無意識日記
宇多田光 word:i_
 



前も少し指摘したが、『Play A Love Song』のサウンドは、まずハイレゾ音源向きにミックスされ、そこから配信用にダウンコンバートされたような趣がある。根拠は無い。勘だ。

CDが出始めた頃、「CD化」という言葉(という程でもないが)が生まれた。新作をCDでリリースするだけでなく、アナログレコードしかなかった時代の旧作品を改めてCDにプレスしてリリースする事、だ。それを聴いたリスナーたちは「やはりアナログの方がよい」と思ったが、今から振り返っってみるに、それは単にアナログのサウンドをCDに落とし込む際のマスタリング技術や知識がまだ蓄積されていなかっただけだった。今や名作と呼ばれる作品は、幾度となく繰り返されたリマスタリングによって、時に驚く程のサウンドに生まれ変わっている。要は、アナログだデジタルだという区別以前に、CD世代の人の匠の技が、アナログ時代並みにまで追いついてきたという事だろう。

その話とはかなり別に、CDの規格自体がアンバランスであるという問題があったりする。何故かインターネットではそれを指摘する論が皆無だが、44.1kHzという人間の可聴領域を大きく超える高音域まで捉えておきながら16bitというのはあまりに粗すぎる。周波数が高ければ高い程高精細に音を捉えなくてはならないのだが、15kHz以上の音を16bitで描写しても、その波形はカックカクのギザギザだ。耳に優しい訳がない。よって、それくらいの高音域をごそっと削った圧縮音源の方がCD音源(16bit/44.1kHz)より耳当たりがいい場合も多い。CD音源というのは、基本的に耳障りになるように設えられているそもそもがよくわからない規格になっているのである。

実際、歳をとると15kHzなんていう高音域はまるで認識できなくなっている人が殆どなのだが、一方で、再生機器さえしっかりしたものであれば16bitと24bitの違いはかなりの人が(たとえ歳をとっていてもなっ)認識できる。音色の滑らかさや高精細度の方が美しいサウンド(の認識)の為には重要なのである。

話が大きく逸れた。ぐぐぐっと戻って。

つまり、ヒカルの新作や新曲はまずハイレゾをメインにサウンドメイキングをしていると仮定すると、その音の滑らかさを前提としたサウンドバランスになっている可能性がある訳だ。これだけだと何の事かわかりづらいが。

言い方を変えよう。ヒカルの作るサウンドは、もともとCD時代に合ったデジタル主導の(打ち込みの)サウンドだった。その音は高音域が単調で、CDに落とし込んでもあまり耳障りでないようなサウンドだった、ともいえる。CDに合わせた、高精細の必要がない、一方で高音域を活かした昔でいうドンシャリ風の音だった。

それが今は「オーガニック・デジタル」とでもいえる音になっている。高音域を活かしたデジタルならではの鋭利さと、高精細を活かしたアナログのような滑らかさの両方をもつサウンドになっている。で、驚異的なのは、そのサウンドメイキングコンセプトに合わせたアレンジをヒカルが施している事で…って話がえらくコアになってきたな(汗)。この話の続きはまたアルバムがリリースされてからにした方がよさそうですわ。

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ツアーが最初1ヶ月12公演だときいた時に頭をよぎったのは「…まだその後に何かやる気か?」という事だった。

平日中心の日程は、会場確保が後手に回ったか、或いは日程をつめる必要があったか、だ。12月9日の会場をまず押さえてそこから逆算していったとするとまぁ合点がいかなくもない。会場確保は今や一年前だと遅い位だったりするからな、様々な面で仕方ない。

日本でツアーが終わった後に何かするとすればやはりアジアツアーの線が出てくる。『Play A Love Song』のアジアでのチャートアクションも伝えられていた。あれだけのセールスなら現役のスターとしてツアー可能だろう。有り得ない話ではない。ただ、そんな事をされたら「過密日程で働かせ過ぎだよ」と思わなくもない。まぁハードさでいったらハワイから始まってアメリカ大陸を横断しロンドンまで辿り着くウルトラクイズみたいな日程だった『In The Flesh 2010』の方がずっとハードだったろうが、そこから9年間ツアーしていない人間に同様以上を求めるのは…まぁ本人が出来るっつったらしゃあないよね。こっちはありがたみと尊みを感じるべきなんだから。やれやれ。

その為にはまず今月を乗り切る事だ。表立っての仕事はしていないが、6月27日の発売に向けては5月上旬がマスターアップのデッドライン。例によって3週間くらいひきこもるタイミングだ。ひきこもれるスケジューリングなら問題ないが、この人は他の仕事がなくても一時間のラジオ番組を全部一人で仕上げようとして落とす人だ。「なんだよ、ほとんど仕事ないじゃん5月」と周りがいっても本人の負担感はわからない。完全オフがのぞましい。5月はまるごと「わりとそれどころではない日々」を送って貰った方がよいのではないか。今更スケジュール変えられないだろうから、もうどうしようもないんだけど。

たとえたおれたとしても、『In The Flesh 2010』の時はしっかりツアーを完遂しているので今回も大丈夫だろう。しかし、仮にアジアツアーまで後に控えてるとしたら未知の領域だ。アジアの皆さんからすれば「待ちに待った」な事は想像に難くないが、くれぐれもヒカルの心身に負担のないよう祈りたい。

