無意識日記
宇多田光 word:i_
 



OKAMOTO'Sの中の人がライブレポを寄せてくれている。たいへん好意的で嬉しくなる内容だ。まぁ好意的でないライブレポを公式が紹介することはないと思うが。

中の人はヒカルの事を「奇跡」だと言う。書き方からして「少々大袈裟かもしれないが」という一言を飲み込んだ感じはあるが、私から言わせればヒカルを奇跡だなんて在り来たりなものと一緒にしないで欲しいというのが本音である。表現が陳腐という意味ではない。奇跡みたいな頻度の高いものと一緒にしないで欲しい、という意味だ。

例えば、今地球上には75億人の人が住んでいるらしいが、それだけ人が居れば誰もが奇跡だと呼ぶような出来事はきっと毎年ひとつやふたつ起こっているだろう。サイコロを6つ1度に振ったら全部1の目が出た、程度でも奇跡だとかいわれそうだし。もっと信じられない事は、この世界の広さを考えれば結構頻繁に起こっている気がする。

宇多田ヒカルはそんな毎年起こるような頻繁な頻度では出現しない。宇宙が138億年だかをかけて漸くたった一人生み出した存在なのだ。唯一無二なのも当然だ。少なくとも人類の、いや生物の歴史上「最もいい女」であることは間違いがない、でしょ? もしヒカルよりいい女がこの世に居るなら是非今すぐ紹介して欲しい。明日からこの無意識日記はその人の話ばかりになるだろう。勿論、そんなことは起こらない。ヒカルの代わりなんて居ないのだ。

138億年に一人、即ち138億光年の中にたった一人。勿論奇跡だが普通の奇跡どころの話じゃないのはおわかりだろう。

私は常々こういう風に捉えているのでヒカルのPreciousさを表現するのにいつも「宇多田ヒカルは宇宙の存在理由である。」という言っている。誰しも小さい頃は「どうしてこんなに広大な宇宙なんてものが存在するのだろうか?」と疑問に思った事が一度はあると思うが、その答えが宇多田ヒカルなのだ。あれだけ精微で精巧で…兎に角偶然と奇跡が何億と折り重なった果てに漸く宇宙が辿り着けた到達点。宇宙の物理法則も何もかもがどうしてあそこまで美しく精密に出来ているかといえばヒカルを生み出す為だったと言われれば納得がいく。138億光年の広大さの帰結。そう考えなければあんな存在が有り得るなんて有り得れないしそうでなくては何一つ理解が出来ない。宇宙と呼ばれるこれだけの大仕掛けを使って神様はやっとここまで来たんだな。頑張ったよ神様。

そうすると疑問なのはヒカルが死んだ後の世界に何か価値があるのかという点になるが、「嘗て宇多田ヒカルという存在を可能にする事が出来た世界」というだけでその残骸や残滓にも勿論価値がある。何より、ヒカルの歌が遺されているだろう。その歌を誰かが歌っている限りこの宇宙に意味がある。過去も未来も、ヒカルの居る“今”を中心に広がる宇宙の一部に過ぎないのだから。

とすると。そんなヒカルが生涯を捧げる「音楽」或いは「歌」というのは、宇宙を越える何かがあるのだろうか。そうとしか思えない。来年はそういう点も踏まえながら日記を綴っていきたいと思います。もしかしたら今回が今年最後の更新かもしれないのでこんな感じでごきげんようまたよろしくね。

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あ、もう今年を総括する時期ですか? 毎年通り「無意識日記は毎日総括してるから年末だからといって特に何もないな」とかなんとか言いながらなんだかんだで今年を振り返ってみますかね(笑)。


今年2018年は宇多田ヒカルファンにとって「普通の年」でした。これに尽きる。だって応援するミュージシャンが新曲を出して新譜をリリースし雑誌に載りラジオ番組を提供しテレビ出演をしてライブコンサートツアーをする。どれをとっても至って普通、当たり前の事しかしていない。顔認証だのPSVRだのというのは目新しいかもしれないが、何れもヒカルは出て来て歌っただけだしな。そういう意味で、何も取り立てて言うことも無い、ごくありふれた1年だったということだ。

ところが皆さん御存知の通りこの「普通の1年」が凄く久々だったのが普通でないところで。2年前は新譜は出たけれどツアーをしなかったし、8年前のはオリジナルアルバムとは言い切れなかったしライブもツアーじゃなかったし。9年前はやってる事は普通だったけど主に場所が海外じゃあ宇多田ヒカルファンには遠かったから普通じゃなかったし。10年前は新譜は出ててもライブはなかったし11年前はシングルリリースしかしてないし、ということでこういう「至って普通の1年」というのは我々にとって、そう、12年ぶりということだったのだ。干支一回り分、オリンピック3つ分ですよ。8歳のあどけない幼女が成人して大人の女性になってなんだったらお母さんになってるくらいの年月「普通の年」がなかったのだ。極めて普通じゃなかったよね。

