無意識日記
宇多田光 word:i_
 



若いファンが焦れてるのを眺めてニヤニヤしてるアタシは相当趣味が悪いね。若いファン、というのはこの3年半でファンになった人たちを指してるつもり。『花束を君に』がリリースされて3年半が経とうとしているからね。

この3年半の密度を考えると確かに今の沈黙期間はよくわからないかも。でも最初の12年を知ってる人&次の6年を知ってる人にとっては「いつも通り」のことでしかない。子育てが忙しいんだろうかひょっとして体調を崩しているのでは?と心配しても無駄なのよ。ヒカルがカラダを壊すのはいつものことなので気にしていても仕方がないのだ。仕事に支障が出ない限りなかなか自分からは言わない。11年前に写真付きで長野行きの話をしてくれてたのはかなり珍しいケース。

いや仕事中ですら言わないこともある。『UTADA UNITED 2006』ツアーの時はメスを入れる寸前まで喉を痛めていた。限界だったが「尾崎豊と同じ処方をされた」と知ってテンションが上がり乗り切った。ここら辺の話は『点』に詳しく載っているので…って悔しいことに絶版だったな。自炊して漫画図書館Zにアップロードしてやりたいくらいだぜ…やんないけどなっ。

つまり、『点』での告白もツアーが終わって随分経ってからの事だったのだ。ツアーの真っ最中には喉を傷めてるなんて言わない。ホントに意地っ張りなのである。2013年に1年間ラジオをやったときだって「ジングルから何から全部一人でやって完パケ納品したる!」と意気込んでいたのに2回目で落としたからね。月1で。お母さんを巡って大長編トラブルがあってその話を聞けば「あぁ、そら落としても仕方がないわ」と我々が納得するようなエピソードが仮に潜んでいたとしてもやっぱり言わない。意地っ張り。

なので、パイセンの回答第二弾近日公表報告から間もなく2ヶ月が経とうが意地でも何も言わないだろう。意地っ張り健在ならば。ならばファンとしては何も訊かないのが粋ってもんだろうね。何事もなかったかのようにリプライしてふぁぼってRTしていればいい。

なお、若いファンの皆さんも薄々感づいているだろうが、無意識日記の方はヒカルがどんなペースで活動しようが全く同じ調子でこの12年間続いている。一度現れてもすぐ次の1秒からまた待ち始めるので大して変わらないのである。ずっと待ってますよ。いつも通りね。

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金曜日の記事だったか、「ほぼ日刊イトイ新聞」の2004年即ち15年前の同性愛についてのアンケートが不適切だというので今に至って削除されたというニュースを読んだ。

アンケートについては詳細がわからないので触れない。気にとまったのは15年前の記事を今の価値観で判断することだ。

毎日、でもないけれど日々20年前の『Message from Hikki』を読み返して掘り起こしている身としては看過できない話。いつヒカルの昔の発言が論われるかと思うとほんのちょっぴり気が気では無い。

特に例えば同性愛についての常識感覚はこの10年で随分変わった。劇的と言っていいだろう。これは国内だけでなく海外でも、だ。というてもアタシが読めてるのは英語圏の記事までだけど。

先日も質問箱で「ホモレズ」と書いたら差別的だと指摘された。実にうっかりさんであった。ゲイとビアンと書きなさいよと。自分の場合は「ホモとヘテロ」で覚えた言葉だから少し事情は異なるもののこれも世代の違いのひとつだろう。気をつけないとね。

こういった話題に限らず、20年も経てば文脈の説明から入らないといけないケースも出てくる。今のところ実害は出ていないが、何をどうすべきかから今一度検証し直さないとな。

もっとも、書き方は別として、ヒカルの物事の考え方捉え方自体は時代に左右されるものではない。もし万が一ヒカルの思考が危険思想だと判断されるようなことがあったらそれはもう社会の方が間違っている。その時はクーデターも辞さないのでそのつもりで宜しくお願い致しますね。勿論、そんなことにはならないよう、日々祈っておりますよっと。

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『COLORS』で印象に残った英訳詞といえば

『わざと真っ赤に残したルージュの痕』

のところだ。


まず前座としてGoogle翻訳にかけてみよう。

"Rouge marks on purposely left in red"

うん、まぁ順当かな。"Rouge marks"は『ルージュの痕』、s
"purposely"は『わざと』、"left in red"は『真っ赤に残した』だからほぼ直訳だ。特に不満はない。

