無意識日記
宇多田光 word:i_
 



Apple Musicの邦楽の品揃えは余り宜しくない。iTunes Storeでは売っているがストリーミングでは聴けないアーティスト、楽曲が幾つも見つかった。この状況で全曲ストリーミングを始めたヒカルは結構先進的なのかもしれない。

これがどう転ぶか。梶さんも随分と投入時期を見計らっていたのだろう。まぁお陰で私もトライアルする気になったのだし成功だ。あとは、そう、ヒカルがストリーミングを楽しんでいるか、だわな。

ストリーミングストリーミングと煩いが、幾らでも聴ける音があるという状況は本当に音楽が次から次へと"流れて"(stream)いる感じがする。ストリーミングの意味は、データを逐次的に送り込むって事だし、音楽が聞こえてくる状態を"音楽が流れています"と表現する事もある。しかし、何だろう、それ以上に"とどまらない"感覚が強い。止められない止まらない感じ? かっぱえびせん??

この感覚の中でリスナーを立ち止まらせるのはかなり難しい。幾らでもとっかえひっかえ出来る音楽が数千万曲あるのだからその中で気に入って貰ってしかもリピートして貰えるなんて至難の業だ。

この、"流れ"の中でヒカルの新曲にどれだけの注目が集まるのやら。序盤は大丈夫だろう。しかし、この定額配信制度がもっと広まっていくと、より即効性の強い歌が受け入れられやすくなる。もっと言えば、サウンドロゴみたいなのに収束していくんじゃないかと。それは、あんまりヒカルにとっては…嗚呼でも『COLORS』みたいな曲もあるかー。

要は、ヒカルがこの空間に慣れきった時に曲作りのニュアンスが変わっていなければ有り難い、と。2016年にヘルマン・ヘッセの作品から曲名をうただくような人なので、そこらへんは揺るぎなさそうなんだが。

何度も聴いているうちに真意が汲み取れてきて末永く愛聴できる楽曲か、それとも一発で気に入ってそこからもずっと気に入ったままの楽曲か、どちらに比重を置く事になるやら。―あぁ、ヒカルは「そのうち飽きる曲」なんて一曲も書いた事がないからそういう選択肢は最初から除外している。聴き手にどう入り込んでくるか。音楽が"流れて"いく中で引っ掛かる何かを込める方法…今まではそれがラジオだったのがストリーミングに変わる。新しいラジオの生む新しい感覚がポップソングの作詞作曲にまで還元されるようになるのはいつの事になるやら。ここ日本ではヒカルももう少しだけ待ってもよさそうだ。

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「これだけ定額配信の事について書き綴っているのだから1つくらい試してみよう」と思ったから、なのかと言えばそんなでもないんだけど先日からApple Musicを試してみている。なるほど、色々と便利だな。

吃驚したのは、機能やサービスそのものよりブラウジングのスムーズさだ。普段Windowsで使うiTunesはこちらのクリックやタイピングにすらついてこれなかったりしたのだが、Apple Musicのページはやたらサクサク動く。更に、ストリーミング再生もiTunes Storeで購入後にダウンロードしながら再生するよりずっと早い。なので、iTunesを使う場合、ローカルで保存している音源を再生するよりストリーミング再生させた方がずっと手早いのだ。何なんだこりゃ。Apple Musicを普及させる為にわざとやってんじゃないのと疑うレベル。ネット環境次第なんだろうが、確かにこれならローカル保存よりクラウド再生の方をメインにするのも悪くないな。あクマでiTunesを使うなら、ですが。

で意外にも便利なのが歌詞表示機能だ。今までだって「[曲名]・歌詞」で検索すりゃすぐ読めたんだけどApple Musicでは再生中曲表示画面からタップ二回(パソコンのミニプレイヤならクリック一回)で歌詞がそろそろっと表示される。「何をやらせてもスムーズ」。それがApple Musicを使っての最初の感想だ。

まぁ今までのiTunes Storeの使い方だって、「聴こう」と思ったら躊躇わずにクリックして購入・鑑賞していたので使い方自体はあまり変わらないのだけれど、何もかもがサクサクになったので次から次へと聴いていけるのがいい。上記のような理由で、既にローカルに持っている音源もストリーミングで再生させてしまったりする。そこらへんの便利さは、やってみないとわかんないもんだわねぇ。

でまぁまずは早速なりくんの『Lonely One』を聴いてみるわよね。するとすぐに歌詞が読める訳だ。これでやっとヒカルが歌っていた「ちょっと何言ってんだかわかんないです」なパートの歌詞が判明した。へぇ、あそこ『数式半ば』だったの…わかるかっ!?(笑)

他にも歌詞といえば『Sanctuary』の歌詞もしっかり載ってたけど(※これもまた"ローカルにあるのにストリーミングで聴いてみた"パターン)、これって本来どうやって手に入ったものなんだろうか。『宇多田ヒカルのうた』のブックレットに掲載されていたんだっけ。でもあれ、ヒカルに言って書いて貰ったものに見えないのよね。まぁ今更言っても仕方がないんだけれど、アイランド時代の音源の歌詞の掲載にまつわる問題が今後前進するかというともうそんな事はなさそうなので、この聞き取りっぽい歌詞が公式として定着するんだろな。

