無意識日記
宇多田光 word:i_
 



Hironが紹介していたネトフリドラマ「舞妓さんちのまかないさん」を観てみた。わたくしもう点けた瞬間に気に入っていたのだがはてさてこの画面から漂ってくる好ましい雰囲気の源泉は何なのだろう? 役者さんのお芝居? 京言葉訛り? カメラアングル? 照明の度合い? フォーカスの深度? と色々考えて「あら、音楽だわ」と思い至った。クレジットをみたら音楽は菅野よう子。なるほど大納得。日本が宇宙に誇る大作曲家その人であった。

…その昔、照實さんがTwitterで彼女のことを知らないというので「日本発のミュージシャンが彼女のことを知らないのはマズイ」と説教した事がある。怖いもの知らずというかなんというか若気の至りというか…と思いきや、今同じ事を言われても同じように返すだろうね私。それくらい菅野よう子は凄い。思わず今日一日「舞妓さんちのまかないさん」のサントラを聴いて時間を潰してしまった。はい、非常にようござんした。


…って枕が無駄に長くなったな書きたいことやまほどあるのに。そう、こんな話をしたらそりゃ「ヒカルさんはドラマや映画のサントラは手掛けないの?」という興味が出るわよね。今までも散々そんな話をこの日記でしてきてたけどこの度、インタビューでなかなかな発言がありましたわよ。

MUSICAのインタビューで有泉編集長が、映画「キングダム 運命の炎」の主題歌の依頼が来たときにどのようなアプローチで作ったのかを訊いた際、次のような前置きをしていたのだ。(つまり、単なる前置きであってその質問への回答ではない。)

『映画音楽ではないので、注文を受けてそういう曲を作るということはない』

と、こんな風に。取り敢えずMUSICAの掲載をそのままコピペしたけど、喋ってる時のニュアンスからそう乖離は無い。「今回映画音楽を作る依頼を受けたわけではないので」というよりも、どちらかといえば、一般論として「私は映画音楽を作ることはないだろう」という見立てを言葉にしたようにみえた。宣言というより、己の音楽家としての性質を考えたときにそれはちょっとなさそうだ、やらなそうだ、そんなオファーは承けなさそうだ、とそんな感じかなぁと。

その理由については、Spotifyのインタビューでも答えているとおり。

『タイアップがあると「書き下ろし」というじゃないですか。だけどタイアップのある作品のために書くことはないんですよ。曲の内容を自分では選べないから、その時に考えていることや感じていることだったり、「これを書きたい!」と思ったことがタイアップに合わせられるかな?という感じでちょっと寄せるのか、自分から出てきたものと作品に多分に含まれている感情みたいなテーマとリンクする共通点が見えるとできるんです。』
https://spice.eplus.jp/articles/320799

『曲の内容を自分では選べない』。これに尽きている。ヒカルはそういう音楽家なのだ。

例えばそれこそ菅野よう子は凄い数のサントラを手掛けている訳で、勿論曲の内容を自分で選んで書いている、はずだ。「舞妓さんちのまかないさん」でも、「朝ごはん」という曲を聴いたら「ほんまや、朝ごはんの時に流れてそうな曲やわ」となったし、「マドレーヌ」も如何にも英国風ティータイムが訪れたような楽曲だ。プルーストもきっと大喜びだろう。サントラを書く人は「いかにもこういう場面に相応しい曲調」を新しく書き下すための膨大な量のレシピを携えている。

ヒカルも多分、ただ作るだけなら作れるんだと思う。しかし、普段書いてる歌もののクォリティには達さないんじゃないかな、と推測する。だったら私がやる意味ないよね、と。

一方で、これまた何度も引用している通り、

『自分の海原の時間帯とか海流とか風向き、魚の生態とかもちろんよく知ってるし、どうしたら捕まえやすいか、自分の釣りやすい場所は分かってるんです。』

と自信を持っているのが今のヒカルだ。恐らく、これは「作曲家宇多田ヒカルとの長い付き合い」の中から学んできた経験の蓄積の賜物なんだと思う。選べばしないが、捕まえる分には随分と成長したよと。

これ、この傾向がもっと増していけば、そのうちサントラも作れるようになってくるんじゃないかなと思わされる。それはきっと、菅野よう子のような何でもござれな仕事人というよりも、エヴァとの出会いのように、宇多田ヒカルとその作品の相性にのみ成り立つ関係性の上に立って初めて生まれてくるような音楽に依拠する、そんな一期一会な出来事になるんじゃないかな。そしてそれは、未来にヒカルが書いた自筆小説の映画化の時がいちばん可能性があると思っていたのだが、これもしかしたら息子が将来映像系の仕事に就くパターンとかの方が有り得るかも??と何の根拠も無くそう思った。今んとこダヌくんにそんな兆候は一切みられてない(というか私たちにそんな話は開示されていない)から妄想としてすら物足りないのだけど、ここは何か劇的なものが将来起こりそうな気がする。だって、彼からオファーがあったら流石に検討するでしょ。自分が子離れした証明にもなるし。てなわけで、ヒカルさんの書くサウンドトラックを一生に一度は体験してみたいものですわ。

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小判で盛り上がり過ぎてすっかり触れれてなかったんだけど、昨日9月28日は『Be My Last』発売18周年記念日でツイート開始13周年記念日で『Fantôme』発売7周年記念日だったのだ。キャリアが長くなると同日記念日が増えるのも当然ではあるけれど、これだけ増えてもリアルタイムのネタの方でテンションが上がってしまうってどれだけ幸福なのかもうよくわからない。

実際、『Gold ~また逢う日まで~』関連のプロモーションは前段を含めると3ヶ月近く続いていて「1曲でワンクール」という、多分宇多田ヒカル史上前代未聞の時期となった。矢継ぎ早に次のシングルを出したり両A面だったりで露出が継続する時期はあれど、単曲でここまでしたのは初めてになる気がする。『Flavor Of Life』も2ヶ月以上話題騒然だったんだけど、そこから離婚発表したもんで関心がそっちに移ったというかテンションが下がったというか。

今考えても惜しかったねぇあれは。着うた配信で1年の初めにロケットスタートに成功して2月末のCD発売に至るまで話題を独占、更にそこからテレビ出演をして、ねぇ。まぁどっちにしろ売れまくったからいいんだけど。

