村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

清涼の美人 出光美術館

2010-08-20 23:33:34 | 美術館・博物館
出光美術館
2010年7月31日(土)~9月12日(日)東京
日本美術のヴィーナス -浮世絵と近代美人画-
第一章は清涼の美人
薄衣の美人の掛け軸は
清涼なる事しきり 
袷の衣装ではそうは思えなかったであろう
歌麿の肉筆画唯一の重要文化財
「更衣美人図」を中心に
西川祐信の「柳下納涼美人図」を右に
同じく西川祐信の「納涼美人図」を左にと
三幅対として掛けてあるようだ
なかなか面白い
第二章は古雅の幻影
第三章は美人たちの遊宴
第四章は伝統美と革新のあいだ
美人画は江戸時代以降に生まれたとあるが
当時の衣装の着こなしを思い描くも楽し
表具のきれ地も
茶掛けのそれとは全く違いあでやかで美麗なるは
本紙に負けじと競っているが如く
きれそのものとしても興味が湧いた

今日は松風庵様と喜代子さまとの三人組
掛軸の前で衣装を仔細に見、
表具のきれ地を言い
感想をつぶやく
約50点の作品だとか
それを鑑賞したのだから
疲れた
ロビーでお茶を飲む
写真は前に座った喜代子様だ
ひとやすみしてから
次は銀座へ
六丁目の妻家房でランチを食べる
今日の目的はこれだったが
出光も満足
次は
2010年9月18日(土)~11月3日(水・祝)
生誕260年-禅とユーモア-
そして韓国料理も満足だ
どちらも
また行こう


茶の湯・茶道ランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢見る頃

2010-08-20 00:36:52 | Weblog
一字の禅語に

がある
禅語としての意味は
全てが空であること
実体がないことの譬え
太鼓の音は聞こえる
感覚で捕らえられても
実態がない
夢と同じ
万物は皆それと同じ
空なるものゆえ
執着するは虚しい
と教典にあるという…
禅で言う夢は
若きに見る
夢見る夢ではないのだ

今夜
新宿三丁目咲くらで
特別に仲の良かった
昔の同僚や上司と会った

奥まった個室に案内されて入ると、
すでに何名かは座って懐かしい面々がこちらをむいている
遥か遠い昔の
そのいち時代に
一瞬に引き戻された

八重洲にある木材商社に勤めていた20代の頃
当時は高度成長期でもあり
ただ若くもあって
好き勝手に
言いたい放題、
やりたい放題だった
思いだせば
恥ずかしく
今まさに穴にでも入りたいが・・・
その気持ちをおし隠し
久しぶりに会っての一言がお互いに
変わらないねぇ
なのだから
そう
今も結局はわたくしめ
自分勝手な人生を送っているのだ

幹事役の信さんは
相変わらず優しい笑顔を最後まで絶やさず

年長のウエストさんと松さんは82歳とか
昔から偉くて老けておられたので、
62歳が82歳になってもお変わりにならない
これから一時間半かけてお帰りとは、
どうぞお気をつけて 御無事で

年賀状が最近来ないと心配していたが
リンユウさんは元気だった
良かった
血圧が高いのでほんとは心配していた

年下の
てのさん
いつも細かく気づかいできる
これ才能だ

伊藤つかさそっくりの
らいさん
今もよく似て可憐さはかわらず
二十歳のお嬢さんともうひと方お子さんがいるとは
見えない

久子さんは長い髪も変わらず
二十歳になる娘さんの写真を見ると姉妹としか見えない
若さ

スーさんはこの間電話で話したけれど
会うのは三年振りで
お喋りが楽しい
舌鋒衰えず 良かった

たやまさんとは
30年近く会っていないが
相変わらず響く良い声で

嬉しかった

昔のことは
みんな忘れてしまったと思っていたが
覚えている事もあった

たとえ悩みが多くあっても
みな若く、また健康であり、お互い
まわりに守られていた
それだけで充分幸せだったのに
その時は気が付かずに・・・
そんなものだ
それぞれが 
夢見ていた若い頃だから

辞書の背に
光る金文字
若き日に
勤めし会社の
記念日よぎる 
    村雨庵




茶の湯・茶道ランキング
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする