猪瀬都知事の辞意表明により、にわかに都知事選挙をめぐる話題が新聞やニュースをにぎわすようになりました。
過去よりも、近い未来を見ていなければ生きていけない、時間という実態不明の怪物に縛られた私たちの悲しい習性でしょうか。
主に新聞やニュースは、誰が立候補するのか、また、自民党や民主党は誰を担ぐのか、ということを主たる話題にしています。
それは当然のことだと思います。
都民も他の道府県民もそれが一番興味があるでしょうから。
しかし公的機関に勤務する私は、この時期選挙の準備を始めるとなると、東京都選挙管理委員会事務局及び23区や東京都下の市町村で選挙事務の応援に駆り出される薄給に涙しながら日々の業務に精励する職員たちの正月休みが心配です。
おそらく担当することになった者たちは、正月休みは無いんじゃないでしょうか。
選挙だけでなく、来年度予算編成の真っ最中でもあり、新知事が2月に新しい方針を出した場合、新年度予算は組めなくなるでしょう。
また、各種広報物も、新年は都知事の挨拶が巻等を飾るはずで、それもすべて差し替え。
どの部署もこの時期の辞任に参っているでしょうねぇ。
正月休みではありませんが、私は年に最低2回、3週間=21日の間、土日も含めて休みなし、しかもその間連日深夜までの残業を余儀なくされる部署にいたことがあります。
3年間、その部署でよく耐えました。
そういう変な機関は今のところ最初で最後ですねぇ。
しかも土日はサービス出勤で、残業代も三分の一くらいしかもらえませんでした。
それ以上残業代をだすと、労働基準法違反がばれてしまうので、要するに職場の犯罪を隠すために職員に無理を強いたのですね。
その時はまだやっと30歳になった頃でしたから、文句も言わずに激務に耐え、べつだんメンタルをやられることもありませんでしたが、今だったら職場を告発していたでしょう。
もっとも今は、社会も変わり、そのような無理を部下に強いることは出来なくなりましたが。
しかし1月下旬に告示して2月上旬に投開票となると、担当する職員、今頃気が重いでしょうねぇ。
猪瀬知事、せめてもう少し早く辞意を固めてくれればよかったのに。
いつも思うことですが、会議というのはどうして長引くんでしょうねぇ。
今日の午後、2時間で終わる予定だった会議が4時間に及んでしまいました。
わりと重要な会議だったため、真剣に聞いていたら、ヘトヘトになってしまいました。
しかもTV会議で五か所から参加のため、余計時間を食ったような感じがします。
民主主義の基本はそれぞれ自由に意見を交換し、しかる後頭数が多いほうで決定すること。
反対する者の頭を撃ち抜くよりも賛成する者の頭数を数えたほうがマシだ、と言ったのはだれでしたか?
長い会議は民主主義が宿命的に負うリスクなんでしょうか。
あとは議長の裁量というのもあります。
それでもやっと、金曜日の終業時刻を過ぎました。
3日間、のんびり過ごしたいものです。
12月も下旬を迎えました。
今日も関東南部は冷たい雨。
でも明日からの3連休は晴れの予報です。
明日、土曜日は3カ月に及んだマンションの大規模修繕工事終了の現場確認と、引き続き理事会を開き、完了確認の書類に理事長の印を押す予定です。
当初予定より1週間遅れましたが、年内に間に合いました。
マンションの共用部分の床を張り替えたり、浮いてきたタイルを交換したり、ベランダの床に防水加工を施したり、玄関部分の床を高圧洗浄したりして、新築時のようにきれいに甦りました。
何事も早め早めに修繕すれば、突然の崩落など起こり得ません。
マレーシアの首都、クアラルンプールのシンボルである高層ビル、ツインタワーになっていますが、片方を日本企業が、もう片方を韓国企業が受注したそうですが、早くも韓国企業が建設したタワーが傾き始め、問題になっているそうです。
おから工事とまでは言いませんが、きちんとメンテナンスしていれば、そんなことにはならなかったでしょうに。
日本憎しでわが国の悪口を言ってい回っているおばさん大統領、もはやおばかさん大統領に格上げですかね。
悪口を言っている暇があったら、工事技術やメンテナンス能力の向上を図ればよろしいものを。
もっとも、日本企業が立てたタワーはびくともせず、韓国企業のそれが傾き始めたという事実は、わが国への信頼を高め、韓国の評判を貶しめることになりましょう。
わが国でも耐震偽装事件がありましたが、概ね、わが国の職人は完璧を目指して真面目に働いているように感じます。
この国に生まれて良かったと、心底思います。
