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村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

長屋王ナガヤオウ

2020-08-20 23:44:10 | 和歌と歌人

佐保過ぎて
奈良のたむけに置く幣ヌサは
妹イモを目離メカれず
相見アイミしめ とそ
 和歌・歌人・32
 長屋王ナガヤオウ
『万葉集・巻三・300』

佐保の地を遠ざかり、

奈良山の手向けの地にさしかかって
幣ヌサを置くのは、
絶えず妻に逢わせたまえ
と願うからだ。

古代の旅では他郷に入るときに、
その土地の神に幣ヌサを捧げ、
旅の安全を祈願した。
という
菅原道真スガワラミチザネの
このたびは
幣ヌサもとりあえず
手向山
紅葉の錦
神のまにまに

長屋王の幣ヌサと同じように
土地の神に幣を捧げるはずが
とりあえず=用意するひまがなかった
紅葉を代わりにしますよ

百人一首歌番号24にある

長屋王ナガヤオウ
676~729
54歳
父は
壬申の乱で活躍した高市皇子タケイチノミコ
母は
御名部皇女ミナベノヒメミコ
藤原不比等の没後右大臣、
さらに聖武天皇の即位とともに
左大臣に就任し、
皇親政治を復活したが、
対抗勢力である藤原氏の陰謀により、
謀反の罪を負って自殺。
漢詩や和歌を好み、
自宅の佐保楼に詩人文人を召して宴遊した。
万葉集に五首。
懐風藻に詩三首を残す。

PCR検査発表があった
スマホでログインし
マイページを見るのだが
検査結果は「高リスク」と「低リスク」とあって
「低リスク」の方にチェックしてあった
陽性ではないのだろうと解釈
今回の発熱はコロナではなかったと思う
でも低リスクだから
今月中は家から出ないことにした
写真の文香の薫り
ちゃんとわかる
良い香り

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行基ギョウキ

2020-08-19 20:59:57 | 和歌と歌人

山鳥の
ほろほろと鳴く
声聞けば
父かとぞ思ふ
母かとぞ思ふ
 和歌・歌人・31
 行基ギョウキ
『玉葉集・巻十九・2614』

小鳥の鳴くのを聞いて
という小書ありて詠んだ和歌

行基ギョウキ
670~749
80歳
和泉の国の人
薬師寺の僧

諸国を巡歴して
一般の人々に教えを説き、
多くの信仰者を得た

有名な和歌だ
父母のいない寂しさは
時代を超え
心に響いてくる

写真は金魚の香袋
黒い出目金デメキンの香袋
とても良い香りがする
山田松香木店の包装で
何年か前に頂戴した

少しドキドキして
香袋の香りを聞く
新型コロナは味覚嗅覚に
異状が出るというから
味や匂いは重要
わかるわかる香袋
いい匂いだ
夕食の
ソーメンの味もわかる
五感は大切

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青丹よし

2020-08-18 23:33:47 | 和歌と歌人

あをによし
奈良の都は咲く花の
薫ニホふがごとく
今盛りなり
 和歌・歌人・30
 小野老オノノオユ
『万葉集・巻三・328』

奈良の都は、
咲き誇る花が色美しく映えるように、
今や繁栄している

奈良の都の
帝都賛美の歌だが
奈良で詠んだ歌でなく
太宰府でのもので、
辺境にあって都を偲ぶ
望郷の歌だという
さぞかし都は華やかで
素晴らしかったのだろう

小野老オノノオユ
生年未詳 
没年天平九年
天平元年に太宰少弐ダザイショウニとして
長官の大伴旅人の配下におり、
やがて大弐ダイニに昇進した。


今日ネットで頼んだ
PCR唾液検査のキットが届いた
消毒液と体温計を用意とあり
まず箱を開いて並べてみた
ところが
箱を開ける前に
消毒して中身を広げろとある
でももう開けたから仕方ない
中の小さいじょうごに
唾液を黒い線まで入れ
蓋をするのだが
唾液が思ったより出ない
梅干しとかレモンなど
想像しても
そうそう溜まらない
時間がかかってしまった
年齢を強く感じた
年のせいだ
新型コロナか熱中症か
夏かぜでも
歳を重ねると大変なことになるが
なろうとして
なった訳ではない
もう諦めて自分らしく
自分のしたいことをしよう
いまは
お茶のお稽古がいちばんしたいこと
教えるのも
教えて貰うのも
一緒に遊ぶ事と同じように
愉しい
元気になった