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ツアーの話は後回し、と言いつつこの話は早い方がいいかな、と思い切り出してみる。(…こういうのがどんどん積み重なっていくんだよな…)

円盤の収録だ。今回のツアーは99%くらいの確率で記録されてDVD/Blurayがリリースされるだろう。疑う余地はほぼない。仮に抽選で落とされて、チケット代を払う気があったのに払えなかった人々が居るとするならリリースは義務であるとさえ思う。まぁそこは勝手に考えてくれりゃいいけどな。

として、十二夜のうちいつを収録すべきだろうか。今までのヒカルでオーソドックスなのは、一ヶ所の二公演を収録していい所を使う、というスタイル。アンプラとかウタユナとかインフレとか。五公演だがヒカ5も似たようなもんだな。今回もその方法をとるとして、六ヶ所のうち一体どこがいいだろう。

ウタユナは苦い思い出だ。私は見比べた訳ではないから推測或いは妄想に過ぎないが、よりによっていちばん評判のよろしくない夜を収録する事になったのだから。他にも優れた公演は沢山あったのに。

今回は、では、どうするか。全箇所で収録していいとこどりを出来るならいちばんよいが、映像の収録は金がかかる。おいそれとカメラを持ち込めるような状況ではない。こちらとしては、ダイレクトにコストをチケット代に乗せてくれていいから全公演収録して欲しいが、難しいだろうな。

で、一ヶ所を選ぶとすると、今回はわかりきっている。12月8日9日の幕張メッセだろう。デビュー20周年記念日のコンサートなのだからこれしかない。

ならまぁ決まりか、とも思うが、今回はかなりハードスケジュールだ。最後の幕張二公演に至る頃には(今までに較べれば)かなりの過密日程で歌わなければならない。正直、ちょうど幕張あたりでエネルギー切れを起こしそうな気がする…もっと信頼してやれって? それが本音なのだけど、心配の方がやや大きい。

気がかりなのは、実はこのすぐあとのスケジュールだ。6月末にアルバム発売となると、来月5月のヒカルはフル稼働間違い無しだ。そこが気にかかる。

これもまた本音を言えば、毎年5月のヒカルは完全にオフにして貰いたい。そうすりゃ、そう、恒例の「5月にたおれる」パターンが回避できる。なのに今年は5月にフル稼働だなんて過酷過ぎる。幾らツアーから半年前とはいえ、万が一体調を崩したら精神的なダメージが大きい。それを考えると実際にそのパターンになった2009〜2010年のHikaruはよくやったなぁと感慨深い。ほんにな。

そこはもう神頼みだが、さて。円盤の収録にはもうひとつの要素がありまして。演奏の充実である。ウタユナの時は3、4公演目をみてあまりの演奏の酷さに辟易したのだが、それが最終代々木公演では驚くほどタイトに生まれ変わっていた。やはり、2ヶ月もツアーをしていけばバンドメンバーもお互いの事がよくわかってくるということか。

その点を考えても、やはり今回の収録は幕張が相応しい。1ヶ月ツアーをしてきたバンドにこなれた演奏をしてもらいたく思う。それがヒカルの疲労のピークと合わないように願う。

あと幕張メッセの展示場といえば音響が芳しくない事で有名だが、円盤の収録は別に会場にマイクを立ててその音を拾う訳じゃない(聴衆の反応は別だが)。そんなに気にしなくていいと思う。しかし、客のテンションが音響によって下がってしまってその雰囲気のフィードバックが…まで考えるとそこはやや危ういポイントになりうる。が、ちとそれは杞憂が過ぎるな。

斯様な問題点・心配点を抱えて映像は収録される。まだまだ先の話だが、ヒカルの健康こそが第一。そこを違えないで欲しい。

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ツアーとアルバムに対しては、出来るだけテンションを上げないようにしている。

確かに、『遠足前夜は必ず寝不足』というように、大きなイベントというのは当日までのあれやこれやが楽しかったりする。期待に胸を膨らませて過ごす日々は…単純に楽しい。それを齎すからライブコンサート/フェスティバルは人気が高いのだ。いつでもどこでも楽しめる配信コンテンツとは対極にある「その日その場限り」に向かっていく充実。また、終わった後の語らいや新たな交流。その前後総てひっくるめて「ツアーの楽しみ」なのだ。

それは重々承知した上で言う。それでも、いやそれだからこそピークはライブ当日当晩当地であって欲しい。前後が楽しめたのだから当日の出来がまずまずでもまぁいいんじゃないのとはなりたくない。その日にいちばんの感動を与えて貰わなくては本末転倒である。故に、興奮な言動はその日までとっておきたい。感情に任せて今からヒカルのコンサートへの期待感を綴り始めると、当夜の感想を書く時に日本語が足りなくなる。これは確実、確定事項だ。

それはまさに期待の裏返しそのもの。今までの実績や目下の新曲群を聴けばライブコンサートがとんでもない出来になるのは想像に難くない。今から妄想全開で如何にヒカルの生歌声が素晴らしいか語りたてる事も出来るし実際に語るだろう(こやつなら)。でも出来るだけ抑えておきたい。まだ音は鳴っていない。歌も鳴り響いていない。宇多田ヒカルに虚像や偶像は似合わない。「グレイトな歌を歌う人」という実像を十二夜に渡って体現して欲しい。「平成を飾る初恋十二夜」を成して初めて、こちらからは最大限の賛辞を送りたい。それまでに日本語を使い切ってしまう訳にはいかない。

