』でのテレビ出演では布面積がヤバかったりしたからね。「どうしたん?反物買うお金足りひんの?」ってお婆ちゃんに心配されちゃうくらいに(※フィクションです)。はてさて、今回はどんなお召し物で来てくれるのかな?

仮に万が一、AFoNoCoMVの衣装で出てきてくれたなら、今度こそ速度を変えないコンテンポラリー・ダンスが観れるかもしれないなと期待したいところだけど、ヒカルさん流石に「踊りながら歌う」なんてあんまり練習してないよね? ボヘサマなんかはダンサーに囲まれてたしコーチェラでも「Hikkiは出た事ない90年代J-PopPV風ダンス」をバックに歌ってたけれども、やっぱり今回もスタンドマイクからのハンドマイクかな〜。前半についてはピアノ弾き語りも期待したいとこだけど、別に無理するこたぁないやね。歌に集中してくれればよし。


ともあれ、CDTVLIVE出演時は@Hikki_Staffが、『君に夢中』の時も『Gold〜』の時も直前に出演タイミングを教えてくれていたので、

https://x.com/hikki_staff/status/1685965652916604928?s=46
https://x.com/hikki_staff/status/1564207643102625792?s=46

夜19時以降慌ただしいという人はしっかり@Hikki_Staffのつぶやきの通知設定をしておきましょうね。(Xのプロフィールのベルのアイコンにアクセスっ)

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さて、『何色でもない花』でずっと気になっているのがサビメロの歌詞、

I'm in love with you
In it with you
In it with you

に於ける『In it with you』の存在である。あんまり歌詞で耳馴染みのあるフレーズでもない。検索してみたら無くは無いみたいだけどもね。

確かに、「英語では、同じ単語が二回以上出てきた時は二回目以降は代名詞に置き換える」という大原則が存在する為、

I'm in love with you
In love with you
In love with you

とは言わないだろうよ、というのは、それはその通りかもしれない。でも、こう「話されたら」くどく聞こえるというだけで、こう「歌われるのなら」、歌のリフレインで同じ単語を繰り返すのならいいんでないの? それを忌避するのはなんか違うんじゃないかと最初に聴いた時からずっと思っている。実際、↑のようにitではなくloveで歌ったとしても、メロディの尺としては問題ない。それに、ポップソングであることを考えると、『In it with you』というのは結構聞き取りづらいので、少々くどくてもloveで押した方が良かったりもしそうでな。

でもそこはヒカルさん、普段そこまで気にしてないんだよね、歌詞の聞き取りにくさ。この歌の途中に出てくる『存在しないに同義』なんかも、これ別に『存在しないに同じ』とかでいいのよさ。尺的にも音韻的にも意味的にも。そこを敢えて“同義”という、話し言葉では滅多に使われない単語を使ってくる辺りが寧ろ作詞家宇多田ヒカルらしさであったりもして。あまり「聴いてすぐ意味がわかる」事を重視してない節もある。

ではなぜ" In love with you "ではなく『In it with you 』なのか? 結論からいえば、さっぱりわからない。強い理由があるかどうかすら定かではない。

それでも敢えて何か理由をくっつけるとするなら、

「恋心が曖昧になっていくプロセス」に聞こえなくもない

という効果がひとつ、考えられる。恋が冷めるというのとはちょっと違っていて、

「私はあなたに恋してる
 あなたにそうしてる
 あなたに私は…何をしてる?」

みたいなニュアンスね。つまり、記憶喪失とか認知症、認知障害といった類いの、確かに私はあなたに何らかの感情を持っていて、何なら今でも持っていて、でもそれが何であったかがわからなくなっている状態、みたいな、そういうやつ。

ちと無理のある解釈だとは思うが、このように読み取ると、この曲の3:08以降、4分の4拍子から8分の6拍子にリズムチェンジして以降のアレンジの意図を汲み取れそうなのだ。


┏ In it with you
C'In it with you
┗ (3:08~3:28/8分の6拍子)

┏ I'm In love with you
┠ In it with you
┠ In it with you
C In love with you
┠ In it with you
┠ In it with you
┗ (3:28~3:49/8分の6拍子)

? (3:49~4:03/?分の?拍子)