関東南部では、今日一日、冷たい雨が降り続きました。
職場内は暖房が効いて暖かいのですが、だからこそ、窓から見える外の様子が凍えるように見えました。
これが北国なら、雪なのでしょうね。
でも関東南部で雪が降るのは大抵1月中旬から2月にかけて。
3月も末になって降ったこともありましたっけ。
なぜか年内に降ることは滅多にありません。
雪の多い地域に住むのは、雪の扱いを知らない私には無理でしょうねぇ。
予報では、明日まで雨で週末の3連休は晴れるようです。
北風が冷たくても、空気が乾燥して顔がこわばっても、やっぱりお日様が出ているのは嬉しいですねぇ。
寒くなると、酒の味が上がり、酔えば人肌恋しくなるものです。
しかし今の私は、酒の味は上がりこそすれ、人肌恋しいということはありません。
むしろ、他人の皮膚に触れるのは不潔なような気がして、外国人の客などが握手を求めてきたりすると、一瞬、ひるみます。
外交儀礼ですから、結局は握手するしかないのですが、親しい人の肌に触れることすらままならないこの身であれば、赤の他人と手を握るなど、おぞましいばかりです。
あぁ、無菌室のような清潔な空間で、磨き上げられた光る石に囲まれて一生涯を過ごしたいものです。
有機物たる動植物には、どうしても不潔な感じがして、嫌悪を感じずにいられません。
私は幼い頃から、鉱物への嗜好がありました。
「私は貝になりたい」という映画やドラマがありましたが、できることなら、私は石になりたいものです。
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ついにと言うかやっとと言うか、猪瀬都知事が辞意を表明したそうですね。
このところの言い訳の二転三転ぶりを見ると、時間の問題だとは思っていました。
苦しい心境ながら、「デパス1錠で大丈夫」と強がっていましたね。
デパスは、今最もポピュラーな抗不安薬で、精神科でなくても、眠れないとか不安だとか言えば、内科などでよく処方されているようです。
但し、私の主治医はデパスを処方することはありません。
主治医に言わせると、デパスは数ある抗不安薬の中でも習慣性が強いからだそうです。
私は何種類かの抗不安薬を試し、今はソラナックスを飲んでいます。
抗不安薬は心身をリラックスさせる薬で、血圧を下げたり肩こりなどを緩和する作用も認められています。
感じとしては、飲んで15分後くらいから、体がゆるーくなって、まったりとします。
理性や判断力、事務処理能力などはそのままに、酔ったような感じとでも言いましょうか。
抗不安薬は、長いもので12時間くらい、短いもので6時間くらい効くと言われており、デパスはその中間くらいの時間だと言われています。
ただし、不安や緊張が極度に強い場合、定められた最大量を飲んでも、ちょっと眠くなるだけで、ほとんど効果は感じられません。
逆に、とくだんそういった症状が無い人が飲むと、異常に効くことがあります。
以前同居人が眠れないというので、もらっていた抗不安薬を飲ませたら、すぐに爆睡し、翌朝起きることができず、午前中休暇を取らざるを得ませんでした。
なるほど、精神病薬というのは健常者が飲むと危ないのだなと、思いました。
私のかかりつけの内科医は、平日の夜など、患者が少ない時間帯に行くと、同世代で、10年来通っている気やすさからか、色々な世間話をしてきます。
で、その先生、人前で話すのが苦手だとかで、看護師の結婚披露宴などでは主賓になってしまうため、デパスを飲んで挨拶する、と言っていました。
主賓で結婚披露宴に招待されるのが嫌さに、男っ気の無さそうな、もてなさそうな看護師を採用している、と秘密を打ち明ける少年のように悪戯そうな笑みを浮かべていました。
健常者でも、緊張緩和には役立つということで、精神障害と言うのは誰もが経験する不安や緊張、憂鬱や空耳などが、極端に至っただけなのでしょうね。
デパス1錠でしんどい場面を乗り切れるのであれば、猪瀬知事は本来のノンフィクション作家に戻って、大活躍できるものと思っています。
慣れない政治の世界、短い期間でしたが、御苦労さまでした。
みんなの党を離党した江田議員、結いの党なるけったいな名前の新党を立ち上げましたね。
みんなの党という名称も気色悪いものでしたが、結いの党なんて、輪を掛けて気持ち悪いですねぇ。
野党再編の接着剤になるとかほざいていましたが、みんなの党の内部で分裂劇を起こしたような人々に、そんなことが果たして可能なのでしょうか?