話が逸れた。今は単曲プロモといいつつ、「次の曲を作ってますよ」というメッセージをSNSを使って然り気無くアピールしてくれているので、これまた不安がない。いやね、それこそ『Flavor Of Life』が発売される直前の2006年の今頃って、果たしてここからヒカルは活動を継続してくれるのだろうかみたいな不安が常にあったのよ。『ぼくはくま』のリリースからあれよあれよという間にアルバム『HEART STATION』にまで辿り着いたし、途中で「英語のアルバムも作ってる」という情報も差し挟まれて「働き過ぎや」と思わされてたんだけど、案の定2009年にあぁなってねぇ…いや懐かしいわ。今のヒカルは「こどもが居て働いてるのに自分の体調を省みない働き方をするはずがない」という安心感があるわ。全然違うわ。

こどもが居てるから、というのは他者依存かと思いきやしっかりインタビューで子離れ親離れを所望する旨発言していて頼もしいというかやっぱりねというか。自立ってのは人に心配を掛けない事を言うのであって、あれやこれや頼り合う合わないはあんまり関係ないんだなって。寧ろ、ひとりで抱え込んじゃう人よりすぐに「私困ってる手伝ってくれ」って言って来れる、そう言ってきてくれると信頼されてる人の方が自立できてるんだな、ってそう思えるようになってきたわ。ホントにいい時間帯ねぇ、今って。確かに、『ひとりの人間としていい季節』になってるのかもしれないわ。

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@utadahikaru : 今まで発案してきたグッズの中でもだいぶお気に入りの、「Gold〜また逢う日まで〜」に因んだ小判✨が当選して届いたというみんなの喜んでくれてる報告があがってて嬉しい〜🧟‍♀️私も欲しい〜
息子とお店/レンストランのおままごとする時にお会計で小判出したい笑笑
posted at 2023/9/28 19:26
https://twitter.com/utadahikaru/status/1707340926371189150


おおぉ、なんかインスタじゃなくてツイートが来たぞ。ポストって普通に投稿の意味なのでエックス・ポストって言わないといけないのよね。ツイートの方が字数が少なくて、しかもまだまだ通じる。「チャンネルを回す」って言い方だってリモコンだらけになってからでも皆使ってた(…まだ使ってる?)んだからかまへんかまへん。


てことで私的には驚愕の事実発覚。ヒカルが小判発案者だったのか!っていうね。

小判については私ゃこんなツイをしてた。

@i_k5 : 幾つかノベルティがある中で小判を推すのは正解。勇気要ったと思うけど😅
いつか『Gold ~また逢う日まで~』がRIAJから
"ゴールド認定”された暁には是非この小判を大盤振る舞いして欲しい🥇
posted at 2023/7/29 23:36
https://x.com/i_k5/status/1685298350391017472


そう、「これを推せるってスタッフ優秀!」ってニュアンスで捉えてたのだ。ヒカルだったのか。優秀な筈だわ。

いやこれ、こうやって馴染んでるからええもん作ったねって言えるけどやね、「事前に」これがウケるかどうかってかなり判断難しかったと思うのよね。それを押し切れたってのは相当勇気があったのだと…なるほどヒカル本人か。納得するしかなくなったさ。

かつてヒカルが『Passion』をリリースしたときに同曲を「ギリギリアウト」と評した事実は未だに燦然と輝いている…私の記憶の中で。そう、ヒカルはギリギリを攻めるのが好きなのだ。しかも、ギリギリセーフばかりを求めるのではなくて、ギリギリアウトなものを世に解き放ててしまう。これは大変な度胸である。

多分だけど、『Gold ~また逢う日まで~』をリリースした昨今の心境も「勇気を出してギリギリを攻めるモード」になっているのではないだろうか。宇多田ヒカルという人は、『First Love』や『traveling』のようなど真ん中の王道曲も書ける人だし、それと同時に『Passion』や『誰にも言わない』みたいに、ポピュラー・ミュージックとしてギリギリ成立するかしないかを探りたがる人でもある。今年の夏は、『Gold~』の夏は後者だったんじゃないかな。なので、ヒカルが発案したノベルティも小判のような「もし何らかのタイミングがズレていたとしたら総スカンを食らったような、でもハマれば絶賛される」という、ダブルフォルトギリギリでセカンドサービスでサービスエースを狙いに行くような、満塁フルカウントで押し出しの危険があるのにインロー膝元にストライクゾーンからボールになるシンカーを投げ込むような、そんな危ういチャレンジだったように思われる。幸い、少なくともファンの間ではこの小判は概ね好評のようだ。勿論、「え、何それ」と思った人もいるかと思うがいやそれもそうだと思うのよね。ほんのちょっとの差しかないのよここは。で、今回のヒカルはチャレンジを成就させた。よかったよかった。


ほいで今回のツイートは『私も欲しい』ってオチがいいね。発案者が貰えてないとか、あるんだ(笑)。

なお小判については私もういっこ呟いていて。

@i_k5 : オフ会の割り勘タイムで
「支払いはコレで」っつって
スッと小判を取り出してみたいなぁ😂
https://twitter.com/i_k5/status/1702463715185135962

うむ、おままごとじゃなくて現実の支払いの時にふざけようとする辺り、私とHikkiの違いが出ていますねぇ。

なお今後、わたくしと致しましてはお食事処の事をカタカナで述べるときは一生「レンストラン」と言いたいと、言い張りたいと思います。言葉なんて誰かが使ってるかどうかだから。使ってる人が居たら誤字とか誤植とかじゃなくなるから! あぁでもヒカルさんTwitterブルーなんだっけ。投稿後編集出来ちゃうのかな。今のうちにスクショしとこっと。しかし、iPhoneで打ってるだろうにどこをどう間違えたら予測変換を潜り抜けてそこに「ン」の入る余地があったんだ…? 「レ」の予測変換に「レンズ」とか「レンジ」とかが先にあったんだろうかねぇ??

