無意識日記
宇多田光 word:i_
 



前回1月しか振り返れなかったので一気に行くぞっ。



2月4日「"宇多田ヒカル BADモードMIX by DJ YANATAKE"」TBSで放送
2月10日『Face My Fears (A. G. Cook Remix) 』MV公開
2月上旬『BADモード』が全国のラジオチャート席巻
2月11日Apple Radio1"The Zane Lowe Show"にHikki出演
2月14日微博とビリビリ公式公開
2月15日OLKLP2021年アナログアルバム1位獲得
2月22日AWAラウンジで前夜祭
2月23日『BADモード』with『LSAS2022』フィジカル発売
2月23日インスタライブ『ヒカルパイセンに聞け!』
2月28日ビルボード週間アルバムチャート1位獲得

3月10日1st~3rdアルバムアナログ盤発売
3月14日『One Last Kiss』ゴールデンディスクDLベスト5受賞
3月15日OLKMVスペシャアワードでコンセプト賞受賞
3月16日Apple Music「J-pop Now Radio」にHikki出演
3月18日『BADモード』ゴールドディスク認定
3月28日SONYストアバーチャルでエキシビション開催

4月3日『君に夢中』ストリーミングゴールド認定
4月10日「関ジャム 完全燃SHOW:関ジャム流宇多田ヒカル特集」オンエア
4月17日「コーチェラ」にてHikkiフェス初出演
4月17日88rising名義で新曲「T」発表
4月23日NME動画インタビュー公開
4月25日『One Last Kiss』プラチナ認定
4月26日タワレコ渋谷“HIKARU UTADA VINYL POP-UP SHOP”設置
4月27日4th~8thアルバムアナログ発売
4月27日~4月30日五夜連続DJ配信

5月1日五夜連続DJ配信最終夜
5月25日『君に夢中』2000万回再生突破
5月27日「VICE」にコーチェラ記事掲載

6月1日『VOGUE JAPAN』表紙&スーさんインタビュー
6月1日SHISEIDO創業150周年記念キャンペーン開始
6月9日『LSAS2022』Netflix配信開始
6月9日『LSAS2022』ライブアルバム配信開始
6月22日『BADモード』FMAMオンエア上半期総合3位
6月24日『BADモード』FM福岡上半期1位
6月29日『BADモード』Al.オリコン上半期デジタルアルバム2位



今どきただのテキストで羅列されても見づらいだけだよせめて表にしろよと私も思うがひとまず「ないよりマシ!」ということでひとつ。

これでもかなり書き落としがあったりするのよね。網羅的なヒカルの活動記録をみるならば、メルマガ「うたヒカマガジン」を遡るか( https://www.mag2.com/m/0000093991 )、直接「うただひかるちゃん」アカウントのツイログを眺めてもいいかもね。

https://twilog.org/fan_hikaruchan/month-2201/allasc
https://twilog.org/fan_hikaruchan/month-2202/allasc
https://twilog.org/fan_hikaruchan/month-2203/allasc
https://twilog.org/fan_hikaruchan/month-2204/allasc
https://twilog.org/fan_hikaruchan/month-2205/allasc
https://twilog.org/fan_hikaruchan/month-2206/allasc



いやはやしかし、こうやって振り返ってみるとこの半年間、「全方位乱れ打ち」だった事がよく分かる。当然ながら『BADモード』アルバムを主軸にして、オフィシャルも配信ライブだYouTubeプレミア公開だインスタライブだ銀座だ渋谷だアナログだとずっと宣材を途切れさせなかったし、メディアの皆さんも主体となるラジオでの絶好調を中心にテレビ雑誌ウェブと総ての媒体で大きくフィーチャーしてくれた。

そんな中で3月辺りに再び昨年の大ヒットソング『One Last Kiss』に再び脚光が当たり更にアルバムの好評を加速させた感が強いね。影に隠れがちだが『君に夢中』の堅実着実な浸透具合もボディブローのように効いている。

日本の中でもミュージシャンやアイドルのみならずバラエティ畑の人達や作家肌の人種にまで宇多田リスペクトが拡がる中、この上半期は「国際展開」が非常に目立った。頼んでもいないのに『BADモード』が勝手にレビューされ軒並み高得点を獲得。オフィシャルも海外展開を睨んで『Face My Fears』のリミックスのMVを公開したり、中国向けのアカウントを公開したりと双方向で盛り上げにかかっていた。そして極めつけは4月のコーチェラ初出演で、宇多田ヒカルの野外フェス初体験が世界最大規模のフェスだったということでかなりの話題をさらった。88risingの一員としての出演もアジア圏のポップミュージックを洗い出させる切っ掛けになった。あれもこれもそれもどれも、『BADモード』の異次元の充実振りあってこそだった。

なんかもう凄すぎて言葉もないなこうやって振り返ってみると。それでもヒカルは態度をいつもと全く変えず、あらゆる状況で周囲と反発することなく軽やかに溶け込みながら己を保っていていやもうホント、生き方が素敵よね相変わらず。

しかし、だからといって、では数字的な結果がそこまで突出しているかというと、国内ではそうでもなかったかな。ビルボードやオリコンで結果が出てるのも一部のランキングに留まるし。いや勿論、今のリスニング環境に特化した若手達の流行り歌と「CD世代の怪物」たる宇多田ヒカルを同じ土俵で語るのは間違ってはいるのだが、業界内の高温多湿ぶりを考えると、まだまだイケる気がするのよね。なので下半期は、更に年齢層を上下共に拡大させる方向のプロモーションが仕掛けられないかなぁと思ったりもしたのでした。アルバム発売後にこんなに引っ張る作品、ヒカルとしては初めてかもしれんしな??

と、一応それらしいことを言ってはみたけど、私個人は市場での反応とかに割ける興味のリソースが、ない! 圧倒的に、足りない! 凄過ぎる作品自体を飲み込むので日々精一杯なので、下半期も作品自体に深入りを続ける見込みになりそうでーす。

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去年の自分で書いた「上半期総括」を読み返してみて「結構便利じゃねーか」と思い直したので今年も書くことにした。(色々翻意)


まずフライング気味に2021年下半期最後のトピック、「2021年12月28日」については触れておかねばなるまいて。判明したのは今年に入ってからだしね。そう、『気分じゃないの(Not In The Mood)』の歌詞が生まれた記念日である。過去にはレコーディングリミットギリギリに歌詞を仕上げた『Eternally』やら『COLORS』やら『Celebrate』(これは曲もだな)やら、完成した日付が類推されるケースは幾つかあったが、ここまで「歌詞が生まれた日」が明確になったことはなかったのではないか。もう毎年楽曲誕生記念日として祝いたいくらい。