大体何と何を結おうというのでしょう?
新党さきがけとか、新生党とか、たちあがれ日本とか、新党大地とか、なんだか意味不明な情緒的な名前を公党に付けるようになったのは、政治家、ひいては日本人全体の言語感覚が幼稚になったとしか思えません。
子どもは情緒的な言葉を多用し、感情で動くものです。
それにしてもみんなの党と言い、そこから出て行った結いの党と言い、その気色悪さは群を抜いています。
江田議員にだけには、死んでも結われたくない、という反発を野党に所属する国会議員諸氏は覚えるのではないでしょうか。
まぁ、いずれにしろ、お手並み拝見と言ったところでしょうか。
精神障害発症からおよそ10年。
当初うつ病と診断され、その後双極性障害に変わりました。
通院服薬、自助グループへの参加、千葉障害者職業センターでのリワーク・プログラム参加など、使える物はなんでも使い、ようやっと、ここ4年ばかりは薬を飲みながらもフルタイムでの仕事をつづけ、完治に至ったのかなと、思っています。
しかしこの病気は再発が極めて多いため、油断はなりません。
症状がきつかった頃、求めていた境地に今、達したのだと思いますが、何かがおかしいと感じます。
平たく言えば、それほど嬉しくないというか。
考えてみれば、ずっと健康であり続けている人であっても、何らかの悩みや苦しみを抱えて生きているはずで、精神障害を克服したと言っても、それら当たり前の悩みや苦しみから逃れられるはずもありません。
私の今の正直な気持ちは、なぜかここまで、生きてきちゃった、といったところでしょうか。
ああしてこうしてこうなった、ということは自分が一番よく分かっているつもりです。
そしてまた、私はどうしても、私独りで、孤独な戦いの末に今に至った、という傲慢な思いを捨てられません。
もちろん、主治医や、リワーク・プログラムや自助グループの仲間、また、両親や兄弟、そして何より同居人の忍耐強い見守りと援助が重要な要素であったことは間違いありません。
しかしそうであっても、結局のところ、精神障害のような極めて個人的な精神上の事情が影響する病においては、当事者が七転八倒の苦しみの末、自らの治りたい、という強い意志がなければ、なかなか良くならないのではないかと思います。
身体の病気とは、そこが根本的に異なるものと感じます。
そういう意味では、私はこの10年、同居人と旅行に行ったり、親類との宴会に出たり、職場で仕事をしたりしてきましたが、おのれの精神の闇とでもいうべきものが、現実社会との間に、うっすらとした幕とでも言い様がないものを作り出し、その薄い幕ごしにしか、私は社会とも、人とも接することが出来ず、要するに世界に私独りしか人間は存在しない、という思いを抱き続けざるを得ませんでした。
これはなかなかしんどいことです。
恋に陥ると、世界に人間は恋人と自分の二人しかいない、という感覚に陥りますね。
この感覚は、男女問わずほとんどの人が一度は経験したことがあるのではないかと思います。
そういうロマンティックな、生殖のためだかなんだか知りませんが、脳が見せる普遍的な幻想のような感覚とは、全く異なる絶対的孤独感とでもいうべきものが、私を襲い、ほぼ完治したと思っている今も抜けがたくそれは在るのです。
この感覚は、おそらく精神障害者特有のものではありますまい。
なんとなれば、思春期の少年少女は、多かれ少なかれそういった感覚に捕らわれるものだからです。
そうなると、精神障害というもの、人間が根源的に持っている孤独感を炙り出すという作用を持っているように思えてなりません。
精神医学は高度に進歩し、眠れなければ睡眠導入剤、落ち込めば抗うつ薬、不安なら抗不安薬、幻覚や幻聴があれば統合失調症の薬が処方され、多くの精神障害者を救ってきたのは事実です。
しかしそれらの薬はいずれも対症療法であって、根本的に人間精神の不調を治癒せしめる力はありません。
私はこれから、精神医学の限界を知りつつもそれに頼り、しかもおのれ独りの孤独な戦いを不断に続けることしか、生きていく方法が見当たりません。
ほぼ完治した今こそ、勝って兜の緒を締めよ、という気分ですねぇ。
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午前中、床屋に散髪に行きました。
行きつけの床屋ですが、平日の昼間に行くと、必ず「お休みですか?」と聞いてくるのが小癪な野郎です。