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今から考えると、なりくんの歌唱力を過小評価していたのは、『Lonely One』でのヒカルの印象が強すぎたせいかもな。大黒摩季とやった時もMikaのライブゲストで歌った時も第一星で根こそぎかっさらっていったもんな…冷静になって、なりくんだけの歌を聴く事でそれなりに落ち着いた評価が出来るようになったという事か。

前も書いた通り、4月になりくんのアルバムが出る以上それまでのヒカルは新曲を出す発表をする事はあっても新作アルバムの重要な発表をする可能性は低い。同じレーベルからアーティストがデビューするのにヒカルが出てきたらRIAに人が足りなくなるだろう。5月のなりくんのデビューアルバムまでは大人しく、というと違うのだろうけれども(『誓い』という爆弾もう落としてるしな)、潜伏しているとみる。

いちばん劇的なのはその5月のなりくんデビューライブにゲストでやってきて今後の予定を発表する事か。しかし、それをしてしまうと主役のなりくんが霞んで本末転倒になるからな、何か新情報を出すとしてもプチサプライズ程度にしておくべきだ。

ここでRIAは考える。仮にヒカルがゲストで来れるとして、という仮定の上で考えると、なりくんのデビューライブが各スポーツ紙だとかワイドショーだとかにある程度取り上げられる為には、ヒカルがただ出てきて歌う以上の事が必要だ。囲み取材なんか受けないだろうし(きっとヒカルは大嫌いだろうな(笑))、やるならステージ上で記事にし得る一言を放って欲しい。そうすればバーターで(この言い方適切なのかなぁ?)なりくんも取り上げて貰える。プロモーションとしてはまずまずだ。でそこでやりすぎると翌日の話題がヒカルだらけになって肝心のなりくんの話題をして貰えない。これはまずい。ヒカル自身は放っておいても注目されるのだから何もしなくていいんだってば。

梶さんの事だから既になりくんデビュー前後のメディア戦略は決定事項だろう。翌週の売上なり何なりをみて最終確認、といったところか。4月の下旬にアルバムをリリースし、5月の初旬に御披露目。この日数。ゴールデンウイークという(人々が出かけていてメディア消費が動かない)不安材料はあるのだけど概ね流れは頭で思い描いているだろうね。ここにヒカルが絡んでくるかこないか。またもや腕の見せどころでしょうて。

何しろ、冒頭で触れたように歌い出したらその場を支配できる人である。なりくんが幾らいい歌を聞かせても「やっぱ宇多田ってすげーな」で終わられるなら失敗である。そう考えると…来ない方が、いいのかも? どうなるかは「梶のみぞ知る」。KBさんもご存知かな、わからんけど、そこらへんの押し引き具合で、ヒカルのアルバムリリースデートも見えてくるだろう。嗚呼、「次のアルバムでまたなりくんにバックコーラスを歌って貰ってます」って程度の話が出るのが御の字かもわからないね。楽しみにしていよう。

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電子書籍の売上高?か何かが紙の書籍のそれを上回ったらしく。やっとかよ、という気がしなくもないが、紙の書籍は市場が小さくなる事はあってもなくなる事はない訳で、うまくバランスをとりながらソフトランディングしていければ。

一方、音楽ソフトにそんなものはない。一応アナログレコードもカセットテープも生き残ってはいるが、長年の愛用者とレガシィとしての物珍しさのお陰であって、世代交代すればわからない。事実MDはとっくに消えている。利用者はまだまだ居るんだけどね、早々にセルMDは撤退してしまった。元々市場がなかっただけじゃんと言われればそれまでだけど。

再生機器が必ず必要な(プレイボタンみたいなものもあるけれど)音楽ソフトにとってソフトの形態は特に必要とされない。習慣やノスタルジーといった感情の感性に訴える事になる。

書籍に先立って、というと変だが先日定額配信収入だかがダウンロード販売のそれを上回ったという記事が出ていた。ここ5年位はダウンロードの方はほぼ横ばい、しかし定額配信の方は2015年以降順調に伸びている。すぐに抜くだろうとは思っていたが、このタイミングか。ちと早いな。

ヒカルが昨年参加したのがどれ位大きかったかはよく知らないが、次のアルバムが仮に発売日に定額配信に乗ったらダウンロード販売はどれ位下がるだろうか。一応オリコンやビルボードはそれまでに(?)チャートの方を整備しておいて欲しいものである。

昔から言っているように、定額配信は「パーソナライズドラジオ」である。もう少し言えば、ダウンロード型のポッドキャストのノリで新曲や新作を聴ける。次々とプレイリストを流していって気に入ればライブラリに取り込んだりする、といった使い方だ。今までラジオとCDで別れていた機能がシームレスになった、とでも言えばいいか。

となると。流す楽曲の制作の仕方に変化が訪れるのかも、しれない。これは、何というか、作り手側が消費者として定額配信の利用を通じて感じ取る事がベースになる訳だから、2015年を起点とすると…日本ではそろそろ反映され始めてもおかしくはない。