これがヒカル訳だとこうなる。

『A bright red smear of lipstick that I left intentionally』

随分と"文学的"な表現だ。些かもってまわっている。特に、英語でも"Rouge marks"で構わない『ルージュの痕』をわざわざ『smear of lipstick』即ち「口紅の塗り痕」と言い直してるのが興味深い。

ここに"意図"が見え隠れする。「ルージュ・マーク」だとどこか象徴的でやや自己顕示的だが、"smear"にはどうも"いやらしさ"というか、悪意的に気づかれないように塗りつけたような雰囲気がただよってくるのだ。"intentionally"で既に「意図的」という意味があるからここが『わざと』にあたるのだが寧ろこの"smear"の方が日本語での"わざと感"を出すのに一役買っている気がする。"intentionally"と"smear"の合わせ技で『わざと』の訳なのではないだろうか。


こうやって英訳してくれると元歌詞の細かな機微がより明快に伝わってくる。もっと読んでいきたいものである。

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ヒカルは幼い頃に「歌うと親が喜ぶ」ということを学習していたように思うが、そこから更に、自分が歌うと「両親の仲がいい」事に気がついていたとすれば、なんだか切ない。

「6回も離婚と結婚を繰り返した」というエピソードも、今となっては圭子さんの精神状態の推移に合わせてのことだったのかと合点がいく。とはいえ、意図的にヒカルがそれを狙いにして歌っていたとも思わない。ただただそれは、自然にそうなっていったというだけで。

ヒカルの無力感は根深い。勉強が出来ることを「その間は自由に自分の思い通りに出来たから」と言う人だ。勉強って学校があれをやれこれをやれと命令してこどもの自由を奪う行為なのにね。その代わりに大人になってからの自由度を与えようとしてるんだけど。まぁ何しろ「勉めて強いる」ですからな。それですら自由を感じていたのだから余程親から奪われていた自由が大きかったのだろう。

しかし、それで不幸だった訳でも無いのがね。ヒカルにとって自由とはそんなものなのだ。『Prisoner Of Love』の『自由でもヨユウでも一人じゃ虚しいわ』の一節は、そんな親との生活が愛おしかったから出て来ているのかもしんないね。

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音楽が親も同然、というのは、往々にしてこどもにとって居て当たり前でお家の掃除と洗濯をしてくれて黙って座っていたらご飯を出してくれて偶にはお小遣いもくれるような、まぁ恵まれまくってんだけどそれが当たり前になってていちいち感謝もしないというそんな存在になりがちだ、という状態が似ているからだ。「うちの親はそうじゃない」とかいわれそうだけど、これはただのものの喩えで、ヒカルのとっての音楽ってそういう存在だったんじゃないだろうか、というね。

だって、その気になればいつだってスタジオに行ってマイクの前で歌えるんだよ? ヒカルの才能に惚れ込んでいた照實さんと純子さんはヒカルが「ちょっと歌って録りたいんだけど」なんて言おうもんなら嬉々としてスタジオに同伴したはずだ。レコードや楽器はそこら中に転がっていたし音楽は手に入れようとすればいつでも手に入れられた。親の愛情のようなものだった、と。

これ、「親の愛情のようなもの」をヒカルに与えてくれていたのが親なところがこの喩えの分かり難さの原因なんだけど、だからこそヒカルもその点は曖昧だったのではないか。親と音楽が融合してしまっているのだ。

だからヒカルの音楽に対する態度は親に対する態度に相似する。思春期の多感な頃は「いつまで音楽をやるかわからない」「嫌になったら辞める」と反抗期な事を言っていたし、成熟した大人になって素直に親への愛情と感謝を口に出来るようになってきた頃には音楽に対しても態度を明確にするようになってきた。ヒカルが音楽を家業と呼ぶのはそういった曖昧模糊な結び付きが根柢にあるからなのではないだろうか。

そして、親を喪った時には音楽を喪った。暫く曲が書けなくなった。それが今書けるようになったのは、今度はヒカル自身が親になったことが大きい。つまり、今のヒカルは音楽になりつつある。息子に「当たり前すぎていちいち感謝されない」幸せを振る舞って日々暮らしている。ダヌパが家業を継ぐかどうかは別として、なんだか少し安心である。

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デビュー50周年といっても井上陽水は現役で迎え、藤圭子はこの世に居ない。違う。