メール、コメント、電話

感謝です

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わが盛りまた落ち目やも

2020-08-07 22:53:59 | 和歌と歌人
わが盛り
また
をちめやも
ほとほとに
奈良の都を
見ずか
なりなむ
 和歌・歌人29
 大伴旅人オオトモノタビト
『万葉集・巻三・331』

私の若い盛りの時期は、
もう二度と戻って来ないだろうなあ。
恐らく、このまま
奈良の都を見ないで
終わってしまうのではなかろうか。

大伴旅人オオトモノタビト
665~731 67歳
古来より武をもって仕えた
大伴氏にふさわしく、左将軍。
征隼人セイハヤト持節大将軍などを
歴任した後、
太宰帥ダザイノソチとして
九州に下向ゲコウ。
730大納言に昇進して
帰京し翌年没。
万葉集の八十首近い作品の
ほとんどは、晩年の太宰府時代の
三年間の作品。
中国の詩文に通じた
当時の知識人で、
老荘的傾向のものや、
夢幻的・浪漫的な作など、
外来思想の影響下にある作が多い。

旅人というと酒を讃ホむる歌が有名だ
私の持っている菅楯彦の画賛
大伴旅人の
酒壺を背にし杯をあける姿と
その詠む歌

生まるれば
遂にも死ぬる
ものにあれば
この世なる間は
楽しくをあらな

1300年もむかしの
歌人の詠む歌は
今の私と同じ思いだ
上がったり
下がったり
落ち込んだり
諦アキラめたり

写真は
友人からの暑中見舞い
優しいその方を思い浮かべ
会いたいなあとおもう
コロナ禍で知った
普通のことが
普通に出来なくなってみると
普通というのは
しあわせ
ということ
だったんだ
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つらつら椿つらつらに

2020-08-04 23:37:43 | 和歌と歌人
河上の
つらつら椿
つらつらに
見れども飽かず
巨勢コセの春野は
 和歌・歌人28
 春日老カスガノオユ
『万葉集・巻一・56』

川のほとりに連なって咲いている椿の、
そのつらつらではないが、
つらつら見ても飽きることはない。
巨勢の春の野は。

つらつら椿=連なって咲いている椿
つらつらに=よくよく

春日老カスガノオユは
714以降没。
52歳
姓を春日蔵首カスガクラビト名を老オユ

午後昼寝をしていると
ピンポンが鳴った
ほぼパジャマ
人に会える姿でない
急いで上に何か着て出た
生命保険の担当の人で
親しい人だった
入ってる保険の確認
すぐに用は終わったが
単に来客があっただけなのに
身支度整わず
ジタバタする姿に呆れかえった

今日は用事がないので
ビデオを観ては
お菓子か何かを食べる
そしてまた昼寝
自粛中にしていた片づけや
チョッとした料理もしてない
これということを
何にもしてない
夜は寝ないし
朝は遅起き
身の回りはごちゃごちゃ
祖母が生きていたら
シャッキリしなさいと
怒鳴られる
本来の自分が出たのか
呆れるほど
ちゃんとしてない
みんなの話しを聞くと
偉いなと思う
家のことをちゃんとして
雑草を抜いているとか
早起きして毎日歩いてる人もいるのに
人には言えないが
何もしたくない
体を動かしたくない
自分をコントロール出来ない
考えると嫌になる
出来るなら
朝早くスッキリ起きて
家を隅々掃除して
元気に庭を掃き浄める
テキパキ動いて
頭もスッキリ
質問には的確に答え
未来を見据えている
そんな自分は
遥かに遠い
70にもなったのにね
今日は愚痴だグチ

欲望のままの食生活は
きちんと管理したい
実際は全く逆
あぁぁガックリ
今日の夕食は
前に買ってあった
こんにゃくのラーメン
賞味期限は8/27だって
カロリーが少ないというから
これだ 
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しげみ こちたみ 己が世に

