無意識日記
宇多田光 word:i_
 



拡大版でKremlinDusk詞特集綴ってきたが、サッパリ核心に迫った気がしない。この14回は傍流の話題ばかりだった印象だ(ソレはソレで面白かったが)。光本人が揺るぎないイメージを以てこの詞を書いた、という感触が未だない。光はこの曲のストーリーの壊れた欠片をまだ隠し持っているのだろうか? 対談にある様に、曲名のみならず詞の内容までも「説明のしようがない」「印象だけ」の作品なのだろうか。そんな事はない筈だ。んな訳で引き続き後数回、KremlinDuskの詞と取っ組み合う事にします。次のYMMの詞は語る事も少ない(だって対訳丸々1頁空白だよ!?w)し、別にいいよね。

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NevermoreWillTheRavenComeToBotherMeAtHomeは倒置文であり従って対訳は「大鴉が私を悩ませに家にやって来ることはないだろう」となっている。が、依然として"Nevermore"のヒトコトは訳文にその姿を残す。意味は「ないだろう」に既に含まれているにも関わらず。ソレ位にこのヒトコトの存在感は"日本語に訳し難い"が"だからといって意味だけ拾えばいい訳ではない"程際立っている。実際、i_も適訳は思いつかん。元詩で主人公が「このカラスは偶々覚えた語を鳴いているに過ぎない」と己を説得せねばならぬ程だったこの不吉な響きは、この語ならではというしかないだろう。

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触れる事を「自己言及」と呼ぶが、KremlinDuskにもこの自己言及構造が見られる。曲終盤で「BornInAWar…」と「IsItLikeThis」の2ッに歌が別れる部分、前者にある「OppositeAttraction/相対する引力」「OppositeDirection/反対方向に」はそのままこの対極的なテンションの歌唱2ッを指している。一方後者での「DoYouLikeThis?/コレは好き?」とは"今聴いてるこの曲は好き?"という意味に解釈出来る。その証拠に、最後に光から「WillYouPlayItAgainIfYouLikeThis?/もし好きならもう一度聴いてくれる?」とリスナーに問掛けがある。この曲の詞は幾通りにも解釈可能な構造なのだった。

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KremlinDuskの対訳中最も踏み込んだ訳だと思えるのがこの1節だ。直訳すると「ずっと前に私が見たこの(場面との)邂逅」位になるのだが、新谷サンはココを「この日が来ることを予期していた、ずっと以前から」としている。全くの空想だが、この箇所、光に確認を取った様な気がする。というのも、他の節に較べてココにはAnimatoに通じる小気味よい大胆さを感じるからだ。対訳対談によると2人は2週間緊密にメール交換してたらしいが、ならばAnimato以外の対訳に光の色が出ていても不思議はない。既視感の描写をよりニュートラルな"予期"に言い換えるセンスに光を感じる私だった。

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Remember・Propaganda・BrokenAngerと曲後半では今度は[er/a:]の韻が並ぶ。ソレと共に詞の内容も大鴉の世界観から先に進んでいく(DyingEmberはまんま詩の引用だけどね)。中盤のAttraction・Conception・Direction・Reactionは見ての通りだし、最終盤もthis・same・ache・begins・again・nameと[i/ei]が連なっている。そしてその合間を縫ってHome・Call・Callingが歌われる。その配置からこれらの語がこの起伏激しい楽曲の全体を貫くテーマだと解釈出来るのだ。メロディ自体も変化するとはいえ、韻の統一と相違の配置で場面転換と曲のテーマを明確化するとは実に心憎いよ。

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・MeAtHome・ByTheDoor・HadToGo・Anymore・LongBefore・Windowと、KremlinDuskの冒頭部ではこれでもかと語尾で[or]の韻を踏み続ける。これには単純で明確な理由がある。詩「大鴉」が同じ韻を、これとは較べられない程多数注ぎ込んでいるからだ。光もソレに倣った訳だが、ソレだけでは面白くない。元詩の劣化コピーに過ぎないからだ。ソコで光は元詩には絶対に現れない一文を登場させ韻を踏ませた。それが「InTheWordsOfMr.EdgarAllanPoe」の1節である。「ポーさんは必死に[or]の発音を持つ単語を探してきてるけど、アンタの名字がソノマンマじゃないのさ」というhumorなのかの~?w

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BornInAWarOfOppositeAttractionとTornByTheArmsInOppositeDirectionは各々「相対するものが惹かれ合う諍いの中で生まれ」「逆の方向から両腕を引っ張られ」と訳されている。が、Warには戦争、Armsには武器の意味がある。また、Attractionは引力、意訳すると求心力だ。ソレ等を踏まえ訳すと各々「2ッの求心力間の戦争に生まれ」「武器で両方に引き裂かれ」となる。曲タイトルが"クレムリン(=ソ連の中枢)の黄昏(終焉期の比喩)"な上、シークレット・プロパガンダ(諜報活動?)なんて語も飛び出す事から、この歌には東欧(例えばプラハとか)を舞台としたストーリーが秘められてるのかもしれない。

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筈なのにKremlinDuskには光本人を思わせる記述が散見される。「私は生来のエンターテイナー」なんてTRで披露した"幼少時家族を前にショーを設えていた"エピソードを思い出すし、「秘密のプロパガンダ(組織的宣伝)活動を指揮している」だなんていつもプロジェクトの中心に居る公人としか思えない。何より、最後の"WillYouPlayItAgain"を「もう一度聴いてくれる?」と訳してるのがミソ。この訳は「あの曲をまた聴く事もあるかな?」等の訳し方に較べずっと"自分の曲である"ニュアンスが強く出ている。とするとこの曲は光の自叙伝的性格も持つのだろうか。こういう面もあるとは思うけれど。