C'のパートで、『I'm in love with you』から入らずいきなり代名詞itを使った『In it with you』から入る。英語の文章的には変だ。前段のloveを受けるから二回目以降のloveにあたる箇所をitに出来るのだ。なのにここでは唐突に「it』から入ってくる。更に、このC'パートの2行はサブスクの表示では歌詞が無い。つまり、この独特のエフェクトが掛かった『In it with you』×2のパートはメインヴォーカル扱いではなく、バックコーラスや効果音といった扱いになっているようなのだ。

なので、ここの『In it with you』は、自分の真ん中を見失っているような、少し病的というか絶望的というか、それまでとは逸脱した感情を描いているように思われる。そしてそのパートの残り香を纏ったまま曲前半と同じCパートが進んでいき、最後は絡み合い重なり合いながら、やや唐突に曲が終わる…どうにも、ここのアレンジの方法論に、歌詞を"It"にした理由が隠されている気がしてならない。なんか、ホラーという訳でもないんだけど…ってそういや"it"っていえば映画化もされた有名なスティーヴン・キングのホラー小説のタイトルにもなってるなぁ。まぁそれは完全に余談としても、『Love』が崩れていって跡形もなくなって『it』としか認識できなくなるストーリーだとしたら…いや、あのテレビドラマがそんな顛末になるかというと、今んとこ違いそうでな…これもまた、ドラマ全編終わるまで、そしてベストアルバムのCDのブックレットで歌詞を文字で視認確認するまで、保留案件にしておきたいと思います。歌詞とドラマの関係性がどこまで深いかにもよるしね。うん、わからん!

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私には珍しく(?)、歌の解説動画というものをみてみた。

https://youtu.be/acpqszuf8Bk

YouTubeらしい早口と編集で、この手の動画にしては長めの15分という尺で無駄なく必要な事をこれだけ並べ立ててどれも的確な指摘というのはこの人普段からよっぽどこの種の動画を撮り慣れてるんだろうなと思うし、何より指摘したポイントをちゃんと総て網羅して実際に歌唱してみせてるところが素晴らしいのだけど(目がマジなのを隠す為に照れ隠しで茶化すのも含めてね)、それでも元のヒカルの歌唱ポイントの半分も再現できてないのだから元の歌唱が如何に繊細で考え抜かれたものかというのが逆説的によくわかる。

実際、『何色でもない花』をヒカルの歌唱無しで堪能しようとしても結構難しい…というか、この曲のもつポテンシャルを引き出し切れないのよね。お誂え向きに昨日ちょうどドラマ「君が心をくれたから」のサントラがリリースされたので、晴れて劇中で使われていた『何色でもない花 Piano Style Ver. 』をゆっくり堪能する事ができた。

このバージョンはピアノメインのインストで、曲の前半部分(前書いたABCABC部分)を、元のアルペジオをほぼ残したままピアノの単音でヴォーカルラインをなぞるというシンプルなもの。これを聴くと改めて、素朴な割に芯の通ったメロディの良さを噛み締めると共に、やっぱり歌詞と歌唱が果たす役割も大きいんだなと痛感できる。とても順当なインストで非常に有り難い。

実際のところ、歌が上手くなればなるほどメロディの輪郭は曖昧になって歌のアピール度は減じられていくものだ。あとに残るのは「この人歌上手いね」だけとなって楽曲の良さは置き去りにされる事が多い。しかしヒカルは、メロディのシンプルでクリアなアウトラインをしっかりとキープしながら、自らの歌唱で細かいニュアンスを伝えていく事を怠らない。これはそうそう出来ることではない…のだけど、日本語歌手に余り「歌が上手過ぎて曲を潰すタイプ」が居ない為その凄みは伝わりづらいわね。

これが出来るのは、ヒカルが楽曲を顕微鏡でも望遠鏡でもどちらでも見る事が出来ているからだろう。鳥の目虫の目ってやつですね。作編曲家としての俯瞰的視点と、歌手としての近接視点のどちらも非常に高精度に機能しているということだ。なのでこうやってピアノインストで楽曲全体のアウトラインを明確にして提示されても魅力的だし、歌唱の細かいポイントを追究していってもいつまでも終わらないくらいに細かくフレーズを歌い分けてその魅力に奥行きと深みを与えている。単純にいえばシンガーソングライターだねってことなのだが、そのレベルがどちらも恐ろしく高いのだ。