午後もDVD鑑賞。
本日の2本目は、「デッドガール」です。
一種のゾンビ映画なのですが、一般的なそれとは大分趣きを異にしています。
冴えない高校生のTJとリッキー。
2人は幼馴染で、いつもつるんでいます。
ある日、2人は授業をさぼって閉鎖された精神病院にもぐりこみ、大量のビールを喰らって手当たりしだいに窓を割ったり、器具を破壊したり。
このあたりはよくある青春の鬱屈を描いた場面。
肝試しと称し、暗い地下へ歩みを進め、奥へ奥へと進んでいくと、信じられない光景を目にします。
全裸の少女が、鎖で手足を拘束されてベッドに横たわっていたのです。
最初は警察に通報しよう、なんて相談していますが、この少女、やたらと凶暴なのです。
さらには首を絞めても銃弾を三発も撃ち込んでも、しばらくするとまた蘇って凶暴になるのです。
これはゾンビだ、と気付かされます。
ここから、TJとリッキーは仲違い。
もてない2人のこと。
全裸の少女が拘束されており、しかも生身の人間ではないと知れば、ダッチワイフ替わりにして楽しもうというのも無理からぬこと。
リッキーはそれを拒絶しますが、TJはもう一人のさえない友人を誘って、毎日、ゾンビ少女を犯して楽しんでいます。
ついには学校にも来なくなるTJ。
TJの欲望はエスカレートして、ゾンビに噛まれればゾンビになるはずだからと、完璧な女を拉致してゾンビ少女に噛ませ、色々なゾンビ女を楽しもうと企みます。
ついに、リッキーが小学生の頃から片思いを続けている美少女の目につけます。
それを阻止しようとするリッキー。
しかししょせん、リッキーも色欲旺盛な男子高校生だった、というお話。
リッキーの切ない恋心や、冷たい少女との葛藤が描かれ、さらには家庭環境に恵まれず、さえない3人の少年たちの青春群像が描かれ、ゾンビ物だということを忘れてしまいそうです。
そもそもなんで閉鎖された精神病院の地下深くにゾンビ少女が拘束されていたのか、彼女は何者なのか、いつから拘束されているのか、最後まで明らかにはされません。
一風変わった作りになっています。
発想は面白いにしてもストーリーが単調で、104分という尺は長すぎたように感じました。
もう一ひねり欲しかったところです。
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今日は年休消化のためお休み。
早速DVDを鑑賞しました。
「パラノーマル・リアリティ」です。
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45年前に看護師7人をレイプの上殺害するという事件が起き、犯人が処刑されて後、そこに犯人の悪霊が住むと言われる廃墟となった病院に、テレビ番組の取材班が訪れますが、全員行方不明に。
警察が捜査した結果発見された映像です、というふれこみ。
これ、名作「グレイヴ・エンカウンターズ」のまんまぱくりです。
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しかも「グレイヴ・エンカウンターズ」の息をもつかせぬ演出とはほど遠い、冗漫な作りになっています。
強いて言えば、タイトルどおり、リアリティがあるというか、悪霊の姿が見えない点、そもそもそれがかつての強姦殺人犯の悪霊なのか、それとも全く関係ない何か禍々しいものなのかすら不明のまま、テレビ・クルーは次々と惨殺されていくのです。
しかしホラー映画はそもそも嘘くさいもの。
「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の大ヒット以来、POVの手法は低予算である程度稼げるということで、作られすぎたように思います。
たくさん製作されれば良いものもあれば悪いものもあります。
しかしこの手法は映画としては邪道。
もっと堂々と、むしろ嘘くささを売りにしながら、それでいて背筋も凍る恐怖と映像美を追求したホラー映画が観たいものです。
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今日も今日とて仕事を終え、風呂につかってウィスキーをちびちびやっています。
明日は休暇を取りました。
別に用は無いのですが、年休の効率的な取得のため。
これで年休の余りはぴったり20日。
20日までは来年に繰り越せますが、21日以上残すと20日を超える分は消滅してしまいます。