セーブすると言っても筆致を緩める訳ではない。既に鳴った音、今鳴っている音に対して書く割合を増やすというだけである。自分もここのいち読者として、十一月の日々へ向けての心構えを積み重ねていった方が自らの心境に合っている気がするが、そこをほんわりと制御するのがちょっと楽しみでもある。

それに、油断はしていない。死者のチケットを買った事だってある。ライブコンサートが無事開催されるとは限らない。勿論、実際の言動はより高い確率の方にベットされていくのだが、様々な可能性は視野の端にそのままある。なのでひとまず、出た歌、放たれた新曲に目を向け耳を傾けよう。それについて口にしよう。

アルバムに関しても同様だ。既出曲だけで名盤確定ではあるが、いや、だからこそ聴いてどう感じたかが大事である。リリースは嬉しいが、今から騒がなくてもいいだろう。そんな優先順位なのだ今は。

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おっと、少し焦り過ぎたか。過去の曲と比較して今の歌を語るのは思い出を共有する者達の特権。しかし、歌は何と較べる事もなく、ただ真正面から相対するだけで魅力を感じられなくては─もったいない。過去との対話だけで歌が作られるようになったら、既存のファンを大いに喜ばせる事は出来ても新しく魅了される者は増えない。

ではヒカルの新曲はヒカルの過去の超絶な業績や図抜けた名声、そしてそのプロフィールを熟知していないと魅力を感じられないような歌なのだろうか? 否! そんなわけあるか。優れた歌は「ワタシニホンゴワカラナイカラナニウタッテルノカサッパリワカラナイケレド、ナンダカココロガウゴカサレルワ。」と言わせるに足る歌でなくては。その上で、過去を共有し未来を共有しようとする者に更なる喜びや気づきを与えられる詞も響いてこその名曲である。故に皆が魅了され得る。それが出来ない宇多田ヒカルではない。

『Play A Love Song』は、まずはCMでも披露されている『長い冬が終わる瞬間』から『Can We Play A Love Song ?』までのメロディーが齎す清澄な高揚感がいちばんの魅力だろう。力強いキックに押し出されながら歌われるメロディーはリズミックかつキュートであり、ヒカルの歌声は柔らかさと透明感を兼ね備えつつ芯の強さを失わない、非常にバランス感覚に長けたものだ。その根底にある力強さを誇示ではなく包容力と広い視野に向けているから、終盤のゴスペル風コーラスも大仰にならず、説得力をもって響いてくる。親密ささえ感じさせる歌声の中にこれだけ多人数の歌声を重ねてくれば違和感や乖離感が出てきそうなものだが、メロディー自体のもつ広い視野の中に収まっているからこそ、暖かな自由を満喫した聖歌隊が踊れるのだ。いうなれば、土を踏みしめながら天上の煌めきを全身に浴びているような、澄んだ高揚感と充実を感じさせる。勿論ハイレゾを意識したタップリと広めにとった音場の作りが大きい(特に今回は、サウンド作りが今までになく「高音
質でリリースする」ことを意識しているように聞こえる。ハイレゾがついでじゃなくてメインになったのではないか)のだけれど、何よりもヒカルの声の出し方に無理がなく、はしゃがず、踏みしめるような地に足のついた感覚を大事にしている事の影響がより大きいように思われる。早い話が、声自体の響きが既に美しいのだ。

広い音場を形成する為に、思い切ったベースレスアレンジを選んだ事も大きい。一部でほんわりとした低音が響いてはいるものの、低音部は基本的にバスドラのキックに頼る潔さ。これが楽曲の重心を一気に下げて落ち着いた所に例のリズムピアノがパーカッシブに叩かれて楽曲の骨格の基礎が出来上がっている。いわば、殆ど骨組みだけだから風通しがよいのだ。

しかし…っとと、ついつい熱くなってもた。今回はここまでにしておくが、本当にいい曲だね。気に入ってるよ。

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いいフレーズだな。いろいろと使えそう。

「わりとツアーどころではない」は流石に言い過ぎだが、まだまだ情報が少なすぎてとりつくしまがない。チケットの形態や枚数制限、実地での本人確認の有無、開場時刻/開演時刻等が決まっていないとアルバム購入予約もままならない。六ヶ所十二公演という事で取り敢えず12枚予約しとけばいいか、とは思ってるが、本人確認が厳格なら各公演いち住所いち電話番号あたり一回の応募のみ、だったりするかなぁ。うぅん。

という訳でツアーの話は具体性が徐々に出てきている段階では余計な発散と混乱を生みかねないのでやや自重気味に。まずは、ツアータイトルが決まらないとね。『ボヘサマ』『ヒカ5』『うたゆな』みたいに愛称で呼ぶ事もままならない。「わりとツアーどころではない2018」とかだったら凄いんだが(笑)。「Don't Think Tour」とか? 突き放し過ぎだなどっちも(笑)。まぁぼちぼちで。ほどほどに。

昨日はすました顔でなりくんのアルバム評なんかを書いていたが、あぁみえて一日中『Play A Love Song』が頭をぐるぐるまわっていた。中毒性が凄い。依存症には注意せねば。こんなにエンドレスにまわってくれるのは『HEART STATION』以来だろうか。