もっともそれは、定額配信が"主戦場"になったら、の話。まだまだダウンロード販売も定額配信もその合算もCD市場には遥かに及ばない。だからと言って皆CDを直接聴いている訳ではなく一度取り込んだら触れもしない、というのもまた現実だ。

いつどこでどう聴くか。その時にどう響くか。それを肌で感じ取りながらポップソングは作られていく事になるのだが、まぁライブで映える曲を作る方が今の時代では先決かな。取り敢えず少しずつ今の状況に慣れていく事と致しましょうか。

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とは言いつつ、本来「バラバラのペルソナ」の大家・本家・元祖といえば宇多田ヒカル大先生その人である。シリアスな歌唱とふざけたキャラクター。当時はそんな言葉はなかったがその「ギャップ萌え」で多くの人の心を掴んだのだ。

落差が激しいから魅力的、とはよく言うが、ヒカルの場合それぞれのペルソナが魅力的であり且つそれが同一人物(という言い方もおかしいが)だという驚愕がスパイスとなった、という順番だ。ただの落差とは違うのである。ダメな所と素晴らしい所があってその落差がいいんだ、というのではなく全く違った魅力を幾つも持っていたからヒカルは人々を魅了した。

今更そんな事を言う人も少ない。ヒカルがどんな人なのか知られているし、どんな歌を歌うのかも知られている。勿論新しい世代は少しずつ"発見"していってくれるだろうが、彼らに向けた大ヒット曲でも現れない限り"現象"にまではならないだろう。

第一、今のヒカルは昔のハイテンションではない。相変わらずセンス・オブ・ユーモアは冴え渡っているが、変な話、唸らされるような感じなのだ。まぁ歳相応って事かしらん。面白い事言う人だな、とは思われてもギャップがどうのという風には捉えられないだろう。

その違いを端的に表したのが『20代はイケイケ!』と『30代はほどほど。』という2つのキャッチフレーズだ。ハイテンションだったあの頃(いや10代の頃にはかなわんけどね)を『イケイケ!』と表現し(もっともこのフレーズを決めた時点では19歳だった訳だが)、落ち着いた30代を『ほどほど』と言った。よく出来ている。

ただ、私の解釈は、少し角度が違っている。『イケイケ』には、「己の限界を試したい」という思いから『行けるとこまで行けるとこまで』突き詰めてみようというスピリットを感じた。ベストを尽くさねばならないが、自分のベストがどこらへんかわからない。だから倒れるまでやってみよう、と何度も倒れたのが20代である。

一方、『ほどほど』というのは、物事を弁えた状態である。加減や程度を制御できる。闇雲に走らない。より知的で繊細な感性が要求される。微調整につぐ微調整だからだ。だから今のヒカルは、自らの音楽を美術品を作るように丁寧に仕上げているのではないか。実際、過去の歌唱が雑に感じられる程に唱法の精度は上がっているのだ。昔に較べれば周囲からみたら余裕があるというか無茶をしなくなったように見えているかもしれないが、多分負荷自体は今までより大きい。慣れて制御が出来るようになっただけである。

なので、昔は走り過ぎて倒れていたが、今は、ふと微調整を失敗したら倒れるだろう。いわば、暴れ馬を腕力ではなく技術で宥め乗りこなしているような。少しでも間違えると振り落とされるような微妙な腕遣いで前に進んでいるのだ。その微妙さに辿り着く事を『ほどほど』と表現しているのなら、いやもうぴったりの形容でございます。

そんなだから30代になってもヒカルは倒れている。月1のラジオも飛ばしてた。どんな拘り方の作り込みをしているかは知らないが、随分と頼もしくなっても相変わらず綱渡りなのだ。そこを理解しておこう。

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土曜日にはなりくんのショウケースをストリーミングで観てましたよ。『Lonely One』の音源で聴いて抱いていた印象より生歌の方がよくて吃驚。いや、こっちが勝手に見立てを誤って勝手に驚いてただけで、なりくんは歌っただけなんすけどね。幽かに期待されていたヒカルさんの登場はかなわず、『Lonely One』は録音でした。ライブで録音音源を使うのは未だに違和感があるけれど、今回はフルサイズのショウでもなし、制限が多いので仕方がないでしょう。5月のデビューライブはそうはいかないので、どうしてくるのやらですけれど。

歌唱のよさと共に、楽曲や歌詞も案外よくて、特に一曲目の「Game」はキャッチーとも言える曲で、これを一曲目に持ってきてるだなんて結構冷静だなと思いました。しかし気になったのは格好。恐らく、インタビューにあるように、まだ自身に対する音楽制作が内面的な模索の方に意識がいっていて「見せるショウ」や「魅せるショウ」といった意図や意義をライブに見いだしていないのでしょう。デビュー前のアーティストなので段階的には全然大丈夫なんですけれども、相変わらず気になるのは彼の表現の数々のイメージ上の食い違いが生むミスマッチです。