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前回冒頭で引用した箇所には続きがあって。

『当時はジョン・レノンのこととかも考えましたね。彼もそれを凄く意識的にやった人だなと思うし、そういう意味でも凄い人だったなって感じるので。』

『当時』というのは『活動休止を決めた頃』だから2009~2010年頃になる。この時期のジョン・レノンといえば2010年12月8日9日に横浜アリーナで開催されたコンサート『WILD LIFE』のアンコールに弾き語りで演奏された『Across The Universe』が思い出される。

同曲はザ・ビートルズのカバー曲でクレジットはお馴染みレノン・マッカートニー表記だが実質ジョンのソロ曲みたいなものでね。当時その選曲は、彼の命日(1980/12/8なのでコンサート初日は没後30周年にあたった)に因んでだと思っていたが、これまた13年越しでその隠された理由がひとつ明らかになった訳だ。

そう考えると、なるほどその『Across The Universe』のリフレイン

“Nothing's gonna change my world.”
「何も私の世界を変えることはないだろう」

というのは、ヒカルの今回の発言

『アーティストとして別ペルソナを立てるのは無駄だし、私には無理だ』

というのと呼応する。「何も変えることはない」というのはつまり、「私自身ですら私を変えることはなかった」ということなのだろう。もうそれは無駄だし無理だし自分を幾つものペルソナに分裂させずに『そこからはただひとりの人間であること、それ以外の選択肢がない。』と腹を括った訳だ。

そういう風に言われてみれば、確かにあの頃人間活動に入る感触が「前向き」だったのとよく符合するなと感慨に耽る。そりゃこちらは寂しかったけど、ヒカルは清々しそうだったし吹っ切れていた。こういう風に「前向きに諦められる」こともまた人生じゃ大切な事だわよね。


なお、余談になるがその『Acrosss The Universe』には

“Jai Guru Deva, Om”
(ジャイ・グル・デヴァ・オム)

というサンスクリット語のマントラ・フレーズが出てくる。マントラといえばUTADAの『FYI - Merry Christmas Mr. Lawrence』にも

『Om Mani Padme Hum』
(オム・マニ・パドメ・フム)

というこれまたマントラ・フレーズが出てきていた。これがリリースされたのは2009年初頭のことだから、もしかしたらヒカルは2008年くらいにはジョン・レノンや『Across The Universe』を強く意識し始めてたのかもしれないねぇ。

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『今の私は一個人としての自分とアーティストの自分で境界線がないというか、自分らしくしているのが仕事みたいなことなので。アーティストとして別ペルソナを立てるのは無駄だし、私には無理だっていうのは活動休止を決めた頃に完全に自覚したんです。そこからはただひとりの人間であること、それ以外の選択肢がない。』


これまたMUSICAからの引用。電子版を手に入れると抜粋しやすいからという以外に特に頻出な理由はない。便利は人を作るのだ。

さて、上記部分については「やっと腹括ったか」というのが正直な感想なのだけど、あれま、それを『完全に自覚』したのが『活動休止を決めた頃』なんですって。13年も前じゃないですか。早く言ってよもう…。

そもそも、この日記で「ペルソナ」という言葉を使い始めたのはヒカルが使ってたからだ。2006年6月18日に放送されたNHK「トップランナー」において「ライブパフォーマーとしてのペルソナの成長が遅れている」とかいう文脈でね。(「プライベート」「クリエイター」「パフォーマー」という3つのペルソナの中で)

それを『無駄』『無理』と切って捨てたのは潔いというか。宇多田ヒカルに期待されるのは宇多田ヒカルらしくあること。うん、その通り。つまり、セルフ・プロデュース力が上がったともいえる。ここでプロデューサーとしてのペルソナがとか言い始めたら話がややこしくなるのでそれは避けるけど、

「私の仕事は宇多田ヒカルであることです。」

というのは、非常にわかりやすくなったわね。

そいで、「13年前から自覚してたんかい!」とびっくりするとともに、しっくりきたとこもあったのさ。ヒカルが自らのペルソナを区別していないのでは?とひとつ訝しんだことが、やはり13年前にあったのだ。そう、『Goodbye Happiness』のプロモーション・ビデオの監督を務めた際のクレジットが本名と同じ表記の「宇多田光」だったのよね。

これをどう捉えるべきか当時悩んだ。「宇多田ヒカル」という本名スレスレの芸名を立てる事によって仕事とプライベートを区別してきたのに、ここにきて本名と同じ表記でお仕事を? メッセでも『光』や『ひかる』の表記はここぞという場面でしか使ったことなかったじゃないですか。ファンと職業音楽家という立場を越えた、人と人との対話の中での真摯なメッセージを綴りたいときの為に。

それが、映像監督という、紛れもなく仕事の場面でのクレジットが本名って。別にそれ以後映像監督に転身した訳でも無かった。今んとこそん時1回こっきりの表記だ。

だが、こうやって『別ペルソナを立てるのは無駄/無理』ということを自覚したタイミングでの「自分にとっての新しい仕事」をするにあたってペルソナの区別を捨てた本名表記を使ったというのなら話は一気にわかりやすくなる。そこまで作詞作曲編曲歌唱のクレジットは「宇多田ヒカル」表記でずっと来ていたし、仮に歌手名を「宇多田光」にでもしていたらやおら話題にされてやりづらかったろうからね。改名直後に無期限活動休止って何さ!?みたいな風にね。

そう考えると、映像監督にだけ本名表記というのは結構な「控えめだけど確固とした、未来へと残るアピール」として絶妙だったのだなと、13年越しに納得した次第。いやほんま、そんな所に『完全に自覚した』証拠を残しとくだなんてクレバー極まりないやね光さん。いつなんどきでもあなたはあなたなのね。

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『自分が何をこの子に与えてあげられるんだろうってよく思うんですけど、私はまず、与えたくない概念から考え始めるんですよ。価値観として伝えたいものもあるんですけど、それ以上に入ってきて欲しくない概念を意識してるんですよね。だから接する機会が多いスタッフの人や他の家族の人達にも時々、「あなたの持ってるコンプレックスや先入観、差別意識が息子に伝わっちゃうから、そういうことは言わないで欲しい。ちょっと気をつけてくれる?」ってお願いすることがあるんですけど、私自身もそういう目線で世界を見ていることが多いです。』

MUSICA2023年10月号のインタビュー記事で私がいちばん狼狽えたのはこれ。大体の問答は「そうだよね~」と軽い気持ちで読んでることが多いのだけど、ここの部分は「何!?」と立ち止まった。いやぁ、衝撃的でしたよ。

私だって自分が傲岸不遜で自分勝手な点については人後に落ちないと思っているが、仕事仲間やこどもの友達の家族(ってことよねここ?)に対して「コンプレックスや先入観、差別意識」について話をする度胸は無い。コンプレックスや先入観については悩んでいれば相談に乗ろう位は言えるかもしれないが、差別意識の指摘はそのまま絶縁や乱闘に繋がりかねない気がしませんか。無差別虐殺とかを生むシステムですよ。そこまでいかなくても普段どれだけ暴力に曝されているか被害者の皆さんに訊いてみればいい。いや二次被害になるから直接は難しいですが。そんななので、流石に怯えたんです。

或いは、こういった内容をオブラートに包んだり、直接的ではなくても角が立たない言い方で伝える技術をお持ちなのか。ヒカルの人柄なら可能な気はするけど、いずれにせよ真っ先に感じ取れるのは息子への愛情の深さだ。総てに優先する対象でないとここまではしねーよ。