2020-08-02 23:50:07 | 和歌と歌人
人言ヒトゴトを
繁シゲみ
言痛コチタみ
己オノが世に
いまだに渡らぬ

川渡る
 和歌・歌人27
 但馬皇女タジマノヒメミコ
『万葉集・巻二・116』
人言ヒトゴト=人の噂
言痛コチタみ=人の言葉がうるさく煩わしい事

人の噂が絶え間なくささやかれるので、
その為、今まで
渡ったことのない
夜明けの川を、
こっそりと渡ることになりました。

皇女は高市皇子の妻。
その皇女が異母兄の
穂積皇子と恋愛し、
噂になった。
皇子への思慕が一層募り
こっそりと人目を避けて夜明けの川を渡る

但馬皇女タジマノヒメミコ
和銅元年六月没。
天武天皇の皇女。
母は鎌足の女、氷上娘ヒカミノオオメ。
詳しい伝記は不明。
この歌を詠んだ時、
高市皇子の妻であったらしい。
穂積皇子を恋い慕う歌があり、
また皇女が亡くなったあとに
穂積皇子がその墓を見て、
涙を流し悲しんだ歌を載せる。
高市皇子も穂積皇子も
天武天皇の皇子であり
但馬皇女とは異母兄妹である。
歌は短歌のみ四首をのこす。

今日は日曜日
勘違いして
一日得した日曜日
手紙を一通書いた
便せんを探していたら
フェィラーの小物入が出てきた
中にはイヤリングと飴
いつのか分からない
食べるのは一応やめた

明日はハサミの日
村雨庵お習字教室の日
やはり今日までお習字のお稽古はしなかった
明日は頑張ろう
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狭野サノの渡りに家もあらなくに

2020-08-01 21:26:35 | 和歌と歌人
苦しくも
降り来る雨か
三輪の崎
狭野サノの渡りに
家もあらなくに
 和歌・歌人26
 長意吉麻呂ナガノオキマロ
『万葉集・巻三・265』

何とひどく降ってくる雨だ。
三輪の崎の狭野の渡りに
宿るべき家もないのに。
 苦しくも=激しく。ひどい。
 「も」は詠嘆。

長意吉麻呂ナガノオキマロ
生没年未詳
持統、文武朝686~707頃の人。
人麻呂や黒人クロヒトとほぼ同時代。
天皇の行幸に従って歌をよむ
宮廷歌人的性格が伺える。

写真は最近買った
小説伊勢物語
業平
今度の月曜日に
森金先生がお習字教室を開くので
参加なさりたいと仰っていらした
紫兎先生に
明日ですから
お越し下さいませと
確認のお電話をした
その時点で
今日は日曜日だと思っていた
何気なくテレビの番組表を見ると
間違えてる
今日は土曜日
一日勘違いした
すぐ訂正のお電話をしたが
何曜日か分からなくなってるのは
老化だろうが
年を重ねて
衰えていくのは
自然のこと
少しだけ
気をつけることにした
一日 得したしね
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いづくにか我が宿りせむ

2020-07-31 21:50:23 | 和歌と歌人
いづくにか
我が宿りせむ高島の
勝野の原に
この日暮れなば
 和歌・歌人25
 高市黒人タケチノクロヒト
『万葉集・巻一・58』

今宵、私はどこに宿ることであろうか。
高島の勝野の原で
この日が暮れてしまったならば。
 高島の勝野の原とは
 琵琶湖西岸の北部。

高市黒人タケチノクロヒト
生没年未詳
持統、文武朝(686~707)に
天皇の行幸に従駕し
歌をよんでいる。
柿本人麻呂とほぼ同時代。
万葉集には短歌のみ18首みえる。
歴史書に登場することなく、
地方の下級官吏であったと思われる。
旅の詩人とも称されている。
いずれも旅の不安と孤愁が
自然の景と融合して
すぐれた叙景歌をうみだしている。
それは単に旅の不安や孤愁にとどまらず、
すでに人生の孤愁を感じさせる
表現の傾域を充分に見せている
といえるのですあろう。
(和歌の解釈と鑑賞事典ヨリ)


暑中見舞いの葉書がくると
お茶会が無くて寂しいとあり
全く同感
いつも通りの生活は
今年は出来ないが
一生出来ないわけでもないだろう
先には楽しみがある
写真は今の時期だけの
限定もの
こういうのに弱い
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ももづたふ

2020-07-28 22:06:12 | 和歌と歌人
ももづたふ
磐余イハレの池に鳴く鴨を
今日のみ見てや
雲隠りなむ
 和歌・歌人・24
 大津皇子オオツノミコ
『万葉集・巻三・416』

大津皇子オオツノミコ死を被タマワりし時に
磐余イハレの池の堤にして
涙を流して作る一首。
磐余イハレの地に
鳴いている鴨を
今日を限りに見て、
自分は死んでいって
しまうのだろうか。