『Play A Love Song』の作風は如何にも「嗚呼、『Goodbye Happiness』と『道』を書いた人の曲だなぁ」という感じ。パーカッシブなピアノの使い方は『Beautiful World』の頃からの伝統で、『道』ではそれをギターに譲ったが今回またピアノに戻った訳だ。終盤に現れる例のインスタ漏れしたゴスペルチームによるコーラスは、やはり『Goodbye Happiness』のSynergy Chorusを彷彿とさせる。

でも、イントロほぼなしでいきなり歌から始まるな? CMで聴いた時は「この曲は『道』同様アルバムのオープニングトラックだろうな」と漠然と思っていただけに少々面食らった。配信バージョンと違ってアルバムバージョンだとイントロがついてるかもしれないし(『愛のアンセム』の"試聴盤のみで聞けるイントロ"とかもありましたが)、そういや『SAKURAドロップス』も似たようなもんか。いきなり始まっても構わないかもしれない。いや勿論、これが一曲めとは限らないですが。

ともあれ、『道』から続いている道に『Play A Love Song』があるのは間違いない。まず2つを繋げるのは『song』というキーワード。『道』では『You are every song』と歌っていたのが『Play A Love Song』では『Can we play a love song ?』になった。youからweへ。まずはこの話から。

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ヒカルの『Play A Love Song』がiTunes総合1位なのは当然として(と言い切れてしまう曲の上出来具合が心底恐ろしい)、なりくんの「分離派の夏」も1位を取ったのは喜ばしい。RIAの皆さんも確信や手応えはあっただろうが、デビューアルバムなだけに不安はどこまでも拭えなかっただろう。しかも、ヒカルのシングル曲はストリーミング無し、なりくんはストリーミングあり(というかこっちがメイン?)な中での結果なので快挙なのかもしれない。たとえ瞬間風速だとしても大したもんだよ。

私が「不細工な尾崎豊でしかない」と呼んだ小袋成彬が尾崎の命日にデビューして1位を取っているのをみて不思議な感覚になっている(ついでに―って心情的にはこちらがメインなのだけど―、私の母方の祖母の命日でもある)。尾崎と較べれば我々男子ほぼ全員が不細工な訳で「不細工な尾崎」という(私の考えた)キャッチフレーズは何も言っていないに等しいのだが、ヒカルに惚れられる程二枚目でありながら不器用な生き方をした(ようにみえる)尾崎と、二枚目かどうかは兎も角、幾らでも器用に生きていく事が可能な人間がわざわざ「何故生き長らえている?」と何度も問うてくるなりくんの姿は私の中で強烈な対比を描いている。いずれにせよ歌うのだな、と。

「分離派の夏」は昨夜聴きながら寝てしまったのでまた後日評価し直したいが、第一印象ではかなりいいアルバムになってるんじゃないのという感触をもった。それと同時に、なぜヒカルが「この人が世に出る助けをしなきゃいけない」的な事を言ったのか、漸く合点がいった気がする。アルバムを聴く前までは単純に才能に惚れたからだろうと思っていたが、そこにあったのは、それに加えて「年下の男の子の拙さ」だ。つまり、「この人が世に出る(為には私が)手助けをしなきゃいけない―これだけだとまだ世に出れない」から、まだ力が足りないからなのだ。

デビューアルバムだから当然なのだが、あらゆる場面において突き詰め切れていない。その分、もっと磨き上げれればかなりのクォリティーの作品を世に出せるポテンシャルを感じる。ヒカルが感じたのがそこだとすると、プロデュースを請け負ったのも納得がいく。2人のいう通り、「やんなきゃいけない」と感じるレベルだったのだろう。

今日はヒカルの露出とともになりくんも注目されただろう。いい事だ。聴いて貰う所までは多少強引でも構わない。聴いた後のリスナーの心の動きまではどうしようもないのだから。ここからが勝負だろう。

しかし、きっと本当に今まで本格的に歌ってなかったんだろうね。素の実力でしか歌う方法を知らないからこそ、Spotify Liveの時もあれだけ歌えたのだろう。ここから鍛える吉凶は判断つかないが、偉大といえるレベルの楽曲に巡り合う事が出来ればちょっと伝説的なパフォーマンスを期待してしまう。ヒカルに"それが見えている"のなら楽しみだ。

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情報多いな。新曲配信開始/アルバム発売日確定/ツアー日程発表、か。ツアータイトルが決まってないのは気になるが、ニューアルバムのタイトルは『初恋』ですと!? とてつもなく自信が無いとこんなタイトルつけらんないよね。よっぽど傑作なのだろう。

『Play A Love Song』が発表になった時点で「このままアルバム発売まで行かないと勿体無い」とは言ったが、6月27日ですか。当初よりデビュー20周年記念日を絡めたツアー日程の為には「最速6月、本命9月」みたいに言ってきてたが、予想は外れたな。『誓い』を収録しないといけないから年内かなり押すと思ってたんだが収録された上で6月とは。いいのか。全12曲。『Don't Think Twice』が収録されないなら別にEPが欲しいところ。