でもこれ、ヒカルの受けてきた教育と正反対になりかねないかというあやふやな危うさも感じとれそうでな。PG12だろうがR15だろうがR18だろうが幼いヒカルが観たいものなら制限なく見せてきた純子・照實夫妻とは対照的なような。純子さんは単なる放任だったのかもしれないが(それでもヒカルを大好きなのは徹子の部屋を見ても明らかだけど)、照實さんについては、スタッフダイアリーやZ@u3musicでの発言をみてもあの世代にあっては非常に先進的・進取的で、新しい時代の概念を積極的に取り入れて子育てをしてきたタイプのように思えた。つまり、オープンで、こどもの自主性を尊重し、時には友人として助言するようなそういうスタンスだ。戦後直後生まれはまだまだ家父長制真っ只中な世代だというのにね。


いや、何となくはわかるんだけどね、「臭いものに蓋」とは少し違うんだって。年齢的なこともある。人間が成長する初期はとにかく「生きることを好きになる」のに注力すべきだろう。だけど今回はそれを周りの人間に告げるヒカルママの行動力に驚かされた。こんなことも言うようになったんだなぁと不思議な感慨に囚われたのでありました。差別意識をもってるからって縁を切らずにそのまま付き合いを続けている懐の大きさも含めて、だけどもね。

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前回取り上げた内容もそうだけど、MUSICAのインタビューって、Amazonで配信されてない部分の方が広範な読者に興味を持たれそうな内容で、配信された部分はそれこそMUSICA読者に受けそうな各曲の解説で…ってなんだかプロモーションとしてはちぐはぐになってやしないかと余計な心配をしてしまってるんだけど、まぁ全部読んで全部楽しめばそれで何の問題もないやねうちらとしては。

最後の部分なんて特に目を引くよねぇ。

『でも時々、「え、待って、それって15歳の時の話じゃない?」とか「それは私の父がマネジメントとして決めてやってたことじゃない? 今の私はそう思ってないよ」っていうことがあるんですよね。最近は意識的にスタッフとそういうこと話すんですけど』

これ何の話かってーと「仕事の選び方」の話なのよね。スタッフが気ぃ遣って「こんなオファー、ヒカルに確認するまでもなく断ろう」としてる中に、今のヒカルならOKするかもしれない仕事があるかもしれない、って話だわさ。

そりゃま、そうだろうね。今と15歳では全然状況や環境が違う。成年と未成年ではやれる事が全く異なるし、東京に住んでる時とロンドンに住んでる今ではOKとNGも変わるだろう。子育てをしてるから出来ることも、こどもが居るから独身時代ならOKしてた事も出来ないかもしれない。昔の基準で考えてたら勿体ないわね。

…私がそれで真っ先に考えたのが「よし! なら今から水着写真集を出そうか!」だったのマジで救えないというか何というか。煩悩の塊ですかね。というか、あんた昨日【もう「アイドル」でもないかも?】ってタイトルで日記書いてませんでしたっけ? やってらんないよ全くもう。稀代の音楽家をグラビア・アイドルを見る目で見るんじゃないよ。…え?「稀代のグラビアクイーンになれるかもしれない」って? ……一体何の夢見てんの?(笑)

冗談はさておき(七割方本気だったんだけどな…)、上記のヒカルの言い方から導き出されるのは、

「そろそろ日本のフェスにも出るかもしれない」

ってことだよね。コーチェラにも出たんだし、ツイートでも触れるようになったし、サマソニやロッキンなんかならいつ出てもおかしくなくなってきたってこと。でも苗場は遠いから勘弁して欲しい…(ワガママ)。あ、苗場で水着になるんなら一も二もなく駆けつけますけど! ならなくても一も二もなく駆けつけますけどね!…ぶつくさ言いながら(笑)。

…夏も終わりなんだから水着から離れなさいな…。んでテレビ番組なんかもマツコの知らない世界やまつもtoなかいなんかに出てるし、杏さんのYouTubeに逆オファーしたのは衝撃的だったよねぇ。そのうち誰かのインスタライブのゲストにひょっこり顔を出すんじゃないかと気が気でなかったりな。その為だけにレコーディング・メンバーやツアー・メンバーのインスタをフォローしてますデスよ、えぇ。

て感じで、MUSICAのインタビューは今後更に活動の幅を拡げてくれる予感を綴って記事が締め括られているので、ますます今後への期待が高まるのでありましたとさ。早速ELLE CHINAで中国語圏に進出したりしてるし、いやはや今年はまだまだ何があるかわかりませんぜ。


しかしながら、上述の引用部分で押さえておかなきゃいけないポイントは、薄々そうだろうなとは思ってたけどやっぱり「照實さんがU3MUSICのマネジメント業務から手を引いているっぽいこと」よね。でないとこんな言い方しないよな。確定じゃないけどさ。なら彼はもう引退して隠居してるのか…? いやいや、まだ今後も「音楽プロデューサー」としては活動してくれるかもしれないので、そこは分けて考えておきましょうか。70代以上で現役のプロデューサーや音楽家、幾らでも居てくれてはるからね。U3のアイコンにサングラスかけさせて貰って「あんた昔からかけてるじゃん!」ってツッコみたいですよ、えぇ。

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ELLE CHINAの特集も興味深いけど、MUSICAのインタビューも頗る面白いぞ。

『そうやって意識的なことと無意識的なことのふたつの世界を常に行き来するというのが、私の生きている環境というか、クリエイティブなプロセスでもあって。そういう二つの世界の間を常に行き来しているのが私なんだなっていうことを最近凄く自覚しています。』
(MUSICA 2023年10月号より抜粋)

「無意識日記」としてはこの発言を取り上げない訳にはいかないだろう。無意識って単語使われちゃあねぇ。この最後の『最近凄く自覚しています。』が大事なのよね。自覚してないと言及することもなくインタビューアが聴くこともなく我々に届くこともないのだから。

意識的な行動は、記憶に残る。理由を話せる。ここで鍵を取り出したのは扉を開けるためだ、という風に。無意識的な行動は、その部分の記憶が欠落しがちだ。なぜそんなことをしたのかわからない。「何気なく」「何とはなしに」「思わず」「いつの間にか」─様々な副詞節が思い浮かぶが、兎に角「行動が先にある」。