というところからの2022年スタート。まずは1月19日、ヒカルの39歳の誕生日のバカさ加減からよな。いやホントにあの日は気が狂っていた。その日を中心とした2022年1月のスケジュールは以下の通り。

1月5日『君に夢中』MV配信開始
1月11日『BADモード』MV一部公開
1月11日アナログ盤全部8枚予約開始
1月19日アルバム『BADモード』配信開始
1月19日銀座SONYストア『 HIKARU UTADA EXHIBITION』開催
1月19日ラジオ番組『Liner Voice+』放送
1月19日スタジオライブ『LSAS2022』有料配信開始
1月19日『BADモード』フルMV公開
1月20日『LSAS2022』各トラックYouTube掲載
1月24日Spotify『Liner Voice+』完全版&英語版配信開始
1月26日『One Last Kiss』1億回再生突破
1月全般 新ノベルティ『BANソーコ』各地で乱発


こんな感じの1月だった。よく生きてたなー我々。

…って、上半期を振り返るつもりが1ヶ月分だけ!? それだけ濃密な2022年1月だったということで上半期総括は次回に続きます…あと1回で終わるんかこれ…?

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『Face My Fears (English Version)』に関しては、サウンドのみならず歌詞もヒカルとSkrillexとPooh Bearの共作だったようだ。ヒカルがオリジナル・アルバム収録曲で他人の歌詞を歌うのは珍しい。

さて、ではどこらへんがヒカルの作詞で、どこらへんが他の二人の歌詞なのか? 今までは英語の歌詞しかなかったのでなかなか分析しづらかったが、今はNetflixの日本語訳字幕があるので、これを手掛かりにして何かわからないだろうか?


まず、いきなり歌い出しから怪しいんだよね。

『Breath, should I take a deep?
 Faith, should I take a leap?
 Taste, what a bitter sweet
 All my, all my life』

ここの訳し方がこうなのだ。

『してみようか、深呼吸
 飛び立ってみようか、思い切って
 ああ、なんとほろ苦く切ない
 ずっと、これまでずっと』

普段のヒカルの作詞にはみられない大仰で詠嘆的な口調を連発している。唯一、4行目の『ずっと、これまでずっと』はヒカルっぽいかな。でも、いつもだったら「ああ、なんと」とは言わないよねぇ。

一方、2番の同じメロディのところは少々趣が違う。

『Lose, don't have nothing to
 Space, this is what I choose
 A mile, could I walk in my shoes?
 All your, all your life』

ここをヒカルはこう訳す。

『何もない、失うものは
 空間、これは私の選んだこと
 1マイル、私の靴で歩ける?
 ずっと、これからずっと』

倒置法はそのまま活かされてるが、『これは私の選んだ事』や『私の靴で歩ける?』の親密な口調はいつものヒカルを連想させる。ここを1番の『ああなんとほろ苦く切ない』と同じ調子で訳すなら「そなたは私の靴で1マイルを歩けるか?」みたいになりそうなとこだが、そうはなっていない。これは、ここが元々ヒカルの作詞だからではないだろうか?

そう思わせるもう1つの理由が、今度は『Face My Fears (Japanese Version』、日本語版の方に見出せる。

『(ねえ)生まれつき
 (ねえ)臆病な人なんていない
 初めてのように歩きたい』

2番の同じメロディの箇所だ。日本語版は、他の2人が日本語を解さない以上100%ヒカルの歌詞である。ここの『初めてのように歩きたい』は、英語版の『1マイル、私の靴で歩ける?』への返答、応答であるように思える。ちょうど『光』の『家族にも紹介するよ』に対する『Simple And Clean』の「だからって君のお父さんに会わなくちゃいけないのかな?」のように。自分で書いた英語歌詞だから、日本語歌詞でそのアンサーを記したと、そうはならないだろうか?


…今回の推理が妥当かどうかはわからない。結構自信が無い(笑)。なので、皆さんも、『Face My Fears』の英語版と日本語版と日本語訳をそれぞれ見較べ聴き較べながら、英語版のどこがヒカルの歌詞でどこがそうじゃないのか、ちぃと考えてみては如何でしょーか。結構、楽しいよ。わかるかどうかはさておき!

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Netflixが日本語版・英語版の2バージョンある歌の英語版の日本語訳を字幕につけてくれたため、和詞・英詞・和訳の三つ巴の相互関係というとてもややこしい課題にぶち当たっていて、自分が今どのバージョンの歌詞について語っているかいつも見失うのよね私ね。

特に日本語版の歌詞と日本語訳の歌詞は、目で見較べてるだけだとたまにどっちがどっちだかなんのこっちゃかわからなくなる。音を聴いてる分には問題ないんだが。

その事態に拍車をかけるというか、更に混乱しそうになるのが、

「もしかしてヒカルさん、
 和訳の中に日本語版の没歌詞を
 含めていませんか?」

という疑惑である。いや、あるのよ。論より証拠ということで見ていこう。

まず『Face My Fears』のサビ。これは英語版も日本語版も同じで、

『Let me face, let me face
 Let me face, my fears
 Let me face, let me face
 Let me face my fears』

というリフレイン。
ここの和訳はこうなっている。

『向き合ってみよう
 私の中の不安と
 向き合ってみよう
 私が恐れている其れと』

ここ結構尺が合うのよね。2行目と4行目は一文字ずつ余るけど、2行目は『私の中の不安・と』という風に「と」の為に音符1個足す余地はあるし、4行目は「私が恐れてる其れと」という風に『い』を抜いて、同じく「・と」をつければバッチリ嵌まる。

ここ、日本語版でサビも日本語にしようとして当て嵌めてみたけど没にした歌詞を、そのまま和訳に使ってるんじゃないかな?とな。


もう一例は『Find Love』の

『Every day of my life, every day of my life』

の一節だ。ここは御存知の通り

『毎日はイヤ、毎日はイヤ』

と和訳されてるのだが、このまま歌ってみるとまさにピッタリ! 寧ろ元の『Every day of my life』よりも歌いやすくて(符割りも均等になるしね)、もしかしたら実は『毎日はイヤ、毎日はイヤ』っていう歌詞の方が先に出来てたんじゃねーの?って思うくらい。

なので、先週触れた

『Every day of my life
 Find love, 'til I find love, 'til find love
 Find love, 'til I find love, 'til find love
 Every day of my life
 Find love, 'til I find love, 'til find love
 Find love, 'til I find love, 'til find love
 Every day of my life』

のパートの和訳が

『毎日はイヤ
 Find love, til I find love, til I find love ...
 毎日はイヤ
 Find love, til I find love, til I find love ...
 毎日はイヤ』