彼のルックス、彼のファッション、彼のトーク、彼の歌声、彼のメロディー彼の歌詞。まだそれら全体が統一の像「小袋成彬」を形成できていないのです。それどころか、うちのひとつに接した後に他のひとつをチェックした途端に落胆を与えるような落差なのです。昔のデビューしたてのミュージシャンならそれでもよかったのですが今はインターネット時代。ライブストリーミングをしようものならたちどころに拡散可能です。幸い、今回の視聴者数は一万件程度で済んでいるようで、このスケールなら悪い方には転がらないでしょう。しかし、これから宇多田ヒカルプロデュースのアーティストとしてより注目されていく中ではどうなるかわからりません。事を急ぎ過ぎるのは芳しくありませんが、パーソナリティとしてのペルソナとシンガーソングライターとしてのペルソナとライブパフォーマーとしてのペルソナの統合についても、ヒカルのプロデュースを仰いだ方がよさそうです。ヒカルからしたら、「いつか来た道」ですからね。きっとよりよいアドバイスが聴ける事でしょう。

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昔に較べて圧倒的に触れる割合が低くなったからか、最近日本語の「縦書き」がちょっと読み難い。

その縦書きのブックレットを搭載して発売されたヒカルのシングルが『光』だ。何故縦書きだったのか―最近のヒカルの曲の名前に慣れているとうっかり忘れてしまいそうだが、宇多田ヒカルのシングル曲のタイトルで漢字が使われたのが十枚目にして初めてだったのだ。リスクとかタイム・リミットとかのカタカナならあったし、アルバム曲なら甘いワナからあるんだけれども。

今や日本語タイトル曲ばかりで『Forevermore』の"久々感"たるやな気分だったのだが、『光』の発売された16年前の空気はといえばヒカルは帰国子女のバイリンガルとやらで日本語も英語もペラッペラの才女みたいな扱いだった。そりゃ曲名も横文字になるやろ、みたいな。

勿論アルバムを聴いてるファンはそんなステレオタイプな認識ではなかったし、メッセに親しんでいれば漢字タイトルのシングルを出すくらい何の事はなかった。いや勿論いちばんのトピックは「自らの名を冠した」事でしたのやけれども。兎も角ヒカルの知名度と注目度は当時尋常ではなく、そんな軽いイメージから色々と軽口を叩かれた訳だ。

今は勿論総てが落ち着いて、日本語タイトル曲をリリースしようが英語タイトル曲をリリースしようが誰もそれについて話題にしなくなったが、こうやって『誓い』と『Don't Think Twice』が同時発表されても皆動じないのをみると、やはり根底には「宇多田ヒカルはバイリンガルで英語ペラペラ」なイメージが横たわっているのかもなぁと益体の無い事を考えてしまう。

でも。立ち止まって考えてみると。他に「1つの楽曲の日本語詞と英語詞の2バージョンを同時に発表する」事を世界中から期待されている音楽家が居るのだろうかと溜め息を吐いてしまう。いやまぢでいるっけかな。もっと言ってしまえばそれがヒカルの「今のイメージ」だ。ただ日本語と英語を操る才女というだけではなく、日本語での活躍と英語での活躍を同時に期待される立場。希有としか言いようがない。

世界で活躍する日本人、というと英語等を駆使して言葉の壁なぞものともしないタイプか、或いは日本語のままで文化を輸出して他国語人たちに「ジャパン・イズ・クール!」的な事を言わしめて日本語を学ぶよう仕向けるタイプのいずれかだった。中国語でインタビューに答える福原愛とか、アニメイベントで日本語の歌をそのまま熱唱する現地の皆さん(を触発したクリエーターや歌手の皆さん)とか。ヒカルはいずれでもあり、いずれだけでもない。ただ日本語と英語の両方で活躍するだけでなく、周囲からそれを期待されている。即ち、そのようなイメージを自ら作り上げてきたのだ。別に意図していた訳ではなかったろうが。結果的に。

『誓い』と『Don't Think Twice』が、今後どこまで絡み合っていくか。『光』と『Simple And Clean』は、発売も扱いも別々という感じだった。『Passion』と『Sanctuary』も途中までは同じような感じだったが、『In The Flesh 2010』で突如"邂逅"を果たしたのだ。あのようなドラマティックな出来事が『誓い』と『Don't Think Twice』にも起こるかどうか。まだ誰にもわからないがヒカル相手なら期待しても構わないだろうさ。

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2月は歴代、シングル発売が多い。単純にオリジナルアルバム6枚中3枚が3月に発売されているから先行シングルカットも該当するからなんだが、『Movin' on without you』に『Can You Keep A Secret』、『Keep Tryin'』に『Flavor Of Life』更に『HEART STATION / Stay Gold』と錚々たるラインナップだ。しかも、『B&C』や『蹴っ飛ばせ!』、『WINGS』などカップリングに新曲も多く、お得感満載の月なのだ。もっとも、むびのんは私リアルタイムでシングルを買ってないのでカップリング曲から得られた興奮、というのは想像するしかないんだけれども。

昨年はThe Back Hornとのコラボレーション・シングル『あなたが待ってる』が発売された。そして今年は…っとと、思わず『誓い』/『Don't Think Twice』が発表された、と書きそうになったけれど、いやそれは真実なんだがまだ別にリリースされた訳じゃない。いつもの豊作な2作とはちと違うわね。