だから今の宇多田ヒカルは、漸く他のミュージシャンのみんなと対等に語られるところまで来た、というのに過ぎないんですよ。新譜出してメディア出演してコンサートツアーを催すなんてプロのミュージシャンたちはみんなやってる事なんだからそれを「音楽は稼業」と言い切る音楽家が自慢できるかっつったらねぇ? しないでしょ普通。傘屋さんが「どう?俺傘売ってんだよ!今年一日も病休とかなかった!」って言われても「それはよかったですね(笑)。」くらいの反応しかせんだろ。ヒカルもそれくらいなんだよ。

で。これでやっと「正当な評価」が齎される。それでもまだ今年は「8年ぶり」「20周年」で下駄を履かされた評価しか受けていない、とも言えた。そこから、新譜もツアーもいつものことになってプレミア感が無くなって初めて本来の仕事自体のクォリティの評価が自然体で為されるってもんなのだ。今年までは長期休業明けのご祝儀相場。来年以降も今年同様の極々普通の活動を継続してこそヒカルの真価がみんなに理解されていく、ハズだ。それが楽しみになった1年だったということで今年の総括に代えさせてうただこうかしらん。あ、夜も更新しますよー。

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『光』の横アリテイク、いいよねぇ…アコースティックギターがクリアでストリングスがマーブル。こういうのをシングルのカップリングに入れてくれたらいいのに。今回はもういっぱいいっぱいだけどね。曲入れ過ぎるとミニアルバムになっちゃうから。なっちゃえばいいんだけども。


ヒカルのライブレポを読んでいると「昔の曲が色褪せない」という表現をよく見掛ける。何か感覚が違うなと思ったら、そうか、普段から私は普通に昔の曲を聴いているからだ。ライブで一曲も「そういやこの曲久々に聴いたな!」という曲がなかった。多分いちばん久々だったのは『SAKURAドロップス』か『俺の彼女』だな…。発売時期とか全く関係なく、“直近に聴いたかどうか”という話でしかない。

聴き慣れた曲でもリミックスやライブテイク、テレビ出演時のパフォーマンスなどをローテーションすれば飽きるなんてことは案外無いし、聴き方でいちばん多いのは「宇多田&Utadaシャッフル」だから自分で選曲するまでもなく程よくいろんな曲を聴く。フルアルバムでよく聴くのはその時の最新作を除けば今でも『This Is The One』で、これは変わらない。いちばん短いから、というお馴染みの理由でね。

こんな人間からすると昔の曲が色褪せるとか色褪せないとかは遠い星の話のようだ。「今日の晩御飯はカレーライスか」「今日の食後はコーヒーにしようか」くらいの感じで再生ボタンを押して生活している人間にとっては、カレーライスが今日もカレーライスの味がするように、コーヒーが今日もコーヒーの薫りを薫らせているように、ヒカルの歌はいつも通り楽しく切なく響いてくる。それもまたただの生活の一部である。


色褪せたのに近い事があるというのなら、曲数が増えた事で初期の頃の曲がそんなに突出した印象にならなくなっていること、くらいかな? 初めて聴いた時は「日本人女子のクセに何このクォリティーは」と希少価値を見出していた気がするが、今やスタジオアルバムが9枚とか10枚とかあるのだ。それを順繰りに聴いているだけで日々が経つ。ホントにただの日常だ。

なので、ライブレポとかでそういう反応をされる事自体が新鮮でね。普段宇多田を聴いていない人達もライブコンサートとなるといっぱいやってくるんだねぇ。当たり前なんだけど(笑)。休業期間の間ってうちらのような普段からヒカル漬けの人間しか発言していなかったから、改めて今は絶賛活動中なんだなーと確かめ直しましたわ。またいつかヒカルも長めのお休みをとるだろうから(産休とかね)、またその時はいつもの皆さん、宜しくお願いしますね。一緒に時を、過ごしましょう。

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結局いつも通り「歌の邪魔をしないで」に尽きるんですが…。今回は配信トラブルもないし基本無料ということで双方(SONYとU3)の意向が合致するポイントを探り当てて企画が進んでいて特に文句を言う事もない。ただ、現実として目下アダルトコンテンツみたいな扱いを受けている訳で、それはなんだかややこしいなと。

ヒカルはヒカルでビッグコミックスピリッツのフォトセッションの時水着を仕込んでくるノリのよさも見せているし、あれだけマッチョに鍛えてるならその成果を見せつけたいかもわからない。『Forevermore』MVじゃコンテンポラリーダンスを披露しているけれど、ダンスの習熟度云々の前に肉体に自信がないとあんなの収録して発表できない訳でね。ダンスのような視覚的表現であればVRの真価が発揮される可能性も出てくるしそれを見越してPlayStation VRというプラットフォームを準備しておくのは必要になるかもしれないが、やっぱり音楽家を謳う以上音声コンテンツをまず固めてからでしよ、という思いはやっぱり拭えない。