当たり前の事を言っているようだが、ヒカルが老若男女幅広く支持を集めている要因の一つだから見逃せる話でもなく。特に今年はデビュー25周年で、新しい世代にもアピールしていく中で、ベテランとして昔馴染みのファンにのみ合わせた作風に傾倒する事がまだまるで全然無いというのは注目に値する。しかもその態度がデビュー前からずっと不変というのだから堪らない。『何色でもない花』のチャート成績の好調を目にして耳にして、そんな事を改めて噛み締め直していたのでありましたとさ。

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『何色でもない花』のチャート・アクションが出揃ってきてるのだけど、「え、こんなに!?」と驚くような数字ばかりで結構狼狽えている。

現行最も網羅的であろうビルボード・ジャパンの総合ソング・チャート「Japan Hot 100」では初登場第4位。その内訳はダウンロードで第2位(1万1704ダウンロード)、ラジオ・オンエアで第1位、動画再生第10位(279万3660回)となっている。なお、こちらは集計期間が2024年2月12日~2月18日である為、2月21日現在既に動画再生回数はYouTubeのみで300万回再生を突破している。ひえぇ。
https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/134902/2

特にラジオね。プランテックのチャートでは、記事によると「2位以下と大差となるオンエア数を獲得。文句なしの圧勝」で第1位だったそうな。確かにオンエアでの遭遇報告はTwitterで幾つかみていたが(こまめにハッシュタグをつけてくれていた皆さんどうもありがとう)、いやそこまでのことになってるだなんて全然気が付かなくってすいません、って気分になっちゃったよ。
https://www.musicman.co.jp/chart/600471

うぅむ、初めて1月初旬に「君が心をくれたから」の初回放送終盤で聴いた時は「これは売れないなぁ」と断定してしまったのだけど、もしかしてこれ、昨年の邦画実写映画No.1の興行成績だった「キングダム 運命の炎」主題歌っていうかなり強力なタイアップをとっていた『Gold ~また遭う日まで~』よりいい通算成績残しそうな勢い??
https://www.billboard-japan.com/chart_insight/detail?kind=h100&date=2023-08-14&main=203872

特にMV再生回数の伸びが凄いわよね。半年前に公開された『Gold ~また逢う日まで~』が今400万回再生ちょっと超えたとこだというのに、『何色でもない花』MVは目下320万回。これ早々に追い抜くペースじゃないっすか? 確かに、GoldMVは音源配信開始から2週間遅れでの投入であった一方、AFoNoCoMVは即日プレミア公開だったので、初動の需要を鱈腹咥え込んだという事情の違いはあるにせよ、それにしたってね。あたしみたいに初見でポカーンとした人はそんなに居なかったということか。多様に受け容れられているとしたら懸念が杞憂に終わったみたいでよかったよ。逆に、人気MVって位置になってくれたら今後は更に遠慮なく色々言えて助かるわ(笑)。

ドラマの視聴率が普段の月9に較べても低空飛行だと記事にはあったからそんなに注目されてないのかな?とか思ってたんだけど、こと主題歌に限ればそうじゃなかったのかもね。いやはや、嬉しい誤算もあったもんだね。今後ここからどれくらい聴かれていくのか、楽しみになってきますね。これが来週以降のテレビ出演で更に拍車が掛かるとなると、ベスト盤発売に向けてとてもいい弾みがついちゃいますねぇ。梶さんの笑顔が目に浮かぶようだよ😄

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今回は、気を取り直して『何色でもない花』の曲構成の話を再び。例の曲構成回の日記を逐一参照しながら読んでうただければ。

【新曲発売時恒例曲構成確認回@AFoNoCo】
https://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary/e/25a647dd7d3ef9ad31cee4168b38bfb5

で。再三になるがヒカルのコメントを掲載しよう。

『こんなの初めてなんですけど、8分の6拍子と、4分の4拍子と、また8分の6拍子っていう、なんか謎のタイム・シグネチャーの三部構成になってるんで』

このヒカルの言に沿ってみたとき、「一旦4分の4拍子になったあとまた8分の6拍子に“帰ってくる”」と解釈するのが普通だろう。同じリズムに戻るんだものね。

ところが、よくよく音を聴いてみると事はそう単純ではないらしい。

初めの方の8分の6拍子は、前に指摘した通り、ピアノの音6つに対してルート音(ポーンと弾かれる長い音)1つとなっていて、これだとどちらかというと2拍子で解釈する方がメロディーに合いやすい。左右にゆっくり身体を揺らすような、そんなイメージを抱いていただければいいかな。左と右の二つの間を揺れる2拍子。