それはあんまりもったいないので、明日の休暇となったわけです。
来週は月曜日が休みですし、仕事納めの金曜日には重要な会議がありますので、おそらく来週年休を取得することは難しかろうと、明日、休むことにしました。
1月は、繰り越しの20日と本来の20日、合わせて40日の年休が貰えそうです。
嬉しいですねぇ。
天気予報では、明日の首都圏は雨か雪。
この冬一番の寒さだとか。
12月に首都圏で雪が降るのは珍しいことです。
良い日に休暇を取ったものです。
すでにツタヤから、ホラーDVDが2本届いています。
リビングの暖房を強めにして、明日はこれを観ようと思っています。
今宵は小さな解放感を楽しみたいと思います。
韓国の新聞が、コリア・パラドックスという造語を作って、自国が置かれた立場を危惧しているようです。
コリア・パラドックスとは、米国に同調すれば中国の怒りを買い、中国に融和的な態度を示せば米国から裏切りとみなされる状態を指すそうです。
なるほどねぇ。
おそらく、日本は憎い、だけど日本との経済関係を強化しなければ生きていけないし、北朝鮮が攻めてきたら日米に頼らざるを得ない、という意味もありましょう。
韓国のマスコミも、朴おばさんの常軌を逸した言動にさすがに危機感を覚えたものと推測します。
また、韓国は18年も前に純国産の戦車開発を始めながら、試験段階でいつも不具合を生じ、未だに実戦配備できないとか。
さらには純国産の水陸両用車両で試験的に演習用の池に突入したら沈んでしまい、死者が出たとか。
見た目はまるっきりイージス艦なのに、イージス艦をイージス艦たらしめているハイテク機器が搭載されていないとか。
兵器のお粗末さは目を覆うばかりの惨状です。
それならいっそ国産に拘らず、米国やEUから買えばよいものを。
わが国はその間着々と兵器の国産化を進め、米国の軍事評論家は、アジア最強の軍事大国は日本である、と論評するまでになりました。
核兵器を持っていないとか、兵隊の人数とか、戦闘機や戦車の数でいえば、圧倒的に中国が上ですが、兵器の性能は日本より30年くらい遅れており、まして練度や士気の高さでは、旧日本軍の時代からわが国は世界一です。
現在、大国同士が総力戦に突入したら、それは全面核戦争に突入せざるを得ず、世界の終わりを意味しますから、地域紛争の段階で、練度や兵器性能での圧倒的な能力差を見せつけ、相手の戦意を喪失させるのが上策と思われます。
複雑な北東アジアの情勢に鑑み、韓国の新聞がコリア・パラドックスという言葉を作って警告を発したことを、韓国政府は重く受け止めなければなりませんねぇ。
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近頃秋葉原などで営業しているJKお散歩なる商売が問題になっているようです。
少し前、JKリフレという個室型の店舗が摘発された後に考案された新手の商売で、女子高生とお散歩してなにがしかの金を店に支払うんだそうです。
かつて、
定年後 犬も嫌がる 五度目の散歩
という川柳がありました。
この寒空で本当に散歩だけを求める客が来たら、女子高生は嫌がるんじゃないでしょうかねぇ。
その実態は私には分かりませんが、お食事するとか喫茶店に行くとか、あるいはカラオケに行くとか、稀にはホテルに行って性的サービスを受けるとかなんじゃないかと思います。
何も散歩のお伴を求めているわけではなく、恋人気分を味わいたいとか、あるいはもっと露骨に性的サービスを求めている客が大半かと想像します。
いわゆるメイド・カフェでも、メイドと短時間外出して食事などを楽しむサービスがあると聞きました。
実際、秋葉原を歩いていると、いかにもメイド然とした格好の少女と歩いているブサイクな男がたくさんいます。
ただ、メイドといってもおそらくは18歳以上であるため、補導の対象にはならず、ゆえに問題に成りえないのだと思います。
散歩なんて言ってますが、限りなく風俗産業に近いものなのだと思います。
それにしてもわが国の風俗産業は、じつに馬鹿馬鹿しいものが生まれては消えて行きました。
王道のソープ・ランドは昔と変らず存在し続けていますが、ストリップ、ノーパン喫茶、ノーパンしゃぶしゃぶ、のぞき部屋、ファッション・マッサージ、ヘルス、メンズ・エステ、ラッキー・ホール、デリヘル、SMクラブ、乱交パーティーやスワッピング・パーティーの斡旋などなど、今も続いているのか分からないサービスがあまたありましたね。