本音をいえば、前に触れた通り90秒のショートバージョンをさっさと配信販売して欲しいのだが、現実は難しいのだろう。特に信用と評判に大して慎重になるなら「阿漕」のイメージは徹底して払拭したいところ。余談になるが、「阿漕」の英語訳に"brazen"があった。本来なら"真鍮製の"という意味だが「厚かましい」「図々しい」という意味もあるようだ。知らなかった。英語圏では真鍮にそんなイメージがあるのだろうか。ついでに付言しとくと昨日の照實さんのツイートにあった"from scratch"は「スタートラインから」という意味だ。下手に"scratch noise"とかいう言い方を知っていると戸惑うだろうな。以上、中高生の読者を意識した発言でした。

脱線した。信用や評判を考えると、ショートバージョンで稼げる小銭は割に合わないという判断なのだろうな。でもガラケー時代は更にこれの半分の45秒のファイルとかに210円(消費税5%時代だな)を払っていた訳で、別に構わないかなと思わなくもないのだけれど、いちばん本当に考えられるのはこの『誓い』『Don't Think Twice』の音源が未完成品なのではという事だ。ラフミックスとかね。真相はわからないがフルを聴く日を心待ちにしてます。

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さて、目下の最新曲『誓い』の話に戻ろう。歌詞がゲームの中でどのような効果を発揮するか、いかなる存在感を示すか、という話は実際にプレイした皆さんからの評判が上がってくるのを待つとして。いつになるやらだが。

こちらではシンプルに「宇多田ヒカルの新曲」として歌詞をみてみよう。

『あなた』の歌詞の何が秀逸だったかって、映画のエンドロールにピタリと収まった事だ。本編の余韻を引き摺る1番の間の歌詞は本編に準ずる内容で、そこからスタッフロールが続き観客が少し冷静になった頃合を見計らったように2番の歌詞が歌われる。それはまるで、映画に没頭していた観客をそのまま自然な流れで「宇多田ヒカルの世界」に引き込んだかのような手腕の巧みさを感じさせた。

これは、誰が考えた事なのか。恐らく、主題歌を受け取った監督が尺に合わせてエンディングロールを組んだのではないかと思うが、それにしたって見事だ。ヒカルの方もある程度、歌がエンディングに流れる事を想像しながら歌詞の構成を考えたのではないか。

という卑近な前例を踏まえると、ひとつの疑問が浮かぶ。果たして、今公開されているワンコーラスは『誓い』の何番の歌詞なのかという点だ。1番なのか2番なのか3番なのか。いやピアノのイントロから続いているんだから1番に決まっているじゃないかという意見、恐らく正しい。多分、本当にそれ以上考える必要はないと思う。しかし、それでもついつい妄想してしまうのだ。この曲が編集されていて、イントロと2番を無理矢理繋げてあるのではないか、或いは、そもそもこれが楽曲の真ん中のパートなのではないか、などなど、と。

最後の視点は妄想がより膨らむ。実際は『誓い』はもっとアップテンポで、中間部に差し掛かるとテンポダウンしてバラードのような曲調に変化する、なんていう曲展開を持っていたりしたら、と。勿論さっき言ったように考え過ぎなのだが、宇多田ヒカルさんはこういう所本当に怖いのだ。『真夏の通り雨』というタイトルが発表された時、誰が直前の歌詞に『降り止まぬ』が来ると看破していたか。皆が思う「通り雨」のイメージを利用してタイトルだけを先に発表し期待感を一定の方向に揃えた上でフルコーラスでがつんと頭を殴ってくる。もう一度言おう。宇多田ヒカルさんは本当に怖いのだ。

その知性に対しては「考え過ぎる」位で丁度いい。私としては、でも、『誓い』はストレートな名曲であって欲しいという願望があったりすんだけど、あのリズムを聴くとなかなかそうはなってくれそうもないのだった。取り敢えず、いつものように、「全貌を知らないからこそ言える」事を綴っていきますよ。

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「宇多田が有名だからと忌避している人」は今や絶滅危惧種になっていると思うのだが、今後の立ち位置如何ではまた若い層からそのように思われる機会が増えないとも限らない。今は昔と違ってYouTubeが手元にあるから気になればすぐ聴いて貰えるとは期待しているのだが。

「どちらをとるか」と言われればヒカルはPop Musicianだ、大衆/多数派の方を取るだろう。しかしヒカルの性格は常に「どちらもとる」である。多数派も少数派も。根本的に欲張りなのだ。

すぐに考えつくのは「アルバム曲のタイアップ」である。ワイドショーで取り上げられる、駅の広告でみかける、CMが至る所で流れる…というのは昔でいえばCDシングル曲、今でいえば先行単独配信曲である。その「マスな雰囲気」に違和感を感じるそうが「宇多田なんか聴くまでもない」と切り捨てる。そうではなくて、「アルバムのタイアップ」というのはシングルカットもしない、大々的に宣伝も流さない、しかしタイアップ先のコンテンツ消費者は確実に触れる、というものだ。

近いイメージとしては『人魚』の取り扱いである。美術館展とのコラボレーションではあったが、どうやら地味にCMが日テレで流れるくらいで、シングルカットもなくレーベルのプッシュも殆どなかった。せっかくタイアップが決まったんだからミュージックビデオでも作ればいいのにと思うか思わないかで何故か『忘却 feat.KOH』の方のビデオが作られた。何だろうこの事態は、と思ったものだ。