これがあるから、真ん中で4分の4拍子に移る時の唐突感が薄れる。2拍子から4拍子に移るのは、3拍子から4拍子に移るよりスムーズにできるからね。

が、今度その4拍子から8分の6拍子に戻る時─具体的には

┏ だけど
D 自分を信じられなきゃ
┠ 何も信じらんない
┗ (2:54~3:08/4分の4拍子)

の部分から後だ─、ここでバックの演奏を聴いてみると、右側で3つリズムを刻む度に真ん中でスネアドラムが1回叩かれている事に気づく。つまり、この3:08からあとの8分の6拍子は3拍子として提示されているのだ。(タン・タン・タン、ドン・タン・タン)

なので、確かに楽譜上では

「8分の6拍子→4分の4拍子→8分の6拍子」

という風に書かれているだろうが、演奏の解釈としては

「2拍子→4拍子→3拍子」

という、それぞれに異なるリズムでの三部構成になっていると考えられる。

この含みのあるやり方な。確かに、3:08以降のパートは最初の2分余りの2拍子のパートに現れるのと同じ歌詞になってはいる─

┏ In it with you
C'In it with you
┗ (3:08~3:28/8分の6拍子)

┏ I'm In love with you
┠ In it with you
┠ In it with you
C In love with you
┠ In it with you
┠ In it with you
┗ (3:28~3:49/8分の6拍子)

─のだが、歌い方が、いや、声そのものが別物に加工されている事に気づくだろう。つまり、最初のパートと最後のパートでこの歌のメインフレーズである

『 I’m in love with you 』

の意味合いが変化していると、そう編曲面とサウンド面で語り掛けてきてくれているのだ。

どこがどう違うのか、という話になるとこれはどうしても「ドラマを最後まで見てから」でないと解釈しきれない気がするのでそれについてはまた機会を改めてとなるのだけれど、たった4分ちょっとの曲中で2回リズムチェンジさせながらこんな解釈の幅を持たせてくるなんて、ちょっと宇多田さん尋常無さ過ぎじゃございませんこと?

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昨日1日でテレビ出演とラジオ出演がぶっこまれて溺れてます。えぇ、溺れてますとも。


ほいで、明日の正午に今年のサマソニ第一弾発表があるのね。出演発表するにしても第一弾てことはないと思うので気にしなくていいとは思うけど、もしこれで、今後サマソニでなくてもどこかのフェスに出るとなったら2024年の全部盛りぶりってとんでもないことになりませんか?

まず既に決まってるのが

・全国ツアー
・初のベストアルバム発売
・新曲2曲発表
・うち1曲は毎週TVドラマで流れてる
・テレビ出演(過去2年から考えてまだ増えそう)
・ラジオ出演(2時間出ずっぱり)

あたりで、もう既にキャパオーバーなんだけど、これらに加えて万が一仮に

・初の国内フェス出演?
・雑誌記事掲載? 表紙?
・ライブDVD発売or 動画配信?
・どっかでインスタライブ?
・ソニーストアも何かするよねぇ?

みたいなことたちまで加わったらホントどうすりゃいいんだか。こちとら朝にひとことつぶやきがあるだけでその日一日ご機嫌に過ごせるくらいの需給バランスで普段過ごしてるのにさ。明らかに供給過多なんですよ、えぇ。

どうしてそんな受け取り方になってるかというと、2011年〜2016年の人間活動期もこの日記は今と同じペース同じ字数でずっと動いてたからなんです。公式や本人からの供給に対するこちらのアウトプットの比率って、その頃を引き摺ってるんですよ、えぇ。

あのさ、一年って366日しかないわけ!(閏年の今年の場合はね) こんなにとんでもない量の供給があったら、アウトプットひとつひとつに十数日とか或いは数日とかしか使えないんですよ。ベストアルバムひとつとっても、新曲2曲に新録3曲だけで既に無意識日記的には2ヶ月くらいは書くこと溢れ出しちゃうんですわ。その上更に半分の曲がリミックスでプラスしてエディット・バージョンまであるとか…いやこれさ、2024年、出来たらもう一回繰り返してくれませんか? 一回だと味わい尽くす自信が無いですわ…って図らずともSFチックな事言っちゃってるわね私ね…ループ物ってやつですか。はい現実逃避!