ここらへんは、ミュージシャンや事務所のコントロールが及ばない領域かもしれない。例えば、前に指摘した通り、ヒカルのミュージックビデオ配信は冗談みたいな低画質で、もし選べるのであればあんなに作品の魅力をスポイルするようなクォリティは瞬時に却下されているだろう。それが延々リリースを続けているのだからあれはあれで妥協の産物なのだ。通信量が大きすぎるとモバイル環境に優しくないしな。全部が全部思い通りにいってる訳ではない。当たり前だけど。

この後“音声VR”がロンチすれば確かに興味は湧くんですが、今までだって5.1chや7.1chに手を出してこなかったのだから2chで十分と思っているのだろう。これまた再三指摘してきた通り、映画館で流れる曲を映画のサウンドに併せるのはアリだとは思うんだがね。そういや他の人たちどうしてるんだろ。知らないや。

音楽を単体のコンテンツとして提供するのが益々難しくなってきた御時世だからこそ、宇多田ヒカルにはラジオから流れてきた歌を一発で気に入って買いに走らせるようなストレートの力を見せつけて欲しい、と思ってるオールド・ファンは少なくないだろう。ノスタルジーだ何だと言われようが、基本中の基本は忘れないようにしておきたいのです。

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さて。困惑しているのは。PSVRで配信され(てい)る『光』と『誓い』が“新しい音源”な事だ。今朝リツイートしたYouTube動画を観るとつまり横浜アリーナで収録した無観客ライブ・バージョンなんじゃないですか…!

のちのちホンモノのライブバージョン自体はDVD/Bluray/Downloadで手に入るからいいとして、PSVRのは拍手や歓声が入ってないテイクというのが違う訳でね。ライブ・バージョン好きとしては拍手歓声が入っていても嫌でも何でもないけれど、無いバージョンが手に入るとなればそれはそれで欲しくなるのよ。

……くっ、試されてるな…っ。既発曲の別バージョンを聴くために¥30kだか¥40kだか払って、しかも音源を持ち運んだりできないのか…っ。いつでもどこでもウォークマンやスマートフォンで聴ける訳じゃないのに高い金を払えるかという…なかなかの踏み絵だな…これがmp3ファイルだったら一瞬も迷わずに¥30kだか¥40kだか払っていただろう自分が躊躇するとはっ。自分のヒカルに対する金銭感覚が初めて判明した気がするわ。殆ど初めて、公式リリース価格(じゃあないけどなプレステ代だからw)を「高い」と感じてしまった訳だ。SONY恐るべし。

「これがmp3ファイルだったら一瞬も迷わずに¥30kだか¥40kだか払っていた」というのを嘘だと思う人も居るかもしれない。例えばこれが、ヒカルが引退して10年後位に発掘音源として『光』と『誓い』の別テイクが見つかりましたよというケースだったらと仮定したらちょっとわかってくれるかもしれない。逆からいえば、私はVRでヒカルの動く姿を10年ぶりに観れるとなっても買うのを躊躇する訳だ。そういう趣味だったのか自分…。

でもこれが不思議なことに。「宇多田ヒカルとバーチャル・デートが出来るゲーム」だというなら買っていたっぼいのだな私は。歌とか音源とかを離れて全く違うコンテンツとして提供してくれるのなら喜んで4万円だかを払って機材を揃えるだろう。「動画と音声で歌を楽しむ」という娯楽は既にパソコンやらスマートフォンやらDVDやらで堪能することが可能なのにそっちでリリースせずにVRを押し付けてくるから私の反感を買っているのだ。なんとなくわかってきたよ。


まぁ、もう暫く様子見してみるかな。この音源が他で手に入らないとなると考えなくちゃいけないからね。つまり、ヒカルの歌が好きでファンをやってる人には手痛いコンテンツということですこれは。それでOKでしょうか関係者各位の皆々様方?

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又吉直樹のショートフィルムの特徴は機能が多層的且つ多方向的である事だ。主題の主従がわからない。ただ大方の見方としては“喜劇”、或いはコメディとかお笑いとかそういう受け取られ方をしているだろう。

これは構成でも配分時間でも説明がつかない。15分の内聴衆が笑っている時間の割合はそんなでもないのだ。だが「笑った」という体験は他の経験に較べて強力で支配的な為、どうしてもその印象が強くなってしまう。

穿った見方をすれば、笑いに隠してヒカルは「歌詞は歌詞」なんだから混同しないで欲しいともう一度強調したかったのかもしれないし、又吉直樹は絶望とユーモアの関係を生真面目に呟きたかったかもしれない。それらも総て瓶割りにもっていかれて“従”の立場に追い遣られる。結局主役は笑いとなる。