と和訳のくせに日本語と英語の混ざった状態になっていたの、実は『キレイな人(Find Love)』で実際にこう歌おうとしてみてたってこと、もしかしたらあったのかもしれないなと。で、実際に試してみたけど「…ないな。」ということになって、英語版のリフレインのままになった…とかそんなバックグラウンド・ストーリーがあったら面白いなと思ったのでありましたとさ。

単なる疑惑だけど、英語じゃ歌いにくいとこを和訳で歌ってみるッの、単純に楽しいのでいろんなとこで試してみては如何でしょーか。

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あぁそっか、もう2022年上半期が終わるんだね。そういやこの間オンエアチャート取り上げたっけか。下半期に入る前にこちらの地域では梅雨明けという慣れない流れではありますが。

上半期総括といっても、こちらのアタマは色々在る中の宇多田ヒカルではなく、生活の中心が『BADモード』になっていたので客観的にみてどうのってのはもう全く語れないのよねぇ。このアルバムが凄い!という事実は、しかしつまり、世間のことをまるで知らなくても断言出来る。時流とか関係ない。その割にサウンドが最先端付近だと絶賛されちゃうのが宇多田ヒカルならではでね。凄いね。

それでも無理矢理触れるなら、宇多田ヒカルに対する周囲のリスペクトがまた一段上がった気がするかなと。なので、来年あたりから「宇多田ヒカルに影響を受けて音楽始めました」という世代がメジャーデビューするケースがまた増えたりするのかな、っいう展望はちょこっとだけありますわ。

ただ、今までもそうだったしそうなる前からもそう言ってるんだけど、「作曲家宇多田ヒカルの音楽性」の影響を感じさせる音楽家って相変わらず皆無なのよね。つまり例えば歌い始める前のイントロが流れてきた時点で「なにこれちょっと宇多田っぽいな?」と思わせるような音楽・音楽家はまだ出てきてないってことっす。そう考えると倉木麻衣のスピードは凄かったなぁ。いやあれはどちらかというとビジュアルとか方面重視ですが。

何しろ、我々リスナーだって、何も知らずに本家の新曲がラジオから流れてきた時に「あ、宇多田ヒカルの新曲だ」って断言できるかっていったら無理だかんねぇ。残念ながらか幸いにもか、そんな機会は現実には来てないのですが。

そんな状況で「宇多田に影響を受けた音楽」を見極めれるかって、まぁ出来ないだろうな。希望はしても、現れたときにそれとわからないなら、はてさてそれは意味があるのやら、ないのやら。


そんなことはどこ吹く風とばかりに、『BADモード』は「宇多田ヒカルならではの傑作」「宇多田ヒカルにしか作り得なかった名作」として好評価を受けている。音楽そのものが評価されている中で、その「宇多田ヒカルらしさ」が何の特定の音楽性も指さないって、改めてとんでもないことだ。

何なんだろうね、『BADモード』では小袋成彬もA.G.クックもFloating Pointsも、ファンなら彼らとわかる刻印をしっかり残している。そんな中でもヒカルは彼らの個性に引き摺られ過ぎることなく自分のらしさを発揮している。しかしその「らしさ」って、結局何のことかわからない。

例えば『気分じゃないの(Not In The Mood)」のダウナーな歌い方と実話を基にした歌詞のアプローチは、今までのヒカルにないものだ。が、この曲を宇多田ヒカル以外の誰が作れたかというと全く思いつかない。間違いなく「宇多田ヒカルならでは」なのだ。しかし、“この”音楽性がヒカルらしさなのかというと違う。違うのよ。

間違いなく傑作なのに、そして、これを作り得たのはヒカルしか居なかったのに、その“個性”をサウンドの中に見出そうとすると、途端に迷子になるというか。歌詞の方はわかりやすいんだけどね。普段の発言がそのまま引用されてたりしててね。

どこかで誰かがヒカルのサウンドを“解体”してみてくんないかなー、とは思う。『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』のリミックス・アルバムは待望だと思われるが、通常の、各リミキサーがその個性を発揮するスタイルとは全く別に、「宇多田ヒカルを分析・解体しよう」という学究肌でアプローチしてくれる人が出て来ないかな、というのがひとまずの下半期に向けての私の個人的な願望かな。そこを苗床にして「宇多田ヒカルの音楽性に影響を受けたと聴いてわかるアーティスト」が出て来てくれたら、シーンとして新しいフェイズを臨める気がするのですが、うーん、まだ10年は早いかなぁ?

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前回、

『キレイな人(Find Love)』の[3:28~3:46]と
『Find Love』の[3:28~3:46]を
聴き較べてみるといい

と書いた。これって、サブスクが時間指定出来たらそのURLを貼ってたとこなんだけどねぇ。AppleもSpotifyも今のところその機能ないみたいだから諦めたんですよ…って、そこで忘れてたのよね、『Find Love』に関してはYouTubeでLSAS2022バージョンが公開されてたことを!

てな訳で、そのURL貼っときますね。ここのパートの話をしてたんざんす。

https://youtu.be/6Xa_buSI01c?t=212

オーディオトラックとは数秒ズレてんだね。


これねぇ、歌詞の話をブログのテキストで書いてる身の上なので、こうやって時間指定して再生してくれる機能がYouTubeだけでなく他のサブスクでも出来るようになってくれたらありがたいのよね。論評の引用は出来れば一次資料に直接アクセス出来るのが望ましい。Netflix和訳字幕を書き起こしたのとか苦肉の策だかんねぇ。

プレイリストでも応用きくと思うんだけどね、例えばそのときのチャートのトッブ100のサビだけひたすら抜き出したプレイリストとか絶対需要があると思うんだけどなぁ。

昨今ストリーミングスタイルが隆盛になったお陰でやれイントロは短くないとだとかギターソロは途端にスキップされるだとか色々言われるようになったけど、これは可視化され得るようになったからなだけで、昔っから「サビだけ聴けたらいいや」とか「ギターソロは退屈だ」とかは言われてたんだよね。今は再生時にスキップがカンタンになったからねぇアナログレコードやカセットテープの時代に較べると。格段に。なので目立ち始めたというだけで。

なのでそれ自体は今に始まった事ではないので、サビだけ集めたプレイリストは喜ばれるんでないかな。


更に、違う応用も出来るのよね。ヒカルの曲から同じ歌詞を使ったパートだけ集めたプレイリストとか作れるしね。歴代の『ずっと』が居並ぶ様は壮観だろうな…YouTubePremiumだったら出来るんだろうか? 知らないや。

あぁ、今言ってるようなことは再生開始時間だけでなく再生終了時間も指定しなきゃだわね。じゃあプレイリストにクロスフェイド機能をつけてですね…

…って不毛な妄想に突入したので切り上げますが(苦笑)。

でも、もし実現したら楽曲単位どころかパート単位でヒカルの曲のどこがいちばん人気なのかとかわかるようになるんだもんなぁ。面白そうだなぁ。一番人気はやっぱ『First Love』の1番サビメロかな? これだと[1:05~1:42]ってとこか。当時ちょうどラジオの40秒CMにぴったりハマるってんで「ヒットメーカーはやることが違うわ~」って話題になったんだよねぇ懐かしい。

いや、もしかしたらその直前の

『誰を想ってるんだはーっ』

の方が予想外の再生回数を叩き出すとかもあるかも?? いつか実現しないかなぁ。

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で。先週触れた

『Find Love』の和訳字幕で
『(un)til I find love』という歌詞が
日本語に訳されてる所と
日本語に訳されてない所が
両方存在する問題

について語るか。
予告通り、ややこしいぞ?