本2冊出してアルバムリリースしてテレビラジオに幾つも出た2009年前半やツアーとスペシャルライブで1年を挟んだ2010年なんかも凄かったし、オリジナルアルバムからすかさず全国ツアーに繰り出した2006年や2018年も凄まじかったけど、今年2024年はそういった年たち以上の分厚さになりそうで。宇多田ヒカル史上、過去最高どころか今後もないくらいな最多供給年になるかもしれません。もう言える事は、関わる皆さんが安全で健康にありますようにという事くらいだわ。ほんに、体調管理には気をつけましょうね皆の衆…今年を終始元気に味わっていきましょう。1日も無駄に出来ない気分…なんだけど、そんな風に凝り固まったら楽しみ損ねちゃうので、もっとリラックスしていきたいなぁ…(と自分に言い聞かせてる夜でしたとさ)。

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えええ、テレビ出演に続いてラジオ出演の告知までするやなんて、どんなブルータル・マンデーやねんな。こちとら火曜日の朝は老化でスレ違いやというのにさ(なんなんそれ)。

ということで、CDTV LIVEへの出演に続いて「トレビアン・ボヘミアン・スペシャル」のオンエアも決まった。ベスト・アルバム『SCIENCE FICTION』の発売日である2024年4月10日を皮切りにJFL5局で順次オンエアされる予定。JFLって検索するとサッカー(ジャパン・フットボール・リーグ)が先にヒットしてしまうけどこちらのJFLは「ジャパン・エフエム・リーグ」で、北海道東京愛知大阪福岡の各局5局で構成されるネットワークの名称ね。余談でした。

まぁそれはレギュラー放送してた25年前と変わらないのだけど、今回は『BADモード』発売時の『Liner Voice +』に引き続きSpotifyでの配信もある。こちらはポッドキャストではなくプレイリストでの配信となる模様。つまり曲トラックの間にコメントトラックを挟んでいくやり方ね。これ、余計な事を言うけど、昨夏のAmazonのプレイリストが色々うまくいってたらダブルでの配信もあったんじゃないかなぁ? そもそも(ここではあまり触れてないけど)『SCIENCE FICTION』自体がソニーとユニバーサルの共同プロジェクトなんだし、宇多田ヒカルの力をもってすれば異なるサブスクで同じ音源を配信するのも可能なのでは…ってこうやって文字にすると「普通の楽曲だったら沢山のサブスクで同時配信してんだからコメンタリートラックだって出来るだろ」ってなるな…だよねぇ。やればいいのにね。Spotify/Apple/Amazon同時配信を。

そして今回エポックメイキングなのは、苦節25年にして(?)やっと番組ドメインを取得したこと! tresbienbohemian.com ! 何故今このタイミングで?と思うけど、今回のスペシャル・プログラムで終わるつもりはサラサラないという捉え方でよろしいか!? 流石に毎週やれとは言わないけれど、年一くらいの恒例番組になる可能性は期待していいのかな?

今回の番組は自分の曲に加えて他の人の曲も入るということで、2016年の『ファントーム・アワー』(こちらはJFN/ジャパン・エフエム・ネットワークの番組でJFLとは別系列)なんかとは異なり、ヒカルの曲のみのオンエアではない模様。そこらへんも『トレビアン・ボヘミアン』らしいフォーマットですね。『SCIENCE FICTION』のリリースとほぼ同時でヒカルの肉声と共に届けられるんなら、1日聴くの我慢して初聴をこのトレボヘに持ってくるのも悪くないかも!? きっと再録曲とリミックスを優先してオンエアするだろうし。また楽しみが増えてしまって、『楽しい予定をいっぱい入れるの』ですよ。ほんとこんなのGoldそのものじゃないですか。ヒカルにとっては『あれ以来聴いてなかった曲』ばかりかもしれませんし。すげーな、今年は。

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『Gold 〜また逢う日まで〜』のEPって、何故か毎回のように2周しちゃうのよね私。つまり、一度に同じ曲を10回聴いて満足するという摩訶不思議な鑑賞方法。好き過ぎるだろ、と思うけど、好きですねえこの曲。

よくそんなに聴けるよなぁと思ったけど、そういや『Devil Inside』EPが8トラック、『Exodus’04』EPが10トラック、『Dirty Desire』EPが9トラックだったから、同じ曲を延々聴き続ける時はそれくらいの回数ってのに慣れちゃってるのかもしれないな。その昔『HEART STATION』をエアチェックで捕獲した日に10回くらい連続でリピートしたっけか。好きな歌なら苦でも何でもなく、めっちゃ楽しい。

GoldEPを2回連続で聴いても飽きない理由のひとつに、リミックスにもインスト・バージョンがある点を挙げたい。これって凄く珍しいから毎回興味深く聴けるのよね。

それで思い立って過去のヒカルの作品でリミックスのインスト(or同じ事だけどカラオケ)がどうなっていたかをちと調べてみたんだけど、リミックス・バージョンのインストが収録されてるEPって

『Addicted To You』
『FINAL DISTANCE』
『Flavor Of Life』
『Prisoner Of Love』
『Gold 〜また逢う日まで〜』

の5枚しかないみたいで? んでこのうち『Addicted To You』は2つのミックスがどちらもリーダートラック候補だったいわば両A面シングルみたいなものだった為2つともインストがあって然るべきだったし、『FINAL DISTANCE』と『Flavor Of Life』は共にオリジナル・バージョンが先にあってそこからバラードを制作してリーダートラックとした経緯があった為その両方にインストがあるのもこれまた自然な流れだった。因みに『DISTANCE』の方は“Original Karaoke”で『FINAL DISTANCE』の方は“Instrumental”だ。気持ちはすごくよくわかるぜ。

となると、純粋なカップリングというか、ちゃんとリーダートラックがあってその上でリミックス・バージョンにインスト(カラオケ)があるのは『Prisoner Of Love - Quiet Version -』1曲のみになるのよね、どうやら。

しかも、『FINAL DISTANCE』も『Flavor Of Life - Ballad Version -』も『Prisoner Of Love - Quiet Version -』も、何れもヒカル自身による“再編曲曲”である為、“Remix”という扱い・表記じゃないのよね。

つまり、『Gold 〜また逢う日まで〜 ( Taku’s Twice Upon A Time Remix) [ Instrumental ] 』ってトラックは、

「ヒカル以外の他の人がリミックスしたトラックでありながら宇多田ヒカル史上初めて作られたインストゥルメンタル・トラック」

になるのではないだろうか? 流石に最近歴史が長くなってきたので(もう25年だもんね!四半世紀!)なかなか確信は持てないけれど、そうである可能性は高そうだ。

これって、『Gold 〜また逢う日まで〜 ( Taku’s Twice Upon A Time Mix )』ってトラックが、リーダートラックとして扱われているのに等しいんだよね。確かに、最終的にリリースされたEPではオリジナル・トラックが1曲目でこのリミックスは2曲目だったけど、それを言うなら『Flavor Of Life』EPもオリジナル・バージョンが1曲目でバラード・バージョンが2曲目なんだけどリーダートラック扱いされたのはバラード・バージョンの方だったんだし、なんだったらライブで歌われたのもバラード・バージョンの方なんだよ。しかも2回とも(『WILD LIFE』と『Laughter In The Dark Tour 2018』)。なのでこの際曲順は関係無いのですよ。(2回観た記憶=2010年12月8日&9日だったわ…凄い勘違いするな自分…)


…って、さっきから何をそんなに力説してるの?って感じなんだけど、このリミックスを公式側がそれだけ重視してるとなると、もしかしたら7月から始まる『SCIENCE FICTION TOUR 2024』で演奏されるのが、オリジナル・バージョンでなくてこちらのリミックスである可能性も少なからず出てくるってことなんですよ、えぇ。

あたしとしても、どちらを歌って貰ってもいいかなと思う位にこのリミックスを気に入ってるし、前も書いたように、オリジナルのGoldの前半がバラードなのはタイアップ相手からの要請によるもので元々のヒカルの希望じゃなかったから、或いはこのリミックスの方が「本来のオリジナル」に近い可能性すらあるんだよね。それを見据えた上で昨夏にこのリミックスをリリースしていたとしたら中々の深謀遠慮。宇多田ヒカル公式やりおるなという事になるんだわさ。

いやでも、ベスト・アルバム『SCIENCE FICTION』に収録されるのはオリジナルの方のようだし、これはまだまだわからんね。それよりも何よりもまず、『Gold 〜また逢う日まで〜』がライブで歌われるとはまだ決まってないですし…。

まぁこういう妄想と推測を繰り広げられるのも今のうちってことで、毎度の事ではありますが、知らない事を盾にして、存分に楽しんでおきまっしょい!

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