しかし、これでよかったのである。美術館展を巡るような人の中には「マスな雰囲気を嫌う」層が幾らか存在する。そんな人たちが油断をした所でとても邦楽市場で話題になりそうにない曲調の『人魚』で不意打ちをかける。「あれ、日本語詞でこんなトラディショナル・スコティッシュ・フォーク・ロックみたいな曲歌う人居るんだ…って宇多田ヒカルかよ!?」―そう思って貰えれば御の字である。偏見の無い状態でまず歌を聴いて貰って「こんな歌も歌うんだ」とニッチな人たちに知ってもらえる。悪い事じゃない。

こういったタイアップをアルバム曲全曲で行えばヒカルの「どっちも」イズムをかなり満足させる事ができるだろう。シングルカットもしない、ビデオも作らないとなれば予算も必要ないしな。しかしそうやって細かく分け入る事で全体の雰囲気がヒカルをより受け入れる方向に進んでいく。決して無駄な事ではないのである。

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「音楽の好みは、平均すると女性で13歳の頃に、男性で14歳の頃に決まる」というスレッドが立っていた。自分も大体そうなので特に反論する気も起こらない。自分の好みは15歳の頃から四半世紀以上ず〜っと一緒である。音楽に対する理解力は上がっているので楽しめる音楽は年々増えてはいるが、枝葉が充実しても幹は変わらない。未だにメタルだプログレだと五月蝿い。本当に煩い。

所詮は平均、統計なので誰にでもあてはまるものではないが、ある程度の真実は言い当てているのだろう。しかし、この調査(?)は現実に対して大きなポイントを見逃している(或いは最初から度外視しているのだろうな)。それは、人の好みではなく、音楽の方の変化と進化である。

いつの時代でも、という訳にはいかないが過去50年、ある程度の割合で「新しいジャンル」の音楽が生まれている。それは、聴き手の年齢なんぞ気にしない。逆にいえば、幾ら好みが固定化した人が居てもその時に全く新しい音楽に巡り会えたら、そっちの方がずっと気に入るかもしれない。それは本当にわからない。

この調査(?)の含意が実は「人間、歳をとると新しい音楽に反応しなくなる」だったら悲しい。いや、人の音楽の好みは一期一会の十人十色、百花繚乱千差万別。ずっとこれだと固定化した好きなジャンルを追究し続けるのもまた麗しい人生、全く悪くはない。悲しいのは、なぜかそこで新しい音楽を否定しにかかる人間が居る事だ。何が怖いのだ貴方は。

そもそも、好みに古いも新しいもない。古くて伝統あるジャンルの魅力がさっぱりわからないとかありがちである。あたしゃ未だに日本の民謡の魅力がわからなかったりして…いつか気に入れるといいな、とは思っているのだけどそれはさておいて。いつの時代であろうがその人にとって初めて聴く音楽は新しい音楽だ。その筈なのに"トレンド"として取り上げられた音楽を真っ向から否定しにかかる人がいる。普段、トレンドでない好みの音楽に食ってかかるような事をしないにもかかわらず、ね。私が悲しいと言っているのはその事だ。

宇多田ヒカルもデビュー当時物凄いトレンド(というか事件というか現象というか)になったので、"新しいトレンドに否定的な人々"は、歌に耳を傾けさえしなかった。その時の機会損失は大きい。もし目を隠して歌だけを聴いてくれれば気に入ってくれてたかもしれない人たちから「ワイドショーで取り上げられるような」というイメージを持たれたお陰でシリアスに捉えられなかった。ヒカルの歌はある意味全く新しく、人によっては13〜14歳の時に確立した好みを超えて受け入れられる可能性を秘めるほど大きなものだったのに、スルーされてはどうしようもなかった。流石にデビュー20周年を迎えようというタイミングでそこまで頑なに「宇多田なんて聴いた事がない」と言う人は減ったと思うけれども、まだまだこれから若いリスナーが増えていく中で同じ事態が起こらないとも限らない。それを防ぐ為の特効薬は存在しないが、もうひたすらシンプルに音楽を聴いて貰えるように、様々な工夫を凝らしていく事が必要だろう。具体的な話はまたいつか書
きますわ。

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昔に較べて、音楽を聴くのが面倒臭くなったなぁ、というのはよく思うよね。いや勿論、何でも手元のスマートフォンで検索すりゃすぐ聴けるのが現実だから、そりゃ「昔に較べて遥かに便利になった」のが本当なんだけども。

昔はテレビのリモコンもあんなに複雑じゃなかった。電源スイッチ、チャンネルつまみ、音量つまみな3つしか操作系は存在しなかった。いつどんな時も、電源スイッチを入れるという1つの操作で何かしら番組が見れたのだ。その前のラジオ時代からずっとそうだったのだが、ビデオの登場から話が変わってきた。観る選択肢を増やしたお陰で、操作系の複雑さも飛躍的に増した。