結論からいえば、納得の出来る理由は思い付かなかった。幾つか考えた説明も不可能三角形というか、あちらを立てればこちらが立たず的で決定打に欠けるというか。

そんな中で、説得力は薄いがシンプルに説明できる仮説を記しておく。

「単なる音として扱ったパートは
 英語のままにした。」

これな。


日本語に訳してあるのは例えばここ。

『So I gotta watch out
 Who I share my affection with
 Until I find love
 Cuz I'm way too affectionate
 Not gonna park my desire
 'Til I find love
 'Til I find love
 'Til I find love』

字幕はこうなってる。

『だから気をつけないと
 どんな人に愛情を分け与えるか
 私が愛に辿り着くまでは
 だって私は愛情を持て余してるから
 欲求を駐車するつもりはない
 私が愛に辿り着くまでは

 私が愛に辿り着くまでは』

御覧の通り、『(un)til I find love』は軒並み『私が愛に辿り着くまでは』と訳されている。

他には、こちら。

『Slow down, you won't get there by hurrying
 Gonna find out if the hard work was worth it
 I know it's somewhere in me
 I'm just tryna find love
 Just tryna find love
 Just tryna find』

ここでは"(un)til"ではなく"just tryna"が前に来るが、『find love』というフレーズが含まれてる点では同じだ。

ここの部分の字幕はこう。

『焦らないで、急いでも
 辿り着ける場所じゃない
 努力の甲斐があるほどのことか、
 確かめてやる
 私の中のどこかにあるって
 分かってる
 ただ愛を見つけようと
 してるだけ

 ただ愛を見つけようと
 してるだけ』

つまり、『just tryna find love』も、『ただ愛を見つけようとしてるだけ』とこれまたしっかり日本語に訳されている。

だが、ランニング・タイムにして[3:28~3:46]にあたるこちらのパート、

『Every day of my life
 Find love, 'til I find love, 'til find love
 Find love, 'til I find love, 'til find love
 Every day of my life
 Find love, 'til I find love, 'til find love
 Find love, 'til I find love, 'til find love
 Every day of my life』

ここの字幕はこうなのよ。

『毎日はイヤ
 Find love, til I find love, til I find love ...
 毎日はイヤ
 Find love, til I find love, til I find love ...
 毎日はイヤ』

そう、『Every day of my life』は『毎日はイヤ』としっかり日本語に訳されているのに、『til I find love』は英文のまま字幕になっているのです。

何故こんなことになっているのか、を推理してみると。

上述の『(un)til I find love』や『just tryna find love』は、メイン・ヴォーカルによって歌詞のメッセージとして文章の中で意味を持って発せられているフレーズになっている。それに対して、『毎日はイヤ…』のパートでメイン・ヴォーカルによって歌われているのは『Every day of my life』の方のみで、『til I find love』の方はバックコーラスとして呪文のように何度も繰り返すものになっている。

なので、リスナーからすると、『til I find love...』のバックコーラスは、メッセージというよりサウンドの一部という聴かれ方をするパートな為、敢えて意味を押し出さない為に日本語にせず英語のまま残したのではないだろうか。

メイン・ヴォーカルとバックコーラスの区別。スタジオ・バージョンでは渾然一体となっていてわかりづらいが、LSAS2022の方ではかなりわかりやすいのでそちらで聴いてみるのがよいだろう。


とりあえず、推理は以上なのですが。余談を一つ。


そもそもね、この『Every day of my life』と『til I find love』がくるくる回って歌われる[3:28~3:46]のパートって、日本語版の『キレイな人(Find Love)』でも全く同じなのよね。試しに『Find Love』の[3:28~3:46]と『キレイな人(Find Love)』の[3:28~3:46]を聴き較べてみるといい。私は全く区別がつかなかった。恐らくだがパート丸ごと流用なのではないだろうか。

流用というと聞こえは悪いが、必要のない労力を割くくらいなら他にリソースを回すのはプロデューサーとして必要な措置だろうから私は「賢い」と讃えたい。

だが、もしかして?と思う点がひとつあるのです。あれですよ。

『BADモード』の歌詞カードで
『キレイな人(Find Love)』の
歌詞の後半が丸ごと抜けてた問題

ですよ。

※ こちらのツイートを参照のこと。
☆ thanks to @Kukuchang
https://twitter.com/Kukuchang/status/1519170316227862528

これ、なんで抜け落ちてたかっていうと、レコーディング時にヒカルが自前で用意してた歌詞がそこまでしかなかったからではないかなぁと推測する次第です。後半の英語歌詞は『Find Love』とまるごと同じなので、レコーディング時に使われずそもそも必要がなかった。そういう状態の下書きか何かをそのまま完成した歌詞として提出してしまってこうなったんではないかなぁ、とね。

ある意味今回、Netflix和訳字幕を書き下ろすことで、ヒカルもそこらへんを気持ち的に埋め合わせた面もあったんじゃないかなと勝手に思うのでありましたとさ。

ま、これだけだと『教室の誰も…』とかの日本語パートまで欠落してた理由は説明つかないんだけどね!



…随分話が逸れたな(笑)。でも、我々のみならず、ヒカル自身も英詞と和詞と和訳の関係に混乱していたのかもしれないと思ってみると、ちょっとは気が楽になるんじゃないですかねー?

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暑いねぇ。まだ6月なのにこちらの今日の最高気温は35℃予想だと。真夏日通り越して猛暑日かいな。こんな時の月曜日の朝から歌詞の話して難しい顔してるのも私がキツいのでのんびり思い出話など。

とはいってもこの日記、「その時のこと」が後から幾らでも読めるので、同じ事を繰り返し書く気はあんまりしない。文章の導入で「以前言ったことを踏まえる」ってことはかなりあるけどねぇ。それも読みやすさの為だしね。ただでさえ普段から読みづらい文体なのだし。

13年前、2009年の今日は「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の公開日で同時に『Beautiful World -PLANiTb Acoustica Mix-』のリリース日だった。2007年「序」の時は何ヶ月も前から主題歌『Breautiful World』が宣伝されていて満を持しての映画公開だったが、この「破」の時は長らく主題歌情報はなく、公開直前に主題歌は宇多田ヒカルと公表されて、更に曲名が明かされたのは公開当日だった。

2009年上半期といえば、ヒカルがUTADA名義で『This Is The One』を、宇多田ヒカル名義で『点』『線』をほぼ同時リリースする中で5月に扁桃腺腫らして倒れちゃったあの時期になる。当然、映画に新曲提供は無理だろうというのが大方の見方だったのだが、結局はリミックスということに落ち着いた。そこらへんの経緯は当時の無意識日記を読めばわかる。

その当時戸惑ったのは、このリミックス『Beautiful World -PLANiTb Acoustica Mix-』に対する高い評価だった。こちらとしては、いつもお馴染みラッセル・マクナマラによる“PLANiTb Mix”が、いつものクラブミックスなアップテンポではないアコースティック・ロック・テイストになっているのが新鮮だったのだが、アニメの主題歌、エンディング・テーマとして受け取った層は「寧ろ序のより良い」くらいの頗る好意的な受け止め方だった。「なんだ新曲じゃないのかよ」という声はごく僅かで、大半が絶賛だった。リミックスかぁ、みたいなテンションだったリスナーとの落差が凄かったな。

そうなるのもわかる。映画『破』のエンディングで齎される「これから一体どうなるんだ!?」という動揺と期待を、そのままアコースティック・ギターによるイントロダクションが引き取ってくれたのだから。

ここらへんは、もうヒカルの掌中ではなかった。シンエヴァでは『One Last Kiss』のエンディングでの切り込み方に甚く拘ったヒカルだが、「破」の時はノータッチだった筈なのだ。それがこういう評価に繋がったのは、庵野総監督をはじめとしたエヴァンゲリオンのスタッフの皆さんのセンスの賜物ということか。

裏を返せば、それは如何に映画にフィットしていたか、という観点からの評価であって、楽曲単体の評価ではない。でないと、新作続編映画の主題歌がリミックスという名の「焼き直し」であったことへの不平不満の少なさは説明しづらい。

そのあと「Q」では『桜流し』が、「:||」では『One Last Kiss』が提供されて伝説化するのだが、はてさて、今年の『One Last Kiss』に対する評価はどこまで“真に受けて”いいものやら、なかなか難しいとこだ。そんなことで悩まなくても多分未来永劫名曲の地位は揺るぎないのだが、見誤ると色々と危うい。アニメファンに宇多田ヒカルは受け入れられて最早地位は盤石、と喜んでいても次に提供する曲が作品と合ってないとなると叩かれかねない。それがいくらいちリスナーとして聴いた時に大名曲であったとしても。例えば古くはテレビアニメ「るろうに剣心」主題歌に起用されたJUDY AND MARYの「そばかす」がアニメに全く寄り添わずにミリオンセラーになったことなんてのもあったが最早そんなの平成初期の昔話だ。今のアニメファンは配信環境で目も耳も肥えている。J-popとの市場のサイズ感も逆転しているし、今後のタイアップはより一層評価が厳しくなるだろう。

差し当たって、「不滅のあなたへ」第2期の主題歌を担当するかどうか、するとしたらどんな曲か、そこらへんが目に見える指標になるのかな。『BADモード』で邦楽側のメディアや同業者たちからのリスペクトをここにきて大幅増量したヒカルも、畑が違えばそんな御威光は通用しない。でも、そういう場で仕事があるってありがたいわね。外からウォッチしてるだけの身からすればスリリングで実にいいのですw

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警告:今回は前にも増してややこしいぞ?


『Face My Fears』に関しては、そもそも元の日本語版の歌詞が半分英語であるため、英語版の日本語訳を律儀に全文日本語にした結果、日本語版より英語版の日本語訳の方がより日本語色が強くなってしまった、という「捩れた関係」が成立していた。


では、『Find Love』の方はどうなのか。

こちらは『(English Version)』や『(Japanese Version)』という表記はないものの、『Find Love』の方が英語版、『キレイな人(Find Love)』の方が日本語版ということになっている。

だが、そうなのだ、こちらも、『Face My Fears』同様、日本語版と呼ばれるべき『キレイな人(Find Love)』の中にも、英語の歌詞が結構含まれているのである。


※ 参照
『キレイな人(Find Love)』の歌詞:
https://sp.utamap.com/showkasi.php?surl=k-220223-100

『Find Love』の歌詞:
https://sp.utamap.com/showkasi.php?surl=k-220223-096


この2つを比較すると、特に

『Find love, til I find love, til I find love』
『Every day of my life』

という2つの英語のリフレインが両者で重複している。それと楽曲ラストの

『But I don't wanna be alone
 Every day of my life

 Gonna find out if the hard work was worth it
 I know it's somewhere in me
 I'm just tryna find love』

の部分はまるきりそのままだ。日本語版と呼ぶのが憚られるくらい大胆に長文な英語で歌が締め括られる。

では、『Find Love』─つまり英語版の方のNetflix和訳字幕は、一体どのようになっているのだろうか。


【『Find Love (LSAS2022)』Netflix和訳字幕】
https://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary/e/dfefe5a1c480fc002695ea329d6ac103/


まず、ラストの一段落半については、

『一人でいるのも好きだけど
 毎日はイヤ

 努力の甲斐があるほどのことか、
 確かめてやる
 私の中のどこかにあるって
 分かってる
 ただ愛を見つけようとしてるだけ』

としっかりまるごと日本語訳されている。うむうむ。

『Every day of my life』の繰り返しに関しても、

『毎日はイヤ』

という言い回しで統一して訳されている。ココに関しては前に触れたわね。

これら2つに関しては、『Face My Fears』同様、日本語版に於いても英語歌詞であった部分を日本語訳している為、英語版和訳の方が日本語版より日本語色が強い、という結果になっている。

では、タイトルネームを含むリフレインであるところの

『Find love, til I find love, til I find love』

に関しては和訳字幕はどうなっているかというと…

『Find love, til I find love, til I find love』

…英語のまんまかよ! 職務怠慢かよ! 