いきなりヒカル情報がバズってて全然情報が整理できてないよ。混乱してる。それならまだ鳴ってない音の話より鳴った音と鳴ってる音の話を。


昨夜の花晴れでも恐らくフルコーラスと思われる尺で『初恋』がかかった。その時点ではアルバムのタイトルトラックだとは夢にも思わず。だが、やはり素晴らしい。あんまりにシリアスな曲調なので、やや喜劇調ともいえるジュブナイルドラマのテイストを真っ向から否定しにかかるが、なんか格が違いすぎて大同小異に思えてくるから凄まじい。もう「みんな今は若くてキャピキャピしてるけど、どうせみんな死ぬのよ」とトゥルーバッドエンドに持っていきそうな位。セリフにも「初恋」を絡ませてきていて、早い段階で『初恋』が流れる事を想定していた事も匂わせる。

ドラマの方も、2話かけて物語の道具立てが揃って原作の少女漫画としての主眼がみえるようになってきた。漫画読者でないとキツいけれど、実写を脳内でコマ割り変換しながら視聴しているとなかなか悪くない筋立てにみえる。次回予告からしてもチャキチャキ話を進めていくようだし、一話切りした人たちが後悔するような事になるんでないの。でもま、花ちゃんの可愛さがあればグダグダでも全く許す。うむ。

ほぼ"エンディングテーマ前半"扱いで『初恋』が流れたが、その後配信になった『Play A Love Song』同様、歌の醸す包容力が半端でなく上がっている。これは、前作から顕著な歌唱法の改善が源泉にあるのではないか。全音域に渡って強化された倍音が音の鳴る空間を隅々まで埋め尽くしそこから更に広がっているような。圧倒的なスケール感があるからこそ、ドラマの演出テイスト云々を突破して包容力を発揮できる。「そのままでいいんだよ、あなたの長所を伸ばしなさい」とでもいいたげな女神感が強い。相変わらず演技で聞き取れない箇所多数の為詳細はわからないが、タイトルトラックに相応しい、果てしない広がりをもつ楽曲に仕上がっているようだ。フルまで待てんよ。

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今夜のドラマはヒカルファンの視聴率が半減している気がしてならないが、自分はちょっと楽しい。「火曜の夜にヒカルの声が聴けるのを楽しみにする」という極上の経験が思い出されるからだ。『Kuma Power Hour』だな。え、もう5年も前なの。いつ復活してくれてもいいですよ。

いやその話は長くなるからまたの機会に譲るとして。一見つまらないドラマを楽しく見る方法の話。何でも面白がれた方が人生楽しいイズムを発動させるだけである。

実写ドラマを地上波テレビで放映するにはとてつもない金額が要る。それは即ち才能のある人間が多数長期間にわたって関わるという事だ。その挙げ句にどうやって「クソみたいなコンテンツ」が生まれるのか、考えてみれば不思議な事である。

それを考えながらドラマをみると本当に楽しい。主役の若い子の演技が拙い。何故なのか。テレビドラマなんていくらでもオーディションをして芝居の上手な子を起用できる。なのに最終的に枠を獲得したのがこの子なのは何故なのか。「どーせ○○でしょ」と斜に構えるのはカンタンだが、そこで終わりにしないで更に想像力をはたらかせる。事務所の力だとして、何故その事務所はそこまでの力を持つのか。そこまでの事務所なのにわざわざ下手な子を推すのは何故なのか。枕営業をしているというのなら、幾らでも大金をはたいて高級コールガールを呼べるような権力者がはしにもぼうにもかからないこどもを相手にして何が嬉しいのか。いやちょっと違う方向に話がそれたけども、そういった「制作の背景」について出演者や脚本、演出、衣装や設定、音楽に広告に…とあらゆる要素について想像を巡らしていくと、そこには虚構ではない本当の人間ドラマが現れてくる。関わっている人たちが皆真面目に頑張っているのに結果がトホホになるのはどういった理由なのか…ドラマの中身は確
かにつまらないかもしれないが、「ドラマができあがるまで」の人間ドラマはほぼ文句なく面白い。無論、面白がれるのは自分が当事者ではない場合だけど。

「宇多田ヒカルにテーマソングやイメージソングを依頼している時点でセンスがいい。更に、ヒカルがそのオファーを受けたというのはクォリティーの保証があると考えるべきだ。恐らく、水面下でヒカルと照實さんは数多くのオファーに断りを入れているだろうから、、、。」と、考えた時、ヒカルの歌が入るドラマがつまらない筈がない、という結論になる。最低限、原作は面白いだろう。面白い原作から駄作な実写が生まれるのは日本人なら日常茶飯事だが、その駄作な実写から面白い原作を脳内で演繹するのも楽しいぞ。

こういう風にダサく生み出された駄作を楽しんでいると、しまいには「面白い作品はなぜ面白いのか」という点についても理解が深まっていくのが、最大の副産物だと申し上げよう。時間は有限だが、一度駄作をみて楽しめれば、本当に魅力的な作品とは何であってどこに生まれやすいかもみえてくる。そこまで楽しむのが消費者としての勝利者だ。皆々様方の健闘を祈ります。

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今日は面倒くさいぞ。まずなりくんのデビューアルバムにしてヒカルのプロデュースアルバム「分離派の夏」の店着日。CDで購入の人は今日店頭に行けばいち早く聞ける。なりくんもCDはこれが最初で最後的なニュアンスで語っているし記念に一枚、も悪くないか。