その中には「失敗」も含まれる。印象的なのは、『FINAL DISTANCE』の時のエピソードだろう。

『色々ハプニングや失敗もあって、ほんとに完成させられるかすごく心配だったんだよね。でもなんとなんと!そういうことも全部、逆に歌がもっと良くなるきっかけとなっちゃってさ!素敵なエピソードたくさんありまっせ〜。その度に「誰かに守られてるんじゃねーかっ??」と思った。』
https://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_89.html

この「失敗が全部歌がもっとよくなるきっかけになった」という所。一つや二つなら偶然と片付ける事も出来ようが、『全部』と言われたら「お導き」としか思えない。それを神様と呼ぶか、自分の無意識の部分と呼ぶかは人それぞれだ。何しろ、行動したのは間違いなく自分の肉体なので、他者からしたら「私」が成したことでしかないからね。


この時は22年前だが、これが20年経った2年前の頃になるとこんな言い方になる。

『一番面白かったのは、「これで全部大丈夫だね」って彼から(完成)データを送ってもらって、私がそれをミキシングエンジニアのSteve Fitzmauriceに渡したら「あれ、この曲ってベース入ってないの?」と言われて。「あったと思うんだけど……おかしいな」となり、今回のストリーミングライブ『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios』でも参加してもらっているJodi Millinerにスタジオでベースを弾いてもらったんです。

A.G. Cookにその話をしたら、「あっごめん、データにベーストラック入れるの忘れてたみたい」というのが発覚して(笑)。グルーヴがある生身のベースを加えたことで、この曲はもっと良くなったんです。ミスが良いかたちにつながる、今回はその代表的な例でした。』
https://kompass.cinra.net/article/202201-utadahikaru_iwmkr

『今回はその代表的な例でした』と、「よくあること」だとして語っている。『FINAL DISTANCE』の時は

『昔から言い伝えられてる儀式に立ち会ってるようなフッシギィ〜な感覚』

という風に非常に特別視していたのとは対照的だ。この差が20年の経験の差であり、また、「無意識の世界に対して凄く自覚的になった」証でもある。こうしてみても、やっぱりヒカルも大人になったんだなぁとしみじみせずにはいられない。デビューした頃は「15歳とは思えない大人っぽい歌詞を書く」と散々持て囃されていたから余計にね。

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前回纏め忘れてたわ。ELLE CHINAは中国語雑誌だからインタビューが載ってても読めないのでは?と心配になる人が在るかもしれない、という話。その場合もスマホにGoogle翻訳アプリを入れてカメラを翳せばOKだ。

https://youtu.be/HrxSEpRMGS8

この動画は6年前のもので、今では速さも正確さも自然さもぐっと増している。スマホを虫眼鏡代わりに使う人も居るかと思うけど、あの感覚で今は外国語も日本語にして読めてしまうのよねぇ。未来だ未来。

ということなので、今後UTADA HIKARUが色んな国の雑誌書籍に取り上げられたとしても遠慮なく取り寄せてしまおう。いや勿論、別に欲しくないならいいんだが。でもヒカルはそのインタビューの到達範囲に応じて発言を変えたりするから、普段聴けないような事が聴けるのが海外インタビューの醍醐味だったりします。

まぁその中でいちばん顕著だったのが2009年の英語インタビューでの「今恋人居ますよ」発言だったりします。今だと日本語でもこういう受け答え出来るけど、26歳当時はまだまだ少しアイドル視されているとこあったから結構衝撃的でした。既にバツイチだったけどね。

って、私も長年「アイドル視」という言葉をヒカルに使ってきてるんだけど、やっぱり根本的に、少なくとも日本語圏での「アイドル」という言葉にそぐわない愛し方をしてるなぁというのを改めて痛感してまして。今。

例えば最近でも、パリファッションウィークに参加したとき、勿論その格好良さにまず注目が集まったけど、ファンがいちばん「好ましい」と思えたのはその後に息子と猫カフェに行ったエピソードではなかったか。

https://www.instagram.com/p/CpklnGaMLQq/

自分の「推し」を「アイドル」としてみた場合、それに「夢を見ている」人がやっぱり正統派だなぁと一旦納得してしまうと、うちらが宇多田ヒカルをみるときとは正反対な気がしてな。手の届かない王子様お姫様でいてくれるより、如何に身近で同じ感覚を持っているかという点が、我々の「愛しどころ」なのだとすれば、「アイドル」とか、或いは「スター」とか、そういう枠組とは正反対だなぁと。

他方で壮年男性が若年女子を愛でるときのような「拙さや一生懸命さが可愛い」という目線での「アイドル」像もあるけれど、勿論宇多田ヒカルはそっちの路線でもない。日本語歌詞を作り歌うことにかけてはその仕事に従事する大半から尊敬を集める位置に居る。どこらへんが拙いねんな。MCと歌のギャップという魅力もあるが、それも「両方あってこそ」でしかなく、どちらに夢を見てるということでもない。どちらも素の、ありのままの宇多田ヒカルというだけだ。

アイドルともスターとも違うから、『歌姫ってなんなん』と本人が問い掛ける羽目になった。結局それらどれでもなく、なんらかの「推しの定型」に嵌め込むことも出来ず、ただ私たちは「宇多田ヒカルを愛している」というだけのことに落とし込むしかない。なので、正直これを「推し活」とか言われても、こちらはピンと来ない。もちろん、呼びたきゃ呼んでくれていいけれど、私は返事しないかもしれません。自分のことに思えなかったりしそうでさ。

実際レコード会社の作ってくれたそれなりの定型ルーティンに従って関連商品の購入をしているので、型を全く援用していないということでもないのだけれど、極端にいえば本人が言ってるシンガーソングライターや音楽家といった肩書きさえ無意味に思えてくる。ヒカルが音楽を辞めて、例えば作家になったとしても引き続き応援したい、ついていきたいと言う人がここの読者にも沢山居るだろうから。「声優だけはやめるんだ!」? はい?大きなお世話です(笑)。

なので、もしかしたら、今まで私もずっと「宇多田ヒカルは私のアイドルでもあります」とは書いてきたけれど、今後は書かなくなるかもしれません、と言い添えたくてな今夜は。日本の「アイドルのシステム」に激震が走ってる昨今だからこそ、そんなことも思ったりもするのでありましたとさ。

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新規フォト満載で話題騒然のELLE CHINAだが、昨日結構大事な情報を貰ったので改めて共有しておきたい。

「今回のELLE CHINAは2023年10月号にダブル表紙バージョンが5つありますが、内容はすべて同じです。」
https://twitter.com/AnnYi0827/status/1705712477907112017