…っと、つかみかかりそうになるのだが、よくよく訳詞を見てみると、そのままになっているのは一部のリフレインだけで、それ以外の、『Find Love』を歌詞に含む場所では

『私が愛に辿り着くまでは』

とか

『ただ愛を見つけようと
 してるだけ』

とかいう風に、ちゃんと日本語訳されてるのよ『(un)til I find love』っていうフレーズ自体は! ねぇ、ヒカルさん、この差は一体何なのさ!? どうして同じ『(un)til I find love』ってフレーズが、時には英語のままだったり、時には律儀に日本語に訳されていたりするの?

…と、いう話からまた次回…ってコレいつも通りだと来週になっちゃうのか!? 暑さのせいで気が変わっててそうで怖いわ(笑)。

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こうやって歌詞や対訳の解釈を繰り返しているが、何度でも言うけどこんなんいちリスナーの妄想に過ぎず、正しいとか間違ってるとか以前の話だ。これを聴いてこう思った、とかは単なる感想だし、作詞者はこう考えたのではないか?といった話は天気予報より遥かに当たらない推測でしかない。シンプルに、「こんな見方もできるのか~」と距離をとって楽しんで欲しい。

一方で、当然作詞者の書いたときの意図というのも存在していて、明らかな誤読や誤解といったものもある。どこがどう誤っているのかがクリアカットなケースである。

例えば、ヒカルもインスタライブで触れていた『君に夢中』のこの歌詞。

『知れば知るほど遠のく
 真実を追いかける最中に
 私が私を欺く』

この書き方はメロディの区切りに沿った改行の仕方だ。が、ヒカルのそもそもの意図としては

『知れば知るほど遠のく真実を
 追いかける最中に
 私が私を欺く』

なんだとさ。前も触れたように、ヒカルは「日本語は文字単位でバラバラに音符に載せられるのだからどこで区切ってもいい」と考えて、文章の切れ目とメロディの切れ目がズレたとしてもケアしない。だが現実は、「日本語は文字単位でバラバラに音符を載せられる為、テキトーに区切ったら文章の意味が伝わらなくなる。故にメロディと文章の切れ目が一致している方が望ましい≒文意が伝わりやすい」のだ。


これと似てはいるが逆の例が、お馴染み『First Love』の

『明日の今頃には
 私はきっと泣いてる
 あなたを想ってるんだろう』

の一節だ。こうして文字で見ると誤解のしようもない。明日の今頃に私は泣きながらあなたのことを想っているのだ。そうとしか読めない。

だが、『Automatic』の「な/なかいめのべ/るでじゅわきを」に衝撃を受けた当時のリスナーは、「宇多田ヒカルだからメロディと文章の区切りが一致してるとは限らない」として(かどうかはわからないが兎に角)次のように解釈した。

「明日の今頃には
 私はきっと
 泣いてるあなたを
 想っているんだろう」

泣いてる主語を「私」から「あなた」に入れ換えて解釈したのだ。普通ならこんな歌詞の捉え方はしないが、それほどに1999年当時宇多田ヒカルの「メロディと文章の区切りを合わせることに拘らない姿勢」はかなりのインパクトを与えたのだ。こう疑わずにはいられなかったのです。

なので、ヒカルの歌詞が誤読・誤解されやすいのは、結構自業自得な側面がある訳だ。ざまーみろw…とかって言いたいとこだけど、俯瞰してみれば、そのインパクトのお陰もあってそれだけ歌う歌詞書く歌詞が注目され聴かれてるってことだから、これは作詞者としては「でっかいもんを手に入れた時のほんの僅かな代償」でしかないんじゃないかなぁ。負の側面と呼ぶにはあんまりにも可愛らしすぎるだろう。

それに、そうやって多義的に解釈されることが次の創作にも繋がっていく。本人がそれを踏まえて次の作詞に取り組むのでもいいし、作詞者本来の意図でない解釈に基づいた二次創作や他者のオリジナルへの影響などが出てくればそれはそれで楽しい。大体そのように捉えていたら、悪いことなど何もない。クリアカットな誤解・誤読なら、上の例のようにするっと素直に指摘すればいいだけである。それもまた楽しい。なので皆さんも遠慮無く自分自身の解釈を喋ればいいと思いますですよっと。

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最近歌詞のディテールの話ばかりで、「そもそもこの歌が全体として何を言ってるか」の話が疎かだった。

てことで

『Face My Fears (Japanese Version)』

『Face My Fears (English Version)』の日本語訳

の2つを比較対照してそれぞれ全体として何を言っているかをみてみよう…

…と思ったのだが、予測してなかった事態に現在絶賛困惑中だ。

どういうことか説明してみよう。いや、してみたい、かな? かな~りややこしい話なので、今身を乗り出す元気のない方は一眠りほどしてから改めて読んで欲しいくらいだ。

それぞれの歌詞の参照先URLをはっておく。

『Face My Fears (English Version)』
https://sp.uta-net.com/movie/261822/

『Face My Fears (Japanese Version)』
https://www.uta-net.com/song/261823/

『Face My Fears (LSAS2022 Version)』Netflix 日本語訳字幕
https://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary/e/188f1c78547e8ded05f2b4dd61de260d/


さて始めようか。

まず、『Face My Fears』の日本語版の方。こちらは、

『伝えたい』
『立ちたい』
『歩きたい』
『会いたい』

といった、英語でいえば"want to do"な言い方が目立つ。

一方、英語版の日本語訳の方は

『してみようか』
『飛び立ってみようか』
『向き合ってみよう』

といった、英語でいえば"try doing"な言い方が目立つ。だが、上記の元々の英文はそれぞれ

『should I take a deep (breath)?』
『should I take a leap?』
『Let me face my fears』

だ。shouldやletが使われている。オーソドックスな訳し方をするなら「私はそうすべきか?」と「私にそうさせてください」になる。そのようにせず、「してみようか」という同じ言い回しで統一してきたということは、ヒカルが、この日本語訳によって、ある一定の性格をこの歌の主人公に新しく付与させようとしているように思われる。

元々の英語の歌のキャラクターをそのまま日本語に移そう、としていないのは何故なのか。なかなかに難しいポイントなのだが、ひとつには、「英語歌詞の捩れ現象」があるんじゃないかと思われる。

どういうことかというと、英語版の対訳は、当然ながら全編日本語訳で、全く英語/英単語が出て来ない。出て来たら訳者として職務怠慢と言われる。ちゃんとここも日本語に訳してよ、って言われちゃうよね。