次に22時から花晴れの2回目。イメージソングが毎週かかる保証はないが、逆にいつ別バージョンがかかるかもわからない。『初恋』については先週オフィシャルにサンプル44秒が掲載されたのでそれで一段落した感はあるが、聞き取りにくい箇所の歌詞も含め気になる事はまだまだある。ドラマとのフィット具合とかね。こちらもとりあえず目が離せない。

更には(恐らく)24時から『Play A Love Song』の配信がスタートする。本日の本命中の本命だ。最近はiTunesのフライングもなくほぼきっかり0時解禁なので早寝の人は早起きを目指すべきかもしれない。この曲を聴いて迎える1日と聴かずに迎える1日はきっと全然違うから。

最近はミュージックビデオのリリースタイミングがよくわからない。他のアーティストもこんな感じなの? 固定化されたイメージとしては発売前に90秒位に抜粋されたミュージックビデオをYouTubeに掲載して新曲のプロモーションがスタートする、という感じなのだが『Play A Love Song』にミュージックビデオはないのだろうか。

勿論、サントーリのCMがそのままプロモーションビデオみたいなもんではある。しかしこちらとしてはやはりフル尺で味わいたい。雑誌「SWITCH」とSUNTORYの密接なコラボレーションをみると、ミュージックビデオも同じヴィジュアルで来るかなと思いつつも、インタビューで語った日程だとミュージックビデオ用の素材を収録する時間があったとも思えない。2年前の『道』だって昨年の『大空で抱きしめて』だってミュージックビデオは作っていない訳だし、本人出演のCMがある以上、視覚的な露出はそれで十分という判断かな。『忘却』ですらビデオ作ってるんだから。

希望としては今夜ミュージックビデオも同時配信だったら凄いんだが、つまり、それは無さそうだな。いずれにせよ今日1日は盛り沢山になる可能性があるので、皆々様よくよく心して挑んであげてくださいな。それにしたってしかし情報の密度が高すぎる気がしてますがね。

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『SWITCH』でヒカルは『真夏の通り雨』についても語っている。現存する「日本語の歌」の最高峰、金字塔ともいうべき名作について今までより更にもう一歩踏み込んだ内容だ。

曰く、最も自分の言葉であると。曰く、具体的な情景がある、と。これは一見すると矛盾している。具体的な情景といっても虚構の物語の筈なのだから。若い頃の恋を思い出しながら違う人に抱かれる"精神的不倫"の物語は、一旦、本来のヒカルの言葉と重なるようなダブルミーニングとなっているのがまず特徴なのだが、今回ここまで踏み込んだ事でもうひとつのヒカルの歌詞の特徴についても触れるべき頃合となった。

それは、『思春期』の表紙に描かれた歌詞の予言性である。藤圭子は「悲しい歌ばかり歌っていると人生まで悲しくなる。だから娘には演歌を歌って欲しくない」と語っていた、らしい。これは普遍的な真理ではなく、そういう人が歌ったならそうなる、という限定的な真理だ。歌に入り込み過ぎて歌に乗っ取られるまでいく究極の歌手である藤圭子だからこそ言わずにはいられなかった真理。そしてそれは、自ら歌を作り出して自ら歌う二世にとってはより強い真理としてはたらく。故に予言性まで帯びるのだ。

論理的に攻め立てれば、即ち、ヒカルは『真夏の通り雨』に描かれた片側の側面、"虚構の物語"の方を将来実現する。自分の意志で仕向けるというより"勝手にそうなる"のだろう。歌に乗っ取られるとはそういう事だ。

ヒカルにとって「若い頃の恋」がいつになるかはわからない。40歳の時の恋を80歳の時に思い返せば「若い頃の恋」かもしれないが、『真夏の通り雨』はそういった若さを描いてはいない。

『たくさんの初めてを深く刻んだ/揺れる若葉に手を伸ばし』―このように描かれる瑞々しい青さを湛えた情感こそが、この歌に描かれた"若さ"だ。数字上とは一味違う、情感としての若さ。

これはある意味、我々がこれから巡り会っていく『初恋』への布石となるかもしれない。24時間後にはドラマの第2回がオンエアになる。テーマソングと違いイメージソングは劇中のいつに現れるかわからない、どころか、今週現れるかどうかすらわからない。それでもひとまず、『初恋』のオンエアに期待しよう。その時、『真夏の通り雨』を一度聴いた上で挑むのもいいかもしれない。

ヒカルの言い方からしても、暫くは『真夏の通り雨』がヒカルの日本語の歌の基準点、スタート地点になるだろう。別に常にそこに立つ必要はないが、"見晴らしのよさ"では一番だ。ここから眺める事で、ヒカルの日本語がどう変化・進化したか、何を含めるようになったか、何を歌えるようになったかがスッキリ見えてくる。配信が始まったら(5週間後…)歌詞を比較・吟味してみるとよい。新たな気づきに出会える筈だ。

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長いインタビューはいいね。ヒカルの「いま」、「今」を感じさせる。

「人間、そんなに変わらない」という発言をみて安堵した向きは多いのではないか。昔の歌で歌えなくなった、歌いたくなくなったものは今のところ無いそうで。ライブであんな歌を聴きたいとかこんな歌を聴きたいとかいった希望がこれで粗方繋がれた訳だ。良い傾向である。