出来れば健在のまま迎えたかったとは誰しも思うところだが藤圭子が随分前に一線を退いていたのもまた事実で。特にヒカルを生んでからは照實さんと共にヒカルのサポートに徹していた。

23年前の今日は藤圭子with CubicU名義のシングル「冷たい月〜泣かないで〜/ゴールデンエラ」が発売された日だ。やはり名前の神通力か当時のテレビ出演の映像も残っている(藤圭子のみ、ヒカルの歌声はカラオケ音声)。出した方は往年の名歌手ということでのブッキングだったのだろうが、藤圭子側からすると「with CubicU」の部分が“本音”だったのだろうね。U3、cubic U、Cubic Uと着実にヒカルを世に送り出す計画は進められていた訳だ。

こういうのを「親心」とよんでいいのかはわからない。当のヒカルは情熱を燃やすでもなく両親に「歌ってみたら」と促されるままにスタジオで過ごしていたようだし。

こういう推移をみると情熱と環境の均衡という概念を考えてみたくなる。ヒカルは「音楽に飢える」ということが無かった。親に反対されたり校則が厳しかったりお金が無くて必要な楽器が買えなかったりといった事はなかったのではないか。生活上の他の面はともかく、スタジオ代の為に車を売り払うような親がヒカルに「音楽での不自由さ」を感じさせた事はなかったのではないだろうか。

とするとヒカルにとって音楽とは親も同然な存在であって…という話からまた次回。

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今回ヒカルがトリビュートする井上陽水がアンドレ・カンドレとしてデビューしたのは50年前の1969年9月1日、ヒカルのお母さんの藤圭子がデビューしたのは50年前の今日、1969年9月25日だ。つまり井上陽水と藤圭子は同期と言っていい。ヒカルはお母さんと同期の歌手の歌を歌うのだ。

とはいっても特に井上陽水と藤圭子に接点があった訳でもないようで。テレビやラジオでで共演した時にお見かけする、といった程度だったんではないだろうか。もし陽水が藤圭子知ってたらとっくにヒカルと接点を持ってただろうし。

それでもなお、同じ時代の空気を吸って生まれた歌には感じるものがあるかもしれず。60年代末期から70年代初頭にかけての演歌全盛時からフォーク・ミュージックの台頭という流れの中で共に頂点を極めた者同士にしかわからない世界があるのではないか。

なんていうことを考えると、ヒカルは今回の陽水トリビュートで70年代初期の楽曲を歌うのではないか、なんていう妄想も込み上げてくる。母が時代の寵児だった頃の雰囲気をヒカルが好んでいるかはわからない。寧ろ藤圭子本人の方はヒカルに「演歌を歌うと不幸になるから」と遠ざけてた節すらあるのだし。

しかし、今回ヒカルが「もし藤圭子が井上陽水の曲を歌ったとしたら」というコンセプトでアプローチしていたとしたらかなり興味をそそられる。というか物凄く聴いてみたい。であればその70年代初頭の曲をというのもより必然性が出て来る。プロデューサーのセンス次第だが、“隠れコンセプト”としてでもそんな風に思って歌っていてくれたら、ヒカルなりのひっそりとした「お母さんへのデビュー50周年記念プレゼント」になるのではないかな。もっとも、そんなことするくらいならひっそりとせずに堂々と大々的に藤圭子50周年を祝って欲しいけどね。まだまだ流石に、直接お母さんの持ち歌を歌うのは厳しいのかなぁ。泣いちゃいそうだもんね。

ともあれ、ヒカルがそろそろお母さんの歌と公に向き合ってもいい時期が来つつあるのかもわからんね。長いスパンで見守るとしようか。

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最近のヒカルのカバーといえば椎名林檎トリビュートの「丸之内サディスティック」か。(「之」の表記揺れは気にしないことにして)なりくんとのデュエットだったのだが、あれは失敗だったねぇ。

…と、きっとあのテイクが好きな人も沢山いらっしゃるであろう中で言い切ってしまうのは、ちょっと難色を示しづらい雰囲気が勝っちゃってるかな?と思ったからだ。トラックを聴いてみるとなんだかジャジーで大人っぽいムードで全然ピンと来ないんだけどきっと大人になったらわかるんだろうな~とか思ってる若いファンが居るんじゃないかという危惧が頭にもたげてきてな。大丈夫、普段ジャズも聴いてる大人(例:私)も退屈だ。あの2人ならもっと良いテイクがとれたはずなんだ。