瓶割りのインパクトで前フリネタに過ぎなくなってしまった対談内容も又興味深い。「割る」が「笑い」の語源かもしれないと言いながら瓶を割ってくる流れも見事だし、又吉と彼の父のエピソードも秀逸だ。最後父が又吉に嫉妬する場面は「闇の中の笑い」ならぬ「笑いの中の闇」と言いたくなる不思議なオチである。あそこで又吉が傷ついていたら悲劇になっていた所を幼少の彼がそれを誇らしく思いヒカルが今それを聴いて大袈裟に大笑いする事で喜劇的なエピソードとして着地している。正直かなり危うい橋を渡っていると思うが、それもまた希望と絶望の境目にあるのだろうと感じさせている。うまいもんだわ。

重層的で興味深いこのショートフィルム、円盤が発売になったらまたより詳しく分析してみたい素材です、よ。

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タイムラインがPSVR廃人だらけに見えるのは気のせいかな? 皆楽しんでいるならよいことだ。こちらも安心して頑なに意固地なスタンスを維持出来ますわ。

前回ファンクラブだ写真集だ言ってたけど、もっと直接的に言えばVRの恩恵を受けられるのってアイドルやセクシー女優の皆さんなのよね。ファンが「目が合った」とか「俺だけのために」とか思えるようなコンテンツだからね今のところ。なのでヒカルを性的に見ている人はPSVR買いだよね。あれ、それじゃ俺買わなくちゃいけないじゃん。…まぁそれはいいとして。(笑)


無意識日記さんは無意識日記さんらしく行こうか。監督が竹石渉氏ということでいよいよ本格的にミュージックビデオにこの路線を取り入れるのかと思わされる。インタビューを読むとVRでカメラを動かしてるんだと。書いてあるように普通はカメラ固定だろうからそんなことして大丈夫なのかなとは思うがやはりそこはクリエイター、“作品性”に対する嗅覚があるのだろう。“何かしなければダメだ”と嗅ぎ付けてくれているのは頼もしい。ちょっとチェックしてみたくなっちゃったじゃん。

自分がいちばん興味を持っていたのは、しかし、音声だ。これも記事によると5.1chなどではなく2ch、つまり普通のステレオなんだと。ダミーヘッド録音のように2chでもある程度の指向性は表現出来るので即断は愚かだとはわかってはいるものの、やはりまだ実験段階というか…いや、もっとハッキリ言った方がいいな、相変わらず「音楽が主役じゃない」よね。

自分が横浜でコンサートを見た時、アイランドステージ(この言い方なかなかいいね)でヒカルが『誓い』を歌い始めた際自分の視界の右側にヒカルが居るのに歌声が左側から聞こえて奇妙だった、という話はしたわね。自分がステージ向かって左側のスタンド席に居たからだが、実際のライブ会場でもそんなことは起こるのだ。

なので、別にVRでも音声がそういう風に「居ない所から声が聞こえて」きていても全然構わないのだけれど、リアリティを徹底するなら自分が左に首を回せば歌声が右耳から聞こえてきて右に首を回せば左耳から歌声が聞こえてこないといけない。今のVRは首を回すどころじゃない対応をみせてくれるので、結果色んな方向から歌声が聞こえてくるようになっていないといけないのだけど、どうやら、そうはなっていないようだ。

しかしこれは、繰り返しになるが“行き過ぎ”である。実際のライブ会場でも、たとえ自分のためだけにヒカルが目の前で歌ってくれたとしてもマイクを通してヒカルとは違う場所に在るスピーカーから歌声が聞こえてくるのが本当の現実なのだ。私が今述べた事を達成できてしまうとその現実を追い越す事になる。マイクなしでヒカルの口から出ている音声を聴いているような体験が出来るなら、ここにきて初めて音楽が主役となってVRと対峙できるようになるだろう。マイクを使わない歌唱を個人に届ける時どのようなアプローチがいいか、歌手は考え始めなくてはならなくなる。実際の収録はマイクを使わなきゃいけないんですけどね。

…なぁんてことを言っていても、今回は音楽のターンではない。ヒカルをグラビアアイドルの如く嘗め回すように鑑賞する為に今回のVRはある。音楽鑑賞にプラスになる何かや音楽家のインスピレーションに訴え掛ける何ががある訳ではない。ヒカルはただの音楽家に留まらずその立ち居振る舞いや見た目にもニーズが沢山あるのでそれに応えるのは全く間違っていない。自分も皆が楽しんでくれているのを見れて嬉しいし。しかし、飽きるほど何度も言うけれど、鑑賞対照としての作品の質に貢献する段階ではない。それはもう、今後も何回でも言い続けるよ。だって、みんな歌聴いちゃいないんだもん。(笑) せっかく2曲も新しい擬似ライブテイクテイクが手に入ったのにさ。…あれ?もしかして音声スタジオ版なの??