しかし、『Face My Fears (Japanese Version)』、即ち日本語版の方は、歌詞の半分が

『Let me face Let me face
 Let me face my fears』

という英語のリフレインで埋められているのだ。"(Japanese Version)"と言ってる割に、中々に羊頭狗肉なのである。

日本語版は、日本語歌詞半分&英語歌詞半分。
英語版は、全編英語且つその対訳は全編日本語。

これが「英語歌詞の捩れ現象」だ。英語歌詞の日本語訳が、日本語版を“日本語らしさ”で追い抜いてしまっているのだ。

私が推測するに、ここでヒカルはまず、

『Let me face Let me face
 Let me face my fears』

のリフレインをどう日本語に訳すかを考えた。先述のように、これが対訳である以上、するしかないもんね。これは、日本語版の作詞をする時には無かった作業になる。ここで最初に完成させたのが、

『向き合ってみよう
 私の中の不安と
 向き合ってみよう
 私が恐れている其れと』

という部分であった、と。『Let me face』を『向き合ってみよう』と訳したのだ。

その口調をまずサビの所に持ってくることで、英語版の日本語訳の“全体の方向性”が決まったんじゃないかな。ここに合わせて、

『してみようか、深呼吸』
『飛び立ってみようか、思い切って』

という風に「してみよう」の言い方を適用していくと、なるほど、これで日本語訳の方の主人公のキャラクターがなんとなく浮かび上がってきたのだろうと。このような経緯を経たことで、英語版のキャラクターとその日本語訳のキャラクターとの関係性(同じ部分と違う部分)が出来上がっていったのだと思われる。

つまり、要約すると、英語版の日本語訳は、日本語版では日本語にしなかった英語歌詞の部分も日本語にしようとしたことで、日本語版とは異なった口調になった、即ち、それぞれの主人公のキャラクターに差異が生まれたのではないか、ということだ。

なので、日本語版の歌詞と英語版の日本語訳の比較対照は、日本語版の歌詞と英語版の歌詞をそのまま直接比較するのとはまた別の作業にならざるを得ないのである……

…って、こうやって説明してる方もややこしくて仕方がないよ!(笑)

こんな奇妙な事態は初めてだわさ。本人による対訳って、こんなことまで巻き起こすのね…。日本語版の最後に歌われる『私の知らない私に早く会いたい』って、ほんとこの曲を取り巻く状況をよく表してるよ! こんなんヒカルも予想してなかったんじゃない??

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『Find Love』の歌詞が2004年の『The Workout』や2009年の『Dirty Desire』を意識しているのではないかなという話で気になるのが、

『Slow down, you won't get there by hurrying』

の一節だ。対訳はこう。

『焦らないで、急いでも
 辿り着ける場所じゃない』

この『焦らないで』にあたる『Slow down』、『The Workout』にも『Dirty Desire』にも出てこない熟語だが、ただ、『The Workout』で"down"の一語は大量に出てくるのだ。

『get down』
『push it down』
『pull it down』
『keep it down』
『pull me down』
『Up and down』
『down my spine』

これらがリフレインの度に連呼される。いやはや、downばかりである。

ただ、これらの『down』はどれもイケイケ押せ押せのテンションで使われるものばかりだ。日本語で言えば「下す(くだす)」にあたるような。「鉄槌を下す/hammer it down」みたいな。打ち下ろすとか、そういう上から目線のdownばかりなのよね。

『Find Love』の『Slow down』のdownはそれらとは対極にある、勢いを落とす、スピードを下げるという意味のdownである。もしヒカルが『The workout』との対比を念頭に置いていたのなら、これほど鮮やかなものもないだろう。同じ単語を使って対極を描いたのだから。


『Find Love』の中の歌詞としてもここの展開は興味深い。何故ならそこまでの歌詞の中に

『Not gonna park my desire』
『欲求を駐車するつもりはない』

の一節があるからだ。ここでなんでわざわざ『park/駐車』という単語を使ったのか。それは、その後にこの『Slow down』があるからだろう。"slow down"をグーグル先生に訳して貰うとまず「徐行する」というのが出てくる。スピードを落とすことなのだ。その前フリとして、ブレーキをかける意味で『駐車/park』という単語を使ったと。既述のように元歌詞の違和感を残した対訳にしたのはこういった意図があった為と思われる。つまり、

『駐車するつもりはない』

に対比する格好で同じ楽曲の中で

「スピードを落とそうか」

と歌っているのである。御存知のように、楽曲のサウンド面でみてもこの『Slow down』のあたりから曲のテンポがレイドバックする。LSAS2022の映像で観ればドラマーの人の演奏の雰囲気がガラリと変わるのがわかるはずだ。余談だけどここの片手ストロークでのシンバルワークのスピードと正確さは凄いよねぇ。

なので、またまたここでもいつものように、ひとつの歌詞に複数の意味が込められていることになる。

・「駐車するつもりはない」という、歌の主人公をいさめる一言
・バックの演奏もスピードを落とすよ宣言
・若い頃は急いてたかもなぁ、という38歳の感慨

これらの3つの意味を託されてヒカルが『Slow down』を歌ってると思いつつこの淑やかなパートを聴いてみるのも、なかなかよろしいのではないでしょうか。

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『Find Love』のここの箇所の日本語訳、なんか色々と混じってる気がする。

『For now committed to my therapy
 I train with Vicki 3 to 5 times a week
 Getting stronger isn't easy, baby』

ヒカルはこう訳している。

『今は恋愛よりカウンセリング
 それと週3~5でヴィッキーとトレーニング
 楽して強くなれるわけないじゃん』

なんて気さくな!

ふむ、1文目からしておかしい。
『For now committed to my therapy』
は直訳すると

「今のところ私の治療に取り組んでいます」

になる。恋愛もカウンセリングも出てこない。だが勿論この対訳でいいとリスナーは知っている。「VOGUE JAPAN」のインタビューで、ヒカル自身がここ4年は恋人が居らず精神分析医からカウンセリングを受けていると告白しているからだ。裏を返せば、それを知らないとココなんのこっちゃわからんのよね。歌詞の対訳の意図を汲むときに作詞者の近況を知らないといけない。変な対訳もあったもんだ。

次の1文も作詞者の近況絡みだ。

『I train with Vicki 3 to 5 times a week』
『それと週3~5でヴィッキーとトレーニング』

これもインスタライブで解説してくれたが、それなかったら我々未だに「ヴィッキーって誰よ?」と訝しんでいたかもしれない。全く罪作りな歌詞である。

そんな近況報告を絡めた対訳を読んでいると、そもそもの元歌詞の

『3 to 5 time a week』

という数字を絡めた歌詞が、昔のUTADAの曲っぽいなと気がつく。

例えば2004年の『EXODUS』収録曲である『The Workout』には

『One life, two-time, 3 girls, 4 guys
 Five ripples running up and down my spine
 6.0 Make it sweet, drop another dime』

という、1から6までの数え歌みたいなパートがあるし、2009年の『This Is The One』収録曲である『Dirty Desire』には

『Doing my nine to five
 I'm thinkinh six and nine』

という「9から5」「6と9」とかいう意味深な(未成年は調べちゃダメですよっ)数字の言葉遊びも出てくる。どうにも『Find Love』の『3 to 5』を耳にし目にすると、これらの2曲が想起されてしまうのだ。

言われてみると、そういえば『Find Love』には

『Not gonna park my desire』

という一節に『Dirty Desire』と同じく"desire"という単語が出てくるし、

『Gonna find out if the hard work was worth it』

の『the hard work』はそういやなんか『The Workout』っぽい。ここのBe動詞が『was』と過去形なのも、過去曲『The Workout』がハードワークだったって事とかけてる? どうなんだろう?