音楽リスニングもそうで、ラジオはテレビ同様電源スイッチと周波数つまみ、音量つまみの3つの操作系で、AM/FMの切替がつけばそれだけでうわっとなったものだ。カセットテープウォークマンも似たようなもので、カセットを入れて再生ボタンを押せば何かしら音楽が再生された。こちらはビデオと違い録音機能がないものから普及したのでさほど複雑さは変わらなかった。

CD/MDウォークマンになってもそれは基本的には変わらない。ランダム再生やプログラム再生などの機能は増えたが、取り敢えずディスクを入れて再生ボタンを押す、それだけで音楽が鳴った。

やっぱりメモリ型ウォークマンやガラケーが出てきた所から潮目が変わったかな。その、なんか入れてぽちっとなで取り敢えず、というのがない。選んで観たり聴いたりするのが億劫でない人はホクホクだったが、どうにもそれではねぇ。

去年から日本でも定額配信の話題が増えたが、金額よりもあれやこれやの説明を読むのが面倒臭い。こんなの読んでる間にYouTubeやRadikoのアイコンタップして1曲聴けるがな、となる。

やはり、操作系がシンプルなのがいい。もしかしたら他のアーティストがやっているのかもしれないが、例えば「宇多田ヒカルアプリ」って作れないのだろうか。機能は極々単純、アイコンをタップするとUtada Hikaru VEVOの動画がランダムに再生される、というだけ。元々YouTubeに置いてある動画なんだから痛くも痒くもないだろう。何がいいっていちいち「宇多田ヒカル」と入力して検索しなくていい。そんな手間も惜しむのか、って言われそうだがさっき書いたようにテレビは「ピッ、ガチャガチャ」で観れたし、ウォークマンは「ガチャッ、ピッ」で聴けたのだ。あの頃より遥かに便利になった今の方が必要な操作が増えるのはおかしい。

現実的には「宇多田ヒカルアプリ」より「EPICアーティストアプリ」くらいになっちゃうかもしれませぬが、それでもいいよ。兎に角一操作ですぐ楽しめるというのが大事。何でも選べる時代だからこそ、態々熊々選ぶのが面倒。そういう心理も理解して貰えると有り難い。

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あら気がついたらEPICに移籍して間もなく一年なのか。『あなたが待ってる』がまたよく響く季節なんだな。

この一年の活躍は、ユニバーサルEMI時代から引き続き目覚ましい。2016年ほど本人の露出は多くないが(という印象を私が持つのはサントリーのCMに余り遭遇していないせいかもしれない)、何か話題に出る度に引用される写真がクーチャの撮影したヤツなので何だか凄く気分がいい。いつも妙な写真で記事にされて「ちょっとそれどっから持ってきたん?」となるのが常だったのだが今はツイートを拾われても写真がカッコいいから安心だ。何だろう、こう言っていいのかはわからないが、この半年で随分ヒカルのイメージがよくなったんじゃない? そう感じてしまう位に写真の効果は大きい。女性に年齢の事を言うのは失礼なのかもしれないが、今のヒカルの年齢皆忘れてんじゃないかなーいい意味で。

だなんて事言ってたら「ビジュアルイメージを固定したくない」ヒカルさんはまた違ったテイストの写真を見せてくれるようになるかもしれない。ただ、それはとてもリスキーだ。クーチャよりいい写真を撮らないと「そのままでよかったのに」と言われかねない。いや、私だってヒカルのアピアランスはその都度お気に入りが沢山あった。『Passion』の妖怪ウェディングドレスや『HEART STATION』の少年ショートヘアなどどれだけ「ごちそうさまです」と言ってきた事か…だからビジュアルイメージを変え続けるのには本来何の不満もないのだが、マチェイ・クーチャの写真の特異性は「ファン以外の人に見られても大丈夫」な点なのだ。いつもと違う場所で取り上げられてもファンとしておどおどせずに済む。40代はおどおど。いや何の話や。

クーチャ以外を起用するのは全く構わないが、この特異性を維持できるか否かはデカい。あのいつも感じていた「ホントはもっと美人なのに」とか「ホントはもっとかわいいのに」みたいなもどかしさがほぼなくなった。いや、実物は写真では捉え切れない魅力があるので(ラジオの公開収録に行くとほんの2〜3mの距離で見れるのですよ若人の皆さん)"所詮は写真"ではあるのだけれども。

で、何となくだけど、このタイミング、後世からしたら「宇多田ヒカルはEPICに移籍してからかっこよくなったよね」と言われるようになるんじゃないかと妄想した。今はまだ一年が経とうとしている所で写真もせいぜい半年といった具合なので今の我々はそういう心境にはないのだが、長い目〜数十年スパン〜で見た場合にそういう「都合のいい解釈」が生まれるんじゃないかという話。

しかしその為には、まずツアーの衣装がカッコいい事が重要だ。ヒカルの衣装はカジュアルがいちばん、というのが定説だが、例えば『WILD LIFE』ではどやさどやさのど派手なドレスから入りつつ最終的にTシャツとジーンズに着地するという流れだった。つまり、網羅的だった。次のツアーでも似たコンセプトなのではと推測するが、出来れば「EPIC伝説」を補強するような洗練された衣装を期待したい。