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まずは1曲先行配信か。plus加入者限定ということで今日から観れる人はかなり限られているんだろうな。私はといえばプレステ買うのが面倒で何も接触してないや(^^;) あまり興味をそそられるコンテンツではない、というのが大きいんだが。

しかし今回は珍しくヒカルが乗り気(?)なのだ。今朝も早よからツイートに勤しんでいる。新曲出ても暫く黙ってたりする人が配信初日の朝6時から稼動とか気合い入ってますよ。文面からはわからないけど(笑)。でメイキングのYouTubeを観てみたら収録にあたってかなり協力する事も多かったのかと。スタッフの頑張りを間近でみてこれは自分も役割を果たさねばと思ったのかもしれない。イメージカットみたいに編集されてたので何が何だかわからなかったけど2分しか枠が無いなら仕方ないかー。


自分は実際のライブでも目を瞑って聴き入ったりするタイプなので、ヒカルが間近でVRで見られるからといってそうそう食指が動く訳でもなく。それより2曲の音源配信して欲しいわ。プレステの販促に繋がらないけどな。

VRに関しては限定的なユーザーに配信するということで今回は心配要らないが、このメディアはアピアランスを重視する層にアピールするものなのだからこれは一応ヒカルのルックスの切り売りという事になる。でもそんなに見た目をアピールしてくれるんだったらまず写真集出すのが先なのでは…ライブフォトブックとかそういうのでも…という疑念が頭に浮かぶ。

ファンクラブがない分どこかのプラットフォームの会員向けとか有料テレビ加入者向けとかいう“制限”を利用してコアな層にアピールするのは有用だ。だが写真集を出すとなると群雄割拠な書店の店頭に並んで不特定多数の衆目に晒されなければならない。そうなると口さがない連中が「35歳の子持ちバツ2が何してんの」と太陽系随一の余計な一言をくっつけてくるので非常に残念ながら配慮が必要になっちゃうのですよ、ぽんぽん。普通ならファンクラブ限定でプライベートショット満載の写真集をチェキガチャ付きの大胆価格で御提供すればいいところをファンクラブの無いヒカルは一工夫しなきゃいけない。今回の試みがその先鞭となるのならなかなかに期待が持てるのではないか。

いずれにせよ今回の企画はヒカルの知名度をアテにしたプレステのプロモーションであって且つマニアがヒカルを嘗め回すように鑑賞する為のものだから少なくとも音楽的なキャリアには直接関係ないだろう。音源としての価値は計り知れないが、それも数ヶ月すれば手に入るだろうから私はのんびり待つと致しますかね。あらやっぱりVRのことになると辛口なのね無意識日記さんは。少しは期待に応えられたでしょうか。(笑)

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あんまり誰も騒いでいないが名古屋で言ってたらしい「曲増やすかも」は何だったのだろう。普通はなんかやるの決まってから「やるかも」って言うもんなんだが…普通じゃないもんな(笑)。

結局“失言”を取り上げられるかどうかって何を言うかより愛されてるかの方が遙かに大きい訳でね。迂闊な事を言う言わないを気にするよりもっと他にするべき事があるんだろうな。その点ヒカルは最強、と。

でもその愛され分をちゃんと差し引いてもライブでの歌唱は評価されるべき内容だったと何度でも念押ししておきたい。シューティングのあったさいたまでの出来はわからないけれど、修正無しで放送・商品化していても驚かない。まぁ『WILD LIFE』の時点でわかっていたことだけど、8年のブランクで衰えたり鈍ったりしていなかったのは驚異的だろうて。

でこれから、まだちゃんと把握してないんだけど、プレステで2曲だっけ、リリースされて、来月はスカパーで一部が、3月にはエムオン!で全部が放送されるという段取りでよろしいか。今までのリズムだと円盤が5月か6月にリリースされる手筈だが、発表時期は放送に配慮されるかもしれないね。

でもそれ以上に気になるのが、アジアツアーがあった場合だ。ツアーでなくとも、二月三月に単発或いは数発コンサートをやってもおかしくはない。件のアリーナでなくとも、「Natural Breeze」のようなスペシャル・コンサートなら発表が直前ということは有り得る。でその模様も円盤収録されるとすれば…? …そこまでシリアスな可能性だとは思わないが、頭の片隅には入れておきたい。何かないと『Too Proud (L1 Remix)』のリリースがよくわからない事になってしまうからね。日本ではヒカルがラップをした訳でツアーを経てますますその感が強くなっているので。

いずれにせよコンサートの感触からすればヒカルが今また長い休暇を入れてくるとは考え難い。三週間ほどダメ人間になっ…子育て中は無理か…まぁなんだかんだで休んだらまた年明けから働き始める気がしている。その間にツアーの総括とキンハ曲の話をしておきたい。また新情報が出て来てキャパオーバー&消化不良を起こすのは御免なのですよ私は。

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『Laughter in the Dark Tour 2018』の余波と余韻も落ち着いてきたかな。通常運転なんてあるかどうかはわからないけれど、夢みたいな時間はまた来るよ。