そんな風に捉えると、

『今は恋愛よりカウンセリング』

という対訳は、現在のヒカルの現実の生活であるとともに、「昔は『Dirty Desire』や『The Workout』で恋愛絡みの歌を歌ってたけど、今はこうやってカウンセリングをテーマにした歌を歌っているの」という“ヒカルの英語歌詞遍歴”を指してるかもしれなくて、いやはややっぱりここの対訳は、色々と混じっちゃってるんじゃないですかねー? どうなんでしょ?

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『Find Love』での「作詞者本人ならではな大胆過ぎる直訳」のひとつに次の一文がある。

『Not gonna park my desire』

ヒカルはこれをこう訳した。

『欲求を駐車するつもりはない』

……正直、日本語として変! 「欲求を駐車する」てね。最も、なんとなく意味は伝わる。なんとなくね。

うむ、普通に訳すなら文意を汲んで

「欲求にブレーキを掛けて止める気は無い」

とでもするところだろう。恐らくだが、ヒカルの意図として、意味が通じそうだったら出来るだけ英語の歌詞が持っているニュアンスも伝わるようにしたい、のだ。つまり、日本語で意訳し過ぎることで、英語の時点でもっているウィット感を毀損するのは得策ではない、と。ジョークを説明しすぎると笑えなくなる、というのと同じように、少し洒落た(?)言い回しもまた説明のし過ぎはよくない、と。


これに近い感触で、これまた大胆に訳されたのが、今度は『Face My Fears (English Version)』の、次の一節である。

『Space, this is what I choose』

これをヒカルはこう訳した。

『空間、これは私の選んだこと』

ド直球の直訳である。20年前の機械翻訳にかけてもこう訳すであろうという一語の隙も無い逐語訳だ。

だが、これでいいのだ。日本語でこの対訳を目で読んだ時に感じる「どういう意味だよ!?」という感想は、そのまま英語で初めてこの歌詞を耳にした時の「どういう意味だよ!?」な感想そのままだからだ。

つまりヒカルにとって、対訳によって「歌詞の意味がわかる」事は必ずしも必須の目的ではないということだ。

とはいえ、「いや、英語の歌詞って英語がわからない私たちが聞いても意味がわからないから日本語を使って私たちに歌詞の文章の意味を伝えてるんでしょ!?」と真っ当なツッコミも入れたくなる。しかし、英語が聴き取れる人であっても、英語の歌詞って意味がわかるとは限らない。うちらが日本語の歌を聴いてる時でもそうじゃない? 「白のパンダをどれでも全部並べて」ってなんだそれ?ってならん??? …あぃすまん、出した例が極端だなこれ。

ともかく、ヒカルはただ歌詞の意味を伝えるだけではなく、英語の歌詞を聴いた時に感じるある程度の「わからなさ」もまた、対訳によって伝えようとしているのではないか、と読めてくる。なので、

『欲求を駐車するつもりはない』

を読んだ時に感じる「ん?ブレーキをかけて止めることはない、とかそういうこと?」みたいな疑問感や、

『空間、これは私が選んだこと』

を読んだ時に感じる「え、なんのこと!?」といった当惑感。それらは、ヒカルの表現したかったこと、我々に与えたかった感覚そのものなので、それで何の問題もない。どころかヒカルからしたら「ミッション・コンプリート!」「目的達成!」なことだと思われる。そう、何の問題もない。これでいいのだ。

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『Face My Fears (English Version)』の日本語訳字幕で、

「これは巧いなぁ」
且つ
「本人ならではの大胆さだなぁ」

と感心したのが、

『All my, all my Life』



『All your, all your life』

のそれぞれの訳し方である。

(なお直訳するとそれぞれ
 「総ての私の、総ての私の人生」
 「総てのあなたの、総てのあなたの人生」
 だわね。)


『All my, all my life』は次の段落で出てくる。

『Breath, should I take a deep?
 Faith, should I take a leap?
 Taste, what a bittersweet
 All my, all my life』

これをヒカルはこう訳した。

『してみようか、深呼吸
 飛び立ってみようか、思い切って
 ああ、なんとほろ苦く切ない
 ずっと、これまでずっと』

つまり、『All my, all my life』の部分にあたるのは

『ずっと、これまでずっと』

になる。

一方、『All your, all your life』の一節は次の段落で出てくる。

『Lose, don't have nothing to
 Space, this is what I choose
 A mile, could you walk in my shoes?
 All your, all your life』

ヒカルはこれをこう訳した。

『何もない、失うものは
 空間、これは私の選んだこと
 1マイル、私の靴で歩ける?
 ずっと、これからずっと』

即ち、『All your, all your life』にあたる部分は

『ずっと、これからずっと』

なのである。

この対比、控えめながらもなんと鮮やかなことか!

『All my, all my life』
『ずっと、これまでずっと』

『All your, all your life』
『ずっと、これからずっと』

"my"の方を『これ“まで”ずっと』
"your"の方を『これ“から”ずっと』

とそれぞれに書き分けただけなのである。確かに、文脈を見てみると、"my"の段落の方は今まで感じていたほろ苦さに対して何かをしようかという話だから『これまで』の話だし、"your"の段落の方は『私の靴で歩ける?』と未来のことを問うているのだから『これから』の話だ。意味はバッチリ合っている。作詞者本人による訳だから当然なんだけど。

しかし、これらの訳には、"my"にあたる日本語も"your"にあたる日本語も"life"にあたる日本語も、出てこない。これは驚異的に大胆ではなかろうか。もし本人以外の翻訳者ならここまで“思い切れた”かというと、無理なんじゃないかなぁ。そして何より、対比がシンプルで美しいよね。文意を一切損なわず、それでいて「『All my life』と『All your life』の対比」を『これまで』と『これから』という「過去と未来の対比」によって描き直すだなんて、これってもう改めて歌詞を新しく書き下ろしたのに匹敵する仕事なんじゃないかな。それくらい価値のある翻訳─いや、もう「名訳」と呼ばせて欲しい。ホント凄いわヒカルさん。

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