普段ならそんな”たられば”は言わないところだが残念ながら「丸之内サディスティック」には前例がある。椎名林檎トリビュートアルバムに収録されるより前にヒカルとなりくんがラジオでカラオケしたやつだ。

カラオケといっても椎名林檎ゆみちんが直々に送ってくれた正真正銘の本物のトラックでそういう意味では本格的だったのだが、酒の力も手伝って(?)随分活気のあるテイクに仕上がっていた。それがあったから本チャンでは裏を搔いて落ち着いたしっとりバージョンでいこうとしたのだろうがアイデアが纏まりきらなかった印象。恐らく、単純にコミュニケーション不足だったのだろう。

凄くシンプルにあけすけな推測を述べてしまえば、ラジオでカラオケした時にはヒカルとなりくんの仲が良く、スタジオテイクを録る頃にはそうでもなくなっていたということか。だとしたら『Laughter in the Dark Tour 2018』の曲順をなりくんが任された時期と時系列的に噛み合わないのだけれども、彼も彼でツアーの直前の時期に突如イギリスに移住するなどこちらから見てて突飛に見える事も厭わない性格っぽいので常識で測るのはやめておこう。

まぁ、ぼちぼちのトラックはとっちとラックに仕舞って、今度出る井上陽水トリビュートに収録されているテイクが素晴らしい事に期待しよう。ヒカルも他人が深く拘わってくると失敗する事もある、という教訓だ。今回コラボレーションがあるのなら、是非上手くいっていることを願うよ。

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前回書いたようにヒカルは陽水から”尊敬される方”なのだ。これは結構なプレッシャーである。というかそれって”トリビュート(貢ぎ物)”と言っていいのかから疑問になっちゃうけども。

ヒカルの方は、言及したことはないが、当然陽水を大尊敬しているだろう。藤圭子のもつ不世出の記録といえば「アルバムチャート37週連続1位」だがこれは2枚のアルバムを合算したものだ。単独のアルバムで”通算”1位回数歴代最高は井上陽水の「氷の世界」の34週なのである。まぁ何が言いたいかというと、70年代に孤高の歌手だった藤圭子と並び称されるかそれ以上の実績をもつごく僅かな音楽家のうちの一人なのだ井上陽水は。Pop Musicianであり藤圭子の娘である事に誇りを持つヒカルが尊敬していない訳がない。でなくば二十歳の誕生日なんていう人生の節目の日に「少年時代」を歌おうなんて思わんからな。実際イタリアンのお味はどうだったのかねぇ。

ということで、周りが思っている以上にヒカルは気合いが入っているとみる。

だが更なるプレッシャーがあるよね。5年前の『宇多田ヒカルのうた』アルバムで陽水が披露した『SAKURAドロップス』が余りにもインパクト抜群だった事だ。好き嫌いは抜きにしてあのテイクはリスナーに強烈な印象を与えた。

こっちは別にあれを超えて欲しいとかではないのだけれどヒカルからしたら「してやられた感」が強いんじゃないかなぁと。ただ上手く歌っても駄目、みたいについつい思ってしまったんじゃあないだろうか。

そこからどんな結論を出したか、だ。井上陽水のただの期待ではなく”尊敬の眼差しを含んだ期待”に応えるというのは、我々のように上手い歌唱が聴ければOKなちょろいリスナーを満足させるのとは訳が違う。我々を差し置いて、それぞれに日本市場史上最高記録を保持する伝説的なミュージシャン2人がどんな”対話”をしたのか、それをみせて貰えるのではないか。そんな風な期待をしていますよっと。

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昨日ちょうどリンクをツイートしたので引用しておこう。5年前の『宇多田ヒカルのうた』アルバム発売後、井上陽水が自身のカバーアルバム「UNDER COVER 2」をリリースする段になってラジオで発言したものだ。