この『人間は』、主語としてやたらデカいが、英語にすれば"you"、日本語にすれば「(一人の)人間(としての私)は」といったところだろうか。インタビューでは「何か変化はありましたか」という質問は、何をどの範囲でというのを明確にしないと回答が難しい。ほんの数段落の間に「変わりましたね〜」と「変わってないですね〜」が混在する。何がどう、というのは常に留意すべき項目だ。

20年前と今。様々な経験を積み環境も変わった中で同じ歌を同じ気分で歌うのは難しい。寧ろ、歌に感情を引っ張り出して貰うくらいのスタンスだと思った方がいいか。つまり、昔と今で同じ気持ちでいれる中で同じ歌を歌うというよりは、その歌を歌う事で感情を持っていかれるくらいに「歌が強い」という事ではないだろうか。

ついついそこで「普遍性」という言葉を使ってしまいがちだ。色褪せない、とよく言うが、本や絵画と違って音楽は経年劣化なんてしないからね? 色なんて一切褪せない。変わるのは我々の受け取り方の方であって、つまり変わってしまうのは私たちの方。昔も今も、歌は変わらない強さを持っているのだ。ヒカルの歌はつまりただただ「強い」のである。我々の方が変わっても、その程度では何も変化がなかったかのように強く、大きい。歩く我々を月がいつまでも追いかけてくるのは、我々が少々動いたところで何ともないくらいに月が途方もなく大きいからだ。大きすぎると、まるで我々に合わせてついてきてくれるようにみえる。ヒカルの歌はそういう存在だ。

となればやっぱり『光』や『WINGS』といった苦い思い出を想起させる歌も今後ライブで歌ってくれるか。楽しみだ。

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来週からSWITCHの事を書くと言った手前まだ読む訳にもいかず。読んだら語りたくなるに決まってるんだから。しかしこれレジに持っていくの恥ずかしいな。エロ本よりキツい。表表紙のみならず裏表紙までヒカルとはな…自分の性癖を喧伝して歩いているみたいでな。「恥ずかしい」という感情は他人に対して抱くのではなく自分自身からの視線によるのだというのがよくわかる。おっさんが「SWITCH」を買っているのをみて変だと思う人なんて居ないだろう。せいぜい、今号であれば「あぁ、宇多田ヒカルのファンなのかな」と思う程度だし、世間的に宇多田ヒカルが好きだと言ってそれが変に思われる事はない。有名とはそういう事だ。つくづく、恐ろしい。

それでも私はこの雑誌を手にとって恥ずかしいと思う。他の誰でもない、自分自身に「やーい、やーい」と指を指されるからだ。冷やかされるからだ。それに対して顔を耳まで真っ赤にして「ちくしょー」と思う。

似たような事は他にもあった。ある日ipodに付属のイヤホンをつけて電車に乗ったらなんだか恥ずかしかったのだ。「いや違うんだ、そうじゃない。普段の私はもっと音のいい…」と頭の中で言い訳をし始めた。電車の中でおっさんがどんなイヤホンしていようが気にするヤツなんて居やしない。つまり、気にしているのは自分でしかない。いや、今のipod付属のイヤホンはかなり改善されてるのよ昔の酷い有り様とは違って。うまくやるもんだAppleも。

この、「自分自身を外側からみて評価する自分の目線」というのは、そう、「セルフ・プロデュースの目線」である。外からみて、どのようなありようがよりよいかを評価し、そちらに変化するように仕向ける。それを仕事(works)と言い、制作(produce)の根幹構成要素を成す。仕事の定義はかけた力と動いた距離の積だ。いくら力をかけても、動かなければ、変化がなければ仕事とはいえない。頑張ったという気分に用はない。外からみて何が変わったかを知る。そこから"制作"はスタートする。

ヒカルはセルフプロデュースの鬼である。私たちの誰よりも宇多田ヒカルと宇多田ヒカルの歌の魅力を見極め、最大限に演出する。うちらがサントリーのCMをみて「Hikkiかわいい!」と思う何倍も「Hikkiかわいい!」と思ってモニターチェックしてる筈。我々が「なんていい歌だ」と唸る何倍も「なんていい歌だ」唸り込んでいる筈。

だからといってそれが天然モノではないという事ではない。天然モノをみつけそれに魅了され、素材をそのまま素通りさせる事もまた立派な制作、プロデュースである。寧ろ、その勇気こそ讃えられたし。どうしたって不安で「よりよくするために」と手を出しがちなのだが「これ以上よくはならない」と見極めて放置するのが大事。

ヒカルは、どこまで出来ているだろうか。素材のよさを素直に押し出す事は宇多田ヒカルにとっていちばんの課題である。幾ら自分を外目線で演出しようと、天然の、本物の魅力は揺るがない。でも、そんな人に嘘をついて貰えたら幸せだろうな…。

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昨日の朝8時に「サントリーなのに2通りしか動画がない」と愚痴ったらそのあと9時には特設サイトが立ち上がり。仕事早いなっ!