情報を提供して下さったMoonSpiritさんに重ね重ね御礼申し上げたい。どうもありがとうね。

つまり、

「フランス発のファッション雑誌ELLEの中国ローカル版ELLE CHINAの創刊35周年記念特別号である2023年10月号には、表&裏表紙が異なるバージョンが5つある。なお内容は同じモノ。」

だということらしいのだ。購入検討してる方はくれぐれもご注意を。


そして、その特集の中にヒカルの新規フォトとインタビューが掲載されている。

https://www.instagram.com/p/CxgDsxcxoSM/

↑こちらはその新規フォトセッションに「スタイリスト/ファッション・エディター」として参加したWang Ann氏のInstagram。「中国本土で行われた初の宇多田ヒカルインタビュー」とある。香港や台湾では受けたことがあるからこういう書き方になったってことか? 今の御時世でここにツッコむ程命知らずではないぞ私も。まぁそれはさておき。

そのWang氏のインスタの6ページ目に

https://www.instagram.com/p/CxgDsxcxoSM/?img_index=6

このようにヒカルのサインが掲載されており、そこには

『ライオンさんへ
 大好きです
 2023年8月10日 1:06am』

とある。そうなのだ、写真をご覧になってお気付きの方も沢山いらっしゃる、ヒカルがかねがねフェイバリット・スポットとして名を挙げていた「名曲喫茶ライオン」にてこのフォトセッションは行われていたのであった。

https://lion.main.jp/

ならばと早速先週末にその喫茶ライオンに訪れようと渋谷に向かった…のは実は全くの偶然で、予てから仲間内でお食事でもとこの日をセッティングして貰っていたのであった。何たる幸運渡りに船、ってヤツですね。昨日の今日で聖地巡礼できるだなんていや持ってる人は違うわさ。

なおこの名曲喫茶ライオンは、私語厳禁&撮影禁止で店内は薄暗くそこに厳かにクラシック音楽が流れる一種異様な雰囲気の空間なので行ったことのない人は注意が必要だ。もっとも、音楽鑑賞に妨げがなければ、ライトスタンドを点けて読書してる人がいたり、パソコンを立ち上げて作業してる人もいたりして、結構自由に過ごしてる人も多かった。来客も老若男女いらっしゃり、デスクワークをしにきた学生さんやら、仕事帰り風のおじさん(祝日出勤だったのかな?)、のんびりした老夫婦に、そうだ隣の席には20代くらいの白人男女3人組が座ったりしてたわね。雰囲気は異様だけどそういう意味では「マナーさえ守ってくれれば誰でも入れる喫茶店」ではある訳だ。

薄暗かったので詳しくはわからなかったが、確かにここに先月ヒカルが居てこことここのスポットで撮影したのだなぁと思うといやそりゃテンション上がりましたよ。あ、勿論店内では静かにしててよね。なお、全部の写真の撮影スポットは判明しなかったのだけど、2階もあるのでどうやらそちらで撮影したのではないかという結論になった。一旦1階に着席したのに静かな店内で用も無いのに2階に上がるのは憚られたので思いとどまったけど、人によっては最初から2階に行けばいいかもね。空いてさえいれば2階に行きたいと指を指せば案内して貰えてたみたいだ。行く予定の方はご参考までに。なお、↑のサインは1階のどこにも飾ってなかった。そういうことしなさそうなお店なので多分2階にも飾ってないと思われる。


そうして一頻り聖地巡礼を堪能した後まだ時間があるというので「飯でも食うか」とフラッと立ち寄った餃子屋さんのメニューにしっかり「チーズ餃子」があったのも含めて、やっぱり持ってる人と一緒に行動すると幸運は次々と舞い込んでくるものなのだなと痛感するのでありましたとさ。楽しい週末だったぜ。

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えーもうそんなに『Gold ~また逢う日まで~』関連の露出はないもんだと思って前回フツーにInstagramの投稿に反応してみたりしてたのに、例の「ELLE CHINA 35th」でのフィーチャーぶりが予想以上に激しい模様!?(なんでもいいけどELLEGARDENのせいでついついエルレって読んじゃうんだけど─「エル」と読むそうな) これ、なんかお高い媒体のようだから様子をみてから手を出そうと思ってたのに(人身御供か卑怯だな)、既出のアー写を使って来ずにフォトセッション自体まるごと新規だとぉ!? しかもその様子を惜しげも無くELLE CHINA の公式InstagramにUPしているだとぉ!?

https://www.instagram.com/p/Cxety68rBnM/

ささささささ更に、新しいインタビューまであるですと!? 今回『Gold~』関連のインタビューの総量は凄まじく、アルバム発売時を凌ぐんじゃないかという勢いだったけれども、だからといって私が食傷気味になる事など一切無い。何しろ二十数年前、お家にインターネットを初めて繋いでまず最初にしたのが「メッセをローカルに保存して全文二周読む」だった男なのだから私は。まぁ今考えると大した量じゃなかったけど。今でも毎日読んでるしな。(【今日は何の日】が毎日あるからね)

なので新規インタビューと言われると一も二も無いのだが、これを書き始めた後に存在に気づいた為に詳細はまた来週詰めることになりそうだ。

いやそもそも、やっとMUSICAの電子版が発売されたので発言をコピペ──は出来ないので書き写し(デジタルだけどアナログだな…OCRしようかな…)──をしながらあれやこれやと書こうと思ってたのにこの追い討ちだからね! まだ食べ終わってないわんこそばのお椀に次々と蕎麦を放り込まれている気分だよ! だが私の宇多田腹に底は無いので(宇多田舌は偶に麻痺するけども)、全部食い尽くしてやるかんね! 楽しみに待ってろよ!(訳:写真に見蕩れてたら日記書く時間が足りなくなりました)

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ああああ、Instagram投稿への反応が返し切れてないいいい。どんどん来るねぇ。

『@kuma_power:
作業場に差し込む陽の光がちょうどピラミッドに当たって綺麗〜の図
I love it when the sunlight does this to my pyramid while I’m working』
https://www.instagram.com/p/CxdTJtCs5Oz/

毎度お馴染み作業進捗報告。有難いねぇ。有難いねぇ。(2回言った) 『作業場に』『while I'm working』のお陰で現在作業中、仕事中、十中八九曲作り中ということが、然り気無く伝わってきてますよ。真正面から「現在新曲書いてます!」って言われるのも嬉しいけれど、こうやって「てことは…!?」とワンクッションおいて喜ばせてくれるのもまた乙で堪りませんな。