***** *****


井上(陽水):
(中略)
このアルバム(※ 「UNDER COVER 2」のこと)のスタートは
「宇多田ヒカルさんのカヴァーをやらないか」とお話を頂いて、
やってみたいなと思ってね。
宇多田さんは素晴らしい才能のある人ですから、
ぜひお近づきになりたいと思って、
させて頂くことになったんですよ。
ところが、「SAKURAドロップス」という曲でしたけど
どんな風にアレンジして良いのか見当がつかなくて(以下略)

https://www.j-wave.co.jp/blog/fmkameda/2015/07/28/


***** *****


この言い方からもわかるとおり、もともと井上陽水の方が宇多田ヒカルに会いたがっていたのだ。今回ヒカルが陽水へのトリビュート盤に参加するという体裁になってはいるが、陽水からすれば「ヒカル様に歌って頂く」という感覚かもしれない。恐れ多いというか。言うなればローリング・ストーンズへのトリビュートアルバムにチャック・ベリーが参加するような? ちょっと違いますね。

何しろ陽水は初めてヒカルと会食したとき緊張の余り「イタリアンの味がわからなかった」というのだから相当だ。一方「ヒカルさんは美味しそうに召し上がってらっしゃいました」という言い方からは「業界の大先輩を前にしてケロッとしている宇多田ヒカル」の姿が伝わってきておかしい。まぁ陽水もそれなりにリラックスもしていたんだろう。彼らしい。


という二人の関係性をアタマに入れてトリビュートアルバムを聴くとまたちょっと違う楽しみ方が出来るかもしれないねというお話でしたとさ。

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他の曲では、そうだな、#i_uta でも取り上げた「夏の終りのハーモニー」も人気曲だろう。トリビュートアルバムのリリースが夏の終りどころか秋の終わりなので季節外れも甚だしいが、まぁ今はそこは気にしない。で、だとすると誰と歌うかだわね。デュエット曲だもんね。いや、デュオ曲かな。どっちでもいいけど。

ふとまた「丸之内サディスティック」を歌った椎名林檎トリビュートの時みたいになりくんと…と思ったのだけど流石にもうないか。歌声の組み合わせとしては今までで最高のデュエットになると思うだけに勿体ない。嗚呼、勿体ない。

ならやはり既にラインアップに名を連ねている椎名林檎ゆみちんとのコラボが頭に思い浮かぶが、正直この「夏の終りのハーモニー」にあんまり合うイメージが湧かない。井上陽水の『SAKURAドロップス』並に大胆なアレンジか何かあるのなら別だけども。

既にラインアップに名を連ねている、という中でなら寧ろ『traveling』を見事にカバーした槇原敬之とデュエットの方が合うような気がする。名を連ねていない人を選んでいいというのならあたしゃ桑田佳祐とを推す。多分全部薙ぎ倒す。


他に個人的に歌って欲しい曲となるとあたしは「ワインレッドの心」がいいかな。基本的には安全地帯の曲だけど作詞は井上陽水だしセルフカバーもしているしでギリギリOKな気がする。凄絶なバージョンになるぜ。『Prisoner Of Love』みたいなな。ついでに(?)SMAPの『青いイナズマ』も歌って貰って赤青…って話がズレてきたな戻すぜ。

セルフカバーでいいのなら『飾りじゃないのよ涙は』も候補だよな。山口百恵は歌ってるんだから中森明菜も一度は、ね。まぁここら辺まで来るとトリビュートアルバムの主旨から外れちゃってるだろうけれども。

ヒカルの声を活かすなら「傘がない」か。藤圭子そっくりの歌唱で皆を吃驚させて欲しい。代表曲の1つだし組み合わせとしてはいいと思うが、でも、どう考えてもこのトリビュートアルバムのラインアップならこの曲は椎名林檎に歌って貰うしかないと思うんだがどうでしょうね。…そのまんま過ぎる?(笑)


あとは、そうだな、ほぼないと思うが、これもあたしのお気に入りの「夢寝見」をヒカルが歌ってくれたら拍手を送りたい。大ヒット曲「少年時代」を収録した「ハンサムボーイ」アルバムに入っていたので存在は知ってる人も多いと思うが、いやぁ殊更地味な曲である。歌手・宇多田ヒカルの無駄遣いも甚だしい。何とこんな地味な曲を井上陽水はMステに出た時に歌っているのだ。観てて噴き出したよ当時。まぁそんな懐かしい思い出も思い出しつつ妄想は止まらないのでした。

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井上陽水へのトリビュートアルバムに参加決定。曲目未定。いや未定じゃなくてプロモーションの日程上発表の手法とタイミングがあるって事なのだろうがとりあえず次のアクションがあってよかった。パイセン回答第二弾はまだだけど。あたしも返事とか何ヶ月何年ほったらかしにするタイプなので全く責める気になれないどころか頼もしく感じてるくらいなので頑張れパイセン(?)。