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「キングダムハーツ(1)」のテーマソング『光』と『Simple And Clean』は、歌詞が対になっていた。『光』が『家族にも紹介するよ きっとうまくいくよ』と歌っているのに対し『Simple And Clean』は『だからって僕が君のお父さんに会わなくちゃいけないっていうのか?』とにべもない。何やってんだと当時は思ったが…今でも思うな(笑)。

『Passion』と『Sanctuary』の歌詞には直接的な対比はない。しかし、『光』&『Simple And Clean』とミュージック・ビデオのテーマの取り方は同じだ。『光』のビデオのテーマは『Simple And Clean(カンタン、キレイ!)』で、カメラ1台1カットというシンプルさと次々に綺麗になっていく(…)お皿たちという内容だった。『Passion』のミュージックビデオのテーマは更に直接的に『Sanctuary(聖域)』で、アニメ部分には『Samctuary』の歌詞にも出てくる『飛ぶ天使』が描かれてたりもする。安直に言ってしまえば『Passion』と『Sanctuary』は映像イメージで繋がっているのだ。

では今回の『誓い』と『Don't Think Twice』の歌詞の間にはどんな関係があるだろうか、というのが次の疑問になるのだが、今のところそれは殆ど見えていない。『誓い』の直接的な言い方に較べ『Don't Think Twice』はやや含みを持たせた言い方になっているからだ。

しかし、中には直接的な対応をみせる箇所もある。『誓い』の『今日という日は嘘偽りのない永遠の誓い日和だよ』と『I want you for a life time(生涯貴方を求める)』は意味としてはかなり誓い、もとい、近い。ほぼ同じと言っていい。しかし、やはり『want you』というのがひっかかる。『be with you』とかではなく、『want』というのは、文脈にもよるが、これは「生涯求め続ける」のなら「永遠に手に入らない」のだとも解釈できる。そうなると幸せ既定路線(にみえる)『誓い』とは真逆の悲しい歌になる。

この、「文脈にもよる」というのは「含みを持たせた言い方」のせいである。このままだとまだ素直に受け止める事は出来ない。いや勿論、『誓い』の方だってフルコーラスで聞かされたらどうなってしまうかわからないが今のところ聞こえてくる歌詞はストレートだ。しかし『Don't Think Twice』の方は今の時点で既に考え込まされてしまうような言い方だらけである。ひとに「二度考えるな」と言っといてこの仕打ちは酷いのだが今暫くはこのまま行くだけだ。

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オリンピックの報道ばかりでいまいち注目されていないかもしれないが、この週末に安室奈美恵のラストツアーが始まった。前に書いたように、ここから約一年、「歌姫たちの20周年」が始まる。いや安室ちゃんは25年だけど、ここを口火に98年デビューの皆さんのあれやこれやがどやさどやさと押し寄せてくるのだ。更に来年はドリカム30周年で、という話もしたな。

でその中でヒカルがどの時期にツアーをするかが、まだ明らかになっていない。正直、アルバム用の曲なんて大体できちゃってるんじゃないのという気もしなくはないのだが、まさかの2月にキングダムハーツ3テーマソング解禁となったので………ますますわからなくなった(笑)。

ほんに、これは予想がつかんな。というのも、トレイラーは公開しましたしかしそこから半年放置!なんてのも十分あり得るからだ。実際英語版は「すんまへんまだ作りかけですねん」という字幕が最初に出る。歌だけ先にできちゃっているのだ。

まだフルコーラス聞いていないのは我々の方であって、制作陣は既にフルで耳にしているだろう。クソ羨ましい。もしかしたら、まだ制作中のゲームのこと、『誓い』の歌詞に合わせた演出をこれから仕込むとかしてくるかもわからない。そうなったらますますゲームしたくなるじゃねーかバカヤロウ(←羨ましくて口調が乱れています今暫くお待ち下さい…)。


…こほん。さてここからである。『Ray Of Hope』や『あなたが待ってる』や『Lonely One』といったボーナスを挟みつつ、『大空で抱きしめて』『Forevermore』『あなた』『誓い』と順調に楽曲が揃ってきている。ひとまず、この4曲は次のアルバムに収録されるだろう。前作ではまず『花束を君に』と『真夏の通り雨』が昔でいう両A面シングル扱いでアルバム発売半年前にリリースされたが、今作は『大空で抱きしめて』から既に半年以上経過している。このペース、決して遅い訳ではないが、少なくとも現時点ではアルバム発売は最速でも6月だろうから、約一年の間に制作された楽曲がフィーチャーされる事になる。前作の場合『桜流し』をどうみるか難しい所だが、果たして、ヒカルが「アルバム制作モード」に入ったのがいつなのか、というのが重要になってくるだろう。

前作『Fantome』の場合は、復帰作という事で2016年4月の両A面シングルのリリースはその時点で既に同年9月のアルバムリリースを見据えたものだった。つまり、4月にはヒカルはアルバム曲の制作に携わっていた。そして今作。昨年の3曲の制作の中で、どこかの時点で既にアルバム曲の制作スケジュールが入ってきていたのだろうか? そこから今後のアルバムリリースのタイミングを推理してみようかな、という野心である。

その試みがうまくいくかどうかは今後に期待、かな?

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