でまぁ動画をみてみるとあるわあるわ。ティザー15秒その1、ティザー15秒その2、30秒CM、60秒CM、90秒メイキング、90秒インタビュー。盛り沢山だな。2通りや3通りって話じゃなかったわ。

これだけの宇多田ヒカル三昧、公式サイトでもなかなかない。サントリーの特設サイトの筈が宇多田ヒカル特設サイト化している。ただのファンサイトが巨大資本をバックにしたらこんなに充実するのか、みたいな逆転現象。こんなにヒカルとヒカルの新曲ばかり宣伝してもらっていいのだろうか…そういや何の商品のCMなんだっけ!?(笑) ヒカルばっか見ててすっかり抜け落ちてたわ。

…炭酸飲料のCMか。去年まではまだ水だからよかったが、炭酸で爽健美茶やられたら気泡にまみれて溺死してしまうかもな。ここからコンサートが現実味を帯びてくるので今後頭に入れておかねばならないな、爽健美茶コンサートならぬスパークリングコンサート、略してスパコン。(…それ違うやつや)

でまぁスパークリングでスウィッチでサントーリな今日はそのヴィジュアルのまま雑誌スウィッチの発売。気の早い人はもう昨日手に入れてたようだが私はまだだ。あとでじっくり読むとしようか。はてさてどんな事が書かれているやらねー。インタビューの時期によっちゃあ『Play A Love Song』の歌詞が完成してなくてまだちゃんと話が出来ない状況だったり…したら表紙詐欺になっちまうか。ほどほどに触れていてくれれば。

したってさぁ、人間活動してた人にニンゲンらしいか訊かれてもなー(笑)。だからこそ、という事だろう。でキゲンがいいかと問われたら、たった今あんたのはしゃぐ姿見て頗るキゲンがよくなったとこだよ!としか。罠のようなコマーシャルだ。

肝心の炭酸飲料の販売開始は4月24日か。『Play A Love Song』配信直前。歌詞の中に"Sparkling"が入ってるか見ものだ。『Kiss & Cry』に『今日は日清カップヌードル』の一節を入れた御仁だ、今更何されても驚かな…いや、昨日からずっと驚かされっ放しです負けました。

で最近は新曲出してもミュージックビデオ作ったり作らなかったりで。『初恋』と『Play A Love Song』はどうなるんだろうね。『誓い』もそうだけど。この新曲時間差ラッシュにどう対処したものか、そろそろ情報処理能力が限界に来ているので、ここらでいっぺん落ち着きたいんだが…無理か。何度もCMを再生してしまうわ。

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これでアルバムの発売日がますますわからなくなった。常識的に考えれば、『Play A Love Song』の爆発力に乗じてアルバムを売りまくりたいところ。『Fantome』で『道』が果たした役割をもう一回りスケールを大きくして。が、少なくとも『初恋』の配信が始まる5月30日まではアルバムの発売はない。そりゃまぁそうだろうさ。でも、『Play A Love Song』の配信して1ヶ月くらいならまぁいいとして2ヶ月、3ヶ月と間が空いていくのは勿体無いとしか言えないですよ。

まるでパズルのようだ。『Play A Love Song』はすぐさま出る。『誓い』&『Don't Think Twice』はゲームが出るまで出ない。ツアーが今年開催される事は決まっている。それどころか、昨今の事情を鑑みればもう既に日程は決まっている筈。総てはそこから逆算して決まっている。そしてタイアップの数々との兼ね合い。絡まったイヤホンを解くよりずっと難しいパズルだわな。

でもまぁ、力技、正面突破だわな。キャッチーでPopな曲さえ出せてしまえばもうそのパワーで正義を押し通せる。色の白いは七難隠すと申しますがお歌の巧いは全難葬る、といった具合でしょうかね。

タイアップはパズリングだが、サントリーは有能で有益だ。『道』も『大空で抱きしめて』も『Play A Love Song』も、ヒカルを引っ張り出してきてる時点で祝杯モノだがそこに更に新曲を登場させる。もう祝言でよいでしょう。ヒカルが飽きないうちは、ずっとコラボレーションして欲しい。10年経ったら歴代の宇多田ヒカル出演CMを集めたBlurayをプレゼントする企画を立ち上げよう。水だったら何本でも飲んでやろうではないか。その前に10年後にうちにBlurayを再生できる機器が生き残っているかどうかの方が問題だけど。

そうそう、更にこのサントリーのCMが明日発売の「SWITCH」ともコラボレートしてるとは。何重に驚かせるんだホント。ここの詳細はまた来週あらためて突っ込むか。

それにしたってな。何が『30代はほどほど。』だよ。完全に「20代よりイケイケ!」ではないですか。このあとアルバム発売してツアーだよ? どうすんの?

繰り返しになるが、『Play A Love Song』をリリースしてなおまだアルバム発売が先だというのなら、『Play A Love Song』と同等以上の楽曲がまだ控えている事になる。あり得る? そんな事あり得る?? 『誓い』&『Don't Think Twice』も相当キャッチーでフックが強かったが、『Play A Love Song』はそこにあざとさが加わる。「みんな、こういうの好きでしょ?」と得意気に笑うヒカルの顔が目に浮かぶ。あぁ大好物だよ悪かったな!

冷静にみれば、楽曲のクォリティーとして最近の3〜5曲と較べてそこまで突出しているとは思わないが、魅力の伝わり方がダイレクトであるという点では抜きん出ている。流石にこれが売れないと日本は市場としてまずいですわ。業界の皆さんは危機感持った方がいいですよ。

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