四角錐に光が当たって分光してるとなればこれはピンク・フロイドの「狂気」か!?と思ってしまう当方のプログレ脳も、ヒカルが前にそのシャツを着てくれたお陰で毎回遠慮なく言えるようになった。お気楽極楽でございます。同作の原題は“The Dark Side Of The Moon”でございまして、ここでは月の光とは対極的に陽の光が差し込んでいると。英語の『My Pyramid』が味わい深いですな。大富豪かと思ったよ。あ、大富豪ですかそうですか。いやま、英語じゃ普通に角錐のことをpyramidと言うそうだけども。

そして更に脇には数々の鉱物と地球儀のオブジェが! 目聡い人はもう見つけてきている、その昔メッセで紹介してたヤツですな。でもその時点で『4代目』って書いてあるからこの今の写真のが同じモノなのか4代目のままなのか不明。しかしこんな地学女子なデスクで作業してるとはね。萌えが高まるわ。

自宅で仕事ってこた、まだレコーディング前だから実際に我々が曲を聴けるのは半年後とかですかねぇ。今までの作業進捗報告、いちど答え合わせしてみたいんだけどねぇいつのどれがどの曲の作業中だったのかとか。まー言えることと言えないことがあるか。ヒカルが今日も元気に活動中と知れるだけでもう既に無類の喜びに溢れる朝なのでございました。

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前々回は「最初は取り逃がしたけど回帰した時に捕まえられた曲」の例として『For You』を挙げたが、ではその“最初”の方の瞬間で捕まえられた曲の例としては何があるのか。これも毎度挙げている気がするが、それでも第一に取り上げたいのはやっぱり『Apple And Cinnamon』だ。前に多分「2年vs2時間」みたいな風にして取り上げたかと思うが、『For You』が完成まで2年を要した一方で『Apple And Cinnamon』は2時間で出来ちゃったのだと。それだけ過程が異なるのにどちらも甲乙つけがたいハイクォリティな名曲だ。

そしてこれまた『For You』と同じように、歌詞に「曲の成り立ち」を匂わせる言葉が躍る。

『Never thought I'd sing this song』

─「この歌を歌うことになるとは全く思わなかった」。如何にこの歌が突発的に生まれてきたかがよくわかる。巧まずして生まれてきたのだ。

『Sometimes it just doesn't go as planned』

─「時として物事は思った通りには行かないものだ」。まさにこの曲のことだと思ういちばんのフレーズ。事前にプランしていた訳でもないのにあれよあれよという間に生まれてきた事への戸惑いを感じる。「思った通りにいかない」からといって「うまくいかなかった」とは限らないのだ。これホント人生でも大事なことなのよねぇ。

『Started out so simple and innocent』

─「素直で無垢なところから始まった」。これは、こういうことが起きやすい、起き得るときの“秘訣”についての一言だろう。何度でも引用するが(有言実行)、

『自分の海原の時間帯とか海流とか風向き、魚の生態とかもちろんよく知ってるし、どうしたら捕まえやすいか、自分の釣りやすい場所は分かってるんです。だから、そこにとりあえず極力いて待つしかない…』

と宣うヒカルの『どうしたら』の部分だ。なるべくシンプルで純粋な心待ちでいるときにメロディはやってくる。案外、興奮とか感動とかではないのだ。スッキリとした気分で、どこまでも澄み渡って見通しが良く、まるで自分が器になったような時に、それを満たすようにやってくる。ヒカルはその感覚について歌っているのだろう。


…勿論、元々『Apple And Cinnamon』の歌詞内容は「相性の良すぎる二人が長続きしなかった失恋ソング」である。その相性の良さの比喩として林檎とシナモンを取り上げているというだけの、どちらかというとヒカルの歌詞の中ではわかりやすい部類に入る歌だ。何より、Bメロが3回出てくるのに全部歌詞が同じなんだから言いたいことはもうそれで言い切ってるとみてもよい。

なので私がこの失恋ソングの歌詞を取り上げて「創作時のフィーリングを表現したものだ」と言ってもそれはこじつけでしかない。基本的にはね。だが、もしヒカルがその事に余り「自覚的でなかった」としたら、ちょっと面白い事になるかもしれない。なので、次回以降他の曲でもみてみるかなー。何の新情報も無ければね。

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きっとこのあと与太話を書く隙はないと思うので今のうちにあんまり関係の深くない話を。

https://www.nhk.jp/p/boogie/

10月からのNHK朝の連続テレビ小説は「ブギウギ」。昭和の時代の大ヒット曲「東京ブギウギ」からとられたドラマタイトルからわかる通り、歌手の笠置シヅ子をモデルにした物語になるそうな。となると当然、その作曲者である服部良一もフィーチャーされるだろう。まるで当然のように同ドラマの音楽担当は彼の孫にあたる服部隆之だ。服部良一、服部克久、服部隆之と三代続けて著名な音楽家を輩出したとんでもない一家である。

服部良一に関しては、「洋楽の要素を吸収しながら如何に日本語で大衆音楽を成立させるか」という命題に取り組んだ最初期の偉大な音楽家という側面もあり、直接の影響はなくとも、同じく洋楽をベースにしながら革新的な日本語の歌を作り続けている宇多田ヒカルとしても参考になる部分は多いなと常々思っている。もっと言えば、ジャズやブルースやビッグハンドをバックグラウンドに持ちながら日本語をどう乗せるかのモデルケース、教科書的存在なので、後発の日本語作詞家は彼・服部良一の足跡を、意識せずとも考慮に入れて取り組まねばならない運命にあるとすら言える。「彼の手法を真似てしまえばどうしても昭和になる」ので、彼の手垢をどう避けるかが以後の課題となっていったのだ。日本の大衆歌に対して過去最も影響力の大きい音楽家の一人といえるだろう。決して誇張ではないと思う。

そんな服部良一から始まる服部一族と宇多田ヒカル、今のところ直接の関係は無いというのが一般認識なのだが、ファンなら御存知かな、この一族との「ニアミスまがい」な出会いが過去にあった事はあまり知られていない。16年前のメッセをまるごと引用しよう。



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2007.06.15

14年振りに・・・

小・中学校の一年先輩だった男の子が、いつの間にかすごいダンサーになってた!

w(゚o゚)w オォ-

見てよこれ。飛んでるよ。虚空を舞ってるよ。

っつか体脂肪率何パーセントなんだよ。

名を、服部有吉くんという人です!
(トップランナーで観た人も多いかな?)

彼が演出・振り付け・主演する舞台の情報を聞きつけて、同校出身の友達とさっそく観にいってきちゃったよ。んでもってさっき帰宅。

外見は全然変わってなくて、顔とか後ろ姿とか昔のまんまなのに、中身が変わりすぎててびびった!