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前者のlikeは「みたいな」で後者は「好きだ」だ。同音異議語は音韻とは似て非なる(正反対の)効果を生む。韻は語同士の共通部分に注目されがちだが、寧ろソレを隠れ蓑にして受け手に従前と異質な文脈を抵抗なく流し込む役割が大きい(キプトラで"無い物ねだり"から"あなた"への流れを"ダーリン"が取り持つ様にね)。即ち音韻は「話を前に進める」役割を持つ。然しココの歌詞の場合、likeとlikeを重ねる事で、過去の思い出を反芻消化して前に進もうとしてるのに結局思考が堂々巡りしていつまで経っても失恋から立ち直れない主人公の絶望を描くのが狙いなのである。

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既述の通りストーリー自体は単純だ。"あなた"に愛想を尽かされた"私"が鬱々と立ち直れない様を歌っている。別れる時はアッサリだという光の性格から凡そ程遠い主人公だ。寧ろ、ストーリーより言葉の選び方を吟味するのが要。今迄の曲の詞が韻やリズム等の動的な感触だったのに較べ、コチラは奇妙で不気味な語の羅列が象る彫像を鑑賞する感覚、とでもいおうか。件の詩からの引用に加え、ナチュラル・エンタテイナー/シークレット・プロパガンダ/ピーシズ・オブ・ブロークン・アンガー/ウォー・オブ・オポジット・アトラクション/ナチュラル・コンセプション/アームス・イン・オポジット・ディレクション/モダニスト・リアクションの7ッがこの曲に特別な闇気を与えている。

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てな訳で昔の話題で茶を濁す。嘗て1度取り上げた事あると思うが発売日頃購入したエキソドスの対訳には1ッ誤植がある。といっても訳本文ではなく訳注にだ。クレムリンダスクの頁にポーの大鴉についての註があるのだがソコでの詩の初出年が1945年になっている。正しくは1845年だ。誤植には障りのあるモノとないモノがあるが、このケースは僅かに障りがあるか。ポーを知らない人がこの19世紀の詩を第2次大戦中の作と誤解しかねない。「この誤植が後からプレスされたエクソドスでは訂正されているか」を知る人は教えて給う。取敢ずコレクターは両方持っていたい、のかな誤植が訂正されてれば。

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引用を列挙してみる。Lenore(詩の主人公が慕う女性の名前)、Nevermore(大鴉の鳴き声)、TheRaven(その大鴉)、TheDoor(詩には何度もChamberDoor/部屋(寝室?)のドアというのが出てくる)、TheWindow(TheRavenでもKremlinDuskでも主人公が家(部屋)の中から茫然と外を眺める記述が出てくる)、remember、DyingEmber(この2ッはそのまんま)…といった所か。詞でのEntertainerは、詩のEntreatingEntranceと韻を踏ませてあるのだろうか。直接出てはこないが、勿論Mr.EdgarAllanPoeも重要である。既述通り、詩は19世紀半ばの作なので電話は出てこない。こんな感じです。

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「"私"が"あなた"を失う物語」である。"私"と"あなた"の性別はハッキリしない。曲後半「頼ってもいい?」以降の語感は"私"が女性な事を示唆するが一方冒頭で"私"は「自分のレノーア(大鴉で主人公が慕う女性の名前)を探して」いる。詞の女性が詩の男性に、性別を越え共感したと解釈すれば整合するか。そして、女性性と男性性の対比を明確化させる為光がオートマムービンの頃から詞に登場させてきたアイテム「電話」がココでも重要な役割を果たす。遠く離れた場所に居る誰かと今ココで互いに触れ合える人類最初の発明が伝えた感覚は、色でも味でも匂いでもなく音、人の声であったのだ。

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単純にi_の英語力が足りないからだ。例えば、対訳対談で話題になった"NaturalConception"もフツーに"自然な概念"と直訳していた。所が光と新谷サンは"自然妊娠"とするのが直訳、みたいな雰囲気だったので些か面食らった(よりニュアンスを伝えるには"自然受胎"とした方がイイみたいだが)。更に、この曲の詞を"読む"には語学力だけでなく英語圏の文化的背景も身に付けているべきだがi_にそんなものは殆ど無い。そんな無知無能の人間が解釈を披露する愚に耐えてくれるというのなら、是非暫しの間お付き合い願いたい。この曲の詞と音楽は、本当に素晴らしいのだから。

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この曲のアルバム中最も難解といえる詞は、光と誕生日を同じくするアメリカの作家エドガーアランポーの詩「TheRaven/大鴉(オオガラス)」を基に書かれている。Poeの名も詩の名も詞中に登場するし、Lenoreとは主人公の恋人の名だ。が、まるっきり詩のままの詞なのではない。例えば、この詩は1845年1月29日(COLORSの発売日から遡る事158年)の発表だが、曲中には"Calling(電話する)"、"PhoneNumber(電話番号)"と電話が重要なアイテムとして登場する。電話の発明は1876年の事だから、この曲の詞は古典を引用しつつよりモダンで、光の個性を反映した世界を構築しているとみるべきだな。

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