大津皇子オオツノミコは
663~686
24歳。
天武天皇の第三皇子
母は天智天皇の皇女の大田皇女オオタノヒメミコ。
大伯皇女オオクノヒメミコの同母弟。
母が若くして死に、
その妹の鸕野讚良ウノノサラ
(後の持統天皇)が
天武天皇の皇后となり、
その子草壁皇子が皇太子となった。
天武天皇の崩御後
まもない朱鳥元年十月
皇太子草壁皇子への謀反の罪に問われ
鸕野皇后より死を賜った。
文武に秀で、人望も高かったという。

悲運の皇子たちと言われた
山背大兄皇子
古人大兄皇子
有間皇子
大友皇子
大津皇子
七世紀の専制的古代国家の
皇位継承を中心とする政争のうちに
悲運の生涯を送り、
そして悲劇のうちに死んでいった
という
1334年前のことだ

写真は以前に頂いたチーズを
撮っておいたもの
右のひとつはすでに食べてしまった
美味
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小夜サヨふけて

2020-07-26 22:10:43 | 和歌と歌人
我が背子セコを
大和に遣ヤると
小夜サヨふけて
暁露に
我が立ち濡れし
 和歌・歌人23
 大伯皇女オオクノヒメミコ
『万葉集・巻二・105』

私の愛しい弟を
大和へやるとて、
夜更けて暁どきの露に、
私はたたずみ濡れたのです。

大伯皇女オオクノヒメミコ
661~701
41歳
大来皇女オオクノヒメミコとも
天武天皇の皇女。
母は天智天皇の皇女の大田皇女。
大津皇子の同母姉。
673斎宮となる
万葉第二期の代表的歌人

写真は
ビスケットが入ってる
オルゴール付
F&Mミュージカルビスケット
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シロガネもクガネもタマも

2020-07-25 21:51:25 | 和歌と歌人
銀シロガネも
金クガネも玉タマも
何せむに
優マサれる宝
子にしかめやも
 和歌・歌人22
 山上憶良ヤマノウエオクラ
『万葉集・巻五・803』

山上憶良ヤマノウエオクラ
斉明天皇六年660~天平五年733 74歳で没
701遣唐少録として渡唐

山上憶良は晩年に
筑前の国司となり
中心となす歌はこの頃のもの
大伴旅人オオトモノタビトも同じく太宰府に着任
大伴旅人の邸宅で催された
宴会の席上にて詠まれた
万葉集全20巻のうち巻5の
梅の花を歌った32首の序文から
元号(令和)がとられたことは有名だ

写真は先日
ネットで買ったもの
額田王ヌカタノオオキミの漫画
今日 簡単に読んだが
額田王のこと
うーん
そうですかって感じで
わからない
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石走る垂水の上の

2020-07-24 21:45:30 | 和歌と歌人
石走るイワバシル
垂水タルミの上の
さわらびの
萌え出づる春に
なりにけるかも
 和歌・歌人21
 志貴皇子シキノミコ
『万葉集・巻八・1418』

志貴皇子シキノミコ
716没
天智天皇の第七皇子。
妻は多紀皇女タキノヒメミコ
(天武天皇の皇女)
没後 追尊されて
春日宮御宇天皇・田原天皇とも呼ばれた。
万葉集には短歌のみ6首を残す。


今日は祭日
スポーツの日だが
スポーツはしない
苦手だ
どこにも出かけない
ずっとゴロゴロしてた
写真の桃が届いた
岡山産の桃だ
お礼のメールを送ると
折り返しお電話頂き
お互い大きな声でお喋りした
声を聞くのが一番
安心した
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天の川去年の渡りで移ろへば

2020-07-23 20:51:52 | 和歌と歌人
天の川
去年コゾの渡りで移ろへば
川瀬を踏むに
夜ぞとふけにける
 和歌・歌人20
 柿本人麻呂カキノモトノヒタマロ
『万葉集・巻十・2018』

天の川の渡り場が
去年とは変わってしまったので、
新しい渡り場を探すために
川瀬を往き来していて、
すっかり夜が更けてしまったことだ。

柿本人麻呂カキノモトノヒタマロ
生没年未詳
経歴も詳しいことは分からないが、
身分はさほど高くなく、
持統天皇、文武天皇のころ、
宮廷に出仕して、
なかば職業的に儀礼歌の制作に当たった
宮廷歌人であり、
平城京遷都
710前後に死んだものと考えられている。
万葉集を代表する歌人

柿本人麻呂カキノモトノヒタマロと言うと
歌聖・柿本人麻呂
平安末から歌会や歌合わせに
人丸の画像を掛け
和歌を献じ供養する
人丸影供ヒトマルエイグを思い出す
その生涯については謎。
『水底の歌-柿本人麻呂論』
『猿丸幻視行』
読みたい