いろんな意味でかっこよくなってたけど、なんかめちゃめちゃ好青年になってた。中1の頃は・・・本当にむかつく悪ガキだったのに(笑)とにかくいたずらっ子で、早口でうるさくて(・・・あれ?私のことじゃねーか?これ)・・・日本語の授業で彼の前の席になってしまった私は何度うしろから頭を叩かれたことか・・・。

あんなに頭を叩かれたのは、後にも先にも有吉くんにだけなのです。「ちっきしょ〜!」と思ってたんだけど、年下で後輩の私はちょっと彼が怖くて反撃できんかったのです。

そんなわけで強烈に印象に残ってたの。

でも彼はすぐ転校しちゃったから、絶対私のこと覚えてないだろ・・・と思ってたんだけど、今日公演終了後に楽屋に挨拶にいったら、なんとなく覚えてるとのこと。ほんとかよ。

「そう、おれ昔ほんといやなガキだったんだよ〜!」って本人も認めてたからよしとしよう☆

14年ぶりか〜。すごい変な感じだった。なんかキモかった。その状況が。時間って空間なんだな〜って感じがして。近いんだけど異様に遠くて。でもすぐそこにいて!

RHAPSODY IN BLUEっていうタイトルのこの舞台、今週末渋谷のBunkamuraで公演中。(宣伝宣伝☆)

面白かったよー。ダンスになじみが無い人でも楽しめるようになってて。音楽好きな人ならすぐ入り込めそう。

演出はいい意味ですごく若さを感じた!若いエネルギーというか、意欲に溢れてたよ。やっぱり一番印象深いのは有吉くんの動きだけどね。他の出演者もいいんだけど、ありゃすげーわ。舞台が急にきゅきゅっと引き締まるよ。

私もお仕事がんばろっと(´3`)

ちなみに写真にうつってるのは、劇場でもらったファンクラブの入会申込書であって、決して私が彼のファンクラブに入っているわけではない!!(笑)


https://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_51.html


***** *****



そう、このとき登場した「服部有吉」くんこそが、その昭和の偉大なる作曲家服部良一直系のお孫さんなのでした。昭和の大衆音楽をリードした音楽家の孫が平成の音楽シーンを塗り替えた音楽家と席が前後ろだったなんてどこのラノベだよ!いつの時代のラブコメだよ!と興奮せずにはいられないとこだが、残念ながらというか何なのか、それ以上の進展は無かった模様。でもこのヒカルの書き方からすると、有吉くん明らかにヒカルのこと好きだったよねぇ。こども過ぎてちょっかい出すことしか出来ない中一男子、あるある過ぎて共感性羞恥が甚だしいわ…。もし彼がもうほんのちょっと大人で、バレエより音楽に興味があったなら、服部良一~服部良次(役者さんで克久の兄)~服部有吉のラインと藤圭子~宇多田ヒカルのラインが交わるというとんでもないハイブリッド・センセーションが起こってたのかと思うと…そんな妄想が捗るなぁという話でしたとさ。


服部良一の偉大さはその朝ドラ「ブギウギ」でも幾らか描かれると思うのでちっとばかし見てみるかな~。

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もうこの部分は何回でも引用するぞ。

『そうですね、それで3〜4か月ぐらい悩んで。でも、そういう時は釣りをするみたいな感じなんですよ。私の仕事は待つことだと思ってて、自分の海原の時間帯とか海流とか風向き、魚の生態とかもちろんよく知ってるし、どうしたら捕まえやすいか、自分の釣りやすい場所は分かってるんです。だから、そこにとりあえず極力いて待つしかないから、まぁ何とかなるよなとは思っていて。』

https://spice.eplus.jp/articles/320799


これ、ず~っと訊いてみたい事だったんだよね。ヒカルが「どこまで音楽を自由に出来るか」について。そんな中で『私の仕事は待つこと』。痺れたね。依然、基本的には「ままならない」らしい。

そんな中でも

『自分の海原の時間帯とか海流とか風向き、魚の生態とかもちろんよく知ってるし、どうしたら捕まえやすいか、自分の釣りやすい場所は分かってるんです。』

とかなり自信をつけてきているのがわかる。

『まあ何とかなるよな』

なんですもの。25周年を目前にしてここかと。なにしろ持ってる潜在能力が破格なので、ここまでのとんでもない実積をもってしてもまだまだ「片鱗」だもんね。ままならない中での自由さの度合い。2023年の時点でね。もうこれについては毎年進捗を訊きたいよ。


折角釣りの喩えが出てきたので、いつも言ってる話の復習をしとくか。

『For You』はアイデアが出てからヒカルが納得のいく出来になるまで2年かかっている、というのは本人が昔語ったこと。私はこれを「最初の瞬間に取り逃がした」のだと解釈している、という話を何度かしてきた。コード進行だけを追っていると、何かその取り逃がした影の欠片が瞬くというかね。

ただ、一旦取り逃がしたものを2年経ってから「捕まえ直せた」ものにも独特の味わいがある。最初の瞬間に捉えたモノは素直で煌びやかですべすべのお肌で一目惚れを誘いがちだが、こうやって、鮭のように母川回帰した楽想は、外の荒波を越えて生き残ってきた逞しさというか、傷を負ったものを治した痕が生々しくも愛おしい感じが…ってそうなのよ、『For You』の歌詞そのものなんですよ、この曲の成り立ちって! 『傷つけさせてよ 治してみせるよ』というのは、一度解き放ってしまったこの曲が手許にもう一度戻ってきた時のフィーリングがそのまま捉えられた歌詞なのだ。めげずに生き抜いた強さの歌なのよ。

最初の邂逅で捉えた華やかさはないけれど、滋味深く奥行きを感じさせるこの曲調…それとこのヒカルの「釣りの喩え」は特によく呼応する。今までの経験を踏まえて、最初の邂逅を上手く捉える術も沢山身につけつつ、また母川回帰の魅力を持った曲も書いてくれるとちょっと嬉しい。嘘。かなり嬉しい。もっと極めてくると、敢えて最初は見逃して生まれた河に帰ってくるのを待つことも出てくるかもしれないわ。可愛い子には旅をさせろとか、獅子は我が子を千尋の谷に落とすとか言うからね………いや、やっぱそれはなんかちょっと可哀想かな。なんとなく悩ましいわ。

…大人になったら逆に出来ない事なのかもしれません。こどもも居ないのにそう思っちゃうわ私も。居たら尚更だわきっと。

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