『Face My Fears』EPはどこまで海外に比重を置くのか。Utadaのプロモーション&ツアーを通して“Kingdom Hearts Series”の影響力は知られる所となったが、当時を知るスタッフは今誰一人としてSONYに居ないだろう。その断絶は結構大きい。勿論、『Ray Of Hope』の時の段取りをみるに把握は随分正確そうで、その点は心配していないのだがそれとて盤上の数字の話。現地の体温を知った訳ではない。

クリスマスシーズンはスタンダードナンバーの季節なので新譜のリリースは凪である。年明けから二月のグラミーアワードに向けての流れの中でどう動いていくか。…というのはメジャーレコードレーベルの話で、『Face My Fears』はゲームの都合で発売日が決まっているのだし欧米ではインディーズとかワールドミュージックとかインポート部門とか兎に角非主流のカテゴリーに引き続き入れられている可能性が高いので事前事後に派手なプロモーションが行われる訳でもない。突如ダウンロードチャートに現れて嵐のように過ぎ去っていく、のだろう。事前予約も随分入っているみたいではあるけれど。

世情を顧みるにCDシングルという“平成の遺物”をリリースするのは日本だけなのだろうけれど、アジアはそれぞれの国内レーベルからデジタルリリースされているのだろうか。『Too Proud』んときにチェックしときゃよかったな。面倒がっちゃった。

アジアツアーの発表をどのタイミングで、というのもまだ燻っているし、となると今までの傾向からすればアジアツアーの時期に日本国内で新曲をリリースして穴埋めをするというパターンも有り得る。二月三月にアジアツアーなら『Face My Fears』EPで事足りるけれども『Don't Think Twice』の配信が早かったのが気に掛かる。ツアーは終わったしヒカルはダヌパと戯れる時間も取れているようだが既に事態は次に向けて動き出しているとみるべきだろうな。

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『Face My Fears』EPの4曲を聴いてると、やっぱり英語の歌の方が声が細く感じる…何故だ…。まぁそんな話は追々、ね。


さて『Laughter in the Dark Tour 2018』公演の記述に関しては最初に宣言した通り極力ドライに徹した訳だが。会うのが8年ぶりだとか初めて会ってから20年近く経つとかいう“感動のアドバンテージ”は全部排したつもりだ。例えば『First Love』の歌唱に20年の積み重ねを感じた、と語ったのはまずその時に耳から入ってきた歌声に感動したからであって、積み重ね云々はその感動の理由や原因を探った血管に過ぎない。ヒカルの歌唱から齎される感動の源泉が昨晩飲んだウィスキーならそれはそれでよいのだ。20年なんてのは分析の素材に過ぎない。

そこまでドライに徹してもこれだけ心揺さぶられる瞬間が山ほどあったのだ。もし私が『8年ずっと待ってたんだから…!』と感涙に打ち震えヒカルが姿を現した瞬間に泣き崩れるような態度でいたとすれば、この135分で文句なく精神を崩壊させていただろう。こんなのもつはずないもん。


「無意識日記の執筆者が宇多田ヒカルの帰りを8年間待ち続けていた。」と書いても反論できる人を見つけるのは難しい。これだけ書いてきてるからね。だから多分、自分がいちばんうまくやれる。やってみよう。

昔書いた通り、自分にとっては毎日が「宇多田ヒカルに会えなかった日」でしかないので、それが8年だろうが8日だろうが大した違いは無い。違いが出てくるとすれば、「宇多田ヒカルに会えた日」に得たインプットを消化する為の時間が生じる事だろうか。それを考えると、ライブのみならず、自分はアルバム『初恋』はおろか『Fantome』すら消化しきったという実感がない。聴く度にまだまだ考えなければならない事が沢山あるなと実感する。それを言ったら『Single Collection Vol.2』の曲だってそうだし『This Is The One』だって『HEART STATION』だって…とキリがない。いつだって前のを消化し切れないうちに次のがやってきてるから負債は溜まる一方だ。そういう風に捉えると、自分の持つ渇望感というのはヒカル成分が足りないというよりは過去にくれたものを消化する為の新しいヒントが欲しいという感情が大きな割合を占めて常に心内に存在しているような気がする。要はもっと知りたいだけなのだ。

それを続けているといつまで経っても亀に追いつけないアキレスみたいになりそうだが、「歌」は違う。歌は、聴いている時や歌っている時が“今”なのだ。アキレスと亀は一緒に並んで歌えるのだよ。

ヒカルが“今”に拘るのは“そういう歌手”だからではなく“歌手”だから、だ。歌とはそもそもそういうもので、しかも今ある今が過去と未来に繋がっていると感じさせれる事も出来る。それが出来るのは歌くらいかもしれないし他にもあるかもしれないが、ヒカルは取り敢えず歌っているから今は歌だ。ライブで観た人聴いた人は知っているだろう。その日実在したのは、宇多田ヒカルさんだけじゃなくて歌もなのですよみなさん。

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早朝から日本語ツイート。内容は子育て×音楽。何も狙ってはいないんだろうけど、また色々と好感度が上がるというか。製造元はすかさずリプライして宣伝に繋げるべきかな(笑)。アンパンマン様にそんな小間使いは必要ないかもしれませんが…。