考案する風俗業者も風俗業者ですが、喜んで金を落とす客も客。
飽くなき性への探究心と、照れなんだか頓知なんだか分からない間抜けな営業形態は、わが国民が昔から持ち続けている大らかな性意識が生み出したものでありましょう。
JKお散歩の問題点はただ一つ。
風俗産業に就業してはいけない年齢の女子高生が堂々と働いていること。
かつて援助交際と言う名の少女売春が問題になりました。
今回はそれほど深刻では無いと思いますが、耳かき屋に勤める若い女性が常連客に殺害されるという痛ましい事件が起きたこともあります。
安易に稼げるからと言って、危うきに自ら近寄るのは剣呑と言うものです。
私が不思議に思うのは、女子高生の7割方はブサイクで、おそらく話も合わず、つまらないため、風俗遊びが好きな男はそんなものは買わないと思います。
まぁ、女子高生という幻想に対する、一種のフェティシズムなんでしょうねぇ。
先日、散歩の最中、観光客だか出張だか知りませんが、ガタイのでかい白人から道を聞かれました。
英語で。
それになんとなく応えたのですが、一緒にいた同居人から、後に、ヒアリング能力がかなり上がっているのではないか、と指摘されました。
なんでかな、と思って、すぐに分かりました。
常軌を逸したホラー映画鑑賞三昧がその理由であるに違いありません。
私は様々な国のホラー映画を観ますが、圧倒的に米国製が多いのです。
結果、字幕を見ながら英会話を聞くことになり、気が付いたらずいぶん聞き取れるようになっていた、というわけです。
習うより慣れろ、と言いますが、本当ですねぇ。
そこで気付いたことは、少なくとも会話においては、ネイティブの人々はかなり簡略にしゃべっているということ。
例えばワールドシリーズを制した際、上原投手の小さな息子が、「今夜はどうやってお祝いするの?」と米国人キャスターに問われ、一言「Crazy!」と応えていました。
単語一つで受け答えするのが、日本人らしからぬ自然さだと、米国では評判になったと聞きます。
ホラー映画を観ていていつも思うのは、実際の英会話は単語一つで済んでしまうものが多く、文法がどうこう言うのは馬鹿げているということです。
私たちは自己紹介する際、「My name is ○○」と言うのだと中学生の頃教わりました。
しかしホラー映画でそんな自己紹介をしているやつなんていません。
「○○」と名前だけ言うか、せいぜい「I´m ○○」くらいです。
そのことを英語が得意な友人に訪ねたら、「My name is ○○」という言い方は、日本語でいえば「拙者の名は○○でござる」みたいな、滑稽なほど古臭く聞こえる、と言うのです。
そういえばいつだったか、デーブ・スペクターが、「日本の中高生が学んでいる英語は古文だ」、と言っていましたっけ。
今、文部科学省では、英語教育を小学校3年生から始めることを検討しているそうです。
その場合、今のやり方を早く始めるというだけでは、英語嫌いを増やすだけでしょうねぇ。
文法なんか教えずに、会話だけを教えるのがよろしかろうと思います。
子どもであれば、赤ん坊がいつの間にやら言葉を覚えるように、英語を覚えるだろうと思います。
私はもう年なので、そんなぬるい方法では、聞くことはできても話せるようにはならないでしょうけれど。
問題は、日本全国の小学校に、それを教えられる教員を配置できるかどうかでしょうねぇ。
英語が世界語になったのは、まず大英帝国が、後に米国が世界を支配したからだけが理由ではないと思います。
英語という言語が持つ簡単さが大きな理由ではないでしょうか。
私、俺、僕、あたし、あたい、あっし、おいら、うち、それがし、拙者、朕、余、マロ、小生、老生、自分、愚僧、などなど、一人称を表す言葉が、日本語にはたくさんあります。
そしてそれぞれに、その一人称を使用しているというだけで、生まれ育ちや性格などが見て取れます。
それが、英語では、I、だけ。
また、日本語では、物を数を数える際、一つ、一個、一本、一杯、一冊、一部、一膳、一振り、一柱、一人、一対、一杯、と、複雑多岐に渡っています。
日本語が世界語になるのは難しそうですねぇ
今日で自民党が政権復帰を決めた先の衆議院選挙から丸1年経つんですねぇ。
悪夢のような民主党政権が倒れ、安倍総理は強力に外交や経済政策などを推し進め、国民に安心感を与えたように思います。