写真は
昨日の歌仙画
紀貫之
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白たへの衣干したり

2020-07-20 21:07:42 | 和歌と歌人
春過ぎて
夏来キタるらし
白たへの
衣干したり
天アメの香具山
 持統天皇
 和歌・歌人19
『万葉集・巻一・28』

天の香具山は
畝傍山、耳成山と並ぶ大和三山の一つ。
白妙シロタヘは
楮コウゾの繊維で織った粗い白い布。
初夏、村の娘たちが
早乙女の資格を得るために、
山に入って
物忌みのお隠コモりをする。
その娘達の物忌みの斎服。
その白、山の緑、空の青。
そしておそらくは娘達の頬は紅。
初夏の透明で鮮やかな色の対比が目に浮かんでくる。
百人一首歌番号2番、
新古今和歌集巻三・夏歌は
(衣干したり)が
(衣干すてふ)に変わる
間接的な表現に代えられたのは
婉曲エンキョクな表現を好むという
平安時代以降のうたの傾向らしい。


持統天皇ジトウテンノウ
生没年未詳
702没
天智天皇テンチテンノウの皇女
諱イミナは鸕野讚良皇女ウノノサララヒメミコ。
天武天皇の皇后。
草壁皇子クサカベノミコの母。
天武天皇崩御後
称制ショウセイし、
(称制ショウセイとは① 中国で、
皇帝が幼少のときに
皇太后が政務を行うこと。
②古代日本で、
天皇が在位していないときに、
皇后・皇太子などが臨時に
政務を行うこと。)
草壁皇子の死によって、後に即位した。
壬申の乱の時から
夫天武天皇の傍らにあってこれを助け、
天武天皇の崩御後はその偉業を継ぎ、
藤原宮造営などに当たった。
宮廷の儀式などをも整え、
柿本人麻呂など
宮廷歌人の登場の舞台を造った。


ウイキペディアには
持統天皇を主題とする作品として
漫画
里中満智子『天上の虹 持統天皇物語』
長岡良子『古代幻想ロマンシリーズ・眉月の誓』
大和和紀『天の果て地の限り』
そにしけんじ『ねこねこ日本史 第2巻』
小説
阿夫利千恵『妖の女帝 持統天皇』
小石房子『鉄の女帝持統』
近藤精一郎『白鳳の女帝―持統天皇私伝』
三田誠広『炎の女帝 持統天皇』        
坂東眞砂子『朱鳥の陵』
今度読んでみたい

写真は土曜日に頂いたもの
ヨックモックの
フルール・フルール
極めて薄いラングドシャーで
12,5センチの花の缶に順に
丸く綺麗に並んでる
ヨックモックのシンボルの
花水木を模して作ったという
手に取るとより華奢で可憐だ
それをパクリ パクパク
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潮もかなひぬ今は漕ぎ出イでな

2020-07-19 21:44:33 | 和歌と歌人
熟田津ニキタツに
舟乗りせむと
月待てば
潮もかなひぬ
今は漕ぎ出イでな 
 和歌・歌人18
 額田王ヌカタノオキミ
『万葉集・巻一・8』
熟田津ニキタツにおいて
船乗りをしようと
月の出を待っていると、
月も出たし潮もほどよく満ちてきた。
今こそ漕ぎ出そうよ。

661斉明天皇・中大兄皇子ナカノオオエノオウジが、
唐・新羅連合軍と戦う
百済を援護するために
北九州へ向け出航し、
その途中伊予国の
熟田津ニキタツに停泊した時の歌
であると考えられる。
高らかに出航の時の到来を
告げたもの。


額田王ヌカタノオオキミ
生没年未明
初期万葉の代表的歌人
万葉集の代表的女流歌人
近江地方の豪族であったと
思われる鏡王カガミノオオの娘で
采女ウネメとして宮廷に出仕シュッシし、
初め大海人皇子オオアマノミコ
(のちの天武天皇)の妃となって、
十市皇女トオチノヒメミコを生み、
のちに中大兄皇子ナカノオオエノオウジからも愛された。
斉明、天智両朝を主たる活動期とした。

額田王ヌカタノオキミは知ってる
でも今日漫画を買った
(ロマン・コミックス 人物日本の女性史 3) 
額田王  
それと(天の果て地の限り )大和 和紀
これから額田王を勉強

写真は
待合に掛けてあるのは
そら豆、ささげと露草
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