自分の小さい頃はアンパンマンといえば絵本だったので、後に戸田恵子が声を当てたときに「誰だお前!?」ってなった記憶がある。鬼太郎の時も、こちらはアニメからアニメだが、野沢雅子から戸田恵子にスイッチした時に「誰だお前!?」となった。更に後に「マチルダさんだ」と教えられて平伏したが。マチルダさんなら仕方ない。

子育ても英才教育ね、と言いたいところなんだけれども、早い家庭ではそろそろピアノやバイオリンを弾かせ始めるので子供用のアンパンマンシロフォンならのどかなものだ。『Keep Tryin'』の時の壊れたおもちゃのピアノはまだ持ってるんだっけ。もう手放しちゃったんだっけ。

ツアーが終わってこどもとゆっくり戯れる時間が取れているなら喜ばしい。ツアーが終わった時に皆が寂しさを感じている中(2時間半しかなかったけどなw)「終わって嬉しい」と口走ってしまっていた私だが、どうしてもキャンセル病というか、仕事を休まず完遂させる事には一定の感慨がある。それは内容の充実以上に重要なことだった。きっとヒカルも今頃はまだまだ疲労困憊だろうから、ゆっくり休んでいて欲しい。

…が、この年頃のこどもは、性格にもよるゆだけれども始終走り回っていたりするからあんまり心安まるとはいってないかもしれないな(笑)。それもまた幸せでしょう。じっくり味わってくださいな。

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さっき気付いたんだが、ショートフィルムが終わってセンターステージにヒカルが登場してまず歌い出す曲が『誓い』なのは、センターステージ付近の席に居た人達が「近い!」と叫ぶだろうから、という渾身の駄洒落なのでは…ないですかねえ、、、ないですね。


まぁそれは置いておいて話を戻すと。ヒカルのMCとパフォーマンスの間でコントラストがハッキリしているのなら別にいいのだ。喋り始めると初々しく辿々しく今まで頑張ってきてよかったとかひさしぶりとか20周年とか庶民的な事を話してるんだけど、いざ歌い出すと凄まじい気迫と集中力でパフォーマンスを…というギャップ萌え。それならわかりやすい。

違うのだ。ヒカルは歌ってる時もずっと肩を震わせたり目を潤ませたりと感激しっ放しだったのだ。ところがこれが歌に、音に殆ど出ない。目を瞑って音だけを聴いていると自信満々に今の私を見て&私は過去を振り返るような女じゃないから&昔の歌も今に合わせてアップデートしてあげるわと言っているかのように感じられる堂々としたパフォーマンスをしている。しかし一旦目を開けて舞台やスクリーンを見てみると泣き出すのを堪えてるようにすらみえるヒカルがそこに居る。

そういやこの子は昔からコンサートでは感激屋さんだったなー、と私は2004年の2月10日を思い出していた。『ヒカルの5』最終日、ヒカルは序盤から明らかに様子がおかしく結局アンコールの『幸せになろう』を歌っている最中に泣き出してしまって一旦演奏を中断して舞台袖に引っ込んでしまったのだ。その後戻ってきた時に生まれたのがあの名言『鼻水出ちゃった』なのだが、それはいいとしても今回の『Laughter in the Dark Tour 2018』横浜公演では、見た目は確かにその『ヒカルの5』最終日と同じように今にも感極まって泣き出しそうになっていたりするのに歌にはほぼ影響が出ないのだ。ヒカルのコンサート中に目を閉じて音だけに聴き入る人は少ないので共感は余り得られないかもしれないが、実際にその“新しいギャップ”を体感した身としては、今のヒカルは昔と同じなのか変わったのかそれすらもよくわからなくなっている。

繰り返すが、「歌い出すと豹変する」というありがちな展開ではないのだ。見た目はずっとMCの間も歌っているときも挙動不審な感激屋のお嬢さんで、聞こえてくる歌だけが圧倒的なのである。そのうち映像作品も皆の目に入ってくるだろうからその時確認してくれればいいと思うが、この乖離は尋常じゃない。この人の魅力の根幹に関わる問題だ。でも別にそれで俺一切困ってないんだよね。「そういうもんだ。」と飲み込んでしまえば何の問題もない訳で。うだうだ言ってるけど気分は気楽なもんなのよ。引き続き考えてはいくけども。

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各所の『Laughter in the Dark Tour 2018』ライブレポートも出揃ってきた中ではてさて何から語ればいいいのやらという感じではあるのだけれどいつも通り思うがままに綴っていくとしますかね。


途中でも触れたけれどキーワードは「自信」だと思う。更に踏み込んで「矜恃」とか「誇り」とか言い換えてもいい。これが行き過ぎると過ぎたプライド/Too Proudになってしまうのだけれど8年ぶりという不安感が程よく中和してくれていたかな。

『あなた』から始まったのは象徴的で。8年ぶりという感慨に“頼る”なら『道』だったろうところを「最新アルバムからの1曲」で始めた所に“今の自分”に対する明確な自信が見て取れた。『First Love』の直後に『初恋』を歌ったのもアンコールの1曲目が『俺の彼女』だったのも、“最初の12年”より今のエラの方が強いという実感からだろう。

今や『Fantome』すら過去のものという感触がある。ただそれは自覚的なものというよりは自然にそうなりつつあるという程度のもので、でなければアンコール1曲目に『夕凪』を持ってくるくらいの事はしただろう。いずれにせよ「今を生きる」宇多田ヒカルの真骨頂が炸裂した135分だった。

MCで連発していた『20周年』に拘るならばキャンシーをマッシュアップの“餌食”になんてしなかっただろうし、もっと言えば幕間に笑いをテーマにしたショートフィルムなんて流さなかっただろう。極端な話この20年を振り返るVTRでも流してくれればよかったのだ。

そこはもう『Laughter in the Dark』という今回のツアータイトル&コンセプトを重視したからだろうし、このタイトルはナボコフを読んでいる“今”の感覚がそのまま出ているに過ぎないので、8年ぶりも20周年も関係がない。もし言いたければ「Welcome Back Tour」でも「20th Anniversary Tour」でも幾らでも言いようはあった筈。グッズに至ってはやっつけと言われても仕方がないシンプルさ。20周年記念品とか出さなかったのかよ。歴代ジャケットポートレートでも出せばよかったのに。でもそのお陰で身に着けやすい&着やすい&使いやすいと好評だったりするから人生わからないものなのだが。

結局未だに私の中で今のヒカルの自信に溢れたセットリストとセンシティブなMCの間のギャップが埋まっていない。全曲書いたら何かわかるかなとも思ったが何もわからなかった(笑)。このままではつまらないので、そこのところをもう少しばかり掘り下げてみたいと思ってます。

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『Goodbye Happiness』。宇多田ヒカル最初の12年の粋を集めた名曲である。神聖で快活で誠実で壮大で。茶目っ気と達観。郷愁と謳歌。これだけの広い広いスペクトルを示せるのだから、アンコールのラストはこれしかないレベルである。いや勿論他にもサマになるレパートリーには事欠かないんだけどねHikaru Utadaは。

『WILD LIFE』の時はしっかりとスタジオ・バージョン通りの歌唱を披露しながらも余裕が無くいっぱいいっぱいで歌い方がぎこちなかったが今夜はそんなこともなく。ヒカルは『Automatic』に引き続いてステージを楽しむ余裕さえ感じさせていた。

『子どもダマしさ 浮世なんざ』のパートではライブ・バージョンということでバンド全体の演奏を止めるブレイクが入る。ここも外連味無く見栄を切るようにそつなく歌い上げる。この大胆さもライブならではだろう。これまた残念ながらSYNERGY CHORUSの面々が来日する事は無くバックコーラスは相変わらず録音だったがヒカルの歌唱に何の澱みも無い。特に、皆が期待する

『おお 万物が廻り廻る
 Oh ダーリン、ダーリン
 誰かに乗り換えたりしません
 Only You』

の場面は、『初恋』の時のように勢い込んでやや上ずりながらもフェイク無しで真正面から歌い切った。このカタルシスたるや筆舌に尽くし難かった。2時間を超えてもまだまだ歌えそうな迫力とエネルギー。ライブならでは、という言葉はここでこそ使いたいよね。

3番のサビが終わりサウンドが徐々に収斂してゆく。最後、シンセで特徴的な降下フレーズが奏でられて如何にもライブ・バージョンだなーと感心していたのだが終演後にスタジオ・バージョンを聴き直してみたらちゃんとそのフレーズが入ってて唖然とした。俺は8年間このアレンジに気づかなかったのか、何百回この曲を聴いてきたと思ってんだ…と落胆したが、ちょっと違ったわそれ。そのフレーズがそこで鳴っているのは知っていたが、ライブでは全然ボリュームが違っていたためあたかも全然知らないメロディであるかのように錯覚していた、というのがどうやら真実のようで。各楽器の音量のバランス次第でフレーズの印象が激変するだなんて基本的なことなんだけど、いざこうやって実践されると、ほんと面白いもんだなと思ったね。


…おぉ、ライブのラストだというのに凄まじい“余談"で締めてしまった(笑)。、、、ま、いっかw



場内アナウンスが流れる。

「以上をもちまして、本日の公演は総て終了致しました。どなたさまも、足許にお気をつけの上、お忘れ物のないよう、お帰り下さい。本日は『Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018』にご来場頂き、誠にありがとうございました。」


パチパチパチ。


***** *****


…さて公演が終わった。いや~書き切ったねぇ、と言いたいところだが、違うよね。ここから総評を語るところが無意識日記の本番だよね(笑)。というわけで、まだまだ続きますよ。多分、新曲の話題と交互な感じでねー。

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