一方、中韓をはじめ、米国や欧州の一部からも、強い日本が復活することを懸念する声が高まりました。
特に韓国の朴大統領は安倍総理との会談を拒否し、ファンタジーのようなおかしげな歴史認識を共有せよと、あっちこっちで言ってまわり、わが国の菅官房長官は、「喫緊の課題は無い」の一言で韓国との会談先送りを決め、韓国マスコミは袖にされたとばかりにきぃきぃ騒いでいます。
今はわが国から韓国に会談を求めても無駄でしょうから、放っておくしかありません。
隣国同士うまくやりたいものですが、ああヒステリックに騒がれては、こちらがいくら冷静でも話になりますまい。
時期を待つのが肝要でしょう。
アベノミクスの効果が現れているとマスコミは言っていますが、今のところ、私にその実感はありません。
まずは大企業から、なんでしょうか。
ただ、震災復興の財源のために国家公務員の給与を平均7.8%カットするという過酷な政策は、当初予定どおり、今年度いっぱいで終わるとのこと。
平均7.8%ですから、元々給料が高かった年配の職員や職階の高い者は10%以上のカット。
10%というと、減給処分に相当します。
2年間だけ、ということで始まった人件費カット、正直、永遠に戻らないのではないかと思っていました。
役人叩きは政治家もマスコミも大好きですからねぇ。
しかし元々が薄給の私たちノンキャリにしてみれば、貧窮問答歌のような2年間でした。
わが家は共働きで子がいないのでしのげましたが、高校生や大学生の子がいて、しかも奥さまが専業主婦という先輩諸氏のお小遣いは、泣けてくるほど低いものでした。
あまり役人の給料を下げると、誰も役所に就職しなくなって、行政サービスは低下するでしょう。
世間並の給料は必要かと思います。
この2年間、月々の給料は10年前くらいのレベルに落ちていましたからねぇ。
年功序列のお役所で、これはきついです。
テンション、ダダ下がりでした。
もしかすると私たち木っ端役人は、4月の給与明細を見て、初めてアベノミクスの効果を感じるのかもしれません。
もう1年経つんですねぇ。
米国コネティカット州の小学校で若い男が銃を乱射し、26名が犠牲になった事件から。
オバマ大統領は銃規制を強めようとしているようです。
是非そうして欲しいものですが、米国では自分や家族の身は武装してでも自ら守る、という伝統があり、なかなか難しいようです。
仮に今後銃の販売を大幅に規制したとしても、すでに合法的に購入した銃を取り上げるなんてことは無理でしょうねぇ。
秀吉の刀狩りじゃあるまいし。
そうすると、銃が行き渡った社会は今後一切銃を買えないようにしても、相変わらず当分は銃社会であり続けることになります。
米国の銃の問題、鶏と卵みたいなところがあります。
簡単に銃を購入できる社会であるため、犯罪者などは銃を持っているはずだという前提の元、善良な一般庶民も身を守るために銃を持つ、ということなのでしょうが、犯罪者もまた、どの家に泥棒に入っても銃を持っているはずだ、と考え、銃がなければ仕事にならない、ということになってしまいます。
悩ましいですねぇ。
元をただせば、先住民を虐殺して国を作った人造国家と言う成り立ちのせいで、特に西へ西へと開拓という名の侵略を続ける際、いつ先住民に襲われるか分からないという恐怖と、軍や警察だけではゲリラ攻撃を仕掛けてくる先住民に対応できないという事情から、広く銃が広がったものと推測します。
それが証拠に、早いうちに米国政府の統治が行き届いた東部諸州は比較的銃規制に寛容で、西部や南部など、米国政府の手がなかなか伸びなかった地域では、今も銃規制に反対する人が多いようです。
それら諸州では、男の子が12歳になると父親が銃をプレゼントし、家族を守る心構えを教える、という話を聞いたことがあります。
嘘か真かわかりませんが、我々日本人にはにわかには信じがたいですねぇ。
先住民から広大な土地を簒奪するといういびつな成り立ちで建国した国家の、永遠のトラウマが、米国民をして、先住民への恐怖が無くなった今も、いつ訪れるか分からない暴力的な襲撃者を怖れるという共通の怖れを持たざるを得なくなったんでしょうねぇ。
哀れなものです。
それでもまずは第一歩を歩き始めなければなりますまい。
銃規制を少しづつ強めて、100年かかってもいいから、米国は銃を持たなくても良い社会を目指すべきでしょうねぇ。
まぁ、しょせんは他国のことですから、私がどうこう言うことではありませんが。