という訳で曲目発表までの間は予想と期待で遊べますわね。まずは16年前のヒカルの誕生日に歌った「少年時代」と彼のコンサートに飛び入りしたときにデュエットした「氷の時代」あたりの名前が挙がるか。

「少年時代」だと一度歌った曲をトリビュートアルバムに提供するというパターンになるがそれは尾崎豊への「I love you」で一度実践している。とはいってもこの時のテイクはコンサートツアー「ボヘミアン・サマー2000」で歌ったのから歓声を抜いたもので新録ではなかった。今回も16年前のテイクを使ってもよいけれど流石に録音環境が違い過ぎる。ハイレゾ出したいだろうから難しいだろうな。

新録とするとどうか。タイトルが「少年時代」だから二十歳くらいで歌うのも面白かったがやはりある程度年齢を重ねてからの方が歌詞には合うだろう。そうでない視点としては、「我が息子がこれから迎えるであろう少年時代に思いを馳せて」というアプローチも魅力的だ。どうとでも料理できるだろうな。

「氷の世界」に関してはこれは当日の会場で聴いていた人以外聴いた事がないのだから素直に候補になるだろう。どういう経緯でこれを歌うことになったのかは皆目見当がつかないが(どっかで言ってたっけ?)、結構難易度が高いから彼が面白がって歌わせた可能性もある。今回はヒカル以外の参加者の中にロックバンドがちらほら混じっているから彼らに譲った方がいいかもね。

まだまだ妄想は続きますな。暫く楽しませてうただく事に致しましょうか。

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ヒカルは、長らく母への思いを直接歌うことはせず、対象を換えて描写する事で結果的に普遍的なラブソングを幾つも生み出してきた。"対象を換えて"というのは至極簡単な事で、『ママ』とか『お母さん』とか言わずに『君』とか『あなた』とか言うだけのことだ。

この、"言うだけのこと"の威力が絶大だった。誰しもがそれを男女のラブソングと思った。20年前はLGBTという枠組みは日本では無名だったし、異性愛と思い込む事に何の躊躇いもなかった。

いや、母娘が実際に"恋仲"だったという話ではない。娘が母を思う気持ちが恋愛感情とほぼ同じだったという話だ。そこは確かにヒカルが大胆だった。『初恋』というタイトルにそれは現れているし、インタビューでも臆面無く「私は初恋をしていない。強いていえば両親。」と言い切っている。初恋を経験していない人が、普通の世間一般(それはどこの何なのだろう)では"親子愛"とか言われている感情を"恋"と呼び『初恋』という歌を書き歌いこれは本当に初恋の時の瑞々しい感情の動きをよく捉えているなと方々から絶賛されているのだ。恐るべき確信犯である。

もっと言ってしまえばヒカルはその「愛は恋」という主張の為にラブソングを書いてきたとも言える。こう言っては何だが、結構罪深いよね。何の罪だかよくわからないけど。

流布されている"常識"でいえば、青春の恋愛は親との愛情関係を忘れると共に始まるものだ。休日に親と出かけなくなり友達と出かけるようになり、いつの間にやらデートの相手と…というのが"常識"さんの教えるところだ。が、ヒカルは親との愛情関係を忘れなかった。覚えたまんま恋愛をし結婚をし離婚をした。なんだろう、この流れを必然と呼びたくなってくるな。またそれも行き過ぎなんだけれども。

それをそのまま当て嵌めると、今ヒカルは息子に恋をしていると自ら言ってしまうのだろうか。『あなた』はそれと知らずに聞けば普通の異性愛のラブソングだともとれるだろうしな。

「普通の異性愛の…」という枕詞に違和感を感じてもいい世の中になりつつあるのは嬉しい。百合男子としてはもっとこう…(うるさい笑

…こほん。『Prisoner Of Love』なんてもう11年も前だからね。時代は前に進んでるのさ。

母と娘の愛は異性愛且つ近親愛。こう書くとタブーだが、ヒカルは意にも介さないだろう。際どい事をしているのにそう感じさせない。20年の軌跡は伊達ではないということだ。

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ヒカルがあからさまに母への愛を歌ってこなかった時代、それはどこまで意識的に“隠して”いたのか、或いは自身も半ば無意識に『君』や『あなた』にお母さんを重ねていたのか。

『隠しておきたい
 赤ちゃんみたいに素直な気持ちは
 ビルの隙間に
 月など要らない
 お母さんみたいに優しいぬくもり
 街の明かりに』

これは2002年発表の『DEEP RIVER』アルバムに収録された『東京NIGHTS』の一節だ。これをみると、かなりのところまで自分の感情を把握していたように見受けられる。『月』は“太陽の不在”や“太陽の代わり”を示す比喩で即ちヒカルからすれば『月など要らない』は「本当の母に会いたい」といったところか。直接『嵐の女神』で『お母さんに会いたい』と歌うまでここから8年を費やす訳だが、自分自身でその気持ちを知らなかった訳ではなく、世に放つ或いは自分の感情と向き合いきるまで時間が掛かったということだろうか。

補足すると、『ビルの隙間に』とか『街の明かりに』とかいった描写がその「世」にあたる。自分自身で知っている事とそれを歌にして不特定多数に聴かせる事では大分違う。その違いがPopsだと言い切ってしまってもいいがそれは兎も角『赤ちゃんみたいに素直な気持ちは』と『お母さんみたいに優しいぬくもり』の間にビルや街が差し挟まれているのは象徴的だ。つまり、ヒカルは、全部ではないにせよかなりの部分、世間を差し挟んでお母さんにメッセージを送り続けていたのである。その帰結として最終的に『お母さんに会いたい』と言って人間活動に入っていったのだ。ビルや街といった社会や群衆に惑わされない活動に。

斯様なスペクトルを許に、もう一度『Fantome』と『初恋』の歌詞を読み返してみると、という話からまた次回。

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殺風景になってきたのでサブタイつけるわ。


勿論深読みのし過ぎなのだが、今までヒカルが体調不良だったり音沙汰無し子さんだったりした時期にお母さんと何かあったりしたのかもしれない。2013年までヒカルは母親の症状に関して特に何も言わなかった。離れて暮らしていても身内なりの苦労はあったろうに。

元々ヒカルの音楽に対するモチベーションはフラットだったように見える。どうしても音楽がやりたくて、と力む必要が一切無い環境がそこにはあった。車は売って無くなってもスタジオには(お陰で)行けるのだ。熱望しなくてもできる環境が常に用意されていたのであれば特にモチベーション自体に悩むことも少なかったのではないか。とはいえ、恐らく小学校低学年くらいの頃になるのか、そうやって車を売る両親をみて「もっと安定した職業に就きたい」と思ってみたり漫画賞に応募したりといろんなことをやってみたりもしている。ヒカルにとって音楽は将来ではなく、ただ常にそこにあるものだった。

売れて一変したのだろう。ひたすらに面倒臭い事が増えた。その中で続ける意志、情熱の出所を探り続けるうちに『ママ』とか『お母さんに会いたい』といった言葉が出てきた。音楽を続けている理由を音楽に教わったというか。

『テイク5』でも、死にたい気持ちで歌詞を書いていたのに気がついたら最後に『今日という日を素直に生きたい』てな歌詞を書いていて「なんだ、私生きたいんじゃん」と気づかされたというが、ヒカルにとって音楽の創作は生きることそのものであって、その中で自分の感情に気づいていくプロセスでもあった。やりたいとかやりたくないとかを超えた所に存在していたものだった。

故にヒカルが曲を書けなくなるという状態に陥ったというのは、ヒカル自身は深く語らないが、多分まさに生きるか死ぬかの問題だった筈だ。そこまで思い詰めなくてもいいのに、と言いたいところだが、単純に今までそうやって生きてきたのだ。望むより願うより祈るより前にまず歌っていた。歌を作っていた。ただそこから始まる何かだったのだ。それはつまり母である。『You are every song』の一節はそこから生まれている。

故にヒカルにとって『ママ』『お母さん』とは抽象的な意味での「母」という言葉・概念と宇多田純子/藤圭子という一人の人間とが重なり合っている。区別をつけるものでもない、といったところか。確かに、太陽の暗喩は藤圭子のニックネームでもあり同時に母性の象徴でもある不思議な選択だ。そうなるように運命づけられていた、という言い方をしてもいいかな。ちと踏み込みすぎかな。

その重なり合いからヒカルは今まで普遍的な魅力を放つ歌の数々を生み出してきたのだが─という話からまた次回、かな。

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